実演鑑賞
満足度★★
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『野外劇 ロミオとジュリエット』を観劇
1000人近いオーデイションで選ばれた俳優陣で行う群像劇。
舞台設定は未来の池袋、ロミオのいるモンタギュー家を全員が女性キャストで、ジュリエットのいるキャピュレット家を全員が男性キャストで演じる分ける試みは興味深く、ロミオとジュリエットの恋愛模様を取り上げつつもモンタギュー家とキャピレット家の争いを現代社会の分断としている。
女性俳優がロミオを演じ、男性俳優がジュリエットの演じるアイディアはキャラクターの魅力を醸し出してはいるが、演じる事があまり上手くない俳優の為か、良さが半減してしまっている。オーディションで選ばれる小劇場の俳優は粒揃いが多く、実力は申し分ないのだが今作に関しては俳優陣は全体的にハズレだ。
作品に関しても物語の流れに余白がなく、ロミオとジュリエットの死の痛手に得たものは一体何だったのか?というテーマをほっぽり投げてしまう出来に不満であった。語るに値しない作品。
実演鑑賞
満足度★★★
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モダンスイマーズの『昼下がりの思春期たちは漂う狼のようだ』を観劇。
『解説』
劇団員の出番はなく、若手俳優を集めて行った公演。
作・演出の蓬莱竜太は限られた空間内で、そこから逃れられない人物たちの葛藤を描くのが特徴だ。
劇作家・清水邦夫を彷彿させるタイトルなので「きっと何かが起こるのだろう?」と期待しない訳がない。
今作は中学校での一年間の学生たちの話だ。
『あらすじ』
広島県からの転校生ゲンでクラスはざわつくが、学生たちなりのヒエラルキーは存在している。不良や可愛い女子がクラスを仕切り、おとなしく目立たない子は下級だ。そんな位置関係も瞬時に変わってしまうのが日常茶飯事だ。
学生生活は終盤に向かっていくが、先生と生徒の恋愛が学生弾劾裁判になり、生徒たちの鬱憤が爆発し始めてしまうのである…。
『感想』
校内という限られた空間で、退避不可能という27人の学生たちのエピソードを余すことなく描きながら、決して物語にせず進めていく構成は魅惑的である。
各世代の観客の郷愁を誘いながらも、思春期にありがちな鋭利な敏感さで仲間を容赦なく刺していく。「きっと我々も同じ事を行ってきたであろう?」という行為を目の当たりにさせれると顔を背けたくのなるのが心情だ。
クライマックスの学生弾劾裁判での27人の生徒たちの鬱憤の吐口の凄まじさはエピソードのみで進んでいく展開だからこそ大きな衝撃を与えてくれる。まるで蜷川幸雄と清水邦夫コンビの革命劇を観ている感すらあるほどだ。
だが蓬莱竜太は決してクライマックスを冗長せず、何事も無かったかのように卒業式を迎え未来に向かっていく。
だが誰もが過ごした思春期も単なる通過点にしないという転校生ゲンの叫びは忘れられない。
実演鑑賞
満足度★★★
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KAKUTA『或る、ノライヌ』を観劇。
幸か?不幸か?の出来事に遭遇してしまった人たちの生き様を、散らばったパズルがゆっくりと組み合わさって行くように人生を描く桑原裕子の作術は演劇界ではトップレベルであろう。答えなど出る訳などがない人生も物語というパズルに当て込むとすんなり腑に落としてくれるのがKAKUTAの虜になってしまう理由でもある。
さて、今作は如何に……。
不倫相手に逃げられた國子、恋人が去ってしまった誉、妹が宗教に取り込まれてしまった美帆。それぞれの目的が偶然一致した彼らは行動を共にし、同じトラックに乗り込んで遠い旅に出る。だが目的は達成したが、結果に大きな隔たりが生じてしまうのであった……。
前半での登場人物の描き方が冗長しすぎたのだろうか?
パズルが後半に一気に組み合わさって行くという展開すら予想出来ないくらい長く、物語のまとまりに欠けた感は否めない。
クライマックスの見せ場は流石であっただけに、前半部分の描き過ぎがKAKUTA特有の余白を無くしてしまったのが残念でならない。
実演鑑賞
満足度★★★
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桃尻犬の『ルシオラ、来る塩田』を観劇。
以前から名前に上っていた劇団だが、MITAKA ”Next Selection”に選ばれてやっと認められたようだ。
作・演出の野田慈伸は俳優としてキャラクター作りが上手く、主役以上に気になってしまうほどだ。
さて演出の方はどうなのだろうか?
幼い頃母親に捨てられた兄妹は遠い親戚の牧場で育てられる。
兄の妹への献身的な愛情と近所の助けによって立派に育っていくが、年齢と共に鬱陶しさを感じてきてしまう妹は兄と大喧嘩をしてしまう。
果たして二人の仲はどうなっていくのだろうか…。
助ける側と助けられる側、応援する側とされる側。
人との関わりの中で一瞬にして互いの立ち位置が変わっていく様は傍から見ていると面白いが、本人にとっては大変なことだ。その箇所を過剰なセリフ仕立てと演技で作り上げたのが今作で、狙いどころとしては抜群だ。大きな物語はない代わりに登場人物の役柄で展開していくのは刺激的であり満足は出来るが、時間と共に物語が欲しくなるのは観客の心情だ。俳優の芝居、演出を含め総合的なレベルの高さは保っているだけに、観客の欲求を少しも満たしてくれないのは不満である。きっと今作はたまたま上手くいかなかったに違いない。
次回作も観てみようと思う。
実演鑑賞
満足度★★★★
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野上絹代の『カノン』を観劇。
(野田秀樹の戯曲を若手が演出するシリーズ)
京の街では猫の瞳(キャッツアイ)という盗賊があちこちに出没している。
そんな最中、女首領・紗金が天麩羅判官に捕まってしまうが、牢番の太郎をたぶらかし脱獄をする。失敗を犯した太郎だが名誉挽回に猫の瞳のスパイになるのだが、気がつくと彼らの思想に感化され皆と一緒に自由を盗みに行くのであった.... 。
野田秀樹版を観てないのが悔やまれるが、夢の遊民社を彷彿される圧倒的な速さで俳優は走り出し、見立て、セリフが飛び交う。以前にはなかった機能を有効に使い、速さは更に加速度を増す。戯曲の言葉遊びの部分を大事にしているせいか、台詞の裏に書かれているテーマが大きく効いてくる。
野田秀樹版は猫の瞳(キャッツ・アイ)を連合赤軍とし、紗金は永田洋子だ。
勿論今回もそうなのだが、野上絹代は決して連合赤軍と声を大にせず、自由を求めている世界の革命家へのレクイエムとして描いているからか、戯曲の世界観が一段と大きくなり作品のテーマが己に深く食い込んでくる。
猫の瞳(キャッツ・アイ)が盗み出そうとするドラクロワの『民主を導く自由の女神』
それこそが彼らが狙う自由なのだ。
だが盗み込んだ先には巨大な鉄球が打ち込まれ、空から沢山のビラが降ってくる。
世界のあちこちで行われている、永遠に終わる事のない自由を盗む行為に本当に自由があるのだろうか…?
実演鑑賞
満足度★★★
ネタばれ
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劇団東京乾電池・二本立て公演
別役実『ホクロ・ソーセーチ”』
岸田國士『ヂアロオグ・プランタニエ』を観劇。
演出家・柄本明は好んで主人公不在の『ゴドー待ちながら』のような芝居をいつも作っているようだ。そういえば全盛期の東京乾電池のナンセンス芝居はここから来ていたのか?と改めて知った次第だ。
主人公が登場しそうで出てこないながら、周りが右往左往する様をコメディーにはせずシリアスに捉えるのが今の東京乾電池なのだろう。ただ原点は変わっていないようだ。
昔の劇作家の戯曲を作るというのは時代に即していない部分が多分に見えてきて『何故今やるの?』と疑問が出てくるのだが、そこを見透かして柄本明は作っているのがよく分かる。
一切登場しないゴドーらしき人物は途中でどうでもよくなってくるものだが、今作は気になってしょうがないのである。
もし観劇中にその一瞬に行きつければ現在の劇団東京乾電池の面白さを会得するのであろう。
実演鑑賞
満足度★★★
ネタばれ
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さいたまネクスト・シアターの解散公演の『雨花のけもの』を観劇。
故・蜷川幸雄がさいたま芸術劇場で立ち上げた若手俳優の劇団。
彼は以前にもベニサンピットでニナガワ・カンパニーという若手劇団を作っていた。
さいたま芸術劇場の大劇場で、有名俳優やアイドルタレントを使ってシェイクスピアを作っていながら、老人(ゴールドシアター)や若手を使って革命劇を積極的に作っていた。彼の若い頃のアングラ劇団(櫻社、現代人劇場)の精神を味わいたいなら、この老人と若者の劇団を観るに限ると言われていた。
今作は、作・細川洋平 演出・岩松了
あらすじ
富裕層が社会に馴染めない若者を世話すると吹聴しつつ、若者をペットとして売買していた。若者たちはレシピ(台本)と呼ばれるの内容の三文芝居を演じながら、富裕層から値踏みされ買われていくのである。
だがそんな状況も時間と共に崩れていくのであった....。
いきなり始まりから掴まれてしまった。
若者をペットとして買う?
そこに存在するのは支配する者とされる者。
現代社会の貧富差のテーマはありつつも、どんな展開が起きるのだろう?と期待しない訳がない。
蜷川幸雄と清水邦夫が好んて作った若者が大人社会に反旗を翻すかの?
『暴動』と『ゲバ棒』、そして『言葉』を武器に闘争を行うのか?
だが時代は70年代ではない。
2021年・劇作家・細川洋平の武器は、『暴動』と『ゲバ棒』がなくなり『言葉』が
『狂気』に変わったのであった。
実演鑑賞
満足度★★★
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劇団普通の『病室』を観劇。
今作は MITAKA”Next Selection” 22ndの期待の若手劇団シリーズ。
茨城県のとある病院では、四人の入院患者の下に家族が見舞いに来たり来なかったりと事情があるようだ。
患者同士の会話、家族との会話、先生との会話などを耳にすると人生の縮図が見えてくるのは病室ならではだ。
だが話しているのが内容が家族間同士なのだろうか?何を言っているかがさっぱり分からず、まるで不条理演劇の世界だ。
更に茨城弁がそれに輪をかける。
不条理な会話と人生の縮図を強引に掛け合わせてくる作りには戸惑いを感じるが、それに慣れ親しんでしまうと至って普通な世界観に感じてしまうのが特徴だ。
『城山羊の会』と似ているとは言わないが、不条理と条理の世界を巧く行き来しているのは興味深い点とも言える。
そして最後病室から患者が去った後、大きなメッセージが残されているのにはハッとさせられる。
次回作も期待出来そうな劇団だ!
実演鑑賞
満足度★★
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『もしもし、こちら弱いい派』を観劇。
東京芸術劇場『芸劇eyesシリーズ』で、期待の若手三劇団の短編集。
演劇ジャーナリスト・徳永京子の企画で、過去に二回ほど催され盛り上がりを見せたシリーズ。
最近では個人の弱さの視点で捉える若手劇団が増える中、そこにテーマを持っていき『いいへんじ』『ウンゲツィーファ」『コトリ会議』の三劇団が挑む。
だが企画者の劇団の選択ミスなのか?
語るに値しない出来だったのが正直なところだ。
そもそも過去の開催後からどれくらい年月が経っているのか?
シリーズものの間隔はある程度の時間が必要だが、既に五年以上は経過しているし、その間の大きな時代のうねりの中で素晴らしい若手劇団は登場していて、直ぐ取り上げないのは怠慢としか思えない。
企画者への不満と作品の内容の不出来さがマッチしてしまったが、千秋楽の客の入りを見ていると明らかに答えは出ているようだ。
このシリーズは二度と見ない!
実演鑑賞
満足度★★★★
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劇団チョコレートケーキの『一九一一年』を観劇。
1911年の大逆罪を問う内容だ。
近代国家へ突き進む日本。それに不自由さを感じる無政府主義者(幸徳秋水、菅野須賀子)らが真の自由を求めて、明治天皇(睦仁)の暗殺計画に進んで行くが呆気なく頓挫する。
関係者は逮捕となり、大逆事件として裁判が始まる。
若き判事(田原)が審理を担当するが、結果ありきに意を唱えるが屈してしまう。
弁護士(平出)の助言もあり、自分の立ち位置で何か出来る事がないかと試みようとするが、大きな壁に何も太刀打ち出来ないまま、裁判は終了するのである…。
事実の一部のみを借りてフィクションに作り変えていき、現代社会に重ね合わせる巧さこの劇団の特徴だ。明治時代の出来事とはいえ、まるで我々がその場に生きている錯覚する感じられる。
今作は若者が厚い壁に屈せず立ち向かう様を描きつつも、反逆者が求めた『自由とは?』『思想とは?』の本質を問うているのが見所である。
判事(田原)と無政府主義者(菅野須賀子)との審理中での会話には誰もが考えさせられる。
前作の『帰還不能点』に比べるとやや硬い出来にはなっているが、見応えは保証する。
大逆罪…1882年から1947年まで存在していた罪。刑法73条。
この法律の特異な点は、犯罪を企んだ時点で罪とされる点。刑罰は必ず死刑である点。そして通常の地裁→控訴院→大審院の三審制を取らず、大審院で一度だけの裁判で刑罰が確定する点である(劇団チラシより)
実演鑑賞
満足度★★★★
ネタばれ
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庭劇団ペニノの『虹む街』を観劇。
横浜・福富町の昭和の匂いが残る古い飲食店街。
コインランドリーを中心に、パブ、喫茶店、中華料理、マッサージ屋など様々な人種が行き交うが、土地開発の波に街は消えていくのである…。
この粗筋から察すると日本人と外国人が入り混じった人情ドラマを想像しそうだが、タニノタロウが手掛けると全くそうではなくなってしまう。登場人物たちは顔見知りなので、コインランドリーで誰かが洗濯を始めると皆が自分の洗濯物を入れて一緒に洗ってしまうほどだ。
そんな中、何かが展開するでもなく、無言劇の如く淡々と時が過ぎて行く。
我々は彼らの生活の様をただ見ているだけなのである。
こんな劇を観せられた観客はどうすれば良いのだろうか?
退屈?不快感?眠気?
それに陥ると誰もが『劇団庭ペニノ』の虜になってしまうのである。
鳴呼!! これこそが演劇の生の醍醐味なのである。
実演鑑賞
満足度★★★★
ネタばれ
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コクーン歌舞伎の『夏祭浪花鑑』を観劇。
喧嘩っ早いが義理人情に厚い団七は喧嘩が原因で牢に入れられるが、国主・浜田家の諸士頭・玉島兵太夫の尽力で解放され、女房と息子に再会する。だが玉島兵太夫の息子・磯之助と恋人・琴浦の仲を悪人によって引き裂かれようとするのを団七、徳兵衛と妻、そして釣船の三婦と協力して助けようとうするが、団七の義父・義兵次が邪魔をし、日頃の悪行への鬱憤から彼を殺めてしまい、追ってから逃げ惑うのであった…。
中村勘三郎と串田和美による『渋谷で歌舞伎を!』を合言葉に始めた芝居。
あまりにも面白すぎたのか、再演、再演の連続、海外での公演と伝説化した舞台である。今回は息子たちが父親の役を演じている。
ここからネタばれ
何が伝説化したか?
義父を殺めて、追っ手から逃げて逃げて逃げ回る団七が観客席を縦横無尽に走り、遂に逃げ切ったかと思いきや、劇場の突き当たりの大扉が開いて、渋谷のネオンを背景に本物のパトカーは劇場内に突っ込んで来て、「団七、無念!」という終わり方に観客全員が唖然としたのである。
当時は紅テントを中心に舞台壊しというのがよくあったが、「まさかシアターコクーンではあり得ないでしょう?」という観客の固定観念を打ち破ったのだ。だから伝説化したのだ。今回も再演なので同じ事を期待していたが、「どうやら違うらしい?」という声が出始めていた。
義父を殺した後、逃げてまわっている団七が庶民に混じり、そのまま大扉が開き渋谷の街並みに逃げて行くので、
『伝説になった大扉の開閉がこんなにも簡単に開いちゃうの?』
『こりゃ、蜷川幸雄の近松心中物語と同じラストシーンではないか!』
と文句を言っていたら、そんなことをしないのが串田和美の美学である。
そこから新たに話が続くのであった。
団七は己が犯罪者だと認識の下、妻と離縁して徳兵衛に預けて逃げる決意をする。徳兵衛の手助けにより追っ手から逃げ回り、遂に大扉まで追い詰められ開くどころか開きやしない。「きっと何かがあるぞ?」と初演を観た観客は期待するが、決してそうはいかない。「団七、もはや無念!」と思いきや彼らのとった行動は…?
初演を観た観客は伝説の大扉の扱いを知っているからか、今作を何倍にも楽しめるようになっているが、それ以上に初演と違うラストシーンにまたもや唖然とさせられるのである。
『伝説の舞台の再演!』と謳っているが、別作品に仕上げてきた串田和美のアングラ精神にはただただ感服させられるのである。
たがシアターコクーンはなくなるので、伝説の舞台を観ることは永遠に叶わないかもしれない…。
実演鑑賞
満足度★★★★
ネタばれ
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まつ座の『父と暮らせば』を観劇。
広島原発で父を失い、途方に暮れる娘。
後遺症を患い、絶望している娘を元気づけようと父親が亡霊になって現れ、世話を焼くのであった…。
テーマの重さを微塵も感じさせない軽い感じの笑いや会話の節々から、被害を受けた人びと、被爆国の我々を少しづつ恐怖に陥れいく。
原発の恐怖をいかに世に知らしめるか?と問いかける父親に対して、娘は国家に対して恐怖に慄き、生き
残ってしまった己に懺悔に慄きながらも進んでいく。
原発の恐怖を知らない世代は、いかに彼女と同じように向き合っていけるかを考えなければいけない。
井上ひさしの戯曲は、演出家が変わろうが変わるまいが同じ描き方になってしまうのが特徴であり難点でもあるが、作品の見応えと何かを背負わされて劇場を後にさせてくれるのは間違いない。
こまつ座の公演は、一生に一度ぐらいは観なければいけないだろう。
注:こまつ座は、井上ひさしの戯曲のみ公演する劇団。
実演鑑賞
満足度★★
ネタばれ
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ゆうめいの『姿』を観劇。
一昨年の三鷹市の期待の若手劇団の公演で絶賛の嵐だったらしい。
その再演。
父、母、息子の三人の家族の話し。
両親が離婚するらしい。息子も母親の行動にはゲンナリしているので納得している様子だ。そこから父と母の出会い、更なる過去から現在に至るまでが描かれている。
今作の最大の魅力は父親役を本当の父親が演じているのだ。勿論、素人だ。今までの経験したことのない「ポツドール」を超えるリアリティーで攻め込んでくるのかと期待したが、以外や以外、構成力の巧みさ、舞台美術の扱い、小道具の見立、多数の俳優たちが同時進行で同じ役を演じたりと演劇の面白さを味わえる作りにはなっている。
ただそれは過去に観たことのある有名な劇団の特徴的な箇所とそっくりで、目新しいものではない。
特に「チェルフィッチュ」の身体表現をそっくり真似した箇所にはウンザリ。
文句は言いつつも、完成度自体は悪くないが絶賛はしない。
実演鑑賞
満足度★★★★★
ネタばれ
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長塚圭史の『王将・三部作』の第一部を観劇。
大阪・天王寺の素人将棋士・坂田三吉は三度の飯より将棋が好きで、家族は迷惑を被っている。
そんな三吉が将棋大会で関根七段に惨敗したことをきっかけに本気で将棋の世界に身を投じ、関根七段に屈辱を晴らそうと躍起になる。八年後、その機会に巡り会い関根七段に勝利するが、その手は決して喜ばしいものではなく、苦し紛れに放った手であった。妻・小春は喜ぶが、長女・玉江は父親の実力の無さと将棋に対する品の無さに激怒する。
娘の叱咤激励に三吉はこれまで以上に将棋に真摯に取り組み、一流の将棋士になっていくのである…。
庶民が感じる不安や矛盾を描くのが長塚圭史の演劇での使命かと思っていたが、北條秀司の傑作戯曲『王将』を選んだことに驚きを隠せないのが正直なところだ。
三吉の波乱万丈の人生をひとりよがりにはせず、家族と仲間たちによって支えられ、群像劇にしているのが特徴だ。更に妻・小春と長女・玉江を陰と陽の関係に当てはめているからか、三吉の成功と妻・小春の悲劇が物語を最高潮に盛り上げる。
まさか長塚圭史に泣かされるとは…。
第一部は人生の始まりだが、第二部、第三部では更に続いていく。
今回は一部だけの観劇だと思っていたが、どうやら残りの三吉の残りの人生の生き様を見たいがゆえ、終演後、チケット売り場に駆け込み散財してしまったのは言うまでもない。
これは演劇史に残る傑作である。
実演鑑賞
満足度★★★★
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iaku の『逢いにいくの、雨だけど』を観劇。
絵画教室に通う仲良しの君子と潤がふざけている最中、潤が失明してしまう。
責任問題に発展し、君子と潤の付き合い、家族間同士の付き合いも途絶えてしまう。
27年後、君子は絵本作家になり名声を浴びるが、君子の作風が潤の描いた絵に似ている為、盗作疑惑が生じてしまう…。
不可抗力の事故によって、加害者と被害者の苦悩とその家族を描いている。
責任問題と周りの気遣いにより、当人同士が会うことすら、謝ることすら出来ない事が傷を深くしてしまう。社会は許す?許される?という定義で考えがちだが、先ずは対話が第一だ。
あらゆることの出来事の傷口を広げるのも狭めるのも、お互いが素直に話し合う事で前進も後退もする。世界で騒がれている社会の分断と比較すると個人の問題は過小に見えるが、問題の根本は一緒である。
実演鑑賞
満足度★★★
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『斬られの仙太』を観劇。
江戸時代末期、厳しい年貢の取り立てにお上からの仕打ちで兄が死に目にあい、
手を差し伸べてくれた天狗党という武士集団に仙太は入る決意をする。
天狗党とは水戸藩の下級藩士を主体に結成された改革派グループだ。
一流の剣術士になった仙太だが、己は農民だという意識を失わず、金品を盗んでは貧しい人達に分け与えている。
そんな最中、世の中は尊皇攘夷で盛り上がり、水戸藩での天狗党は重要な位置を占めていくが、党内でも開国か尊皇攘夷で内紛が起こり、破滅に向かって行くのである…。
仙太が世の中の不平等を感じ取り、農民から武士のカリスマリーダーとして活躍する展開を予想していた、いや期待していたが、市井の目線で、世間をじっと観察しているのが仙太の考えだ。彼とは対照的に天狗党は脇目を振りかえらず、時代の波に急いで乗ろうとしているからか危険極まりない。
思想の対立が物語の軸になっていて、生き急ぐ天狗党と立ち止まる仙太、
ワーグナーを彷彿させる音楽が彼らの人生を刺激的にする。
時代が違えども、普遍的なテーマとして、三好十郎の戯曲はいつの時代にも呼吸することが出来る。
休憩が2回入っても4時間20分はあっという間だ。
満足度★★
ネタばれ
ネタバレBOX
うさぎストライプの『熱海殺人事件』を観劇。
「小劇場の最高傑作を再演するなんて馬鹿げた行為だ」と思う前に、小劇場ファンは必ず
「やるじゃん!」と言いたくなるのが常である。
故・蜷川幸雄がシェイクスピアに惚れていたのかは甚だ疑問だが、アイドルタレントと演劇のダイナミズムだけで台詞満載のシェイクスピア劇をやってのけてしまい、駄作の連発ながら世界のニナガワなんて言われたのはご愛嬌どころでなく、大問題であった。だが蜷川幸雄は傑作戯曲の再演をどのようにしたら成功するかの秘訣を見出したのは間違いない。
じゃ、平田オリザの門下生の大池容子はどうするのだろう?
演劇はちょっとしたはずみや取っ掛かりで、演出家の世界観を観客に没入する事が出来る素晴らしい芸術だ。その没入させる道具を台詞に求めてしまった為か、つかこうへいが平田オリザのお膝元(駒場アゴラ劇場)に闊歩していたようだ。
つかこうへい作品の再演を観る時は、つかこうへいの亡霊は観たくないのである。
鳴呼、失敗作である!
満足度★★★★
ネタばれ
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『真冬のバーレスク〜ボードビル3部作』を観劇。
短編集ながら、昔に書かれた戯曲を串田和美流にアレンジしている。
描かれる作中の登場人物たちは、戦時中、暗黒街のシカゴと時代が危険を要している傍ら己の人生を謳歌しているが、世間は決して許そうとはしない。
重い粗筋ながら、串田和美が描くとそこには歌や踊りが交わり、一瞬ながらも人生の華やかさが感じられる。だがそんな眩しい人生も瞬間で終わってしまうが、その先には一体何があるのだろうか?
その答えをクライマックスに持ってくるのがアングラ演劇人・串田和美の真骨頂なのである。
派手で眩しい様に見えるが、何とも言えない気分をラストシーンに感じてしまう観客は私だけではないと思うのだが…。
バーレスクとはボードビル、バリエテ、キャバレーそして寄席芸などとほとんど同義語の19世紀末から20世紀初頭にヨーロッパに広まった大衆芸能でありながら、当時の既成の権威的芸術をぶち壊そうとした大勢の芸術家たちが参加した運動(ホームページにて)
満足度★★★★
ネタばれ
ネタバレBOX
劇団チョコレートケーキの『帰還不能点』を観劇。
戦時中、優秀な若手閣僚が集められ、インドネシアに石油奪回に向けて検討している。果たしてそれが米との関係を含め、吉と出るか凶と出るか?
結果として日米開戦が始まり、敗戦に到ってしまう。
そして戦後、仲間の三回忌で集まった若手官僚たちは、あの時の開戦を何故回避出来なかったのか?議論し始めるのである…。
我々が知り得なかった歴史に焦点を当てている。
負けると分かっていながら米との開戦中止を上層部に提言出来なかった若手官僚たちの苦悩とジレンマ。
上層部の開戦へ向けての密談の模様を、若手官僚たちが当時の首相や大臣を演じながら判断が正しかったかどうか検討していく。
回想形式と錯覚しそうだがそうではなく、若手官僚たちが上層部を演じることによって、知り得なかった細部が見え始めてくる。
そして「絶対に開戦は止められた!」と結果を出したが今では後の祭りだ。そんな彼らも上層部の判断とはいえ敗戦の責任を感じつつ、どの様に落とし前をつけてくるのか?
彼らが取った決して逃げない過去への決着の仕方は見事であり、新しい未来が見えてくるである。
既に今年のベストワンかも?
大傑作である。