マリンバの観てきた!クチコミ一覧

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「リサイクルショップ『KOBITO』」

「リサイクルショップ『KOBITO』」

ハイバイ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/06/05 (金) ~ 2009/06/16 (火)公演終了

満足度★★

これはハズレだった
問題作というよりも、作品としてこれはちょっと問題ありでしょ。貧弱な脚本を演出でカバーしようとして、しきれてない感じ。
こんだけいい役者を揃えておいて、脚本家はなんでもっといい台詞を書いてあげないのよ。

ネタバレBOX

男が女を演じる意味もない。「ヒッキー・カンクーン・トルネード」でやったのをただなぞってるとしか思えない。
止まらずの国

止まらずの国

ガレキの太鼓

サンモールスタジオ(東京都)

2010/03/25 (木) ~ 2010/03/30 (火)公演終了

異国の空
初見。前回がマンションでの覗き見公演だったから、今回もさぞかしナチュラルな芝居が見られるんじゃないかと勝手に期待したのだが、残念ながらテンパったときの役者の演技が大袈裟すぎて、いささかゲンナリしてしまった。

ネタバレBOX

芝居が始まると、壁にかかっている肖像画にアラブの民族衣装を着た人物が描かれているのが見えたので、舞台が中東のどこかの国だろうということはわかったが、開演前に流れている音楽は、実際には中東の音楽なんだろうけど、なんだかスコットランドのバグパイプの演奏のように思えた。

芝居は平田オリザの「冒険王」に似た設定で、日本人旅行者が宿泊する旅先の宿が舞台になっている。平田作品では外国が舞台であるにもかかわらず外国人はまったく登場しなかったが、この作品では現地のアラブ人や旅行者の韓国人が登場するし、言葉も現地語や英語の入り混じったものをしゃべっている。珍しいと感じたのは、その外国人の役を日本の役者が演じていること。アラブ人を演じるときにはきちんとメイクで顔を黒く塗っている。

作者の舘そらみは1年間の世界一周の旅をした、とチラシに書いてある。実際、旅先の宿でのディテールにはその経験が反映されているようだった。旅行者同士が用不要になったいろんな品物をやり取りするというのもその一つだし、10年も前のガイドブックが持ち主を替えながら今だに活用されていたりする。これからその国へ出かける人と、その国からやって来た人との間で紙幣の交換が行われるというのも旅行者らしい知恵だ。パスポートと金銭を肌身離さず所持しておくというのは海外旅行者にとってはむしろ初歩的な教訓かもしれない。

いずれは日本に帰るという現実をどこまで引き伸ばせるか、そんなモラトリアムな時間を過ごしているのが、一般的な長期海外旅行者だとすれば、もはや故国が帰る場所ではなくなってしまった仙人のような旅人もいる。

作者の海外体験に基づいた芝居という意味で、前半はそれなりに楽しめたのだが、後半では旅先の政情がにわかに不穏になって、旅行者たちはまるで籠城するように宿泊施設で孤立してしまう。
外には戦車や兵士があふれ、ときには銃声めいた音が響く。さらには空爆のような轟音と光。宿を経営するアラブ人はいつのまにか姿を消し、上の階の宿泊客もみんないなくなっている。

アメリカ軍によるイラク戦争でのバグダッド空爆を連想させる場面だった。おそらくここは作者自身の実体験ではないだろう。一夜明けると街はお祭りムードに包まれて、昨夜の緊迫感がまるで夢のように思われる。

海外旅行者がいつ戦争に巻き込まれるかもしれない危険を抱えていること、それにひきかえ、そうした危険に対する日本人の意識の低いこと。作者が描きたかったのはその辺ではないだろうか。

ただ、政情不安な国を旅するとき、旅行者はその辺の情報にもっと敏感ではないのかという疑問を感じる。携帯電話を持っているなら、日本からの情報も得られるはずだし、宿のアラブ人経営者や上の階の宿泊客が何も告げずに姿を消すというのはちょっと水臭いのではないだろうか。昼間は平和そのもので、夜にいきなり戦争状態というのは、いくらなんでも唐突すぎると私には思えた。


















日本語を読む その3~ドラマ・リーディング形式による上演~『老花夜想』 

日本語を読む その3~ドラマ・リーディング形式による上演~『老花夜想』 

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2010/05/07 (金) ~ 2010/05/09 (日)公演終了

演出という仕事
若手演出家によるドラマ・リーディングの3本目は中屋敷法仁の演出で、太田省吾の作品を。上演時間は約90分。
今回は登場人物が多いこともあり、ほかの2本ではあまり感じられなかった演出の仕事ぶりがちゃんとわかった。一つは戯曲の登場人物12名に対して、役者を8名にしたこと。アフタートークによると、これは戯曲で指定されたものではなく、演出家の判断でそう決めたものだという。登場人物が多いと混乱を招きやすい。観客の理解を助けるという配慮から出演者を8名にするのがベストだと判断したそうだ。
もう一つ、ト書きの扱いについてもほかの2作と違いがあった。役者それぞれが、自分の役について書かれたト書きを基本的には自分でしゃべっていたというのが特徴的。また複数の役に向けてのト書きでは、その複数を演じる役者がユニゾンでト書きを読んでいた。たとえば「AとB、退場」というト書きがあったとすれば、そのト書きをAとBが声をそろえて読むわけだ。いっぽうまた、役者個別のト書きではなく、全体的な状況説明のような場合は、出番が後半にしかない役者が主にそのト書きの読み手を担った。そんな具合で、ト書きの読みにも独特の割り振りがあり、そこにも演出家の創意工夫が感じられた。

アフタートークによると、中屋敷はこの日の午後にトルコからもどったばかりとのこと。イスタンブールで例の蛇使いを上演してきたわけで、考えてみればずいぶん無茶なスケジュールだが、トークによるとリーディングは基本的に稽古を2~3回やっただけで本番に臨むそうなので、だからこういう綱渡り的なことも可能だったのだろう。

太田省吾の作品はこれまでまともに見たことがない。劇団地点がやったのは全テクストからの抜粋だし、晩年の作である「ヤジルシ」は途中で興味をなくして席を立ったのだった。
「老花夜想(ノクターン)」という作品は太田が沈黙劇を始める以前に書いたもの。月食の夜に老いた娼婦の思い出が幻想的に花開く。月が人間に特別な影響を与えるファンタジーといえば「月の輝く夜に」という映画を思い出すが、この作品もそういう系列の物語のようだ。この戯曲は面白かった。

役者では老いた娼婦を演じる内田淳子の演技が飛びぬけてすばらしい。ほかの出演者だって全然悪くないのだが、彼女の演技力はなんだかものすごく特別なものに思える。

ハコブネ【作・演出 松井周(サンプル)】

ハコブネ【作・演出 松井周(サンプル)】

北九州芸術劇場

あうるすぽっと(東京都)

2010/03/05 (金) ~ 2010/03/07 (日)公演終了

過剰な毒
人間模様を毒気たっぷりにサンプリングする松井周の作品。今回は工場の単純作業に従事する人々がそのターゲットだった。
北九州芸術劇場プロデュース公演ということで、いつものサンプルの作品に比べると、古舘・古屋が出演しているとはいえ、出演者の演技面ではイマイチな感じがあった。

ネタバレBOX

舞台の奥には積み上げられたコンテナ。工場の作業時間にはローラ-式のコンベヤーが舞台中央に設置される。
仕事の具体的な内容は不明。コンベヤーをひたすら往復するダンボール箱の動きが作業の単調さを強調する。
舞台装置を見ているうちに、ヨーロッパ企画が上演した芝居「火星の倉庫」や「インテル入ってる」を思い出した。どちらもSF的な設定ではあるが、単純な肉体労働に従事する若者たちの姿をコミカルに描いたものだった。

単純な肉体労働がつまらないことは誰だってわかっている。それをトホホな感じでコミカルに描くか、みじめな状態として皮肉をこめて描くかは、作り手の資質・気質の違いによるところが大きいのだろう。
政治権力とかカルト宗教といった大きな力を持つ存在に対しては、風刺や戯画化という表現は有効だと思うが、単に工場の労働者の生態を描くのに、これほどの毒気や悪意は必要だろうかという疑問を感じた。
日本語を読む その3~ドラマ・リーディング形式による上演~『熱帯樹』

日本語を読む その3~ドラマ・リーディング形式による上演~『熱帯樹』

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2010/05/05 (水) ~ 2010/05/08 (土)公演終了

近親相姦・兄妹編
なにしろ三島由紀夫の戯曲「熱帯樹」が初めてだったので、内容的には最後まで飽きることがなかった。偶然だろうけどこの戯曲、5月5日から9日まで、劇団Ort-d.dも池袋のアトリエ・センティオで上演する予定。

出演者は5人(石母田史朗、久世星佳、中村美貴、松浦佐知子、吉見一豊)。役者が台本を手にしてのリーディング公演。これは私だけの感じ方かもしれないが、リーディングの場合は何よりもまず、発声の明晰さを優先してほしいと思う。感情を込めてしゃべることで台詞が聞きづらくなるくらいなら、むしろ棒読みでしゃべったほうがマシ。もちろん聞きとりやすくてなおかつ感情がこもっていればいうことはないのだが。
その意味では、父親役の吉見一豊がよかった。

若手演出家3人によるドラマ・リーディング。その第1弾である今回はdull-colored popの谷賢一が演出を担当。それほど特徴の感じられる演出ではなかった。むしろオーソドックスというか。

間に10分ほどの休憩が入る。正味2時間半の長い作品。

"Are You Experienced?"

"Are You Experienced?"

CASTAYA PROJECT

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/08/10 (月) ~ 2009/08/25 (火)公演終了

それは秘密です
去年、リトルモア地下で上演された東京デスロックの3本立て公演の一つとして、日本に初登場したCASTAYA project。聞く所によれば、韓国人俳優を起用して、しかも前半の40分は無言で立ったまま、そのあとは韓国語が飛び交うという観客泣かせの内容だったらしい。

演出家Enric Castaya(エンリク・カスターヤ)のプロフィールから、出演者の顔ぶれ、そしてもちろん作品の内容まで、徹底した秘密主義のもとで上演されるその公演は今回が第2弾。噂を頼りに、どんなものだろうという好奇心だけで見に出かけた。

公演日程がかなり変則的で、8月10、11日にやったあと、2週間後の24日、25日にやってそれで終わり。実際に作品を見てみると、この長い休演期間もある程度納得がいく。

出演者の顔ぶれは開演すればもちろんわかることだが、せっかく秘密主義にしているのだから、それを尊重して公演期間中は書かない。作品の内容とともに、公演終了後にまだ記憶に残っていれば書くかもしれない。

実はこの作品を見ている途中で、ある重大な疑惑が浮かんできたのだが、それについては公演終了後もあえて触れないでおこうと思う。

くるみ割り人形

くるみ割り人形

井上バレエ団

文京シビックホール(東京都)

2009/12/12 (土) ~ 2009/12/13 (日)公演終了

too many children
先月に続いて2度目のくるみ割り。全3公演のうち、ダンスの主役である「金平糖の精」を島田衣子が踊る13日の回を見る。振付はこのバレエ団の芸術監督だという関直人。11月に東京バレエ団がやったワイノーネン版とはちがい、少女クララは物語の主人公ではあるが、ダンスのメインではない。
クリスマスパーティーの場面を描いた前半では、子供連れの家族が大勢登場する。東京バレエ団のときは、子供役も大人のダンサーが演じていたので踊りの面でもしっかりとしていたが、今回は子供役をそのまま子供が演じているので、彼らの群舞が展開するところでは、まるで子供バレエ教室の発表会に来ているような気分になった。実際、客席の雰囲気もバレエ絡みの知り合いが多数詰めかけている感じ。一般客にはこういうのはちょっと興ざめ。
目当ての島田は後半に登場。相手役の王子は石井竜一。チケット代7000円のほとんどはこの二人の踊りに支払ったといってもいいくらい。ロイヤルメトロポリタン管弦楽団の演奏もいまいちだった。各国の踊りの最後に来る「花のワルツ」はふつうは群舞だと思うのだが、ここでは男女デュオによるパ・ド・ドゥが加わっていた。あとに来る「金平糖の精」の踊りでちゃんとしたパ・ド・ドゥが見られるのだから、その直前のやつは不必要だと思う。

エステル・サラモン「Dance#1/Driftworks」

エステル・サラモン「Dance#1/Driftworks」

ダンストリエンナーレトーキョー

スパイラルホール(東京都)

2009/09/27 (日) ~ 2009/09/27 (日)公演終了

ぷるぷるふるえる
ダンストリエンナーレの第5弾はドイツの振付家エステル・サラモンの女性デュオ作品。開場が開演の5分前。しかも実際の開演は予定を15分も過ぎてから。いったい舞台裏で何があったのだろう。上演時間は約1時間。

ネタバレBOX

エステラ・サラモンともう一人の女性が出演。二人とも白ズボンに白シャツ。タンクトップがサラモン。もう一人はホルターネックで微妙に衣裳を変えている。ダンスのほうも同様に、ユニゾンではないが似たような流れで動くことが多かった。
前半の出だしでは二人がうつぶせに、横一列に寝そべっている。つま先を床に立てて踏ん張ることで、体を前後に揺すっている。一見、芋虫のように這っているのかと思ったが、いつまで経ってもその場で上下運動するばかり。やがて体を起こして立ち上がる。その間も体のどこかしらを前後あるいは左右に往復運動させている。立ち上がってからは膝を小刻みに屈伸させることが多かった。体の振動に促されるように腕もゆっくりと動かしている。二人の動きを見ているうちに浮かんだのは、紙相撲という遊びで使う力士の動き。底に敷いてある紙を指で突付くと紙製の力士がチョコチョコ動くというアレ。ああいう感じで二人の位置がいつも間にか逆になっていたりする。動きの変化の緩慢さでは舞踏といい勝負。途中で二人が客席へ背中を向けて、お尻を中心に背面全体をプルプルさせるところが可笑しかった。全体的に健康体操みたいな雰囲気があり、エステル・サラモンの顔立ちが何となくジェーン・フォンダに似ているところから、エアロビクスのワークアウトを連想したりもした。

タイトルの「Dance#1/Driftworks」というのを見てもわかる通り、前半と後半で別の作品になっている。後半は一つの作品というよりも、作品以前のサンプル集といった感じ。ワークショップではこういうのをやりますという宣伝用の見本、というか。
早起きの人

早起きの人

薔薇ノ人クラブ(黒沢美香)

テルプシコール(TERPSICHORE)(東京都)

2010/02/24 (水) ~ 2010/02/26 (金)公演終了

宮廷の人?
黒沢美香が以前からやっているソロ・ダンス公演「薔薇の人」シリーズの第13回目。私自身はこれが3回目くらい。上演時間は80分ほど。背もたれのない窮屈な座席で見るのがつらかった。

ネタバレBOX

毎回、けっこう奇抜な衣装で登場するが、そっち方面は疎いので、表現する語彙が不足している。上は白いブラウスふうで、胸元にフリル。下はゆったりしたグレイっぽいズボンで、きらきらしているのはラメだろうか。印象としてはブルボン王朝のフランス宮廷あたりにいそうな雰囲気。ただ、髪型は二つのお団子ふうにまとめたのと、1本の辮髪ふうに束ねたのが同居していて、そちらはなんとなく中国風。
太鼓を叩くバチのような棒を何本も入れた金属製のボウルを抱えて、舞台奥下手の出入り口から、ノリのいい音楽で登場。いつになく活発な動きなのと、前述の扮装とがあいまって、バレエの「くるみ割り人形」に出てくる中国の踊りっぽいものを連想した。
開演前から舞台にはセットが配置されている。下手にはコンロや台所用品をならべた調理台。上手の奥には物干し台に椅子。手前の客席寄りには水を入れた透明なボウルがこれも台に載っている。レンガ大の石が一個、床の上、隅には布切れも落ちている。

黒沢のソロダンスではところどころで音楽や照明の段取りを決めて、間では即興をやるということが多いような印象を持っていて、それは今回も変わらなかった。振り付けた動きかそれとも即興かを見分けるのはむずかしいものだが、振り付けたにしては静止する時間がやけに長いと感じることがたびたびあるので、その辺から即興をやっているのだろうと判断している。実際は終演後にでも本人にじかに聞けば早いのだろうが、わざわざそこまでするのもねえ。

金属製のボウルに入っていた棒を椅子の周辺の床に並べる。そのあとはまず、物干し台に布切れを架け、端っこにあった箒を手に取ってひとしきりもてあそぶ。次にボウルの水に手を浸す。さらに下手の調理台を中央に移動させ、用意してあった器から白いどろっとしたものをコンロのフライパンに注ぐ。どうやら火がついていたようでやがてパンケーキのようなものが出来上がる。缶詰を開けてパイナップルを二切れ、パンケーキの上に乗せる。調理の際、腰に巻いていた紅白模様の布をたたんでランチョンマットとして椅子の上に敷き、出来上がった料理の入った皿をその上にのせて椅子の前に正座。フォークとスプーンを使い、行儀よく、時間をかけて平らげる。

登場の際の活発な動きはまもなく影をひそめ、炊事洗濯などの家事労働をダンス的な振る舞いの中でこなしていく。過去に見た公演でも、こういう日常的な行動も広い意味でダンスとして捉えるというスタンスでやっていた。たとえば、机に座って手紙を書いてそれを封筒に入れるといった一連の動作。一見、演劇のようでもあり、またマイムのようでもあるが、本人の意識としてはたしかにダンサーとして舞台にいるのだろう。

やがて家事や食事も片付いて、彼女は横になる。この辺で自分なりにドラマ的な状況設定を想像してみると、おそらく彼女は宮廷のお抱えダンサーだろう。きょうはもう勤めはないだろうと思って横になったとき、急にお呼びがかかる。そしてなぜかは知らないが椅子の上で着替えをして、御前に参上。床に散らばっていた棒を奥に片付ければ場面転換も完了。終盤のクライマックスにふさわしいダンスのお膳立てができた。
煉獄篇 (神曲3部作)

煉獄篇 (神曲3部作)

フェスティバル/トーキョー実行委員会

世田谷パブリックシアター(東京都)

2009/12/19 (土) ~ 2009/12/21 (月)公演終了

丸の向こう側
神曲3部作のうちの「煉獄編」。今回は見づらい座席ではなかった。
中盤まではふつうの演劇っぽい展開を見せるが、終盤ではヴィジュアル系というか、美術作品の色合いが濃くなり、やはり作り手がいちばん見せたかったのもこの終盤だろうと思う。
それにしても、中盤までの展開が退屈だったこと。まるで体調の悪いときに見るアンドレイ・タルコフスキー監督の映画のような。
台詞は英語で、字幕がつく。

ネタバレBOX

終盤の、異界を覗く丸窓の場面はなかなかすごかった。日本の古いお寺なんかに、丸窓の和室というのがあるが、ちょっとあれに似ているというか、あれをヒントにしたのでは、なんて勘ぐってしまった。そんなことはないだろうけど。
ふつうのドラマが展開する中で、にわかに視覚的に飛躍した場面が現われるといえば、映画ではキューブリック監督の「2001:宇宙の旅」の終盤を思い出す。ほかにも中田秀夫監督の映画「リング」で描かれた呪いのビデオに映っている映像とか。ああいうのは脚本ではまず描けないし、やはり美術作品としての仕事だろうと思う。
配置と森

配置と森

神村恵カンパニー

SuperDeluxe(東京都)

2009/12/22 (火) ~ 2009/12/23 (水)公演終了

木と林と森
公演を見たあとでチラシを改めて眺めていたら、今回のタイトルが「配置と森」ではないことに気づいた。ふつう「森」という漢字には「木」が3つ入っているが、実は今回のタイトルでは、「森」の部分が6つの「木」からなっている。

去年の初演も見た。会場でもらったプログラムに載っている作者の挨拶文を読むと、今回は初演とだいぶちがっているらしい。しかし前回の内容をかなり忘れているところへもってきてさらに内容を改訂されたら、初演との比較などできるはずがないし、かといって新作として眺めるには妙な既視感もつきまとう。そんなわけで、作品の接し方にちょっととまどいを覚える今回の上演だった。

会場がSTスポットからsuper deluxeに変わったというのもかなり大きい。前者では舞台の三方に壁があったが、後者では三方を客席が囲んでいる。
20センチくらいの立方体のオブジェか何個か、小道具として使われるのは初演と同じ。たぶんタイトルにある「配置」というのはこのオブジェのことで、「森」というのがダンサーを指しているのだろう。
STスポットでやったときには三方に壁があるせいで、舞台自体も立方体の空間という感じがして、「CUBE」という映画なんかを連想した。しかし今回のsuper deluxeはオープンなスペースなので、そういう密室感は消えていた。

冒頭の首回しの場面は初演にもあった。最初、一人だったのが暗転のあと二人になる。まるで人間が二つに分裂したような印象を与えるあの場面が面白い。そのあとの展開は記憶があいまいになるが、初演よりもコンタクトが増えていたような気がする。二人の関係に何らかの取り決めがあって、その範囲内で自由に動いているという印象なのだが、こればかりは実際に稽古場をのぞいてみないとよくわからない。今回の再演も、最後まで飽きることなく眺めることはできたのだが、動きそのものというよりも、動きの作り方が妙に気になる作品だった。

よせあつめフェスタ

よせあつめフェスタ

プロジェクトあまうめ

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2010/06/13 (日) ~ 2010/06/13 (日)公演終了

目撃
企画が出来るまでのツイッターでのやりとりがなかなかスリリングだったので、内容はともかくとりあえず本番が見られてよかった。

こういう特別な公演だからだろう、劇場スタッフの熱気と、出演した役者陣の緊張感は通常よりも割り増しに思えた。

作・演出の面で中心的な役割を担った関村俊介は元々お気に入りの劇団あひるなんちゃらの主宰なので、実は内容的にもそれほど心配はしていなかった。

あひるなんちゃらでは、これまでにもシークレット・ライブと称して、王子小劇場で平日の二日間、寄せ集めの公演をやった実績があるし、ほかにも劇団員3名による無料公演をやるなど、ゆるい作風に似合わない斬新なことをやっている。

内容は出演者2~3名による6本のコント集だった。そのうち4本が関村の脚本で、あとの2本は三谷麻里子と櫻井智也が担当。冒頭と中盤にはMCとしてオケタニイクロウが関村とともに登場し、用意したオモシロ映像を披露したのがやたらにウケた。

今後もこういうツイッターを使った穴埋め公演が行われるかどうかは予想がつかない。仮にそういう話がまたツイッターに出たとして、さらにその企画がまとまったとしても、おそらく今回以上の盛り上がりや集客は期待できないのではないだろうか。

EKKKYO-!(公演終了!次回3月[家族の証明∴]は1/30より発売)

EKKKYO-!(公演終了!次回3月[家族の証明∴]は1/30より発売)

冨士山アネット

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2010/01/14 (木) ~ 2010/01/17 (日)公演終了

理屈ぬき
ライン京急、ままごと、CASTAYA Projectまではその先鋭的というか、とんがった表現を面白がることができたのだが、後半のモモンガ・コンプレックス、岡崎藝術座、冨士山アネットでは、最後まで目を開けているのがつらくなった。疲れ気味の体は正直だ。

ネタバレBOX

ライン京急は去年の吾妻橋ダンスクロッシングに次いで二度目。大谷能生の音楽と山縣太一のパフォーマンスという組合せだが、基本的には音楽作品だと私は思っていて、山縣のしゃべりも台詞というよりは歌詞として聞くと受け止めやすい。端田新菜が客演。全然嫌いじゃない。

ままごとは以前にやった「あゆみ」の3人バージョン。黒川深雪、斉藤淳子、中島佳子が出演。二人の少女の、時代を超えたやりとりを上手から下手、奥から手前への移動によって描き出す。以前に見たときは幕が垂れていて、下手から上手への移動はその幕の向こう側に隠れていたが、今回は何もないのでその移動の様子も客席から見える。子供時代の、しかも女の子の心理的な機微を、作者の柴幸男は男なのによく掴んでいるものだと感心する。なんだかものすごく「おセンチ」な世界を描いていて、その辺が女性ファンの心をぐっと捉える所以なのかもしれない。

CASTAYA Projectは、またやってくれましたね、という感じ。作り手の企みが今回は意外と早くに察せられたので、余裕を持って最後まで眺めることができた。立ち上がれとか拍手をしろという挑発には乗らなかったが、「we are the world」は大音響にまぎれて一緒に歌った。こういうプロデュース公演の参加メンバーだから無難に終わったものの、もしも単独公演でこれをやったら「金返せ」の声も出るのでは?

モモンガ・コンプレックスは吾妻橋ダンスクロッシングにおける鉄割アルバトロスケットのようなことをやろうとしたのかもしれないが、ネタ的にはかなり弱いし、最後の群舞もいまいちだった。

岡崎藝術座はいったい何をやろうとしていたのだろう。宇宙時代のロックコンサート?作品として目指しているところがまるでわからないので、はたして目指したところまで到達したのかどうかの判断もつかない。出演は大重わたる、夏目慎也、島田桃衣。

冨士山アネットは前回に次いで二度目。演劇的なやりとりからダンス的な動きへと移行するのが一つの特徴みたいだけど、こういうのは水と油とかCAVAとか、ほかのマイムのカンパニーがもっと巧みにやっている気がするので、パフォーマンスとしてはちょっと物足りない。
キミ☆コレ~ワン・サイド・ラバーズ・トリビュート~ 

キミ☆コレ~ワン・サイド・ラバーズ・トリビュート~ 

シベリア少女鉄道

タイニイアリス(東京都)

2010/01/06 (水) ~ 2010/01/17 (日)公演終了

同時代の楽しみ
2002年に王子小劇場で上演された「耳をすませば」でシベリアデビューして以来、これが16本目の観劇。正直なところ、最初の衝撃を上回る作品には未だに出会っていないというのが実情だが、それでも新作が発表されるたびに劇場に足を運んでしまうというのは、やはり私がシベリア少女鉄道の魔力(というか呪い)の虜になっているからかもしれない。

基礎知識というか、元ネタがわかっていないと楽しめない内容だった。作者の土屋亮一は私よりもずっと若く、作品によっては世代的なズレを感じることもあるのだが、今回はどうにかついていくことができた。私がシベ少を見なくなる日がくるとすれば、それはたぶん作品の劣化ではなく、ジェネレーション・ギャップが致命的になったときだろうと思う(不慮の事故とかは別にして)。

ネタバレBOX

漫画家の仕事場を舞台にした日常的な描写。舞台装置はけっこう写実的で、その後の突拍子もない展開を予感させるところはまるでない。一連の場面が反復されるうちに、有名なテレビドラマや漫画のワンシーンに見立てた台詞が追加され、それが一種のツッコミとして機能している。

ドラえもん、ガンダム、金八先生、古畑任三郎はわかった。料理関連は「美味しんぼ」かなにかだろう。北斗の拳もあったっけ。「天空の城ラピュタ」は未見。

反応のいい客は早々と気づいて楽しそうに笑っていたし、私もだいぶ遅れてからではあるが、徐々に楽しくなってきた。たぶん次回公演もまた見に行ってしまうんだろうなぁ。
『洪水 - massive water 』

『洪水 - massive water 』

指輪ホテル(YUBIWA Hotel)

イワト劇場(東京都)

2010/01/08 (金) ~ 2010/01/11 (月)公演終了

寅年に羊が兎になる
動物尽くしの寓話的なパフォーマンスだった。

ソロ作品とはいうものの、実は音楽担当のスカンクも重要なパフォーマーの一員だし、ほかにも扮装した3名の裏方さんが登場する。
罠にかかって命を落とし、体が腐敗しかけたウサギの死体に扮するのが羊屋白玉。片脚にスケート靴。野菜などを乗せたカートを押しながら現われる。「羊屋ここに眠る」と英語で書かれた白い墓石も積んでいる。それがまな板に早代わりすると、もう一つのスケート靴のエッジが包丁になって野菜を刻む。出来上がったサラダは最前列の観客にふるまわれた。「食べて」といわれるだけならまだしも、「全部」となるとさすがにあの量では無理だろう(笑)。植物の蔓で編んだ輪がウサギを捕らえた罠ということになっていて、これもカートのサイドにいくつか吊るしてある。舞台下手の天井付近から木の枝が伸びていて、そこへ輪投げの要領で輪っかを何度も投げ上げる。ナレーションがときおり効果的に響く。「生きているときの意味なんて、死んでからでなければわかりゃしない」というのは私の勝手な意訳だが、そんなふうな意味のことをしゃべっていたような気がする。
プログラムの解説によると、序盤のこの場面だけが最初に作られたそうで、残りの部分はあとから追加されたらしい。序盤に限っていえばたしかにソロ作品だといえるし、面白かったのも実はこの序盤だけだったかもしれない。

後半では蚊帳のような薄い幕が舞台奥に広がって、そこに映像が写し出される。蜘蛛が巣を張り、それに蝶が捕まり、それが蛙に食べられ、今度は蛇がそれを飲み込み・・・という食物連鎖を描いた映像が面白かった。これも動物づくし。この映像がなければ作品的にはかなり凡庸なものになっていたかもしれない。

段取りの悪さは承知の上、ゆるいパフォーマンスも確信犯という感じだった。

あたしちゃん、行く先を言って-太田省吾全テクストより-

あたしちゃん、行く先を言って-太田省吾全テクストより-

川崎市アートセンター

川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)

2009/07/03 (金) ~ 2009/07/05 (日)公演終了

聴覚的実験
役者が独特の台詞回しをするのが特徴の劇団、地点の新作。とはいっても今年の5月、7月、9月、来年の1月と、場所を変えながら作っていく感じなので、今回はその途中経過、あるいはワーク・イン・プログレスといったほうがいい。

それでも美術はかなり本格的に作られていて(by杉山至+鴉屋)、これは今後もそのままなのか、どうなのか。どんな美術だったかについては、とりあえず百聞は一見に如かずということで、ここでは説明を省略。

今回は太田省吾の全テクストから抜粋したという断片的な言葉を使っている。以前に見たチェーホフ作品との比較でいえば、今回はドラマとしてのまとまりもなくなっているので、役者の発する台詞を聞いていてもストーリーは浮かんでこない。

それでも日本語なのでいちおう言葉の意味はわかる。「ゴジラ」とか「お父さん」とかいっていた。ただ脈絡のない言葉群に耳を傾けていると、脳みその中でたぶんスイッチの切り替えが起きるのだろう、やがて言葉の意味にいちいち反応しなくなり、役者の動きとか照明の変化とか、声の響きや調子へと集中の矛先が移るようだ。中には意味を失ったせいで眠気に襲われる客もいたようだが。

劇場でもらったパンフの中で、演出家の三浦基がこう書いている。
「せりふを発することは、たとえば、歌をうたうこととは違うのだろうか?というようなことを私はよく考えます」

地点の芝居を見たことがある人ならわかると思うが、この劇団の役者は普通の芝居とはかなり異なったしゃべり方をする。通常の芝居では役者の解釈に基づいて、登場人物の感情にもっともふさわしい台詞まわしが採用されるのに対して、地点の場合は、感情表現というものをまるで無視したようなしゃべり方をする。

視覚面でテキストから飛躍したことをやっている劇団はそれなりにあるが、聴覚面で実験的なことをやっているのはここがピカイチだろう。今後も要注目。

アンチクロックワイズ・ワンダーランド

アンチクロックワイズ・ワンダーランド

阿佐ヶ谷スパイダース

本多劇場(東京都)

2010/01/21 (木) ~ 2010/02/14 (日)公演終了

難解
プレビュー初日とはいえ、役者陣の演技は安定していて、すでに芝居は出来上がっている感じ。
しかし、なかなか難解な内容なので、これからご覧になる方は、体調を万全にととのえてのぞんだほうがいいと思う。
疲れ気味の私は途中でちょっと集中力がぐらついてしまった。

ネタバレBOX

イギリス留学からもどっての第1作目という点に注目したのだが、留学前の最後の作品「失われた時間を求めて」ですでに作風の変化は現われていたわけで、今回はその方向性をさらに推し進めたかたち。一筋縄ではいかないメタ構造は一回見ただけではちょっと歯が立たない。

SF作家の筒井康隆が書いた実験性の高いメタフィクション、たとえば「虚人たち」なんかを連想した。
インコは黒猫を探す

インコは黒猫を探す

快快

シアタートラム(東京都)

2010/01/20 (水) ~ 2010/01/22 (金)公演終了

リニューアル
初演の王子小劇場と今回のシアタートラムでは舞台の広さが違うので、内容的にもかなり変わるのではないかと思っていたのだが、プログラムに載っていた演出・振付の野上絹代の挨拶文を読むと、今回は完全リニューアルだという。

私自身はどうしても初演版との比較で見てしまうので、今回はそれほどヘンテコさを感じなかったが、これを初めて見る人はどんな感想を持つのだろうか。そっちのほうがむしろ気になる。

ネタバレBOX

漂流舞台と呼びたくなるような、移動式の舞台が使われていた。この移動式舞台の大きさが、初演時の王子小劇場の舞台サイズだと思っていいのではないだろうか。初演では、戸外やダンスの場面も同一の舞台で展開したが、今回はスペースに余裕があるので、移動式舞台はインコを飼っている青年の部屋という設定に限定して、戸外やダンスの場面では、いったん移動式舞台を後方へ移してから、舞台前面の空いたスペースを使っている。
この移動式舞台の扱いが初日のせいかけっこう面倒そうで、段取り的にもたつくところがあった。

プログラムの挨拶文によると、演出・振付の野上は今年の3月に出産を控えているという。初演では顔を黄緑色に塗った彼女が主役級の活躍をしたのだが、今回は残念ながら出演していない。彼女が演じたパートは、今回初めて見る黒木絵美花という人が担当している。野上同様になかなかダンスがうまい。とても魅力的だということは、本人が劇中で熱心にアピールしているから、たぶん間違いないだろう(笑)。

快快の肉体派といえばまっさきに思い浮かぶのが山崎皓司。そして今回はもう一人、板橋駿谷という役者も出演している。肉体派は同時に「汚れ役」でもあるようだ。

テキスト担当は篠田千明。快快の作品にはチェルフィッチュの影響を感じることがままあるのだが、今回も客席に向かって語りかけるところなどは特にそう思う。青年の部屋に仲間が集まって、酒盛りをしたり、シフォンケーキを作ったり、ゴキブリを退治したりという話の大筋は初演と同じ。ただ、終盤のまとめ方がすっかり変わっている。記憶がだいぶ曖昧になってしまったが、初演ではたしか、原子力発電所の事故によって放射能汚染が起きるという展開だったはず。今回のはそういう破滅的なシナリオではない。2006年の初演時にはたぶんまだ世の中になかっただろうツィッターの話題なども取り込まれている。

午后は、すっかり雪

午后は、すっかり雪

青☆組

アトリエ春風舎(東京都)

2009/12/03 (木) ~ 2009/12/13 (日)公演終了

昭和の男尊女卑
プログラムに載っている作者のあいさつから察するに、向田邦子へのオマージュということらしい。若い作者は昭和39年ごろの時代の空気なんて知らないと思うけど、本や映像から想像を働かせたのだろうか。


ネタバレBOX

比較的シンプルな舞台装置で、時代や場所を交錯させながら描いている。一人の役者が別の役を演じたり、同じ役者が大人と子供時代の両方を演じたりしているが、こういう演劇的な趣向は、観客を鮮やかにだましてサラッと種明かしするのを理想だとすれば、今作ではどうもいたずらに混乱を招いて話をわかりづらくするだけに終わっているような気がする。
こういう技巧的な作品を書かせたら青年団の工藤千夏が一枚上
アナニアシヴィリ「ロミオとジュリエット」/「ジゼル」

アナニアシヴィリ「ロミオとジュリエット」/「ジゼル」

朝日新聞社

東京文化会館 大ホール(東京都)

2010/03/03 (水) ~ 2010/03/05 (金)公演終了

ジゼル月間
今月はバレエ作品「ジゼル」を3本見る予定で、これがその1本目。演じるのはグルジア国立バレエのニーナ・アナニアシヴィリ。1963年生まれで、今月末には47歳になる。同い年のアレッサンドラ・フェリは3年前に引退したし、本人も長年在籍していたアメリカン・バレエ・シアターを去年退団して、故国グルジアのバレエ団に籍を移して指導的な立場で貢献するつもりらしい。彼女がグルジアではなく、ロシアの生まれだったら、もうとっくに引退していたかもしれない。
今回の来日公演では「ジゼル」と「ロミオとジュリエット」のヒロインを演じる。チラシのうたい文句にはどちらも「日本最後の」という文字が踊っている。ジゼルもジュリエットも考えてみれば10代の娘の役なので、特に出産を経験して体つきがふっくらとした彼女が演じるにはちょっと無理があるのだが、もともと好きなダンサーなので、見られるうちに見ておこうという思いで、とりあえず高いチケットを買った。

ネタバレBOX

バレエ作品はいろんな人がいろんな振付をしているが、「ジゼル」はその中では比較的変化が少ないほうだと思う。今回の作品はそんな中で目に付く違いがいくつかあった。それも従来のものよりは悪い方向に変わっている。
後半はウィリという死霊の世界で物語が展開するのだが、そのウィリの首領であるミルタが登場する際、両足とも爪先で立って、舞台の袖から中央まで正面を向いたまま真横に移動して、舞台中央まで来ると直角に進路変更して、舞台前方までこれも爪先立ちのままで前進する、というのが見せ場になっている。ミルタを演じたのはラリ・カンデラキというダンサーだったが、彼女はそれをやらず、舞台の対角線上を爪先立ちで移動しただけだった。
もう一つ、ジゼルという作品で特徴的な振付として、ウィリの世界に新顔としてジゼルが加わる際、ミルタに導かれてキリキリと体を回転される場面があるのだが、これも省略されていた。
ほかにもジゼルに横恋慕する村の青年ヒラリオンというのが、プログラムでは森番のハンスという名前に変わっている。もともとバレエには台詞がないから、どういう名前であってもかまわないとはいえ、なぜプログラムでだけわざわざ名前を変更したのかが謎だ。それと、演じるイラクリ・バフターゼという人の顔つきはどう見ても悪役だった。

もう一つ気づいた相違点は、前半でジゼルの恋人であるアルブレヒトが貴族という身分を悟られないために剣を小屋に隠すところ。従来の作品ではその小屋は無人のはずだが、今回は老婆が住んでいて、金をもらって剣を預かるという設定になっている。

ジゼルを除いて、後半に登場するウィリの数はミルタも含めてたしか25人。群舞に関しては日本のバレエ団でもっといいものを見たことがある。改悪されたとしか思えない今回の振付を見ていると、バレエ団の技量に合わせて踊りの難易度を意図的に下げたのではないかとさえ思えてくる。

前半は衣装のせいもあって、アナニアシヴィリの演じるジゼルがどうしても若い娘には見えず、踊りの技量以前に、見た目からくる配役的な無理を感じてしまった。後半はなんとか見られたけれど、「ジゼル」という作品については、彼女がもっと細身だったころに見たかったというのが正直なところ。動きの面ではそれほど年齢を感じなかったし、もともとフィギュアスケートをやっていてバレエにスカウトされたという彼女の踊りは、抜群のバランス感覚が下地にあるので、回転や爪先立ちは今でも非常に安定感がある。

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