実演鑑賞
休憩込みの3時間。福田善之作品を堪能したのはほぼ初めて。つい先頃上演した明後日の方向「長い墓標の列」は稽古見学(ワークインプログレス)のみで本番を観られず。もっと以前に観た俳小の「袴垂れはどこだ」(シライケイタ演出)は中盤から寝落ちして殆ど筋を覚えていない(♩袴垂れーは、ど、こ、だ、の旋律は覚えている)。「長い墓標」で中心人物を演じていた辻村氏は今回の「オッペケペ」で座長・城山の妻役を演じていた。「長い墓標」では男女完全入れ替えの配役で、女役二名のため男優は二名のみ。演出の黒澤氏は古典劇の男女比に問題を感じていたとの弁。
今作も女役は三役のみで他の十名が男であるが、主役の愛甲役を筆頭に壮士俳優役一名、元歌舞伎役者という男役三つに女優を当てた(内一人は女役を兼役)。その他の演出上の特徴というとパーカッションとコントラバスの生演奏、読売壮士という役に糸操り人形遣い、他の俳優も一体どう集めたのかと訝る程多様な所属・出自(浅倉氏の演じた準主役・城山役は当初西悟志氏に当てられていたとか)。装置は左右の端やや奥から階段を上って橋が渡され、高みからの芝居、下は中央に一段上がった広い四角の演技エリア、橋下にあたる奥は台から下りた床から向こうが役者の待機場所のよう(芝居の一座の話であるので丁度舞台袖から奥の感じ)。
一幕では四角のエリアに徐々に衣裳が散乱する。二幕はキャスター付衣裳掛けを活用して隠しに用いたり。それら相俟って作為的に舞台が進行するが何より圧を持って迫るのは台詞。戯曲に圧倒される。時代的には旧来の「運動」、あるいは政治性と不可分であった新劇の偽善?の皮を周到に剥がして行く作品と言え、かつて劇評家扇田昭彦氏が新劇の時代とアングラ時代の中間に位置する役割を担ったと書いていたのが思い出された。なる程言い得た洞察であったのだなと。(続きはまた。)