我々は、キテレツな「愛」を持っているのかもしれない
日本の刑事司法の「盲点」をつつく舞台だ。
加藤明日香〈絵川杏奈〉は「お兄ちゃん」にある日、殺された。当然、「遺された家族」をメインに、その苦悩、葛藤をシリアスに組み立てる作品を期待していた。
ところが、「センチメンタリズム」目的で劇場空間へ集結した人々を『雀組ホエールズ』は自ら裏切ってしまった。
なぜか。
「死亡」した(メディアが報道合戦した客観的な事実である)明日香が邸宅のリビングに呪縛霊かのごとく「いる」からである。幽霊・明日香とでも呼ぼうか。
これは奇妙な現象だ。
映画『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年)が全米公開された際、観客はポップ・コーンを片手にモヤモヤしていた。「幽霊役の俳優が同じ映像に収まってるのは誠にクレイジーだぜ」
彼らがジャンボ機に乗って下北沢にやってきたらどうなるか。
きっと、舞台『ひまわりの見た夢』を観劇した米国人は 〈?〉のガスが大量充満。3.4分もすれば暴発してしまったことだろう。
幽霊・明日香は家族のシャツの襟を掴んだりもする。それは「心の叫び」であって、「遺された家族」の身体は動じない。「心」が昇天することのない「ファンタジア」だからこそ、次の単語を演劇辞書に掲載したのであった。
「死後和解」である。
2014/06/13 01:37