カレーと村民 公演情報 カレーと村民」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
1-6件 / 6件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    だいぶ前に一度だけ観た関西の劇団。その時の印象とは随分違う。先日のトリコ・Aに続き、作り込んだリアル美術の前で、こちらは時代物。日露戦争後の世相を描く。とある町の名主の屋敷の土間(町の人らも出入りするセミパブリック空間)にお出ますは、洋行帰りの次男、その許嫁、家督を継いだ長男と嫁(ごりょんさん)、老母。ご近所からは戦地還りの兄とその妹、息子を失った母、息子が復員する事になった夫婦。屋敷には出戻りの手伝い(孫を失った)、そして新しい女中。
    (日清戦争と違って)戦死者も多かった日露戦争を終えた年。戦後賠償の額に庶民は注目している。「死に甲斐」を戦後賠償の額でせめて納得しようとした遺族が「賠償金ゼロ」の報に落胆し、やがて妥結した政府に対し撤回を求めて人々が立ち上がるという、史実の断片が切り取られている。提灯行列まで起こった「戦勝」だが、実際には人海戦術のロシア軍との際限ない営みにとりあえずピリオドを打ったに過ぎず、賠償を引き出せる内容でもなく、サハリン南部を取っただけでも御の字であったと、今は知られているが、考えてみれば戦争という賭け事の結果に相場など無いものを何がそうさせたのか。10年前の日清戦争で予期せず高額な賠償金を得たことにより「列強並み」へと持ち上げられた庶民の自意識の為せる業か。
    資本主義化の進行と共に、「お金」「領土」獲得ゲームに熱狂する俗物性が露骨になって行く分岐点はこの日露戦争であったと言われる。西欧コンプレックスから明治維新の混乱を経て、国民国家経営の仕組みを整えて行く内部の努力が、対外的に通用したのが日清・日露の戦勝であり、二度目の「成功」はその規模から10倍の賠償金を取りざたさせたが、それが不本意な結果に終わったのだった。

    作者はこの史実であまり語られない国民の犠牲(戦死)に焦点を当てたが、芝居の核は反戦にはない。ロシアによる「戦争」を扱う芝居の上演となったが、昨年中止された公演だからウクライナ侵攻を受けて書かれたものではない(改稿してれば別だが)。
    作者は特徴的な人物として、知識があり進歩的だが芯の無い次男という存在を置いている。維新以来、付け焼き刃の文明化を走り来った日本の「知」の脆弱さの象徴と見え、その一方情緒的で打算的な庶民はそうとは知らずに歴史を前へと押し進める。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    うーむPCの調子がーどころか壊れた―・・・
    というのが観劇感想のUP遅れでありまする・・・すいません

    さてお話は民家の軒先という感じの舞台セットで
    小道具の湯のみとかが妙に綺麗な枯れ葉色とかで統一されてて
    印象に強く残りました=(^-^)

    日露戦争終結後の講和話を新聞で読み上げる
    地方有力者の旦那さん
    講和条件に憤り大阪に抗議集会に行こうとする集落の皆・・・
    紆余曲折あって日常が繰り返されるようになりって感じの話なんですけどー
    政府とかの応対とかは現在と変わらんなぁと
    納得させられてしまった作品でありました

    ネタバレBOX

    作中でも言われていたが
    日露戦争の終結は絶妙なタイミングであり
    あの時期をあの時期を逃していたら
    日本は勝ち逃げは出来なかったそうですよねー
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    カレーは脇役でしたね⁉︎
    戦争を取り巻く状況は、いつの時代にも変わらないものがありますね

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    鑑賞日2022/08/28 (日) 17:00

    京都を中心に活動するベテラン劇団だが初見。思ったのとは違ったが面白い。102分。
     明治期の大阪吹田村を舞台に展開される物語…、だが、実は現在にも通じる話が繰り広げられる。この手法は面白いが、巧くいっているかと言えば…うーん…。後半の潮の一人芝居的場面は悲しくなってくる。

  • 実演鑑賞

    満足度★★

    壮大なコントみたいでした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白い、お薦め。
    作品は、1905年夏の大阪近郊吹田村が舞台。しかし描かれているのは、この村に限らず日本のどこにでもあった光景だろう。日露戦争でのポーツマス講和条約は、人々が思っていた好条件での締結ではなかった。国は何かを隠している、その国への不信と人々の悲しい思いを交錯させるが、描き方はコミカルである。

    表層の面白可笑しさに隠された問題の大きさ、深さがしっかり伝わる作品。タイトル「カレーと村民」は、ピリッとした風刺、村民は国民として一地域の出来事ではないことを示しているようだ。
    (上演時間1時間45分 途中休憩なし)

    ネタバレBOX

    舞台美術は、当日パンフにも書かれているが、明治時代の旧庄屋屋敷の土間。客席から見て60センチほど高い場所が「落ち間」、そこを右(上手)に進めば家族の居間や寝室、左(下手)は「勘定の間」という主人の執務室だという。木目の美しい木造家屋、屋敷外の下手は物置場。「土間」「落ち間」「勘定の間」という今では使われていない言葉があり・・・知らなかった。

    庄屋屋敷「浜家」の玄関、土間。物語では知らなかったでは済まされない重要な出来事を扱っている。
    日露戦争に勝った日本は戦勝ムードに浸っていた。当然、講和条約では多額の賠償金や領地拡大を得るものと思っていたが、その期待は裏切られた。
    すでに 当時の日本には戦争を継続するだけの余力はなく、日本国内では政府の情報統制により連勝報道がなされ、戦費を賄うために多額の増税等をしていた。このまま戦争を継続すれば日本は負ける可能性もあり、政府は国民にその内情を機密にしていた。そのため国民の多くはロシアから多額の賠償金を取ることが出来ると信じていた。物語の背景は、この村に限ったことではない。

    村人が講和条約の内容を知る術は、主人が新聞を読み上げる内容を聞くだけ、多くは文盲。その主人・浜太郎(福山俊朗サン)は、問題が複雑になったら率先して黙ってしまう日和見者。そんな人物に被選挙権があるという身分社会をさりげなく皮肉る。見えない国家観と民衆の切実な思いの乖離が哀しくも滑稽に思えるのだが…。
    近代的感覚…醒めた視点で眺めているのが、英国留学から帰った浜家の次男・次郎(門脇俊輔サン)である。知識人だが役に立たない学問をしている、屑として世界を放浪する と自嘲する。他方、現実的感覚…客観的な見方をするが、主体的になれないという傍観者に物足りなさを覚える恋人・アキ(山下あかりサン)を対置させる鋭さ。この構図―時代に流されるのか、泳ぎきるのか―現代にも通じる肝だと思う。

    物語には、変哲のない村人や各地を回る薬屋が登場する。その性格や立場、置かれた状況は、当時の日本の至る所にいる典型的な人々の姿。その言動は多くの人の代弁者である。夫や息子が戦死、孫が戦死、戦死はしなかったが重傷、後遺症が残る等、苦しく悲しい思いをしている人。身近にいるであろう人々を政府と対峙させる。が、人々の間でも状況の違いによって戦争継続と反対に意見(世論)が分かれる。直接の抗議行動は描かれないが、もっと国家 政府と関わることの必要性を説く。断片的な台詞…参政権、女性の社会進出(学問)等の言葉が力強く聞こえる。

    翻って、現代はインターネットを介して情報が溢れかえっている。それは玉石混淆 いや真偽の怪しい情報もある。経済悪化や不安定な国際情勢によって社会不安が広がると、分かり易い世界観へ傾斜しやすいかも知れない。自分で考える力を養うことの大切さを問うような内容だ。
    登場人物は、当時の人々の代弁者であるから、当日パンフに その人物紹介が記載されている。キャストは、その人々を生き生きと演じており、物語の世界へうまく引(惹)き込まれた。
    次回公演も楽しみにしております。

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