旗森の観てきた!クチコミ一覧

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変奏・バベットの晩餐会

変奏・バベットの晩餐会

かもねぎショット

ザ・スズナリ(東京都)

2018/09/06 (木) ~ 2018/09/09 (日)公演終了

満足度★★★

なぜこの北欧の寓話を日本で舞台にしようとしたのか、結局わからない。
原作はデンマークの国民文学、映画も傑作と言われる出来で、それぞれに深く愛している人たちもいる。それを越える結果は望めないにしても、この素材を扱うなら扱うだけの心意気を見せてほしい。
俳優全員を白の衣装にするとか、ダンスをいれてみるとか、バベットのフランス語なまりを東北弁でやってみるとか、晩餐を幕で見せるとか、全然作品の本質に関係ないところで小手先の気を引くだけでつまらない。肝心の、革命で、天職を奪われた犠牲者が、その職を理解しない寒村に流れてくる。その寒村の人々には自然の生活があり、その中で生涯を貫いて生きるよすががある。それぞれの地域に生き、宗教も異なる人間の人生と真実が、宝くじが当たったことで実現する一夜の奇跡の晩餐でほんの一瞬だけ明らかになる。と言うところがぼやけてしまって見えてこない。
原作より、としていないのならいいが、これで日本の変奏と言うなら、ちょっとデンマーク国民に申し訳ない底の浅さだ。。
俳優も久しぶりのかもねぎショットで落ち着かずバラバラの印象だが、一人か二人はブリリリアントな役者が居ないとこういう抽象性が強い話は苦しい。おばさんたちの井戸端会議の連続のようになってしまった。唯一の男性配役は、原作ではものすごくおいしい役なのだがこれも不発。唯一旨いと思ったのは選曲である。

ネタバレBOX

人間同士、理解されるところも、結局理解されないままに終わることもあるが、かくして人生は流れていく、と一同が星空のもとで手をつないで踊る映画の秀逸なエンディングに似た終わりだが、この物語の寓話性が、映画より長く、また前半は殆ど省略しているにもかかわらず、脚本で生かし切れていない。
この話はやはりコスチュームプレイでしっかりやらないと、内容が浮いてしまうと痛感した。繰り返すが、なんでこんな難物をやってみようと思ったのだろう?
死神の精度

死神の精度

石井光三オフィス

あうるすぽっと(東京都)

2018/08/30 (木) ~ 2018/09/09 (日)公演終了

満足度★★★★

十年ぶりの再演の脚本演出は、和田憲明。小劇場からスタートして、20年劇団をやった後、今はプロデュース公演で成果を上げている(野木のパラドックス定数初演の何作かを、小劇場中心のキャストで作り直した作品は、どれも目先につられやすい元劇団の及ばないところを埋めた。基本の舞台設計がしっかりしているので、たいていのことには対応できる良い演出家だ)
今回も、内容はほとんど原作によりながら、原作の他のエピソードからいいとこどりをして、内容を膨らませている。その選択が非常にうまい。ことに中段とラスト。正面の壁を開けてそこをハイライトで見せるのは定番と言えば定番なのだが、そこへ行くまでが周到に設計されていて、雨の中に立つ藤田も、幕切れの青空の中の死神も、観客の心をとらえるいいシーンになっている。
この作品では、死神がミュージックが好きと言う設定になっていて、二人の調査員が、それぞれに音楽に没入している面白いシーンがあるのだが、そういうところも丁寧に配慮されている。惜しむらくは、今回は劇場の音声ミキシングが雑で(はっきり言えばド下手で)かなり感興をそいだが、それでもいくつかのシーンは、この死の物語のいい癒しになっている。
俳優も物足りない。ことに阿久津を演じた上田圭輔は、初演が初めてストレートプレイに挑んだ中川晃教だったから、比べられては苦戦だろうが、まずは台詞を聞こえるように言うことから始めて、この滅多に出会えない稀有な現代性のあるおいしい役に挑んでほしい。ラサールはやはり歳をとったなぁと感じる。こういうのは残酷だが、多分初演の時はやくざ者のギラつく感じが地で出せていたと思う。萩原は、浮世離れしているところが役にあっている。
たちまちソールドアウトになった初演はかなり遠い目標だが、まだまだ先は長い。このいい脚本を生かして、俳優たちの息があってくるのを期待している。

「サマータイムマシン・ブルース」「サマータイムマシン・ワンスモア」交互上演

「サマータイムマシン・ブルース」「サマータイムマシン・ワンスモア」交互上演

ヨーロッパ企画

本多劇場(東京都)

2018/08/17 (金) ~ 2018/09/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

京都の劇団の創立20周年記念全国公演。内容も実績も伴ってユニークな芝居の面白さを見せてくれた小劇場に乾杯!! 昨年ようやく岸田戯曲賞なんて、遅すぎるよ!! そういう地方のハンデなど度外視して颯爽とわが道を行っている劇団には東京でもファンは多い。
映画にもなった本編の舞台は、郊外のキャンパスにある大学のSF研究会。そこに残されていた古ぼけたタイムマシーンの設計図を作ってみると、昨日にだけは戻れるタイムマシーンが出来た。そこから始まる騒動を青春グラフティに仕上げたのが第一作。「ワンスモア」はそれから十五年後、かつては多くの部員がいた部活動も今の学生には不人気で、部室を共有するSF研究会もカメラクラブも学生はひとりづつ。同窓会の流れで久しぶりに訪れたかつての部員たちの前に、タイムマシーンで異次元の人物が現れる。かつては一日しか移動できなかったマシーンの性能もよくなっていて、過去未来への移動の幅も広がり台数も増えている。そういう時代の変化もさりげなく取り入れて、中年を迎えたかつての若者たちの青春放課後である。
過去未来と行動が広がるにつれて、時間移動に伴うセットや衣装替えも忙しく、それが笑いを増幅する。学生劇団から出発した劇団員は今も続けている俳優・スタッフもいて、その学生部活のノリが内容ともマッチして、東京の演劇シーンでは出会えない独特の面白さだ。
補助席もいっぱい出た本多劇場超満員。CONGLATULATION!

Nf3Nf6

Nf3Nf6

パラドックス定数

シアター風姿花伝(東京都)

2018/08/23 (木) ~ 2018/08/26 (日)公演終了

満足度★★★★

チェスを素材にした舞台と言うと、数年前のミュージカル「チェス」が浮かぶ。この「nf3n f 6」も舞台には対峙する男の間にチェス盤が置かれただけで、周囲の壁は黒板、というセットだから、ゲームの話かと言うと、チェスは物語の入口でゲームは行われない。
第二次大戦のベルリン陥落寸前のトイツ捕虜収容所。登場人物はドイツ軍将校と、連合国側に協力したユダヤ人、という二人の暗号製作の数学者。となれば、この劇団に慣れた観客は「ついにネタが尽きて、ドイツまで来たか」と思うだろう。しかし、ドラマのクライマックスは勝負物定番の「チェックメイト!」「参りました」ではない。
ドラマは普遍的な絶対真理とされている「数学」と、「暗号」という世俗の問題解決の技術との間で設定されている。今までは、普遍的な倫理と、それによって行動を規制されている人間との葛藤を、その倫理規範(政治的にも)が危機に瀕しているカタストロフを背景にドラマとして成功(まぁ全部とは言えないが)してきたこの作者だが、今回は、いささか勝手が違った。
今までの満州の化学兵器事件、帝銀事件、三億円事件などはどれも日本人の物語だし、史実も「秘史」を含め大方は背景が明らかになっている。しかし、この舞台背景は、もちろんドイツでは明らかになっているだろうが、日本人にはわかりにくい。連合国とドイツの暗号合戦が熾烈なものであったことはすでに何度も映画にもなっている位だが、観客には、この舞台では設定されている時間と、その時の社会的背景を的確に類推する材料がない。密室の外で進行する事件のがよく見えないと、どうしてもドラマは抽象的な、人間の行動規範として不動の「真理」が果たす役割、と言うところへ行ってしまい、それはそれでつまらなくはないが、その問いの答えは人間の永遠の謎としか解決できない堂々巡り。行き止まりのドラマになってしまう。
この手の話なら、日本国内にも素材はいくらでもあるだろう。うっかり使うとネットが面倒、と自己規制するのこそ、もっとも困った事態である。そういうことがあれば敢然と戦ってこそ、こういう仕事をする者の名誉だと、この作者も作品の中で言ったことがあるだろう。この作者、ちょっと素材を甘く見ているところもあって、素材の選び方が書きやすさに流れているような気もする。
俳優は出ずっぱりでご苦労さんだが、いますこし台詞の習練が欲しい。それにいくらなんでも照明(ことに下からの補助光)暗すぎないか。1時間50分。

スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア

スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア

ホエイ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2018/08/18 (土) ~ 2018/08/27 (月)公演終了

小人数の複式学級の中学校の7人の学生といかにも今はいそうな女教師による風刺ファンタジー。体制順応と、訳なくネットの炎上を怖がり、どこかで新興宗教的な権威を求め、そこにすがる昨今の風潮を痛烈にからかっている。いじめ役の女教師が堂々と極左と極右を共有していたり、いつもは善玉役が多い朝日新聞が、悪役だったり、時代を反映しているな、と思うところはあるが、やはり、義務教育の中学生が学校を舞台に出てくれば、世間への忖度はせざるを得ない。そこから話が甘くなったのがオリザ流の限界だろう。
92分。

しあわせの雨傘

しあわせの雨傘

株式会社NLT

博品館劇場(東京都)

2018/08/22 (水) ~ 2018/08/26 (日)公演終了

満足度★★★★

フランスのブールヴァール劇である。このジャンルの芝居は昔からよく紹介されてきて、文学座もよくやっていたからNLTのお家芸である。ほかにも、エコーとか薔薇座とか。しかし、こういう芝居が「新劇系」で上演されてきたのは、ある意味では不幸だったのではないか。リアリズムを基調とする新劇より、見世物芝居を基調とする興業がなじんだのではないだろうか。噂でしか知らない昔の浅草六区調。見たことのあるもので言えば、東宝喜劇とか。エノケン・ロッパに越路吹雪という顔合わせだ。
「しあわせの雨傘」は軸の三人は、テレビで顔の知れた役者。どうやら、地方巡演を売ることを目的に座組みがされたようで、それはそれでいいのだが、地方の演劇鑑賞会にこの舞台を海外名作芝居として売ってしまうのは見当違いで、見せられる方も不幸だと思う。演出の鵜山仁は旨い演出家だが、まとめ易さに流れて新劇ベースだ。しかし、もともと、この芝居は現代風俗を取り入れているものの、風俗以上に出ているところもない。これを労使対立の階級ドラマ、と解釈したり、女性自立のドラマとしようとすると苦しいだけの笑劇だ。
夫婦それぞれに浮気がばれていくところなど、解りきっているところを舞台の弾み、タイミング、役者のキャラクター(柄)で笑わせていくところが、役者と演出の腕だろう。二幕・電話がかかってくるところ等、まったくどうでもいいところだが、タイミングの芝居が面白ければ、もっとどっと沸くところだ。新劇が嫌う「臭く」やってこそ楽しめる芝居なのだ。そういうことに慣れていないテレビ出の俳優がそろって、鵜山演出、と言うところが、折角、博品館と言うこういう芝居をやるにはうってつけの小屋で、なんと、夜は一回だけ(幸いその回は入っていたが)しかできない結果になったと思う。
演舞場や明治座だけでなく、こういう小芝居を小洒落れた小劇場で見るのは楽しいし、役者もこういう芝居ができるようにならないと一人前とは言えないだろう。今回は、少し厳しく言えば、周囲を忖度して、妥協の産物になっているのが残念だった。


八月納涼歌舞伎

八月納涼歌舞伎

松竹

歌舞伎座(東京都)

2018/08/09 (木) ~ 2018/08/27 (月)公演終了

満足度★★★★

第三部 盟三五大切 八月の納涼歌舞伎は、かつては野田がやり、宮藤が参加したように現代劇と伝統演劇をつなぐ良い試みをやってきて、しかも料金低廉と言う事でずいぶん若い世代を歌舞伎座に馴染ませた。老舗松竹アっパレである。しかし、今年はお疲れ。いつものような意欲的、世間評判の演目はないが、一部ニ部は若者向きの花形にわかりやすい演目を並べて、大入りの盛況だ。そこで三部も、と欲張らないところが老舗のおおらかさで、ここは南北の通し狂言。そこそこの人気演目ではあるがそう始終はやらない。久しぶりの歌舞伎座。中身は戦後になって復活した世話物(郡司正勝補綴)で、新劇もたまにはやる武士残酷物語の殺人劇(数十年前になるが青年座が西田でやったのは成功した)に、いい女の芸者小万が絡む。コクーンでもやったから現代向けではあって、今回のようにコクーンにおなじみの役者が多いと、なんだかコクーン歌舞伎みたいだなぁ、と言う印象である。しかし、役者たちは今回はコクーン風を抑えて、懸命に大歌舞伎風に演じる。七之助、幸四郎(まだ染五郎と言いそうになるが)、獅童、中車、猿之助、と言うあたりがりが立派に歌舞伎座の大舞台が務まっていて、世代交代の時期を感じる。人気もある彼らが、客にこびた芝居をしていないのが爽やか、狂言上いかにも歌舞伎らしい古風な場面もあるがそこを脇役たちがこれまたうまく務めていて、なかなかの歌舞伎芝居である。しかしいまの客にとってはこの話は難しい。お家の忠義はいまの内閣もやっているじゃないか、と言うかもしれないが、三五朗の忠義と森友の忠義とは、やはり違うし、百両の裏金の受け渡しも政党交付金の不正とはわけが違う。うまく重ね合わせられない。そうすると、南北の裏返し、裏返しの忠臣蔵も四谷怪談も安心して楽しめない。エエッツ、そうだったの!が多すぎるのである。だが、こういうチョット馴染みの薄い演目を一つ納涼芝居に加えて、花形を抜け出そうとする俳優たちが取り組むのは大賛成である。だが。。。。
だが、一部二部にくらべれば客はかなり薄い。しかし、桟敷を見れば、昔懐かしい芝居好きが世代を引き継いで母娘で来ているのが解る。若者も少なくない。そう言う風景も楽しい夏芝居である。松竹頑張れ。

ネタバレBOX

いまの流行で言えば、殺し場はもっと工夫してみる必要がありそうだ。油殺しのように、とまでは言わないが、少しアクロバチックに走りすぎて、面白くない。
メタルマクベス disc1

メタルマクベス disc1

TBS/ヴィレッヂ/劇団☆新感線

IHIステージアラウンド東京(東京都)

2018/07/23 (月) ~ 2018/08/31 (金)公演終了

満足度★★★★


休憩20分を挟んで4時間。次から次へと目先はどんどん変わる。こういう仕掛けを前提とした劇場は演目にも工夫がいると痛感した。
前年上演の時代劇と違って、マクベスは活劇ではなくて人間ドラマである。王冠簒奪の話ではあるが、人間のドラマが多彩に描かれているからこその名作である。その素材を、ラウンド劇場で、ミュージカルで上演する。客席千を越える大劇場では、どうしても実尺の俳優と観客の距離は遠くなる。人間で足りないところ(両端)は映像で補うから映像の比重は高くなる。昔々の連鎖劇は、映像も昔々のレベルで舞台とつながりやすかったが、今の観客になじみのある映像はCGを駆使して何でもできる。メタルマクベスは、2200年代と、1980年代、それにマクベスの物語の時代と、三つの時代を往復するが、未来も過去の映像も、それなりの金をかけて作られていて、劇場機能の回転する客席も全く抵抗がない。しかしよく出来ていればいるほど、舞台の実尺のマクベスとの間には距離ができる。これはヘビメタのミュージカルにしたくらいでは埋まらない。かつての新感線公演で旨く行ったのは劇場が狭かったからで、俳優と観客が直接あいまみえたからだろう
マクベスは橋本さとし、夫人は濱田めぐみ、客演者に加え新感線出身者とキャストも工夫されているが、ここでやる芝居の新らしさがない。二幕の終盤で、マクベスと夫人が、人間には箱があって、箱以上のものを望むと破滅する、自分たちはそうだったのか、と嘆くくだりがヘンに実感を伴う。演出者にはわかっているのかもしれない。
 いのうえひでのりはよく勉強もし、ときに大胆、ときに慎重、という用意のいい演出家だから、この劇場を新しい舞台表現の場として何かまだ見たことのない「演劇」も作れる可能性がある。今回は一つの試みとして、今後に大いに期待したい。
 現に、こういうイベント型と言うか、観客参加型、とでもいうべき公演は増えている。演劇のサーカス化と批判もあるがそれぞれに面白いものが出来れば観客は満足するのである。 しかし、機能頼りと言うのは難しい。超一等地にありながら、結局、演歌歌手の歌芝居が定番になってしまったかつてのコマ劇場の壮図の末路もちらつく。もっともこっちは劇場の場所も辺鄙だし、作りもあっさりしているが。
辺鄙と言えば、この劇場は、すぐ前にある魚市場が開いていない現在、周囲に何もない野原の一軒家で、東京のレールとしては馬鹿高いゆりかもめしか便利な交通機関がない。少し歩けば銀座まで行けるバスがあるが、夜になると本数も少なく、やむなく15分は歩いて有楽町線の地下鉄まで行かねば帰れない。熱帯夜はこたえる。利益は出ないかもしれないが、開く前と、幕間には盛大にケイタリングカーでも出したらどうだろう。現状は劇場にあるまじき惨状で、とても商業劇場とは思えない。


九月、東京の路上で

九月、東京の路上で

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2018/07/21 (土) ~ 2018/08/05 (日)公演終了

満足度★★★★

百年近い昔の9月に日本を襲った関東大震災の時の恥ずべき事件の本質は今の日本にも残っている、それを踏み越えろ!と言う啓蒙劇である。告発の内容は、人種差別とメディアの無責任と無力、それを増幅する大衆の付和雷同性、と言ったところがテーマになっている。天災がしきりに起きる昨今、社会的な環境もあって(たとえば原子力発電)このテーマは広く関心を呼ぶところだろう。最近、こういう問題劇を直接法で告発する劇が多くなった坂手洋二の燐光群。この劇団も長い歴史を持つようになって、なじみの俳優陣には年齢を感じさせる人も多い。反面、劇構成は手慣れたものになっていて、主な事件としてリポート形式で描かれる関東大震災の推移とその間に起きる朝鮮人虐殺事件は構成も巧みで迫力もある。社会劇も、いまは民芸や東芸のような古い劇団に加え、チョコレートケーキやトラッシュマスターズのような若い劇団もしきりに挑戦するが、これだけ直説法でしかも劇場の温度を高められる作家・劇団は少ない。
しかし、劇場を出て、観客たちに、この芝居が示唆するような行動を起こさせるだけに力があるか、というと疑問である。かつての事件は今や誰もが「指弾されるべき事件」として首肯するだろうし、それが潜在している現在を撃つならば、なにやら暢気なNPO法人などが現在の打ち手として登場するよりも、リベラル議員と極右自衛官の対立くだりを、もっと人間的に細やかに描くべきだったのではないだろうか。
現代社会が、20世紀時代のモラルでは整理出来なくなっているのは、もうほとんどの人間は心得ている。そういう観客の不安の琴線に深く触れていかないと、単に古いモラルでの安全な告発を言って見ただけに終わってしまう。それでは困る、ということで、新しい視角のある作品を提供してきた燐光群ではないか。今回は虐殺事件を表面に出し過ぎたのと、朝鮮人差別に象徴される人種・身分差別とヘイトスピーチを重ねて(私はここが違和感があった)二兎を追って、詰めを欠いたと思う。
長く社会劇に取り組んできた坂手洋二なら、何か演劇で今世紀の新しいモラルを発見してくれるかもしれないという望みを持っているのである。他劇団に書いたブレスレスなどは成功した例だと思うし、屋根裏も面白かった。声高なのは以外にこの作家には似合わないのかもしれないと思ったりする。

BOAT

BOAT

東京芸術劇場/マームとジプシー

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2018/07/16 (月) ~ 2018/07/26 (木)公演終了

満足度★★

炎暑の夏では時期も悪かった。劇場へたどり着くのがやっとで、ホッとするまもなくデストピアのはなしだから点数も辛くなる。
舞台にずらりと舟が並ぶ島の街に、海から、空から、見えない危機が迫ってくる。なんだかイキウメみたいだなと思っていると、その町の住民の反応は師匠・野田の赤鬼みたいで、古風な煙突掃除とか灯台守の登場人物の街は、カタストロフになる。イキウメや赤鬼と違ってこちらは大災害の全貌を見せてしまうのだから、話を納得させるためにナレーション風のモノローグや、大きな白のボード(スクリーン)を使うが、その大小が違うものだから、俳優はその操作に右往左往、演技のリアリティを見せるつもりはないことは解っていても、味気無さに気が滅入る。少々今風の音楽を聞かされたり、大舞台に空飛ぶボートを見せられたくらいでは芝居は終わらない。映画のエンドロールみたいな幕切れは全く意図不明。
やはり、脚本自体の安易さに問題があると言わざるを得ない。少し、ファンタジーを甘く見ているのではないか。またそこに安易なテーマを持ち込んではいないか。この作・演出は東京芸術劇場がバックアップしている次代を担う演劇人と言う高い評価で、今回はプレイハウスが開いたが、舞台も埋まらなければ、客席も埋まらない。約半分強。贔屓の引き倒しにならなければいいが。

「天守物語」〜夜叉ケ池編2018〜

「天守物語」〜夜叉ケ池編2018〜

椿組

花園神社(東京都)

2018/07/11 (水) ~ 2018/07/22 (日)公演終了

満足度★★★★

恒例の夏芝居。炎暑の今年は一段と厳しい興業だが、若い時はそれがかえって嬉しかったりするものだ。外波山は随分頑張ってこの興業を定着させてきた。芝居の中身も、大胆な新進の演劇人への目配りもあり、今年はなんだろうかと、観客も期待してきた。その今年は泉鏡花。天守物語・夜叉が池篇と言うタイトルで、脚本が高取。鏡花の二大名作を寺山修司でつなぐという発想を篠井英介演出でやる。出演はこの公演にはよく付き合う松本紀保。まとまりそうで難しい座組みで、結局はどこも中途半端で半分ほどで飽きてくる。松本紀保だけはさすが高麗屋というところだが、それでまとめきれるという感じでもない。鏡花の世界そのものが少し時代からずれてきて寓話性が通じなくなってきているのかもしれない。そうなると、こういう季節ものの興業には難しいのではないか、と言う感じだ。

ウィルを待ちながら

ウィルを待ちながら

Kawai Project

こまばアゴラ劇場(東京都)

2018/07/04 (水) ~ 2018/07/18 (水)公演終了

満足度★★★★

芝居というのは実に不思議なものだとつくづく思う舞台だった。
作・演出は河合祥一郎。東大教授で、演劇現場でも活動し、いわば文武両道の演劇界の星である。知識があるうえに、頭がいい、感性も鋭い。この公演のパンフレット、作品意図など僅か五行で、完璧に言いえて(当たり前のようだが、現在の演劇界では稀有である)、隙がない。義父の故・高橋康也もすごかったから、父子二代日本のシェイクスピア受容のレベルを上げてきた。
だが、シェイクスピアの名セリフを織り交ぜて、ベケットのシチュエーションを借りた老年役者の二人芝居をアゴラで、と聞くと、いかにも学者のお遊びのような印象を受ける。豊富な知識を振り回し英語の通(ツウ)しか楽しめないスノブ芝居ではないか?
ふつうの企画だと、そうなるのが当然の成り行きであるが、この舞台は違う。田代隆秀(シェイクスピア・シアターから四季)と高山春夫(早稲田小劇場から蜷川作品)と、日本の特異なシェイクスピア作品を脇役で経験してきた老優二人が配役されていて、老いに直面したシェイクスピアの名場面を軸に、二人のシェイクスピア体験(が現代演劇史になっている)の楽屋落ちや裏芸まで織り交ぜながら、演劇と言うものがどのように書かれ、演じられ、受容されるかと言う事を、面白おかしく見せてくれるのである。いや、頭がいいと言う事はすごいもので、素材の整理は行き届き、それぞれのエピソードも奥の深い見事な本だとほとほと感心した。演出も作・演出だが奇手を弄さずオーソドックス。こういうシェイクスピア・ヴァラエティのような舞台は本場英国にもありそうだが、ちゃんと日本的にできているのである。
しかし、酷暑の午後のアゴラ劇場まで来る客は残念ながらうすい。観客も拍手はするが、シェイクスピアの世界に想像力を刺激され、感動したか、と言うとこちらも心もとない。もしこれが、日本演劇協会とか、シェイクスピア協会の余興に演じられたらどうだったろう。多分拍手喝采。絶賛。だが、それは河合祥一郎の作品の主旨とは違う。そこが演劇を実際に街中で舞台に上げる難しさ、不思議さである。
1時間45分。

ミュージカル「エビータ」

ミュージカル「エビータ」

Bunkamura/日本テレビ/TOKYO FM/ぴあ

東急シアターオーブ(東京都)

2018/07/04 (水) ~ 2018/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★

懐かしいミュージカルを見た。いくつもの著名な作品のある作家・作曲家コンビ。演出も78年初演のものだという。オケもオーケストラ編成で音が厚い。幕開きのこの中の名曲「泣かないで、アルゼンチン」を軸に構成された葬儀の場を見ただけでウルウルしてしまう。二幕冒頭のこのナンバーを聞かせるところでは、大統領との結婚に成功し、大衆の星になったエヴァの絶唱に続いて、振り向きざまに一転彼女を待ち受ける差別と困難を、軍、旧制力、大衆の群舞で見せる。そのタイミングの鮮やかさ、振付の見事さ、舞台美術の配色の素晴らしさ、さすが、原版!!本場!!
こういうメロディ重視のミュージカルは最近は受けないのか、あまり見ることも亡くなったが、先の曲だけでなく、「星降る夜に」とか「新しいアルゼンチン」とか気持ちのいいメロディの曲が次から次へと出てくる。俳優もうまい。本も以前はエヴァ=ヒロインの女優モノと思っていたが、歴史の事実を踏まえて、エヴァの人間像を一人の女性の人間ドラマとして、はっきりわかる演出になっている。主演女優が、成り上がりを見せることをほとんどしていないのもステレオタイプでなくていい。それだけ曲の痛切さが出た。語りでのチェは声がいいし歌がうまい。
「泣かないで、アルゼンチン」が劇場ミュージカルに向いた名曲だと言う事がよくわかった。

睾丸

睾丸

ナイロン100℃

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2018/07/06 (金) ~ 2018/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★

ナイロンも25年か!ナンセンスと新しい笑いを軸に、独立独歩の四半世紀である。昭和の後半以降、日本の現代劇は非常に多彩な発展を遂げてきたが、表立って活躍した人々の裏側で、しっかりそれを支え、市民への回路をつなげたのが、ナイロンと新感線だと思う。彼らがいなければ、日本の現代劇は新劇を引きずり、教養主義も、政治性も抜け出せなかっただろう。大したものだ! まずはおめでたい。
記念公演の「睾丸」はこの劇団創立から舞台に立ってきた、みのすけと三宅弘城をフューチュアして、外部からも新旧取り混ぜてゲストを呼んだ舞台だ。今回の素材は、25周年と言う看板に合わせて時代回顧もので、中年に達した学生運動に取り込まれた世代が、現代の世相の中で家族も、男女関係も、社会の中での居場所も、確信が持てるものを失い、古色蒼然の過去の主義と半端な人情の中で繰り広げるコメディである。かつてはよく「ナンセンス!」と他人を批判したものだが、彼らはそのナンセンスの中で浮遊している。それでオトコか!?と言う事でこのタイトルになったと思う。
みのすけと三宅弘城は元学生運動の一環として学生演劇をやった作者と演出家で、作者(三宅)はその主演女優(坂井真紀)と結婚して娘(根本宗子)もいるが、離婚寸前。そこへたまたまパチンコ屋で出会った演出家(みのすけ)が、家が全焼したと転がり込んでくる。ケラの芝居で、シチュエーションにこういう現実的な社会関係を持ち込むことは珍しく、また、自らの演劇経験もそこはかとなく反映しているのか、いつものような物語の飛躍は少ない。この二人を軸に、主要登場人物13名、それぞれに、今の社会で生きづらい人たちが集まってきてナンセンスな笑いが展開する。休憩10分を挟んで3時間15分。とにかく面白い。まったく飽きない。こういう生な事件を素材にしていながら、実際に身の覚えの人々もまだ多い中で生モノの難しさも乗り越えて、笑える。そしてちゃんと今の社会批判になっている。だが、ケラはこういう解りやすい物よりも、多くの作品が成し遂げたように、とっぴなシチュエーションを独特の喜劇に落とし込む作劇の力がある。年齢的にもうかつてのように年5作の新作は無理なのだから次回ははまたケラらしい世界を見せてほしい。
ナイロンの俳優たちは、出てきただけで存在を納得させる力がある。面白い顔ぶれの資質が違う客演も、赤堀雅秋はうまくハマったが、安井順平は七転八倒、根本宗子は歯が立たず、と言ったところだろうがこの経験はきっと役に立つ。


ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル

ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル

パルコ・プロデュース

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2018/07/06 (金) ~ 2018/07/22 (日)公演終了

満足度★★★★

現代アメリカの典型的ローカル劇だ。数年前にピューリッツア賞と言うから、アメリカでは受けたのだろう。家族から離れて一人で隣人に善意を分かち合いながら生きてきた女(篠井英介)とその家族たち、と、この女が加わっているコカイン中毒から抜け出す患者のチャットグループ、と現代的な病理を抱え込んだ一つの家族と、一組のネット上のグループ、が劇中で交錯する、というイマ風のドラマだ。話の筋は、この女の姉が死んだことからくる家族のゆらぎだが、それはあまり重要ではない。現代的な社会構造の中での生きづらさが、麻薬依存を生み、個人の孤独を増幅する有様を、徹底的に孤独な登場人物たちを登場させて描いていく。中には、日本からアメリカへもらわれていった孤児などもネットグループの一員として登場する。ひょっとすると彼女が出ているためにこの作品の日本上演を決めたのか、とも勘繰りたくなるほど、ドラマの内容は現代日本からは遠い。やがてこうなるという先進国の先取りドラマは随分見てきたけど、これはどうだろう。国情、人情が違いすぎる。ここまで行くにはまだ一世代はかかるだろう。
俳優たちは役は把握していて破綻はないが、どこまで行っても日本人で、女優陣になるともうNHKドラマである。ドラマの基本に現代アメリカの生活(たとえば飛行機で行き来する広さ)があるのだから、台本が与える感情は出せても索漠とした生活感は出せない。それは日本でやるのだから仕方がない。この作品はやはり、アメリカならではのところがあり、うかがい知る殺伐としたあの国の風景と、その裏側にある篠井が演じるような超越的とでもいうしかない人間性の発露(これも日本にはないものだ)があってこそ成立する「スプーン一杯の水を少しづつ根気よく与える」ことでしか生きていけないかの国の物語なのである。
久しぶりにG2の演出を見た。相変わらず人物の出し入れや見どころの作り方は旨い。大きな舞台もこれから続くようだが、二十年前颯爽と関西から出てきた才能の新しい展開を期待している。また楽しみに見てみよう。

serialnumberのserialnumber

serialnumberのserialnumber

serial number(風琴工房改め)

The Fleming House(東京都)

2018/06/21 (木) ~ 2018/07/16 (月)公演終了

満足度★★★★

風琴工房が改称して新しくなったが、主宰の詩森ろぼは変わらずこれはプロデュース公演のようだ。いろいろ言いたくなる舞台だが、総評としては、なかなかよく出来た一夜芝居だ。
まず脚本。小劇場でそのお約束で見ている分には、今を流行の精神病理、情報(メディア)管理、医学倫理、性同一障害など、さまざまなキワキワノ話題を織り込んだ面白い謎とき劇だが、フライイングもある。個人的にはこういうことは言いたくないのだが不用心にやっていると、思わぬところから槍が飛んでくる。その槍に対して戦わなければならないことも当然演劇にはあるわけで、そこの覚悟が作品にしっかり組み込まれている必要がある。上に上げた四つのいずれにも、甘いところがある。外国を舞台にしたくらいではクレーマーからは逃げ切れない。こういう人たちに対抗するのは無駄(と私は思っていませんと言うだろうが)なエネルギーの消費だ。少し旗揚げもあって面白くしようとし過ぎている。
役者。二重人格はすでにいくつもの作品があるから、演技例はあるわけだが、田島亮はよく消化していてうまいものだ。対する酒巻誉洋は、もう少し、演技の折り目がはっきりしていると良いと思う。相手の二重人格に呑まれないようにする医者の役だが、こちらにも課題がある。それは早い段階で客にわかっているからだ。
二部建てになっていて、序幕は、作者と杉木隆幸が演じる。ここは詩森がやるべきではなかった。役者ではないのだから相手との間に差があり過ぎる。ことに女言葉の処理(ですわ、のよ)が拙すぎる。こういうところはお仲間内が多そうな客に甘えず、下手でも俳優に任せるべきだろう。それが総合芸術たる芝居の約束事だ。
舞台。劇場のせいもあるが、ここははっきり精神科の診療室をきちんと作った方がいいと思った。裁判モノが法廷を作るのと同じである。このドラマは、「治療」と言うプロセスがあることを前提に成立しているのだから。
劇場。新し劇場だから、場所の説明などはもっと詳しく。お仲間内だけでなく、暗い夜道で地図を見ながら行く客もいるのだから、もっとチラシの地図の字は大きく、カッコよいイラスト風の地図など客は腹が立つだけである。近くの駅はちゃんと書く!。
今後。詩森はアラ・ミドル女性作家花盛りのいま、演劇雑誌では、特集も組まれるほどになった。これからもう一つ上の活躍を期待したい。おもしろいことにこの作家群の大御所・永井愛以下、現在期待されている女性たち、共通して身近なところから社会的関心もあり、芝居に細やかな配慮も、技術もある。何となくみな雰囲気も似ていて親切な隣のおばさん風である。今回の劇場は客席60.ここから100台まではスッと行けるのだが、そこからの200の壁を乗り越えるのがなかなか難しい。本多で待っている。

蛸入道 忘却ノ儀

蛸入道 忘却ノ儀

庭劇団ペニノ

森下スタジオ(東京都)

2018/06/28 (木) ~ 2018/07/01 (日)公演終了

満足度★★★★

始まる前にタニノクロウが前説で、蛸が人間よりも優れた動物で、やがては我々も蛸の方向に向かうのではないかと言う説を紹介する。されば、その蛸を弔う新しい儀式をやるのかと、思うと違う。まずは般若心経を45分。今は少なくなったろうが、昭和の中ごろまでは普通の家でも親しみのあった経典だがこれだけ長いとだれる。暑い。暗い。舞台中央の寺の広間に男女の僧・8名が香を焚き経を唱えるが、出演者の経文の唱え方がまるでできていない。仏教法事にはなかなか演劇的なところもあって、声明などは都内ホールでも年に数度はやっているだろう。客の耳をなめてはいけない。半ば過ぎると、現代的な楽器や、女性独唱者が出てきていささかペニノ風になるが、結局は何が始まるわけでもなし、ありがたいお説教があるわけでもなし、何やら狐につままれたような1時間40分であった

ネタバレBOX

蛸進化論を聞かされるので、そのうち何らかの回答があるかもと期待するのは俗人で、それはあっさり肩透かし。そこがペニノらしいところではあるが、かつて、マンションの一室で見せていた異質、異次元の世界からは遠くなって、ただの邪教の匂いがするのが残宴である。グロテスクの中にもどこかピュアな一線が通っていた。肩すかしも昔からあったが、今回は仕掛けも含め俗っぽい。こけおどしの寺のセットも、細かく見ると結構雑で、これでは暗い照明に頼らざるを得なかったのだろうと意地悪になる。
ニューレッスン

ニューレッスン

ジョンソン&ジャクソン

CBGKシブゲキ!!(東京都)

2018/06/21 (木) ~ 2018/07/01 (日)公演終了

満足度★★★★

ナンセンスと言う難しいジャンルが着実に成長しているのを実感できるのがシブゲキだ。笑を無理強いしないで、うまくシチュエーションを転がしていく。いとうせいこうや、ブルースカイは作・演出も務めているからその辺の匙加減もいい。今回の特筆は大倉孝二と池谷のぶえだ。いまさら言うまでもないが、動きに無理がない上に身体から笑いが転がり出る感じだ。ナイロンとは違ってのびのびと役者の良さが出た。ほぼ満席の客席でも中年以下でいろいろな男女の客が愉快に笑っている。良い風景だった。

お蘭、登場

お蘭、登場

シス・カンパニー

シアタートラム(東京都)

2018/06/16 (土) ~ 2018/07/16 (月)公演終了

満足度★★★★

この劇場の「お勢登場」も前売り即日完売で苦労したが、こちら「お蘭」はもっと足が速く午前完売。劇場は同じなのに、スタフ(作・演出)も俳優も、主催(製作)も変わった。どういう話し合いが行われたのか、知る由もない(知ってもどうと言う事はないが)が、タイトルまでフォローしてしまうとは、ずいぶん大胆なことをやる。幕が開くとセットの二重組まで「お勢」と同じ、出だしも同じお勢登場の場面から始まるので、これはパロディかと思ってしまうほどだ。しかし、お勢が乱歩のファンタジックな世界を軸に現代的な悪女を作ろうとした現代劇なのに比べると、こちらは乱歩の猟奇趣味を素材にしたステージショーの味わいである。いまどき乱歩がそんなに面白いか?と首を傾げるが、お蘭は役者もそろい、北村想も肩の力が抜けていて、75分と言う短さもあって、とにかく飽きないし、面白いのである。劇中でも言うように、乱歩などは今や子供だましの設定のカノン的な繰り返し(これは旨いことを言うと思ったが)で、劇中設定が引用される、人間椅子、鏡地獄、お勢登場、江川蘭子などもろもろの作品に登場する悪女も、種を割れば、どれも同じの「蘭子」の繰り返し、これを小泉今日子が七変化で勤め、歌まで歌い、追う側の明智(堤真一)も、こちらは小説ではあまり登場しない目黒警部(高橋克美)も、まずはカノン的装置のパーツ(明智も空地と名前は買えてある)と決めてしまえば、あとは本と役者の世界である。楽屋オチが何度も登場してシーンにまでなっているのも、ステージとしては面白い趣向で客ウケしている。数年前に乱歩の著作権が切れたよしで、大劇場も小劇場もしきりに乱歩原作を上演するが、これほど乱歩を読み切った作品は少なく、どこかで乱歩的幻想と怪奇の世界を信じようとしている。こちらはまるでその気がないところがよかった。これは確かに現代の乱歩の読み方で「日本文学シアター」にふさわしい。

ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ

ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ

ニ兎社

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2018/06/23 (土) ~ 2018/07/16 (月)公演終了

満足度★★★★

今の政治情勢っをネタにした喜劇で、よく御存じの題材だけに客席の受けはいい。松尾貴史の安倍のまねなどは、よく特徴(その逃げ回りの話術の脚本も含めて)を伝えて、大受けである。二時間足らず、新劇版の「ニュース・ペーパー」である。こういう生の風刺劇は新劇から遠くなっているので、いい試みだが、正直言えば、こういうのは、ニュースペーパーに任せて、永井愛ならもう少し深くこの問題を人間的に扱った作品を書いてもらいたい。ニュースペーパー的な素材だから、俳優もそういうタッチに慣れた安田や松尾は生き生きしているが、他の男優陣は、どちらでやっていいのか計りかねているし、ご贔屓・馬淵英里何も、地の気の強さが出てしまって深刻になりすぎた。
例をあげせば、「コペンハーゲン」のような芝居だって、永井が腰を据えて書けば書けるし、井上ひさしを越えていけることにもなるだろう。観客は、井上調の問題提起、解決はもう過去のものだと言わないだけで、知っているのだ。

ネタバレBOX

こういう話は政治家も大新聞も悪い、組織が問題だと、括れば括りやすいが、では現状では、実にくだらない内容が大新聞の何倍も出ているネットニュースの方が頼れるかと言うと、実はそんなことはない。ネットを炎上させているのはほんの少数のフリークだけなのは、大組織も承知していて、安心しているのである。政治も新聞も右顧左眄していても、現実市民にそれぞれ役立つところはあるわけで、社会は20世紀前半のように単一の思想で社会システムを動かせなくなった。ならばどうするか、どういう悩みに取り組むか、が創作者の取り組むべきことで、子供の陣取りのような記者クラブの課題などは、末梢的すぎて分かりやすいが、ここからは本質に届かない。

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