踏切があがるとき 公演情報 神奈川県演劇連盟「踏切があがるとき」の観てきた!クチコミとコメント

  • 日本人の生き方を、70ー80年代を軸に再考察

    「演劇の神奈川」を体感するには十分の舞台であった。

    1970年代の国鉄は、国労のストライキにより多数の乗客に対し列車遅延の被害を与え、日本経済の生産性に障壁となっていた。
    その様子は、朝日新聞に連載されていた70年代の『サザエさん』(作_長谷川町子)にも度々、登場する。

    一方、グループ総帥•堤康次郎死後も「国土計画」を通じ堤家支配が続いた私鉄の西部鉄道は、ストライキが発生していない。

    「国鉄一家」という造語がある。
    国鉄は、現東京ヤクルトスワローズなどのプロ野球団を持ち、職員のためのオリエンテーションに努める さきがけ的な存在の事業団である。

    たしかに国労が日本の労働運動に汲みした役割、または位置づけは過小評価すべきではないだろう。

    しかし、「国鉄一家」の身内争いが、客人である乗客=一般大衆を困惑させ公益性の障壁となった事実も合わせて考えなければならないのではないか。




    「昭和」から「平成」に掛け、人々のライフスタイルは変わった。
    昭和のライフスタイルは1950年代の「さんちゃん農業」(じいちゃん、ばあちゃん、母ちゃん)、から「モーレツ社員」へ。福田赳夫が「自民党は農家の皆さんの味方です!」と息巻いてから減反政策がスタートし、「カイシャ的共同体」の中で生活する日本人=男性が急増した。

    72年頃に入社した小泉の組合運動への専念というのは まさに 「モーレツ社員」「カイシャ的共同体」オモテ裏のうち、その裏側に位置したのである。

    現在まで、公務員にストライキ権は付与されていない。
    代わりに、内閣から独立した人事院があり、労働争議の仲介も行われる。

    国労を含めた国鉄系労働組合、地方郵便局長系の全特、地方公務員の自治労等は、各々が大政党(自民党、日本社会党、民社党)の組織票であった。
    こうした、冷戦集結前の公務員、国有事業団職員による“業界運動”が政治力を持った結果、社会全般の権利を向上させた面はあるが、たとえば全特を例に取れば 彼等は既得権益者であった。

    日本国憲法に、公務員は国民の「公僕」と明記されている。だが、昭和の時代、そして平成を越えて今も自治労メンバーは「国」へ目を向ける。民営化された事業団の職員は現代でも法規上は特殊会社•社員の身分であり、霞ヶ関の中央省庁から庇護を得ることしか考えていないのである。 


    そして、平成のライフスタイル。
    小泉は倒れた後の晩年、若い頃に張り切った登山を付き添われながら挑んだ。
    しかし、それでも小泉は笑顔ではないことから、バブルが崩壊し“生き方”を暗中模索した90年代の時代性と見て取れる。決して、肯定しているわけではない。









    ネタバレBOX


    社会を誰が牛耳ってるか分かる、社会派の舞台でもあった。
    日本の政治家に正統性はあるか。これはじつは大切なテーマだ。

    現在、総理大臣を指名する衆議院の選挙方式は、小選挙区比例代表並立制だ。
    1994年に制定され、1996年執行の衆院総選挙から運用されている。

    1988年にリクルート事件を発端とし結成されたユートヒア政治研究会は、1年生議員の年間に掛かる政治費用を算出したことがある。

    以下、同研究会に関わった、衆議院議員•とかい紀三朗氏の公式ホームページから引用したい。


    「金のかからない政治を実現するためには、まず何故政治に金がかかるのかを知らなければならない。それ故に、メンバーの必要経費を分析することになり、理系学部出身であった私と鳩山氏が担当することになった。

    かなり以前のことであり、資料が手元に残ってないので正確ではないが、最低でも6500万、最高は1億9000万円(おそらく鳩山氏)、バラツキはあつたが参加メンバー10人の平均は約1億1000万となった。

    鳩山氏が分析を試みたが、選挙区の広狭と経費の多寡に若干の関連性はあるものの、それぞれの選挙区事情に差もあり、傾向を結論づけることは難しかった」


    中選挙区制時代には、『三バン』という政治用語があった。
    地盤、看板(知名度)、鞄(資金)の三つ である。
    一つの選挙区で、同じ政党の公認を受ける複数の候補が競い合うケースがみられたため、より世襲化、金権腐敗が進行したというのが戦後日本政治史の痛切だろう。
    もっとも、常に120〜160程度の議席数を保有していた日本社会党が ほぼ「一選挙区1名」の方針だったわけだから、事実上は自民党の問題を指す。


    この自民党利権誘導メカニズムについて、政治学者の砂原廉平氏は、次のように指摘する。

    「政党を頼ることができない候補者がまず依存するのは、選挙区内のさまざまな組織・団体だ。たとえば定数4人程度の選挙区では、20%程度の得票を固めれば当選が見込めるので、一定の組織・団体からの支持が当選に直結する。

    所属政党を問わない競争のもと、候補者は自分だけを支持してくれる組織・団体を探す。その結果、選挙区内の地域ごと・産業セクターごとに細分化された組織・団体が、政党ではなく候補者個人を支援する。

    当選した議員たちは、支援の見返りとして組織・団体への便宜を図ることを優先し、それが政治腐敗の温床となるのだ。

    次に候補者が依存するのは、自民党で隠然たる力を持っていた「派閥」だ。自民党の派閥は、党の支援に頼れない候補者に、経済的な資源をもたらし、場合によっては選挙区の組織・団体の紹介をも行っていた。

    派閥の長は、自民党総裁選挙に勝利して総理大臣になるべく、構成員にさまざまな資源を付与して求心力を高めようとするのだ。この過程で政治腐敗が生じることになる」(2013.2.2  週刊東洋経済)


    リクルート事件が世論に与えた影響は多大で、直近の参院選での土井社会党躍進を招き、政治改革を巡り自民党経世会の改革派が新生党、新党さきがけ らに分裂した結果、戦後保守レジーム崩壊へと繋がった。

    では、小選挙区比例代表並立制と選挙方針が変わり、中選挙区制の難点は解消されただろうか。

    中選挙区制時代の「地盤」「看板」「鞄」は、世襲政治家がものを言う最たる武器だった。地域の企業、団体とのパイプはあるし、政治団体の資産は息子が代表となれば使える。

    小選挙区比例代表並立制に基づく選挙が執行された1996年以降の、衆議院議員における世襲状況を見てみよう。


    1996年総選挙 87名
    2000年総選挙 113名 
    2003年総選挙 134名


    年々、増加傾向にあるではないか。1996年時に内閣総理大臣だった橋本龍太郎以降、既に5人が世襲政治家首相である。


    政治資金に関しては、小選挙区比例代表並立制になり「カネが掛からなくなった」か。たしかに政治家個人の政治団体の支出は減る傾向にあるが、政党としての政治資金は依然として肥大のままだ。

     昨年の総選挙、自民党は09年衆院選より比例区で220万票、小選挙区で166万票の得票を減少させた。。だが、「多党化」の要因により、国から支給される政党助成金自体は43・3%増(前年比)の145億5000万円である。自民党は他にも多額の企業献金等を受け取っているが、それでも銀行から借用した負債分が存在する。
    小沢氏はかつて細川内閣の頃、政党助成金の法案成立を目指す際に、「民主主義のため、国民にコーヒー杯分の負担をしてもらう」と述べた。
    しかし、大統領制を採用している国を除けば多額の政党助成財源であるから、やはり小選挙区比例代表並立制とリンクされる形で考えられた政党助成金も、腐敗が抑えられた一方、「政治資金の肥大」なのは間違いない。


    最も小選挙区比例代表並立制において問題視されるのが、死票の多さで生じる有権者間の不公平だろう。


    2012年12月18日付 東京新聞ネット版の記事を参照されたい。


     「戦後最低の投票率となった十六日の衆院選は、自民党が定数(四八〇)の六割を超える二百九十四議席を確保する圧勝で終わった。しかし小選挙区で自民党候補の名を書いたのは全有権者の約四分の一、比例代表に至っては15・99%だった。自民党の勝利は、必ずしも民意を反映したものではない。多党乱立と低投票率が自民党を利した結果であるということが、はっきり分かる。

     衆院選の投票率は小選挙区で59・32%。戦後最低を記録した。

     一方、自民党の得票率は小選挙区が43・01%。比例代表は27・62%。ただし、これは投票した人の中での比率だ。

     全有権者に占める比率は24・67%、比例代表は15・99%となる。選挙区でも比例代表でも自民党候補や党名を書いた有権者は「少数派」だ。

     ところが、自民党が獲得した議席は小選挙区で定数の79%にあたる二百三十七議席、比例代表は、同31・67%の五十七議席だった。

     現在の衆院選挙制度は、小選挙区制と比例代表の並立制を採用している。民意を集約して二大政党制に導く小選挙区制で自民党は、有権者全体に占める得票率の三倍以上の議席を獲得。信じられないような世論との乖離(かいり)が生じた」(2012年12月18日  東京新聞  ネット版)


    日本国憲法に基づき、日本の成人国民は一人一人選挙権を持っている。ところが、4割の国民が投じた政党が7割近くの国会を占拠してしまうような状況は公平といえるか。
    完全小選挙区制を実施している国はイギリス連邦など、多数 見受けられるものの、日本は 「一人別枠法式」という憲法違反がまかりとおり、あまりに地方重視だ。
    イギリスは都市を基盤とする労働党が議席を得やすい小選挙区の線が引かれている。アメリカにおいても、やはり同様に民主党の支持者が集まる都市州に  議席配分が偏ってる。2008年米大統領選挙も、オバマ候補は 共和党マケイン候補をわずかに抑え、なんとか過半数を越えたに過ぎない。
    だが、なぜかイギリスやアメリカの政治システムを見本とする日本は、地方の有権者に政治的権利=「一票の重さ」を与える。


    この国には
    1小選挙区制のマイナス面である死票
    2自民党の地方利権誘導型システムに基づく地方重視
    3比例代表との重複立候補可。それに伴う単一選挙の複数候補当選。(一票の格差9倍の可能性)
    4地域ごとの比例代表ブロック制。および拘束式の弊害。(過激政治家の出現)



    以上、4点の選挙制度をめぐる問題を抱えていると、私は考えている。
    ここでは全てを詳しく紹介できず残念だが、中選挙区制の弊害を埋めるための小選挙区比例代表並立制は誤りであり、事実に反しているのだ。旧たちあがれ日本などは、中選挙区制の回帰を主張したものの、世論はより公平さを求め、政党の品位や主義主張を重視。しかも候補者査定が要るのであれば、非拘束式比例代表制が現実的なのではないか。

    0

    2013/05/06 23:11

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大