土反の観てきた!クチコミ一覧

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『絵のない絵本』

『絵のない絵本』

富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ

富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(埼玉県)

2013/12/12 (木) ~ 2013/12/15 (日)公演終了

満足度★★★

無国籍感が漂う幻想的なダンス
アンデルセンの童話に基づく作品で、白神さんが主宰するモモンガ・コンプレックスの作風に比べて笑いを取ろうとする場面が少ないながらも親しみ易さは失われていなくて、幻想的な表現が美しかったです。

海岸あるいは月面の様に床全面に砂が敷かれていて、上空には窓枠、さらにその上に三日月が吊られたステージの中で、それぞれデザインの異なる白い衣装を着た9人のダンサーがそれぞれの個性を活かした振付で、ソロ、デュオから全員の群舞まで様々なムーヴメントとフォーメーションが繰り広げられ、あまり動きのないシーンも何回もあるメリハリのある構成でした。
最後は衣装の一部を床に置き、ダンサー達が中央に集まり、皆で本を読んでいる様な雰囲気で静かな終わり方が印象的でした。

当日パンフレットにそれぞれのシーンに対応する原作のワンフレーズが書いてあったものの、具象的にテクストをなぞるのではなく、文章から自由にイメージを展開している様に見えました。
ヨーロッパのみならず、南米、アフリカ、アジアの様々な国の音楽が使われていて無国籍感が漂っていました。特に『ラ・フォリア』が3回それぞれ異なる編曲の版で使われていて、印象に残りました。

クラシックバレエ的な動きやポーズが多かったのですが、床が砂で足場が安定しないせいもあってか、ダンスの精度としては物足りなさを感じました。横一列に並んで客席に向かって来る場面の力強さが魅力的でした。

本編が始まる前に、蠅の格好をした白神さんのソロパフォーマンス『ちいさな1日。(キラリふじみヴァージョン)』があり、小道具を使ってコミカルに開演前の諸注意のアナウンスをパフォーマンス化していたのが楽しかったです。

猿後家

猿後家

公益社団法人日本劇団協議会

恵比寿・エコー劇場(東京都)

2013/12/11 (水) ~ 2013/12/15 (日)公演終了

満足度

猿も木から落ちる
個人的に注目している若手クリエイター、ロロの三浦さんとBaobabの北尾さんとのコラボレーションでしたが、小劇場演劇の「ダサい」部分がそれを相対化する意図のないままに舞台に上げられていて、ただ賑やかな学芸会の様な雰囲気となっていしまい、期待外れな出来でした。

「猿」という言葉を聞くと激情する、猿に似た顔の後家さんと周りの人達のやりとりを描いた落語の『猿後家』を元にしていて、猿好きな男が後家さんのことを人間としてではなく猿として愛し、長らく人から愛されることが無かった後家さんもそれを受け入れるという歪んだ関係が描かれていました。最後には後家さんは人間として生きることを選び、束の間の幸福を捨て、自身の尊厳を大切にする姿が印象的でした。

寒いギャグや駄洒落が多く含まれた脚本をベタに表現していて、滑っているという状況自体を形として見せるメタな表現になっていなかったので、ただ滑っているだけの様になってしまい、微妙な空気感が漂っていました。
脚本での指定か演出上のアイデアか分かりませんが、後家さんを3人1役として、ほとんどのシーンで3人に同じ動きをさせ、台詞は場面毎に1人ずつが受け持つという趣向(「見ざる・聞かざる・言わざる」繋がりでしょうか)が、ストーリー的にも演出的にも効果的に使われていなくて、とりあえず変わった事をしてみましたという風にしか見えなかったのが残念でした。

山並みのシルエットピンクに黒で「MONKEY」と大きく書かれた壁に囲まれ、奥が一段上がっているステージで所狭しと大勢で踊る群舞シーンは迫力があって格好良かったのですが、物語の中にダンスシーンを入れる必然性が感じられませんでした。特に最初と最後に全員で踊るのは古臭さを感じました。

男性陣は台詞回しや動きに存在感がある人が多かったのに対して、女性陣は印象に残る人がいませんでした。

マクベス Macbeth

マクベス Macbeth

Bunkamura

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2013/12/08 (日) ~ 2013/12/29 (日)公演終了

満足度★★★

六角形のステージ
衣装が現代的ではあるものの原作に忠実で、シンプルな演出が台詞や役者の魅力を引き立たせていましたが、解釈的・演出的なチャレンジがもっとあっても良いと思いました。

客席に囲まれた六角形のステージの中で、椅子やテーブルもほとんど使われずに役者と基本的に舞台の形状と関連がある1種類の小道具のみを用いて演じ、派手な効果も用いない、ある意味シェイクスピアの時代の舞台に近くもあり、現代的でもある趣きがありました。

観客参加型の演出が2ヶ所あり、1つは物語に則したことをするので、あまり違和感はありませんでしたが、緊迫した流れが途切れてしまい残念に思いました。もう1つは悲劇を茶番に変えてしまう大胆なもので、インパクトはあったものの、意図と表現が合致していない様に感じました。
終盤でステージがプロレスかボクシングのリングに見立てられる演出があり、権力闘争の悲劇を相対化していましたが、序盤からその様な趣向がもっとあっても良いと思いました。
ダンカン王の息子マルカムがなよなよとした頼りない性格に設定されていて、一般に演じられるキャラクターとはかなり異なる印象だったのが戯曲の解釈的な面で一番興味深かったです。

豪華なキャスティングで楽しめましたが、マクベス夫人役の常盤貴子さんが、一般的に演じられる様な強気な妻とは異なることを表現する為もあってか台詞回しが他の役者達と異なるスタイルだったので、周りから浮いている印象を受けました。

官能教育 三浦直之(ロロ)×堀辰雄「鼠(ねずみ)」

官能教育 三浦直之(ロロ)×堀辰雄「鼠(ねずみ)」

Produce lab 89

音楽実験室 新世界(東京都)

2013/12/09 (月) ~ 2013/12/10 (火)公演終了

満足度★★★

2つが1つに融合
マザーコンプレックスが詩的な妄想として展開する物語で、今までのロロの作風とは異なるテイストが新鮮でした。

高校生が国語のテストの問題文として堀辰雄の『鼠』を読むという形でテクストが扱われ、『鼠』の物語と、先生に誘惑されるマザコン少年の物語が平行して展開しました。
前半は安直なエロの表現に滑り気味な印象がありましたが、テストの選択肢のアイウエオ→母音→ボイン→おっぱい→母とイメージが繋がって行き、『鼠』の話と少年の物語、少年と母、台詞とギターが一つに融合する終盤の展開が圧巻で、セクシュアルな意味とは異なる官能性に引き込まれました。

三浦さんは有名なポップスを歌詞の内容や時代感まで含めて用いる手法が特徴的ですが、今回は空間現代の野口さんによる感傷性の無いソリッドなギターの生演奏が台詞と対等の音として扱われていました。
その結果、台詞は聞き取りにくくなっていましたが、母を求める切迫感が強く伝わって来ました。
少年と母が一つになる様を、2人が台詞を一文字単位で変拍子的なリズムで交互に言うことで表現していたのが素晴らしかったです。

他の登場人物の台詞を字幕で表すシーンはわざわざ映像を用いる必然性が感じられず、話の流れを停滞させていると思いました。

Company Dearshinera カンパニーデラシネラ(日本)「NORA ノーラ」

Company Dearshinera カンパニーデラシネラ(日本)「NORA ノーラ」

特定非営利活動法人舞台21

あうるすぽっと(東京都)

2013/12/07 (土) ~ 2013/12/08 (日)公演終了

満足度★★★★

ヘルメルの孤独
『人形の家』が男性5人の身体表現によってスタイリッシュに演じられ、ノラより夫のトルヴァル・ヘルメルに重点を置いた演出となっていました。

暗闇の中、スポットライトで照らされたヘルメルが拳銃や首吊りで自殺しようとしては躊躇するという、原作のラストの後に続くであろうシーンで始まり、英語でノラを紹介するシークエンスに続いて原作にあるエピソードがヘルメルの回想であるかの様に大胆に省略・変容されながら断片的に連なり、最後に再び冒頭の自殺のシーンが描かれる構成でした。

ノラ役は一応特定の人に割り振られていましたが、自身では台詞を言わずに他の人達が台詞を担当したり、複数の人が同時に演じたりすることでノラの不在とそれに対するヘルメルのオブセッションが表されていました。
所々にコミカルな表現がありましたが、それがただ笑いを取るだけではなく、シーンと次のシーンを繋ぐ役割も兼ねている巧みな表現となっていて良かったです。小野寺さんの得意技である、複数人が物を次々に手渡して行く手法を何度も用い過ぎていて、効果が弱まっている様に感じました。

素舞台の両袖と奥の壁の手前に背丈より少し低い壁が立てられ、バックヤードを作るだけではなく、文字を書いたり、打楽器として扱ったり、多彩な使い方をしていたのが印象的でした。椅子をアクロバティックに重ねてクリスマスツリーやポストを表現していたのも楽しかったです。

光のない。(プロローグ?) <演出: 宮沢 章夫>

光のない。(プロローグ?) <演出: 宮沢 章夫>

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2013/11/30 (土) ~ 2013/12/08 (日)公演終了

満足度★★★

能とパンクで語られる死者の声
福島の原発事故に触発されて書かれたイェリネクさんの難解な戯曲が、5人の役者の声を通すことによって、意味が分からないにも関わらず感情に訴え掛けるものとなっていました。

原作を読んでいないので、そもそも「登場人物」という概念のない戯曲かもしれませんが、登場人物達を死者と捉え、死者が現れる演劇として代表的な能の舞台を模した、土を盛った舞台となっていて(客席も正面だけでなく脇正面が設けられていました)、そこにディレイが掛けられた台詞の断片が響き合う中、津波で流された流されたことをイメージさせる、ボトルや家電や日用品が持ち込まれる混沌とした場面から始まり、その後は横あるいは斜めに一列に並んで台詞をリレーして行くことを中心に進行する構成でした。基本的にモノローグ的な台詞が続き、時折対話風になる時は少々コミカルな味わいもありました。ほとんどBGMが用いられない静かな雰囲気が支配的で、数分の間、台詞も言わずにゆっくり歩くだけの静謐なシーンもある中、2回大音量でパンクロックが流れるシーンがあり、インパクトがありました。

宮沢さんの前作である遊園地再生事業団『夏の終わりの妹』でも用いられた、単語の順番を入れ替えて言う手法が多用されていて、他の人が言った台詞を語順を変えて繰り返すことによって、文章としてではなく単語の連なりとして迫って来るものがありました。吃りながら語られる「私は紙とペンを失ったので、ことばを伝えるためには頭で覚えるしかなかった」という台詞が異様な雰囲気を生み出していて切実さを感じました。「この上演は失敗する」という台詞が、生きている人が死者を表彰することの難しさを感じさせました。

照明がとても美しく、客席側からほぼ水平に照らすことによって真っ白な背景に役者達のシルエットが映し出されるのが印象的でした。

バック・トゥ・バック・シアター「ガネーシャ VS. 第三帝国」

バック・トゥ・バック・シアター「ガネーシャ VS. 第三帝国」

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2013/12/06 (金) ~ 2013/12/08 (日)公演終了

満足度★★

複数のレイヤーによる表現
知的(身体的にも)障害を持った役者達が劇中劇の構造の中で演じることによって虚実が曖昧になり、演技におけるリアルさについて考えさせる作品でした。

像の頭を持つインドの神ガネーシャがナチスに奪われた卍印を取り返す為にベルリンに向かうという物語と、その作品の稽古風景の2つのレイヤーが交互に描かれ、知恵遅れのメンバーが虚構と現実を切り放せず役者と役柄を同一視してしまうことから話がややこしくなって行き、後半ではさらに客席にいる観客を取り込んだ(ただし、「今現在」そのものではない)レイヤーが現れる構成でした。
劇中の「演出家」が「権力者」に重ね合わされていて、演出家が自身の思うようにコントロール出来なくなった劇団を去り、メンバーの1人が暗い中でテーブルの下に寝そべって、演技なのか素なのか分からない状態でいるのを長い時間見せるラストが印象的でした。

物語の構成としては良く出来ていて興味深かったのですが、実際のパフォーマンスとしてはあまりメリハリがなく単調(それも意図的だったのかもしれませんが)で、100分の上演時間がかなり長く感じられました。
「障害に負けずに頑張る人々」あるいは「フリークス・ショー」を期待する観客を皮肉った台詞もありましたが、その台詞自体が特殊な形態の劇団であることに負っていて、フラットな視点で作品を評価する難しさを感じました。

背景や建物のシルエットが描かれた透明ビニールのカーテンを何層にも重ねて、もやの掛かった様な奥行き感のある表現をしていたのが美しく、カーテンの複数のレイヤーが作品の物語構造にも繋がっているのが印象的でした。
後ろの方の席で観たこともあって、マイクで拾ってスピーカーを通した声しか聞こえず、生の舞台の魅力のひとつである立ち位置や向きによる声の空間性が全く感じられなかったのが残念でした。

National Theatre Radu Stanca  ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場(ルーマニア)「NORA ノーラ」

National Theatre Radu Stanca  ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場(ルーマニア)「NORA ノーラ」

特定非営利活動法人舞台21

あうるすぽっと(東京都)

2013/12/04 (水) ~ 2013/12/05 (木)公演終了

満足度★★★★★

皆が人形
原作をカットしつつ新たな台詞を加え、シニカルなユーモアが感じられるスタイリッシュな演出と濃厚な演技で描かれた、75分という短い上演時間の非常に密度の高い『人形の家』でした。

開場すると既に舞台上に役者がいて、おそらくラドゥ・スタンカ劇場の役者やスタッフ達に『人形の家』の内容に則した「家族」や「結婚」に関する質問をする映像が流されていていました。映像が終わるとクリスティーネが訪れるまでのシーンは無言劇としてパフォーマンス的に表現され、その後は比較的オーソドックスに演じられ、スマホで写真を撮ったり、ダンスパーティーの音楽が現代のヒットソングだったりと少々現代的な味付けがされていました。

会話シーンでも2人とも横並びで正面を向いて話し、各役柄の性格を強調したいかにも芝居じみた、ある意味様式的な演技スタイルが登場人物全員が人形であることを表しているように思えました。両サイドの壁と天井に人工的なパースを掛けた真っ白な空間の中、奥にある3つの開口(中央はドア付き)から手前に真っすぐに歩いて来てポーズを取る様子がファッションショーみたいで、それも登場人物の人形感を強調していました。夫も最後には体のコントロールを失い、糸の切れた操り人形の様な動きになってしまうのが印象的でした。
服を脱いだり、キスしたり、撫で回したりとエロティックな接触表現が多く用いられていましたが、嫌らしさよりも滑稽味が感じられ、最後の場面でトルヴァルがノーラに触れようとしても出来ない場面が引き立っていました。
ノーラの娘エミに重要な意味合いを持たせていて、ノーラが人形のように扱うエミが人形を抱えていたり、ノーラのダンスシーンに続いて原作にはないエミのダンスシーンがあったりして象徴的でした。

どの役柄も強い個性が感じられて、特に細身のスーツを着てしばしば眼鏡に触れるクロクスタの神経質な感じや、露出度の高い服とクリスチャン・ルブタンの靴を身に付けたクリスティーネの原作とは異なる開けっ広げな感じが強烈でした。

短い作品なのに平日の14:00と18:30開演の回しかなかったり、当日空席が多くあったにも関わらずチケット取り扱いサイトでは早々に完売扱いになっていたのは、観たいと思っていた客を逃す結果になっていたと思います。せっかく素晴らしい作品なのに勿体ないと思いました。

primitive opera 【Momotaro】

primitive opera 【Momotaro】

Kiki Arts Project

森下スタジオ(東京都)

2013/12/02 (月) ~ 2013/12/02 (月)公演終了

満足度★★

音楽家の身体性
善悪が逆転してシニカルに描かれた芥川龍之介版『桃太郎』をミュージシャン2人が演じる50分程度の作品で、役者の演技とは異なる身体性が新鮮で興味深かったです。

ヴォーカルとウクレレの国広和毅さんが主に台詞を話し、コントラバスの川崎純さんは身体表現がメインで、冒頭は演奏付きのリーディングの様な形で始まり、次第に役を演じたり、体の動きで少々抽象的に場面の様子を描いたり、純粋に演奏したりと、様々なタイプの舞台上での身体の在り方が表現されていました。
2人とも普段はミュージシャンとして活動している人なので、演技や身体表現にはぎこちなさがあり、普通に演奏している時の姿に一番存在感の強さを感じました。国広さんの変幻自在の声色や、あたかも踊る様にコントラバスを弾く川崎さんの演奏姿が印象的でした。

横から打つ照明で壁面に大きな影を映し出したり、コントラバスをひもで引き摺ったりするシーンは最初は印象的でしたが、同じ表現が繰り返されるので冗長に感じました。

音楽ライブを期待して観る分には、様々な工夫が凝らされた楽しいパフォーマンスとして受け取れましたが、舞台作品として観ると物足りなさが感じられる公演でした。

リミニ・プロトコル「100%トーキョー」

リミニ・プロトコル「100%トーキョー」

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2013/11/29 (金) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

満足度★★★

数値の可視化パフォーマンス
東京23区内に住むに人の性別や年齢、住んでいる区の比率を100人に代表させ、様々なYES/NOの質問にステージ上で立つ位置で答えて行く作品で、ユーモアも交えながら色々な形で東京の人達のリアル(に見える)な姿が浮き彫りにされ、興味深かったです。

白い円形の回り舞台が、奥には舞台を真上から撮った映像が映し出される円形のスクリーンが吊られたシンプルなセット
冒頭に進行役の人による簡単な説明に続いて、100人が自己紹介と持って来た大事な物の説明を行う導入部があり、1日の活動を1時間毎に区切って、その時間帯にしている動作をさせるパフォーマンスが続きました。
次に質問に対してYES/NOで左右に分かれるパートとなり、最初は日常的な質問だったのが、天皇制や憲法改正あるいは不倫や性風俗についての政治的・性的な質問になって行き、顔が分かる状態では答え難いということで、暗転した中でペンライトを点けることによって進行しました。
出演者による、前もって準備していない質問に答えるパート、客席から質問を募るパート、逆に観客に質問に対して挙手させるパート、階段状のステージが組まれ質問に対してYESの人が中央に集まるパートと展開しました。
途中からはバンドによる生演奏が入り、ラストは音楽に合わせて踊る、コーダ的なパートで、暗転した中でペンライトを振り回して発生する残像が美しかったです。

数字からは見えて来ない、個人の存在やその人の葛藤が舞台上に現れていて魅力的でしたが、「今日の公演で嘘をついた人」という質問で多くの人がYESだったりと、舞台上での答えの全てが真実ではないことについても表現されていて、色々な思惑が背後に感じられてて興味深かったです。

劇場に入る時に配られた分厚いブックレットには出演者1人に1ページが当てられいて読み応えがありました。実力派のミュージシャンを集めたバンドの演奏自体は良かったものの、生演奏である必然性があまり感じられなくて勿体ないと思いました。

現代美術やデザイン(特にオランダの建築設計事務所OMA周辺の方法論)の領域に近い作品で、「演劇」を期待して観ると肩透かしを食らいますが、役者ではない普通の人達が観客にとっても身近な質問に答えて行く様子に親近感を覚える作りになっていて、熱心な演劇ファンではない人の方がフランクに楽しめると思いました。

祝/言

祝/言

青森県立美術館

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2013/11/29 (金) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

満足度★★★

3.11を巡る、シリアスな音楽劇
三陸海岸沿いのホテルのロビーで3.11の津波の被害に遭った人達のその前後の物語を生演奏やダンスを盛り込みながら描いた作品で、悲惨さを殊更に訴えるのではなく、人との繋がりについて考えさせられる抑制の効いた表現が印象的でした。

日本人の男性と韓国人の女性の結婚式の準備をしている所に震災が起こった中で生き残った、新郎の同僚の中国人の女性と新郎の従兄弟が復旧工事中のホテルで再会する場面から始まり、現在と震災の日が交互に描かれ、現在生きている人達の会話の間に死んでしまった人達(白い衣装で統一されていました)の少々観念的なモノローグやダンスが織り交ぜられた構成でした。

原発事故のことには触れずに地震と津波のことだけを描くことによって、日本の中の政治的なことについてはあまり言及せず、寧ろ日本/中国/韓国の微妙な関係が浮かび上がっていました。最後のシーンでは水を張ったステージの中で日・中・韓のダンサー3人がそれぞれのスタイルの動きで一緒に踊り、舞台奥に現れる木造船が飛鳥時代の中国との交流を想像させて、象徴的でした。

『カフェ・ミュラー』(ピナ・バウシュ振付)や『ククルクク・パロマ 』(カエターノ・ヴェローゾ歌)が引用されている映画『トーク・トゥ・ハー』(ペドロ・アルモドバル監督)についてタイトルやアーティスト名を出さずに言及していましたが、その映画を観たことがない人には訳が分からないので、その部分の台詞はカットするか、もう少し詳しく触れる方が良いと思いました。

韓国の伝統楽器を用いたクロスオーヴァー系のバンド、アンサンブル・シナウィーの演奏が素晴らしく、各国のダンサー達も良かったのですが、キャスティング先行でそれぞれの見せ場を挿入したように見えてしまいました。
終盤では鈴木理策とキム・ジヨンさんが撮影した各国での写真がスライドショー的に流されたのですが、中国と韓国の役者が台詞を言う度に映像が翻訳の字幕に切り替わってしまって、流れを止めていたのが残念でした。

照明のオペレーションにミスが合ったり、スモークを大量に用いたわりには機械の音がうるさいだけであまり効果が感じられなかったり、マイクに頼り過ぎていて生声が聞こえず平板な音響デザインになっていたりと、技術的な面で問題が感じられたのが勿体なかったです。

シルヴィ・ギエム&アクラム・カーン カンパニー「聖なる怪物たち」

シルヴィ・ギエム&アクラム・カーン カンパニー「聖なる怪物たち」

公益財団法人日本舞台芸術振興会

ゆうぽうとホール(東京都)

2013/11/28 (木) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

満足度★★★★

思索と遊戯
アクラム・カーンさんとシルヴィ・ギエムさんが自身とダンスの関わりを語りながら踊る作品で、内省的な雰囲気の中に遊んでいる様なユーモアがあり、豊かな広がりが感じられました。

所々で台詞が差し挟まれるものの全体を貫く物語がある訳ではなく、ドラマとしてのカタルシスが無い構成ながら、ダンスと音楽自体の魅力で引き込み、70分間が短く感じられました。
向かい合って両手を波打たせるように踊ったり、カーンさんの腰にギエムさんが脚を絡めてぶら下がりインドの神様みたいなフォルムになったりと、アジア的な要素が洗練された形で表現されていて美しかったです。
ラストでは16分の15拍子の畳み掛けるようなリズムに乗せて縄跳びの様なムーヴメントがユニゾンで展開し、躍動感が素晴らしかったです。

台詞は真面目な内容の時もあれば、ラフな雑談みたいな時もあり(字幕が表示されない箇所もあったのでアドリブだったのかもしれません)、芝居がかっていない自然な雰囲気が和やかで良かったです。

ギエムさんの研ぎ澄まされた身体コントロールが圧巻で引き込まれました。カーンさんのソロはインド古典舞踊の要素が強く、切れの良い動きが気持良かったです。

西洋・東洋混成の5人のミュージシャンによる生演奏が独特の響きを生み出していて、特にスペインの古い舞曲「ラ・フォリア」の和声進行の上で、インド的な節回しで歌われるのが印象的でした。

tg STAN   ティージースタン(ベルギー)「Nora ノーラ」

tg STAN  ティージースタン(ベルギー)「Nora ノーラ」

特定非営利活動法人舞台21

あうるすぽっと(東京都)

2013/11/27 (水) ~ 2013/11/28 (木)公演終了

満足度★★★★

演出家なしで作られた作品
演出家を置かずに役者達が話し合って自ら演出するという方法で作られた作品で、基本的にリアリズムな演技でありながら、役者自身と演じる役柄との境界を行き来する趣向が所々に施されていて、風通しの良い新鮮な雰囲気がありました。

開場すると既に役者達が舞台にいて、客に話し掛けたりしている内に自然に冒頭シーンに繋がり、その後は基本的に戯曲通りに展開しました。
4人の役者は出番ではない時も舞台上の隅に居て、ノーラと夫・トルヴァル役以外の2人はそれぞれ2役を兼ね、しかも服装も演技もあまり変化を付けていないというミニマルな演出だったので、『人形の家』を観たり読んだりしていない人にとっては少々混乱しそうな作りとなっていました。

第1幕に当たる部分では客電が点いたままで進行したり、会話シーンで相手ではなく正面を向いて客に話し掛ける様に台詞を言ったり、小道具を忘れて裏に取りに行ったり、音楽や照明のタイミングをオペレーターに指示したりと、劇場空間全体を取り込むことによって、描かれているテーマが過去の異国の話ではなく、現在に繋がっていることを示唆していました。その見せ方にスノッブな嫌らしさが無く、力みの無い自然体な演技だったのが魅力的でした。
ノーラが旦那を引き留めるために踊るシーンや、クリスティーネとクログスタが復縁するシーンでは意図的にみっともない身体表現が用いられていて、強く印象に残りました。

舞台裏が丸見えの素舞台で、白リノリウムが敷かれた中央のアクティング・エリアに置かれた最小限の家具や、バトンを下げて視界に入る位置に吊された灯体といった、即物的なヴィジュアル表現が格好良かったです。

東海道四谷怪談―通し上演―

東海道四谷怪談―通し上演―

木ノ下歌舞伎

あうるすぽっと(東京都)

2013/11/21 (木) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★

「古典」に留まらない、鮮やかな群像劇
お岩の怨み話としてのイメージが強い『四谷怪談』を、様々な人物達の関係と思いが交錯する物語として描いていて、正味5時間半という上演時間の長さを感じさせないドラマティックな作品でした。

定式幕をモノトーンにした柄が描かれた大きく傾斜した舞台の上で、カラフルな衣装と大音量のダンスミュージックを伴って、悲しい終わりを迎える人々の感情が鮮やかに表現されていて、「古典」という敷居の高さを感じずに素直に心が動かされる、演劇的な強さがありました。

有名なお岩の髪梳きのシーンではラップが流れるという唐突な演出でしたが必然性が感じられ、お岩の悲しみが印象的に描かれていました。
お袖が新旧の夫の板挟みになり痛ましい決断をするシーンから、伊右衛門とお岩の実現しなかった幸せな生活が幻想的に描かれたシーンへの流れが、切なくて素晴らしかったです。

歌舞伎ではカットされることが多い「深川三角屋敷の場」、「お塩田隠れ家の場」(7月の歌舞伎座での上演でもカットされていました)が上演されることによって、伊右衛門とお岩以外の登場人物の存在意義が強められていて、物語に厚みを加えていました。上記の2つの場が断片的に交互に続く演出が良かったです。

鶴屋南北が書いた台詞そのままだけではなく、現代語も用いられているのですが、それで笑いを取るだけでなく、悲しさや嬉しさが一番盛り上がる部分で用いることによって、その感情が強く伝わって来ました。

印象的な場面や時間経過を示す時に鳴らされる鐘が飛行機の音に、不穏な雰囲気の時に鳴らされる太鼓がヘリコプターの音に置き換えられているのが印象的でした。

F/T13イェリネク連続上演  小沢 剛「光のない。(プロローグ?)」

F/T13イェリネク連続上演  小沢 剛「光のない。(プロローグ?)」

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2013/11/21 (木) ~ 2013/11/25 (月)公演終了

満足度★★★

発話されないテクスト
エルフリーデ・イェリネクさんが3.11に触発されて書いた戯曲を、現代美術の世界で活動する小沢剛さんが、歩き回って鑑賞する展覧会形式で演出した作品で、抽象的で難解なテクストに対して具象的な表現がなされていて、当時感じていた不安感を再認識させられました。

美術館の様にジグザグの導線を辿りながら、イェリネクさんのテクストを引用した絵画や立体や写真を鑑賞していると、会場にゴリラの着ぐるみが乱入して来て一番奥に設置された岩に寝そべると、導線を形成していた幕が端に移動し、展示物は天井に吊り上げられ、機械仕掛けのリコーダー四重奏が始まり、胴体にテクストが書かれた多数の牛の死骸の人形が床下から持ち込まれ、一気に不穏な雰囲気になりました。
スクリーンが下りて来て福島(?)の海岸でフラダンスを踊るゴリラの映像が流れた後に実際に現れて踊っている内に次第に最初の展示の状態に戻って行き、3.11を境に同じ様でも異なってしまった日常をイメージさせました。
ゴリラの手招きに従って奥の部屋に行くと、タイトルが大きく書かれた手前に放射性廃棄物を思わせる青い包みが大量に並べられていて、その上でゴリラが嘆く様な仕草を繰り返していて痛ましかったです。

小沢さんの美術作品は人を食った様なユーモラスなものが多いので、直接的に3.11を表現した今回のシリアスな作風が意外でした。役者に台詞を言わせるのではなく、発話されない文字としてテクストを扱っているのが美術家らしく思いました。
安野太郎さんによる「ゾンビ音楽」と称した、ガチャガチャと異様な音と共に奏される非人間的なリコーダーの音色がおぞましくて、強く印象に残りました。

テラヤマ☆歌舞伎『無頼漢 -ならずもの-』

テラヤマ☆歌舞伎『無頼漢 -ならずもの-』

流山児★事務所

みらい座いけぶくろ(豊島公会堂)(東京都)

2013/11/21 (木) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

満足度

ならず者達による体制批判
F/T連携プログラムで、原作が寺山修司ということもあり、先鋭的な要素がある時代劇を期待していたのですが、体制批判の意図が打ち出されてはいたものの、個人的に好みではない作風で、全然楽しめませんでした。

幕末の抑圧された歌舞伎役者達がお上に立ち向かう物語で、繰り返される争いと、ギリシャ悲劇の様な呪われた血の繋がりとが描かれていました。

現代的な音楽がBGMに用いられる以外はオーソドックスで、かといって歌舞伎の様な様式性も感じられませんでした。
大声で台詞を言い大袈裟に動いて自身の存在をアピールする様な演技や、段取り感が表に出ている殺陣のシーンが延々と続き、疲れました。
今年の流行語をもじったり、昭和から平成の映像を流したりして、現代においても同様なことが起きていることを示唆する趣向もありましたが、あまり説得力を感じませんでした。

開演の前に、会場の向かい側の公園でプロローグが演じられましたが、偶然見掛けた人がお金を払って本編を観たくなる様な魅力もなく、わざわざ寒い屋外で演じる意義が感じられませんでした。

ツール・ド・フランス

ツール・ド・フランス

東葛スポーツ

3331 Arts Chiyoda(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/25 (月)公演終了

満足度★★★

ふぞろいのアップルプ・フィクション
様々な映像のマッシュアップとシンクロして演技が行われる、脱力感が心地良い作品でした。

ツール・ド・フランスが初めて開催された年と日比谷公園が開園した年が同じ(1903年)という事から、日比谷公園周辺で起きるエピソードと様々なフランス映画のワンシーンが、映画『パルプ・フィクション』のストーリーを骨格にして重ね合わされて描かれていました。
『シェルブールの雨傘』、『女は女である』、『死刑台のエレベーター』、『ふぞろいの林檎たち』、『犬神家の一族』といったドラマや映画、さらにツール・ド・フランスの記録映像やニュース番組、バラエティー番組が、台詞やストーリーや物を媒介にして巧みに繋げ合わされていて見事でした。
しかし、役者達のかなりラフな演技によってその労作が報われていないという状況が面白かったです。

雑然と置かれた椅子や脚立、壁に歪んだ形に映し出された映像、ツール・ド・フランスの選手やキャビン・アテンダントに似せた衣装、クラフトワークやユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイションの楽曲といった各要素のざっくりとした存在感が印象的でした。

今までの作品に比べて洗練された構成になっていたものの、ビートに乗せたラップや、社会や演劇界に対しての毒が少なくなっていて、開き直った感じが弱まった様に思えて残念でした。

永い遠足

永い遠足

サンプル

にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)

2013/11/17 (日) ~ 2013/11/25 (月)公演終了

満足度★★★★

越境する家族の物語
男性/女性、人間/動物、実在/非実在の境界を越える登場人物達の関係が描かれた、奇妙な雰囲気に引き込まれる作品でした。

『オイディプス王』をベースにした展開に日本の有名な昔話が絡み、途中まではとりとめの無い印象でしたが、次第にバラバラに見えたエピソードが繋がり、しっかりとした物語性が感じられました。最後に現れる物によって、その前のクライマックスが相対化されていたのがシニカルで印象的でした。
サンプルの作品にしては一般的な意味でのドラマティックな高まりがあり、真の親子が偽りの親子を演じることによってしか関係を持てない様子を描いたシーンが切なかったです。シュールな笑いがアクセントとなっていて、不思議な味わいを醸し出していました。
奇抜に見えがちな表層の印象とは異なり、戯曲(台詞・物語)と役者の演技に重きを置いた、オーソドックスで骨太な演劇作品だと思いました。

舞台表現ならではの省略と見立てを多用して独特な世界観を表現していたのが興味深かったです。素の状態の体育館の広い空間を特殊な可動式の舞台美術を用いて、物語世界に取り込んで行く様が素晴らしかったです。

どのキャラクターも変でまともではないのに、リアリティーと愛嬌が感じられ、魅力的でした。音楽が大きかったり、声を張り過ぎて、台詞が聞き取りにくい場面が何ヵ所かあったのが勿体なかったです。

十一月花形歌舞伎

十一月花形歌舞伎

明治座

明治座(東京都)

2013/11/01 (金) ~ 2013/11/25 (月)公演終了

満足度★★★

夜の部鑑賞
若手役者を中心とした、明るい雰囲気の作品3本立てで、重厚感や様式美は少々物足りなさもありましたが、身構えずに楽しめました。

『歌舞伎十八番の内 毛抜』
密かに進められる悪巧みを豪放な性格の粂寺弾正が暴く物語で、悪事が明らかになって行くスリリングな後半が楽しかったです。
弾正を演じた中村獅童さんは役に合っているとは思いましたが、台詞回しが軽く感じられ、もう少し嫌らしい粘りが欲しかったです。

『澤瀉十種の内 連獅子』
派手な隈取と床を引き摺る長いカツラで雄壮に舞う、まさに歌舞伎という感じの作品で、間狂言の場面ではほのぼのとしたユーモアがありました。
狂言師左近(後に仔獅子の精)を演じた市川弘太朗さんの切れの良い動きが印象的でした。見せ場の毛振りは疲れが感じられました。

『権三と助十』
しょっぴかれた犯人が本当の犯人か疑わしい殺人事件の真相を明かそうとする、喧嘩っ早い江戸っ子の2人を描いた物語で、長屋の人々の賑やかな様子が魅力的でした。
アドリブあるいはアドリブ風のやりとりが多くて客席も大いに盛り上がっていましたが、少々やり過ぎな感じもあり(「やり過ぎるなよ」という突っ込み台詞もありました)、歌舞伎としての味わいはあまり感じられませんでした。

ザ・スーツ THE SUIT

ザ・スーツ THE SUIT

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2013/11/06 (水) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★

軽やかに描かれた不倫劇
チャーミングな出演者達と、少ない要素で豊かに表現される演出によって演じられる不倫の物語で、余裕を感じさせる軽やかさがありました。

南アフリカの黒人コミュニティーを舞台に、妻の不倫相手が自宅に残していったスーツをあたかもその不倫相手であるかの様にもてなせと夫が命じ、夫婦の関係が終わってしまう物語の中にアパルトヘイトにまつわるエピソードが織り込まれていました。
素舞台の中心にオレンジのラグが敷かれ、その周囲にカラフルな木製の椅子、テーブル、ハンガーラック、照明スタンドが置かれた開放的な空間の中で、見立てや振りの演技を用いて流れるようにシーンが展開するのが心地良かったです。

ところどころで観客に語り掛けたり、舞台にあげたりする仕方がスマートで、客いじりにありがちな押し付けがましさが無いのが良かったです。2人のミュージシャンによるギターとトランペットの生演奏や役者の歌が素敵でした。
全体的に完成度が高くて楽しみながら観たのですが、あまりに綺麗に流れて行くので、引っ掛かるところがなくて、物足りなさを感じました。

実際に喋っている内容に比べて字幕はかなり省略していて、何秒間も同じ文が表示されている時もあったので、もう少し翻訳する分量が多くても良いと思いました。

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