天中殺の観てきた!クチコミ一覧

1-20件 / 31件中
『起て、飢えたる者よ』ご来場ありがとうございました!

『起て、飢えたる者よ』ご来場ありがとうございました!

劇団チョコレートケーキ

サンモールスタジオ(東京都)

2013/09/19 (木) ~ 2013/09/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

悪霊はわたしたちの中にいる
この時代のしかもこの題材を直接的に取り上げることは、まだ我々の世代においては逡巡するところがあると思うが、この若き劇団はそれを真っ向から挑んだ。そして演劇というアイテムを使って人間の謎にせまるドラマを形作った。その取り組みは、社会的な存在意義をもたない趣味的小劇場劇団が大多数の中では注目すべき成果であると思う。

ネタバレBOX

はじめは史実の通り、追い詰められた革命戦士たちが山荘に逃げ込み、管理人夫人を人質にとって籠城する。しかし、その先は史実と違って警官隊も現れず空回りの空白の時間が過ぎていく。その中で管理人夫人を革命戦士にオルグしようという意見が出る。そして、意外にもオルグは成功して管理人夫人は単なる人質ではなく同志になる。やがて彼女は同志に留まらず、かつて山岳アジトで総括という名の凄惨な虐殺を繰り返した指導者の幻影としてよみがえる。このフィクションは強引にも思えるが、ごく普通の人々が残虐な行為の当事者になっていくのだということを現しているのだろう。管理人夫人を演じる渋谷はるかは大人しい一般女性から狂信的な指導者へメタモルフォーゼする。男優陣の演技も充分説得力を持っている。16人の同志殺しの行為者たちもはじめはわれわれと同じような普通の人たちで世の中を良くしようと思い行動して、結果的には歴史の闇の悪霊になってしまったのだという人間の不条理性をこの芝居はリアルに表現している。
ウジェーヌ・イヨネスコ「授業」フェスティバル

ウジェーヌ・イヨネスコ「授業」フェスティバル

die pratze

神楽坂die pratze(ディ・プラッツ)(東京都)

2012/04/27 (金) ~ 2012/05/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

「授業」Super Steam Through(授業フェスティバル参加)
これは面白い。面白いというかバカバカしい。とにかくここまでぶっ壊してくれると逆に爽快感がある。

ネタバレBOX

だがそれは飽くまでも、はじめにつばめ組のリアルな「授業」があったからで、それを見た上でこそ楽しめる見立てのパフォーマンスなのだ。しかし、レッスンを現代ダンスをすべてマスターするためのダンスレッスンに変化させたセンスは素敵だ。惜しむらくはこの劇の本質にあるコミュニケーションの不可能性をダンスで魅せてくれたら完璧だった。
女中がつねに「家政婦は見た」といった感じで覗いているのも効果的だった。さらに彼女が電動ノコギリを稼働させて、逆さ吊りの女生徒に向かうシーンは、これまで見たどんな「授業」よりもインパクトのある幕切れだった。
使者たち

使者たち

bug - depayse

シアターバビロンの流れのほとりにて(東京都)

2017/08/04 (金) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

これは何というのだろう。演劇よりももっと直接的だが、現実より虚構じみている。

ネタバレBOX

ここでは障がい者と健常者がいる。さまざまなコミュニケーションが行われるが最終的には、健常者の女の子が障害者に「あなたたちみたいでなくて良かったわ」と結論づける。これは途轍もなく残酷な宣言だが、同時に多くの人間たちの本心でもあるだろう。ある音を聞いて障がい者たちを殺戮しはじめる白服のランナーに私たちは何を見るだろう。それはまさしく1年前のあの事件であるし、もしかしたらある教団の信者かもしれない。これは演劇というよりもはコンセプチュアル・アートに近い。奥にある白い壁はどこか不安定で何を現しているのかはっきりはしないが、障がい者と健常者を隔てる壁なのかもしれない。車椅子の障がい者の女性が戦わなければと言う。そして最後に歌をうたう。歌詞は分からない。もしかしたら歌詞なんてないのかもしれない。その歌声のなかで白服の殺戮者は倒れていく。これは勝利なのか。だがこんな勝利なんてものは本当にあるのだろうか。どこまでも私達を責め続ける行為としての舞台だ。
Ceremony2012-おひさまのほうから-

Ceremony2012-おひさまのほうから-

ストアハウスカンパニー

上野ストアハウス(東京都)

2012/02/22 (水) ~ 2012/02/26 (日)公演終了

満足度★★★★

花ひらく抽象性
同じパフォーマンスでもやる時期によって、こんなにも印象の変わる作品もないだろう。初演は確か2007年だったと記憶している。今回の上演は、この作品の持つ豊かな抽象性が花ひらいた。それは作品が変わったからではなく、現実が変わったからだ。

ネタバレBOX

舞台中央には、様々な色彩の衣服が堆く積まれている。男女8人のパフォーマーたちが、ひたすら歩き続ける。衣装の山にも足を踏み入れ、あたかも地ならしをするがごとく歩んでいく。その結果、山は均され、舞台全面にまるで瓦礫のような様相で拡がる。初演の時は、これを見て瓦礫だと思う人は恐らくいなかったはずだ。しかし、今やこれを見る観客たちは尽くあの東北沿岸の街に拡がる瓦礫を想起するだろう。そのなかを必死に歩きゆく役者たちは、ときに二人組みになり、互いを支えながら、あるいは担ぎながら行進する。この姿を見て、命がけで避難する被災者たちの姿を思った人も多いだろう。
だが、この作品が真に優れているのは、すべて観客の想像力に働きかけてくるところにある。それが、豊かな抽象性と思うところだ。
だが残念なのは、初演では衣装の中を転がり続けるパフォーマーたちが、気づいたら身につけていた衣服がすべて剥ぎ取られ、全裸になっていたはずだが、今回は全員下着をつけていたところだ。しかも、かなり生活臭を感じる下着もあり、その時点でこの作品の演者たちの無名性が失われてしまった。さらに、そのあとの場面で、落ちている衣装を身に着けていくという行動の劇性が薄れてしまった。
後半、役者たちが発する言葉も、それぞれの日常的なキャラクターをイメージさせてしまうものがあり、作品の硬質性を削いでいるきらいがあった。
しかし、多少の難点はあるにしても、2007年にはじめて作られたこの作品が、観客たちに震災の幻影を見せつけたことは間違いない。しかも、他の表現媒体ではありえない斬新な方法において。そのような舞台の底力を感じさせてくれる上演だった。
昭和神曲煉獄篇

昭和神曲煉獄篇

劇団阿彌 GEKIDAN AMI

シアターバビロンの流れのほとりにて(東京都)

2012/04/12 (木) ~ 2012/04/15 (日)公演終了

満足度★★★★

静謐なる舞台
正方形の舞台の上手下手に演者が座る箱が数個置かれている。舞台はそれだけでいたってシンプル。演者は能を思わせる体勢で重心は低い。言葉は明瞭で直接的で余計なものはない。要するに演者も舞台と同様にシンプルな表現になっている。

ネタバレBOX

描かれている世界は、幻想的な悪に対するテロ行為だが、何故その行為にまで至ったのかは明確ではない。すべては精神病理学の範疇で発生した事件と思えるほどに、過剰でかつ自虐的な思いの果てのテロリズム。これをどう捉えるかは受け手に委ねられているのかもしれない。
しかし、秀逸なのは舞台に立ち現れた静謐さである。不要な喧騒に包まれた現実の中で、この空気をも止める静けさは他に代えがたいものだ。           
かもめ或いは寺山修司の少女論

かもめ或いは寺山修司の少女論

Project Nyx

芝居砦・満天星(東京都)

2012/06/16 (土) ~ 2012/06/25 (月)公演終了

満足度★★★★

エンターテイメントとしての寺山演劇
寺山修司の少女小説からの舞台化だが、中山ラビが歌ったり、ポールダンスが入ったり、人形劇があったり、宇野亜喜良の少女画のスライドが映ったりと、観客を飽きさせない楽しめる構成になっている。ある意味で商業演劇的な感じもするが、寺山作品は実験性だけではなく、エンターテイメント的な要素も充分あるのだから、その部分を大いに生かした舞台と言えると思う。

ローザ

ローザ

時間堂

王子スタジオ1(東京都)

2012/05/16 (水) ~ 2012/05/29 (火)公演終了

満足度★★★

信じられたものと信じられなかったもの
ポーランド生まれのドイツで活動した革命家ローザ・ルクセンブルグをめぐる物語。彼女の死後、親しかったものたちが墓場に集い、ローザとは一体なんだったのかを、それぞれがローザを演じることによって検証する。

ネタバレBOX


ジャスミン革命以降、アラブの春をへて、変革後の新たな体制づくりの難しさが語られる今日、興味深い題材ではあるが、見ていて一番気になったのは、ロシア革命時代のドイツにおいて、非常に大きな影響力を持ったローザ・ルクセンブルグという人間が見えてこない点だった。
作者は、偉大な革命家ローザ・ルクセンブルグではなく、ひとりの女性としてのローザを描き出そうとしているのかもしれないが、役者たちの演技からは彼女の人生を垣間に見ることができなかった。もちろん、現代の若い日本人俳優が100年前のドイツ女性革命家の人生を舞台上で生きるなんてことはできるはずもないことかもしれない。しかし、いまを生きる人間の肉体を通して、一瞬でもいいから彼女のリアルな生を見ることができれば、劇として信じられるものも生まれたのではなかったか。今回の芝居を見て、信じられたのは俳優たちが等身大の自分を生きているということであり、俳優が演じている役を信じることは最後までできなかった。
ウイルス

ウイルス

大駱駝艦

世田谷パブリックシアター(東京都)

2012/07/05 (木) ~ 2012/07/08 (日)公演終了

満足度★★★

うたうウイルス
舞台面は、蜘蛛の巣の形でロープが張られている。その中で舞踏手たちの鼓動は始まる。

ネタバレBOX

だが、何なのだろう、この倦怠は。以前の駱駝にあったようなゾッとするようなシーンを見ることはできなかった。
はじめは男性舞踏手4人の踊り。手に便器、大きな卵、ひまわり、ワニを持って踊るのだが、これが何とも退屈で、男たちの体に技術的なものはあるのかもしれないが、身体の闇が見られなかった。闇がなければ舞踏ではなく、単なるスポーツになってしまう。つぎの女性舞踏手たちのクネクネした魚のような群舞は、土方舞踏を彷彿とさせる面白さがあった。全体的に言えるのは、男性はみんなスポーツマンみたいで身体の趣きに欠けて、女性のほうが時に霊的なものが流れるように思えた。あくまで印象ではあるが。
ラストでは、ロープの蜘蛛の巣が吊り上げられ、舞台全体を覆う形になる。そのなかで麿赤兒が踊るが、何なのだろう、この申しわけなさそうな踊りは。だが、最後に舞台前方に一人たたずんで、声なき歌をうたうのが、なんとも言えず感動的だった(この歌はきっと「ふるさと」だと思う。前のシーンで女性たちが独特の身体的唱法で「ふるさと」を合唱した)。これまでの舞踏シーンが、そこでひとつに集約されたような感動だった。
ココロに花を

ココロに花を

ピンク地底人

王子小劇場(東京都)

2013/05/31 (金) ~ 2013/06/02 (日)公演終了

満足度★★★

未消化の先の可能性
なにか未消化な感じのする舞台。言いたいことは何となく分かるし、ハッとする瞬間も時にはある。連続する絞殺事件、意識を失った人たち、意外な犯人などドラマを展開させる道具立てはあるのだが、表現が平坦すぎて引っぱっていくエネルギーが少なく眠気を誘う。作者はあえてそうしているのかもしれないが眠気にはかなわない。さらに歴史の話が出てくるが、それが全体と繋がってこないのでさらに未消化になる。もしかしたら個人の意識と世界の歴史を通底させる壮大な構想があったのかもしれないが、観客の想像力はそこまで律儀に働いてはくれない。でもこの95分間の未消化の先に何かしらの可能性を感じないこともないのだ。

edit

edit

shelf

atelier SENTIO(東京都)

2012/05/24 (木) ~ 2012/05/27 (日)公演終了

満足度★★★

劇としての展開がほしい
劇場内に入ると白い空間に7人の男女がいる。立っているものもいれば、座っているものもいる。みな白と金のグラデーションの入った衣裳。白い砂山には仄かに明かりが灯っている。シンプルだがセンスある舞台。

ネタバレBOX

内容はいくつかのテキストの合成だが、メインはソフォクレスの「アンティゴネ」とアーシュラ・K・ル=グウィンの「左ききの卒業式祝辞」。「アンティゴネ」のシーンは演劇的なところもあるのだが、その他の場面は論説的な台詞が多くて、劇が動いてこない。身体的な造形でもあれば見られるのかもしれないが、そのような目を惹くシーンのないまま約1時間の舞台は終った。使用しているテキストは、今日の日本において大変意味深い題材を提供していると思う。だが、それらが演劇的に躍動しない。劇を見る楽しみはやはり相反するものの対立とか、人物の変質にあったりするのではないかと思うのだが、登場人物の思想を物語っても劇にはならない。さらに唯一展開した「アンティゴネ」も真に生きている人間の性が見えてこなかった。上品な語りにおさまっていて人間同士のぶつかり合いになってこない。演出家はそのようなものを求めてはいないのかもしれないが、テキストの素材選びにおける視点に非凡なものを感じられるだけに残念な気もする。
また、アンティゴネ役の女優はその役を身体も含めて捉えていると思えたが、それに対してクレオン役の男優が、この役を理解していないように思えた。それは二人の台詞のやりとりに如実に現れていた。 
班女/弱法師

班女/弱法師

shelf

d-倉庫(東京都)

2013/06/28 (金) ~ 2013/06/30 (日)公演終了

満足度★★

退屈を作る才能
「班女」は客入れから舞台上に4人の俳優が存在している。ト書きが語られることによって役の身体が覚醒する、そんなイメージの幕開き。花子を二人の女優が演じるのは、狂気をあらわすためか。台詞は全体に単調に進むが、実子役の女優が単調な中でも一種独特の集中力を持っていて空間を支配している。この演出家は退屈の作り方がうまい。静かで単調なシーンの連続は退屈するが、ときにその退屈のなかに別の色彩が差し込む。そのとき劇は息を吹き返す。ただ、照明がぼんやりとしていて美しくなかった。

「弱法師」については言うべきことなし。俊徳役に気品がない。

A.C.O.A.presents「スピリッツ オブ ジョン・シルバー」

A.C.O.A.presents「スピリッツ オブ ジョン・シルバー」

A.C.O.A.

atelier SENTIO(東京都)

2012/06/07 (木) ~ 2012/06/10 (日)公演終了

満足度★★

なぜジョン・シルバーなのか
開演前から役者たちが会場内にいて、入場してくる観客を迎えている。場内カウンターでは飲み物などを売っている。開演前にそういった雰囲気づくりをしているのは、別にいいと思うのだが役者が知り合いの観客と客席で雑談を始めてしまうのは、この劇団の関係者でもない人間にとっては違和感があった。
唐十郎の「ジョン・シルバー」をもとにしているが、台詞を割ったりしているためか、個々の役が立ってこなくて、ドラマとしての展開の面白さは少なかった。75分ほどの短い芝居で、歌も頻繁に入るわりには退屈した。なによりも唐の台詞を喋れるだけの肉体が圧倒的に不足していると感じた。男役を女にやらせるのもどうかと思った。唯一、小春役を演じた演出家でもある鈴木史朗だけが、猥雑な身体を持っているように思えた。音楽も同じような曲ばかりで、場を変化させるだけの高まりに欠けた。そして何よりも、今なぜ「ジョン・シルバー」なのかということが分からなかった。

幻探偵

幻探偵

オルガンヴィトー

明大前「築地本願寺和田堀廟所」野外特設劇場(東京都)

2012/08/02 (木) ~ 2012/08/06 (月)公演終了

満足度★★

唐十郎をやるべき
明大前にある本願寺の墓地にテントはあった。唐組や新宿梁山泊のようなテントではなく、パイプが支柱のイベント用テント。客席は30席くらいか。客席と舞台は近い。

ネタバレBOX


はじめは女主人公の独白ではじまる。なんとなく唐十郎的ではあるが、決定的な違いは台詞でドラマを説明してしまうところ。唐十郎の台詞は風のように過ぎていくが、それは詩であるからだ。ところが同じようなスタイルの芝居で、言葉でもって状況を知らせようとすると、途端に夢が見られなくなる。言葉でストーリーを追うような芝居に対するアンチとして出来たアングラ演劇のスタイルに、このような説明的な台詞は似合わない。さらに後半、唐突に語られ始めたシェイクスピアの「ハムレット」の台詞や、上演の場を慮ったのか、浄土真宗的な台詞が取ってつけたように語られるに至っては、この作者はいったい何をやりたいのか分からなくなった。
男優には昔なつかしいアングラ臭い役者がいるし、水を使った演出などは結構楽しめるのだから、本家唐十郎の戯曲を上演したほうがいいのではないかと思った。
阿呆船

阿呆船

劇団 風蝕異人街

神楽坂die pratze(ディ・プラッツ)(東京都)

2012/03/03 (土) ~ 2012/03/03 (土)公演終了

満足度★★

由緒正しきアングラ芝居
今時めずらしい由緒正しきアングラ芝居を見た。このようなアングラが、まだ最北の地には残っているのだ。

ネタバレBOX

舞台の奥に縄が何本か下がっていて、出港をイメージさせる場面では上裸の男たちがそれを引っぱる。上部から垂れ下がった褐色の布が船を象徴している。役者はみな白塗りで、早口でまくし立てる昔なつかしいアングラ芝居。寺山劇によくあったマッチを刷って台詞を喋る場面も頻繁にあったが、マッチが着いていない役者が結構いたのもご愛嬌。だってアングラにはハプニングはつきもの。役者たちの面構えも、行っちゃっている表情も、何だかとっても懐かしかった。しかし、セーラー服の女優陣を見て、大蔵映画を思い出してしまったのは、何故だろう・・・・・・
ウジェーヌ・イヨネスコ「授業」フェスティバル

ウジェーヌ・イヨネスコ「授業」フェスティバル

die pratze

神楽坂die pratze(ディ・プラッツ)(東京都)

2012/04/27 (金) ~ 2012/05/13 (日)公演終了

満足度★★

「授業」劇団つばめ組(授業フェスティバル参加)
開演前にアコースティックなゆるい生演奏と、即興絵画が行われている。

ネタバレBOX

それと本編との連結が見えてこないが、聞いていて、見ていて、心地良いものではあった。教授役はどこまでが素なのか分からない脱力系の演技。それに比べて女生徒役は多分に作っている感じがしたが、歯が痛くなるシーンは説明的なものや、過剰なものが一切無くリアルに思えた。女中役はなんだか新劇的なリアリズム臭を感じた。だが、教授が女生徒を殺すに至るところに変身が見えないのは、劇としての面白みに欠けるように思えた。台本上には「ナイフ」とあるのを、「カッター」としたのは原文のカッコウの鳴き声を生かす意図か。
いのうえシェイクスピア「鉈切り丸」~W.シェイクスピア<リチャード三世>より

いのうえシェイクスピア「鉈切り丸」~W.シェイクスピア<リチャード三世>より

パルコ・プロデュース

東急シアターオーブ(東京都)

2013/11/08 (金) ~ 2013/11/30 (土)公演終了

満足度★★

中レベルのエンターテイメント
さかんに宣伝をしているのでどんなものかと見て来たが、全体的には中レベルのエンターテイメント。しかし、3時間は長すぎる。ある程度のところで主役の鉈切り丸がこれは絶対に最後は殺されるなというのが見えてきた時点でドラマに対する興味は薄くなった。
「リチャード三世より」とあるが、シェイクスピアのリチャード三世のような言葉の力で相手を牛耳っていくような迫力のある場面はない。主役の森田剛も単なる悪人というだけではなく人間としての重層性があればともう少し見られたかもしれない。今回が初舞台の成海璃子が演じる巴御前は、がなってばかりの学芸会。この二人を芸達者の役者たちが支えていくが、いくらお笑いのシーンを入れたり、照明効果を使いまくっても3時間はもっていなかった。客席はジャニーズファンばかり。だが、客席が埋まっているから商業演劇としては成功ということだろう。

わが友ヒットラー

わが友ヒットラー

シアターオルト Theatre Ort

駅前劇場(東京都)

2013/03/27 (水) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

満足度★★

リアリズムの限界
左右に傾斜した舞台があり、それを挟んで客席がある。

ネタバレBOX

舞台の真ん中には溝があり、そこから何色かの照明が光る。舞台のはずれにはネズミの入った水槽や、なにやら巨大な魚の頭部の骨のようなオブジェがある。照明は全体に暗めで、前半はかなり眠くなった。対面の客席だから向こう側の人たちが眠っているが見える。芝居自体は、三島由紀夫の台本を芸達者の役者たちが立体化させている。だからドラマは見える。だけど退屈なのである。三島の作品はリアリズムでやっても限界があり、そこには表現としての型か、それがなければ途轍もない特権的肉体がなければ、文体の嵐の絡め取られてしまうのである。
『地球☆空洞説~ちきゅう☆くうどうせつ~』The hollow Earth theory(世界初演!)

『地球☆空洞説~ちきゅう☆くうどうせつ~』The hollow Earth theory(世界初演!)

流山児★事務所

みらい座いけぶくろ(豊島公会堂)(東京都)

2012/11/22 (木) ~ 2012/11/29 (木)公演終了

満足度★★

テーマの不在
しかし、これだけ中身の薄い芝居を2時間もよく見せたものだ。

ネタバレBOX

映像を投射する見せ方は、天野天街の得意とするもので、それはそれなりに面白いのだが、映像も人海戦術もダンスも、劇のテーマがあってこそ生きてくるものだと思うのだが、冒頭の公園でのパフォーマンスから、最後の劇場外での気球飛ばし(大多数の観客は見逃していた)まで、一貫して訴えかけてくるものがなく、要するに信じられるものが全くないまま寺山レヴューを見させられた(間違ってはいけないが寺山ほどテーマに拘った人間はいない)というのが残念な感想だ。
ビョードロ 終演いたしました!総動員2097人!どうもありがとうございました!

ビョードロ 終演いたしました!総動員2097人!どうもありがとうございました!

おぼんろ

d-倉庫(東京都)

2013/05/29 (水) ~ 2013/06/16 (日)公演終了

満足度

本末転倒
客イジリばかりではなく、芝居の中身をどうにかしろと言いたい。

ネタバレBOX

芝居が始まる前に徹底して行なわれる観客へのアプローチは、観客を芝居に入りやすくさせて、芝居の味方にさせるための有効な方法であり、こんなことは大衆演劇の連中が昔からやっていたことだが、そこまでの前口上、そこまでの入口を作っておきながら決定的な失敗は台本の薄さだ。ありきたりな童話のような物語に魅力はなく、2時間の長さを引っぱっていくだけの世界の深みもない。しかし、段ボールで作った座布団に2時間以上も座っているのは拷問だった。
ピーター・ブルック、マリー=エレーヌ・エティエンヌ[フランス]『驚愕の谷』

ピーター・ブルック、マリー=エレーヌ・エティエンヌ[フランス]『驚愕の谷』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2014/11/03 (月) ~ 2014/11/06 (木)公演終了

満足度

はじめての失望
どうなのだろう。これまでピーター・ブルックの作品はたとえ劇評家が寝ていても、とりあえず見られた。それは見るべきものがあったからだが、今回は眠くなった。芝居の系統としては人間の精神世界の闇をテーマとした「THE MAN WHO」に近いものがある。この作品もすんなりとは入って行けない作品だったが、今回の芝居は入りにくいというよりも入るだけの奥行きを用意していないという感じだった。やたらに時間をとった客いじりをしていたが、それがさして意味のあるものにも思えなかった。ここで大きな疑問を持ったのだが、これは果たしてピーター・ブルックの作品なのだろうか。ピーター・ブルック的ではあるが、決定的に何かが違うような気がする。ひとつだけはっきりと言えるのはこの芝居には以前のピーター・ブルックの作品のような驚きはない。ピーター・ブルック的なものはあったが、そういったスタイルは皮肉にも彼の著書にある退廃演劇に近しいような気がした。それにしても良くないと思ったなら拍手をしなければいいのに戸惑いながら3回もカーテンコールをする日本人はとんでもないお人好しだ。

このページのQRコードです。

拡大