ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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民衆の敵

民衆の敵

ハツビロコウ

小劇場B1(東京都)

2022/03/29 (火) ~ 2022/04/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 今、この作品を上演するハツビロコウの見識の高さは流石で、この点については無論期待通り。スタンディングオベーション! 無論華5つ☆、必見作品、追記2022.3.31 04:43。

ネタバレBOX

 舞台美術は至ってシンプル。劇場入口の対面をAとし時計回りにB,C,DとするとA横、B横にドア、Cは袖になっているのでこの3カ所が出捌け。オープニングでは板中央に対向させた机1組、各辺に粗末な木製椅子が各1脚ずつ。A側壁に机と椅子。こちらの机上には瓶等が載っている。基本的には弟・ストックマンの家の客間、場転によって船長の家になったりもする。その際は机や椅子の移動で対応。開演前には低く水の流れるような音がしている。この音はこの物語の中心にある温泉を先ずは示唆していようし、深読みすれば世界に広がる広大無辺で深い海をも船長・ホルステルを通じて表していよう。
 物語自体は余りにも有名なイプセンの作だから今更説明する必要もあるまいが、毎回優れた作品を本当にキチンと読み込んで舞台化してくれるハツビロコウらしい極めて本質的、現代的、普遍的、思惟的作品である。上演台本・演出は代表の松本光生さんが担当しているが、見事にイプセンを我々が今生きている日本のヴィヴィッドな現実の活写として甦らせている。
 ところで、温泉の水質に疑問を持ったストックマンが自分の手元に在る検査機器では詳細な検査が出来ないと大学の研究室に温泉水をサンプリングして送っていた所、検査結果が出た。温泉は汚染されているとの結果だった。然し温泉は評判を呼び、貧しかったこの地域最大の収入源となっており失業者も減った。更に直ぐに湯治客が多数訪れるシーズンを迎える。そんな時に温泉が汚染されているという情報が流れれば漸く軌道に乗ったこの町の財政は一気に悪化するのみならず二度と客は戻らない。そう踏んだ医師の兄・町長は何とか事実を伏せようとする。直前迄正義を標榜し、政治の不正を暴くと息巻いていた新聞にも裏切られ、足繁くストックマン家に通っていた人々は1人去り、2人去り・・・。最後迄ストックマン一家を助け、而もストックマン自身を成長させてくれたのは、新聞編集長に選挙の意義を諭された船長のみであった。ところでこの船長とは、一体何か? 筆者の解釈ではイプセンその人ではないかと考える。というのも良く人は人生を荒海に例え、その荒海を乗り切る為の指針をあれこれ考えて己の人生哲学を確立して行くが、これと同じように広大無辺で深い海を渡る為に必要なのは羅針盤や海図、六分儀等の観測機器、時計、対数計算、舵等、船舶そのものとそれを生存可能な方向に向けて操縦する技術と有為転変を乗り切る知恵と胆力だ。まあ、そのようなハウトゥーは二の次だ。しょっぱな船長は選挙の事もその意義もよく分からない政治的素人として描かれ、これが伏線を為す。然し人々の利害、生活、各々の社会的な立ち位置、信念の差等から生じる「正義」のあやふやは、その根拠のあやふやそのものの結果であるに過ぎない。根拠律があやふやでなくなる可能性は、事実だけを実証し根拠として日々検証し続け構築する思考、即ち科学と論理・数学的に証明されたもの・ことだけだ。この単純な事実を事実として見、そのことのみを根拠とする姿勢こそ最も率直で偏りの無い立場なのであり、それを実践的に行動に移し、世間からつまはじきにされた医師・科学者こそが最も論理的に真に近い。無論、ストックマン自身が完成された人間ではないから、彼の民衆評価は、彼の絶望の深さに比例して下がる。当然だろう。散々世話をし、家族同然にもてなして来た者達に裏切られたのだから。然し乍ら事はそれほど左様に単純ではない。象徴する広大無辺な海を渡る船の船長という人間のキャラクターに原作者が己を重ねても或は今作の上演台本を書い松本さんが筆者の解釈したように船長を解釈したのであってもよいが、船長はストックマンが今抱えていることをとうの昔に卒業しているとすれば如何か? 最も優れた船乗りが水先案内人を務めるように船長即ちイプセンは、その天才の巨きく暖かい翼を広げ、真っ直ぐに世界を見て評価しストックマン、その妻、そして2人の娘・ペトラの側に与したのではないか?
片生ひ百年

片生ひ百年

ハコボレ

新宿眼科画廊(東京都)

2022/03/26 (土) ~ 2022/03/28 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 こういうレベルの高い舞台を見逃す手は無い。而もこのお値段。(必見、華5つ☆)

ネタバレBOX

 ホリゾントに緞帳が下がりその手前に高座。高座の上には無論。噺家の座る座布団が据えられている。高座の下には平台を二段に重ね、一段目は白布で覆いその内側には白骨を思わせるオブジェが敷き詰められている。二段目の平台は何となく畳を思わせる筋目の入った紺系の色。これら総てが今作の内容とキリリと絡み、謂わば噺が精神なら、舞台美術が身体という関係を表して見事である。而も仄かに漂う香のかほり。
自分が初めてハコボレを拝見したのは王子で、その後も王子で拝見してきた。今回は、小さな小屋とはいえ、東京の中心、新宿での公演である。先ずは新宿進出を寿ぎたい。
落語は好きである。だが高座を聴きに通うという程リッチでは無かった為、TV・ラジオで見聞きするという程度だったが、明治時代の作家で最も好きな漱石が落語好きだったことを知って古典落語のたくさん載った本を買ってから何十年も過ぎているのに未だ目を通して居ない。情けない話だが、今回の話は恐らく人情噺というものなのだろう。落語だから無論オチはある。然しそのオチが本当に心に沁みる。深く、而もその深さを持つ幸せ者たちに嫉妬するよりは、良くやった、と労いの気持ちを込めて祝福したくなるような人情の湧き出るのを止めようがない。そのような良い話であった。この話の古典落語の元々のタイトルは「紺屋高尾」というそうだ。吉原の花魁で高尾の名は十一代迄続いた。花魁の中でも格式の高いものだったようだ。今作に登場し久蔵の嫁になるのは五代目だそうで二代目は仙台藩主に身請けされたものの、恋しい人があって藩主に無礼となるようなことがあり手打ちにされたという。この時、彼女の年齢は19歳。(今の満年齢でいえば18歳だろう)
花魁といえば大名道具。一般の者の手が届く訳も無い。不可能なのだ。先ずはその不可能が可能になり、而も栄華を極めた花魁でさえ、幸せに生涯を終えることは極めて少なかったという状況の中、年季の明けた高尾は約束通り3月15日に久蔵の下に嫁入り。紺屋の女房として藍に手を染め、多くの子宝にも恵まれて幸せな生涯を過ごしたとのこと。噺は実にシンプルだ。それだけに久蔵の一途とその真心に惚れる高尾の実の、世間的には有り得ないような真摯で純粋な愛が深く魂を揺する。廓の客観的状況をこの恋と対比させていることと、演じた前田隆成さんの極めて自然に見せる技量がいやが上にもこの傑作古典落語を命そのものとして甦らせる。
オープニングでさりげなくあの世とこの世の時間軸を逆転させ「片生ひ百年」に見事な変わり身で移行する点も素晴らしい。(音響、照明、美術、香りの演出も見事)。この世とあの世への生者による旅というテーマからオルフェウスや日本神話を想起する人も居るかも知れぬ。無論日本の話だから仏教に纏わる根本的な概念、六道輪廻や縁の深い哲学も織り込まれている。

彼女たちの断片

彼女たちの断片

東京演劇アンサンブル

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2022/03/23 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 男性こそ、見るべき作品。華5つ☆

ネタバレBOX

 板上は中程から奥にかけて二段に重ねられた横長の台が階段状になっており、各々の短辺にも階段が付けられている。台座の上には正面の壁、壁の中程には横長で窓枠型のくりぬきがあり2階の有様が見える。その2階には下手が高く右肩下がりのベッド、その手前にサイドテーブルらしきものが見え、2階の部屋へ上がる階段が正面壁の上手にくりぬかれた縦長のスペースから見える。
 板中程手前下手、上手には幅広のバンテージのようなもので巻かれた樽型オブジェが置かれ下手の物は1個ずつ、上手の物は3個が連結されてソファーベッドにも使える。他人の背丈より二回りほど大きな木枠が3つ。これは登場人物達がその中に位置取り、額のように用いることができるが、これは貝殻が弱い身体を護るようでもあり、女性達を縛る家父長制のようでもある。
 何れにせよ今作は、女性の女性による女性性の認識の形が良く分かる作品で、男であってもある程度年齢を重ねれば多少は女性のメンタリティーも理解できるつもりになることはあるものの母体に及ぼす妊娠の影響の凄まじさに関しては教わる点が極めて多く大変勉強になった。
 また作品を拝見して後よくよくフライヤーを見てみれば、このドレス、マタニティードレスじゃん! それに亀裂、長い髪にこの目、母の象徴としての乳房がデザイン化されていることを含め、流石に東京演劇アンサンブルのフライヤー、見事!
カトラリ

カトラリ

現ア集

ART THEATER 上野小劇場(東京都)

2022/03/20 (日) ~ 2022/03/21 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 舞台美術は随分しっかり作り込んである。ホリゾント中央は両開きの扉。この扉がメインの出捌け。その両側にはブラインドが下がっており、入った所にカウンター。下手側壁奥にもう1カ所出捌けを設けてある。奥から背の高いスチールロッカー、張り紙を挟んで手前にスチールキャビネット。中央に事務机が対向方向に置かれ椅子は左右に置かれている。その下手奥に小机と椅子。こちらの椅子は座った人物が観客席を真正面から見るように置かれている。上手側壁には奥から張り紙、黒板、こじんまりした流し、流しには小さな手鍋が掛かっている。

ネタバレBOX

 設定は、交番である。オープニングでは、報告書を作成している警視が1人対向する下手の机で事務作業をしているが、そこへ見回りから戻った巡査2人が入って来る。見回り中に出会った人々についての話などが何とも言えないゆるいタッチで語られるのだが、対話に微妙な齟齬があったり、その齟齬を通したオトボケが仕込んであったりで笑いの絶える暇が無い。椅子に掛けた警官Aは、膝をさすっている。痛むのだと言うが、その痛みは見回りの際にのみ起きるのだと言う。すると一緒に見回りに行った相棒Bが心理的な問題なのではないか? と疑問を呈し、Aとの間にこれまた滑稽な対話が為されるが、笑いの種は別次元でも仕込んであってAは、見回りの際に指差し確認をすることで見過ごしを防いで進歩があったと主張しその有様を再現して見せる。だが彼は指差し確認をして日々、その死角を減らしていても、其処迄しかしない。つまり本来の目的、不審者を発見して職務質問をしたり、困っている人を見付けて対応したりという目的は失念し続けてきたのである。恰も出来の悪いパソコンの如き思考様式をし、その意味ではIT機器に似ている。ま、済んでしまったことは仕方が無い。次からは本来の目的が実行できるようにしようと自ら反省し前向きに行動すべく覚悟を述べる点ではオトボケ人間ぽいのだが、いざ実践しようとすると常に指差し確認をすると、本来は目的の為の手段だったハズの指差し確認で終わってきたように手段が目的と化しその先には進めない、というコンピュータのような反応を越えられない。更に留置している犯人も居ないのに、カツ丼がデリバリーされてきて、良く遺失物等を届けてくれる近隣住民が道路に落ちていたという棘だらけのサボテンを持って来た際に、カツ丼を食べたそうにしていたので勧めても、微妙に遠慮して食べようとしなかったりという何とも言えぬ箍の外し方が挿入されて、笑いを増幅させてくれる。警察と近隣住民とのゆるい対話や親交に我々の日常が面白おかしく溶け込まされ表現されているが、これだけではない。近隣住民が得体の知れない騒音に悩まされているという話題が出、それに対処すべくシステムを立ち上げるとマザーコンピュータが起動、どのような案件かを質問してくる。案件を述べると対応する部隊を派遣すべくプログラムが実行される。すると、蛸の足のような足で動く小型ロボット数台が現れてもごもご動き出す。然しマザーの具合が余り良くないとの指摘がB等から出、直してくれとの要請はAに対して為される。Aは、出来の悪いコンピュータのようにある意味極めて論理的で指示されたこと或は思い込んだ事しかできないにも拘らずである。指差し確認の件でAのマインドコントロールの不完全性を巡って心理的な見回りに対する嫌悪感が膝の痛みを齎しているのではないか? との疑義に「そのような嫌悪感は無い」と答えたAだったが、「実はそうであるからこそ、無意識が嫌悪感が無いと思い込ませているかも知れない」とBが主張していた伏線が活きてくる。而も統括しているのはマザーコンピュータであり、マザーコンピュータが暴走する怖さは「2001年宇宙の旅」のHALで描かれた他、いくらでもSFに登場しているから我々には既知感が有りその恐怖もリアルなものがある。更にラストシーンでは、派出所の3人とサボテンを届けてくれた人物も加わり、これも近隣住民に迷惑な騒音の「原因」とも取れる鍋、小机、机、いきなり起動し現れたロボット部隊とマザーコンピュータの出す騒音等がミックスされたどんちゃん騒ぎが演じられるのだ。而もこの時にも一緒に「演奏」してくれた礼にカツ丼が勧められるのだが、完全には演奏できなかった旨告げてサボテンの人物は今回の勧めも固辞する。ところで、不気味なことに半分IT機器のようなキャラのAがマザーコンピュータをシャットダウンした後にもロボット部隊の動きは続いているのである。このラストが次元を異にする面白不気味なシーンで終わる点でも一筋縄ではゆかぬ面黒い作品だ。
「震災演劇短編集」宮城・東京ツアー

「震災演劇短編集」宮城・東京ツアー

Whiteプロジェクト

こまばアゴラ劇場(東京都)

2022/03/18 (金) ~ 2022/03/21 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 今回は全部で7本の短編を上演するが、拝見した回は4編を上演。(華5つ☆、必見、追記後送)

ネタバレBOX

 何れの作品も厳しい現実に鑢を当てられ余計な形容を総て取り去った言葉で構成され、台詞として際立った切れ味の切り立った表現に、実際に現地でその厳しさに耐え生きている人々の内面の苦悩とその原因となっている仮借なき自問、取り戻せなくなってしまった記憶に残った日の悲劇によってしか気付けなかった、何も特別なことのなかった取り留めのない日常の大切さ、退屈と殆ど見分けのつかなかった安らぎや、なんということも無い可笑しさに笑い合えた日々の、また時にぶつかり合った日々のかけがえの無さが逆に蘇る見事な作品群。
OM-2×柴田恵美×bug-depayse『椅子に座る』

OM-2×柴田恵美×bug-depayse『椅子に座る』

OM-2

日暮里サニーホール(東京都)

2022/03/17 (木) ~ 2022/03/19 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 宮澤賢治の作品の幾つか「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」「永訣の朝」≪雨ニモマケズ≫「春と修羅」書簡、真壁氏自身の文章等を分解・再構成して書かれた構成文をダンス・パフォーマンスが上演される際に上部に映写して見せるという形で上演された。(追記後送)

ネタバレBOX

 このような形を採ったのは賢治の作品群の殆どが発表を前提として書かれたものではないと真壁氏が判断した為である。発表を前提にしていなかったと解釈・判断した点に今作の原点があり、その結論は衝撃的でさえある。
リムーバリスト―引っ越し屋―

リムーバリスト―引っ越し屋―

劇団俳小

萬劇場(東京都)

2022/03/12 (土) ~ 2022/03/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 先ず驚かされたのは常打ち小屋での公演では無かったことである。下落合では無かった訳だ。理由は、舞台美術だろう。それがどんな舞台美術であったのかについての詳細は観て頂くとしてコンセプトはネタバレに記すのでそちらを見て頂きたい。この演劇集団のキチンとした姿勢については自分如きが今更申し上げる必要もない。何れにせよ、ラストシーンには背筋が震えた。(華5つ☆追記後送)

ネタバレBOX


 先ず、約束の舞台美術から行こう。小劇場演劇では極めて珍しい回り舞台なのである。片側にカーター家の部屋、裏側に派出所。この回り舞台が実に効果的に使われている。
 原作のタイトルである「リムーバリスト」は一種の捻りが効いたタイトルである。実際の上演時間約120分の内、タイトルに直接関わる引っ越し屋が登場する時間は案外短い。登場人物各々のキャラが濃いのが今作の特徴の1つだろうが、引っ越し屋のロブは唯一最も冷静で己の仕事の観点から他の総てを客観視している狂言回し的な存在である。原作はオーストラリアの劇作家・ウイリアムソンであるが、予め決めていた戦略・戦術に則って書かれた気がする程メルボルンで最も犯罪が多発するエリアの派出署警官2人(シモンズ巡査部長&勤務初日のロス巡査)のキャラは際立っており、その表現される所は普遍的である。シモンズ巡査部長の主張は、規則等は基本的にどのようにもアレンジ可能であり要はオトシドコロを間違えず、限度を弁えて決定的ミスを犯さない限りに於いて何事も自由だという観点に立ち相当現実的な説得力を持つ。一方、警察学校出たてで実際に勤務するのはこの日が初めてのロス巡査は至って真面目で杓子定規に行動しようとするものの頑固な一面を持ち、切れると手が付けられない。物語は、この派出署にDV被害を訴えてきたフィオナと姉ケイトが訪れたことから佳境に入るが、ケイトの夫は歯医者で裕福、警官の給料とは比較にならない階層に属し、有閑マダムのケイトには浮名が絶えない。シモンズはそれをいいことにケイトにシグナルを送り彼女も満更でもなさそうな応じ方をしていたが。
「悠久に遊ぶ」

「悠久に遊ぶ」

ARTE Y SOLERA 鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2022/03/15 (火) ~ 2022/03/17 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★


 フラメンコのリズムは2と3を複雑に組み合わあせた12拍子。

ネタバレBOX

ところで日本語には”やたらめったら“という表現があるが矢鱈と書くのは明治以降のことだという。元々やたらの‟たら”はインド音楽の用語″ターラ“に由来するとのこと。それが千年以上前にシルクロード、半島を経て日本に伝わり雅楽の“たら拍子”という拍子に連なったそうだ。この音階が余りにも複雑でちょっと聴いた位ではどのような規則性によってこのような音楽表現が法則化されているのが分からない為、アナーキーで捉えどころの無い、訳の分からないもの・こと、度外れたこと・ものを形容する際に用いられるようになったらしい。
 今回の公演はオープニングから楽器と歌唱そしてフラメンコのコラボという意図が明確に示されていたのは、音楽というものが言語差、地域差、文明や文化の差を越え人と人を結ぶ力があること、音楽とコレスポンダンダンスし易い表現ジャンルにダンスという、リズミカルな音に反射的に反応し易い身体の特性を活かした表現形式がああること、音楽には音声を用いた表現及び楽器を用いた表現が対応していること。無論単に音楽とダンスのコレスポンダンスのみならず、更に表現を華やかにしなやかに見せる衣装や照明、オムニバス形式で演じられる各作品の構成や演出の妙とバランス、各表現者の高い技術が要求されるが、上に挙げた総てが今作では見事に噛み合って優れた舞台表現を実現していたのみならず、ダンスと音楽のコラボの中で様々な滑稽、ユーモア、異質な文明の融合や互いの異質性が齎す緊張感も含め根底には人間関係の実際の在り様が表現されていたように思う。楽器も和楽器を洋楽器のように演奏したり、歌唱にしても各ミュージッシャンの示すノリにしても恰もジャズメンのようなノリで観客の体も自然に客席でスウィングするような舞台であった。無論、終演時スタンディング・オベーションをする観客も居た。実に楽しい広く深くイマジネーションの旅をさせてくれる舞台であった。
劇團有機座・ウイングス

劇團有機座・ウイングス

有機事務所 / 劇団有機座

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2022/03/10 (木) ~ 2022/03/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 実に現代的な作品。必見! 華5つ☆ 
 板上は簡素な舞台装置である。下手に操縦席を表す椅子。その後方に四角い頭部を付けた台数個。上手にはL字型に幕を垂らした半分透けた布。光が当たるとこの幕の内側には医務室の内部が見える。ホリゾントにもクロスが垂れ下がっており、脚本の一部が投影されたりする。

ネタバレBOX


 元々はアメリカのラジオ番組の脚本として書かれた原稿がオフブロードウェイで演劇作品として上演され、その脚本を基に有機座の銀漱さんが脚色したのが、今回上演される作品だ。飛行している複葉機の羽の上に立ったり、羽の上を歩いたりすることを旨とする職業があったという。無論この芸当を披露したのは女性であった。然るに今作は、ウィングウォーカーと呼ばれた彼女たちのアクロバティックな活躍を活写した作品ではない。誰でも想像できるだろうが、事故の危険性は非常に高い。そして今作は事故で脳に損傷を負った女性の事故後の様子を描いたものである。将にこの点で今作の現代性が際立つ。有機座は、エンターテインメントを通して高い志を表現する為に随分多くの海外作品にも目を配り、今作もそのようにして選んだ作品の1つである。開演直後に今作をこのように上演するに至った経緯をそれとなく的確で適切な説明で表現してくれるので、すんなり作品に入ってゆける。先に今作が現代的である旨書いたが、それは先進国を筆頭に多くの国々で平均寿命が延びた結果、認知症等、脳の疾患に起因する諸問題が我らの日常生活に大きな影響を齎すに至っていることと無関係ではない。その為に生まれる差別・区別や生活破壊、生きることそのものと社会規範や習慣とのギャップを極めて具体的、社会的、倫理的な総ての要素を含む人間の総合問題として提起しているからである。主人公のスティルソン夫人を演じた翠野 桃さんの演技も素晴らしい。また、事故直後外界とのコミュニケーション齟齬を起こした主人公の模様を脳内のパルスの乱脈な動きを表すかのような映像で象徴的に描いた工夫も評価したい。彼女は事故後、一命を取り留めたものの先に記した如く脳に障害を負ってしまった。然し当時漸く大脳についても科学的研究が格段の進歩を遂げる時代の黎明期に差し掛かっており、医師達によるケアの効果もあり、彼女が左利きであったことが右脳・左脳の機能分担との関係で幸いもして徐々に日常対話の能力等を回復してゆくのだが、この間の彼女自身の内的ストラグルは、当然彼女を取り巻く医療環境に現れた往時の人々の弱者に対する態度を前提として総体を見なければならない。当にこの視座の大切さをこそ今作は訴えていると言わねばならない。実に深く示唆に富んだ作品であり、このように優れた作品を選び、今上演してくれた有機座の見識の高さに賛辞を表したい。
廻人〜めぐりびと〜

廻人〜めぐりびと〜

sirenproject

アトリエファンファーレ東池袋(東京都)

2022/03/09 (水) ~ 2022/03/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 板上は奥が一段高くなった構造、段の奥には打掛の掛かった衣文掛。この打掛で舞台奥を隠し袖として用いている。吉原の廓内は板手前の低い部分を含め上面に緋毛氈が貼られている。高い段の三方には沓脱石を代替する段が一段設えてある。高い段の上・下に呼び込みの際、顔見世に用いるこれも緋色に彩られた桟が組まれているが上手のものは下手のものの倍程の幅。桟各々の端に行燈。桟の上部には天井から提灯が下げられ、粋なことに客席側の側壁にも登場する役者陣の名を記した提灯が下がる。まるで粋なエンコの小屋の趣。(追記後送)

其ノ街の涯ル

其ノ街の涯ル

中央大学第二演劇研究会

シアター風姿花伝(東京都)

2022/03/10 (木) ~ 2022/03/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 中央大学第二演劇研究会2021年度卒業公演と銘打っての公演。(
追記後送)

ネタバレBOX

舞台美術も懲り登場人物数も三十名を超える大所帯。五感を奪われる街、水没する色付きと色無しの街、月が落ちてくる満たされることの無い街。3つの世界が描かれるが今、日本で生きる若者の観ている日常を露わに見るかのように総てがディストピアだ。

ナマリの銅像

ナマリの銅像

劇団身体ゲンゴロウ

ひつじ座(東京都)

2022/03/09 (水) ~ 2022/03/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 ホリゾント中央に2枚のクロスを隙間なく合わせた幕。その手前が一段高くなった舞台、これを囲むように可動式の低い台座を取り付けた1間パネルが設えてある。出捌けは中央奥の幕及び、幕の奥を袖として用い、板のぐるりを通る上手、下手のスペース。
 2月下旬だった公演日程がCovid-19の影響でずれ込んだ。だが、果敢にチャレンジしたこの劇団に好感を持った。兎に角、一所懸命に書いた脚本、そして演技である。上演時間約110分(追記後送)

おとし屋 -SEDUCTRESSES- EPISODE2

おとし屋 -SEDUCTRESSES- EPISODE2

SMASH ENTERTAINMENT

上野ストアハウス(東京都)

2022/03/04 (金) ~ 2022/03/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 板上はシンプルな作り。奥に段差を設け大きな衝立を上・下手にそれぞれ設え真ん中を開けてメインの出捌けに用いる。更に上手衝立の手前、段差の客席側下手に出捌けを設けてある。

ネタバレBOX


 オープニングでは、M.モンローの「七年目の浮気」で地下鉄の吹き出し口のシーンと同じ衣装で登場するマリリンは、無論パツキンの出立。おたくらの溜り場は上手客席側。おとし屋実行部隊メンバーは各々2つの顔を持つ。ある者は会社員、ある者はライター、更にアイドル等々。皆過去におとし屋になりたいと願うトラウマを抱える。今回上演される作品はEpisode2となっているので各々のトラウマは1で描かれていたのかも知れないが、断罪される篠山の母との関係、そのトラウマの詳細も一切分からない。この辺りの事情が伏線として織り込まれていれば作品の深みが増したのだが。脚本では更に英諜報機関の用いる暗号を篠山が用いていることが書かれているが、そんな人間が簡単に己の機密情報を漏らしたりする訳はなく、大切なスーツケースのチェックにもぬかりは無いハズだが、おとし屋がスーツケースに入っているハズの大切な証拠かそれに関わる物を見付ける為にスーツケースを開けた時手袋をしていない点、また篠山の隠れ家に忍び込んだ際にも指紋に一切注意を払っていないのは演出も含めて注意を喚起したい。また、おとし屋達の計画が総て順調に推移してしまう点でも脚本的な弱さがある。1度や2度は、計画が失敗の憂き目に遭うような危ういシーンを入れれば観客はハラハラドキドキが募ってもっと楽しめる。
 ストーリーや演出より、アイドル系の女子の魅力で迫るというのは無論分かるのだが、余りに浅いとそれも白ける。ダンスの上手いのがトッキさん、身体能力が高いのが、オタクの棟梁かレイくんのどちらか。目が大分悪くなったので判然とせず。悪しからず。
 
キミガミテタ明日

キミガミテタ明日

TEAM 6g

萬劇場(東京都)

2022/03/02 (水) ~ 2022/03/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 板上はかなり込み入った舞台構成になっている。

ネタバレBOX

下手手前側壁に短辺を並行にしたL字型の一段高い踊り場が設えられこの踊り場にはバーカウンターと手前の円椅子。この上手に葬儀屋家族の居間。居間の奥にはかなり大きな水屋箪笥が置かれている。白、黒で下手の踊り場付設備や葬儀屋の平台が塗り分けられているのは、無論今作は生死の問題を中心の1つに生計と夢実現の鬩ぎ合いの2つを大きなテーマとした作品であり、丁度楕円の数学的解を求める作業に近い問題を扱っているからである。この住環境は1階部分を為すがホリゾントと1階部分の間には2階が作られており、下手から2階へは観客席に平行に、葬儀屋の居間から2階へは垂直方向に梯子型階段が設えてある。2階部分の出捌けは左右1ヶ所ずつ。1階はバーカウンター奥、葬儀屋の家との間等を区切り、場面転換に応じて出捌け箇所をその場に応じた設定に変更して用いている。方法は吊るす布、ショー等で用いるキラキラしたスパンコール仕立ての垂れ幕等の位置移動、隠す場所の変更で対応。
 その他側壁面、ホリゾント壁面に張られた鉄筋様のパイプが、登場人物各々の綾なす人間関係を表しているようでもあり、後半飛び出してくる保険会社渉外担当者との保険金支払い関係の交渉場面での利害考証関連問答等をも示唆していよう。
 幼少時から思春期に複雑な家庭環境で育った経験を持つ者には、基本的に心に沁み入る物語であり、深い共感を誘うことは間違いない作品であろう。役者陣の演技力の高さも特筆すべきものがあった。
 ただ、多少気になったのは序盤の台詞で聴き取りにくい台詞が若干あったこと(これは自分の年齢のせいかもしれないが)。また昌太の死因が自死なのか事故死なのかを巡っての保険会社渉外担当者と弁護士との論戦では、昌太が小笠原さんに送ったラインの送信時刻から撮影時の時刻は特定でき写真も小笠原さんの証言で特定できる、更に遺体発見箇所と発見時刻、潮流との関係と往時の天気などから送られた写真と撮影場所との関係は相当正確に特定できるハズである。保険会社の利害があるから渉外担当は、自殺としたい訳だし、保険金殺人事件の場合、保険会社が事件性を立証できずに保険金を一旦支払い、その後事件が立証されたケースはいくらでもある。そういったことが弁護士サイドからは問題視されなかった。無論、弁護士サイドがそういうことを言って昌太がひまりの為に残した保険金が支払われてしまえば、今作は不幸な中にも救われる場面がある作品になってしまうので作家はそれを避ける為に姉の発言を入れたのだろうが、自分にはイマイチシックリこない感覚も残った。焦点が2つある楕円だからだろうが。
Anonymous Gods

Anonymous Gods

Orgel Theatre

雑遊(東京都)

2022/02/24 (木) ~ 2022/02/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 女優陣の演技も良い。
 板上ホリゾントには、時に応じて諸星が映写されるがその手前には堤防のような提。そしてこの提には橋の欄干がデザインされている。内容的にも芸者(厳密には芸者と妓婦は無論異なる)が橋を渡る小話が挿入されているので「心中天網島」の橋づくし等も想起させイマジネーションを大きく膨らませる。(華5つ☆)

ネタバレBOX

この提の更に手前には鉄パイプを横長の井桁に組んだ構造が配され更に手前には天井辺りから客席方向へ延びた鉄パイプが矢張り銀色の光を放って下手・上手に配されているが、シンメトリーにはなっていない。井桁部分は登場人物の1人、カスミが売れないカメラマンなのでカメラのフレームを表しているとみることができる。手前の鉄パイプ2本がシンメトリーになっていないのは、カスミとそのパトロン的役割を果たすことになった、元プリマのサラサとの、また人工授精をし妊娠中のカスミと彼女のパートナーであるアオイとの出産を巡る齟齬や、施設で育ち体中に傷跡を残し、身体の残した傷がトラウマとなって精神を蝕む、彫り師をしているナオと彼女のパートナー、サラサとのサディスティックな即ち同時にマゾヒスティックな関係性の非対称性やアンヴィヴァレンツを表していよう。無論、自死を目指す己を被写体に撮影をカスミに依頼したサラサと撮影者カスミとの単に見る、見られる関係に於ける優位性の問題から更に踏み込んだ能動態VS受動態に於ける強弱関係をも表している。これらの相関関係を描くことによって、今作の訴えるモノ・コトとは、我らが日々送る困難でパースペクティブを欠いた世界を生きる知的生命とは何か? 我らヒトに生きる意味はあるか? であると同時に生き抜くことへのどうしようもない欲求であると思われる。
たぶん きっと おそらく ゾンビ 

たぶん きっと おそらく ゾンビ 

トツゲキ倶楽部

小劇場 楽園(東京都)

2022/02/23 (水) ~ 2022/02/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 開演前には1960年代に流行ったグループサウンズの曲やヒット曲が流れ、ホリゾントの左側コーナー辺りにCDに青い光を当てたような映像がリズミカルに踊っている。出捌けは下手側壁に2カ所、換気の為もあって劇場入口を閉めずに公演しているので劇場入り口も出捌けに用いて3カ所。
 板上は、下手奥のコーナー部分に正方形の平台を据え、コーナー部分に平台と異なる色の1辺50㎝程のマット。上手ホリゾントの手前にパイプ椅子3脚。マットはクローゼットを表しているが、本番前の稽古という設定なのでクローゼットに壁は無く素通しである。
 明転すると前説と称して役者が登場するが、通常と異なり、そのまま本編に続いてゆくという変則的な開幕。(追記2.25 02時52分)

ネタバレBOX


 さて今作では2回も公演を中止せざるを得ず、遂に劇団解散という苦渋の決断に追い込まれた小劇場劇団の最終公演初日の模様が描かれる。言う迄もあるまいが役者をやっている人々は、演劇が好きで好きでたまらない。そんな役者魂が貧しさや結婚、年取った親の世話等止むに止まれぬ事情から、生身に鑢を当てられるように削られ引き剥がされて役者の道を断念する者も現れる。ところが三十路を越えても、結婚に関するイヤミを散々謂われても本気で芝居を続けようとする意志を持つ女優の覚悟に対し、諸般の事情から役者を諦めたものの、矢張り演劇界からは足を洗えない先輩との息詰まる対決シーンで生涯夢を貫くことの難しさを描いた挿話を含め、よくある劇団員や客演の役者を含めての恋バナ、また恋が複雑に絡み合うXXタラシ関連のあれやこれや。噂が噂を呼びあちこちに飛び火して事実とは異なる噂話が独り歩きし始めることによる脱線・誤解に起因するあれこれ。表面的に描かれていることは、このようなストリームと彼女と大喧嘩の後、行方不明の出演者の穴埋め問題、電車の運行停止の原因不明瞭や一時的な通信遮断もあり様々な噂や不確定要素が原因となった疑心暗鬼。迫る初日開演時刻にも拘わらず行方不明の出演者からの連絡も無いことが原因の宙づり状態。そんな五里霧中の役者達を襲うのは電車が止まっている原因はゾンビが現れ、人々を襲っていることだとの情報。メンバーの自殺指向と自殺した場合ゾンビになってしまうことに対する対応等々が加わり、錯綜する情報と迫る開演時刻という切羽詰まった状況。公演の開始時刻を遅らせるか、公演延期或は中止にするか。そもそも公演が打てるか否かの判断も、判断材料が確かであるとは言い切れない以上難しい。刻々と過ぎ行く時間。決死の覚悟でどうなっているのかを確かめに行くタイムリーパー。ゾンビが物凄い勢いで増え続けていることは確認できた。だが、逃げ出すチャンスの最後と思える時になってタイムリーパーが時間を移動できる最終回を迎えてしまった。公演が出来る状態では無い。劇場周りにもゾンビが集まって来て彼らの発する悍ましい音が迫る。何としても生き延び、公演は延期して再起を期す以外に道は無い。ゾンビの動作は鈍く誰かが囮になって他の者を逃がす他は無い。囮になる者を決める為籤を引いた。
 By the way、何故今作は、こんな形で始まったのか? 今作のタイトルの何とも言えない曖昧さが出て来る必然性は何か? 今作の本当の主人公は誰なのか? 等々ちょっと視点を変えて見てみると今作の本当の狙いが透けて見えるように思う。その上で今作を観るなら我々が日々暮らし体験している鵺的世界の中心を為す本質、虚という恐るべき欺瞞装置が見えてくるのではないか? 
Speak low, No tail (tale).

Speak low, No tail (tale).

燐光群

新宿シアタートップス(東京都)

2022/02/18 (金) ~ 2022/02/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 板上奥にはちょっとした堤防のような壁。その手前から距離を置いて屋根のようにぶっちがえになったカウンター。これはジャズバー・Speak lowのカウンターである。Speak lowの客は奥に座る。カウンター手前にはボトル等の載った台や冷蔵庫、その上手に調理器具や調理台。マスターの居場所を挟んで観客側に、正方形の平台が頂点をカウンターの鋭角に向けるように置かれている。この平台はライブ等の際、ステージとして用いられる。奥の堤防のような壁とSpeak lowの店内は照明で見事に分けられる。(追記2.21)

ネタバレBOX

 物語は60年代から隆盛をみたミニマルミュージックの流れがジャズ界にも影響を与えたのか、フュージョン等がしきりに喧伝された1980年頃からの約30年間に起こった数々の事件や災害、世相や時代の変遷、社員生活の鬱憤等に揉まれて変わってゆく人情を、店で掛かるLPジャズ曲の変遷と客たちの会話・店名になっているSpeak lowのそれとない説明に歌唱で表現。この店での振る舞い方やマスターの音楽哲学等々が、常連客との会話で挿入される。
 堤防のように見える場所はSpeak low以外の様々な空間を表現するのに用いられる。例えばここに載って野良猫各々に好きな仇名をつけあれやこれや話す女性達の会話が為される庭付きの個人宅にもなれば、全く別のある家族の飼っていた犬や猫等との関わりを通して市井の人々が身近な命と出会い、面倒をみたり育てたりしつつ体得してゆく命そのものと出会う場として。更にペット達の餌や寿命を通して「家族」として認知していながら餌の栄養素をキチンと考慮せずに与えていた昭和を過ごした場、そこで飼われた何代も同じ名前の犬、猫の寿命を通して知った壊れ物としての命、掛かるが故に尊いと気付くことの余りにも当たり前過ぎて気付かなかった生命の等価性が対置される。無論、これら命の物語が、煩わしい世間からの隠れ場所としてのSpeak louというショックアブソーバーを仲立ちにそこで話される世間とも対置されている。ラストは想像できよう。
救世の曲

救世の曲

絶対♡福井夏

Mixalive TOKYO・Hall Mixa(東京都)

2022/02/18 (金) ~ 2022/02/21 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★


 脚本・演出はMCRの櫻井智也氏。

ネタバレBOX

彼の作品らしく鬱屈した現代の若者の心理とあてどない日常をベースにふつふつと煮え滾るパトスが、エートスを求めて彷徨った果てに辿り着いた決着を描いた。実際に起こった事件にヒントを得て書かれた作品らしい。人間とは、何かの中間に在る存在であることを知っている中間的な存在であるが、己の立ち位置の選択を間違えると決して精神的安定を得ることはできない。先に述べたパトスがエートスを求めて彷徨う状況とは正しくこれである。彷徨ううちには、その心理的葛藤から様々な矛盾や脱理性的思惟や行動が現れやすい。そしてそのような状態は、自分独りでは解決できない。但し、その不完全で不安定な己を支えてくれているもの・ひとは案外傍に居て殆ど自分では意識できないほど密接に、空気のように自然に存在している。そのことが恐らく本能的に不完全で未完成な自らを追い詰める刃のように作用する。為に今作で描かれたような行為に至ったと考えられよう。支えてくれていた者が詩的な感性と優しさを持つ者であった為に一層、彼らが為したことが明らかになった時、観客は薄気味の悪さと衝撃を受けるのだ。
宮城野(東京公演)

宮城野(東京公演)

劇団あおきりみかん

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2022/02/11 (金) ~ 2022/02/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

Cチームを拝見。あおきりみかんには珍しい外部脚本による本公演。
 江戸三大飢饉の一つ、天保の大飢饉は、為政者の放埓・腐敗を同時にあらわにした。(追記2.14)

ネタバレBOX

 物語は、天保の大飢饉(1833年から数年に亘る大飢饉)が人々を襲い大塩平八郎が大阪で乱(現行暦で1837年3月25日)を起こした後、江戸麻布で春を鬻ぐ宮城野の部屋で展開する。
 ホリゾント中央に出捌け。板上、下手奥に衣文掛、上手奥に鏡、部屋中央に酒器を載せた台、下手観客席に近い所に鉄瓶を掛けた火鉢。終始舞台上の明度は低く蝋燭の灯りが煌めく程である。この明度の極端な低さは、時代の混迷と昏さを象徴しているのは明らかだ。陽の光は未だ差すものの既に午後3時か4時頃から翌朝に掛けての宮城野と謎の多い高名な絵師・東洲斎写楽の弟子・矢太郎を巡る人々が描かれる。登場人物は宮城野と割りない仲の矢太郎の2名。写楽の謎を実に上手く溶け込ませて練り込んだ脚本を、現代風に言えばジェンダーの問題として表現してみせた考えさせる作品である。開演前に既に宮城野は部家中央に座し観客に背を向けている。せせらぎが流れるような音が続いている。
 明転すると矢太郎と宮城野。酒が進まない矢太郎の様子は、どこかいつもと違いおかしい。宮城野は、矢太郎の払いは総て肩代わりしている仲なのでこの辺りの感覚の鋭さは、当然であるが、この直後“人を殺してきたんじゃないか”との疑念をぶつける。イキナリ佳境に入ってくるのである。この脚本が素晴らしい。
 ところで宮城野は遊女である。先に説明したように天保の大飢饉は数年に亘って続き多くの餓死者を出した。殊に東北での飢饉は凄まじく日本最大級の餓死者を出した。貧農の娘は女衒に買われ遊女として売られた者が多い。そんな事情もあってか、出身地は詳述されない宮城野も一般的には当時の日本で最も苦労を強いられた女性の一人であったということができよう。つまりジェンダーとしては、現在でも続く男性中心社会の周縁部に追いやられていた女性の中にあっても、その最下辺に位置する階層に属していたと考えられる。そんな状態に置かれれば大抵の人は、余りの絶望の深さから総てを諦めやけっぱちの人生を送るか、奴隷の如き精神状態を呈する者が圧倒的に多かろう。然るに宮城野は、追い詰められた者を放っておけないという極めて人間的な美質を保つことによって、破天荒で救いの無い人間とは一線を画していた。その深い淵源を彼女自身気付いて居ないかのような筆致で物語は紡がれてゆく。然し、物語の進展に連れ、彼女の行為の原点が幾重にも仕組まれたどんでん返しの内に明らかにされてゆく。そして遂に彼女の為していることが人間全体に対しての贖罪のような形で現れる。つまり一般に膾炙した話としては、キリストによる人類全体に対する贖罪と全く同質のものとして提起されているのである。
 男社会の齎した矛盾や破綻のツケを担わされ続けられてきた女性全体を、演劇では宮城野という個人で代替して描いている。序盤で指摘した通り、明度の極めて低い照明は、昏い時代とその昏さを生きる人々の心・魂の闇を表しているがその昏い照明の中、実に効果的に音響が用いられていることも特記しておきたい。開演前に聞こえるせせらぎのような音も、劇中響く凄まじい落雷の音も暗いままの照明も総てが、差別されそれを為さしめてきた男性社会の不条理性とこれら負の遺産を何とか持ちこたえてきた女性の魂が上演中何度も聞こえる澄んだ鈴のような音で示される。無論、これは宮城野の魂の音として示されているのであるが。
 物語の詳細については、ここで詳述することは控える。1966年に矢代清一氏が発表した作品をお読み頂きたい。



The leg line

The leg line

仮想定規

中野スタジオあくとれ(東京都)

2022/02/10 (木) ~ 2022/02/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 12月公演より、哲学部分にやや比重が掛かった公演になった。(追記2.12)華4つ☆

ネタバレBOX


The leg line2022.2.10 19時 あくとれ
 12月の公演同様キャスター付きハンガーが板上に置かれている。開演前には地下に水滴が落ち反響するような音が響いている。明転すると独りの男・ダンサーが居り、劇場の奈落だとの説明と共にダンスを始める。このダンス中々質の高いもので感心させられたが、劇場には死と生が混在していて、奈落は謂わば板一枚隔てた上の舞台の反対、上が生なら底は死。と哲学的な台詞を吐きつつ踊る。では後で出て来るハズの俳優陣が生きているなら、今踊っている彼は何なのだ? という問いが観客の頭に自然に浮かぶ導入部だ。
今回の公演も基本的な物語の設定は変わらない。間近への落雷・豪雨、突風等酷い悪天候の影響で殆どの交通はストップ、停電に事故、おまけに携帯迄使えない。だが、この劇場は寺や神社同様、入口を施錠していない。“劇場はどんな時にも開かれていなければならない”がこの小屋の先代からの哲学だ、それに何としても公演は打たねばならない。何故なら雨露を凌ぐ家も無い、寒風に抗う壁すらない、身よりも助けてくれる人もない、そんな困難を抱えた人が来るかも知れない。或は魂の只中にそのような精神状況を抱えた孤独な人たちが来るかも知れない。その昏い孤独な人生を受け入れ、暗い観客席に身を置いて舞台に煌めく幻を観ている間だけは、そんな人々も板上の幻影と戯れ想像の翼を存分に広げ、自由に羽搏くことができる。演劇とはそのような力を持つものであり、劇場とはこの不可思議を成立させる場所なのである。この辺りのことは、オープニング直後の鏡前のシーンで如実に表現される、楽屋には横一列に並べられたキャスター付きのハンガー。無論素通しであるが、設定として鏡が嵌ったことになっており、役者は舞台奥で鏡を見ながら身なりを整えたり髪を整えたりする。これは当然、開幕時の奈落と板上での生と死が上下、左右と座標軸を変えてはあるものの能の鏡の間と本舞台での生と死の関係や、もう少し想像力を数学的に広げただけでThrough the Looking Grassで描かれるこちらとあちらの関係を直ぐに想起させる。
 ただ、換気中のパフォーマンスを挟んだ2部・ショータイムは、少し12月公演より理に落ちた。12月公演では、よりハッチャけたショータイムが演じられ、そのアナーキーな感触が自由そのものへのオマージュとして見事に機能していたのだが、今回は、オープニングとエンエィングで劇場に棲む不可思議な存在たちで1・2部をサンドイッチ形式にし、形を定型にしたことと、ショーの個々の演目でRiceの歌う歌詞は、前半からの台詞との兼ね合いもあり説明通りのものだったためハッチャけ感に欠けたのが残念。また桜のパフォーマンスも如何にもアイドルらしい演出でこれもコンセプト通りだった点でハッチャけ感が乏しかったのがショー評価の分かれ目となった気がする。サラはベテランシャンソン歌手らしく、要所要所を締め、流石に貫禄充分、ハッチャけの重石として機能、茶沢の仏具やおもちゃを使った音響パフォーマンスは秀逸。これははっちゃケていた。まちおかの何となくニュートラルな表現も、劇場支配人役も質実な演技でグー。アイドルマネージャー役も難しい憎まれ役をキチンと演じていた。腹ペコのおっさん役は台詞回しがグー。



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