あでな//いある 公演情報 ほろびて/horobite「あでな//いある」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    注目のほろびてだが、漸く二度目になる今作は映像で鑑賞した。現代社会の矛盾が無言の内に噴き出す様を情景化した舞台。コンクリの床と正面奥の瓦解したコンクリ壁の残骸は物理的な破壊を表し、人物によって描かれる諸相はその背後の、荒涼たる人間の心の風景。両者の関係への考察が本作の原点である事が想像される。演劇が、芸術が掬い取る使命の核心を扱っている、というのが私の感想。

    ネタバレBOX

    随分日が経ったが追記を。

    二度ほど観てフィットしなかったスペースノットブランクの演出(男の方)が出演していたが必要十分にキャラを演じていた。またモダンスイマーズの紅一点(若一点とも)も力演(どこかで見てる顔と声と思いつつ見ていたが、年末スズナリで間近で観てたじゃん。と自分に呆れ)。
    芝居の中でこの二人は外国由来の人。日本社会で何とか生きて行くため疑似家族をもう一人(中年男)と作っている。中年男は過去に傷を持つ男で、二人から誕生日を祝われた時の異常に戸惑った反応を伏線として、彼が傷つけたかつての妻(婚姻関係ではなかったかも知れぬ)との場面が回想される。彼女も日本由来の人でないらしく、彼とは彼の凝り固まった体をほぐすマッサージ役を入口に、ピュアな交際関係にある様子である。仕事がない彼は、もう別の若者と二人で報酬も良い「人に奉仕する仕事」にありつく。ところが宣伝文句はまやかしで、裏世界の仕事。いきなり現場で指示され、人に手を出す(殴る蹴るの暴行を加える)初仕事を遂げてしまう。いやいやながらも仕事を続けるが、コンビの若者は音を上げ始める。ここで作者の洞察は、彼を「人を殴る体になった」人間と見る(軍隊が人を殺せる体を作る、というのに似ている)。
    身体や精神に重圧をかける仕事は、その代償としての多少の傍若無人が許される、という感覚をその人に与える。また「汚い」現実を知った者はそのストレスが未消化な内は「綺麗ごと」が許せなくなる。
    彼は自分自身も限界を感じる中、その若者に勇気を出して逃げろ、後の事は俺に任せて・・と言う。だが、変貌した彼は帰宅後ついに、それまでと同じように彼との小さな共感を育もうと彼に話しかけながらマッサージをしようと近づいた彼女を、殴り倒す。
    再び誕生会の場面。彼は自分が祝福に値する人間ではないことを、祝福された事により痛感し、二人にうまく対処できず、ケーキは二人に食べてと渡して<這う這うの体>で自室に消える。
    この三人は時々「話」をし合う時間を持つ、というのが疑似家族のルールらしい。ただし芝居では男女二人が話す場面。持ちネタを言い合う時間が二度展開する。男は今の仕事が長く続いており、順調である事を他の二人も喜んでいる。その時の女の話のネタも、同じく「良い話」だ。少し歳は離れているが恋人が出来た、という。結婚の話も出て、色んな物を買い与えてくれる(がそれは断っている)。仕事関係で知り合った。「やるじゃん。」「よかった。」 常に慎重に、相手を慮りながら話をする男は、言葉を選びつつも、祝福の言葉を伝える。
    次の時、男は会社でいじめを受け始め、痣を作っている。ネガティブな事でもこれを話そうと意を決したが、別の事で遮断される。そして二度目の話の時、男は体じゅうに痣が出来ており、女が彼の腕か胸に触れた時、激痛を訴える。そして控え目な表現ながら、殴って来る職場の連中のことを話し、もう仕事は続けられそうにない、ここの生活も困ることにはなるけど、でも・・うん・・と(俯き加減だが相手を見て)言う。
    今度は女が話をする番。実は妊娠をしたという。男は少し考えてから、心底「すごい。」と告げる。女は、実は男が忽然と消え、住わせられていたマンションががらんどうだった事を話す。男は、女の代わりに目の前にいない「そいつ」をエアで罵倒するが、力萎えてかがみ込む。無力感をかみしめる。

    もう一つの場面は、伊東沙保が演じる理容師の所に来た若い男が、中々髪を切ってもらえず、話を聞かされてばかりいる、という場面。上記の疑似家族の場面とは、人で繋がっている事が後で判るが、それぞれ別個のエピソードである。
    青年はずっと店にいる。女が話題を色々と変えたりして中々突っ込めない、という事もあるが、青年の方もある程度「話を聞いてしまう」人(強がっていても心根は弱い)である設定らしい様子もある。
    彼は実は元引き籠りで(そして今何らかの取っ掛かりを得て・・それはどうやら右翼的な思想であるらしいのだが・・社会に出ようとして)長く伸びた髪を切りに来た、というタイミングである。
    話がひと段落して、理容師はマッサージが巧いという部下を紹介する。だがここで、青年には彼女が見えない、という事が起きる。この「不思議」の要素は、何らかの暗喩であるらしいがよくは判らない。青年には理容師が自分をおちょくっている、と解釈する理由となる。後半、理容師が町で出会ったという彼女(上記エピソードでの若い女)が、訪ねてくるが、その彼女の姿も彼には見えない。

    彼女が「喋る」話の内容はつぶさに紹介できないが、青年の「髪切り」を先延ばしにしようとしているかに見える。「あなたは今の髪型が似合っている」。青年は自分は兵役に志願するため、髪を切りに来たと言う。作者は、青年の「見ている先」が何であるか、という事と、ある対象が「見えていない」事とを関連づけているらしいが、もう一つ別の「見えない」現象がラスト近くに起きる。
    理容師の助手(洗髪と特にマッサージ担当)の女性を以前殴った、例の中年男が理容室を訪れる。先日訪れた女が紹介したのだ。髪を切ることにした。ここで、青年には見えなかった助手の存在が、中年男には(まじまじと見た訳でないので彼女が誰かは分かっていないが)認知できている。ところが、助手には男が見えない。
    二つの「見えない」が何を暗喩しているかは観客の判断に委ねられている。
    だが「見えない」状態とは不全であり、「見える」ことが目指される。第一エピソードでは青年が業を煮やして理容師にキレるが、理容師の言葉に従って髪を切る要求を中断し、「今そこにいる二人と一緒にメロンパンを食べる」ことを行なう。そしてパンを口にした瞬間、そこに人がいた事に気づく。
    また男の事が見えなかった助手の女性は、「どう、やめとく?」と心配する理容師に「否」を告げ、不安ながらも「よおし」と男の肩を揉もうと手を伸ばす。

    社会が作った分断を人がつなごうとする作業と、自ら分断を作った者が再びつながれる運命の計らい。力技ではあるが、今の状況に対する疑問視とそれを変えたいと願う心を、懸命に是認しようとする、私の勝手な解釈だがそういう願いに満ちた芝居である。
    伊東演じる理容師の「怒り」は、その盾となっていた。

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    2023/03/30 08:43

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