事情通に聞く! 『変わらない人と地』
今回の舞台、どうでしたか?
「ダムに沈んでしまう街。そういう設定だけで、泣ける舞台が要求される。演出にとってみれば胃が痛くなる思いだろうね」
中学校の同窓会というシチュエーションだけあって、全員20代の役者でした。
「小劇場の世界って、男優も女優も背の低い人が多い。テレビなどの映像中心の俳優と、最も違う点といってよい。だって、駅前劇場に阿部寛いる?(笑)
キャストの男優の背が高い、それだけでも、特徴的だよ。男優は、普段モデルとかもしてるんだろうけど」
地元に対する意見の対立、(中学生時代の)校舎への立て篭もり、など社会的な面も感じられました。
「今の若いひとは、上に従順だよね。例えば、1960年代の安保闘争のような、目的のために団結して闘うようなことは しないでしょう。東大安田講堂の占拠ばかりが歴史の教科書に記されているけど、国会周辺のデモが より激しかったら、現在の国に形さえ変わっていたかもしれない。でも、安保条約は延長され、岸信介首相が辞任し、安保闘争自体にも熱が失われた。
だから、日本人にとって、上への闘争というのは、負け覚悟のスパイラルから抜け出せないんです。
秩父事件しかり、刀で銃に立ち向かったが、官軍に負けた。もちろん今までの農民一揆とは異なり、それを指揮した人物は白い袴(死をいとわないことを表す)を着用していたので、彼らとしてはアピールではなかった。むしろ戦争を意図していたのですが、官軍と対等に闘う武器は調達しなかったのです」
中学校での籠城も、結局、負け戦になってしまいました。
「日本人にとって上への闘争とは、頭で闘うことではない。2011年にアラブの春が吹き荒れたでしょう。きっかけは、チュニジアです。大統領を反対する政治グループが結集し、チュニジアの市民をも巻き込みました。多くの国家では、上への闘争の際、様々な主義主張を持つグループが連合体を作るものなのです。
ところが日本人の場合、闘争が より分裂化する方向があります。
安保闘争もそうですし、成田空港反対同盟も そうでした。
脱原発もポリティカル性では 今あげた闘争と似たところもありますが、脱原発を標榜する政党が乱立したことは記憶に新しいでしょう」
舞台の話もお聞かせ下さい。中学生たちのダム建設反対も、大人になり、分裂化したといえるのではないでしょうか?
沈没一ヶ月前だというのに畑を耕す男性いれば、ダム工事の建設に携わっている女性もいる…。
「それは一概には言えない。ポリティカルなテーマとは、また違うから。
長野県の田中康夫知事時代は、脱ダム宣言を発表した結果、ダムの工事はストップした。ところが、彼は二期目の選挙で保守系の候補に敗れたね。
ダム建設の凍結だけが理由ではないが、要するに、工事関係者も潤わないし、その場所にいた、あるいは今いる住民も過疎に悩まされるわけ。
工事してくれた方が、ダム湖畔という観光スポットも出来る。たまに地方に行くと、風力発電の風車が観光地になっている。自然を損なう代わりとして、県の観光課や商工課がバックアップしてくれる。
そういう、蜜が味わえるわけだから、やはり一度、工事が進んだらスピードを上げてやってもらった方がいい。八ッ場ダムの反対派も、このインセンティブのため開発を求める方向に替わった。
やはりポリティカルなテーマではなく、地域の経済と環境の問題なんだ。
関西電力は、北陸の黒部ダムを作った。延にして数百万の人が建設にあたっている。過酷な現場で多くの人が亡くなったことは、NHKの人気番組でも放送されたことにより、社会的に認知されていると思う。
都市に電力を融通するため地域へ補助金を流し、現場は過酷労働。どこかの構図と、同じなんだよね」
ああ、原発ですか?ぜひ、舞台の話も聞きたいのですが…
「銀行マンや教師、広告代理店、公務員がいたね。あれは、日本の平均点な状況を考えると、違和感が。
過疎の村は、それほど 機会を得ることはできない。
一方、妹の女の子は、可愛かったね。舞台後方のドアを開けるシーンさ、眩しい光が差したでしょう。このシーンは、女の子を別の次元に上げる象徴的な意味合いだったのかな。
お兄さんも、変わらない笑顔が良かったよ。時々、そういう青年いるよね、僕の周りにはいないけど」