『キレナイ/Dear Me!』 公演情報 ラゾーナ川崎プラザソル「『キレナイ/Dear Me!』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    「Dear me! 」も「キレナイ」に続いて拝見していたが随分日が経ってしまった。WELLMADEな話ではあるものの、終盤私は興が冷めた。時代的な問題、というか、限界というか。
    保育園に出入りする人間には親たちの他にこの保育園を建てる青年園長に出資をした旧友(見た目からして反社。子どもが泣く)とその同僚らしきイカツイ男が連れでやって来る。何しに来るでもないが「旧友の仕事ぶり」を「出資(無利子の融資)した者として」にかこつけて、癒されに来てる模様。
    この存在がラストでちょっとしたどんでん返しをやるのだが。。

    ネタバレBOX

    一応ネタバレに。
    園長は夜間保育園を立ち上げる夢が実現した。
    ここに集まる親は事情を抱えていたり一癖二癖ある。一人は新生児を連れた若いシングルマザー。一人は障害=老化症・・格好は幼稚園児だが顔は大人で言う事もませている・・を連れた中年の母で、息子も登場(黄色い帽子に薄青のスモックという幼稚園児スタイルで背の高い青春事情俳優が演じて笑わせる)。いま一人は、出来ちゃった婚で三つ子を背負う事になり「大変だ」とボヤきながら何とか世渡りしているらしい多弁男だ。
    保育園に居るのは上記青年園長と、彼を献身的に支えようとする(せざるを得ない?)若い女性保育士。そこへ奇妙な来訪者がある。見れば園長が毎回見ているTVのサスペンスドラマの女刑事役の年配女優、「役作りのため」の体験入職を受け入れてしまう。が、女優は実はここで働く女性保育士の母であり、どうやら敢えてこの場所を選んだらしく、姿を見せた保育士は驚き、園長に待ったを掛けるが彼はこの時ばかりは聞く耳を持たない(ドラマのファンなので)。娘の方は反発し、二人の間の複雑な過去を匂わせる。
    先程の濃い男二人も「笑い」を起こしつつも「謎」を帯びてドラマが進む。保育園という場が他人同士の行き交う場となり、絶妙に絡んで人情ドラマを作っている。

    引っ掛かった問題は何か・・。
    まず親子のドラマの中心は障害を持つ母と息子のエピソード。「ませた今時の子ども」な台詞と幼児性とのギャップで笑かせる中、子どもの挙動から少しずつ母との関係に「納得いってない」「居心地悪い」感が見える。そして母登場。夜間の預かりであるので、朝方という事になるが、「こんな時間になぜ起きてるの(周りに迷惑をかけて)」と叱責する母親。この様子は、子どもの証言を裏づけるものに思われる。・・ある時母親が「息子がいなくなった」と血相を変えて保育園にやって来る。皆が協力し、連携して事に当たる一つのクライマックス。と、シングルマザーのファインプレイで子どもは無事、皆が待つ保育園にやって来る。彼が失踪したのは母との関係ではなく別の理由があったと判り、大団円を迎える。
    従業員の女性と母との確執も、雪解けが訪れ、母がこれを娘に言いたかったという事を漸く伝える場面が訪れ、胸を熱くする結末を迎える。
    そしてその後にもう一山ある。三つ子の父と奇妙な来訪者二人の話で、残念だったくだりだ。
    彼は何かと愚痴ったり仕事の話をしたりして憂さを晴らすが、この時彼は、背に腹は代えられずといったノリでどうやら違法なギャンブル場の管理(裏世界での名ばかり店長みないなものか)を始めた事を、ポロリと口にする。さて、そこに居たのは園長と、彼の幼馴染み、プラス1名の奇妙なコンビだ。妙な間が訪れ、園長が「それ、ダメ」と手振りで制するが、父はキョトンとしている。そしてヤクザ風の男は、大きく間合いをとってから彼に「それ、何だ?」と訊く。「だからね、・・」と相手は軽いノリで仕事の話をする。やがてヤクザ風は相手と1メートルの間合いで対峙し、「違法だよな。」と言う。「聞いた以上、聞かなかった事にはできんのよ」と言う。そして、彼ら二人が実は警察官であった事が明かされる訳である。

    ヤクザ関係に見えた二人が実は・・という展開には既視感があるがそこは問題でない。愚痴が好きな男は「親としての自覚」を問われる事になる。ヤクザ風の警官自身が子育て真っ只中である事も効いている。
    このオチは私に言わせれば「出来すぎ」であり、これを「出来すぎ」などんでん返しにしているのは、ヤクザ関係の知り合いを持っているという不安感(緊張)から、観客は一気に解放される(緩和)という判りやすい図式。そこで笑いが起き、収まるべき所に収まった、という流れになる。
    だが、「警官だから安心」というマインドに、自分は引っ掛かってしまうのである。権力に対して「無警戒」過ぎるでしょ・・というのがこのオチを目にした瞬間の感想だった。そんな感想を持つのは私くらいなものだろうけれど。。
    もし彼らがヤクザなら、逆に出入りは控えるだろう。幼馴染みの間柄に甘んじて「暇つぶし」に来る彼らは、ヤクザでないから出入り出来ていた、という訳ではあるのだが、仮にマル暴であっても、関係は成り立って良い。受け手がOKなら本来的には問題はない。包摂的な有り方を観客がそこに見出すことができれば、願ったりである。
    が、この作者はその追求はしなかった。代わりに、警官だったんだよ、ね、安心したでしょ? 大いに笑ってくれ、という展開になってしまった。
    庶民的な警官が居ても全然良いし、それがヤクザな髪型と服装であっても別に良いが、刑事ドラマのような悪の前に毅然と立つ警官(Gメン75とか)像を、三つ子の父親の前にヒーローのように現前させるのはイケてない。
    まず、既に説教モード、相手見下しモードなのが(それを正当化するキャラ設定ではあったが)いけ好かない。
    「真面目に探せば職は見つかるはずだ」「違法の仕事で楽をするんじゃない」・・という予断がこの幼馴染み警官にはあるが、本当にそうなのか? 探せば職は見つかるのか? 刑法の規定もよく知らないこの男が、自分が得意とする仕事にありついたところが、任された店はゲームセンター、その実違法賭博場。そんな話を相手がヤクザと信じて話すのも現実的でない(相手のテリトリーであっても無くても面倒な話になる)が、そこを飲んだとしても、もし社会状況とそこに暮らす庶民の事情を慮れる警官であれば、上から目線で説教するのでなく、せめて知り合いのよしみで皆の前でなく別の所に呼び出し「残念ながら違法は違法」と、むしろ「法の番人」である事を卑下しつつ申し出るくらいの姿勢でいたい(悪法も法として人を従わせる因果な商売なのだから)・・と思ってしまった。
    警官=正義の味方=格好いい=法を破る者を上から目線で説教しても良い・・現代日本の世相を反映していると言えばしているが、そこは私は非常に問題だと思っている。
    殺人、窃盗に比べ、賭博場の開催はどの程度「倫理」にもとる違法さだろうか。大麻を規制は、どのような「倫理性の確保」を社会にもたらし、効果をもたらすか。
    法とは単なる便宜上の決まりである事も多く、賭博というと言葉がきついが、「賭け事」と少しマイルドに言ってみれば、可愛いものだ。「違法だ・・!」と伝家の宝刀をドラマで安易に使ってほしくない。「キレナイ」とは真逆の評価になってしまったが、作劇の巧さは認めた上で、社会性もやはり重要であり、直に触れた観客に大きな影響力を持つ演劇だからこそ、深く考えたいと思う。(これを言うのにこの尺は不要だったかも知れないが。)

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    2023/03/15 19:14

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