タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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俺は誰だ?

俺は誰だ?

Offbeat Studio

ウエストエンドスタジオ(東京都)

2023/01/25 (水) ~ 2023/01/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
表し難い人の思い、それを個性豊かな登場人物を介して描き出していく。タイトルは「俺は誰だ?」…物語は自問自答するような展開。記憶喪失になった男、彼が巡(廻)る世界観が何処なのかが物語の肝。会社<世間>でも家庭でも不器用な男への人生応援歌、いやもっと直接的な「生きている」ことへの応援讃歌になっている。

公演の魅力は 主人公・浅井大輔(曽世海司サン)が巡り合う人々?の濃いキャラ、何故 時代や場所、さらに性差や年齢もバラバラなのに共通項があるのか。その不可解な問い、それは自分自身の 生 に関係しているようだが…。

舞台美術は鉄パイプ等を組み合わせた廃墟風、しかし物語の世界観に鑑みると 現実から切り離された迷宮といった雰囲気を表したかったようだ。早い段階でこの世界観は明らかになるが、どうしてここに居るのか、といった謎が終盤まで物語を牽引する。そして明かされる衝撃の事実が…。

ラスト、他の力を借りて といった結末では物足りない。せっかく「生きること」への切望感が沸いたならば、自分の力(機智)でゲートを開けるといった力強さを示してほしいところ。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

中央がメイン舞台、上手・下手に階段がある台、いくつかの鉄パイプを配することで妖しさを演出する。後ろは可動する鉄パイプの足(作業)場のようなものが2つ。ラスト この間の空間が重要な意味を持つ。

浅井が不器用なのか気弱なのか、精神的に追い詰められて上手(ビルらしき)から落ち、暗転する。気が付いた ここ<世界>はどこなのか。
まず、花魁と称する女性・ミズネが話しかける。言葉使いや衣裳・化粧は花魁そのもの。彼女、好いた人がいたが、一緒になることが出来ず、悔しい思いをしている。次に仕事人間・三上すぐる が熱く語りかける。仕事こそが生き甲斐と言うが、何となく一抹の寂しさも垣間見える。3番目に権左、見た目は一目瞭然 武士である。信念を持ち 信義に生きたようであったが、裏切りによって切腹をした。千佐子という女の子、幼い遊びに興じて喜ぶ。その無邪気な姿に癒しを感じるが、どことなく寂しい様子。ロボット、人ではないが、モノにも何かの意味を見出す。命の代わりに故障、簡単に廃棄することは、人の使い捨てに通じるような。これらの出会いは、生きていく上で「何らかの意味」を持たせている。

異界の案内人がデスゴット=死神、その異様な化粧と衣裳が役柄にハマっていた。怪しげな雰囲気にも関わらず、浅井とデスゴットの軽妙洒脱と思えるような会話が物語をテンポ良く感じさせる。
色々な人々?と出会う際に流れる音響が異なり、夫々の世界の違いを表現する。例えばミズネと出会った時は、コポコポという水底にいるような音、何となく浮世離れした雰囲気が漂う。勿論 花魁の化粧と衣裳という外見と相まって観(魅)せる工夫をしている。三上の時には、アップテンポで熱い思いを語るに相応しい音楽である。

皆、浅井の前世であり、生きる または 生きたかったモノばかりである。生きているからこそ悩み苦しむ、逆に言えば そう思えること自体が素晴らしいこと。異界(臨死中か?)で 生きたいと願うことで現世へ。その際の条件が ”記憶”を無くすこと。この難題ー究極の選択を神〈もとは彼の善行でもある〉によって助けられるが…。ここは自力で解決してほしいところ。
役者陣は、個性豊かな人々+ロボットを演じており、独特の世界観を見事に表していた。
次回公演も楽しみにしております。
龍昇企画 父と暮せば

龍昇企画 父と暮せば

ストアハウス

上野ストアハウス(東京都)

2023/01/25 (水) ~ 2023/01/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
井上ひさし氏の脚本「父と暮せば」 それを西山水木さんの演出で観劇、ほんとうに感激した。広島への原爆投下から3年後の昭和23年7月、福吉美津江の家が舞台。この舞台セット(家)が見事に造作されており、そこで美津江(関根麻帆サン)と父(龍昇サン)の親子の情愛ー滋味ある会話劇が仄々と展開する。
勿論、脚本の力もあろうが、それを体現した二人の熱演が 生きた<人間ドラマ>を立ち上げている と言っても過言ではないだろう。

原爆投下という生き地獄を何とか生き延びた美津江、父も親友も、そして多くの知人友人が亡くなり、自分だけがという罪責感に苛まれている。だから自分は幸せになってはいけない、一方 気になる青年が現れ揺れる乙女心が微笑ましくもある。美津江の心は、人並みに幸せになりたい と 幸せになっては申し訳ないという感情に分かれてしまう。その内なる葛藤を、関根さんは見事に演じていた。父は、そんな娘を応援したいー娘の幸せを願わない親はいない。そんな大きく包み込むような優しさ愛情を、龍昇さんも見事に演じていた。父は死者であるが、美津江には見える。変な表現かもしれないが、死者にも関わらず何となく生き活きとしている。

全編 方言-広島弁での会話だが、物語の底流にある戦争の悲惨さ、もっと言えば反戦の思いは一地方(原爆投下は広島)だけの問題ではない。娘心の葛藤、娘の幸せを願う父心、そんなありふれた光景の中に、戦争と平和、そして命という重く尊いテーマが描かれた名作。その芯を見事に描き出した演出・西山水木さんの手腕。未見の作品であったことから、今後 同作を観るときの基準が本公演になる。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)追記予定

マジックリアリズム

マジックリアリズム

劇団龍門

シアターシャイン(東京都)

2023/01/25 (水) ~ 2023/01/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
冒頭 妖しげな雰囲気の中、1人の男が追い立てられるように登場するところから始まる。何となくノワール劇かと思わせるが、ラストに明かされる衝撃の真実、そこには心の深淵と未来への希望が…。舞台の世界観、そこが何処なのかといった関心を惹かせるところが実に巧い。
1人の男ー村手龍太 氏が緊迫と戸惑い、そして愁いといった違った表情の演技を観(魅)せる。命の選択と重み、その尊厳を切々に紡いだ感動作。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
【Realizmチーム】

ネタバレBOX

舞台美術はブロックで出来た壁、それがほぼ対称的に作られ中央が出入口。この世界への通用門のようにも思える。上手 下手の奥に脚立が見える。そこへ上ることで俯瞰するような姿、それが天使なのか悪魔なのか。下手の鳥籠 中には青い鳥がいる。勿論、何かが何かに囚われたことを象徴している。公演を支えているのが、独特なメイクや衣裳で魅せる役者陣の演技であろう。そして怪しげな音響効果や薄暗い照明がそれらしい雰囲気を漂わす。

男が坂本九の「上を向いて歩こう」を口遊みながら車を運転していると、突然 携帯電話が鳴りだし、何かの選択を迫る。そして「妻を」と呟き、暗転する。場面は変わり雨の中、女性(生粋万鈴サン)が何処かへ行こうとしている。その彼女を呼び止め、ベールを被った占い師風の女性が妖しい世界へ誘う。劇風が暗から明へ変わると同時に、この世界がどこであるかも分かる。

ここは贖罪の世界…彼岸と此岸の間。車の男・村手さんに向かって生粋さんが「お父さん」と呼びかける。いつの間にか現実と非現実の世界が錯綜しているかのような錯覚に陥る。娘なんかいない、何かの間違えだと諭す。その頑なな態度がよけい父親を思わせる。幽界に32年間彷徨っている男の魂、そして弔い上げ 祥月命日の前日に起こった奇跡を通じて、命の尊さを知る。説明にある封印が解かれる「32の書」は男の悔悟か、はたまた改悟の記録<記憶>か。

32年前、車内での決断は妻か娘(赤ん坊)の命、どちらかを選択しなければならなかったこと。母子ともに危険な状態での究極の選択である。自分の判断を覆し 妻は子を産んだ。そうとは知らず、直後に交通事故死した男の魂の彷徨であり咆哮が悲しい。色々な意味での未練、納得できない気持に整理がつき成仏ーー幽界での話。

両親の思いを知った娘、妖しい女性によって誘われた一瞬の眠り、わずか20分の間に見た夢幻の世界、そこに命の尊さがしっかり描かれるヒューマンエンターテイメント。公演は単に父<母>と娘という直接繋がりのある魂だけではなく、1人の魂はもう一人の魂で、その無限の連鎖による魂の助け合い、そこに真のヒューマンエンターテイメントの真骨頂を観る。
次回公演も楽しみにしております。
『キレナイ/Dear Me!』

『キレナイ/Dear Me!』

ラゾーナ川崎プラザソル

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2023/01/21 (土) ~ 2023/01/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め 【Dear Me!】
川崎駅東口の繁華街ど真ん中にある夜間保育園、その名も「にしぐちほいくえん」が舞台。そこで働く人々と 子供を預ける親たちが織りなす人生模様、それを笑いと涙で綴る感動作。

保育園だが、大人びた子供が1人登場するだけで、基本 子供たちは登場しない。それでも そこが保育園であることが自ずと分かる演出が素晴らしい。そして保育園が抱える問題は時と場所に関係なく、そこで働く人と親にいろいろな問題や課題を負わせる。特に深夜保育というだけあって問題は深刻なはずだが…。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は 左右対称の壁棚、上手にBOX、その中には ぬいぐるみや絵本がある。壁には三角帽のライトが灯っている。上手に「にしぐちほいくえん」の名、ミニ滑り台等の遊具が置かれている。時期によってクリスマスツリーが飾られる。

登場する保育園のスタッフは、園長と女性保育士の2人だけ。親〈子〉は女性看護師〈4歳児〉、ゲーム店 男性店長〈3つ児〉、そして水商売の女性〈生後3ヵ月〉で職種や抱える事情は区々である。因みにこの保育園は認可・無認可の括りでいえば後者になる。何年か前に「保育園落ちた日本死ね!!!」という匿名ダイアリー投稿が話題になったが、さり気なく待機児童ー社会問題にも触れる巧さ。

この保育園では親の仕事を見させる・・授業参観ならぬ仕事参観というイベントも用意されている。しかし、さすがに子供たちには見せられない「大人事情」、そこに夜間保育という設定の妙が活きてくる。保育園だが、大人びた4歳児を除いて、子供たちは登場しない。しかし暗転時には子供が遊び騒ぐ音響が流れる。そこに保育園 本来の主人公である<子供>の存在を潜ませる。そして4歳児を子供代表として 登場させることで<子供不在>にさせない。そして純粋な質問を大人に投げかけ、絵本の読み聞かせでは 教科書通りにいかない といった柔軟さの必要を問う。

子は親を選べないーではなく ちゃんと子は親を選んで生まれてくる。これは園長の悲痛な叫びである。子が可愛くない親などいない、子のために必死で仕事をする。ただ必死のあまり違う方向に行ってしまう。間違いは正す、親の責務とは に言及するが、そこは青春事情らしく教訓臭くせず笑いと涙で被う。この感動シーンには、優しく包むような音楽が流れ心情を後押しする。総じて音響 音楽は控えめであるが、効果はしっかり果たす。
『キレナイ/Dear Me!』

『キレナイ/Dear Me!』

ラゾーナ川崎プラザソル

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2023/01/21 (土) ~ 2023/01/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め 【キレナイ】
いろいろな意味で「キレナイ」人々を優しく、そして温かく見守るような物語。舞台は川崎にある美容室「PAZ」、そこで働く人が抱える青春事情ならぬ「精神事情」を問題として負わせる。しかし、けっして乗り越えられないコトではなく、それを克服しようとする姿が共感と感動を呼ぶ。

この美容室、あまり流行っていないというが、逆にそれが客の一人ひとりと向き合える時間になっている。店の人々と客との面白可笑しい会話がテンポ良く展開していく。

全体を通して癒やしと逞しさ。コロナ禍という閉塞状況だからこそ、この公演からは、地域に根ざし明るく強かに生きていく、を強く感じる。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は左右対称の壁棚、中央奥はスタッフルームがあるようだ。上手に店名「PAZ」が掲げられ、下手に受付カウンターがある。メインは美容室らしい椅子2脚が客席側を向いている。全体的にスタイリッシュな印象。

「キレナイ」は勿論、美容室らしく髪を切れないが描かれるが、それ以外に血縁・地縁そして恋愛(腐れ縁?)といった諸事情を登場人物、特にスタッスに負わせる。それを美容室に通ってくる客との会話やスタッフ同士の気遣いや励ましで乗り越えようとする。時に誤解や心配をかけるが、登場人物はすべて善人で見守るような。人は周りの状況・環境に左右される。それを結婚適齢期<死語かも>らしき男女の結婚観を通して可笑しく描く。その周りの視線が店長の問題にさり気なく絡んでくる。

店長の実家は静岡で美容室を営んでいる。20年前に家を飛び出し帰ってはいない。店長の仕草から、容易にLGBTQの問題を抱えていることは分かる。今でこそ少しは理解が進んだと思われるが、20年前の地方都市ではどうだったか想像に難くない。バイトの女の子は親(特に母)の干渉に堪えられなく、家出をしたが…。

店長の実家の事情もあり、この美容室の存続が…。スタッフの思いは複雑で、この地に馴染み客との触れ合いで自信もついてきた。入店当時は客とのコミュニケーションも苦手だった人も成長してきている。色々な「キレナイ」中で、案外 親しんだ場所から離れることが出来ないことが垣間見えてくる。
血の婚礼

血の婚礼

劇団東京座

中野スタジオあくとれ(東京都)

2023/01/19 (木) ~ 2023/01/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

未見の作品だが、戯曲の力…その物語性としての魅力 面白さは伝わってくる。しかし、それを十分に表現できていないところが勿体ない。話の展開は、構成(場面転換)の上手さも手伝って理解出来るが、その場面で描くべき内容の印象が弱く、物語の奥にある人の情念のようなものが感じられない。

舞台美術は手作り感あるもので、過去公演と同様に工夫を凝らす。特に今回は暗幕と白シーツを巧みに使い、妖しげな雰囲気を漂わしつつ、現実の生活(食事など)を表す。普通の人間が或る出来事(事情)によって、いとも簡単に起こした悲劇。それゆえ、台詞を含め 生身の人間むき出しの感情表現が求められる。台詞は時に詩の朗読のようであり抒情的に演じていたのかも知れないが、棒読みに聞こえた個所があり残念だ。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は暗幕で囲い、上手 下手にオフホワイトの衝立、そこに食器の絵柄塗。冒頭は中央にテーブルと椅子が置かれている。場転換毎にテーブルや椅子を動かし場景を変化させる。薄暗がりの中での場転換<移動>、その際 聞こえる小声の指示は花婿の母らしく、物語〈時間〉の流れを途切らせない。
なお、客席は下手側のみに 間隔を空けて設えてある。

舞台はスペインのアンダルシア地方。婚約した男女が互いの家族の期待を背負い結婚式を迎えようとするが、そこに花嫁の昔の恋人・レオナルドが現れ花嫁を連れ去ってしまう。が、まだ花嫁にも抑えきれない情愛があったのだろうか、抗うことなく付いて行ってしまう。花婿は2人を追いかけ森の中へ…そして悲劇の結末 というもの。レオナルドには妻と生まれたばかりの子がいる。なにより花嫁とは従兄妹同士である。血の宿命、燻り続けた果ての激情愛、地の因習<赤い糸 毛玉で表現>などが絡み合い重厚なドラマ。今の時代に圧倒的に足りない、生身の人間のむき出しの熱情を舞台上から浴びる、そんな情熱的な作品を期待したが…。

結婚式、中央上部に花飾りされた十字架、しかし周りは暗幕、白いシーツを交差させると何となく鯨幕のようで不吉。祝福と弔意が入り混じった情景こそが、これからの悲劇を暗示している。集まった人々は酒宴に浮かれ、レオナルドと花嫁は行方を晦ます、こちらも楽と苦という相反する光景を描くことで 今後の展開に関心を持たせる。

演技は、坊主頭に痩せこけた身体 近所の住人役・穴山ジョウジ氏が印象的である。如何にも怪しげで陰湿な感じ、よろよろと浮遊したような足取りはこの世の者とは思えない。物語には死神が登場するらしいが、まさに そんな感じである。

ラスト、女優3人が抒情豊かに謳い上げる台詞、それが ただ読んでいるだけで情感が伴っていないよう。そこは夫々<花婿の母、花嫁、レオナルドの妻>の立場で嘆き悲しむ、もっと言えば怨嗟があってもよいのではないか。けっして綺麗ごとではない人の情念を感じさせてほしかった。
次回公演も楽しみにしております。
かもめ

かもめ

サブテレニアン

サブテレニアン(東京都)

2023/01/14 (土) ~ 2023/01/15 (日)公演終了

実演鑑賞

上演言語は韓国語、中央上部に字幕が映されるがト書きも含めた説明程度である。台詞をほとんど字幕にしていないことから、「かもめ」を観たことがある、または韓国語に堪能でないと 観劇は難しいのではないか。自分は何回か観ており、話は知っているつもりだが、それでも…。

「板橋ビューネ 2022/2023」の一公演として、韓国の東新大学校ミュージカル実用音楽学科の学生が朗読と独特なパフォーマンスで聴き観せる。身体的な動きは視覚で確認できるが、言語となると容易ではない。日常会話ではなく、演劇としての言葉<台詞>であり、独特な言い回しがある。勿論、日本語での「かもめ」でも、劇団〈公演〉毎の脚色があり、色々な演出によって違いを表現している。それゆえ時代や場所に関係なく、底流にある問題を見据えて長い間上演し続けられている。その最大の魅力は言葉である。例え韓国語上演であっても、もう少し字幕で補って場景を豊かにしてほしいところ。

「かもめ」は新旧の芸術論<方法論>の間で揺れ動く心の葛藤だろう。それを冒頭コスチャが自分の台本を投げ捨てるところから始まる。既成の芸術に敢然と立ち向かいマンネリズムを批判する。その過程の苦悩、一方 現実に立ち現れる恋愛に翻弄される別の意味での苦悩が描かれる。そんな味わい深い作品は、台詞の一言一句から感じられるもの。例え それが語感として聞き取れなくても、せめて物語の展開が分かるだけの字幕があれば…。

アフタートークで、演出のムン・チャンジュ氏は、朗読には台詞以外にト書きも入れていたと言う。その違いを学生(演者)がどう表現するか ということも聞き所であったらしいが、自分はそれ以前の問題であった。かつて韓国に留学とまではいかないが、遊学した程度の語学力では到底理解できなかったのは、自分の力のなさを嘆くしかない。
(上演時間1時間10分)

ベルを鳴らさなきゃ!

ベルを鳴らさなきゃ!

Route

北池袋 新生館シアター(東京都)

2023/01/13 (金) ~ 2023/01/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

物語は、ホテルのフロント そこに配属された新人ホテリエを通して、接客の難しさ、同時に楽しさ、遣り甲斐を見出すといった成長譚。
冒頭は、先輩社員が配属された新人3人に自己紹介とホテリエになりたかった理由を聞くシーンから始まる。少し硬い感じもしたが、このホテルへの就職<志望>動機を聞き出すことで、後々の接客シーンに繋げる上手さ。

一方、ホテリエならずとも 人としてどうなのかという問題行動・行為が気になるところ。気になるのが、ホテルという安心・安全を提供し宿泊してもらう、一方、客にしてみれば、いわば命を預ける場所である。そんな業種で行っていることに違和感を感じる。それが例え 笑い所であろうとも。むしろそこを笑い所にしているが…。
(上演時間1時間15分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台セットはシンプルで、下手にホテルカウンター、その上にベルが置かれているだけ。ホテリエとしての登場人物は、新人(男1人、女2人)、そして教育係の男性社員が1人。それぞれの志望理由は、幼い頃、家族旅行で来たこのホテルの印象が良かった、何らかの出会いがあるかもしれない、実家から近く通勤に便利であった、など様々である。高尚な理由だけではなく、現実的な理由が あるある感を思わせる。

宿泊客は、新婚、恋人同士、家族連れ、訳あり女性1人、ゲームオタクといったありそうな客層<構成メンバー>を登場させる。近場の観光名所・観光スポット、さらにはホテル内の食堂、プールがある場所を尋ねるといった有り触れた光景を点描する。そのうち新婚や恋人同士の痴話喧嘩やゲームに関わるマニアツクなトラブル等、同時多発的な問題への対処に追われ出す。初日のフロント業務にしてはなかなかハードな、そんな中、家族連れの娘が行方知れずに…。その対応にクレームが、そしてホテリエは苦境に立たされる。

気になったのが次の2点。
第1に、色々なトラブルは、覆面オーナーの仕業であったこと。勿論 子供の行方不明も仕組まれたこと。客を装わせた人々を使って、フロント ホテリエがどう対応するか試す。今回が初めてではなく、時々行っているらしいという伝説の新人教育。しかしこの試し騒動によって真の客へのサービスが低下しないのか。真の客に迷惑をかけないため 綿密な打ち合わせをするのではないか。

第2に、真の客であった訳ありの女性、実は失恋という傷心旅行でやって来たが、ホテリエの手違いで部屋に花を飾ってしまった。女性は花=失恋を連想するという苦い経験がある。手違いをしたホテリエ〈出会いがあるかも〉に責任を押し付けるかのように、失恋を癒すため 気があるような素振りをさせる。公私(混同)を忘れたかのような…。

新人以外は、全員が仕掛け人であったほうが まだ良かったかも知れない。笑い所ということは分かるが、何となく釈然としない。
次回公演も楽しみにしております。
無人船

無人船

劇団 枕返し

中野スタジオあくとれ(東京都)

2023/01/13 (金) ~ 2023/01/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

シンプルな舞台美術だが、物語は迷宮・幻想を思わせるような内容である。その世界観が何なのかが 公演の肝であろう。この船は何処にいるのか、そして動いているのか否か。冒頭、舳先にどこともなく現れた人魚が座り、歌声を披露する。その美しさに誘われる様に次々と現れる人々、さらには妖怪までも…。
人魚は精霊・妖精なのか、それとも怪物・妖怪なのか。ここは、人魚伝説にある美しい歌声を聴いた船乗り・航海者は舵を取ることを忘れ船が事故に遭ったり、海中へ引きずり込まれたり、廃人同然の状態と化して人魚の住まう島に赴いて歌を聞き続ける、を連想した先にある難破船のようだ。

タイトル「無人船」…或る思いが募ると船が現れるが、その思いがなければ迷い込むこともない。しかし、人は思いを封じ込めておくことは出来ない。それこそが心の迷いであり、悩み苦しむ姿をした船のようだ。だから人が現れたり消えたりするという不思議な世界が出現する。

さて、当日パンフに主宰の喜三太拓也 氏が「未だ収まらぬパンデミックに、吹けば飛ぶような枕返しは大きく翻弄されています。不規則な波、まだ見えぬ光、そして軋む船体」とあり、船に重ねて苦悩の状況を記している。が、それでも「命を懸けた悪ふざけを体感して」とある。その自信と熱意が十分伝わる公演である。
(上演時間1時間25分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

船体の左舷、その奥に平台がいくつか重ねられているだけ。船名は「深水丸」。
人魚の歌に誘われる様にヒロインの深海藍子が、幼い頃の朧げな記憶を手繰り寄せる。誰もいないと思っていた船に次々と人や妖怪が現れる。警察官の種田、その部下の篠崎、種田の不倫相手・はらみ、帽子の子供、おさげの子供、妖怪の河童やアマビエ、何故この船に集まてくるのか。

自分の素直な思いを伝えられない、その逡巡する気持が心の迷いになっている。その思いが重くなると無人船に迷い込む。逆に、思いを伝えることが出来れば、その成否は別にして現世に戻れる。それまでの気づきの過程を面白可笑しく描いた、一種の成長譚のようだ。
そして伝える相手は、親子であり、恋人といった身近な人。傍にいるのが当たり前と思っているが、実は本音をぶつけなければ分かり合えない。それを妖怪(河童)と子供たちの相撲というウィットある表現で描く。

もう一つの謎、藍子はどうしてこの船にいるのか、そして船の持ち主である父の存在、さらには藍子の幼馴染で漁師見習いの小森との関わりは…。こちらはサスペンス ミステリーといった描き方で、先のラビリンス的な描きと交錯させ関心を惹かせる巧さ。家族ゆえの愛憎、それを覗き見た小森の悲哀。こちらは気持の清算といった心の在り様が問われる。個々の話は面白いが、全体を貫く太いテーマのようなもの、芯が暈けているのが残念だ。

舞台技術、特に上演前のさざ波、ラストの波濤といった船に因んだ音響が効果的だ。手作り感ある舞台美術と相まって ぬくもりのある雰囲気がとても良い。
次回公演も楽しみにしております。
Dramatic Jam 4

Dramatic Jam 4

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2023/01/13 (金) ~ 2023/01/19 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

チームD観劇。
上演順は「紙風船より」「はこをつくる」(両 脚本・演出は池田智哉 氏)であるが、敢えて記載順は逆にする。この二作品を上演する意味を考えてみると、岸田國士〈作品〉へのオマージュであり、時代の要請でもあるような。
(上演時間1時間10分) 追記予定

ネタバレBOX

舞台美術は、両作品ともテーブルと椅子のみ。それを移動、配置変えすることで状況を表出する。

「はこをつくる」は、「箱」⇨「劇場」を造るであるが、その場所はどこか。今(2023)年は東日本大震災から12年目、その「はこ」は 石巻復興の証でもあるような。一方「紙風船」は岸田國士の作品として有名である。公演は「紙風船」上演にあたっての〈読み合わせ〉稽古、そう劇中劇の体裁である。
岸田國士は渡仏(遊学or留学)経験があり、帰国した1923年に関東大震災が起き、奇しくも今年は100年目にあたる。そして翌(1924)年に築地小劇場が竣工している。

箱物は無用の長物か否かということは別にして、劇中で話し合う〈大学の課題レポート〉、それが夢の実現に向けて といった内容である。「はこをつくる」は、女性二人の語りで約7年間を紡ぐが、内容の一部は池田智哉氏の実話だと言う。その意味では虚実綯い交ぜの話である。はこ がある石巻で近々 演劇祭…「シアターキネマティカ短編演劇」があり、この作品を上演〈予定〉するとのこと。
ある生き物

ある生き物

中央大学第二演劇研究会

studio ZAP!(東京都)

2023/01/12 (木) ~ 2023/01/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

学生演劇は あまり観ないが、「舞台の演出の都合上、一部暴力的、性的な描写が含まれますが、ご容赦ください」の文句に惹かれ、どこまで描くのか興味津々だった。
典型的なノワール劇で、野球で言えば速球のストレートプレイであり、変化球はない。冒頭と最後のシーンから、もしかしたらと思ったが、力で押し切った感がある。

さて、観劇回以降は「座組内に体調不良者が出てしまったため、誠に勝手ではございますが、本日18時からの公演を中止とさせていただくこととなりました。」とある。観応えのある公演だけに残念だ。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、比較的小さな劇場にも関わらず、しっかり作り込んでいる。舞台となる「アンリーブモン糸井」というアパートの一室。全体はオフホワイトの壁に囲まれ、中央に出入り口、上手側は押入れ、トイレと浴槽の順、中央は畳敷きに卓袱台、下手は台所がありシンクや食器棚が置かれている。上部には引き戸<窓>のような。実はこの狭い場所から出入りし、室内に飛び降りるシーンが何回かあり、緊迫と躍動感を生む。

児童養護施設出身の少年 宿内真己22歳が主人公。冒頭はカメラを三脚に付け自撮りしているシーンから始まる。いずれは映画製作をしたいというのが夢である。ある日、彼はアパートの管理人で隣室の糸井ひば里36歳の息子を自室に連れてくる。息子は発達障害児のようで言葉や体が少し不自由である。母親は息子を虐待しているのか、時々叫び声が聞こえ助けたつもりでいる。真己と少年は一緒に暮らし始める。虐待と思われる行為が熱湯をかける、フライヤーの赤い背中がそのイメージである。

ある日、養護施設の施設長の丸岡田五郎がやって来た。そして田五郎は少年を母親のもとへ返すように説得するが、真己はこれを拒み…。
物語は真己が少年に優しく接し、穏やかな日々を過ごす場面と、母親の狂気や丸岡との遣り取り、更にどこから話を聞きこんだのか、人の弱みに付け込んだ悪徳金融の出現など、緊張と緊迫ある場面の緩急ある展開が観る者の関心を引き付ける。

少年がいなくなったことを自らリークした ひば里はその情報提供の見返りとして報酬を得る。人の意地汚い根性と社会 正義面(づら)したマスコミを糾弾するかのような描き、その両面を見事に切り取っている。真己が何となく同じ境遇<親からのネグレスト>の少年を助けたいといった単純な行為が思わぬ方向へ…。

段々と追い詰められていく怖さ、それは自分の独善と人の悪意、社会<世間>という顔なき存在に脅かされての成れの果てのよう。その結末は捻りもないストレートな、そう誘拐犯として逮捕というもの。鳴り響く教会の鐘の音ー荘厳な音楽を聞くような印象だ。
実は、終盤にマスコミ<逮捕までの実況中継>が入ったあたりで、冒頭の自撮りシーンによる劇中劇のような結末をも連想したが…。それによって劇風が悲劇にも喜劇にもなる、そんな奇知も感じさせる秀逸な作品。
次回公演も楽しみにしております。
ミュージカル『CATsLa』

ミュージカル『CATsLa』

呼華歌劇団KOHANA

すみだパークシアター倉(東京都)

2023/01/13 (金) ~ 2023/01/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ミュージカル『CATsLa』…「まだ出会えていない新しい猫の物語を紡ぐミュージカルファンタジー」という謳い文句だけあって、物語を展開していくための演出が見どころであろう。擬人化したネコのメイクや衣裳、或る場所を表したファンタジー風の舞台美術・小物等が眼を楽しませてくれる。同時にグランドピアノの柔らかい生演奏(ピアニスト:海老根晃 氏)が優しく包むような雰囲気を漂わす。

ネコの或る世界観を通して人間との関りを温かく、時に厳しく断じるような描き方によって、今の「動物愛護の在り方」を考えさせる。人間には「人種」があるように、ネコにも「ネコ種」がある、同時に性格も一匹ずつ異なる。それをメイクや衣裳の違いで表す。勿論、生き方も様々であるが、そこには人間とは決定的に違う<関係の重要性>があることを強調している。そう 飼う飼われるという関係、確かに人間の歴史を遡れば合法的に売買(飼)していたこともあるが…。

前半は、ネコの種類や人間との歴史的な関(繋が)りを、後半は、迫り来る危機に立ち向かう様子という緩急ある展開。その意味<流れ>ではオーソドックスな劇作と言える。或る世界観は早い段階で明らかにし、その上で 生と死、現実と幻想、さらに人間(飼い主)との関わりーーそこに観える運命の残酷さ、滑稽さ、切なさ、そして生への微かな希望を描く。

地球の路地裏がネコの国、いつの間にか月の裏側にあるネコの国へ という説明から推察できるように〈非現実〉の世界。女優陣が煌びやかな<ネコ>衣裳で踊り、歌いという楽しませ方であるが、そこに描かれている〈現実〉は重い。それを表層的にはあまり感じさせない演出、そこに全く新しいミュージカルとしての魅力を秘める。それを支えているのが、ネコのショーブリーダーの監修、劇団四季の出演者にネコ所作のサポートを依頼する、そんな細かく丁寧な対応が実を結んでいる。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし)追記予定

燦燦SUN讃讃讃讃【1月7日~9日公演中止】

燦燦SUN讃讃讃讃【1月7日~9日公演中止】

かまどキッチン

こまばアゴラ劇場(東京都)

2023/01/07 (土) ~ 2023/01/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

少し難解かも知れない⇨終演後 客席の囁(呟)き。説明にあった「一筋縄じゃいかない扉一枚先のフィクション!」は誇張ではない。クローゼットの中の服を擬人化して、その服が持つ特徴とでも言うのか、表現が難しいコトを表出していく。二項対立というほどではないが、何となく比べるような。

登場キャラクター<冒頭>は、白いTシャツ、Yシャツ、赤シャツ、青シャツ、黒シャツ、浅草で買ったシャツ、タンクトップ、そして???である。始まりのシーンは、何となく青春ドラマで見かける桟橋での別れを連想する。が、マイクでの歌や ラップを踏むような語り掛けから、季節の変化…衣替えの様子を説明。そこには必要・不必要という用途、さらには着合わせ〈コーディネート〉といった色使いの多様性ある服が重宝されるという“必然の区別”が生まれる。

クローゼットから出る…外出する服とクローゼットで眠り続ける服、その悲喜交々が垣間見える。同時に現状「維持」か「変化」するといった服、そこに流行という目に見えない壁(違い)が出来てくる。冒頭、登場キャラクターの色合いの意味するところを説明するが、そのうち「制服」と「改造制服」という常態と狂態の違い、そこに一律ではない個性を描く。それこそが流行と言わんばかりである。

服というキャラクターだけに「洗濯」と「選択」を掛け合わせた洒落た台詞。流行=選択される服だが、何らかの制約によって選択肢がないのが制服。没個性と声高に訴えてみたところで、他者が賛同してくれなければ、ただの変わり者になってしまう。公演は実に微妙な所を突いてくる。

奇妙な観〈着〉せ方であるが、説得力があり印象に残る。それは舞台美術の構造というか機能と相まっているよう。そこにクローゼット内で巻き起こるドタバタ活劇…画一性と多様性が混在し、それが必然であり矛盾するといった混沌とした世界観が立ち上がる。ただ全体的に表現が未消化…all-or-nothingのようで 間口が狭く感じられたのが勿体なかった。
しかし、何となく鋭さを感じさせるため、今後も注視したい。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)追記予定

ほおずきの家

ほおずきの家

HOTSKY

座・高円寺1(東京都)

2023/01/11 (水) ~ 2023/01/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い お薦め。
脚本・釘本光さん、演出・横内謙介さん ということで楽しみにして観に行った。物語も面白いが、舞台美術が素晴らしくラストの演出効果を見事に引き出していた。そこにフライヤーの絵柄の意味合いが込められている。勿論、波の音などの音響、適宜 諧調していく照明、その舞台技術も印象的である。

フィクションとノンフィクションの境界線上にありそうな内容、いつの間にか異なる国籍・文化・境遇を乗り越えて、そんな感動作である。「ほうずきの家」は、九州の海沿いにある街の食堂の話である。亡くなった恋人の忘れ形見(一人娘)と暮らす女性、そして彼女を取り巻く人々との温かい交流。いつの間にか大切な人と共に生きていたい という思いを強くさせる。人種・性別・年齢など様々な違いがあっても、それでも共に生きていけるは、どんな誤解や憎しみよりも強靭な愛情へ昇華していく。

物語は、過去と現在を往還し 時代が変わっても信じることの大切さを伝える。そのことは 街の活況・衰退・復活といった様子の変化を描くことで、より一層 人の心の変わらない愛を印象付ける。殺伐としがちな現代社会、とりわけコロナ禍という閉塞感ある状況に温かい希望の光を灯すような…。

一方、食堂の女主人の亡くなった恋人、生前の彼の思いは差別・被差別という理不尽な世の中への怨嗟にあったのではないだろうか。今でも在る様なコトへの批判的な観点、きれいごとでは済まされない、といった思いを強くする。それは登場する人物の国籍等だけではなく、この国にいる全ての人に当てはまるのではないか。登場するのは皆 善人である。悪意(人)を潜ませることによって 逆に強調される不条理、そんなリアルが垣間見えたら、劇的にはどうなのか と思ってしまう。

理不尽な理由による別離、哀しい運命に翻弄された男女の愛の行く末が、一人娘の成長によって救われる。親(父)の愛情を知らずに育ち、不器用だが懸命に生きる娘の複雑な心情、それを温かく見守る母、それを情感たっぷりに演じた母の凪・みょんふぁサン、娘の真波・七味まゆ味サンの演技が素晴らしい。また2人を取り巻く個性豊かな人々と 街の風景(舞台美術)が相まって風土を巧く表していた。観応え十分。
(上演時間2時間 途中休憩なし)追記予定

恥ずかしくない人生

恥ずかしくない人生

艶∞ポリス

新宿シアタートップス(東京都)

2023/01/07 (土) ~ 2023/01/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
自分に信念がないというか、嫌われるのが怖く いい子ちゃんとして育った女性とその周りの人々の人間模様を描いた物語。彼女の職業が留置所の留置担当官という設定が秀逸。そこにある檻は、自分の心の囚われの象徴である。逆に檻の中の被疑者の心は自由奔放といった対比で描いており、そこに見えない心の檻と実際にある檻の奇妙な面白さを表現する上手さ。

この留置所担当官(部長) 真山カヲル子役は、当初、今藤洋子さんが演じる予定であったが、稽古中の事故で降板した。そのことは劇団ホームページや本人のTwitterで知らせている。その代役として観た回から関絵里子さんが演じていた。前説では、急遽のことであり 台本を手に持っていることを説明していたが、敢えて言わなくても、何となく関係書類を持っているようで不自然さはない。逆に妙なリアリティが出るという演出の妙を感じる。

タイトル「恥ずかしくない人生」<フライヤー絵柄も囚われのよう>は、警察官であった父の最期の言葉、そのトラウマが心を縛り付ける。真面目に生きようとすればするほど、その呪縛に囚われ、逆に人に利用されるといった悪循環に陥る。それを留置所ではあってはならない「パワハラ」という台詞に集約させる。留置所という場所は打って付けの設定であり、更に 登場する男2人の身勝手さを描くことで女性の悲哀が…。色々な意味で対比させる事を描くことで、そこに内在する問題や課題が浮き彫りになる。

舞台美術も見事で、冒頭は留置所の外と内(職場)を表し 人間臭さ(衣裳を含め)ーそこに生身の女性を強調させているかのようだ。そして徐々に蝕まれる心の均衡、それは天井部の格子が…。実に緻密に計算された演出だ。そして 彼女を追い詰める職場の仲間や被疑者の面々、そのキャスト陣の確かな演技がこの公演を支えている。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし)追記予定

なまえ(仮)

なまえ(仮)

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2023/01/06 (金) ~ 2023/01/09 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

タイトルは「なまえ(仮)」であるが、どちらかと言えば「ことば」が持つ不思議な 力を色々な角度から切り取り、少し考えさせるような短編集。「ご観劇アンケート」には、それぞれにタイトルがあるが、すべて(仮)が付いている。各編ごとに繋がりは感じられないが、全編を通してみると「なまえ」という名の「ことば」が浮かび上がる。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は暗幕で囲い、冒頭は中央にテーブルと椅子、簡易な梯子段が置かれている。暗幕には切り紙に文字が書かれている。しかしモノやヒトに与えられた言葉だけではなく、例えば「明日」という示す単語が書かれている。

さて、短編のなまえ(仮)と構成は次の通り。
①「外科医(仮)」
小学校教師の胃痛を執刀する医者の名(苗字)が「藪(やぶ)」、その語感から手術に対する不安が生じる。医術的なことより先に、名前が重要だと言わんばかり。人格や技術等は名前と関係ないが、外見的なことに拘りが出るというオーソドックスな話。
②「電話(仮)」
この作品はほとんど印象になく、例えば女性は婚姻によって姓が変わる。それによって姓・名の語呂が怪しくなる場合もあると。これって夫婦別姓への問題提起か。
③「私の伯父さん(仮)」
「ワーニャ伯父さん」を劇中劇仕立てにしており、伯父と姪の なさぬ恋のよう。「なぜあたたは伯父さんなの?」という台詞は「ロミオとジュリエット」の「ああロミオどうしてあなたはロミオなの」のパロディで、「家なんて関係ない、その名を捨てて私を愛して」に通じる。
④「わたしの珍さん(仮)」
中華飯店で働く男、その名もチンさん。語感だとどの漢字のチンさんか判然としない。揶揄われることに嫌気がさし、衝撃の告白。本当の名は別にある。外国人が日本人の名前を買うには高額すぎる。だから”珍”さん、何ともシュールだ。
⑤「大根の畑をぬけて(仮)」
電車内、失恋した女性の悩みを聞く男。世の中にはもっと辛い思いをしている人がいる…夫が事故で生き埋めになり、日々名前を呼び続ける女性の話。それ自体良い話だが、失恋女性が「神父さん」と呼ぶが、自分は「牧師」ですと返答する。そこには厳然とした違いがあるという。
⑥「金はあるんだ(仮)」
アベックが高級貴金属店で買い物をする。男は女のためにGUCCIの指輪を購入するが、店員は それをロゴなし袋に無造作に入れる。アベックは、品物に相応しい(見せびらかす)袋を用意しろと…。目に見えない袋を用意され、は 宛ら「裸の王様」の寓話のようだ。
⑦「市民土木課の一日(仮)」
市民課と土木課の統合で生まれた新設課。配属された人の中に元恋人同士、その喧嘩や日和見の新人の言動を面白可笑しく描く。が、ほとんど関係のない課を一つにし市民蔑ろの行政、ここでは どちらの名を先にするかが問題。銀行の合併じゃあるまいしは辛辣。また「課長」<権威>という呼称は、個人の名とは関係なく歩き出す習性の怖さ。

各編ごとに 「なまえ」という切り口で緩い寓話らしきものを垣間見せる巧さ。その内容は多義にわたり面白可笑しく観せるが、全体的に軽めな印象である。もともと「新春ふんわり公演」ということであるから、無理もないか。
全体を貫く共通した「思い」が伝わると、もっと印象深く味わいある公演になったのではないか。

演出は各編によってテーブルや椅子の配置を変え、シンプルであるが状況を表出する。同時にキャストは衣装替えをし、観せる工夫をする。特に「市民土木課の一日(仮)」は下手に課長席(階段状で少し高い)、そして課員は横一列の椅子。何となく映画「家族ゲーム」を連想、もともとは演劇的な画面設計であるが新鮮味を感じた。勿論、音響・照明などの舞台技術も効果的な役割を果たしていた。薄暗がりの無人舞台、暗幕に貼られた切り紙が光っているような、畜光塗料の細工があったのだろうか。実に幻想的な光景であった。
次回公演も楽しみにしております。
獄中蛮歌

獄中蛮歌

生きることから逃げないために、あの日僕らは逃げ出した

四谷OUTBREAK!(東京都)

2022/12/28 (水) ~ 2022/12/29 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、パワフルな公演で、その熱量に圧倒される。
「生きることから逃げないために、あの日僕らは逃げ出した」は逆説的な言葉にすることで、現状打破を試みる力強いメッセージ性を発している。勿論、監獄からの脱走は比喩であり、その獄中とは慣れ親しんだ居心地の良い環境(場所)、もしくは忸怩たる思い…そう自分のことだ。現状(維持)か反発(刷新)か、7人の葛藤を熱い語り掛けで(ラップを踏むように)展開していく。劇中、何回も繰り返す「脱獄しよるときさ 誰か俺の服 引っ張ってなかった?」は”葛藤”を表す台詞として実に印象的であった。

この7人は時代や置かれた状況は区々で、一人ひとりに負わせた問題や課題によって 普遍的とも思える味わい深い内容に仕上がっている。鉄格子前後で、行くのか留まるのか、その揺れ動く心情を熱く激しく ぶつける様な演技は汗だく。しかし不思議と清々しさを感じてしまう。満員の会場は、外の極寒とは対照的に異様な熱気に包まれていた。

メッセージ、そのテーマは一人ひとりの内なる「叫び」であり、それまでの生き様ーー未練・後悔・トラウマといった自分自身に囚われた牢獄(呪縛)から脱することを意としている。それを外見の奇抜さ、白塗り化粧の顔、横縞の囚人服といったインパクトある観せ方で観客の関心を引き、一気にその世界観へ誘う。

生バンドーーギター、ピアノ、ドラムが観客の心を激しく揺さぶる。役者の大声(叫び)と共鳴するようで、地の底から唸るような声と音のコラボレーションは迫力があり圧倒される。勿論、バンドメンバーは化粧も衣装も同じ、ただ鉄格子の中にいることだけが異なる。この公演はライブハウスという場所でないと、その効果的な観(魅)せ方が出来ないのではないだろうか。そこに何となくコアなファンだけの<公演>になっているようで勿体なさを感じる。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)

青春の殺人者 令和版

青春の殺人者 令和版

アクターズ・ヴィジョン

梅ヶ丘BOX(東京都)

2022/12/22 (木) ~ 2022/12/30 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「青春の殺人者」は、実際に起こった事件に取材した芥川賞作家中上健次の小説『蛇淫』をもとに、両親を殺害した一青年の理由なき殺人を通して描いた特異な青春像。当時、内容や演技〈水谷豊、原田美枝子、市原悦子、内田良平など〉が話題になった映画だ。

公演は それの舞台化(令和版)、概要は映画のような展開である。勿論、映像と演劇という表現の違い、しかも47年前の映画である。比べるのも どうかと思ったが、説明に「映画史上に鮮やかな傷跡を残した伝説的映画」とあり、そのシナリオを改変して描いた とある。何となくではあるが、青春期の鬱屈もしくは無為的な生き方が伝わらないのが少し残念。精神面の描きが弱いが、逆に視覚として観せる親殺しの血〈肉〉体的なシーンは刺激があった。それをシンプルな舞台セットや衣装によって印象的に観せる巧さ。
また、映像画面によるアップの細かな表情には敵わないが、肌で感じる熱量や息づかい、その臨場感は生の演技〈芝居〉でなければ味わえない。

田村孟 氏の「傑作シナリオと格闘して出来た本作、現代の若者の在り方を考えるための一助になれば」とあることから、少し辛口になるが 気になったことを…。

死体を遺棄した後、車内での会話があまりにも淡々としており、気持の昂ぶりや これからの逃避行といった先行きの不安が伝わらない。殺人と逃避行を繋ぐ場面、そして回想へ といった構成の妙が活きてくる重要な場面でもある。また映画では、時代背景として学生運動や成田闘争を経ても、 社会〈世間〉は何も変わらないし、変えられないという絶望と無力感が垣間見えた。令和版ならば、コロナ禍という閉塞感を青春期の無為もしくは虚無感に重ね合わせるなど、別の観点でもっと尖った観せ方でもよかった。設定がスナックという飲食を伴う場所だけに なおさらである。

舞台では、映画の火事場シーンは描き難いと思うが、逆に これからの二人の道行きに余韻を残し 印象付けていた。
演技は激昂、悲哀、憐ぴ といった感情表現を観せるが、それでも穏やかな印象である。青春期の荒々しさ無軌道さをもっと強調してもよかった。全体的に温和しく無難な感じに仕上っていたように思う。
(上演時間1時間40分)【チームA】追記予定

ネタバレBOX

10月下旬、国立映画アーカイブで「長谷川和彦とディレクターズ・カンパニー」特集の1本として上演されたばかり。ただし初公開時のオリジナル版ではなく、公開翌年に再編集されたものであった。

本公演は、映画とは違い限られた情景描写で観せるため、舞台美術はシンプルにし役者の心象劇として描く。上手と下手にキャスタ付きの業務用棚3台、それを稼働させることで情景の変化と際立せ といった工夫をする。勿論、棚にはダンボールや工具といったモノを置き、場面ごとに使用する。

物語は衝動的に両親を殺した主人公・順と幼馴染のケイ子の虚無的な逃避行を描いている。理屈ではなく、感情の赴くままといった救いのない幼い恋愛のような物語であるが、逆にそれが青春期の理由なき苛立ちのように思え、共感を呼ぶのかも知れない。
ネバーランド

ネバーランド

星降る湯の花

GINZA Lounge ZERO(東京都)

2022/12/27 (火) ~ 2022/12/27 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

公演は三話「人生はラン&ガンガンガン‼ver.松原」「あわてんぼうのサンタクロース」「どこにもない国」のオムニバス〈同一作者だが〉と大喜利。

タイトル「ネバーランド」はピーターパンをモチーフにしているようだが、公演全体としては12月を意識した内容になっている。25日のクリスマス、27日がピータパンの日らしい(知らなかった)。そして一話目は全員のお披露目であり、サブタイトルにある松原瑚春さんの独壇場のような話。走りの RUNであるが、何となく楽しいランランランを意識した内容になっている。

すべての作・演出は湯口智行氏、それぞれのテイストが異なり間口の広さを感じさせる。「あわてんぼうのサンタクロース」は面白可笑しさの中に哀切と愛情を描いた感動作。「どこにもない国」はピータパンの物語で夢と希望の冒険譚、その中に少し怖さを内包している。
それぞれに登場する人物(役者人)の素の横顔を紹介しているのが、「人生はラン&ガンガンガン‼ver.松原」である。この構成が絶妙で、後々印象に残るような巧さ。
(上演時間2時間 途中<換気・転換>休憩10分)

ネタバレBOX

会場は「GINZA Lounge ZERO」、銀座7丁目にあり 音楽と食事をカジュアルに楽しむライヴハウス&レストラン。その空間の一角にある舞台での上演。「人生はラン&ガンガンガン‼ver.松原」は素舞台で、全員が横一列に並び走り続ける。クリスマス(イヴ)の日、彼(男)から誘いがあり、ソワソワする二十歳の松原さん。何か良いコトが起きそうな予感、そんな彼女に色々な人ー美容師・ネイリスト・着付けの人 等が関わってくる。物語(劇中)なのか現実の役者仲間としての絡みなのか、混沌とした世界観に可笑しみが溢れ出る。見た目も被り物で楽しませる。

「あわてんぼうのサンタクロース」は、普段 レストランで使用しているテーブルと椅子をセットとして利用する。クリスマス時期にも係わらず、忙しく仕事をする鹿野俊輔(寺島八雲サン)、家には小学3年生の一人娘・千尋(松原瑚春サン)が待っている。この娘がサンタに頼んだプレゼントは、父に休みを与えてほしいこと。母が亡くなり父一人で育てていることに対する感謝と心配する気持ち。それを手紙を読むという形で表す。学校の先生役・星宏美さんのさり気ない優しさが、ちょぴり切ない話を温かくする。始めにブラックサンタクロースが登場し、誘拐もしくはプレゼントを奪うという真逆の行為を描くが、いつの間にか滋味溢れる内容へ変わる。ブラック=企業(激務)という比喩だろうか。

「どこにもない国」は、ピーターパン物語。ちなみに ピーターパンの日は、1904年の12月27日に、イギリスの劇作家ジェームス・バリーの童話劇『ピーターパン』がロンドンで初演された日に由来するらしい。
さて、ピーターパンが住む世界は「ネバーランド」と呼ばれ、子供と妖精が住む夢の国だ。大人は 海賊フック船長などの一部を除き、大人はいない。それは大人になることを嫌い子供たちが大人になると殺していた らしい。ピーターパンが子供たちを誘っていながら、大人になったら意図的に排除していたよう。案外 ブラックなストーリーだ。物語とは別のところで、「ピーターパン症候群」という言葉を連想する。いわゆる 大人の年齢だが精神的には大人になり切れない。成長することを”拒む”の比喩として”殺す”であろうか。

表層的には、三話とも緩い笑いを含んでおり 甘味と苦味が入り混じった描き方である。今のクリスマス時期に合わせたような内容だが、単に 楽しくハッピーというだけではなく、少し捻りを利かせた物語にしている。そこが面白可笑しいだけではなく、印象に残るような…。
芝居(オムニバス)の後、大喜利で観客を楽しませる。舞台(役者)と客席(観客)の距離が近くなるような親しみある演出、何ともサービス精神に溢れた公演だ。
次回公演も楽しみにしております。
YEAR END MUSIC PARTY vol.2

YEAR END MUSIC PARTY vol.2

MPinK(ミュージカルプロジェクトin神奈川)

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2022/12/27 (火) ~ 2022/12/28 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

年末にパワフルな公演、来年に向けて元気をもらったような気分だ。

楽しさに包まれた2時間のミュージックレビューショー…音の力、人の力は本当に凄いし素晴らしい。そのコンセプトは「お客様〈観客〉も疲れる本番」だと言う。主宰の笹浦暢大 氏がMCを担当し、手拍子や無声による応援〈ポーズ〉を要請する。なかなかの盛り上がりをみせる。

あくまで、MPinKによる生バンドミュージカルコンサートであり、ミュージカル劇ではない。その代わりと言う訳ではないが、ダンス パフォーマンスはキレある表現、豊かな表情、そして様々な種類のバリエーション〈音楽含め〉が楽しめる。初めて観たが、魅力的な公演だった。
(公演時間2時間 途中休憩なし)

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