tottoryの観てきた!クチコミ一覧

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コロナにまつわるホントどうでもいい話

コロナにまつわるホントどうでもいい話

劇団チャリT企画

新宿眼科画廊(東京都)

2021/11/05 (金) ~ 2021/11/09 (火)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★

観劇できるはずであったが体調悪く足を運べなかった。
そこで配信で鑑賞、今観たばかりのほやほや。「映像に載せられない一部をカット」との事でそこは残念であったが、「ホントどうでもいい」実はどうでも良くない話集1時間はそこそこ楽しめたものの、やはり生で観たかった。
というのも映像、とくに音声がとてもよくない。客は笑っているが台詞が聞き取れない。元々配信の難は「音」にあるが、楽し気な雰囲気は伝わっても楽しみ半減である(分かる部分もあるので半分は評価)。台本が売られているならぜひ買って読みたい。

鴎外の怪談【12/16、12/19、12/25公演中止(12/19は1/30に延期公演決定)】

鴎外の怪談【12/16、12/19、12/25公演中止(12/19は1/30に延期公演決定)】

ニ兎社

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2021/11/12 (金) ~ 2021/12/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

永井愛戯曲、しかも初演で演劇賞を獲った作品を今更評するのも何であるが、二兎社の面白いのは再演してもキャストが丸ごと変わる所で、「ザ・空気2」に続いての松尾貴史の起用それも主役という事で楽しみではあった(私としては初演を見逃したリベンジ)。鴎外作品に馴染みがなく、読みかけても興味が続かず挫折し結局一つも読了していない(教科書に載った短編以外)人間でも、歴史の中に生きた鴎外を描き出した本作は興味深く観れた。
ただしもう一つの個人的関心は、日本は急速に変わり(劣化し)つつあり、コロナ期を挟んで益々その劣性が露見したここ数年の変化が初演舞台での条件(観客側の)を損ない、初演時と異なる見え方をしているのではないか、といった事だ。初演を見ておらぬから判りはしないのだが、思いは巡る。永井愛特有のユーモアは大逆事件における鴎外の保身を暴きながらも「歴史」という大きな視点の中に収め、鴎外自身の苦悩は苦悩として、しかし多くの人に愛された存在(個人、作品とも)だったとした。
だがこの劇の集約のされ方は「負の歴史を経て多少なりともまともな時代になった」という確信が残る限りで、許される。最後ににっこりとは、そういう事だ。だがもうそういう時代ではなくなったのではないか。
まともでない状態を否定せず、むしろそれを牽引した政権に続投を委ね、劣化に居直る社会では、鴎外の「保身」の苦悩など取るに足らないものに思える。彼は十分苦悩したし闘おうとした、と幾ら描こうとも美談にならぬ(元より美談ではないという評価もあろうが)。また彼の中にあったと作者が描く自責の念は、労うべき事として描くことはできず、正に一人間の無力の証として描くしかない。なぜなら現在彼と同様に、無力さと保身とにより、手をこまねいて何もできないでいる(あるいはまだ大した事は起きていないと目を瞑る)我々をそこに見るからだ。
悪夢の時代を「過ぎ去った過去」として、その中で苦悩した一人の人間をその功績をたたえるニュアンスで描写することは、もう無理である(作者もそのような安易な描写で終わらせよう等は考えていまいが)。

スペキュレイティブ・フィクション!

スペキュレイティブ・フィクション!

NICE STALKER

ザ・スズナリ(東京都)

2021/12/01 (水) ~ 2021/12/05 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

今回二度目と思っていた劇団だが、こりっちで過去作を見ると近作2つを観ていた。一作目を思い出させる二作目でなかった(作風が違った)故だと思うが、三度目の今回も同様ながら、辛うじて見えた「らしさ」とは、タイムリープやメタシアターを多用した基本荒唐無稽で変キャラ、ジョーク混じりの台詞、アップテンポな作劇の部類であるが、骨格はしっかりした印象、かつ哲学的問いを掘り下げている点である。
最初のはロリコンという性癖を通じて愛の成立について、二つ目はよくは覚えていないが利他主義の成立について、劇を通して思考していた印象。今回はテーマをSFに据え、高校の部活であるSF研究会のSF通の台詞を、非・SF通向けに親切な字幕の注釈を入れながら、これらオカルトや科学的真理といった概念と近接する「知」が、高校の青春ドラマの帰趨に絶妙に絡ませていた。
穿った台詞も一つ二つでなく、荒唐無稽のままで終わらない舞台。

ネタバレBOX

観客がそれを通して見る目である主人公の高校男子が、劇の冒頭恋した相手(部活の先輩女子)は「謎」を抱えている。この謎は最終段階で解かれ、この時主人公が苦悶の中から捻り出した答えを相手に捧げるのだが、隣人についてのテーマがそこには流れている。主人公及び我々はその問いを絶えず問われていた事に、最後に気づく。作者の根っこにあるテーマなのかも知れぬ。
何にせよ楽しく観た。
みんなしねばいいのにII

みんなしねばいいのにII

うさぎストライプ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2021/11/26 (金) ~ 2021/12/07 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

舞台上は女性専用らしいマンションの一室。住人二人又は三人の住居として使い回されるが、その転換は今いる住人のの所に遠慮会釈なく別の住人(と客だったり)が入って来て為され、時に二場面が同時進行したりという、演出がスムーズでうまい。また上手側の棚には売り物が置かれ、時々コンビニ店内にもなる。
「変なことが起きる」マンションで、死と背中合わせ的な空気を楽しむドラマ、という所か。

地下室の手記

地下室の手記

地点

吉祥寺シアター(東京都)

2021/11/25 (木) ~ 2021/11/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

奇想天外な(ストーリーならぬ)演出というのが地点の持ち味。そう言えば今作では「地点語」が途中一度出て来たくらい。独白で綴られる「地下室の手記」が地点版に意訳されたテキストをおちょくった発声と演出でこね回され、それでも確かに言葉が積み上がって行く感がある。しかし感覚で捉えるのは舞台という現象の構造、ありようでテキストでない。人間の営為のカタチを味わう的なレベルで、アフタートークのゲスト(ロシア文学研究)の言うように地点は一演目を複数回見るのが良い、のかも。

シアトルのフクシマ・サケ(仮)

シアトルのフクシマ・サケ(仮)

燐光群

座・高円寺1(東京都)

2021/11/19 (金) ~ 2021/11/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

当日パンフの役者/役名の筆頭に二役を担う女性の役名が、若い世代らしい名と、カタ仮名で人ならぬ存在を思わせる名、まだ見ぬ内から劇世界が脳内に立ち上がる。そのイメージ通りの少女が思いきり駆け回る開幕から、「シアトルへ」の物語が坂手氏独特の筆で紡がれていく。
福島のとある酒蔵が震災で破壊された事実と、再生に向かう瞬間とをつなぐ間隙に、実はフィクションであるシアトル話が据えられ、被災者の暗中模索の過程を「シアトル」を巡るお話に代弁させる構造になっている。
津波で兄を失った主人公は、舞台上に二つ置かれた醸造用タンク(木製?)の中から、少女が呼ぶと顔を出す。兄は杜氏であった。最初どちらが死者か判らなかったが、弟である彼は生存する者で、少女は兄の娘(姪)、津波の犠牲者である。弟の幽霊然とした佇まいは、酒造への思いを持ちながらもふらふら彷徨う所在ない姿と重なるが、最後に彼は亡兄と酒造への思いを、震災以来日本各地の酒蔵を巡った体験と共に吐露し、福島で跡取り無く今や観光スポット化した酒蔵の持主から蔵の提供を申し出られる大団円に結実する。
途中坂手特有の分割説明台詞(ダイアローグでなく説明的文章を俳優が分担して喋る)の長い展開もあって、台本の上がりが遅かったのだろう(トークでも「筆が遅い作家」と自称)俳優の台詞リレーが綱渡りのようで危うかったが、終局でパズルが揃う様は見事。属性の不確かであった人物の関係図も出そろい、新たな酒蔵の船出を劇場全体で祝い、福島が負った傷と、その後が報じられない現在へ思いをはせる時間となる。坂手氏の「意図」は十分汲め、静かに胸に迫る舞台となった。

ガラクタ

ガラクタ

TRASHMASTERS

駅前劇場(東京都)

2021/11/19 (金) ~ 2021/11/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

TRASHの舞台もほぼ毎回の観劇、心酔しきってる訳ではないがつい観てしまうのはこの劇団の(というか中津留氏の筆致の)癖(ヘキ)を差し引いても得る所のある故だ。
今回も面白く観た。構造はシンプルで芝居も観やすく、「う~むちょっとこれは」という台詞も少なかった。役の数もこの位がちょうど良い(6人で8役)。ワン・イシューだが飽きさせず、日本の将来に関わるテーマでもあり、過疎地での「ウイルス感染症」の影響という形で経済問題に触りながら、メインテーマを掘り下げている。
立場の違い、人の分断と繋がり、理念の衝突と、対話・・地方の政治には国政の縮図も見られるが、国政との違い(地域性)に作者は希望への糸口を残して物語を終わらせている。
俳優陣ではナカツル・プールヴァール「おかめはちもく」に出演した岩井七世が綺麗どころで目を引き、庶民的悪役を存分に演じるみやなおこ、根のよさが滲む町長(森下)、先輩を慕う昔気質な漁師(長谷川)らが脇をにぎわし、観客がその目線に近づく(主役に近い)役として料理屋の夫婦(星野、石井麗子)、役所勤めの青年(倉貫)が堅実な所を押さえてバランスが良かった。

イロアセル

イロアセル

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2021/11/07 (日) ~ 2021/11/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初演から数えて10年が経っていた。新国立劇場の芝居を観始めた頃で、震災・原発事故の年の秋。おぼろに思い出すは・・若手実力派の舞台にようやく見えるという期待(国文学系の月刊誌に珍しい特集で演劇界の新たな「書き手」として紹介されていたのが、劇団名でモダンスイマーズ、The Shampoohat、ペンギンプルペイルパイルズ、劇団桟敷童子、ジャブジャブサーキットで、PPPP以外は既に観ていた)。
SFチックな芝居でどうにか結語に辿り着いたものの、特異な着想だけに成立させるには無理の感じる所も・・という感触であった。

今回は初演とは舞台の見た目が全く異なり、初演時にあった円盤型の物体はなく、主人公が閉じ込められる檻と灰色の壁、上手側は壁が開いていて町が見える。主人公の着る囚人服も灰色のシマ柄で、舞台手前の通路を通ってこの場所にやって来る人々はこれと対照的にそれぞれにカラフルな出で立ちで対照が際立つ。
「言葉に色がある」島での、主人公が「みたい」と願った光景が終盤、現れる場面での映像の効果は技術の進歩の為せる所で、初演になかった。主人公は島の外からやってきた者。そして島の人々には言葉に色が付いているが、色が消えるエリアが出来た(作られた?)、それがこの監獄のある一帯であり、主人公は言葉の色を見たいと思っているのとは逆に、人々は言葉に色がないこの場所を何かにかこつけて興味津々でやって来る。吐いた言葉が匿名性を持つ(発言者を特定されない)、という彼らにとって初めての体験を提供する訳である。
完全オーディション制で決まったという役者陣も不思議な取り合わせで、てがみ座の箱田氏が主役をやる姿はてがみ座でも見なかったな、と。町長役・山下容莉枝(映画「12人の優しい日本人」のあの役)、看守役・伊藤正之も映像で観たらしい以外は殆ど知らぬが、役イメージに当てた感は十分見えた。
言葉に色があるという事の含意が、むしろ展開を狭めそうな所、うまく膨らませていた。

能『羽衣』

能『羽衣』

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2021/11/17 (水) ~ 2021/11/17 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

シアターXレパートリー久々の観劇は能。一回公演だがうまく時間が合って観る事ができた。Xではお馴染みの清水寛二氏のシテと、ワキ1名による「羽衣」はフルバージョンだという。純正の「能」は夏に新作能をやはり清水氏の企画と主演で観て衝撃であったが、こちらは古典の割と知られた能の演目で、「絶対に寝る」法則が当てはまるかどうかも検証。うとうとはしたが、完眠は避けられた。もっとも、うとうとして良いのだと思っている。音楽劇であり能役者の動きや喋りは説明的部分と言え、五感に来るのは強烈な「音楽」、即ち地謡と囃子である。これは心地よいので眠って良いのだ。恐らくかなり良質な睡眠が約束される(私の隣の青年はほぼ寝続けていた)。
それはともかく、「羽衣」は、能の多くが鎮魂を描く処の複式夢幻能とは異なり、羽衣を浜に忘れた天女がそれを拾った漁師に頼むと「舞いを舞う」事を条件に返してやるというので舞うという話。ミソは、天女の舞いは羽衣を着て舞うものなので、衣を返すように言うと漁師は「先に返したらそれを着て天に帰って行ってしまうだろう」と疑いをかける。すると、嘘は人間のもの、天に嘘などというものはないと天女は告げ、漁師に羽衣を返してもらうというやり取り。
シアターXでの能公演は十数年前、観世榮夫らによって多田富雄の新作能「原爆忌」が演じられたというが、毎年のレパートリーにしようという話が、観世氏や中心人物が翌年相次いで亡くなり、立ち消えたという。今後Xでは能の企画を積極的に考えて行くというので、ちょっと楽しみ。

15(Fifteen)

15(Fifteen)

円盤ライダー

アトリエファンファーレ東池袋(東京都)

2021/10/25 (月) ~ 2021/10/31 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

円盤ライダーは確か3度目か。以前観たのもそうだが、舞台として仮に設定した場そのものの面影を残したまま、芝居は何となく始まり、次第に世界が出来て行く。社会に生きる男が登場人物で、個々のキャラに合った(実際そういう仕事に就いてるようにも見える)人物を演じるその風味がこの劇団の魅力であったりするのだな。途中何だかケッサクな場面も織り込まれて、美味しい時間であった。(女性が登場する円盤ライダーは初めてか。)

藤田嗣治〜白い暗闇〜

藤田嗣治〜白い暗闇〜

劇団印象-indian elephant-

小劇場B1(東京都)

2021/10/27 (水) ~ 2021/11/02 (火)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

「ケストナー」に続き歴史上の人物(芸術家)を戦争との関わりを焦点化して描いた秀作。前作が初見の劇団印象の過去作は見てはいないが「演出家」のユニットという認識は「劇作家」のそれに変った。
「戦争画」を巡ってのやり取りに後半長い時間が割かれている。
話は逸れるが・・今ハマってる朝ドラが「花子とアン」(時々思いついたように過去の朝ドラを見る事がある)なのだが、村岡花子の幼少からの人生をじっくり描いていてスパンが長い。「赤毛のアン」はいつ出て来るのかと思いながら見ていたら、殆ど最終段階に、ひそやかに、その英文の本が手渡される。今、それどころではない、戦争の渦中に。ドラマは花子(本名ははな)が甲府の貧しい農家から東京の女学校に上がり、社会人になった頃でもまだ大正時代、社会は徐々にきな臭さを帯びるが、描かれるのはあくまで花子の生活圏のドラマ。時折「社会」の風が姿を見せるのであったが、回も大詰めを迎えた第141回の今は日米戦争真っただ中の1943年。社会(国)は覆っていた布の下から露見した般若の形相でむき出しの暴力性をあらわしている。1930年代後半から強まっていた息苦しさが、息継ぎをする間も与えられず胸が抉られるように苦しい。あと2年もこの時を耐えねばならないのか、と。

・・芝居に戻れば、主人公・藤田嗣治が芸術家が食って行けない時代に「戦争画」を書いた、と言ってしまえば実も蓋も無いが、芝居ではこの藤田にそれを書かせるまでに様々な契機を与え、周囲に説得させている。つまり「何故」との問いに単純には答えられない「戦争期」というトンネルを潜った藤田の暗中模索の時間を思うのである。ポツダム宣言受諾後「戦争犯罪」の訴追を予想した、架空の弁明の台に芝居は藤田を立たせる。体制に協力したか否かは、確かに重要であろうが、この作品が描く藤田は果たして何に学べただろうか、とふと思ってしまう。
コロナの間、いとも簡単に「一色」になり、お上の制限を受け入れ、殆ど感染確率のない不要な「対策」を自らの判断で受け入れるだけならまだしも、他人を非難する行為が(TV出演の医師、専門家の一部さえも)横行した。
学ぶべき財産である先人の大きな失敗から、何も学んでいない日本の現実を見れば、それに比べて一人の画家の当局への協力が、戦争を「描く」という行為が、何ほどのものだろうというのが実感だ。

「アン」に戻れば・・(戻る必要もないが)
花子とは紆余曲折ありつつも常に腹心の友であった蓮子(白蓮、仲間由紀恵)は、愛を貫いて築いた家庭を守る思いばかりでなく、子どもたちのために戦争を終らせねばならないと昔とった杵柄、活動家として動き始める夫にも理解を示し、心の底で結ばれている。その蓮子は「一色に染まる」時代の変化にいち早く違和感を抱き、その事を言葉にする。それに対し、まだその時は「空気に逆らわない事が個人のため(時代がこんなだから)」と信じて周囲を気遣っていた花子は、同じように蓮子に「口にしない」ことを助言するが、既に夫が一度投獄され、現状に甘んじる事こそ子供たちへの裏切りと強く感じている蓮子にとって、「何も言わない・しない」事はあり得ない選択であり、花子に「あなたのような卑怯な生き方はしない」と言わしめる。
戦争を背景にした生活の細部での理不尽さ(大いなる滑稽さ)を、このドラマでは「静かに」描いている。
2014年放映というから、「まだ」7年だが、震災・原発事故の記憶がまだ生々しい中、このような真摯にテーマ性と向き合う場面が作れた時代だったのだな、と思う。この後、戦争法案可決、20万人デモが徒労に終わった揺り戻し、安倍政権のやりたい放題(森友、加計、文書偽造(役人忖度によるが圧力はあったのでは)、統計偽造や統計法変更(アベノミクス成功を印象づける)等々)と、個々の案件は個々のものだが「それを許す」面倒臭がりの市民を生み出した。中でも地味で大きな変化は報道に携わる人員の変化だろう。
蓮子と袂を分かつことになった花子も、譲れない一線を見てある決断をする。
恐らくドラマは戦争の経過をなぞり、降伏。花子は翻訳を完遂し、広く読まれる事になった「赤毛のアン」の初版本の装幀のアップで終わるのだろう。
戦争を生きた者にとっては、忘れたい時代であるかも知れない。だが、そこから何かを見つけなければ、踏み締めがいのある足がかりがなければ、望みの持てる未来への期待など湧いてこないのではないか。苦痛を避けたい弱い存在であるが、苦痛の中に希望を見ようとするのも悪くないと思ってみる今日である。

女は泣かない

女は泣かない

名取事務所

小劇場B1(東京都)

2021/11/05 (金) ~ 2021/11/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

女性の性被害を扱った作品で、男性には想像を超える重い題材ではあるが、不思議な感覚で面白く観た。一つにはミステリー要素のある戯曲、一つには無機的に流れる時間(の酷薄さ)を介在させた演出が、「問題」への踏み込みの深さにも関わらず男性客の凝視を可能にしていた。後者についてはユニークな美術と、抑制しつつも暗くなり過ぎない照明が印象的。長~いテーブルとこれに付随した台が、場転では必ず反時計回りに回るが、テーブルの動きはある点を軸とした回転であり付随する台はテーブルの先端を軸としてまた独自に動くので惑星と衛星の公転の早回しにも見えたり、とにかく物理学的である。
幼少時の義父からの性虐待体験をカムアウトしその分野の研究で教鞭を取る大学教員の主人公(森尾舞)は時に別居中の夫と会い、時に「事件」の参考人として2人の刑事の訪問を受けるが、芝居の中では彼女の想念なのか作者の観念なのか、被害女性(恐らく「事件」で殺害された?)が登場し、彼女自身の中のまだ解消しない被害者性を表わす。想念の中に登場するもう一人の寡黙な男性は「元夫」とパンフにあったが芝居中そうとは気づけなかった。実は彼女の夫が、状況証拠から事件の犯人と疑われているが、刑事の訪問を疎ましく思いながら彼女自身は事件の起こった夜、睡眠薬を飲んで眠っていたため夫のアリバイを証明できないにも関わらず「自分と寝ていた」と証言していた。夫が性犯罪事件の当事者である、という可能性は、彼女が「過去」を克服した証を揺るがすものに思われ、彼女はその可能性を封印しようとした・・台詞を繋ぎ合わせると概略そういう事である。嘘は解消しない何かがある事を逆に示しており、やがて彼女は義父と実母が暮らす実家にやって来る。カラオケ店を始めたのがうまく行っているようだが、ここでの母の娘への気づかいと脆弱さ、義父の無神経さ、不遜さがキムチの匂いの如くリアルに生々しく描写される。母は哀れだが娘を助けなかった意味で共犯だと子供は思う。してやれる事をしたいと母は思うがそのどれもが虚しい仕業である事も知っており、ただ泣く以外に無い姿に「一体何が解決なのか」と途方に暮れる。
芝居は彼女をして「嘘」の証言を刑事に吐露せしめ、夫に対して「避けていた質問を今夜、投げてみる」勇気を持たしめる。「危険だ」と告げる刑事を彼女は黙らせ、夫との対決に向かおうとする所で芝居は終わる。犯人の正解を示さないだろう事は予想通りであるが、その事によって「ミステリー」に引き寄せられていた者は、残された「問題」に向き合わされる。
妻と夫とのやり取りは、その関係も、ユニークで確かに夫はサイコパス的に描かれていて面白い。(「羊たちの沈黙」でのレクターと女刑事とのやり取りと同種の面白さ。)
主人公が夫との間の「曖昧さ」の中に温存した何かを手放す決意をした事は、「問題」との関連では何を意味するのか・・判らない部分が多いが、しかし「問題」が及ぼす当事者の心理を第一とするのでなく、使命に殉ずる事を潔しとする彼女が「全て良きものは真実から導き出すしかない」という信念を貫徹しようとしたと解釈するのが正解に近いかと思う。「殺人事件」は小さな事ではないが、彼女と夫との間の関係にとってはまた別の意味を持つ。彼女は犯人検挙のため、ではなく、性被害にあい、勇気をもって「証言」した女性が貶められる現実の中で、自らがとるべき態度を選択した。

ちーちゃな世界

ちーちゃな世界

青春事情

駅前劇場(東京都)

2021/10/27 (水) ~ 2021/10/31 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

前回映像で初観劇し、今回も映像で拝見。面白く観た。ペンションに集った人々が中庭的な場所で接触し、来歴を知ったりする。本折最強ひとし演じるオーナーとその妻(後藤飛鳥)が独特な風味を放ちながら背景画のように存在するが、記憶が長く持たない障害を持つ妻と日々付き合うオーナーがどこまでも「悲観」を遠ざける人で、最後に全てを失った状況でその存在感が浮上する。「まあ、大丈夫ですよ」。この言葉との認知的不協和を解消するかのような、予期せぬラストが唐突に訪れる。願望のこめられた結末がリアリティを踏み越えても成立する部類、にんまりという奴。

おせん -煎餅の神様-

おせん -煎餅の神様-

さんらん

アトリエ第Q藝術(東京都)

2021/11/03 (水) ~ 2021/11/09 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

楽しく美味しい芝居であった。
着想が面白いな~と思う。で、キーになる人物が「らしく」立ち上がっている。荒唐無稽さがほのぼの。それは「リアル」の土台が作られているから。フォーカスされている世界(業界)に限らず、社会の片隅で思いとこだわりを持って生きている実在の人々の夢が、これも劇中語られるがコロナの前に潰えている事を思う。

ネタバレBOX

未だにマスコミは感染の「数」だけを伝える風習をやめない。
「数」が厄災となるのは医療体制が構築できないからという道理の「見える化」にマスコミが躊躇する理由は何だろう...日本の病院の殆どが民間のため経営が優先され、その業界団体である医師会の発言力は強いため、これらを公機能として再編するには行政による調整に甚大なエネルギーを要し、財政的フォローも必要となるだろうにしても。といった事には触れず、「唯一の解決法」としての活動自粛(緊急事態宣言など)をちらつかせる。あとはせいぜい医薬品開発の最新情報とか。
活動自粛とは、文化(食文化も含め)享受の機会を減らす事であり経済を沈滞させる事。それ以前に人から自由な行動権を奪う事。情報番組も未だ感染症医師を呼んで「やはりこういった事が気の緩みに繋がり、感染を広げるリスクを高めます」とどこを切っても同じ金太郎飴コメントを言わせている。人はいずれ死ぬ。その確率が僅かでも、同じコメントがアナウンスされ続けそうだ。思考停止した人間にとっては変わらぬ日常がよく、行動指針を他者に示してもらうのが安心(責任とらなくて良いから)、感染症騒ぎはその分かりやすい指針を示し、他者との共通の関心が提供される感覚。
人が動かないという事自体が「感染」よりも大きな社会的なダメージになり得る、という認識が報道現場に無ければならぬ。・・そうしている間に南西諸島の自衛隊配備はどんどん進み、日本の領空は米軍に牛耳られたままであり、日本の食糧自給率や安全性や主導力を売り渡しても平気らしい政治家の集団が再び政権をとり・・・南無。
フタマツヅキ

フタマツヅキ

iaku

シアタートラム(東京都)

2021/10/28 (木) ~ 2021/11/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

疫禍の潮が引いて芝居の上演も盛況、こちらは訪問先の選定悩ましい折、一旦候補から外していたiakuの新作を日程が嵌まって観劇。
常連の清水直子、橋爪未萠里に加えて役人物にハマった個性的俳優らの競演は、整ったフォームを描いて無事着地した(体操競技の喩え也)。
好きな落語を扱っている事が冒頭で判り、心でにんまりする。あれ?この人。そうそうオイスターズ主宰の平塚氏も出演とあったな。そのまんまじゃん。横移動したら役の形にはまったという感じ。オイスターズの舞台がそれであるが決して「狙ってる」気配を出さない。
落語を扱った芝居と言えば
Mrs.fictionsの「花柄八景」を面白く観たが、どこか共通するのは落語が描くふわっと軽やかで洒脱な世界を地で行こうとする芸人の姿への憧憬。
若い二人のエピソードだけは一方と交わらずに進むが、やがてきちんと繋がる。繋がるには繋がるのだが、時代の違う二人の役を演じる一方の組は雰囲気は近いが体型全然違う、他方の組は体型近いが雰囲気がまるで違う。それでも何か心地よく成立している。
清水直子が夫と息子の不仲の間で必死に立ち回る姿が笑えて泣けて、哀れで笑える。

ネタバレBOX

モロ師岡演じる芸人(崩れ)とその妻(清水)は実は芸人とファンのカップルで、自死を思いとどまった女はあっけらかんと他人に尽くす役回りに情熱を注いで突っ走る。だが彼女はピンで漫談をやっていた夫にある時落語を勧める。
現在から見ると彼は落語家を志望し、挫折した人、となるが実は以前は気楽な漫談家であった。彼は芝居の後半で本音を吐露する。妻の期待がプレッシャーだった事、落語など敷居が高くてやれないのに事あるごとに勧められ、今も縛られている・・。このくだり、「わろてんか」の中盤に出て来る落語家志望の北村有起哉とその師匠の娘(中村ゆり)を彷彿させた。俺はやりたくなかったのに、こいつがやれやれとうるさく言うんだろう、と言う。
そこに真実があるかのように錯視すると、元々やりたくなかった事など長続きするはずがない、真実に向き合えて良かった、となるが、この芝居では妻が最後には我が儘を言い、駄々をこねる。夫の落語が聞きたい、夢を見させてほしい・・。かつて子どもの頃息子は父と二人で「初天神」を台詞分担してやった事があった。それをやるしか母さんを立ち直らせる方法はない、と二人はつい仲違いの事も忘れて、これをやる。襖の向こうの母は立て籠もり状態。母はかすがい、というお話。
音楽劇 百夜車

音楽劇 百夜車

あやめ十八番

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2021/10/29 (金) ~ 2021/11/02 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

うむ。悪くなかった。
あやめ十八番、三度目であった。前回は吉祥寺にて、タッパのある装置を使い、「悪くない」舞台だったよう。
本作は「おや現代劇?」(あやめなのに)と珍し気に見ていると、「古典が好き」を導入に和歌のやり取り、台詞の調子と共に世界観が立ち上がる。今回も高さを使った装置で上段に演奏エリアを設け、役者も上り下りしてそのエリアを使う。奏者5名の内、二人は役もやる。
音楽劇のタイトルに違わずミュージカル風に歌が挿入されるものの、「劇的」における歌の効果はさほどでない(台詞だけを喋っても情報的に変わらない)。加えてテキストの方も快調と行かないのだが、最後に帳尻が合った。我慢の甲斐あり、である。

ぽに

ぽに

劇団た組

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2021/10/28 (木) ~ 2021/11/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

私小説的な痛い話だが、超常的設定で軟らかく膨らみのある劇世界を作っていた。
知らない劇団(ユニット?)だが、出演者の名を見て観劇。津村知与志、平原テツ、金子岳憲、安川まり(最近お目にかかってる)と美味しい面々だが、他の役者もぐぐると映像出演頻度高く、世間的にはこっちの方が著名のよう・・とすれば作・演出の加藤某はそれなりの御仁?と推察されるが、名も初めてで来歴は調べていない。その内また、行き当たるだろう。
ドラマツルギー的には、松本穂香演じる学卒フリーター(一応進路の希望はある)が「就職できてない」という一事に言い尽くされている所の、甘さに、つけこまれて泣きを見る男女関係の行方という軸と、ベビーシッターのバイトで知った男の子との奇妙な関係という軸が交差する作りになっている。前者は「社会性」という名の実は実体のないコードをクリアしている事を自他に示そうとする自我に翻弄される「オモテ世間」的なひりひりする時間が描かれる。しかし後者では、彼女の人間的な可能性の微かな気配を漂わせる。終局で「「社会性」的にアウト」な己の実像に向き合わされる手前、彼女が出会った「友達」(と敢えて呼ぶ)は利害関係のない(むしろ彼女が自分の部屋という場所の便宜を供与する)相手であり、初めて人間的な他者との繋がりの気配がみえるのだが、しかしその存在はこの世に属するがこの世ならぬものであり、ある種の「夢」と捉える事もできる。(ここで「マルホランド・ドライブ」を思い出す。)
前者での社会性における(主観的には大きな瑕疵とは思えない)不徹底は、あらゆる局面で彼女に破綻の影を落としているが、大地震(停電と帰宅困難者の3.11の東京を想起させる)を機にそれらがそれぞれの形で噴出する。
彼女は十分頑張っている・・・そう弁護したい自分がいるからこそ、恋人(というよりセフレ状態)のどこまでも上からの態度と最後には暴力でプライドを維持しようとする挙動にめらめらと怒りが湧いたが、しかし彼女のどうしようもなく甘い生き方、社会への態度(容姿に恵まれて来た事が災い?)にその遠因を求めてしまう。
まあそう描いているんだろうけれど。。私のかなり近い所にいる彼女のような人のことが思い浮かび、「痛い」と心で疼いていた。

『動ける/動けない 言える/言えない』を考えるWS 試演会

『動ける/動けない 言える/言えない』を考えるWS 試演会

升味企画

アトリエ春風舎(東京都)

2021/10/24 (日) ~ 2021/10/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

出演者観客共に若い層。「試演会」のレベルや如何に、とフタを開けた一作目はどっと疲れて後悔が過ぎったが二作目、三作目は収穫であった。椅子にじっと座る、という行為はそもそも苦行であった(幸運な事にそのことを忘れていた)。目の前の現象によって苦痛を忘れ、心が動き活力が湧く。血流、脳内分泌物の力。演劇とはナゾな代物である。

ネタバレBOX

「若い」と言ったのは一つ目の出し物の関心事であるらしい「喧嘩ができる/できない」という問いに発する彼らの「あり方」が、自分のエリアに届いて来なかったから。というのと、就寝前30前に行なっているらしいワークのルールが不明。2人×3組の一対一の関係性の描写をやるが、面白い領域に行きそうな所、ピッと体操用の笛が鳴り、審判が「注意」と言って止める。このルールが判らない。ルールは大事だと思うんである。
二作目は升味女史らしいヒント少な目の台詞でナゾが次第に浮かび上って解かれるお話で、今回の「試み」の趣旨との関連は分からないが出し物として面白い。
三作目は友人、家族、関係性の点描が少ないキーワードで淡い水彩画のように見えてくる感じで、好感が持てた。
各15~20分。
紙屋悦子の青春【9月28日~29日公演中止】

紙屋悦子の青春【9月28日~29日公演中止】

(公財)可児市文化芸術振興財団

吉祥寺シアター(東京都)

2021/10/20 (水) ~ 2021/10/28 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

最も楽しみにしていた公演の一つ。観劇叶って幸福である。
黒木和雄晩年の監督作として題名を知っていたのが実は松田正隆原作と知り、数年前に映画版を見た、という記憶だけ持って(ストーリーを思い出さず)劇場へ。もっとも私めこの度は俳優陣に注目。「あつい胸さわぎ」の枝元、昨年4公演で目にした(突如現れた感ある)新人平体もさる事ながら、私としては文化座藤原氏、過去客演もあったが今回のようなプロデュース色の強い公演で、どんな存在感を発揮するか等楽しみに開幕を待つ。その部分の関心についてのみ言えば、無言の嘆息。脇役だがある意味での主役、誰もがやれる訳でない役どころを存分に形象していた。
あ、と映画を思い出したのは兵士二人が悦子の実家を訪れ、卓に置かれた布のかぶさった皿の中身が「おはぎ」らしい(昨夜女らが話していた)と気付いた時。見合い相手の男がこれをパクパクと食う。情感豊かなシーンである。
小さな、町の片隅に生まれてやがて消えて行く人生を体現する平体の小さな体、飛行機もろとも消えた思い人の命(同僚を見合い相手として彼女に紹介した)を、無言で見つめる小さな眼差し。おっちょこちょいだが実直で、今思いついた好意を伝える表現としてひたすらおはぎを食べ続ける今日婚約者となった男。悦子の思いを知り、最後の挨拶に来た青年との最後の時を悦子に与えようと必死に立ち回る義姉(女学校時代の親友で兄の嫁)、その夫。プロデュース公演色もゼロではなかったが、ala発舞台の前例に違わぬ温もりのある上質な舞台だった。

ネタバレBOX

近頃苦言が多いのはそういう年寄になり行く予兆か(いや前からそうか)。
長崎弁で紡ぐ松田作品の傾向を自分が知っているせいなのか、序盤から枝元女史による飛ばしが会場の笑い(比較的高年齢層と思しい声)を逐一起こすが、若干違和感を催す。「そんなに笑いたいか」と。特に・・左隣の女性は地声が大きく、枝元が「笑いに行くぞ」という構えに入った瞬間に笑いを発する、まではまだ良いが、アハハハ、と笑った後「fnnnnn~」と声が続くのには参った。(やれやれ、とか、ああ可笑しかった、というニュアンスの、自分なりの生理現象に終止符を打つ発声だ。)耳に絡みつくfnnnn~。「おいおい、まだ芝居は続いてるぞ、あんたが笑った直後の場面が一番大事だろ、ちゃんと見て頂戴よ。」・・と段々腹が立って来て、左耳に指を当てる事となった。まあこの時この人には「公然と笑う」機会が必要だったのかも知れぬが・・
物語に戦争ゆえの深刻な影が落ちてくると、隣への警戒心から解放され、芝居に見入った。
楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~

楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~

アン・ラト(unrato)

赤坂RED/THEATER(東京都)

2021/10/16 (土) ~ 2021/10/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

一つまた新しい発見となった。じっくり丁寧に描き出す『楽屋』。

ネタバレBOX

上演によっては1時間を切る戯曲だが、この入場料を取るだけの内容に出来るのか・・と下世話な関心も持ちながら久々の赤坂RED THEATERの座り心地良い座席に収まる。
開演。照明に照らされた舞台美術にまず目を奪われる(「楽屋」を見慣れてるので)。「演出」の仕事を印象づける大河内直子、今回はこれか、とまず思う。以前同じく赤坂REDで観たunrato舞台に少し似る(美術 石原敬)。雑然かつ整然と、くすんだ鏡台や調度が置かれ、ススキの穂がそこここに顔を出す。野に吹く風の音。小さく流れてくる優しく包む系の音楽(確かピアノ音)の中に、小鼓の音がポンと微かに鳴り、空耳かと疑っているとまた遠くで「よおーっ」と聞こえる。能のモチーフである鎮魂の舞台はなべてかつて戦乱のあった野っ原であったと合点する。

楽屋を演じてきた女優たちの中で、飛び抜けて達者だという訳でないが、実力の確かな所はunratoの求めるレベルを担保。まず最初の見せ場、女優A、Bの演技のやり取りの中でもAがノリノリでやる「斬られの仙太」。渡世人の喋りを保坂知寿の細い低音が小気味よくぐっと来る。
女優Dが登場して女優Cが舞台から戻った後の二人のやり取りとそのA、Bの受けで進むアンサンブルの場面は、A、Bがやや控えめ(二人の会話に気をとられて互いに奇妙なメイクをしてしまう所は実際にはやらず)、だが精神を病んだDが去った後、女優人生を振り返るDの独白場面は過去観た「楽屋」の中で最大級に熱を帯びた。「出来る女優」然を形象できる女優が激情を迸らせると、リアルにその自負と孤独が浮き彫りになった。先まで陰でDを悪口を投げていたA、Bが、心の底から共振し静かに聞き入り、正面(鏡)を向く二人の内面をさらした表情が揺らぐ照明の中に浮かぶ。
クライマックスをこの場面に置いた事で、最終場面(Dが亡霊となって再び現れる)が若干厳しくなるが丁寧に切り抜けていた。静かに意気投合した三人は下手端の蓄音機に生のレコードを置いて針を落とし、三人姉妹の役らしい衣裳を各人がまとう。感情を高ぶらせ過ぎず、押さえ過ぎず、イリーナ、マーシャ、オリガが台詞を言い、オリガの途中で照明が落ち、台詞「それが判ったなら」が残る。風。

殆ど大勢に影響のない難点を敢えて挙げれば、冒頭場面でDが忙しく鏡を覗いてメイクをチェックする目線が鏡面と垂直でなく斜めだった事(やっぱそこはリアルに)。AとBの二人が言い合いになって物を投げ合う所で、最後の一投げ「えいっ」(畜生という心の声)が欲しかった。DがCの迫りに思わず激高して酒瓶を手に殴る所は「咄嗟」にしては手を伸ばす距離が(重箱の隅だが、逆に他が完璧という証左?)。
ただしその殴った瞬間(衝撃音)、その酒瓶(割れたず)があっと言う間にどこかへ消え、目で探したが見つからず、うまい処理であった。
(上演時間:1時間20分)

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