ひまわりの見た夢 公演情報 雀組ホエールズ「ひまわりの見た夢」の観てきた!クチコミとコメント

  • 我々は、キテレツな「愛」を持っているのかもしれない

    日本の刑事司法の「盲点」をつつく舞台だ。

    加藤明日香〈絵川杏奈〉は「お兄ちゃん」にある日、殺された。当然、「遺された家族」をメインに、その苦悩、葛藤をシリアスに組み立てる作品を期待していた。

    ところが、「センチメンタリズム」目的で劇場空間へ集結した人々を『雀組ホエールズ』は自ら裏切ってしまった。

    なぜか。
    「死亡」した(メディアが報道合戦した客観的な事実である)明日香が邸宅のリビングに呪縛霊かのごとく「いる」からである。幽霊・明日香とでも呼ぼうか。
    これは奇妙な現象だ。

    映画『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年)が全米公開された際、観客はポップ・コーンを片手にモヤモヤしていた。「幽霊役の俳優が同じ映像に収まってるのは誠にクレイジーだぜ」
    彼らがジャンボ機に乗って下北沢にやってきたらどうなるか。
    きっと、舞台『ひまわりの見た夢』を観劇した米国人は 〈?〉のガスが大量充満。3.4分もすれば暴発してしまったことだろう。


    幽霊・明日香は家族のシャツの襟を掴んだりもする。それは「心の叫び」であって、「遺された家族」の身体は動じない。「心」が昇天することのない「ファンタジア」だからこそ、次の単語を演劇辞書に掲載したのであった。

    「死後和解」である。

    ネタバレBOX

    坂本浩之は『週間ポスト』記者を有意義に演じていたように思う。
    「第四権力」たる報道機関ではなく、むしろ「愛した人」だからこその直球。周囲が恥ずかしくなる台詞の放ち方である。絶妙な空気。


    テーブルを強打しながら連呼する、絵川。「なんでたよ!なんでだよ!なんでだよ!なんでだよ!」が響く。「会話劇の妨害」だったことは確実である。しかし、この「奪われた未来」一点だけでも、彼女を主演にしなければならない説得力だ。


    大和田悠太は『劇団ヨロタミ』の常連である。病が進行する青年の「光と影」をハートフルに好演したのが2013年9月本公演『兄弟ノート』であった。
    彼は優等生的笑顔を得意とする。その彼が頬を赤らめ、身体エネルギーを開放していくシーンは、観客からすれば「なぜ、君が…」である。
    『ひまわりの見た夢』の脚本とマッチングした俳優だ。




    12年前から あの日に向かい針が回る。12年後からは 明日へ向かい針が回る。
    「遺された家族」は時計盤がストップしたまま。「ひまわり」のように満開の花びらを咲かせる日は遠く来ない。


    チャイム音らしき音響は「過去と現在の往来」を困難にした。前半においても、「あれ、これ12年前?12年後の?」を混同させるべきだったのである。

    勉が受験を語るシーンは 「真の更生とは何なのか」を問題提起している。


    日本の刑事司法下、加害者が家族とふたたび暮らす状況は夢想に過ぎない。まず ありえない。「死後和解」も そうだ。リアルな話ではない。

    「吉田調書」にも通じる 真実は何だろう。やはり「ニュース番組のテロップより、半径50メートルの生活」である。これが『ひまわりの見た夢』を流れる「時計の針」だ。

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    2014/06/11 01:18

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  • monzansiさん、このたびは劇場に足をお運びいただきありがとうございました。「死後和解」という言葉、たしかにその通りだと思います。これは僕にとっての希望であり、願いです。実際に起こったこの事件のご家族が、どのような思いで暮らしているのかは知る由もありませんが、当時家族が出した「手記」があまりにも衝撃的だったことを覚えております。雀組ホエールズとしては、初のシリアス作品だったのですが、今後はどちらかと言えばやわらかいものを描いていきたいと思っています。今後の雀組ホエールズもよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

    2014/06/13 01:37

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