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第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2020/06/13 (土) ~ 2020/07/12 (日)公演終了

満足度★★★★

第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 2日目
 2日目も、出演は3組。出演順にⅠ:加世田剛さん Ⅱ:藍木二朗さん Ⅲ:巻上公一&伊藤千枝子さん 3作品総合評価 華4つ☆

ネタバレBOX



I:加世田さんの演目は「Bio」、生命とは何か? 何の為に生きているか? を問い言語化し得ないもの・ことを身体パフォーマンスで表すことを目指した。武術的ダンス劇団“SPINNIN RONIN”を主宰する他、映像・舞台を融合させたパフォーマンスグループENRAのメンバーでもあり、全米武術大会で3度優勝の輝かしい経歴を持つ。
 身体能力の高さ故か、動きに軽みが感じられる。背景に流れる音響は、英語で語られた様々な演説などを分解再構成したものが主で、話者の声質の高低が身体パフォーマンスと可成りマッチし、現代のパフォーミングアーツや二次元芸術の流れともマッチして居る為、自分には情報の海に溺れ漂うépaveのように感じられた。音響に南部の黒人女性シンガーの歌うゴスペルのような憂いに満ち荘重でもある音響を入れ、武術の動きを対比するように剛の動きを入れ、今作の主たる動作であった柔とも対比させたら尚面白い作品に仕上がったように思う。殊に最近の表現は歌唱や絵画・写真・映像など2次元表現にしても、他の現代作品の引用や、コラージュなどが多いように思われるばかりでなく、余りにありきたりで陳腐な価値観に収斂する作品が多いように思われる。バンクシーも結構様々な作品やキャラをベースにするが、彼が根底に持っているアンチ消費社会性や、絶望に打ちのめされた人々の持つ昏い目の描き方の持つ衝撃力、彼自身の視座としての皮肉な眼差しなどが、彼の作品を独自なものにし、際立たせている点で凡庸な表現者の追随を許さないのだろう。日本人の特徴の一つとして体制順応、言い換えれば寄らば大樹の陰的な発想があると考えられるがアーティストにとっては矢張り独自性の方が大切だろう。己の表現の独自性を更に追及して欲しい。4つ☆
Ⅱ:藍木さんの演目は「変異体少女」当パンの説明には、“一人の少女が、世界に背を向け、サイバーデータ空間に、引きこもった。新たな種族になるために。”とある。が自分は、基本的に当パンを読まずに舞台を拝見し勝手な解釈をするのが楽しみの一つということもあってこの文章を書くまで当パンに目を通さなかったのはいつも通り。で、変異体という単語に接して一番最初に浮かんだのは、F1人災による突然変異である。が作品を拝見しつつ感じていたのは、音響が宇宙飛行士と地球の例えばNASAとの交信のように思えたことも含めて宇宙空間で殆ど絶対的な孤独という体験をしながら無重力空間を彷徨う少女のイメージであった。話は変わるが踊っているのは男性なのだが、セーラー服を着ての踊り方は実に女性的に見えた。ところで歌舞伎では現在女性も男が演じている訳だが、所謂女形の歌舞伎役者に言わせると、女を演じるのではなく、男の中にある男性性を殺すのだとのこと。実際に我々ヒトは、男性であっても女性性をも持ち、女性であっても男性性をも持っている。その身体的特徴を殺すことで己の身体の中にある逆の性を表出させる訳だ。当然、実に自然な演技になる。自然に見える演技こそ、最も難易度の高い演技ということと同義であるから、歌舞伎役者の表現力は極めて質が高い。そんなことも想起させる舞台であった。華4つ☆
Ⅲ:巻上公一&伊藤千枝子さん。演目タイトルは「チャクルパ5アルハラララーイに声の雨」巻上さんはヒカシューのリーダーとして著名な方だからご存じの方も多かろう。極めて個性的な表現力を持つ多芸多才のアーティストである。ダンサーは伊藤さん。“珍しいキノコ舞踊団”を主宰しダンスは無論のこと、振付・演出・構成まで手掛け国内外で活躍してきた方だからご存じの方も多かろう。基本的には、カムチャッカ半島に住む先住民の祭り・アルハラララーイに呼応した巻上さんの喉声・所謂口琴を用いた音響パフォーマンスなどに、伊藤さんが連動したダンスでコラボするという公演で、お二人の個性が見事に交感してユニークで高品質而も愉しい時空を提示した舞台は流石。華5つ☆
第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2020/06/13 (土) ~ 2020/07/12 (日)公演終了

満足度★★★★

 シアターX主催公演なので各回たった1000円で観ることができる。次回は20日14時半開演。詳しくはシアターXホームページで。
 尚、初日は3作品を上演したので☆はトータル評価。各作品の評価は作品ごとにつけてある。

ネタバレBOX

 今回で14回目を迎えるシアターX国際舞台芸術祭(IDTF)2020。初日の6月13日14時半開演の公演を拝見してきた。3カ月近くも生の舞台を拝見していなかった我ら観客にとって、虚ろが世界を吸い込むように強烈な感覚と共に入り込んでくる生身の人間の持つぬくもりや3次元空間の広がりを、ダンス・パフォーマンス・音響・光・衣装の色彩等々に触発された我々の想像力が補完して舞台芸術を完成させるという、普段多くの演劇や舞台作品を拝見してきた者にとっては、当たり前の理屈になっていたものが、魂の渇きを癒す石清水のように流れ込んでくる感覚は、当に桃源郷もかくあらん、と感ずるほどのものであった。
初日の演目は3作品。今回のメインテーマは、 “『蟲愛づる姫』(「堤中納言語」に所収)とBiohistory=生きものの物語”と題されている。これは、第13回(2018年開催国際舞台芸術祭)のテーマが“かぐや姫avecアインシュタイン”だったことに呼応している。因みにかぐや姫の登場する「竹取物語」には紫式部も言及しており、日本の物語文学の祖として極めて高い評価を与えているが、それも当然のことと言わねばなるまい。何となればこの物語には、日本の物語の総てのパターンが祖型として組み込まれているばかりでなく、極めて効果的に組み合わされることで物語としても超一級の名作となっているからである。無論、「竹取物語」同様現在まで古典として残っている「堤中納言物語」も名作であるが、これほどの傑作が何故か二作品共に作者不詳であるという所が奥ゆかしいではないか。
さて、そろそろ上演作品各々の解説・評と参ろうか。
Ⅰ:「装蛾舞戯Moth Gathering」 ジェフ・モーエン&奥山 由紀枝さんのユニット、毛円ダンスの公演でシアターXのIDTF出演は2018年に次いで2度目だ。振付をモーエンさんが、衣装を奥山さんが担当した。この2人のダンスは、ゆっくりした動きの中にこそ活きる鍛え上げた身体の齎す見事な身体の力学的緊張をベースに、考え抜かれ極めて理性的な所作の展開と、用いられている十二単の色味を基礎にした赤・青・黄・紫などを繋ぎ合わせた大きな方形の布を用いつつ、蛾が命の盛りに炎の中央に吸い込まれてゆく習性をも織り交ぜ、この地球に生きるありとあらゆる生命の象徴として、誕生から死までを、そして再生をも表現したような作品であった。無論、身体表現以外の色彩、照明、用いられている音楽とのコレスポンダンス迄見事に融和し調和した傑作。評価は華5つ☆
Ⅱ:フランスのニナ・ディプラさんが2013年から毎年、来日してシアターXで行ってきたワークショップ参加者の中から4人の役者が集って演じた。ユニット名はニナ・メイツ。作品タイトルは「ニナ愛づる者たちのBIOhistory」全員ダンサーでは無いから作品コンセプトをどのように纏めるか? について迷いもあったのかもしれないし、コロナ騒ぎで大変な点もあったとは思うが、国も殆どの自治体も非科学的で非合理的即ち頓珍漢な対応しか取れなかった(和歌山県と鳥取県を除き)状況の根源にあるものをこそ、表現する者の持つイマジネイションや哲学で解き明かし舞台化してほしかった。4名のうち、男性が1名、他は3名の女優さんたちで、若いということもあるだろうが、表層レベルの表現に終わった点は、熟考の余地があろう。そういえば亡くなった小田 実さんが生前面白いことを仰っていた。民主主義というものを考える時、例えば多民族国家であるアメリカやフランスのような国を人種の坩堝と考えるより、サラダを考える。即ちメルティングポットのように各々の個別性を綯い交ぜにしてグチャグチャにしてしまうのでなく、個別性はキチンと活かしたままで全体として上手く機能するような社会、それが真に目指すべき民主制ではないのか? というような発想である、三密を避けるなど自分自身に向き合ってゆっくり考える時間はあったハズである。国も自治体も有効な策を採れないならば自分たちの頭でじっくり考えて新たな案を提案すること。これもアーティストの役割だろう。基本は、現在最も危機に陥っているファクト自体を探り当て、見極め、コロナ問題であれば、医学・科学・社会学・心理学・情報リテラシー・情報共有方法・プライバシー保護方法・対処療法収集及び分析・生活保障方法などの対策を具体的事実を集積すると同時に分析しその結果を活かしつつ新たな情報、情報共有手段ネットワークを構築、事実のみから演繹された結果を合理的・科学的に統合しつつ、基礎になる感染症の基本対策即ち罹患者と非罹患者との隔離を徹底する為の罹患者集団の社会階層や職種、罹患条件の明確化を図ることによって次のステップへの合理的絞り込みの確立を上げる等々。即ちファクトを基に合理的検査手法の喫緊な実施と治験に繋がるような研究も為されなければならなかったが、それを実際にやったのは、本当に事態を憂い自分たちの頭を用いて考え実践した研究者、企業を含むサポーターたちであったのは如何にも日本らしい。文科省や厚労省がやったようにラボや大学研究機関を活用させない方法とは逆の徹底活用とスタッフケア等々及びジャンル横断的知の結集等じっくり考えて頂きたい。こんなに細かいコロナ対処を書いたのは、無論死と生の間で生きている間に自分と世界(自分を取り巻く状況や環境と言っても良い)との間に生きて働く思考を打ち立ててもらいたいからである。小田 実さんの「サラダ民主主義」の場合でも個々の自由を極力阻害せぬが他者に何でもしていいということにはならないような社会的器は当然創らなければならない。でなければ表現の普遍性に必然的に収斂するような作品作りにしなければ、少なくともアートとは呼べまい。サラダ的でありつつ、傑作とされるような芸術作品として自分はカンディンスキーの初期コンポジッションを挙げたい。このような作品をものする為にカンディンスキーは点・線・面という絵画表現上の根本的問題をキチンと考えていた。今作評価は☆3つ。
Ⅲ:仲野 恵子 「生命潮流未知=ライフタイドX-300才(歳)のおどる虫の女の子」仲野さんのソロ。300年を生きる虫の生々流転と見紛うような生命誌。年齢によらず、精神は童女。(女の童と表記したい所だ)用いられている曲も当に子供のような歌い方で歌われた童謡で、虫なのにメスではなく女の子とされている点や、ご本人のはにかみなどの全体が、舞台奥で踊ったこと等にも表れていて、キュートである。どちらかといえば感覚に頼る部分が多い表現者とお見受けしたがダンサーとして身体全体を躍動的に用いるのが常態であるのに、一瞬、左腕だけ脱力させたようなシーンがあって、これを方法化したら天才的な躍りになり得るのではないか? ということを考えさせてくれたダンサー。評価は☆4つ。
即興インプロ鍋

即興インプロ鍋

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2020/01/04 (土) ~ 2020/01/05 (日)公演終了

満足度★★★★

「ケイタ・ケイパフォーマンス」2020 1月 シアターX
 NYでダンス修行をしたケイタ・ケイさんによるワークショップ。基本的に参加者は舞台に上がり、講師の指導の下、様々なものになってみたり、様々な挙措を実践してみたりしながら、身体性に気付き、その可能性や表現に向けて己独自の動き、用い方などを編み出してゆく。自分は当日、熱があり、咳や鼻水も酷く風邪を皆さんにうつしてもいけないので観客席から拝見させて頂いただけであったが、有意義な時間を過ごさせていただいた。

白鳥先生と過ごした2日間

白鳥先生と過ごした2日間

enji

吉祥寺シアター(東京都)

2020/04/02 (木) ~ 2020/04/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

 後1回、4月5日14時開演の回を残すのみであるが、観ることができる方には観て欲しい作品である。(実際に実現可能な希望も描かれ、普遍性を持つ作品、こんな状況だが、大人の判断で観に行ってほしい作品である)

ネタバレBOX

 自分には2歳からの記憶がある。無論、それが余りにショックだったからであり、以降自分は、両親を信ずることの無かったガキであったから、家出常習犯、拒食、先公との喧嘩、授業抜け出し、反抗の他、無論同級生や上級生との喧嘩も日常茶飯だったから可成りの問題児だったのは間違いなかろう。
 今作の主人公とは、また別の屈折をしていた訳である。そんなこんなで、自分には多くの人が語って聞かせてくれるような家族の情愛というものに距離がある。長ずるに及んで、理屈では様々な事情を理解したし、普通に見える程度に親に接する常識も身に付けたは付けたがしっくりこないのは相変わらずだった。それで実母には気の毒なことをしたと思っている。自分が内戦の起こるような場所や紛争地域に関わってきた個人史にも、自分の個人的体験が関わっているであろうことは容易に察しが付く。危険な所で息づいている時、最も生きている実感を持つことができるのである。既にジジイになったから戦わずにやり過ごすことができるようにはなった。肩に、肘に力を入れなくとも自然体が取れるようにもなった。その間に悟ったことは、矢張り様々なアプローチが在り得るということと、ベトナムからの留学生・グエンさんの台詞にあるようにニコンと聞こえた台詞(サンスクリットのサンサーラ即ち輪廻転生のベトナム語)と彼女の実践する所とのコレスポンダンスは当に仏教の核心の一つだし、或いは今を生きることの大切を説く所など、イエスの教えと同じ考え方である。更にアントニオ(鈴木)さんはブラジル出身であるが言葉の上達に伴って、人の心の機微をキチンと理解することの大切さは、ブラジルも日本も変わらないと説き、関わる人との心を過不足なく理解することの大切をしみじみ語るシーンなどは、今作では多少おどけたキャラとして登場するものの銃社会ブラジルでは命の有無に直結するから実際には命懸けの話ではあろう。
 外国人では無いが、何くれとなく実際の息子たちより亀子の面倒を陰になり日向になり常に見守ってくれている佐藤の献身を見ながら、自分は永山 則夫を想起していた。無論、自分の体験如き永山 則夫の体験に比べれば塵の如き体験ではある。広く世間を見渡せるようになればその通りなのだ。然るに2歳で体験したことがずっと影響し克服するまで、それは我が魂に突き刺さった棘であったことも事実である。今作に登場するアユムの娘(実際舞台には登場しない)を含め、引き籠りが3人いるのだが、自分は問題児として登校していたもののメンタリティーはよく分かる。
ところで、佐藤の献身とその献身の意味する所を深く理解し、自らの精神も開放する形で対応する亀子他登場人物たちの他者を認める、命の大切を理解するが故に些末を許し、現在を懸命に生きることを選択する知恵に、嘘ばかり並びたてる為政者、支配層、媚を売る官僚などの下種を下に見て生きてゆく民衆の逞しさと知恵を描いて素晴らしい。
朗読劇『灯喬月塔』

朗読劇『灯喬月塔』

LUCKUP

新井薬師 SPECIAL COLORS(東京都)

2020/03/26 (木) ~ 2020/03/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

 天使の長が噛みがちだったが、神の使途だから洒落のめし、様々なことが初なので華4つ☆から、ご祝儀で5つ☆)

ネタバレBOX

 今作の扱っている問題は、現在世界中で起こっている移民差別問題と直結する。天使と悪魔という2元論は、その地に根を下ろして生活してきた地元民に対する移民と考えられるし、一応人間に対する言及はあるものの、実質、物語には関係ない点は、我ら人が神仏を仮構する如く人類を仮構しているのと拮抗する。また運命論によって予め決定された生まれ(悪魔として生まれるか、天使として生まれるか)は、変更できない。これは、いつ、何処に、誰の子として生まれるかは子供自身に決定できないのと同義である。この点も我々、現在、現実に生まれ生きている人間と同じである。
 人類は科学を進歩させ、今や天使も悪魔も人間の支配下にある。とはいえ人間も未だ輪廻転生の領域迄自由に操れるという訳ではなく、魂を創造することができるのは天使のみ。そして駆除できるのは悪魔のみなので自ずと役割が決まって世界は三つ巴の特性力学の中で拮抗しつつ動いている。とはいえ生きて動く現実の力学では、科学技術に勝る人間が優位なので2000年ほど前迄は互いに戦闘を繰り返し、互いに殺戮を繰り返した天使VS悪魔の間にも協定が結ばれ物語の時代には互いの居住空間の間に通路が開かれ行き来できる状態だ。実際、悪魔が天使界に、天使が悪魔界に居たりもする。
 一方、この時代、この空間にあって尚はみ出したい、決まり切った運命・宿命から自由でありたいと望む者達は矢張り存在する。悪魔の側にも、天使の側にも。
 魔王からそのポテンシャルを期待されている若い悪魔が居る。仮にAと名付けよう。彼は天使に成りたかった。然し生来の内気が災いして中々実行に移せなかった。そんな彼を、遊び半分、本気半分でずっと見ていた悪魔が居た。同世代のBだ。2人は友愛関係にあった。BはAを手助けしてやると約束し、2人は天使界へ出掛ける。そこでは天使の長Cが、後進達の指導に当たっていた。良い魂を授ける為には、魂を生み出す天使自身が高潔であらねばならない為、日頃の精神的鍛練が極めて重要なのである。だが後進達は、この指針に大きな不満を持ち、講義をフケル、出席しても一切身に付けるつもりが無い。然るにCは、分け隔てが無い性格でAの望みを聴き、Aの望みが天使になりたいことだと聞くと、Aを悪魔から天使にしてやることはできないが、かつての闘争で壊れてしまった月明かりの代わりに建てられた月塔の仕事は、本来天使のやってきた仕事故、良かったらやってみないか、と言ってくれた。月塔は天使の魂を1日10人分消費して生命エネルギーによって夜の下界を照らしているが、命の重みを知るAになら任せることができる、と信じた訳だ。月塔の操作室は最上部にあるが、階段は5千段、協定以降、悪魔を消去することのできる生命エネルギーは10%程度に抑えてあるものの、悪魔にとっては矢張り負荷がある。Aは毎晩、この塔の頂きに上っては務めを果たし、満足も得ていた。然し天使界の問題児達がAを追い出す為月塔の操作部品を外したりして故障させ、追い出しを図った。
 ところで、今作には、もう一つの層がある。魔王とA、魔王とB、魔王と不良天使の1人、Dとの関係である。種を明かせばAは魔王の息子、優しいAの潜在能力を開花させる為、魔王はAが天使界に入ることに目を瞑り、逐一Bに様子を報告させていた。AとBは本当に友達であるが、Aは魔王の子であることを明かしておらず、Bは監視の密命を帯びたことを明かしていなかった。Dはかつての闘いで悪魔に父を殺されたことを恨み、復讐を誓っていた。為にA追い出しにも加担していたのである。Dは決して言ってはならぬことをAに言った。生まれて初めて心底怒ったAの持つマイナスエネルギーはDを殺めてしまった。そこへ現れたCは、立場上及び矢張り抑え切れぬ感情からA,Bを追放してしまった。地獄に戻った2人は魔王に呼び出され、Aは本心を訊かれるが己の潜在能力を使う気持ちの無いことを宣言、父に不要と宣言され命を奪われた。先にAに殺されたDの魂は生まれ変わって悪魔になることを選択、地獄へ来ていた。父の復讐を果たす為に。(魂が召喚された時に悪魔を選ぶか天使を選ぶか問われ、魂自らそれに応えるので魂は生じた時点で既に意識的だということになるが、父の復讐という一念が例外的に強く思念として残っていたという解釈も可能、そして続く展開への布石でもある)
 その後久しぶりにBが、天使の長、Cに会いに来た。殺されたAの最後の様子を知らせに。この時、追放したことを後悔している彼女が寂しさを漏らすとBは「Aの弟である」かのような言葉を漏らす。ジョークだと笑ったものの、この辺りの余韻も含め物語を深くしている。(当然、AとCが憎からず思い合っていたのは、それまでに描かれていた訳だから)要件を済ませるとBは地獄へ戻った。殺されたAの魂は輪廻転生の輪の中からCによって召喚された。悪魔になるか、天使になるかの問いを、Cは発しない。代わりに彼女が問うたのは、Aの名であった。Aは、悪魔であった頃の名を名乗るが、これがただちに悪魔を選んだことにはならない終わり方である所がグー。(幕)
学園探偵薔薇戦士

学園探偵薔薇戦士

フリーハンド

萬劇場(東京都)

2020/03/25 (水) ~ 2020/03/29 (日)公演終了

満足度★★★★

 前半、砂糖過多。

ネタバレBOX

中盤からがストレートプレイらしい展開になる。執事役の溝呂木賢氏が中々器用な演技をみせるが、杏奈役、朝木さんの空手の型はなっていない。果林役の吉田さんは、行儀、合気道の動き共にグー。美羽役小野垣さんの動きはまずまず。ダンス部リーダー、倉田役の水嶋さんのソロダンスシーンがあるが、切れの良い動きを見せてくれる。
 薔薇戦士誕生の経緯を描いた作品だが、何があったかは終演後に書くことにする。
揺れる

揺れる

東京演劇アンサンブル

d-倉庫(東京都)

2020/03/25 (水) ~ 2020/03/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

 作家の多和田葉子さんと話をする機会が何度もあり、彼女が現在住んでいるベルリンの演劇状況なども聞き及んでいるので今作「揺れる」を拝見して、なるほど、と得心のゆくことがあった。

ネタバレBOX

というのも今作の表現方法に極めて実験的且つチャレンジングな姿勢を見るからである。原作者の視座・立場からの射程は、ヨーロッパ全土は無論のこと対アメリカ、プーチン独裁を完成させようと動いている対ロシア、世界の新大国として浮上してきた中国等との現実的政治のリアルな闘場として現実が展開する真っ只中で、争闘するドイツのリアルな生活感覚そのものを描くこと。然し、余りにも多くの、時に拮抗し、また優劣を生じ、EUの牽引役として、世界の各大国の凄まじい、情報戦、スパイ戦等の他、政治的、軍事的、経済的、民族的争闘の央にあって、その収奪の対象となってきた或は犠牲となってきた第三世界からの難民問題を抱えながら日々できるだけ人間的に公平に世界情勢に対応しようとすることが、ドイツ民族或はドイツ国家にとって如何様な責任と可能性を負わせるかについての各階層からの叫びが、実際にドイツの新聞などメディアの一面を賑わした情報そのものの羅列によって描かれることで、通常レベルの常識で判断できる脈絡を見付けることは極めて困難であり、演劇が演劇として成立するドラマツルギーそのものが最初から原理的に存在し得ない。自分が初めに書いた“得心”の内容こそ、演劇そのものをこのような形で否定することにより人々の目を現実世界へ開こうという演劇的企画を原作者が持っており、その点を極めて正確に読み取った演出の公家氏が作品と当に格闘しながら東京演劇アンサンブルというこれまた優れた演劇団体と協同して作り上げた作品だという点だ。通常の演劇ではない。実にチャレンジングな、状況への入り口のしての演劇・問題提起作品である。
KIRIN-JI

KIRIN-JI

鳥と舟

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2020/03/27 (金) ~ 2020/03/27 (金)公演終了

満足度★★★★★

 ちょっとエキセントリックな内容だが、自分は好み。思いがけない逆転もいいタイミングで仕込まれ飽きさせない。お勧めである。今後の予定では池袋演劇祭にも参加予定とのこと。(追記後送)

ネタバレBOX

 初見の劇団だが、ちょっと Lautréamontの“Les Chants de Maldoror”(邦訳タイトル:マルドロールの歌) を思い出してしまった。確か 1869年頃に発表された散文詩形態の作品だが、作者が誰なのかは100年以上も確定できなかった。が、現在ではIsidore Ducasse という人物であっただろうというのが定説だ。若くして自殺し、作品“Les Chants de Maldoror”を読んだアンドレ・ブルトンがシュールレアリストのバイブルと称揚したのは、仏文科出身者なら誰でも知っている有名な話だ。日本では寺山修司のファンが知っている可能性が高い。(寺山はロートレアモンが大好きだったと思われるから。)作・演出、役者何れも若いが、発想が面白い。
マクベスの悲劇【3/20(金)~4/3(金)に公演延期】

マクベスの悲劇【3/20(金)~4/3(金)に公演延期】

劇団俳優座

俳優座スタジオ(東京都)

2020/03/15 (日) ~ 2020/04/03 (金)公演終了

満足度★★★

 マクベスというタイトルではなく、マクベスの悲劇とした点に、今作の主張はあるように思う。その点は、強調されていたと思うのだが、演出にはもっと何故今マクベスの悲劇をやる必然性があるのかを検討して貰いたい。役者陣の熱演はグーだが、(追記後送華3つ☆)追記2020.4.12:03:13

ネタバレBOX

何故、今この作品を上演するのかの意図が突き詰められていないように思える点で評価を下げた。
 六本木は特殊なエリアである。 東京都港区六本木7丁目23には、米軍のヘリポートがあるのは、良く知られた事実。(環状3号線や六本木トンネルの脇だ)歴史的にも戦前からの山の手の浅草のような演劇、寄席等を含めた盛り場のあった麻布界隈からも近い、敗戦後の米軍による占領により米兵が六本木に繰り出し、多くの問題を起こしたが日本には彼らを抑える法もなく、米兵のやりたい放題であった為麻布界隈の住人達から総スカンを食ったという歴史がある。
ところで、日本外務省は日本に滞在するアメリカ人の数を現在も正確に把握できない。この「コロナ騒ぎ」にあっても然りである。パスポートコントロールが不可能だからだ。何故なら日米地位協定によって米軍基地内で米軍は、排他的管理権(基地内で総て自分たちの好き勝手ができる権利)を持ち、日本は決して彼ら(米軍関係者*)の出入国に関して異を申し立てることができない(出入国管理法の適用除外)が認められているからだ。この2つの規定故に、米軍関係者は一切、出入国の手続きを経ず、米国から日本の米軍基地に降り立ち、日本に入国して勝手に動き回ることができ、在日米軍基地から米国に帰ることができる。俳優座のある場所から歩いても大した時間の掛からない場所に米軍ヘリポートがある、と態々指摘したのは、このような日本の現況あるが故だ。こういった現実こそ、魔女たちの預言そのものが持つ矛盾を現実化したものに他なるまい。伝統ある劇団がこの程度のことを知らぬとすれば、これは演出の知的怠慢、水を使って俳優を絞ることなどより遥かに大切で本質的な問題提起たりえたハズなのである。創造に関しては無論、更に深く、本質的な指摘をしても良いのだが、この程度のことが分かっていないようではそこまで記す必要はあるまい。
*沖縄の事件以降、米軍について変更はないが、関係者については多少変わった点があるかも知れぬ。調べてみたい方は、ご自分でどうぞ。
冬の時代【3/28-29公演中止】

冬の時代【3/28-29公演中止】

アン・ラト(unrato)

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2020/03/20 (金) ~ 2020/03/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

 流石に木下順二の脚本。骨太で日本の左翼の抱え込まざるを得ない根本的な問題を総て取り込んでいる。

ネタバレBOX

サンジカリズム等について触れられる際にも語られていることだが、労働者階級との実質的な連携の無い点は、象徴的にこの国の西欧文明・文化移入の特質及び限界をハッキリ示している、而もこの傾向は残念ながら現在に於いても延々と続いている傾向である。(例えば哲学研究などに於いても大学で哲学を教えている教授の大多数は、単に海外の新しい兆候を持つ哲学者及び著作の翻訳と解釈のみを行い己の思想を立てない。つまりヒトとは何か? 何処から来て何処へ行くのか? なぜ、生きるのか? 生きることに意味があるのか? 等々基本的で根本的な問いを自らの問題としては考えることができないので、総てのことが猿真似に終わる。結果、生活にも己の生き死にを賭けた深い問いに自らの全存在を賭けて答えようとする努力も問い続ける過程で発見できる実に様々な層や可能性についても無自覚で、その無自覚を恥じることさえできない。このような諸々の結果として捏ねる論理の根拠も浅薄で、形式論理さえ整っていれば、論理のオーダーが整ったと勘違いしてしまうから、其処から先は一瀉千里、論理の唯一の展開である先鋭化という道しか辿れないのだ。資本論にしてもカール・マルクス本人が厳しく批判したカウツキー版を翻訳している学者が出てくるが、この辺りも自分が指摘した問題は当て嵌まる部分があろう。また、仮にマルクスが日本に来ていたら、というような仮定を立てどんなことを先ず最初にやるか? と想像力を働かせ、培ってきた本物の思考を用いて社会の諸問題を先ず事実に即して徹底的に調べ、調べた結果を徹底的に分析した上で導き出された結論を如何様に解釈するか? という視点に立つならば自ずと歴史も変わる可能性が増す。)こういったことができなかった日本の左派の消長を描いているとはいえよう。
 舞台は赤旗事件(1908)大逆事件(1910)後、12月31日に設立された売文社(1919.3月迄)に集ったアナーキスト、コミュニストらのイデ闘や主義主張、官憲から睨まれるという共通性を通じ、また新たな女性を目指す青鞜の伊藤野枝などをモデルにしている人物が登場しつつ展開する。因みに千葉は堺利彦、官憲に追われ生活もままならない同士たちの生活を支える為に売文社を立ち上げた訳だ。あとは観てのお楽しみ。各観客の持っている知識や思考によって様々な観方のできる作品である。
野鴨

野鴨

ハツビロコウ

シアター711(東京都)

2020/03/24 (火) ~ 2020/03/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

 兎に角、素晴らしい。イキナリ釘付けになり、ノンストップで130分、その状態が続いた。終演後、頭の中をイマージュが走り回って今日が何日だったか不分明になった程。(華5つ☆)後ほど更に追記する。タイゼツ、ベシミル❕❕

ネタバレBOX


 選ばれている原作、見事な脚本と演出、キャスティング、卓越した演技、音響センスの良さ。やや昏めの照明は、登場人物たちをレンブラントの絵画に描かれたように印象深くくっきり浮かび上がらせ、決して単調ではなく自らの意図したようにはならぬ人生というものの移ろう姿と、富・社会的地位や名声、誰もが羨むような伴侶に恵まれながら而も決して幸福とは言い切れない人の世の定めと、我々がそこに立っていると信じていることや大地が実はそのまま底なし沼でも在り得、而もその底なし沼に棹差して懸命に生き、より良くあろうとあくせくするというリアルを映し出して見せる。
 我々は普段、分かったようなフリをして生きてはいるが、無論一寸先は闇。誰が何を正当だと言おうが言うまいが人生に於いて何が正解かということなど凡そ分かったものではないという事実を、今作ほど端的に表し得た作品はそうあるまい。
安らかな眠りを、あなたに YASUKUNI

安らかな眠りを、あなたに YASUKUNI

燐光群

劇場MOMO(東京都)

2020/03/20 (金) ~ 2020/03/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

 今作はタイの作家によって書かれたものだ。(かなり客観的に書かれた作、若い人達に見てもらいたい。)

ネタバレBOX

無論タイ語で書かれた作品だが、その原題を英訳すると「Where should I lay my soul?」、日本語タイトルが「安らかな眠りを、あなたに YASUKUNI」である。内容的には、無論日本語タイトルに表されているように官幣大社であったYASUKUNIに大いに関係する作品であるが、その評価は、かなり客観的である。無論、原作者は実際に靖国も遊就館も訪れており、此処に書かれている外国人向け英文の説明を読んでも居るし展示物も見た上で執筆しているが、海外から見た日本、海外で教えられている日本の歴史と靖国及び遊就館に書かれている説明には齟齬が多いことも知っている。であればこそ、人を殺すという行為を罪とし、戦争一般を俎上に載せた作品として描いているのである。その意味で今作は、普遍性を持つ。而も極めて興味深いこととして今作の構造が能の表現に近いということが挙げられよう。無論、観阿弥・世阿弥父子が理論家しソフィスティケイトした後の能より大和猿楽の伝統を色濃く残した段階の能ということではあるが。坂手氏が、書いてきた作品群を自ら評して夢幻 能と言っていたことと考え併せても極めて興味深いのである。
晴天のミモザ~蒲田行進曲より~

晴天のミモザ~蒲田行進曲より~

ThreeQuarter

吉祥寺櫂スタジオ(東京都)

2020/03/21 (土) ~ 2020/03/22 (日)公演終了

満足度★★★★

 雛チームを拝見。

ネタバレBOX

序盤、ちょっと登場時に硬くなったか? 演技をしているというのが形になってしまったのが残念。間もなく自然な演技になり、効果的な挿入曲や、他の音響・照明効果、エンジンの掛かった演技によって、いつか公平になるようにとの思いを込めて付けたと謂われるつかこうへいのペンネームの意味する所を、つか作品に多用される台詞の差別表現や女性差別的態度の底に脈打つ、つか作品の優しさと人間としての温かさを、銀四郎に被せつつ、はにかみを梃に表出してみせた。
基本的に素舞台で妊婦のお腹も膨らませないが、その辺りは観客の想像力に任せている。但し妊娠してお腹が大きくなれば所作は違ってくるので、そういったことも表現できるようトライしておくと芸域は広がりそうだ。
 監督が座るような椅子に花束が置かれるのもオシャレ。無論、安の魂を弔う為であることは言うまでもないが、最終的にはハッピーエンドにしてある。演技では、安、小夏、銀四郎、クミ役4人の演技が気に入った。
スター誕生

スター誕生

ミュージカル座

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2020/03/18 (水) ~ 2020/03/22 (日)公演終了

満足度★★★★

 当時の誰をデフォルメしているかが良く分かるし、海外の著名な作品からも原作や海外公演を示唆する指標を鏤めてあるので、様々にイマージュが広がり楽しめる。(華4つ☆)

ネタバレBOX

 或る意味無論嘘である。皆が同じ歌を歌えた、とか。んなことある訳が無かろう。無論、表層しか生きていない大多数の日本人には当て嵌まる。
一方、同じ時代“頭脳警察”は音楽的には大したことは無かったものの、当時日本で間違いなくトップクラスだった(自分はトップだったと考えている)“ハッピーエンド”と同じライブハウスで演奏しており、頭脳警察の熱狂的なファンも居た。釜には憂歌団が居て、ブルースとはこういうものだという歌を歌っていたし、無論関西で憂歌団のライブは矢張り熱狂的な支持を得ており、屋根に三ツ星が描かれた西部講堂でも何度もライブが行われた。関東の著名某大学の映画祭などでは秋吉久美子が人気絶頂で彼女が登場するシーンでは久美子コールが余りに激しく、台詞が全然聞き取れないという状況であった。要は、鍋も釜もぶちまけて上を下への大騒ぎをやらかしていた沸騰の時代であったということだ。
 ところで、稽古という言葉がある。「稽」の字義は考察するということであるから稽古とは、古(いにしえ)を考えることに他ならず、これは東洋(殊に中国)の堯や舜の時代を理想とみる思想に通じる。こういった日本文化の古層にあるもの・ことがこの国の芸の根底にあって、芸術ではなく芸道を追求する点にこの国の狭いが高さもある伝統文化の限界もあるだろう。今作の根底に横たわるスターシステムの頂点・スターとアーティストとしての歌い手の根底に存する暗渠は、このように決定的な歴史・文化・哲学の西洋との乖離である。我々は、このような矛盾の中で生きているにも関わらず、殆どの人がこの矛盾に気付かず、当然のことながらアウフヘーベンすることなど思いもよらない。今作で多用される、本歌取り的手法は、この辺りの矛盾を技術的に迂回する方法でしかないことが、この国を真に民主的な発想や自由の概念から遠ざける文化的既成なのだと考えられる。無論、観客の評価は、間の取り方や、阿吽の呼吸の見事さ、雰囲気を実に上手く掬い取って形にしていることに対して向けられるから、本物の哲学を欠き、表層に留まらざるを得ない。そのような文化的基底を晒して見せている点が興味深い。
人形劇「みつあみの神様」

人形劇「みつあみの神様」

人形劇団ひとみ座

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2020/03/18 (水) ~ 2020/03/24 (火)公演終了

満足度★★★★★

 タイゼツベシミル。華5つ☆。少しだけ追記! 3.21

ネタバレBOX

 言わずと知れた名人形劇団ひとみ座。「ひょっこりひょうたん島」は、この劇団が演じた。何が素晴らしいってこの劇団、物である人形に魂を宿す、人形劇の金字塔だと自分は思っている。ここには詩があり、普遍性があり、見なければならないもの・ことを見る勇気と人間の最も素晴らしい性質、想像力とそれを未来へ向けようとする意志、そして世の中を過不足なく、つまりバイアス無しに見ようとする詩人の視点がある。期待して観に行き、見事期待に応えて頂いた。戦中の劇団史を存じ上げないが、自分の拝見している限りでは流石70年の伝統と研鑽の証拠を至る所で見せられたというべきか。登場する生き物たちの形態模写の素晴らしさ、ウミガメの歩行の様子や、タコの捕食時の動き、海が描かれる最初のシーンに海月が登場するセンスの良さ等々。無論これらばかりではない。海のその時々の模様を壁のような波で表現したりするのだが、これがまた見事。脚本も極めて明示的に事態を表しており、照明、音響も舞台美術も素晴らしい。
自分は始まって直ぐ、海月やタコ、魚群などの登場直後に何やら生活物資が海中に漂い、流れてきたのを観た瞬間、背筋が凍った。この直観通りその後は3.11大地震と大津波、3.12人災の過酷な状況が描かれていると解釈した。無論、今作如何様にも解釈できるように作られているが、終盤の女の子と男の子の逃走の果て、男の子は外へ、女の子は内へ残る、というシーンが描かれるが、これを自分は愛し愛される者の分断の象徴と観、胸が塞がれる思いをした。それだけ人形劇としても如実にレベルの高い作品である、同時に実に深い問題(即ち日本の一般の人々が御上の下した命令と判断した時、盲目的に従うエポケー(一般に判断停止と訳される元ギリシャ語)のバカバカしさとその民衆のエポケーを利用し続ける為政者の奴隷となり、結果的にアメリカの奴隷ともなって勇んで隷属的に振る舞うことを選び、結果己の子を犠牲に捧げるような理不尽をそれと気づかぬまま実行する愚か者としての日本人問題)を提起をし、考えさせてくれる秀作である。
 おっと大切なことを書いていなかった。今作には生身の少女が登場する。これは通常のメタ化ではなく、位相とでも呼ぶべきレベルが介在するということだ、この意味する所を考えることも頗る興味深い宿題と言えよう。
胎内

胎内

京葉演劇研究會

まるた石井園梨直売所(千葉県)

2020/03/07 (土) ~ 2020/03/14 (土)公演終了

満足度★★★★

 三好十郎の傑作だが、(追記後送)

ネタバレBOX

第2次大戦で日本が負けたことを徹底的に見つめ直し、何物によっても壊されなかったもの・ことだけを根に再生を目指した真の探究者であった
 三好にとって今作もまた見直し作業の一環であったと思われるが、脚本家は捧げる物が何も無く己を火にくべての供応を目指した兎を登場させて大きな意味を持たせている。この所、原作を読む為に時間を作ろうとしていたのだが、未だ4分の1を読んだ程度、追記する。
桜の森の満開のあとで(2020)

桜の森の満開のあとで(2020)

Ammo

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2020/03/12 (木) ~ 2020/03/18 (水)公演終了

満足度★★★★★

 4演とあるから再々再演ということになる。(断固観るべし❕❕! 華5つ☆追記後送)

ネタバレBOX

今作を初めて拝見したのは、タイトルに作家のチャレンジと勇気、そして自負を感じたからだ。期待は裏切られなかった。作・演だけでなく、演技も良い。無論、照明・音響も内容のある作品の邪魔もせず、時に余り目立たぬように作品をフォローする素晴らしい作品である。作・演はAmmo代表の南 慎介氏、シアターミラクルの池田さんの友人という方だ。池田さんは、シアター・ミラクルの支配人であると同時にfeblaboでその優れた能力を示し続けている演劇人である。作品内容のレベルも極めて高く、演出もグー。平均年齢24歳という役者陣の演技も良い。
 板奥に窓を、中央に長辺と短編を形作るように丁度ヨーロッパの中庭を囲む建物群のように机を並べただけの、シンプルな舞台美術が内容の充実を予感させ、これも裏切られない。而も討議に参加する人数はオブザーバー(市長資格)で出席するこのゼミの担当教授1名を除くと11名の奇数である。この設定を観ただけでワクワクするではないか!
蜚蠊

蜚蠊

劇団女体盛り

シアターシャイン(東京都)

2020/03/11 (水) ~ 2020/03/15 (日)公演終了

満足度★★★★

 観たいにも書いたから読んだ人も居るかも知れないが、

ネタバレBOX

タイトルは“ヒレン”と読む。まあ、人間に最も嫌われている虫の一つ、ゴキのことで、沖縄ではアマミと言い、大和に居るのとはまるっきりサイズが違う。By the way,海外のジョークで~国人に対して、それぞれのお国柄をからかった傑作ジョークがあるのは、良く知られた事実だが、以下日本人の特質を見事に表したジョークを引用しておく。
豪華客船が航海中に沈みだした。船長は船客たちに速やかに船から海に飛び込むように指示しなければならなかった。
彼は、それぞれの船客にこう言った。
アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄です」
イギリス人には「飛び込めばあなたは紳士です」
ドイツ人には「飛び込むのがこの船の規則です」
イタリア人には「女性にもてますよ」
フランス人には「飛び込まないでください」
日本人には「みなさん飛び込んでますよ」
良くそれぞれの特質を掴んでいると思わないか? 
さて、本題に入ろう。主人公は3地区に住むエリート家庭に生まれ、親に期待される通りに歩んできた。だが、勤務地が変わる。この地区は貧しい同種族が住むが、主人公のようなエリート地区居住者との激しい格差社会を為している。当然乍ら、基本的に互いの行き来は無い。だが公にされていない人口問題がある。非エリート地区の人口増加率はエリート地区より遥かに高く中央管理局は非エリート地区内に対策施設を設けそこにエリート地区の中から選抜されたメンバーを送り込み非エリート地区の妊婦抹殺を行い続けて人口調整をしていた。ここに送り込まれたエリートたちが、任期を全うすれば彼らは栄転、1区住民となる資格を与えられていた。施設周囲のフェンスには猛毒が塗られていて、非エリート達は施設内に入ることができない。だが、この秘密は一部に漏れ、反対するエリート住民が非エリート地区にも徐々に入り込んで地域住民をサポートするようにもなっていた。
 所謂、優生保護思想に基づく差別問題を扱った作品で相模原の凄惨な殺傷事件が直ぐ頭に浮かぶが、自分が作品を拝見しながら思い浮かべていたのは、アンナ・ハーレントがアイヒマン裁判を傍聴した後の証言である。1963年ザ・ニューヨーカーに発表された(Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil)余りにも有名な記事だからご存じの方も多かろう。彼女は、アイヒマンの凡庸に驚きを隠さなかったが、そもそも優生保護という発想をすること自体、陳腐な頭脳と自己判断の欠如を示し、凡庸であるが故の無責任と狡さを表しているに過ぎないことは、アイヒマン裁判を検証するだけで良く分かることだろう。
共骨

共骨

オフィス上の空

彩の国さいたま芸術劇場 小ホール(埼玉県)

2020/03/07 (土) ~ 2020/03/15 (日)公演終了

満足度★★★★

 役者陣は中々魅力的なのだが。

ネタバレBOX

 極めて深く深刻で実際にはこれに近い問題が多く起こっているであろう。然し表へ出てこない、という問題があるであろうに。ヒロイン、美沙が狂った実父に襲われる近親相姦問題のつけを友人たち、殊にムードメーカーを自称する奈々海(同年輩の不良を集め、家族と称して共同生活の音頭を取りつつオレオレ詐欺の受け子や先輩と呼ばれるヤクザ関係の儲けをちょろまかしていたらしいという理由で殺されたか、沈められたか、売られたか)に負わせてしまっている点に難があるように思う。また、母の骨を食べたからといってそれをトラウマとし大人になっても克服できないという設定も幼稚である。もう少しリアリティーを持った脚本にするか、美沙が取返しのつかないダメージを負う脚本にすべきである。何となれば全き孤立は、自同律を反復せざるを得なくする。それが亡くなった母を美沙が己の分身として作り出した原因だ。従ってそこにはトートロジー以外の何の意味も発見できないことは明白な事実なのだし、作劇法として上に挙げたような作り方の方が観客を引き込める。この点で脚本が弱い。つまり観客を引きずり込む点で弱さを感じる。
『虚数』

『虚数』

演劇ユニットG.com

アトリエ第Q藝術(東京都)

2020/03/11 (水) ~ 2020/03/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

 脚本、演出とも原作者の深く、切実な意図を良く汲み、役者陣の力量もかなり良く示して良い出来。舞台装置はシンプルだが、迫真的なイマージュを効果的な照明、音響の相乗効果で高めて良いセンスを見せている。(必見! 華5つ☆ 追記後送)

ネタバレBOX

 原作者は1921年、旧ポーランド領ルヴフ生まれのSF作家、スタニスワフ・レム。2006年に亡くなったが元々、医学を学んだ人である。在学中から雑誌に詩・小説を発表その壮大で現実的なSFは映画化もされてきた。「砂の惑星」「ソラリス」など。原作はSFという形を採った実存的作品であり、「虚数」は、何より人間存在そのものの意味の問い掛けのみならずその曖昧性を提示して見せる作品と言ってよかろう。
 ヨーロッパ近代への哲学的道を開いたと同時にデュアリズムの弊害をも齎したデカルトの有名なCogito ergo sum.が語られるがこれは無論、Je pence donc je suis.のラテン語訳である。無論、哲学者と詩人という差やこの事象を如何に解釈し己の人生の根底とするかについて選択の差はあるが、Rimbaud流に示すならば、Je est un autre.である。天才同士の哲学的な差や生き方そのものの根底的な選択以前に、無論外国人がこんな動詞変化をやらかしたならば端的に間違いと見做され即却下。だが、詩人として天才と見做されるRimbaudの書いたことであれば、当然全く別の解釈が為されそちらが正しい。
ポーランドとは言っても現在ではウクライナ領になっているルヴフ生まれだから、単純にアイデンティティーが形成されたとは思えない。SF作家として大成したのも、このジャンルを選んで作品を発表したのも誰にも指弾できない未来の話で自由に己を主張できたからであろう。そういう意味でも実存的なのだ。

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