ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

801-820件 / 3200件中
「遥か彼方に揺蕩う星空」

「遥か彼方に揺蕩う星空」

縁劇ユニット 流星レトリック

萬劇場(東京都)

2019/04/10 (水) ~ 2019/04/14 (日)公演終了

満足度★★★★

 観たいに書いたように自分は高校時代実習船で南の海に航海した経験がある。華4つ☆

ネタバレBOX

ワッチに立った新月の晩、海と空の境目が分からない中をただ独り舳先に立って眺めた。暗い空間に星屑と夜光虫が入り乱れ、光が乱舞するばかりで区別がつかない。それはまるで宇宙の只中をたった独り航行しているような感覚だった。他の多くの同級生と異なり特殊な学校へ通った中でもこの経験と台風の中、荒れ狂う海でトップマストに波をざぶざぶかぶりながら、さながら潜水艦のように浮沈を繰り返しビルジキールが今にも折れるような軋みを上げ続け、普段なら指1本で回せるラットが力自慢の我々が振り回される程の圧を受け、ハッチを完全に締め切っている船倉では、仲間が浮沈の度に数十センチもベッドから浮き上がってはベッドに叩きつけられていた。鼠が船に残っていたので絶対沈没しないという確信はあったが、自然が荒れるということの意味と台風一過後の、また目がのぞいた時のいきなりの静寂と深い深い碧空の色を決して忘れない。
 今作の核心部分には、このような純粋な美とピュアな感情が溢れている。音響の合わせ方も良くマッチし、照明も良い。自分の好みからいうと、余りおチャラケを入れる必要はないのではないかと思ったが。役者陣の演技にも、ダンサーの踊りにも爽快感があってグー。
薄布

薄布

天ノ川最前線

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2019/04/11 (木) ~ 2019/04/14 (日)公演終了

満足度★★

 作家も若いし演者も若い。

ネタバレBOX

おまけに作・演出が同一人物なので悪い方に転がってしまった。作家に訊くと演者達と相談しながら作劇していったのだというが、見切れ、かぶり等々、演劇の基本、客に見せるという点迄無視する役者に従ったのでは流石に演劇のイロハを知らないと非難されても仕方あるまい。演劇は殆ど有史以来存在する歴史の長い芸術形式であり、少なくともあらゆる民族のどんな歴史にも見られる芸術だから、現代の作・演出家も過去の多くの歴史的遺産に負う所が大きい。現在でも未だギリシャ悲劇・喜劇は往時のシナリオを用いて(無論翻訳も含め)演じられることもあれば、それをベースに新たな戯曲が書かれたり、演じられることも多く、チェーホフの登場以来、彼の作品と格闘することで、近代演劇の演出法を確立したと言われるスタニスラフスキーやそれを継承したメソッド演劇等の手法以外にも、韓国のイ・ユンテクさん等が韓国の古代演劇の手法や中国演劇の伝統から様々な遺産を継承して優れた演出をし続けていることは、多くの演劇人が知る所である。そもそも、Baudelaireが言うようにQu'est-ce que l'art? Prostitution.芸術とは何か? 売春、と言い「芸術は売春の趣味」であるのだから、裸の精神を見せてナンボである。それを演劇では身体や人形などを用いてやる訳である。
 一方、今作では現代日本を生きる若い世代の閉塞的な世界(半径5~10m程度のことにしか関心を示さないような)が齎す“己”の問題を扱っている訳だが、自分、自分という割には、徹底して自己に拘ってなど居ない。少なくともRimbaudが書いたように Je est un autre.(私とは他者だ)という意識すらない。フランス語は人称に合わせて動詞が変化するので、1人称単数に対応するêtre の形はsuisが文法的には正しい。然しここで用いられているのが、三人称単数のestであるのは無論、自己の他者性を強調する為の詩的テクニックである。ランボーはフランス人であり、フランス語の天才詩人であったから、このような芸当をやっている訳だが、この1行は実に本質的に己というものの性質を表している。
例えば言葉である。己を表現する為に今作ではラップが重要な役割を果たしているが、それには言葉が用いられており、それは社会的なものであって、ラッパー自身の発明では無い。本当に個人的な言語があるとすれば、流通するか否かは兎も角として、それは狂人の発する言語、即ち純粋に錯誤した言語である。何故ならば狂気の定義がM.フーコーの言ったように“純粋な錯誤”であるならば、その純粋錯誤を通じて用いられる言語は、言語表現の秩序を踏み外したものたらざるを得まいからである。而も、ラップそのものはアメリカの黒人が発明したものではなかったか? そんなものを猿真似すること自体、己を大きく離れ、自己矛盾を起こしている。従ってこのラッパー達の主張の根拠そのものが簡単に崩れてしまう程度のものでしかないのである。演劇の基本中の基本は論理であり、論理の働く場は関係性という場である。脚本家はそのことに常に心を配らねばならない。演出の点でも、役者が相当時間観客に背を向けていて演技が一切見えず(背中で演技している訳でも、その技量が在る訳でもない)、而も観客に対し正面を向いている役者の演技も背中で隠してしまって見えなくしている。スペースが無い訳でもなければ、全員の表情がキチンと見えるような配置が取れない訳でもないのに、これは失策中の失策である。役者の中に見切れを気にしない役者が居てその意見を入れたと聞いたが、ナンセンス。何の為の演出だ!? ということになってしまう。これでは、客はつかないよ。いい芝居を観て研究すべし。また哲学や論理学、そして深い思惟、更に多くの鍛錬、勉強が必要である。
南吉野村の春

南吉野村の春

劇団昴

Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)

2019/04/10 (水) ~ 2019/04/14 (日)公演終了

満足度★★★★

 流石に伝統のある劇団、舞台美術の素晴らしさ、肌理の細かさを感じる。一方、優等生の集まりであることに弱さを感じるのも事実だ。世の中を撃つには不良の視座が不可欠であると自分は思っている。何故なら、不良は世の中を下から見る視点を持っており、ここからしか本当の世界は見えないからだ。現在のようなフェイクと嘘ばかりが跋扈する時代、この視座は不可欠である。華4つ☆ 追記後送

ネタバレBOX

 桜の名所、吉野の更に南に設定された村が舞台だ。父母は既になく、家には役所に勤める長男・雄一、そこへ殺人未遂の刑期を終え6年ぶりに次男・龍が帰ってきた。ヒットマンとして対抗組織の幹部を銃撃、刑に服していたのである。襲撃された幹部は、現在最も羽振りの良い実業家に収まりシノギの90%を錦鯉の養殖販売から上げている実業家に変身していたが、一方で組長となった今も彼は襲撃犯である龍に復讐を果たすべく虎視眈々と狙っていた。
カフカの猿

カフカの猿

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2019/04/10 (水) ~ 2019/04/13 (土)公演終了

満足度★★★★★

 英語、字幕無しだが、これだけ素晴らしい舞台がたった1000円。どんなことをしても見るベシ。華5つ☆ あと2回マチネ公演がある。2度目の人は500円。

ネタバレBOX

 世界は無駄に広くない。それをつくづく思い知らされた素晴らしい演技であった。日本で形態模写を演ずる役者は殆ど見ないが、韓国や中国を始め、スタニスラフスキー演劇や、その継承系であるメソッド演技等を学んだ役者の中には極めて素晴らしい形態模写をする役者がいるものだ。(中国の京劇には、悟空役で耳を動かす役者は昔から居るが)今回は独り芝居だが、ハワード・ローゼンスタインさんの演技は当に世界は広いということを思い知らせるに充分である。F・カフカの書いた「ある学会報告」という作品がベースになっているが、これにイラク戦争で悪名を馳せた傭兵企業・ブラックウォーターとこの企業を用いて正規軍ならやらないようなダーティーな戦争犯罪(レイプ、略奪、拷問、市民虐殺等々)を散々やらせたチェイニーやラムズフェルドら戦争犯罪人をも極めて普遍的且つアイロニカルな視点から揶揄して見せた傑作だ。ケベックで活躍する劇団だが、モンレアルで通常用いられているフランス語ではなく、この都市で暮らす英語系住民40万人ほどを対象に公演を打っている劇団なので科白は総て英語だ。日本でも字幕はつかない。然し、優れた役者・演出家というものは、言葉が十全に伝わらなくとも、その優れた技量と身体表現、動きや間の緩急、トーンの強弱やエネルギーの用い方で更にユニヴァーサルな表現領域を獲得しており、それによって観客を魅了してくれるものだ。この舞台は当にその体験の場である。今回、来日予定だった演出のギー・スプラングさんは、同時に役者でもあり、映画出演の為来日は適わなかったが、ステージマネージャーのケイト・ハゲマイヤーさんが同道している。
劇団水色革命 『離婚しないで』

劇団水色革命 『離婚しないで』

劇団水色革命

theater新宿スターフィールド(東京都)

2019/04/04 (木) ~ 2019/04/07 (日)公演終了

満足度★★★★

 今作には女子プロレスラーが4人も出場しているというので興味を持ったのだが、これにはちょっと因縁がある。(華4つ☆追記後送)

ネタバレBOX

「プロレス少女伝説」井田 真木子著(1990初版)を書いて大宅壮一賞を受賞した井田は、早川書房の編集部に彼女が在籍して居た時からの友人だったということ、小学校時代同じクラスに居た女子が長じて女子プロレスの選手になったと風の便りに聴いていたことなどだ。
 プロレスは、ショー的要素が加味されてはいるものの、決める所はキッチリ決めているし、可也ハードなスポーツである。男のプロレスの場合、互いに本気でやりあったらどちらかが死ぬだろう。女子プロレスの場合、マットが男のプロレスで用いられるものより柔軟性に富んでいたりということはあっても、ハードなスポーツであることに変わりは無い。女子の中にも男性性というものはあるし、男の中にも女性性はあるが、矢張り妊娠し母胎内で子を産むまで育てる女性身体の持つデリカシーは、男の比ではあるまい。そんな身体を持つ女性が格闘技をプロとしてやるからには、何か強くなりたいという強い動機が在ったのではないか? そんなことも考えたのは、このタイトルのせいだ。「離婚しないで」と発語しているのは、誰か? である。作品を拝見すればその答えは自ずと明らかであるが、矢張り自分の予測通りでもあった。
 今作のヒロイン・真央は統合失調症(所謂精神分裂症)と診断されるが、養護施設で育ち、自分の記憶では刑務所で産まれたと思っていた。同居人のユーチューバー・一真実は、100万アクセスを誇るバイセクシュアルで虐待を受けていた彼女が養護施設に預けられた時、「一緒に戦おう」と真央が声を掛けたことで友人になった。
 物語は、隣室の夫婦が離婚をするしないで揉めているのを聞いた真央が一真美と組んで離婚阻止を狙うのだが、一真実の誘いで集まった応援団メンバーを裏切ることになってしまった。というのも真央の聞いた会話は彼女が未だ母胎内の胎児であった3か月頃からの記憶を幻聴として聞いていたからである。即ち隣室は、現在無人であった。
而も父・丞は無精子症で母・美心都に子は出来ないハズなのに、真央は生まれた。真央の実の父は、母の夫では無く、夫の兄・壱であったのだ。そのことに気付いた丞は包丁を持ち出し、妻を刺そうとした、もみ合ううち母は丞の腿を刺してしまい刑務所に入ることになった。
 ところで、離婚をさせないという名目で集まったメンバー達は、精神疾患に病む真央を支える為に結束することになるが、その中には壱も居た。だが、彼は最後迄、真央の実の父である事を明かせない。
 以上がメインストリームである。このストーリーにひょっとするとプロの格闘家になった選手たちの秘められたトラウマが投影されているかも知れないと考えたのだ。
 作劇的に難を感じたのは、中盤迄の大家の科白である。女子プロレスファン向けにチャラけた科白で笑いを獲りにいったのだと思うが、演劇の科白としては洗練度が低く序盤で演劇ファンを呆れさせてしまう。もう少しデリケートな科白にするなり、大幅に科白を変えて物語全体のトーンに合わせるなり、或いは観客をビックリさせて作品に引き込むなりの工夫が欲しい。

熱海殺人事件~モンテカルロイリュージョン~

熱海殺人事件~モンテカルロイリュージョン~

ThreeQuarter

JOY JOY THEATRE(東京都)

2019/04/06 (土) ~ 2019/04/06 (土)公演終了

満足度★★★★★

つか作品の中でも最も人気の高い作品と言って過言ではないであろう今作だが、口立てを作品創造・制作の基本としたつか こうへいは、ずっと上演台本を活字化せずに舞台を創っていたから、熱海にも多くのヴァージョンがあることは、つかファンなら誰でもご存じのことだろうが、つかさんご存命の折、自分は彼の作品を生で観ていない。人づてに井上 ひさしさんを批判したと聞いて、気に食わない奴と勝手に決め込んで観なかったのである。その批判がどのようなシチュエイションで行われ、どんな前後関係に於ける発言乃至は文章なのかも全く知らずに愚かな判断をしたものである。無論、未だに井上ひさしさんの作品群は好きだし、亡くなってから本格的に観たり読んだりするようになったつかさんの作品も好きになったのだが、モンテカルロヴァージョンを拝見したのは、今回が初めてである。熱海だけで10回程は拝見しているのだが、このヴァージョンに一番、つか こうへいの地の部分が滲み出ているように思う。彼は在日コリアンであったから、日本でも、半島に渡っても基本的には被差別者であった。現在でも半島情勢は休戦のままであり、核戦略体制を構築することによってしかアメリカが交渉のテーブルにつかないどころか完全に無視される歴史を歩んで来たのが北であってみれば、アメリカの侵略と人種差別による虐殺正当化の歴史を嫌というほど見せつけられている我々有色人種の国家がアメリカを警戒するのは当然のことと謂わねばならない。まして、北は38度線を挟んで休戦以来66年以上も対峙し続けているのである。朝鮮戦争前夜、済州島で起きた4.3事件を上げるまでもあるまい。朝鮮戦争での中国義勇兵、北朝鮮軍・民間人の死者数は、太平洋戦争で死んだ日本の軍人・民間人の数を凌いでいる。而も分断されたのは、敗戦国日本ではなしに戦勝国側の朝鮮民族であった。無論、日本分断計画が無かった訳ではない。日本が分断されなかったのは、偶々国際政治が日本分断の方向に動かなかったからに過ぎない。
 この作品を上演する際に最も大切なテンションの高さが途切れることなく続き、篤い念が伝わってきた。噛んだメンバーも居たが、ご愛嬌、threequarterを卒業するメンバーも居るのでご祝儀5つ☆ 更なる追記は後程。追記1回目2019.4.7

ネタバレBOX

 前置きはこれくらいにしておこう。オープニングでは赤い照明が板上を照らしている。赤が喚起するイマージュは、先ずパッションだ。そしてつか作品の根底に流れるものは、死と生の狭間に燃える強烈なパッションだろう。このパッション故に人々は熱狂し、彼の存命当時紀伊国屋ホール・シアターXの観客動員数が連日大盛況という殆ど事件とも言うべき事態を齎したのであろう。
 そして、つか作品の前提というか根拠にあるのは、在日朝鮮人差別であることは謂うを俟つまい。つか作品に底流するもの、それは被差別者の位置・意識である。自分が数ある熱海殺人事件のヴァージョン中、今作を最もつか自身の地が顕れていると解するのには理由がある。まず、用いられている歌や曲が演歌やJポップを始めとする日本の歌だということだ。洋物はラストにほんの少し用いられるだけである。ここにこそ、故無く差別される者の生い立ちが凝縮されている。即ち差別する側への必死のコミットである。このヴァージョンの上演回数が少ないのは、日本人の多くが差別の実態を見たり感じたりすることを深層心理レベルで避けているせいかも知れない。だとすれば、このヴァージョンを選び、脚色し上演に迄漕ぎ着けたThreeQuarterのメンバー達の高い見識と努力は当然褒められねばなるまい。
REPLACE

REPLACE

ソラリネ。

劇場MOMO(東京都)

2019/04/03 (水) ~ 2019/04/07 (日)公演終了

満足度★★★★

 2ヴァージョンのうち鈴を拝見。(内容的にミステリーなので、細かいネタバレは終演後。華4つ☆)

ネタバレBOX

 下手奥が2Fになっており、正面手前膝上辺りまでが壁面を表すが、無論その奥は素通しになって病室であることが分かる。ベッドが病室中央に、院内電話は下手側壁に取り付けられている。病室奥から上手へ通路、同じく病室手前から上手も出捌けに用いられる。階下は病室客席側の斜めになった壁の前に椅子が四脚。手前の出捌けと病室から出て階下へ出る箇所の間の壁の前にも四脚置かれている。
 通常の家族物かと思いきや、寧ろサスペンス。この病院は精神科専門の病院のようである。サスペンス要素が強いので詳しいネタバレは終演後に書くとして、こうすれば完全犯罪が可能!? かも。と思わせる怖い話でもある。精神病院での患者虐待や薬漬けの話位は聞いたことがある人もいるだろうし、日本という「国」は被差別者や役立たずとされた人々、弱者に対してはホントに酷い扱いをし続けてきたし、今もしている。興味のある人は精神病院の内部告発本は何冊も出ているから読んでみると良い。
 閑話休題。サブスクリプトや所謂出来の良い姉と不良っぽい妹の対比では、妹が頻繁に衣装を変えていることで彼女の人目を惹きたい心理やおしゃれ感覚が表されている。一方、姉に対するストーカーの話等が挿入され、ストーカーの特質である自己都合の思い込みや妄想、押しつけがましさなど、女性にモテない要素満載な有様がコミカルに演じられて、シリアスな中に、ちょっとグロい笑いも鏤められている。ヴァージョンによって登場人物のキャラを変えたりもしている役者さんがいるので、2つのヴァージョンを観て比較するのも良いかも知れない。
極彩アンダーグラウンド

極彩アンダーグラウンド

劇団テアトルジュンヌ

立教大学 池袋キャンパス・ウィリアムズホール(東京都)

2019/04/04 (木) ~ 2019/04/08 (月)公演終了

満足度★★★★★

 初日を拝見、脚本・演出・演技何れも中々グー。更なるネタバレは後程追記する。

ネタバレBOX

 オープニング、暗転中に非常灯が点灯した状態で階段を下りるように降りてくる。明転するとそこはX形に横断歩道の走る交差点だ。信号が灯り、追い越し禁止、駐車禁止、左折等々の交通標識が浮かび上がる。ところで、交差点は、あちらからこちらへの、こちらからあちらへの、あの辺りからこの辺りへの、この辺りからあの辺りへの境界領域。そこで或いは異界の者達がそれと知らぬまま交叉しているのかも知れない。
一方、空間は時間の遷移でもあるから、時空は同一概念でアウフヘーベンできる。以上が今作品の基本コンセプトだと理解した。その上で演劇作品としてこのコンセプトを表象する為に、様々な方法が用いられているのは当然のことだ。例えば物理法則以外何ら縛るもの・ことなど無い筈の時空に対して大人達は勝手に区画を作って決め事を作り、押し付けてくる。非常灯が緑(青)光を放ちながら駆け足の表象を浮き上がらせ、昏い中を降りてくる様は、若者の深く昏い心象風景を表しているし、明転した際に現れる様々な規制標識は、自由への締め付け、締め付けられる側にとっては息苦しさそのものの寓意である。

桜夜奇譚

桜夜奇譚

桜プロジェクト

千本桜ホール(東京都)

2019/03/29 (金) ~ 2019/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★

 横浜の旧家の中庭に1本の桜が植えてある。(華4つ☆)

ネタバレBOX

この桜には深い因縁話があるという。その因縁とは、妖狐、あやかし、霊異記そして相続に関する哀しい物語。
 残念なのは、時代設定や前説との関連に不協和音があること。カミカミの役者はもう少し科白を入れておくべきだということ。
この内容なら時代はもっと訳の分からない状態が良いし、現代のチャラけた世相に媚びることも無い。寧ろ、ストレートプレイをキチンと成立させることに意を注いだ方が良かろう。その力は備わっていそうな脚本だし、演技も噛んだ役者以外は、可也良い。
 妖孤の深く切なく孤独な念の痛切も、因縁の持つ仮借の無さも、総てを載せて流れゆく悠久の時の央に揺蕩いつつ苦しまねばならない魂の哀れも、それらを認識する理性の秤を支える支点も、唯存在の因縁の深い深い坩堝に浮かぶ一点の雫。その雫の無限の哀れ。これら無限の哀れを載せ、沁み込ませて咲く桜の狂おしさ!
丹青の仇討ち屋-誉田屋の巻-

丹青の仇討ち屋-誉田屋の巻-

深川とっくり座

江東区深川江戸資料館小劇場(東京都)

2019/03/29 (金) ~ 2019/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

 落ち着いた演技、練られたシナリオ、ドンデンもグー。

ネタバレBOX


 舞台美術は書割や大道具、黒布などの目隠しを用いて極めてスピーディーに而も的確に場転が行われるので観劇の邪魔にならないのは見事。脚本も中盤迄、定法に則り観客に適度なワクワク感や桁外しを仕掛け上手に引っ張ってゆく。凡庸な劇団なら此処までの芸当で終わる所だが、流石に47回もの公演を打ち尚観客席はほぼ満席という状態をみると、中盤以降は、相当舞台を拝見している自分も本当に引き込まれるドンデンが用意されていて納得させられた。如何にも下町らしいドンデンではあるが、明らかにそれまでの展開とは次元の異なる展開にし遂せている点、更にそれまでの展開で敷かれていたいくつもの伏線が総て見事に集約されていく大団円とハッピーエンドが微笑ましい。無論、このハッピーエンドに至りつくまでにはこれこそ銷魂と思わせる役者(徳三郎役・川島 芽生さん)の名演があり、そのような脚本が在る訳だ。而もこれだけ手の込んだ完成度の高い作品であるにも拘わらず、嫌味が無い。この辺りに下町の劇団の真骨頂がある。同時にタイトルに入っている仇討ちと内容はあまり関係が無いのだが、本当の仇討に関して極めて批評的に優れているのが井上ひさしさんの「犬の仇討」だろう。とっくり座は落語をベースにした脚本を用いているという話だったが、いつか井上さんの作品も演じて頂けたらと思う。今のような時代、アホそのものの為政者を批判する為にも必要なことではなかろうか? 江戸時代の川柳にこんなのがあった。「へへへのへ へへへへへへへ へへへのへ」痛烈! 関東大震災被災率の最も高かったのは、横浜だが、東京で最も大きな被害を受けたのが下町一帯であり、このエリアは1945年3月10日、カーチス・ル・メイ(勲一等旭日大綬章受賞者・時の内閣総理大臣は安倍晋三の崇拝する岸信介の弟・佐藤栄作)指揮による東京大空襲の被災地とピッタリ重なる。
東京魔法少女図鑑

東京魔法少女図鑑

東京スピカ

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2019/03/29 (金) ~ 2019/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

 Bを拝見。一見、少女チック・漫画チックなタイトルだが、どうしてどうして。脚本はしっかりしているし、演出、舞台美術、小道具の使い方、物語との見事な連携を成立させている演出も素晴らしい。演技も役者陣皆が中々頑張っている。照明・音響もグー。

ネタバレBOX


 オープニングヒロイン・ケイトら登場の折、観客の前に広がるのは、太い毛糸で編まれた網のような、魔法陣の文様のような或いは蜘蛛の巣のような白い構造物である。この中に母子は居て、転んで膝を擦りむいたケイトに向かい母は「痛いの痛いの飛んでケー」と呪いの言葉を投げ「魔法の半分は優しさで出来ている」と諭す。この辺りの伏線の敷き方も上手い。母はケイトが幼い時に他界、父の消息も不明なのでケイトはおばの家で育った。こんな理由もあって彼女は地味な少女として育ち16歳になっていたが、思いも掛けぬ転機が訪れた。何と幾多の魔法アイドルを育ててきた有名なプロダクションの社長直々に彼女のスカウトに乗り出してきたのであった。何となれば、彼女は伝説の魔女っ娘アイドル笠原 セイコの愛娘だったのである。社のプロモーションもあり、アイドルとしては旬の年齢ということも相俟ってケイトは一躍スターダムにのし上がる。然し彼女の天下も凋落器を迎えた。黒魔術アイドル・アリサが世の中に蔓延する不平不満、劣等感や絶望しかない黒い未来を糧としたあ人々の黒い感情を栄養源にズンズン彼女を追い越していったからだ。事務所は彼女を解雇した。それまでの人気をうらがえしたかのような、彼女へのバッシングが猛威を揮う中、ホームレスになった父が現れ皆のバッシングから彼女を守ろうと奮闘するが、姿を現した黒幕から、彼が人生をしくじった原因の酒を出され、遂に屈してしまった。
劇団あおきりみかん其の四拾『ワード・ロープ』

劇団あおきりみかん其の四拾『ワード・ロープ』

劇団あおきりみかん

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2019/03/29 (金) ~ 2019/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

 内容は、タイトルに端的に集約されている。(華5つ☆べしみる)

ネタバレBOX


 あおきりみかんも劇団創立から20年の節目を迎えた。四拾作目の作品は、才気溢れる主宰の鹿目 由紀さんが、これまでどちらかというと、ちょっと人生に距離を置いて上手に箍を外す作風の作品が多かったという印象から離れた異色作品になっている。
 例えていうなら人生という坩堝に作家の才能を投げ込み、こね回して澱や灰汁をいくらか残しつつ上手く味付けした鍋のように、人間の持つ微妙な心理の実相が程よく作品に溶け込み、深く味わいのある作品になると同時に、言語表現者としての劇作家・鹿目 由紀さんの言葉に賭ける姿勢を端的に表し、役者さん個々の身体能力の高さを活かしつつ、そのチームワークの良さ、稽古をしっかりつけた結果が舞台上に如実に現れている。数人で或いは出演者全員で為される身体表現シーンなどは、個々の役者の身体能力が高いだけでは到底実現不可能だ。相当稽古していることが分かるだけに、これも感動を誘う。このような演出をつけた鹿目さんにも、20周年という節目を記念し今回功労賞として劇団員から大きなトロフィーが贈られ入口に飾られているのも可愛い。一観客として“あおきりみかん”20周年おめでとうございます。そして、素晴らしい作品群をありがとうございます、と言いたい。
本日は若干席があるそうだ、というのは昨夜の情報なので、問い合わせてみるのも 手。
R.U.R.

R.U.R.

ハツビロコウ

小劇場 楽園(東京都)

2019/03/26 (火) ~ 2019/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

 できるだけ、前提知識を外して観ることをお勧めしたい。(追記後送)

ネタバレBOX


 というのは、何が問題であるかを、チャペックのような、大人になっても子供の目を忘れなかった1人の人間として見たいからだ。このような視点にたってみると、実に示唆的で驚異・驚嘆に満ち、而もどこかロマンティックであると同時に、神話と科学の鬩ぎ合う当時のチェコの東欧文明・文化中心地としての位置、状況、驚くべき文明・文化即ち知のレベルの高さまで見えてこようというのだ。
 このような状況の中で、チャペックが問うたことは、本質的である。何より我ら地球の王、人間が食物連鎖最上位の生き物として地球上に在るありとあらゆる生命、ウィルス迄含めたアミノ酸生成物に対して責任を負わねばならぬ、というテーゼだからだ。何となれば、自然を改変する力を持った生き物は現在の地球で人間だけだからである。ここで現れるR.U.Rは、日本人の多くが、「ロボット」という単語から一番初めにイメージする機械のボディーを持つロボットではない。寧ろ、フランケンシュタインやクローンに近い、どちらかといえば生理的存在である。彼らの寿命は20年で、知的で力もあるが、人間によってプログラミングされている為、自らが感応し、己の条件を掘り下げ・広げ思考し判断することができない。つまり心・魂を持たないのである。然し、R.U.Rの製造工場のある島にやってきたヘレナ
pinky

pinky

神奈川県演劇連盟

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2019/03/27 (水) ~ 2019/03/31 (日)公演終了

満足度★★★

劇団820製作所の①「森が燃える」、劇団スクランブルの②「Leave !」,及び演劇プロデュース「螺旋階段の③「静的コンプレックス」3作のオムニバス公演。総合☆3つ

ネタバレBOX


 3作各々作風はまるで異なるが、自分が最も気に入ったのは、3作目。因みに上記は上演順に並べてある。3作目を除き、一体ホントに描きたいことがあるのか? というのが率直な感想である。表現する内的必然性や衝動を感じないのである。表現する者としては情けない限りだ。
 いつの頃からか、この「国」では内的衝動を持った表現者が殆ど居なくなってしまった。ギロッとしたものが端から無いのである。本楽表現する者は、表現していなければ狂うか、自死するかさもなければ無頼・犯罪者として生きるかくらいしか選択肢の無いアウトローであった。が今は、狂気も、引き裂かれ懊悩するが故の思惟や哲学もなければ、情熱も、狂熱も無い。あるのは唯小手先のテクとこれまた浅薄なパースペクティブだけである。結果、詰まらない!
① はアイデンティティの崩壊が別世界との入れ子細工で繋がり得る部分、日常としては異常であり、「異界」と通底する部分が重しとなって作品自体の空虚を浮かび上がらせると取る事も可能ではあるが、夢と現というありきたりにも堕しかねない。精神病院を物語の進行する場にしたら面白かっただろうが。☆3つ
② はleaveというタイトルとは全く反対に、呆れるほど去らないばかりか、気の利いたアイロニーも骨身に沁みるような納得感も得られないばかりか、ひりつくような自己嫌悪もなく、唯、吐き戻すグロとその伝染ばかりが主筋を為して、最も印象の薄い作品になってしまった。役者陣が可哀想である。☆3つ
③ 無茶苦茶な論理で殴り込みを掛けたチンピラが行き着いたのは場末のラブホという設定もグー。チンピラが押し込みを掛けたのは、彼の敬愛する先輩が何者かによって殺され、その殺人犯がこのラブホに逃げ込んでいるとの情報を得たからだった。ここから先は、終演後発表する。☆4つ
クラカチット

クラカチット

東京演劇アンサンブル

ブレヒトの芝居小屋(東京都)

2019/03/20 (水) ~ 2019/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

 この味わいのある小屋も締められてしまうという。惜しい、寂しい。休憩を15分挟むが3時間15分超の長尺。

ネタバレBOX


 現在であれば、キチンと数式化して証明することは出来なかろうが多少生意気な小学生でも知っているあらゆる物質は、エネルギーの塊である、という恒星の原理、即ち核物理学の原理を察したチャペックの科学的センスの鋭さ、良さには唯驚嘆するばかりであったが、これを表す式E=mc²は、拝見しながら常に頭の中にあって舞台上に設えられた円周を光がぐるぐる回る様も、原子核の周りを周回する電子と見て楽しんだ。尤も、原子番号1の水素原子の核が野球のボール程度だとすると周囲を回る電子は、関東一円を包摂するくらいの所を回っている計算になるハズだが。
 とても乱暴な言い方だが原爆の原理は、現在人間が持つ技術で核爆発を起こすことの可能な核物質の構成を保たせている所迄濃縮・圧縮を掛け、極めて短時間に本来の物質エネルギーを解放させる為の連鎖反応を起こさせるショックを与えるだけの話なので、被ばくを防ぐ設備とラボ、分裂しやすい濃度迄濃縮した臨界量の核物質と核物理の知識さえあれば、かなり容易に作れる。
 無論、当初、知的興味から始まった核に関する知も、その被害が実体化され放射性核種や重金属汚染による悪影響が顕在化すると、ヒトのみならず、地球上に存在する総ての動植物、菌類やバクテリア、ウィルスなどまで含めて悪影響を考慮せねばならぬのは、食物連鎖の最上位にあり、且つ核技術を開発し、解決する可能性を持つ唯一の生き物として人間が在る以上、その責任も総てヒトが負わねばならぬのは必然である。
 無論、今作には実に多くの要素が含まれており、上に縣ことだけが今作の内容では無い。為政者が公人として生きる時、その社会的責任の重大さの為に、例えば己の恋心も抑制しなければならないことがあり、恋と社会的責任の狭間で引き裂かれる痛烈な哀しみ、切なさも描かれるし、そのような中での逢瀬では、一介の男と女として愛を成就し繋ぎ止めようとする足掻きも描かれる。俗世のシガラミとして権力最上位にあることで、不自由やいらぬ警備・警護を受ける不自由、地位故の悪辣や企み、驕慢とそれらを諌めるかのような神的啓示或いは象徴等も用いられる壮大な作品であり、矢張りキリスト教世界の価値観を纏った作品でもある。
 東洋の国、日本に生まれながら、東洋的な価値観や習俗より欧米的な生活様式を取り入れている現代日本に暮らす者として、様々に彩られた己の存在全体を振り返ってみるのに、適した作品と言えようか。
桜の森の満開のあとで

桜の森の満開のあとで

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2019/03/21 (木) ~ 2019/03/27 (水)公演終了

満足度★★★★★

 無論、5つ☆。

ネタバレBOX

 ディベート物は面白い。科白の無い時でも、役者陣は、常に設定されたキャラや討議の流れの中で受け身の緊張とこれらの条件下での演技を強いられる為、芝居にたるみが出ないからである。無論、この程度のことに気付けないようなら、こういった作品に出演させて貰えない。演出家・プロデューサーがしっかりしていれば、キャスティングで実力のある役者しか選ばないということである。シアターミラクルが主催するディベート物は、プロデュースがしっかりしているから、いつもレベルの高い作品を提供してくれる。今回も例外ではなかった、再々演ということも、評価が高いことも当然のことだろうと頷ける内容だ。それは脚本内容の発想の面白さや練度の高さ、白熱した論議を演ずる役者陣の演技、内容と噛み合う舞台美術の使い方の上手さ、効果的な音響。照明以外にも当パンと一緒に渡されるしっかりした資料等、気配りも充分だ。
 討議のテーマ自体の深刻な内容も観客を芝居に巻き込むことに貢献している。解決策も見事である。一方、拝見しながら、今作とは異なる解決策はあり得ると考えてもみた。その実現可能性は、今作の解決策より可也低いが、より革命的、ラディカルではある。では、それはどんなことかというと、現代資本主義体制を支えている根幹、金融をいじる作業だ。現在行われている銀行業務とは、リアルな実体経済をひとまず「根拠」と名目上置いた上で、信用貸しをすることによってバーチャルを理論的には100倍程度迄(日本の都市銀・地銀の場合)融資することで、右肩上がりに縛られたバーチャル経済を機能させることである。だから、このシステムを壊せば現在病的・狂的なまでに暴走している経済を健全なものに戻すことができる。そしてそれができれば、争いを誘発し、煽って肥大化させ、殺し合わせて後戻りできない所まで追い込み、武器を売り込んで設け、破壊された建築やインフラを修復すると抜かして更に儲ける糞共の狙いを、儲けという目的を阻むことができる。その方法の一つとして考えられるのがイスラム金融(元来利息を認めない)や地域通貨の代表として政府通貨を発行することである。戦争やその懸念に各国民は膨大な富を消費させられており、死の商人とその甘い汁を吸う下司・政治屋共によって個人的に何ら恨みも無い人と人とが殺し・殺されるのが現在である。こんな下らない、不毛な争いや何の役にも立たない兵器を捨て去ることも射程に入る。
飲み干せダブルスープセット 冷たいももじるスープ&ぐつぐつ闇鍋スープ

飲み干せダブルスープセット 冷たいももじるスープ&ぐつぐつ闇鍋スープ

劇団冷たいかぼちゃスープ

APOCシアター(東京都)

2019/03/23 (土) ~ 2019/03/24 (日)公演終了

満足度★★

「バグシチュー」ぐつぐつ闇鍋スープ
脚本、☆1つ、役者・演出(だけであれば☆4つを差し上げても良いが、脚本が悪過ぎてどうにもならない)がそれぞれ☆3つでトータル評価は☆2つ。

ネタバレBOX


 バグがIT用語で用いられるプログラミング過程で生じる誤りという意味で使われているのだとすれば、タイトルにその意を込める程度には作品の質を理解できているようだが、何が原因で作品がバグってしまっているのか? については理解できていないように思われる。無論、分かっていないのは脚本家である。先ず、場の設定がなっていない。脚本家自体の視座もまるで地震の起きている最中の大地のように揺れ動いて一貫性が無い。演出家は一所懸命、それでも作品を上演する所迄持って行こうとしており、可也鋭い指摘をして立て直そうと努力しているし、役者も頑張っているが、作家は劇作書くんなら、理詰めの作業ができないと。それができないなら脚本は書かない方が良い。私小説であっても、この構成力では話の外だ。演劇は例えば、映画、小説、演劇脚本と分けて考えた場合、最も論理的に組み立てておかなければどうにもならない表現様式の最たるものだ。仮に脚本を今後も書くつもりなら、論理学、哲学、社会学、心理学、行動学の他に、観察力を養い、建築学なども参考にするが良かろう。無論、その基礎となる物理学や数学の素養もあればそれに越したことは無いが、キチンと基礎を固めることから始めなければならないレベルとみた。
飲み干せダブルスープセット 冷たいももじるスープ&ぐつぐつ闇鍋スープ

飲み干せダブルスープセット 冷たいももじるスープ&ぐつぐつ闇鍋スープ

劇団冷たいかぼちゃスープ

APOCシアター(東京都)

2019/03/23 (土) ~ 2019/03/24 (日)公演終了

満足度★★★★

 評価が丸っきり違うので別建てで講評したい。[この子より優位に立ちたい]

ネタバレBOX


 生命の存在形態として♂、♀を比較した場合、どちらがより本質的かを考察すると子を産む♀が本質というか、性差ある生命のプロトタイプだということは、生物学上もハッキリした事実である。母体内で生育する過程を追ってみても、つまり発生学的にみても個体発生が系統発生を繰り返しつつ性差を獲得したりする中で、例えば人間の胎児の場合、♂はある種のオペの結果として男になることが実証されている。鯛は生まれた時は総て♀、矮性に関して有名なのは、チョウチンアンコウやハイエナ(ハイエナの場合♂は、♀に苛められて食物の量を限定される為、成獣になった段階で♀の半分ほどの体重しかない)、また環境悪化でホルモンバランスが崩れると外海ほど海水が程循環しない水域に暮らす貝などは圧倒的に♀が増えることは、バイ貝などでも随分問題にされてきた。これら総ての事実が、存在論的に♀が♂より本質的であることを示している。
 今作に登場するのは、このような条件下で存在し、それがジェンダーとしての男性優位社会下で如何様に評価され、それに対して存在レベルで対応せざるを得ないヒトという生き物の女性というカテゴリーの持つ属性である。当たり前過ぎて言うのも恥ずかしいが、下部構造は上部構造を決定するというテーゼがある。無論、現実はそれほど単純ではないから上部構造が下部構造に影響を与えることはいくらでもある。然しながら、傾向としては前者が大であるのも明らかであろう。今作で描かれる状況の下部構造に性差による存在の軽重があり、上部構造にジェンダーを措定すると、多くの場合殊に日本のようにジェンダー意識が希薄な社会では、上部構造が下部構造に与える影響が大きく、結果、存在としてより本質的な女性は縛りがきつくなる。そのような状況下変えようのない存在レベルでの足掻きは、センチメンタリズムに陥る他無い、という解釈で創られたのが今作ということになろうか。日本女性のジェンダー認識の現時点での限界を示して興味深いと同時に、言語表現に於いても、ジェンダー差異についても日本などより遥かに男女差の少ない欧米の男達にとって日本女性が魅力的に映ることも、即ち欧米の男に日本女性がモテるのも良く分かる気はする。実際、欧米の女の子は強いからにゃ。
 ところで今作には整形の話が出てくるのだが、仮に総てを整形で変えて別人になり得たとしたら? アイデンティティの問題はどうなるのか? 考えてみるのも面白い。プリニエの小説に「醜女の日記」という佳作があるのだが、示唆的ではなかろうか?


テースターズ

テースターズ

京央惨事

新宿眼科画廊(東京都)

2019/03/22 (金) ~ 2019/03/25 (月)公演終了

満足度★★★★

 良く練られた科白に、地に足のついた演技、演出にも無理が無い佳作。70分強の作品だが、このくらいの尺の作品が多いとのこと。中々楽しめる。大人向け作品だ。(華4つ☆)

ネタバレBOX

 鰻の寝床のような空間なので、結構使い方には悩むと思うのだが、今回は最もオーソドックスな形。奥に劇空間を設定し入口側に高低差を設けた客席パターンである。出捌けは入口側から。正面奥にはホワイトボード。その手前に3x6尺程度のテーブル、テーブルカバーがWで掛けられている他、上手壁際のやや客席寄りに座椅子が置かれている。テーブル奥には椅子3脚、左右各1脚。
 物語は、最も大切なものを捨てる為の講習会が舞台、無料ということで、大家以下、集合住宅の住人が集まった。講師も住人の1人だが、大学では人間の行動原理を学ぶため、哲学と心理学を学んだという主婦。三々五々集まってきた住人同士で会話が弾むが、大家は建物管理の必要から監視カメラを設置、自分で画像を時折チェックしているから、住人の様子を良く知っており、誰と誰が浮気をしているか、どこの夫婦は仲が良いか等々を詳しく知っている。そんな秘密を漏らすと、ちょっと危ない他人の話は格好のネタとして話が盛り上がる。
 さて、講師がやってくると、中々手際よく狭い住空間に住みながら、何故物が捨てられないのか? ということの説明や、捨てる為のディスカッションなどをこなしてゆくのだが、予定に入っていなかった電気工事等で講演が中断、人々がばらける中で、既に話のネタにされていたのとは異なる不倫カップルが明らかになったり、大家の盗み癖が明らかになったり、不倫カップルの片割れが実はゲイ的な指向を持ってていたり、仲睦まじい筈のカップルには、互いに納得ずくの夫婦愛は存在したことが無かったことなど、かなりシビアな話が展開してゆく。而もその逸話のどれ一つとっても、日常にありそうな、刑事犯罪になることはなくとも、なあなあでうやむやにされては居ても、ああ、あるよな、という小さな悪のオンパレードだ。おまけに講師が実は金に困っており、怪しげな効能を口上で述べ、怪しげな水をトンデモナイ高値で売る為の入り口として、こんな講義を主宰していたのだった、ということも明らかになる。このからくりを見抜くのは、巫女風の能力をの持つ女性で矢張りこの建物の住人、カモになりそうだった主婦を救うと同時に、講師をも感化してしまった。すると、既に誰一人として罪を免れる者が無いことが明らかになった時点で、皆は彼女にどうすれば、贖いの生を送ることができるかを訊ねる。彼女の答えは「己の利益を考えず他の者の為に尽くすこと」であった。だが、そう答えた彼女がラストで、己にも罪があるような科白を吐く。暗転。
エンドゲーム

エンドゲーム

不実の杏

演劇スタジオB(明治大学駿河台校舎14号館プレハブ棟) (東京都)

2019/03/22 (金) ~ 2019/03/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

 言わずと知れたベケットのディストピア作品だが、現在の日本でこの作品を選んで上演することに大きな意味があろう。このセレクト自体にセンスを感じる。舞台美術もシャルターという閉鎖空間を、床に敷かれたカーペットで示し、居住可能空間の狭さを巧みに表現しているし、シェルターに取り付けられた極めて小さな窓も放射性核種への警戒感を如実に表していてグー。更に棺桶紛いの両親が入った箱、その下に撒かれ明るい陽光を浴びた海辺の白浜を喚起するような白い小石群がアイロニカルに反射している様の何という痛々しさであろう! 従者・クロヴが出入りするキッチンは板対角線上に設定されているが、何もセッティングされていない素の空間である。(追記後送)

このページのQRコードです。

拡大