あっという間の1時間50分…教育現場をサスペンス
「教育新生」は国民が渇望する夢だ。
小中一貫校を制度化し、「箱」を改革していく。これは「教育崩壊」を あくまでもテープで継ぎ接ぎするようなモラトリアムに過ぎない。
毎日教壇に立ち、生徒を指導する「最前線部隊」としての「教員」が この問題の責任者だ。「教職は一般企業の仕事とは違う気がするんですよね」というセリフもあったが。
仮に、「日教組を ぶっ壊す」が「教育新生」への最速手段だとすれば それは一大国民運動となりえる。
修学旅行中の生徒同士の暴力沙汰。
「教育新生」どうこうより、大人のための組織論を学べる舞台だ。
転任教師と教頭の「嫌み」と「嫌み」合戦は、まるで朝日新聞社説のような「頭の良さ」だった。古城氏には脚本構築力がある。もっとも、「築」は鉄筋コンクリート製のガチガチな建造物を指す。
タイトル『毒舌と正義』のうち、「毒舌」といえば故 立川談志だろうか。彼は こう述べている。
「アタシは絶対的に正しい人間だと思ってる。なぜなら“おれは間違ってるんじゃないか”と常々思ってますからね」
対極は役人連中である。
役所は未就学児にも解読できるだろうな「絶対的に正しい」スローガンを公共施設に貼っている。言語を「取り繕う」ことが この国では「公の証明」だ。
「みんな」とか、「地域」とか、「元気」とか、「明るい」とか。こうした文章は「ひらがな官僚作文」と呼ぶ。「ゆるキャラ」も ある種、作文がキャラクター化したプロパガンダだ。
議員への政策案に「等」を散乱させることで「裁量権」を得ようとする役人連中は「私」のコンピュータ付き野生動物だろう。官僚作文は 典型例である。また、関係ないが、外務省は日米首脳共同声明の文章に「軍事コミットメント」を高頻度に載せるなど、英単語を 過剰輸入する傾向がある。
しかし、立川談志からすれば 「公」(絶対的な正しさ)を ひらがな や難解な漢文調で証明(定理化)しようとする役人連中は まさしく「愚の骨頂」なのである。
追記あり