在りし日の街
21g座
明石スタジオ(東京都)
2016/03/17 (木) ~ 2016/03/20 (日)公演終了
満足度★★★★
疾走する故郷の街
「在りし日の歌」は、言わずと知れた中原中也の詩集。そのうちの1編「冷たい夜」は、「冬の夜に 私の心が悲しんでいる 悲しんでいる、わけもなく…心は錆(さ)びて、紫色をしている。(以下省略)」...この公演は、郷愁に溢れた内容をイメージしていたが、自分の思っていたものと違っていた。その違いは、タイトルと描いた物語のギャップに驚かされたもので、グイグイとこの話の中に引き込まれた。物語に何回も出てくるシーン...夜空に輝く星座を見上げる。
この公演の魅力は、デフォルメした人物造形、スピード感とテンポの良さが飽きさせない。細かいことを言えば、リアルティに欠けることから、突っ込み所はあるが、それを追いやる勢いがある。
(上演時間2時間強)
ネタバレBOX
夢破れて故郷に帰ってきた女性・青柳サナエ(豊田奈々サン)が、上京するまでの人(幼なじみ)や街が変っていたことに戸惑いを感じる。人は立場、状況・状態など時間の経過によって変る。人が変れば街も変り故郷の匂いが薄れるかもしれない。そして、そこに事件が絡めばなお更である。
梗概は、上京して歌手を目指した女性・サナエが故郷の四ツ木町へ帰ってくる。大人になった幼なじみは、家業(印刷工場)を継ぎ、金貸し、ヤクザになり地元に残っている。この街は24年前の偽札事件、時計台殺人事件の2つの事件が縺れ、さらに市町合併の渦中にある。サナエは、街の秘密に翻弄されつつも、事件を追う刑事、合併に絡む国会議員などが入り乱れて、縺れた糸を解くように事件の真相に迫る...サスペンス・ミステリーである。
大都会・東京(歌舞伎町)と四ツ木町というローカル都市を比較した都鄙(トヒ)感も語られるが、それよりも強調した人物像(キャラクター)、独特な説明・決め口調の台詞回しが印象に残る。
この物語から思い描く言葉は、「ふるさとは遠くにありて思ふもの」(室生犀星)...であるが、ここでは自ら渦中に入り街の健全化に奔走する姿が映る。人は、自分の思い出の持ち方次第で、現在をいっそう光に満ちたものにすることも出来れば、暗い影の中に包み込むこともある。本公演、思い出に浸るだけではなく、未来に向けて大きく歩き出そうとしている。2015年旗揚げの劇団「21g座」のこれからの姿に重ね合わせることが出来よう。
なお、いくつか気になるところ、例えば殺人事件にもなれば現場付近は徹底的に調べ、地下工場などは簡単に発見されるだろう。もう少しリアリティがほしい。しかし、あくまで”楽しむ芝居”に徹し、広げ散らかしたピースを回収するように努めていると思う。荒削りのような感じもするが、こじんまりせずスケール感を大切にしてほしい。
次回公演を楽しみにしております。
「安全区/Nanjing」ご来場ありがとうございました。
メメントC
Geki地下Liberty(東京都)
2016/03/17 (木) ~ 2016/03/21 (月)公演終了
満足度★★★★★
小説では一人称の語りになるが、芝居では登場人物のそれぞれの視点から感じ、思い、その重層するような思考が緊密に表現されていた。全体としては骨太で硬質な作風に仕上がっていた。戦局の急展開、その限定された時間に合わせた濃密な会話に緊迫感が溢れる。戦争という理不尽にして無慈悲な人間ドラマは観応え十分であった。
ネタバレBOX
堀田善衛の小説「時間」が原作。堀田氏の小説は自分が20代の時に「孤独の広場」(昭和27年1月・芥川賞受賞)を読んだだけだが、その印象は硬い文章のような記憶がある。
作・演出の嶽本あゆ美女史は、原作と言うよりは堀田善衛という作家の著作に魅せられたようで、当日パンフ..B4版二つ折りの片面全頁を使って小さな文字で熱い思いを書き綴っている。ほぼ書き出しで「『世界の見方』を根本から変えてしまった」と記している。その思いを明確に描き出した秀作だと思う。
舞台セットは、中国風の螺鈿屏風、机などの調度品を配し臨場感を漂わせていた。その舞台美術は隙がなく、物語も緩い遊び心なども入れず、最後まで緊張・緊迫感という硬質さを貫いていた。
梗概…1937年、中国・南京を占領した日本軍は暴虐のかぎりを尽くした。掠奪、陵辱、殺戮という非道の数々。この人倫の崩壊した状況下で人が為しえることは何か。そして日本軍が撤退することになり…。南京事件を中国人知識人の視点から観せる。
現在でも世界中のどこかで「紛争」「戦争」という”人食い鬼”が跋扈している事実…人類最悪な不条理、その問題を自らの問題として受け止めることが難しくなっている。人は自分が見聞きした出来事の中でしか考えられない。その先にある不幸な出来事を想像することは出来たとしても、現実感が伴わない。時代という状況に嵌め込まれて自分が何を行っているのか解からないうちに、理不尽なことに関与(巻き込まれて)していく。主体的な、自覚ある「行為」でないため責任も希薄。
国家は自国の体制・権力を守ることに専念し、人は歴史の中に消えていく。だからこそ、個々人の記憶を残し、語り継ぐことが大切になる。人間として、どのようにこの時代の中で生きていけばよいのかという事を「時代の動き」を読み取り対応して行く事が重要、そんな思いにさせられる。
公演は、中国という地における戦況の変化、それに伴って人の本能・本質という心の在りようも動く。大きな世界観に翻弄される人間の慟哭が聞こえるようだ。それを役者陣(6名)は、登場人物のそれぞれの性格と立場を確立し、切迫した状況をしっかり体現していた。物語の重厚さに負けない、その重圧のような雰囲気を凌駕するような演技、その役者間のバランスも素晴らしかった。
次回公演を楽しみにしております。
夏の夜の夢
チョコレートカンパニー改めディ・ショコラーデ
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2016/03/16 (水) ~ 2016/03/20 (日)公演終了
満足度★★★★
人生は夢...その世界にいる間は心眼で見る
この「夏の夜の夢」は、約420年前の戯曲...、そしてシェイクスピアの戯曲はこれ以外にも多く上演されている。その魅力は...。
さて、当日パンフの演出・林英樹 氏によれば、今回公演は階級社会(第5幕)について言及したかったようだ。初演当時は厳然たる階級社会で、本来なら出会うはずのない貴族階級と職人階級が交わるところまで演じた。翻って、現在の日本...階級社会における意味は階級がない(と思われている)現在では無効か?と疑問を呈している。政治・官僚・財界層の政争や利権争いと明日の不安を抱えながらも日々暮らしに賢明な庶民を重ね合わせたら、この劇はどう見えるのか。
この公演は、分かり易い展開であるが、逆に既知のもので新鮮味が感じられないのは仕方のないことか。例え、先に記した階級に拘った観せ方であっても、その意図が十分伝わらなければ既視感覚だ。
冒頭の照明(色彩)は、雰囲気を醸し出す効果があったが、それ以降のシーンにはその魅力が感じられなくなったのが残念である。
ネタバレBOX
舞台は二方向(変形L字型の客席)から観るようになっており、セットは舞台側の壁にレースのような布が幾重か垂れ下がり、部分的に蔦も絡まっている。そのレースにカラフルな色彩光を照射し、幻想的な世界が広がったが...。
この作品は喜劇に位置付けられるが、その世界観は”あれもこれも”の何でもありで、そこには矛盾も内在する。時に、人は愛する人を拒み、愛していなくても求める。それが”花の力”を借りたとしても矛盾が矛盾のまま混在する-それが喜劇で世界であろう。もっとも人間らしさを考えた時、機械と違って理論通りに行かないのが人間である。今回の劇で言えば、恋に悩むことは反理性的であるが、そこには人間らしい矛盾も見える。それは愚かしいことであり、愛らしいことでもある。シェイクスピアの多くの喜劇に道化(=愚者)が登場するが、この劇でも職人が道化役、妖精が愛し役であろうか。
矛盾する世界では、真実・正義は一つとは限らない。物事の視点を変えると違って見える。重要なのは、心眼で物事を捉えること。この「夏の夜の夢」でも、”恋は目でなく心で見る”という有名な台詞が聞かれた。ちなみに、台詞回しの妙、テンポの心地よさは秀逸。
気になったのが、階級という対立構図の中で、それを体現する役者の演技力に差があったように思う。貴族階級の役者陣の熱演、一方、職人階級のぎこちない(「劇中劇」という演出か?)ような感じに違和感を覚えた。
重要なのは、心の目で物事の善悪などを見極めること。心の目が塞がれ、目先の利益や快楽といった表面だけに惑わされることが多くなった昨今、本当に大切なことは心の目でしっかり捉えること...何百年の時を経て、今の世に訴える力がある。そこにシェイクスピア戯曲の魅力があろう。
チョコレートカンパニー改めディ・ショコラーデは、シェイクスピア作品を上演し続けている。
次回公演も楽しみにしております。
Blackbird ブラックバード
幻都
APOCシアター(東京都)
2016/03/16 (水) ~ 2016/03/21 (月)公演終了
満足度★★★★★
激しい会話と…
舞台セットは、登場人物の心の内を映し出しているようだ。この翻訳劇は、心奥にある思いを激しくぶつけ合う、そんな濃密な会話で成り立っている。この公演、舞台美術はもちろん音響・照明という技術が印象的であった。戸外から聞こえる走車音、心情の変化に伴う照射光の違い。狭い空間に二人しか登場しないから、その芝居にメリハリを持たせる工夫であろうが、実に効果的であった。
演技は素晴らしい。しかし、女が(下手)床に横たわるシーンは後部座席から観難いと思うし、台詞も聞きづらくなるので、工夫が必要だと思う。
この作品には、現在の”児童ポルノ”に通じる問題も想起させるような...。
英国が「児童の権利に関する条約」を締結していたかな?
(上演時間 1時間35分)
ネタバレBOX
公演は、ある事務所の一室に男女が縺れるように入ってくるところから始まる。その室内は、中央にテーブル、椅子やダストボックス、上手にロッカー連、下手壁は曇りガラス窓とドア。テーブルの上はもちろん、床の各所にゴミが散乱している。そして室内全体が荒廃し寂寥感が漂う。
冒頭、何の目的でこの女(中村美貴サン)が来たのか、それが分からない。サスペンス風であったが、そのうち少女期(12歳)に、この男(大森博史サン)と性的関係を持ち、当時から現在までの苦しみ、恨みごとを訴えに来た。男は、今の幸せな生活があること、当時の言い訳と刑務所で悔悟したことを説明する。この互いの思いを綴る15年間の回想話。その会話はあちらこちらに漂流(女は世間の冷たい目に晒されつつも同じところに住み、男は名前も住むところも変えるという対照的な生き方)するように揺れる。そのうち、男は苛立ち、激高しゴミを蹴り散らかす。それがいつの間にか二人でゴミを蹴り、投げることで、過去の蟠りを払拭するかのような行為...狂気が狂喜に変わり冒頭の憎悪が浄化され愛情へ変化していくようだ。
男女の関係になるのに年齢差は関係ない(当時男は40歳、女は12歳)。男の”性癖”がクローズアップされ、情交しようとしたところで暗転する。そして明転すると10代と思われる少女(山岡愛姫サン)が入ってくる。この男の子供(実子か妻の連れ子か判然としない)だという。しかし、時を経てもその性癖は...と思わせるようなラストシーンである。
「大人は嘘をつく」という台詞…純真な少女が、無垢な気持を弄ぶ性癖の男へ放った痛烈な非難。一方、それでも愛を確認したい、少女から女性へ成長しても、そこは女の”性“なのだろうか。その愛憎、哀切さが心に響く。
次回公演も楽しみにしております。
ベター・ハーフ
劇団しおむすび
パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)
2016/03/11 (金) ~ 2016/03/13 (日)公演終了
満足度★★★★
微温的な展開から...
現代若者の恋愛模様が切なくも悲しいように展開される。どうしてもこの脚本「ベター・ハーフ」(鴻上尚史 氏)で公演をしたかったとは、劇団しおむすびの喜田光一氏の言葉。奇しくもこの公演を観た前日(2016.3.10)に日本劇作家協会会長に就任(2016.3.1就任)したことが公表された。
物語は、インターネット普及により男女の出会いにバリエーションが出来たが、いまだに恋愛に慎重または奥手のような若者が初々しく描かれ微笑ましい。その一方で、マイノリティーに関する社会的問題を絡め、単なる恋愛話にはならない。
脚本は面白いが、それを体現する演出と演技が追い付いて行かないように思われた。
ネタバレBOX
梗概は、出会い系サイトで知り合った女性に自分の写真と称して部下・諏訪祐太(喜田光一サン)の写真を送る沖村嘉治(石川剛サン)、沖村の代わりに女性とのデートに行くことになってしまう諏訪、沖村とインターネットで知り合ったトランスジェンダーの小早川汀(根本理菜サン)、沖村と直接会うことをためらう小早川の代わりにデートに行く小早川の友人・平澤遥香(岡本知里サン)の4人が織り成す恋愛模様を描く。
舞台セットは簡素であるが、妙に艶かしい雰囲気がある。中央に白いシーツ(スクリーンの代用効果もある)、上手に別空間をイメージさせる台、下手はピアノが置かれている。それらの空間(天井も含め)に赤い紐が巻き、垂れるように掛かる。運命の”赤い糸”を象徴するようで、薄い紗の掛かった物語にリアルな男女の関係が観えてくるようだ。出会った以降の進展は、まだインターネットの普及や携帯電話がない頃、男女の距離を縮めるのに時間が掛かったもどかしさが垣間見えてくるから可笑しい。人と人を介するツールはあっても、実際会って生身の人間同士が理解するのは、時代を経ても同じなのだろうか。その男女関係にスパイスとして効いてくるのが、トランスジェンダーという性の本音。創作された恋愛劇であるからこそ、現実と夢、建前と本音、快楽と時間の流れも自由自在にできる。その面白さを十分に表現しきれていないところが残念であった。
その第一は、この物語の登場人物は30代半ばという設定であるが、キャストは全員20代前半のようで、社会的経験値が観てとれない。次に時の流れであるが、映写で経過年月を表示するのみ。女性は何度か衣装を変えているが、男性は同じ服装のまま。少なくともネクタイを変える、コートを着(冬場)、上着を脱ぐ(夏場)などの季節感を出し現実味が伝わると良かった。時の流れは、人の気持、感情を左右する大きな要因であり、世相をも表すから。
それでも若い役者が真摯に取り組んでいる公演ということは感じられる。この恋愛話はトランスジェンダーという点を除けば、誰もが似たり寄ったりするようなものであり、それだけにもっと自分たちの年代に近く、等身大な恋愛に置き換えたら...。色々な場面で効果的に奏でられる音響・ピアノ、歌など魅せる工夫は好感が持てる。その脚本の力と魅せる工夫が、観客(自分)の神経を甘噛みしてくれた。
今後の期待も込めて★4です。
次回公演を楽しみにしております。
『BET』
ラチェットレンチF
上野ストアハウス(東京都)
2016/03/09 (水) ~ 2016/03/13 (日)公演終了
満足度★★★★★
BE(S)T…最高!
すぐ物語へ引き込まれるような、本当に楽しめる公演である。「バレなきゃイカサマじゃないんだぜ?」というチラシに力を得て、公演内容が分からなければ、少しぐらいネタバレしても構わない?それでも説明文を引用して批判されないようにしよう。
「限界まで追いつめられた俺は作家にとっては禁忌とも言える『禁断の果実』に手を出してしまった。それは届けられたファンレターの中にあった『ある人物の物語』だった。」この引用文だけでも興味津々であろう。
ネタバレBOX
当日パンフに主宰・脚本の大春ハルオ氏が「ラチェットレンチも11回目となり、コミカルサスペンス作品を3本、落語サスペンス作品を3本、カットバックで魅せるサスペンス作品を5本書いてきた」と...結論はサスペンス好きということらしいが、本作品も例外ではない。その観せ方が実に軽妙・コミカルでありながら、社会サスペンスという緊張・緊迫するようなところへ連れて行かれる。その時には既に前傾姿勢でのめり込んでいる。
梗概の一部は書いたが、以前は売れっ子サスペンス小説家がスランプになり、編集部から最後通牒を突きつけられたところから、物語は始まる。劇中劇であり、その手法にはカットバックも観える。「事実は小説より奇なり」という言葉を聞くが、まさに自分の知らないところで仕組まれたレールを疾走する主人公・梶野達也(大春ハルオ サン)の姿が滑稽である。しかし、いつの間にかストリーテラーのような役回りを担っている。
物語が進むにしたがい、登場人物の立場が変わり、従えたサイドストーリーも漂流するかのように揺れながら一つの目標(真実)に向かう過程が面白い。編集者の市原牧子(山﨑さやかサン)の”貴方には何が何でも書いてもらわなければ困る”と言った趣旨で脅され、自分の心と折り合いをつけながら書き進める...それはファンレターという名の告発書。そこには某市で起きた事件をなぞったものが書かれ、それをフィクションとして発表し好評を得る。いつの間にか”バレなきゃイカサマじゃないんだ”という自己防御しつつ、一方の興味本位が真実に近づいて行く。芝居という中の小説か、小説の中の芝居か判然としなくなる中で、ページをくくるように、次のシーンを手繰るようになる。
脚本や演出は勿論、役者陣のキャラクター作りが見事。しっかり体現できており、バランスも良かった。時代の変遷にあわせ、登場人物の役者も変わるが、その錯綜するような構成でもしっかり対応する。そして何より謎解きのテンポが心地よい。
この小説家…ギャンブルに嵌まってBET(賭ける)ばかりのようであったが、これを幾に(書ける)ようになったのだろうか。
次回公演を楽しみにしております。
ユーカリ園の桜
BuzzFestTheater
ウッディシアター中目黒(東京都)
2016/03/09 (水) ~ 2016/03/13 (日)公演終了
満足度★★★★★
演劇という文化の中に社会問題を取り込み
「さしのべた その手がこどもの命綱」...その標語が見えるポスターが舞台中央に貼られている。この公演は、前半の軽妙、コメディという観せ方から、後半は重厚、シリアスな展開へ大きく転換する。その落差は大きく印象付ける物語。もっとも前身のTEAM BUZZから得意としているコメディ路線とシリアス路線を融合した作風を追及することにしているのだから、当たり前の脚本・演出なのかもしれない。
さて、この劇場は座席が列間および隣席とが密接であるため、仮に中央に座った場合、身動きが取れない。前作の「ストリッパー薫子」でもそうであったが、開演ぎりぎりまで集客する(劇団とすれば当たり前)。当日券でも観たい客には嬉しいが...。「ストリッパー薫子」の時は、舞台ぎりぎりに座布団を敷いたが、今回は両サイドに増席していた。開演時間遅延に関するお詫びも前作と同様...何か工夫できると良いと思うが(人気劇団の悩みといったところか)。
それでも観客に対する対応は親切・丁寧である。座席への誘導はもちろん、座席下に桜型の敷物があり荷物汚れへの配慮、トイレから出てくる人へのハンカチ提供等々。この気配りが観客(自分)にしてみれば、気持ち良い。
ネタバレBOX
公演は、ドキュメンタリー映画「隣る人」(2011年制作)を観るようで、心が痛んだ。もっとも映画のように日常の生活を坦々と切り取るのではなく、芝居らしいメリハリのある小挿話、サイドストーリーを絡ませ牽引する。それだけにどのシーンを見せ場とするか腐心したと思う。その現れが山場の連続のようである。
この公演は児童養護施設「ユーカリ園」が舞台である。セットは中央に事務机、その奥はベランダ(テラス?蔦も絡まる)へ出るガラス扉、上手には洗面台、応接セット、下手には、ローキャビネット、掲示板。
梗概は、チラシ(封筒)から抜粋し「この春、児童養護施設『ユーカリ園』には、施設を退所する3人の若者達がいた。 それぞれ、将来に対する不安、悩み、葛藤を抱え生きている。 自らも孤児院で育った過去を持つ、戸高陽平ら職員は、そんな若者達の抱える問題に真正面から向き合って行く。 ユーカリ園で巻き起こる、悲しくも心温まる人間模様」である。
この児童養護施設における様々な問題は、現代社会が抱える問題そのものである。その縮図を芝居らしくデフォルメして問題をしっかり浮き彫りにする。その凝縮した思いが観客の心に響く。例えば、18歳でこの園を卒園し、社会(就職)などへ出なくてはならない。親がいない子の就職の難しさ。進学したくても経済的な面で断念しなければならない。(父)親の身勝手で、この園に入所した子を引き取りに来る。さらには、この児童施設ではないが、ここで働く女性職員が、自分が育った児童施設(そこの職員)で性的被害にあったことなど、広範な問題を次々に明らかにする。話しは無理なく展開するが、その問題(山場)がインパクトある演出で描かれることから、衝撃が大きい。先に記したコメディタッチとのギャップが大きいだけによけいその感がある。
ラストの桜が舞い落ちるシーンは感動的であり余韻大。観客席中央を中心に降り注ぎ...素晴らしい演出であった(桜色で花びらを形取るなど細かい)。
この物語の先見性と記したのは、3月9日に観劇したが、10日には児童虐待対策や社会的養護に関する厚生労働省の専門委員会(有識者委員会)が児童養護施設の入所者は原則18歳で退所する必要があったが、22歳までの入居継続(支援)を可能にする報告書をまとめている。ちなみに18歳退所を撤廃出来なかったのは民法改正(成人18歳)の動向が影響した。
現代における社会問題を演劇という文化の中に取り込み、しっかり問題提起する。それは倫理、教訓という教科書的なことではなく、あくまで観て感じさせるというもの。お仕着せと感じる向きもいるかもしれないが、現実にある施設であることも事実。新聞では養護施設にいた人が、同じ境遇の子供を救おうと、施設職員になることを決意した、とあったが、まさにそれを地で行くような公演であった。
次回公演を楽しみにしております。
負け犬ポワロの事件簿
東京AZARASHI団
サンモールスタジオ(東京都)
2016/03/04 (金) ~ 2016/03/13 (日)公演終了
満足度★★★★
長い謳い文句...ノンストップ痛快ドラマチック・シチュエーション・コメディ
推理小説でいえば、後出しジャンケンのように終盤になって次々と色々なことがわかる。自分では、伏線のようなものがあったか判然としないが、突然にタネ明かしされるような気がした。まぁ、そこはコメディなのだろう。些細なことに拘らなければ問題なし。逆に辻褄を合わせようとしても、それは難しいかもしれない。物語(ストーリー)の面白さというよりは、漫画・漫才的な演出と個性豊かな役者陣の演技が楽しめた。娯楽に徹底した芝居は分かり易いが...。
ネタバレBOX
劇中劇の構成...長野県にある某温泉宿、そこに映画の撮影隊が訪れている。この公演では、宿の娯楽室が舞台になる。一時、温泉宿といえば浴衣で卓球という姿が見られたが、この舞台でも真ん中に卓球台を置いて”ピンポン”を行っているところから始まる。そしてTV番組にもあるような湯けむり殺人事件が...。
映画制作に携わる人々、その撮影場所となる宿の女将、さらにラジオ番組制作者が絡み、それぞれの立場を主張するドタバタ。そのうち映画俳優にしてラジオ番組の出演者である男が殺され、その取り扱いをめぐり喧々諤々。また面白半分に犯人捜しを始める人達の勝手な想像。この立場をデフォルメするような観せ方...女性プロデューサー、スポンサー御曹司(その立場を利用した俳優)とその付き人、映画監督・助監督・AD、俳優陣、エキストラ、ラジオ番組制作者(ディレクター、アナウンサー)が映画撮影やラジオ番組の相互協力・牽制などに絡んでくる。
殺人事件、その動機が明らかにされないが、唯一それが伏線であり事件解決の手がかりであったか(もともと殺人事件ではなく、その理由は明らかにされる)?
コメディとして笑わせるという姿勢は見受けられたが、自分は心から笑えたかというとワザとらしさが先に立ち(客観的)眺めただけになった。
次回公演を楽しみにしております。
ストアハウスカンパニー『Remains』
ストアハウス
上野ストアハウス(東京都)
2016/02/24 (水) ~ 2016/02/28 (日)公演終了
満足度★★★
見巧者向けか...とりあえず感性で
タイ:B-floor 『Red Tanks』 、Democrazy Theatre Studio 『Hipster The King』
日本:ストアハウスカンパニー『Remains』 の3つのカンパニーの公演のうち、2本立。自分は日本:ストアハウスカンパニー、タイ:B-floor を観賞。
両方の公演は、その伝えたい枠組のみを提示し、外形の作り込みは観客に委ねる、そんな抽象的なものを感じた。その意味するところを正確に受け止めているか、その意を汲み取っているか、ということを考えた場合、随分と息苦しさを感じてしまう。観ている内容はそのまま無条件に受け入れる、という情報の垂れ流し的な思いで観るのも嫌になる。
人間の五感の演劇を見ているが、その大部分が視覚に頼っている。その(自由)に感じることの面白さは伝わる。
映画「イヌジニ」のコピーで、首輪をはめられることによって「自由」になれた、と言った趣旨のことがあったが、まさしく視覚に頼るだけ(それも大切)、そんなことを感じさせる深いイベント公演。
ネタバレBOX
日本:ストアハウスカンパニー『Remains』… 複数の登場者(キャスト)は、パンストのようなものを頭から被り全身を被っている。そして始めは全員が繋がり、前後・左右に歪になったりして形を変えながら進む。そのうち、その被りものを破き姿を現す。その後、舞台奥に積んである多くの衣類を散乱させ、または包まったり、高く投げたりする行為。登場者はそれらの動作を行うが、必ずしも揃っていない。基本的な動作であるが、その形容は自由。自分は、多くの卵の産卵、ふ化し、自由を謳歌するというイメージを持った。
タイ:B-floor 『Red Tanks』 … 一人の登場人物は、ランダムに置かれている赤いタンクの一つから出てくる。そのうち、タンクを並べたり、転がしたりして遊びだす。嬉しそうであるが、その行為は何時までたっても一人のまま。自分は孤独・断念・追想・死(赤=血)のイメージを持った。
日本、タイ両国の演技はどちらも表意があることは感じられるが、その表現は抽象的であり、自分には真意を汲み取ることは難しかった。
人の五感...風景は目で見、音は耳で聞く、鼻は匂いを嗅ぎ、舌で食事を味わう。そして物を触り感じる。五感は個別化して機能するのではなく、相互に密接な関わりを持ち外界と接している。
この公演は、それらの要素を超えた第六感、またはもっと違う何かで思い感じるもののようだ。その意味で無意識の”慣性”で観ている公演(芝居)とは一線を画し”感性”を豊かにして観るべきものかもしれない。
ちなみに、当日パンフの説明抜粋すると、
日本:「Remainsには、いわゆる一般的な演劇においていわれている「役」がありません。:Remainsは役を放棄し、あるいは奪われ、人間を徹底的に固体としてみることを強要します。それは自らを家畜化してしまった人間の感覚、感情ではなく、動物としての人間の感覚、感情を感じてみたいというRemainsの欲望に他なりません。Remainsの虚構の水準はそこにあります。」と結んでいる。
タイ:男はRed Tankに入れられた後、生き延び、忘れられない記憶と共に目を覚ました。Red Tanksは、違法であると当局に判断された犠牲者の物語である。これは40年前にタイ南部で実際に起こったできごとに触発されている。
次回公演を楽しみにしております。
クラッシュ・ワルツ
刈馬演劇設計社
こまばアゴラ劇場(東京都)
2016/02/26 (金) ~ 2016/02/29 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ありふれた日常から...切ない
舞台セットから、これから先に描かれる内容が想像できるような丁寧な作り。開演までに流れる、微かな波の音、船の音、その静寂な雰囲気が突然ドタバタと...冒頭演技はそれまでのしじまを破る。そのギャップは計算の内なのだろう、すぐに物語に引き込まれた。物語はどこにでもある(海辺)街角、3年前にそこは運命の十字路になったという。これからの話は、それこそ初演時の前に起こった出来事を意識していることは容易に想像できる。
(上演時間90分)
ネタバレBOX
舞台セット...和室内、その壁は鯨幕のような白と黒を基調にし、真ん中に長座卓が置かれている。これまた青幕をイメージした座布団。部屋の周りに白い花が咲いている花壇(供花イメージか)。物語は交通事故の加害者、被害者元夫婦、事故現場に住む夫婦(第三者)という立場が異なる大人のそれぞれの思いと思惑が絡んだ濃密な会話で進む。通常であれば、第三者は入り込まないのであるが、直接事故に関係ない人たち(夫婦)を登場させ、その会話の中で東日本大震災を想起させる。加害者女性が十字路に供花しているが、そのために売却を予定しているこの家が事故物件扱い(縁起が悪い)になり、売却価格が下がるという。この金銭的問題と併せてこの家の主婦が自責の念に苛まれる。そぅ、近所にいるからこそ交通事故の予見可能性を感じ取る。それにも関わらずどこにも相談しなかったと嘆く。直接事故に関係しないが、風評被害、二次被害、三次被害という言葉で表す。普通の日常会話ではなかなか出てこないだろう。
登場人物たちの思いは直接に、捻じれて、揺れる様相...その漂流するような展開になるが、事故から3年、前に進んでいないことに対する被害者女性の決意。その行動として、被害者が気になり尾行まがいのことを始める。そして被害者の女性は夫と離婚しているが、その元夫が加害者女性の弱みに付け込み性的関係を強要していることを知る。一身に贖罪する加害者、それが一転して被害者女性に一度も供花しないことを詰め寄る。その反論として加害者は供花することで贖罪(責任)の充足を感じているとも。5歳時の子の”死”を日々弔う加害者、5年間の”生”を見続けた母としての被害者、その激情した会話の応酬に心震える。それでも被害者の母親は前に進むために加害者に供花を止めて自分のために生きてほしいと諭す。
隣家から聞こえるたどたどしいピアノの練習は、この家に住む夫婦がワルツをぎこちなく踊る姿にシンクロする。それでも少しずつ進んでいるのだから...。復興を意識していることだろう。ただ少し震災を盛り込み過ぎかも。
なお、気になったところ、加害者が妊娠しており、それに気が付いている被害者女(母)が祝福する。加害者が既婚者か恋人がいるか定かではないが、話の流れからすると、元夫の子を宿したとも思える。それでもわが子を事故死させた加害者を許せるものか?激高する感情を押し殺したような結末に疑問が残る。
表層的には交通事故を題材にした「クラッシュ・ワルツ」、その内容はヘヴィで濃密な会話、息詰まるような緊張感。それでも後味は決して悪くはないヒューマンドラマとして楽しめた。
次回公演を楽しみにしております。
結婚プレイ2016
シアタージャパンプロダクションズ
パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)
2016/02/26 (金) ~ 2016/02/27 (土)公演終了
満足度★★★★
贅沢で 新鮮で
ダンス・パフォーマンスと朗読劇の調和...どちらも男女というペアになっており、夫婦という設定でシンクロするような身体表現と朗読内容が面白い。同調する臨場感ある雰囲気は、さらにバイオリンの生演奏で引き立てられる。
ネタバレBOX
長方形の舞台にダンサー2人が対極に立つ。装置は背景の壁のみ。その壁の前に客席に向かって左右に一定の距離をおいて並ぶように椅子に座る朗読者。ダンスは、小気味よい動き、それに応じた表情の変化、視線の交差、直接的な日常動作(生活)をイメージさせる要素が含まれる。それはこれから始まる朗読と相まって場を変容させていく。ダンスと朗読のそれぞれの特長を活かし、互いに排除(ジャマ)しないところが巧い。
朗読は、夫婦の交換日記ならぬ妻の性交日記を読み進めるという形で展開する。性交した回数は約3000回、その成果、いや性果は夫婦という日常の生活のうち、極めて人間の本能に近いところを抉り出す。人間の本来性は肉体ではなく、精神にあるなどという建前論ではない。だだ、この性交の先が見えてこない。人の営みそのものに焦点をあて、その結果、子の姿が見えてこない。その形容は、夫婦で紡いで来た30年間を振り返り、その出来事を感情豊か、というよりは激情・哀切・憤怒・平静などの感情を操り、過ぎ去りし日々を分析する。追憶などという甘美さはない。夫、妻という性別が同じように体感した出来事であっても見方が違う。座っているだけだが、圧倒的な迫力、纏わり付くような空気、その口調…妻はエキセントリックでハイテンション、早口でまくし立てる。一方、夫もハイテンションで挑発するかのような台詞。この丁々発止のような声・声...それをダンサーの不断の鍛錬で鍛えたであろう肉体を通して聞こえてくる。
そして、生演奏の素晴らしさはもちろん、音響での雰囲気作り、照明での印象付けという舞台技術も良かった。だだ、この絵空箱という空間では、Barスペースと区切っていなかったこともあり、音・光が拡散するようで効果という点では弱くなったと思われた。この会場には何回か来ているが、出来れば客席後方とBarとの間に暗幕で仕切りを作り、もう少し密室空間を作り上げればと思えただけに、少し勿体ない気がした。
次回公演を楽しみにしております。
キミが読む物語2016
ナイスコンプレックス
あうるすぽっと(東京都)
2016/02/24 (水) ~ 2016/02/29 (月)公演終了
満足度★★★★
命の重さと愛の深さを思う
本は、昨今のネットや電子書籍の普及でその接し方も多様化してきている。通勤、通学の電車の中は、多くの人に囲まれていても、一人で過ごす場所でもある。ボッーとすることも出来る(ラッシュ時は大変)が、集中して何かを感じ取ったりすることに向いている場所と時間であろう。本公演は、同じ一人と言っても、その人を想って書かれた本が中心に物語が展開する。観客層は幅広い世代が見ていたようだが、あちらこちらですすり泣きの声が聞こえた。瞼という堤防を簡単に乗り越えて洪水するが、そんな降水なら歓迎であろう。
なお、一部キャストの声が聞き取りにくいところがあったのが残念。
ネタバレBOX
映画「あなたはいい子」(2015年・呉美保 監督)では、小さい時のトラウマで外面は良いが、内面は葛藤の日々、というものであったが、この公演も自分のことが真に理解されず、勝手(虚像)に作り上げられる不自由、窮屈さというジレンマがよく表されていた。
舞台セットは、紗幕に開いた厚手の本が描かれており、場面によって舞台の前後(奥)が仕切られる。基本的には奥スペースでのシーンは、主人公女性・水葉(田上真里奈サン)の母親の入院(癌闘病)生活・妊娠し産む決心ををするシーン。
客席側は、紗幕前のメイン舞台では、生まれた水葉が周りの目を気にしている自暴自棄の姿。そして亡き母が子への想いを綴った本をゴーストライター・佐藤秀雄(末原拓馬サン)が執筆しているが、こちらも訳ありの人生を送っていた。こちらは、小学生の時に父親が病死し、約束したことが果たされなかったことへの拘り・憤りという感情が整理できない。その思いと仕事で書いた記事へのトラウマ。
プロローグで先の母親が娘・水葉を想って書いた本を求めにやってきた少年。この重層したような話が本筋である。一見複雑そうな展開に思えたが、その演出は、物語を分かり易く観せるために紗幕を使用している。
母親の想いはベストセラー小説になるが、その描かれた少女は逆に”いい子を演じなければ”という世間体、自分という人間が理解されないという悩み、その悩みに同化するようなゴーストライターの執筆姿勢。本当の自分とは、その向き合うまでに成長する姿の感動する。
次回公演を楽しみにしております。
フェードル
劇団キンダースペース
シアターX(東京都)
2016/02/24 (水) ~ 2016/02/28 (日)公演終了
満足度★★★
分割劇のようで...
現代的にみれば、不義・不倫は芸能界や不適切恋愛の国会議員の行動を指して、下衆な行いとして糾弾されている。
この公演にあるのは、王妃が義理の息子への狂おしいほどの恋慕を抱いているが、その息子は他の女性を愛していることを知り、嫉妬するという、典型的な昼メロドラマ。しかし、この下衆のような行為も悠久の時を経ることによって、芸術的、文学的な価値が生まれるらしい。時間という何物にも変えがたいフィルターによって観るべきもの、感動すべきものへ変化する。この根底にあるのが、男女の愛(愛欲・純愛など様々)であろう。これは古今東西変らぬテーマ性を秘めていると思う。当人だけの関係であれば問題ないが、そこに第三者が絡むと喜劇になり、または悲劇に変る。
本公演は、古代西欧と現代東洋(日本)の異なる次元における恋愛模様を同空間で演出しているが...。
ネタバレBOX
舞台セットは、古代神殿をイメージさせるような重厚感ある造作。中央が祭壇への階段、神殿柱…舞台奥には大型スクリーンがあり、海をイメージさせる映像と音響。舞台下手、神殿の一部に現代のOL一人住まいの部屋を切り出す。そこにメインルーム、シャワールーム、TVなどがある。フランス戯曲(初演は1677年1月)を題材にしたフェードルは、表層的には男女の愛憎、当時の権力志向と結びつけて観応えがあったが、現在OL篇は何を描こうとしたのか?
梗概は、説明文から「ペロポネソス半島トレゼーヌにあるテゼーの宮廷。王テゼーの後妻フェードルは生まれながらにヴィーナスの呪いを受け、そのためになさぬ恋の虜になることが運命づけられている。義理の息子イポリットに恋をした彼女はその苦しさから死を思う。イポリットも又、生みの母の血筋を持つ捕虜の娘アリシーに恋をするが...。」
日本も85年ほど前、1930年に谷崎潤一郎は最初の夫人と離婚したが、その夫人は谷崎の友人・佐藤春夫と結婚することになり、3人連名の挨拶状を新聞に発表した。妻譲渡事件は有名であるが、その1年前に新聞小説「蓼喰う虫」で、その状況を同時進行形で小説に仕上げた。流行作家や詩人が今では下衆と言われるような、非常識で淫らな恋愛沙汰を起こしている。芸術(家)というものは、ひかれた軌道をまっすぐ歩めないような情熱と野心がなければ大成しないのであろうか。なにしろ堕落の軌跡を描いた私小説にして耽美的でマニアックな描写で注目されたのだから。
このフランス、日本の歪な恋愛物語に関連性なりが垣間見えれば面白かったのだが...。そして、当日パンフで構成・演出の原田一樹 氏が「『言葉』によって、恋は『生贄』にされる。彼女は『恋』を、『恋』のままに引き受けたかった。もちろん私たちは、その悲劇の中に、あらゆる『言葉』に踊らされる私たち自身を感じなければならない。」(真意が伝わる抜粋か心配であるが)と。それに呼応するか分からないが、「言葉」中心で生きているようだが、その事(物)と一緒に生きており、人と人、そして事(政治・権力)が感情をも左右する。それが恋愛以外の人間ドラマとして観られて面白かったが、繰り返しになるがOL物語のほうが...。
次回公演を楽しみにしております。
Scoreless
劇団SUNS
新宿村LIVE(東京都)
2016/02/24 (水) ~ 2016/02/28 (日)公演終了
満足度★★★★
見事!!
これが第2回公演、正直驚いた。正面から捉えた重たいテーマ、それを端正で丁寧に観せる演出、それをしっかり体現した演技は見事であった。上演後の舞台挨拶で、当時の衣装・小物の収集に苦労したことを述べているが、その細部にも拘ろうとする真摯な姿勢。2015年は戦後70年という節目の年で、多くの劇団でそのテーマを取り上げていた。
上演時間2時間50分(休憩10分)の力作。
ただ、その演出は丁寧であることは間違いないが、その一方で気になることが...。
ネタバレBOX
あまりに状況描写を舞台セットに頼るため、その都度、暗転とその間に舞台セットの変更を行う。そのため、人間ドラマというよりはドキュメンタリー風になり、当時の状況記録を観ているような錯覚に陥る。そこには観客(少なくとも自分)との受け止め方に違いが生まれ、状況だけを追うようになる。それは案外集中力を保つのが大変なのであるが...。
時代背景は、第二次世界大戦最中のこと。冒頭はウエスト・サイド・ダンスのような、その当時のモダンなスィング・ダンスまたはジャズ・ダンスのような魅せる場面からスタート。ここで、客席の一部に張出舞台を設営し、生演奏で歌を聴かせる。これが素晴らしい、JAZZVocalは中本マリさん、JAZZ Pianistは和田慎治さんである。
その華やかさから一転、第二次世界大戦の非人間的な物語へ、その状況変化の大きさが印象的である。戦時中のトピックを挿話として織り込み、マメ知識が増えてくるが、その集積の先には「自由」や「権利」もなく、人間としての尊厳さえ奪うことを教えてくれる。音楽、それもジャズなどは敵国音楽として禁止(レコード、蓄音機は没収)するという。
観ていて辛く悲しい場面が登場する。大きくは2つの非人間的シーン。それは「玉砕」と「特攻」である。この2つを人間ドラマとして繋げる巧みさ。表現は適切ではないが、その醜美の対比した構成が際立つ。
エリート軍官僚を中核にして作り上げた軍隊が国の命運を握る。そして異常な作戦「玉砕」と「特攻」に極まる。まったく見込みのない戦況でも降伏は許さず、そのことを美化した玉砕。作戦とは言えない特攻。これらが軍の正式の作戦として実施された異常さ。
本公演でも、ガダルカナル作戦の異常さを克明に描いた。日本軍はアメリカ軍の本格的な反攻を見誤り、劣勢の部隊を小出しに投入して島の奪還を図るが、圧倒的な火力の前に敗退を繰り返した。味方の拠点から相当遠い場所での戦闘ゆえ補給が難しく、飢えや病気で苦しみ多くの死者がでた。特攻は、「十死零生」として、飛び立ったら帰ることがない。機動性を優先し防御が薄い戦闘機で体当たりする。極端な精神主義の横行、主観的願望の客観的事実へのすり替えなど、そこには”人”が考えられていない。この異常な状況をしっかり捉えている。同時に国内での軍事統制、家族愛も描き、多方面からの切り取りをしている。その細密を観せようとする工夫は素晴らしいが、状況説明に力が入り、芝居に通う血のような温かみ、感情が置き去りにされるようになる。
全体的に硬質な骨太作品であるが、演技、そしてダンス(空中戦闘シーンも含め)という視覚で観せるシーンも魅力的であった。もちろん、先に記した衣装。小物(当時ではないから全部リアルは無理)への気配りも好感が持てる。
次回公演を楽しみにしております。
星の果てまで7人で
トツゲキ倶楽部
「劇」小劇場(東京都)
2016/02/24 (水) ~ 2016/02/28 (日)公演終了
満足度★★★★
宇宙空間における人間ドラマの秀作
会場入り口にアーチ型の電飾があり、スタッフに聞いたところゲートだという。細かいというか遊び心のある演出である。場内はもちろん宇宙をイメージするような暗幕が...。
観劇した2016年2月24日の某新聞に油井亀美也 氏の国際宇宙ステーションから帰還した記事が掲載されていた。その滞在日数は142日だったようだが、本公演のホームシックになった宇宙飛行士たちは...
(上演時間95分)
ネタバレBOX
地球を発って4年になる。そのクルーたちの登場は一人ひとり箱を持ち、下手から上手に一列に進む。暗幕で囲った素舞台、暗転すると暗幕にある電飾が光り宇宙空間が出現する。その幻想的な雰囲気の中で、クルーの一人・マリナ(佐竹リサ サン)の「地球へ帰りたい」という禁句がもれる。理由は単純...地球にいる彼氏に逢いたいという。忘れていないか心配だという。この思いが公演の機微に触れ重要なところ。ラストの感動シーンに繋がる伏線にしており見事な演出であった。宇宙というSFをイメージさせるタイトルであるが、根幹は人間ドラマである。
クルーと地球(基地)との交信は「新年」と「誕生日」の年2回のみ。そこへ不思議な交信が...それを契機に東西南北の各国からの代表という自国(民族)意識が目覚める。地球を俯瞰しながらも、国の代表という自覚に捉われるところが人間くさい。祖国に何かあったのでは、という疑心暗鬼がホームシックに結びついて、帰還するか会議することになる。この決議は全会一致がルールであるが、会議の都度、賛否票が分かれる。このドタバタを通して、過去から現在まで、世界のいずれかで起こっている紛争を考えさせ、将来にあってはその愚かしさを警鐘する。まさに宇宙的規模の考え方に収斂していく。
冒頭の箱は衛星機(基)という設定であり、クルーは意識人格という非実在性、地球には実在する本人がいる、という不思議なもの。地球に帰還すれば心身一体になるのだろうか?クルーの一人・さくら(前田綾香サン)は地球を発つ時には末期癌に侵され余命わずか。今はもう亡くなっており、帰る場所(体)がない。それでも残された家族は彼女のことを忘れず、いつも想っているだろうと...。結局、7機(基)の衛星基は永久の宇宙探索を続けることになるのだが、8人目は時折意識下に入ってくる”おばちゃん”、その正体は如何に(エイリアンか?)
この宇宙における人間ドラマ、キャラクターをしっかり立ち上げ観せる公演になっている。先に記した油井氏が帰還して思ったのは、宇宙ステーションでは意識しなかった重力を感じた時、「地球に抱きとめられているような気がした」と。その言を借りれば、この公演は「温かで大きな心に抱かれているような気がした」である。ただ一つ、自分的には大きな盛り上がり、インパクトという印象付けが弱かったような気がしたのが残念であるが。
次回公演を楽しみにしております。
Stay of Execution
メガバックスコレクション
錦糸町SIM STUDIO 4F C-studio(東京都)
2016/02/20 (土) ~ 2016/02/28 (日)公演終了
満足度★★★★
慟哭...心魂震える秀作【Bチーム】
「神は細部に宿る」という言葉を聞く。少しネタバレになるが、地下鉄・渋谷駅構内と車両が舞台セットになっている。車両のドアや窓ガラスは既に無くなっている。その枠を額縁にしてみれば、その中には細密で実にリアルな空間が出現していた。その造作はキャスト、スタッフによる手作りだというから驚きである。今回はSIM STUDIO(自分は初めてのスタジオ)での上演であり、地上4階スタジオがいつの間にか崩落した地下40mへ。そして駅構内には、さり気なく過去公演(HOTEL CALL AT)のポスター等が貼られているのが見える。
この公演、神に召されるのか、生きるこことは、心魂震える内容であり、7か月ぶりの新作公演は観応えがあった。
3・11東日本大震災の鎮魂歌のような…。
ネタバレBOX
梗概は説明を一部引用し「崩壊した地下鉄の 限られた空間でいくつかの魂が目を覚ました。 やがて 彼らの前に来世からの使者が現れ 無の世界へと誘う 現世への未練を残し、 新たなる旅立ちを強く拒む弱き者達 「Stay of Execution」 使者が宣言し、旅立ちに101日間の猶予が与えられた 限られた時間と空間 偽りの肉体と薄れゆく感覚 自由は虚像、希望は幻影 望んだはずの猶予の時は、 次第に耐えるだけの驚愕の時間へと変っていった」と。
この公演の最大の見せ場は、黒木(川井記章さん)の長台詞の慟哭シーンであろう。失って初めて気づく大切なこと。自分たちは既に亡くなっており、その生ける屍はまだ死を受け入れられない。生きている時には真剣に考えなかった、大事に思わなかった出来事が、失って気づく。失敗・悔悟・苦悩など愚かしいことの繰り返し。そのつど露になる感情、それを持て余すこともあるが、それが人間であり生きている証でもある。限りある時間や命だから大切にする、そんな当たり前のことが日常生活の中に埋没し忘れてしまっている。そんな長台詞が身も心も震えさせながら響きわたる。映画でいえばワン・シーンであり、それまでに多くのフィルムを回したと思うが、この芝居もこのシ-ンを効果的に観せるための過酷 な状況の数々。状況が外形だとすれば、それを介して人間の在り様を知ることになる。そして人と人の関係(親子、恋人など)も顕著になる。
地下という時間や月日、天気なども分からない。外界と遮断された閉鎖環境の中で、キャスト一人ひとりが言う…どう生きるか。何をしたいのか、また、したかったのかの輪言辞。絶望の淵に立って思うこと...「人間とは?」をワイス(井上正樹さん)へ激白し、無の世界へ...感動した。
今回は、大里冬子さんの演技を観るため、Bチーム観劇。他劇団の公演を観ているが、やはり所属劇団では生き活き、いや芝居では死んでいるけど上手い。
閉鎖空間での緊張感と濃密な会話は圧巻である。それを体現するキャストの演技も素晴らしかった。冒頭は声も小さく聞き取りにくいところもあったが、ストーリーが進むにつれ解消する。
舞台セットは細密であるが、車両の外から俯瞰するような演出であるため、駅構内部分が無くなったドアや窓からしか観えない。そのため座ったり、また上手、下手に寄ったシーンは観えない、観にくくなるのが勿体ない(客席、特に最前列は舞台より低い位置)。優れた公演は細部まで鑑(観)賞したいものである。
次回公演を楽しみにしております。
カゲキ・浅草カルメン
劇団ドガドガプラス
浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)
2016/02/19 (金) ~ 2016/02/29 (月)公演終了
満足度★★★★★
元気でた~
軽女(カルメン)を中心として物語を引っ張る三義兄弟は、幕末という時代に翻弄された傾奇者もしくは弱き立場の者。この者たちが実に魅力溢れるように描かれる。それを更に引き立てる周りの人々。
少しネタバレだが、ここ浅草東洋館は浅草弾左衛門が仕切っている。日が当たらないような立場の人々から見た幕末という時代。そこには、今までの常識が非常識になり、非常識が常識に変わるという不条理がまかり通るが、それでも逞しく生きる。そして単なる”愛”という言葉では片付けられない、耽溺、愛欲から肉欲まで激しさを増していく男女の仲。破滅的で救われないような恋々、それでも軽女のしたたかで芯の強さの先に希望が見えたが...。
ネタバレBOX
幕末時代、国内外の社 会情勢(黒船来航、清国・アヘン戦争など)を背景に、江戸市井、いやもっと場末での人々の生き様、さらには破天荒な耽溺(薬物)愛。その結末は、小説やビゼーの歌劇「カルメン」を準えるもので哀切を感じる。「人を憎んでいる時が幸せ、亭主より”色”」、その刹那的な台詞が心にしみる。
吹き溜まりのような場所で、もがき苦しむ、それでも生きる者達の奇想群像劇。その観せ方が、世情に疎い人々にも言い聞かせる、そんな場面(禁制の肉なべ)をさりげなく織り込んで、いつの間にか絢爛豪華な物語を紡ぎあげる。極彩色に相当するのが、劇団の特長である優美・耽美・エロチシズムが漂うダンス・パフォーマンスである。
その舞台セットは、昔写真で見た遊郭の花街、色街にあったよ うな家屋、その建築様式は唐破風の曲がりがある。こうした屋根は、ここから先は「極楽浄土」(他に銭湯、霊柩車にも見られる)の世界か。その夢(ユメ)か現(ウツツ)の不思議感覚が芝居内容と相まって脳裏に刻まれる。他の公演同様、上手に螺旋階段や客席側から登場・退場するという臨機応変なスタイルが躍動感を生み出す。もちろん、歌、ダンスの時の音響・照明技術は効果的である。
最後に演技、特に軽女カルメン(ゆうき梨菜サン)の妖艶、獏連(バクレン)振りは迫力あるが、それでもチャーミング、千愚鈍=ドン・ホセ(的場司サン)の薬物に侵されながらも一途な恋慕、浅草弾左座衛門(小玉久仁子サン)の強欲・慈悲という両面を持つ、その3人三様のキャラクターの立ち上げ、その演技は圧巻であった。
次回公演を楽しみにし ております。
何様の楽園【東京公演】
冗談だからね。
RAFT(東京都)
2016/02/19 (金) ~ 2016/02/21 (日)公演終了
満足度★★
首振りは疲れる
チラシの説明と違うシチュエーション...劇団名「冗談だからね。」の通りということか。この公演の第一印象は観劇するのに疲れたということ。劇場内の設営に無理があること、それに輪をかけて超過集客している。
物語は面白いが、この内容であれば、もう少し舞台セットに工夫が出来そうである。キャストの等身大が描かれるようで、親近感が持てるだけに身体的疲労は残念である。
ネタバレBOX
舞台セットは三面構成で、本当は回り舞台にしたかったそうだ。それから先の説明はほとんどがジョーク。舞台は連れ込み旅館という設定のようだ。窓を開ければ(パントマイム)、まわりはラブホテルばかり。その旅館の3部屋を描いている。正面に障子の衝立の奥に「独特の間」(イメージのみ)、上手は「欄の間」下手は「椿の間」であり、その和室は基本的に同じ作り。布団、卓袱台、テレビなど。
この旅館で六本本高校演劇部(役者のジャージは六本木名)の卒業公演合宿をする。そして部内恋愛禁止を破り、男と女が その想いを伝えようと必死になる姿。その話を本筋にしながら高校生らしい馬鹿馬鹿しい小ネタを挟み込む。想っている相手とは違う相手から告白され、小さい世界だが思うように事は進まない。そして両方の部屋でその告白をしている様子がシンクロする、演出としては定番のようであるが、けっこう楽しめる。ラスト、舞台外から「こんにちは。こちらで働かせてほしいんですけど~」という回想を思わせる台詞で終幕。
この舞台セットが、客席(基本は丸クッション、最後列のみベンチ席か?)を中央に設け、上手・下手に和室を作る。正面の障子衝立まで数センチ。そこには舞台との境界を示すテープが貼ってあるが、既に席はテープに掛り、足場が確保できない。そして隣席とはピッタリ密着している。しかし、障子衝立の前にいる女性役者はほとんど動かない。演出上、何の意味があっているのか分からない。狭隘状態を少しでも緩和させる工夫が必要であろう。
次回公演を期待しております。
『月花抄』
演劇ユニット 金の蜥蜴
ブディストホール(東京都)
2016/02/17 (水) ~ 2016/02/21 (日)公演終了
満足度★★★★
古今東西の女性の嫉妬と悲しみ
最近は不倫、二股という話題が世間を沸かせている。女であることに泣く人もいれば、それを利用して名前を売るような...現代は女性も社会で活躍してきている。この公演は能楽としての「野宮」「葵上」「夕顔」をモチーフにしており、その原作となるのは「源氏物語」である。
ところで、この有名な物語は何人かの現代作家が現代語訳(小説)にしているが、残念ながら自分は通読したことがない。今回、源氏物語の主人公である”光源氏”の若かりし頃を中心に描いているという。その恋愛模様と共に、その当時(平安時代)の貴族の生活振りも垣間見えて面白く拝見した。
当日パンフに「月花抄」で取り上げた「能のあらすじ」、「謡」と「現代語訳」が記されていた。そこには詳しい説明・注釈がある。
なお、この能演目を副題にしているが、演出の幸田友見 氏の挨拶文によれば”現代劇”であるという。それでも当時の雰囲気をいかに分かり易く表現するか工夫(現代に通じる所作、台詞使いなど)していたようだ。その但書が「この作品は時代・原作考証等を行っておりますが、作品の性質・演出上、敢えて考慮せずにいるところがある」と注釈がある。
ネタバレBOX
舞台セットは、御屋敷をイメージした造作..そこに御簾、紗幕が掛けられ、それが上下して内部が見え隠れする。また簀子があり、内・外の遠近場面が楽しめる。
物語は、晩秋の嵯峨野の野宮。この地を訪れた僧の前に六条御息所が光源氏の愛を失い斎宮となった娘と伊勢へ下る。この野宮に籠って光源氏が訪れるが、薄くなった愛情に失望する。この亡霊が語りだして...。僧は見ているだけ、として下手側の岩と思しきところに腰掛ける。
登場する女性人物は、六条御息所、葵上、夕顔、若紫が主要なところ。また絡みはないが重要な役所として藤壺がいる。光源氏が臣下になることで、奔放な恋の遍歴が可能になる。六条御息所は桐壺帝の前の東宮の妃で今は未亡人。光源氏の正妻葵上への嫉妬と怨念がすさまじく生霊となって取り憑き苦しめる。葵上は光源氏の正妻。男の子を出産後変死する。若紫は藤壺の姪で、小さい頃から理想の女性に育て...後妻として迎える。夕顔は、光源氏にひたすら身をまかせる従順な女性。多くの女性遍歴をする中で異なったタイプの女性を登場させ、さらに物語を展開させる妙。
光源氏が大将のお披露目の際の車争いの状況は見事。この場面は「野宮」と「葵上」のシーンで出現するという。その辱め悔しさが怨霊となる。
今の恋愛事情・結婚生活とは異なるが、相手を思いやる気持は必要で、その必要性の上に出来上がった日本語は、曖昧な感情を繊細に表現する言葉になり、それが和歌を生んだ。平安貴族の男は和歌を詠めることが女性から認められる条件になり、源氏物語が生まれた。その手紙の受け渡し(「恋文」は側近を介して届けられ、先方の女房(仕える女)を通じて姫君に恋文が渡る)など、時代を感じさせる。一方、台詞はいかにも直接(現代)的である。この敢えての演出も観客が観やすいようにとの配慮だろう。
原作モチーフの練り込み、魅力的に観せる演出、それをビジュアル的にしている舞台セット、衣装、音響・照明の技術も素晴らしい。役者の演技も良かったが、光源氏と頭の中将の会話は雑という印象。
最後に海外公演を予定しているというが、今回のような時代を描くのであれば、日本らしさが感じられる公演...直接伝える台詞は現代的に、視覚で観せる所作等」(但し性交などは”見る”であるが、それでは状況が曖昧)は時代雰囲気を醸し出して成功してほしい。
次回、凱旋公演を期待しております。
草莽の果て
劇団HumanDustUnion
サンモールスタジオ(東京都)
2016/02/17 (水) ~ 2016/02/21 (日)公演終了
満足度★★★
着眼点の良、体現の力不足が勿体ない
本公演の時代背景は幕末...多くの公演で取り上げられるのが、倒幕側では坂本龍馬を始め勤王志士、佐幕側では新撰組、描かれ方が微妙であるが勝海舟といった日本史の教科書に載っている人物が多いと思う。もちろんエピソードが残り創られ、芝居として制作しやすい面もあろう。今回登場する赤報隊(自分は、存在は知っていたが、史実面は不知)は、官軍であって官軍でなくなる、という混迷した時期に生じた悲劇でもあろう。時の為政者といっても主導したのが誰か判然としない。それにも関わらず偽官軍としての汚名をきせ歴史の闇に葬られそうになる。この公演は、そういう意味(在野)の一団に光をあて、新たな視点を提供したといえる。
その着眼点の面白さはあるが、その体現する芝居としては少し残念であり、勿体無い公演になった。(実際 2時間20分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台は、進軍している赤報隊(一番隊)が碓氷峠を前に布陣しているという状況。その舞台セットは、中央に段差のある奥舞台、その左右から斜めに下りるような傾斜がある。イメージとしては山間部を表しているようだ。上手には少し大きい直衝立、下手には屏風状の衝立があり、白い粉模様のような...雪景色であろうか。不思議な造形であるが、”和風”空間を感じる。
そこは史実に創作を織り交ぜ、独自の物語を紡ぐ。物語の前半と後半とでは、そのテンポ・趣きが違う。前半は冗長で退屈するが、岩倉卿と対峙する場面あたりから緊迫感を増す。始めからしっかり緊密性をもって描いていれば、骨太作品になったかもしれない。
この公演での登場人物は、どちらかと言えば歴史に大きな名を残した人物の陰にいた人に注目している。例えば、桂小五郎(維新の立役者であるが、坂本龍馬等と比べると知名度、エピソード等の魅力が乏しい)、新撰組の2人(永倉新八、原田左之助は近藤勇、土方歳三と比較)など、強い光があたらない人々を対象に描き出す。公演の底流にある、名もなき人々も歴史を作っている。それは男だけではない。芝居の台詞を借りれば「オナゴにしか出来ないたたかいがある」という。その思いの先...明るい日本を築く礎になること。
この芝居を体現する役者の外形、演技(殺陣も含む)に違和感と物足りなさを感じる。多少細かくなるが、多くの男性キャストが長髪(少しの整髪で印象が違うのでは)、軍服を開けだらしがない。一方、女性キャストは髪を結い、着物・(恋仲)道行などでイメージを作っていた。舞も良かった。
殺陣は、場内スペースを考えれば十分に力を発揮出来ていないかもしれない。それでも技術も迫力不足。刃を交じえ鎬を削る時の発止(ハッシ)音を演出していたが、場面とズレることもあり、効果音としては今一つ。
登場した人物が、史実では顔を合わせたとは思えない。そこは作・演出の大和鳴海氏の私実に基づいて、大胆に発想した物語。激動の時代に翻弄されながらもその志を貫く、その”志実”はあったと思う。
次回公演を楽しみにしております。