
エンジェルス・イン・アメリカ【兵庫公演中止】
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2023/04/18 (火) ~ 2023/05/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
前半に第一部、第二部を観た。コンディションに恵まれなかった第一部はもう一度観たいな。
以前読んだ戯曲に関する本に、「叙事詩劇」の優れた作品と紹介されていた。題名は覚えておらず、作者名を見てハッと思い出し、レビューにも背中を押され観劇。上記の本を後で読み返して見ると、さほど字数は割かれず、書いてある事は作品を観た後ではピンと来なかった(戯曲がどう優れているかの説明が晦渋)。
しかし一部、二部それぞれ3時間を超えるこの大作が、20世紀後半に書かれた代表的な作品と紹介されていても何ら異議はない。
「死に至る病」であるエイズを扱った作品と言えば「RENT」がよぎったが、この戯曲で扱われる出来事や事実、状況は全て俯瞰され、対象化され、人生や世界を構成する一要素に過ぎないように見えて来る。登場する天使や天界の博士たち、自分たちの先祖に当る人物らが織りなす不可思議の絵は、苦悩する登場人物の内的世界を象徴するかに見え、同時に世界そのものの視野に導く。詩的な台詞がこの構図にずっしりとした中身を与える。(あんこたっぷりな鯛焼き、でも甘さ控えめサッパリで重くない。)
休憩二回で殆ど疲れさせない面白さ。作品の魅力などうまく説明できない。トニー賞とピューリッツァ賞を獲った作品なだけはある、と書いて済ませるが早いかも知れぬ。

「キムンウタリOKINAWA1945」「OKINAWA1972」【4月6日(木)19時の回の公演中止】
流山児★事務所
ザ・スズナリ(東京都)
2023/04/06 (木) ~ 2023/04/23 (日)公演終了
実演鑑賞
流山児×詩森ろば舞台は、第一弾「OKINAWA1972」、数年後の「コタン虐殺」を観た。今回はその続編的・総集編的公演のようで観たいが二つは厳しい。「OKINAWA1972」の方は概略分っており、アメリカ世(ゆ)から「本土返還」までを時代設定とし沖縄ヤクザという題材のユニークさ。「知らなかった」知識に触れた「面白さ」が評価の大半だったので(書き直したとは言え)骨格は変わらないと踏んで「キムンウタリ」に絞った。
結論から言えば、やはり自分の肌に合わない作品を作る人だな、という感想。何がそう思わせるのか・・。宮台真司によれば「芸術は痛みを伴うもの」。演劇はどうか。現実に傷ついた人の心を慰撫する演劇も立派な芸術だが、本当に感動した舞台は現実の(真の)「痛み」に届いている。ただし宮台氏は「痛み」を「刺す」「不快」とも言い換えていて、フィットするのは「不快」である。快感という甘味にまぶして薬を飲む喩えで言えば、快感より不快が上回る。詩森ろば氏の舞台のこの「不快」から、私は色々と考察を余儀なくされても来た。今回も、不快の源を考える。
詩森氏は劇作家である前に「演出家」と自認する、とは何度か(トーク等で)耳にしたが、この「演出」が肌に合わない、と感じる事が過去幾度か。感覚的なものだが、自分にとってのそれは例えば、客席に向かって俳優が喋る(ナレーション)台詞・演技が多い。そしてダイアローグでない台詞の時間を舞台上で「持たせる」ためにリズミカルに、時に歌に乗せて、何らかのアクションとセットで言わせる。「埋めてる」感が嫌である。それは自分が言葉を理解したいと考えるからか・・。演出意図は恐らく「説明言葉が理解できない」観客層に配慮しての事だろうと思うものの、ノリノリで言わなくとも、普通に説明すりゃいいじゃん、と思ってしまう。
劇中人物としての発語に感情移入させないために持ち込む異化効果は例えばどんでん返しとして、またはディープな芝居の息抜きとして、現代演劇でも用いられる一般的な手法だが、これは、「芝居を観て解決しても(カタルシスを覚えても)現実の解決にはならない」という社会変革を志向したブレヒトの「思想」を超えて、汎用性を持ったという事。しかし詩森氏はこの「異化」の元来の趣旨を感覚的に導入しているのかも知れぬ。
・・仮説はともかく、今回「不快」であった理由は、その構造にある(いや構造そのものは優れているのだが)。

SEXY女優事変
劇団ドガドガプラス
浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)
2023/04/25 (火) ~ 2023/04/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
おっとこれは・・現代を描くとこうなるか。という新鮮なドガドガプラスの新作。「現代日本」を盛り込み切れず、皿からこぼれている。一方、性風俗と親密な距離にある望月氏がAV新法という悪法をトリガーにまっすぐな愛情を見せるのが、業界で真摯に葛藤の中で働く者たちの描写。音楽・歌と踊りは相変わらず中々である。平均年齢が低そうな女優陣の健気に演じる姿が題材と重なってくる。受付にCDが置かれ「追悼野島健太郎」と紙があった。音楽担当のこの人は映画にも携わり、望月氏との接点はそこだったか。残した楽曲を構成しての今回の舞台だったか、遺作となったのかは不明。

ハートランド
ゆうめい
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2023/04/20 (木) ~ 2023/04/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
久々のゆうめい観劇。最初に観たのが数年前下北演劇祭の若手をピックアップする下北ウェーブに登場した1時間作品「弟兄」。自伝的要素があり一発屋な感じも持ったのだがその後尽きる事なく作品を出し、「イタイ」世界を構築する。見逃し多くそれでも今回4作目、芸劇での公演、出演陣もちょっと気合の入った面々という事で気になっていたが、当日たまたま時間が出来たので運よく観劇したら、秀逸。中央にドカンと高い岩場のような装置があってこれが一軒の建物で、下手側の階段を上って玄関、待合室、カウンターバー、奥が居間と段々低くなる感じで、具象が多い割に戸をエアでやってたり、プチ変則な約束事をちりばめた奇妙演出が、独特な端折りで話が進む(後に勿論つながる)進み具合も、場面単独のディテイルのリアリティで見せてしまう。
終盤「音楽」でクライマックスは以前の作と重なり、持ち味。そこはズルいが、見事に嵌まっていた。(作者の熱い部分は台詞でなく歌とか、そういうのに代弁させたいタイプ?) 殺伐とした現代の風景を基調に、その底流に通う人間の血の温度を、その可能性を見せる。「ハートランド」の字体がよく見るとホラー系。ディストピアでの人間の棲息風景、にも見える。

ブロッケン
ゴツプロ!
新宿シアタートップス(東京都)
2023/04/21 (金) ~ 2023/04/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。
なぜか関西弁、の人物がゴツプロ!の主宰?(そのあたり詳細知らず) 兄役の彼と弟を主役に、人生半ばにして迷走する男の「今」を描く。深井邦彦氏作品を少し前のツケヤキバに続いて吟味する回、でもあったが着実な仕事を重ねていると実感。
特徴的な人物(ちょっと居ないがどこかには居そう)と彼らを取り巻く人々が、最後に群像の画を結ぶまでの軌跡を描くわけであるが、構成される場面を面白エピソードに仕立てる技師であるのか、むしろ散文(小説)を書くテンポから生み出されて来るものなのか・・。
俳優がうまい。早々に死んだ叔父さん(有薗)がちょいちょい出て来て何か言うのが美味しい。母(岩瀬)の娘との距離感と、最後に今自分が言える言葉を探しつつ語るのがいい。わけわからん!と周囲に言わせながら貫き通す兄(大塚)のキャラが強靭。割り切った娘(泉)が最後の最後に湧き出る不条理の思いに身を任せるのがいい。

毛皮のマリー【2023年上演/B機関】
B機関
座・高円寺1(東京都)
2023/04/14 (金) ~ 2023/04/17 (月)公演終了
実演鑑賞
「星の王子さま」以来二度目(同じ座高円寺)の観劇。(正確にはd倉庫の現代劇作家シリーズに出品した短編を観ていて、抽象舞台だった事だけ覚えている。)
「毛皮のマリー」は以前戯曲を読もうとした事があり(読んだかも知れぬ)、冒頭の脛毛そりの場面、マリーに幽閉されている「息子」欣也に外へ出ようと少女が誘う場面に覚えがあった他はラストも含めほぼ初めての感覚で観た。
舞踏家の点滅氏がパンフに書いた如く、B機関のコンセプトである「演劇と舞踏」の融合が、文字通りの形で具現されていた。で、その分だけ長くなっていた。「演劇と音楽(ライブ)との融合」についても思う所が、両方を立てようとするとまあ大変である。今作はラストへ向かう手前、少年欣也の屈折が表面化したある衝動的行為の、内面の軌跡をなぞるような舞踏が長く展開し、あれこれと考えさせられる。ただ、解釈可能性の広い舞踏表現だけに(ストーリーを追う)演劇の一角を占めるには「何が表現されているか」が絞り込まれたい所、そこだけ舞踊表現によって完結する世界になっている(悲劇調の音楽が「演劇の時間の一部」に繋ぎとめていた)。
2016年始動したB機関の第一回公演が「毛皮のマリー」であった由。そして再びの今作で活動を閉じるという。出自である所の舞踏が如何に「演劇の附属物」とならず対等な表現たり得るか・・その挑戦・足掻きの痕跡を残して幕が下ろされたという訳である。
余談だが葛たか喜代は(前回観た「星の・・」にも出ていたが覚えておらず)「女優」という認識であった。美輪明宏のマリー役を想像し、成る程と感心しながら女装男の立ち居振る舞いを目で追ったが、最初は嗄れ声の「女優」だと思っていた!ので、素肌の上半身を開陳した折は「珍しい程のまな板胸だからこそやれる芸当を持つ希少な女優?」等と、けったいな想像をしていた。・・まああの眩惑的な佇まいに当てられてしまったという事にしておく。

橋の上で
タテヨコ企画
小劇場B1(東京都)
2023/03/08 (水) ~ 2023/03/12 (日)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
タテヨコ企画の最初は、三軒茶屋の住宅街の一角の「やや広い」というだけの部屋を借景として上演された芝居(椅子も置けないので少ない観客だった記憶)。ちょっと変わった試み、であったから観に行ったのだがそれ以降タテヨコ企画は劇場で「普通に」公演を打っている。横田氏作演出のを二回、柳井祥緒作を青木氏が演出を一回、だったか。青木柳葉魚氏作品は初めてとなる。
秋田の連続児童殺傷事件が題材である。そのもの、のようでもあるし、別の設定、のようでもある。後半は正に件の母による「その瞬間」が描かれる。橋の欄干での、娘とのやり取り。その後に起きた娘の幼友達である近所の男の子との接触場面。「殺意」を否定した想定で作られた場面が、作者が事実を紐解いて蓋然性を得た結論なのか、ワンオブゼム=可能性のストーリーなのか、実際には起きなかった「もう一つの物語」なのかは、この事件の事を詳しく知らないので判らない。
こういう場合、舞台と事実との関連が明確でないことが通常ストレスになりもするが、不思議とそれが無く、芝居として面白く、引き込まれて観た。
とは言っても、「没入」が起き難い映像鑑賞(舞台の)の際のパターンで、一度ざっと見て、後で細部にも目を届かせながら見るという手順を考えていたが、二度目を見ない内に期限を過ぎてしまった。芝居に引き込む要因が何か、あるいはちゃんと見れていたかは確認できず終いである。
以前この同じ事件を題材にした舞台をどこかで観た。その舞台は母の「男関係」の時間を中心に描いていた記憶であるが、今作は事件を振り返る「場」として地元雑誌の編集室を設定し、敬遠されるこの題材を取り上げようと熱く訴える女性記者と、周囲とのやり取りと事件に関わる再現場面が地続きに相互に入れ替わる。この方法が効を奏して観客にも事件との一定の距離感を保たせ、かつ芝居に緊張感を与えていた。

ブレイキング・ザ・コード
ゴーチ・ブラザーズ
シアタートラム(東京都)
2023/04/01 (土) ~ 2023/04/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
チューリングを扱った映画を何年か前に観たが、舞台だと「コペンハーゲン」のような高尚な科学・哲学論議が展開されるか・・と予想して見始めたのだが、予断を持ったせいか、焦点がぼやけて構図が今一つ見えて来なかった(例によって眠い体だったせいもあるか、「ダウト」で見せた凄絶な亀田佳明を期待し過ぎたか、あるいは公演序盤でまだ舞台が熟していなかったから?・・どちらにせよ疲労は頭を固く鈍くするのでそのせいだろうと言えてしまいそうでもある)。
ドイツのエニグマ暗号の解読で第二次大戦での勝利に貢献した栄光の過去(欧州では終局までドイツと対峙したのは英国)と、同性愛者である事による不遇と死という後半生。この両者を、恐らくこの作品は華美な修飾を施さず、チューリングの主観に沿った等身大のそれとして描こうとした、のではないか。
だがそうする事により、「別にチューリングでなくてもいい」物語と見えなくもない、というのが正直な感想だ。日本ではさほど知られていない人物であるだけに、「今なぜチューリングか」の問いが最後まで残った。
断片的には役者の存在感により生き生きと場面は立ち上がっていたのだが。(存外、見返してみれば見落とした細部が埋まって印象は真反対、という事もあり得るが。。)

「モモ」
人形劇団ひとみ座
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2023/03/23 (木) ~ 2023/03/29 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
70周年での「どろろ」に圧倒されて以来、ひとみ座の主要公演を追いかけている。今回で5作目になるか。「モモ」と来れば観ない選択肢はない。早くに完売が出る中、どうにか観られた。佃氏の脚色。シンプルさの中に光る感動の瞬間がある。期待通りである。音楽はラテン調の不思議なアレンジや、プログレ楽曲を借用した音楽など幅広く現代性にも富んでいた。

誤餐
赤信号劇団
ザ・スズナリ(東京都)
2023/03/25 (土) ~ 2023/04/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
こちらも楽しみにしていた公演。赤信号はかつてのお笑いブーム(たけし・さんまの頃?)での朧げな記憶しかないが、自分には演劇の方で認知した小宮氏、ラサール氏に、桑原女史の作演出に垂涎。フタを開けると、まずリーダー(渡辺)の「へたくそか」とヤジ(好意的)を飛ばしたくなる佇まいから、これは赤信号の自分祭り企画であったなと認識。(二日目であったので小慣れなさも考慮すべきか?)
客席から見ても数個のミスがあり、それも含めて楽しい舞台ではあった。この日の一番は、芝居の後半、大学教授役の渡辺氏がかつての「恋人」室井氏と二人になる場面。少し背景を言えば、大学に入学して来て自分のゼミに入った青年が室井の息子であると知り、そして今日彼女が二十数年ぶりに会いに来ると聞いてかねて疑っていた「彼は渡辺の実の子かも知れない」件を告げに来たのでは、とあたふたしている。その伏線あっての、二人の場面。二人を精神的に結びつけていたアイテムというのが、若き日に彼が書いた論文を収めた書籍で、預かっといてと言われて後ろポケットにねじ込んだそれを、室井が見つけて「これ・・」とそちらの話題に自然に入っていく「はず」であった所、どうやらポケットから出して楽屋に置いていたらしく、室井が次の台詞の前に笑いながら渡辺のズボンの後ろポケットをつんつん、とやっていた。それを見て渡辺「ちょっと、本を取って来る」と、あたかもそう決まっていたかのように奥へ引っ込み、本を見せ、会話再開となった。ドラマとしては大失態なのであるが、こんなシーンも笑って見られるだけのお祭り感は「赤信号」ならではである。
この論文は渡辺唯一の出世作で、室井の息子も「ヤバい」と心酔しているのだが、芝居のアイテムとして「論文」というのは珍しい。というか、そこに何が書かれているか内容が問われるものは(例えばかつて天才音楽家と呼ばれた男のその楽曲を披露しにくいのと同じく)扱いが難しい。それはともかく・・この論文は大学の食堂のお姉さんだった若い日の室井との会話から着想された「二人で作った論文」であったが、アカデミーの世界を人生のコースとした彼はそれを自分の著作として世に問い、その疚しさから彼女の元を離れた、というひどい男である。だがよく判る顛末でもある。本作は人情喜劇だがシリアスに描いても行けそうな設定。ただ、教授が自分の「罪」を皆の前で告白するクライマックスの後、判りやすい仲直りの場面はやや微妙であった。

K2
滋企画
こまばアゴラ劇場(東京都)
2023/03/24 (金) ~ 2023/04/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
一年以上前からチラシを手にして期待の佐藤滋企画であったが、「K2」というタイトルも深く追求せず、ついに観劇当日蓋を開けてみたら、既存の海外戯曲しかも山を舞台の二人芝居だった。山の中の二人芝居、で思い出すのは大竹野正典『山の声』だが、こちらは実在した登山家の「最後」を題材にしており、戯曲の魅力は「危機」が訪れない道程、日常と地続きの感覚と非日常の絶妙なバランス、台詞の含蓄(文学性とでも)。今作「K2」は遭難から一夜明け奇跡的に命を取り留めたとは言え既に「危機」のさ中にある二人、から始まる。こちらも日常と非日常の感覚の往還はあるが、登山用語が飛び交う「非日常」の緊張感に比重がある。

播磨谷ムーンショット
ホチキス
あうるすぽっと(東京都)
2023/04/07 (金) ~ 2023/04/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
過去一度(7年位前)観たホチキスの印象は、薄れているものの、とにかく体力全開、ロックな印象。歌、音楽、アトラクションがメインのような舞台であったが、当時自分の関心であったドラマの構造(俳優への関心薄し)が些か脆弱で、残念感を覚えた記憶である。その後、舞台の印象と共に刻まれた主役・小玉氏を外部で目にするにつき、拒否感は薄れ、先入観を払拭して久々の観劇と相成った。
荒唐無稽なストーリー(この劇団の特色と言ってよさそう)で、観客に「乗りツッコミ」の忍耐を強いるだろうドラマを、程良い笑いや小ネタ、テンポで超えさせて、最後にはちょっとしたクライマックスをもたらす。アトラクション主体、という点は以前のに通じてもいるが、今作は「ありそうでまず無い」ドラマが大きな瑕疵なく着地していた故、笑いを伴う役者のパフォーマンスもドラマの流れに即した順当な(というのも妙だが)「演技」として屈託なく成立していた。

彼女も丸くなった
箱庭円舞曲
新宿シアタートップス(東京都)
2023/04/12 (水) ~ 2023/04/18 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
箱庭円舞曲は多分10年近く前、711だったかアゴラだったかで観た。震災が尾を引いていた時期の、災害にまつわる話だったが書き手の古川氏には発展途上な劇作家のイメージ。"やり手"(作為か天然か悟らせぬ)という印象の白勢未生が入団しその点でも注目していたが機会を逃してこの度久々「二度目」の観劇となった。
構成に難解さがあるのは恐らくこの劇団の特徴、書き手の指向。役者の技量が細かな演出(指定)に応えて、繋がりの判らない前半を乗り越えさせ、禁欲的な叙述の雫が後半になってようやくグラスの表面張力を破ってじわっと流れ落ちる感触で、ドラマの要素が浮上し、全体図が霧の向こうに見える感じで見えて来る。
物語自体も自分は面白く観たが、それ以上に芝居を通じて溢れ出て来る、時代を生きる感覚のようなものに共鳴させるものがある。

相依為命(そういいめい)
ミュージカル座
シアター・アルファ東京(東京都)
2023/04/05 (水) ~ 2023/04/09 (日)公演終了
実演鑑賞
随分前の事だがある若手俳優に所属を聞いて思わず聞き返した劇団名。以来、名を見る度にチェックはするものの文字通り「遠い」存在であったが、今回シアターアルファまで接近。作品への入魂具合を見定めて劇場へ足を運んだ。
馴染みが「ある」とは言えないミュージカルというジャンルについてここ最近吟味する機会が多かったが、日本語オペラのこんにゃく座が独自の世界(本家オペラとは一線を画した)を構築したように、比較的小空間でがっつりストーリーのある舞台に音楽を拮抗させた「ミュージカル」という分野が、中々完成度高く実現している事は新鮮な発見であった(この劇団はその嚆矢なのかも・・等と関心がもたげる)。
観始めは「今なぜ愛新覚羅?」の疑問が脳裏をめぐっていたが、観終わった時は作者の企図が飲み込めていた。歴史上の愛新覚羅溥傑(溥儀の弟)と日本人の妻の足跡を描く筆致は独特(というより若い世代の歴史理解を反映)。そこに危うさがなくもないが(年寄が若者を見る眼差し?)、この歴史の叙述に抜かせない要素を作者なりに掬い上げ、メッセージに結実させていた。音楽は前半メローに寄りすぎか(聴いてて心地好くはあるが)、という印象であったがトータルで多様な風景を作り、レベルは高い。長尺の音楽(多場面を持つ)がミュージカルや音楽劇における「音楽」の面目躍如である。
自分にとっての「意外」は、全体に歌唱力が高い(子役も)。実際の所プロデュース公演の本格ミュージカル以外ではあまりお目にかかった事がない。

ミュージカル「おとこたち」
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2023/03/12 (日) ~ 2023/04/02 (日)公演終了
実演鑑賞
ハイバイ観劇何作目だったかで出くわした「おとこたち」は少々異色作、少し配役を変えての再演でも弾けた感はなく岩井氏の探ってる感が残る。・・とは後付けの印象かも知れぬが、新装PRCO劇場に寄せる(初)ミュージカル作にこの演目を?とまず訝ったのは正直な所。最後まで訝り続けたのだが、岩井氏の信頼する前野健太氏そして出演陣に期待し、「んーー」と迷った挙句観に行った。
結論的には、この作品のドラマツルギーが最もしっくりと、飲み込めた気がした。
構成はおそらく随分改められ、初演、再演で平原テツらが作るキャラと空気感(言わばハイバイ的空気感)と大きく風合いが異なり、過去の「おとこたち」の記憶と合致する場面は前半訪れず、「そうだこれだった」と思い出したのがほぼクライマックス、葬式の場面であった(表の顔しか知らなかった旧友の葬儀に参列し、死者を冒涜するかのふてぶてしい息子に諫めた男二人が、生前の家庭内の様子を伝える衝撃の録音を聞かされる)。
冒頭の「歌」はカラオケでガナるような塩梅で(ここは記憶と朧に合致)、ミュージカルってこれ?と不安が過ぎったが、少しずつ風景が細密化し、歌も地に足の付いた、そぐわしい物になって行く。人生を俯瞰して無常観(死そして意味の揺らぎ)とノスタルジーを呼び起こすドラマであるが、語り手(ユウスケ)を含めた四人それぞれの凡庸だったり数奇だったりする人生が、同じ時の流れに翻弄され、一つの結末に行き着く存在として並列され、想念の中の記念写真に納まるラストの図と、歌に図らずも涙腺が緩んだ。

シブヤデマタアイマショウ
Bunkamura
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2023/03/30 (木) ~ 2023/04/09 (日)公演終了

アウトカム~僕らがつかみ取ったもの~
劇団銅鑼
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2023/03/17 (金) ~ 2023/03/22 (水)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
銅鑼の安定感ある舞台を3、4作品観たが今回初めて映像で鑑賞。おなじみのシアターウエストで。独特なテイストがあった。理由は掴みとれないのだが、一頃もてはやされた町づくりワークショップの理想的展開の事例という感じで、参加者一人一人にもスポットが当たり、群像になっている。アウトカム(活動がもたらす結果。アウトプットよりは長期的・本質的な効果といった意味合いが強い)を評価する(事業評価)会社を作った男が「最後の営業日」でその銭湯を訪れる日から芝居は始まる。彼がそこで再会した旧友を誘いこみ、その旧友(主人公)の目を通して、事業評価を発注したプロジェクト(廃業を決めた銭湯を建屋ごと再活用する)の顛末を描写して行く、という構図になっている。このプロジェクトは町づくりワークショップの方式を用い、参加者間の関係性や、参加者個々の人生にも触れて行く。物語自体は、このプロジェクトというセミパブリック状況でのウェルメイドなハッピーエンド・リアリズム劇だが、浮世離れした感が、今の世のアンチテーゼにも思え、逆にプロジェクトを進める代行企業や出資者として参与する企業、その内情もチラッと出てきてリアル社会の縮図でもあり、そのバランスが独特。

あでな//いある
ほろびて/horobite
こまばアゴラ劇場(東京都)
2023/01/21 (土) ~ 2023/01/29 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
注目のほろびてだが、漸く二度目になる今作は映像で鑑賞した。現代社会の矛盾が無言の内に噴き出す様を情景化した舞台。コンクリの床と正面奥の瓦解したコンクリ壁の残骸は物理的な破壊を表し、人物によって描かれる諸相はその背後の、荒涼たる人間の心の風景。両者の関係への考察が本作の原点である事が想像される。演劇が、芸術が掬い取る使命の核心を扱っている、というのが私の感想。

入管収容所
TRASHMASTERS
すみだパークシアター倉(東京都)
2023/02/17 (金) ~ 2023/02/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
配信で鑑賞。
タイトルがいつもの謎掛けのような文字列でなく、ストレート。加えて今回は配信を実施するとあり、どことなく「特別回」の公演だな、と読み取った。ネットのサイトの有料動画が、「テーマの普遍性・緊急性に鑑み」無料公開される事があるが、それに近いものか。。
入管問題に踏み込んだ芝居であり、その大部分は入管で亡くなったスリランカ人ウィシュマ氏の「死」に至る経過を辿ったものと言って良い。入管職員の理不尽な対応と「何も説明できてなさ」のこれ以上無い解説に芝居はなっていて、身も蓋も無い現実を露わにし、観客に突きつける。後は観客それぞれがこの現実を受けて何をするか、である。
物語上の「救い」は芝居の中には無い。しかし明白な「誤り」が存在し、今なお改められずに放任されている「事実」が共有される事自体は(つまりこの上演が実現した事は)希望であり救いである。
今作の特徴は、入管側の人物を思い切って舞台上に上げたこと。入管に勤める人間の中にも良心がある、という配慮もした上で、結局「収容し続けていること」の根拠が薄弱である現実を冷徹に描いたものと私は評価した。
「敵」を軽く見せてもいないし、ことさらに「悪」に仕立てて溜飲を下げてもいない。この芝居のような現場で、上司に「抗う」人間は、多分いない。だが水面下ではどうか・・。その水面下の感情が表面化していたらウィシュマさんはどうなったか(助かったのではないか)・・その「願い」が表面化した部分がフィクションである。人を死なせてはしまったがその事実から何かを改めねばならないと考える人間が内部から出て来れば、昨日とは違う入管の姿を明日目にする事ができるかも知れない・・。
長谷川景演じる職員の心中の苦悶と、最後に上司に対して取った言動は、私たちが非道な入管に対峙して夢想の中で思い描いたものでもある。
実際の入管はもっと殺伐としてドライでああいう場面は実際には生じない。上からの指令か外圧でしか組織の変容は起きない。従って私たちが何をするか、である。

少女仮面
糸あやつり人形「一糸座」
赤坂RED/THEATER(東京都)
2023/03/17 (金) ~ 2023/03/21 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
コロナで長らく据え置かれた公演の一つ。天野天街演出による糸あやつり人形劇「少女仮面」とまみえた。バタバタの日々の中、観劇日が訪れたので体だけ運び、座席に身を沈める。
赤坂REDの後方席はやはり遠く、しかも糸操りの人形は舞台床に近い場所で動くので視界から外れる事も多い。そして台詞の応酬はBGMとなり、眠りに落ちる。
ただ・・問題は観劇上の条件というより、何かが足りない。決定的に足りない。あ、そう言えば、と気づけば天野天街演出と言えば「これ」というあのシリトリ台詞や、照明・音・映像等を駆使したドラスティックな転換、そして何と言っても場面の執拗なリフレインが、無い。。
これにハッと気づいた時は逆に衝撃。「え~~」と心の中で声を上げたが、冒頭近くで一人で台詞を何度か繰り返すくだりが一度あったきり、最後まで天野演出のミラクルな瞬間は訪れなかった。
糸あやつり人形の魅力に最初に圧倒された「高丘親王航海記」と、同じ演出の天野氏のものとは思われず残念感は拭えなかったが、一つには、少女仮面のテキスト自体の長さ(刈り取りの難しさ)がリフレインの余地を許さなかった、そしてコロナを意識した時間上の制約、など推測する。かつて観た「高丘・・」はテキストにしても短かく、先々で異形の生物に出会う直線的なストーリー、幻想譚で、人形のみの人形劇。
一糸座が得意とする?人間の俳優と人形のコラボは演目を選び、両方のギャップを埋める演出的工夫が不可欠。「少女仮面」では主役の春日野と少女を人形(一糸座の親子)が演じ、喫茶店マスター、甘粕など重要な脇を丸山厚人、大久保鷹らが演じた。だが役者というより文化財的な意味合いを帯びる大久保氏の存在感や、役者として回せる手練れの丸山氏を排し、あの特徴的で懐かしいフランスの歌(題名忘れた)を流しても、催して来ない(数年前の梁山泊公演で李麗仙が登場したが、どうにかあの歌が本領を発揮できる条件に到達できていた)。それを安易に使ってしまってる感もある。汗みどろで情念の炎を吐き出す生身の演技が上げる熱量こそアングラに必須なもの。
「人形を遣う」必然性、利点をどこに見出すかは、中々難しい問いだが、そこに戻ってしまった。