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〇〇Pソファ第2回公演『喜劇 暗がりの代筆屋』

〇〇Pソファ第2回公演『喜劇 暗がりの代筆屋』

〇〇Pソファ

シアター風姿花伝(東京都)

2019/09/12 (木) ~ 2019/09/15 (日)公演終了

満足度★★★★

華4つ☆(追記後送)

ネタバレBOX

 デジタルが席巻したかに見える現在、人々の多くは溢れかえる情報にともすれば溺れ、何をどのように選択したら良いのかさえ最早曖昧になり、情報の海を唯漂うかのように日々をうっちゃってゆく。然し、こんな時代だからこそ、生の人間を感じさせる情報伝達手段が求められることもあろう。その一つの手法が手紙だ。かつて代筆屋は街角の路地の奥などでひっそり営業していた。文字の読み書きが不自由な人々が多い時代には無論生活に欠くことのできない職業だったのである。然しながら、時は移ろい文字の読み書きのできない人は、戦災孤児や無国籍者など小さい頃から大変な苦労を背負わされた方々を除き絶対数が減り、通常では商売として成り立たない。だからこそ、ニッチな職業として大事な手紙や、どうしても残しておきたい文章をキチンとした文章で残したいと望む人々も現れてくるということだろう。そのような人々の意を本人に代わって他人の心に届く文章に仕上げる仕事場で最も文才のある男・梶野と彼の惚れた女・初華の恋のもつれを中心に編まれた作品。
 ところで、今作には下敷にされている古典がいくつもある。それがどんな作品でどのような形で下敷にされているかを思い出してみるのも良かろう。
桃子と百波、ときどき齋藤、空から茜、大地に山脇

桃子と百波、ときどき齋藤、空から茜、大地に山脇

劇団鴻陵座

十色庵(東京都)

2019/09/10 (火) ~ 2019/09/15 (日)公演終了

満足度★★★★

 作家5人の作品が上演可能。但し尺が1作品30分を目安とし、場転を考慮しなければならないから各作品の間に5分の休憩が入る為、全作品を上演するには難がある。この為毎回観客の投票(1人2作品選択)で上演作品3作を選ぶ、同数の場合は協議して決めることになるかどうか、自分の拝見した回は偶々、綺麗に3:2に分かれたので問題なかったため不明。
 演じられた空間はやや横長の長方形、舞台が高くなっている訳でもなければ何か特別な仕掛けが在る訳でもない。展示スペース等としても使える唯の箱型建築。通路や飲み物をストックしてあるスパースが、入った右側にあり、このスペースを取った上で3方の壁に平行にコの字型に客席が配置され、コの字に囲まれたスペースが演技空間だ。演目によってパイプ椅子や小道具が適宜設えられる。以下今回の上演順に3作のレビューを記しておく。
 3作品に共通するコンセプトとしては、アイデンティティー、アイデンティファイに関わる作品群と見受けた。その理由は、己が存在・個別の経験をベースに作品化することで捉えなおそうという試みであると感じたからだ。フェイクニュースや情報に溢れ、ホントに信じられることなど殆ど無い現在、己の生きる環境、状況が信じるに値しないのではないか? との疑問を抱くのは必然と謂わねばなるまい。であれば、己を構成するハズの情報を疑う己自身の検証に向かうのもまた必然であろう。何人もこの事実に向き合わざるを得ないし己で解答を見出さねばならない。それはデカルトが方法序説を書くに至ったと同じ理由からである。だからこそCogito ergo sum.なのだ。因みに作家たちは皆学生さんであるようだ。

ネタバレBOX


「愛着」岸田 百波作
 男と女それぞれの性(さが)が良く出ている作品。多少なりとも男女関係が理解できる人々にとって当たり前に見えることは、逃げる者は追われ、追う者は逃げられるという心理現象だろう。一方、原人以降の人間史を垣間見ると♀は、住居を根城に周辺の木の実採集や子育てなどをその働き場とし♂は狩猟等で遠くまで獲物を求めて狩り、持ち帰るという作業に従事してきた。性的にも♂は広く種を撒くことが主眼だが、♀は良い種を受け、より強く、賢く状況適応力の高い子孫を残すことが主眼である。二足歩行に移った後、人類は手を用い、道具を作って用いること、コミュニケーション手段を非常に発達させたことによって脳の能力を拡大してきた。その結果、知恵や技術力によって地球上の王となった訳だが、その分、本能のみによってではなく自ら発達させた社会や習慣、文化や歴史、己の社会的・経済的位置等によっても己を縛られることになった。これら総ての要素の中で人工的で無い物は、最早殆ど無い。大ざっぱに言えば身体のみが除外され得るが、歯の治療、様々な怪我の治療に用いられている人工物等が己の体の一部を形作っていない個体を探す方が難しかろう。このような状況の中にあって、男は本能的に自由を求め、女は本能的に恋を求め得た恋人を縛ろうとする。今作では、形の上では女が振った。然し残る未練を自分自身に隠す為に彼女自身が「愛着」を「愛情」と取り違えていたとして自己救済を図ろうとしている。それは、自身で本人役を演じない点からも証だてられる気がする。プロの劇作家を目指すのであれば、生き乍ら覚醒した状態で己自身を腑分けしなければならない。表現者の世界はそのようなレベルでの弱肉強食だと考えておいた方が良い。
「でーと」山脇 辰哉作
 兄と妹が居る、シングルマザーに育てられた次男がヤンキー上がりの母、妹らと実家で久しぶりに会うことになる話だが、何と園に通う頃彼の頭は金髪に染められ後頭部には辰の字が剃ってあったというママ振り。これはちょっと仰け反る。自分の周りにも族のアタマ張ってた若い者が居たり、組に入ったのが居たりで所謂ヤンキーには事欠かないが、これはちょっと驚きである。で彼は結果的に大学に入った位だから、母の言動が大嫌いだったし、大嫌いな母を反面教師として自らを作り上げて来たのに、久しぶりに会った母の変容ぶりに愕然とし、自らのアイデンティティー崩壊の危機を迎えたようである。無論、大学生にもなって様々なことを理解している彼は、そんな母を本当はどこかで庇ってやれるだけの力を獲得し実践しつつある。若者らしい優しさやデリカシーと爽やかさを持つと同時に独自の押しの強さを持つ彼に、もっと年を重ねた段階ではトレーランスも発揮できるようになって貰いたい。
「友達とケンカした」佐藤 桃子作
 かなり内向的な女性の作品。内向的故に余り自己主張が得意でなく、本当に自分が傍に居たい、居て欲しいと願う友達も極めて少ない彼女の子供時代、一番大事だった友達との象徴的で決定的な溝が生まれた経緯と今も彼女が引きずる念を描いた作品。
 その大切な友人の名前がアキで男女の役者がアキを演じるので、アキの実態の特定がしずらい。ホントに内気な人のようなので未だ、他人と自らを仮借ない目で見比べることや、関係の中に在る自分が関係を秤に掛けて分析し己の内実というものを対象化しつつ、己の内実を保持できるようなら大化けする可能性を秘めている。
人生のおまけ~Collateral Beauty~

人生のおまけ~Collateral Beauty~

演劇企画イロトリドリノハナ

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2019/09/05 (木) ~ 2019/09/09 (月)公演終了

満足度★★★★

 初日を拝見。タイトルの「人生のおまけ」は映画「Collateral Beauty(邦題・素晴らしきかな人生)」を意訳したものだ。劇団「光希」の看板女優として活躍してきた森下 知香さんだが、イロトリドリノハナを主宰してもいることは多くの方々が既にご存じだろうが、如何にも彼女の作品らしい作品に仕上がっている。初日、若干硬い所も観られたが回を重ねる毎に良くなることを期待している。音曲の使い方もグー。(華4つ☆ 追記2019.9.7)

ネタバレBOX


 何時までも抜け出せない世界同時不況。資本主義全体の停滞は明らかであるが、この中で広がる格差社会現象についても、元校長先生で現在は潤沢な年金で悠々自適の生活を送っている耕平と対比するように、優秀な研究者でありながら困窮を極めるチャカーナのメンバー達という形で織り込まれている点にも注意したい。既に騒がれなくなったが自殺者数が毎年3万人を超えていた時期にあってさえ、ポスドクの自殺率は異常に高かったことを思い出して頂きたい。この自殺傾向は多少下がってきてはいるものの、研究者の多くが経済的困窮の為に呻吟している事実は今も変わらない。
 この格差社会は既に1970年代から始まっていようが、殊にそれが酷くなったのはリーマンショック以降である。そしてリーマンショックの起った時、既にインターネットは世界中を結ぶ通信インフラの中核技術の地位を確立していたのではなかったか? 一般的に生産性は以下の式で表すことが出来る。即ち、
基本的に生産性=商品÷{生産手段(様々な社会的インフラも入る)+労働}この式で自分が示したいのはインターネットが光速で世界を繋ぐ通信インフラを確立する前の状態である。即ち多くの人々が現在、現実に認識しているレベルに近い。然し、と自分は言うのである。インターネットが世界中の殆ど総ての人間(無論、ゾミアで暮らす人々及び飢餓故に他の総てを犠牲にせざるを得ない人々は含まない)をその網で絡め捕った時以降、主流派経済学論者が主張する通りであるならば、大不況の直後こそ、更に発展するハズの資本主義が一向発展しないどころか、先進諸国、ロシアを始め、既に経済成長鈍化傾向を見せている中国を含め、殊に資本主義を奉ずる先進諸国の経済が実質借金まみれになり、国家経営を金融に牛耳られた挙句、日本等は最早異次元緩和迄行って打つ手が無くなり、自動車、船舶、多くの半導体製品(太陽光パネル等)、家電で国際競争力を失い、稼ぐ力を持つハズの高次な知的レベル産品を開発する力も無いまま、最早儲けることのできるのは、コストパフォーマンスの高い戦車などの武器だけという有様である。ところで、外国はスペックの良さは認めても命の懸かる戦場での実戦経験を持たない国が作った武器等買うはずもない、その為実戦経験の場を作る為に専守防衛のみとしてきた我が国の「軍事力」をアメリカとの集団的自衛権を法制化することで海外派遣し、実戦で破壊と殺戮及び当然のこと乍ら日本人「兵士」戦死を含めて武器を売る為の道具にし、金儲けに走ろうという算段。(言っておくが企業の最優先課題は常に儲けることである。ハッキリ言うと民衆の人命や悲痛等儲けにならないから「有効活用」しようとの判断だろう。)これは産業界が待ちに待った実戦経験を積ませることによって可能になるし、同時に最先端の軍事技術をアメリカから輸入し日本であわよくばカスタマイズして周回遅れだが、スペック的には可也充実し、コストパフォーマンスも高い商品として売ろうというのが??重工を始めとする日本の長大重工産業の腹だろう。だが、こんなことを検討する前に、憲法改悪は国民の賛成が未だ少ない為産業界及び政府が現在行っていることが、労賃を抑えたまま企業収益を高めることであろう。その為の武器はインターネットだ。どういうことか? 簡単なことだ。生産性は、成果物や投入リソースから直接引き出される必要はない。企業目的は利益を得ることだから、労働生産性云々ではなく、投下資本に対する利益の多寡が重要だ。一方、人間の身体能力などこの千年の間に大した変化はない。僅か100mを走るのに最速10秒近くかかるのだから。そこへ利潤を追求する企業が世界中に網を広げたインターネットを用い、利潤拡大最適化をしてきた。これは、生産手段の延びが鈍化・停滞すれば、労賃を一定にしても生産性が上がるようなシステム構築をすれば良いとなるは必定、一例をあげれば先進国の労働者1人を雇う賃金で途上国の人間ならその数倍以上の人間を雇える。ITの進歩で熟練労働者なども最低限必要な者以外は首を切れる。少しパソコンの講習をして現地採用すれば、同じ労賃で雇った現地採用の人数倍と同等とまではいかなくとも生産性を上げることができる。結果的に労働コストは低賃金に方向づけられるから削減が進み、勤労者が貧しくなるのと反対に企業会計の生産性向上に繋がる。普通の人々が貧しくなる構造がここにある。式で表せば、
資本の生産性=利益÷投下資本となる。  
 こういうことを書くと作品に関係ないとか政治的だとかアヤをつけてくる蛙がたくさん居るが、この程度の政治、その下部構造を為す経済分析ができずに演劇を語るのは片手落ちというものであろう。何故なら、シェイクスピアを挙げるまでも無く、演劇はその総合芸術性、発生に関わる時点で祝祭と深い関わりを持っていた点から見ても極めて政治的、社会的な芸術であり、そのような己の出自からこそ、多くの発想、着想、展開の具体性と妙を得て来た芸術様式だと言えるからである。(演じていた者達も被差別民であったり、流浪の民としての遊芸者であったことをみても意味深長である。)庶民生活を描く場合に於いてさえ、それは無論大いに作用している。例えば、下町長屋に暮らした店子たちに政治的発言権は無かった。意見が在る場合、大家、地主である役付きの人々の力を借り彼らの口を通してお上に訴えねばならなかったのである。演劇作品でも良く扱われる落語の持つ面白さの陰には政治に関与することのできないこのような庶民の悲哀があったと考えた方が正鵠を射ていよう。演劇が浄瑠璃など人形を用いる場合であっても「身体表現」であるのは、その根底に我々が生き物であり、生き物である以上、食わねばならず、食う為には食物を入手し、食べるという身体の動作を余儀なくされるということから来る。この制約無しに生き物としての悲哀も存在することの深さや意味も問う事ができないというより、真の意味を持たない。



ツノノコ、ハネノコ、ウロコノコ

ツノノコ、ハネノコ、ウロコノコ

フロアトポロジー

オメガ東京(東京都)

2019/09/04 (水) ~ 2019/09/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

 ディストピア作品であるが、エッジの効いた脚本、演出、演技、舞台美術、照明、音響に至るまで優れた作品。(追記2019.9.8 02;:15)

ネタバレBOX

 時代はハッキリしない。近未来的ではある。極めて意味深長な作品だ。脚本もしっかりしており、舞台美術、演出、演技、照明、音響等何れをとっても上手いと思わせるシーンが多いし、科白と実際に演じられているシーンでの微妙なズレや小さな矛盾の仕込み方、解消の仕方、またタイミングも絶妙である。
 内容的にもハッキリ証拠立てることはできないまでも、如何にも現実に為されていそうな事柄が扱われており、ストーリー展開でも重要な部分で細部に迄注意が配られている他、極めて自然な展開は違和感が無い。観劇中は、今作の内容を追いつつ同時にかつて実際に起こったさまざまな事件(サブラ・シャティラ難民虐殺)やパンデミックではポリオワクチンもその起源として疑われ、現在も諸説ある(AIDS)などが直ぐ記憶から浮かび上がる。AIDS禍では加熱しさえすれば被害が防げたのにそんなに単純で簡単に実施できることすらせず、多くの被害者を出した非加熱精製剤による被害拡大。(この件の裁判も極めて怪しいと言わねばなるまい)他原因が熊本大医学部の研究によりハッキリ疑われ報告されていたにも関わらず対応の遅れと無視によって被害拡大を招いた水俣病を始め、これまた原因が疑われ多くの症例が明らかになった後も放置したまま被害拡大を招いたサリドマイド禍、等々、実験ではないものの官僚、研究者による人道的罪、さらには、患者をモルモット扱いしかしなかったことで有名なABCCとそれを継承した放影研等々、我が国の医療犯罪は枚挙に暇が無いことを鑑みる時、決して単なるSF的ディストピアには見えて来ない点で、今作は特異且つアイロニカルな秀作と言えよう。ラストも不死身の契だけが生き残り他の者は総て死に絶えていることでこの暗愚の国の滑稽な末路を示して面白い。今作の魅力はもう一つ。少女達のひたむきな生き方が、その真摯な姿勢にも関わらず、常に彼女たちの手に負えないレベルで嘲弄されるが如く機能するにも拘わらず、真っ直ぐに尚生きることを選ぶ姿勢の幼さが否応なく訴えかける異様なまでのリリシズムが、我々、観客の胸を撃つことである。
革命を起こすんだ

革命を起こすんだ

teamDugØut×マニンゲンプロジェクト

「劇」小劇場(東京都)

2019/09/03 (火) ~ 2019/09/08 (日)公演終了

 自分がまっただ中に居たことと落差が大きい為、☆評価は控えさせて頂く。

ネタバレBOX

 タイトルを見て持ったファーストインプレッション通りの作品。
 革命等まるっきり関係ない話。唯、革命と言い立てることで今作で唯一、コアを為していると思われる“怒られる”ことを目指した行為が校舎屋上占拠計画だったというだけのことだ。戦略、戦術、展望、社会的正義感、目指すべき理想の具体的ビジョンと実現する為の論理的筋道、仕掛けのタイミングとその歴史的、社会的状況分析、反逆する為の止むに止まれぬ居直り、出るであろう犠牲に対するケア等、為すべきことは山ほどあるが、ここに上げた要素の何一つとして舞台上で表現されない。状況分析も甘い。世間で散々言われていることの焼き直ししか言っていないのだ。唯一の例外が先に挙げた“怒られる”ことによって甘えようという判断だが、これ自体甘えでしかない。どうでも良いことだが、当時「甘えの構造」というタイトルの本が流行ったことは事実である。(更にどうでも良いことだが、友人の高校時代のクラスメートの父親が著者であった。)

 今作で描かれている時代は1970年代初頭、自分達は70年に高校を卒業しているが、高校でロックアウトをやり、成田闘争やベトナム戦争反対闘争、沖縄連帯、羽田闘争、新宿騒乱等をやっていた最後の世代に属する。たくさんの友が傷つき、障碍者となり、自死を選んだ者も自分の親友だった友を含めて自分の周りだけでも何人も居る。祭りじゃないんだよ。
『humAn』

『humAn』

劇団夢幻

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2019/08/28 (水) ~ 2019/09/01 (日)公演終了

満足度★★★★

 タイトル表記が小文字で始まっている所が意味深。

ネタバレBOX


 脚本は感じた通り女性のようである。伝えたい思いは無論理解できるつもりだが、余りにも技術的なレベルでの勉強が足りない。少なくとも科学が関わる人体改造に関する物語である。SF要素が絡んでいるのであるからオートマタを説明する科白でからくり人形は許されまい。その程度の技術レベルと脳を剥製レベルで維持するという比喩自体ナンセンスである。脳は例えば心肺停止レベルから秒単位で破壊される。新鮮な呼気が脳に供給されない限り脳細胞が破壊されるからである。人間の脳の大きさは約150ml、重さに換算すれば荒っぽく1.5㎏程度か、日本人男性の体重平均は調べるのも面倒だから調べていないが仮に60㎏だとしよう。40分の1が脳の重さということになるが、使用するエネルギーは、人間一人が使用する全エネルギーの20%である。このことだけからも明らかなように、そして精神が肉体を支配するという考え方が殊に西洋文明に顕著に現れたように脳は極めて特殊でデリケートな器官であり、今作のような形で描かれる為には、千歩譲って剥製化した脳がかなりキチンと機能したとして、語られているからくり人形という技術とどのように具体的にリンクできるのかが作家の頭の中でキチンと組み立てられていなければならない。それができないならば、演劇的には、完全なファンタジーにして魔法というレベルで話を構築すべきであった。ただ、それでは現実にコミットできないという懸念が作者にはあったであろうが。そこが理詰めである必要があるのは、当然のことである。
 この辺りのギャップを埋めることができればかなり面白い作品になろう。舞台美術、照明、ダンス各々キチンと独立して各々の技術だけでそれなりの評価を受けることができようし、関わっている人々個々人の誇りも自分の評価に見合ったものであると思う。何れにせよ、頑張って欲しい劇団である。
ENDLESS-挑戦!

ENDLESS-挑戦!

劇団銅鑼

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2019/08/27 (火) ~ 2019/09/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

 塵廃棄・産廃業の話らしい、とのイメージから最初に頭に浮かんだのはこの話の実際のきっかけになった企業とは別の企業の話であった。

ネタバレBOX

岐阜県御嵩町の一件である。興味のある方は当たってみると良い。2006年に本も出ている「御嵩町史 通史編 現代」そこまで詳しくなくてもという方には、以下https://www.google.com/search?source=hp&ei=h5doXaWNKbySr7wP67WV4A0&q=%E7%94%A3%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%80%80%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%E3%80%80%E5%BE%A1%E5%B5%A9%E7%94%BA&oq=%E7%94%A3%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%80%80%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%E3%80%80%E5%BE%A1%E5%B5%A9%E7%94%BA&gs_l=psy-ab.12...3248.57392..60293...2.0..0.280.7113.48j22j2......0....1..gws-wiz.....0..0i131i4j0i131j0i4j0j0i131i4i37j0i4i37j0i4i30j0i4i30i23j0i5i4i30j0i5i30j33i10i42j33i10.HteCQKnSPwI&ved=0ahUKEwjl7KeR06nkAhU8yYsBHetaBdwQ4dUDCAk#spf=1567139108415
 産廃業者には悪い噂が絶えない。被差別者が携わってきたことも大きかろうし、当然人脈的にも裏社会との絡みが指摘されやすい。実際、上記のような殺人未遂、障害事件等が起こってきたという経緯もある。だが、被差別者を他の職業から排除してきたのは、差別者であり排除されることによって被差別者がどれだけ悔し涙を流してきたかについての責任は差別する側にあると言わねばならない。歴史的には被差別者の方が権力の軛から自由であった側面が皆無とは言い切れない部分もあるが、殆どは最下位であることから来る自由である。それにお上の身分制度の中に組み込まれていた連中も例えばジビエは獲物をイチワ、ニワ…と勘定することで実際にはお上(狭義には仏教の殺生禁止)の禁じた獣肉も食っていた。(ここで上げたイチワ、ニワは兎)一方、被差別民は、牛などが死んだ場合、村の境界領域に遺棄された牛の死体を処理する権利を与えられていたのである。これも差別・被差別から来る「自由」ではあった、というに過ぎない。江戸での被差別民代表格の一人に浅草弾左衛門がある。これは人口に膾炙した役職名なので正式名ではなく、一人という言い方はホントはそぐわない。唯代替わりすると新たな浅草弾左衛門は世襲の別人だった。少々ペダンチックになったか? 自分は差別に関する専門家ではないから聞きかじりを述べているに過ぎないので更に詳しい方がいらしたら色々ご教示願いたい。

ところで、今作が如何にも銅鑼の作品らしいのは、二代目を継いだ女社長(葵)が、窮地に立たされた際、偶然見つけた雑誌の記事に触発され、リーダーシップを発揮して、先ずISO(International Organization for Standardization・国際標準化機構)を取得、環境企業として再生する為に以下の3つを取得することを目指す。通常3年を目途に実施に取り組むが、社長の決めた期限は1年、これでISO 900(品質マネジメントシステム)、ISO 14001(環境マネジメントシステム)、ISO 45001(労働安全マネジメントシステム)3つを総て取得することを目指した。もとより現場従業員は英語力もそれほどない。そこへいきなり国際規格を持ち込まれてもという気持ちもあり、煩瑣な手続き内容や慣れない事務処理や規則による拘束、チェックに対する反発などから、辞める社員も続出、会社は、他者との関係も先細り経営危機に陥る。それでもナクラ組二代目社長、葵は基本的主張を変えない。然し同時に手本にした山口 京子(同業で日本で初めてISOを採用しV字回復を果たした(株)グリーン環境社長)に直に会い話を聞こうと、何度も山口が社長を務める会社を訪れていた。ニ人が出会うシーンが今作の転回点であり肝である。この時の会話で葵は、人の上に立つうえで最も大切なことは、リーダーシップではなく、マネージメントであることに気付く。マネージメントとは、人を差配することではない。多くの日本人が勘違いしていることだが、マネージを管理と訳し違えているのではないか? 全く違う、管理ならば対象は人では無い。品質管理という言葉一つ取り上げてみれば分かるように対象は物である。マネージとはカオティックな現実の中で何とか人々をエンカレッジしてインセンティブを高め、エンパワーメントすることによって各自の能力に自信を持たせ、各々の創意工夫が伸ばせるような労働環境を築きあげることである。即ちサーバントリーダーとして振る舞うということに尽きる。これができない代表例が日本の官僚や「エリート政治屋」である。この点を、演じられた実例によって示している点を、都合よすぎと観る観客が大勢居ることは目に見えているが、そんな些末的、既存体験のみによって判断すべき所に我々は居ない。実際には、第3次世界大戦が何時起ってもおかしくないし、その結果も第2次大戦までとは比較にならないほど悲惨であることも容易に想像がつく。放射性核種による悪影響、DNA改変によって新たに創られ、予防薬も対処療法も軍事研究に携わる者以外に知られていない生物兵器の悪影響、ラボレベルでは開発され尽くしたと言われる一般には未公開の化学技術が用いられた化学兵器による悪影響、戦争による環境の重大な悪化などが極めて長期に亘ることも当然予想の範囲だ。こんな悲観的な未来を変えて行く為にも我らは今、日々の生活を見直しフォーディズムの齎したマイナス面をキチンと根幹から是正してゆくヴィジョンを持たねばなるまい。その為のヒントの一つが提起されている点に今作の意味がある。

夏休みの友たち

夏休みの友たち

ハグハグ共和国

萬劇場(東京都)

2019/08/28 (水) ~ 2019/09/01 (日)公演終了

満足度★★★★

 一見、勘違いしそうなタイトルだが、友達ではなく、友たちという所に深い意味がある。(華4つ☆)

ネタバレBOX


 自分は、自然が好きな人間なので山も海も散々出掛けてきた。国内の海では伊豆大島、青ヶ島、八丈島、小笠原、沖縄本島、西表、鳥取、溝のような汚い水は嫌いだが油壷や湘南各地、猿島、鎌倉は仲のいい先輩の本拠地だったので年中行っていたし、館山や外房にも出掛けている他、東尋坊、気仙沼、北海道は釧路近辺、札幌近辺、小樽等。山は矢張り信州が多い。生まれが関西だから六甲は、実家が在った場所でもあり、散歩がてら年中登っていたし、最初に通った大学は京都にあったから北山、東山三十六峰のうちの幾つかは生活空間、散策の場所でもあった。好きなのは1?だ(敢えて名前は上げない。荒らされるのは嫌だからだ)。自然が良く保護されている。鳥取は大山と鷲峰山が好きだが、三徳山、投げ入れ堂も大好きな場所だ。自分が鳥取で泳ぐのは良く水死人が出る流れの速い場所で、大物が居るから素潜りで魚を突くのが得意な人は探して行くと良い。上に上げた青ヶ島も水死人は年中出るし、自分が行った頃には、まともに上陸できる場所が無かったから、準備がキチンと出来なければ岩礁で傷だらけになることは覚悟した方が良い。海流も3ノット以上のスピードがあるから、流されればアメリカ大陸迄行っちまうぞ! 無論、助かるまい。何しろ岸辺から鯨を見掛ることもある外洋の央の島だ、釣り人垂涎の地だが、ホントに死人は年中出る危険地域である。よほど泳ぎと装備に自信がある人以外は絶対行かないように。山でも海でも街でも自分は危険の無い所に大した魅力は感じない。生きてる気がしないからである。多くの人にとって日常は、何ということも無い唯安心できることが過ぎて行くことを信じられる時空である。だが、自分は、例えば丹沢辺りの低い山の岩場でハーケンを打ち込みながらロッククライミングをやる時でも、オーバーハングしている岩場で、落ちたら死ぬかも知れないという緊張感を味わいながら登ることこそ、目的である。逆説的かも知れないが、こんな場所に生えている苔の緑を目にする時、これこそ命の色であると深く実感するからだ。本格的に登山をやった訳ではないから、岩はトウシローだが、このように命懸けの時、所での実感程充実感のある体験を自分は他に持たない。新月の晩、船の舳先に独り立ち、南洋の降るような星と夜光虫の光がないまぜになって海と空の境目が分からない中を航行していた時の圧倒的な抱擁感も忘れられない。まるでたった独り宇宙の只中を彷徨うような気分であった。
 今作では、自然のこのような包容力や優しさが瞬時に変わり、その結果、トラウマを負って40年間記憶を消していた元小学6年生たちが40年後に記憶を回復する様が描かれるが、ありきたりの日常が如何に貴重で「非日常」的であるのか、その奇蹟のようなありきたりの尊さを描くことで、人は傷つき、それを見まいとする弱さを持ち、掛かるが故に遠く近く木霊するきな臭い現状を座視している現状を示唆しているようでもある。
TOKYOせんちめんたるジャーニー

TOKYOせんちめんたるジャーニー

劇団アルファー

武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)

2019/08/27 (火) ~ 2019/09/01 (日)公演終了

満足度★★★

 う~む、脚本、演出、キャスティング、演技何れも全体としては中途半端に思えた。(音楽関係は良かったので華3つ☆)

ネタバレBOX

 良かったのは歌と演奏だが、ちゃんとできているのはカルテットとソロで歌う3人の内2人、タップはステップをキチンと踏んでいないように思った。演技的に気に入ったのは亘役。あそこまでポップではないが、自分が世話になった先生は、頗る頭の切れる、而ももし喧嘩になれば殺すか殺されるか、獲物を使わなければ先ず殺されるであろうほど強いが、極めてデリケートで苦労と様々な体験に揉まれた、あるジャンルでは日本でトップの実績をも持つ優れた人間であったから、周りの総ての人々から一目も二目も置かれるひとであったし、ご存命の現在でも慕われつつ尊敬される人である。無論、自分も今もってお付き合いさせて頂いている。
ゆらり獏

ゆらり獏

不定深度3200

ART THEATER 上野小劇場(東京都)

2019/08/22 (木) ~ 2019/08/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

 作・演の東野氏は理系の人だが、随分文化系の本質も理解してきているように思う。夢を語る際の役者達の独特の動きも凄く気に入った。(華5つ☆)2019.8.26 若干追記

ネタバレBOX

 板奥に黒い衝立を立て、その上下が出捌け口になる。板上は縦長の木製机が中央奥に据えられ長辺は側壁と平行である。矢張り木製の椅子数脚。板は客席に近い部分が半円形に迫り出す形で、机・椅子は木目をそのまま活かした作り。その他は黒ベースで落ち着いた雰囲気を作り上げている。原案として用いられている漱石の「夢十夜」は、この希代の天才作家の面目躍如たる佳作だが、夢という不可解な現象を用いることによって、当時未だ人口に膾炙していなかった実存の根底に横たわる不可解と其処からマグマのように吹き出し続ける不安が人々にキチンと伝わるように書かれていることも今作の作・演出を手掛ける東野 航平氏が採用した原因であろう。無論現代に於いてはこの実存的不安は既に多くの人々に乗り越えられたと錯覚されるに至っている。人々は煌びやかな街明りの中に暮らしながら寒暖、飲料水、飢えなどに怯やかされることも無く利便性を享受しているように考えられている。少なくとも先進国中間層の人迄は。だが便利になった世の中で本当に起っていることは、人々の目に映りイメージされているように明るく清潔で経済的にも安定し快適なものだろうか? であれば何故、多くの若者が好きな人が出来ても結婚することも出来ず、将来を設計出来ずにいるのだろうか? 無論、現在海外に銀行口座を持っているような人は日本のコンビニに設置されたATMで日本円で金を下ろすことも安く簡単にできる。電信を使えば今でも数千円は掛かるだろうが。このようなことも実際大した手数料も掛からず、素早く、殆どいつでも簡単に出来ることは確かに便利である。然しながら利便性を享受するだけの人々が実際に今置かれている社会的位置から、熟練や高い技術を必要とせぬ低賃金単純労働者へ一方通行の転落をしないと誰に保障できよう。無論、背景には現在世界の銀行の多くで採用されている金融システム、信用創造システムの成長を強要される問題が横たわり、このシステムの故に例えば準備率10%とするとその10倍のバーチャル経済が少なくともマネーストックとして現実に機能し一旦不況ともなれば銀行の取り付け騒ぎが起こるということがある。現在西側先進国が量的緩和に踏み切り、各国政府が借金漬けから抜け出せない根本的原因もここにあろう。

 何れにせよ天網にも例えることができるインターネットが光速で世界をネットワーク化し社会インフラとして機能している昨今、スマホを持ち歩くことは、常時GPSで所持者の位置情報、即ち行動情報を誰かに監視され得るということであり、人々は嬉々として自らの行動情報を垂れ流している事になる。様々なSNSだって個人情報が誰かに盗まれ利用される危険は常に付きまとっているのである。(これらの情報を個人情報として用いずとも企業は社会の動向を瞬時に正確に知ることが出来る為、何を何時どの程度生産し、何時、何処に下ろせば利潤を大きくし得るかのデータベースとして用いることができる。無論、嘘や偽情報等も在り得るからその辺りは係数化し修正すればよかろう)さて少し先程の話題、一方通行で低賃金単純労働者とされてしまう現代社会の解明に戻ろう。社会が大金持ちと貧乏人の2極になったということは良く言われるし、実感している方々も多かろう。これはどうして可能になったのか? 企業が利潤を追求することは誰もが認める所だろう。当然のこと乍ら各企業は最小の投資で最大の利益を確保しようとする。而も彼らは既に利潤を最大化する為に生産手段の改良だけに頼る必要が無い。何となれば労働コストを下げれは利潤率は高まるからである。先進国の労働者は賃金が高いから彼らを馘首し、代わりにIT技術の発達した現在ではその利用で少しノウハウを教えるだけで誰でも生産性を維持できるとしたら、労働コストのパーセンテージを同じにしたまま、労働単価の安い労働者に代えることによって例えば先進国の労働者が10$の時給で働いている時、途上国の人が1$の時給で雇えれば1人分の労賃で10人雇えることになる。生産性が10倍にはならなくとも数倍になったとすると企業の儲けは遥かに増えるわけだから利潤を追求することが企業の第1目標である限り、企業はこのような合理性に基づいて経営戦略を立て、実現するのが必然である。これが世界中で起っていることなのではないか? このような流れの中で勝ち残ろうとするなら、自らパラダイムシフトを起こせるような技術の開発者となって成功したり、起業して成功者となる他、中々具体的な案すら思いつかないのではなかろうか? 無論、新たな金融システムを立ち上げ、成功させることができれば、これも一つの手ではある。然し生命の危険を伴うことは確実である。リンカーンやJFK暗殺の真の理由がこの辺りにあるとの情報もあるくらいだし、信憑性もありそうだからである。何れにせよ、行くも地獄、引くも地獄逃げ場は既に何処にも無い。自死を除いては。これが我らが生きる現在の実相であるとしたら。経済的レベルから大多数の人々の生命そのものが怯やかされる世の中は、とっくに始まり、只管更なる収奪の道をひた走っているのではないか? 一般民衆は良くて奴隷、悪ければそれ以下の生活を強いられる貧民と成り果てよう。このような未来像こそ、東野 航平氏が「夢十夜」という作品の語り口の違いに気をつけつつ、原案物語の順序を変え、内容を編集、オリジナル要素も加えて現代の物語として再生している所以だと思われる。無論、明治時代を生きた漱石の感じていた実存の根底に蟠る存在の不安とも、それは、そのまま地続きである。
 おっと、余りに当たり前過ぎて書き忘れる所であった。歴史的に大量雇用を伴ってきた先進国の重厚長大産業は、既に国際競争力を持たない。彼らの持つ技術力でおいしく稼げるのは、軍需だけである。だからどんな手を使っても兵器を作り国外にも販路を伸ばして企業として儲けを出し存続し続けたい。だが我が国の場合、国内の販路は自衛隊だけ、基本的に言い値で買ってくれるから極めておいしい商売だ。然し市場が小さすぎる。どうしても輸出したいが、スペックとコストパフォーマンスは評価されても、命の掛かる戦場での実戦戦闘実績が皆無だから買って貰えない。そこで憲法改悪が画策される。当然、政権はその目論見を実現する為の駒で利益共同体である。歴史的にその国の社会を支えてきた重厚長大産業であるから利害関係のある支配層も多く、金融機関も彼らのグループに属して甘い汁を吸ってきた。目的は唯一つ、儲けることである。彼らは自分達の既得権益を手放したいとは思わない。当然、民衆などいくら死のうが関係ない。自分達の利益確保の為には、ということで戦争をおっぱじめようとしているが、食い扶持を失い自らの頭脳を用いて状況判断をし得なかった者は貧困に喘いでいる訳だから兵役に就くしかない、というシナリオだ。こうはならないことを期待したいが。
I s

I s

セツコの豪遊

梅ヶ丘BOX(東京都)

2019/08/24 (土) ~ 2019/08/25 (日)公演終了

満足度★★★★

 ハの字に並べられた縦長の机上には様々なサイズの書割が印刷されたA4サイズの紙が乱雑を装うように配置され、下手側では奥の椅子がかなり良く見えるものの、上手側では殆ど隠れてしまった状態である。書割が印刷されている以上、漫画というのは直ぐ分かることだが、タイトルにIが入っているのは、愛に関する内容で執筆を頼まれた素人漫画家が描く各挿話が、演じられる各々の物語の内容だからである。(追記2019.8.26)

ネタバレBOX

 残念なのは、愛の複数と捉えられていることで、それでしかないことである。I以外にmy,meもあるのにそちらには想像力の翼が及んでいないように思われ、その点がちょっと寂しい。己をもっと穿つべきだろう。表現する者であり続けたいならこの程度のことは当たり前だ。一つだけ例を挙げておくとしよう。Myで書くとすれば、愛の孤独について書くことも可能だろう。
さよならはめざめのあとに

さよならはめざめのあとに

劇団ハッピータイム

北池袋 新生館シアター(東京都)

2019/08/22 (木) ~ 2019/08/25 (日)公演終了

満足度★★★★

 タイムリーパー物というSF仕立てにしているのは、扱っている問題が極めて陰惨な問題・苛めだからだ。(華4つ☆)

ネタバレBOX

この取り上げ方に作家の優しさが見えると同時に社会的問題として見ようとする視座が見える。もう一段踏み込む為には、自分の大切な人の実際に抱えている問題として捉えなおす視座も必要となろう。そうすれば、世間が他人事としてしか見ないことへの批判的視座も持ち得るように思う。無論、更に多くのことについて悩まなければならないし、頗るシンドイ作業であるが、作家はできればそこまでコミットしたいものである。こんなことを書くのは無論この作家は視座の持ちようでそれも可能だと信じるが故である。
 By the way,現在この「国」で横行する陰惨極まる苛めに関わる多くの者達が、実は自らも何らかの問題を抱えているということを描いていることは評価しておく必要があろう。自分はかつて地域の住民運動に関わっていたので様々な問題に関与した。不良少年・少女問題での暴力、カツアゲから売り、堕胎、薬中、苛めや引きこもり、登校拒否、親子関係、DV等々、校内で苛めが問題視されないこと、差別等。現代日本が抱える問題の何から何までがあった。そのような問題の中でも苛めは、苛める側もそうしなければ自らが苛めの対象となるなどの恐怖を抱え、親たちが、自分の子を庇うことなどがあるばかりでなく更に悲惨なケースでは、家庭内暴力に親が為す術もないケースさえある。現在では発達したネットによってSNSなどで誹謗中傷が拡散され、事実無根の情報だけが拡散して被害者を追い込むケースが増えたから猶更である。
こんな状況を抱え、噂や故知らぬ悪意中傷に囲まれ乍ら我々一人一人は生きており、生きてゆかねばならない。その為に人々が考えることは強くなることだが、その為には不断にエンカレッジし続けなければならない。更に普遍的な場所に自ら行き着く為に人々より考え続けなければならない。その勇気を与えてくれる作品だ。
ナイゲン(2019年版)

ナイゲン(2019年版)

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2019/08/22 (木) ~ 2019/09/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

 本日拝見して改めて今作が訴えてくるものの実体を捉え得たように思う。(追記2019.9.2)

ネタバレBOX

それは、民主主義という考え方についての極めて本質的な質問であり、実践的ロールプレイング「ゲーム」であり、疑似体験を通した学びであると同時に愉しみである。問いが本質的で現実的である以上、答えは論理の純粋な展開だけでは終わらない。どういうことか説明した方が良かろう。論理を純粋に展開するならば、その論理の根拠にするオーダーを過不足なく的確なものに措定してあることは前提である。その上で論理を展開する場合、論理の唯一の展開とは尖鋭化する事の他にあり得ない。即ちラディカルに突き進む以外あり得ないのである。然し、我々は肉体を持ち、社会の現実の中で生きている。而も、ナイゲンは生徒の自主独立を重んじ、学校生活の中で文化祭に関してはトコトン民主的に運営することで、大人達からの干渉を避けよう、というのが本来このナイゲンの設立主意ということになるのではないか? この指摘が的を射ているならば、どさまわり代表の主張は至極真っ当なものであり、全会一致を旨とするナイゲンの主張に照らして極めてエキサイティングな討論となることは自明だろう。この程度のことは高校生にもなれば充分理解できて当たり前である。その上で、今作に登場するのは高校生であるから、親の庇護下にあると考えて良かろう。経済的にも法的にも自立していないので経済的・法的に自立している大人の意見には耳を貸さざるを得ない存在である。(この点こそ、我々は肉体を持ち、社会の現実の中で生きている内実であり、それは精神の目指すもの・ことと本質的に矛盾するのではないか?)その大人は作品には声のみで関わっているが、それで充分である。何故なら今作の眼目は登場人物達の精神がジェンダーという位相に於いてどの位置を占めているかを示せば充分だからだ。(そして主役はあくまで高校生たちだ。)平たく言えば如何に高邁な精神も社会的存在たるを得ないということである。唯一の例外、その主張を守る為の抗議の自死を除き。
 さて、このような条件を踏まえて“どさまわり”代表の方針転換を如何様に評価するかという点が最後の問題になるだろう。無論、ここで結果を示して舞台は終わるが、この判断が本当に正しいか否かについては観客が各々持ち帰って考えるべき宿題であった。答えは既に出ただろうか? 無論自分は自分自身の答えを既に出しているが、各々、熟考されたい。
瀬戸の花嫁 再再演

瀬戸の花嫁 再再演

ものづくり計画

ザ・ポケット(東京都)

2019/08/21 (水) ~ 2019/08/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

 タイゼツベシ観る!!! 華5つ☆の 傑作!!

ネタバレBOX

 自分も島に住んで居たことがある。だから、その良い所も悪いというか不便な所も良く知っているが、第三の故郷としての愛着も強い。島の人々の心根は純朴で何とも言えぬ温かさと優しさがあって、都会のすれっからしの自分達の心に深く、深く沁みる。そんなこともあって、自分の周りの連中の中にも島の娘と結婚した者は多く、嫁の故郷である島で生涯を過ごす者、定年後は島に移住してしまった者らも何人も居る。パーセンテージで言うと7~8%にはなろう。かなり高くないか? 自分は、海も東京湾のような溝には入らない。汚すぎて入る気がしないのである。どこかの島か、裏日本の海水浴場では無い所で泳いだり潜ったりだ。外房はケースバイケースだが、矢張り汚く感じる。
 By the way,序盤は、こんな島人の素朴で飾らず、ちょっとぶきっちょで純な様子が淡々と描かれ溜めが充分に効くまで長めの助走が入る。この溜めが後半一気に爆発するのだが、この爆発力が凄い。島人のメンタリティーを良く理解し、都会から流れて来る人々の辛い体験や気持ちもリアルに掬い取って笑わせ、泣かせる傑作。流石に再再演作品であある!! 島の景色の美しさも、ホントに住んだ者には良く分かる。自然の持つ、厳しさそして優しさ、類稀な奇蹟としての命の尊さなどをじっくり噛みしめるにも最良の場所が島であり、共に語らう楽しさや島酒の旨さも島人とならではである。
光の祭典

光の祭典

少女都市

こまばアゴラ劇場(東京都)

2019/08/21 (水) ~ 2019/08/27 (火)公演終了

満足度★★★★

 板上は直径4m程の円盤の上にひと回り小さい円盤を載せたオブジェが中央に据えられている。奥の壁上方には、体育館の高所に設えられているような落下防止柵のついた狭い通路が在るが用いられない。但し、ここの色彩は黒、円盤天板は赤、胴は黒で色彩の表すイマージュは背負っている。それは表象の意味する所は異なるにせよ、スタンダールの「赤と黒」のうち“黒”が赤い金魚の背鰭と尾鰭に入っていると科白に現れていることで明白だろう。何れにせよ注意深く観るべき作品である。(華4つ☆追記後送)

「RE:道先案内人~ハジメマシテ死神デス~」 「終・道先案内人~ゴキゲンヨウお別れデス~」

「RE:道先案内人~ハジメマシテ死神デス~」 「終・道先案内人~ゴキゲンヨウお別れデス~」

幻奏ボレロ

新宿スターフィールド(東京都)

2019/08/16 (金) ~ 2019/08/23 (金)公演終了

満足度★★★★

 ~ゴキゲンョウお別れデス~を拝見。(華4つ☆)

ネタバレBOX

 この小屋にしては随分凝った舞台美術。奥には 分度器型の大きな半円形の物体が壁に張り付くように置かれその中央に向かってこれまた巨大な十字架のようなオブジェが横たわる。プロセミアムアーチが手前にあり客席と舞台を劃然と分かつ。
 ユダヤ教、キリスト教、回教の神は、人間との間に契約関係を持つ一神教で、この3つの宗教はイスラム教解釈では、同一神を崇める兄弟宗教であり、ユダヤ教は予言者としてモーゼを、キリスト教はイエスを、そしてムスリムはムハンマドを持つ。今作ではこれらの宗教群の契約概念と仏教の持つ輪廻転生や因果律の概念をないまぜにした世界観に人間実存の儚さ、切なさ、不安という底なし沼の只中に在る孤立を対置し契約を支点にしながら各々の利害対立、目論見実現の為の駆け引きと闘争、フェイクを交えた情報戦などが交叉し合ってある種の神経戦及び推理合戦と実践的組手合戦が展開してゆく。ノアの方舟やソドムとゴモラをベースにしたような神による世界の作り変え(リセット)、と契約(その要素として人間、人間が変異させられた死神、彼らが辿る道行道程中の避け難い工程や死と不死等の因果律、転生に組み込まれた仏教的概念)が複雑微妙に関与し合っているように見える所が、観客を惑わす階層的仕組みであることさえ見抜けば、後は比較的詩的な科白をその情緒的効果に惑わされずに切開することで本質は容易く透けて見える。唯、この透けて見えてくる本質が、極めて切実で実存の持つ本質的な存在の不安、宇宙の只中に唯一人屹立するような耐え難い不安であることに今作の要があると言えよう。その点が今作がそこいらにいくらでも転がっているチャラけたファンタジーと異なり、大人の苦い経験を味わった者にも共感を齎す苦味の持つ深い味わいを感じさせる所以である。
もっと表面的な言い方をするなら創造主の絶対に対し愛と情と死を考える力によって人間となる我々が、他の人々(つまり仲間)に忘れ去られることを含めた消滅の危機を対置して戦う物語と観ると良かろう。ここで少し深読み要素を加えておくなら、現代日本で暮らす東洋人である我々の意識が恰も「名誉」白人の意識であるかの如く物事の判断基準の根底に一神教(主としてキリスト教だが)が第1基準として設えられている点だ。
 而もアイロニーではない。この点に作家の意識せざる我々の位置表象が現れていると解釈すると面白かろう。
さいごのおうち

さいごのおうち

神保町花月

神保町花月(東京都)

2019/08/16 (金) ~ 2019/08/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 タイトル自体実にニクイね~、と言いたくなるような味が出ているのみならず、ひらかな表記がいいね。旧盆に合わせて、総ての挿話の舞台は墓場で展開する辺りも心憎い。褒め言葉ばかりじゃ癪だからくさしてやりてえんだが、くさす所が無い、ってのがクサしかねえ。おあとがよろしいようで。(追記後送)

肉体だもん・改

肉体だもん・改

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2019/08/17 (土) ~ 2019/08/26 (月)公演終了

満足度★★★★★

 初日を拝見。拝見しながら「東京セブンローズ」(井上 ひさし)さん作の小説と随分イメージが重なり合うことに驚きながら拝見していた(物語細部については、後送)

ネタバレBOX

が、無論、それは“血桜団”、“ベビードール”のメンバー達の男達に投げつける科白に込められた掘り尽くせない程に深い怨嗟と絶望、生き残ってしまった事へのオトシマエのつけ方の正しい選択の結果が、正鵠を衝いている所から来る。余りにも有名な孫子の言葉に「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というフレーズがある。この1行の内実は“正しい情報を過不足なく認識し、合理的に情報を用いる”べきこと、即ち事実に基づく情報戦こそ、勝敗を決するという極めて理知的・合理的な判断を示したものだと言えよう。然るに日本のやったことは、今を見ても明らかなようにそれとは真逆なことであり、根本的には、このことが完膚なきまでに日本を叩きのめしたのである。女性達の科白には、男が齎したこのだらしない結果の核心を衝いた批判が至る所に現れているのだ。
 もとより演劇の持つ娯楽的側面は、興業的にもまた仕事帰りの観客に振り返ってもらう為にも、また民衆演劇のみならず日本のエンターテインメントを支え続けてきた浅草の持つ歴史的・文化的・風土的・宗教的。庶民的磁場性に於いても極めて大切な要素であるからドガドガ+の公演にもそれは毎回活かされているが、今作は、その傾向が歴代作品の中でも濃いように思われる。{(無論、その分ダンスや正面奥の壁の一部が発光、物語の進展の内容に応じて内側から様々な色調で変化する演出)、ミュージカル的要素のブラッシュアップなどの進歩、劇団メンバーの成長による演技力、身体パフォーマンスの向上等もある}が、望月ワールドを真に味わう為には、今回各細部に分かる者には分かるという形で埋め込まれた様々な仕掛けにも気をつけて観るべきだろう。オープニング早々、沖中がシャブを打つシーンがあって観客の笑をとったが、このシーン、多少オーバーな身体表現はされているものの、シャブ中には親しい感覚を見事に形象化している。というのもシャブはアッパー系ドラッグの代表格とされる麻薬であるから、打った時の感覚は当に髪の毛が瞬間総毛立つような感じになるという。(シャブ中から聞いた話だから信じている。)また、当時合法的に薬局で売られていたヒロポンの名も休憩中にチラリと囁かれる(その危険性についても無論だ)。{何故、シャブのように危険な麻薬が合法的に売買されていたのか? 特攻隊の兵士らに死の恐怖から逃れる特効薬として用いられていたからであるという話は、安藤昇が書いていた。(軍部が計画的に用いていたからシャブ中になって復員した特攻隊帰りなどの元兵士に供した訳だ。)その他、ダウン系の代表である阿片等も戦争資金調達の為、戦地で負傷兵の痛みを緩和する為、人倫は決して許さない行為をなす為に、兵士が己の内部にある人間性を殺す為など様々な理由で用いられた。戦争が始まればドラッグが常態化することは常識である。1銭5厘で徴兵され、拒否したりすれば本人が非国民呼ばわりされるのみならず、特高に追われ捕縛・拷問・入獄或いは最前線送り(ある体験者から伺った話では生存者僅か1%)家族・親族迄地域から八部にされ、住むことさえ適わなかった日本の馬鹿げた宿亞(当に宿亞としか言いようがない。日本は千年以上も前から社会制度、様々な技術、文化の根底を為す文字、数学の基礎である数の概念や表記法、政治体制、生産体制等何から何まで最も根本的なことを日本人以外の発明・発見を横取りしハイタッチレベルで加工することで調子よく生き抜いてきただけだ。パラダイムシフトを起こせるような人が生まれたとしても社会全体で潰してきた。即ち自分の頭で考えもせず、考えたとしても実践してこなかったし、その結果を想像することさえできぬ愚か者と化したのである。これを宿亞と謂わず、何と言おうか? その結果が現在の体たらくである。グローバリゼーションを技術面で支えているのがインターネットで、グローバリゼーションを牽引しているのは無論、パラダイムシフトを可能にする技術を開発した人々をサポートする先見の明を持つ資本家たちを擁する地域の人々である。彼らは不特定大多数にインターネット以前には考えられなかった利便性を齎したが、それは同時に熟練労働者や深い経験を持つ者が不必要となる利便性であったから、企業の目的(利潤獲得)を最適化する為に高賃金労働者を馘首し低賃金労働者を多数雇うことによって全体の生産性を上げ、労賃コストを一定に保ったまま収益を上げ続けているのだ。)無論、嫌が上にも増した剰余価値は、資本家・金融機関オーナー・関係者、投資家、開発技術者など全地球人口の1%にも満たない人々に流れている。それが二極化したと言われる我々が生きる社会の実態だろう}今に至る日本の体たらくを是正するチャンスであった敗戦時以降数年の歴史をベースに描かれた今作は、ここに上げた現在の我々の生活にも直結しているという所迄読み込むならば、極めてシリアスな人間喜劇としても見えてくるハズだ。
’72年のマトリョーシカ

’72年のマトリョーシカ

風雷紡

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2019/08/14 (水) ~ 2019/08/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 無論、元ネタは現実にあった事件。

ネタバレBOX

「あさま山荘」事件である。極左とされる連合赤軍事件で左派と呼ばれているのは、永田 洋子を中心とした京浜安保共闘。連合赤軍はこれに森恒夫を中心とする赤軍派が加わり共闘組織という形を採った。無論、世界同時革命を標榜しPFLPと連帯した重信 房子らとは別系統だ。赤軍メンバーは知的レベルの高いメンバーが多く理論家肌のメンバーが多かったとされる。人間的にもトロツキスト・理想派が多かったようである。これに対し京浜安保共闘は実際に京浜地区の労働者が多かったとされ、理論よりは実践派、行動的なメンバーが多かったようである。粛清されたメンバーは主として永田の嫉妬心を刺激した為殺害された者が多かったと考えられるが、形式上は、所謂総括の論理による刑死であった。無論、その論理に整合性も社会科学的根拠も無いことは明白である。革命左派というより、寧ろ宗教に近かろう。然し、今作の提起している問題の核心はそんな所にない。寧ろ、日本及び日本人の極めて深い所からその判断、行動を規定している規範を俎上に載せていると見るべきだろう。その規範とは村の掟即ち、それを犯せば村八分という憂き目をみる諸々の慣習並びに卑怯な判断を内的に正当化する為の詭弁である。これを顕在化する為に極めて効果的にじゃんけん歌が用いられている。そしてこの卑劣は、現代にも脈々と息づき我々日本人の多くを盲目的に縛っているが、それは例えば苛めに、或いは幼児虐待に、或いは在日外国人差別に、被差別部落出身者差別に、と至る所で顔を出す。それは、現在世界中で猛威を揮うグローバリゼーションを技術的に支えるインターネット環境下でも日本人に不利に作用している。どういうことかというと、例えばパソコン作業に用いられる様々なインターフェイスの開発者たちは莫大な利益を享受するが、開発されたソフトを用いて利便性を享受し続けるだけの人々は、利便性の高まった労働現場では、経験や技術力を必要としない単純労働を担う労賃の安い人々に代替され職を失ってゆく。而もこの動きは好況、不況の波の中で採用人員や採用条件が上振れするという希望も持てないままである。何故なら生産手段がほぼ飽和状態迄開発された現状では、利潤を追求する企業経理上で採算を上げる為には労賃を安くする他道が無いからである。他に社会の中流に居る人々がまともな収入を得ようとすれば、起業して新たにニッチなレベルで確たる地位を築くか、取り敢えずインターフェイスの新ソフトを開発して利権を確保するとかしかあるまい。でなければ、単なる「便利」の享受者として社会的弱者への道を転げ落ちる他無い。そしてこのような開発力を持つ人間にはある種の共通項がある。MIT,IIT等のエリート校に多いタイプ、nerdである。日本はこのタイプの人々を潰しこそすれ、育てるなどということをしてこなかったし現在もしていない。日本人であってもこの手の人達は既に海外に拠点を移し、多くは戻って来ない。意味が無いからである。このような人材を大切にできないどころか潰すことしかできない日本に未来が無いことをこそ、今作は告げているのである。公安が人質にされた若い妻に証言を変えさせる経緯にもその穢しさは露骨に表れている。
丹青の新・牡丹灯籠

丹青の新・牡丹灯籠

深川とっくり座

江東区深川江戸資料館小劇場(東京都)

2019/08/16 (金) ~ 2019/08/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 自分は幼い頃、深川の長屋暮らしをした経験がある為か、下町が好きである。

ネタバレBOX

ガキの頃は縁日と祭り、喧嘩神輿が大好きで良く出掛けたものだ。喧嘩神輿は死人が出ることがあった為禁止されてしまったのが残念で仕方なかったことを良く覚えている。権威や権力を笠に着る連中とマッポが大嫌いなのは、こんな育ちの所為かも知れない。何れにせよ、下町の人々の持つ温かさが好きなのだが、とっくり座作品にもこの下町独特の温かな人情がいつも滲んでいる所が好みなのだ。今作でも生き延びた新三郎が屑拾いをしながら没した船から落ちたおつゆ、おちよを地を舐めるように何年も探し、近隣の寺を回って無縁仏を調べた挙句見付からず、おちよの忘れ形見・おきみを育てながら20年を過ごした後、偶々、長屋の者が野ざらしになっていた白骨を供養したことから縁あっての再会となり、おつゆらの身の上話を長屋の者らが聴くに至ったものの、新三郎はご隠居との将棋の約束があって会う事が無い辺りのじらしも上手く、逢瀬の段になって直後に、あの世とこの世の定めに泣く泣く従わざるを得ない場面での命掛けの恋相手との別れ、親子の別れの痛切な痛みは胸を撃つ。この時の照明も実に良い雰囲気を醸し出していて感心した。役者陣のこなれた演技も良い。彼岸へ旅立つ刹那、おつゆがリクエストする兎の歌も何とも言えない間を作り出して効果的。

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