タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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ラマルク

ラマルク

にびいろレシピ

OFF OFFシアター(東京都)

2016/01/14 (木) ~ 2016/01/17 (日)公演終了

満足度★★★

瑞々しいが...
場内は薄暗くモノトーンな照明。その雰囲気は無機的な状況に浸っている感じである。その世界は寓話のようであり、御伽噺でもあるようだ。
説明文のタイトルは「ラマルク」だが、別にRamarckとスペルが表記されている。その名前は、その分野を研究しているものであればある人物に気づくであろう。
この芝居は、プロローグとエピローグを描くことによって、ストーリーの全体像もしくはイメージ像が築けたかもしれない。そう思うと少し勿体ない気がする。

ネタバレBOX

ダーウィン「進化論」を研究すると、そのRamarckの名前が引き合いに出されることがあるだろう。提唱した「用不用」説...人体器官は使用しなければ退化する…説明文が意味深である。赤ん坊は天使…生まれるに際して”翼”はどうしたのだろうか。
さて、人の思い(希望)も用・不用が関係しているのだろうか?自分が、この物語から感じられることは2つ。

第一に、大気(核)汚染のような環境悪化によって地上に住めなくなった人類の(近)未来が描かれる寓話。それは自然界の変化ではなく、人為的な活動によってもたらされたもの。地下(シェルター?)ゆえに太陽の輝きはなく、植物が育たない。その暗喩が植木鉢に風船を入れ(植え)る動作になっているのではないか。この先、どうなるのか、未来はあるのか、その不透明さが不気味で怖い。

第二は、母親の胎内で聞いている御伽噺...こちらは人間の主体的な関わりが観て取れる。それが”生まれて見る光景”について、幼馴染みが描く美しい風景画として聞かされる。一転して自然の恵みを感じるセリフの数々。

その舞台セットは、中央に色鮮やかな円段通。上手は、2段差のある上空間。下手には棚や地空中など乱雑に配置した植木鉢が数個。上手の空間で女性2人が膝枕をさせ、もう一人の女(子)の髪を梳くような仕草。生命の誕生によって広がる未来、そこには夢も希望もある。

さて、物語としては前の話のイメージが強い。それは映画「デイ・アフター・トゥモロー」(2004年)のように自然環境が急速に悪化し、一瞬にして氷河に襲われる。その閉じ込められた先...図書館が、この公演では地下に置き換わるようだ。そこに自然に対する人間への警鐘が...。
役者の演技からは、地下での生活苦が感じられない。逆に、郷愁のようなものが見える。緊迫感、絶望感が観えないのが不思議。そして個人(姉妹)生活に立脚した視点ゆえに社会的な問題提起に及ばない。それであればやはり胎内か...その不思議感覚だけの印象では勿体ない。嫌いではない描き方だけに。

次回公演を楽しみにしております。
台風の夜に川を見に行く

台風の夜に川を見に行く

マニンゲンプロジェクト

「劇」小劇場(東京都)

2016/01/13 (水) ~ 2016/01/17 (日)公演終了

満足度★★★★

映画のような演出
映画のカットバック、フラッシュバックのような演出...その年代を映し出し、過去や現在など年代に関係なくランダムに描きだす。シーンの切り出しで、時間の連続性が不規則になり時系列でないことが物語の展開を難しく観せるようだ。しかし、だからこそ一定の時間内に描きたい内容を凝縮し、緊張感と臨場感溢れるシーンが生まれる。物語を時間軸(過去から現在)を一定方向で理解しようとすると混乱が生じるかもしれないが、少なくとも自分はその描かれた人物の人生(半生)とそれに関わった人々の日常起こるかもしれない出来事(事件)をダイナミックに捉えた舞台として楽しめた。全員が、それぞれの人生においては主人公であるような…。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

登場人物にして、主人公(佐竹麻希サン)は、横浜マリーまたはメリーをモチーフにしているのだろう。その彼女のドキュメント映画が約10年ほど前に某映画祭の一環で上演されたことがある。その独特の風貌(メイク・衣装など)は、その時代に道化として現れるタイガーマスクやピエロメイク、現代的に言えばコスプレも入るかもしれないが、その自己主張(表現)の一種であろう。そこには他者から認めてもらう、というような面と”生きている”をアピールしているような気がする。
演技は、各キャラクターを確立しバランスも良い。その陰陽ある生活状況等を表現する照明と音楽は印象深い。特に横浜マリーが壁際で佇む姿に照射し、壁に映し出された陰影が悲しい。

彼女のエポックとなるような出来事を年代映写し、その時代の特徴(状況)を後景にしつつ、スナックという場を設け、客(1962年生まれの高校の同級生という設定)、店の人たちを従えて、というよりは登場人物全員がカットバックしたシーンに応じて主人公になるという群像劇。

その舞台セットは、スナックの客席(2つのボックス席、テーブル上には飲食物)、上手にポスター・雑誌表紙、下手にオロナミンC(大村昆)が貼られている。細かい工夫であるが、恵み(施し?)を請う時に出される新千円札(1950年)、オロナミンC(1965年)、復刊した新ロゴ LIFE(1978年)など、登場人物のエポック時期を象徴するもの。

横浜マリーの半生を中心に、その人生は戦中・戦後という時代に翻弄されたが、必死に生きて来た。そして出入りしていたスナックで出会う人々の人生を衛星のように上手く切り出し、男女間の嫉妬・すれ違い、家庭内で堆積する不満・鬱憤、親子の諦めと断絶、大都市で成功したい・自立したい、そのような関係・願望が、斜に構えつつも温かく見つめるような公演。その描いた姿は、多少コミカルに、シーンによってはシュールに使い分け、その根底には逞しく生きるが見える。登場する人々を通して街路を行き交う、平凡にして日常を淡々と生きる。
この一瞬乾いたようなシチュエーションであるが、一方応援歌のような...その潤いも感じられる。その大きな流れ(台風)の中で身を委ねて面白さに浸(溺)れた。

次回公演も楽しみにしております。
ジョルジ・フッチボール・クルーヴィー

ジョルジ・フッチボール・クルーヴィー

Ammo

d-倉庫(東京都)

2016/01/08 (金) ~ 2016/01/11 (月)公演終了

満足度★★★★

人間的視点と社会情勢
ブラジルであった、実事件をモチーフに描いたようなサスペンス劇。
当日パンフに劇団Ammo代表の南慎介 氏が今回(本公演)はある、矛盾の話...と記していたが、さらに根深い不条理のようなものが感じられた。

この公演は、観客の視点を自然に転換させる巧みな観せ方が見事。冒頭の凶悪シーンから物語が進展するにしたがい、いつの間にかストリートチルドレンの側に立ったヒューマニズムを思わせるような...。人間の中に潜む狂気のような感情と、そうならざるを得ない政治・社会情勢を上手く融合させる手腕が素晴らしい。
描くは、今の日本では想像し難いため、異国の地の出来事としつつも普遍的に感じるであろう、「富裕」と「貧困」の間で現れる人間の本性を...。

ネタバレBOX

カンデラリア教会虐殺事件。この教会は、違法薬物売買、売春などに関わった、家のない子どもの宿泊所の機能を持っており、食料、教育などの援助を行っていた。某日、子どもたちのグループに発砲し、当時のマスコミ発表では6名死亡と伝えられた。
リオデジャネイロは、インフレなど経済不安定から、路上生活や犯罪行為に走る少年たちが問題視。警察等により路上生活者への「取締り」や「補導」を名目とする暴力行為があったという。リオには「死の部隊」と呼ばれるグループがあり、商店主らは治安悪化などで観光客の客足が伸び悩むことから、安給料の警官や元警官などが依頼を受けて路上生活者に近づいて暴行や殺人を行っていたという。

公演は、この実際あった事件をスラム(「チラシ」のイメージ)に置き換えて、もっと広範で深刻な内容にし、その重大性を強調している。舞台セットは、d-倉庫の天井の高さを利用し、斜面に広がるスラムをイメージさせる高層構造…中央部は出入り口、上・下手に変形階段。斜面坂道などを思わせる。
冒頭は子供による強奪シーンであるが、次第にその環境・境遇から止む終えないものと肯定されるようだ。その人間性は貧困という病のせいだ、という論理が個人における正義と悪行の分かれ目になってくる。その根源は劣悪な社会・経済状況にある。
観所は、「死の部隊の警察官」のエスケルディーニャ(西川康太郎サン)とフッチボールコーチのジョルジ(桑原勝行サン)の対決シーンであろう。裕福でなければ権利も自由もない...生きている価値さえないという。一方、貧困であっても生きて夢をみる自由はある、そんな対立会話の応酬が圧巻であった。
物語は、ストリートチルドレンへの人間的な同情へ...個人的な視点を据えているが、その先には国家への鋭い批判が...。
その描き方が現在ではなく、10年前の追跡取材で明らかにする。その事件を客観的に観る上でも、巧い構成である。そして、取材を通じて明らかになる過去と現在の恐るべき繋がり…観応えあった。

さて、現在の日本社会に目を向けると、犯罪性には疑問があるが路上生活者がいるのも事実。実際、行政機関がその人数を把握する調査を行っている。その状況になった原因等は色々あるだろうが貧富差が拡大しているのではないだろうか。

この公演は芝居としては面白いが、ブラジルにおける当時の状況が色濃いような気がする。観念的には理解しつつも身近な問題として実感するには...。
ただし、貧富・差別・自由・権利、そして暴力の連鎖という大きく普遍的なテーマの見据え方は良かった。

最後に、最近は海外時事(ニュース)を入手する部署から離れているが、それでもブラジルは2016年オリンピック開催に向けて治安改善に努めていると聞くが...。
次回公演を楽しみにしております。
三日月にウサギ

三日月にウサギ

9-States

OFF OFFシアター(東京都)

2016/01/07 (木) ~ 2016/01/11 (月)公演終了

満足度★★★

心の彷徨...閉塞からの解放を求めて
表層的に物語を捉えると、その閉鎖性のある街から出ないのか、また逆にそれを承知で入ってくるのか、という疑問が生じる。しかし、そこは敢えてそういう状況の中で展開していく波紋の色々…そんな感じがする。
公演の雰囲気は沈滞的であり不気味な感じもする。何か起こるだろうという、その不思議感覚が面白い。
芝居の台詞にもあったが、ジャンルにとらわれると本質を見誤る...この劇の狙いはどこにあるのか。自分としては、”生きる”をしない者と”生きたい”者が出会って、心的交流から見える彷徨では...。
この公演は2ヶ月連続公演Vol.2となっており、前回はホテルが舞台であったが、今回はジャズ喫茶である。そのセットは...

ネタバレBOX

基本的(舞台セット)は、同じようだ。中央から下手側にカウンターとスツール、中央にトイレ、上手に店の出入り口がある。下手客席側に懐かしいゲーム機1台。中央に丸テーブル席・椅子がある。

主人公は、ウサギ(山田青史サン)と三木薫(倉垣まどかサン)の2人。この両人の”生きて行く”ことから生じる、周囲の人達の思惑と誤算による悲喜劇といった感じである。
何故だか、波形を見ただけで少し先の未来のようなものが見えてしまう。一瞬SFかと思わせるようなところもあるが、それは枝葉のようであった。その先読みに頼って日銭(パチンコの回転率等)を稼いでいたが、この街から出るため大金を得る算段をする。金融(FX)で勝負することを企むが...。
そんな時、他の街から薫がやって来て、ウサギに能動的に”生きてみよう”と働きかける。その薫は父親から性的虐待を受けており、外見を男の格好にし、必死に生きてきた。そんな生き方に違いがある人と人の出会い。生きるのが息苦しくなったら「(三日)月にでも住むか」、「波形読まずに未来ワクワク」という台詞が何となく悲しい。

人として強欲を持つ者、無欲の者、または多くの欲を持たずに淡々と過ごす者、その心のあり様を捉えた時、自身に内在するもの(欲望)が透けて見えるようだ。他人から見えない内面を描こうとしているが、その表現が難しい。人は不自由からの解放=欲望を実現していくか、手っ取り早く行うためには他人を利用する。その端的手段が「金」だという。
積極的に”生きること”にすることで周囲の人々との関係・状況が変化して行く。自分の意思と関係ないところで他人の思惑を左右する。自分が幸福を求めることで、周囲の人々を不幸にする。

この自分と他者との「幸福」と「不幸」の逆相関がアイロニーのように感じて、芝居の沈滞・物憂げな雰囲気を追いやり滑稽にさえ思えた。
生きる目的を持った(共有した)ことによる悲劇、無関心から派生した他人の不幸という喜劇...不可思議な公演であったが嫌いではない。

冒頭に記した街の閉塞感について、若干の説明...家族のこと、郷土愛のような一片が見えると違った見方もできるが、好みの別れるところであろう。全体の怪しげな雰囲気の中で、彩りを見せたかったのか…高山ふみ(飯野くちばしサン)社長と従業員の会話が浮いたようで違和感があったのが残念。

次回公演も楽しみにしております。



陽のあたる庭

陽のあたる庭

演劇ユニット狼少年

小劇場B1(東京都)

2016/01/06 (水) ~ 2016/01/11 (月)公演終了

満足度★★★★

骨太...感動!
第2回公演...とても観応えのある翻訳劇であった。チラシ記載のとおり原作はジョン・スタインベック「二十日鼠と人間」(邦題・1937年出版)である。原作の舞台となったのは、1930年前後の世界大恐慌時のアメリカ・カルフォルニア州の農場であるが、本公演はそれから約30年後の東京オリンピック前年(1963年)、日本・栃木県にある飯場・安藤組に 時と場所 を換えて描く。そこには原作同様、貧しくても逞しく生きる、そして愛しくも切ない、そんな人間讃歌が語られる。そして、オリンピック前年という高揚感ある時代背景にも関わらず、当時の世界状況・社会状況への鋭い批判と、2020年の東京オリンピックに向け、現在に対しても警鐘するという骨太作である(1時間40分)。

ネタバレBOX

開演前から昭和歌謡...「いつでも夢を」などを流し、50年以上前の雰囲気を醸し出す。舞台セットは、劇場出入口の対角にある壁面に沿わせて平板を粗組む。2場面(山中、飯場)であるが、平板は山林や飯場での寝床・腰掛場に見立てる。飯場シーンの場合は、それに木食卓と丸椅子も暗転時に配置する。

梗概は、チラシ説明「戦災孤児のダイとショータは、いつか自分たち家を持つことを夢みながら、出稼ぎ労働者としていつも一緒に各地を渡り歩いていた。地方の道路整備が着々と進められる中、二人が辿り着いた新たな働き口であるトンネル工事の現場で、二人はそこに集う人々との生活を始めるが…」のとおり。

物語や人物造形は原作に模しているが、日本の状況をしっかり捉えている。例えば、東京オリンピックの前年当時(1963年)、東京では道路舗装、ゴミ収集が行われ美化が進んだという。しかし、飯場労働者(在日朝鮮人)・ピョンの言葉を借りれば、それは上辺だけで汚い・臭いものに蓋をしたに過ぎない。
公演の中で繰り返し出てくる台詞「世界はひとつ」は、東京オリンピックのスローガンの一節で、当時の世界情勢・東西冷戦を意識している。その状況は変化したが、現在では世界いたるところで紛争が起こり、テロも頻発している。そういう世界、さらには国内では震災復興ということを意識しておく必要があることを痛感。

主人公2人ダイとショータは戦争孤児という設定である。それを考え合わせると、社会の底辺で働く人々に向けた優しい眼差し、逞しく生きる人々への応援歌、平和への思い。その描かれる内容に心打たれる。この心魂に響く演出...暗転時には小鳥のさえずりなどが聞こえ、明転後の照明もコントラストを付けインパクトを持たせる。音響・照明を(相乗)効果的に利用し、観客に印象付けるという観せ方が丁寧である。

演技は、役者全員が安定しバランスも良かった。その性格付も原作とおり確立していた。女優2人、飯場の飯炊き女・照代(岡本恵美サン)は、その明るく優しい姿が、”日本のおかあさん”そのもの。親方の息子の嫁・留美子(森由佳サン)は、アイドル出であるが汚れ役で切ない女を好演していた。そしてやはり、ショータ(曽我部洋士サン)の演技が素晴らしい。

気になったのは、すぐに安藤組に来た時の飯場の緊張感がなくなったこと。溶け込むまでのエピソードがあると更に印象深いと思った。逆にその変化に2人が飯場に親しんだという、時間の経過が見えるのかもしれないが...

次回公演を楽しみにしております。
カドルノワの写本師

カドルノワの写本師

日本大学芸術学部 ミュージカル研究会

シアター風姿花伝(東京都)

2015/12/25 (金) ~ 2015/12/27 (日)公演終了

満足度★★

もう少し深みがほしい
第一印象はミュージカル研究会の本公演であるが、演者の歌唱力に差があること。また内容について、テーマ設定は鋭いところがみえるが、その捉え方が表層的で深みが感じられなかった。タイトルにある”写本”の枠に止まり、書物に対する当時の緊迫した状況が伝わらない。
ミュージカルという観せて楽しませる、その魅力が十分に感じられず残念である。
舞台セット...特に後景の街並は雰囲気があって好き。

ネタバレBOX

「焚書」と当時の統治(下)状況、特に宗教的な内容が示唆されていたと思うが、その件をもう少し掘り下げてほしかった。
確かにミュージカルであるから「歌」「ダンス」で魅力付けようと努めていた。それがもう少し内容(筋)の充実に結び付いていればよかった(問題意識は持っているとのこと、あえてクドクド書く必要はないと思っている)。
12人の怒れる陪審員

12人の怒れる陪審員

えにし

駅前劇場(東京都)

2015/12/26 (土) ~ 2015/12/27 (日)公演終了

満足度★★★

原作通りなようで
アメリカのTVドラマは見たことないが、映画「12人の怒れる男」(1957年製作)は日本のTV映画、そして名画座でも見たと思う。この映画のオマージュとして「12人の優しい日本人」(1991年 中原俊・監督 三谷幸喜・脚本)もある。
今回は女性キャストがいることから、本公演のタイトル「12人の怒れる陪審員」になっている。俳優座プロデュース公演を観ているが、本当に久しぶりに観た。
この原作は、法廷物サスペンスドラマとして傑作と評されている。評決の話し合いのため集まった部屋で物語が展開するため、必然的に限定空間というシチュエーションになる。

ネタバレBOX

本公演は、原作通りの展開のようであり、その登場人物の性格、出身背景等も同じである。その意味で新鮮さは感じられない。しかし、原作のもつ魅力もあり、最後まで緊迫感ある芝居ではあった。日本でも裁判員制度が導入されているが、アメリカにおける陪審員制度のメリット、デメリットを考えさせる上で引用される物語でもあるという。

楕円形テーブルに12席を配置し、陪審員番号順に左回りに着席する。なぜか赤黒の市松模様のような床がカラフルで印象的であった。或る夏の1日...扇風機作動せず、滴り落ちる汗。映画だとそのアップを捉え、不快イライラが伝わるが。その代わりに舞台では、人物の全身の動き、室内での全員の全体の動きを観ることができる。演出ではストップ-ムーブなど面白く魅せる手法を取り入れている。また回り舞台にすることで、人物描写を別角度から描いている。全員一致の評決という条件、そして圧倒的不利(無罪 1対11 有罪)な状況からの逆転劇。その非暴力にして論理的な展開に固唾をのむ。

しかし、やはり原作(当時の証拠能力、捜査状況)に忠実すぎる気がする。現代的な要素(捜査能力の向上など)を加えることで新鮮味を出しても...。
また、事件に対する論理展開が中心になり、人と人の複雑な関係性・背景のようなものが置き去りにされたようで、乾燥した感情を持ったのが残念であった。

次回公演を楽しみにしております。
ヘレン・ケラー

ヘレン・ケラー

東京演劇集団風

レパートリーシアターKAZE(東京都)

2015/12/25 (金) ~ 2015/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

やはり“風”の公演は見事!
素晴らしい クリスマスプレゼント ありがとうございました。

この公演は、2015年上半期(4月~7月)は東日本地域巡回公演を行い、下半期(9月~12月)は九州地域を52ステージ行い、この東京公演は凱旋公演にあたる。東京演劇集団 風 では、この「ヘレン・ケラー」(脚本・松兼功 氏、演出・浅野佳成 氏)を1995年に初演しており、何度となく再演しているという。

記憶の中で、親に初めて買ってもらった本が「偉人伝 ヘレン・ケラー」である。遠い世界の人と思っていたが、後から調べてみると、その本を読んだ時にはまだ存命であった。

三重苦というハンデを乗り越え、「ことば」の意味を理解し、単語から文章になり人に伝えるようになる。それはアニー・サリバンとの出会いがなければ...そう考えると人の縁の不思議を感じる。

ネタバレBOX

この公演は、ヘレン・ケラー誕生(1880年6月)から「物、事柄」「ことば」に意味があることを認識する1887年夏までを描いている。もちろん、見せ場は井戸で水を汲み...waterと叫ぶシーンである。
舞台は、中央部に室内、執務室などのシーンによってセットを搬入・搬出する。ヘレン・ケラーが好んで触っていた、蔓草…蔦も上・下手に取り付けていた。実に細かいところまで見せる。もちろん井戸(ポンプ)は、下手客席側にある。

この演劇集団の劇風は丁寧・重厚というイメージを持っている。今回公演も例外ではないが、扱う題材(人物)にしては、暗く重苦しくならず、どちらかと言えば明るい感じすらする。
ヘレン・ケラー(倉八ほなみ サン)は、腰が引けO脚ぎみに歩くが、これは彼女の演技感性らしい(初日の乾杯時に他の劇団員から聞いた話)。
一方、サリバン先生(高階ひかり サン)は誇張したような演技に観えるが、先に記した巡回公演では、学校体育館のような広いところでは、遠い位置から観る場合、オーバーな演技にしないとその醍醐味(いわばヘレンとの格闘)が伝わらないかもしれない(短期間での劇場用への演技修正は難しいのではないか、公演全体に影響する)。
どちらも観せるという”端正な演技”と”実話に基づく臨場感”が自分の心を捉えた。

現代において、人は人工物や情報が氾濫する中で、個性や意思は状況によっては飲み込まれてしまう。そんな希薄な存在に追いやられるかもしれないが、それでも不確かであっても存在はする。この公演の若い二人の女性は、単に特異な存在ではなく、誰もが持つ生きるという普遍的な意思を伝える。身体的な不自由は自覚しつつも、それでも困難を乗り越え逞しく生きる。それを周囲の人たちが温かく見守る...クリスマスに相応しい公演であった。
地方巡回公演の取り組みも含めての評である。

次回公演も楽しみにしております。
優子の夢はいつ開く

優子の夢はいつ開く

パイランド

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2015/12/23 (水) ~ 2015/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★

驚きの展開!
内田春菊女史の脚本らしい...そんな感じを受ける面白い公演であった。女史の本業ともいえる漫画家の特長も活かしており、その力(魅力)をいかんなく発揮している。
序盤はコミック-ストーリーのような印象を持ったが、終盤はホラーのような感じもする。その変化の大きさに驚かされる。独創的なストーリーで、まったく先読みができない巧みな構成。想像を絶するラスト...観終わってみれば、ブラックジョークのようであった。
主人公・鈴木優子(住友優子サン)は単なる専業主婦、家庭をきりもりする婦人、などというありきたりな描き方ではない。

ネタバレBOX

演出は、暗転時にスクリーン-プロセスを用い、女史のマンガスケッチを映し出す。その電影も単に静止漫画ではなく、コマ送りするイメージである。また漫画だけではなく、見せ場となるシーンには実映像を挿入する。

梗概は、裕福な家庭に育った優子、幸せな結婚生活(夫・大学生一人息子)を送っている。そんな中、児童施設から子供(小学4年生)を一時的に預かることになり、その施設職員も家に出入りしだしてから、家庭内に波風が立つ。そして彼女自身は主婦から一人の女になり、”性”まで解放してしまう。
一見平凡で幸せそうな家庭にも、それぞれ抱えた問題がある。TVドラマ「岸辺のアルバム」(1977年)を思い出した。それは、平和に見えた家庭の崩壊の発端は、謎の男からの電話が契機になっていたが、本公演では施設職員と預かる子が闖入者である。

表面上は素知らぬ顔(頻繁に行う奇妙な「ダンス」、「歌」で表現?)をしているが、夫の裏切り。本当のところは家族から逃げ、人生相談と称し、その相手の不幸を楽しみ自己満足にひたる。本当はかまって欲しい孤独な女性...の内面が崩壊していく様を世間(近所の偽主婦友達)の羨望を絡め、しっかりと観(魅)せる公演は秀逸であった。

次回公演を楽しみにしております。
for×for=many mind~士×志=十色~

for×for=many mind~士×志=十色~

super Actors team The funny face of a pirate ship 快賊船

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2015/12/23 (水) ~ 2015/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★

幕末伝…面白い【Team P.s】
初日、雨にも関わらず満席だったようだ。上演時間135分(途中休憩なし)、疾走するようなテンポとアクション(特に殺陣)の良さは最後まで飽きさせない。
物語は幕末群像劇であるが、その視点は新撰組からのもの。この劇団公演は何回か観ているが、多くは築地ブディストホールである。今回はシアターグリーンBOXinBOX THEATERであり、その段差がある客席から俯瞰するような感覚で観た。そこには、封建時代末期であり、近代日本の黎明期という大きな歴史のうねり(変わり目)の中で必死に生きた武士と志士、そして男たちに関わった女性...男は己を信じて、女は彼への思いを寄せてが切ない。

ネタバレBOX

舞台セットは、中央が出入口で左右に低階段、壁面はステンド-グラスのようである。殺陣を意識し簡素な作りになっている。それだけに、他の技術…照明、音響が重要になっているが、その役割はしっかり果たしていたと思う。

梗概は、近江屋で坂本龍馬が暗殺される夢から始まる。この坂本龍馬に似ている人物・川原染太郎(清水勝生サン)が、新撰組一番隊の隊士で、現・夢の意識が混乱する。この不思議な感覚が観客(自分)の意識下にあり、本当はどうなのだろう、というミステリアスなところが魅力的だ。登場する人物だが、新撰組を代表する近藤勇や土方歳三は登場しない。それでも新撰組ファンであれば知っている隊長の名前が...。やはりその代表は一番隊長、沖田総司(女優・金村美波サン)であろう。

本筋は、知られている史実をなぞるような展開であるが、その人としての生き様と集団・組織の中での立場による葛藤、その方向性の違いから袂を分かつ苦悩。信念に基づき不器用に生きる、その心情が表現豊かに演じられる。
公演は流れるようなスピード感と感情豊かな表現、その絶妙なバランスが素晴らしい。ラストは、主要な登場人物が揃って冥界で花火見物とシャレ込む...少し救われるシーンである。

最後に制作サイドへ、受付(5階)から場内(下手側のみ開放)に入るまでに時間がかかる。5階混雑のため、スタッフが1階でエレベーターを<開>延長のまま待機させ、延長ブザーが鳴り続ける。受付応対に工夫が必要だと思われた。

次回公演も楽しみにしております。
テノヒラサイズの人生大車輪'15

テノヒラサイズの人生大車輪'15

テノヒラサイズ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2015/12/22 (火) ~ 2015/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

初見…面白い
初見の劇団、すでに関西では実績があるという。その劇風は、独特の切り口でのスピーディなストーリー展開と印象深いキャラクター作りに定評ある座付作家が織りなすものらしい。チラシには「パフォーマンス・コメディ」と呼ばれ、この劇団の新スタイル演劇とある。奇跡の90分!と記しているが、実際は105分のコメディである。
この公演、2014年(第26回)池袋演劇祭大賞の劇団ショウダウンの鉾木章浩 氏の名が制作にあり、前評判も上々であり再々再演という。
その内容...結末からすると、物語に対して疑問も残るが、パフォーマスという観点から見れば肯ける。その思いは作・演出のオカモト國ヒコ 氏が当日パンフの挨拶文にある(句点はあるが、読点はない7行の長文)。
この演技(身体性)は、リアルをデフォルメしたような面白さがある。今回は劇団員5人にTVドラマの久野麻子サン(スイス銀行)、所属劇団の看板女優・榊菜津美サン(アマヤドリ)を迎えたという。その芝居は堪能できた。

ネタバレBOX

物語性を重視した場合、その結末から「何で」という疑問が残るシチュエーションである。何故か地下室で椅子に縛り付けられている、”男女7人冬物語”。その人達は、監禁される理由を認識しているようであり、触れられたくない過去を解き放つことで、共通した接点を探ろうとする。

それはジグソーパズルでピース(人)をはめていくような感じである。個々のピースの形は確かであるが、それを全体でみるとキッチリはまらない。人々のキャラクター、過去状況は鮮明であるが、それを組み合わせても釈然としない。その空白のような感覚を”余白”か”隙間”で捉えれば、”余裕”と”理屈”に分かれるかもしれない。ストーリーを重視すれば、隙間は理屈で埋めたくなる。しかし、この劇団の謳いは、「いろんな演劇スタイルを混在させたまま一つの作品」としている。敢えてのパフォーマンス劇。その演出...衣装は全員ツナギ、道具はパイプ椅子のみの素舞台。

この芝居の素晴らしいところは、それでも結末の方向によっては喜劇が悲劇(心療内科的)に変る可能性があること。そこに懐が広く深いものを感じる。案外、喜劇が奇劇で、悲劇が飛劇かもしれない。
出来れば、”パフォーマンス”という身体性で観(魅)せるだけではなく、そこに社会性などとあまり堅いことは言わないが、印象付くようなものがあると...。
梗概は、結末を含め、再々々再演があるかもしれないため割愛する。知りたければ劇場へ。

最後に、今回は出演していないが、劇団員の上野みどりサン始め、制作スタッフの対応が親切、丁寧であり気持よい。

次回公演を楽しみにしております。
水面に浮く花

水面に浮く花

teamキーチェーン

劇場HOPE(東京都)

2015/12/18 (金) ~ 2015/12/22 (火)公演終了

満足度★★★★

優しい...
全体を優しく慈愛に満ちた目で見ているような、そんな温かさを感じる公演である。当日パンフでも脚本・演出のAzuki女史が「日本の文化や日本人らしい気遣いや優しさ、絆が生む力。私はそれを感じる度に、この国に産まれて良かった。」と記している。この芝居を生んだのは間違いなく女史(他にスタッフ・キャストなど関係者の協力はもちろん)であろう。
今の世の中、自分のことしか考えない、家族の絆に疑問が、いやそれ以上に確執がという声も聞こえそうだ。女史の言葉に呼応するのであれば、この芝居は古き良き時代を ほうふつ とさせるような懐かしい日本の原風景を見るようだ。

ネタバレBOX

舞台セットは、中央が畳部屋に丸卓袱台・箪笥、上手が玄関、格子戸の先に外の板塀が見える。下手は台所というイメージの通路。客席側は庭・縁台。その庭には小さな池がある。

梗概は、平均的な暮らしをしている5人家族(両親・兄弟・妹)、そこに見知らぬ男が訪ねてくる。実は二男は実子ではない。両親だけが知っており、本人も含め子供たちには話していない。同じ病院で出産した他の子(実母は事情により育てられない)。一方自分の子は死産したこともあり、引き取った。この男は、実母の再婚相手で、二男を引き取り新しい家庭を築きたいという。

さて、この家の母親が若年性認知症に...家族のことを忘れない、そして自分のことも忘れてほしくないと願う。先10年分の”忘れな草”の苗を届けてもらうよう手配済み。その花びらを子供の名前を呼びながら池に浮かべる、実に印象的なシーンである。チラシのデザインはこのイメージであろう。

人に対する慈しみに貫かれた世界観。実際の人間社会は醜く汚いものもある。それでも人に対する信頼を持ち続けることの先に希望が見える。
しかし、人間の醜さに目を瞑ってばかりもいられない。人は悪いことをするという前提に立ち、それを予防するために法律もある。悲観的な見方だけでは未来は見えない。人間は良い面、悪い面の両面から捉える必要があるのではないか。この世には絶対的な悪人、善人はいないのではないか。

そう考えた時、二男の思考、行動があまりに もの分りが良すぎる。悩みが深ければそれだけ芝居的にも奥行きができたと思う。
もう一つ気になることは、二男の件と母の認知症の話の関連性が見えないこと。なぜか違う話が別々にあり、違ったまま平行して展開したような感じである。
二男の件は家族の絆として捉え、(若年性)認知症はまさに医療の大問題であり、身近なところに大きな問題提起をする、その卓越したテーマ設定は素晴らしい。それだけにそのテーマがもう少し深いところで絡み合えば良かったと思う。

最後に、当日パンフに役名があると助かる。

次回公演を楽しみにしております。
昭和歌謡コメディ~築地 ソバ屋 笑福寺~VOL.4

昭和歌謡コメディ~築地 ソバ屋 笑福寺~VOL.4

昭和歌謡コメディ事務局

ブディストホール(東京都)

2015/12/17 (木) ~ 2015/12/20 (日)公演終了

満足度★★★

あぁ懐かしき青春時代...
笑福寺門前、築地 ソバ屋・寛兵衛が舞台...昭和の雰囲気が漂う劇場内。
第一部は夫婦(江藤博利と林寛子)で営むソバ屋での珍騒動。
第二部は昭和の歌謡ショーとして、当時の流行歌を歌う。最前列に”ひよこ隊”と呼ばれるファンの一団。黄色い法被を羽織、ペンライトを振り、テープを投げ、笛を吹く姿...その遠景には確かに青春時代が観えた。
自分が観た回のゲストは「城みちる」、本人の言葉を借りれば究極の一発屋とのこと。「イルカにのった少年」で42年間芸能人として活動してきたという。喋りも上手である。

さて、日本を始め世界の情勢について、自分なりの今年の一字は”危”である。そんな世相で、少しでも明るく楽しい公演、自分は堪能した。このようなドタバタコメディが上演できるのは平和であればこそ。この公演で元気をもらい、楽観的な気持で年越しをしたいものである。

『0<ゼロ>地点「つぎはぎだらけのヒーローズ」』

『0<ゼロ>地点「つぎはぎだらけのヒーローズ」』

演劇企画ユニット劇団山本屋

笹塚ファクトリー(東京都)

2015/12/16 (水) ~ 2015/12/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

観応えあった【つぎはぎチーム】
公式な上演時間は2時間とあったが、実際は2時間20分ほどあった。しかし、その長さを感じさせない迫力のある公演であった。魅力は登場人物の見た目のビジュアル、その個性豊かなキャラクター設定とアクションにあると思う。ストーリーも少し分かり難い場面もあるが、全体的には重層的で最後まで飽きさせない。

タイトル通りヒーローは登場するが、その”つぎはぎ”の意味するところは...。映画にもなったが、”アンデス山脈から奇跡的に生還”を連想するような究極な選択における堕ヒーローが描かれる。設定状況は、劇中劇ならぬ映画撮影を通してという多重の観点を設け、時空間をも隔てる。登場人物(主人公の仲間)ごとの感情と現状を上手く描いており、キャラクターとその超能力が丁寧に明かされる。その観せ方は多彩であるがイメージしやすい。

ネタバレBOX

ヒーローのイメージが壊れるシーンは、映画「アンデスの聖餐」(1976年公開)、「生きてこそ」(1993年公開)を連想した。争いごとに終止符を打ったヒーロー、実は窮地の場面で人肉を食し生き延びた。その暴露ドキュメントを映像化しようとする監督・スタッフと真実は秘匿しておきたいヒーローメンバーとの攻防。その手段として超能力を駆使して記憶を摺りかえる、または消去するなど、観せ場となるシーンを演出する。

その観せる舞台は、中央に城門イメージ、両側に客席に向かって二階部から降りる階段がある。簡素なセットであるが、大勢によるオーバーアクションを行うには適している。そのあたりの計算は見事。

プロローグとエピローグを繋げるところは常套手法のようであり、それによって時空を越えさせる。舞台という額枠に映画撮影現場を持ち込み、大勢の人物描写と時空を跨ぐという、いろいろな仕掛けが後半では複雑になり、冗長に感じたところもある。しかし、構成、制作は丁寧で、観客(自分)の気を逸らさない。終盤は怒涛の如く事実が明らかになり、慟哭する姿が痛ましい。

演技は、アクションだけではなく、人物像(内面も含め)を確立するような熱演であった。できればエンターテイメントのような芝居にも、先の映画にあった普遍的な課題...自分と宗教等との向き合いが垣間見えると更に人間的な深みが増したかも(本公演は、ヒーローという”正義”に”好奇の目”を晒すだけに止まったようだ)。

次回公演も楽しみにしております。
ものがたり降る夜

ものがたり降る夜

ことのはbox

上野ストアハウス(東京都)

2015/12/16 (水) ~ 2015/12/21 (月)公演終了

満足度★★★★

行儀がよい性 【箱チ-ム】
この脚本は1999年6月に初公演されており、当時は世紀末の雰囲気が漂い、電子機器類を始めとして2000年問題の対応に追われていたことを思い出す。今から16年程前のことであるが、10年ひと昔という言葉からすれば、もう過去のこと。その時代状況(今でもか)において、大っぴらに語られることがない「性」のこと...。この公演の説明謳い文句でもある。
演出はオーソドックスで観客に観てもらう、という丁寧な描き方であるが突き抜け感が乏しいと思う。演出家・酒井菜月 女史から視た、もしくは感じている「性」は、愛らしく、優しく行儀が良いものかもしれない。
演技は、チーム「箱」にとって初日であったが、全体的にかたく物語の滑稽さが表現しきれていないのが残念であった。
上演時間2時間15分(途中休憩なし)

ネタバレBOX

公演の説明にもあるが、性に向き合った物語であり、「政治」は夜作られるというが、こちらの「性事」(多く)は夜営まれる。どちらも体制(勢)が重要である。

梗概は、売春行為を通じて性に向き合う若い女、夫の浮気に対する復讐のため、自分も男と性交を試みる中年女、この二人の女性はカウンセリングを受ける。その医師の紹介で山奥にある、とある場所へ行く。そこに民話研究会を名乗るメンバーも来て、「性」と「宗教」問題を民話に絡め、確認していくような作業が展開する。
この民話の件、差別用語について興味を持った。そう言えば、最近「うどんかるた」の一句「色白太め、まるで妻」が差別だとクレームが。難しい世の中だ。

現代日本人があまり話題にしない事柄(苦手?)を絡めて、サラッと表現する。性は、(表面的)愛に捉われることなく、もっと自由・開放的なものであると。一方、民話研究会を隠れ蓑にした新興宗教メンバーの活動は、当時のオウム真理教を示していることだろう。
地下鉄サリン事件から4年。その全容解明を目指している頃。一般的に宗教信仰の自由とその勧誘...信者にとってみれば、良かれと思って入信を勧めるが。
この「性」と「宗教」は、タブー視するわけではないが、大っぴらに会話することもない。現代日本人が苦手と思っている二大テーマを、民話に絡めて斜に諭す。そんな酒脱さが欲しい公演であった。初演時と時代状況が異なることから、その違いに力点を置いた演出があっても良かった。

最後に、冒頭のムーブメントが中途半端な動きに感じられた(初日だから?)。多くの人(世間)の中で、違和感を感じている個人...その表現が見えなかったのが少し残念であった。

次回公演を楽しみにしております。
ほたえな 胸中が猿

ほたえな 胸中が猿

グワィニャオン

萬劇場(東京都)

2015/12/16 (水) ~ 2015/12/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

魅せてくれた
近江屋における坂本龍馬暗殺事件の現場検証を行っている感じ。その手法はプロファイルし、いろいろな角度から検証する挿話が面白い。

「2009年、ソラトビヨst.の舞台に書き下ろした戯曲をグワィニャオンで大胆に味付け!」は、ラストの驚きも含め見事であった。

ネタバレBOX

この公演、基本的にはコメディの類であろうか。軽妙、洒脱という印象である。
舞台セットは、暗殺された近江屋二階の二部屋の断面を観るようである。ほぼ中央で二分割し上手は龍馬の四十九日、下手は暗殺時の状況検分、見聞している様子である。この二分割することで、龍馬の人柄、当時の不穏な状況の二つの事柄を浮き彫りにする。

まず、四十九日法要には、龍馬の妻・龍と許婚の千葉さな が鉢合わせをし、互いに思慕を募らせた思い出話をしている。一方、下手では殺害した犯人は誰か、その詮索を通して当時の世相を描いている。この観せ方は龍馬個人の魅力と幕末時における龍馬の存在、その果たした役割という、公私の描き方が面白い。

特に、龍馬暗殺の状況を、TVで観る刑事ドラマのような現場検証・検分、プロファイリングの捜査のようで、分かり易く新鮮でもあった。その再現シーンのように挿話する殺陣も見事。観(魅)せる公演は、劇団グワィニャオンらしく素晴らしい。ラストシーン...舞台セットの件であるが、再演するかもしれないため、ここではその驚きは伏せておく。

次回公演を楽しみにしております。
わからなければモモエさんに聞け

わからなければモモエさんに聞け

劇団青い鳥

小劇場B1(東京都)

2015/12/15 (火) ~ 2015/12/20 (日)公演終了

満足度★★★★

可笑しさと切なさ
私の人生、やり残したことがない? 当日パンフにも各キャストが子供の時になりたかったのは、という自問自答が記されている。

さて、1970年代の歌謡界...当時あった「スター誕生!」でデビューした中三トリオ(森昌子、桜田淳子、山口百恵)は、今それぞれの途を歩いている。ところで、タイトルにある“モモエさんに聞け”は、人気絶頂期にあった彼女に対して、やり残したことはない?という比喩的な問いかけでもあろうか。

ネタバレBOX

主人公(天光眞弓サン)は、タンタン(坦々or淡々?)デパートのエレベーターガールの募集チラシを手にし、応募するか否か思案している。何しろ年齢不問(自分は孫がいる年齢)なのだから、その気にもなる。さぁ、ここから彼女の心の彷徨が始まるのだが...。このデパート名の(音)韻が、それまでの人生の平凡さを物語るような響きがある。
舞台セットは、ほぼ素舞台。場面に応じて子供用の椅子が数脚あるのみ。全体的にモノトーンであるが、場面に応じて照明照度、照射角度を変え、演出効果を高めていた。音楽も同年代であれば懐かしく、知らない世代でも楽しめると思う。

心の旅は、占い師(葛西佐紀サン)による恍けた占い。その先には全てが見えるとか。
心療内科医師(天衣織女サン)では、応募する動機と不安を相談するが、ズレた方向へ。
インストラクター(近内仁子サン)のもとでは、自分の高所恐怖症・閉所恐怖症という課題を克服する訓練。その特異ある動きが魅力的。
訪ね歩く先(シーン)の主役は入れ替わり、その場面をそれぞれ違った観せ方(コメディ風、ミュージカル風など)で牽引する。登場人物5名のうち4名が劇団員であり、そのチームワークの良さが十分観て取れる。
全体としてはコミカルであるが、その仕草には愛嬌と哀切が同居しているようだ。
ラストは、冒頭のシーンへ邂逅するような繋がりで印象に残る...お見事!

次回公演を楽しみにしております。
ビーイング・アライブ

ビーイング・アライブ

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2015/12/11 (金) ~ 2015/12/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

生きていくこと
多くの家族が抱える現実。独居老人と最近問題になっているマンションの手抜き建築を絡めた物語である。もっとも殆どが(超)高齢社会における当人とその家族または周囲にいる人々との関わりが中心に描かれる。それを観せる舞台セットと演出手法はこの劇団の特徴。観客(自分)が楽しめるよう工夫されている。
例えば、舞台セットは客席側に向かって前面斜め下に傾けている。当然、欠陥住宅をイメージすることができる。
役者(動き)は、ムーブメントでその瞬間々々を切り取り、日常の暮らしの中や表情を断片的に表現する。その動きは観(魅)せて印象付ける巧みさ。

ネタバレBOX

いわゆる八百屋舞台...それも三分割で、上手は寝室(ベッド)、中央奥がダイニングキッチン、客席側がリビング(テーブル・椅子)下手は和室(仏間か)、舞台が斜めになっていることから俯瞰しているような感覚になる。
さらに舞台構造が役者の老人演技(身体の負荷)へ繋げる、という演出が見事である。

同一空間で男女の老人がいるため、始めは夫婦かと思ったが、実はマンション(間取りが同じ)の階違いの部屋を現している。上階の老男の部屋床と下階の老女の天井に穴が開く(「空く」の感覚)という抽象的な現象での老・老交流が面白い。

其々の家族との関係は、現代の家族関係・状況を端的に現している。その昔、家制度に見られた大家族から核家族へ変化したこと、それに伴う一人暮らしの老親との関わりが切実。
大きな出来事が起きるわけでもなく、日常の暮らしに堆積していく不安と寂寥に心が痛む。

この公演は、むしろ大きな出来事より、静かな時間の感覚にこそ、時代や社会の本質があることを示している。そこを鋭くも温かく観せているのが、この劇団の特徴であり真骨頂であろう。もっとも本公演は、明るく生きいていく、という未来も...。

次回公演も楽しみにしております。
イルクーツク物語

イルクーツク物語

劇団俳小

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2015/12/09 (水) ~ 2015/12/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

丁寧な描き
旧ソビエト時代、バイカル湖の南、イルクーツク近郊を流れるアンガラ川にある発電所の建設現場で働く者とその恋人が織り成す話。脚本が書かれた時代状況や、日本での初演(劇団民藝)のことは、当日パンフに記載されている。
その内容は、女性主人公ワーリャ(舞山裕子サン)が苦難を乗り越え成長する様と、それを温かく見守る人々の交流が感動的に描かれる。二部構成2時間30分(途中休憩 10分)は“生きるため”を中心に、友情・恋愛・誕生・自立といった個々のテーマが織り込まれ、見事な絵柄を仕立て上げた。
さて、ワーリャは、劇中で披露されるカルメンと姿を重ね合わせることができるが、そのラストは...。

ネタバレBOX

梗概は、発電所の近くにある売店で働く人気者ワーリャ... 「安売り女」と陰口を叩かれながらも自由奔放に振舞う。建設現場で働く男2人(親友同士)からも好意を寄せられるが、その悪い噂にも関わらず誠意を貫いた男と結婚した。双子の子供も生まれて幸せな生活も夫が事故死(近所の子供を助けるため溺死)するという不幸が襲う。失意にある彼女を建設現場の人達が助ける。その場面は、国情や時代といった背景を理解しないと感じ難いところもある。例えば、現代日本・資本主義における金銭感覚からすれば、5人分の労働を4人で行い、1人分を...。 富の再分配をイメージするような発想が出来るだろうか。その当時の国家体制だからこそなし得るような気もする。

ワーリャの生き方は、一部と二部とでは異なる。特に二部は、結婚・妊娠・出産・死別を経て、発電所で働き子供達を育てていく、そんな力強さが感じられる。
雰囲気も一部の若者らしい溌刺(はつらつ)、瑞々しさから、二部では落ち着いた大人、そして生活感が出ている。その演技は安定しており、キャストのバランスもよく安心して観ていられる。

日本で女性の自立や自由が声高に語られるようになったのは1970年代になってからだという。この物語は1950年代のことが書かれており、青春群像劇でありつつ、自立していくという、当時としては新しい女性像を描いている。その意味できわめて先見性のある公演(脚本)だと思う。今、その物語を上演するということは、政府の成長戦略の主要施策“すべての女性が輝く社会づくり”を打ち出していることに呼応するのだろうか(取り合えず、その運用の善し悪しは別)。
物語の展開は丁寧で、その心情描写も繊細である。公演全体は、細部を描くというミニマニズムを感じるが、その底流にある“逞しく生きる”という姿は、現代日本の女性へのエールにも見える。

次回公演を楽しみにしております。
MID騎士(KNIGHT)ミラージュ

MID騎士(KNIGHT)ミラージュ

無頼組合

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2015/12/11 (金) ~ 2015/12/14 (月)公演終了

満足度★★★★

失踪を疾走する...面白い!
探偵物語...と言ってもハードボイルドではなく、緩い笑いを織り込みながら底流には鋭い社会批判・混沌とした国際情勢がしっかり見える話。特に国際情勢についての部分は、当該国に問題があっても、内国干渉になってはいけない(国際連合憲章における友好関係原則宣言を持ち出す)。例外として、自国の問題に対して国際機関が介入できる事項、それがこの公演の本筋であり探偵が登場する理由にもなっている。

その理由とは...。

ネタバレBOX

日本にいる外国人カメラマン...自国で撮影した人権侵害の写真を国際社会へ公表する、それを阻止しようとする集団・グループからの逃亡。それを結果的に助けることになる探偵。
梗概は、街に不穏な空気が漂い始める中、探偵は、失踪者の探索を依頼された。しかし、早く探し出さないと手にはめられたブレスレット型爆弾が爆発する。死へのカウントダウンが迫る中、調査を始めた。そして失踪者を見つけたまでは良かったが、そこからが本当の意味での命をかけた〝バトル・ラン〟が始まる。

基本はブラックコメディで、その構成はバラバラに展開している話が段々と収束する巧みさ。そのシーン毎のコミカルにして洒脱な会話に心地よく身を委ねていると、いつの間にか緊迫した国際情勢を突き付けられるという驚き。その構成・展開に感心させられる。この観せ方とテーマに潜む重大さのギャップの見事さは秀逸である。

人間一人の時は、その異常さは隠されているが、集団化し何かのキッカケで残虐さが暴走する。それを国際社会から隠す、自国の恥は晒さない。そこにある理不尽...芝居の中では視覚として具体的に表現されないが、その事実があることを主張する。その直接見えない出来事を観客自らが想像し考えさせる、その導き方が素晴らしい。

次回公演を楽しみにしております。

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