タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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大きな泡の巣の中で

大きな泡の巣の中で

ハグハグ共和国

萬劇場(東京都)

2024/11/07 (木) ~ 2024/11/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。さすがハグハグ共和国の公演。
タイトル「大きな泡の巣の中で」からファンタジーといった物語を連想していた。確かにフワッとし柔らかく捉えどころのない雰囲気の物語だが、その独特の世界観に潜ませた内容は強靭だ。童話小説のようであり寓話的な表現で観せており、ラストへの誘いは上手い。飄々とした中に、混交とした少女の夢想と現実。

少しネタバレするが、ここは「夢と現(うつつ)の挟間」で、どこかドリームランドのよう。役者のメルヘンチックな衣裳やメイクも楽しめる。ここで紡がれる話は、幾重にも重なり何が夢想で現実なのか、混沌とした世界の果てに見えるのは…。公演のエンディングは全部で3種類あり、自分が観た回はホッとさせる結末。ぜひ劇場で。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし) 【🌳回】 11.10追記

ネタバレBOX

舞台美術は、正面にドリームランドのような壁や扉、上手に木が逆さまになり上部は根っこのような形、下手は観覧車 ゴンドラを模ったオブジェ。舞台と客席の境の上手 下手に簡易テーブルと椅子があり、舞台(物語)を眺めるというか俯瞰するような。

全体的に浮遊感ある空間、そして この世界はどこかを説明する。それが「夢と現の狭間」であり、そこで描かれる幾つかの話が神話のようであり現実(史実)を連想させる。<木が逆さま>は、バベルの塔(空想的で実現不可能)の比喩であり 人の傲慢さを語る。また この地はあと僅かで滅び無くなる、その前に他の惑星に移住する必要がある。しかし、そこへ行ける人々は選ばれた人々だけ、まさにノアの箱舟(人々の堕落)だ。また場面が変わり、メルヘンチックな衣裳から黒っぽい制服、そして後ろ手にされガス室で倒れていく。アウシュビッツ収容所、ホロコーストを連想させる場面である。

今見ている光景は夢想なのか現実なのか、その曖昧な意識の下に自分が何者なのか、そして何をしているのか自問自答する。そしてドリームランドのような この場所はどこか。上手 にある椅子に主人公 浅葱涼芽が寝ている。一方 下手には萌葱が…。
登場人物の名は、ララ・ローザン・サンディ・ブランやリオン・メルクーア・ジョーヌ・ジャッロ・テールなどカタカナ、他方 手鞠グループの社長?、クリエイティブ会社の運営者?など 必ず<?>が付いている。この名前に重ねた世界観が捩じれて混沌としている。カタカナという童話小説、<?>という曖昧さ、この空想を現実に絡める巧さ。

見える光景は、環境や平和など人類が直面している問題ばかり。その現実を直視せず部屋に閉じ籠っていて良いのか。夢想の世界へ逃避したままで、といった鋭い指摘を投げかける。涼芽は歩き出し、正面(心)の扉を開けると、そこには眩い光が(自分が観た回)…。ちなみに下手の萌葱は涼芽の飼い犬、彼女の心に寄り添っていたような。
次回公演も楽しみにしております。
La Memoria del pueblo ~民族の記憶~

La Memoria del pueblo ~民族の記憶~

ARTE Y SOLERA 鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団

渋谷区文化総合センター大和田・さくらホール(東京都)

2024/11/06 (水) ~ 2024/11/07 (木)公演終了

実演鑑賞

国内で生のフラメンコを観るのは初めてだ。迫力あるダンスを9演目、いやカーテンコール後もサービス舞踊があり楽しませてくれた。特に音楽(カンテ・フラメンコ)が素晴らしい。スペインで観た時はBARのような狭い店の限られたスペースでのダンス、しかも移動日 当夜ということもあり睡魔との闘いだった。

本公演は、邦訳「民族の記憶」とあり、フラメンコの扉から人間の原郷を旅する作品らしい。フラメンコの技術的なことは分らないが、9演目は単独や群舞そして全員という見た目の違いだけではなく、ダンス自体の表現の多様・多彩性に魅力を感じた。当日パンフには「18世紀後半にこの世に生まれたフラメンコは、その形成においてスペイン古来の民謡・・・イスラム教支配における宗教音楽など、様々な文化の影響」とあり、その地域や伝統等が息衝いていると。

フラメンコは時代や地域の影響を受けながら構成されているよう。フラメンコの基本的な動きや表現を保持しつつ、伝統的な形式と現代的なリズム、調子、形式などの組み合わせを模索しているように受け止めた。それが「過去に、彼らの伝統と日本人である我らの芸術を掛け合わせ」とあり、その一端が垣間見えたような気がした。
次回公演も楽しみにしております。

ジキルの告白

ジキルの告白

ISAWO BOOKSTORE

サンモールスタジオ(東京都)

2024/11/06 (水) ~ 2024/11/12 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

説明は「1973年、有名な大学の助教授・大迫は、長きに渡り愛人として関係を結んでいた女子大生を別れ話の末に殺害」とあり、その結末は既に知らされている。公演は「悲劇的な運命を辿る大学助教授一家の姿を彼の周囲の人々の視点で描く」とあり、彼の家族や友人という個人的、そして大学という社会的、その2つの観点を巧みに織り交ぜて描いた好公演。

上演前から懐かしき歌謡曲が流れ、昭和という時代の香りを漂わせる。物語の中でも昭和時代の結婚観が語られ、今の意識との隔世の感を描き出す。興味深いのは、当時の結婚したら離婚しないという感覚(意識)の中に潜ませた真の理由が怖い。一方、漫画や映画で話題になった「同棲時代」という入籍に拘らない形態が現れ始めたのは、この時期ではなかったか。
冒頭と最後、 出演者全員でその時代の特徴的な事件・出来事を呟き、その時代を知らない者、または その時代を現実に生きてきた者、その幅広い世代に関心を持ってもらうような演出。同時に 物語としての掴みであり、最後は心象付といった効果を期待しているようだ。

本作は 本人ではなく、周囲の人々の推察的または客観的な心情描写になっていること、結末が分かっているため、例えば 前作「あなたはわたしに死を与えたートリカブト殺人事件」のようなミステリーやサスペンスといった関心・刺激、その惹きつける魅力が弱いように感じられた。とは言え、展開は 心情表現と事件経緯といった違い(場面転換)にメリハリをつけるためナレーションで繋ぎ、物語(事件)の梗概をハッキリ描き出している。観応え十分。
(上演時間2時間 休憩なし) 追記予定

熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン

熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン

KURAGE PROJECT

シアター711(東京都)

2024/11/06 (水) ~ 2024/11/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
演劇を観て久しぶりに熱いものが込み上げてきた。今年観てきた つか作品ではピカ一。脚本や演出の力は言うまでもないが、演技が凄い!物語の底流にある優しさ切なさなどが、役者の体を通して滲みだし 熱き思いが迸る。熱演という言葉は、この公演(演技)のためにあるようだ。

「熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン」は、たぶん未見だと思う。説明にある「二つの事件が交錯しながら進展していく」は、早い段階で事情が明らかになるが、そこに隠された心情が切ない。オリンピック選手として 陽で輝く者と陰で泣く者、そして1人の人間としての生き様を切々と描く。少しネタバレするが 主宰 月海舞由さんは、刑事 水野朋子と被害者 山口アイ子、その2人の女性の愛を重ね というか対比する。一方は情を貫き、他方は裏切られるという違った結末を叙情豊かに演じる。終演後、口々に泣けた との感想が…観応え十分。ぜひ劇場で。
(上演時間2時間 休憩なし) 11.8追記

ネタバレBOX

舞台美術は、中央に木村伝兵衛部長刑事の机、下手にホワイトボードと丸椅子だけ。部長刑事の机に黒電話、シャツが置かれている。勿論、大きな机は権威の象徴。冒頭、木村伝兵衛は上半身裸。その筋肉質が、オリンピック選手であったことを思わせる。

物語は、棒高跳び の記録を塗り替えた元オリンピック日本代表選手で、現 東京警視庁・木村伝兵衛部長刑事(岡田竜二サン)が、熱海で殺された砲丸投げ選手・山口アイ子の事件の容疑者、大山金太郎(なかやんサン)と再会する。大山もかつては、同じ棒高跳び日本代表の補欠選手であった。同じようにオリンピックでメダルを目指した選手へ敬意を払うような事件へ。
一方、山形県警から転任してきた速水健作刑事(関口アナンサン)の兄も棒高跳びの元オリンピック選手だったが、モンテカルロで自動車事故を起こし亡くなった。その時に同乗していたのが、木村部長刑事だったと。その事故死を疑う速水刑事は…。そして木村を愛するが、受け入れてもらえない病身の婦人警官 水野朋子(月海舞由サン)。そして謎の男(辛嶋慶サン)。
主な登場人物は4人、それぞれの心情吐露といった見せ場を設け、同時に他者との関わりを表す敬愛や思惑等といった感情を落とし込むことで より人間性を浮き彫りにする。

二つの事件を交錯させ、 謎解きとオリンピックという栄光の影に隠れた、エリート選手と補欠選手との絶望と苦悩が明らかになっていく。同じ選手とは言え、補欠の男性選手はゴミ、女性選手はコケと陰口を叩かれ、待遇面で〈差別〉されていた。練習に青春期の貴重な時間を費やし、報われないことも多い。それでも愛する人を信じて…。部長刑事の同性愛という設定にも性の<差別>または<偏見>を訴える。
愛欲と名誉さらには金銭といった欲望の渦に身を投じた悲しいまでの結末、しかし純粋に直向きに生きた、を描いた人間ドラマ。
苛めや差別またパワハラ・セクハラ等、コンプライアンスが厳しく言われる現代、だからこそ、描かれたような時代があって 今があることを知る。古き良き時代ではなく、悪しき慣例・慣行を描くことも、当時(時代)を反映した演劇の面白さだろう。まさに演劇は時代の鏡なのだ。

物語の中に突然 音楽<歌>やダンスシーンを挿入し 観客の関心を惹きつけておく。歌(オペラ風)は、グイグイと引き込み面白可笑しく聴せる。勿論 戯曲の<力>もあろうが、役者の激情が 迸ったような迫力がそうさせる。照明は単色を瞬間的に点滅させるだけだが効果があり巧い。
次回公演も楽しみにしております。
軌道

軌道

劇団カルタ

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2024/11/02 (土) ~ 2024/11/04 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

過去の事実と現在の虚構を交差させ、青年とその家族 周りの人々の思いを描いた物語。説明にある「祖父への憧れを胸に仕事に慣れ始めた」とあり、それが物語の肝であろう。しかし、その重要な場面を観逃したか 台詞を聞き逃したか、過去(祖父)と現在(主人公)の話がうまく繋がらず、別々の物語が同時進行するようだ。

少しネタバレするが、主人公 桝井健吾は大学4年生。バンド活動をし卒業後もそれで暮らしていく予定であったが 仲間の脱退で解散する。就職を前に夢破れ、いつの間にか鉄道会社に勤めている。心機一転を図った理由(祖母が遺した日記)が後付けで、祖父の鉄道事故と現在の自分の状況を重ね また対比しながら紡ぐにしては 繋がり(意志)が弱い。鉄道的に言えば肝心なJOINTシーンが描かれていたのか否か、それゆえ物語への牽引力が弱い。丁寧なのか粗いのか、自分の鑑賞力が無いのかも知れないが…。異なる時間軸の中で、個人と社会(国家や会社)との関係を重層的に捉えており 着眼点は面白い、それだけに惜しい。

演出はロープを駆使し、情景や状況を巧みに表現しており面白い。ロープの使用自体は珍しくないが、照明と音響という技術と相俟って効果的に観せている。また演技は確か、それだけにモノローグで心情表現するのではなく、物語の中で描い(演じ)てほしかった。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は木材で家屋(屋根・柱)のような骨組み、そこに幾本かの白ロープが付いている。中に木製のベンチが2つ。客席側にブロックが置かれている。家屋のよう、それは家であり駅舎のようでもあり、ロープは切り離せない存在。

物語は現在(健吾)と過去(茂)を交差させ描いているが、終盤になって茂と一緒に汽車に乗車していた同僚(後輩)の菅原淳之介と会うまでは別々の物語が展開している。演出として交差した描きになっているが、ほとんど健吾と茂の意志の重なりは感じられない。過去の鉄道事故は事実であり、遺族の悲しみは癒えない。それゆえ茂の事故への対処は故意か過失かといった疑問を呈したまま。その曖昧さを詮索することなく、真実は亡くなった茂が墓まで持って逝った、という描き方にしている。

茂の事故の概要は、小説「塩尻峠」(三浦綾子)などが有名で、その話を擬えているよう。ただ時代設定を明治から昭和、それも戦後間もなくにしているところが妙。無茶な運行計画であるが国策のため、国鉄は拒否出来ない。生れたばかりの娘もおり、妻 悦子は茂の乗務には反対。当時は経済効率を図るため汽車(石炭)から電車(電化)へ、その過渡期であった。電車では対処出来ない運行を汽車で、その矜持が茂の気持を突き動かす。燃料である石炭についても、炭鉱事故で多くの人が亡くなり、当人だけではなく家族も路頭に迷う。自分の死は家族を犠牲にする、充分認識していたが…。

一方、健吾は西方電鉄の車掌として勤務。同僚の藤田雄哉が運転する電車に乗務していたが、ホームから女性が転落し轢いてしまった。その時、警笛を鳴らしたか否かが問題となり、マスコミから執拗に取材受ける。会社としては責任回避のため、警笛は鳴らしたと主張。当初、健吾は会社の言う通りの対応をしていたが…。鉄道事故といっても茂と健吾とでは、全く状況が異なり夫々の話は交差して描いているが、別もの。

演出では、茂が事故死する際、ロープが蜘蛛の巣のように絡む。その身動きが取れなくなった状態に赤い照明を照らす。またミラーボールの輝きを利用して、桜が舞い落ちる情景を後景に映す。生きているから見える光景、それを戦死した人々の無念、それを乗り越えて美しい景色を見る。祖父と孫の時代を隔てた<共通の思い>は、鉄道光景によって辛うじて繋がる。また 西方電鉄職員は斜縞のネクタイで統一し身なりを整えるなど、全体的に演出は丁寧だ。それだけに脚本(物語)の肝が暈けたのが惜しい。
次回公演も楽しみにしております。
ガラクタ

ガラクタ

MCR

OFF OFFシアター(東京都)

2024/10/30 (水) ~ 2024/11/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

㊗️MCR 30周年記念公演…物語は、商店街のはじっこにある創業30年のリサイクルショップ「ガラクタ屋」、この店をMCRに準えたような印象だ。店長(櫻井智也サン)がバイトの小川(おがわじゅんやサン)に、冗談めかして 店がなくなったらどうする。小川は別の店で働くと。店長がたたみ込むように言う、世の中そんなに甘くない。ず~とバイトだからスキルがないと冷たく言い放つ。この二人はMCR所属。物語では、商品を買わずに厄介ごとばかり持ち込んでくる常連、通りすがりにフラッと入ってきた瞬間に常軌を逸した行動をとる人々が登場するが、常連客は他のMCRメンバー、通りすがりはゲストといったところか。

表層的には身内ネタのような物語。<リサイクルショップ>をMCRに置き換えて…店がなくなったら という噂を聞いた常連客は、慌てて真偽を確かめに来る。そして困る困るを連呼し、店という居心地の良い場所があって、人と交流が出来る。また会社で嫌なこと惨めなことがあっても、店に入ると自分より惨め(下層)な人がいる という優越感に浸れると。悪態をつきながら、何だかんだ親しみある店がなくなるのは寂しい。勿論 店は存続する。

ガラクタばかりのリサイクルショップ、それでも慣れ親しんだ場所と人がいる。そこに人と人のふれ合い優しさ温かさが滲み出ている。多くの観客(コアなファンも含め)が支えているのは、そんな思いやりが感じられるから。また多くのゲストが登場しているのも仲間意識、共感した思いがあるからだろう。逆にMCRは、笑わせ×笑わせ とにかく楽しんでもらいたい、その思いがビンビンと伝わる。少しネタバレするが、ラストは店長=櫻井さんが熱唱しゲストの大石ともこ(みそじん)さんが妖艶なダンスを…眼福。全員登場しての緩いダンスも面白い。ちなみにゲストによって内容が若干違うよう。
(上演時間70~80分 ゲストによって内容が異なるため) 

ネタバレBOX

舞台美術は、中央壁に三重ほどの円盤構造のオブジエ。その中に使用しなくなった品々が並んでいる。中央 客席側になぜか投票箱。上手に冷蔵庫、そして店の入り口、下手はカウンターで 競馬新聞を片手に店主が座っている。ただ物語で使用するのは箒ぐらいで、残りは飾り物 まさしくガラクタである。

冒頭、店長が小川に掃除なんかしなくていい、と言って箒を取り上げようとする。2人は箒を取り合うため 押したり引いたりする。ただそれだけの動作だが、可笑しみが込み上げてくる。そして冗談や悪態などの会話。また色々なシチュエーションのシーンを挿入し、ガラクタ屋という店<存在>のありがたさを描く。

物語の底流にあるのは人の優しさと触れ合いの大切さ。勿論 演技…動作の面白可笑しさや軽妙洒脱な会話によって笑いが起きる。その笑いの渦こそ、この劇団(公演)の真骨頂であろう。
次回公演も楽しみにしております。
#ヘスティア

#ヘスティア

ゴセキカク

シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)

2024/10/31 (木) ~ 2024/11/04 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

説明では、「インターネットと家族。人と人との繋がり。関係性の下に拗らせていくディスコミュニケーション会話劇」とあり、家族でありながら対面で会話をすることが苦手 または出来ない家族関係を連想していたが、少し違った。たしかに出雲家という家族を描いているが、中心は その兄妹のモヤモヤとした不安や依存・他律など、表し難い心の葛藤を繊細に紡ぐ。 自分は何者なのか、何をしたいのか、アラサーになっても定職に就かず実家に住んでいる兄の悠太。一方、妹の環奈は家を出て見知らぬ男の家を転々としている。そして VTuber「丙栖てぃあ」として活動を始めた。

人物の関係性は早い段階で明らかになり、だんたんと性格や立場 おかれた家庭環境が深堀されていく。物語のテーマは「家族と VTuber」らしい。そして当日パンフの主宰 後関貴大 氏の挨拶文を読むと彼自身を投影しているような。物語の見所は、ありふれた家族物語…しかし家族とは、と突き詰めて問われた時に 即答することは難しい。色々な家族があり一概に言い表すことが出来ない。その漠然とした「家族」を、兄や妹そして父や母、さらに周りの人々を通して浮き彫りにしていく過程が面白い。ちなみに、出雲家だけではなく、登場人物たちの家族についても触れられ、そこに家族の多様性を描き出す。

前作「明けちまったな、夜。」も良かったが、既視感が否めなかった。今作もありふれた「家族」を取り上げているが、VTuberという第三者的というか俯瞰するような描き方が、内面を見詰めるという深み味わいを感じさせる。自分に言わせれば、出雲家は典型的な家族構成で他の登場人物の家族に比べれば恵まれている。単に不器用なだけ。その意味では家族というよりは自分探しの彷徨のような物語だ。

舞台美術、その色調と効果的な照明のバランスが実に巧い。配置等はネタバレに記すが、暗幕で囲い配置されているセットは白色。舞台全体がモノトーンのようで落ち着いた、というよりは沈んだような重苦しさを感じる。そこに登場人物の抱えた問題が垣間見えるような気がする。照明は薄暗いが、人物へのスポットライトを多用し 心情表現を豊かにしている。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は暗幕で囲い、上手に環奈が転がり込んだ朝倉くりす の部屋。そこにVTuber「丙栖てぃあ」の配信セット、中央奥にモニター、その手前にテーブルと椅子。下手にも細長いテーブルと椅子、セットは全て白色。

出雲家の食事風景、厳格な父は息子の食事マナーについて注意するところから物語は始まる。それは拳骨で頭を叩くといった行為。悠太はそんな父が嫌いだが、それでも定職にも就かずバイトしながら実家に寄生している。環奈は早々に家を飛び出している。そしてVTuberとして発信を続け 登録者数5万人迄あと僅か。達成させるイベントの最中、裏アカが流れ炎上する。その事件を通して兄・妹が繋がり出す。

家庭内の事は、ある種 密室での出来事のよう。躾と虐待の線引きは曖昧で、毒親なのか否かは一概に決め付けられない。ただ幼い子供たちにとって躾と言われても解らないだろう。その痛い思い出だけが鮮明に残り、ますます萎縮させてしまう。そして家族の中における自分の存在とは という疑問と困惑、さらに家庭内孤独に陥る。悠太と環奈は親に反抗することで必死に自分自身を守っているよう。

さて、悠太の知り合いに一嶋琉衣という女性がいるが、実は環奈の高校時代の級友だったことが後々分かる。彼女は両親が離婚し、母親の苗字になったことから気まずい思いをしてきた。そんな時、環奈は それとなく寄り添ってくれたと感謝。また 朝倉は母一人子一人だったが、母が愛人と出奔し一人になった。何れも親の都合・勝手で子が嫌な思いをした経験を持つ。

悠太と環奈は、自分だけが恵まれない家庭に育ったと思っていたかも。その思い込みが、父危篤の知らせにも蟠りが…。環奈=VTuber「丙栖てぃあ」として、自分自身を愛せないし 他者とうまく関係が築けない。そして誰かに依存し自分を悲劇のヒロインに見立て逃避しているだけ、そんな独白が印象的だ。ここに第三者的な観せ方ーモニターに承認欲求の象徴的な画像を映すといった巧さ。全体的に昏く、自分の心が暗闇を迷走している、そんな表現し難さを表した好公演。
次回公演も楽しみにしております。
ビキニも夢みる白い部屋

ビキニも夢みる白い部屋

KENプロデュース

シアターシャイン(東京都)

2024/10/30 (水) ~ 2024/11/04 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

満席、増席していたようだ。
この演目、10年前にも観ているが、やはり面白い。
説明にある入院先の病院は謎だらけ、外出はおろか、飲食・新聞など外部との接触は一切禁止、おかしな規則が多い病院。そして主人公は主治医より、自身の記憶を失っていると。治療が始まって、段々現実と夢の世界の区別がつかなくなっていき…。物語(表層)はストレートプレイなのに何故か違和感が、この不思議感覚が公演の肝。明るく楽しく、そして おちゃらけた場面で繋ぐが、これらを物語の根幹を支えるショートストーリーのように紡いでいく。
脚本・演出は秀逸だ。ストーリーはネタバレになるので書けないが、途中で話しが散らかり冗長といった感じになり、これをどう収拾するのか。よく使われると思う手法で…見事!

病院という設定から、白衣の看護師が何人か登場する。始めに登場するのが、神崎なお(タオ桃果サン)と婦長 水谷ゆうこ(橋本深猫サン:前回にも出演)。タイトルにあるように 登場する女優陣は皆ビキニ姿になるが、前回より お色気度は少ないような。演技は、生き活きと演じており楽しめた。登場人物のキャラ設定にもメリハリがあり、分かり易い。舞台美術は平凡で、最小必要限であったが、それが逆に芝居に集中させる効果がある。軽妙に展開するが内容はシュール。結末は、冒頭に明かされているのだが、その台詞を聞き逃さなければ…。ぜひ劇場で。
(上演時間 2時間 途中休憩なし) P(ピンク)班  11.3 追記

ネタバレBOX

舞台美術…上演前は病室の仕切りカーテンで見えないが、幕が開くと そこは大(3人)部屋でベットが3つ。上手に病室入口のドアがあり下手に窓がある。3つあるベットには、既に2人が入院しており、そこへ主人公の金田雄太が大怪我をして運ばれてくる。この病院 規則は厳しいが、患者は自由気儘に過ごしている。

上演して直ぐ、暗転したまま 音声で「この物語は僕のモノローグです」という台詞が流れる。ラストになると「なるほど そういうことか」と言葉の意味が氷解する。色々な妄想が頭の中を駆け巡り、登場人物たちの性格や立場が錯綜する、それが物語の肝。そして「人生は舞台だ」「人を傷つけるのも 癒すのも人」等、場面にあった珠玉の台詞が印象的だ。

本作品の初演は2008年だとか。当日パンフに 代表の加納健詞が「今の時代にあわない所も多少ありますが、だからこそ、そのまま上演する事」とあり、「コンプライアンスのコの字もない」とある。<舞台 コメディ>であるが、世の中だんだんと不寛容になり、それゆえ自由度も狭まっていくような。舞台として描くには、主人公=入院患者の立場云々といったことが言われそうな危うさが…。

セクハラ・パワハラ等が厳しく問われるようになった今、劇中そのようなお色気シーンがあるが、せめて舞台という虚構の中では弾けて楽しみたいもの。
次回公演も楽しみにしております。
江古田通りを曲がって

江古田通りを曲がって

劇団二畳

FOYER ekoda(ホワイエ江古田)(東京都)

2024/10/30 (水) ~ 2024/11/05 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

江古田の短編集、今回で3回目 シリーズと言っていいのかな。とても滋味に溢れ 心に染み入る公演。
劇団名の通り 畳(タタミ)二畳の空間にシンプルな舞台セットを配置し、日常のありふれた光景を切り取った短編2編。観たのは、「A.箱根旅行の思い出」と「D.あるいはピクルス」で、趣が異なる作品でとても面白かった。当日パンフで劇団二畳プロデューサー 四方田直樹 氏が「物事が進まない人たちの物語」と記しているが、それは その時代に生きた世代によって捉え方は異なる。

公演の魅力は何といっても、アクティングスペースまで50㌢ほどの至近距離で演技を観ることが出来るから、表情は勿論 細かい動作まで分かる。あまり全体を観る必要もなく 勿論 俯瞰するなんてこともない。ありふれた光景ゆえ、共感や納得等することが多い。子供の頃の思い出とは別に、親になって初めて気づかされる場面もあって苦笑。人の機微をしっかり捉え表現しているところが凄い。

「A.箱根旅行の思い出」は、タイトル通り 1990年代 箱根への旅行、宿で家族団欒のひと時を過ごすはずが、何故か楽しめない。旅先だから といった特別・非日常を大切にするか、旅行も日常の一コマと捉え淡々と過ごすか。ラスト、祖母が孫娘(次女)に囁いた言葉が強烈だ。

一方「D.あるいはピクルス」は、日常の生活というよりは、過去と現在の時間が或る出来事(事故)で分断され、新たな暮らしを得た といった不思議な心情を描いている。登場人物は3人で、始めはその関係がどうなっているのか戸惑うが、だんだんと事情が分かってくると少し切ない。
(上演時間70分 1話/2話の転換に2分 休憩なし)

ネタバレBOX

●「箱根旅行の思い出」
1990年代の初頭、松田一家は箱根に家族旅行に来ているが、二人の娘(長女:北斗と次女:昴)は携帯ゲーム機でロールプレイゲームに夢中。せっかくの箱根旅行だが、観光なんかそっちのけ。父 司郎は湯上りにビールを買おうとしたが 高いため躊躇する。母 桃子だけは楽しんでいるが、家族の思いはバラバラ。司郎の金を使ってまで旅行なんて という思いは実感。両親と娘たちのゲームを巡る攻防は、その都度 昴が仲に入り取りなす。祖母 金子かのえ は、昴に向かって「人の顔色ばかり見ないこと」と諭す。

「あるいはピクルス」
登場人物は3人。野口千佳が、この古民家(FOYER ekoda<ホワイエ江古田>)を訪問するといった感じで、会場入り口から入ってくる。チラシの説明によると、彼女は望まぬ形で関係を終わらせた中田伸雄のことが忘れられず、彼が現在交際している芝崎このみ と共に借りているアパートを訪れる。そのアパートが古民家。劇中、彼が事故で記憶障害になり、千佳のことが思い出せないと。過去の経緯が話されず曖昧、そこに千佳の未練と決別の思いが読み取れる。設定は20歳代のようだが、ずいぶんと大人びた雰囲気の会話劇。

舞台セット…「箱根旅行」は宿の部屋、卓袱台と座布団、下手に古くて小さい和箪笥と黒電話。上手に温泉があるようで、湯上りの浴衣姿が旅情を醸し出す。一方「ピクルス」は、テーブルと椅子3脚。それぞれシンプルであるが、物語を紡ぐには十分。因みにゲーム機から漏れ聞こえるのは、ドラクエの神曲のようで 懐かしい。箱根旅行では、母 桃子が少し呆れて冷蔵庫の瓶ビールを飲みだすが、その時にビールの香りが…。湯上りで温泉の独特の匂いが漂えば完璧か。
次回公演も楽しみにしております。
歌っておくれよ、マウンテン

歌っておくれよ、マウンテン

優しい劇団

高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)

2024/10/26 (土) ~ 2024/10/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ホントに無料公演(カンパ制)でいいの と思うほどの好演。出来れば、もう一度観たかったが…。また東京へ来てほしい。

前説が一人芝居(主宰の尾﨑優人 氏)のようで、開場時から上演直前まで喋り続け、そのまま本編にも登場する。舞台と客席を一体化し、大いに盛り上げ楽しませようとする。これが名古屋流(愛知ではなく名古屋と言っていた)なのか?本編に名古屋弁が頻繁に使われ、地元愛を感じる。

物語は、登った人が“一番思い出したいことを思い出せる”という山がある大陸。その山に歌を歌わせに行こうと思った“私たち”は、道中で出会いや別れを繰り返し……。その観せ方が アバンギャルドというかコンテンポラリーというか、でもアングラ演劇が一番シックリくるか。その不思議で混沌とした世界観の中に独特の味わいを感じる。この感覚は 在京の劇団でもあったが、俚言が入るとちょっと身近で親しみがわく。若い役者陣の疾走感と熱量ある演技に圧倒される。舞台技術の工夫も良く、その効果はハッキリ表れている。

独特の感覚は、昭和といった懐かしさ 懐古的な雰囲気も感じられる。ただ 表層的には破天荒のように思え、観客によって好き嫌いが分かれるかもしれない。脈略があるのか否か判然としないが、いくつかの小さな話によって 山に行く大きな物語を紡ぐ。分かり易く手助けをするのが尾﨑さんのナレーション的な台詞。それによると(聞き逃しがなければ)6話で構成されているよう。その中の1話を公演回ごとに違うゲストが演じている。毎回 雰囲気が違う物語が楽しめるという趣向である。
ちなみに上演中の写真(動画も)撮影OK。
(上演時間1時間50分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術はブルーシートを広げ、その上にリュックや太鼓、ピアニカ等が乱雑に置かれている。劇中に自分たちが飲むペットボトルが数本ある。役者は常に舞台上におり、ブルーシート内が物語の世界、シートの外はいわば楽屋でリラックスした体勢で演じている役者を観ている。

物語は、「ちょめちょめ」 と 「ごにょごにょ」という姉妹が、或る山へ思い出探しの旅へ。その道中で出会う人々の話を挿入しながら、目的地へ向かう。挿入される話は6話で、例えば 観た回のゲストは 子供だけの世界で、自分だけが大人に成長してしまう戸惑いや疎外感といった悲哀ある話。ガリヴァー旅行記のような寓話性あるもの。裏柳生六人菩薩の場面などは、Xで上演台本があるらしい。また 唐 や つか をリスペクトしたような場面もあり 結構楽しめる。ゲストも含め役者陣が発する台詞が機関銃のような早口、そこに名古屋弁が入るから分かったような分からないような。それでいて いつの間にか その迫力に惹き込まれる。

舞台技術の照明は、携帯用の器具を自由自在に動かし、もしくは手に持って自分の横顔を照射したりする。また音響・音楽は、役者が太鼓を鳴らしたりピアニカを吹いたりし、場面を煽り盛り上げる。またブルーシートを持ち上げ映写幕代わりにして、影絵のように人物(姿)を映し出す。常に喋り動き回る躍動的な活劇。前説時に尾﨑氏が観客へ掛け声や拍手を求めるなど、役者&観客で場内を一体化する。そのパワフルな演劇に心を奪われそう。
次回公演も楽しみにしております。
七曲り異聞・隠れ処京香

七曲り異聞・隠れ処京香

劇団芝居屋

中野スタジオあくとれ(東京都)

2024/10/22 (火) ~ 2024/10/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

タイトルから何となく想像できたが、第41回公演「七曲り喫茶紫苑」の続編(1年後)。その公演を観ていても いなくても楽しめる作品。同時に劇団芝居屋のしたたかさを感じる。コロナ禍で演劇界は大打撃を受け、たぶん今もその影響はあるのではないか。その原因となったコロナを題材として劇作する。その意味で失礼ながら転んでもただでは起きない、そんな強かさを感じるからである。しかし それは重要なことであろう。

少しネタバレするが、上手に平台を積み重ねただけの ほぼ素舞台。その最小限のセット、そこにタイトルー隠れ処京香という妙味が生かされている。物語は ほんの数時間の出来事、そこに前作から引きずっていた蟠りを打ち明ける。過去(コロナ禍や駅前再開発など)と決別し未来に目を向ける といった逞しさ、まるで人生の応援劇といったところ。

さて、観劇当日は断続的に雨が降るという不安定な天気、場内はけっこう蒸し暑かった。終演後 外へ出た観客は口々に涼しくて気持良いと。芝居でも冒頭 ビルオーナーの間寛子(堀江あや子サン)と七曲り「万年青」女将の影山典子(永井利枝サン)の会話シーンで、堀江さんの顔が汗で…。何気なく汗を拭きふき演じていたが、少し気の毒だった。
(上演時間1時間35分)

ネタバレBOX

場所は、東京郊外にある私鉄沿線の北口飲食街…駅北口から少し奥まったところにある5階建(ハザマ)ビルの地下室。始めはスケルトン物件かと思って観ていたが、実はこのビルのオーナー夫妻の私的社交場。夫婦の趣味は社交ダンス、しかし他人に見せるほど上手ではない。そして最愛の夫はコロナで亡くなった。寛子は夫との良い思い出は胸に仕舞い、大切なこの地下室を貸すことに。

一方 借りる伊崎京香(齋木亨子サン)は、以前七曲りで割烹料理屋を営んでいたが、突然 行方を晦ませた。実は この女将も夫をコロナで亡くしている。1年前 七曲りにあった飲食店のうち何軒かは移転することになり、その送別会というか激励会を開いた時、コロナに感染したと。そういえば 三密は避けるように言われていた時期。感染経路は定かではないが、そう思うことで気が滅入ること、どこにもぶつけることが出来ない憤りや悔しさを紛らわせてきた。七曲りの仲間に会った時、素直に喜べない複雑な心の内を打ち明ける。

この2人の未亡人を通してコロナ禍における何とも言えない理不尽さを改めて考えさせられる。死に目にも会えず、病院から火葬場へ、そして遺骨になって対面する。その「骨壺が温かかった」という台詞に実感がこもり 嗚咽がもれる。
この地下室に割烹料理屋を開店するにあたって 清めの儀式をする件は少し滑稽。取り急ぎインターネットで調べたやり方で執り行うが…。そこにも京香姐さんのために 何か手伝いたいといった温かい気持が透けて見える。

先にも記したが、セットは無く 地下室という設定から 音響も時々聞こえるエレベーターの昇降音ぐらい。まさに役者陣の演技力で物語を紡いでいく。芝居屋は「覗かれる人生芝居」というコンセプトの下に役者中心の表現を模索していると。その真骨頂ー市井の人々の暮らし、その中での人情をしっかり観せてくれた。
次回公演も楽しみにしております。
広くてすてきな宇宙じゃないか【Mura.画】

広くてすてきな宇宙じゃないか【Mura.画】

Mura.画

北池袋 新生館シアター(東京都)

2024/10/25 (金) ~ 2024/10/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
この公演は「Mura.画(ムラエ)」の本公演ではなく、初の演劇研究会2024としての公演。出会ったことのない俳優とのコラボ、脚本(成井 豊氏)の魅力もあるが、俳優陣の生き活きとした演技が物語を充実させている。その意味では本企画は成功だと思う。

初めて観る演目だが、近未来に出現しそうな世界で色々考えさせられる。同時に人を思いやる気持、その優しさ温かさは どんな時代でも変わらない。公演の魅力はテーマ性は勿論、軽快に物語を展開し飽きさせないところ。上演時間60分と短いがとても充実した内容で楽しめる。
(上演時間1時間) 【ミザールチーム】

ネタバレBOX

舞台美術は、舞台(板)を囲むように2~3段の段差を設け、その立ち位置によって場所や時間の違いを表し、わずかな段差を上り下りすることで躍動感を出す。上手に衝立があり その上部に開いた傘、下手にも同じように複数の傘が…。カラフル(colorful)な照明によって ちょっと幻想的な雰囲気を漂わせる。

物語は、TV報道番組で Family Rental Service(略称FRS)がアンドロイドの貸し出しを始める、それを中継を通じて報じるところから始まる。ニュースキャスターの柿本光介は、試しにアンドロイドの「おばあちゃん」を柿本家に迎え入れた。 父 光介が勝手に話を進めてしまったこともあり、 三人姉兄妹の反応はまちまちだ。長女(中学3年)のスギエや長男カシオ(中学2年)は おばあちゃんの優しさに癒され、少しずつ彼女との距離を縮める。 しかし末っ子のクリコ(小学6年)だけは おばあちゃんを拒み続けた。その頑なさが拗れ周囲は勿論、東京中を巻き込む騒動へ……。

テーマは「人とアンドロイドの関わり」といったことだろうか。 母を失った子供たち…スギエ、カシオ、クリコの三姉兄妹。 アンドロイドおばあちゃんは、あくまで 彼らの「おばあちゃん」として優しく接していく。 しかしクリコにとって母は1人だけ、おばあちゃんでは「代わり」は務まらない。 おばあちゃんは それを承知でクリコと向き合い続ける。 アンドロイドの命は尽きないが、エネルギー充電は必要。クリコは、おばあちゃんをFRSへ帰すよう働きかけ、そこにもう1体のアンドロイド「ヒジカタ」が登場して緊迫感を増していく。

FRSにいるのは全てアンドロイド。ヒジカタは介護用アンドロイドとして病院に派遣されていたが、人の死によって責任を問われた。おばあちゃんとは異なり、ヒジカタは 生死に関わる人間とアンドロイドの違いを重く受け止めた。 アンドロイドの派遣役割などで状況が異なるのは生きている人間も同じ。人はアンドロイドと違って もっとハッキリした感情で揺れ動く。重苦しくなりそうな内容だが、終始明るいおばあちゃんのおかげで救われる。ただラストは、おばあちゃんとクリコの邂逅だが、そこには近々ヒジカタと同じような立場で介護問題が横たわるような…。

総じて役者陣は若く、アンドロイドおばあちゃんも若々しい。その衣裳や持ち物は、映画「メリー・ポピンズ」を連想させる。ドレス・帽子・日傘・鞄など映画から飛び出してきたよう。また照明が美しい。タイトルにあるように「宇宙」そして「星座」を思わせるような青白い輝きを照射する。その余韻付けが実に好い。
次回公演も楽しみにしております。
Nel nome del PADRE パードレ

Nel nome del PADRE パードレ

サカバンバスピス

APOCシアター(東京都)

2024/10/17 (木) ~ 2024/10/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

濃密な会話によって不思議な世界観が…。
物語は、ここがどこで どのような目的をもって、どうしてこの男女2人なのか といった謎、その世界がぼんやりとしており 捉えることが難しいところが魅力。多くの不明や不安が逆に観客の関心を刺激し、それを圧倒的な演技力で牽引していく。

父親から見捨てられた子供、しかし それでも父親を慕い敬うような愛憎を交々に語らせ、家父長的な行為への反発や抵抗、その在り方を問うているようである。少しネタバレするが、黒電話が時々鳴り 誰か異空間・異次元の第三者と会話するような。これがヒントのような、そして不条理(世界観)に通じるような気がする。
当日パンフに、この作品には、ある”秘密”があり記載のQRコード等で検索とある。この秘密を見ることなく、この感想を記しているが…。少し考えてから拝見する。
(上演時間1時間45分 休憩なし) 追記予定

小夏の青春

小夏の青春

きむら劇場

高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)

2024/10/18 (金) ~ 2024/10/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初めて観る演目、面白い。ご案内いただいた公演。
当日パンフに高円寺K'sスタジオオーナーの日下諭 氏が、つかこうへいが木村夏子さんへ書き下ろした作品で、観たことのある人が この世に数百人しかいない文字通り幻の作品である旨 記している。
「蒲田行進曲」を小夏の観点から描いた青春物語。その小夏を木村夏子さんが一人芝居で熱演する。勿論 蒲田行進曲を芝居や それをもとにした映画鑑賞または小説を読んでいれば分かり易いが、この公演だけ観ても その面白さは十分に堪能出来る。当日パンフに、木村さんは つかこうへい劇団で学び 15年ぶりの再演とある。その長い空白の期間を埋めるかのような情熱的で心情溢れる舞台だ。

少しネタバレするが、冒頭 スクリーンで映画に関わる物語であることを表す。そして小夏が出生の秘密、母はテレサ・テン (中華圏での名前は 鄧麗君 〈デン・リージュン〉)だと明かすところから始まる。物語は、映画スターの銀ちゃん、銀ちゃんのためなら命も惜しくない大部屋のヤス、その2人の間で揺れる小夏の切ない愛が描かれている。公演の見所は 演技力。何度か衣裳替えのため 舞台上には誰もいなくなるが、そんな不在を感じさせないほどの高揚感と余韻を漂わせている。それを支える音響・音楽や色彩豊か・諧調する照明技術が巧い。それを日下 氏が担っている。
(上演時間65分) 

ネタバレBOX

会場入り口で 木村夏子さんが着物姿でお出迎え。舞台は素舞台で後景がスクリーン。冒頭 映画タイトル「蒲田行進曲」が映され、♬虹の都 光の港 キネマの天地♬の音楽が流れる。また何か所かでナレーションを日下氏が、そしてラスト暗転後 「カーット」という台詞が心地良く響く。

物語は、人気俳優の倉岡銀四郎と新人女優の小夏が出会い、破天荒な彼に惹かれていく姿、彼を慕う大部屋俳優ヤスの奇妙な友情、2人の間で揺れ動く女優 小夏の姿を描く。勿論一人芝居であるから、銀ちゃんの我儘や女遊びなどは小夏の心情として語り、ヤスは相手を詰るといった一人会話で情景を表す。
「新選組」の撮影真っただ中の京都撮影所。最大の見せ場である「池田屋の階段落ち」が、危険であることを理由に中止になろうとしていた。そんな中、小夏の妊娠を知った銀ちゃんは、スキャンダルを避けるため ヤスに彼女を押し付ける。銀ちゃんを慕うヤスは、小夏と結婚し自分の子として育てることを誓うが…。

小夏が銀ちゃんやヤスの人物像を立ち上げることによって、逆に小夏の心情や心根が映し出される。その相対する人物を通して小夏という女優、そして1人の女性が鮮明になる。見所は、演技力によって 小夏が<愛>もしくは<情>といった目に見えないコトに目覚めていく過程が切々と描かれているところ。小夏の心情・心境の変化といった情念にも似たような感情が迸る。驚いたことに、時々 「飛龍伝」の神林美智子や「売春捜査官」の木村伝兵衛といった、別作品の女性の影がチラつく そんな錯覚に陥る。やっぱり つか節(台詞回し)がそう思わせるのだろうか。

銀ちゃんとの関りは、着物からショート丈タンクトップというような肌が露わな薄着へ、そして撓るような姿態が艶めかしい。ヤスに対しては危険なスタントに対する忠告をしつつ、それを強く止めない。銀ちゃんを思う気持、一方 ヤスはこんなにも危険な仕事をしているのに 小夏がまだ銀ちゃんを慕っている、その心の内の苦しさ故の妬みや荒み。しかし そんなヤスに対して小夏は普段着。そこには本来の 着飾らない素直な小夏が居るよう。つかこうへい が、最後の付き人兼運転手だった木村夏子さんのために…それに応えるかのような気迫ある芝居。1人で主役3人の微妙な心持と奇妙な関係を見事に表現した好公演。

少し気になったのが、始めのうち 声が掠れて聞き取り難いところがあり惜しい。
次回公演も楽しみにしております。
モノクロイド

モノクロイド

劇団かえる

STスポット(神奈川県)

2024/10/13 (日) ~ 2024/10/14 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い しかも無料公演。
重要な警告をちりばめて紡いだ珠玉のSF作。観終わった時 「パンドラの箱」、最後に残ったのは「希望」だけという言葉が脳裏をかすめる。
説明(チラシ)では、西暦2616年という設定で、コールドスリープから目覚めた男が見た世界は…。
(上演時間1時間30分) 

ネタバレBOX

舞台美術は冒頭(2416年、2616年の200年前)だけ ミニテーブルが置かれ 食卓風景を見せている。そこには、生活感があり人類がまだ生存していたことを表している。舞台の上手・下手に黒い扉、同じように衝立暗幕があるだけの ほぼ素舞台。照明は主にオフホワイトで、視覚的にはモノクロイメージ=色がなくなった世界が広がっているよう。

人類は戦争の繰り返しで200年も昔に滅亡し、数台の人工知能を搭載したアンドロイドだけが機動している。屋外は廃墟と化し雑草さえ生えていない殺伐とした世界。人間のために造られながら 人間の役に立つことが出来ないアンドロイド、それを人間に置き換えた時、何の目的や目標かが見い出せない空虚な気持で生き続けることの空しさ遣る瀬無さ。同時に不安や怖さを感じる。不条理…戦争・環境そして生存といった重要なことが浮き彫りになってくる。アンドロイドはゼロ(0)からモノを作り出すことが出来ない。ここが地球であれば、いずれ死星になる運命だろうか。

屋内にいるアンドロイドは3体(メイド・ドクター・ガード)、夫々には役割があり家事全般 特に食事、人間専門に診る医者、森林(環境)保護、しかし人間もいなければ森林さえない。既に役立たずのアンドロイドと化していたが、死ぬ(壊れる)ことも出来ない。そこに200年の時を経て人間が現れた驚き、そして関心と奉仕できる喜び。そこに必要とされる意義のようなものが浮き上がる。同時に戦争は全てのものを奪う愚かな行為も。

コールドスリープという人体実験に応募した理由は、今の暮らしがもう少し楽になればという ちょっとした欲(お金)のためだったが…世界が違えばお金はただの紙片。大切なものはもっと身近にあった。失って気づく大切なもの、それは人間をはじめ全ての生あるもの。
卑小だが、全てを無にした設定…アンドロイドのエネルギー源は何か、そして人間ケイへの食事(食材)は どのようにして調達出来たのか等々。人間もケイ(男)だけで これからの人類(生殖)は、そして唯一の希望 四葉のクローバーはどうなるのか。これから先も関心が尽きないが…。
次回公演も楽しみにしております。
Flower

Flower

兎団

中野スタジオあくとれ(東京都)

2024/10/10 (木) ~ 2024/10/14 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

現代と過去(戦国時代)を往還する というよりは綯交ぜの混沌とした物語。解ったようで実は理解が追い付かない独特の世界観だが、飽きることなく観ることは出来る。この団体 気になっていたので観に行ったが 満席いや増席するほど盛況。開場前から並んでいる人が多く、コアなファンに支えられているといった印象だ。

心の在り様は、時代が違っても…例えば 花にも色々あり 一輪でも存在感ある大輪を咲かせるものもあれば、人知れず野に咲く花もある。それを戦国武将の生き様に準えて描く。もっとも戦国時代と言っても柴田勝家とお市(織田信長の妹)が北ノ庄城で自害するところから大坂夏の陣(主人公 真田幸村が討死)迄を駆け足で描いている。そのため ある程度知られた出来事(史実)を掻い摘んで紡いでいることから、全体的に粗くなっていることは否めない。ちなみに、お市の娘 茶々(後の淀殿)を戦国時代に生きた女性の代表格のように描く。冒頭 お市の最期のシーン、たとえ女性であっても自立することが大切、そんな旨の台詞が現代へのエールに思える。

「兎団式、何でもありの一大絵巻」という謳い文句、個々の武将の心情の深堀というよりは、エピソード等を誇張することで興味を惹く。そしてその時代をどう生き抜くか、その生き様が華々しかろうが 枯淡や簡素であろうが<どう生きるか>が重要だと。これが現代(シーン)の悩める中年男へのメッセージに繋がる。

一見 雑然とした描き方のようだが、史実としての物語は流れており 観せる工夫として歌やダンス、そして衣裳やメイクといったビジュアルで魅せている。勿論 効果的な音響音楽や照明の諧調によって印象付け、それら舞台技術が物語をしっかり支えている。
(上演時間2時間 休憩なし) 

ネタバレBOX

暗幕で囲い 上手 下手に非対称の黒い階段状の段差、入口近くにある置台に黒電話。至る所に切り絵が貼り飾られているだけのシンプルさ。戦国時代という乱世の光景(殺陣・アクション等)を描くためにスペースを確保しているのかと思ったが、それほど激しい動きはない。動作には、パントマイムで観せる場面も多くある。

物語は、現代の名無し男が、車で東京(江戸)に向かうシーンから始まる。名無し男は、架空の電話相談へ掛けるが、その相談事が曖昧というか要領を得ない。高校を卒業して15年、何の変哲もない生活を続け このままで良いのか自問自答している。何の不自由もなく大きな悩み事もない。漠然と生き甲斐のようなものに憧れているよう。

戦国時代の武将は日々生きるか死ぬか、家名の存続と家臣の生命と生活を抱えている。主人公は真田幸村、父 昌幸と上田城にて関ケ原の合戦に馳せ参じる徳川秀忠の大軍を少数精鋭で足止めて、知略・勇猛を世に知らしめた。勿論真田十勇士といった魅力ある人物が登場する話もある。戦国時代の終焉となる大坂の陣(冬と夏)の活躍を描いており、そこでは勝ち目がない豊臣方に味方している。そこに戦国の世を、そして武将としてどう生き死ぬかといった生き様を見せる。

現代の平凡なサラリーマンと戦国時代の勇将を比較するような描き方、そこに人それぞれの考え方や生き方を投影する。ちなみに大坂の陣では、後藤又兵衛・木村重成といった歴史好きには馴染みの人物も登場するが、真田幸村に比べると華がない(語弊があるかもしれないが)。そこに歴史に埋もれそうな人物をも照らし出す。戦国という刹那的な時代を取り上げながら、ダンスや生歌という魅せる演出で盛り上げる。そこに 独特の世界観の演出する巧さを感じる。
次回公演も楽しみにしております。
憧憬の記憶

憧憬の記憶

劇団水中ランナー

ザ・ポケット(東京都)

2024/10/09 (水) ~ 2024/10/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

㊗10周年記念 面白い、お薦め。
親と子、兄弟姉妹、夫婦、恋人などのありふれた関係、そして これまた何処にでもありそうな事を点描して、家族や仲間といった大きな輪の中に滋味ある物語を紡ぐ。そこには 現実は厳しいが、それでも人に寄り添い、助け 助けられといった優しい信頼関係が描かれている。物語は大きな事件も事故も起きない、ごく普通の日常が淡々と過ぎていく。しかし点描している事は、1つ1つが身近に起こる内容で他人ごとではない。だからこそ観客の共感と納得を得ており、クライマックスでは場内に啜り泣きが…。さすが 劇団水中ランナー、笑い泣きといった感情を揺さぶるのが実に上手い。秀作だ。

少しネタバレするが、舞台セットがしっかり作り込まれ、物語の情景や状況が瞬時に解る。この家(自宅)は、劇団稽古場兼事務所にもなっており、そこに出入りする人々(劇団員等)と家族の心温まる話。タイトル「憧憬の記憶」は、登場人物一人ひとりの想いに繋がり、テーマそのものになっているよう。そして役者陣の熱演が この物語を支えているといっても過言ではない。それだけ性格や役割をしっかり表(体)現している。
(上演時間1時間50分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は劇団稽古場兼伊原家居間。本当にそこで稽古や生活をしているような作り込み。正面にソファ、テーブル、上手下手に棚。特に下手のTVは重要。稽古場を思わせるのは正面に過去公演のポスターや北原白秋50音(発声練習用か)が貼られている。

伊原家は父と子(兄弟姉妹)の5人家族、母は亡い。物語は、次女が家を出ている兄と姉に父が認知症になったことを告げる電話から始まる。末弟は知的障碍者で施設に通所している。開始早々 家族が抱える問題を投げかける。そして長男が家を出た理由、嫁に行った長女が出戻ってきた理由など、次々に謎めいた問題が…。そして次女は同居している父や弟の面倒を見、また劇団員であることから その運営に腐心している。さらに自分の恋愛のこともあり心休まる時がない。

特別な事情ではなく、どこの家庭でも起こり得る出来事。その身近な問題を点描しながら、いかに寄り添い見守ることが出来るか。観劇経験が多い少ないに関わらず、解り易い内容になっている。そして心魂揺さぶる泣き、心底優しくなれる笑い、その感情移入させる表現が実に巧い。当日パンフにある「生きている人は生きている人を救う」というテーマがしっかり伝わる。

父の呟き、記憶が無くなることへの寂しさ怖れ、その哀愁ともいえる姿や言葉が心に沁みる。また台詞のない知的障碍者 啓太のリアルさ。物語は この弱き者2人を中心に描き、 家族の今後を優しく見詰めているよう。さて 再演があるかもしれないが…長男が高校生の時に母が亡くなり、その時 劇団で上演していた演目が「憧憬の記憶」。父は、母の手術そして死より劇団公演を優先した。それに対する反発から家を出た。今その父が…。
次回公演も楽しみにしております。
遺失物安置室の男

遺失物安置室の男

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2024/10/04 (金) ~ 2024/10/14 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

この「遺失物安置室の男」シリーズは、2005年の初演以来 何度か形を変え上演しているという。自分は2014年版を観ている。その時に比べると物語性がはっきりしている印象だ。つまり抽象的から具体的に、観客にもっと感じ取ってもらうことを意識したかのようだ。しかし、それによってテーマ「存在」が揺らぐことはない。

一見 記憶の彷徨のようであり、いろいろな「物(モノ)」と「者」の関係を描き、全体としてテーマを浮き彫りにする。ただ 哲学的なもしくは禅問答的な台詞が物語を暈しているよう。そこに公演の強かさを感じる。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台美術は、後景に遺失物が並んだ絵を描いた幕
/ 板、それを幾何学遠近法を用いて奥行きを感じさせる。その消失点が輝いているように見える。ラストはその輝きが活きてくる効果的な仕掛け。上手に「遺失物管理所入口」の看板、下手は置台に呼び鈴。そして「ご用のかたは このベルを鳴らして下さい」の張り紙。全体が昏く地下を思わせる。
また舞台技術…照明は暗い中で人物にスポットライトをあて、音響音楽はオルゴールの優しい音色、それに合わせて歌う余韻付け。実に効果的な演出だ。

物語は、害虫と書かれた帽子をかぶった男 猫田が管理所に来て、遺失物を受け取るところから始まる。そして、ここの管理人から持ち主である<本人>証明をするよう迫られる。自分で自分を客観的に証明することは案外難しい。話が展開しだすと、台詞を「管理」と「安置」を微妙に使い分けていることに気がつく。「物」は不要になり「者」は生存しなくなった状態の時、その納まる場所が違ってくる。それを奥行きある舞台美術(二重構造のようなセット)で観せている。物の価値(大切さを 呼び鈴に準える)やその要否をいくつかのエピソードに落とし込んで紡ぐ。なおエピソードとは別に、管理人の過去と人柄が…こちらに物語性が潜んでおり、エピソードと絶妙に絡んでくる。

辰子は、彼から貰った磁石のペンダント、その実用性は別にして 遠方にいる彼の愛が信じられなくなり手放すので管理してほしいが…。また、かごめ は人を刺してしまったナイフは不要、安置してほしいと。さらに入鹿沢は、小説原稿を落としてしまった。当初その価値を認めていなかった(不満足だった)が、失って初めて その大切さに気づく。「物(道具)」の価値は 使ってこそ、「者(人間)」は頭を使って=考えることで始めて真価を発揮するのではなかろうか。

さて 管理人は後々分かるが、事故で記憶を失っている。ちなみにチラシには、この管理人の特徴が書かれており、その第1に記載がある。管理人自身、自分が何者なのか、その正体不明な男が他者に対して自己証明しろと…。人の身分などは公的機関等で発行する書類等で出来るが、自分とは…。その証明こそ「生存証明」にほかならない。当たり前の帰結と思えるが、哲学的な言葉が入ると条理なのか不条理なのか曖昧になる面白さ。考えさせる公演なのだ。そして失ったのが、過去ではなく記憶であれば、そこから新たな記憶を刻み込めば 生きていける。まさにテーマ「存在」=「生」(旅行鞄を持って地下から地上へ)なのだ。

ただ、この遺失物管理所・安置室なる位置付けがハッキリしない。何となく私的機関のようだが、その存続・廃止が街を二分するほどの議論になるのか、自分の中では疑問を残して(台詞を聞き逃したか)…。
次回公演も楽しみにしております。
ゆうせいむしむし

ゆうせいむしむし

劇団芝居屋かいとうらんま

OFF OFFシアター(東京都)

2024/10/04 (金) ~ 2024/10/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め といっても東京公演の楽日に観劇。
三島由紀夫の或る小説をモチーフにした現代劇。同時に物語の設定から反戦劇といった印象も受ける。タイトル「ゆうせいむしむし」は、四字熟語「遊生夢死」の否定(無視)のよう。説明にあるように、戦争で死ななかった男が 意味ある「生」のために無謀な「死」へ向かう。

物語の始まりを戦後間もなくにしているところが妙。これによって生きらえてしまった復員兵が、これからどう生きていくのか、いや何もせず、ぼんやりと一生を過ごすのか。ここから三島作品をモチーフにした話が展開していく。チラシの表に「死ねなかったワタシの命 どなたか 買ってくれませんか」と。この突飛で物騒な言葉、日本人には それほど耳馴染みがないわけでもない。やくざ映画や浪花節など、どこかで聞いたことがある。勿論 物語に関係しているのだが、自暴自棄になっているのではなく、生きる価値を見出そうと もがいている<思い>のようだ。

小劇場の特長を生かした演出が巧い。少しネタバレするが、キャスター付きの何枚かの障子戸を回転させながら、情景と状況を描き出す。瞬時に転換するようで、実に小気味よい。
(上演時間1時間20分) 

ネタバレBOX

舞台美術は先にも記したが、6枚の障子パネルのみ。そこに異なった絵柄を張り付け 情景を観せる。素早く動かし芝居の流れを途切れさせない工夫が好い。
舞台衣裳は、軍服や着物といった戦後を思わせる洋装・和装が独特の世界観を作り出し、また輸血シーンの小道具は滑稽かつ怖いといった不思議感覚にさせる。

冒頭、敗戦を知らせる玉音放送を聞くシーンから始まる。お国のために戦死することなく復員してしまった男 ヤスオの無念さ。自殺(切腹)しようとするが、踏ん切りがつかない。その様子を見ていた男 十蔵に命を買われる。十蔵は「命販売いたします」の看板を掲げた商売をしている。さて、モチーフにした小説は「命売ります」(1968年連載)で、自殺に失敗した主人公が「命を売る」ビジネスを始め、奇々怪々な依頼に応じる中で「命」と向き合う様子を描いたもの。

生き残った復員兵が、今までの価値観と180度違った世の中で どう生きていくか。一度死んだ命、命を買われ それを売るという逆の発想の面白さ。一度死んだ命、色々な柵から解き放たれ 重荷がなくなった分、自由な思考と行動が…そこに戦後日本の姿(社会)をみる。それにしてもヤクザの妻や愛人の奇妙な愛憎、毒薬を作る女や輸血しないと死ぬ女など、一見バラバラと思える場面がどう関係し収斂していくのか興味を惹く。

戦後から高度成長期への過渡期、その(個人)意識の変化を描いているが、この時代設定が妙。そして自分(ヤスオ)は何者なのかということが段々と明らかになり、戦死した戦友たちの想(重)いを背負って生きていることを知る。いや生か(輸血)されているといった悲哀が…。妄想・幻影といった奇妙なエピソード紡がれていくが、それはヤスオの心の闇(忘れたor忘れたい記憶)であり光(今後の生き方)を意味しているよう。そこに戦中戦後を生き抜いた人々のリアルな姿が立ち上がる。物語は、戦後の社会情勢や個人意識を通して、現代社会を生きる人々(我々)に繋がっている と言えよう。まさしくタイトルに準えた人生観を示唆している。
次回公演も楽しみにしております。
コラソンのおともらち

コラソンのおともらち

コラソンのあんよ企画

APOCシアター(東京都)

2024/10/04 (金) ~ 2024/10/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
三短編オムニバスというよりは、連作品といった感じだ。登場人物を通して三編が緩く繋がっており、そこには人は一人で生きていくのは難しい といったことが描かれているよう。当日パンフにも「飼い猫 コラソンとおともだちのノラさんーその間に立ちはだかる透明だけど固いガラス窓。目に見えないけど確かに存在する他者との<心の壁>が今回のテーマとある」と。心の壁はあっても、一人では生き難いのが現実だろう。心の機微と人間関係を巧く紡いだ物語。

比較的小さな空間だが、三編の状況を明確にするため舞台セットは入れ替える。その手際の良さ、ちょっとした隙間時間に 今観た物語を反芻して楽しんだ。登場人物は3~4人、密な空間での濃厚な会話が痛々しくも切ない。そして日常見かける光景だけに納得感と共感が…。コミカルでありシリアスな味わいのある好公演。
二面客席で それぞれ段差が設えてあるから、座る場所で印象(観え方)が異なるかも。因みに猫は、冒頭 スクリーンに登場するだけで、直接 物語に絡まない。
(上演時間2時間 途中パフォーマンス休憩あり) 

ネタバレBOX

三編は 次の通り。
1.「・・・に際しまして」
舞台は同棲を解消して、彼女が引っ越すまでの わずかな時間。セットは畳二畳 その上にベット、ミニ丸テーブルとクッション。そして段ボール箱1つ。大方 搬出が終わって車に乗り込むだけ。居酒屋でバイトしている男は未練がましく、女は彼のことがちょっと心配。大喧嘩したわけでもなさそうで…多い沈黙 しかも長く気まずい雰囲気。引っ越しの手伝いに彼女の知り合いが来ているが、この人物が鍵。この状況は3作品目を観てはじめて分かる。

2.「スタイルだから・・・」
居酒屋の座敷が舞台。前作のベットを搬出し、丸テーブルの代わりに居酒屋テーブルを。ロックバンド メンバー3人の飲み会で、今後の活動について議論 というよりはリーダ(Drummer)の持論を捲し立て、たびたび解散を口にする。度々の飲み会で同じ展開に辟易しているヴォーカルが怒りだし逆襲する。店内でサングラスを外さない、小指を立てて飲む、スマフォを見ながら話す、それぞれにスタイルがあるようで…。

3.「サクサクアーモンド」
ビジネスホテルの休憩室。畳の代わりにソファ、テーブルと椅子を搬入。ホテルの清掃員とフロント嬢(コンシェルジュ?)の言い争い。宿泊客が室内を汚し、その後始末(清掃)を終えて休憩している。そこへフロント係が颯爽と入ってくる。清掃員は彼女に経営者(幹部)に、善処するよう依頼するが 取り合わない。逆に嫌なら辞めればいいと…そして売り言葉に買い言葉で本当に辞めてしまう。残されたもう一人の清掃員の切なさ寂しさが募る。

第1話の知り合いの人物、実は引っ越しをする女の姉でホテルのフロント係。妹をだらしのない男と別れさせたが、結果 引き籠りになり。両親がいなく姉妹2人、妹は誰かに頼るといった依存癖がある。だから清掃員の頼るような依頼事は断った。一方 辞めた清掃員が住んでいるアパートに同棲を解消された男?がいたようだが、孤独死をしたと…。
自分の内(心)にずかずか入ってこられるのも煩わしく迷惑、しかし距離を置き過ぎると違和感が…その人間関係は難しい。人が存在している限り永遠の課題かも。
次回公演も楽しみにしております。

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