化粧二題 公演情報 こまつ座「化粧二題」の観てきた!クチコミとコメント

  • これが現代の「化粧」だと言われると、三越劇場、ベニサンピットからこの芝居を見ているものは、おやおやと思う。もちろん芝居はいましかないものだから、昔をなぞっても仕方がないとは承知しているものの、これではなぁ、と首を傾げる。
    今回の上演は[化粧二題」でよく知られた「化粧二幕」とは、演劇(芝居)の土台としての戯曲の構造も違う。「化粧」ものの初演は、大衆演劇(日本の芝居の原型)を演じる劇団の座長と言うひとり芝居の設定の中に、演劇論、社会論(親子の社会原型から、メディア文化論まで)、を巧みの織り交ぜた舞台で、のちに二幕物で、意外などんでん返しを付け加え完成した。井上戯曲の中でも通俗性と批評性が表裏になっていて、笑えて泣けて、お勉強にもなる稀有な戯曲なのだ。普通「化粧」と言えばだれでも、この本を思い浮かべる。
    「化粧二幕」は演じた渡辺美佐子もよかった。新劇的にもうまい女優なのだが、それが角ばらない。終わりの頃は演舞場でもやったが、わたしはベニサンで最後にやった公演が一番よかったと思う。この初演版は、何重にも入れ子細工になっていて、そこに井上らしさがよくあらわれてもいた。昭和生まれの名舞台であった。
    今回の「化粧ニ題」はそこを殆ど外している。ことに二幕は内野聖陽の男座長で内容的には一幕の繰り返しである。傑作の「化粧二幕」があるのに、このほとんど上演されることのなかった「化粧二題」をやった意味が解らない。これでは、役者の顔見世だが、初演のような演劇的仕込がないので、大衆演劇(まったく消滅している女剣劇)の役者をいまの人気俳優がやってみた、という以上の舞台になっていない。確かに有森也美では、渡辺美佐子やそれを継いだ平淑恵とは、本が半分でも、失礼ながら勝負にならない(振った方の問題で本人の責任ではない)。内野を入れて、やりやすい「二題」をハードルの高い「二幕」をの代わりに、という興行意図は伝わってくるが、その趣向は生きていない。こういう興業も否定はしないが、こういう舞台になるのならせめてタイトルを、普通に考えられている「化粧」とは別物だと、はっきりわかるようにすべきではないかと思う。何だか「二幕」をこっそり(ではないと言うだろうが、状態は明らかにそうである)「二題」にするなんて、いのうえ好みではあるのだが、タイトルのような大ネタにすべきではないだろう。

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    2019/06/05 00:29

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