自分の顔が愛せない
劇団ハーベイ・スランフェンバーガーのみる夢
ザムザ阿佐谷(東京都)
2022/09/09 (金) ~ 2022/09/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
典型的なダークファンタジーで、表層的には面白い。またザムザ阿佐谷という劇場にピッタリと思える妖しげで怪しげな雰囲気を漂わせた舞台美術も見事だ。ただ物語の世界観がどこにあるのか暈けてしまったように思える。ラストにそれらしき台詞もあったが、さらにその先を描くことで世界観の芯がブレたのが勿体ない。ダークな光景ではあるが、登場人物がどことなくコミカルでピリピリとした闇世界(裏社会)で暗躍する人とは思えない。そのアンバランスは敢えての演出なのか。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に門構えのような入り口、暖簾・丸提灯・上部にしめ縄風に布団が掛けられている。その傍にミシンや椅子が雑多に置かれ、下手奥は少し高くし別部屋(招き猫・パソコン等)、下手客席側にベットがある。全体的に雑然としており提灯が妖しく灯る。ここは「顔変え屋(兼 肉屋)」で、自分の望んだ顔へ変えてくれるが、その人の「愛」が代価になる。
物語は2部構成で、字幕が衝立壁に映し出される。第1部「顔変え屋」第2部「カヨコの逆襲」である。
冒頭 そのカヨコ(加藤恵実サン)という女子大生が「顔変え屋」を訪ねてくるところから始まる。彼女を出迎えたのがオババ(ちこ ゆりえサン)と呼ばれる この店の女店主である。中流家庭(表社会)の孤独な心のカヨコ、裏(闇)世界で暗躍するオババ、虚構の世界で繰り広げられる混沌とした物語。説明にある 東京都山手線圏内のその地下に、裏街が広がっている。顔変えと、副業で肉屋もやってる店というシチェーションがこの二人によって要領よく説明される。
自分の顔を少しでも美しく見せたい女心、一方 自分の存在自体が怪しい女、そんな女の下心と思惑が外見(見かけ)によって判断する社会(世間)を皮肉るような。同時に美しくなった顔は絶対性を持つと言わんばかりに、皆 同じ顔になり夜の街で接客するようになる。カヨコはオババに殺されそうになるが、九死に一生を得てオババの追い落としを画策する。それが自分の顔を街に溢れさせること。ちなみに或る国のミスコンで一時同じ顔の整形美人で溢れたとネットで話題になったことを思い出したが.…。整形 一概に語ることは出来ないが、物語では自分の存在を逆襲の手段(顔変え)として利用する。
カヨコの家に転がり込んでいる恋人・塚野(高瀬キリン サン)が、入院している大学の友人でカヨコを好いている相里(中村亘サン)を見舞った時に、聖書のような分厚い物語をよく読んだな と。物語は塚野の作り話…劇中劇のような世界観を思わせたが、今度は相里が自分がカヨコを救い出したと反論する。物語を書き換え上書きしたかのよう。
虚構ー変えたい者と変わりたい者、その世界を交換したら同じ環境下でも違って見えてくる光景、同じような顔にし 外見では区別はつかない。塚野は無神経な言動や態度のカヨコに顔替えを示唆。それによって何かが変わるかも…ラスト、それを実現したかのようなカヨコの一皮剥けた(闇の)姿。これによって虚構と現実の曖昧さが一層濃くなり世界観が分かり難くなった。そう物語の芯(描きたい内容)がブレたように思う。
次回公演も楽しみにしております。
舞台「学徒隊」
NPO法人文化活動支援会まつり
南大塚ホール(東京都)
2022/09/09 (金) ~ 2022/09/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
第二次世界大戦末期、沖縄戦に従軍した學徒隊の平穏な日々と過酷な日々を対比するように描いた力作。端的に言えば平和と戦争、そして鎮魂である。繰り返される凄惨な場面、しかし 当日パンフに「現実はより過酷で凄惨であり 再現など到底出来ない」とある。物語は平穏な日々と従軍の日々という二幕であるが、一幕目が少し冗長に思われる。しかし、それは二幕目との(上演時間)バランスのようでもあり、どうすればという言葉が見つからない。むしろ、平穏な日々を描き込むことによって、戦争の不条理が浮き彫りになる。公演の魅力は、舞台セット、照明・音響といった舞台技術の効果的な演出によって印象付ける巧さ。勿論、約40名の役者の熱演に支えられている。ラストは、観客に考えさせるような投げ掛けだが…。
(上演時間2時間40分 途中休憩15分含む)
ネタバレBOX
舞台セットの後景は暗幕、建築(作業)現場で見かける単管パイプ足場(キャスター付)を幾つか組み、それを移動させることによって場所や状況の変化を表す。冒頭は張紙、布で覆っているからアルプススタンドのようだが、二幕目の戦場シーンでは剝き出しの単管パイプが荒廃した防空壕を思わせる。中をくぐり抜けて上り下りすることで躍動感が生まれ、高さも相まってダイナミックさも生まれる。
物語は、日記を綴るようなスタイルで描かれ、その生き様を後世に伝えるかのようだ。
冒頭、屋外での結婚披露宴のような賑わい、そして学友の一人が祝辞を述べるところから始まる。卑小であるが、パーティでドレスアップしているが、足元はスニーカーで見かけは少し不自然。次シーン迄に対応出来ないのだろう。暗転後、戦時中の沖縄の学生(今の中学・高校生くらい)が、男女別学にも関わらず恋(憧れ)に近い話、男同士の諍いなど平穏な日々を送っている。二幕では沖縄戦の凄惨な話。転戦するたびに描かれる惨い酷い場面が繰り返される。男子学生は戦闘を、女子学生には看護の役割で従軍させる。精神を病み、仲間を見捨て、民間人を見殺し、自死の強要などで戦局の悪化を順々に展開させる。そこに人間のエゴ 本性を見せつける。
音響は、平穏時や場転換の小康状態の時には波音、戦時になると轟音と雨音に変わり風雲急を告げるかのよう。何より印象的なのが、大勢で低く唸るような肉声が響き、会場内を木魂する。薄暗い中で、照明は白銀や朱色を戦闘シーンに多用し、同時に役者の叫び声、悲鳴、怒号、罵声によって臨場感を増す。役者は戦時中を思わせるよう 顔に墨塗り、衣装は男子学生の汚れた国民服、女子学生のモンペ姿。物語で伝えたいことを外観からも訴えている。
ラスト、特別出演の小沼雪乃さんが海に向かって祈っている姿。そこに鎮魂と平和への祈りを思う。もう少し踏み込んで描い(語らせ)ても と思ったが、この結末もありかな。なかなかの骨太作品、観応えがあった。
次回公演も楽しみにしております。
『OH!Myゴ-スト』
東京ハイビーム
あうるすぽっと(東京都)
2022/08/31 (水) ~ 2022/09/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め
「人の思い残し」を泣き笑いで紡いでいく 極上のノンストップエンターテイメントコメディ!
物語は、此岸と彼岸をある人物を通して結び、伝えきれなかった思い描く。そんな本筋の面白さは勿論、タイトルにあるゴーストを11体登場させ、ずいぶんと賑やか というより騒がしい箸休め的なシーンも挿入し楽しませる。ホント、 ゴーストの洗礼だ。
(上演時間1時間50分 休憩なし)【ダンス部編】 追記予定
旅に出る。
ソラカメ
中野スタジオあくとれ(東京都)
2022/08/31 (水) ~ 2022/09/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
優しさと厳しさ、甘さと辛さが絶妙な物語。
夏休み、久しぶりの旅行は子どもの頃の転校先。観光名所があるわけでもなく、ただ海が近いだけの平凡な街。センチメンタルにもならず、その思い出は楽しいことばかりではない。ほろ苦い記憶がよみがえるが、それでも少し懐かしさを覚えてしまう。そんな ちょっぴり切ない過去と現在が交錯する物語。
前説で 舞台美術はスタッフ・キャストによる手作り と説明していたが、その後景は素朴で心温まるような雰囲気を醸し出す。そぅ童心にかえるような…。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
舞台美術は、ダンボールを切って黒板や道路標識、郵便ポストなど学校や転校先の街中を表出する。同時に現在進行している旅行風景にも重ねる。ドライブする様子は、キャスター付の台に箱馬を乗せ、車に見立てる。
物語は女子4人による夏旅行。行先も決めていなかったが、主人公かすみ(内田めぐみサン)が9月12日生れであることから、誕生祝を兼ねて強引に彼女が保育園・小学校と2回転校していたプチ郷里へ行くことにした。しかし、かすみ はこの地での楽しい思い出は少なく、どちらかと言えば ほろ苦さが…。
東京から転校してきた彼女に戸惑い、もしくは快く思わない級友たち。端的に表しているのが言葉(方言)の違い。無理に方言を使おうとする かすみ、それに反発する級友たち、一方 母親(涼子の二役:片桐美穂サン)は方言を嫌う。他愛のない言葉や状況に敏感になり、子供心にその場の空気を読んで心にもない態度や言葉を発してしまう。どこかにありそうな光景を情感豊かに描くのが上手いソラカメ。
キャスト陣は、登場人物のキャラクターを立ち上げ、居そうな人々を体現している。片桐美穂サン、小笠原遊香サン、金江藍サンは現在の友人であり、過去では母や妹たち二役を演じているが、どことなく似たような性格付にしている。転校先で意地悪役・レイナ(阿部優花サン)は、棘のある言葉やシニカルさを上手く表現している。萌(西澤香夏サン)は空気を読む女の子、男子2人 昇(山谷ノ用心サン)は気弱でお調子者、憲二(高見綺一サン)は外見の強がりと気恥ずかしさの二面が伝わる。昇の姉・直(加古みなみサン)は、外見のスケバン風とは裏腹に心細やかな女性、圧ある存在感だが癒しの雰囲気も漂わす。
コロナ禍で 旅行も以前のような活発さは まだ戻っていない。そんな中で、演劇を通して旅行、それも懐かしき場所へ…。
次回公演も楽しみにしております。
誰がために
Lumeto
OFF・OFFシアター(東京都)
2022/08/31 (水) ~ 2022/09/05 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
現代のさまざまな生き方や個性、それを時代の「今」を切り取ったように描いた物語。少し時間軸を長くし、巧みな構成によって救いのある話にしている。
さて、説明のインパクトある言葉「俺、自殺しようと思っている。」は、メインではなく、テーマを引き出す もしくは考えさせるキッカケのようだ。勿論テーマはタイトル「誰がために」に続く言葉。高校時代の友人である女性同士の会話が、この物語の肝である。底流にはコロナ禍の不安と焦燥といった状況への思いが…。
(上演時間1時間40分)【Aチーム】
ネタバレBOX
舞台美術は、上手に丸テーブルと椅子3脚、下手に小さい四角テーブルとボックスを組み合わせたソファ、周りは収納BOXを組み合わせたような仕切り壁。上手客席側に小スペースで別場所を設える。場所は主人公の家(リビング)とスナックの二か所を変化させる。赤いテーブルクロスが掛けられている時はスナック。出番と台詞は少ないが、スナック店主(藤田清二サン)のさり気なさに癒しを覚える。
物語は、生田家のリビングでこの家の娘あかり<12歳>(田口智晶サン)が、叔母の生田杏奈(村田智哉子サン)とその恋人・浅沼和真(平田耕太郎サン)と戯れているところから始まる。暗転し 話は約13年前に遡る。生田嘉月(吉田雅人サン)と陽菜(砂野安紀サン)は幸せな結婚生活を送っていた。しかし嘉月が経営していた建築会社が取引先の倒産により連鎖倒産の危機に…。何とか従業員やその家族のために金を工面したく、(死亡)生命保険金を受け取ることを考える。それが自殺云々の台詞である。この設定は他の公演でも観ており在り来たり。嘉月は父親も事業に失敗し、その時の悲惨な光景を見ている。経営者としての思いと判断、一方 妻にはその考えが理解出来ない。夫婦で話し合った翌日、嘉月は少女を助けるため火事に巻き込まれて意識不明になる。遺書と青酸カリが見つかり、事故か自殺か陽菜の思いは揺れる。
陽菜は両親の介護のため高校を中退した。親とは確執があり、何で自分が介護しなければならないのか、そんな荒んだ気持でいたから親が亡くなりホッとした。そんな自分を許せなく苦しんでいた。高校時代の友人・栗原唯(鈴木はるかサン)は、彼女の家に行っては、自分より惨めな思いをしている陽菜を見て、憐れんで優越感に浸っていた。そして唯自身も苦しんでいた。「誰がために」⇒「生きる」のか。嘉月は妻や従業員のため、陽菜は親のため、唯は離婚し今は一人息子のため、それぞれ思いを抱いて生きてきた。しかし 唯は、自分を大切にすることも重要だと話す。
陽菜は子供を望んでいなかった。自分は親に愛されていない、もっと言えばネグレクトされていたような。そんな自分が子育てする自信がない。運命は悪戯で、嘉月が意識不明の時に妊娠が判明する。自分は誰のために生きるのか。ラスト、下手に仏壇が置かれている。嘉月は亡くなり(13回忌か)、娘あかりは中学入学前だ。娘が生まれたことを知らずに亡くなった夫、娘は父親の ぬくもりを知らずに育った。知らない事をアルバム(写真)によって確認する。今を「生きている」ことをかみしめるかのように…。
高齢者介護、子育て(ネグレスト)等、見聞きしない日がないくらいに身近な問題を点描し、「生きる」ことを考えさせる物語。自信がないと言っていた子育て、それが今では娘が生き甲斐となっている。冒頭で娘を登場させたことで このラスト(救い)のシーンが活きてくる。
少し気になるのが、陽菜の両親の介護。高校時代に介護していたとなれば、40~50歳代という設定だが…。
次回公演も楽しみにしております。
空蝉
あやめ十八番
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2022/09/01 (木) ~ 2022/09/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
徹底的に楽しませる エンターテイメント性を追求したかのような快作。
舞台は幻の江戸 八百八町。この世とあの世を行ったり来たり、手軽に往還できる日帰り旅行のようだ。何故か あの世は極楽ではなく地獄だけ。それでも、そこに恋しい人がいるのだから出掛ける。この話題を放っておくはずもない落語家の欲深さが交錯して…。その荒唐無稽に展開していく面白さ 楽しさ。あやめ十八番らしい聴かせる音楽が奏でられ、物語と相俟ってメタバースな世界観を堪能させてくれる。
(上演時間2時間40分 途中休憩10分含む)追記予定
あの夏の暗い夜、虹の袂のエデン。
Oi-SCALE
新宿シアタートップス(東京都)
2022/08/31 (水) ~ 2022/09/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
観(魅)せる”力”のある物語。
テーマは「生きる」といった根源的なところを描いている。一見 ダークサイドを思わせるが、それは見栄やプライドなどを捨て どんな辛苦にも耐え生き抜くという、人の奥底にある生への執着とも言える。全編 薄暗がりで紡がれる。それは 2011年東日本大震災以降、福島第一原発事故等の影響による節電で街灯の灯が間引きされたこと、夜の闇に紛れて仕事をする人々の暮らしを現わしている。
東日本大震災から10年も経たないうちに、今度はコロナ禍で人々の生活様式に変化をもたらす。一時は夜の街の灯りも消え、生活の心配・不安といった焦りにも似た気持が…。しかし、その状況(コロナ禍)はまだ続いている。公演は、そんな状況下においての上演、そこには演劇を通して 明日への夢や希望を抱き続けさせる”力”が漲っていた。
(上演時間2時間 途中休憩なし 脚本演出の林灰二 氏のプロローグ・エピローグ的な会話を含む)
ネタバレBOX
上演前には風と海鳴りのような音響、そして「♪あの子は~♪」の印象付けの音楽。
舞台美術…奥は黒壁か暗幕、その前に鎖のようなものがカーテン状に吊るされている。冒頭、舞台上 スタンド型の裸電球が縦1列に並んでおり、その延長として客席上部には吊るしてある。上手や下手にカゴ台車があり、物語の展開によって可動させ情景を作り出す。劇団の特長である光とサウンドに拘ったアート性の高い空間演出は、この公演でも特筆すべきところ。
物語は、東日本大震災で被災し、ボランティア アルバイトという響きの良い言葉に騙されて東京(吉原)のソープランドのリネン回収業者で出稼ぎ労働をすることになった男達の話が中心。しかし東日本大震災の悲惨さを殊更に強調するわけではなく、今の状況を淡々と喋り描くことで10年という歳月が人々に与えた影響を炙り出す。人と生きるより 街と生きることを選んだ者たちは、人並みの暮らしを求めるのではなく街に生かされているといった感じだ。故郷の東北にも帰る場所もなく、何となくこの街にいて食っている刹那的な情景にも思える。暗い夜を抜け出して楽園を目指した物語。ソープランドという場所から女性の悲哀も垣間見せ、男女問わずの物語を描き出す。同時に直接的に描かれない「生(性)の営み」が明日の活力を連想させる。それがラストシーンへ…。
街と生きるを思わせるのがドライブシーン。夜の街道、運転しながら高田(村田充サン)が淡々と喋るシーンは、どこかに感情を置き忘れたような。その虚無感を思わせる表現に心の深淵を見る。そしてリネン回収会社の社長・松原(田中智也サン)の強面の存在感は、暴力と収奪の臭いがプンプンする。この二人の生き方とバイトの西原(中川パラダイス サン)の刹那的な生き方を対比させることで、どん底の生活にも関わらず、そこにも不条理な世の中が見えてくる。
物語に出てくる街は、当日パンフに記載がある。例えば葛飾区ヒガシカネ町にあるクリーニング工場。土手沿い。東京と埼玉と千葉の境目にある、などリアルな光景が浮かぶ。
タイトルに呼応した「虹の袂で待ち合わせしよう、虹の向こうの楽園に行くために。」は、劇中に出てくる「虹の橋」では少し残念 怖い。それよりは高田が以前居たフィリピンでみた「月虹」のほうがロマンがあり、夢と希望を持てるのだが…。
次回公演も楽しみにしております。
カレーと村民
ニットキャップシアター
こまばアゴラ劇場(東京都)
2022/08/26 (金) ~ 2022/08/29 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
作品は、1905年夏の大阪近郊吹田村が舞台。しかし描かれているのは、この村に限らず日本のどこにでもあった光景だろう。日露戦争でのポーツマス講和条約は、人々が思っていた好条件での締結ではなかった。国は何かを隠している、その国への不信と人々の悲しい思いを交錯させるが、描き方はコミカルである。
表層の面白可笑しさに隠された問題の大きさ、深さがしっかり伝わる作品。タイトル「カレーと村民」は、ピリッとした風刺、村民は国民として一地域の出来事ではないことを示しているようだ。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、当日パンフにも書かれているが、明治時代の旧庄屋屋敷の土間。客席から見て60センチほど高い場所が「落ち間」、そこを右(上手)に進めば家族の居間や寝室、左(下手)は「勘定の間」という主人の執務室だという。木目の美しい木造家屋、屋敷外の下手は物置場。「土間」「落ち間」「勘定の間」という今では使われていない言葉があり・・・知らなかった。
庄屋屋敷「浜家」の玄関、土間。物語では知らなかったでは済まされない重要な出来事を扱っている。
日露戦争に勝った日本は戦勝ムードに浸っていた。当然、講和条約では多額の賠償金や領地拡大を得るものと思っていたが、その期待は裏切られた。
すでに 当時の日本には戦争を継続するだけの余力はなく、日本国内では政府の情報統制により連勝報道がなされ、戦費を賄うために多額の増税等をしていた。このまま戦争を継続すれば日本は負ける可能性もあり、政府は国民にその内情を機密にしていた。そのため国民の多くはロシアから多額の賠償金を取ることが出来ると信じていた。物語の背景は、この村に限ったことではない。
村人が講和条約の内容を知る術は、主人が新聞を読み上げる内容を聞くだけ、多くは文盲。その主人・浜太郎(福山俊朗サン)は、問題が複雑になったら率先して黙ってしまう日和見者。そんな人物に被選挙権があるという身分社会をさりげなく皮肉る。見えない国家観と民衆の切実な思いの乖離が哀しくも滑稽に思えるのだが…。
近代的感覚…醒めた視点で眺めているのが、英国留学から帰った浜家の次男・次郎(門脇俊輔サン)である。知識人だが役に立たない学問をしている、屑として世界を放浪する と自嘲する。他方、現実的感覚…客観的な見方をするが、主体的になれないという傍観者に物足りなさを覚える恋人・アキ(山下あかりサン)を対置させる鋭さ。この構図―時代に流されるのか、泳ぎきるのか―現代にも通じる肝だと思う。
物語には、変哲のない村人や各地を回る薬屋が登場する。その性格や立場、置かれた状況は、当時の日本の至る所にいる典型的な人々の姿。その言動は多くの人の代弁者である。夫や息子が戦死、孫が戦死、戦死はしなかったが重傷、後遺症が残る等、苦しく悲しい思いをしている人。身近にいるであろう人々を政府と対峙させる。が、人々の間でも状況の違いによって戦争継続と反対に意見(世論)が分かれる。直接の抗議行動は描かれないが、もっと国家 政府と関わることの必要性を説く。断片的な台詞…参政権、女性の社会進出(学問)等の言葉が力強く聞こえる。
翻って、現代はインターネットを介して情報が溢れかえっている。それは玉石混淆 いや真偽の怪しい情報もある。経済悪化や不安定な国際情勢によって社会不安が広がると、分かり易い世界観へ傾斜しやすいかも知れない。自分で考える力を養うことの大切さを問うような内容だ。
登場人物は、当時の人々の代弁者であるから、当日パンフに その人物紹介が記載されている。キャストは、その人々を生き生きと演じており、物語の世界へうまく引(惹)き込まれた。
次回公演も楽しみにしております。
トロイ戦争は起こらない
人間劇場
シアター風姿花伝(東京都)
2022/08/24 (水) ~ 2022/08/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
劇作家ジャン・ジロドゥが、ギリシャ神話のトロイ戦争と戯曲執筆当時1935年の第二次世界大戦前後を重ね合わせて描いた戯曲。戯曲(内容的に)は力強いが、演出は独特な雰囲気を漂わせていた。叙事詩のような描き方は、物語のテーマともいえる「望まぬ戦争に向かっていく人間たち」という重厚 骨太作品を、観(魅)せる作品として観客に寄り添わせようとしているみたいだ。
演出の立本夏山さんが当日パンフに「3000年前にも戦争があって、100年前にも戦争があって、今も戦争がある。歴史的に見れば人間は戦争を繰り返しています。なぜ戦争は起こるのでしょうか?」と記している。さて、現在「ウクライナから平和を叫ぶ」というドキュメンタリー映画が上映されている。そのキャッチコピーは「21世紀になっても人は戦争がしたいのです」…辛辣である。
(上演時間2時間45分 途中休憩10分含む)
ネタバレBOX
舞台美術は、大きさの違う平台を組み合わせ、中央奥に太針金を曲げ組(編)み込んだようなゲート状。上手にも幾何学的な針金オブジェ、奥には階段がある。一見「トロイ戦争」という時代を感じさせない現代アートの中にいるようだ。トロイ戦争を題材にしているが、「人間劇場版音楽劇として現代に蘇らす」そして「時代を超えて、戦争とは何か、人間とは何かを問いかける」と謳っていることから、敢えて 物語の背景を作り込まないようにしているようだ。とは言え、キャストの衣装はトロイ・ギリシャ風である。
トロイ戦争は、ヘクトールやアキレウスといった勇者やトロイの木馬で有名である。物語は休憩を挟んでの二部構成。第一部は、トロイ戦争が起こる前の束の間の平和をどう捉えるか、といった人間の思いの違いを描く。特に男と女の意識の違いを詩の一節を準えつつ語る。第二部は、トロイの王子パリス(石川朝日サン)がギリシャの絶世の美女エレーヌ(田村彩絵サン)を誘拐したことでトロイは再び戦争の危機を迎える。エレーヌの魅惑的な容姿こそが平和の象徴という王、元老そして学者たちは、色々な理屈をつけて彼女の返還を拒もうとするが…。
全編を通じて、平和を守ろうと奔走するのが、トロイの王子エクトール(脇田康弘サン)である。彼は度重なる戦争で人の死を見てきた。その悲しみ虚しさは終盤近くになって語られる。ラストは、軍人による平和協定を壊すシビリアンコントロールの暴走、戦争とは人間の愚かさ そのものを提示する。
脚本(内容的に)は、考えさせるシーンが多く、語られる言葉(長台詞)は珠玉で記憶に留めておきたい。特に第一部の 戦争は「男」を勇者として称える場と考える男の立場、一方、平和は男も女も関係なく生きるに通じると考える女の立場が叙情的に描かれる。エクトールの妻アンドロマック(桑原なぉサン)は妊娠しており、生を愛しんでいる。
第二部は美女エレーヌに翻弄される人々の滑稽さが浮かび上がる。公演では端的に「男と女の立場」の違いで描いているが、性差だけではなく色々な立場や考え方の人々の違いを尊重することが重要なのは明らか。勿論、多数意見だけではなく少数意見、その少数の男の考えと行動がエクトールであり、ぶれない信念が物語の救いであろう。
演出は、「劇中歌を新たに創作し、音楽劇として蘇らせている」が謳い文句である。歌はアカペラ、そして鳥や獣の鳴き声などの擬声音。さらにパーカッション(楽器)を多用し情景や状況を描き出す、その「音」に拘りをもたせた公演である。演技はメインの役柄+コロスを担う。そして男と女に限らず、男同士、女同士でも体や腕を絡み合わせるようなムーヴメントが妖しく蠢く。勿論、男女の絡みは愛情表現、男同士は争い、女同士は語らいといった違いはあるものの、視覚的にはその身体の動きを追ってしまう。面白い演出と思うが、他方、小道具はビニール傘(骨)のようなものを利用した剣や王冠等の装飾品、その見た目に違和感を覚えるのだが…。
次回公演も楽しみにしております。
朗読『チャタレー夫人の戀人』
SPACE U
ギャラリーLE DECO(東京都)
2022/08/20 (土) ~ 2022/08/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
「チャタレイ夫人の戀人」(デーヴィッド・ハーバート・ローレンス作)というタイトルに惹かれた。高校の時に読んだ問題小説、その猥褻表現を巡って有名な「チャタレイ事件」裁判があったことは知っていた。その小説を朗読劇として どのように聴かせてくれるのか興味津々で出かけた。高校の時の小説本はもう手元にないが、多くの文節が***(アスタリスク)で省略(削除)されていたと記憶している。現在は完訳本があるらしいが 未読。
もっとも、本公演は原作ではなく、福田恆存 氏が脚色したものであるが。
英国貴族の若い夫人が、領地の森の管理(使用)人と肉体関係を持った話である。その肉体交渉を赤裸々に書(描)かれたことが話題になっていた。
ちなみに、裁判は訳者の伊藤整 氏と出版社が起訴され、最高裁まで争っている。「芸術か卑猥か」という、言論表現を争った この裁判以降、数々の猥褻(表現)を巡る裁判が続発しようとは…。
上演時間(1時間5分)
ネタバレBOX
舞台美術は、白い壁、白絹が掛けられた ゆったりした椅子三つが横並び。真ん中の椅子だけが少し奥にある。3人の衣装は白一色。会場全体がオフホワイトで何となく浮遊感ある雰囲気に包まれる。
冒頭 森の中なのだろう、鳥の囀(さえず)りが聞こえる。役者は3人で真ん中の椅子にコンスタンス<チャタレイ夫人>(まどかサン)、上手に森の管理人メラーズ(小林良輔サン)、下手にクリフォード・チャタレイ卿(大島宇三郎サン)が片手に台本を持ち朗読を始める。朗読自体は噛むこともなく上手いが、全体的に淡々とした語りで印象が弱い。
物語は1917年、第一次世界大戦の頃。後のチャタレイ夫人になるコンスタンスは、貴族クリフォード興と結婚したが、夫が戦争で負傷し下半身不随となった。夫婦間の性交渉は無くなり次第に空虚感に苛まれる。夫は夫人に然るべき男と肉体関係を持ち、子を宿すよう話す。しかし夫人は散歩の途中で出会った森の管理人メラーズと結ばれる。夫の思惑--望んだ然るべき階級の人間ではなく、使用人である森の管理人であることに激怒した。精神的な結びつきだけではなく、肉体的な結びつきによって真の愛に目覚めるような…。
男女の性行為の結果、生命を授かり、その繰り返しが延々と続けられる。クリフォード卿は、自分の代わりとなる然るべき男と夫人が交わることで子を授かる。それは家系存続という名目で許したもの。森の管理人という使用人の子など認められない、という身分制度が如実に表れる。男女の営みだけではなく社会問題も内包している物語である。
公演では、徐々に愛を確かめ深め合っていくといった過程が浮き上がってこない。小説ならば読み返し、想像を膨らませることが出来るが、朗読劇はその場限りで観客の想像力を刺激しなければならない。一瞬にして情景…肉体の愛による魂の解放が感じさせなければと思う。男女の情愛が弱い反面、クリフォード卿の怒りは十分伝わる。その描きたい場面の強弱が違うのが残念だ。
次回公演も楽しみにしております。
最後にカーテンコールで、大島宇三郎 氏がコロナ禍だが、「静かに力強く活動を始める」ことを宣言しており 応援したい。
ナイゲン(R04年新宿版)
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2022/08/18 (木) ~ 2022/08/23 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ナイゲン(R4年新宿版)…物語は やはり面白い!
冒頭は「理屈」で語られるが、だんだんと「感情」が先走ってしまう会議。議論は色々な方向に漂流し何処に辿り着くのか分からない。混迷している様子、それでいて会議全体の流れは分かり易いといった印象であるから不思議だ。
当初 印象が薄くあまりやる気が感じられなかった議長がその責務を果たそうと…その成長譚が逞しい。文化祭を取り仕切る内容限定会議〈ナイゲン〉は表層の面白さだけではなく、そこに潜む会議体や民主主義の問題を考えさせる。
物語の面白さは伝わるが、少し勿体ない点が…。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
セットは会議で見かけるロ字型。正面にグリーンボード、その上部に時計がある。上演時間とナイゲン討議時間(下校2時間前の時刻 16:20~18:30)に重ね合わせて臨場感を持たせる。客席はL字に設え、観客には会議の立会人のような緊迫感を持たせる。
内容限定会議(通称:ナイゲン)は、県立国府台高校 文化祭”鴻陵祭”における各参加団体の発表内容を審議する場である(文化祭規約)。規約が”自主自律”の精神に則っている。この規約が掲載された「内容限定会議資料」(劇中使用と同様)が観客にも配付される。すでに参加団体の催し内容も確認したところに、学校側から「節電エコプログラム」の催しを押し付けられて…。
発表内容に関する指摘、恋愛(痴情的)感情、上級学年優先や 何となくなど、意味不明の理由まで飛び出し議論は漂流し続ける。始めの理論武装された議論から感情優先のドタバタコメディへ…。いつの間にか文化祭全体会議からクラス代表の顔になっている。下校時刻が刻々と迫ってくる。そんな中、演劇の上演許可を得ていないクラスがあった。ナイゲンの議論は、如何にこのクラスが主体的にエコプログラムを受け入れるか、という話へすり替わっていく。自主自律の精神に沿わせようとするもの。
教室から出られないという密室状態、しかも会議時間が限られているという空間と時間の制約に緊張が生まれる。テンポ良く、また疾走するような会話劇は、立会人的な観客も固唾を呑んで見守っている感じ。会話劇だけに登場人物のキャラクターや立場などが観(魅)せられるか。個性豊かな登場人物を演じるキャストが変われば劇雰囲気も変わるだろう。内容の面白さは勿論、キャストによって違った印象になるから、何度観ても飽きることはない。
が、たまたま「R4年新宿版」は長谷川智也サンの代役として、演出の池田智哉さんが1年生・おばか屋敷役で出演している。圧倒的な存在感は、他のキャストと一線を画す。もう一人・どさまわり役の坂本七秋さんも良い。表面的には、はじけた演技だが、何となく こじんまり とした印象だ。全体として、キャストのバランスに違和感を覚えたのが残念なところ。高みに合わせた演技の調和がもう少しほしかった。
各クラスの発表内容の審議結果を多数決(民主主義的な)で決める。討議では自分の考えを訴えつつも相手の言い分も聞くという態度が大切。物事を決める熟議のプロセスを重視している。意見の一致も大切だが、一人ひとりが違った見方で世界を見ることで世界はまともな形で存在するかも。芝居ではこの役割を3年3組_どさまわり に担わせている。にも関らず、全体討議終了後の採決は全会一致の承認が必要であると…そうであれば議論の過程の多数決は何の意味があったのだろうか、という疑問が生じるところ。
会議後、花鳥風月(杉浦惇サン)が将来に向けて、皆がやりたがる「エコプログラム」を創作すると…。真に問題が解決した訳ではなく、会議内容の真価はこれから問われるのだと暗示している。実に深い余韻を残しており見事!
次回公演を楽しみにしております。
瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった
おぼんろ
Mixalive TOKYO・Theater Mixa(東京都)
2022/08/18 (木) ~ 2022/08/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
猛暑日に観劇。会場内も熱気に包まれ興奮状態ーおぼんろの人気の高さが知れよう。
公演であるが、(コロナ禍)以前のような”おぼんろスタイル”ではない。今までの魅力は、舞台と客席の境目を曖昧にし、語り部(役者)が参加者(観客)の間を舞い駆けるといった躍動感を身近で観せ 感じさせていた。そこに場内一体となった高揚感のようなものが生まれ、物語の世界に誘われていた。コロナ禍では、その演劇スタイルを貫くことは出来ず、舞台を一定方向(客席からの定点)から観劇することになる。今までのスタイルは参加者も物語の世界観にどっぷり入り込み、酔いしれた興奮状態の中で観ていた。この公演では舞台と一定の距離を置き内容をじっくり観ることが出来た。
冒頭に結末を明かした上で、冒険に旅立つ。物語は「生きる」「友情」そして「想像」することの楽しさを描く。おぼんろ らしい照明や音響といった舞台技術は素晴らしく、「風変わりなファンタジック冒険譚」という謳い文句、その世界観を見(美)事に浮き上がせる。コロナ禍を通じて おぼんろは、改めて その真の実力と新の魅力を引き出したと言えよう。
(上演時間2時間20分 途中休憩なし) 追記予定
観るお化け屋敷「カーテン」
下北沢企画
ザ・スズナリ(東京都)
2022/08/18 (木) ~ 2022/08/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
劇場「ザ・スズナリ」をお化け屋敷風と見立て、探訪させるといった企画。怖がらせつつ、バックステージを見せたのは、本編(演劇)へ繋げるため。案外、野心作かもしれない。
上演された内容は、怪奇ものであり 或る人物の怨念を描いたもの。企画・お化け屋敷といったコンセプトを十分に意識した、または内容に合わせてお化け屋敷を意図したのか。いずれにしても面白い「カーテン」が幕を開けた。
(上演時間50分)22.8.21追記
ネタバレBOX
舞台美術は、左右に板塀のようなものと天井から鎖。下手にミニタンスがある。上演前は白布(幕)、物語が始まると奥には左右対称に板塀と白幕が三重になっており、一番奥は少し高い台。遠近法的感覚で奥行きを感じさせるが、それは劇場内を巡った後だけに実感として分かる。
ネタバレしないためにも、説明を引用…上演前には怪しげなメイクをした MCのJ.K.Good Man氏が「ザ・スズナリ」が四十年前、古いアパートだったこと、そして203号室と204号室に住んでいた女・森キヨコ(みょんふぁサン)と男・ハヤシ(新城侑樹サン)の話、かつての住人が時を超えて出現し観客に語る恐ろしい真実。
キヨコは、長い黒髪で顔を隠し典型的な幽霊姿、この顔判別が難しいことを利用した演出は上手い。『ヤツは殺人者じゃない、部屋に棲みついた悪霊だ』やがて驚きは恐怖へと変わり、誰もが悪夢の底に引き摺り込まれていく。怨霊と除霊師たちによる悪霊退治(マジックのような)が始まる。そして怨霊の真の狙いとは…。
「小劇場ザ・スズナリで恐怖をテーマに繰り広げられる前代未聞のエンターテイメント・ホラー・ショー!漆黒の激空間に浮かび上がる未曾有の惨劇を観よ!」という謳い文句。建物構造を楽しま(怖がら)せ、劇場の歴史を物語化することで「お化け屋敷」と「観る」ことを上手く繋ぎ怖さ見たさの好奇心を満たす企画、堪能した。演出協力に五味弘文氏の名があったことから興味を持ったが、劇場のお化け屋敷はもう少し怖さが感じられればと思う。
次回公演(企画)も楽しみにしております。
魔ガサス幻想-MAGASASU FANTASY-
エンターテインメント風集団 秘密兵器
「劇」小劇場(東京都)
2022/08/13 (土) ~ 2022/08/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「まさかの秘密兵器に人気が出たら魔が差す追加公演」…それを観ることが出来てラッキー。未見の集団だったが、チラシには2002年旗揚げとあり、㊗21周年記念スペシャル公演だという。集団のコンセプトは、高尚だが親しみのある「『MISSION IN POSITIVE』をテーマに舞台、ライブハウスで公演を続ける。持ち前の『アホ』を武器に、個性あふれるメンバー達が芝居、コント、歌、ダンス等様々なパフォーマンスで観るものを『POSITIVE(前向きな気持ち)』にし、常に笑いと感動を与え、『元気』を与え続ける。」である。
その謳い文句どおりに、大いに楽しませてもらった。何も笑いだけではなく、演劇としての観せ方、特に構成力には驚かされた。公演プログラムは日替わりコント(毎公演3本)を上演し、本編へ繋げる。観た回は「簡易裁判所」「I・♡・Lie」「ミックスフライ」の3本であり、それぞれテイストが異なる。しかし、本編ではその違いが見事に融合し、味わい深い内容へ昇華していく。ロングストーリー「魔ガサス幻想-MAGASASU FANTASY」に描かれているのは、「夢」であり「諦めない」といった逞しい思い。コロナ禍にあって、人々が失いがちな言葉、しかし劇風は面白可笑しく 癒しの空間といった雰囲気を演出する。舞台と客席が一体となって盛り上げる、まさしくエンターテイメントショーといった内容である。お薦め。
(上演時間2時間15分)
ネタバレBOX
オムニバス3話。舞台セットは基本 素舞台。1話目は法廷、3話目はテーブルを2卓置いただけの食堂内。本編は、シンプルな造作を何度も転換させて状況を作り出す。
第1話…簡易裁判所で調査記録を検討している男性判事、そこへ新任の女性書記官が赴任してくる。二人の取り留めのない会話から、突然 書記官が判事に向かって判決で後悔したことはないかと質問する。
第2話…中年の男が地下アイドルの追っかけをしており、こっそり楽屋に忍び込んで彼女の様子を窺う。その結果、崇めるアイドルの実態を知ることになる。何となくオタクでありストーカーのようにも思える。
第3話。とんかつ屋で訳アリ女性が注文に迷っている。店主がお勧めを言っている時に、後から入ってきた女性雑誌記者に最後の一品であるお勧めを注文されてしまう。何の脈略も無さそうな話が妙(少し強引)に繋がってくる。
判事と書記官の兄は、以前 宇宙飛行士を目指したライバルであり親友だった。ある事情で兄は判事を庇い訓練センターを辞めた。判事も訓練センターを辞め裁判官を目指した。その兄が求めた判決を巡って妹(書記官)はその内容に疑念を持っていた。それが説明にある「正しい判決を言い渡す」それだけを信念に日々裁判を繰り返す簡易裁判官の男、そんな男がたった一度だけ下した魔がさした判決、を指す。動き出した歯車、引き寄せられる人々、明かされる過去、次第に浮かび上がるあの判決の真実とは…3話の繋がりは観劇して確かめてほしい。全編コミカル調だが、真実を知る場面ではジワッとくる。思いっ切り笑わせておいての感動シーン、見事な構成である。
この後は余興芸のような歌と踊りで楽しませる。中年男性5人が観せる魅せるのオンパレード。そのサービス精神と熱量は凄く、また(公演を)観たくなるのも肯ける。
次回公演も楽しみにしております。
下山 ~親鸞の覚悟~
文化芸術教育支援センター
中目黒キンケロ・シアター(東京都)
2022/08/17 (水) ~ 2022/08/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
親鸞の半生を力強く描いた物語。親鸞の生い立ち、修行や煩悩はもちろん、当時の時代(社会)状況を描くことで「人間・親鸞」が見事に立ち上がってくる。脚本の深みと広がりは十分堪能できるが、音響・音楽や照明効果といった舞台技術によって一層 印象に残る作品に仕上がっている。特に和琴演奏の高谷秀司氏、音楽 竜馬四重奏の竜馬 氏(ヴァイオリン)/仁 氏(鼓)の生演奏は、舞台に臨場感をもたらす”力”があった。
物語は約800年前。当時の疲弊と混乱した時代背景は、現在のコロナ禍の閉塞と混沌とした世相に重なると。敢えて そう描いているようだが、親鸞の人間らしく生きる、人々に寄り添った生き方は、現代人にも通じるのでは…。
(上演時間2時間 途中休憩なし)
まったく新しい‼︎宇宙創造論
演劇ユニットG.com
アトリエ第Q藝術(東京都)
2022/08/17 (水) ~ 2022/08/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
説明は、少し「難解さ」を思わせていたが心配無用。しっかり楽しませてくれる。お薦め。
物語は虚構に次ぐ虚構の世界、展開していく どの場面が現実なのか想像する楽しみ。その観(魅)せる面白さが半端なく凄い!虚構という足元が覚束ない不安、それを逆手にとって不安定もしくは不明確な世界に我々は生きていることを思わせる。壮大な宇宙、解明しきれていない諸々を創造する、そこに舞台化する面白さがある。一方、現実は目に見えないコロナ…得体の知れない疫病と戦っている不安な日々、それでも逞しく生きていく。そんな状況下、演劇という虚構の世界で面白可笑しく楽しませ、勇気づけてくれる佳作。
公演は「演劇ユニットG. comがコロナ禍の演劇を模索するためにスタートしたアトリエ第Q藝術3部作・完結編」と銘打っており、第1部・第2部のダイジェストを(映像で)観せ物語に広がりを持たせる。舞台は稽古から上演する迄、スタッフ・キャスト、そして観客まで すべて人と関わる。内容は、虚構等という人との関係を希薄に描きつつ、舞台そのものは濃密に描いている。勿論、コロナ感染予防対策として、例えば第2部「神様はつらい。」では舞台と客席の間にアクリル板で仕切るといった配慮をしている。色々な意味で劇作の試みがされた公演だと思う。第1部「虚数」を観ていないのが悔やまれる。
(上演時間1時間25分)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央にテーブルと椅子、正面壁にはゲーム モニターを思わせるスクリーンがある。上手には演台があり、説明にあるノーベル賞授賞式のスピーチから物語は始まる。これから展開する物語(場面)のプロットや難しい理論の説明をスクリーンに映し出す。舞台セット(会場 構造を活かした)の工夫は、随所で見られるが、それは実際 劇場で観てほしい。
人物は、私、妻、娘、息子という一人称、他にプログラマー、デバッガー、アバターという三人称のような存在が登場する。物語は、今から数年後、ストックホルムで開かれているノーベル賞受賞式の壇上で、ノーベル賞を受賞した私(大学教授)のスピーチから始まる。受賞した研究は『宇宙ゲーム理論』。そして、このゲーム=宇宙を作ったのは誰なのか?という問いについて、私はある真実を皆様にお話ししたいと…。私のスピーチが終わると、一転、家庭団欒のような光景。息子は後ろ向きで顔は分からない。アップテンポな描き方、現実か虚構か判然としない世界を作っているのは自分だ と思っている人々。果たして、操り操られているのは、その主導権を握っているのは…。
スタニスワフ・レムの「新しい宇宙創造説」をヒントに劇作しているらしいが、原作にはそもそもストーリーは一切なく、架空の書物 の 架空の執筆者 が取った 架空のスピーチ が延々書き連ねた超難読本らしい。それを舞台化し観客に分かり易く、しかも面白く観せる。それは観客の脳内を刺激し続けること。現実の世界ではなく、かと言って現実から離れ過ぎた荒唐無稽でもない。随所に高度な理論や哲学的な台詞が散りばめられており、現実と虚構の程良い距離感が知的好奇心をくすぐる。物語は私の「宇宙ゲーム理論」をベースに、そのバーチャル世界へアクセスしたり逆に手玉にとられたりといった創造ならぬ騒動が繰り広げられる。まさしく目まぐるしい変化--七転八倒の人間賛歌SF劇だ。
思わぬ所からプログラマーやデバッガーが現れ驚かされる。また庭を使った場面をスクリーンに映し出すといった、中継光景が闇に照らされた照明で幻想的に見える。もちろん、壁(扉)を開けるため 実際の光景(演技)を観ることも出来る。ゲーム プログラミング言語・数式等を映し出し、仮想空間へ誘う巧さ。プログラミング・書き換え・上書きを思わせる描き方。「仮説」ゆえに「理論」として認められなかった私とその家族の物語は、観応え十分。
次回公演も楽しみにしております。
明けちまったな、夜。
ゴセキカク
インディペンデントシアターOji(東京都)
2022/08/13 (土) ~ 2022/08/16 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
二十代後半の若者が、今までの生き方を振り返り、今後の生き方を模索するといった一夜の物語。「生き方」について悩み、自分と向き合うといった内容は、等身大とも思えリアリティがあった。しかし、設定が有り触れており新鮮味に欠け、既視感ある話に思えたことが残念。
鬱屈または重苦しい気持を解き放ちたい、その表現し難い感情を如何に上手く表わせるかが肝。物語の見せ場は思いを激白するシーンであろう。同時に特段の夢や希望を持たず過ごした男の後悔とも思える呟きが印象的だ。十代の頃のように無鉄砲な事は出来なくなり、かと言って分別臭くなるには まだ早い。そんな中途半端な年齢(情況・環境)の自分探しを上手く表現している。
(上演時間1時間35分) 22.8.19追記
ネタバレBOX
舞台美術は、カラオケ部屋…ソファとテーブル、そして別場所にある喫煙所(2階)という シンプルなもの。物語は、高校演劇部の友人の結婚式の二次会という有り触れた設定。そこに男女5人(男2人が同学年、残りの男女3人が後輩)が集まり昔話と近況を語り合うが、何か気まずい雰囲気が漂う。実は、もう一人来る予定の男が二次会は勿論、結婚式にも現れない。冒頭から曰くありげな様子、それが謎めいており話の展開が気になるが…。
物語は等身大の若者の姿を描いているようだが、高校時代に親しかった男2人の「確執」と「思い」、後輩女性の「恋バナ」と「思い」、夫々の建前と本音を激白する2シーン以外は、深堀したシーンがない。逆に激白シーンを際立たせるために、他は淡々と描いているようだ。
何者にもなっていない27~28歳の男女の過去と現在を見つめる。見せ場はラストの激白シーンだから印象的とも思えるが、何となく既視感というか経験があるような。
自分は、女性同士…夏目瑞季(岩本紅葉サン)と飯塚ゆかり(岩井美菜子サン)と男同士…奥川太一(岡本セキユ サン)と村松衛(後閑貴大サン)が激白する2つのシーンが見所だと思う。男女とも根底にある思いは、自分の方が相手より優れている、なのに何故か相手の方が上手く出来てしまう。そんな相手を見下した感情を露骨に表したシーンである。瑞季は高校の時にモテる女であり可愛いと自惚れていた。そして密かに奥村に好意を抱いていたが、今は ゆかりが奥村と同棲している。そのことが許せない。ゆかりは、瑞季からそんな風に思われていたことにショックを受ける。人の建前と本音、そして外面菩薩 内面夜叉が表れる。奥川は、演劇部 部長であり脚本も担当していた。しかし書けない時期があり、代わりに松村が書き評価を得る。見下していた男、そして 畏怖と嫉妬の思いから去ってほしい。そんな自分の身勝手な思いに嫌悪するが…。村松は母親が(若年性)認知症になり、介護や経済的な理由で大学を中退し演劇も止めた。松村は、引き留められるような言葉を期待していたのか。「そうか」といった素っ気ない返事に怒りを覚えた。こちらも自惚れている。いや互いのプライドなのだろう。
奥川はホッとしたのか?喫煙所で漏らす言葉は「わからない」「分からない」「解らない」を繰り返すだけ。そこに社会(世間)との折り合いだけではなく、彼なりの苦悩が見えてくる。あとカラオケルームで二人きりになる強引さ。流れ的には喫煙所で…演劇的には無理な場所かな。
高校演劇部から商業(市民)演劇を続けているが、そろそろ30歳代を意識し、周りを見渡せば結婚し子供が生まれている。このままで良いのか、その思いは表現者だけではなく、別の道(例えばサラリーマン等)を歩んだ人も多かれ少なかれ考えるのではないか。自分が本当にやりたかった事は何か?立ち止まり考える時期でもある。カラオケ店バイトの杉山(七里海流クノー サン)は高校の時は帰宅部で、夢中(仲間)になれるもの(者)がなかったと呟く。ここに公演の肝があるようだ。
色々な衝突や苦悩などがあったと思うが、それでも確執を抱えながらも仲間がいる。
次回公演も楽しみにしております。
今は昔、栄養映画館
みやのりのかい
OFF・OFFシアター(東京都)
2022/08/12 (金) ~ 2022/08/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い!
表層的には、漫才のボケとツッコミのように可笑しく観せ、内容は5分間の出来事を70分かけて不条理のように描く、といった印象だ。早送りのようなテンポの良さだが、事は遅々として進まないといった不合理さ。その相反するような不整合こそが、この公演の面白さだろう。
そう思いつつも、自分の好みとして、観せ方に注文を付けたくなるのだが…。
(上演時間1時間10分)
ネタバレBOX
舞台は武蔵野推理劇場のホールといったところ。上手に捥ぎりの受付台 入場料や飲食物の料金表がある。そして多くの洋画チラシが貼られ、下手奥の壁には「風と共に去りぬ」、下手 客席寄りに「ブラック・レイン」のポスターが画架に立掛けてある。試写会や初日舞台挨拶の時に よく見かける光景だ。後々 重要になってくる固定の黒電話の置台。そして中央に7~8脚の木製椅子がランダムに置かれている。椅子だけを動かしていく。
登場人物は礼装した二人の男。映画監督役の宮地大介さんと助監督兼諸々係のジョニー高山さん。映画の完成披露パーティ、その開始5分前という設定。監督は袖ボタンを縫い付けたい、挨拶文も覚えたいといった落ち着かない様子。一方来賓が来るのか来ないのか不安な気持のところへ黒電話が鳴る。突然姿なき第三者が入り込み、それから頻繁に電話がかかってきて、(来賓)席の確保が依頼される。その場にいない人物に翻弄される二人。登場人物以外の居ない人物の言動に、右往左往し慌てふためく姿は滑稽であるが、冷静に考えてみれば、社会(もしくは世間)の曖昧・不確かな情報に踊らされている自分達の姿のようにも思える。
当日パンフに演出の小宮孝泰氏が、「『栄養映画館』を読んですぐに感じたのは、『ゴドーを待ちながら』へのオマージュである」と記し、続けて、しかし台詞も修正し、ト書きにも大鉈を振るったとある。その根底には、小難しい「不条理」を描くよりも観客に喜んでもらいたい、楽しんでもらいたいとの思いがあるようだ。舞台となった映画館の(レトロな)雰囲気、台詞に 映画に関する小ネタが散りばめられ、映画好きの自分には至福の時であった。映画タイトルを相互に言い合う場面では、関連し合う映画を次々に言い、知識・造詣の深さを感じさせる。そこには、単に楽しむだけではなく、映画愛ある業界人としての姿が立ち上がってくる。
台風接近という悪天候にも関わらず、観劇に出掛けた。劇中、監督が 雨が降って思い出が地面に吸い取られる、雨で思い出が滲む、といった しみじみとした台詞は、台風という状況こそ違うが思い出深い公演となった。全体的にスラップスティック場面が多い中で、滋味ある場面を入れたことで、小宮氏が意図した面白味8分、深み2分になったと思う。何故、敢えて「ゴドーを待ちながら」とは別のテイストを選択したのか、その思いも当日パンフの前段に記しているが…。
最後に、来賓席確保のために礼服を脱ぐといった行為、その笑わせ方が安易に思える。舞台(完成披露)の設定や映画愛といった上質な面白さが、別な面白さ(脱ぐ脱がないといった逡巡する滑稽さ)にすり替わる。出来れば、裸(の勝負)ではなく、演技や台詞で映画の芸術・大衆・娯楽性といったところを面白可笑しく観(魅)せてほしかった。
次回公演も楽しみにしております。
蝶々結び
LUCKUP
上野ストアハウス(東京都)
2022/08/03 (水) ~ 2022/08/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
人生の最初にして最大の選択、それを夢想または追想のように描いた物語。一見、抽象的とも思える出だしは取っ付き難いが、少しずつ物語の輪郭を表す。表現し難い内容、それを独特な(不思議)感覚と謎めきをもって描いており上手い。
実際の 蝶々結び は解けないようで容易に解くことが出来る。この公演のタイトルは意味深で、解けそうで解けない。説明にある旅人・あなたはかけがいのないものを手に入れた は、心の迷い 彷徨から少し解放されたようだが…。
何故か、ある映画を思い出してしまうのは、線路・冒険・友情といった断片的ではあるが、そこに かけがえのない宝があるからだと思う。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
-monochrome side.-
ネタバレBOX
舞台は地方にある木造駅舎。中央は少し高くした1番線ホーム、上手に回って降りてきたところに改札口。上手が駅室、上に時刻表が掲げられている。下手にトイレがあり駅員の使用頻度が高いよう。中央客席寄りにベンチ。上演前から蝉の声が聞こえているから、時季は夏であろう。
物語は、一人の男が郷里へ帰ってきた、そんなどこでも見かけるような光景から始まる。この街、駅舎に集まる人々は明るく陽気で、屈託がない。歌って踊って、旅人を歓迎しているような光景だが、何となく違和感を覚える旅人。そして久しぶりに帰郷した理由は母からのハガキ。しかし、その家はなく途方に暮れて駅舎に戻るが、終電はなく、駅待合室で翌朝まで過ごすことになる。
街の人々は、駅員を除けば、高校生の男女4人グループ、医師と看護師、歌う女性。夜にこの人々との不思議な会話や交流が、自分の中の何かを目覚めさせる。昔の記憶のドアをノックされ少しずつ開けた心から見えたものは、今 話し相手になっている高校生と同じ年頃の自分である。何もない田舎町、ここから出て都会(東京)で働きたい、生きたいといった希望を抱く。一方、何ものでもない自分が郷里を出て成功できるのか。端的に言えば、上京するか郷里に留まるのか といった人生の選択に思い悩んだ末に出した結論は…。この悩みは理解出来る。
東京での暮らしは、必ずしも煌びやかな生活ばかりではなく、孤独に苛まれることもある。そんな思いをして帰ってきた旅人が、今 目の前にいる高校生たちが自分と同じような人生の岐路にいる。何か言葉(思い)を伝えなければ、しかし自分の真意がうまく表現できない。まるで夢の中、もしくは心を閉ざした闇の中にいるようだ。
整理できないモヤモヤとした気持。謎めきと不思議な世界観を一役二人でしっかり描き出す巧さ。その表現を 高校生グループが、夜陰に乗じて線路を歩いて冒険に出ようとしている。どこか見た光景だが、それこそが自分で過去に経験した出来事。選択した結果の善し悪し、実行して初めて知ることになる。街を出る出ないの選択と決断、その結果を知った後悔の念に苛まれ 心を閉ざした。が、ある切っ掛け(迎えの女性)によって、高校時代の友情や母の気持、そのかけがえのない思いを知ることになる。そんな描き方で心の内を具現化してみせる。それこそが答えのような…。
何となく、映画「スタンド・バイ・ミー」を連想してしまう。田舎町、線路を歩く冒険、なにより友情を深める。その体験を追想する滋味溢れるところが重なる。
次回公演も楽しみにしております。
月虹の宿 (げっこうのやど)2022 東京公演
日穏-bion-
シアター・アルファ東京(東京都)
2022/08/05 (金) ~ 2022/08/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。〈2022 東京公演〉
脚本・演出・舞台美術、勿論 演技も素晴らしい!
命とどう向き合うかといった重いテーマ、その捉え方、考え方の選択と決断を描いた重厚な物語。多様な観せ方は、地域活性化や性癖といった別の観点からも描き、裾野の広さとテーマの深さ といった両面を見事に成立させた秀作。しかし劇風は重苦しいだけではなく、笑いの場面も挿入し、それが人の優しさ温かさを感じさせるといった上手さ。
物語は、前半の 寂れた温泉街に立つ老舗旅館「月の荘」に関わる人々の話、後半は 次女の真希が海外から帰国した理由と家族(姉 妹 弟)の話、といった二幕で展開していく。自然な流れ、細やかな変化や季節の移ろいを丁寧に演出する。ゆったりとした日常の光景、柔らかい雰囲気の中で緊張と味わい深い会話が繰り広げられる。余韻と印象付けが実に見事だ。笑って泣けて心が温かくなる日穏-bion-の世界…病み付きになる(コロナではない)。
2021年にコロナで中止になったリベンジ公演。当日パンフに主宰・脚本の岩瀬顕子さんが「日々流れるコロナ関連のニュースに正直心が折れそうですが・・・」と記しており、うかがい知れないほどの辛苦があったと思う。それでも一年間大切に温めてきた作品、上演してくれたことを嬉しく思う。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし)22.8.13追記
ネタバレBOX
場内に入ると舞台美術の見事さに圧倒される。老舗旅館「月の荘」のホールといった場所で、中央に玄関や客室に通じる出入口、上手に段差ある畳所、ラジオ・小机等があり、横に極楽ノ湯へ通じる出入口、下手に暖簾が掛けられた月の湯。暖簾は色違いで殿方、御婦人と染め抜かれた文字が見え、暗転時に掛け替え時間の流れを表す。板床には囲炉裏、籐椅子や茣蓙布団が置かれ、天井部には桁(けた)のような木材、その奥に竹林が見える。電波の入りが悪い山奥、自然豊かな雰囲気が漂う木造家屋内を出現させる。
物語は、ここで働く人や出入りする人、その個性豊かな人々の性格や暮らしぶりを生き生きと描く。「月の荘」の主人・天野亮太(内浦純一サン)は東京で働いていたが、故郷に戻り旅館主を継いだ。長女・加代子(柴田理恵サン)も都会で助産師として働いていたが、今では地元で助産師をしている。板前の笹川徹夫(剣持直明サン)は妻を亡くし、息子は仕事が忙しいのか会えていない。従業員の鳥居ひな子(中島愛子サン)の客案内はガイド調で笑わせる。真希の友人で山根奈津江(清水ひとみサン)は認知症の父親の介護とクリーニング店の仕事で忙しい。芸達者な役者陣の面白可笑しい仕種や会話は、長閑な光景を観せる。この地には、玉金(たまがね)温泉郷が近くにあり、イベントで町興しに役立てようと企画。二週間前に赴任してきた地域おこし協力隊・下駄屋勤務の米田正彦(小林大輔サン)が色々なアイデアを出す。そして客層を考え「終活ツアー」はどうかと…。前半で色々な伏線をはり、後半へ繋ぐ。
アメリカでデザイナーとして活躍している二女・真希(岩瀬顕子サン)が12年ぶりに娘の凛(種村愛サン)と一緒に帰国する。同時に真希の友人・医師の藤倉信明(伊原農サン)もやって来る。真希は不治の病に侵され、自分の終活の仕方を考えていた。この事実が明らかになった所で、物語の様相が一変する。自分の意志で決められるうちに死を受け入れたい真希(前半介護の話が肝)、最期まで生きる意志を持たせたい加代子(助産師という設定が妙)の思い。理屈で語ることの出来ない感情の世界。生身の人間(役者)が観せる”力”に舞台としての醍醐味、面白さがある。「『いのち』の選択をめぐって巻き起こる家族の葛藤」…その結論は ぜひ劇場で観てほしい。自分は兄弟姉妹ではなく、親との関係で同じような選択を迫られたことがあり、その当時を思い出し苦しくなった。
選択肢という点では、米田の地域おこし協力隊としての働き方・生き方、また彼が亮太に向かって新宿二丁目で働いていませんでしたかという一言で、LGBTQという性癖へ話題を広げる。「玉金温泉郷」のポスターが「奇跡の月虹ツアー」に張り替えられ、終活と極楽ノ温が相まって前向きになれる。「死」と向き合った重いテーマだが、2年後(さらっと米田が来てからの年月をいう)のラストシーンは清々しささえ覚える。出来れば、高校生になった凛が方言で喋ってくれると その地に馴染んだと真希も安心したかもしれない。
時間の流れは、照明の諧調で日中や夕刻、そして夜を巧く表現している。そして衣装の違いはその人が生きている世界を表している。旅館の従業員は地味(和)装、一方 真希は洗練された洋装で雰囲気の違いを醸し出す。音楽はラジオから流れるDJの声、オーバー・ザ・レインボーの曲が少し物悲しく聞こえる。
これらの様子を訳ありな宿泊客 田部次郎(演出 だんじだいごサン)が小説として紹介し、自分自身も生きる勇気をもらったと…。余韻と印象が強く残る作品だ。
次回公演も楽しみにしております。
最後に、スタッフの対応(メールも含め)が実に丁寧で感謝いたします。