カレーと村民 公演情報 ニットキャップシアター「カレーと村民」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白い、お薦め。
    作品は、1905年夏の大阪近郊吹田村が舞台。しかし描かれているのは、この村に限らず日本のどこにでもあった光景だろう。日露戦争でのポーツマス講和条約は、人々が思っていた好条件での締結ではなかった。国は何かを隠している、その国への不信と人々の悲しい思いを交錯させるが、描き方はコミカルである。

    表層の面白可笑しさに隠された問題の大きさ、深さがしっかり伝わる作品。タイトル「カレーと村民」は、ピリッとした風刺、村民は国民として一地域の出来事ではないことを示しているようだ。
    (上演時間1時間45分 途中休憩なし)

    ネタバレBOX

    舞台美術は、当日パンフにも書かれているが、明治時代の旧庄屋屋敷の土間。客席から見て60センチほど高い場所が「落ち間」、そこを右(上手)に進めば家族の居間や寝室、左(下手)は「勘定の間」という主人の執務室だという。木目の美しい木造家屋、屋敷外の下手は物置場。「土間」「落ち間」「勘定の間」という今では使われていない言葉があり・・・知らなかった。

    庄屋屋敷「浜家」の玄関、土間。物語では知らなかったでは済まされない重要な出来事を扱っている。
    日露戦争に勝った日本は戦勝ムードに浸っていた。当然、講和条約では多額の賠償金や領地拡大を得るものと思っていたが、その期待は裏切られた。
    すでに 当時の日本には戦争を継続するだけの余力はなく、日本国内では政府の情報統制により連勝報道がなされ、戦費を賄うために多額の増税等をしていた。このまま戦争を継続すれば日本は負ける可能性もあり、政府は国民にその内情を機密にしていた。そのため国民の多くはロシアから多額の賠償金を取ることが出来ると信じていた。物語の背景は、この村に限ったことではない。

    さて、 村人が講和条約の内容を知る術は、主人が新聞を読み上げる内容を聞くだけ(文盲)。その主人・浜太郎(福山俊朗サン)は、問題が複雑になったら率先して黙ってしまう日和見者。そんな人物に被選挙権があるという身分社会をさりげなく皮肉る。見えない国家観と民衆の切実な思いの乖離が哀しくも滑稽に思えるのだが…。
    近代的感覚…醒めた視点で眺めているのが、英国留学から帰った浜家の次男・次郎(門脇俊輔サン)である。知識人だが役に立たない学問をしている、屑として世界を放浪する と自嘲する。他方、現実的感覚…客観的な見方をするが、主体的になれないという傍観者に物足りなさを覚える恋人・アキ(山下あかりサン)を対置させる鋭さ。この構図―時代に流されるのか、泳ぎきるのか―現代にも通じる肝だと思う。

    物語には、変哲のない村人や各地を回る薬屋が登場する。その性格や立場、置かれた状況は、当時の日本の至る所にいる典型的な人々の姿。その言動は多くの人の代弁者である。夫や息子が戦死、孫が戦死、戦死はしなかったが重傷、後遺症が残る等、苦しく悲しい思いをしている人。身近にいるであろう人々を政府と対峙させる。が、人々の間でも状況の違いによって戦争継続と反対に意見(世論)が分かれる。直接の抗議行動は描かれないが、もっと国家 政府と関わることの必要性を説く。断片的な台詞…参政権、女性の社会進出(学問)等の言葉が力強く聞こえる。

    翻って、現代はインターネットを介して情報が溢れかえっている。それは玉石混淆 いや真偽の怪しい情報もある。経済悪化や不安定な国際情勢によって社会不安が広がると、分かり易い世界観へ傾斜しやすいかも知れない。自分で考える力を養うことの大切さを問うような内容だ。
    登場人物は、当時の人々の代弁者であるから、当日パンフに その人物紹介が記載されている。キャストは、その人々を生き生きと演じており、物語の世界へうまく引(惹)き込まれた。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2022/08/28 06:07

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