monzansiの観てきた!クチコミ一覧

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恐怖が始まる

恐怖が始まる

ワンツーワークス

劇場HOPE(東京都)

2013/05/24 (金) ~ 2013/06/04 (火)公演終了

茶の間から のぞく原発

緊迫感伝わる舞台だった。

このカウントは、今私たちに問われている数字だ。

ネタバレBOX





戦後日本ではもはや制御できない安全保障上の危機だった。
液晶テレビの画面に映るのは、東北沿岸に押し寄せる津波と、福島第一原子力発電所が水蒸気爆発により「吹っ飛んだ」その光景。

街中に「がんばろう、日本。」の文字が溢れかえり、商店街では様々な団体の少年少女が「募金にご協力  お願いしまーす」と道行く人へ訴え掛けた。

しかし、あれから歳月が流れ、商店街で募金を呼び掛ける少年少女の姿が消えた。代わりに今そこにある日本は、原発再稼働を容認する世論である。


環境活動家の田中優氏が言うように、「東日本大震災は援助より、自立的な経済復興の段階」(2012.4.19  武蔵野青年会議所主催『復興シンポジウム』)ではあるが、原子力発電所の所在地で約3000人の住民全員が避難する双葉町の井戸川前町長は県の復興計画において「復興計画を策定できない状況」(2013.3.13  早稲田大学  第二回シンポジウム『東日本大震災と人間科学』)と、嘆く。
つまり、東日本大震災からの復興という一つのパッケージであっても、原発被害の軽微な岩手県・宮城県、年間限度の20mSv超えが指摘される飯館村が位置する福島県とでは、別のアプローチをした方が効果的なのだ。
東日本大震災が津波・地震だけの被害であれば、地域経済の自立の段階で、財務省が「19兆円フレーム」と意気込んだインフラ整備中心の復興策が要る。この場合、日本人が「東日本大震災」に無関係で構わない。


だが、原発事故を含む複合災害である以上、福島県は  旧来型の災害復興策に伴う自律回復は通じず、現在も20キロ圏内にいた住民は月10万円の補償金を受け取っている。
原発の電力網のもと、国民の生活・経済が成り立っていたわけだから、「原発事故」は これからも全国民が当事者である。


そもそも、福島第一原発の事故は収束段階にあるとする東電の説明は疑問だ。

脱原発を唱えたことで辞職した元駐スイス大使・村田光平氏が、重大な報告をされている。

 「現在、4号機のプールにある1535本の核燃料棒はかろうじて冷却されていますが、もし4号機が倒壊すれば、冷やす術はありません。そうなると、最悪の事態---核燃料棒が溶け、メルトダウンが起き、膨大な放射性物質が撒き散らされるという、いまだ人類が経験したことがない悲劇が起こります」

 「今、4号機も含めて、福島第一原発に残されている核燃料棒の総数は1万4225本にのぼります。米国の核科学者ロバート・アルバレス氏によれば、チェルノブイリの85倍のセシウム137が福島第一原発に存在するそうです。4号機に限っても、セシウム137の量はチェルノブイリの10倍になるのだとか」(現代ビジネス2012.9.14    脱原発を訴える「反骨の外交官」が緊急寄稿! 村田光平「新たな一大汚染の危機と国・東電の無策ぶり」)

収束した どころか、建屋の破損状況よっては チェルノブイリの比ではない、人類未到達の事態もありうるだろう。再び、震度6強クラスの地震が起これば、コンクリート補強が弱い1号機、2号機、3号機、4号機の建屋が全壊する可能性もある。
それこそが、福島第一原発は非常時のままであると断言できる理由だ。

既に、原発事故はチェルノブイリ以上の大きな放射能被害をもたらしている。


ノルウェー大気研究所(シェラー)の大気科学者 Andreas Stohlが率いたノルウェー研究チームの報告書の一部を紹介したい。


「原発から放出された放射性物質の量の解明は、事故の経過の再現に比べてはるかに難しい。政府が6月に発表した『原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書 ―東京電力福島原子力発電所の事故について―』では、今回の事故により放出されたセシウム137は1.5×1016ベクレル(Bq)、キセノン133は1.1×1019Bqと推定している2。セシウム137は半減期30年の放射性核種で、原発事故による長期的汚染のほとんどの原因となっている。一方、キセノン133はウラン235の崩壊によって放出される半減期約5日の放射性核種であり、原発事故や核実験の際、初期に観測される。

ところが、Stohl らが原発事故の再現結果に基づいて推定した放出キセノン133の量は1.7×1019Bq、セシウム137の量は3.5×1016 Bqで、政府の見積もりよりキセノンが約1.5倍、セシウムが約2倍となった。

キセノン133の放出量は、チェルノブイリの総放出量1.4×1019Bqよりも多いことになる」(Atmospheric Chemistry and Physics  発表  日本語訳  三枝 初夜子)


メディアは、日本の原発事故が国際原子力事故評価尺度に基づき「レベル7」の判定を受けた事実に対し、「チェルノブイリよりはマシ」を強調した。
最大の根拠とされたのは、チェルノブイリ原発事故では28人が死亡したのに対し、福島第一原発事故で死亡した者はいなかったからだ。たしかに その通りではあるが、チェルノブイリで亡くなった人は全員が消火作業にあたった作業員だった。
チェルノブイリ原発は鉛型のため、事故直後に猛烈な火災が起こり、それを消すために国家の指令で駆り出された人々なのだ。28人の死者が出てしまった背景には、鉛型原発特有の火災・作業員の軽装備の二点が考えられる。いずれも、原発の型や行政管理に原因があるわけなので、原発事故の深刻さ=レベルとは大きな関係はない。

事故当時の保安院は、「放射能放出量はチェルノブイリの1割程度」(時事)とし、国民に安全性を装ったが、前記のノルウェー研究チームの報告にあったように、放射線の種類によっては“チェルノブイリ超え”が確認されている。

むしろ、福島第一原発事故は原発事故評価尺度に基づけば、レベル8の段階に達しているのではないか、と訴える米国の原子力科学者も存在する。

3.11の際、CNNで原発事故のニュースコメンテーターを務めた、アーニー・ガンダーセン氏も その一人だ。CNNのニュースコメンテーターは、その役割において政府の報道官並みにあると断じても差し支えないのではないか。

ガンダーセン氏は、次のように述べている。

「津波が襲ってから一週間後、私はCNNに出演しました。私はジョン・キングさんに言いました。福島第一原発事故は地震によって起きたものでもなければ、津波によりディーゼル発電機が破壊されたことが原因でもない。

衛星から撮影された映像を見ると、津波が海沿いにあるポンプを破壊しているのがわかります。ご覧になれば明らかなように完全に破壊されています。ポンプは元来地震などの自然災害には耐えられるように作られています。しかし津波が襲った後の沿岸部は、金属がねじ曲げられまるで廃棄場のようです」

そして、原発の冷却機能が停止した理由は津波の到来のみならず、地震の影響も含めた原発屋内の複合的な「ポンプの故障」だと語っている。

同じような指摘は、例えば今年の3月に東電関係者以外で初めて原発屋内内部に入った川内博史 前民主党衆院議員(元 衆院 国土交通委員長)も発言されている。
しかし、その報道は翌月に東京新聞が『こちら特報部デスク』の中で詳報しただけで、多くの新聞・テレビメディアは沈黙を守った。

原発事故発生直後、メディアは どのような報道を繰り返していたかを再現しなければならない。



 日本の原発事故がレベル7の評価を受けた当日、時事通信社は次の記事をネット上に配信した。
「危機的な状態が続く福島第1原発事故。その深刻度の評価が地震発生からほぼ1カ月たった4月12日、国際原子力事故評価尺度(INES)で最も深刻な事故に当たる「レベル7」に引き上げられた。

 外国メディアは「1986年の(旧ソ連の)チェルノブイリ原発事故に並んだ」(ロイター通信)などと速報。国内からは「先が見えない」と怒りの声が上がった」 2011年4月12日)

もちろん、政府の圧力もあってか、「福島の米は安全です」「風評被害で苦しんでます」の報道は続いたが、一方で原発事故で緊迫する報道も伝えた。
では、今は緊迫した事態ではないのだろうか。
チェルノブイリでは28人の死者を出しながらも1年以内に石棺が完了し大量の放射能漏れは解決したのに比べ、日本は現在でさえ屋内に作業員が入れず水棺の作業へ手を付けられていない。福島第一原発事故には1万4255本の燃料棒が未だに残ったまま。再度マグニチュード7クラスの地震があり原発建屋が崩壊すれば完全溶融することになる。


東電の汚染水流出も、国際的に日本の事故対応能力に懸念を与えてしまった極めて重大な問題だろう。
国際科学雑誌『Nature』の記事(2012.11.14)に汚染水問題の解説が載っている。


「2011年3月、マグニチュード9.0の地震が日本沿岸を襲った。
(中略)
原子炉6機のうち、3機でメルトダウンが発生し、大量の放射能が大気中に放出された。事故発生後、非常用冷却水が海へと流出し、汚染が海洋に広まった。

この原発で海洋へと放出された放射能の量は、過去のどの例と比べても飛びぬけて多い。ウッズホール海洋研究所(米国マサチューセッツ州)の科学者が提示した新しいモデルでは、発電所から漏出した放射性セシウムの量は16.2 x 1016ベクレル(Bq)であると推測されており、これは大気中に放出されたのとほぼ同量である。

その放射能の大部分が太平洋に拡散し、非常に低い濃度にまで希薄化した。しかし、発電所周辺の海洋では、セシウム137の量は1,000Bqのまま横這いであり、自然放射線量と比べると比較的高いレベルである。同様に事故から1年半が経過したものの、底魚から検出される放射性セシウムのレベルに変化はない」

周辺の漁業被害は2000億円にのぼる試算もあるという。


「(略)~汚染の主な原因として神田(注  神田穣太 東京海洋大学教授)が挙げているのは、海底堆積物だ。約95TBqの放射能セシウムが発電所周辺の砂の海底に入り込んでいる。しかし、その到達経路は不明である。砂が直接吸収したかもしれないし、プランクトンなどの小さな海洋生物が放射能セシウムを吸収し排泄物をとおして海底に堆積させた可能性もある。河川からの有機堆積物もまた汚染の原因となっている可能性があると、神田は述べる。どのようにたどりついたかに関わらず、「堆積物中に有機物質が混じっていたに違いないのです」と神田は強調する」

原発事故は収束したのではなく、「今そこにある危機」であることを改めて認識させてくれる。
汚染水の堆積物への濃縮が、さらなる放射能汚染を引き起こす。
そのような、極めて重大な事案を、周辺諸国に事前に通知することなく行った日本政府は 「ここまで劣化したのか」とばかりに国際社会から非難された。

放射能被害は、原発作業員のみならず、福島県の一般市民をも巻き込み、蝕み続けるだろう。

文部科学省は、福島県の子供と、他県の子供の甲状腺異常比較調査結果を公表したが、福島県の子供だけ異様に甲状腺異常の数字が低いのは人為的であることを逆に証明している。

























がんばれ美香子「なにそのタイトルやめてよ」

がんばれ美香子「なにそのタイトルやめてよ」

製作委員会

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2013/05/31 (金) ~ 2013/06/02 (日)公演終了

裏切る舞台、嫌いですか?





裏切る舞台は、嫌いですか?



これは、単なるコント短篇集ではない。

登場する人物に何かしらの悲劇性があり、男と女、生き方、科学といった、極めて重要なテーマと向き合っているからである。


一話目は、外国人住民やホスト風の役人のキャラクターが 群を抜いて 笑えた。いわば、典型的なコントといえる。

しかし、2話目以降、徐々に重要なテーマに傾斜した。
オムニバス形式を取らない舞台構成ではあるものの、短篇のコントを繋ぎ合わせただけではなく、一つの物語として完成された料理を提供している。

製作委員会は、デート観劇を勧める宣伝をした。なら、一度くらいは激アツアツな場面があってしかるべきだったと思う。場面がなかった理由を考えると、答えは第三話目に記してあった。
つまり、マイクやカメラ(=科学)に拾われない、その“人間の部分”は これからも不変であり続ける、ということだ。それを強調したかった。
意味は、舞台を観劇した者にしか解らないない。



作品の内容がコントだったので、ネタバレに漫才のネタを書いてみました。


ネタバレBOX




「この前、無性に名作映画を鑑賞したくなってよー。近所にTSUTAYAがないから困ったぜ」

「まあね。誰でも、急に映画を観たくなる時って、ありますよね。
カフェで懐かしの映画音楽が流れてたり、街中で映画ポスターが貼られてたりしてね」

「だろ?俺も、近所のオジさんと口論中に、無性に名作映画を観たくなってよ」

「原因知らないけど、お前にとって大切なのは目の前にある口論の方っ!んで、一体なんの映画を鑑賞したくなったんですか?」

「『タイタニック』‥」

「シチュエーションからして場違いにも程があるだろ!」


「オジさんが前のめりになった時、ディカプリオに錯覚して、例のポーズ‥やっちゃった‥」

「近所で 、オッサン2人が何してんだ!」

「古田新太似なんだぜ!」


「余計、嫌だわ!」


「でっ、近所からだいぶ離れるけど、“思い立ったらすぐ ”ということで深夜営業のTSUTAYAを探しに行ったわけよ」

「まあ、でもTSUTAYAといえば、大抵の街には店舗があるから、意外に10分、20分で行けたでしょ」


「俺、足立区在住だけどよ、中目黒のTSUTAYA本社まで結構、掛かったぜ」

「本社までかよっ!もっと 途中にTSUTAYAたくさん あっただろうに」


「乗せてくれた運転手にサンキュー言って、ペダルから降りたらさ、人っこ一人いないんだわ。いや、マジで」


「あっ、自転車の二人乗りで来ちゃったのね!?よく、深夜に乗せてくれる人がいるな〜、しかもサドルに」


「もちろん、それだけだと申し訳ないから、ラーメンは食べたよ」


「出前中のラーメン屋の店員を困らせるな!元々、注文した客にラーメン返せや」


「とんこつ味だったんだぜ!」


「醤油ベースだと変わるか。逆に24時間出前サービスするラーメン屋があったことが東京の新名物の可能性だけどよ」

「で、TSUTAYA本社にDVD借りるスペースがないし、仕方ないからゲオに行くことを決めた」


「いいじゃん。名作映画のDVD借りれば思う存分、鑑賞できるじゃん。『タイタニック』なら旧作な上に、品揃えも豊富だろ」


「いや、なかなか 『タイタニック』を発見することができなくてさ。店員に聞いたの、『タイタニック』ありますか?って。それでも、当店にはないと」

「話聞いてると、ちょっとお店について詳しくない店員じゃないの?」


「だから、ビシッと言ってやりましたよ!「『タイタニック』がないなんて、ブルマ履いた松居一代ですよ」と」


「ちょっと、解らないな‥」


「続けて、『いいか よく聞け。あの映画は興収歴代2位だぞ。その作品がないなんて、異常なんだよ、はっくしょい、ちくしょい』」

「おっ」


「隣の酔っ払ったサラリーマンに」


「本人に言え!」


「次は真っ正面見て、言ってやりましたよ」


「おっ、今度こそ」


「景気はどうですか?」


「話をはぐらかし過ぎだろ」


「そうしたら、向こうが前のめりになって、俺としても『タイタニック』のポーズをするしか他ないだろ」


「オッサンとの そのパターン、いい加減にしろよな!」


「オッサンじゃねえよ!70歳超えた、おじいさんだよ」


「尚更、いい加減にしろよ!」


「浅丘ルリ子似なんだぜ!」


「“レンタルビデオ屋のパールライン”かっ!浅丘ルリ子さん似の おじいさんなら、かなり複雑な展開だわ」

「おいっ、“レンタルビデオ屋のパールライン”って、意味が分からんぞ」


「だから、浅丘ルリ子さんは、デビュー当時、あまりの美幌から“銀幕のパールライン”って呼ばれていたわけ。その呼び方に掛けて、“レンタルビデオ屋のパールライン”を‥って、なんでいちいち説明しなくちゃいけないんだ」

「知らない人が ほとんどじゃね。
でも、まあ ‥面白いぜ!」

「もう、頼むから掘り返さないでくれ。畑で苦労するモグラの気持ちを 今 理解したわ。俺のことはいい、続けて」

「いやあ~、おじいさん は『タイタニック』のポーズだけは無理だと、拒絶するわけだよー」

「ほう」


「ダチョウ倶楽部までは、やってくれたのにっ」

「あっ、一緒のポーズ自体は既に やっちゃったのね」

「『グー!!』」

「一文字を間違えるなよ。『ヤー!!』だろ、どうでもいい話ではあるけど」

「『タイタニック』のDVDが陳列棚にない理由を問いただすと、店員のおじいさん 激昂してよー。凄い睨み付けてきて、‥口元が近付いたら“あれ”してさ♡」

「深夜のゲオで、ダチョウ倶楽部を持ち出すな。上島竜兵も 帽子 投げつけるぞ」

「むっ、‥帽子を投げたいのは、こっちだよ。『理由を教えろよ!さもないと、今夜のこと ばあさんにささやくぞ』と、言ってやりました。
メールで。プンプンマーク付けて」


「いつの間にメール交換してんだ!猫ひろしがカンボジア国籍取得した頃の感覚だわ」


「返信メールには、こう書いてあった。“当店は一般のコンビニエンスで、ございますので、DVD類の品揃えは少なくなっております。お客様におかれましては何卒、ご了承ください”」

「まだ、ゲオに行く途中だったのかあ!もう、いいよ」














蒲田行進曲

蒲田行進曲

インソムニア

Geki地下Liberty(東京都)

2013/05/29 (水) ~ 2013/06/02 (日)公演終了

日活黄金期を思い起こさせる、「生き様」論


今作は、劇作家・つかこうへい原作のもと公開された、映画『蒲田行進曲』に脚色したストーリー構成である。
脚色は、『劇団チョコレートケーキ』の主宰であり、近年、重厚な社会派の舞台を造り続ける古川氏だ。

今でこそ、俳優が番宣目的でバラエティ番組に出演することは当たり前の時代ではあるが、石原裕次郎の全盛期と重なる“日活黄金期”
の頃は格別の存在であった。
“銀幕のパールライン”と称された、浅丘ルリ子。私は日活の撮影所が設営されていた調布市で『アカシヤの雨』を鑑賞したことがある。当時の日本人男性の平均身長は150センチ台、多くの国民は地方で暮らしていた。昭和初期まで、新潟県が東京都を押さえ、最大人口を有していた事実からも伺える。
ところが、『アカシヤの雨』に出演する高橋英樹に関しては身長180センチ程度あると見受けられ、主演の浅丘ルリ子も都会的な雰囲気が漂う。幾度となく、夜の銀座のシーンが流れる。

帝国劇場や宝塚歌劇団の舞台俳優と明らかに違うのは、“銀幕俳優”は観客にとって日常の生活とはかけ離れた存在だったという点ではないか。
仏・シャルル・ドゴールの大統領選選挙ポスターが国中の田舎にも貼られたように、映画は地方都市の人間も含めて鑑賞できるエンターテイメントだったからである。
舞台俳優が有楽町や、宝塚市を中心とした都市的なものであったのに対し、映画は占領下の沖縄を除き普遍的であり、鑑賞する人々も また庶民だった。


戦後、テレビ放送のアメリカホームドラマに接するなかで、日本人は米国式生活に喉から手を出してしまった。
同じように、多くの日本人が“銀幕俳優”の長身と、都会的な振る舞いに接し、時代のシンボルとして祭り上げた。日活が それを準備したのではないか、と思う。

続く‥

ロボティクス・ノーツ

ロボティクス・ノーツ

トライフルエンターテインメント

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2013/05/03 (金) ~ 2013/05/12 (日)公演終了

日本の「人ーロボット」の歴史を再認識

何より革新性があったのは、毎回ゲストを招き、出演者とロボット対決をしてしまうコーナーである。

通常、舞台というのは、脚本と演出家の頭が考えた“作品”を素直に上演してみせるものである。
舞台こそリアリズムであり、人間の対話だが、あくまでNHKの教育放送のように決められたことしなければならない。
その点でいえば,『ロボティックス•ノーツ』のロボット対決コーナーは ニコニコ動画の生放送ではないか。

ニコ生と表現したのは、出演者とゲストの対戦の模様を、小型カメラで撮影し、舞台のモニターで生中継するシステムだったからだ。
手ブレは生じてしまうし、編集や画面切り替え が不可であるところが ニコ生と表現できる。

私が観た回は、ゲストがアニメ声優の女性だった。
出演者も、「あの声優さん、かわいいわね!」とゲストに対する配慮を忘れない。
男性ゲストなら、「あの○○さん、かっこいいわね!」か。

ロボット対決の対戦内容は、第一回戦が向かい側に置いてある風船を先に刺す、第二回戦がロボットの背中に付けられた風船を刺す、だった。
第一回戦では出演者が、第二回戦ではゲストが、それぞれ風船の割れる音を劇場に響かせた。

決めの第三回戦は「ストーリーの進行上」(レフリー)と前置きされ、出演者が  見事?に駒を進める。

日本のロボット技術を語るうえで、鉄腕アトムは 避けて通ることのできない存在だろう。
手塚治虫が世に発表した国民的漫画キャラクター。今も生まれた場所とされる高田馬場の高架下にはアトムの笑顔がある。ちなみに御茶ノ水には、そうした記念物はない。

 動力は原子力。その点を取り1970年代「平和利用という名の下、原子力発電の建設を誘導する作品」と原発建設反対派から非難を受けた歴史があるが、手塚治虫自身「原子力発電には反対です」と明言している。


アトムはトビウオ博士に開発された、原子力式の人間型ロボットだ。しかし、開発の経緯は、トビウオ博士の亡き子供を蘇らせるため、その子に似たロボットを作ることにあった。
つまり、鉄腕アトムは ロボットとしてではなく、人間として造られたのである。

2000年代、SONYは犬型ロボット•アイボを発売し、国内にブームが巻き起こった。
人間が到達できない地点へ、ロボットの機能を通し、到達する。
これが、世界のロボット開発の常識だろう。

しかし、この国はアイボを例に取れば解るように、“愛着”を重視する開発方針を貫いてきた。HONDAの二足歩行ロボットを考えてみてほしい。ランドセルを背負った、少年の姿をしている。


舞台に話を戻すと、種子島高校ロボット研究部に所属する主人公?の少女は自身で造り上げた巨大ロボットに対して、非常な“愛着”を持ち合わせていた。
JAXAが財政援助を申し込んだにもかかわらず拒絶、かつて姉が設計したオンボロ1号機に“愛着”を感じるからである。

そうした単なる機能性を超えた、“愛着”としてのロボットは、鉄腕アトムが原点だった。
ロボット対決が終了した後、巨大ロボットを表すのは人の身体とモニターであった。現代舞踏のキレで、身体の持つ ぬくもりで、日本のロボット開発の歴史性を示すパフォーマンス(作品)だった思う。


拡散も、一つのテーマだった。
Twitterや、LINEを通し、ある“つぶやき”が1分も経過せぬうちに世界中へ拡散する時代。パブリックな井戸端会議が、無数に展開されている。
そうした時代だからこそ、逆に何が本当か分からない。SNSは雑音が多いから、新聞やTVで言っていることを鵜呑みにする。昨年の総選挙は、その例だろう。
選挙期間中、Twitterで つぶやきリツイートされた政治ワードは『維新』が圧倒的だったのに、新聞、TVが世論調査結果を一斉に発表した直後、それは『自民』に交代した。
メディアが、“風”を吹き付けると、TwitterやLINEで 数倍の風速となり、世界に拡散する。
多種多様なサファリパークを提供するはずのSNSが、そのパブリックな井戸端会議的要素によって、ある単一化の方向に誘導されてしまう道具となりうる格好の例が昨年の総選挙だった。

舞台は、SNSが発展した社会を私たちに考えさせる一石だろう。他方、女子高生がロボットのプログラミングをする社会も、あながち間違いではない。バレーに励む少女がいれば、ロボットに打ち込む少女もいる。

IT化の社会は幅を広げることに繋がるわけなのだから、種子島高校ロボ研が私たちの目指す姿である。





(艸'∀゚*)lilΣ( @Д@∥;)i|l(゚∀゚三゚∀゚三゚∀゚)。+.。゚p(≧□×。)q)))゚。+。゚。+。(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!)

(艸'∀゚*)lilΣ( @Д@∥;)i|l(゚∀゚三゚∀゚三゚∀゚)。+.。゚p(≧□×。)q)))゚。+。゚。+。(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!)

宗教劇団ピャー! !

新宿ゴールデン街劇場(東京都)

2013/05/08 (水) ~ 2013/05/13 (月)公演終了

『ピャー』は普通の若手劇団になるな

『ピャー』よ、君はどこへ向かおうとしているのか。

発足時からの中心メンバーの姿が消え、新たに多摩美大の演劇サークルメンバーら客演で陣を固めた。

確かに、今までが「生き方を変える強烈な演劇」だったのであり、その強烈さが抑えられても なお『ピャー』は日本の世界遺産候補である。
しかし、が、しかし、今回の舞台は、数々の前代未聞を築いてきた『ピャー』に相応しかったか。
塚本さんよ、あえて問おうじゃないの。
『ピャー』の精神世界が、防護ネットを被せられたまま、発揮できるのかいな?

1人の“わたし”が、自分を客観視するロードから抜けられない。
外国人に 米粒付けられ、巨大な生命体が襲来、 という極度な環境のために、色々な“わたし”が話す、そして殴りあう。

現代社会の、確実に存在している一部を見せつけられたぜ。ゴチャゴチャなようで、実は全体としては単一化が進行している。


プレトークでドラマトゥルク•野村政之さんの話が出ましたな。野村さんとはメールの やり取りしたことがあるが、社会の中の劇場の在り方を考えてる稀有な人だ。

宗教劇団ピャーは、社会に訴え掛けるのではなく、あるいは社会の一部を劇場に映し出すのではなく、もう、『ピャー』でいて。

二次元を一つのスペースで 演劇(や)ちゃって。

斜い人 (はすいひと)

斜い人 (はすいひと)

ナイスコンプレックス

サンモールスタジオ(東京都)

2013/05/02 (木) ~ 2013/05/08 (水)公演終了

「捨て子問題」を解体し、社会と交わる舞台の確立
社会派の、テンポのよい、痛快な“ヒューマンドラマ”であった。

「前説」を名乗りながら舞台のストーリーテラーとして登場する男(もみあげ!)によれば、妊娠中絶反対の見方にたって描かれたという。


まず、初めに幕が上がり、目の前に拡がった景色が異様だった。
ホワイトカラーの髪をした女の子が、低い天井に  吊られる ブランコに乗り、何やら大声で“母親”なるものに語り掛けている。

「○○ですよね、  お母さん!」


手塚治虫の代表作である『鉄腕アトム』、トビウオ博士によりアトムが生まれる、まさに その実験室のような雰囲気であった。


ETV(NHK教育テレビ)から、テレビ朝日の某人気深夜バラエティ番組まで。
途中、地上波放送局の番組をモチーフとし、夫婦の関係、子育て、あるいは捨て子の関係者を番組に出演する当事者として招く、そんなコーナーがあった。
『観ている』時には理解できなかったが、その構成において、男女の問題ー捨て子という道筋を辿っている。つまり、このことは妊娠中絶反対の基本の描き方に則り、「捨て子」が 日本に存在してしまう「軽さ」を扱っていたと考えるのが普通だろう。

「ゆりかごポスト」は響きはよろしいが、道義的にも、社会通念上も 「捨て子」を行った親を責めないわけにはいかない。

「捨て子」は、
1経済的な事情
2義務教育段階での啓発不十分
3子育ての個人化
が要因として考えられるが、当事者以前の、行政が抱える課題だ。日本はEUと比べるとソーシャルセーフティが未発達なのは間違いない。
では、制度を整えれば「捨て子」は起こり得ないか。違う。

「前説」を名乗った男の伝えた内容を紹介したが、この舞台は客観的、現代的な表現でありながらも、妊娠中絶反対の考えに基づき描かれた作品だ。
妊娠中絶反対は、人の思想そのものである。アメリカの例が よく知られているとおり、民主党は妊娠中絶容認、共和党は妊娠中絶反対が党の基本スタンスである。
両党とも安全保障では重なる部分が多いのに、どうして  ここまで 二分されるのか。
人の思想、要するに、生き方に直接的に結び付く、基盤の思想だからである。

日本には旧法の流れを汲む「母体保護法」が長らく存立するが、妊娠中絶を国が勧める悪法ではないか、と専門家の間で議論されてきた。
中絶を容認するか、反対するか、それはアメリカの州選挙の一大テーマになり得る。そうした、極めて大切なテーマである妊娠中絶問題を、戦後いつのまにか制定された旧法に身を任せた日本は 無思考の国だった。

妊娠中絶問題が生き方に直結する基盤の思想だとすれば、「捨て子」も同様に思想だろう。妊娠中絶は道義的に反対するのであって、「捨て子」も道義的にあってはならない。
国は、近年、妊娠検診に掛かる費用を自治体と合わせ全額負担するようシステムを変えた。「捨て子」対策の一環である。
その一方、「ゆりかご」に預けられた「赤ちゃん」の1人目は3歳の男児だった。もはや、国の制度ではなく、親の道義が 「捨て子」のほとんど全てで あることを証明している。

舞台の話に戻ろう。
劇場は、狭い。だが、客席の中央を 役者が幾度となく通り過ぎ、あえて幕を使って「造った舞台です。」を強調する姿は、劇場を社会の中に位置づけた姿であった。


「まだ、やってんだ、俺たちのこと」


かつて「捨て子」だった人々が、後ろの方から客席に囁く。舞台を社会の中のイベントとし、それに社会の当事者=「捨て子」が応える、二重の仕組みである。ドキュメンタリータッチだけが、社会派ではない。世の中を解体した上で、それを構成していた材木や瓦を  客席に届けるのも社会派の舞台だ。


ネタバレBOX

社会を誰が牛耳ってるか分かる、社会派の舞台でもあった。


現在、総理大臣を指名する衆議院の選挙方式は、小選挙区比例代表並立制だ。
1994年に制定され、1996年執行の衆院総選挙から運用されている。

1988年にリクルート事件を発端とし結成されたユートヒア政治研究会は、1年生議員の年間に掛かる政治費用を算出したことがある。

以下、同研究会に関わった、衆議院議員•とかい紀三朗氏の公式ホームページから引用したい。


「金のかからない政治を実現するためには、まず何故政治に金がかかるのかを知らなければならない。それ故に、メンバーの必要経費を分析することになり、理系学部出身であった私と鳩山氏が担当することになった。

かなり以前のことであり、資料が手元に残ってないので正確ではないが、最低でも6500万、最高は1億9000万円(おそらく鳩山氏)、バラツキはあつたが参加メンバー10人の平均は約1億1000万となった。

鳩山氏が分析を試みたが、選挙区の広狭と経費の多寡に若干の関連性はあるものの、それぞれの選挙区事情に差もあり、傾向を結論づけることは難しかった」


中選挙区制時代には、『三バン』という政治用語があった。
地盤、看板(知名度)、鞄(資金)の三つ である。
一つの選挙区で、同じ政党の公認を受ける複数の候補が競い合うケースがみられたため、より世襲化、金権腐敗が進行したというのが戦後日本政治史の通説だろう。
もっとも、常に110〜150程度の議席数を保有していた日本社会党が ほぼ「一選挙区1名」の方針だったわけだから、事実上は自民党の問題を指す。


この自民党利権誘導メカニズムについて、政治学者の砂原廉平氏は、次のように指摘する。

「政党を頼ることができない候補者がまず依存するのは、選挙区内のさまざまな組織・団体だ。たとえば定数4人程度の選挙区では、20%程度の得票を固めれば当選が見込めるので、一定の組織・団体からの支持が当選に直結する。

所属政党を問わない競争のもと、候補者は自分だけを支持してくれる組織・団体を探す。その結果、選挙区内の地域ごと・産業セクターごとに細分化された組織・団体が、政党ではなく候補者個人を支援する。

当選した議員たちは、支援の見返りとして組織・団体への便宜を図ることを優先し、それが政治腐敗の温床となるのだ。

次に候補者が依存するのは、自民党で隠然たる力を持っていた「派閥」だ。自民党の派閥は、党の支援に頼れない候補者に、経済的な資源をもたらし、場合によっては選挙区の組織・団体の紹介をも行っていた。

派閥の長は、自民党総裁選挙に勝利して総理大臣になるべく、構成員にさまざまな資源を付与して求心力を高めようとするのだ。この過程で政治腐敗が生じることになる」(2013.2.2  週刊東洋経済)


リクルート事件が世論に与えた影響は多大で、直後の参院選での土井社会党躍進を招き、政治改革を巡り自民党経世会の改革派が新生党、新党さきがけ らに分裂した結果、戦後保守レジーム崩壊へと繋がった。

では、小選挙区比例代表並立制と選挙制度が変わり、中選挙区制の難点は解消されただろうか。

中選挙区制時代の「地盤」「看板」「鞄」は、世襲政治家がものを言う最たる武器だった。地域の企業、団体とのパイプはあるし、政治団体の資産は息子が代表となれば使える。

小選挙区比例代表並立制に基づく選挙が執行された1996年以降の、衆議院議員における世襲状況のしばらくの経過を見てみよう。


1996年総選挙 87名
2000年総選挙 113名 
2003年総選挙 134名


年々、増加傾向にあるではないか。1996年時に内閣総理大臣だった橋本龍太郎以降、既に5人が世襲政治家首相である。


政治資金に関しては、小選挙区比例代表並立制になり「カネが掛からなくなった」か。たしかに政治家個人の政治団体の支出は減る傾向にあるが、政党としての政治資金は依然として肥大のままだ。

 昨年の総選挙、自民党は09年衆院選より比例区で220万票、小選挙区で166万票の得票を減少させた。。だが、「多党化」の要因により、国から支給される政党助成金自体は43・3%増(前年比)の145億5000万円である。自民党は他にも多額の企業献金等を受け取った上、大手銀行から借用した負債分が存在する。
小沢一郎氏はかつて細川内閣の頃、政党助成金の法案成立を目指す際に、「民主主義のため、国民にコーヒー杯分の負担をしてもらう」と述べた。
しかし、大統領制を採用している国を除けば多額の助成財源だから、小選挙区比例代表並立制とリンクされる形で考えられた政党助成金も、腐敗が抑えられた一方、トータルとしての「政治資金の肥大」なのは間違いない。


最も小選挙区比例代表並立制において問題視されるのが、死票の多さで生じる有権者間の不公平だろう。


2012年12月18日付 東京新聞ネット版の記事を参照されたい。


 「戦後最低の投票率となった十六日の衆院選は、自民党が定数(四八〇)の六割を超える二百九十四議席を確保する圧勝で終わった。しかし小選挙区で自民党候補の名を書いたのは全有権者の約四分の一、比例代表に至っては15・99%だった。自民党の勝利は、必ずしも民意を反映したものではない。多党乱立と低投票率が自民党を利した結果であるということが、はっきり分かる。

 衆院選の投票率は小選挙区で59・32%。戦後最低を記録した。

 一方、自民党の得票率は小選挙区が43・01%。比例代表は27・62%。ただし、これは投票した人の中での比率だ。

 全有権者に占める比率は24・67%、比例代表は15・99%となる。選挙区でも比例代表でも自民党候補や党名を書いた有権者は「少数派」だ。

 ところが、自民党が獲得した議席は小選挙区で定数の79%にあたる二百三十七議席、比例代表は、同31・67%の五十七議席だった。

 現在の衆院選挙制度は、小選挙区制と比例代表の並立制を採用している。民意を集約して二大政党制に導く小選挙区制で自民党は、有権者全体に占める得票率の三倍以上の議席を獲得。信じられないような世論との乖離(かいり)が生じた」(2012年12月18日  東京新聞  ネット版)


日本国憲法に基づき、日本の成人国民は一人一人選挙権を持っている。ところが、4割の国民が投じた政党が7割近くの国会を占拠してしまうような状況は公平といえるか。
完全小選挙区制を実施している国はイギリス連邦など、多数 見受けられるものの、日本は 「一人別枠法式」という憲法違反がまかりとおり、あまりに地方重視だ。


完全小選挙区制度を採用している、議会制民主主義の元祖•イギリスは、実は日本と似た問題を抱える。
保守党•自由民主党によるキャメロン連立政権の発足を決定した2010年総選挙、「第三勢力」として都市部の若い世代を中止に圧倒的な支持を集めた自由民主党は、700万票あまりを獲得した。850万票の労働党と比べ票差は150万票だった(得票率の差は6%)
では、下院の議席獲得数は どうだったか。
自由民主党57議席に対し労働党258議席、実に201議席の差が生じる事態となった。

その背景は、小選挙区制という大量の死票が出ざるをえないシステム構造上の問題に加え、都市部よりも郊外地域に有利な区割りが行われた政治的な不備もある。
こうした、政治的に既存政党が有利な区割りをすることを、「ゲリマンダー」と呼ぶ。
1812年に米・マサチューセッツ州知事のエルブリッジ・ゲリー(Elbridge Gerry)が民主党に有利な選挙区割りを策略した。その選挙区の地図上の形が伝説の動物、サラマンダーにそっくりだった。選挙区割りを自党の政党に有利なように引く政治的な策略を、両者の名前をミックスし  「ゲリマンダー」なる用語が造られた。
日本も かつて、1956年に当時の鳩山一郎首相が自由民主党に有利な選挙区割りの小選挙区制導入を試みたところ、「ハトマンダー」と国会内外で批判され断念してしまったことがある。

小選挙区制度を採用する国は一般的に都市部より地方の有権者に有利な区割りがされており、イギリス連邦の加盟国であるカナダを含め、王室が社会政治に深く関与する例が少なくない。

2010年  イギリス下院議員総選挙
党派別議席数と得票
政党
得票数
得票率
(%)
増減
当選者
増減
保守党
10,706,647
36.1
+3.8
306
+97
労働党
8,604,358
29.0
-6.2
258
-91
自由民主党
6,827,938
23.0
+1.0
57
-5
アメリカにおいては、逆に民主党の支持者が集まる都市州に  議席配分(大統領指名選挙人)が偏ってる。2008年米大統領選挙、オバマ候補は 共和党マケイン候補をわずかに抑え、民主党候補者としては歴史的に過半数を少しばかり越えたに過ぎなかった。



この国には
1小選挙区制のマイナス面である死票
2自民党の地方利権誘導型システムに基づく地方重視
3比例代表との重複立候補可。それに伴う単一選挙の複数候補当選。(一票の格差9倍の可能性)
4地域ごとの比例代表ブロック制。および拘束式の弊害。(過激政治家の出現)



以上、4点の選挙制度をめぐる問題を抱えていると、私は考えている。
ここでは全てを詳しく紹介できず残念だが、中選挙区制の弊害を埋めるための小選挙区比例代表並立制は誤りであり、事実に反しているのだ。公明党及び旧たちあがれ日本などは、中選挙区制の回帰を主張した。だが、世論はより一票の公平さを求め、政党の品位や主義主張を重視する時代だ。しかも候補者査定が要るのであれば、非拘束式比例代表制が現実的なのではないか。






私が提案する新しい選挙制度とは非拘束式地域別比例代表制だ。

現行の小選挙区比例代表並立制は、小選挙区300議席、比例区180議席の混合システムである。
ドイツや韓国でも、似たような小選挙区比例代表併用制が採用されているが、日本のガラパゴスとして挙げられるのは重複立候補制度だ。
小選挙区でA党の山田候補がB党の田中候補に敗れたとしても、A党の比例得票と惜敗率によっては「復活当選」する場合がある。
民主党の海江田代表は2012年総選挙で東京1区から出馬し自民党候補に敗れた後、比例東京ブロックから復活当選した。
国会議員の間では、小選挙区単独当選が「金バッチ」、復活当選が「銀バッチ」、比例単独当選が「銅バッチ」と揶揄されるそうだ。

かつて、田中眞紀子前文部科学大臣は「復活当選」について、「有権者が  せっかく落とした人が蘇るのはおかしい」と批判した。

日本が独自に重複立候補制度を設けた理由は、
1中選挙区制時代の倍率との兼ね合い
2死票を減らす
3小選挙区における候補者の得票差を回避

以上、三点の理由があったと思われる。
思想としては、運動会のリレーで一緒に手をつなぐことを義務化する小学校と変わらない。


誰も指摘しないことなので、あえて指摘しよう。
重複立候補制度の真の問題点とは、日本国憲法で保証された有権者一票の重みを否定することにある。

例えば、ある選挙区にA党、B党、C党、無所属の候補が  それぞれ立候補したとする。選挙の結果、無所属候補が当選を果たし、A、B、Cの各党も接戦の末、全員が復活当選した。制度上、A、B、C各党の当選者は比例ブロック選出の国会議員ということになる。

では、例えば千葉県の復活当選議員は神奈川県や山梨県を含めた「南関東」の有権者に向けた政治報告をするか。いや、NOを付けつけられたはずの千葉県の自身の選挙区内有権者に対する政治報告しかしないだろう。
さすがに海江田代表は東京1区の有権者だけではなく、日本のことを考えた政治を目指すとしても、無役の地方選挙区の1年生議員は そうならない。

つまり、「制度上は地域ブロックの選出議員であっても、実際は小選挙区選出の議員として振舞う」


先のケースでは他の選挙区に比べ、一人の有権者が4倍の「一票の重み」を持っていたことになる。
死票を減らすはずの小選挙区比例代表並立制が、世界的にも ほぼ存在しない重複立候補制度の結果、ますます「一票の格差」が生じてしまっている。


現在、主要政党の中で 比例代表制への制度変更を主張しているのは、みんなの党、生活の党である。

みんなの党国会議員•山内康一氏は、次のように比例代表制の利点を羅列する。


「比例代表制のメリット

1)一票の格差がなくなる。
・違憲判決が出た後だけにこの点は重要だと思いますが、
 一票の格差はなくなります。単純明快です。

2)投票率が上がる(7~10%)。
・各国の選挙制度の比較研究によると、小選挙区制度に比べて、
 比例代表制度は、投票率が平均7~10%高くなります。
・死票がなくなることが、最大の理由と思われます。

3)多様な意見が反映される。
・比例代表制だとゆるやかな多党制になりやすく、
 結果的に多様な意見が反映されるようになる。
・死票は少ないことも多様な意見の反映に貢献する。

4)女性議員の比率が増える。
・比例代表制のすれば、候補者名簿のバランスが重視される。
 偏った候補者名簿だと幅広い民意を反映できなくなるために、
 女性や少数意見を代表する候補者も名簿に記載される。
・結果的に比例代表制の方が、女性議員の比率が高くなる」(山内康一 ココログ ブログ  2013年3月12日)

完全比例代表制度を採用する国は北欧などに見られる。それを可能とするのは国民の均質性だ。その条件でいえば、むしろ日本の風土に合った選挙制度ではないか。

既存の政党勢力が比例代表制度を妨害する要因は、左翼政党の躍進を防ぐためである。『90年代の証言 森喜朗』(朝日新聞社刊)で、現行の小選挙区比例代表並立制が地域ブロック制なのは左翼政党に議席を与えないためであったことが、当時 新生党の小沢一郎氏と制度変更の会談を重ねた森元首相のインタビューにより明らかにされている。

以下、2012年総選挙に関する総務省の公式資料を掲載したい。

「(5)党派別得票数(比例代表)
区 分 自由民主党 民主党 日本維新の会 公明党 みんなの党 日本未来の党 日本共産党
今 回 16,624,457 9,628,653 12,262,228 7,116,474 5,245,586 3,423,915 3,689,159
 0 0 0 0 0 0 0
         (   27.62)         (   16.00)         (   20.38)         (   11.83)         (    8.72)         (    5.69)         (    6.13)
前 回 18,810,217 29,844,799 0 8,054,007 3,005,199 0 4,943,886
(平21) 0 0 0 0 0 0 0
         (   26.73)         (   42.41)         (    0.00)         (   11.45)         (    4.27)         (    0.00)         (    7.03)
差 引 -2,185,760 -20,216,146 12,262,228 -937,533 2,240,387 3,423,915 -1,254,727
 0 0 0 0 0 0 0
-             11.62 -             67.74         (    0.00) -             11.64         (   74.55)         (    0.00) -             25.38
区 分 社会民主党 新党大地 国民新党 新党改革 幸福実現党 諸 派 合 計
今 回 1,420,790 346,848 70,847 134,781 216,150 0 60,179,888
 0 0 0 0 0 0 0
         (    2.36)         (    0.58)         (    0.12)         (    0.22)         (    0.36)         (    0.00)         (  100.00)
前 回 3,006,160 433,122 1,219,767 58,141 459,387 535,570 70,370,255
(平21) 0 0 0 0 0 0 0
         (    4.27)         (    0.62)         (    1.73)         (    0.08)         (    0.65)         (    0.76)         (  100.00)
差 引 -1,585,370 -86,274 -1,148,920 76,640 -243,237 -535,570 -10,190,367
 0 0 0 0 0 0 0
-             52.74 -             19.92 -             94.19         (  131.82) -             52.95 -            100.00 -             14.48
  (注) ( )内は得票率である。差引欄の( )内は増減率である。 」


公明党の比例得票率は約11%なので、比例代表制度に変更すれば50議席は堅い。その程度の議席なら中選挙区制の下、関西の選挙区を中心に取っていた数だ。
公明党はライバルの左翼政党の躍進を防ぐため、自民党などの既存政党と手を組み、比例代表制度を阻止しようとしているのではないか。

比例代表制度に変更する際、参院選と同様に全国区するか、地域ブロックにするか、という論点が生ずる。全国区だと、先の森喜朗氏のインタビューにみられた新事実のとおり、イデオロギー(左翼)政党の躍進を防ぐ観点から現実的に難しい。(既存政党側が困る)

だとすると、現行の地域ブロックに非拘束式を加える形が、最も現実的ではないか。それにより、有権者が不適切な候補者を政党側の都合によらず、排除することができる。個人候補者の最低得票数を設定するべきだ。

ここで、さらに重要であるのは、地域ブロックに合わせ道州制を導入することである。例えば、「北関東州」「東北州」なる行政区分を造り、有権者が その区域への帰属意識を持つ。
現行の地域行政システム下で、「北関東ブロック」「南関東ブロック」らで有権者を分けることは、その区域に対し経済的、政治的、文化的に帰属意識がない以上、歪な構造だ。
政府と強いパイプのある経団連が強く賛成し、大多数の現職議員が手を挙げている道州制が一向に進まないのは、政治の怠慢としかいいようがない。昨年の衆院選で明確に反対したのは、左翼政党の他、議席を失った新党日本くらいだった。

非拘束式地域別比例代表制度、これが私の新しい選挙制度の提案である。








踏切があがるとき

踏切があがるとき

神奈川県演劇連盟

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2013/05/03 (金) ~ 2013/05/05 (日)公演終了

日本人の生き方を、70ー80年代を軸に再考察

「演劇の神奈川」を体感するには十分の舞台であった。

1970年代の国鉄は、国労のストライキにより多数の乗客に対し列車遅延の被害を与え、日本経済の生産性に障壁となっていた。
その様子は、朝日新聞に連載されていた70年代の『サザエさん』(作_長谷川町子)にも度々、登場する。

一方、グループ総帥•堤康次郎死後も「国土計画」を通じ堤家支配が続いた私鉄の西部鉄道は、ストライキが発生していない。

「国鉄一家」という造語がある。
国鉄は、現東京ヤクルトスワローズなどのプロ野球団を持ち、職員のためのオリエンテーションに努める さきがけ的な存在の事業団である。

たしかに国労が日本の労働運動に汲みした役割、または位置づけは過小評価すべきではないだろう。

しかし、「国鉄一家」の身内争いが、客人である乗客=一般大衆を困惑させ公益性の障壁となった事実も合わせて考えなければならないのではないか。




「昭和」から「平成」に掛け、人々のライフスタイルは変わった。
昭和のライフスタイルは1950年代の「さんちゃん農業」(じいちゃん、ばあちゃん、母ちゃん)、から「モーレツ社員」へ。福田赳夫が「自民党は農家の皆さんの味方です!」と息巻いてから減反政策がスタートし、「カイシャ的共同体」の中で生活する日本人=男性が急増した。

72年頃に入社した小泉の組合運動への専念というのは まさに 「モーレツ社員」「カイシャ的共同体」オモテ裏のうち、その裏側に位置したのである。

現在まで、公務員にストライキ権は付与されていない。
代わりに、内閣から独立した人事院があり、労働争議の仲介も行われる。

国労を含めた国鉄系労働組合、地方郵便局長系の全特、地方公務員の自治労等は、各々が大政党(自民党、日本社会党、民社党)の組織票であった。
こうした、冷戦集結前の公務員、国有事業団職員による“業界運動”が政治力を持った結果、社会全般の権利を向上させた面はあるが、たとえば全特を例に取れば 彼等は既得権益者であった。

日本国憲法に、公務員は国民の「公僕」と明記されている。だが、昭和の時代、そして平成を越えて今も自治労メンバーは「国」へ目を向ける。民営化された事業団の職員は現代でも法規上は特殊会社•社員の身分であり、霞ヶ関の中央省庁から庇護を得ることしか考えていないのである。 


そして、平成のライフスタイル。
小泉は倒れた後の晩年、若い頃に張り切った登山を付き添われながら挑んだ。
しかし、それでも小泉は笑顔ではないことから、バブルが崩壊し“生き方”を暗中模索した90年代の時代性と見て取れる。決して、肯定しているわけではない。









ネタバレBOX


社会を誰が牛耳ってるか分かる、社会派の舞台でもあった。
日本の政治家に正統性はあるか。これはじつは大切なテーマだ。

現在、総理大臣を指名する衆議院の選挙方式は、小選挙区比例代表並立制だ。
1994年に制定され、1996年執行の衆院総選挙から運用されている。

1988年にリクルート事件を発端とし結成されたユートヒア政治研究会は、1年生議員の年間に掛かる政治費用を算出したことがある。

以下、同研究会に関わった、衆議院議員•とかい紀三朗氏の公式ホームページから引用したい。


「金のかからない政治を実現するためには、まず何故政治に金がかかるのかを知らなければならない。それ故に、メンバーの必要経費を分析することになり、理系学部出身であった私と鳩山氏が担当することになった。

かなり以前のことであり、資料が手元に残ってないので正確ではないが、最低でも6500万、最高は1億9000万円(おそらく鳩山氏)、バラツキはあつたが参加メンバー10人の平均は約1億1000万となった。

鳩山氏が分析を試みたが、選挙区の広狭と経費の多寡に若干の関連性はあるものの、それぞれの選挙区事情に差もあり、傾向を結論づけることは難しかった」


中選挙区制時代には、『三バン』という政治用語があった。
地盤、看板(知名度)、鞄(資金)の三つ である。
一つの選挙区で、同じ政党の公認を受ける複数の候補が競い合うケースがみられたため、より世襲化、金権腐敗が進行したというのが戦後日本政治史の痛切だろう。
もっとも、常に120〜160程度の議席数を保有していた日本社会党が ほぼ「一選挙区1名」の方針だったわけだから、事実上は自民党の問題を指す。


この自民党利権誘導メカニズムについて、政治学者の砂原廉平氏は、次のように指摘する。

「政党を頼ることができない候補者がまず依存するのは、選挙区内のさまざまな組織・団体だ。たとえば定数4人程度の選挙区では、20%程度の得票を固めれば当選が見込めるので、一定の組織・団体からの支持が当選に直結する。

所属政党を問わない競争のもと、候補者は自分だけを支持してくれる組織・団体を探す。その結果、選挙区内の地域ごと・産業セクターごとに細分化された組織・団体が、政党ではなく候補者個人を支援する。

当選した議員たちは、支援の見返りとして組織・団体への便宜を図ることを優先し、それが政治腐敗の温床となるのだ。

次に候補者が依存するのは、自民党で隠然たる力を持っていた「派閥」だ。自民党の派閥は、党の支援に頼れない候補者に、経済的な資源をもたらし、場合によっては選挙区の組織・団体の紹介をも行っていた。

派閥の長は、自民党総裁選挙に勝利して総理大臣になるべく、構成員にさまざまな資源を付与して求心力を高めようとするのだ。この過程で政治腐敗が生じることになる」(2013.2.2  週刊東洋経済)


リクルート事件が世論に与えた影響は多大で、直近の参院選での土井社会党躍進を招き、政治改革を巡り自民党経世会の改革派が新生党、新党さきがけ らに分裂した結果、戦後保守レジーム崩壊へと繋がった。

では、小選挙区比例代表並立制と選挙方針が変わり、中選挙区制の難点は解消されただろうか。

中選挙区制時代の「地盤」「看板」「鞄」は、世襲政治家がものを言う最たる武器だった。地域の企業、団体とのパイプはあるし、政治団体の資産は息子が代表となれば使える。

小選挙区比例代表並立制に基づく選挙が執行された1996年以降の、衆議院議員における世襲状況を見てみよう。


1996年総選挙 87名
2000年総選挙 113名 
2003年総選挙 134名


年々、増加傾向にあるではないか。1996年時に内閣総理大臣だった橋本龍太郎以降、既に5人が世襲政治家首相である。


政治資金に関しては、小選挙区比例代表並立制になり「カネが掛からなくなった」か。たしかに政治家個人の政治団体の支出は減る傾向にあるが、政党としての政治資金は依然として肥大のままだ。

 昨年の総選挙、自民党は09年衆院選より比例区で220万票、小選挙区で166万票の得票を減少させた。。だが、「多党化」の要因により、国から支給される政党助成金自体は43・3%増(前年比)の145億5000万円である。自民党は他にも多額の企業献金等を受け取っているが、それでも銀行から借用した負債分が存在する。
小沢氏はかつて細川内閣の頃、政党助成金の法案成立を目指す際に、「民主主義のため、国民にコーヒー杯分の負担をしてもらう」と述べた。
しかし、大統領制を採用している国を除けば多額の政党助成財源であるから、やはり小選挙区比例代表並立制とリンクされる形で考えられた政党助成金も、腐敗が抑えられた一方、「政治資金の肥大」なのは間違いない。


最も小選挙区比例代表並立制において問題視されるのが、死票の多さで生じる有権者間の不公平だろう。


2012年12月18日付 東京新聞ネット版の記事を参照されたい。


 「戦後最低の投票率となった十六日の衆院選は、自民党が定数(四八〇)の六割を超える二百九十四議席を確保する圧勝で終わった。しかし小選挙区で自民党候補の名を書いたのは全有権者の約四分の一、比例代表に至っては15・99%だった。自民党の勝利は、必ずしも民意を反映したものではない。多党乱立と低投票率が自民党を利した結果であるということが、はっきり分かる。

 衆院選の投票率は小選挙区で59・32%。戦後最低を記録した。

 一方、自民党の得票率は小選挙区が43・01%。比例代表は27・62%。ただし、これは投票した人の中での比率だ。

 全有権者に占める比率は24・67%、比例代表は15・99%となる。選挙区でも比例代表でも自民党候補や党名を書いた有権者は「少数派」だ。

 ところが、自民党が獲得した議席は小選挙区で定数の79%にあたる二百三十七議席、比例代表は、同31・67%の五十七議席だった。

 現在の衆院選挙制度は、小選挙区制と比例代表の並立制を採用している。民意を集約して二大政党制に導く小選挙区制で自民党は、有権者全体に占める得票率の三倍以上の議席を獲得。信じられないような世論との乖離(かいり)が生じた」(2012年12月18日  東京新聞  ネット版)


日本国憲法に基づき、日本の成人国民は一人一人選挙権を持っている。ところが、4割の国民が投じた政党が7割近くの国会を占拠してしまうような状況は公平といえるか。
完全小選挙区制を実施している国はイギリス連邦など、多数 見受けられるものの、日本は 「一人別枠法式」という憲法違反がまかりとおり、あまりに地方重視だ。
イギリスは都市を基盤とする労働党が議席を得やすい小選挙区の線が引かれている。アメリカにおいても、やはり同様に民主党の支持者が集まる都市州に  議席配分が偏ってる。2008年米大統領選挙も、オバマ候補は 共和党マケイン候補をわずかに抑え、なんとか過半数を越えたに過ぎない。
だが、なぜかイギリスやアメリカの政治システムを見本とする日本は、地方の有権者に政治的権利=「一票の重さ」を与える。


この国には
1小選挙区制のマイナス面である死票
2自民党の地方利権誘導型システムに基づく地方重視
3比例代表との重複立候補可。それに伴う単一選挙の複数候補当選。(一票の格差9倍の可能性)
4地域ごとの比例代表ブロック制。および拘束式の弊害。(過激政治家の出現)



以上、4点の選挙制度をめぐる問題を抱えていると、私は考えている。
ここでは全てを詳しく紹介できず残念だが、中選挙区制の弊害を埋めるための小選挙区比例代表並立制は誤りであり、事実に反しているのだ。旧たちあがれ日本などは、中選挙区制の回帰を主張したものの、世論はより公平さを求め、政党の品位や主義主張を重視。しかも候補者査定が要るのであれば、非拘束式比例代表制が現実的なのではないか。
喋々喃々

喋々喃々

劇団 CAT MINT

ブディストホール(東京都)

2013/04/27 (土) ~ 2013/04/29 (月)公演終了

「見て 面白い」を追求する、現代版「ねずみ」


落語は、歌舞伎から派生した日本の伝統芸能である。
歌舞伎を1人で演じる試みが、座布団に座り、使える小物は扇子と手拭いだけ、後は噺家の力量のみの「寄席」という世界を生んだ。

2012年、桂小三治師匠の落語を聴きにいったことがあった。
「生まれはUSA、えー山口県宇佐市」の紹介を 冒頭に盛り込み、客の心を掴む。
「落語はむかし、花形の歌舞伎演目の後にやっていたんですね。落語をやるのは暗くなってから。灯籠の芯をパチンとするのも噺家の役目だった。芯を打つ、芯、打ち、そこから『真打ち』という言葉が出来たんですよ。だから当て字ですね」

落語は、噺家のしゃべり、振る舞い、雰囲気を観客が具体的に構成する、極めて高度な伝統芸能といえる。
それと対比できるのが、映画である。『スパイダーマン』はアクションシーンの人間の顔にもフルCGを使用し、製作者サイドが具体化された画を提供する。

ニコニコ動画を運営するニワンゴの執行役員を務める片岡義郎氏は、具体的=完成されたジャンルとしての映画と、観客によって脳内再構成されるジャンルとしてのアニメーション、並びに舞台を対比する考えを主張されている。


落語と演劇、この二つには途方もないギャップがあることは間違いない。だが、片岡氏が主張するジャンルの対比によれば、明らかに同一のジャンルではないか。


桂三四郎 師匠の噺=「ねずみ 」 は、関西弁がいい味を出す、そっと耳に入る聴きやすい内容だった。「ねずみ屋」の質素な屋内が目に浮かぶ。
31歳だそうだが、端正な顔立ちをされているので、現代的なビジュアルである。
それが、落語家も今、同じときを生き抜く人間なのだという事実を気付かせてくれる。



※ 続きは、バレてないネタバレへ。


ネタバレBOX


シチュエーション•コメディの決定版だった。

近年、一度破綻した日本航空をよそ目に急拡大中なのが格安航空会社LCCだ。格安の航空チケットに人は集まるが、人的•物的サービスは劣るとされる。

それをネタにした(?)イケメンに珈琲を無料サービスしてしまうLCCキャビンアテンダント、婚約中の男女、企業の温泉地再開発を巡り集まった社長、秘書のほか、獣医、タレント外国人、エコノミークラスのハッカー、謎の女性などが飛行機のビジネスクラスに搭乗。
遥か大空で巻き起こる、壮大な笑い模様に会場が「寄席」になった。

舞台の骨子以外、その「おまけ」の部位にこそ真価があったと私は思う。
千寿江が今は亡き父の回想を語るシーン、父は  小麦粉を顔面に浴び、パイを投げられ、びしょ濡れになり、熱々のおでんを食らわせられる。
もはや、ダチョウ倶楽部ではないか。
他の出演者も、若干、ガチに笑っているのは、これは演劇から外れた番外編コーナーであることを示唆する。

他には、謎のタレント外国人•カエサルによる、ショータイムのコーナーがあった。
千寿江に お題が出され、彼女が それを回答するゲームだった。
十分に楽しめたが、ラストの お題で彼女が周りに聞こえるように回答することなく、カエサルに耳打ちしたことは納得がいかない。
空気の流れ、としては言っちゃう流れだったはずだ。


落語と演劇は、同一のジャンルにあると述べた。しかし、同じ陸上競技であっても、短距離走と棒高跳びが違うように、それぞれしか持ち得ない特色はある。
制作者の意図を考えたい。

落語の後に、機内のシチュエーション•コメディが繰り広げられたわけだが、シチュエーションだけにセットから何まで「リアル」だし、番外編コーナーでは「視覚」を重視。かつて日本中を爆笑させた『8時ダヨ!全員集合!!』のようだ。
もちろん、策略が囲うなか、男女が互いに愛せるか、という根本的なテーマも扱ってはいる。
千寿江の、若旦那を愛するが故の嫉妬心、それは  大人を堪能させるだけの深い感情である。

「視覚」でとる笑いは、落語では太刀打ちできぬ隙間かもしれない。
桂三四郎師匠の 柔らかい落語を上演した後に、こうしたコメディを繰り広げたのは、舞台にしかない特色を出したかったからではないか。


ラストは、常夏の国ハワイに到着。
誰しもが気持ち良い気分で劇場を後にできる、そんな作品だった。








緋色の町

緋色の町

★☆北区AKT STAGE

北とぴあ ペガサスホール(東京都)

2013/04/26 (金) ~ 2013/04/29 (月)公演終了

つかこうへい 原発支配論ーフクシマ+オキナワ
北区つかこうへい劇団の後継団体として、東京都北区を中心に上演を続ける北区AKT  STAGE 。

今回は架空の王国「福の国」を巡る、金=富と悪霊=代償のドラマである。

さすが、劇作家•つかこうへいのDNAを受け継ぐ劇団だけあり、必死のコメディやダンス•パフォーマンスが散りばめられるものの、核の部分は政治に翻弄される人間ドラマであった。

「金の鉱山が発見され  この国は豊かになったが、その悪霊で死んでいる人がいる」

「それでも、金が見つからなければ、私たち は飢えていただろう。振り返ってはダメ」


この『金』を、『原発』に置き換えたら どうだろう。いや、むしろ、制作者の意図において、このことは 物語の前段階として描かれている。


『福の国』は、『福島県』か。
日本で原子力発電が進んだのは1970年代、50年代後半から中曽根康弘元首相らが軍事用の転化を視野にいれ積極的に動いた結果だった。
中曽根氏は戦前の内務省官僚出身である。戦後、日本民主党から出馬し、引退まで対外的には親米派、国内的には風見鶏のごとく政局を読む政治家として振舞った。


中央が金を出し、地方が潤う。
地方が犠牲になり、中央が成り立つ。


その構造は、1938年の戦時下体制前でも、現代の日本社会でも変わっていない。
戦時下体制以前、初の対外全面戦争となった日清戦争時、戦地に送られたのは地方の農家、特に次男、三男であった。

内務官僚の中曽根氏が、そうした中央地方関係を理解していないはずがない。当時の内務省は現在の総務省とは規模が違う。


日本で初めて、商業用の原発が建設されたのが福島第一原発だった。明治時代、福島県は  喜多方事件(1882年)などが頻発する反中央が際立つ地域であった。
戦時下を経ても、そうした姿勢は同じまま。
中曽根氏を中心とする原発勢力の政治家が初の商業原発立地地域を福島県の地に設定したのは、原子力の軍事用転化のみならず、中央に従順な地域へ手なづけることにあったのではないか。

東京電力は元々、日本発送電(1939年設立)が1951年に分離し継承(再)された会社だ。
九州電力、関西電力など、9の地域電力会社へ細かく地域ごとに分社化した。(1社別形態)
では、なぜ、東北地方の福島県なのにもかかわらず、下半分は東京電力の管轄となったのか。
別に福島県の浜通りと言われる地域が反中央の傾向が際立っていたわけではないが、原発建設が国会で議論される前に  このような「線引き」がなされたということは、やはり中央地方関係の政治的な意味合いがあったのではないかと思う。
アフリカの地図は旧宗主国が話し合い決めた。異様な国境線をしており、ウガンダやスーダンなどで民族単位の紛争が生まれる。

福島県の電力会社管轄区域も、政治的な理由で決められたと考えるのが自然だ。

中曽根氏を中心とする原発勢力は、電源三法を通過させ、電源立地地域対策交付金の名の下(制度変更あり)、1974年以降、福島県の双葉町などへ多額の金を与えた。
福島県全体の交付実績は、累計2969億円にのぼる。県内のGDP76669億円(2008年実績)に比べると低いかもしれないが、全て電気利用者の負担だ。
私たちが普段の生活の中で電気を使う  その電気代からも原発用の税金が拠出されている。震災前のデータで、電源利用対策として1kWhあたり
18.5銭を、電源立地対策として1kWhあたり19.5銭を負担。また、電源開発促進税として1000kWhあたり375円(販売電気)が掛かる。

目的は、「発電用施設周辺地域整備法の規定に基づく交付金の交付発電用施設の設置及び運転の円滑化に資するための財政上の措置」と説明している。
「運転の円滑化」とは何を指すのか。公共施設を建てることで、反対派住民を町内から退けること(少数派にする)を意味しないか。

以上、福島県が発表している「福島県における電源立地地域別対策交付金等にかんする資料」に基づき、紹介した。


日本には停止中の機も含めると、九州電力から北海道電力まで全国に54機の原発が設置されている。世界第三位の設置数だ。

だが、沖縄電力、つまり沖縄県には原発が設置されてはいない。
通常、原発は運搬や冷却システム等の理由から海辺の地域に建設される。当然ながら福島第一原発も そうだし、御前崎市の浜岡原発も 海辺である。

では、四方を海に囲まれた沖縄本島に原発がないのは、どうしてか。

答えは、米軍基地が 土地の 20%を占めるからだ。
中国の移動式短距離ミサイルは、台湾を常に狙っている。この問題を巡り、1990年代に台湾海峡の危機が発生した。
地図を見てみれば、少し右にそれると沖縄本島が そこにある。米軍がグアムに基地を移設したのも、中国の短距離ミサイルの精度、飛行距離が伸びたことが要因だと、拓殖大学教授の森本毅元防衛相は考察している。

もし、沖縄に辺野古原発が あり、ミサイルで破壊された場合、沖縄の米軍は壊滅的な打撃を被る。何より、数千の兵士が被曝してしまう。
米国は、このような事態だけな避けなければならないと考えている。だから、沖縄には原発は造れない。

原発が全国に54機も建設された表面上の大きな理由が、CO2を大量に排出する石炭や石油などの火力発電に代わり原子力エネルギーへ代替することで、『クリーンなエネルギー』を進めていこう、というものだった。米国のオバマ大統領も、基本的には そうした考えだ。

では、沖縄電力の発電割合は どうなっているか。

石炭  76%


石油   22%


新エネ   2%


(2011年  実績  沖縄電力HP)



透明な海が汚れてしまいそうな、CO2排出のオンパレードである。
原子力発電、ダムによる水力発電が可能な他の電力会社に比べると、非常に環境に不適応だ。
8年後に液化天然ガスを29%まで増やすスケジュールを公表しているものの、尖閣諸島の行方によってはガス田開発が座礁し、数字を達成できないことも考えられる。

先に見てきたように、原発は中曽根康弘元首相をリーダーとする原発勢力が国策として進めてきた。
であれば、借りに沖縄電力に電力不足が生じなかったとしても、中央地方関係を考慮すると建設の旗を上げるのが普通である。
しかも、沖縄県は地震が圧倒的に少ない。IT企業が集まり、地震保険は県民にとってポピュラーではない。

一方、福島第一原発の電源喪失は、津波だけではなく、地震によるものではないか、という疑いも出てきている。
川内博史元衆院国土交通委員長は、今年の3月14日、28日の二回にわたり福島第一原発の屋内に立ち入った。(東京新聞  2013年4月11日)
東電関係者以外で屋内に入るのは、初めてのケースだった。
首相、大臣、評論家が施設付近に入ったが、屋内は難しいのだ。
なぜか。川内氏は11mSvを被曝した。パイロットやキャビンアテンダントら飛行機従事者が年間に受ける被曝量3mSvをはるかに超す。放射線の被曝は、一時的な方が身体にダメージを与える。

被曝を顧みず、屋内に立ち入った川内氏が「地震の破損で電源が喪失し、循環 冷却ポンプが作動しなくなった可能性」を上げた。これは極めて重い証言である。

震度6強で、原発が水素爆発を起こし放射能を放出したレベル7の事故=チェルノブイリ級(国際原子力委員会判定)が  発生したなら。南海トラフトの3プレート同時大地震が襲う確率は高い。再稼働など言語道断である。

地震頻発地域と、地震の少ない地域では、どちらが原発に適してるか、という問いには原発保持派も含め後者だと回答するだろう。

であるなら、日本では最も地震が少なく海に浮かぶ沖縄本島に原発がないのは、どうしてか。オイルショック前に等しい沖縄電力の電力供給の構成をみれば、原発を建設する方が普通だ。

だが、土地の20%を占める米軍基地を放射能からガードするために、原発保持派の彼等は そこに建てようとは決してしない。


原発は、既得権益グループが明治以降の中央地方関係を保持するためのシステムという一面もある。
だから、最初の原発建設地は歴史的に中央と距離を置く、福島県だった。

原発がない沖縄県では電源対策費を与えることができない。
では、既得権益グループは  どのようにして、沖縄県の既得権益層を含め住民に『金』をやるか。
沖縄振興費である。
2000年の省庁再編、北海道開発庁は国土交通省の北海道開発局に吸収、及び縮小された。ところが、沖縄開発庁は内閣府の内部部局=沖縄振興局として さらに中央へと進出した。
最近では一部国会議員から、「沖縄バカンス特区」が提唱されている。いずれにしても、県民や首長、県会議員の考えを通りこし、「中央が地方=沖縄になにかしてやろう」といった思考だ。

福島にしろ、沖縄にしろ、中央が『金』を与えるのは、反中央的な機運を抑え込むためである。
沖縄県では辺野古移設反対で保守系の仲井真知事を含め県民が声を一つにしている。中央は困惑だ。
しかし、福島県の場合、とくに第一、第二の原発が立地する浜通りは 自民党が  比較的だが 強い保守地盤である。明治以降、喜多方事件にみられるような独立主義の地域性は失い、典型的な地方県になった。
原発に警鐘を鳴らした双葉町長は、震災後、町議会から不信任案を可決させられた。非原発派の首長は、県民から、議会から、他 色々な手順で政治生命を追われている。
福島県に限っては、中曽根氏らが意図した中央地方関係の強化が うまくいっていたのではないか。
原発の最終廃棄物処理の誘致先は、青森県六ヶ所村である。(建設中)中央が劣化ウランの一時保管先を求めているのは事実だろう。だが、その地域=青森県を支配する手段でもあるのではないか。

それぞれの地域が自立し、地域のことは地域で決めることが基本である。他方、公選されたはずの首長さえ、既得権益グループに追いやられる歴史がある。
どうすれば いいのか。
静かに抵抗したうえで、女性や子供に上から目線なのは承知だが教育しなければならい。
既得権益グループは女性、子供にターゲットを絞り、行政やメディアをフルに使い 国策の同意者とするケースが見受けらる。
であれば、市民団体やNPOが政治と関わりの薄い女性、子供を対象に『連帯』を呼び掛けるのである。
沖縄県の平和運動や、初期の脱原発は まさしく世代や性別を超えた『連帯』があった。
それでしか、利権で結び付く『共同体』に地方の人々が抗し、また交渉することなどできまい。





















HIKOBAE

HIKOBAE

HIKOBAE実行委員会

天王洲 銀河劇場(東京都)

2013/04/20 (土) ~ 2013/04/21 (日)公演終了

相馬から世界へ。国境なき演劇






福島県の人々は今、放射線に対する意識が鈍くなっている。
3.11後、原発維持派の人々は「放射能に対する危機を煽ってる」「インドやイランなど、放射線が高い地域に住む住民に健康被害の報告がない」等の論拠により、脱原発を批判してきた。
では、3.11以前は放射線について  どういった問題が提起されていたか。

欧米路線を飛行する国際線の航空機従事者(パイロット、キャビンアテンダントなど)は、年間3mvsを被曝すること明らかになっている。他方、妊娠中の女性が受け差し支えないとされる被曝量が2mvsである。
もし、女性パイロットで、しかも妊娠が発覚するのが遅かったら限度量を超えてしまう可能性もある。CT等の妊娠検査による被曝を考慮すると、人体に影響が生じるかは解らないが基準は大幅に超す。
ここで述べたいのは、この安全基準は航空機従事者の労働基準法に則り国が定めた基準であるという点だ。
3.11前、もっと航空機従事者の被曝を抑えなければならないのでは、と専門家の間で議論が巻き起こり、朝日新聞にも特集が掲載された。

3.11後、つまり今現在、国は福島第一原発が位置する双葉町民、SPEEDにおいて最も過大な放射能汚染が予測された飯館村に住む県民の被曝上限を20mvsとしている。国際原子力委員会は原発従事者や航空機従事者を除き、人が年間に受ける放射線の上限を1mvsと定めていた。
ただでさえ、原発が水素爆発する以前から放射線の影響を抑える方向で社会が動いていたのにもかかわらず、あっさり20倍オーバー。
今年の3月13日、28日に川内博史前衆院議員が東電関係者以外で初めて福島第一原発の屋内に入った。(東京新聞  『こちら特報部デスク』4月11日付  )
その取材中、川内氏が被曝した量が11mvs。年間と、一時的な被曝では人体に対する影響に違いはあるものの、原発に入った人間の2倍が妊婦や子供を含めた『安全基準』とされる。
内閣の原子力担当の参与が泣きながら辞任するのもうなづける。

この基準が事故当時、原発から離れていた日本人に適応されるなら まだ  理解できる。ところが、元々 水素爆発の風向きにより被曝量が多い(20mvs超す住民多数報告)のにもかかわらず、飯館村の人は不安を抱えながら住み続けなければならない。コンクリートの隙間にはセシウムが溜まり、空気中の放射能濃度は近隣県を下回ったことはない。避難区域外の大半の県民が事故後ずっと居続けたのは、避難区域の住民に一律に支給される一人あたり月10万円の補償金が貰えないからだ。
今も、原発事故が収束したわけではないし、汚染水の流出は水に流せない課題である。原発立地地域は従来から放射線が横須賀の海軍基地の次に高い。

政府は移転費用の増大を恐れ、双葉町民に将来戻れるかのようなカモフラージュをする。飯館村の住民には補償金を渡したくないから、国際的に間違った安全基準を設けるのだ。
だが、福島県民は、1政府の安全説明、2経済復興、3地域コミュニティの一体感への切望、によって
放射能に対する危機感が和らいでいるのが実情だ。

そこで、あえて今回の舞台•相馬市ではなく、双葉町民を主人公とし、放射能被害を防いだ上で、これからもコミュニティを維持しながら生活するための私なりの構想を提示したい。キーワードは、昭和の思い出•団地である。
団長を主題のテーマに捉え、それが3.11に繋がる形にしたい。



住宅団地は、戦後の日本人にとって目指すべき欧米式生活のショーケースだった。

八千代団地…ひばりヶ丘団地…そして多摩ニュータウン。次々と建設された、その五層縦長の鉄筋コンクリート(多摩ニュータウンなど70年代以降の団地は一部高層棟)は、新婚のカップルが 都市的な生活をおくるための、新たなステータスになった。

数千世帯の住民を束ねる自治組織が生まれ、外では行政や企業に物申す連合体となり、内では 夏祭りなどの催しを積極的に行った。その巨大な建造物には、昭和10年世代を中心とする、巨大なコミュニティが形成され、選挙などにも一定の影響力を及ぼした。
ベストセラー『団地の空間政治学』(NHKブックス)『レッドアローとスターハウス』(新潮社)の著者であり明治学院大学政治学部教授・原武史氏の講義を聴いたことがあるが、『団地の空間政治学』『レッドアローとスターハウス』等の著作からも住宅団地が  いかに戦後日本の政治を形作っていたか、が  よく分かる。


開発企業体、大手ゼネコン、公団(都市基盤整備公団及び地域振興整備公団)、建設省は、戦後の経済成長に一定の功績がある。また、人口の増加が著しいなかで、住宅供給不足の解消にも役立った。役目を終えた旧公団は、現UR都市再生機構となっている。

しかし、70年代の『サザエさん』でさえ、20年後には出生率が1%台前半になることが紹介されている。現在の日本の現実は、多摩ニュータウンを  せっせと作っている頃から分かっていた。

出生率が低くなるということは、高齢者の割合が高まることを意味する。逆ピラミッドと呼ばれる構造だ。

住宅団地が いずれ健康な老人ホームと化することは、住む人々も、把握できた。それなのに、都心のアクセスを向上させることもなく、周辺に産業を整備することもなかった結果、こんな現実に至る。

表参道ヒルズは建築家・安藤忠雄氏が設計し、2006年にオープンした商業施設だ。アパートを一部残した上で、全面的に建て替えた建築物だった。

住宅団地とアパートの違いはあるが、もはや『団地』とは土地を有効活用できえず、商業施設や高層マンションに変わるべき障害物のような存在だろう。

人々のなかで、コミュニティに対する意識が高まっている。それは、東京臨海地域の超高層マンションの住民も、同様。だが、コミュニティに関わりたい意思とは反対に、実際に関わっている住民は圧倒的に少なかった。(防災とコミュニティに対する住民意識に関する研究 その1 超高層集合住宅居住者への2010年度の意識調査           小島隆矢 早稲田大学人間科学学術院   若林直子   (株)生活環境工房あくと  )

『団地』の文化性が瓦礫にならない方法があるとすれば、私は3.11後求められている社会的コミュニティ機能だと思う。

先の『団地の空間政治学』で紹介されていたように、集合団地では  お祭り などを通してコミュニティを形成していた。また、当時でいう婦人達がマンモス学校の教育に問題意識を持ち、共同して勉強会を立ち上げるケースもあった。

地域の一軒家、商店街が軒を連ねる従来のコミュニティだと、人間のコネが大切な要素だ。ところが団地の場合、コンクリートの壁で各家庭に強力なプライバシーが与えられたことから、より社会的、普遍的なコミュニティが存在したといえるのかもしれない。

あるいは、超高層マンションだと、コミュニティ自体が機能しないのはもちろん、最上階と一階の住民では格差が生じ、平等の観点から外れる側面も見逃せない。


以上、集合団地の持つ、社会的コミュニティは、今の日本に要求されるべき社会的コミュニティとマッチングしている、ではないか。


震災後、最大の避難所となったビックパレットふくしまで陣頭指揮を取った、福島大学特任准教授・天野和彦氏。天野氏は、原発の避難区域圏内で長期避難をしなければならない双葉町などの自治体を、町ごと別の場所に移転するセカンドハウス プランを復興庁へ提唱している。
一軒家、公共施設を一つ一つ建設するのは莫大な予算が要るので、私は戦後の団地式に『双葉団地』なるものを福島市や郡山市、いわき市に建設するのも案として成立するのではないかとも思う。町長と一緒に住民ごと避難した人が1500人超。世帯数に換算すれば、このような規模のマンション地帯など、東京近郊なら溢れるほどある。

多摩ニュータウンへ移転すれば、ゴーストタウン問題も消えるに違いない。横須賀市田浦地域は、一軒家の空き家率が1割を超えるゴーストタウンとして一部で名が知られる。被災者に仮設住宅を新たに建設し提供する一方、こうした宅地の種別におさまらぬ日本全国の課題は  放置したままでいいのだろうか。

双葉町民のコミュニティを第一に考え、日本の少子高齢化に伴う3.11以前から続く社会構造に適応するのが、私の構想だ。

TheStoneAgeヘンドリックス「おおきないし」たくさんのご来場ありがとうございました!

TheStoneAgeヘンドリックス「おおきないし」たくさんのご来場ありがとうございました!

The Stone Age ヘンドリックス

サンモールスタジオ(東京都)

2013/04/09 (火) ~ 2013/04/14 (日)公演終了

目に見えないから愛おしい。そして、悲しい。


とにかく何も考えずに  ひたすら笑える、関西流の“笑い”。(新喜劇文化)
3.11の津波や原発問題までも題材とした、その“ドラマ性”。
短い舞台の中に両者が見事に組み込まれ、舞台の持つ力を改めて感じさられた。

しかし、日曜日の  お昼公演という最大の集客タイムなのにもかかわらず、空席が目立つ。
夜の千秋楽に関しては、「倒れそうなくらい」チケットが余っているという。なぜか。
演劇は地域に囚われず上演できるエンターテイメントである。翻訳さえ表示されれば、外国の演者•演出•技術スタッフ(経済的な事情から日本人スタッフも登用される)のまま上演できる。
そうした海外もの のケースでは、劇場や主催者側が宣伝を含めバックアップする。
だが、一部を除く大半の国内劇団だと、たとえば東京をホームとする劇団が関西圏で上演する場合、そうしたバックアップ体制も乏しいため、やはり上演回数は1/2もしくは1/3程度に削減せざるを得ない。人的ネットワークも形成されにくい。

逆も また しかり 、関西の劇団が東京に来て上演する場合も、同じことがいえる。
6日間のスケジュールが果たして妥当だったか、どうなのだろう。


【公演終了】喜劇、泡沫(うたかた)煎餅【次回は10月です】

【公演終了】喜劇、泡沫(うたかた)煎餅【次回は10月です】

映像・舞台企画集団ハルベリー

シアター711(東京都)

2013/04/03 (水) ~ 2013/04/07 (日)公演終了

演じるとは何なのかを問う。満身創痍の 悲喜劇
バレてないのに、なぜかネタバレに書きました。紹介文の方が よっぽどバレてます。

ネタバレBOX


それは、虹色の7色に輝く、プリグムを見ているかのような舞台であった。
開幕直後、ふんどし姿の男!(意外にマッチョと太し)、下半身がバレエダンサーの王様!、そして下着姿の女!(…)、ナイスバディな女達!が一堂に揃う。
シェイクスピア作『ハムレット』をモチーフとするが、過激なパフォーマンスを予期させる幕開けだ。

ところが、その後は茶の間を舞台に本格派シチュエーション•ドラマが繰り広げられた。オープニングに登場した過激パフォーマンスをが途中、幕間の役割を果たす。

一旦、自宅を出た家政婦へ『ありがとう、そしてさようなら』と言い遺した、泡沫県での有力地主•煎餅が死ぬ場面。ヨーロッパの讃美歌が流れ、それはそれで涙の終演だった。暗闇が劇場を包み込み、役者が全員、やってきそうな勢いである。

実を言えば、過激パフォーマンス、このヒューマンドラマの流れから、さらに煎餅の正妻の娘姉妹が関わる事件物(サスペンス)へと続いて行く。むしろ、事件物こそが、時間的には最も主体を成していた、といってもよいかもしれない。

泡沫県の事件、『ハムレット』がオモテ裏一体だったとは。過激パフォーマンスが演劇を誇張していたとすれば、ラスト、煎餅の長女の叫びは  間違いなく本物である。
ただ演じていた舞台が、実際に身に起こった時、役の人生と一体化し、より迫力のある演劇が生まれる。
なんて不条理な物語だろう、皆が笑顔にならないなんて。一周間後のイベントは、どうなったのだろう。
だが、彼女の叫びに至る物語としては、仕方のないルートだったのかもしれない。

幾度となく迎える終演、わからない展開、それは観客を翻弄させる。
真面目なのか、ふざけてるのか、人間らしさなのか。


家電量販店が、電気自動車を売りさばく時代。GMさえ、トヨタを先生にみたて、環境適応車の開発に力を入れる。
世界の企業は、持ち前の業務だけでなく、幅広い市場を求めビジネスの拡大を進めている。
演劇も、舞台の多角化があってしかるべきだろう。それを、ダンスを除いた上で意図したところに、この舞台の革新性があるのではないか。





僕たちの町は1ヶ月後ダムに沈む *TypeC*

僕たちの町は1ヶ月後ダムに沈む *TypeC*

ソラリネ。

上野ストアハウス(東京都)

2013/03/27 (水) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

ダムが生む壁。


ダム建設派「ダムは、治水や飲料、生活用水、電力の需給を考えると不可欠といってよい。水力発電の発電量は現在、約8%を占めています。火力に比べると低いですが、再生可能エネルギーよりは比率がある。原発事故でエネルギー事情がひっ迫する中、この数字の持つ意味は大きい」


ダム反対派「石炭や天然ガスに基づく火力発電に比べると、エネルギーの代替機能は劣る。ダムを建設するには数十年という時間が掛かるのです。
群馬県の八ッ場ダムだって、建設開始から四半世紀以上が経っている。
つまり、8%が今後、拡大していくことは考えられません」


ダム建設派「たしかに水力発電の急拡大は  非現実的だが、発電方法としてはクリーンエネルギーです。火力より二酸化炭素を排出せず、電力の使用が疎らな夜間に水を揚げることが可能、まさに日本の環境やエネルギー事情にマッチングした電力といえるのではないでしょうか?」


ダム反対派「環境省は水力発電(河川を含む)を自然エネルギーに指定していません。
個人的にも、ダム建設に伴う河川の整備は生態系を壊しますから、自然環境にマイナスだと思いますが」



住民「一旦、ダム建設が決定したなら、急いで突貫工事して頂きたい。電力とか  どうでもいいんで」


ダム建設派「八ッ場ダムは、関東一帯の治水を保持するため早く建設しなければ。2009年10月に国交相が八ッ場ダムの建設中断を発表した際も、一都六県の知事が一丸となって反対しましたね。
今は国交省、県、地元住民、建設会社が一丸となり、関東の水災害を予防する八ッ場ダムの建設を進めています」


ダム反対派「ダムに沈む街は観光地という資源を失うんですよ。
自治体の観光課はダム湖畔を全面に打ち出しますが、やっぱり琵琶湖とか猪苗代湖、芦ノ湖には負けますね。

コンクリートでせき止めた、人工の大池と変わらないでしょ。
治水も 大事ですが、トータルで考えると地元にとっては経済的マイナスです。ダム建設にインセンティブが生じるなら、全国の村や町が『沈めて下さい』と懇願するはず。
退去金や建設費を合計した場合、八ッ場ダムなどの大型ダムの総経費は一兆円を超します。これ、税金ですよ?いいんですか?」


ダム建設派「ケインズ経済学には否定的な見解もありますが、穴を掘って埋めるだけでも、経済価値は  あるんです。
田中康夫知事の長野県は、脱ダム宣言で生活が苦しかった。ダムを逆さまから読むと、ムダなのだといいます。
でも、そういう公共工事削減を強行して最も削れたのは県民の豊かさですよ」


ダム反対派「某政党は2009年の総選挙時、『コンクリートから人へ。』を選挙コピーとした。
ところが、政権交代後しばらくしてから建設団体の幹部が馬淵国交副大臣の待つ大臣室のドアを叩き、あっけなく  そのコピーは白紙となりました。

田中康夫知事が二期目を目指した県知事戦で自公が推薦する候補に大差を付けられ落選したのは、豊かさを削られた県民より建設団体の組織票に負けたからではない
か。県知事の二期目は圧倒的に有利です」


地元住民「私たちが町長を選んでも、ダムの建設には  関係ありません。結局は、基礎的自治体というんですか、そう呼ばれる単位の行政リーダーか、県知事しか 国と交渉する力はないんです」


ダム建設派「ダムに沈む街は過疎化が深刻な地域が  ほとんど です。
夕張市のような財政破綻を避け、住民の生活インフラを向上させることが住民、ひいては地域のためになるんですよ。
国や県が設備の整った代替地を提供し、補填費用を払い、ダム湖畔の観光地まで出来る。
八ッ場ダムの反対派の皆さんが次から次へ建設に手を上げてくださってる背景は、八ッ場地域の過疎化という現実があるのだ思います」

ダム反対派「ダム建設で街が沈んだら、町民は散り散りになる。
過疎化どころではなく、コミュニティの破壊ですよ。
『虹色ホタル』(東映アニメーション  2012)という映画は ご覧に なったことはあるでしょうか?ダムに沈む村を描いた、ファンタジー作品です。
ダムが沈む、それは地域の 人コミュニティ、伝統文化、お祭り、風習、自然を水に沈めること。
たとえ住民の半数が代替地に移転したとしても、日本から一つの文化地帯が消えてしまうことを意味します」

ダム建設派「代替地に郷土センターを造ったり、歴史的建造物の移転を行っている。
街のコミュニティが滅んでしまうこともありますが、代替地などは番地に配慮しています」


地元住民「町が激しく対立する。ダム建設の前に、話が来た時点からコミュニティは破壊されますよ」


円窓に惑う向こうは蒼天へ

円窓に惑う向こうは蒼天へ

蒼い電波塔の会

武蔵野スイングホール (東京都)

2013/03/27 (水) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

平塚らいてう から 考える。



率直に、いかがでしたか?

「作・演出は、100年前に始まった女性の権利運動を通し、日本人を解き明かしたいのだといいます。
結局、男と女の関係は  そう変わらないし、福島瑞穂参院議員のような事実婚を続ける新しい女は存在する。
大正時代というシチュエーションながら月9のテレビドラマと大差ない人物達だったのは、そういう人間の普遍性ではないかと思いますね」


平塚らいてう  については?


「女性の権利運動の上で欠かせない人です。実際、困ったときに座禅を  組んだのかは知らないが
(笑)
ただ、男女同権運動ではなく、女性の権利拡張を目的としたことは注意しなければなりませんね。
例えば、つい最近まで労災法においては等級判定などで女性の方が優遇されていました。
『男女平等』から逸脱した憲法違反という判断の下、国会で改正され現在に至っています。
上野鶴子さん  などは女性の権利拡張を『グローバリズムだ』と言っていますが、ただ権利を主張するだけでは『ナショナリズム』です」


若干、女性の権利拡張に否定的ですね。



「決して  そうじゃない。
日本の国会議員比率は先進国  最下位だよね。
韓国では比例区において男女1名ずつ記載する義務があるし、アフリカのルワンダのような新興国だと国会議員の男女比が半数となるよう義務付けている。
ニュージーランドの場合、男女比とは関係ないが、少数民族のマオリ人が下院議長を歴任したんです。
世界中の国会議員の流れが女性へ、少数民族へ  です。
ところがチルドレン現象でも起きない限り女性議員が1割に満たない日本は、民主主義が機能した結果なのか疑いたくなるくらい異常。
もし家長的な土壌(世襲)から女性が不利ならば、変えなければならないと考えますよ。まあ、TBSのディレクターだった小渕優子さんが  あっという間に大臣に就任したのも、?ですが」

日本の女性  が  立候補しないのも要因では?


「この国では、立候補するにも壁があり過ぎる。
供託金300万円に、事務所費、人件費、街宣車のレンタル代、チラシの印刷代を負担しなければならない。
1990年代の政治改革基本法で争う時期、自民党内若手改革派グループが算出したところ、中選挙区制に基づく選挙費用は1億円を越えた。
経営者か弁護士か政治団体メンバーか、はたまた党から支援を受けた候補でなければ 選挙費用を捻出することは極めて困難でしょう。

世襲そのものが家父長制ですから、女性は男性に比べると党の公認を受ける機会が少ないのです」


では、やはり立候補の制限に問題があると。


「大きいが、根本的な問題ではありません。
この前、御茶ノ水の明治大学中央図書館で時事通信社刊・政治概要の世論調査データブックを発見しました。で、僕は1970、80年代の世論調査をサラッと読んだんですが、当時  男性の無党派が2割台だったのに対し、女性は4割台だった。保革対立の時代です。
また、革新政党の支持率も男性に比べ女性が激減。かろうじて自民党は3割〜4割と  似たり寄ったりでしたが」


ほう。


「私の答えは日本女性の非ポリティカリル性です。
2009年に自民党から政権交代があった際、民主党へ元々弱かった50代以降の女性の支持が増えました。朝日新聞と東大の共同世論調査で判明しています。
無党派、何となく与党を支持する、これが日本女性の政治姿勢です。
国会議員の比率が低いのも、こうした政治姿勢が関与している、と考えるのが自然でしょう」


若者と女性は無党派層が多いですね。だからこそ、平塚らいてう  の運動は評価されてしかるべきです。


「そうだね。
女性の権利運動の欠陥を指摘しておくと、敵対する男社会の上層部が男性の少数であるという意識が低い点です。東電の孫請け企業から徴収された原発の作業員は全員男性です。これからの女性運動は  男だ女 だ  という二項対立を越えたものでなければならない」





永遠の果て果て

永遠の果て果て

にびいろレシピ

シアター711(東京都)

2013/03/28 (木) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

突き詰めないソフィー


A「要するに『ソフィーの世界』だ。
童話で描かれる世界に住む人々と、この現実に生きる人々。
テーマは、“私は誰なのか”ということに尽きる」

B「ファンタジーながら、モクモクと煙を焚き、イリュージョリニックな雰囲気を出す照明ではなかった。むしろ、カーテンに映し出す夕陽は  舞台の会話劇を堅実なものとしている」


A「シチュエーションとしては、ずうっと室内。ところが舞台のセット自体はカーテンの部分だけ削られた白壁と、椅子のみだ。そうした、シンプルなセットだからこそ、晴天や夕陽の輝き、夜の寒さを照明によって映し出すことが可能となるのかもしれない」


B「現実の世界における時代は  いつなのか、疑問だ。
中央病院やパイ研(円周率研究会)などの名称から考えると、21世紀だと言える。
いや、衣装並びに家の設定から考えると、童話の世界と同じ  産業革命以前の世界とも言える」


A「時代性が正確に分からないのは、服装がポイントだ。登場人物は  いずれの世界に存在する際も、同じ く アンデルセン風の衣装だった。
狙いがあれば別だが、兄妹の衣装については工夫ができたのではないか。
むしろ、“書き足し”により童話の世界と一体となっているのが鍵なのかもしれないが」

B「牌研の女性(現実)と、先生に噛み付いた女の子(童話)は、同一人物なのかも気になる。もう少し掘り下げてくれれば、より概要を理解できただろう。ラストの絡まる展開も、さらに誇張できなかったか」

A「『ソフィーの世界』は、紛れもない名作。人が持つ根本的な疑問を問うてる。
本作がソフィーへのオマージュかは知らないが、名作感が溢れ出ていた。これだけでも、誇るべき舞台である」




ハルメリ2013

ハルメリ2013

世の中と演劇するオフィスプロジェクトM

座・高円寺1(東京都)

2013/03/23 (土) ~ 2013/03/27 (水)公演終了

『ハルメリ』現代論に、Twitterがプラス。
SNSは、国境を越えた人的交流を可能とする。
一昔前より、そのように考えられてきたが、実際 はビジネスを別として言語範囲内での交流が圧倒的ではないか。

小浜市民がオバマ大統領のTwitterをフォローする、“リトルモンスター”がレディー・ガガさん のTwitterをフォローすることはあっても、見知らぬオハイオ州市民のTwitterをフォローしている人が何人いるか。
Twitterを含むSNSは、グローバリズムの範疇に存在するのではなく、ある言語が及ぶ社会内部のネットワークでしかない。

『ハルメリ』は、一体、何なのだろうか。

否定も肯定もしない、というのは日本人ならではの姿勢だとされる。別の言い方をすれば、周りの意見によって是非を入れ替える姿勢と捉えることもできる。それは、本音とを別にして。

舞台の討論生番組、ハルメリ女性歌手が休業を宣言する途端に「ついていきます!」とTwitterで称賛の嵐が沸き起こるが、人気投票結果はミス・ハルメリ美人コンテストに軍配が上がる(本音)。ところがハルメリ女性歌手が“殉教者”との妊娠を告白すると、今度は  Twitter上で圧倒的な支持を集める。

たしかに舞台のスクリーンへ写し出されるTweetは誰もが“ゾッと”するし、一人一人の曖昧さが連なる暴力性を感じる。Twitterに眉を顰めるお堅い人と同じ気持ちだが、では実際の世の中=日本人は  このような傾向はない、と断定できるだろうか?

数年前、ホリエモンや亀田三兄弟、元朝青龍関のような人物が持ち上げられバッシングされることをテレビや雑誌で寝転びながら加担していなかったか。当時、TwitterなどのSNSメディアが社会に広まる前の現象である。

あるいは、死んだはずの評論家がTwitter上で発言し、『なりすましだ』とTwitterで批判された。SNSは著名人の場合、本人認証があるので、舞台で描かれた  なりすまし問題の匿名性を理由にサービス自体を批判するには根拠が薄い。といっても、この点はSNSならではの課題と認めざるをえないが。

『CLUBハルメリ』のダンスシーンに関しては、一緒に踊りたくなってしまった。SNSの画面ではなく、若者やオジサン・オバサンが普段の社会生活から離れた場所において『ハルメリ』を共有する。場所を共有するスペースとしてはニコニコ動画のニコファーレニに近い形態だろう。
テレビや新聞、雑誌と比べて、今そこにいるリアリティがある。他方で『ハルメリ』が社会現象となった後も、SNS上で現象は拡散し、マラソン大会や政党名の冠にで使用される。だが、媒介するのが少数のメディア関係者か、大多数のユーザーかの違いだけで、何ら社会現象の構造は変わらないと私は思う。
以上の点から考察すれば、SNSは社会現象をバーチャルなステージで歪曲するという説は疑わしい。
『NEWS23』の編集責任者を歴任したTBSの金子キャスターもアラブの春真っ只中にあった講演で「Twitterがエジプトの革命を起こしたのではない。あくまでツールであって、主役は民衆だ」と言っている。

『ハルメリ』は、今その画面で、隣の街で進行中の出来事かもしれない。
決して、Twitterが既存の社会とは別個の新たな日本人を作り出す論は誤りだ。舞台は そうした事実を まさに理解している。




泡沫

泡沫

TEAM☆イットクルゼ!

劇場HOPE(東京都)

2013/03/20 (水) ~ 2013/03/24 (日)公演終了

緊急座談会?『舞台とリアリズム』
A「『朝起きると  自分が誰なのかを確認する』というから哲学チックな舞台だと思ってた。でも実際、観劇してみると、ファンタジーの中にもサスペンス性があり、老若男女を飽きさせない構成だったね」

C「完全にイットクルゼの紹介文通りじゃないですか」(笑)

A「たしかに、イットクルゼの狙いは的中してる(笑)
まあ、狙いは的中してるが、僕なんかは最初の30分が不安でたまらなかった。小劇場の世界でも、主要キャストの一人は標準的な女性が必需だ。でも、ストーリー上の主要女性キャスト3人、役柄とは関係なく、みんな若干ぽっちゃり だった。
観客の立場からすれば、そこに気が反れてしまう面はあったから。ただし、この問題は東京ミルクホール主宰の佐野さんが言ってたことですので…ご勘弁を、何つって」

B「なんか違うと思う。演劇というのは、若い女性が老婆を演じたり、逆にお爺さんが幼児を演じることに価値があるのでは?」

A「その方が、演劇の魅力を引き出す場合もある。ただ、今回のイットクルゼの舞台は、ドラマ的だったから人物を違和感なくみせることが大事だよ」

C「昨年末、目黒パーシモンホールにて、『ミュージカルCARE WAVEAID 〜平和宣言3.11〜』が上演されたのですが、レミゼラブルなどに出演する女優さんの他、宮城県・気仙沼などの被災地からも多くの高校生達が参加したんです。やっぱり、それって演技だけではない、リアルな体験に基づく身体性があったから心に響く」

A「若い世代による戦争のミュージカルは よく上演されるけど、演者側の歴史教育がメインだ。パレスチナ自治区の若者が繰り広げるミュージカルの方が訴えかけるだろう」

B「この議論だけは納得できないな…。ミュージカル・テニスの王子様、略してテニミュって知ってる?」

C「姉が観に行きますよ。斎藤工くんにハマって以来(笑)本人は卒業したんだけど、20歳前の男子が初演時からドンドン成長していく姿がいいみたい。母親かよって!(笑)」

B「生みの親であるニコ動運営会社・ドワンゴ執行役員の片岡義郎さん の話を伺ったことがあるけど、そこのインセンティブを漏らしてた。でさ、片岡さんは、アニメと演劇は脳内で構成するものだと主張しているの。テニミュの試合も、サーブやスマッシュを光で演出する。観客は  それを脳内でボールに置き換えて構成して、熱戦を感じるんだよ。
つまり、演劇はリアルさ より、演者や演出から生まれる観客側の脳内構成が遥かに大切だといえる」

C「ああ」



A「脚本が良かった。『バックトゥ・ザ・フューチャー』シリーズのハラハラ感と似ている。殺されるはずの女性と、2年後の女性。時を越えた愛情というテーマ。
僕としては、ラスト、事務所を訪ねる形もありだったかと心残りだ」

C「はい、心残りですが、…前半のファンタジー系と後半のサスペンス系が、とてもマッチングしていました!前半がなければ、単なるサスペンス系になりかねなかった。あと、東南アジア風の女性、声が通ってましたね。富士山まで届くかも」


B「総じていえば、今回の舞台は磁石だよ。幕が近付くほど引き付ける(笑)」







「男の果て」全公演終了いたしました。ご来場ありがとうございました!

「男の果て」全公演終了いたしました。ご来場ありがとうございました!

元東京バンビ

OFF OFFシアター(東京都)

2013/03/09 (土) ~ 2013/03/17 (日)公演終了

カフェとホストと戦場。

男A「ついに、バンビ、蘇りましたね」

男B「噛まれると自分もなっちゃうから、気を付けたほうがいいよ」

男A「元劇団東京バンビは、ゾンビじゃありませんから。ゾンビっぽい元ホストとサラリーマン(変身後)はいましたが…」

男B「俺は、小太りの相槌が笑い転げたな。まあね、あんな相槌する人がいたら  やっていけませんよ、普通」

男「それは、そうですよ。ちなみに僕は、注文した料理を待ち続けるOLの徐々に力む姿ですかね」

男B「ふーん、ふん、ふん。へ~、あーん、ふん、ふん」

男A「小石川さん演じる私立探偵(?)の  心境を、表に出したみたいな」

男B「はいはい。ふーん、ヘェ〜。ふん、ふん、ふん。」


男A「めちゃくちゃ、感化されちゃってますけど!」








シロツメの咲く後に

シロツメの咲く後に

夏色プリズム

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2013/03/14 (木) ~ 2013/03/17 (日)公演終了

緊迫感、伝わる舞台。若手中心に。



杉並区の阿佐ヶ谷にある小劇場・阿佐ヶ谷アルシェにて2013年3月16日、夏色プリズム旗上げ公演『シロツメの咲く後に』が上演された。
作・演出は、硬派な作品を得意とする原田直樹氏。キャストには多くの20代が集結し、若手中心の舞台となった。

設定は、劇場を使った舞台のリハーサル。そこで、突如、入れ替わったナイフにより演出家が刺され、役者同士の疑心暗鬼が広がっていく。

どこまでが演技か、どこまでが現実なのか、観客という自身の存在すら分からなくしてしまう仕掛けを用いている。

劇場に詳しい情報通は、語る。

「たしかに、ここの劇場(阿佐ヶ谷アルシェ)でしか、緊迫感は伝わらないでしょう。劇場のドアが開かなくなったり、携帯の電波が入らなくなってしまう。たとえば、それを青山劇場で表現できるか(笑)。商店街から少し外れた場所にある、この劇場だからこそ、できるんですよ。しかも、地下の危うい雰囲気ね。下北沢の劇場と違って、電車のガタゴト音も聞こえない」

今回、阿佐ヶ谷アルシェで上演された舞台では、客席のキャパシティ(収容人数)は約100人ほど。形状としては、学芸大学の千本桜ホールが近い。
狭いスペースへ大勢の観客を詰め込めるが、段が低く、奥行きがあるため、舞台の下方は見えづらいという指摘もある。

前出の情報通は、こうも  語る。

「観客も、地下に閉じ込められるんじゃないか、という不安感があった。途中、演出の田中が音響の席からかな、大声でタメ出しをして、舞台が中断したシーンがあったでしょう。その声で、もう舞台か現実かグレーゾーンになっちゃった。あれは、もう、演出の人間だよね。映画業界にもよく、あんな人いるよ。演劇では見かけないタイプだけど」

舞台『シロツメの咲く後に』は、17日まで上演中だ。


僕たちの町は1ヶ月後ダムに沈む *TypeA*

僕たちの町は1ヶ月後ダムに沈む *TypeA*

ソラリネ。

上野ストアハウス(東京都)

2013/03/13 (水) ~ 2013/03/17 (日)公演終了

事情通に聞く! 『変わらない人と地』




今回の舞台、どうでしたか?

「ダムに沈んでしまう街。そういう設定だけで、泣ける舞台が要求される。演出にとってみれば胃が痛くなる思いだろうね」

中学校の同窓会というシチュエーションだけあって、全員20代の役者でした。


「小劇場の世界って、男優も女優も背の低い人が多い。テレビなどの映像中心の俳優と、最も違う点といってよい。だって、駅前劇場に阿部寛いる?(笑)
キャストの男優の背が高い、それだけでも、特徴的だよ。男優は、普段モデルとかもしてるんだろうけど」

地元に対する意見の対立、(中学生時代の)校舎への立て篭もり、など社会的な面も感じられました。


「今の若いひとは、上に従順だよね。例えば、1960年代の安保闘争のような、目的のために団結して闘うようなことは しないでしょう。東大安田講堂の占拠ばかりが歴史の教科書に記されているけど、国会周辺のデモが より激しかったら、現在の国に形さえ変わっていたかもしれない。でも、安保条約は延長され、岸信介首相が辞任し、安保闘争自体にも熱が失われた。
だから、日本人にとって、上への闘争というのは、負け覚悟のスパイラルから抜け出せないんです。

秩父事件しかり、刀で銃に立ち向かったが、官軍に負けた。もちろん今までの農民一揆とは異なり、それを指揮した人物は白い袴(死をいとわないことを表す)を着用していたので、彼らとしてはアピールではなかった。むしろ戦争を意図していたのですが、官軍と対等に闘う武器は調達しなかったのです」


中学校での籠城も、結局、負け戦になってしまいました。


「日本人にとって上への闘争とは、頭で闘うことではない。2011年にアラブの春が吹き荒れたでしょう。きっかけは、チュニジアです。大統領を反対する政治グループが結集し、チュニジアの市民をも巻き込みました。多くの国家では、上への闘争の際、様々な主義主張を持つグループが連合体を作るものなのです。
ところが日本人の場合、闘争が  より分裂化する方向があります。
安保闘争もそうですし、成田空港反対同盟も  そうでした。
脱原発もポリティカル性では  今あげた闘争と似たところもありますが、脱原発を標榜する政党が乱立したことは記憶に新しいでしょう」

舞台の話もお聞かせ下さい。中学生たちのダム建設反対も、大人になり、分裂化したといえるのではないでしょうか?
沈没一ヶ月前だというのに畑を耕す男性いれば、ダム工事の建設に携わっている女性もいる…。


「それは一概には言えない。ポリティカルなテーマとは、また違うから。
長野県の田中康夫知事時代は、脱ダム宣言を発表した結果、ダムの工事はストップした。ところが、彼は二期目の選挙で保守系の候補に敗れたね。
ダム建設の凍結だけが理由ではないが、要するに、工事関係者も潤わないし、その場所にいた、あるいは今いる住民も過疎に悩まされるわけ。
工事してくれた方が、ダム湖畔という観光スポットも出来る。たまに地方に行くと、風力発電の風車が観光地になっている。自然を損なう代わりとして、県の観光課や商工課がバックアップしてくれる。
そういう、蜜が味わえるわけだから、やはり一度、工事が進んだらスピードを上げてやってもらった方がいい。八ッ場ダムの反対派も、このインセンティブのため開発を求める方向に替わった。
やはりポリティカルなテーマではなく、地域の経済と環境の問題なんだ。

関西電力は、北陸の黒部ダムを作った。延にして数百万の人が建設にあたっている。過酷な現場で多くの人が亡くなったことは、NHKの人気番組でも放送されたことにより、社会的に認知されていると思う。

都市に電力を融通するため地域へ補助金を流し、現場は過酷労働。どこかの構図と、同じなんだよね」


ああ、原発ですか?ぜひ、舞台の話も聞きたいのですが…


「銀行マンや教師、広告代理店、公務員がいたね。あれは、日本の平均点な状況を考えると、違和感が。
過疎の村は、それほど  機会を得ることはできない。
一方、妹の女の子は、可愛かったね。舞台後方のドアを開けるシーンさ、眩しい光が差したでしょう。このシーンは、女の子を別の次元に上げる象徴的な意味合いだったのかな。
お兄さんも、変わらない笑顔が良かったよ。時々、そういう青年いるよね、僕の周りにはいないけど」

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