マリンバの観てきた!クチコミ一覧

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---MESs---メス---

---MESs---メス---

Dance Company BABY-Q

リトルモア地下(東京都)

2009/06/12 (金) ~ 2009/06/14 (日)公演終了

満足度★★★★

この人を見よ
去年10月のシアタートラムでのソロ公演から半年ぶりに見た。東野祥子のソロダンス。あのときは怪我で公演が中断してしまったが、私は初日に出かけたので見ることができた。幸い怪我は回復して、その後まもなく踊り始めたが、今回もらったチラシをみると、英語で My head is a mess と書いてあるので、頭のほうはまだ問題を抱えているのかもしれない。
シアタートラムよりもはるかに小さな空間で、それでも従来通りのしなやかさをとりもどした彼女の体を間近に眺める約1時間。照明と音響が加わって、いつもながらの空間演出力を感じさせる。独特の体、独特の作品世界。

ネタバレBOX

前半はフルフェイスのヘルメットをかぶり、顔を見せない。照明はストロボを多用。衣装はシルバーっぽい袖なしのワンピース。カジワラトシオの音楽は以前にも聞いた通りのノイズ系。そういえばあのときも前半は全頭マスクをつけていた。いわば東野流の焦らしのテクニック。

前半はまた、これもカジワラが担当したのだろう不思議な照明を使っていた。夏の夜空に開く花火のような、といえばいいか。ちょっとミラーボール的な色彩だ。それをときどき照射する。一方、隅に立て掛けてあった全身大の姿見を東野が抱え、その照明を鏡に反射させて客席に送ったりもした。

後半はカジワラがステージの端に出没して、あれこれ装置をいじっていたし、映画「リング」に出てくる貞子のような黒髪のかつらで顔を隠し、ステージの下手奥に座ってたぶん即興だと思うが機械を操作して音を出していた。

上手の手前壁際に裸電球が床近くまで垂れていて、それを体で包むようにして暗転して終演。

たとえば地下の駐車場で車の急ブレーキ音が響き、突然ともった車のヘッドライトに照らされて、壁際に追い詰められた美女が浮かび上がる。サンペンス映画に出てきそうなワンシーンだが、東野の体は照明とあいまってそんな雰囲気をやすやすと作り出す。経歴にクラシックバレエが含まれていないのが意外に思えるくらい、しなやかさと強靭さを兼ね備えた体は、日本のコンテンポラリーダンス界でも傑出している。
奥様女中/ジャンニ・スキッキ

奥様女中/ジャンニ・スキッキ

ミラマーレ・オペラ

六行会ホール(東京都)

2009/10/08 (木) ~ 2009/10/12 (月)公演終了

満足度★★★★

オペラ@小劇場
オペラをナマで見るのはほぼ初めて。座席数が約250の小劇場で開催、という点に引かれた。それとクラシックのコンサートで2度見たことのある、ソプラノ歌手の國光ともこが出ていたのも決め手。
オペラ作品の上演時間は1本が2時間くらいだろうと勝手に思っていたが、この日の2本はどちらも1時間ほど。気軽に見られる手頃な長さだった。

ネタバレBOX

「奥様女中」は宮本益光という人による日本語訳詞での上演。これがものすごくわかりやすかった。やっぱり台詞の意味がメロディといっしょにダイレクトに伝わってこそ面白みが倍加するわけで、字幕をたよりに外国語の歌を聞くのとはずいぶんちがう。訳詞がよくこなれていたし、歌唱もしっかりしていたので歌詞が聞き取れないということもほとんどなかった。登場人物は主人、女中、下男の3人だけ。演じる松山いくお、國光ともこ、内田雅人はコミカルな芝居の演技がうまいのに感心した。もちろん歌もよかった。ただし下男役の内田は歌わないし、ほとんどしゃべりもしないのだが、それでも芝居心はちゃんと伝わってきた。話の筋は単純。女中が主人の心をつかんで奥様になる、その計略をコミカルに描いたもの。むしろ主人と女中のキャラクターの面白さで見せる。だからなおさら芝居の演技力が必要になる。この日本語版は2002年の初演後もちょくちょく上演されているらしい。

「ジャンニ・スキッキ」はプッチーニの作曲。劇中でジャンニ・スキッキの娘が父親に向かって歌うアリアが有名で、これだけは聞き覚えがあった。こちらは字幕付きの上演。日本語版を楽しんだあとなので最初はちょっと物足りなかったが、遺産相続をめぐって欲深い連中が右往左往するという設定がわかりやすかった。恋人たちと死体のほかはみんな強欲な連中ばかり。主人公がそのいちばん上をいく悪い奴。公演期間中、日によってキャストは替わるのだが、この日のタイトルロールは折河宏治。恋人たちは鷲尾麻衣と村上敏明。

小さい劇場ながらもちゃんとオケピを設けて、十数人編成の室内アンサンブルが生演奏した。これは非常に贅沢な感じ。
バットシェバ舞踊団『MAX マックス』

バットシェバ舞踊団『MAX マックス』

彩の国さいたま芸術劇場

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)

2010/04/15 (木) ~ 2010/04/17 (土)公演終了

満足度★★★★

面白さもマックス
3日間公演の真ん中に見て、見終わったとたんにまた見たくなったので、翌日の楽日にも見てきた。

ダンサーは男女5人ずつ。中身の濃い1時間。

客席側からの青みがかった緑の照明と、舞台両サイドからの朱色がかった赤い照明が、歓楽街のネオンを思わせる不健康な色でダンサーの体を染める。

前回の「テロファーザ」ともだいぶ趣が違う。音声もいくらかは入るが、無音で動く場面もけっこうある。

独特の動き。ダンスとはなんぞや、みたいなことを考えさせられたという意味で、久々に頭を刺激する作品。もちろん普通にダンスとして眺めても面白かった。

ネタバレBOX

終盤で、1から10までを外国の言葉でカウントする声に合わせて、ダンサーが踊るところがある。数え方は「1」「1、2」「1、2、3」というふうに、数えるたびに数字を一つ増やしていき、最後に1から10まで数えたところでまた「1」にもどるというもの。
いっぽうダンサーは、10個の数字に対応する10通りのポーズ(静止した状態での体のフォルム)を用意していて、カウントされる数字にしたがってそれに対応するポーズを次々に決めていく。

この一連の動きを見ていて感じたのは、この作品でオハッド・ナハリンがやっているダンスの振付が、通常のものとはちょっとちがうのではないかということ。

ダンスの振付というと普通は体のいろんな部位をどういう方向に、どういう速度で動かすかを決めることのように思うが、極端な話、ナハリンのこのダンス作品の場合は、10個のポーズさえ決めれば、あとはカウントするスピードに合わせてそれをつなげるだけで、ダンスの振りとして成り立っているように思えるのだ。

2つの点を決めればその間に引かれる直線はおのずと決まる。通常の振付がどこへ線を引くかを考えることだとしたら、ナハリンの振付はむしろどこへ点を打つかが重要なのかもしれない。

その応用編として、たとえばダンサーがジャンプする場合は、空中でのポーズと、ジャンプの前後の着地点という3点を決めればいいわけだし、回転運動の場合は、上下左右あるいは前後左右の4点を決めれば、あとは体にもっとも負担の少ない、効率的な線がおのずと生まれてくる。
コルテオ

コルテオ

CIRQUE DU SOLEIL

原宿・新ビッグトップ(東京都)

2009/02/04 (水) ~ 2009/05/05 (火)公演終了

満足度★★★★

満喫
「劇団どくんご」という、テント芝居で全国を巡る劇団を去年初めて見て、珍しい上演形態だと思ったんだけど、考えてみたらテント小屋での上演というのは演劇よりもむしろサーカスのほうが本家かもしれない。
原宿の特設会場で上演されるシルク・ドゥ・ソレイユの公演も、テントとは思えない立派なつくりではあるが、公演が終わると跡形もなく消えてしまうという意味ではサーカスの伝統?を守っている。
過去に「キダム」「アレグリア2」「ドラリオン」と見てきてこれが4度目。座席はなるべく前で見るようにしている。ピエロは出ないが、それに近いコミカルなキャラターは毎回いて、彼らにいじられる危険があるのが難点といえないこともないが、やはり超人的なパフォーマンスを味わうにはなるべく距離は近いほうがいい。

ネタバレBOX

これまでに見たものは、基本的にはステージの三方を客席が囲むかたちだった。しかし今回は中央の円形ステージの両端から花道が延びているので、客席はステージによって二分割されている。幕も両側に垂れている。
小人の婦人が巨大な風船に吊られて旅するところでは、公平にという配慮からか、両方の客席を訪問した。一方では大男も登場させてサイズに変化をつけている。全体の幻想的な雰囲気とあいまって、そのあたりにフィリップ・ジャンティ・カンパニーとの共通点を感じた。カーテンコールの際、黒装束のスタッフが紹介されるところなども。
ファンタジックな設定があって、不思議国の住人たちが登場するというのがこれまでの3作の特徴で、登場人物たちの衣裳やメイクが凝っていた。今回もファンタジー調の設定は同じだが、少し違うと感じるのは、主人公らしき男が天国に召される際に見る走馬灯のごとき幻想を描いている点だろう。あの世やこの世の住人という人物設定のようだから、メイクなどは過去の3作に比べるとそれほど奇抜なものではなかったように思う。
しかしなんといっても中身はサーカスなので、すぐれたパフォーマンスがなければいろんな演出は生きてこない。

というわけで、たいへん満足のいく内容でした。一度は見ておいたほうがいいと思います。それもなるべく前で。


ボス・イン・ザ・スカイ

ボス・イン・ザ・スカイ

ヨーロッパ企画

青山円形劇場(東京都)

2009/06/17 (水) ~ 2009/06/28 (日)公演終了

満足度★★★★

見上げたもんだ
初日観劇。期待通りに楽しませてもらった。
この劇場の円形舞台をきちんと使ったうえで、見づらさ、聞きづらさから来るストレスをほとんど感じさせなかったのが素晴らしい。さすがは理系の劇作家、上田誠の面目躍如。ここ何作か、長田佳代子という人が美術を担当するようになって、そっち方面がかなりグレードアップしたのも大きい。

開演前に座席にすわって、舞台のセットを眺めながら、どんな話になるのだろうと想像をめぐらすのも楽しい時間。ゴキブリコンビナートの「ちょっぴりスパイシー」という作品の舞台装置を思い出したのは私だけだろうか。

ネタバレBOX

変則的というか、オフビートなファンタジー作品だ。本来はもっとカッコイイはずの集団が、時代の流れに逆らえず、斜陽産業の悲哀をかこっているという設定が非常に面白い。

全国ツアーの最終ということで、役者陣の演技も安定していた。
In The PLAYROOM

In The PLAYROOM

DART’S

ギャラリーLE DECO(東京都)

2010/04/27 (火) ~ 2010/05/02 (日)公演終了

満足度★★★★

凝りに凝ってる
昨年12月の初演から4ヶ月ぶり。劇場でもらったプログラムの挨拶によると、今回は再演ではなく追加公演だという。そのココロは、劇場も出演者も初演と同じだから。確かに4ヶ月後、同じ会場、同じ面子でやるのは演劇の場合むずかしいもんね。
なにはともあれ、観られてよかった。
DART’Sという劇団の第1回公演。作・演出は広瀬格という人(要注目)。役者の演技もよかったし、なによりも凝りに凝った脚本がすごい。
複雑な設定、不思議な構造、そんな芝居が好物の人にはオススメかも。
具体的な内容に触れるのは体力的、能力的にシンドイので、興味のある人はとりあえず観てほしい。

(観劇上の注意として、トイレが一つしかないので、なるべく外で(別に屋外でという意味ではない)済ませてきたほうがいい。初日は寒い日でトイレ待ちの行列ができて開演がちょっと遅れたりしたので)

モリー先生との火曜日

モリー先生との火曜日

加藤健一事務所

本多劇場(東京都)

2010/06/03 (木) ~ 2010/06/15 (火)公演終了

満足度★★★★

数年ぶりのモリー先生
原作のノンフィクションは過去に2度、それもかなり時間を空けて読んでいる。今回の舞台版を含めると、数年に一度はモリー先生の話に接していることになる。原作が出版されたのが1997年。
こういうポジティブな心を持った人物が現代にもいるということがすばらしい。死ぬまでに一度は、モリー・シュワルツという人物の人となりに触れてみるのも悪くないのではないだろうか。
教師と生徒の物語といえば、最近では湊かなえの「告白」なんていう怖い話もあるが、もともとは感動的な内容のものが多い。この作品もそういう伝統に則っている。

加藤健一事務所の翻訳劇を見るのは久しぶり。レイ・クーニーやマルク・カモレッティなどコメディ作品をやっているころはよく見ていた。
最近は感動的な作品が増えたような気がするが、かといってそのせいで足が遠のいたわけでもない。
久しぶりに見た今回は、翻訳劇を親しみやすく見せるという点で、やはりここはほかの劇団よりも一歩抜きん出ていると感じた。


「ロメオとジュリエット」「令嬢ジュリー」

「ロメオとジュリエット」「令嬢ジュリー」

谷桃子バレエ団

新国立劇場 中劇場(東京都)

2009/07/04 (土) ~ 2009/07/05 (日)公演終了

満足度★★★★

文芸バレエ
バレエを見始めてまだ日は浅いのだけど、チケット代が安ければもっと見たいと思っている。文字通り、バレエは高値の花だ。
谷桃子バレエ団は今年が創立60周年だという。見るのはこれが4度目くらい。そのうちの2回は団員による創作バレエの発表会だった。BATIKの黒田育世が所属していたこともあり、古典だけでなく、創作ものにも熱心なカンパニーなのかなという印象がある。
今回はスウェーデンの女流振付家ブリギット・クルベリ(1908-1999)の作品を2本立てで上演。彼女の名前は今回初めて知ったが、スウェーデンではバレエ・カンパニーにその名前が冠せられているくらい有名な存在らしい。現在も振付家として活躍しているマッツ・エックが彼女の息子だったというのには驚いた。
上演された2本はどちらも有名な戯曲が原作。一つはシェイクスピアの「ロメオとジュリエット」、もう一つはストリンドベリの「令嬢ジュリー」。言葉そのものといっていい戯曲を、言葉をまったく使わないバレエに置き換えるのは、ある意味で乱暴な行為だと思うけれど、実際にはドラマ性がより濃厚なほうが、無言のダンス表現では観客に内容がよく伝わるようだ。

「ロメオとジュリエット」は芝居だと2時間以上はかかるはずだが、バレエ作品では約1時間に収まっている。舞台装置はまったく使わず、照明と衣装による色彩の変化だけで雰囲気を盛り上げている。対立するキャピュレットとモンタギューを青と赤で色分けし、そのなかでジュリエットだけは白い衣装を着ている。シェイクスピアの芝居を観客が知っていることを前提にしているとはいえ、鍵となる10の場面をダンスで演じることによって、「ロメオとジュリエット」の物語をわずか1時間で観客に伝えてしまうというのはすごいことだと思う。ソワレで主役の二人を演じたのは永橋あゆみと齊藤拓。ともに好演。

「令嬢ジュリー」はストリンドベリが1888年に発表した戯曲をクルベリが1950年にバレエ化したもの。上流階級の女性と使用人の関係を軸にしているところは「チャタレイ夫人の恋人」を連想させる。発表当時は大胆な内容がバレエ界では相当話題になったらしい。(スウェーデン映画がハードコアなポルノ映画の代名詞だったなんてことは、今の若い人には想像もつかないだろうなあ。)1本目の「ロメオとジュリエット」とは違い、こちらは舞台装置を場面ごとに転換させていく。しかし悲劇的な内容にもかかわらず、色彩が派手なのはどちらにも共通している。こちらの主役二人は髙部尚子と三木雄馬。こちらも良かった。

クルベリの振付は、音楽のリズムに合わせてマイムを演じるせいか、どことなく人形振りを感じさせるところがあった。バックのダンサーをストップモーションで静止させて背景化するのも特徴的だった。


ろじ式〜とおくから、呼び声が、きこえる〜

ろじ式〜とおくから、呼び声が、きこえる〜

維新派

にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)

2009/10/23 (金) ~ 2009/11/03 (火)公演終了

満足度★★★★

屋台は終演後も1時間ほど営業
維新派を見るのは6年前に新国立劇場中劇場で上演した「nocturne」以来。このときは良い印象を持たなかった。2年前に埼玉でやった「nostalgia」もチケットは取っていたのだが、開演時間を間違えて見られなかった。この劇団とはどうも縁がないなと思いつつ、2度目の観劇となる今回は、内橋和久の音楽に気持ちよく反応できたので、台詞のある歌の部分も、台詞のないダンスの部分も飽きずに最後まで楽しめた。ドラマとしてではなく、あくまでもソング&ダンスの音楽ショーとしての面白さだった。これがいわゆるジャンジャンオペラってやつ?

ネタバレBOX

会場がかつて学校だったからだろうか、理科室の雰囲気のある美術がとてもいい。ただし労働者も出てきたりするから、必ずしも学校という設定ではないようだ。
SHE-彼女

SHE-彼女

KARAS

川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)

2009/11/20 (金) ~ 2009/11/29 (日)公演終了

満足度★★★★

見ごろ食べごろ
勅使川原三郎のカンパニー、KARASのメンバーである佐東利穂子のソロダンス。上演時間は1時間弱。ソロダンスの公演では普通の長さだが、これだけの運動量というかダンス量のある公演はちょっと見たことがない。それだけでも見る価値充分。
公演は11月20日から23日までまず4回踊った後、3日間休演して、27日から29日までさらに3回踊る。全7回という公演数もソロダンスとしてはかなり多い。
ダンサーとしての力のピークがどの辺にあるのかはわからないが、ものすごく充実した時期にあることは間違いない彼女のダンスは、今がまさに旬。ダンス好きならこれを見逃す手はない。

ネタバレBOX

最前列のド真中で見たが、ここは特等席だった。4メートルくらいの距離を隔てて、彼女のダンスを差し向かいで眺める瞬間が何度かあった。体は細身で長身。プログラムにはdance:佐東、direction:勅使川原としか書いていないので、誰の振付なのか、あるいは即興なのかは定かでないが、腕全体をしならせるように動かすところは過去に見た勅使川原ダンスの特徴が感じられる。
冒頭には戸外で踊る彼女の映像が映画館なみのスクリーンサイズで舞台奥に映し出された。風や光、空気や地面といった周囲の自然に同化、同調しながら動く、これも過去に見た勅使川原ダンスの基本方針を提示しているように思える。
映像の終了とほぼ同時に本人が舞台に登場。ビートの効いた騒音とでもいうか、それに合わせて体が激しく動きだす。全身の緊張をほぐすように体を盛んに揺するので、両腕はまるでゴムになったように上下左右前後にぐにゃぐにゃと動く。首の力も抜けているので頭もぐらぐら。それでいて、体はちゃんとビートに反応していて、足もステップを踏んでいるように感じられる。
出だしのこの何分間かのダンスだけでもその運動量に圧倒させられた。そのあともずっと彼女の動きを目で追いながら、ふと照明の効果を感じたり、いつのまにかダンスの特徴について考えたり。目の前の刺激への直接的な反応とそれについての物思いが交錯するダンス鑑賞に特有の時間が流れた。
できればもう一度見たいのだけど、残念ながら時間の都合がつかない。


タルダンス・カンパニー/ムスタファ・カプラン-フィリズ・シザンリ「DOLAP」 / 鈴木ユキオ/金魚「犬の静脈に嫉妬せず」

タルダンス・カンパニー/ムスタファ・カプラン-フィリズ・シザンリ「DOLAP」 / 鈴木ユキオ/金魚「犬の静脈に嫉妬せず」

ダンストリエンナーレトーキョー

青山円形劇場(東京都)

2009/10/04 (日) ~ 2009/10/04 (日)公演終了

満足度★★★★

地震国のダンス
ダンストリエンナーレの第8弾は、トルコと日本の作品の2本立て。
トルコとコンテンポラリーダンスという言葉の組合せがそもそも矛盾しているのではないか、と冗談をいいたくなるくらい、今回のフェスティバルではいちばん異色というか、単純にいって珍しさを感じる作品。
もう1本は初演を見たことのある鈴木ユキオ振付作品の改訂版。
両者の内容に共通点は感じられなかったが、結果的にはどちらも面白かった。

ネタバレBOX

トルコからはタルダンス・カンパニーの男女二人が出演。タイトルは「Dolap」。初演は9年前にパリで。大型冷蔵庫サイズの直方体の箱が重要な役割を果たす。要するに、人間2人と箱1個によるコンタクトだと思えばいい。
出演する二人の衣裳は裾が短めのズボンと半袖のシャツ。それにニット帽の縁をひとつ折り返してかぶっている。
開演して登場すると、端に寝かせてあった箱を中央に移して立てる。箱を挟んで二人は、互いの足が箱の方を向く形で、直線上にあお向けに横たわる。そのままならただ人も箱もじっと静止しているにすぎない。そこでまず、一人が横たわる前に箱を、先に横たわっている相手の方へゆっくりと倒す。倒したほうもすぐに横になる。すると、傾けた箱はそのまま反対側の寝ている人間に向かって倒れていく。体が箱の下敷きになる寸前に、相手は両足を上げて倒れかかった箱をキャッチする。そして今度は相手のほうへ箱を蹴って倒す。これを交互に続ける。
次はいったん両足で箱をキャッチしたあと、数十センチほど体を移動させてからまた箱をキックする。倒れる位置が少しずれたので、相手も数十センチ移動しないと箱をキャッチできない。
最初は二人の間を箱がメトロノームの振り子のように行き来していたが、今度は、常に反対側にある時計の針のように、箱を中心点にして二人がその周囲を回り始めるのだ。その間も仰向けに横たわったままで箱はキックしている。
次は一人が箱を両足でキャッチした瞬間、もう一人が跳ね起きて、傾斜したまま止まっている箱の上に乗りかかる。バランスよく形が決まってところで元の位置にもどり、今度は立場を逆にする。
その後も次々といろんな動きが繰り出すのだが、派手ではないものの妙に意表をつく動きの連続で、最後まで面白く見た。中盤ではそれぞれがソロで演じるパートもあった。
演じる二人は生まじめに黙々とパフォーマンスをこなしていく。その雰囲気がどことなく神村恵カンパニーのミニマルな作品と似ている気がした。動きそのものよりも、取り組む姿勢が。
出演者二人の経歴を見ると、男性のムスタフォ・カプランは大学で電子工学と電気通信学を学び、女性のフィリズ・シザンリは工業大学の建築学部を卒業したとあり、ともに理系のインテリだという点が興味深い。さしずめこの公演は「重さとバランスに関する調査研究」だったのかもしれない。

鈴木ユキオの「犬の静脈に嫉妬せず」は3年前にこまばアゴラ劇場でやったのを見ている。とても好きな作品だったので、また見られるのが楽しみだったのだが、出演者の人数が減っているうえ、美術もすっかり違うものになっていたのがちょっと残念だった。ただし、見覚えのある振りはちゃんと残っていた。客席に向かって遠投するところとか、胸板を叩きまくるところとか、ワイシャツの襟元や裾を開けて相手に誇示するところとか。
出演者4人のうち、安次嶺菜緒と鈴木はよく体が動くぶん、動物的というか獣的な印象が強い。あの引きつったような動きを見ていると、いつのまにか自分の指にも力が入っていたりする。共演は川合啓史と寺田未来。
VACUUM ZONE

VACUUM ZONE

Dance Company BABY-Q

シアタートラム(東京都)

2010/03/05 (金) ~ 2010/03/07 (日)公演終了

満足度★★★★

リヴェンジな再演
公演中に怪我をして、中断された因縁のある作品の再演。私は幸い初日に出かけたので前回も見ることができたし、忘れていた部分も含めて、今回は初演以上に面白かった。

挑発スタア

挑発スタア

イデビアン・クルー

にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)

2009/08/20 (木) ~ 2009/08/25 (火)公演終了

満足度★★★★

家族の肖像
初日に見る。期待通りというか、期待以上に面白かった。
かつては学校の体育館だった会場。バスケのゴールが一つ残っているのがご愛嬌。誰かが途中でシュートを打つかと思ったが、それは考えすぎだった。
演劇の場合は、客席を二手に分け、その間のスペースで演技を行うというのはときどき見るが、ダンス公演でそういう形のものを見たのはたぶんこれが初めてだ。そしてそれが非常に面白い効果をあげていた。舞台中央には長方形の大きなテーブル。出演者14人が並んですわっても充分な余裕がある。このテーブルを中心にダンサーたちが回りながら移動すると、ちょうどスタジアムのフェンス際の席にいて、スポーツ選手が間近に来たときのような臨場感、ワクワク感が味わえる。その意味では今回特に、最前列の席がおすすめ。

またカンパニーのツートップといっていいかもしれない井手茂太と斉藤美音子のパ・ド・ドゥも見もの。いままで意外とあるようでなかった気がする。

ネタバレBOX

このカンパニーのダンス作品は、人物や場所の設定がけっこうはっきりしていて、コンテンポラリーダンスの中では親しみやすい雰囲気を持っている。以前、「排気口」という日本旅館が舞台のダンス作品をやったときには、登場人物たちの相関図をパンフに載せていたくらい。
今回もそういうドラマ的な要素が強く感じられるので、ダンサーの衣裳や振る舞いから受ける印象にもとづいて、状況設定を自分なりに想定してみた。
登場人物にいちいち名前を考えるのは面倒なので、ダンサーの名前をそのまま使わせてもらう。

時代は日本の戦前。根拠は舞台の端の2箇所に立っている古めかしい街灯。場所は富豪の邸宅の食堂。大きな食卓が鎮座している。
屋敷の当主は小山達也。裸一貫から出発して一代で現在の富を築いた。近頃はいくぶんボケも見られるがまだまだ見くびったものではない。彼には病没した前妻との間に3人の娘がいる。上から、美音子、朋子、なぎさ。次女の朋子は新婚で、夫は松之木。また後妻である今日子との間にも幼い2児がある。名前は亮介と奈実。そしてもう一人、達也が妾との間に設けた子供で、現在は成人して軍人になっている達哉。
そのほか、小山家に出入りする人物としては、達也の妹で出もどりの留美子、書生の原田、達也の秘書の金子、メイドの東、執事の井手がいる。

事件というほどのものは何も起こらないのだが、3組の恋愛模様がダンスに花を添えている。一つは新婚の朋子と松之木で、そのラブラブさ加減は周りの者にとっていささか暑苦しいほど。あとの二つには執事の井手が絡んでいる。この男がなかなかの女たらしで、結婚を餌にメイドの東をたぶらかす。傷心の彼女の前に現われるのが軍服姿もりりしい達哉。二つめはこの二人の純愛。そして三つめは、長女でオールドミスの美音子と執事井手との背徳感あふれる関係。良家の令嬢と使用人の色模様とくれば、先日見たばかりのバレエ作品「令嬢ジュリー」がいやでも浮かんでくる。

わが世の春とばかりに、食堂の端に設けられた舞台で当家の主が踊り、丸山圭子の「どうぞこのまま」に乗って、全員が食卓で踊るラスト。だが彼らのそんな希望をあざ笑うように、軍国主義の流れが小山家全体を飲み込んでいくのだった。

ドラムストラック drumstruck(再来日)

ドラムストラック drumstruck(再来日)

ホリプロ

天王洲 銀河劇場(東京都)

2009/08/18 (火) ~ 2009/08/31 (月)公演終了

満足度★★★★

太鼓を叩いた
ヘタなりに思いっきり叩いてきた。子供連れの家族も目立つなか、左右には年配の夫婦と黒人の親子がすわっていて、どちらもそれなりにテンションを上げて叩いていた。上演時間は1時間20分。

ネタバレBOX

720席にそれぞれアフリカの太鼓(ジェンベ)が置いてあり、パフォーマーの指示を受けながら観客全員が演奏に加わる。ほかにも手拍子や歌でも参加するし、終盤には一部の観客にシンバルやトライアングルやシェイカーなどを配って、これも演奏の一部になる。
「STOMP」という同じくパーカッションの音楽ショーでも、客を巻き込む演出はあったが、こっちのほうが参加の頻度がはるかに高い。能で使う鼓のように、紐で強く張った皮を両手で目一杯叩くので、すぐに体が温まってくるし、うっすらと汗もかく。
クラシックのコンサートのように、咳払いの一つもはばかられるような張り詰めた雰囲気で音楽を聞くのも嫌いではないが、演奏の上手い下手を気にせずに、少々リズム感が悪かろうが、ノリだけで押し切ってしまうこういう観客参加型の演奏会も悪くない。夏バテと日ごろのストレス解消にはもってこいだ。
観客のそういう素人丸出しの演奏をしっかりと受け止める、演奏者たちはもちろん腕利きが揃っている。黒人の女性が3名、男性が5~6名。白人の男性が3名。そのうちの一人は一般客になりすまして客席から登場。徐々にその実力と正体を明かしていった。アフリカの民族楽器を使った民族舞踊的な演目が主体だが、楽器はYAMAHAのマークのある普通のドラムセットも使っていた。

チラシの写真では、装飾をほどこしたきれいな太鼓が客席に並んでいるが、実際に置いてあるのは全体が黒塗りでそれほど高価ではない、生徒が練習に使うようなタイプのもの。素人が叩くのだからそれで充分。工芸品のようなものを渡して壊されたらシャレにならない。ロビーでは1個3000円で販売もしていた。
シリタガールの旅

シリタガールの旅

本能中枢劇団

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/06/20 (土) ~ 2009/06/27 (土)公演終了

満足度★★★★

なにはともあれ、祝復活
ベターポーヅとの涙の別れから早2年近くが経つ。その涙もすっかり乾ききったころ、帰らぬはずの人が名前を変えてもどってきた。喜び勇んで初日に出かけたが、40席ほどの客席はどうにか満席という程度。自分の期待と世間の反応の温度差にやや戸惑う。
作者にとってはそれなりのブランクだから、今回はウォーミングアップという面もある。前半は短いやりとりを反復する変態シュールなコント集の趣き。後半は人物や状況の設定がそれなりに定まってくる。
さすがにここの芝居は誰にでもオススメというわけにはいかない。いってみれば、好きな人の、好きな人による、好きな人のための演劇。

ネタバレBOX

吉原朱美がソロで踊るときに流れる、ミディアム・テンポの「ハイスクール・ララバイ」が個人的にものすごくツボだった。あれは誰が歌っているのだろう。
孤天 第二回「ボクダンス」

孤天 第二回「ボクダンス」

コマツ企画

APOCシアター(東京都)

2009/12/03 (木) ~ 2009/12/07 (月)公演終了

満足度★★★★

孤独天国
コマツ企画の役者である川島潤哉による自作自演の一人芝居。その第2回公演だが、見るのはこれが初めて。
劇団の役者として活動してきた人が、ふいに自分でも脚本を書いて一人芝居を始めるというのはかなり珍しいケースではないだろうか。
脚本の書き手としてはまったくの未知数だし、あくまでも役者としての魅力に引かれて見に行ったのだけど、フタをあけてみると芝居の内容が予想外に面白かったのでちょっとビックリした。







ネタバレBOX

寝言で「ドストエフスキー!」と叫ぶ人はいるかもしれないが、くしゃみでそう言ったのはこの芝居のキャラクターがたぶん初めてだろう。
あたしちゃん、行く先を言って-太田省吾全テクストより-

あたしちゃん、行く先を言って-太田省吾全テクストより-

地点

吉祥寺シアター(東京都)

2010/01/22 (金) ~ 2010/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★

ウィキウィキ
1月25日に続いて、30日にも見てきた。
2回目の観劇のあと、受付で販売していた三浦基の著書「おもしろければOKか?現代演劇考」という本を買ってきて、ただいま熟読中。

ネタバレBOX

今回も実験性はあいかわらず。ひとりの作家の全テクストから抜粋したという20あまりのテクスト。その一つずつにおいて、ことなる実験をやっているようだ。過去に見たチェーホフ作品などは、一つの原作を使っているから、実験的とはいっても作品全体を一つのスタイルで捉えることができたが、今回は短いテクストをたくさん使っているので、実験もさまざまなスタイルが試されているということかもしれない。

芝居と音楽を対比して、テクストを楽譜、役者を歌手、だと考えてみる。
音楽では音の高低や長さ、強弱も楽譜に指定されているが、芝居のテクストにはそういうものはない。テクストの内容に忠実でさえあれば、声の高低や長さ、強弱は基本的には役者の判断にまかされている。
ただ、音楽の場合も、楽譜に指定されているからといって、音程はともかく、音の長さや強弱は歌手によって微妙な差があるし、いっぽう芝居の場合も発声についての指定がテクストに書かれていないからといって、役者が好き勝手にしゃべってはいない。

この作品は去年から今年にかけて4つの会場を移動しながら上演されてきたもので、今回がその最後になる。去年の7月に川崎で見たとき、プログラムに載っていた演出家、三浦基のあいさつ文によると、彼はせりふを発することと歌をうたうことに、それほど大きな違いはないかもしれない、と考えているようだ。つまり、楽譜にしたがって歌うにしても、脚本のせりふをしゃべるにしても、パフォーマーの体を通してしかテクストは音声化できないということだろう。

そこで、テクストを音声化する装置としてパフォーマーを捉えたとき、その新しい装置を使ってどんなことができるのかを好奇心いっぱいに試しているのが、今回の公演といえるのではないだろうか。

芝居でも音楽でも、複数の人間でやる場合は誰がどのパートを担当するかはたいがい決まっている。今回の上演においては、そういう枠組みもとっぱらわれているようだ。なにしろ使用されたテクストが断片的なので、一人一役というような配役はそもそも不可能だし。そしてテクストとパフォーマーの組み合わせのさまざまなパターンが試されている。

通常の音響装置なら配置したあとはそのままじっとしているが、テクストを音声化する装置としての人間は、声を出しながらもいろんな動きをする。そしてその動きが今度は音声化に影響を与える。なにしろ人間だから動いていれば息も切れるし、疲れも出る。

複数の装置によるテクスト音声化のいろんなパターンを試す。
次に装置にさまざまな負荷をかけて、それが音声化に与える影響を調べる。
以上の2点が、大雑把に言って、今回の実験の二本の柱ではなかっただろうか。







4.48サイコシス(演出:飴屋法水)

4.48サイコシス(演出:飴屋法水)

フェスティバル/トーキョー実行委員会

あうるすぽっと(東京都)

2009/11/16 (月) ~ 2009/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★

内なる狂気へようこそ
良い意味で、演劇作品に名を借りた美術作品ではないかと思う。サラ・ケインの原作は前にいちど、川村毅の演出で見たことがある。あちらは映像で東京の街並みを映し出したりして、それなりに凝った演出が面白かった。それとの比較でいうと、飴屋作品の場合は字幕のほかには映像を使っていないというのが一つの特徴かもしれない。映像を使うとそれだけでけっこうスタイリッシュな感じがするものだが、この作品では映像を使っていないので、美術面ではなんとなく手作りな感じがするのがいい。遊園地のお化け屋敷を体験するような感覚で、観客は眼前に展開する鬱病患者の狂気を目の当たりにする。

脚本は鬱病の末に自殺した劇作家の遺作。会話劇といえるものではなく、作者の独白に近い内容で、普通に演じたらたぶん退屈なものになるだろう。そのぶん演出家が腕を振るう余地のあるテキストなのかもしれない。
昔、二十歳で自殺した女子大生の日記がベストセラーになったことがある。サラ・ケインの場合もそうだけど、作者が自殺したということが作品の付加価値になっていて、もし作者が健在ならそれほど特別視される内容ではないのではないか、という気がしないでもない。
変な例えで申し訳ないが、この作品の作者がサラ・ケインではなく、もしも三谷幸喜とクレジットされていたら、観客はただもう、なんてひどい作品だろうと思うのではないだろうか?

そういったことはさておいて、美術と演出は一見の価値あり。

ウェルダン

ウェルダン

リトルモア地下

リトルモア地下(東京都)

2010/06/04 (金) ~ 2010/06/06 (日)公演終了

満足度★★★★

肉食系ダンス
モチーフは肉だった。肉食に始まって肉食に終わる60分。開演前から、ステーキ用の生肉が天井からいくつも吊り下げられている。上手にはコンロがあり、開演するとまもなく背中に負ったホットプレートをコンロに乗せて焼肉が始まる。

珍しいキノコ舞踊団のダンサー篠崎芽美による初のソロ公演。ダンスの作り手としては未知数だし、実をいうと公演案内チラシの絵柄(顔の上にステーキが載っているやつ)があまりにもグロテスクで、最初は見る気をなくしたのだが、公演が始まってみるとなかなか評判がいいようなので、急遽当日券で見ることにした。チラシによって公演を見る気になるというのはたまにあるが、チラシによって興味が萎えたというのは今回が初めてかもしれない。

しかし実際に見てみると、評判通りの面白い内容だった。彼女の顔の特徴である鋭くとがった顎。作品から感じられる独特の感性とも無縁でないように思えた。

舞台下手奥の隅にテントふうに張られた縦長の三角形の布。その上部から顔だけを出して歌いつつ、天井から下がっている肉をパクつくところから始まる。そのあと赤い布の下部の裂け目から下半身を現わすところでは、なんだか出産を連想させたりした。衣装は男子の体操選手が着るような白の短パンと袖なしのシャツ。鍛えられた体は実際、体操選手のように筋肉質だった。
一踊りした後、肉を焼きながらしばしトークが入る。ネットの検索で見つけたという「肉占い」についてあれこれと。こういうしゃべりを気軽に入れるところは珍しいキノコ舞踊団仕込みだろう。
そのあと開脚で床にうつぶせの状態から、自分の体を肉という物質として、ちょっと突き放した感じで探り始める。木の床に当たってペタペタと音を立てる手足の肉。皮膚に口をつけて息を吹きかけるとまるでオナラのようにブブゥと音が出る。ひざの裏や脇の下でも同様に音が出せる。自分の体を不思議そうに探るその感じは子供のころの感覚を思い出させる。

後半ではぬいぐるみをいったんバラバラにしてつなぎ合わせたような被り物で登場。顔の部分は目と口があいていてマスクのよう。立ち上がると下半身が出てしまう大きさ。獅子舞っぽくもある。ギターを弾く男性が共演。白い机ふうの台を舞台に置く。篠崎は被り物のまま台の中にもぐりこむ。手と足を両側に出して這い進むと、台がまるで亀の甲羅のようにみえる。ギター弾きが台の上に飛び乗ったときにはひやりとしたが、亀が手足を甲羅の中に引っ込める要領で、直前に台を床まで下げたので、手足にダメージを受けることはなかった。この辺はダンスというよりも、道具を使ったインスタレーション的な面白さかもしれない。予想のつかないアイデアが全体を通してちゃんと盛り込まれていたので、終始興味をひきつけられた。床に体育座りという苦しい鑑賞環境で、後半は腰が悲鳴を上げていたにもかかわらず。
終盤にも奇妙な装置を背負って登場した。フラフープのような輪が二段になっていて、それぞれに肉が吊るしてある。電動式になっていて、それがくるくると回転する。発想の奇抜さがなんといっても独特で、作り手としての才能を感じずにはいられない。

音楽も何曲か使われたうち、グロリア・ゲイナーのヒット曲「I wil survive」が誰かのカバーと本家のと2回流れたのが印象に残る。最後もゲイナーの歌に乗って、同時に焼けた肉をほおばりながらの、彼女ならきっとどんな逆境でもサバイバルするだろうと思わせる、たくましいダンスで締めくくった。


イーピン光線【作・演出 山内ケンジ】

イーピン光線【作・演出 山内ケンジ】

E-Pin 企画

駅前劇場(東京都)

2010/02/09 (火) ~ 2010/02/14 (日)公演終了

満足度★★★★

不思議の国の団地妻
一応、サスペンス・コメディって感じの流れだけど、現代口語演劇ふうの自然なやりとりのまま、現実か妄想かわからないシュールな世界に入っていくところがなんともいえず魅力的。

ネタバレBOX

駅前劇場とは思えないしゃれた空間。マンションの一室に集まって、知り合いの主婦4人が昼下がりのおしゃべり中。出会い系サイトを利用したとかしないとか。やがて仲間3人が帰り、ひとりになった主婦。もともとアル中気味なのか、卓上のワインを飲むうちにそのまま眠ってしまう。
いったん暗転して目覚めた後、夫が帰宅。迎えにいくはずの息子の姿が見えない。そこに電話がかかってきて、息子を誘拐したという相手の声。警察に知らせようという夫、知らせたら息子が殺されるといってそれを制止する妻。
ここまではサスペンスタッチ。すると玄関のチャイムが鳴って、先ほどの知り合いのうちの2人が心配そうに訪ねてくる。大変ねえ、息子さんが誘拐されたんですって、と慰める。ところがちょっと待て、いま犯人の電話があったばかりなのに、どうしてあんたたち、息子の誘拐のことを知ってるわけ?
妻が問い詰めようとすると、話の腰を折られたり、別の訪問者があったりして、それ以上の追及が阻まれてしまう。通報もしていないのに二人の刑事がやってくる。夫の父親もやってきて、頼んでもいない身代金をすでにポケットに用意してある。
この辺の展開は夢の論理というか、相当シュールな流れになっていて、どうやらこれは先ほどワインを飲んだ妻が、眠っているうちに見ている夢じゃないのかと思えてくる。
現実からいつのまのか夢の世界へ移行するという点では、以前に見た五反田団の「逃げろおんなの人」と共通している。どちらも演技が自然であるだけに、よけいにシュールな印象が強まる。

そんなわけで、途中までは妻の見ている夢だろうと思って見ていたのだが、そのうちに妻を演じる役者が金谷真由美からKONTAという人に入れ替わってしまう。周囲の人物もそれにいくらか反応はするが、特に怪しむようすもなく話はそのまま進行する。顔つきがちょっと変わったんじゃないか、たぶんストレスのせいだろう、で済ませてしまうのが可笑しい。

芝居はさらに誘拐犯の夫婦と誘拐された子供、殺人や遺体処理を請け負う不気味な二人組、妻の兄や二人の精神科医らが登場して、予測不能な、そしてかなりショッキングな方向へどんどん転がっていく。これ以上の内容説明は私には無理。実際に芝居を見るか、脚本を読むかしてほしい。

ラストも唐突。もはや妻の見ている夢なのかどうかもわからなくなっている。刑事の一人は数ヶ月前に母親を亡くしたが、時間が経っても悲しみは癒えるどころか逆に増すばかり。それで精神科に通っている。実はその精神科医というのが遺体処理請負業者の一人だという怖い設定だったりもするのだが、そのへんのツッコミは観客まかせで、台詞での言及はない。相談するうちに刑事はまた悲しみがこみ上げてくる。そういう症状はあなただけじゃない、と医者は慰める。前後の脈絡もなく、そこでにわかに暗転&終演。思わず、はぁ?と声を出しそうになった。

勝手な勘ぐりかもしれないが、母親を亡くした刑事の悲しみを、盟友の深浦加奈子を亡くした山内ケンジのそれに重ねてみたりしたのだけど・・・

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