再生数
よた
水性(東京都)
2025/05/09 (金) ~ 2025/05/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
前衛的というか斬新的と言うのか、とにかく若い力が新しいことを試みようとした作品。本作は、松原俊太郎氏がスペースノットブランクに書き下ろし、「最後の映画」として上演された「再生数」(2022)を経て、上村陽太郎氏の演出によって 新たな「再生数」(2025)として上演。
少しネタバレするが、複数のモニターに映像(場面タイトルらしきもの含む⇨台割か?)が映り「ゲームの世界なのか、撮影の現場なのか、劇中劇か、はたまた現実なのか」、そんな色々な虚実が錯綜するような感覚劇。分かったような分からないような曖昧さ、それゆえ小難しさは残る。しかし言えるのは、死んでは生き返る「輪廻転生」のループが描かれ、表層的ではあるが<或る愛情>の断面が垣間見える。この感覚を刺激するような舞台、他の劇団(そちらも若手の主宰)でも似たような作品を観ており 最近のトレンドなのか。
この創作カンパニーは、第15回せんがわ劇場演劇コンクールのファイナル5団体に選出されて、5月24~25日開催の本選へ。このコンクールが選びそうな作風とも言える。勿論 上演する作品(時間制限があるため)は違うだろうが、「再生数」で言えば、突き刺さる台詞がありハッとさせられる。そんな批判・風刺的なことが 巧みにもっと込められると好い と思うが…。観客を選ぶ作品だろう。
“よた”カンパニー、まだ この作品しか観ていないが、伸びしろが感じられる。注目していきたい。
(上演時間1時間15分 休憩なし)
ネタバレBOX
この劇場というか会場は初めて。基本的に素舞台で、前方の上手と下手に舞台技術を担うスタッフ各1人。上手にモニター、中央にカウンターとモニター、下手に巻き銀紙等を吊るし 楕円形の天井部分が回転するオブジェ。床はモスグリーンのラグマット カーペット。冒頭は、劇団ワンツーワークスが得意とするようなスロームーブメントで、役者が順々に入場し場内を一巡する。
物語の本筋は説明通り「フフがミチコと繰り返す輪廻転生のループ。映画を撮りたい男たちによって、そのループは壊された」で、分割もしくは分裂した過程を繋ぎ再生していくかのように紡いでいく。フフとミチコの心的距離感、それを撮影隊によって試されるといった不条理。2人だけの世界、そこへ闖入者(撮影隊)が現れ 日常が壊れ、歪な(閉じた)世界が表れる。
第三(撮影)者によって創られた世界、しかし そこには確かに生が存在する。にも拘わらず現代社会はインターネット上の不確かな情報を日々摂取し、アイデンティティ・クライシスに陥る。確固たる自我は幻想でしかなく、空虚さが2人を不安にさせ、信頼関係に揺さぶりをかける。自分(私)に迷い 自我を問い直すことになる。
撮影に台本があるのか判然としないが、役者は組み合わせを変え、劇中劇のように物語を描く。舞台に立つ役者は、役柄だけではなく 舞台という孤独の中に身を置き 自分と戦っているところに魅らされる。それは現実と虚構(舞台)を行き来きするが、確かにその中で生きている。近くに居ながら不安になる心、独りよがりな孤独を乗り越えようと、そんな2人の女性の姿をループで表現しているようだ。この”ループ”は身体的な生死ではなく、<心>の在り様を意味しているのではないか?混沌とした世界の中で、すっくと立つ自分たちを探すことが出来ただろうか。そんな考えさせる作品。
公演の特徴は、日常会話では あまり聞かない哲学的・観念的な台詞、その台詞と大きな身振り手振りのパフォーマンスが一体となって演じるところ。そして美しい映像や生歌といった観せ聞かせといった工夫も好い。
次回公演も楽しみにしております。
クロリスの花葬
劇団うぬぼれ
荻窪小劇場(東京都)
2025/05/04 (日) ~ 2025/05/05 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
土俗的・伝承的なことを背景に、女性2人が過去と未来を行き来し 自分たちのルーツというか家世を探るような物語。少しネタバレするが、説明にある「私の曽々祖父の骨は、どこに行ったんですか」「荒らされた墓。消えた骨。託された骨壷。」…2人の祖母たちが中学3年生の時に経験した ひと夏の冒険が謎を解くカギ。
閉塞的で因習に縛られた地域、そこで代々暮らしてきた人々の 忌まわしくも愛しい繋がりを描いている。思い切って過去の出来事に向き合う、その先にあるのは自由を手に入れるといった解放。流れる音楽は「蛍の光」で、束縛からの卒業を意味しているようだ。いろんな意味を込めた劇作…タイトルにあるクロリス(ギリシャの女神で豊穣神)は、舞台である地域であり人間を表し、その花(バラ品種)言葉は「未来への希望」である。
物語の肝である悪しき風習のような悍ましさは、あまり感じられない。その土地から逃れたいという切実感、そして人間関係(家族も含め)の束縛感が弱いため、物語の底流にある不自由さ理不尽さが暈けてしまう。敢えて そうしたのかも知れないが、表層的な美しさ 優しさだけではなく、もっとドラマティックに描いてもよかった。また 過去と未来を往還するためだろうが、暗転の多さと転換の手間取りも気になる。
(上演時間1時間30分 休憩なし)【Cチーム】
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に平板で組み立てたベンチ、その左右に可動の衝立があり真後ろにも大きな衝立状の絵画壁。殴り書きしたような絵だが、よく見ると花が描かれている。クロリスの花であろうか。
物語は、現在の2064年と過去の2006年を行き来して描かれる。冒頭は現在、この地域の学生時代の親友、白崎さくら と 黒田桃香が思い出話や近況を語り合っている。社会人になり、さくら は東京暮らし、桃香は地元にいる。何の屈託もなく話が弾む。そして話は、2006年2人の祖母 白崎杏子と黒田莉子の時代に遡る。この地域では、親が決めた人と結婚する習わし。さくらと桃香は、莉子がいた古家を訪れるが、その時に莉子が残した日記を見つけ 或る秘め事を知る。実は、杏子と莉子は中学3年生の時、ひと夏をこの家で過ごしていた。
莉子の祖母は、夫から暴力を振るわれ、近所に住んでいた さくらの曽々祖父に助けてもらっていた。その好きになった人の骨を花畑に撒き、咲いた花と一緒に焼骨すると色づいて綺麗になるという。日記は敢えて さくらに読ませるように…。長い年月をかけて好意を抱いた人と一つになる。それが託された骨壺である。
2つの時代を行ったり来たりするたびに、衝立可動(回転)させ情景を変える。そのたびに暗転させるため慌ただしい。現在(2064年)に残(遺)る因習村ということが想像し難いこと、フライヤーにある曽々祖父(=高祖父?)の位置付けがよく解らない。この物語は儚い愛を描いているのか、社会(家)制度の不条理なのか、その世界観がはっきりしないところが残念。
次回公演も楽しみにしております。
叙情詩劇【失楽園】第一部「ゲットー」
エンギ シャB
テルプシコール(TERPSICHORE)(東京都)
2025/05/04 (日) ~ 2025/05/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
入場無料投げ銭制。
この公演は、叙情詩劇【失楽園】として第一部「ゲットー」第二部「mother」第三部「天国の朴」の三部作を3か月連続で上演し、8月には三部作の通し公演を予定しているという。謳い文句は「命を冒涜する生き方へ問いかける」と言ったところ。
物語は、時代や場所を錯綜させ 人間と社会の関わりを重層的に描き出す。人間の無知や傲慢等といった愚かしさ、その結果 社会は混乱・混沌とし世界は滅んでいく、そんな警鐘を鳴らす。一見、アングラ演劇のような 反体制運動や反商業主義が根底にあるような錯覚に陥る。何もない空間に 壮大にして独特な世界観を創り上げている。それは絵空事ごとではなく過去の悲惨な出来事を出発点にしている。
全体として 描き伝えたいことは解かる。場面と場面の繋がりは断続し、しかも入れ子のようであり劇中劇といった観せ方で、脈略を捉える(追う)ことが難しい。しかし逆に言えば、物語の混沌とした世界観は、舞台ならではの面白さとして感じることが出来る。少しネタバレするが、素舞台(丸椅子3つ)で役者4人(女優3人、男優1人)がその演技力で幾つもの世界を築いていく。しかも女優のうち1人は、交代で舞台技術(音響や照明)を担当する。世界(物語)の違いを表すために舞台上で瞬時に着替え、違和感なく次の場面へ、そして新たな人物像を立ち上げていく。その演技力は見事!
(上演時間2時間 休憩なし)
ネタバレBOX
無政府状態に等しい混沌とした風景を切り取り、或る社会の裏面史を生活者の目線から見た批判・感覚劇。場景を断続しながら紡ぎ、不思議な構図 その階層を築いていくようだ。
時は近未来。ランとスーは「motherの後継者」として無限の次元を冒険している。今の次元は2人で演劇活動を行っている。生と死を消費している世界において、市民1人ひとりの人生は社会に適応出来なければ隠遁しろと迫る。現実を見れば、mee too運動やコロナ禍 騒動など、全体正義の同調圧力に苛まれている。スキャンダルやハラスメントの告発は、それ自体深刻な問題であるが、それがSNSやメディアにかかれば正義というエンターテイメントによって陳腐なものになる。ハラスメントの告発は正しくても、セカンドハラスメントは卑猥で好奇に晒される。
一方、富士山の裾野に広がる青木ヶ原の樹海では、政府の人間再生施設「ゲットー」が開発され、人々は 社会で生きるか、死のどちらかを選択する「再生プログラム」を受けていた。そこに居るMとラン、スーとの出会いを通して生とは何かを考える。究極の選択は、ある意味 戦時中であり倫理感の欠けた自己中心的な考えであり行為。生きる者は強者であり 死を選ぶ者は弱者、まさに資本主義社会の構図に近い。ここでは反転した世界を描こうとしているようだ。争いの果てにある「核」は全てを滅ぼすといった警鐘を鳴らす。
物語が展開するとメタメッセージのような。場景を交錯というか入れ子のように描くため、何を訴えているかを考えながら筋を追うことになる。いや 逆に筋を追いながら考えている。鮮やかに区切られていく時間と情景ー今の次元 2人の演劇活動では、劇中劇のような様相の中で 社会の問題を点描している。ハラスメント・me too運動そして倫理感の欠如などの連鎖と拡散、その先の見えない不気味さ 怖さ。その言い表し方が難しい世界観、それを役者4人が熱演していた。
次回公演も楽しみにしております。
Two Be or Not Two Be
祭文庫
小劇場 楽園(東京都)
2025/05/04 (日) ~ 2025/05/06 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
言葉は平易で 難しいと言う訳ではないが、自分には なかなか手強いといった印象の物語。内容は「ここは獄 囚われの宗教家の男と、獄吏の女 2人が織りなす会話劇。2人は出会い、響き合い、そして何処に行くのか」の通りだが、その会話が哲学的というか観念的で、「人間は何故生きるのでしょうか?」と問い掛けてくる。場所は、獄舎という逃れられない小さな空間、それを皮肉にも”楽園”という劇場に見立て緊密に紡いでいく。たびたび出てくる言葉「価値観を変える」は、人の心そのものを意味し、それまでの生き方を見直すということ。
手強いと感じるのは、この世界観である。過去なのか未来なのか判然としない、その足元が定まらない不安さが心をざわざわと落ち着かせない。立場や生き方が違う2人、相容れない会話がヒリヒリとした痛みとなって伝わる。綴られたその終点の見えない旅は、観る者の胸に深い爪痕を残し…そして「その先」を想像させるような。獄や刃物というリアルな場所や小道具にも関わらず、抒情的とも思える演出が特徴的だ。観客を選ぶ公演かもしれない。
(上演時間1時間10分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、舞台と客席の間に蠟燭を均等に置き火をつける。水が入った樽桶、奥に古書らしきものが数冊。登場人物は宗教家と獄吏の2人。ただ、上演前に体躯のよい男が舞台上で寝転び、古書を水の入った樽桶へ捨てようとするが 躊躇している。物語が始まり 蝋燭は消される。
宗教家は既に獄舎に収監されており、獄吏によって処刑されるのを待つばかり。何の咎で捕まったのか明らかでなく、重要視していない。むしろ「人間は何故生きるのか」といった生き様の問答に主眼がある。前任の獄吏は、宗教家との問答で精神を病んだが、今の獄吏は処刑することを苦にしていない。その強靭な精神力が宗教家の歓心(関心)を買う。
宗教家と獄史の生き様は対照的で、赦しの有無そのもの。だからこそ獄史は躊躇なく処刑してきた。その手は血に染まり 臭いは消えない。樽桶の水で手を洗うが、しみ込んだ血臭は獄史の体臭のようなもの。その得体の知れない不気味さ、それがジワジワと獄史の精神を蝕んでいく。一方、宗教家は母との辛い思い出、そのトラウマに苦悩している。言われるままに処刑してきた獄史、そこに何ら迷いはなかったが、宗教家の無条件の赦しに心が揺らぐ。
獄史は宗教家にナイフを突きつけるが、処刑することが出来ない。宗教家は獄史の手を取り自らナイフで刺す。生きるとは 怒り傷つけ、そして癒し赦しといった感情の繰り返しであろうか。ハムレットの有名な台詞を思わせるようなタイトル、そこに込めた思い願いは何か。普遍的とも思えるような物語は、現代において どのようなことを訴え伝えようとしているのだろうか。その曖昧とした問が、自分の中で消化できていない。分かることは<救いを求められ、ゆえに救いの道へ>、それが獄史の旅立ちのよう。
舞台技術は、獄舎という狭く薄暗い空間、その重苦しい中で宗教曲のような音楽が流れる。ラスト、獄史はフードを被り スモークが立ち込める中、劇場(楽園)の重い中扉を開け、その先から光が差す といった効果と余韻付けは好かった。
ワトソンとスィートホームズ/皆目見当がつかない
かーんず企画
シアター711(東京都)
2025/05/02 (金) ~ 2025/05/06 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
【皆目見当がつかない】観劇。笑いの中に不気味さも…。それでいて、肩の力の抜け具合がよい。
説明では「それは平凡な人たちによる平凡なピクニックだったはずが、平凡ではない人々の乱入で平凡だった人たちの平凡ではない姿が露呈されていく」というものだったが、何方かといえば、嘘と真、建前と本音、そして誤魔化しや気遣いといった日常の暮らしが垣間見える内容。これを 人によっては訳の分からない屁理屈で尤もらしく言うだろう。
物語は、会社のOL4人が 花見ならぬ新緑を愛でるため公園で親睦会を行う。そこへ男2人、さらに自称プロの歌手が現れて…といった平凡な中に闖入者が現れたことによって起こる小さな波紋。暮らしの中にある、小さなウソや誤魔化しは必要悪なのであろうか。子供の頃にウソはいけないと教えられてきたが、大人(社会人)になると<建前>というウソをついている。しかし建前がないとギスギスした人間関係になることも、そんなアイロニーが描かれている。日常の一コマにみる可笑しみ。「ワトソンとスィートホームズ」とも関係しているようなGW特別公演、ぜひ劇場で…。
(上演時間1時間10分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、石のような箱馬が7つ 不均一に並んでいる。上手奥は一段高くなっており、下手奥は枯れ葉。公園の椅子であり高台といった光景。特に照明の印象はないが、音響は 鳥の鳴き声が それらしい雰囲気を漂わせていた。
会社のOL4人がピクニック、その中の1人が早く来て場所取りをしている。そして時間に遅れてきた女性は、外国人の子が迷子になっていたので保護対応していたと言い訳。持ち寄ったお弁当を披露し、飲物は近くのコンビニへ買い出しに行くが、ここ迄で いくつもの嘘が垣間見え、言葉遣いで 先輩後輩の関係が分かってくる。そこへ男2人連れが現れ、そのうちの1人が早く来ていた女性の元カレらしいが…。女は男をストーカーと言い、男は女が別れたくないと足に縋りついた と言い分が違う。
男2人は、ここで別の女性と待ち合わせをしている。元カレが友人のために女性を紹介するが、OLたちは その成り行きを興味津々で見守る。公園では音楽イベントを行っており、中座して見学に行ったりと人の出入りが頻繁になる。当人がいない時に本音がぽろっと…例えば、皆の(建て)前では 弁当が美味しいと食べていたが実(本音)は不味い。また 場所取りした女性は、そんな早く来ていないと嘘(気遣い)を言う。人間関係の潤滑油のような建て前、それを良しとせず<嘘>として使わなくなったら…。「噓も方便」は使い古された常套句だが、公演を観たら 妙に新鮮で説得力を感じる。
公園にボロ服を着た、自称プロの歌手(弾き語り)が彷徨いている。その陰気だが気になる歌が 明るく華やいだ雰囲気を損なう。説明にある 平凡でない人々とは、男2人組と歌手を指すのであろう。この乱入者によって、日常の多くの曖昧なことが嘘で成り立っているが露呈するよう。女のストーカー発言や男の縋る発言は、それぞれ嘘と言い 仲直りをする。嘘と真、建前と本音の使い方の可笑しさと難しさを上手く描いている。
次回公演も楽しみにしております。
いつかの日の
こわっぱちゃん家
アトリエファンファーレ東新宿(東京都)
2025/05/01 (木) ~ 2025/05/05 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
劇団の活動紹介にある「ポップなくせに理屈っぽい《ロジカルポップ》を売り」、その真骨頂を見るような秀作。社会的な出来事と人間的な思いを巧みに織り込み、幅広く奥深く描いており観応え十分。当日は土砂降りの雨だったが、観に行って良かった。
身近な所から現代の社会問題を点描し、そこで働く人々の寄り添いが解決の難しさを物語っている。今ある日本の現実と この先もしかしたら という仮想の出来事が巧みに繋がっていく怖さ。劇中の台詞「いつも通りを心にとどめておかないと、すり抜けてしまう」は、物語の芯を的確に表現しており印象深い。
市民(人間)の切実な願い 思いは、なかなか叶えられないが、政府の思惑はあっさり憲法改悪してまで実行(施行)してしまう。ブローバル化社会において、いつ如何なることが起きても不思議ではない。自分で賢く考え行動することが求められるが、この物語の人々の立場・役割のジレンマが…。
(上演時間1時間55分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術はシンメトリー、中央に半楕円形(U字型)のカウンター、その外側に各2つの腰掛。後壁は航空(市街)地図。全体的にスタイリッシュな感じ。
舞台は、東京の或る市の市民課。物語は、女性が 婚姻届を受取り記入の仕方を教わっているところから始まる。女性が帰ってから、職員たちは なぜ一人で来たのか訝しがるが 深く詮索しない。次がLGBTQ+の悩み相談など、仕事は多義にわたる。そんな中、市の合併話が浮上する。平成の大合併を思わせるような展開だが、合理化/効率化といった市民しわ寄せではなく、前向きな捉え方。それぞれの市の特徴は、防災警備に力を注ぎ安心安全、合併相手の市は、民間会社出身の市長が財政基盤を健全化させている。市のスケールメリットはあり、現市長2人は新市長へ立候補予定。事前にビジョンを話し合うが、その中で”新東京市”として24区目を目指すと…。ここ迄が前半で、日常の暮らしに根付いた人間的なドラマが描かれている。
突然 国が戦争に参加し、徴兵を地方行政に割り振った。市民課は出兵受付係も兼ね、さらに徴兵への補助金支給など、多忙を極める。また徴兵した人をどこへ配置するのか、といった心労が職員の心身を蝕んでいく。そして多くの死者が…。そんな中、両市にいた職員同士が結婚し、新市で働いていた夫が徴兵に応じ最前線へ赴いたが生死不明の状況へ。前半と打って変わり社会的、国家的なドラマへ変貌させる。平凡、小さな幸せは日常の足元にあると…前半と後半と通してそんな思いを抱かせる。
市民課という身近な存在を舞台に、現代的な問題を点描する。冒頭の婚姻届は、女性同士の同性婚で日本の現行法では受理できない。続いてLGBTQ+の悩みを描き、問題の広がりと奥深さを観せる。現実に色々な考え方や意見があり、それを いくら虚構の世界(舞台)とはいえ、収斂することは難しいだろう。最近、立法や司法などで話題になるが、どう決着するのか不透明。また戦争の件、あっさり憲法改悪をして 参加するが、グローバル化社会にあって 無いとは言い切れない。直接的な戦火、悲惨な状況を描くようになってからでは遅い。その微妙なところまでを巧く描いている。
次回公演も楽しみにしております。
熱海殺人事件
Uncle Cinnamon
新宿シアタートップス(東京都)
2025/04/30 (水) ~ 2025/05/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
"一流の" 犯人として仕立て上げていく・・どうして一流にするのかが この戯曲の肝。今まで観てきた「熱海殺人事件」の視点(人間の尊厳をかけた戦い)とは異なり、敢えて表層的に”愛情”を中心に据えた、いわゆる痴情のもつれを原因にしたように思えた。どちらかと言えば、木村伝兵衛部長刑事の諸々のハラスメントを通して、(現代)組織と人間関係の奇妙で面白い構図を観せたかったような。
今の時代ではNGワードばかりであるが、そこに生身の本音が透けて見える。建前と本音の探り合いを経て、本音と本音のぶつかり合いの中に人間(信頼)関係が構築される。事件の奥にある差別や偏見といった、今でも色褪せないテーマが薄まっているが それでも面白い。部長刑事部屋という 狭い空間で織りなす人間模様を生き活きと描き、それを生歌あり楽器演奏ありと楽しませる。
少しネタバレするが、犯人 大山金太郎は客席通路を歌いながら、時に観客と握手をしたりして登場。全体的に楽しませて観(魅)せるといったサービス精神旺盛な公演。そして定番である大音量の音楽や多彩な照明の諧調など印象付けが巧い。大音と言えば 大山金太郎が、この劇は大声だけが取り柄といった台詞があるが、苦笑、失笑も含め笑いの多い公演でもある。
(上演時間2時間10分 休憩なし) 追記予定
アルカの板
9-States
駅前劇場(東京都)
2025/04/25 (金) ~ 2025/04/29 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。日本のどこにでもありそうな話、それを或る漁港(漁協組合)での出来事として描く。いや漁港だけではなく、色々な産業(界)や商店街等といった場所で見聞きするような内容。社会的であり一般的なことが描かれており、身近な問題として捉え易い。ドキュメンタリーとフィクションを行き来するようなドラマ、それをモニターを使った独特な表現が、物語に隠された もしくは伝えたいことを文字にして映し出している。ストレイトプレイ…そこに映像文字を添えること自体 斬新と思うが、それによって考えさせるのが 9-States の特長であり魅力。モニターの文字は短いが、その意味するところを瞬時に理解することは難しい。むしろ場面転換(暗転)時に映るから、その場面で伝えたいことの意。そう思えば理解も深まり、必要な演出と思える。
少しネタバレするが、漁協組合の組合長などが悪役のようにして描かれているが、単純に新旧や保守・革新といった対立ではない。伝統を守ること、保身的になることは人間的な感情、そこに地域活性化といった社会的・経済的な背景を持ち込むことによって夫々の主張の衝突点が鮮明に浮き上がる。そして家族とは、その捉え方にも相違を持ち込み、物語の広がりと深みを感じさせる巧さ。ちなみに、チラシは内容とは逆に ハガキのような小さいもの。
(上演時間2時間5分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、井上家でありスナック「海の星」。壁は、縦や横に平板やレンガ組み。上手奥に ベンチ。下手に スナックのボトル棚やカウンター、腰高スツール。木製の箱を並べてテーブル代わり。天井には裸電球が吊るされている。 9-States公演は作り込んだ舞台で、分かり易く展開する。
印象に残った台詞が「アンタの悪意やアナタの正義に ワタシはビクともしない」。そこに物語の肝が語られているようだ。夫々の主張は、その立場の考えであり思い そして真実である。勿論、個人的なエゴも存在するだろう。
物語は或る漁港で「九海丸」を経営している井上家が舞台。父が海難事故死をして、長女 柚が後を継いで母 花楓、漁師の足立一平・青山豪・真島まひろ と昔ながらの経営をしている。母が病で倒れ、都会で仕事をしている妹の杏子(プログラマー)が帰ってきた。杏子は、AIを駆使し経営改革を訴えるが、柚は漁協組合の補助(金)を受けつつ、今まで通りの経営を主張。漁師もAI等使ったこともないし、新しいことに挑戦することが億劫になっている。表層的には、革新(最新)と保守(伝統)の新旧の主張といったところ。井上家の姉妹や従業員の主張や行動は、その地域の人々の思いを代弁している。それは、同時に 日本のいたる所で見聞きするような光景である。
漁協組合は変化を好まない。今までの運営で大きな間違いがなかったこと。何より組合長が次期市長を目指していることから、新しい事をして失敗したくない。その個人的な保身が井上家の新しい試みを阻止しようと…。公私混同だが補助金の打ち切りをチラつかせといった企み。物語は、AIを使った新しい試みを地域の人々に受け入れてもらい、漁港の発展を目指すが 辞退する者もいる。何が有効な手立てか分からないが、何かに縋りたい。そこに救済の象徴である「ノアの箱舟」と「カルネアデスの板」の究極の選択を組み合わせたドラマにしている。
ダーウィン曰く「・・・唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である」などといった理屈を言うわけではないが、失敗を恐れて歩みを止めたら、それはジリ貧の始まり。翻ってみれば、歩み続けることが成功への道。ちなみに当日パンフの 9-States代表の中村太陽 氏のご挨拶を読むと、この公演にはマンネリに対する自戒を込めているような。そして本公演を制作するという試み というか意欲に敬服する。
次回公演も楽しみにしております。
逆光が聞こえる
かるがも団地
新宿シアタートップス(東京都)
2025/04/24 (木) ~ 2025/04/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。かるがも団地 公演、初観劇。前から気になっていたが、機会がなく第10回本公演にしてやっと観た。内容は、今の社会に蔓延る問題を大胆かつ繊細に切り取った力作。現実でも話題になった、演劇界という身近な世界を取り込んでいる。しかし、その世界だけではなく色々な組織や場面で問題視され、マスコミに取り上げられる。いや、そのマスコミでさえ非難されている。
問題は、過去のことと追いやることが出来ず、今になって顕在化する。一昔前であれば 親和性の一環と言われ うやむやになったことが…。説明にある通り「若くして成功を収めつつある脚本家・演出家の不破(ふわ)は、ある日、旧友の仙田(せんだ)と再会する。そして仙田の更生に寄り添いながら、不破は在りし日の記憶に手を伸ばしていく」と。何となく等身大で虚実綯交ぜの物語のようだ。
キャストは、主人公 不破 以外は1人複数役を担い、時代(時間)と環境(状況)を巧みに立ち上げ、過去と現在を行ったり来たりする。一昔前は黙認されて、いや黙殺や隠蔽されていたことが公に。最近になって ようやくクローズアップされてきた社会の問題、それを身近な出来事として描いた好公演。
(上演時間1時間55分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、剥き出しのコンクリートやブロック塀で囲まれ、上手に電柱や配管、下手奥に小さな窓。下手は立入禁止とあるドア。全体的に薄暗く不気味な雰囲気が漂う。この重苦しい感じが、物語に通底する悔悟を表しているよう。
物語は、現在と過去(高校時代)が行ったり来たりして展開する。今では売れっ子演劇人になった不破、その彼のところに高校の友人 仙田が訪ねてくる。仙田は職場の同僚を怪我させ、それが刑事事件となって前科がついた。良かれと思って、職場の後輩を厳しく指導していたが…。一方、不破は新作に取り組んでおり、オーディションで新人 東畑を採用した。彼をベテラン女優の黒嶋が やはり厳しく指導し、稽古に来なくなってしまい、公演が危ぶまれる状況へ。その口調や頻繁なLINEが、東畑を精神的に追い詰めていた。
仙田と黒嶋は、工場や演劇といった 仕事は違うが、相手の技量を高めようとした。しかし 相手からすればハラスメントであり苛めと思う。その思いの線引きは難しい。2人の対応は、不破自身にも関係してくる。実は、黒嶋のマネージャー北杜は不破、仙田と高校の同窓生。不破は 高校の時から目立った存在、自転車で遠距離通学している仙田をサッカー部へ誘ったり、悪ふざけで自転車を隠したりしていた。悪気はなかったが、それを仙田の姉 依子が知るところとなり詰られる。また不破を始め 多くの男子生徒は女子生徒の容姿等を評価(点数化)して差別していた。明らかな女性蔑視。
ハラスメント…自分ではそんな気持はなかったにしても、相手は嫌な思いをした。罪悪感や羞恥心、ハラスメントが思春期の精神に与えたダメージ。心の中で複雑化されたトラウマと本当に起きたことを他者に語ることの難しさ。それぞれの主張は、自分の立場からすれば真実で、譲れないところ。この心の問題と 不破自身の劇作を巧みに繋ぎ、等身大の演劇人としての苦悩をリアルに描いている。それが 同じ作風ばかりでなく、常に新しく斬新なアイデアが求められる世界。舞台制作プロデューサー 四宮の容赦ない要求でもある。公演は、不破という人物のドキュメンタリーとして記録する(番組制作ディレクター白洲)という形で進行する。その意味では劇中劇のようでもある。
現実とも思える情景とフィクション、舞台制作のプロセスと物語を行き来する。そこに役と重なるようなリアルな光景が立ち上がり、観客の心を離さない。至る所で起きている問題(ハラスメント)、いや以前からあったことが明るみになっただけ。過去(高校時代)のことと切り離せない 仕事や人間関係のしがらみ。寛容と関心を装って、そんな遣り切れない思いがヒシヒシと伝わる。なんと示唆に富み、時にダークな可笑しみを覚える作品であろうか。
次回公演も楽しみにしております。
通夜もなかばを過ぎて
ゆく道きた道
武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)
2025/04/24 (木) ~ 2025/04/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
通夜を通して、過去や人生と向き合う姿を面白可笑しく描いた葬儀劇。物語は誰が亡くなったのか、というミステリーではないが 謎が肝。ひょんなことから棺桶の御扉(みとびら)を閉じてしまい、故人を確認出来ない。クセの強い高齢者8人が現れ、悲劇と喜劇の狭間を彷徨うような物語へ。
現代は、気軽に繋がれるようになったが、それでも繋がりきれない想いを抱えている。葬儀は、故人と何等か関わりがあった人たちが参列するものだが…。市場経済の 見えざる手ではなく、正体不明の故人によって操られるような不思議さ。不思議と言えば、葬送にも関わらず、生きるのは大変だったし と語ることによって<生>を感じるところ。他者を弔い 自らの人生を顧みる。
故人との関わりの手がかりを掴むため、自己紹介などを始める。そこに シニア劇団らしい特長ー役者と役柄が混然となり、どのような人柄でどんな人生を歩んできたか、とぼけたユーモアと哀切が滲み出てくる。
(上演時間1時間15分 休憩なし) 【亀組】
ネタバレBOX
舞台美術は和室の中央に棺と簡素な祭壇。周りの広い空間は、後々現れる人々=幽霊の動きを確保するため。本来であれば参列者が集まるところであるが、故人は あまりにも高齢のため親戚など誰も来ない。葬儀社の社員2人(ベテランと新人)が右往左往して準備をしているだけ。燈明や線香に火をつけるため、ベテランが場を外す。
客席通路を通って高齢者8人が舞台上へ。新人社員が棺桶の御扉を閉じてしまい、幽霊は実体がないから 扉を開けることも出来ずイライラ。故人は誰なのか 自分との関りは と詮索したくなるが…。そこで思いついたのが自己紹介を通して、故人との繋がりを探ろうというもの。因みに役名(15人)は 変わっている。例えば、間しのぶ(ハザマ シノブ)、燈芯久信(トウシン ヒサノブ)、枢木うめ(クルルギ ウメ)、要金栃世(カナメガネ トチヨ)等、フリガナがないと読めないような名前ばかり。何となく葬儀または霊界に関係していそうな。職業も霊媒師 等がおり、ますます謎めいてくる。どのような人生を過ごしてきたのかを語るが、やはり この世に未練はある。この1人ひとりの語りが肝。シニア劇団らしく、役柄が役者の人生と重なるようで、味わい深さが滲み出てくる。
死神(上司と新人)が死者を迎えに来ると、クセ強の高齢者が列をなして集まりだす。夜が明けるまでに故人の魂を選び出さなければ、代わりに新人の死神が地獄へ…。新人の死神と8人の高齢者(幽霊)の虚々実々の攻防戦のようなものが始まる。多くの者が、まだこの世に未練があり、何とか現世に戻りたい。思い描いた人生ではないけれど、それでも幸せを求めて必死に生きてきた。そんな姿を想像させるドラマ。葬儀(お別れ)の場における悲喜交々の追憶、それでもコメディだから明るく大らかに展開していく清々しさ。
次回公演も楽しみにしております。
幸せのかたち
+ new Company
調布市せんがわ劇場(東京都)
2025/04/23 (水) ~ 2025/04/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
物語は、或る街のCafeを舞台に、何の変哲もない日常が淡々と展開する。2019年にも観劇しており、キャストは変わったが ”幸せ”をテーマに、恋愛模様を温かく、そして切なく といった思いは変わらない。傷つくことを恐れていた心の殻が ゆっくりと溶けていく、そんな優しさと 待つことの希望が…。それを店の従業員 まなみ の主観と常連客で小説家志望の客観を通して描いているような。その可笑しく滋味ある観察眼が妙。
コロナ禍を経て、無関心・不寛容といった風潮が広がった気がしているが、物語は 逆に人との関わりの大切さを、色々な”幸せのかたち”を紡ぐことによって伝える。台詞にある「あなたが幸せでいることが、僕の幸せです」は、一歩引いた相手への気遣い。何となく気弱、遠慮しているような。幸せの捉え方は人それぞれ。例えば、映画「釣りバカ日誌」で、主人公のハマちゃんこと浜崎伝助が プロポーズする言葉ー「僕はあなたを幸せにする自信なんかありません。でも、僕が幸せになる自信はあります」と。
「幸せ」は主観的なもの。人はどんなに愛されようが、裕福で恵まれた環境にいようが、本人が幸せを感じなければ、幸せではない。一方、相手(他人)が幸福かどうかまではどうすることも出来ない。相手を幸せに出来るか分からないが、少なくとも僕が幸せになる、勿論 相手が了承すればの話だが。物語は、泣き笑いといった感情を揺さぶるが、それを音楽と照明によって一層 効果的に演出する。少し気になったのが、前公演に比べメリハリが弱く単調に思えたこと。
(上演時間1時間50分 休憩なし) 【TEAM Coffee】
ネタバレBOX
セットは、客席に対して斜めに喫茶店内を作る。上手側がテラスになっており、公演のテーマと言えるカランコエの鉢植えが置かれ、その後方に木が植えられている。中央にテーブルと椅子、下手側に店の出入口とカウンターがある。全体が2段ほど高く設えているが、店の周りは1段低くして街路イメージ。後景には豆電球が飾られ 星空イメージ。
物語は店員 まなみ(加藤葉子サン)の観点で展開する。何の変哲もない暮らしの中に幸せがある、そんな足元を見つめた珠玉作。そして常連客 テリー(森原彩夏サン)が小説のネタ探しとして人間観察をしている。
まなみは恋人が海外に行ったきり帰ってこない。それでも彼を信じて待ち続ける。一方そんな彼女に思いを寄せる郵便局員ビンさん、それから大学生の愛やすずの切ない恋愛話、タウンマガジンの編集者等が織り成すヒューマンドラマ。そして店に集う人々を優しく見守る店長、その店長にも辛い思い出が…。
公演に温かみを感じるのは、思いを伝えるのが手紙という手段を用いているところ。インターネット社会では、メールという手軽な手段で伝達できる。送信し一定の時間内に返信がなければ落ち着かなくなり、場合によってはイラッとしたりする。スピードが求められる社会にあって、この公演は待つ=大らかな気持ちでいることの大切さを伝える。一方、近くに恋愛相手がいる場合は、直接 自分の言葉で素直な思い伝える。自分の気持を押し込め蓋をしない。大学生2人のそれぞれの恋愛模様に まなみが実直なアドバイスをするが、それは叶わぬ自分の身の上の裏返し。またラブラブと思われていたカップルが些細なことで喧嘩別れすることに。そこには相手を慮る気持が溢れている。愛、幸せのかたちは人それぞれ違う。
店長は妻に先立たれ、2人の子供(兄・妹)の面倒を見ながら働いている。父に負担をかけないようにしているのか、兄は妹の面倒を見るという建前で小学校に行ったり行かなかったり。この兄・妹が亡き母の思い出であるカランコエの花に水を注す。子供や動物が登場する映画には敵わないと聞くが、この公演も子役の素晴らしい演技が光る。
舞台美術も素晴らしいが、劇中歌や弾き語り 優しく流れる音楽が良い。人物の心情表現としてのスポットライト、暖色彩の諧調照明も心温まる雰囲気を表す。
これら全てが喫茶店フユージョンでの出来事を小説に、その物語を劇中劇にしたような気もするが…。
前回も記したが、カランコエの花言葉...「幸福を告げる」「たくさんの小さな思い出」「あなたを守る」「おおらかな心」、全てがこの公演に当てはまるような。
次回公演も楽しみにしております。
ぬいぐるみおじさんと夢みる鏡
レティクル座
スタジオ「HIKARI」(神奈川県)
2025/04/18 (金) ~ 2025/04/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。
前説での話や当日パンフにも書いてあるが、頭を空っぽにして楽しめる作品 とある。肩の 力を抜いて見応えのある虚構の世界、その適度さは絶妙。そして確かに楽しめるが、やはり少し考えてしまった。本公演、短編「パセリ農家の悲願2025」と中編「ぬいぐるみおじさんと夢みる鏡」の2本立てで、異なる作風を楽しんでほしいと。劇団はナンセンスコメディを標榜しているらしいが、両作品とも或る共通した思いを感じる。ナンセンスコメディと言いつつ、強かな作品作りをしている。或る物や者の表層(見た目)と奥にある本質的なこと、その葛藤のようなものを描いている と思う。それを被り物や小道具を使い、笑いを誘いながら軽快に描く好公演。
(上演時間 短編30分、中編60分、計1時間30分 休憩なし)
ネタバレBOX
●「パセリ農家の悲願2025」
舞台は東京豊島区北池袋の小汚い定食屋。舞台セットはテーブルと椅子だけ。それも物語が進むと搬出し素舞台へ。定食屋の常連は、いつもパセリを残す。このパセリを擬人化し、茨城県のパセリ農家で育てられた「パセ・パセ男」はエリート野菜として出荷されたのに食べてもらえない。
食堂ではエビフライやハンバーグの添え物、彩といった役割でしかない。客からは、苦くて不味いと不評。パセ・パセ男の妹分は自分の価値を認めるモノと諦めたモノがいる。しかし 台詞にもあるが、パセリは苦くても栄養価は高い。その外見(味)は不味くても、中身(栄養)は十分。
●「ぬいぐるみおじさんと夢みる鏡」
舞台は埼玉県熊谷市のイベント会場。熊の被り物=マスコット(熊ったくん?)が出番待ちをしている楽屋に見知らぬ男が来て、司会の女性 典香に これを渡してほしいと封筒を置いていく。ひょんなことから、マスコットのファンである女性 鏡子と知り合い、恋をする。一方、鏡子はホストに貢いでおりという典型的な悲恋もの。マスコットの着ぐるみを脱いで、本人 中野になると 普通のおじさんで誰も見向きもしてくれない。マスコットの時は愛想を振りまくだけだが、人間の中野は鏡子のことを心配して…。見た目の愛らしさよりも、中身のおじさんの優しさが大切といったところ。ぶら下がり健康器具(キャスター付き)のようなものを鏡(大きな姿見)に見立て動き回す。そして、時に枠を潜り抜け違った視点で覗いてみる妙。
両作品とも簡素な舞台セット(小道具)だが、躍動感ある物語にするためシンプルにしているよう。ほとんど何もない空間に、パセリという野菜でありクマのぬいぐるみが動き回るが、そこで感じるのは人の優しさ。作品に共通した通奏低音は「本質的な」こと、外見に惑わされず芯を見抜くことの大切さ ではなかろうか、と勝手に解釈。
次回公演も楽しみにしております。
修羅
LIDDTHROUGHS
ウエストエンドスタジオ(東京都)
2025/04/19 (土) ~ 2025/04/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
㊗旗揚げ公演。
短編8本を「修羅」というテーマで綴った公演。もっとも「修羅」というよりは「混乱」や「焦燥」といったイメージであり、女性の観点から描いているのが特徴。なお、演技(声量)なのか演出(音楽の被り)の問題なのか、いずれにしても台詞が聞き取り難いのが惜しい。
それぞれの短編は、現実にありそうな場面ー人間的であり社会的ーを巧く切り取っている。1本ずつの長さは適度、それをサングラスをかけたストーリーテラーがオムニバス形式として物語を繋ぐ。何となくTV「世にも奇妙な物語」といった感じ。
(上演時間2時間 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術、はじめは 中央にソファとミニテーブルがある。物語に応じて小道具を搬入搬出し状況を作り出す。また特定の色彩照明によって動きを止め、修羅場の対象人物が独白する。
タイトルと対象人物・内容は次の通り。
1.オーディション
小劇場歴10年の女優。深夜TVのヒロインのオーディションを受けるため、前日に知らされた台詞を覚えている女。わずか一言だが、どのように表現したらよいのか悩む。当日の面接演技で他の役者の台詞と違うことから焦る。開き直って自分の思いの丈を激白し…。
2.合コン
丸の内OL同期3人+後輩1人。合コンで、それぞれのタイプを目当てに集まった男を品定めする。後輩OLは、職場の人間関係を気にして先輩には逆らわない。しかし、合コンに来た男性が 皆その女性を気に入り、ついに後輩OLの本性が…。
3.不倫
不倫女。男の家のソファに2人。しかし、殆ど家具等がないシンプルな部屋。そこへ妻が帰ってきて不倫女を詰り慰謝料を請求する。夫である男は妻に土下座をして すぐに謝る。不倫女は開き直り、訴えでも何でもしてと言い残して去るが…。
4.ストーカー
優秀な女性社員。会社に知らない人物から荷物が届き、中身は刺激(エロ)的な女性用下着。会社帰りに知らぬ男から刃物を突き付けられる。こんなところで殺されてなるものかと必死に抵抗し、逆に男を足蹴にしている。その姿が女王様のような…。
5.起業
学生時代の友人2人。久しぶりに会った女友達の1人がアメリカで起業し成功。その話に触発され 20年来の友達とネイルサロンを起業しようと。それぞれが資金を出し合い、物件の契約をしようとするが2人で立ち会えない。そこで1人に資金を渡して頼むが…。
6.上京
福井県に住んでいる姉妹(21歳・20歳)。東京には金が降っているという嘘話を信じ、自転車で上京する。夜の新宿 歌舞伎町、怪しい男に絡まれているところを或る女に助けられる。カリスマキャバ嬢のようで、その紹介で働こうとするが…。
7.骨董品
カリスマ鑑定人と従業員。商談ーエジプトの白磁の皿がカンボジアの密林で見つかって、という胡散臭い品だが、鑑定金額が2億。鑑定人の下で働いている女が誤って皿を割ってしまう。慌てて同じような品を探しに街へ。その糊塗の先に…。
8.劇団
劇団員。場当たり稽古、1人ひとりに演技・演出指導をし 翌日は初日。皆 意味ありげに帰路につくが、本番当日 電車が遅れ上演時間に間に合わない。そこで劇団主宰ともう1人で上演(けん玉)する。上演前の注意事項の1つに、何があっても白けないように…。
修羅場という状況と心情表現を中心にしていることから、リアルな描写はしていない。例えば 合コンでは、酒ボトルの栓も開けず注いでいるなど。もう少し丁寧な演出があると好かった。一方、照明は外的な状況と内的な心情を巧く表しており効果的だった。
次回公演も楽しみにしております。
ええ愛とロマンス
enji
調布市せんがわ劇場(東京都)
2025/04/16 (水) ~ 2025/04/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。近未来という設定だが、現実的にも考えさせる内容。説明に南国の離島・尾神島にあるホスピス「神の御宿」が舞台とあるが、最近、離島からの医療搬送用ヘリが墜落した痛ましいニュースがあったことを思う。公演は、AIの進化、特に医療・介護分野で力を発揮したら、という問題提起のようだ。
劇団enjiは「メッセージを伝えることよりも、観る側の心に染み込むような、誰もが持っている不変的な感情を『温度』を表現したい」とあるが、この公演はAIの知性がもたらす可能性と人の心の葛藤のような物語。同時に人の死、その時を迎えるまで どう生きるかといった生き様が優しく描かれている。映像の美しい風景、方言の台詞が自然と人の温かさを感じさせる。
(上演時間2時間 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、色違いの平板を組み合わせ箱馬を作り、それを積み重ね状況を連想させる。見た目はシンプルな寄木細工のようで、それを可動させ診療所や小料理屋といった場所。同じように後壁や側壁を作り状況に応じて動かす。その壁に風景や図表の映像を映し出し、空間的広がりや解り易い説明をする。今までの公演と違って、敢えて抽象的な造作にすることによって、観客に想像させる といった意図を感じる。
島にある尾神村診療所の人間は、医師 長岡鉄雄と看護師 古屋照子だけで、他の職員はAIロボットで対応している。そして今 鉄雄は病のため本土の病院に入院している。島の人たちは人間味溢れる鉄雄を慕い、早く戻ってくることを願っている。しかし、その願いも空しく亡くなる。そして彼の心である脳をAIロボットへ。現実に医療・介護の現場ではAI導入による進歩が といったニュースを見聞きするが、そこに細やかな(人間的)感情を求めることは まだ早い。物語の中でもAIの有用性と人間的な感情のをユーモアを交えて描いている。
AI開発に係るプロジェクトリーダー的存在の黒沼祐介は、照子と鉄雄にとって浅からぬ存在。その衝撃的な事実が さらにAI技術を印象付ける。鉄雄の体は無くなるが、その意識(例えば記憶や思い等)は有る、その時の<鉄雄>とは…。劇中ではセテウスの船を例に、代替の程度や心と体の関わりを問うていた。AIロボットという半永久的な存在は、人間にとって本当に必要なものか。一方 SF映画などで、AIロボットが人間的感情を持ったら という物語もある。死なない感情は幸せなのか?そんな考えさせる公演。
現実の離島医療の脆弱さは、ヘリの墜落事故でさらに明らかになった。公演は近未来の政府の政策と 今の厳しい現実を突きつける、そんな虚実の視点が見事に融和している。それを大上段に振りかぶることなく、多少コミカルに描く。AIロボットのぎこちない動きや小料理屋での会話に人間味が…。そしてラストの精霊船や墓 社などのセットに人間臭さや営みを感じる。AIを通して人間劇を描く巧さ。
次回公演も楽しみにしております。
奇跡のりんご
劇団龍門
阿佐ヶ谷シアターシャイン(東京都)
2025/04/16 (水) ~ 2025/04/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
シアターシャイン最優秀作品受賞作品,、面白い。
物語は、説明の通り 典型的なダメ人間が地球を救う任務を依頼されるが…奇想天外というか荒唐無稽のような冒険ファンタジー。幻想と現実、壮大と矮小の世界を行ったり来たりしながらテンポ良く展開する。場面(点)と場面(点)を結んで面(物語)という在り来たりな描き方ではなく、突然 関係ないような世界が現れる。断続の間(はざま)にある空白、そこに観客の想像力を刺激し面白さを感じさせる。観客の想像力の数だけ世界観が違うのではないか。ワクワク、ドキドキ、ハラハラ、クスクスそして ジワッと。
冒険を通して、ダメ男が少しずつ変化していく成長譚。地球を救う任務とそれを阻止する反勢力、どうして そのような事態が生じ、ダメ男がその任に選ばれたのかが肝。壮大な視点は人類に向けた警鐘のようだ。笑いと泣きで感情を揺さぶり、そして考えさせる好公演。ちなみにタイトルやフライヤーにあるリンゴは、ダメ男の意志(選択)と託された世界観を暗示しているよう。ぜひ劇場で。
(上演時間1時間45分 休憩なし) 千穐楽後に追記予定
あー昼休み
劇団BLUESTAXI
シアター711(東京都)
2025/04/15 (火) ~ 2025/04/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。劇団BLUESTAXI公演は、中野のザ・ポケットで何回か観たことがあるが、下北沢は初めてだ。当日パンフにも主宰の青田ひでき氏が初の下北沢公演で、小さな劇場(シアター711)で少ない出演者での公演とある。それでも 舞台である東京下町にある お菓子等のパッケージを企画・製造・販売する小さな会社の休憩室(女性専用)をしっかり作り込んでいる。昼休みの休憩室、そこで語られる女性の話。
この会社は二代目社長 、先代ほどのカリスマ性はない。しかし従業員・パートなど皆に気をかける そんな誠実さ、包容力が魅力の人。登場人物は 社長を含め10人、1人ひとりの性格や出身地、今の状況・事情などを丁寧に描き、会社と人々 その四季折々を紡いでいく。悪人や意地悪な人はいない、それでも人は何らかの悩みや苦労を抱えている。見所は、日常の何気ない光景を 俳優陣が見事に描いているところ。ドラマチック・ドラスティックでもなく刺激的な出来事があるわけでもない、なんの変哲もない日常を紡ぐほど難しいものはないだろう。
生きることは選択の連続、迷った時は「どちらにしようかな、天の神様の言う通り」で指さした方を…。選択の結果は自分で決めたもの、自分の人生は自分のもの。少しネタバレするが、冒頭 2種類の饅頭のうち どちらを選んで食べるかで使った数え歌。2025年春から2026年春迄の1年間に起きる、1人ひとりの選択と決断を暗示している。休憩室という小さな空間で紡がれる人生模様の一コマ、とても滋味に溢れた好公演。
(上演時間1時間40分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央壁際に冷蔵庫・電子レンジ・ポット、そして二段の収納箱。上手に流し台と長テーブル、下手の壁にカレンダーと「整理整頓」の張り紙。客席寄り中央にテーブルと椅子、まさに休憩室の出現である。上手と下手の奥にそれぞれ出入り口、客席側が窓ガラスという設定。そこから陽が入り、季節や時間の経過とともに照明を諧調する。
舞台は 株式会社トミゼンの女性休憩室、そこは和気藹藹とした雰囲気に満ちている。冒頭パートの1人、安達さおり が饅頭を差し入れるが、選ぶのに迷う。その時に「・・神様の言う通り」で決めるが、その後に続く言葉は地方によって異なる。そして社長 冨山慎太郎と従業員の長谷部奈々が新人社員 植田福男(18歳)と新たなパート 立花葵を連れてきた。このパートは7年ほど前 学生の時にバイトをしており顔見知りもいる。パートは5人体制ー重鎮の安達(鹿児島県・50代)、新人の立花(29歳 もうすぐ30歳)、そして唐沢恵(東京都・30代)、井口薫(埼玉県・30代)、佐々木依乃(宮城県・25歳)で、これで やっと人手不足は解消。この出身地と年齢が、その人物が抱えている悩みなどに関係してくる。少ない出演者ということで 1人ひとりに焦点をあて、丁寧に人物像を描き、役者は それを立ち上げている。
このパートを中心とした物語は、身近に見聞きするような事ばかり。立花は適齢期?ということもあり何となく結婚したが、今は別居し離婚も考えている。唐沢は努力家で、自分の力で進学・就職もしたが、子宝に恵まれない。不妊治療を続けているが焦燥感に駆られる。同年代の井口は離婚しシングルマザーで娘(小4)を育てているが、大変だと愚痴をこぼす。佐々木は役者を目指しているが、年齢的なこともあり諦めようと苦渋の決断。そして安達は、義父に続いて義母の介護をしながら家庭を支えてきたが、義母の死と夫の定年退職を機に離婚して自由の身へ。個々人の問題であるが、社会問題と密接な関わりのあることばかり。観客によっては同じような境遇 もしくは経験したことがあり、共感等をもった人がいたかもしれない。
出身地が違うことや世代が異なることから、色々な価値観や流行った歌などにギャップがある。その違いを乗り越えて一緒に歌を歌う微笑ましさ。四季折々の光景は、例えば夏などは近くの食堂へ 冷やし中華をといった季節にあった台詞やタバコを吸いに部屋から出たとたん汗が流れ。身近にいる人々の暮らしが、確かにそこにある。勿論パート以外…社長は妻を10年前に亡くし、1人で娘を育て といった苦労人。その社長を慕う長谷部、そして佐々木を好きな従業員 南原哲平の可笑しさ、社長の妹 嶋亜希子の逞しさ といった、皆 個性豊かな人物を立ち上げている。ちなみに劇中で実際に飲食をするから空腹で観劇するのは…。
次回公演も楽しみにしております。
タナトスの棲む町
藍星良Produce
Studio twl(東京都)
2025/04/10 (木) ~ 2025/04/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。自分自身と向き合った自己分析・内省や人間観察、それを色々な形の「愛」や「恋」を切り口に描いた心象劇といったところ。その解ったような解らないような曖昧模糊とした感情を具象化しようとしている感じ。たびたび出てくる台詞「人は二度死ぬ。一度目は肉体の滅び、二度目はその人のことを覚えている者が誰もいなくなった時」だと。人が生きることとは、そしてその存在とは を劇中で語られる哲学的・心理学的とも思える台詞によって印象付ける。この公演、小難しい台詞もあるが、人の心の奥底にある魂の叫びのようなものを感じる。それを どう舞台化するのか腐心したようだーそれが舞踏と語り。
冒頭は、2人の妖艶で幻想的な舞踊から始まるが、物語の途中でも突然 舞いだす。この舞い手こそ心にある二律背反の感情の表れ。1人(紫苑)は黒を基調とした衣裳、もう1人(茜)は白っぽい衣裳で、交差した時などは対照が際立つ。愛は男女の交わり(性)から始まり、この世に生を受ける。人は何らかの形で他者の評価を気にして生きている。人の肉体は滅んでしまえば忘れ去られるが、その評価(業績等)は後世まで語り継がれる。その意味で芸術は直接的に生き甲斐を感じることができる。物語は演劇活動を行っている者たちを描いており、まさに等身大の人物が息衝いている。
(上演時間1時間40分 休憩なし)【Lycoris】
ネタバレBOX
舞台美術は、紗幕を正面そして上手/下手の壁に向かって斜めに張る。やや下手寄りに丸テーブルと椅子2脚。もともとあまり広いスペースではないこと、そして舞踊を行うため空間を確保している。この舞踊、感情というか人の内面、外面を擬人化したような存在で、その語りが己の選択を…そして物語に潜ませたサスペンスのようなことと相俟って不思議な魅力を漂わす。
物語は、劇団を主宰している穹良が恋人 翔太の死を嘆き落ち込んでいる時、墓参りで彼の妹 凪と再会したところから始まる。人間は恋愛に狂うこともあれば嫉妬に狂うこともある。その持て余した感情の はけ口はどこか。凪は、兄 翔太を慕っており穹良に良い感情を抱いていない。そのことを知らない穹良は悲しみを共有するかのように劇団の脚本家 四宮を紹介する。凪は四宮に惹かれ親しくなっていく。一方、穹良も四宮を頼りに…。後世に残したい「作品(脚本)」作りに集中している四宮、その彼を巡る2人の女性の愛情と嫉妬、そして自分は何者なのかを自問自答するような懊悩が心を揺さぶる。
劇団には雨華という女優と映像で活躍している東雲という男優、その2人が等身大の芸能(劇団)人物像を立ち上げる。台詞に込められた意味を理解しようとする真摯な姿から多少スキャンダラスなことをしてでも有名になりたい。先の三角関係の重苦しい関係とは違い、あっけらかんとした乾いた感覚が対照的に描かれている。そして、こちらも肉体関係を重ねるが深みにはまらない。その愛(感情表現)の違いは何であろうか。
人はいつか死ぬ、翻って それまではどう生きるかが問われている。昨今 注目され出した?死生学、まさに愛の形を切り口にした死生観を描き出している。
俳優陣は総じて若いが、性格と立場をしっかり立ち上げている。特に、舞踊をしながら2人の語りが哲学的であり、物語を奥深いところまで導いてくれるよう。この演出が妙。幻想的であり、時に妖艶な肢体をくねらし(婀娜やか)性的な匂いを漂わす。同時にピアノの力強く弾くような曲が流れ、感情のうねりを感じさせる。死を意識した生、その生き甲斐が男と女によって少し違うような、そんな微妙な感情も垣間見える好作品。
次回公演も楽しみにしております。
龍と虎狼ーepisode SOUJI-
FREE(S)
ウッディシアター中目黒(東京都)
2025/04/10 (木) ~ 2025/05/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
前に「龍と虎狼-新撰組 Beginning-」を観劇したが、それにリンクしている と言ってもこちらが先になるような物語だ。説明では「何故、総司は人を斬ることになったのか、その背景となる過去を『龍と虎狼』シリーズのフィクションで描く」とあるが、沖田総司のエピソード0(ゼロ)として、その心情を巧く立ち上げている。勿論『龍と虎狼』シリーズを観ていなくとも十分楽しめる。
物語に明確な前半と後半があるわけではないが、何となく後半 特に見せ場である殺陣はスピードと迫力がある。その中心にいる沖田総司役の市瀬瑠夏さんは、凛々しい青年剣士として殺陣はもちろん所作もキビキビしており美しい。顔立ちも憂いを帯びているようで孤高の剣士というイメージ。少しネタバレするが、稽古(練習)では強いが真剣(本番)では力を発揮できない。その心情を薩摩藩士 西郷信吾(西郷隆盛の弟)とも重ね、心も体も そして剣術も強くなければ生き残れない、そんな激動の時代に生きた青年像を立ち上げている。物語の肝もそこにある。
物語は新撰組の前身ー壬生浪士組と名乗っていた時、京都の情勢を探るため江戸から来た4人、そして今で言うところの風評操作を行っていた薩摩藩士<尊皇攘夷の過激派志士>、そして遊郭の花魁たちを時代状況に重ねて描いた幕末群像劇。少し分かり難いのが有名な「寺田屋事件」の場面。そこに壬生浪士組が絡んでの殺陣になるが、その状況・事情等の背景がハッキリしないことから、突然 他の薩摩藩士が現れて藩内の同士(上意)討ち、捕縛が始まる。前半の敢えて芝居掛かった緩いシーンと 後半の殺陣シーンのギャップに違和感が…。
(上演時間1時間35分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、下手の一部を2段ほど高くし別空間ー遊郭を設える。朱色の片引き戸、その両側は楓や牡丹の花柄の壁で華やか。それ以外は広い空間を確保しているが、勿論 殺陣シーンのため。
壬生浪士組の4人が江戸から京都の情勢を視察に来たところ。その4人とは沖田総司、山南敬助、斎藤一、永倉新八で、それぞれの性格を早い段階で描く。まだ何者にもなれていない沖田、冷静沈着な山南、血気盛んな斎藤、楽天的な永倉といった感じ。沖田は剣術に優れているが、実は生身の人間を斬ったことがない。その躊躇する気持ちが命取りになる、そんな危うさがある。
その頃、京都では薩摩藩のうち 倒幕に急進的なメンバーが幕府の悪評を流布していた。その中に西郷信吾がいた。彼も人を斬ったことがなく、さらに長兄(西郷隆盛)の活躍と比較され忸怩たる思いをしていた。そして情報収集や諸々の活動のため遊郭に出入りしていた。その遊郭に夕霧という花魁、その付き人として曰くある姉妹が仕えていた。西郷と夕霧、そして薩摩藩の動向を探る沖田と山南も夕霧と接触し…。初心な沖田は夕霧に恋心を抱くが、夕霧の態度は曖昧で要領を得ない。不穏な行動をする薩摩藩士、京都の町を火事にしてその隙に暴動を企てるが…。混乱の最中、浪士組と薩摩藩士が斬り合いになるが、西郷を庇って夕霧が沖田に斬られる。初めて人を、それも恋心ある花魁を。ちなみに西郷も人を斬ったことがなかった。
その悲しみを乗り越え、使命を果たそうとする。その非情さが後々、新撰組一番隊長として恐れられた沖田総司を作る。同時に精神的な逞しさを身につけ、夕霧を慕っていた女2人を素知らぬふりをして観察方として引き入れる。この2人が くノ一のような格好で「龍と虎狼-新撰組 Beginning-」にも登場する。沖田総司が人斬りへ、それが後の新撰組の原動力になっていく。幕末の動乱期を 虚実綯交ぜで描くが、やはり見所は殺陣シーン。
次回公演も楽しみにしております。
地球は僕らの手の中
劇団十夢
キーノートシアター(東京都)
2025/04/06 (日) ~ 2025/04/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
物語は、説明にある通り 銀行支店長になったその日に強盗に入られ、銀行強盗をした犯人が逃亡、さらにヤクザの事務所から大金を盗んだ三姉妹、その3つの話が収斂していく。話は 二転三転しアップテンポに展開するが、何となくご都合設定のような…。そして一発芸や漫才を所々に挿入し笑いを誘うが、あまり受けていないよう。何方かと言えば失笑。
一方、素舞台で緩い演技のように思えるが、光景や状況は想像できるところが好い。何故3つの話を繋げるのか、銀行強盗など危ない橋を渡らずとも大金を手に入れることが出来ると思うが…。何となく辻褄合わせをするため、いくつかの伏線がある。前提は その金額…ボソッと生涯収入は約3億円といった台詞がある。銀行から盗んだ金は2億円、ヤクザの事務所から盗まれた金も2億円、そこには繋がりがある。そして何故か支店長が或る方法で弁済(そんな義務はない)しようとする、その手段というか算段も…。
一発芸や漫才、そのお笑いを挿入するのが 劇団の特徴なのか。そうであれば もう少し工夫が必要。少しネタバレするが、銀行強盗後 逃走中に警察に包囲された。その際、面白く笑わすことが出来たら、包囲を解くという交渉をする。敢えて、滑稽な描きを本編に入れることなく、ドラマとしてストレートに描いたほうが楽しめる と思う。登場人物の裏があり、一癖も二癖もある設定が面白いだけに 惜しい。
(上演時間1時間30分 休憩なし) 【B】
ネタバレBOX
素舞台。舞台技術の照明や音響・音楽といった効果はあまり感じられない。どちらかと言えば演技主体の劇団。
ヤクザの「サブ」が組の資金を盗られた。その穴埋めをすべく、兄貴分の「アニキ」と「サブ」が銀行強盗をし2億円を奪った。その銀行の支店長「ダーリン」はその日に着任したばかり。ヤクザの2人は逃走する際中、警察の検問をどうにか突破し山中にある屋敷に闖入する。そこには三姉妹「るい」「ひとみ」「あい」がヤクザから奪った金を持って潜伏、祝宴をしようとしていた。偶然に出会った二組、しかし「アニキ」と長女「るい」は恋人同士。示し合わせた計画で2人は弟分の「サブ」と妹たちを置き去りにして逃走。しかし残された者たちが必死の追走。
銀行を辞め妻の「じゅんちゃん」と一緒に自殺しようと、そこへ猛スピードの車二台がカーチェイスをしている。その車に飛び込み自殺を図るが、2人のタイミングが合わない。ダーリンは、盗られた金を保険金で弁済しようとしていたが、実は「じゅんちゃん」に掛けられており…。そして彼女は闇商売ー武器の仲買のようなーをしており姉妹の次女「ひとみ」に噴射式催眠ガスを提供していた。2台が衝突(追突)し、混乱している最中に、じゅんちゃんは同種のガスで2組を眠らせ、ダーリンと共に4億円を…まさに棚から牡丹餅といったところ。
「アニキ」と「るい」は恋人で、組の資金を盗んだ相手を知っている。銀行強盗などしなくとも、その気になれば金は返せる。また「サブ」から金の情報を聞かなくとも、「アニキ」⇒「るい」を通じて知ることが出来る。生涯収入が約3億円、盗んだ金額では 遊んで暮らすには少し足りない。冒頭に登場する銀行支店長「ダーリン」は巻き込まれ被害者のようだが、この人物も 何時 妻「じゅんちゃん」に保険を掛けたか定かではないが、一緒に自殺に見せかけてといった企みへ。伏線の回収なのかご都合設定なのか判然としない。
ダーリンは妻じゅんちゃんを騙し、その彼女はダークな仕事。ヤクザのアニキは弟分を騙し、その弟分はアニキを裏切っている。三姉妹はそれぞれ役割分担があり、長女「るい」は計画立案、次女「ひとみ」は武器調達などの実行、三女「あい」は情報収集で、サブから組に金があることを聞き出す。皆 一癖も二癖もある人物ばかりで、騙したり裏切ったりと二転三転する物語。緻密とは言えない荒唐無稽な展開だが、テンポが良いことから引き込まれるように観てしまう。その意味では飽きさせない 力 がある。それだけに 緩い笑いの場面は工夫がほしい。
次回公演も楽しみにしております。
或る、かぎり
HIGHcolors
駅前劇場(東京都)
2025/04/02 (水) ~ 2025/04/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
どこか ありそうな家族、そして母親の死によって初めて親子喧嘩をする。少しネタバレするが、母親は胃潰瘍ということで入院したが、実は胃癌で余命三か月。そうとは知らされない子供(息子)たちは、あまり見舞いにも行かず自分の生活を優先(大事に)する。亡くなって味わう喪失感や後悔といった思い、それを夫々の役者陣がキャラクターを立ち上げ熱演する。観客によっては身に覚えがあるような、その没入感や感情移入等は物凄い。そして母親が心配し 会いたがった長男が引き籠りという設定が肝。
舞台美術は4か所…上手から事務所、リビング、ダイニングキッチン そして病室であり引き籠り(長男の)部屋を扉枠で仕切る。神は細部に宿るというが、実にリアルな造作で この家族(柿沼家)の在り様を描き出している。そして場転換は、夫々の場所への照明の諧調によって場景を上手く転換する。物語は家族やその周りの人々を交え、一筋縄ではいかない長男への対応を巧みに紡ぐ。柿沼家は自営業を営んでおり、職場と家庭が一緒(職住接近どころか一体)になっており、家庭の問題=職場へも影響する。そして従業員も家族同然、同じような思いを抱くことになる といった妙。
(上演時間2時間10分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、ほぼ横並びに3か所と下手奥に病室or長男の部屋。それぞれ配置されている小道具・小物が そのまま生活や仕事に使用出来る物。例えば事務机や椅子、打ち合わせ用のミニ応接セット、リビングはソファとテーブルそしてTVリモコン。下手のダイニングキッチンは冷蔵庫やシンク そして炊飯器やポット、テーブルや椅子。それぞれの場所には直接行かず、扉枠を通って移動する。その動線が異空間ということを感じさせる。
柿沼家には3人の息子がいるが、長男 修一は30歳過ぎても働かず、引き籠っている。しかも家では我儘 言い放題 し放題。そんな長男に対し他の家族は呆れ半ば諦めている。母 聖子は入院し後々判るが胃癌で余命三か月。父 輝明は修一に見舞いに行くよう言うが…。社員の田中灯里の楽しみは「レンタル彼氏」と会うこと、それを聞いて修一にも「レンタル彼女」 塚本愛を紹介する。修一は、自分の言うことに反論せず寄り添う彼女に好意を抱くが、彼女にとっては 飽くまで仕事。契約終了時、愛は修一を反面教師として母の看病をする気持になったと告げる。
母は亡くなり、その通夜はもちろん葬儀にも参列しようとしない修一。そして母が死んだと思わないことで、現実逃避を図る。父は修一に母が亡くなった事実、それを受け入れるよう諭す。ラストは父 輝明の奇矯というか自虐的な行為、その可笑しみと悲しの綯交ぜになったような感情表現が印象に残る。公演には実感ある台詞の数々。例えば亡くなった母の姿に 「まるで眠っているようだ」と。自分も 遺体に呼びかけ、周りから狂ったと思われた覚えがある。
公演は、引き籠りという ありふれた設定に親の死という現実を突き付ける。劇中のTVニュースで親が亡くなったことを隠し年金を騙し取っていた音声が流れる。いずれ親も(経済的)援助できなくなるという伏線。それにしても30過ぎの息子を色々説得するための行為があれか?力ずくは、幼児ならば躾という名の虐待になるだろうが…。
公演は、どこにでも居そうな登場人物が、その立場や性格をリアルに立ち上げ物語へ力強く引き込む。特に引き籠りの長男 修一を演じた根本大介さんの憎たらしいほどの悪態や我儘。そしてレンタル彼女 塚本愛の土本橙子のシニカルな演技、そして「言うのは知性、言わないのが品性」という台詞が印象的だ。生きることは辛く大変、それでも平凡な暮らしを手に入れるため日々戦っている は、この劇のテーマのよう。
次回公演も楽しみにしております。