満足度★★★★
大田省吾晩年の学生の中の優等生による「水の駅」である。
弟子筋だから、原作へのリスペクトも十分、テキスト(と言っても台詞はないのだが)は原文を使っているのだろうが、大田省吾演出版とは全く違う。この舞台は間違いなく現代の「水の駅」だし、大田省吾版は80年代の水の駅である。
冒頭、コロコロ太った健康そのものの少女がヤオヤ舞台を転がって登場する。ここでもう時代が変わったことを実感する。音楽はサティ。大田版と同じだが編曲が違う。ピアノ曲にかなり大きくパーカッションが編曲されていて、劇場の音響のせいもあって強く響く。舞台に寄り添うようだった音楽は、現代の健康な俳優たちに拮抗するように挑発的なサティになっている。性的な表現が表面に強く出ているのも特徴だろう。
では舞台成果としてはどうか、と言う事になると、KUNIO天晴れ、である。大田省吾を散々見た観客には、若さあふれる舞台はまぶしいが、かつては、大田省吾も十分に若く挑発的だったのだから。大田省吾はいい弟子を持った。杉原邦生はいい師匠を持った。日本の古典演劇を現代劇に生かす道が、より受け入れられやすい形で伝承されたのだから持って瞑すべし。見事に師に応えている。1時間50分、飽かず現代の水の駅を見た。