monzansiの観てきた!クチコミ一覧

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マルワル

マルワル

劇工舎プリズム

駒場小空間(東京大学多目的ホール)(東京都)

2014/06/19 (木) ~ 2014/06/22 (日)公演終了

病み付きのエンドレス

螺旋階段をモチーフとした 巨大なセット。床にはランナーズウエアを装着した若いスポーツマンが寝転んでいる。
そこに、割烹着スタイル(小保方氏ではない…)の女性、ラフな格好の男性も頂上部に位置する謎の扉からやってきて、「ここは一体どこなんだ」が議論されていく。この時点だと、まるで「密室サスペンス」である。


・ダンス・シーンはいわゆるロボットダンスとも違った「グニョグニョ感」だ。確かにスタイリッシュではあるのだが、アフリカン・ソウルを大勢で放出するかのような質量だった。

ネタバレBOX


エンドレスな会話劇である。スポーツマン役の役者がコミカルな演技で会場を沸かしたし、姉弟の「友愛」もメッセージ力を感じた。弟役の○は学生劇団ということで18歳以上だろうが、純情少年を濃く、パレット化したような演技だった。

しかし、「中だるみ」も否定できない。
「汚れ」が取り憑き、6人が豹変していく そのシーンは、エンドレスゆえ「退屈」であった。種明かし=「洗濯」のピース一欠片分だとすれば。
UTSUKE  *当日券若干お出しします!!

UTSUKE *当日券若干お出しします!!

u-you.company

Geki地下Liberty(東京都)

2014/06/19 (木) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

過去との遭遇…【未来編】
「時空間移動」

要するにタイムトラベルのことを指す用語であるが、時代をスライドさせることなく、同時進行的に「過去・現在・未来」が交差する三本仕立ては斬新だった。「携帯電話」という非・視覚アイテムを活用した想像力である。


宇宙人と人間が巡り合う『E.T』等の映画。これらは、日常生活で誰しもが蓄積する、半径50m以内のストレスを減らしてしまう効果がある。

その点、磯辺と相馬が囲碁盤を前に宇宙人である告白について語るシーンは わずか1mの距離感だろう。
アメリカから「休暇」を名目とし やってきた捜査員ジョージ・高木、アリス・須賀。スティーブン・スピルバーグ監督が全米を泣かせ、数兆円単位の興行収入を叩き出して来た「ハリウッド系カルチャー・ウインド」である。
Mafty(役 ジョージ・高木) 、杉山夕(役 アリス・須賀)は観客を笑わせようと懸命に海外ドラマ・吹き替え声優の真似をすることはしない。そのテンションを保ちつつ「日系米国人」をストレートに演技したのだ。
この2人は「時空間の歪み」でもあった。セリフを聴くと心地良い。身体観すらも、アメリカンになろうとしていた貫徹主義者だった。

ネタバレBOX

「日本人の雑食性」と「ハリウッド系カルチャー・ウインド」が後半にかけ攻防する。そこに、「事業仕分け」を担当する女性国会議員が視察に訪れ、「経済」までもバトルロワイヤルしなければならない展開に。
サラエヴォの黒い手【ご来場ありがとうございました!!】

サラエヴォの黒い手【ご来場ありがとうございました!!】

劇団チョコレートケーキ

駅前劇場(東京都)

2014/06/11 (水) ~ 2014/06/15 (日)公演終了

満足度★★★★

静かな台詞にも、地球規模のダイナミズムを感じる…
1914年に実在した「人々」が100年後、劇場にいる私たちを再び身震いさせる。


「サラエヴォ事件」は人類史上初の全面戦争となる、あの第一次世界大戦を誘発したセンセーショナルな出来事だ。今脚光を浴びる社会派『劇団チョコレートケーキ』。青年ボスニア、セルビア軍「黒手組」が関与していく、事件までの足跡を硬派な演技で示す。


青年ボスニア生存メンバー2名が「語り手」。時代は「ユースゴスラビア社会主義共和国連邦」である。1980年代のボスニア深夜に、歴史を変えた「思い出話」が咲く。さすがに2014年だと100歳を上回る御年齢だから それは そうだろう。


この「モザイク国家」は1990年代の「コソボ紛争」を経て、今は もう世界地図にない。【大袈裟に言えば、20世紀の人類の抱えた問題の基を辿ると、大体がこの戦争(※第一次世界大戦)の時期に行き着くのです。】という古川 健の分析は正しい。 なぜなら、オーストラリア・ハンガリー二重帝国の継承者が6月28日に倒れなければ、「ユースゴスラビア社会主義共和国連邦」成立も、その後の「コソボ紛争」も、AP通信は配信する必要などなかったからである。

かつての「ユースゴスラビア社会主義共和国連邦」は優等生国家だった。非同盟運動の指導者。非同盟諸国首脳会議の議長を連邦崩壊まで長らく務めた。1984年にはサラエボ冬季五輪を開催する。スロベニア共和国を中心に軽工業が発展し、市民生活は西側に迫る水準だった。首都ベオグラードはセルビア共和国。

「コソボ紛争」は いわばクロアチ対セルビアの戦争である。クロアチア人はカトリック系。対するセルビア人はスラブ系(東方正教)だ。
経済先進地帯の「クロアチア」が、ベオグラードに住むセルビア人官僚の支配する連邦政府から その財源を「取り戻す」ことが連邦離脱宣言の背景だったとされる。
80年以降、国家元首である「最高幹部会」議長は 6構成共和国の輪番制であった。こうした「社会工学」的なシステムは築くが、あっさり崩壊したニュースは記憶に新しい。

連邦軍のセルビア人部隊化。崩壊過程では 軍組織がミロシェヴィッチの「セルビア軍」に寝返った。しかしながら、どうしてクロアチア政府が 一ヶ月ほどの急しのぎで造った軍が、連邦軍(セルビア軍)に「抵抗」できる軍事プレゼンスを保有しえたか。

それは、ハンガリー経由で、大量の武器がクロアチア共和国内に持ち込まれたためである。クロアチア系が 一定数おり、文化的につながりの深い、統一ドイツ・ゲンシャー外相がイニシアチブを発揮した国際社会も「スラブ系」のロシアを除けば「クロアチア支援」の世論でまとまりつつあった。

もう一度、「サラエヴォ事件」時、1914年のバルカン関係を整理する。


セルビア+ロシア対オーストラリア・ハンガリー二重帝国+ドイツが当初の戦争当事者だった。すなわち、フランス、英国の動向こそ違うが、90年代から続いた「コソボ紛争」「ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦」と等しい関係なのである。


古川の「大体は この戦争の時期に行き着くのです。」は正しい。




追記あり

毒舌と正義

毒舌と正義

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2014/06/06 (金) ~ 2014/06/12 (木)公演終了

あっという間の1時間50分…教育現場をサスペンス

「教育新生」は国民が渇望する夢だ。

小中一貫校を制度化し、「箱」を改革していく。これは「教育崩壊」を あくまでもテープで継ぎ接ぎするようなモラトリアムに過ぎない。

毎日教壇に立ち、生徒を指導する「最前線部隊」としての「教員」が この問題の責任者だ。「教職は一般企業の仕事とは違う気がするんですよね」というセリフもあったが。
仮に、「日教組を ぶっ壊す」が「教育新生」への最速手段だとすれば それは一大国民運動となりえる。





修学旅行中の生徒同士の暴力沙汰。
「教育新生」どうこうより、大人のための組織論を学べる舞台だ。

転任教師と教頭の「嫌み」と「嫌み」合戦は、まるで朝日新聞社説のような「頭の良さ」だった。古城氏には脚本構築力がある。もっとも、「築」は鉄筋コンクリート製のガチガチな建造物を指す。


タイトル『毒舌と正義』のうち、「毒舌」といえば故 立川談志だろうか。彼は こう述べている。
「アタシは絶対的に正しい人間だと思ってる。なぜなら“おれは間違ってるんじゃないか”と常々思ってますからね」

対極は役人連中である。

役所は未就学児にも解読できるだろうな「絶対的に正しい」スローガンを公共施設に貼っている。言語を「取り繕う」ことが この国では「公の証明」だ。

「みんな」とか、「地域」とか、「元気」とか、「明るい」とか。こうした文章は「ひらがな官僚作文」と呼ぶ。「ゆるキャラ」も ある種、作文がキャラクター化したプロパガンダだ。

議員への政策案に「等」を散乱させることで「裁量権」を得ようとする役人連中は「私」のコンピュータ付き野生動物だろう。官僚作文は 典型例である。また、関係ないが、外務省は日米首脳共同声明の文章に「軍事コミットメント」を高頻度に載せるなど、英単語を 過剰輸入する傾向がある。




しかし、立川談志からすれば 「公」(絶対的な正しさ)を ひらがな や難解な漢文調で証明(定理化)しようとする役人連中は まさしく「愚の骨頂」なのである。



追記あり

素人

素人

劇団天然ポリエステル

タイニイアリス(東京都)

2014/06/12 (木) ~ 2014/06/15 (日)公演終了

すべての劇団員、必見
架空の劇団を軸に「演劇愛」を訴えるシリーズは定番化している。
必ずしも小演劇界の実情ではないが、やや誇大広告的に「こんな話がきた」「任せてくれと頼まれた」ーその展開は まるで「ジャパニーズ・ドリーム」である。


『劇団天然ポリエステル』「劇団寂し部」第二弾。で、なぜ「すべての劇団員、必見」か。それは、女を捨てたわけでもないのに「演劇と結婚」したことにされたアラサー主宰(=小島 菜奈子)の生き様にある。

「卵子減らして、それで、それで、いい作品つくってんだよ!」


この台詞は女優の視点とは違う。もし、お化粧し、ドレスに身をつつむ役が放ったら露骨すぎる。「裏方」の代表にしか その資格がなかった。
この作品、劇団ではなく、(世間が烙印する)「負け犬」の応援団だ。


さらに 「○○と結婚」を夢想すると、「お笑い」が検索ランキング一位である。女性お笑いコンビ「オアシス」大久保氏は本気で「男なら誰でもいい」を結婚条件にしている。
また、お笑いの世界も大変厳しいために「辞める」女性が ほとんだ。

「昨年、芸人を辞めちゃいまして…。今は普通に事務系の仕事やってますね」

昨年4月の段階で都内オーディションに出場していた女性コンビの一人。たしかツッコミ担当だった。

「○○と結婚」するのも「茨の道」に変わりないようだ。



(ある女子大学生は「結婚は女の逃げ込み場」と表現している)

ネタバレBOX

プロデューサー・柳(=やんえみ)のハスキー・ボイスが、劇団の逼迫したリアリティを不意に提供している。
王子(=泊太 貴)も、一般男性とMr.アンパンマンを華麗に両立させた演技をしていた。「二次元しか愛せない」を告白するシーンは「アキバ感」が乏しかったが。
【不帰の初恋、海老名SA】【カラシニコフ不倫海峡】

【不帰の初恋、海老名SA】【カラシニコフ不倫海峡】

MAパブリッシング

草月ホール(東京都)

2014/06/03 (火) ~ 2014/06/05 (木)公演終了

「文口体」にみる表現活用法と「敗者の宿罪」


『カラシニコフ』(高橋一生・酒井若菜)

民族紛争が勃発する国際情勢は、地雷の除去を「職業」とするNPO・ボランティア・スタッフを海外へ派遣した。

「バズン」

少年兵の撃ったライフル銃が命中。
「女性死亡」ニュースが流れ一年が経つ。意気消沈するボランティア・スタッフの旦那。「雑誌記者」を自称し、何の前触れもなく「事件」について迷惑メールとともに送信してきた女。

ここから「恋」が始まる とは…。


坂元の根底には、「国際平和とかアピールしてるけどさ、エネルギッシュの真裏に湧く男女の欲望は隠蔽できないわけよ」という斜めの視点がある。

酒井は『カラシニコフ』に宿罪する「敗者」にも それを導き出し、エロティックに朗読していた。


彼女には知られざるエピソードがある。


「マイク、でかい」

大作ホラー映画の舞台挨拶。進行を止めた張本人が酒井だった。

映画用の宣伝物がマイク周囲に付けられおり、巨大な故、「壺にはまった」(水川あさみ)らしく、大爆笑してしまう。10分間の笑い声。


それは独自の「感受性」だった。

ネタバレBOX


/『カラシニコフ』の朗読劇はPCメールである。文語体、口語体、時に画像、という名のコミュニケーション・ツールが登場する。
「国際紛争」のシリアスな話題ものぼるが、マイナー・ネタで終始和む。「東急ストア」に「村上龍」…坂元はテクニシャンである。



/ラストにかけ背景の整合性が欠落していた。「タクシー代がない」から小竹向原から渋谷・宇田川町まで走る男が、コンビニで「烏龍茶」を購入するのは どうか。気が動転しているわけでもなさそうだ。
また、あの緊迫した状況下、女がホテル室内にて「長文メール」を打てるとは考えにくい。
演じらる「使命」を汲む朗読劇『カラシニコフ』だ。サスペンスに演技メソッドを感じつつ、結局のところ「出来過ぎた」の一言である。
ひまわりの見た夢

ひまわりの見た夢

雀組ホエールズ

OFF OFFシアター(東京都)

2014/06/10 (火) ~ 2014/06/15 (日)公演終了

我々は、キテレツな「愛」を持っているのかもしれない

日本の刑事司法の「盲点」をつつく舞台だ。

加藤明日香〈絵川杏奈〉は「お兄ちゃん」にある日、殺された。当然、「遺された家族」をメインに、その苦悩、葛藤をシリアスに組み立てる作品を期待していた。

ところが、「センチメンタリズム」目的で劇場空間へ集結した人々を『雀組ホエールズ』は自ら裏切ってしまった。

なぜか。
「死亡」した(メディアが報道合戦した客観的な事実である)明日香が邸宅のリビングに呪縛霊かのごとく「いる」からである。幽霊・明日香とでも呼ぼうか。
これは奇妙な現象だ。

映画『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年)が全米公開された際、観客はポップ・コーンを片手にモヤモヤしていた。「幽霊役の俳優が同じ映像に収まってるのは誠にクレイジーだぜ」
彼らがジャンボ機に乗って下北沢にやってきたらどうなるか。
きっと、舞台『ひまわりの見た夢』を観劇した米国人は 〈?〉のガスが大量充満。3.4分もすれば暴発してしまったことだろう。


幽霊・明日香は家族のシャツの襟を掴んだりもする。それは「心の叫び」であって、「遺された家族」の身体は動じない。「心」が昇天することのない「ファンタジア」だからこそ、次の単語を演劇辞書に掲載したのであった。

「死後和解」である。

ネタバレBOX

坂本浩之は『週間ポスト』記者を有意義に演じていたように思う。
「第四権力」たる報道機関ではなく、むしろ「愛した人」だからこその直球。周囲が恥ずかしくなる台詞の放ち方である。絶妙な空気。


テーブルを強打しながら連呼する、絵川。「なんでたよ!なんでだよ!なんでだよ!なんでだよ!」が響く。「会話劇の妨害」だったことは確実である。しかし、この「奪われた未来」一点だけでも、彼女を主演にしなければならない説得力だ。


大和田悠太は『劇団ヨロタミ』の常連である。病が進行する青年の「光と影」をハートフルに好演したのが2013年9月本公演『兄弟ノート』であった。
彼は優等生的笑顔を得意とする。その彼が頬を赤らめ、身体エネルギーを開放していくシーンは、観客からすれば「なぜ、君が…」である。
『ひまわりの見た夢』の脚本とマッチングした俳優だ。




12年前から あの日に向かい針が回る。12年後からは 明日へ向かい針が回る。
「遺された家族」は時計盤がストップしたまま。「ひまわり」のように満開の花びらを咲かせる日は遠く来ない。


チャイム音らしき音響は「過去と現在の往来」を困難にした。前半においても、「あれ、これ12年前?12年後の?」を混同させるべきだったのである。

勉が受験を語るシーンは 「真の更生とは何なのか」を問題提起している。


日本の刑事司法下、加害者が家族とふたたび暮らす状況は夢想に過ぎない。まず ありえない。「死後和解」も そうだ。リアルな話ではない。

「吉田調書」にも通じる 真実は何だろう。やはり「ニュース番組のテロップより、半径50メートルの生活」である。これが『ひまわりの見た夢』を流れる「時計の針」だ。
骨相学特別篇   Kaleido Fluid

骨相学特別篇 Kaleido Fluid

劇団メリケンギョウル

荻窪小劇場(東京都)

2014/06/06 (金) ~ 2014/06/08 (日)公演終了

短編を書いてみたくなる!

「えぇー、7名のお客様のために出すね、我々6人、全力でやらせて いただきますので、どうぞ よろしくお願いします」




『劇団メリケンギョウル』の坂根 迅。
関西圏出身を感じる話し方で、公演の集客数を自虐した。


「ラスト・サンデー」の18時以降。日本国民は ある習慣を持っている。

「デデンデデデン、デデンデデデン、デデンデデデン♪」


魚科の苗字と名。独特な編み方のヘアー・スタイル。

液晶パネルに ひょっこり顔をだす女性こそ、東京世田谷の桜新町在住といわれる著名な主婦・河豚田サザエである。

PM6時30分、茶の間のテレビ前に家族全員が集合しなければならない。日本国民は そう信じて疑わなかった。いつしか、子供から高齢者まで、「サザエさん症候群」を罹っていた。


夜7時開演の『劇団メリケンギョウル』が戦う相手。それは雨天でもなく、交通アクセスでもなく、河豚田サザエその人だった。



・「夢」。
四条半人前が最近、観た それは衝撃だった。

「商店街を全裸で走るんです。洋服屋に用があって、“じゃあ、今 身に付けてるもの、要らない”という意識」


もしこれがリアルだとすれば八百屋は 白菜を無償提供しただろう。






第一章 ホラー編


『恐怖!ゾンビ女』は落語怪談噺をモチーフとする短編らしい。
脚本を書いた当人は兼子佳那子であるのに、劇団員・坂根 迅が「ネタがないんですわ」という作家設定である。
あのタモリが全米ネットワーク・テレビ映画の形式を輸入した「ストーリー・テラー」。
「かわいい」これが黒メガネをかけない、痩せたストーリー・テラーの第一印象だった。




追記あり

ネタバレBOX


第二章『世界滅亡八時間前』。
「悪夢」に関する四条半人前らとのトーク・セッションの最後、「地球滅亡」という単語が響く。それが、この短編を生むシナリオであった。つまり、脚本と「アドリブ」の混合体に等しい。

情けなさい男。女性との肉体関係を要求しながら、一方で「お母さん」を神妙に連呼する その姿は、とうとう「好感触の域」に達していた。坂根の「人の良さ」が演技を真実化するのだ。
救いを求める女たち

救いを求める女たち

劇団新和座

要町アトリエ第七秘密基地(東京都)

2014/06/06 (金) ~ 2014/06/08 (日)公演終了

彼らの演技は総体のスピリチュアリズムである









古代エジプト神の子孫が、ギリシャ領主に庇護を求める話。

9名に及ぶ女性キャスト。まるで合唱するかのごとく、御祈りをしたり、同時にセリフを発する。


前回、「キーとなる配役を考慮すべき」とアドバイスしたが、『劇団新和座』は さらなる平等主義を貫いた、といえる。「女」を記号化したような無機質さであった。

しかし、どうにも「厳格な古典調子」だ。感情に基づかない表層的演技、技量不足を痛感しつつ、「古典作品」を数年にわたり打ってきた この歴史は認めざるをえない。
「多神教スピリチュアリズム」。
霊的な「女」の総体を、9名の女性キャストが役割分担し、時に合唱しながら演じた舞台だった、と思う。


女性キャストがダオタス(古川 康史)、ペラズコス( 上村 聡)といった「男」を、すがりつくように「ボディ・タッチ」するシーンが あった。紀元前・神々の子孫が住まう古代ギリシャだ。
異性の肌に何の抵抗もなく触れる中央広場は ありえたか。身体観に欠けた演技だった。


ただし、『劇団新和座』を複数回、観劇し、辿り着いたエッセンスもある。それは「眼力」だ。
驚くべきことに、彼ら彼女らは一度も瞬きをせず、ちょうど照明・音響の舞台装置室へ視線を1分間ほど定置する。
古代ギリシャ演劇に その答えを解く。


石器の野外劇場。客席は楕円形。「神官の椅子」は真ん中にある。どの観客も その席に座ることが許されない、ということはつまり、「神」に捧げる演技だったのである。
『劇団新和座』の「眼力」は2600年の伝統を継承した宗教性なのかもしれない。





ろだん

ろだん

643ノゲッツー

OFF OFFシアター(東京都)

2014/03/13 (木) ~ 2014/03/18 (火)公演終了

核心をつかぬ あやふや感…



【団地の集会室を、「非日常」の視点からアクチェアリーに、また、住民の錯綜とした不安を 楽しむかのような作品であった】



【◯、◯の小学校教員は 国家試験をパスした小役人であった。「ろだん」という「非日常」から自己保身する演技である】



【「30代」という鍵。団地住民は かつて日活の製作陣がフィルムに収めた「架空の人妻」と同年代である。小学校教師も同じく この年代だ。
「夫が浮気したか否か」で論争する「団地の人妻」、自己保身する「小学校教師」、彼らは紋切り型の「腹黒さ」であり、こうした“茶の湯の茶殻”を局所にテーゼしていたように思う】



【「ろだん からの品物」。これを団地住民が一時的にせよ保管することに合意したシーンは 優しさだ。彼らは なぜ、そこまで「日本人」でなければならない?団地の その集団コミュニティ機能に『ろだん』のシチュエーションを正当化する意図があったか】










6週間のダンスレッスン≪プレビュー≫

6週間のダンスレッスン≪プレビュー≫

シーエイティプロデュース

博品館劇場(東京都)

2014/05/30 (金) ~ 2014/06/05 (木)公演終了

「傘寿」を迎えても美男子がお相手したい 草笛光子





81歳を迎えた日本ミュージカル界の金字塔・草笛光子。
読売演劇大賞優秀女優賞を受賞した『6週間のダンスレッスン』が帰ってきた。
草笛による初演2006年当時、主人公にしてヒロインのリリー・ハリソンは72歳だった。同年代の女性を演じれば よかったわけだ。ところが、あれから8年の年月が経ち、ついに「傘寿」という人生の大台を越えた草笛。役とは10歳のギャップがある。
「実に若々しいプロポーション。人生の終期を自覚した未亡人のアグレッシブさ と、“神父の妻”という半世紀に及ぶ自尊心を両面で演じている」
「DVDチャプターでしか“タンゴの情熱”を拝見できす落胆した。彼女の体力が心配である。そして、同時に映写した80年代、90年代のフロリダ州観光写真は どうにも前時代だった」


ダンス・インストラクター・マイケル・ミネッティ役(Wキャスト)・斎藤直樹にも言及しておく。


「彼はゲイである 性的マイノリティ、境遇、社会観を その登場シーンから“コメディ・ショー”のように、やや本来の男性的な自分を殺すかのごとく、“発散”した演技をしていた。
彼は大御所女優である草笛との“年齢差”(祖母と孫ほどの)を感じさせるには十分な役者だった。しかし、実際の彼は1968年生まれだから、「母親と息子」である。ここにフラットな人物描写を観察する。

つまり、男女間の恋愛ではなく、特殊な、“ゲイと未亡人”の友情サクセス・ストーリーへと、『6週間のダンスレッスン』を新調したのである」


プレビュー・公演でありながらもウィットに富んだ会話は フロリダ州滞在する旅行者を笑わせるに等しい的中率だった。草笛の年齢とハリソン、客層が一致した、同性、同年代の「綾小路きみまろ夫人」である。


「このくらいの男(72歳前後)は結婚してるか、死んでるわよ」









こんにちわハワイ

こんにちわハワイ

かのうとおっさん

小劇場 楽園(東京都)

2014/05/28 (水) ~ 2014/05/31 (土)公演終了

この二人、中々やないかい

女子高校生のレビュー・トークを掲載しておく。



【女子高校生A「ちょーウケたんだど。ヤバくない?『魔界』とかマジで」

女子高校生B「え〜。ウチは 『セクシー先生』ハンパなかったと思う。中学生のころ、保健室に好きな男の子との恋愛相談的な?なんか、つーか、人生経験マジ盛ってますよ的な?センコーいたら、絶対 常連になってたし」


女子高校生A「なにそれ、喫茶じゃん(笑)」


女子高校生B「あたしのパパとか〜仕事帰りに毎日足しげく通うから。かのう さんの京都弁 聴きにね〜。だって あれ神でしょ?」


女子高校生A「マジ、エロだわエロだわ。ねえ、京都弁の“どすぇー”とか耳元で囁かれたら彼氏の祐介くん どうなっちゃうんだろ?」


女子高校生B「『祇園パワー』(笑)」


女子高校生A「ハハハハハ(笑)そしたら〜今度、修学旅行で『祇園パワー』身につける(笑)」】




『かのうと おっさん』。このユニット名称は丸みを帯びたエナジーであった。『おっさん』(有北 雅彦)の方は蔑称、しかも年長者なのに後列とは。高度経済成長期以降の世相を象徴するようだ。


・前説は10分間。有北が「一週間前の東京滞在中にあった本厚木胃腸科クリニック」の爆笑エピソードを披露した。要するに胃痛ゆえの受診である。相方の不幸を軽く受け流す嘉納に対し、有北は「他人事ですね…」とコメント。すると嘉納「まあ、他人ですからね」。
東京の劇団で、前説10分間「はい、すべらない話をどうぞ」(テンション任せではなく)を注文されたとする。まず「すべる」だろう。関西の劇団の安定性、技量、サービス精神を痛感せざるをえなかった。

ネタバレBOX


・稽古不足が響いた。関西組5名+東京組4名の合同稽古が本番1週間前らしい。役者もセリフを間違え、その後、笑ってしまい、危うく中断しかけたシーンも あった。
もちろん、それは「コントが救った」



・嘉納は 空気を張る美声の持ち主だ。青年を演じた姿は、凛々しく、愛らしく、雄々しい。



・着飾らない演技、直球かつ明朗に区分けしたコントが、膨大なセリフ量のもと進む。「世の中の女全員が俺に気があると思って、耐えてきた」
有北は天才高校生を演じても、没落中学生を演じても、やはり親近感がわくソフト・クリームである。



・東京の劇団だと「パンチラ」はタブーだ。関西の劇団は、エロシチズムではなく、現実との乖離を越えた「青少年の生態」を見事に描いている。



・イントネーションの 面白さを再発見。



四角い箱

四角い箱

劇団ステア

中野スタジオあくとれ(東京都)

2014/05/30 (金) ~ 2014/06/01 (日)公演終了

雑貨屋的アイデアのセール…

「ひきこもり」をバッシングする世論。

日本では 報じられない。現在、海外のトレンドは「若者のフーリガン化」である。5月の欧州議会選挙は欧州人民党(EPP)と欧州議会社会民主グループ(S&D)が過半数ラインを確保したものの、フランス右派・「国民戦線」に代表される「EU懐疑派」も全体の3割弱の議席を得るまでに大躍進した。


欧州の失業率は10%超である。そして、彼らの多くが、「外国人労働者排斥」を街頭で直接アピールしている。


私は 必ずしも その存在にYESを言わないが、日本の「ひきこもり」は、英国保守党本部に乗り込んだイギリスの若者のように、台湾・立法府議会を占領した「ヒマワリ運動」のように、「ウォール街を占拠せよ」を合言葉に公園でテント生活を続けたアメリカの若者のように、果たして行動を示しただろうか。

社会秩序の観点からいえば、日本の「ひきこもり」は支配層の評価対象である。なぜなら他人へ迷惑をかけることをしない。この「ひきこもり」をバッシングする風潮は集団主義であろう。
個人に焦点を当てると、商店街のウインドウを破るのではなく、部屋で ずうっと液晶画面を操作する若者の方が よほど健全ではないか。


さて、本題の劇団ステア『四角い箱』。タイチ(市川 敬太)という名の「ひきこもり青年」の物語である。

ドラえもん 秘密道具『人生やり直し機』は、意識のみが過去の自身に遡り、過ちを克服できるマシーンだそう。これは「のび太くん 、君が努力しなければ結局、同じだよ」の教訓である。

ネタバレBOX

「モテる」「スポーツ万能」「頭がよい」等のNo.1を獲得するのにもかかわらず、すぐさま堕落し、「同じ」の二の舞いとなるタイチは、『ドラえもん』の世界観だった。
『四角い箱』は四次元ポケット。「大人のび太くん」は冒頭の「ひきこもり」に通じる哲学を やや内包していた。




1 劇団員同士がディスカッションを重ねたらしい。エネルギーは充満していたが、私には自己満足に感じるバイタリティだった。


2 回想シーンを「パッ」という大声により転換する。これは素朴なナチュラリズムだ。音響に頼るよりも効果的な選択だろう。


3 中学生の男女4人が「ダルマさんごっこ」をする姿は幼稚だ。
七人みさき

七人みさき

シアターキューブリック

あうるすぽっと(東京都)

2014/05/21 (水) ~ 2014/05/25 (日)公演終了

土佐ブランドに固執するな
坂本龍馬は「日本人が尊敬する偉人ベスト一位」を争う候補者だ。
プロレスの赤コーナーが彼だとすれば、青コーナーは織田信長である。

両者に共通する「志」は自由経済。


龍馬は1865年に薩摩藩のバックアップを受け日本初の株式会社となる亀山社中を結成した。一方の織田信長も、その領内に「楽市楽座令」を発動し、商人を優遇する経済システムを構築した。租税、支配層たる「座」の専売権を排除する、まさしく経済解放区である。



我が国では「消費税価格転嫁等対策法」が成立してしまったが、スーパーマーケットが「消費税 3% 還元セール」を表示する ことすら、処罰の対象らしい。この「統制経済」は経済活動の自由、表現の自由、消費者益を無視した政策である。

「中小企業の社長を守る!」へ霞ヶ関官僚が一丸となるのはよい。その組織的問題は 経済産業省外局の中小企業庁がリーダー・ジップを発揮しない点だろう。
消費者庁が増税時の価格転嫁対策をめぐり、大阪府内の中小企業相談窓口を臨時に設置したことが広報されていた。(他の地域もに違いない)
二つの疑問がある。
なぜ中小企業庁が一括対応しないのか。そもそも、中小企業も「消費者」に分類することが可能なのか。
この国の「縦割り行政」を浮き彫りにした消費税価格転嫁等対策法である。


現行の経済政策は「統制経済」であって、「自由経済」ではない。やっと「解雇ルールの緩和」が進展するのかと思えば、労組・厚労省の既得権スクラムに敗北し、「骨抜き」になった。



今の日本は それこそ歴史上の「自由経済派」からすると「反乱」を起こすに相当する世であろう。坂本龍馬や織田信長が ここ数年、ヒューチャーされる所以だ。


「シアターキューブリック」は高知県観光団体との協力により劇場ロビーに高知物産展を併設。『龍馬の休日』なる幟が数十箇所に立ち、同県の観光をアピールしていた。
しかし、本作『七人みさき』は坂本龍馬ではなく、「本能寺の変」織田信長死後の安土桃山時代、ほぼ四国地方統一を果たした長宗我部 藩主 元親を史実、脚色両面から描いた歴史ファンタジーである。


20代女性客の感想を紹介しよう。


女性A「理解できなかった」

女性B「前半の“九州征伐”(1586年)は史実として知っていたから何となく付いていけたけど。後半は さっぱり解らなかった」

女性B「そうだね」



これが 的を得た感想である。

ネタバレBOX

豊臣秀吉・大君に騙された 元親が、「九州征伐」の戦にて戦力を壊滅させられ、精神に傷を負ったことは全体図において示す。

しかしながら、戦国時代劇まで
「幻」に覆われ、その幻影は「ファンタジー」か「元親の狂気」か混濁であったのだ。


城下藩民の役者はナチュラル。コミカルに悪人化した豊臣秀吉より、遥かに共鳴できる演技だ。
鬼泪-キルイ-

鬼泪-キルイ-

ELEGY KING STORE

TACCS1179(東京都)

2014/05/21 (水) ~ 2014/05/25 (日)公演終了

ビースト・スピリットが衝突する殺陣裁き


「鬼は外。福は内」「鬼に金棒」「来年のことをいうと鬼が笑う」


「鬼」は広辞苑のページ数を ひたすら増やしてきた。


空想上の未確認生物に「河童」も忘れてはならない。キュウリを巻いた「河童巻き」の由来であり、大手回転寿司チェーンの看板にもなった水陸両用の種族だ。


「鬼」や「河童」のごとく真っ赤な人間や緑色の人間が目撃され、それが「風俗化」した という説も成立する。ただ、いずれも、特に「鬼」に関しては、「鬼畜英米」のように特定の集団を畏怖し侵略する、戦意高揚としてのスローガン性も あった。


中世ヨーロッパ社会に目を向けよう。


市民、教会による「魔女狩り裁判」が横行したが、ターゲットは「鼻の高い未婚女性」である。こちらも「鬼」と同じくファンタジーの部類。 迫害勢力はその未知なる「ウルトラ・パワー」に立ち向かう義務感、自己陶酔に溢れていたのだろうと推察される。


舞台『鬼泪』は広辞苑によるところ「鬼の目にも泪」の略称らしい。


第一に、殺陣はビーストスピリットを対立する高速かつ、無駄のないテクニカルだった。江戸時代の殺陣だと「しきたり」を維持しなければならない。
その点、『鬼泪』は「大和朝廷」と「吉備国」の総力戦といった模様。近代兵器なき近代戦争であった。



※ネタバレ追記あり

ネタバレBOX


◯を演じた◯が、女性であるにもかかわらず、威圧、権威、実力を発揮した殺陣を繰り広げるため、アン・セクシャルな様式を感じつつ観劇した方もいるはず。

なぜなら、「アタシは」という「男言葉」も台詞に散見するからである。つまり、女性キャストが侍を演じるのではなく、元々が女侍であった 解釈も 可能なのだ。

これは「自由」だ。
『見上げればあの日と同じ空』再演

『見上げればあの日と同じ空』再演

アミューズ

本多劇場(東京都)

2014/05/21 (水) ~ 2014/05/25 (日)公演終了

青春のパール・ラブと1945をスピーディに駆け抜ける

何度でも胸を熱くさせる戦時青春劇である。


昨年、2013年に紀伊国屋ホールで開催した『見上げればあの日と同じ空 』と比べ、「おっ、進化してますね」が あった。
それは、両翼のセット背景に映し出す「空」だ。
白い雲が冷たい風に吹かれ、青空をユラユラと過ぎてゆく。

特攻志願兵たる20代のエネルギーに、舞台装置が「追いつけ、追い越せ」を懸命に動作するようで、スピーディーな爽快感を演出していた。


第二次世界大戦を勝利するはずだった旧日本政府は この戦を どう闘うつもりだったか。竹槍を例に挙げるまでなく、その「精神力」を突破口とする軍事カウンターであったらしい。これを制度面からコミットした法律が国家総動員法である。


では、アメリカに経済面の「国家総動員法」は存在しなかったかといえば、ルーズベルトが戦時体制の一環で1940年に緊急事務管理局を新設、産業動員の指令系統である国防諮問委員会も復活させている。また、労使関係に国家が介入できる「タフト・ハートレー法」、自動車産業等の軍需産業化を推奨する「海軍拡張法」も制定。
日本と同様、国家が「精神力」を上から担保していたことになる。



日米戦時社会の異なる性質。それは「一体感」であろう。


ベストセラー『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーを読んだら』著者・岩崎 夏海氏によると、ゼネラル・モータースの組織研究を依頼されたドラッカーは、ニコラス・ドレイシュタッドGM副社長の経営マネジメントに感激したそうだ。時は1943年である。

 【1940年代に入っても、米国はなかなか不況から抜け出すことはできなかった。そんな中、ドラッカーの心を大きく揺さぶるエピソードが生まれた。GMの副社長だったニコラス・ドレイシュタッドは軍から発注されていた戦闘機の生産について、1人その発注を受けるべきだと主張した。戦争で労働力が不足しており、ほかの重役たちはとても納期に間に合わせることはできないと考えていたのだ。

 安価な働き手はいる。それは貧しい黒人女性たちだ。ドレイシュタッドは彼女たちに戦闘機作りを教え込むのではなく、ラインに各工程の作業を写した写真を貼り、文字が読めない彼女たちに作業内容を理解させた。そして熟練工でなくても扱える道具を作り、組織化しリーダーを任命し、作業の責任を明確にした。そして約束の納期通りに製品を納めることができた。

 「ドラッカーは、ドレイシュタッドの手腕に感動しました。これぞマネジメントの神髄、というべき成果でした。しかしドラッカーがそれ以上に感動したのはマネジメントは人を幸福にするということでした。戦闘機生産に参加した黒人女性たちは、無事納品できたことを知り、涙を流して喜んだのです。彼女たちは自分の目標に対して責任を持ち、自己管理をして仕事を全うする労働者の顔になっていたのです」】(ITmedia エグゼクティブ「もしドラ」作者が語る:
ドラッカーそしてマネジメントが求められた理由 )



日本は「家族愛」「国家愛」を、第二次世界大戦が一過性にせよ向上させたわけであるが、アメリカ社会は そうではなく、「コミュニティ再建」「人種差別緩和」「貧困の削減」を同時進行に行い、その後の「米国黄金期」への産業基盤を強化してしまった。
アメリカGNPは1939年8640.1
億ドルだったのが、1944年には17155.8億ドルへ倍増している。
他方、日本GNPは1939年に1960.4
億ドルだったのが、1944年は1974.2億ドルへ推移したままである。生産物資、戦闘被害(大規模空襲以前)の非対称だけが その要因だろうか。


要するに、二つの「国家総動員」には、「よい一体感」と「悪い一体感」が存在したのである。(「戦時の経験はさらに多くを教える。イギリスでは、戦時下にあって働く人たちが、かつてない充足、自己実現、市民性、自信、誇りを経験したことが報告されている。しかも この現象は、機械化が加速的に進行するなかで見られた。アメリカでも西部のある航空機 部品メーカーから似た経験が報告されている。」〔Drucker(1946)〕)

ネタバレBOX

『見上げればあの日と同じ空 』は戦時中であっても、つまり1940年代の時代設定を壊さない、その「ギャグ」をすくい上げたようだった。

「なんて美しい文字なんだ。美しい“竹冠”…」

この台詞は大学・駅伝部 同窓かつ部下の◯宛に届いた手紙を舐め回すかのように熟読するシーンである。届け主は ◯も好意を抱く◯の許嫁。


これが“ギャグ”だとすれば、江戸時代も、室町時代も笑いを取れるわけであり、1945も、通用する。
鬼火-とこしえのうた

鬼火-とこしえのうた

劇団演奏舞台

演奏舞台アトリエ・九段下GEKIBA(東京都)

2014/05/16 (金) ~ 2014/05/18 (日)公演終了

結果論としての1939。ヒロインの純白な演技は断絶である

『劇団演奏舞台』は1970年安保闘争の流れを受けた、「常に権力の外にいる」劇団である。


まるで異次元にテレポートしたかのような小劇場 原体験。毎回、魂を入れ込んだ演技に、「ゲキバンド」のエレキ・ギターを弾く効果音がそのメリハリを後方支援する。


観劇しずらい劇場構造ではあった。長方形のベンチ・タイプには麻のクッションが備え付けられおり快適だ。
しかし、『鬼火』の作品は腰を下ろしてのシーンが占めるため、役者が「視界の外」であった観客も多く、劇場構造のユニバーサル・デザイン化が要求されそうだ。



「集団自衛権」の閣議決定がクローズ・アップされつつあるが、同時に、「国民投票法」の有権者年齢が18歳に引き下がるニュース・インパクトも注視しよう。

一般論として「憲法改正派」からすれば、「右傾化」の若年層を吸収したい。そういう意図がある。



舞台『鬼火』。時代設定は旧満州へ地方の国民が移住していく1939年だ。当時、政府は農民に対し、「日本は土地が狭いけど、大陸に渡れば農地を所有できますよ」を宣伝。台湾へ渡った移住者が都市労働者中心だったとすれば、後の満州移住は地方農民中心である。


以下、慶応義塾大学法学部 研究会の満州移民に関する論文から引用したい。

【(略)『拓け満蒙』、『新満洲』、『開拓』に分けて、それぞれの雑誌の紹介を行
い、いかなる編集方針のもとに移民宣伝が行われたかを分析する18)。 『拓け満蒙』は、昭和1年4月~昭和14年3月まで発刊された月刊誌であり19)、
価格は15銭、頁数は創刊号が20頁であったが、徐々に増頁され昭和13年初め頃か ら約60頁となった。

創刊号において、「本誌は都会に於る知識階級の人々にも十分の熟読を希望す るが更に又た田舎の農村青年諸君には是非一人残らず読んで頂くことを希望」20) するとされているように、主たる読者層は農村の青年と都市の知識人であった。 満洲への主たる移民者層が地方の農民であったことと、満洲開拓政策が悲観的に 見られていたことが背景となり、こうした読者層が想定されたのである。】(昭和戦中期における満洲移民奨励施策の一考察 ――移民宣伝誌を通じてみた満洲イメージとその変容――
山畑 翔平 玉井研究会4年 )



この近現代の史実を受け、今度は舞台『鬼火』の台詞を紐解きたい。



「若者の手で、新しい国がつくれるんだ」


これは村の青年 ・孝(森田 隆義)が、許嫁へ 満州移住を説得する際に発した希望メッセージである。
「領土拡張主義」を暴力の面から描くのではなく、「満州へ行けば自動車会社を経営できる!」という明朗な 、好奇心を爽やかに訴える演技は、どうにも恥ずかしい。
余談だが、松下幸之助は 形を変えた「領土拡張主義者」である。
その思想体系が1976年に出版した『新国土創成論』(PHP研究所)だろう。
元厚木市職員・松下政経塾 出身で、現在はシンクタンクの運営を務める片山 清宏 氏がわかりやすく解説している。

 【『新国土創成論』は、200年間にわたって理想の日本国土を創成しようという提言の書である。「諸悪の根源は国土の狭さにある」としたこの提言は、日本の国土の約70%を占める山岳森林地帯のうち、20%を開発整備するとともに、山岳森林地帯をならした分の土砂で海を埋め立てることで、計15万平方キロメートルの有効可住国土を新たに生み出し、現在の有効可住国土を倍増させ、住みよい理想的な国土にしていこうという壮大な計画である。】(「環境創造国家 日本」~『新国土創成論』に基づく国家百年の大計~
片山清宏/卒塾生)




1980年代、東京都23区上空に成層圏へ至るまで人類の生活拠点を建設する「ラピュタ構想」が発表された。早稲田大学教授の建築研究室が 草案を記した構想。SF雑誌の特集ページではない。


ただ、松下の「新国土創成論」も、200年間かけ、日本青年を総動員し、国民が住める土地面積を15万㎢造設する というトンデモである。東京ドームに換算すれば320820個分の広大さ。佐渡島に換算すれば157島分だ。日本列島に都道府県単位が新たに三つ画定できるほどの面積と考えればよい。(計算中にトンデモを確信した)

この「新国土創成論」の脆弱なところは、第一に日本の自然を広域にダンプカーの踏み場にしてしまう「環境破壊」、第二に70年代には すでに予測されていた「人口減少」をデータベースから かなり排除した点であろう。
松下が1979年に開講した「松下政経塾」財閥系の政治家が いわゆる反東アジア外交派と呼ばれる理由こそ「新国土創成論」の影響だ。

たしかに松下によれば、アジア進出の反省が「新国土創成論」らしい。しかし、「日本は土地が狭いけど、拡張すれば あなたも一軒家 所有できますよ」という思想は、満州移民(領土拡張主義)の宣伝と同一ではないか。

そこに、私は財閥系政治家の若く、清新だけど、反東アジア外交政治スタンスであるバッグ・ボーンを読む。

ネタバレBOX

舞台『鬼火』は その「怨念」が幻想的である。また、恐怖心を混在しながら漂う、断絶した農村でもある。

まるで「お化け屋敷」のような 1秒間、2秒間の「ゾッとする」シーンは、1939年から断絶した農村における残像だろう。



『劇団演奏舞台』看板女優の文月 一花は若い姉の役柄である。
その演技が わざとらしく、むしろ後の大日本国防婦人会が プロパガンダする「良妻賢母」だったことは 皮肉かもしれない。

しかし、「父さんは なぜ死ななきゃいけなかったの」という文月は、人類に共通するエネルギーが あった。疑問を持ったから《?》形式。
それは 文字通りなのだが、論理だとか、理論だとか、思想だとか、アナロジーだとか、そうした枠組みを無視する真っ白な《?》であり、ついつい泣きそうになった。
ルーシアの妹

ルーシアの妹

ライオン・パーマ

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2014/05/15 (木) ~ 2014/05/18 (日)公演終了

満足度★★★★

絶妙な采配で笑わせる、RPG系 イチゴ大福
前説で登場した加藤 岳仁が、「しばらく時間が ございますので、本番中に携帯電話が鳴ったらどうなるか、をコントにしたいと思います」を提案し、即興設定の それは始まった。


加藤 岳仁は どうやら本編においても、「この国のエンターテイメントを支える人間」らしい。
シンドバッド『千夜一夜物語』とは違うが、前説を担当したリアル・タイムの男性、つまり部外者が「架空の王国」という絵本を訪ねるかのような冒険はエキサイティングである。



翻訳劇の文語体はシックであり、ルーシア役の前田 無有子は そのアクセントに完全に順応していたように思える。『ライオン・パーマ』のコミカルなアクションは言うまでもない。

「大福」という古臭い和菓子が、「イチゴ」というフレッシュな果物を内包する形状であろうか。そう、「イチゴ大福」だ。


RPG(原作はない)ではある。しかし、セットは簡素。観客も「落語シチュエーション力」をフル稼働しなければ、この『ルーシアの妹』は 小規模だ。


役者を一人挙げよう。それはアリ役の柳瀬 晴日である。彼女のことは3年前から存じ上げている。多摩美術大学在学中は『宗教劇団ピャー!!』に所属、相当 スキャンダラスな役(本人役、というか台詞があったのかさえ不明だが…)も演じた。

『ルーシアの妹』では少女アリを、明るく、内面的に、あっさりと演技する、アン・セパレーションであった。


私は思う。


柳瀬はアフレコに適任だと。

アキバ系・アニメーションは もちろんのこと、洋画の吹き替えにも ふさわしい独特な美声だ。

LIVE活動も するそうだが、柳瀬はアフレコ声優に推薦できる人物である。

ネタバレBOX

「世の中、正義だけでは回らない。その“ひずみ”の役割が◯家だとは 思ってはくれないだろうか」


文語体をディフォルト化するのではなく、そこに『ルーシアの妹』のメッセージを集約し、「寝技」(田原総一郎 命名)政治哲学すら肯定してしまう正直さには好感をもった。


私はピクニックの場面が「イチゴ」の赤い果肉だったと考える。


グッドマン司令官(橘本 一郎)「ふざけた顔をするな!」


アントーニオ(加藤 岳仁)「あの、これがふざけた顔なら、これから ずっと ふざけた顔なるんですけど…」


グッドマン司令官「はっはっは、ジョークだよジョーク。はっはっは」



観客は「前説シンドバッド」加藤の側にたつ。「特殊部隊」というコミュニティ内で奮闘する、その「異文化」は、笑の宝庫である。


このギャップは「イチゴ大福」のそれなりに合う感覚と同じだ。
シャッフル

シャッフル

アクトパスガーデン

Heiz Ginza(東京都)

2014/05/17 (土) ~ 2014/05/18 (日)公演終了

演劇を出来事化する試み
受付を抜けると、そこはオフィスであった。



「ここしか空いておりませんが、よろしいですか?」


20代のオフィス・レディが誘導してくれた。


テーブルには、「◯◯製菓新商品モニター調査会」を印字するプリント資料が配布。
オフィス・レディは すぐさま「おしぼり」及び「お茶」を用意。


他の中堅ビジネス・マンを観察すれば、参加者に対し、「好きなお菓子はなんですか?へぇ、そうなんですか」
歓談中ではないか。



「あら。舞台を観るつもりが、モニター調査会に参加してしまった!ビルの階を間違えたか!
しかし、製菓企業なら記念品をもらえるはず…」


これが感想である。



私は渋谷で某携帯会社のモニタリング調査に参加した過去をもつ。


街頭でヘッドハンティングされたのもかかわらず、中年女性の会場スタッフは「こういうのに気をつけないとダメよ!軽々、連いてきちゃダメ!怖いのよ!」
他人事であった。



アンケートに役者の演技を記入するのではなく、「Aの新商品」「Bの新商品」どちらが美味いかを答える、前代未聞の境遇。


私は、牛丼で鍛え上げられた味覚を頼りに、スーパー・マーケットの明日を決める戦いを開始した。

ネタバレBOX

上記で 実際のエピソードを述べたものの、開演 10分後に「あっ、これ舞台だわ」に気付く。



観客、というか参加者は、投票を3回する。
初回は6名が選任され、「A.B.C.D」それぞれのポップ・コーンを試食。
「社員」の皆さんがホワイト・ボードに予め描いた「ポップ・コーン味」約20種のうち、どの味に該当するかを回答しなければならない。「北極味」、「キーマカレー味」、「おにぎり味」、「博多明太子味」。インパクト重視だった。


他の参加者も 一粒程度、試食するが、「社員」が満遍なく「どの味か解りましたか〜?」と質問してくる。
「役者」より、「企業人」とコミニュケーションする感覚であった。


4問中3問正解した選任参加者には「菓子セット記念品」贈呈。
ここでまた「モニター調査会 説」が急浮上する。



本題の「A」「B」どちらの新商品ポップコーンが「美味しいか」を決断する投票時間が やってきた。

女性社員・千田川美乃梨(芝居 春香)が「女性にお勧めですよ」を宣伝すれば、同僚・鵜飼 (金原 並央)が「私はBが美味しいと思います♡」を喧伝する。
「人物描写」であった。


投票回数に合わせ、32パターンあるそうだし、「ネタバレ」の概念も何もないが、次作以降にリサイクルするかもしれないため、「オチ」は断念する。


社内不正、社内情事が火花を散らす、江角マキコが乱入しても おかしくない、夕刻の銀座だった。


言っちゃった…。


「相関図」は 出木杉くん だったか。もう少し四者四様を超越した「キーマン」がいれば説得力が あったかもしれない。

ちなみに。前列に学習院女子大学 感劇市場市場2013年 プロデュース公演
『アイ・アム・アン・エイリアン』キャストの女性がいた。臓器移植をめぐる市民の討論を描く 作品であるが、「議論を劇化する」面において、今作は共通性が高かった。
視察だろうか。
蟻の女王

蟻の女王

タッタタ探検組合

ザ・ポケット(東京都)

2014/05/14 (水) ~ 2014/05/18 (日)公演終了

満足度★★★★

「空想する力」を狂演とともにテーゼする小さな役者たち
「蟻」の生態系を、政治劇だったり、恋愛劇であったり、コメディであったり、純粋な観察記であったり、ミュージカルであったり、実に豊富なバリエーションで舞台化してくれる一大テーマパークだった。



私はタッタタ探検組合が『蟻の女王』上演する その情報から、「こんな感じかな…」という予測があった。
セットは洞窟のような、薄暗い黄土色で、蟻のコスチュームを着用したおじさん、おばさん達が4本の脚を動かすのだろうなと。映画作品でいえば『センター・オブ・ジ・アース』(ディズニー・ピクチャー)のミニチュア版である。



実際どうだったか。
黄土色のカラーは そのままだったが、立体的に、重層的に「巣窟」をイメージする舞台・美術セットであった。


感想を要約しておこう。それは一言「 やられました!」である。

ネタバレBOX

第一に、「ちびっこウェルカム・ステージ」は、交尾といった大人向けシーンがある以上、小学生の昆虫収集家には早すぎる内容だったと思う。このR指定問題は 演劇における「擬人化」は どこまで可能か、というリアリズムの行方に絡む。



第二に、政治劇における進め方である。「蟻を介したらこそ現代社会に還元しえる」脚本。

私が 心に残ったのは、次の台詞である。(ニュアンス)


「たぶん、若いあなた たちのためにこの国を…いや、今は止めておきましょう」/ソルト大佐(あおき けいこ)

「世の中の不条理は、みなが己が大義だと信じていることだ」/ソルト大佐(あおき けいこ)



社会派コメディ集団『チャリT企画』の室田渓人客演がデモンストレーションか。徴兵制復活まで議論される この現代社会。「若い働き蟻」が飢え、それを犠牲につつ、絶対権力者である「バルサミコ女王」が地域覇権を画策する 構造は、一種のリアル・メッセージだった。
フリー・ジャーナリスト・池上彰が、NHKの大学生向け講演会で、「歴史を学ぶことは、未来を予知することです」と語っていた。舞台における独裁政権が崩壊するメカニズムは 「ある国の例」であろう。


「バルサミコ女王」が失脚するハイライトは、「ブース!ブース!」を連呼した、演説中の抗議行動にある。「蟻の国民」の信任を全面的に失った原因も国営放送局によるラジオ中継だ。
最近の国際政治でいえば それはイギリス首相・ブラウンが2010年総選挙活動中に労働党支持者の女性宅を訪問後、公用車内で「ブスだ」と、その容姿を中傷していた事実が「ピンマイク」に拾われていた出来事だろう。
この失言ニュースを受け、労働党は惨敗をきし、「政権交代」が起こった。


つまり、これは私の指す「ある国の例」ではないが、マス・コミュニケーションの実践例を「蟻の国」に置き換えた、とてつもなく高度な政治劇である、という評価なのだ。
現職海上自衛官が軍隊所作指導に関与している点も注目に値する。



第三に、「擬人化の極限」である。
人間が他の動植物、昆虫、細菌と異なる習性は「宗教」だろう。



敵国の潜伏者が病床にひれ伏すシーン。


「捕虜の扱いを定めたアリス条約によれば…」/ホップ医師(柴田O介)

「何をいうか!女王を毒殺しようとした 者なのだぞ。捕虜ではない!」/兵隊アリ幹部


直後、潜伏者は死亡した。


その「蟻」の表情は、安らかであり、アニメ『フランダースの犬』最終回を印象付ける、まさしく「天に召された」亡骸だった。(照明、音響の演出効果はない。メインのシーンでもない)
ここで仮説を提示したい。
つまり、脚本段階に「ト書き」で そう指示されていたわけではなく、演出が「安らかな」その表情をアクセントしたのではないか。


働きアリ「あの、一つだけ、お願いがあります。お墓に入れてやってもいいですか?」


兵隊アリ幹部「別に構わんが」


働きアリ「同じ〈種〉には違わないので…」


「お墓」は「宗教」だ。結局のところそれが「擬人化の極限」を強調したシーンである。このことは「交尾におけるリアリズム」の問題に深く関与し、タッタタ探検組合からすれば かなり踏み込んだ演出だったのではないか、と思う。




第四に、「バルサミコ女王」を狂演した斎藤 啓子を評価したい。

女独裁者の威圧、妖艶、存在をウェーブするハスキー・ボイスは、観客における「引く」というリアクションを逆利用していたように思える。
『蟻の女王』を 小柄な巨体のおばさんが演じたわけだが、「女としての幸せ」を語るあたり、そこに人間らしい、少女のような「儚さ」を読み解く。タマゴの産卵シーンに関しても、その苦悩は「母親らしさ」である。
「恋愛」にしろ、「産卵」にしろ、「蟻」の雌が有する生物学的本能だろう。
これは第三の「擬人化の極限」と密接であるが、観客が「女性らしいな」「卵は大切なんだな」という人間的感覚に陥ったパーソンこそ斎藤 啓子であった。





2013年秋コレクションには こう記している。

【オジさん、オバさんが 負けない点も存在する。それは、3人掛かりで持ち上げるアクション•シーンだった。この時、スローモーション効果を多用していた〜】


2014年春コレクション『蟻の女王』は、序盤のミュージカル・テイストから上記のアクション・シーンへ至るフローである。
「蟻」のコスチュームが「衣装」や「黒子」に変身。何度も書くが一大テーマパークであった。

しかし、もし、タッタタ探検組合ならではの「スロー」と、ミュージカル・テイストが華やかに融合すれば、さらなる「アトラクション」が開業できたはず。

「蟻」のコスチュームも、触覚はいいのだが、キャストの顔面を覆い過ぎ。誰が誰だか分からなくなる、感情移入の妨害だろう。



今、「空想する力」は、子どもたちに最も要求されるべき能力だ。

この舞台を観劇したならば、公園で「蟻」を踏んだり、「巣」に オシッコを流入する子どもは消える。なぜなら、そこにソルト大佐が、タラゴンが、ニゲラが生活しているかもしれない。
特に、第三の「擬人化の極限」からいうと、「蟻」に死生観を与える教育効果がある。


そうした「空想する力」は演劇専売のイリュージョンである。

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