うさぎライターの観てきた!クチコミ一覧

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ソリテュードボーイ・イノセンス

ソリテュードボーイ・イノセンス

初級教室

OFF OFFシアター(東京都)

2015/06/04 (木) ~ 2015/06/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

どう死にたいか?~Aを観劇~
初日のぎこちなさは尻上がりに滑らかさをまし、圧巻の終盤へとなだれ込む。
死んでしまった孤独な青年が少しずつ輪郭を現してくるエピソードが素晴らしい。
このエピソードがどれも深くて上手いので、冒頭の多少無理やり感を忘れさせる。
ネタバレ後にどっと泣かせる展開が見事で、役者さんもボロ泣きだが私もボロ泣きした。

ネタバレBOX

舞台上には小さいワンルームマンションのような部屋が再現されている。
下手側に玄関へ続く出入り口、上手にベッドが置かれている。
ブティックのような白いディスプレイ用の棚があり、靴や小物が並んでいる。
女の子の部屋のようだが、靴など見ると男の子の部屋のようでもある。

ひとりの青年がこの部屋で亡くなり、その青年からの葉書を持って
6人の人々が集まってくる。
テレビの再現ドラマに時々出る女優、タウン誌のライター、うどん屋の青年、
メイド喫茶の店長、クリニックの看護師、元アイドルのOL。
彼らは、“大した付き合いはないけど”と言いつつ、青年と自分との関りを語り始める。
次第に明らかになる驚きの事実。
そして7人目が登場する…。

“じゃあ、どんな風に知り合ったのか、再現してみましょうよ”みたいな持って行き方が
若干苦しいかな、と思いながら観ていたが、個々のエピソードのリアルな展開に
ぐんぐん引き込まれ、一気に入り込んだ。

6人がそれぞれ全く違う立場で彼と接していて、その距離感のバランスが良い。
そのため彼の人物像がとても立体的で多面的になった。
年齢も職業も違う人々の再現ドラマの中で、青年は生き生きと甦り、歩き出す。
そして最後にこの会の趣旨が明らかにされ、全体像が見えてからが泣けた。

なんだろう?
話は解ったし、過去のいきさつも解った、後は“贈る言葉”でしょ、と
そこまで読めるのに、演じる方も観ている方もボロ泣きしてしまう。
素直な力の抜けた台詞が、本当に優しくて弱くて切ない。
彼が、誰かの人生を変えるきっかけだったことが伝わってくる。

金子大輝さんの、控えめながら喜びを表す表情が
高校生らしい初々しさを含んでいて良かった。
亡くなった青年に一番近い人物像を体現して秀逸。
素なのか演技なのかわからないラインで成功している気がした。

当日パンフにある出演者への質問、「どう死にたいか?」に
この部屋の青年は黙って最高の答えを出してくれたのだった。
エクソシストたち

エクソシストたち

渡辺源四郎商店

こまばアゴラ劇場(東京都)

2011/12/02 (金) ~ 2011/12/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

まるで井上ひさし作品のよう
丸いちゃぶ台だけのセットなのに、照明で鮮やかに場面が切り替わる。
3.11をあんな風にとらえた作品を私は他に知らない。
どこのクラスにもいる老け顔の小学生。
あとで大学生と知って驚愕した。
突っ立っているだけで、複雑な家庭に翻弄される11歳になっている。
イタコに呼びだされて戻ってきた元夫の台詞の「間」の素晴らしさ。
このテーマ、この構成を選んだ畑澤氏に脱帽。
しかも怪しいエクソシスト達の可笑しさと言ったら・・・。
シリアスなテーマにユーモアを混ぜ込んでくるくるねじって見せる、
畑澤さん、これはまるで井上ひさし作品のようです。

火宅の後

火宅の後

猫の会

「劇」小劇場(東京都)

2014/10/22 (水) ~ 2014/10/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

無頼でなければ面白くない
作家檀一雄をモデルにした“昭和無頼派評伝劇”とのことだが、まさにそれだった。
自分を切り売りするような作品しか書けない作家の苦しみ、
彼を取り巻く編集者や家族の思いと葛藤が鮮やかに描き出される。
時空を超えたかのような謎の男を狂言回しのようにも使った演出も面白い。
斜めに傾いた丸い居間、そこに敷き詰められた白い砂の感触が
観ている私の足裏にさらさらと伝わってくる不思議。
作家役、謎の狂言回し役、太宰治役の3人が強烈な印象を残す。
作品も人生も、“無頼でなければ面白くない”と思わせる説得力が素晴らしい。

ネタバレBOX

舞台中央に作られた居間は円形、手前に向かって傾斜しているのは目の錯覚?
と思ってよく見るとやはり傾斜している。
開演後まもなく、絨毯のように見えた床が
実はさらさらとした砂のようなものらしいことが判る。
歩くと足跡がつき、縁側に見立てた淵から立ち上がればそこから砂がこぼれる。
この不思議な空間で、女と別れて戻ってきた作家、その妻、息子、作家志望の書生、
編集者たちが、ある時は攻防を繰り広げ、ある時は理解し受け入れ合う。

作家の死後、編集者が残された妻に思い出話を聞きに通っている、という設定で始まり
過去に遡って当時を再現、再び現在に戻って冒頭と同じ会話を交わして終わる。
同じ台詞が、最初と最後ではまるで違ったニュアンスに聞こえる…。
“遠くて近い妻”が見てきた作家が浮かび上がる、この構成が効いている。

無頼派の作家篠井五郎を演じる高田裕司さんが素晴らしい。
悪びれもせず放蕩を繰り返しながら平然とまた帰ってくる男、息子には良き父親で、
時には料理をふるまって編集者をも魅了し、人の才能をいち早く見出してはそれを怖れ、
自分の人生を切り売りしながら血の出るような作品を書く男。
すっきりとした立ち振る舞いや豪放磊落な物言いが、
無頼派らしく枯れない中年を感じさせる。
お行儀よく、他人の思惑と空気を読むことに汲々としている
昨今の草食系とは対照的で、非常に魅力的である。

まるで不審者のように登場して、作家や編集者の深層心理を暴き波風を立てる、
謎の“ファン”積木を演じる贈人(ギフト)さんの存在が大変面白い。
「あなたは将来命と引き換えにこの小説を書き上げて
読売文学賞を取るんです!」なんて言い切ったりする。
戯曲を書いた北村耕司さんの分身であろうこの男は、作家の一番の理解者であり
彼の作品を評価する後世の代表者である。
少々強引でシュールなこの展開がリアルな説得力を持つのは、
演じる贈人さんの台詞の素晴らしさだろう。
編集者としての在り方や、作家自身が気づかないスランプの理由を
ズバリ指摘する場面、あの熱のこもった台詞は、
北村さんの檀一雄とその作品に真摯に寄り添った末の声だ。
贈人さんは身のこなしも軽やかにその声を見事に体現している。

作家に自分の作品を見せるため津軽から出てきた青年(後の太宰)
を演じる牧野達哉さん、
登場してすぐ、観客も共演者も聞き取れないような声でしゃべるところが可笑しかった。
女中の久美子(徳元直子)が津軽弁で叱咤するのも可笑しくて、
とても巧いシーンだと思う。
この聞き取れないような声でしゃべる青年が後年自死した後、
作家の元を訪れて語る場面が秀逸。
この時は、出てきた時から“太宰治”以外の何者でもない風貌にまず驚き、
打って変わってクールで明快な語り口に驚いた。
才能を見出した篠井五郎自身が、最も怖れ嫉妬した作家だけあって、
短いシーンながら観る者の心を一発でわしづかみにする。

編集者原役の保倉大朔さんはじめ、周囲を固める役者陣の充実が素晴らしく
作家の我儘に振り回され、私生活を詮索されることに激しく反発しながらも、
その作品によって生活している人々の忸怩たる思いがじわりと伝わってくる。
こんな風にアプローチされた檀一雄という作家の幸せを思わせる舞台だった。
猫の会、次の作品が待ち遠しい。




その頬、熱線に焼かれ

その頬、熱線に焼かれ

On7

こまばアゴラ劇場(東京都)

2015/09/10 (木) ~ 2015/09/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

ヒロシマの25人
原爆乙女と呼ばれた女性たちがケロイドの治療の為に渡米したことは聞いていたが
選ばれた25人の、その選択がどれほど苦悩に満ちたものであったか、
改めて等身大の女性たちの声として聴く思いがした。
戦後70年に相応しく、また女優7人のユニットに相応しい脚本が
声高でないだけに、じわりと沁みこんで素晴らしい。
隙のない演技の応酬が見応え満点、会話劇の醍醐味を味わった。

ネタバレBOX

対面式の客席に挟まれた舞台は極めてシンプル、ボックス型の椅子が4つのみ。
冒頭、アメリカに到着したばかりの原爆乙女を代表して敏子(尾身美詞)が挨拶をする。
長い髪でケロイドを隠すように俯きがちに話したあと、まるで義務のようにケロイドを晒す。
大きな音でフラッシュがたかれ、その音に思わずたじろぐ。
25人の原爆乙女たちは順番に手術をうけるのだが、
ある日、簡単な手術といわれていた智子(安藤瞳)が、麻酔から覚めないまま死亡する。
善意で無報酬の手術を引き受けてきたドクター側にも、原爆乙女たちにも衝撃が走る。
これで手術が中止になるのは嫌だという者、手術が怖くて受けたくないという者、
双方の意見が対立する中、死んだ智子と交わした会話を思い出しながら
初めてそれぞれの思いを吐露していく…。

麻酔から覚めずに死んでしまった智子が狂言回しの役割を果たす構成が秀逸。
他者を受け入れる優しさと包容力を持った彼女は、生前ほかのメンバー達と
深いところで触れ合う会話を交わしていた。
そんな彼女との会話を思い出しながら、皆否応なく自分をさらけ出していく。
同じようにケロイドがありながら審査に落ちた仲間たち、
傷の程度を比較しては幸せを計り、妬んだり羨んだりする被爆者の社会、
日本ではマスクして歩いていたがアメリカでは顔を出して歩けるという開放感、
ピカによって損なわれた人生、容貌、可能性を、ただ想像するだけの生き方でなく
アメリカで手術を受けることで変えようとする強い意志…。
舞台はそれらを反戦や正義感から声高に訴えるのではなく、
等身大の女性に語らせることで一層切なく理不尽さを突き付ける。

「死に顔をきれいにしたい」という弘子(渋谷はるか)の言動が良きスパイスになっている。
前向きに仲間同士励まし合って…という流れに逆らい、ひとり突っかかっていく弘子の
緊張感のあるキャラの構築が素晴らしい。

北風と太陽のように、じわじわと頑な弘子の懐に入っていく
智子の強い優しさが印象に残る。
安藤瞳さんの淡々と語りながら包み込むようなまなざしが、
この作品全体を俯瞰している。

片腕を失って尚、いつも周囲を励ます信江(小暮智美)が
たった一人の身内である祖母の話をした時は涙が止まらなかった。

ラスト、帰国した敏子は、髪を一つにまとめてまだケロイドが残る頬をすっきりと出し
力強く感謝の意と希望を述べて挨拶をする。
死んだ智子が微笑みながらそれを見ている。
この終わり方が一筋の救いとなって、観ている私たちも少しほっとする。

私はこんなに傷ついた身体になっても“生きていることに感謝”できるだろうか。
木っ端みじんになった人生を立て直す気になれるだろうか。
ヒロシマ・ガールズたちの強さは、そのまま哀しみの目盛りに重なる。
昨今は学校における原爆教育そのものが敬遠されがちになっているとも聞くが、
平和ボケ甚だしい日本にあって、このような意義のある作品に感謝したいと思う。
『うれしい悲鳴』/『太陽とサヨナラ』(終演しました! ご来場ありがとうございました!)

『うれしい悲鳴』/『太陽とサヨナラ』(終演しました! ご来場ありがとうございました!)

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2013/10/23 (水) ~ 2013/11/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

圧倒する台詞
ひょっとこ乱舞時代も含めて、私にはこれが初めての広田作品。
冒頭から“伝わる”台詞の素晴らしさに圧倒された。
劇場の広さに負けない声と滑舌、聴きとりにくい台詞もなく豊かな表現力が素晴らしい。
役者さんは大変だろう長台詞満載の芝居は、若干饒舌で長さを感じるものの
最後まで柔軟なパワーにあふれていて飽きさせない。
社会や政治に対する明快な批判と、詩情豊かな台詞、
広田さんって両方書ける人なんだなあ。

ネタバレBOX

近未来の日本では、有権者が提案した政策案を政府が抽選で法律化するようになる。
制定された法律は“アンカ”と呼ばれ例外なく実行される。
実行するのは“泳ぐ魚”と呼ばれるエリート国家公務員集団だ。

泳ぐ魚のメンバーマキノ久太郎(西村壮悟)は、
子どもの頃エレベーターに閉じ込められる事故で父と弟を喪い、自分は痛覚を失った。
その久太郎が、アンカ遂行中に出会ったミミ(藤松祥子)と恋に落ちる。
ミミは、“なんでも過敏症”で無菌状態の部屋から出ることが出来ない。

やがて新たなアンカにより、植物状態の患者は移植のために臓器を提供することになる。
それは、くも膜下で倒れたミミの母親を殺すことを意味する。
そしてミミは、「母親を殺すなら私も殺せ」と一歩も譲らない。
母親の臓器は取り出され、決断を迫られた久太郎はついにミミの首に手をかける。
その直後、政権は倒され、泳ぐ魚は解散となった…。

痛覚とは何だろう。
痛覚を持たない久太郎の方が、泳ぐ魚の他のメンバーよりずっと痛みを知っている。
にもかかわらず組織に抗えなかった彼は、ミミを殺してしまう。
組織の空気に負けてしまったから。
“空気による政治”が今の日本や官僚、会社人間たちを端的に表わしていて面白い。

久太郎役の西村壮悟さんは長台詞になると“素”が顔を出すような気がする。
「工場の出口」に出演されていた時もそう感じたけれど
役と距離を保つのを止めて、素で語り始めるような
久太郎なのか西村壮悟なのか境界線を曖昧にして一気に入って行くように見える。
それが観ていてとても自然で心地よい。
エレベーターの中で、他の8人が次々と死んでいく
暗闇の中での1週間を語るところなど、その皮膚感覚がリアルに伝わってくる。

病気のせいで周囲から隔絶されているミミが、小学校卒業と同時に親友を拒絶し
母親とだけは「何があっても一緒にいる」と決意するところ、
感情を爆発させて、謝って、でもやっぱり独りになるのがどうしても怖いという
逡巡するミミの長台詞に説得力があって思わず涙がこぼれた。
「母親と一緒に死にたい」という極端な主張の理由として納得させるものがあった。

螺旋階段や地下と繋がる四角い穴など、広い空間を縦横に使って清々しい。
時折挿入される群舞が、高揚感を共有する感じで効果的。
役者陣は隙が無くてみな上手いが、特に印象的だったのは
比佐仁さん、西川康太郎さん、鈴木アメリさん、百花亜希さんなどまた観たいと思った。

底の浅い政府が提示する価値観の無意味さと、それに追随する虚しさ、
“空気”ごときに支配される社会などいずれ崩壊する。
しっかりしようぜ日本人、でなけりゃ妙な指導者が現われて憲法をいじり始める。
ひょっとこ乱舞ってこういうのだったのか、
伝えたい事がたくさんある作者が、演劇という手段を選んだ情熱を強く感じる。
次は新生アマヤドリの作品を観たいと思う。











第5回公演 初恋

第5回公演 初恋

日穏-bion-

「劇」小劇場(東京都)

2014/01/29 (水) ~ 2014/02/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

上品・上質なエンターテイメント
平成25年春―昭和25年―平成25年秋―昭和39年という
4つのオムニバスが緩やかに繋がりながら流れている。
少ない人数の間で交わされる無駄のない台詞が素晴らしく
登場人物が背負う背景が説明的でなく伝わってくるところが巧み。
役者陣の演技にメリハリがあって4本を一気に魅せる。
随所に笑いがあるが、第四話のラストは泣かずにいられなかった。

ネタバレBOX

第一話 平成25年・春 「観覧車」
ヘビースモーカーの高山登(原田健二)と高所恐怖症の手塚悦子(木村佐都美)は
面識もないのに、混雑する観覧車にカップルとして乗せられてしまう。
なぜか途中で止まってしまった観覧車の中で、
二人は禁断症状とパニックで思わず素顔をさらけ出すことになる。
高所恐怖症の悦子が緊張のあまり挙動不審になって行く様が可笑しい。
コントになりそうな寸前でリアルに見せる、その加減が見事だった。

第二話 昭和25年・夏 「手紙」
冒頭は戦地に赴いた平和守(杉浦大介)とその帰りを待つ千代子(キタキマユ)との
手紙のやりとりである。
戦時下にこんな素直に未来を語る内容が検閲を通ったのか判らないが
この手紙が初々しい分、7年後の再会は痛切極まりない。
不自由になった足を折り曲げるようにして座る守の背中は絶望的で頑なだ。
生還しても幸せになれない人がたくさんいたであろうことを感じさせる。
守と一緒に暮らしている水商売の珠恵(村山みのり)の
大雑把なようで人の気持ちがわかるキャラクターが効いている。

第三話 平成25年・秋 「幼なじみ」
晴彦(深津哲也)、雪子(竹中友紀子)、夏実(廣川真菜美)の兄弟の住む町に
幼なじみの和男(曽我部洋士)が転勤で帰ってくる。
思うようにならない一方通行ばかりが行き交う初恋通り。
会話のテンポが良く、切ない話なのに不思議と暗くはない。

第四話 昭和39年・冬 「故郷の雪」
古い娼館の桃子(岩瀬晶子)の元へ奇妙な客(管勇毅)がやって来る。
別れた彼女とのやり取りを再現するのだと言って桃子に彼女を演じさせる男。
「相手の気持ちを考えていない、私は私だ」とキレる桃子に
男はようやく自分の事ではなく、桃子のことを尋ねる。
桃子にも戦地からの帰りを待っていた男がいたのだ。
変な客の思い詰めた自己チューな態度が超上手くて笑った。
東北弁の桃子の素朴さが、初恋の哀しい結末を際立たせる。
男の迷いのない暴走ぶりが可笑しく、それだけに後半の変化がドラマチック。
“再現”も悪くないと思わせるラストが秀逸で、涙が止まらなかった。

4つのストーリーが細い鎖で繋がっているところがいい。
さりげなく、彼らのその後が語られていて胸を衝かれたりする。
厳選された台詞と絶妙の間が素晴らしい。
話がひとつ終わる毎に、スクリーンに当時の映像が映し出されるのも
時代背景が瞬時に理解出来てよかった。
客入れの時から流れるBGMがストレートに時代を思い起こさせるのも効果的で
音量・選曲、それに照明もあいまってとても上品・上質な舞台。
6年ぶりの再演に出会えて本当に良かった。
火葬

火葬

らくだ工務店

OFF OFFシアター(東京都)

2012/01/25 (水) ~ 2012/02/15 (水)公演終了

満足度★★★★★

「火葬」見届けました
あんな風に時折笑いながら観ていて良かったのか?
教師たちの秘密もさることながら、衝撃のラストシーンが
一夜明けた今でも頭から離れない。
もう一度落ち着いて検証しながら観たら
また違った物が見えるような気がする。
これ、世に溢れる「普通の善い人」全てに観て欲しい。

キツネの嫁入り

キツネの嫁入り

青☆組

こまばアゴラ劇場(東京都)

2012/05/25 (金) ~ 2012/06/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

めでたし
厳選された台詞と音響、極めて日本的な題材をモダンな空間で魅せる
素晴らしい舞台だった。
吉田小夏さん、凄い人だなあ。

ネタバレBOX

土俵のように少し高くなった白い八角形の舞台は、なだらかに裾が広がる。
和な感じの格子や行燈のような照明が天井から下がっている。

「むかーしむかし・・・」で始まり「めでたしめでたし」で終わる昔話。
それが未来に語られる昔話となれば、話はこの2012年から少し経った頃か。
一輪の花を手にした出演者が客席の間を通って舞台へと向かう。
とても静かな、しかし打楽器の響きと共に強烈な印象を残す出だしだ。
このオープニングで一気に、現実と幻想が入り混じった不思議な世界に惹き込まれる。

あることが起こってそれ以後女の子が生まれなくなった小さな島の物語だ。
島の反対側には危険なものがある“行ってはいけない場所”がある。
父親と二人の息子、それに甥っ子の4人が暮らす男所帯にキツネが嫁に来る。
長男の妻が亡くなって1年後、島の存続のためにもという
村長のたっての頼みもあり長男はキツネの嫁をもらう。
島の暮らしには湿り気のある古い日本の地方色が濃く出ていてとても懐かしい。
蝉の声、蜩の声、波の音など定番中の定番が、これ以外に考えられないほどハマる。

知的障害を持つ次男を演じた青年団の石松太一さんが素晴らしい。
ただ一人、純粋さを損なわずに大人になった人間として
素直に心情を吐露する人に、一分の隙もなくなりきっている。
後ろ向きの時でさえ、その表情が手に取るようにわかって
共鳴せずにいられない。

全体のテンポが、若い人の作品とは思えないほどゆったりしていて
厳選された台詞が際立つ。
あの会話の丁寧な間とタメは吉田小夏さんの作品に共通するものなのか、
若い世代には貴重な、自然な忍耐強さを感じる。
情報量を多く、ボリュームを上げて急いで喋る芝居が多い中で
これは「語り」のテンポとでも言えようか、言葉がひとりでに立ち上がるようだ。
その結果人物像がくっきりして、会話は静かでも緊張が途切れない。

ひとつの役を複数の役者が演じる場面が多いが、
とても上手くつながっているのは役者の力と構成の上手さかと思う。
現実と幻想、過去と現在が自在に交差する構成と
それに伴う人の出入りに工夫があって複雑なのにわかりやすかった。
被災地を思わせる表現の仕方にもセンスと女性らしい繊細な視点を感じる。

「めでたし、めでたし・・・」で終わるこの昔話、
終わってみればSFかホラーか寓話か、そしてとても哀しいおとぎ話だ。
今の私たちには協力してくれる心優しいキツネもなく
人間は愚かな行いの果て一直線に滅びて行くのだろうか。
それもまた「めでたし」なのかもしれない・・・。

さよならを教えて

さよならを教えて

サスペンデッズ

ザ・スズナリ(東京都)

2013/12/04 (水) ~ 2013/12/09 (月)公演終了

満足度★★★★★

大人になっちまった悲哀
もの想う大人は皆解っているのだ、自分のダメなところくらい。
だけど解っているのにダメな方へと傾いて行ってしまう。
そしてだんだん大事な人を大事にしなくなる。
早船さんの無駄のない台詞で、それもまた人とのつながり方のひとつなのだと気づく。
コテコテダンスもありの濃い目の味付けながら、やはり毎日食べても飽きない”人の心の普遍性”を描いていてその切なさにどうしようもなく涙がこぼれる。
婚約している二人の関係が壊れていく時の緊張感がどきどきするほど秀逸。
山田キヌヲさん、とても上手いしきれいだった。衣装も素敵。

ネタバレBOX

舞台は壁紙などの内装工事を請け負う小さな会社。
宏美(岩本えり)は父の代からのこの会社を受け継いでいる。
婚約者の洋介(佐野陽一)は中学の同級生だが、彼は勤めていた会社で
大きなプロジェクトに失敗してから変わってしまったと宏美は感じている。
異動先の部署で部下の女性からパワハラと訴えられ
結局会社をクビになった洋介を見かねて「ウチを手伝ってくれない?」と持ちかけた宏美。
今は一緒に仕事しているが、昔からのやり方に批判的な洋介とことごとく対立する。
同じく中学の同級生で、病気退職して戻って来た夏子(山田キヌヲ)も
ここで仕事を手伝っている。

職人や、地主で大家の夫妻等が出入りするこの事務所で
次第に相手に寛容でいられなくなっていく宏美と洋介。
ネットでのバーチャルな世界に逃げ込む職人、大家夫妻の嫁姑問題、
そして夏子の驚愕の行動…・。
小さな世界で絡まり、引っ張り合い、ほどけてしまう人間関係の脆さ哀しさが描かれる。

「終わりが見えるとやさしくなれる」という洋介の言葉が沁みる。
このまま続くと思うから、うんざりして粗末に扱ってしまう私たちの習性を言い当てている。
「結局自分に自信がないんだ」という言葉もリアルに説得力がある。
自信がないから強い態度に出る、相手を威圧する。
デスクに向かう洋介を演じる佐野さんの全身から、
自分にも周囲にも苛立っている様子が伝わって来たし
それをそのまま宏美にぶつけるところでは観ていてこちらも緊張した。
ありがちなハッピーエンドでないところもよかった。

夏子のクールな観察とストレートな物言いが爽快。
入院前事務所に来て、会社を去る洋介と見送る宏美に
「別れてもいいから二人で(見舞いに)来て」というところ。
“さよならの仕方”を考えさせていいなあと思った。
かわいいニットキャップが似合う山田キヌヲさんがとても素敵だった。

大家の奥さんを演じた野々村のんさん、
この方は“困った人”を可愛らしく見せるのが上手いと思う。
情熱的な“なりきりダンス”が面白かった。

中学時代の回想シーンを挿入して
もの想う大人になってしまった哀しみと不安を際立たせた結果
宏美が夏子を思いやって泣く場面に説得力が増した。
ここもまた、子ども時代と決別するもうひとつの“さよなら”だったような気がする。

俺以上の無駄はない

俺以上の無駄はない

MCR

駅前劇場(東京都)

2012/04/12 (木) ~ 2012/04/17 (火)公演終了

満足度★★★★★

クズ野郎、好き
このタイトルで、自称「クズ野郎」の芝居とくればこれは観たい。
そう思った時点でもうやられてる・・・。
台詞が時代の空気を感じさせるから、軽い笑いでいなすのかと思いきや
役者陣の充実ぶりと、実は鋭い痛みを伴う展開に
最後はなんだか泣けてしまった。

ネタバレBOX

長椅子のほかに2、3個の椅子が置かれた部屋。
色とりどりの立体的な窓枠が壁一面に取り付けられている。
この部屋が、主人公櫻井と姉の住む部屋になったり
倒れた姉のかかりつけの病院になったり、
「不幸の泉に顔をつける会」というよくわからない会の集会場所になったりする。
短い暗転と小さな照明の変化でテンポ良く場面が切り替わる。

姉弟のバトルがマジで激しいので、この二人が抱える問題の深刻さが浮き彫りになる。
まるで共依存のように、互いを必要とし思いやり、そして面倒くさがっている。
櫻井智也さんの巻き舌罵倒は定番(?)として
巨漢の姉の石澤美和さんもすごい存在感でスキのないキレっぷり。
これがのちに脳腫瘍のために現われたもう一人の“人格の良い美和”に入れ替わるとき
絶大な効果を生んで素晴らしく可笑しいのだ。

力業のような展開を見事なまでにリアルに見せるのは役者陣のなりきりぶりの凄さだ。
2つの人格が激しく入れ替わる姉や、大好きな親友の為に自分を投げ出す男、
あからさまに姉に下りる金目当てにやってくるへらへらした元夫、
みんな振れ幅の大きい役なのに、必然的にそうせざるを得ない人間として
説得力のある存在に見せる。
怒号飛び交う中でただひとり、怒鳴りもせず笑いながら当然のように
金目当てでやって来る元夫を演じた小西耕一さん、
クズ野郎とはこの男のことだろうという役を
「こうなって当然」と思わせるほど憎たらしく演じて秀逸。

「不幸の泉に顔をつける会」や、姉の人格が割れるアイデアに
櫻井智也の素晴らしさを感じる。
人の心臓をつかみ出して見せるような、深層心理を容赦なく晒すところ。
どうして彼はいつも疲れているのかと聞かれた“良い人格の姉”は答える。
「智也は人よりちゃんとしなくちゃ、と思い過ぎるから疲れるのよ」
こういう台詞がいいんだよなあ。
私たちが理由もなく言いようのない疲れを感じることをちゃんと分析している。

巻き舌で罵倒しながら、疲れた櫻井はいつも「どうでもいいよ」とつぶやいていた。
しかし最後に決断を下す時には「どうでもいいことなんて無いんだよ!」と叫んだ。
そう、どうでもいいことなんてひとつもない。
全てのものは、決断し選択されることを待っている。
私たちは疲れたと言わず、嬉々として選択しよう。
今日のように熱い舞台を選択すれば、終わって暗転した途端
「ちきしょう、めちゃくちゃ面白いじゃないか!」と泣けるのだから。
毒婦二景「定や、定」「昭和十一年五月十八日の犯罪」

毒婦二景「定や、定」「昭和十一年五月十八日の犯罪」

鵺的(ぬえてき)

小劇場 楽園(東京都)

2014/06/12 (木) ~ 2014/06/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

君臨する女王(Bプログラム)
あの安部定事件を、逮捕直後の取調室で検証するという設定。
かみ合わず強張っていた刑事と定のやりとりが、次第に変化していく様が面白い。
“女王のように君臨する定”の周りで、理解不能な事件に男たちはおろおろする。
だが定の心情に触れ、変化をもたらしたのもまた、その男たちであった。
たたみかけるような淀みない台詞のやりとりが素晴らしく、ぐんぐん惹き込まれる。
すっきりと美しいハマカワフミエさんの定が、君臨するに相応しい強い意志を感じさせ、
単なる猟奇事件の犯人を超えたキャラを立ちあがらせる。
谷仲恵輔さんが、人間味と余裕を合わせ持つ刑事を演じていて大変魅力的。

ネタバレBOX

平日のマチネ、客席は立錐の余地も無いほどぎっしり入っている。
楽園のあの柱が、セットなのか劇場の一部なのかわからないような装飾を施されている。
私は楽園で初めて、柱の存在を忘れた。

明転すると、取調室の入口に近い小さな机の上に定が正座している。
刑事たちは奥の大きい机の周りにいる。
署の外には、定を一目見ようと群衆が押し寄せている。
惚れた男の首を絞めて殺し、その性器を切り取って持ち去った女に
「男に対する殺意と憎しみがあったはずだ」と決めつける輿石刑事(平山寛人)、
「まあまあそう言わずに、お定さんも話してくれませんか」
と辛抱強く問いかける浦井刑事(谷仲恵輔)。
そこへ突然内務省の役人(瀬川英次)が「自分も取り調べに混ぜてくれ」とやって来た。
2人の刑事と1人の役人は、定の心情に迫るため事件を再現しようと試みる。
だが所詮定の真意には届かず、取り調べは行き詰ってしまう…。

文字通り君臨する定の強さ、迷いの無さ、理屈を超えた情の深さに圧倒される。
自分の物差しで測れない女を、ただ嫉妬に狂ったか金のもつれかくらいにしか
想像できない男たちの代表が輿石刑事だが
その理解できないもどかしさ、忌々しさがビシビシ伝わって来た。
定の話に「理解出来ないが、邪念が無かったということは解った」という
浦井刑事との対照的なスタンスが鮮やか。

そこへ好奇心丸出しでテンション高く定に接する役人が加わり
事態は俄然面白くなってくる。
定になり切って事件を再現しようとする役人の
稀代の犯罪者を目の前にしてミーハーっぽいテンションの上がり方が可笑しい。
瀬川さんの振り切れ方が素晴らしく、一気に「静」から「動」へ切り替わった。
取調室がワイドショーのスタジオになったようで
“わけがわかんないほど大騒ぎする”大衆の心理を代弁する感じ。

「吉さんとは終わっていません、続くんです」と主張する定に対して
終盤、攻防に疲れた浦井刑事がついに個人的な感情をぶつける。
そこから定の態度が一変するラストまで見ごたえがあった。

劇中BGMも無く、台詞も決まった言い回しが繰り返される。
だがそれが不自然でなくむしろ共感を持って聞けるのは
役者陣の説得力ある台詞と絶妙な間の力である。

すっぱりと切り落としたような終わり方で
むしろここから先を観たくなるような印象さえ受けた。
定の、わずか6年で出所してからの人生がどこか投げやりなまでに自由奔放なのは
捕まるまでの人生に満足して、あとはどうでもよかったからではないかという気がする。
ハマカワフミエさんの安部定は、それほどまでに孤高の女王だった。
ひとりごとターミナル

ひとりごとターミナル

劇団フルタ丸

キッド・アイラック・アート・ホール(東京都)

2013/02/02 (土) ~ 2013/03/16 (土)公演終了

満足度★★★★★

ひとりごとは本音のコミュニケーション
コミュニケーション下手な6人の人生が絶妙に交差するターミナルを舞台に
人生をギュッと絞ったような台詞を言わせる。
こういう濃くて短いやつ、大好きだ。

ネタバレBOX

深夜のバスターミナルに居合わせた見ず知らずの5人。
それぞれ事情を抱えて、これからバスに乗り込もうとしている。
が、実は彼らの人生は微妙に交差していたのだった。

恋人を年上OLに盗られた女。
年下の男の子どもをひとりで産もうとしている妊婦。
事故を起こして以来バスに乗れなくなったバスの運転手。
バスの事故で姉を喪ってから医師を目指して医大へ進み、年上OLに転んだ男。
医大を5浪の末、合格したにもかかわらず医師ではなくマッサージ師になった男。
大学卒業後、履歴を詐称しながらバイトを転々として来た男。

このうち医大生を除く5人がバスターミナルで出合う。
舞台では、彼らの“事情”が再現されるが、
みんな相手が立ち去ってひとりになってから真実を語り始める。
つまり相手に直接伝えない、ひとりごとは唯一の本音なのだ。
その本音に対してこれまた本音のひとりごとで返す、
これは究極のコミュニケーションと言えるだろう。

相手と目を合わせず、明後日の方向を向いてしゃべるのは
劇中語られるように「責任が半分になる」ような“逃げ”のスタンスでありながら
明らかに“余計なお世話”的に他人と関わりを持とうとしている。
この”逃げながら積極的に関わる“姿勢が、とてもリアルに感じられる。

本編終了後に、“エピソード0”的な「おまけの公演」として、
一人芝居で事の発端を語るというのがあった。
これが、よくある“蛇足”ではなくて、本当に良かった。
一人ひとりの役者さんの力量がモロに出る緊張感あふれるひとり芝居だった。
5浪男を演じた清水洋介さん、毎年合格発表を見に行く男の変化がとても面白かった。
篠原友紀さん、年下男を合コンでゲットする様が活き活きして超リアル。
宮内勇輝さん、事故を起こした運転手の振れ幅の大きい演技が面白かった、熱演。

時代を切り取ったような設定の妙と、台詞の面白さが際立つ舞台だった。
照明による時間の切り替えもスピーディーで良かったと思う。
フルタジュンさん、これからもこのタイプ観せてください!
ナイアガラ

ナイアガラ

劇団HOBO

駅前劇場(東京都)

2012/09/05 (水) ~ 2012/09/10 (月)公演終了

満足度★★★★★

シリーズ化して欲しい
新宿中央公園に暮らすホームレスたちを描くほろ苦ストーリー。
“脇役体質の役者が全員脇役に徹する”とどうなるのかと思ったら
“ちゃんと舞台で会話する”とこんなに面白いということを見せてくれた。
厳選された台詞とそれを租借する役者の力、意外に(?)洒落た演出で
笑いながら、この笑いは久々の上質な笑いだと思った。

ネタバレBOX

奥行きのある舞台、ブルーシートの小屋が建っているので
ホームレスの話かと予想する。

暗転の後、座っている老人の見事な老けっぷりにびっくりした。
この山さん(喰始)、度々失禁するが、哲学的な発言で皆の尊敬を集めるインテリじいさんだ。
口元の衰えなどが自然で、喰始さんってこんなよぼよぼだったっけ?と思うほど。
この山さんを、口は悪いが親身になって世話する元建設会社社長のクマ(省吾)や
元床屋の拓(本間剛)、手癖の悪いのが玉にキズのガンちゃん(西條義将)、
最近仲間に加わった、リストラされた谷田貝(おかやまはじめ)など
ユニークな面々がそろっている。
ルポライターだという川本(古川悦史)も毎日のように通って一緒に飲んでいる。
彼らを束ねるのが、役所や支援団体・ヤクザとも“ナシをつける”社長(林和義)だ。
彼のさばき方が実に気持ちよく、それは距離感の保ち方が上手いからだと解る。
ここの住人の、互いの尊厳を大切にしながらさらりと協力し合う姿が実に良い。
普通の人のようにスーツ着て日銭稼ぎの仕事に行ったりするが
やはりどこか“ドロップアウトした人間”の哀しみと日陰感が漂う。

──この世には3種類の人間がいる。
   敵と味方と無関心だ。

──暑さ寒さも空腹も工夫すれば何とかなるが、
   孤独だけはどうしようもない。
   だから人との関係だけは断ち切ってはいけない。

山さんの言葉をみんな噛みしめていて、
初めて野宿しようと公園にやって来る挙動不審な人に
さりげなくかける言葉や眼差しにその気持ちがあふれている。

脇役体質がそろうと何が違うのだろう、と思っていたが
相手の台詞を受ける芝居がこんなに会話を面白くするのかと目から鱗の体験。
かしわ手の場面とか、酔っぱらって同じ話をする件など爆笑もの。
アドリブなんだか綿密な演出なんだかか分からないけど可笑しさ全開。

ここから抜け出して行く者、故郷へ帰る者、フクシマへ稼ぎに行く者、
そしてそっと一生を終える者・・・。
様々な人を見送って一人公園に残った谷田貝が、新入りに声をかける場面。
その労わるようなさりげなさは、かつて自分がしてもらったことそのままだ。
この終わり方が力んでなくて秀逸。
台詞と言いこの終わり方と言い、すごく洗練されていてある意味洒落た演出だと思う。
これ、「ナイアガラシリーズ」にならないかなあ、
毎回変なおじさんが出て来て、みんないろんな人生があって面白そうだと思った。

本編ではないが、劇団HOBO ホームページの「予告CM」がめちゃめちゃ笑える。
喰始さんの「森の熊さんを詩吟でやります」って可笑し過ぎでしょ。

力で押すのではなく、受ける芝居ってこういうことなのかと再認識した舞台。
この台詞、この会話、私にとって絶対次も観たい劇団となった。
背水の孤島

背水の孤島

TRASHMASTERS

本多劇場(東京都)

2012/08/30 (木) ~ 2012/09/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

饒舌な表現者
綿密な取材に裏打ちされた“リアル”と想像力の跳躍による”近未来”、この二つを一度に堪能できる脚本。
震災という人智の及ばぬ出来事の前に、人はどう生きるのか、どうあるべきか、メディアと国民性、
テレビに出来ないこと、演劇の可能性など
様々なことを考えずにはいられない素晴らしい舞台だった。

ネタバレBOX

客席に入ってまずセットに目が釘付けになった。
テレビ局らしい照明機材や机の上の小型モニター、
モニターの上に置かれている小さくなったガムテ、足元の紙袋のひしゃげ具合・・・。
ここに毎日通ってくる人々がもうすぐ登場するのを待つ血の通った現場だ。
重々しいBGMが流れる中、それを眺めながら開演を待つ。

プロローグ
やがて始まるプロローグでは、震災後まもなくこのスタジオで行われたひとつのインタビューが描かれる。
太陽光発電の1年分の発電量が、浜岡発電所の1時間分にしかならないという事実、
電力不足で、あのトヨタまでもが海外移転を考えているという日本の現実が明らかになる。

前編「蠅」
プロローグの後、数分間流れる字幕とその朗読で説明がなされ、
明けた時には、貧しい被災者が暮らす納屋のセットになっていた。
前編の「蠅」は、被災地の暮らしに密着するドキュメンタリー取材クルーと
被写体として選ばれた“最も貧しい被災者家族”の話だ。
 
急ごしらえの納屋を改造した部屋に父と医大生の娘、高校生の弟が住んでいる。
母親の遺体はまだ見つかっていない。
被災者の窮状をアピールするためには、洗濯機などあっては困るとか、
“知りたい”という欲求の前にはプライバシーなど無いも同然の取材する側の傲慢さ。
“人の役に立ちたい”と言いつつ自分の為に活動していることに気付かないボランティア。
補償金をもらって、働かなくても良くなった被災者の戸惑い。
再建には程遠い被災地の中小企業の現実。
もしかしたら死んだ人より生き残った人の方が悲惨なのかもしれないのが被災地だ。
取材クルーが目にしたのは、極限状態の中で価値観もモラルも
一瞬のうちにひっくり返り、あるいはじわじわと変貌する人間の危うさだった。
実はクルー二人のモラルだって異常事態を理由にとっくに崩壊しているのだが。

まさに“五月蠅い”蠅のぶ~んという羽音が時折客席の方にまで響く。
誰かが何かに群がって利を得ようとすると、その音が大きくなる辺り音響が絶妙。

後編「背水の孤島」
再び流れる字幕で時間の経過が説明され、彼らの7年後が始まる。
後編「背水の孤島」のセットは原発推進派の大臣室である。
開け閉てにびくともしない重厚なドア、調度品、壁面の作りなど相変わらず秀逸。
医大生だった娘は被爆した人々を救う為の研究を重ね、
その論文は海外では認められたが
日本政府は「補償金額が莫大になり財政が破たんする」ことを理由に認めようとしない。
高校生だった弟は、今その大臣の秘書を務めている。
その弟が、テロまがいの脅しで大臣に自分の要求をのませようとする。
その要求とは、姉の論文を認めさせ、それを踏まえた被爆者救済法案の立案と
国債の海外向け発行の中止である。
人を傷つけず、自分が逮捕された後に大臣が変心することを計算に入れた巧みな計画で
説得力があり、見ごたえがある。
(緊張感の極みの場面で銃の弾倉だろうか、外れて落ちたのは残念だった。笑っちゃった…)
最後は国家でもマスコミでもなく普通の人々が「正しいと信じる」選択をして終わる。
苦いけれど爽快で、未来に少し希望が持てそうなラストが良かった。

役者陣は皆役に染まって熱演だが、
父親役の山崎直樹さん、大臣役のカゴシマジローさんが見事にはまり役。
野崎役の龍坐さん、前編の放射能の影響に立ちすくむところ、観ていて怖くなった。

もちろんツッコミどころはあるだろうが、
私が震災のような現在進行形の出来事をテーマにした作品に求めるのは
「別の視点」と「想像力を駆使した可能性」の提示だ。
この作品は、その2つを最大限に見せてくれる。
東電や政治家の言い分も言わせた上で、「それは違うだろ!」と
真っ向から言える脚本がどれほどあるだろうか。
毎回の凝りに凝ったセットにしても、時間の蓄積を雄弁に語るところを目の当たりにすれば
登場人物のキャラ設定同様、背景も大切な表現者なのだと解る。
この暑苦しいまでの、表現せずに居られない体質がTRASHMASTERSのすごいところだ。
さっぱりと洗練されずに、ずっと饒舌な表現者で有り続けて欲しい。
忘れっぽい私にがつんと刺激を与えてくれたことを感謝したいと思う。

初雪の味

初雪の味

青☆組

こまばアゴラ劇場(東京都)

2012/12/28 (金) ~ 2013/01/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

【会津編】母の言葉
【会津編】を観劇。
“万感の思い”という言葉が浮かんだ。
ふるさとの「家」は「家族」であり「母」である。
これらいずれ喪うであろうものに対して、切なる寂しさを抱く人にとっては
吉田小夏さんの台詞と役者の力の前に、涙せずにはいられないだろう。
”言外の思いが聴こえる台詞”が素晴らしく、
思い出すと今も泣きたくなる。

ネタバレBOX

舞台に広々としたこたつのある居間が広がっている。
横長のこたつのほかにはテレビもなく、会津の民芸品が飾られた棚がある。
市松柄の障子戸の向こうは廊下で、上手は玄関、下手は奥の部屋へと続いている。
八畳間の清々しい空間。

この家には母(羽場睦子)と次男の孝二(石松太一)、それに母の実弟で
結婚せずに役場勤めをしている晴彦(鈴木歩己)が住んでいる。
長男賢一(和知龍範)と長女享子(小暮智美)が帰省してくる大晦日の夜を、
4年間に渡って描く物語。
最初の年の瀬、母は入院していて留守である。
次の年、その次の年と母は家にいるが、最後の年は葬儀の後初めての大晦日だ。

ふるさとの「家」は「家族」であり「母」である。
そこでは毎年お決まりの会話が繰り返され、それが”帰省”を実感させる。

母は次第に弱っていくが、比例するようにその言葉の重みは増していく。
しばらく帰省しなかった長女が、その理由を話そうとして話せずにいるのを見て
「無茶するな、でもどうしてもしたいことなら無茶すればいい」
という意味のことを言って明るく笑う。
享子は顔を覆って泣いたが、その包み込むような言葉に一緒に泣けてしまった。

死後幽霊となって弟晴彦の前に現われた時は
「旅をしないのも勇ましいことだ」と彼に告げる。
町を出ず、結婚せずにずっと自分を支えてくれた弟の生き方を肯定する言葉に
晴彦は涙をためて姉を見つめたが、私は涙が止まらなかった。

初演は8年前、これが4度目の再演だというこの作品で
羽場睦子さん1人が初演からの出演だという。
この人の体温を感じさせる台詞が素晴らしく、
役者が年齢を重ねることの意味を考えさせてくれる。

弟晴彦役の鈴木歩己さん、素朴で実直な独身男の不器用さが
そのたたずまいからにじみ出るようで秀逸。
姉を喪い、家も買い手がついて、この人のこれからを思うと
どれほど寂しいことだろうかと、私の方が暗澹としてしまう。

次男孝二役の石松太一さん、「キツネの嫁入り」でも素晴らしかったが
定職にもつかず母と同居して、何かしなければと焦っている様がリアル。
女に振られる辺り、多分したたかな女に振りまわされたのだろうと充分想像させる。
素直で世間ズレしていない感じがとても良かった。

吉田小夏さんの作品には、いつも滅びゆくものに対する哀惜の念を感じる。
部屋のしつらい、繰り返される行事、慣れ親しんだ習慣、そして方言。
何気ない家族の会話がひどく可笑しいのは、このおっとりした会津方言の
音やリズムのせいもあるかもしれない。
タイトルの「初雪の味」のエピソードも、人生の苦味を感じさせて味わいがある。
じわりと変化する照明も巧いと思う。

アフタートークには田上パル主宰の田上豊さんが登場、
今回方言翻訳・会津編演出を担当した「箱庭円舞曲」の古川貴義さんとこたつで対談。
田上さんも熊本の方言で芝居を書くそうで、方言の演出についての話が面白かった。
標準語を方言に直すと句読点の位置がずれるという。
個人の言語感覚の根底にあるのだなあと改めて思った。

私の2012年のラストを飾る1本は、
言葉の美しさと台詞の妙、役者の力がそろった作品だった。
滅びゆくものたちへの言葉、それはまさに演じては消える生の舞台の宿命にも似て
だからこそ私たちはまた劇場へと向かうのだろう。
儚いものを目撃するために・・・。
Turning Point 【分岐点】

Turning Point 【分岐点】

KAKUTA

ザ・スズナリ(東京都)

2012/02/23 (木) ~ 2012/03/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

KAKUTAの大切な場所
3人の脚本×3人の演出のリレー形式によるオムニバスという
この冒険が大成功していると思う。
メリハリがあり、同時に貫く芯のようなものがくっきりした。
ここには、劇団が分岐点に立った時常に立ち返る大切な場所が描かれている。
温かく、雑多な、居心地の良いその場所は、
「変わらないこと」、「変わり続けること」、この二つの根っこは同じなのかもしれないと思わせる。
KAKUTAを初めて観たが、これまでもすごい役者さん達とやって来て、これからもやっていくんだろうなあ、と私も分岐点の端っこで思ったのだ。

ネタバレBOX

いきなりショッキングな出だしで、女二人のクライムロードムービーみたいになるのかと思いきや、第一話の繊細な音響と照明にすっかり魅せられてしまった。
蝉、ひぐらし、とんびの声に、なんて素敵な夕焼けの色なんだろう。
第二話は何と言ってもキローランの高山奈央子さんでしょ。よくぞここまでという感じ。みなさん振り切れるとこまで演ってるから面白くないはずがない。
Gカップの海老原(桑原裕子)さん、いいキャラだなあ、好きなタイプ。
第三話で貴和子と絵里が本音をぶつけ合うところでは、何だかボロ泣きしてしまった。反発しながら離れられない、そしていつも傷つけ合う心の底をさらけ出すところ。
ギャグが打率100%、ひとつもスベッてない。これってすごくレベル高いことだと思う。
骨唄

骨唄

トム・プロジェクト

あうるすぽっと(東京都)

2012/06/28 (木) ~ 2012/07/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

今も「骨唄」が聴こえる
再再演とのことだが、私はこれが初めての「骨唄」体験。
客席に着いた途端泣きたくなるような舞台美術が目に入る。
そこかしこに死者の気配が漂う千坊村があった。

ネタバレBOX

火をつければ勢いよく燃えそうな粗末な家。
火の見の為なのか、梯子で上がれる高いやぐらが家にくっついて組まれている。
舞台奥には裏山へ向かう道、手前には町と「エミューの里」と呼ばれる
町おこしの施設へ向かう道が舞台に沿って続いている。
そして無数の白いかざぐるまが時折軽い音と共に一斉に回る・・・。

もう二度とここへは帰らないつもりでいた故郷へ
薫(冨樫真)が18年ぶりに帰って来たところから物語は始まる。
18年前、母の葬儀の日にある事故が元で妹の栞(新妻聖子)は左耳の聴力を失った。
薫はずっとその責任を感じながら生きている。
母の死後、妹とは別々の親戚にひきとられて暮らしていたが
突然その妹が失踪したという連絡を受け、彼女を探しに故郷へ足を踏み入れたのだった。

頑固でわがままで母親を大事にしなかった父(高橋長英)を、薫はずっと嫌っている。
死んだ人の骨に細工をほどこして身近に置くという風習も、
その細工をする職人である父も、薫には受け容れ難いものだ。

父との再会は、逃げ出したエミュー(ダチョウのようなオーストラリア産の大型の鳥)を
捕まえようとするバタバタの中で意外とあっさり果たされる。
この再会がべたべたウジウジしなくて心地よい。
妹を治すという共通の目的をはさんで、確執のあった親子は次第にほぐれて行く。
それと反比例するように栞の病状は悪化の一途をたどり、彼女を奇妙な行動へと駆り立てる。

3人を結びつけるのは「かざぐるま作り」だ。
不器用な薫が次第に腕を上げて、昔駅員がリズミカルにはさみを鳴らしたように
小ぶりのトンカチでリズムをとりながら、1000個のかざぐるまを作ろうと励む。
1000個のかざぐるまが海に向かって一斉に回るとき
伝説の蜃気楼が現われて、1年中桜の花が舞う世界が見える。
そうすればどんな願い事も叶うのだと言う。
壊れて行く妹を、父と薫は守ろうと必死になるが・・・。

土地の風習とはノスタルジーだけではない、何か人を救済する力を持っている。
最後に3人のよりどころとなったのは、この切り捨てられようとする風習や伝説だった。

栞が唄う「骨唄」が美しく哀しい。
新妻聖子さん、繊細な演技とこの歌で冒頭から惹き込まれる。
何と透明感あふれる人だろう。

冨樫真さん、薫の骨太な感じ、父とのやり取りの可笑しさが
哀しいのにどこか土着の力強さを感じさせて素晴らしい。
メリハリのある演技が悲劇を予感させる舞台を明るくしている。

高橋長英さん、こういう父親の愛情表現もあるのかと思わせる。
ラスト、薫に向かって「俺より先に死ぬな」と言う時の温かさが心に沁みる。
残された父と娘が絆を取り戻したことが、観ている私たちを少し安心させる。

これが桟敷童子の舞台装置だそうだが、本当に素晴らしい。
栞の死の瞬間、バックに現われた無数のかざぐるまが一斉に回る。
死者を弔うかざぐるまが生きている者を救う瞬間だ。

不変のキャストで再演を重ねる理由が判る気がする。
このキャストで、また次を観てみたい。
舞台も役者もかざぐるまも回る、私の頭の中で今も回り続けている。
鬼界ヶ森

鬼界ヶ森

劇団め組

吉祥寺シアター(東京都)

2012/03/29 (木) ~ 2012/04/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

黒沢映画のテイストもあり
時代劇ファンの私としてはとても楽しみに出かけた。
あの“毎日が死に近い”緊張感が好きだ。
印象に残る美しい衣装と立ち姿、効果的な音楽と映像美のような照明、
そして忘れ難いいくつもの台詞。
フライヤーのイメージ通りの美しさ。
黒沢映画のテイストも感じさせる素晴らしい舞台だった。

ネタバレBOX

吉祥寺シアターの奥行きある舞台の、さらに奥にある巨大な扉が開くと
そこには階段があり、異界への“きざはし”となっている。
細長い行燈のような照明が二本、天井から吊り下げられていて
少し薄暗い舞台が時代劇らしい雰囲気に包まれている。

鬼退治のため森へ入って行く一行の面々が魅力的だ。
虚空役の新宮乙矢さん、過酷な運命の果てに
虚無的な人生を送る孤独感が漂っていた。
立ち回りの際に足元が揺るがないところが素晴らしい。
武蔵役の藤原習作さん、落ちぶれた城主だが
かつての家臣を引き連れて歩き、人を惹きつけ包み込む温かさを持つ男が魅力的だった。
出家した道雪役の秋本一樹さん、潔く内省的な人柄がにじんでいて
武蔵と共に、虚空の心と人生を変える言葉に説得力があった。

そして鬼の正体、淀殿の生霊を演じた高橋沙織さん、
登場した時から圧倒的な存在感。
家康の豊臣家に対する仕打ちを恨むあまり生霊となって
関ヶ原の戦いで死んだ者達を呼び寄せ、さらに仲間を募る為に
男たちをさらって心を操り、支配下に置いていたのだった・・・。
一時は時代を動かし、その後時代に置き去りにされた女の口惜しさが
きれいな立ち姿と緋色の袴で槍を構える全身から立ち上るようだ。

ダイナミックな日本映画を観るようなこの舞台は
何と言っても台詞の素晴らしさだろう。
淀殿の生霊が虚空の剣に刺し貫かれるとき
「わらわは、母上のようにはならぬ」と叫ぶ、あの悲壮な声が忘れられない。
「人の心は操れぬ」という虚空の言葉も。
凝縮された無駄のない台詞が全体を引き締めていてあっという間の2時間弱だった。

ちょっと残念に感じたのは、村の女性たちの台詞が少しすべって聴こえたこと。
時代劇の台詞は返事一つでも現代劇とは違う。
着物を着たホームドラマならそれでもよいが、
ここまで丁寧に作り込んだ舞台となると男性陣の台詞の重みとの差が目立つ。
元々武家の女たちなのだから、もっと落ち着いて喋っても良かったような気がする。

階段の最上段に細川ガラシャの鬼を横たえた時と、淀殿を横たえた時の
照明とスモークの演出がとても幻想的で、
かつ自然に成仏した感じが伝わって感動的。
般若の面をつけてしゃべる時のスピーカーから聴こえる声や、
音楽の音量が程良く個人的にとても快適だった。

ラストが浪人二人の後ろ姿に見送る僧という、まるで黒沢映画のような
ちょっとユーモラスで明るい幕切れと言うのもよかったなあ。
ちょっと待って誰コイツ!こんなヤツ知らない

ちょっと待って誰コイツ!こんなヤツ知らない

ポップンマッシュルームチキン野郎

シアターKASSAI(東京都)

2014/03/14 (金) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

踊るPMC野郎
客入れパフォーマンスのあと、6つの短編とそれをつなぐ幕間のショートストーリー、
そして終演後に30分のアフターイベントまで付くという
まるで“数量限定春のスペシャル幕の内弁当”みたいに盛りだくさんで素敵な企画。
通常公演とは違ったテイストのラインナップが楽しく
キレの良いダンスの素晴らしさにびっくりした。
エンタメ精神全開の構成もポップンらしくて好きだが
作品自体に力があるのだから、もっとシンプルな構成でも成立すると思う。
ただ短編を並べただけでも、個々の作品は十分際立つはず。
★の5つ目は素晴らしいダンスに捧ぐ。

ネタバレBOX

開演前のパフォーマンス、今回はCR岡本物語さんのももクロに代わり
増田赤カブトさんの“あの歌姫”ガガ。
これがマジで面白くて、まー会場が盛り上がること。
初期の頃はただ衣装と目玉だけで“ガガって”いたが
今回はそのパフォーマンスに努力とセンスが表れていてとても素晴らしかった。
ボリューミーなボディながら顔の輪郭などが引き締まってその変化に驚く。
「私の彼は甲殻類」で見せたひとり芝居の充実ぶりにも、目を見張るものがある。
笑いを取る間とタイミング、ピュアな台詞など、ポップンで鍛えられたんだなあと思った。
吹原幸太さんとコンビで仕切る司会も臨機応変でゆとりが感じられ、とても良かった。

「ふたりは永遠に」、近未来SF世界に夫婦の相手を思いやる心が満ちていて
あっと驚くラストの真実がすごい。
「触り慣れた手のひら」のホラーもセットや演出が効いていて大変面白かった。
吹原さんはぶっ飛んだ設定やあり得ないシチュエーションの中で
普遍的な人の欲望や矛盾、弱さなどを際立たせるのが巧い。
危ないギャグも下ネタも、一本通った太い幹の枝葉だからこそ笑って済ませられる。
短編というコンパクトなサイズで、それが強調されたところが面白かった。

黒バックの舞台にオレンジ色のキューブが椅子やベンチとなる
シンプルなセットが鮮やか。
最終話では壁の一部が開いたりして、スタイリッシュな一面を見せた。
この最終話でのサイショモンドダスト★さんとNPO法人さんのやりとりは
クールで味わいがあってとても良かった。

そして何と言っても「悪魔のパンチ」で見せた迫力あるダンスシーン。
塩崎こうせいさんの素晴らしい動きから目が離せなかった。
正直、ストーリーが吹っ飛ぶくらいの強烈な印象。
この方の所属する劇団X-QUESTを観てみたくなった。
女の子みたいにきれいな顔だけど、意外に力強い野口オリジナルさんにもびっくりした。
岡本さんは、“挙動不審のおどおどタイプ”と“謎の大魔王タイプ”
それに“脱いだり着たり”とマルチぶりをいかんなく発揮してやっぱり素晴らしい。

別にオネエ系ではないのに何だかいつも女性役を振られるNPO法人さん、
やっぱり女性の繊細さが出るから納得してしまう。
アフターイベントのようなお遊びタイムに中途半端でなくきちんと演技するから
ポップンは面白いんだなあ。
妙なお題を出されてもちゃんと個性が表れて感心するもの。

短編ダーク編、短編ホラー編など、吹原作品の別の顔をもっと観てみたい。
これから毎回最後に全員のダンスを入れるっていうのはどうでしょう?
開演前も終演後も踊る踊る…これからはこのパターンか?!(希望)



六男坊の嫁

六男坊の嫁

ふくふくや

「劇」小劇場(東京都)

2012/05/09 (水) ~ 2012/05/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

心のおひねり
大衆演劇の匂いがぷんぷんして、カッコよくて、涙と笑いが交互にくる。
芝居小屋の、客の首根っこをつかんでブンブン振りまわしてくれる、あの感じ。
お客が上品だから黙って観てたけど、あたしゃほんとは声かけたかった。 

ネタバレBOX

なんで長男が跡目を継がないのか。
末っ子が連れて来た怪し過ぎる婚約者の正体は?
身内しか知らないはずの情報が漏れたのは何故だ?
次々に起こる事件と一家の歴史が交差して広い和室を狭くする。

一竜組の6人の子どもたちが個性豊かで素晴らしい。
稼業を嫌う気持ち、誇らしく思う気持ち、母を守れなかった自分を責める気持ち、
そして誰かを守るためにみんな暑苦しく生きている。

末っ子が連れて来た婚約者と言うのがまた目を見張る上玉だ(笑)
“暑苦しい”キャラが“暑苦しい”台詞で押しまくる。
この辺りの徹底したエンタメ精神があるから、
中盤から少しずつ語り出す子どもたちそれぞれの本心がすごく効いて来る。
四男薫(塚原大助)がしみじみと兄を思うところでほんと泣けてしまった。

何と言っても生業としてのヤクザのたたずまいが素晴らしい。
長ドスを振りまわす場面こそ出てこないが、着流しの美しさといい
帯の位置(マニアック?)といい、東映に負けていない。
複雑な立場の釧道を演じる浜谷康幸さんが超かっこよい。
台詞回し、身のこなし、眼光、そしてラストの仁義の場面まで一部の隙もなくヤクザだ。

ふくふくやの全ての作品を書き、座長である山野海さんの
心意気みたいなものがビシバシ伝わって来て爽快感がある。
あの仁義、こんなに強い「女が切る仁義を」私は初めて観たと思う。
あふれるような思いが紅絹の色に映えて、マジで泣けてしまった。
暑苦しくて、笑って泣いて爽快感・・・これはもう「サウナ」じゃないか。

今時ヤクザだし、暑苦しいし、好みもあるだろう。
でもふくふくやは芝居の原点を感じさせる。
おしゃれで賢くてスマートな表現の対極にあって
私たちの腹の底に手を突っ込むような強さを持っている。

あの高笑いが耳について離れない。
「これぞ熱い舞台」をほんとにありがとう。
ふくふくやの皆さん、私の心のおひねり、受け取っておくんなせえやし!

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