ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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バカの声

バカの声

ツツシニウム

キーノートシアター(東京都)

2022/07/01 (金) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 公演終了後に詳しいことは書く。然し乍ら、現代の病巣を鋭く抉った手口は鮮やかなもの。お勧めである。
 舞台上の3面総てに紐で作られた網目状の物が巡らされているが、無論我らを取り巻き、絡めとろうと張り巡らされた電網空間の象徴であることは明らかだろう。感の良い人なら、これだけヒントを出せば本質は簡単に掴めよう。お約束の追記7.20.若干重複する部分あり。華5つ☆

ネタバレBOX

 ミノルとユウは飲み屋で知り合い意気投合、ミノルがユウに心を開けたのは彼が全盲で而も感が良くデリカシーもあって、何となく自分を曝け出しても良い、と感じることができたからだった。ユウは誘われるままミノルの住いに立ち寄る。ミノルの仕事は依頼を受けるとターゲットにされた人物の個人情報を徹底的に洗い出しSNS等にアップしてターゲットの人生を目茶目茶に壊すことだ。こんなミノルは7年前、家を出た。父が父に恋した女生徒・ヨウコの色仕掛けも告白も受け入れなかった為、ヨウコは父が彼女にセクハラをしたと訴え、父は無実を主張したが誰にも認められずに生徒達の目の前で自殺を遂げた。当然の結果としてミノルと妹のカホはセクハラ教師の子供として苛めに遭い妹は登校拒否、父の血を呪い、母と自分を置き去りに失踪した兄をも父同様毛嫌いしていた。ミノルは失踪後、7年間連絡も全く取らなかった。然し7年後のこの日、2人は駅前でバッタリ出会った。妹は売れない小説家の卵・ケイスケと付き合っており、デートの待ち合わせをしていたが売れない小説家である以上妹に負担を掛けていることを見透かされ「奢ってやる」と無理やり割り込まれた。
 ヨウコは相変わらず歪んだ心で今では人々を不幸に巻き込んでいる。唯己の悪を叱って欲しいという甘え故に。
 ミノルの家で時を過ごしていたユウは全く目の見えない境遇からヨウコの孤独を見抜く。ミノルの所へ何度も届いていた‟彼の正体を知っているぞ“との不気味な脅しを送って来た者の正体を、ミノルもユウの指摘から知ることになる。
 一方、ネット上で簡単なアルバイトを引き受けたケイスケは、ヨウコに嵌められて中身不明の荷物を届けたことによって爆発物事件に関わることになってしまった。何とか助かりたい彼はカホに縋り、カホは恨んでいる兄を自殺と見せかけて爆発物事件の犯人に仕立て上げ殺害する為兄の下を訪れる。そこで兄が妹に話したことは、父が無実であったこと、総てはヨウコの嘘の所為で父は自殺に追い込まれ、兄弟は苛めに遭って地獄を味わった経緯と事実であった。更にカホの計画も簡単に見破られてしまうことを立証、カホはケイスケに自首を勧め、彼をそれでも支える道を選んで兄の部屋を去る。カホの訪問中、ユウは手洗いに立っていて、カホが帰るのと入れ替わりに部屋に戻ってくる。残ったミノルとユウ、目の不自由なユウの為にミノルは言葉でこれから為すべき動作を指示しながらハグをし次に握手をする。即ち人としての友誼を紡ぐ。当然の事ながらヨウコは相変わらず独り、行く先は決まり切っていよう。
 ところで、今作ホリゾント、左右壁面には網のように線が張り巡らされている。この網は無論電網ネットに囲まれて生活する我らの空間を象徴している。だが、タイトルに現れるバカの指し示している対象は誰か? 表層で眺めるならヨウコの嘘に他愛もなく騙された世間、即ちネットを利用したフェイクに真偽も根拠も事実関係や因果、動機等々最低限客観化せねばならぬことをせず、名指された対象者を根拠なく指弾するミムメモの群れと取れるが、果たしてそれだけだろうか? 寧ろ作家が、これらの状況総てをメタ化することで登場人物及びそのキャラが描いている総ての人々(除外できるのはユウのみ)が電網世界で電妄に踊らされている姿なのではないか?

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2022/06/16 (木) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

IDTF2022 7.5 19時 シアターX
本日の出演は3組

ネタバレBOX


 初めにフィンランドから来日のヴィルピ・パハキネンさん。筝の森稚重子さんの生演奏との共演だ。筝は十七弦他二つの筝を用いた。作品のタイトルは「Solos」。2人のアーティストのSoloが重なるという意味でも具体的にダンスが蜘蛛を描いた作品とモルフォ蝶を描いた作品2作によって構成されていることも含めて複数のsが付いているのは象徴的だ。
 ヴィルピさんは2000年のIDTFに参加して以来2度目の出演で、本来前回2020年の第14回IDTFに参加を予定していたがCovid-19の影響で参加できずその時のメインテーマは“『蟲愛づる姫』(「堤中納言語」に所収)とBiohistory=生きものの物語”と題されていた。当然そのつもりで今回演じられた2作品を準備して『蟲愛づる姫』に参加を予定しており、主催者側が今回のコンセプトとも関連があると判断、発表作品を変更することなく演じられた。
 構成は2部に分かれ、1部では蜘蛛が2部ではモルフォ蝶が演じられた。筝は十七弦筝を1部の演奏に、通常サイズの筝を2部の演奏に用いた。森さんは作曲もするので、上演作品の為に作曲。フィンランドと日本で各々が独自にを作った作品をネット上で交信してみると波長がピタリと合ったのであった。拝見・拝聴し乍ら感じていた量子の重なり合いというようなことが2人のアーティストの間で実際に起こったのかも知れない。ダンスは、形態模写を基本とするように見えつつ、もっと遥かに深い命の根のような所で息ずく生命そのものの波動(例えば電子)と存在(例えば粒子)を同時に表しているような形象であり蜘蛛では筝が、モルフォ蝶では森さんとルイ・ヘルナンさん、コルテス・マヤさんの音響が用いられ呼応した。また衣装は、蜘蛛では黒ベース、モルフォ蝶ではブルーベース、見事であった。
 次の出演者・藍木二朗氏はソロ。コーポラルマイムやパントマイム、モダン、コンテンポラリーダンス等をやってきた人だが、今回の発表作「バイオポップ」では、ルネサンスを独自解釈している点では以前書いた女性コンテンポラリーダンサーの浅野里江さん同様だが、浅野さんのRenaissance解釈とは無論全く異なり、映画バイオハザードやゲームの視座を取り込んだという。Renaissanceにしては発想が余りに安易に感じられたのは、男性は日常的に己の身体を女性ほど強く意識せずに済むからかも知れない。
 トリを飾ったのは矢張り女性ダンサー清水知恵さんだったが、タイトルは「Voiceless Whisper」。人間環境学の研究もして博士号も取得、大学教授でもある。使われた曲はグレツキの交響曲第3番第2楽章「悲歌のシンフォニー」。流石インテリの知的で深く更に純度の高いダンスと感心させられた。それは研究と、重ね合わせ可能な量子的世界やボードレールのコレスポンダンスの世界を綯い交ぜたような世界であり、身体表現であるダンスとより緊密に而もより照応して波を形作るような表現と感じたのは自分ばかりではあるまい。この点では本日初めに演じられた「Solos」とも共振しているような気がしてならぬ。

正義の人びと

正義の人びと

オフィス再生

六本木ストライプスペース(東京都)

2022/07/02 (土) ~ 2022/07/05 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 久しぶりにカミユをまた読みたくなってしまった。本当に深く考えさせる作品。華5つ☆(追記7.15)

ネタバレBOX

 Albert CAMUSの原作「Les Justes」をオフィス再生の高木氏は今回上演の為訳し直している。自分は初見であったがオフィス再生が今作に取り組むのは4回目だ。今作を拝見した感覚から言うと恐らく過去3回の公演に於いてもその時節、時節の社会状況を反映した素晴らしい作品であったであろうと思われるが、初演は1949年12月15日パリで初日を開けた。因みに今回開演中殆どの場面で背景にタイプライターを叩く音が入っているが、これは作家CAMUSが原稿を書いている音でありタイトルのJustesでJが大文字で書かれているのには意味がある。第2次大戦中フランスは開戦直後から4年に亘ってドイツに占領され傀儡政権も機能していた。この状況の中で迫害されたユダヤ人を匿った人々を指す特別の意味が付与されている為大文字が用いられているという。
 今作の時代設定は1905年2月のロシアである。モスクワ総督を務めていたセルゲイ・アレクサンドロヴィチ爆殺事件という史実をベースに襲撃側・社会革命党(エスエル)の内部事情を主として描き、神無き時代、存在する為の正当な論拠を一切持たない我らヒトは何処から来、何処へ行くのか、我らヒトとは何か? との難問にも答えられぬまま、飢え、寒さに震え、圧政、投獄等の弾圧に苦しむ民の側に立つ者は憎しみを以て為政者に対するのか? 或は公正や愛や正義を以て対するのかを巡る大論争が爆殺実行犯となった詩人、カリャーエフ(後者)と投獄後脱獄したステパン(前者)の間に巻き起こり、観客に深く考え込ませる。ここでこの2人に絡んで非常に大事なキャラ爆弾製造人のドーラが登場する。彼女はカリャーエフを愛しその愛は実存的であるが、カリャーエフの彼女に対する愛はより社会的・観念的である。役者陣は総数6名、内男性は1名のみ(作家役)、他は総て男性の役も女優が務める。実力派の演技人ばかりなので女性が内側に持っている男性性を上手に紡いで女優が男性を演じる違和感を感じさせない所は流石である。また今作上演会場となった六本木ストライプ スペースの特異な形状を上手に、効果的・象徴的に用いている点も、舞台美術・照明や音響効果の用い方と達者な役者陣とのコンビネーションを緻密にセンス良く組み合わせた演出と共に評価したい。中央上部から階段の段側を観客に見せて降りて来る踊り場を経て真反対方向に下る階段の背が下段に見える。この特異な構造が床面から立ち上がっているのが面白い。下手側壁にはモスクワの道路、通路が描かれた地図と地図上に大公らの写真、そして下手客席横にはロシア語の新聞等が貼られている。階段手前やや上手に丸テーブル、テーブル上に粗末なポットとカップ1つ、椅子。出捌けは上手奥の会場出入り口。ホリゾント側の袖。階段上部で見切れに成る場所。下手ホリゾントに接する一角にタイプライターとそれに向かい合うように置かれた椅子。縦長の姿見が数個それとなく散在している。
 ところで、今作で日本人に分かり難いのがエスエルメンバーがそれまでのヨーロッパで人間存在を支えていた神に因る創造という存在論の神学的根拠を既に壊れたと判断して居ながら、弱い者の側に立つ為の根底的な論理を存在の根拠にではなく来るべき理想に求め、それを手に入れる方法としてテロを選ぶ訳だが、その際に必要となる己自体の存在の論拠が既に瓦解した央に首筋をシャンと伸ばし未だ訪れない理想に向かって必死に自らの正当性を鼓舞しようとする思念の姿にしかないこと。その脇に常に寄り添い、あわよくばこの思念を飲み込んでしまおうと張り付いた怪物が居ることを。そしてこの怪物の名を言わぬが為に首筋をあくまで伸ばし頭を高く掲げて己の正当性を主張しようとしていることの意味を。これこそ、例えば先に挙げたカリャーエフの観念的イデオロギーの露呈する浅さであり、彼ほど整合的・論理的では無い乍ら「我らは何処から来て何処へ行くのか? 我らヒトとは何か?」という有史以来誰一人答えを出し得ていない問いと戦う実存的問いを発しているドーラの位置である。而もその彼女ですら、次の実行犯として自らが立とうと決意している点に、ロシア革命に繋がったと歴史的評価をされるこの事件の真に考察されるべき所以がある。そして我々が今、当に彼らの置かれていたのと根本的に搾取構造も人々の知恵のレベルも本質的に変わらない社会に生きているが故に、今作に深く触発されているのだという事実を。

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2022/06/16 (木) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 何れの公演も、板上に大道具は無い。フラットな空間である。2つのダンス公演で観客はダンサーの身体の動きや、小道具、音響や照明効果を通して自由に想像力の翼を広げることができる。

ネタバレBOX


 CDS OSAKAは大阪発祥の個性豊かなダンスの発信を主目的とした発表の場・Creative Dance Showcaseの企画から生まれた。ダンサーたちの構成はストリート、ジャズ、コンテンポラリー等から成る。今回の演目は「記憶の青-Microplastics Dance-」。気候変動問題で国連事務総長のグテレス氏が「世界は燃えている」と危機感を表明したばかりだが、生態系に及ぼすプラスチック塵の深刻さは、この問題に勝るとも劣らない重大問題である。背景に流れる音楽は、この問題を真正面から取り上げる歌詞、ブレイクダンスで世界チャンプに輝いた経歴も持つダンサーSHUNJI氏が深い海やコバルトブルーに輝く一見何の問題も無いかに見える海でのたうち回る生命のけったいな有り様を形象化するのと同時に巨大な漁網に絡めとられる海洋生物たちの姿が表現されるインパクトは凄まじい。そしてその海には、人間の力で処理しきれない放射性物質が日々世界中で垂れ流されているのである。何と罪深く愚か而も情けない生き物であることか、人間とは! この事実を痛切に問い掛ける。

 2作目は武術的ダンスというコンセプトで表現された「light」加世田 剛氏のソロである。映像と舞台を融合させたパフォーマンスグループ・ENRAのメンバーであり、全米武術大会で3度優勝の実績を持つ。パソコン作業用の椅子を用いたパフォーマンスで必ず固定した部分を作り、他の身体部分を用いて表現に繋げるというスタイルで踊った。西洋のクラシックなダンスと身体の用い方が決定的に異なる点があるが、無論格闘技である武術の身体用法から来ており、素人が真似すると危険だからその差異は示さずにおく。参考までに大山倍達がダンサーが喧嘩をやったら強い、と言っていたことを記しておこう。ブレイクダンスの動きにはカンフ―やカポエラが取り入れられていることも知っておいて損は無かろう。

 トリは宇佐美雅司氏の「Listen to the He:art Where is the truth?」ジャック・プレヴェールの「おりこうでない子どもたちのための⑧つのおはなし」を独自に構成、演出し出演したが、自分はこの作品を読んでいないので評価まではしないでおく。何れ読んだ後に何かが書けるかもしれない。
第10回西谷国登ヴァイオリンリサイタルSpecial!

第10回西谷国登ヴァイオリンリサイタルSpecial!

西谷国登リサイタル

浜離宮朝日ホール(東京都)

2022/07/03 (日) ~ 2022/07/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 西谷さんの10回目のヴァイオリンリサイタル。

ネタバレBOX

本当なら2年前に上演されるハズだった10回目のリサイタルがCovid-19の為、中止となってしまった。西谷氏の落胆・やるせなさ、そして先の見えない中でのインセンティブの低下やボディーブローのように効いてくる経済的苦悩、と思うように表現し得ない状況に対する苦悩は真剣に表現しようとするアーティスト総てが抱えてきた大問題であった。と同時にアートを日々の糧とする我ら愛好家にとってもアーティスト本人たち程では無いにせよ、深刻な飢えを齎してきたのだということを、このコンサートを聴くに及んで改めて痛感した。
 元々フルオケの為に作曲されたヴァイオリン協奏曲2曲を弦楽合奏版に編曲し直し今回の演奏に至ったのが第1部。無論、2曲共に世界初演である。初めにM.ブルッフヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26の「弦楽合奏版(2020)」、2曲目がC.サン・サーンスヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61「弦楽合奏版2020」無論、こちらも世界初演。何れも西谷氏が2020年に予定されていたコンサートが中止の憂き目を見、1カ月朝から晩まで掛けて編曲した作品である。連日我々の体温を越すような猛暑の続く中、西谷氏の正装でのアグレッシブでサンパティックな弾き振り、彼が信頼する弦楽演奏者らの見事な呼応は、改めてクラシックの上質な生演奏に飢え且つ求めていた自分のヒートアップを宥めてくれた。休憩を挟んで新納 洋介氏のピアノ、西谷氏のヴァイオリンでC.フランクの「ヴァイオリンソナタイ長調(1886)」
 Covid-19は収束していないから、アーティストとの終演後の面会等は一切禁止ということもあって、出演者全員登壇の撮影タイムが設けられた他、極めてスピーディーで興の乗る曲がアンコールで奏され、西谷氏のサービス精神の真骨頂をも示した。余りに聞き惚れて、帰りは指定順に退場で自分の場合かなり退場時までに余裕があったのに椅子から立ち上がる際によろめいてしまった。単に年齢のせいではなく明らかに精神を集中し過ぎた為であるのは明白であった。
遺作

遺作

男〆天魚

ザ・ポケット(東京都)

2022/06/29 (水) ~ 2022/07/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

華4つ☆

ネタバレBOX

 本番迄1週間。役者、演出助手は追われていた。果てしの無い切迫感と焦り、ところで何に? 見通しの立たない状況にである。未だ原稿が上がってこないのだ。入稿済みはオープニングのみ。それも三流劇団の、否歯牙にも掛からないような駄作という以外、現時点では評価の仕様が無い代物なのである。無論、今後の展開次第では、わざとそのようなオープニングにしてあることも考えられるが、推理作品。それも19世紀前半の貴族階級の間に巻き起こる殺人事件? 或は自殺。その真偽を確かめるべく登場人物の中に私立探偵、助手、そして警部がおり、獣医師も居る。
 作家に連絡のついた最後の時点では「新たなトリックのアイデアが浮かばず頓挫状態にある」とのことであった。脚本が無ければ演ずることが出来ない。出演者の数は客演の方が多い。詰め寄る客演俳優たちの追及に演出助手は咄嗟に嘘を吐いた。「漸く連絡が付いた、物語の流れはある程度掴んだということのようである」であれば30枚程度は何とかなるのでは無いかということでその場はひとまず収まったのだが。
 板奥は一段高くなってホリゾントに接しており、この一角に木製のしゃれた丸テーブルと椅子、目立たぬように箱馬。何れも落ち着いた色調である。この段の下手・上手が出捌け。上手出捌けの客席側に背丈の高い木枠。木枠上部から首吊り用のロープが垂れ下がっている。
 以上の文章の安定感の無さからも分かるように、各要素に全体的な調和が欠け、ミステリーなのにコメディー要素が入る、場面にそぐわぬ誇張が目に付く。死体発見時に履物に仕掛けた笛が鳴る等々の茶化しが入る等々、作品への破壊工作が至る所に仕掛けられていてわざとらしさが鼻につく。
 このしっちゃかめっちゃかが大団円に向けて収束してゆくのだが、一応ミステリーの体裁を採り上演中の作品でもあるので詳細は省く。だが中盤から劇団員たちと客演たちとの関係を結んで行く仲介者の働きを通して各演者の演技がキチンと生きて働くようになると共に、脚本が上がらぬ中での公演中止を避ける為に試みられた華やかで切れの良いダンス等の試行錯誤、最終盤で幾重にも重ねられたどんでん返しや、気の利いた悪戯を織り込むことによって、とどのつまり、芝居は役者の力量が高ければ何とかなるものだ、との結論を導き出している点は高く評価したい。
第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2022/06/16 (木) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 14時半からはダンスパフォーマンス等4つのグループが演じた。

ネタバレBOX

 先陣を切ったのはグローバルカルチャー那須「日本の音とおどりスペシャル」このグループは日本舞踊を時間的にも空間的にも広げてゆこうと志す人々の集いである。実際に日本の舞踊家同様オーストリア出身の女性が和服で日本舞踊をソロで舞い、日本の舞踊家はソロ或はデュオで舞うが、時に剣舞を扇を用いて舞い、切れも優雅と華やかさも兼ね備えた踊りに鉦、篠笛、尺八、鼓等の生演奏が実に心地よい。
 続いて登場したのは中野ちぐささんの作品「花ハ散リ種ハ飛ブ」ローティーンの少年、少女も参加し自然の中での総ての生き物の、生命のサーキュレーションを描いた作品。無論、IDTFのコンセプトに沿って作られた作品である。タイトルにカタカナが入っているのは、現代日本の抱える社会的歪みをひらかなの持つ柔らかさではなく、カタカナの持つ硬直性というか非柔軟性で表して居る気がする。生命は基本的に温かく、柔らかい。例え表面は硬くてもその初めの形、例えば卵の生命に直結する部分は柔らかで流動的である。
 三番目は若手ダンサー、品田彩さん・大淵水緒さんのデュオ。タイトルは「鼓動の記憶」尚お二人の共演は今回で2作目。現代日本に生きる若者らしく命じる側の非科学性や不合理が余りにも明らかな故に不合理そのものと化した規制・規則・強制される規範や情報操作、フェイク等々の擬制・欺瞞に対し脈打つ鼓動を通しての切なる命の表現。
 どん尻に控えしはむつみ・ねいろさんらのデュオ「夢で会いましょう」。最初からハイテンションで始まったダンスは日常の中に殆どシュールに飛び込んで来た、実に日常的なのに大きな違和感を伴った花を活け大きく四角い箱を背中に背負い自転車に乗る女性の出現に対置される。メインのダンスを踊る男性は何時しか下着一つになり調和のとれたクラシックの名曲にそぐわないダンスを踊っているが、これが極めて滑稽で背の荷物以外は極めて日常的で全うな自転車に乗った女性の動きに対して生き物としてピエロ的存在でしか有り得ない♂を表しているようで愉快である。(チョウチンアンコウの♀と♂を比較してみるまでもあるまい)。このアンバランスな男と女のカップルがラストシーンでは板の離れた位置から徐々に近寄り遂には寄り添う。
第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2022/06/16 (木) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

アーサー・ビナード『詩の食べ方』2022.6.16 シアターX
 シアターXが2020年11月30日から始めた「詩のカイ」の第9回目に当たるが今回は番外として催された。この「詩のカイ」、コンセプトはちょっと気恥ずかしくなるほど直截な表現だが以下の如くである。‟あらゆる芸術の根幹にある「詩」を知り、「詩」を考える“
 日本の最近の詩人の作品は余りに知に偏り素人には縁遠い作品が多くなったと感じる方々も多かろうが、米国出身で巧みに日本語を操るだけの言語力を持ち尚且つ真っ直ぐにもの・ことを観、且つそれを見事な日本語の表現として成立させることのできるビナード氏の詩、そして多くの詩人たちの詩に対する解釈のシャープで真摯な読み込みに先ず感心させられた。而もその知識や知性が人々の念を大きく乖離していないと感じる。実に楽しく、面白く、また示唆に富み、本質的な試みであった。
華5つ☆

もんくちゃん世界を救う

もんくちゃん世界を救う

U-33project

王子小劇場(東京都)

2022/06/22 (水) ~ 2022/06/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 お伽噺「桃太郎」をベースにした作品だが、この噺をどう解釈するかが最初の関門であるのは自明だ。現代の思考傾向に照らせば鬼ヶ島の鬼たちとは、即ちかつて現為政者に連なるような勢力或はイデオロギーに敗れた勢力であり、負けたが故に被差別者として機能させられてきた人々の集団であると捉えられる。鬼即ち邪悪・凶悪であり、勧善懲悪説の悪者である。従って退治されるのは当然である。何故ならその者達は悪に過ぎないからである、と斯様な意識の下どんなに酷い仕打ちを「正義」から受けようが「正義」が批判の対象となることは無い。
 上述のような立場から今作を観る者にとって今作は極めて哲学的な作品であると言わねばならない。その哲学が結果的に至り着いている地点は、少なくともサルトルが至り着いた主要な地平の内、最も大切な地平のレベルの1つである。(追記6.27 )華5つ☆

ネタバレBOX

 板上の舞台美術は奥に高い段そのセンターから迫り出す突堤のような低い段。高い段の奥の中央に出捌け用のスペースをとって書き割が立てられている。下手の書き割には樹木や太陽が。またホリゾント、側壁にも樹木が描かれ自然を象徴している。上手の書き割にはビルディングに雲が。下手とシンメトリックにホリゾント及び側壁に人工を象徴するビルディング。書き割の手前には大き目の箱馬が1つずつ置かれ色はそれぞれ青と赤。オープニング場面では巨大な桃が突堤の根元真ん中辺りにデンと置かれている。
ちょっと変わっているのがストーリーテラーとして1人女優が登場することであるがこの演出はお伽噺の新解釈を提示する仕掛けとして作家が問題提起する姿勢を示しているようでもある。
 さて今作では桃太郎に登場するキャラを3つの属性で示したが、誤解や誤認を避ける為各々の属性に従ってグループ分けしておこう。桃太郎≑もんくちゃん=A、鬼(自己主張できない者達を差別し隷属化して得意になっている者達)≑赤鬼・青鬼=B、犬・猿・雉≑犬井・猿渡・雉谷(優しさや引っ込み思案、自身喪失によって自己主張できない者達)=Cとする。
 登場はしないが筆者が想定する為政者(地域内)=D,地域外=E。まず物語の具体的問題提起の主体となる鬼・Bの属性とされる凶暴性や力を背景にCはBに支配され鬱憤を募らせている。おじいさんは、リクルートしたもんくちゃんを旗印として負のエネルギーを集め変容を目指している模様である。文句を言うという一歩踏み込んだ行為を異見・意見を謂うという発想に切り替えた時、C達の反逆は成果を見せた。然し乍ら自らの主体を賭けて真に為すべきことを自分の頭で考えた訳でもなければ、自らその思考の奥の奥迄探索し究極の答えに辿り着いてそのような変革に携わった訳ではないCグループは、必然的に己の位置をも、また社会という人間存在の根底的基底にも触れることなく一種の暴発をしたに過ぎなかった。結果的にその批判は行き過ぎ、瓦解する。当然、Bらはフェイクや情報操作という手法を用い新たな攻撃を仕掛けてこよう。そしてC達己自身では思考というレベル迄到達することが出来なかった者たちは再び元のもんくのカオスに逆戻りするであろう。この経緯を観察していたAは、己の頭を用いて考えることを悉り遂にC達自身をも救い得る唯一の道を見付けることに成功した。その道とは、各々が自ら負った条件の下、その苦境の中で自らの行動、思考、状況や諸関係の検証を為し、その内面に還って自らの自由や生死の問題にも直面。この試行錯誤を経て遂に自由の本質と己の根源的欲求に気付き、自ら自身の選択によってしか成否は決定できないということの意味する所を悉る。このことによってしか、責任を負うことも恥じぬ行いとして自らを生きることも出来ないという人間存在の原義を実践し得る。それがタイトルに込められた世界を救うことの意味だ。
 些末的なことを謂えば、Bたちも所詮雇われている弱者であるに過ぎず、恰も自分達の意志や知力でC達に憂き目を見せていると勘違いしているB達を差配しているD達が存在するのが現実であり、そのDを従えている力Eが存在している。丁度我らの味わっている日々の状況そのもののように。だが、今作の提起したAの結論はDにもEにも対抗し得る力なのである。
 もんくちゃん役のゆでちぃ子さんが何とも言えないキュートな魅力を発揮しているのは、こういった真の強さを秘めているキャラからであるように思う。
たぐる

たぐる

ここ風

テアトルBONBON(東京都)

2022/06/22 (水) ~ 2022/06/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 中盤迄軽めに推移してゆく舞台の雰囲気は、世界中が右往左往してでもいるかのような昨今の情勢で日本人ばかりは相変わらず極楽蜻蛉のような風を装い、その実、内部に有象無象を貯め込み爆発寸前の有様を描いているようで興味深い。後半の展開は、劇団の特徴を示しおとなし目だがちゃんとシリアスも組み込んでくる演出がグー。(追記6.25 20 時)

ネタバレBOX

 出捌けは下手手前に1カ所、上手中程に1、手前に1の都合3カ所。下手ホリゾントの壁には葉が茂りその手前に可成り大きなテント。その直ぐ上手に下段は単に階段とし上段には中央にテーブル、周囲に金属製の椅子数脚を置き夏のホテルの一角のような雰囲気を醸し出している。その上手壁際にキッチン等建物に通じる出捌け、これらの客席側が板部分である。
 物語は中盤まで軽めのタッチで展開する。現在この屋敷に暮らすのは元かなり腕の良い医師だった一花。間もなく40歳になる。テントの住人は前日此処にテントを張ったフリーランスのライター・瀬能で旅に関するエッセイや御当地のおいしい料理、レストランなどの紹介記事を書いている。ここにテントを張ったのは去年この家の主と知り合って意気投合し、いつでも来て到着が遅かったら勝手に庭にテントを張って良いと言われていたからだ。ところがそう言ってくれた家主は既に亡くなり今住んで居るのは彼の娘にあたる面識のない一花、そこで「怪しい人が居る」と一花から電話を受けた役場の翼がやって来て、丁度魚を突きにゆこうと銛を出した所を一花に見咎められ、煮炊きの為に組んだ竈石を撤去していた瀬能と一騒動が起きた。そこへ一花の親友である明日美、その息子・純、一花に命を救われた鶴がやって来た。久しぶりに集った人々の間に巻き起こる恋の鞘当て、軽い嫉妬やフラレた失望等々が軽いタッチで展開して行き、更に浜辺で評判のレストランから記憶喪失症の店員・ジョニーがデリバリーにやってくる。が、外国人で記憶喪失というジョニーの日本語は、ハチャメチャ。理解し得ぬような変ちくりんな代物。それでも人が集まれば何だかんだと噂話や思い出話が出る。そのようにしてさまざまな伏線が敷かれてゆく。
 他に浜辺のレストランのシェフ・島の得意料理はスクランブルエッグ、洋食のコックの腕前はこの料理の味で決まると言われるほど本当においしいスクランブルエッグを作るのは難しいといわれるが、この話題で彼が腕の良いコックであることが明かされる、因みにジョニーの作るカレーが絶品で常連の間ではジョニーカレーの人気が勝っており、2人のコックとしてのライバル意識も見もの。更にジョニーの記憶喪失事情についての詳細も挿入エピソードで明らかに。また、10日程前からサーファーパンツ姿の若くハンサムな九右ェ門という男がこの家に居ついている。彼はいつもサーファーパンツのみの姿で登場し料理が上手く性格も良いので女性、特に明日美には大人気である。そんなシングルマザーの母の恋愛モードに対する息子・純の反応が面白い。だが母の恋する九右ェ門、彼は何かを探していて時々ふいに居なくなる。また一花と彼女の父の誕生日は同じ日で、父と母が別れた理由、一花は父からは愛されていなかったのではないかとの疑念を持つが、父が存命中、心を許した人々とだけ一花の誕生日プレゼントを集めていたことが知らされる。最終盤、総てが収斂される中でで、父の一花への念、死因、九右ェ門の正体なども明らかになって幕。

ほおずきの実る夜に

ほおずきの実る夜に

藤原たまえプロデュース

シアター711(東京都)

2022/06/22 (水) ~ 2022/06/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 誰しもこの作品を観た後感じたであろう痛快感は、閉塞感そのものの現在日本への反発からだろう。元気を貰える作品である。華5つ☆

ネタバレBOX

 導入部、暗転中イキナリ女性の悲鳴、明転すると刺殺事件現場だ。天井からほおずきの橙色の方形が不気味に垂れ下がり、上手側壁はほおずきで埋め尽くされている。下手側壁の前には一升瓶のラックに載った神棚等。包丁が体中に刺さった人体、血だらけの身体が倒れた女の脇を跳梁跋扈する。そこへ現れたのは狐の面を付けた者が現れ刺殺犯に告げる。「あんたは運がいい、この村に居る限り人は決して死ぬことが無い」と。
 ところで、このオープニングは明日初日を迎える舞台の稽古である。2年前に上演する予定だった作品がCovid-19の影響で1年延び、延びた公演の中止の憂き目を見、今回漸く上演できることになったのだ。稽古が漸くひと段落つくかつかぬかの折、電話が鳴った。体調を崩し医者に診てもらっていた出演女優からだ。「陽性!」座員が崩れ落ちる。延期、中止で借金を負い乍ら頑張って漸く公演に漕ぎ着け、愈々明日初日のこの日、遂に公演は中止に追い込まれた。作・演を担当した博美は八方塞がりの中、13年振りに「有名女優になって金持ちになるまで帰ってくるなよ」と励まして送ってくれた故郷の島へ襤褸雑巾のような心を抱えて帰る。夏の近づく頃で車椅子で芝居を観に来てくれていた祖母の面倒も総て妹に見て貰っている。それが心苦しい。因みに「金持ちになるまで云々」は、送迎幕付きで二度も繰り返され、島と東京の人情や世知辛さの差異を嫌が上にも対比して効果的である。そんな中、東京のせわしなさに疲れ島へ越して来たミュージシャンや青年団のメンバーらで今年は夏祭りをするという話がまとまって、女優であった博美に船頭役が与えられた。初めは渋っていたものの、表現する者の血は滾る。引き受けることになった博美はスパルタ教育の稽古を強い、仲間たちも良くついて来た。愈々、明日本番の前日、演目の中心・阿波踊りの仕上げを終えたメンバーに役場からは祭り中止の命令。上等! 祭りをやらなけりゃ良い、とケツをまくった。痛快!
 役者さんの演技に関してはだるま座の剣持さんの間の取り方、対話の脱臼のさせ方、ずらし方、外し方等々上手いベテラン俳優の味のある、また観客の機微に瞬時にそして見事に対応する演技に見惚れた。
「星灯り〜2022ver.〜」

「星灯り〜2022ver.〜」

TEAM 6g

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2022/06/22 (水) ~ 2022/06/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 華四つ☆ メインストリームとサブストリームの重ね合わせ方の上手さ、相乗効果をキチンと見極めて作品創りをしている点もグー。

ネタバレBOX

 舞台美術は基本的に殆ど変らない。日本で最も星が澄んで見えると雑誌に紹介されたペンションのダイニング・リクライニングルームでほぼ総ての物語は展開する。オープニングは小説の新人賞に応募している新米作家大橋夫婦の家という設定で始まる。亭主は傍から見ると優柔不断で何事に対しても受け身であるかのように見えるが、寧ろ警戒心が強く他者を自分の世界には容易に立ち入らせない頑なさを持っているように描かれる。例えそれが妻であってもだ。一方妻は自分の方を振り向いてくれない夫に対する不満が募ってゆくばかりであった。そしていつか2人で行こうと話した件のペンションへ旅立ってしまった。期間は1カ月、要は家出であった。
 脚本的に上手いのは、妻が孤立感を深めている状況の中で腰の痛みを訴えているシーンをさりげなく入れていることである。{この辺りTEAM6gの意味(恐らく6gは魂の重さ)を大切に作品創りをしているこの劇団の姿勢が見事に出ている。}メインテーマがこの夫婦の愛を巡る不如意にあるので作家自身の真の問題即ち何故大橋一樹は、他人に心を開くことができないのか? という問いには踏み込んでいない。あくまで夫婦を中心とした家族関係の話である。上演時間は2時間半を超え笑わせ所も満載だが実存の本質からは距離があると考える。
 物語自体の構造は、この小説家夫婦の不如意、殊に妻の抱えていた寂しさ、辛さを理解してやれなかった夫が、家出から戻った妻に辛く当たり彼女の抱えていた病に気付きもせず他界させてしまったことを後悔し、孤りペンションを訪れる中で、其処に泊まっている客達やペンション関係者との間に観た、ヒトとヒトを紡ぐ距離を前提とした人間関係の中で、尚求め合い出逢い別れる人間の、様々な様態を通して遅ればせながらもやや人間関係という網目を悉り始めるに至ったことで幕。
第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2022/06/16 (木) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

IDTF2022 6.21公演
 The 15th TheaterX International Dance + Theater Festivalの6.21公演は3組のダンスパフォーマンスが行われた。何れも個性的な作品であり、音と身体のコラボレーションとして見事である。(追記後送)

ネタバレBOX

 最初に登場したのは意味を構成する前の音を用い実に深く多様な音声表現を行う赤い日ル女さんとアメリカ、セネガル等で多様なダンスを学び古武術、アートマイムを続けるパフォーマーの西尾樹里さん。タイトルは『    』ハクと読む。意味的には無題に近いが、ここに表現されたものは、当に意味が成立する前の言葉の芽・カオスと身体との類稀なるコラボレーションであった。赤い日ル女さんの発声はタイのカレン族、或はイヌイット、アイヌ等の発声法、古歌を聴くうちに彼らと様々な地域の発声法の類似性や言語以前のカオティックな表現にカオスの持つ深い豊かさ、深さ、未分化故の可能性に魅せられた為。そしてそのような表現を自ら追及する旅が始まった。独自の表現法は現在も模索・開拓し進行中である。10年程前迄はパーカッション奏者であったが、何か道具を用いなければ音楽表現にならないかのような状態に疑問を感じ、現在の表現法を編み出すこととなった。実際にこの方法で表現する者として聞いて下さる方々の前で演者となったのは6~7年前からだ。評者は、実際に彼女の表現を聴いて余りにインパクトが大きくこれほど多様な音声をヒトが作り出せることに驚嘆した! 小柄な方であるが、このような音声を発する為に例えば口を殆ど閉じて喉の奥を用いて発声したり、呼気、吸気と口の開き方や吐く或は吸う時の強度を変化させての発声などで獣の唸りのような音、風の強さや気象変化に応じて異なる風の音に似た音、その他の部位を用いて野に生きる様々な生き物たちの発する命の音、せせらぎや木霊等々を、時折入る静けさで際立たせながら深山幽谷さえ想起される音声は、言語化されない表現としてのダンスパフォーマンスと見事に呼応して演じられる、お二方ががっちり組み合い、交感する圧倒的パフォーマンスであった。
 次に登場したのはコンテンポラリーダンサーの浅野里江さん。メインテーマとして掲げられているのが21世紀renaissanceという所からヒントを得て、その史的意味(所謂西洋の中世にはキリスト教が極大化した結果、聖書に書かれていないことは真では無いとされ科学的知等は異端審問の憂き目に遭い殆ど根絶やしにされていた。ガリレオが弾圧されたのはこの所為である。ところがギリシャで隆成を誇りローマに引き継がれたこれらの知性は往時の交易・交流を通してアラビア語に翻訳されアラブ世界で更に発展していた。ヨーロッパの暗黒時代と謂われる中世、世界で最も発達した文明・文化を誇ったのはアラブ世界であった。その名残はヨーロッパの王侯がアラブ世界に憧れるゴシック・ロマン小説の表現にも如実に描かれている。ところで十字軍やそれに対抗する形で行われたアラブサイドからの反撃等との間にも相互理解を求める領主たちが居た。このような再交流の中でアラブ世界で更に発展したギリシャ・ローマ的文明はアラビア語からラテン語に翻訳されヨーロッパに入り込む結果を生みそれがヨーロッパに再び科学的知を含む文明・文化の再興を齎した。この歴史的事実をrenaissanceという)とは別の解釈をした。タイトルは「ありとあらゆる」。表現は日本神話の八百万の神と謂われるものは、神の転生の姿であるとの解釈が民俗学的な見解に在るそうで、その転生する神が現在も在るのであれば、その神は我らのITや科学技術の世の中にも何ら本質を変えることなく存在し続けているハズだ、との立場から紡がれている。従って音響はギターの爪弾きにバイクの擦過音や発進音が組み合わされた形になった。自分の立場は、可成り史実を重んじる立場なのでこの理論には異見があるが、それはそれとして独自の発想の下に創られた作品として評価したい。
 トリを務めたのはERIKO・HIMIKOさん。タイトルは「儒の花—answer—」である。着想は酒見 賢一の小説『陋巷に在り』から得ているという。春秋時代孔子の弟子であった顔回を主人公とした小説だ。
朗読ユニットさざなみ第二回日本公演in東京

朗読ユニットさざなみ第二回日本公演in東京

朗読ユニットさざなみ

金王八幡宮(東京都)

2022/06/19 (日) ~ 2022/06/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 何れの演目も作品への深く的確で繊細な読み込み、解釈、そして演者の力量を示して見事である。(華5つ☆)僅か2日間、3回のみの公演だったのが残念。尚ネタバレに書かなかったが、中国で愛唱される「茉莉花~ジャスミンの花~」の歌唱と演者が出した中国の話から出来たとされる熟語を当てるクイズ等も間に催された。

ネタバレBOX

朗読ユニットさざなみ第二回日本公演in東京 2022.6.19 14時 金王八幡宮
 公演は渋谷の金王八幡宮の和室二つの間にある襖を取り払い、演者は社の庭から登場、板部分は庭に面した廊下を使用。和室と廊下の間は障子でし切られているが、登場時に間髪を入れずに開かれ敷居には点綴された光の帯。第一部では下手に朗読する役者、上手にフルートとギターの生演奏を担当する演者。天気も良く庭の緑が映えて気持ちが良い。下手裏には一枝に一重と八重の花が混じって咲くことで有名な金王桜が生えている。この桜の名の由来である金王丸は、鎌倉幕府を樹立した頼朝が金王丸の名を遺す為に鎌倉から移植させたと伝えられる。
 さて、朗読をする役者・中瀬古 健くんの紹介から始めよう。Covid-19の影響で現在、ユニットの相方は中国在、健くんは中国に戻れない状況が続いている。今回演出をなさった望月 六郎さん主宰のドガドガプラスに出演していたので御存知の方があるかも知れない。因みにこの夏、7月30日~8月5日まで「金色夜叉・改」を、また8月19日~8月25日まで「春琴SHOW!!」を浅草東洋館劇場で連日19時から開演し、中瀬古くんも出演予定だ。実に華のある役者なので観劇をお勧めする次第である。以下本日の演目、間に10分の休憩を挟んだ公演で上演時間は100分弱。
 しょっぱなは、宮沢賢治の「どんぐりと山猫」朗読:中瀬古健 演奏:夜ヒル子 以下同
 賢治童話に登場する様々なキャラクターの声音を総て別の音域、声調、テンポで表現し而も賢治が多用するオノマトペもこの役者の想像力の働きによって実に納得のゆく音として造詣するので臨場感が物凄い。一郎はオルフェウスの如く詩人の特権である物や動植物すらをも魅了し精神感応を為すことができた為、ヤマネコやリス、樹々や草などとも会話を交わすことができるが、その人類の夢が恰も現在するかの如く立ち現れるから凄い。
次に中国唐代の女流詩人・杜秋娘の「金縷曲」を新宮出身の佐藤春夫が訳した「ただ若き日を惜め」を中国語と日本語で朗読。
 更に佐藤春夫が幼い女の子の様子を描いた『「の」の字の世界』を朗読。これは面白い作品でうたちゃんは、賢い子なのだが絵本等を与えても字を読まずに自分で勝手な物語を創作してしまい全く文字に関心が無い。これでは文字を覚える訳が無いと最初に「の」の字を一つだけうたちゃんと関連づけて覚えさせ、本でも新聞でも「の」を発見させる。うたちゃんは文字のみならず、カタツムリや庭で見つかったミミズが偶々「の」の字の形になっていたことから「の」という形に見えるもの・ことは総て「の」というコンセプトで統一し思考し始める。このことの面白さ、奇天烈、困りごと等が夜ヒル子さんの歌にも載り健くんの朗読と響き合いながら展開する。
休憩(10分)
第二部
 思えば日清日露以降日本は諸外国と戦争ばかりしていた。そんな年中戦争の時代に最も日本の為す戦争を冷徹に観ていた作家が居る。それが太宰治であろう。その太宰の「葉桜と魔笛」の朗読である。金王桜を下手裏に控えながら、中性的な雰囲気を持つ美形俳優の中瀬古くんが為す朗読は狂おしいほど切なく哀しい。太宰の独特の文体、読者と作家だけしか居ない世界を朗読を通して実現することのできた稀有な公演と言えよう。
 尚、第二部で楽器伴走は無い。
らくご芝居~「丹青の花入れと水屋の富」より~

らくご芝居~「丹青の花入れと水屋の富」より~

ThreeQuarter

JOY JOY THEATRE(東京都)

2022/06/18 (土) ~ 2022/06/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 今回はスリークウォーターと深川とっくり座のMixing公演。初の試みだが、スリクオの定番のうち・時代劇。但し光物の登場しない時代劇である。脚本はとっくり座のひぐち丹青さん。演出がスリクオの竹原ぽんずさん。板上の舞台美術は基本的に書き割と幕等で構成され、出捌けも幕で袖を作ってある。基本的に上手・下手の奥に各1カ所、上手手前に1カ所だ。(華4つ☆、追記6.19)

ネタバレBOX


 作品は「花入れ」と「水屋の富」の二作。どちらも元ネタは落語。時代設定は江戸時代である。まずは「花入れ」から参ろう。
 とある古道具屋に花小路流家元・桜子と名乗る者が弟子・捨松と共に現れる。家元は承認欲求が極めて強く既に自らの名声は天下に轟いていると自認しているものの、実は誰も知らない。にも拘わらず知らないと通されれば暴れまくり訊ねた先を叩き壊してしまう程の暴れっぷりを見せる。一方、既に知られていると捨松に頼まれた人々が同調していれば忽ち新たな芸術思潮の先導者ででもあるかの如きラディカルな芸術論を展開する。元ネタが落語であるから、無論承認欲求の余りに強い人物を茶化しているのであるが、桜子の主張。その内容は新芸術思潮の論理に極めて近い。本質的で尖鋭な論理なのである。この辺りは今作全体が単に笑いを提供するのみならず、もう一つ表現する者として芝居に関わる人々総ての指向性とその念をも表現していると捉えた方が面白い。能に対する狂言、Baudelaireがそれ迄ヨーロッパ全域で隆成を極めたクラシカルな芸術観に対して唱えたモデルニテの重要性とラディカリズムにも通ずるレベルのものがあるのである。それを尿瓶で茶化している点に落語の深さもあるではないか! 無論これらの滑稽を左右する要となる人物がいる。古道具屋の遣り手おかみ・おときである。先ずは観て楽しんでほしい。
 第二話は下町庶民の住居・長屋の話「水屋の富」である。自分が小さい頃に暮らした矢張り深川の長屋でも似たような光景が日々繰り広げられていたものである。自分の体験は1955年頃の話であるが、今作の時代設定は上に挙げた通り江戸時代だ。長屋の暮らしは、隣近所も皆家族同然。そうしなければ暮らして行けない程皆貧しいからである。味噌、醤油の貸し借りは当たり前、他所の子が他家に上がり込んでいるのも当たり前、鍋、釜、寝具迄質に入っていて夕方下ろして来れなければこれらも無い。だから借りられるものは他家から借りたり米だけ持っていって一緒に炊いて貰ったり。
 そんな生活の中で水屋の熊五郎・おしまの夫婦が富籤を買った。最高賞金は千両。十両盗めば首が飛ぶ時代、大変な金である。ところで半月ほど前、新たな住人が加わった。おこんという名のちょっと粋な女である。また長屋では魚屋の寅松の女房おみつが大きな腹を抱えていた。こんな状況の中、岡っ引きの茂平次が名うての掏りを捜査の為長屋に新たに入居した者が無いか否かを調べにくる。似顔絵が無いか住人に訊かれた茂平次は、誰も顔を見た者がおらず、似顔絵も無い事を告げるが、おこんが魅力的な為、ホの字と為り、また様子を見に来ると告げて去るが。
 富籤が当たってしまった! 特賞である。熊五郎夫婦は腰を抜かすほどびっくりし、保全に走った。共同の厠へもどちらか一人が部屋に残らなければ行けない有様。だが、急に産気づいたおみつのお産の為長屋中が上を下への大騒ぎ、その隙に現れたのが件の掏り。はて顛末や如何に? オチが如何にも下町長屋らしい良い話である。

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2022/06/16 (木) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

踊る妖精 作舞・ソロ『鶴の恩返し』2022.6.16 19時 シアターX
 両国の劇場・シアターX創立30周年記念・第15回シアターX国際舞台芸術祭ビエンナーレ2022は、メインテーマを21世紀Renaissance(現実を剥ぐ 生きものの詩)と題した。因みに各回、たった千円である。予約はしておいた方が良い。キャンセル待ちになる可能性もあるかも知れないから。

ネタバレBOX


 初日は標記タイトルの通り。5名のダンサーに和楽器奏者、ピアノ伴奏者が各1名。共通コンセプトは民潭・『鶴の恩返し』である。以下出演順に。
 韓国から現在韓国国立現代舞踊団芸術監督を務める南 貞鎬さん。韓国にも似た民潭があるそうであるが、鶴を助けたのは老夫婦で鶴が嫁入りするという話ではないとのことであった。ダンスは日本の民潭も勘案して創作なさった模様で犠牲を中心テーマとして創作している為、キリストのpassion即ちredemptionにも連なる少し抽象的な表現になっていた。
 今回はダンス公演が殆どなので当パンを見ておいた方が良かろう。自分はいつも通り当パンを一切見ずに鑑賞に及んだのだが、各ダンサーが共通テーマから己独自の要素を掴み出しそれを表現するという形式を採った為、2番目に演じた竹屋 啓子さんがコンセプトを開始早々述べ、ダンスも鶴の形態模写も入って極めて言語的であった為木下順二の「夕鶴」を思い返しながら拝見し得た以外は、実際何をダンスで具象化しようとしているのか拝見中は五里霧中状態であった。演目やダンサー、そして個々のプロデュースコンセプトにも因るが今回ばかりは当パンは読んでおいた方が良かろう。改めて身体表現と言語の加わった身体表現の質的差異を如実に感じる勉強になった。
 続いて登場なさったのは花柳 面さん、和楽器演奏・囃子は福原 百之介さん。和楽器はメロディー楽器としてもパーカッションとしても用いられるが拍子の刻み方が鬼気迫るような緊張感を齎し実に見事な演奏であった。と同時に鉄琴に似たオルゴールという打楽器の音も涼やかでどこか儚い音で客を引きずり込む。花柳さんは鶴の織った見事な反物に焦点を当てて創作なさっていた。
 次に登場なさったのは上杉 満代さん。小さな傘を頭上に翳しての登場である。衣装は女性がドレスを着る前の状態とでも言ったら良いだろうか。当然、鶴が納戸に籠って機を織る姿をイメージしていよう。西洋とのコラボも多い方だからこれは彼女流の自然な発想と思われる。用いた傘は半折れが効くタイプで華奢な構造だが、オシャレなものであり、この華奢性が鶴の細い脚を連想させ、強靭な精神とは反対に脆弱な身体を感じさせて哀れである。
 トリを飾ったのがケイタケイさん。ご自分で衣装を縫い衣装のあちこちに設けたポケットに水や松の葉をたくさん入れ機を織る度にその羽を自ら抜いて機に織り込む、余りに切ない鶴の念を表現した、水が流れるのは一度だけだが、鶴が血を流しながら機を織ることを象徴していよう。その余りの辛さ切なさから血が透明になっているのである。布地の基本は白、ポケットの開口部に黒を用い、赤い糸を引き抜くことで羽に擬した松葉が零れ落ちるという仕組み。モダンダンスの動きに合わせながらこういった点にも工夫を凝らす表現であった。ケイタケイさんの演技にはピアノの伴奏がついたが演者は松本 俊明さん。現代音楽風ではあるが余り不協和音等は用いずダンスとのコラボを意識した良い演奏であった。
小刻みに戸惑う神様

小刻みに戸惑う神様

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2022/06/15 (水) ~ 2022/06/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 脚本はジャブジャブサーキットのはせ ひろいち氏、演出が水先アンナを演じた秋葉 舞滝子さんである。舞台美術の精密、センスの良さ、合理性、使い方何れをとっても流石スパイラル ムーンの舞台と唸らせる内容。無論、脚本、演出、演技もグー。殊に秋葉さんの演出、演技の群を抜いた上手さは格別である。(華5つ☆、タイゼツベシミル!!)1回目追記 6.16 17時 2回目最終追記6.18 0:50

ネタバレBOX

 上演時間約105分。板上は中央の焦げ茶壁面に掛け時計この壁はホリゾントとしても機能し舞台上手から下手の端迄を占めている。上手・下手にそれぞれホリゾントと平行するよに延びた短い壁。短い壁とホリゾントの隙間が各々出捌け。下手の短い壁に直交するように左手側面の壁、上手も同様に直交する側面壁。上手側面壁の客席側に2階へ通じる階段が設えてありここが3カ所目の出捌けである。壁面には額装された写真などが掛かっている。上手にはソファーセットやテーブル、サイドテーブルが置かれテーブル上には黒盆に載せられた湯呑と未だテーブル上に置かれたままの湯呑が混在している、下手のテーブル上にも同様に湯呑と黒盆、椅子。上手下手各々のスペースの入口辺りに鉢植えの植物が置かれているので感覚の鋭い人には、それとなくこの舞台美術が葬儀の雰囲気を醸し出しているのがこの時点で分かるが、黒盆が2カ所に用いられ而も湯のみの数やその配置で上記の推論が正しいことは直ぐ合点がゆく。舞台美術のセンスの良さは上手側壁から左斜め方向に延びた明り取りの窓の鋭角の鋭さとその鋭さを宥めるようなその色彩・文様の微妙繊細なマッチングにある。上手サイドテーブルの傍にとても小さなゴミ箱が置かれているのだが、これもキチンと使用する辺りの気配りも流石である。
 脚本は周到に練られており随所に仕掛けられた伏線・回収、遊びが在る。役者陣の演技については先に述べた通り、皆そつの無い演技力を見せてくれるが秋葉さんの図抜けた演技力はスタニスラフスキーの談じたレベルのそれを越えているように思う。それは単に自然に滲み出るというレベルであるより間の取り方、台詞回し、過不足の無い表現による安定し自然な立ち居振る舞いから醸し出される存在感が舞台全体を締める。こんなことができるのは矢張り脚本の深い理解と、登場人物相互間に働く人情の機微への没入、翻って瞬間的に他の出演者が演じている役柄との相互関係を的確且つ俯瞰的に判断、身体表現に移す瞬発力と舞台空間内での位置関係のこれまた極めて的確な把握によった言語(台詞)発語のレベル、時間(間)、空間(他の役者や美術との舞台内位置関係レベルと身体レベル相互の陥入及び俯瞰との瞬間的な交感能力があってのことだろう。まだるっこしい言い方になった。もっと根本的には彼女が日常レベルに於いてもアイデンティファイし得ているということなのであろう。
 そんな彼女が役名・水先アンナとして活躍する。即ち葬儀一般に関わるフリーの水先案内役を務める人物を造詣している訳だ。それは慣れない葬儀の為心細い喪主や親族と霊界を繋ぐ或る意味カロンであり、世間一般の習わしと儀式・霊界との仲介役でもある。
 同時に脚本で亡くなったのが劇作家という設定もあり、亡くなった劇作家の主張が若くして最愛の妻を喪い作風が変じたこと。以降総ての作品に単に悲嘆に暮れる残された者を描くことのみならず、様々なエピソード、時に明るい話題も綯い交ぜにしつつ而も常に死の影が存在したこと、と作品創造との不可分な諸関係及び類似性が対比されつつ物語が紡がれてゆく。
 この優れた脚本活き活きした舞台作品に仕立て上げているものは役者陣の演技、照明、音響の諸効果を見事に構成し効果的表現に高めている演出。そして数々の深い台詞、その深い科白の数々は人々の日常と葬儀との入れ子細工を通して神学と科学を示唆し、遂には誰しもがその問いを発し、応えきれずして何時しか放棄してしまった問題、‟我々は何処から来て何処へ行くのか? 我ら人間とは何か?“ という普遍的な問いを、再度提起してくるのだ。


瀬沼さんのことを何も知らない

瀬沼さんのことを何も知らない

ライオン・パーマ

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2022/06/08 (水) ~ 2022/06/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 オープニング。板上には大きな可動式カウンターを板中央辺りに観客席と並行に設置、人気ラーメン店のカウンターである。カウンターど真ん中に件の主人公がでんと構える。

ネタバレBOX

さて、どんな飛び道具となるか、期待すべし! ラーメン屋の客達は全員観客席を向いて座っている。
 カウンターを場面、場面で所定の位置に移動、例えば喫茶店の設定では上手奥に観客席に対して直角になるように設置される。板上は即ち基本的にはこのカウンターと箱馬4個その他衝立が幾つも配置されている。ホリゾントに近い衝立はセンターが開けてあり奥は回廊のように通行できる。箱馬の基本的位置は下手。キャバクラの客席として、或はタクシー車内シートとして演じられる内容に応じて自由自在に変容する。また下手袖には、シチュエイションに応じて暖簾が掛けられたり、出捌けとしても無論利用される。
 途中約10分程の休憩を挟みトータル140分程度。休憩前は幾つもの挿話がオムニバス形式で一話ずつ演じられてゆく。因みにLion Perm作品をこれまで観て来られた観客には、瀬沼氏が飛び道具として活躍してきた役者さんだということを御存知の方々も多かろう。前半の諸作品がこのような形式で演じられたのは今作で初の主演を演じる瀬沼を演じた瀬沼敦氏への恐らくは劇団からのオマージュと労いを込めた作品という側面があるからだろう。オムニバス形式で演じられた前半の各挿話に飛び道具に特徴的な演技が随所に見られたのは、こういった前史があるからである。無論各挿話にオチがついているが内容的にメインストリームを追いつつ形としては独立した体裁を採っているのも上記の理由が正しければ必然ということになる。
 休憩後はトーンが全く変わり通常のストレートプレイになるが、ややメロドラマ的要素が入ることを含めて脚本の作風がガラリと変わる点に注目したい。このように一風変わった作りになっているのは、上に挙げた理由からであり作品の必然的発展形態の1つがここで実現されている。
 ところで今作の表層で追及される謎の答えを正答するのは難しいことではない。それを正答して乙に居るのは野暮とおいうモノであろう。今作の本当に狙いはそのような所には無いように思われるからだ。では何処にどのような形であるのか? それは俳優たちの演技と観客達の反応の間に在る。即ちそのような演技と観客の反応によってメタ化されることを目指した作品だと解するのである。何故ならCovid-19で塗炭の苦しみを舐めた演劇人と演劇というアートに飢えた観客との交感や切なさの共有こそ今作が目指したメタレベルなのではなかったか? というのが小生の観方である。日銀のトップ、黒田が述べた言葉からも簡単に分かるように日本の組織のトップに真に頭の切れる人間は少ない。組織のトップに立つ事即ち「エリート」とは、本当の情報は上がってこないということを類推できない程度の頭脳しか持ち合わせない存在とイコールなのだ。このような「エリート」の下で塗炭の苦しみに喘ぐ庶民の哀歓にこそ、今作は立脚しているのであり、これは可成りの冒険であるが、劇団が観客を信じて投げ出した今上演のメタ化を観客としてしっかり受け止めてゆきたいと考えている。何となれば黒田のような「エリート」を利用して更においしい汁を吸おうとしている腹黒い為政者が少なくとも我らの上に君臨している権力者たちなのだから。‟飛び道具“と我らの苦悩や哀切を蟷螂之斧にしてはなるまい。
唐人お吉 外伝

唐人お吉 外伝

相州雅屋

武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)

2022/06/02 (木) ~ 2022/06/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 お吉を演じた三野 友華子さんには華を感じた。劇団の志の高さを買う。同時に更に思考を深めて頂きたい。
華4つ☆

ネタバレBOX

 幕末の下田にはアメリカの領事館が置かれた。そこで領事に任命されたのが日米修好通商条約を幕府と結んだタウンゼント・ハリスである。安政年間から万延、文久へ至る幕末激動の時代に5年9カ月を日本で過ごした。ハリスが江戸へ出ると下田の領事館は閉じられハリスも公使に昇進していた。
 By the way,お吉の話に戻ろう。今作の展開は、お吉が亡くなったと伝えられる“お吉が淵”に通い詰める病んだ初老の女性の回想記という体裁を採っている。この女性の名は「ふく」話を聞いているのは看護の女性である。
 板上は奥に1m程の高さへ嵩上げされた土手のような塩梅の舞台、手前が通常の板面である。土手中ほどに階段が設えられ高低それぞれの板上手、下手に出捌けがある。場転に合わせて上手にこの地域で祭られた祭神の祠が誂えられたり、橋の欄干のようなものが設けられたり、或はお吉が切り盛りをしたという『安直楼』の店内が再現されたりする。
 ふくは吉より1つ年下で、一緒にハリスの世話をしたと言う。然しふくは下がって後、世間の偏見を恐れ、他所に越して下田へは戻らなかった。従って世間から誹謗中傷を浴びせられ苦闘したのはお吉独りであったと、その苦悩を彼女独りに負わせたと悔い、吉が亡くなったとされているお吉が淵へ日ごと通っては吉に詫び話し掛けていたのである。吉の凄絶な生涯は作品を観て頂くとして、殆どの人間が事大主義に流され己の保身の為だけにターゲットを定め苛め抜く下劣に対しては腸が煮えくり返る思いがする。一方、そのように醜い世の中に在って唯一の救いは、少数ではあっても矢張り心ある人々もまた連綿と存在し続けていることである。
パスキュア

パスキュア

GROUP THEATRE

浅草九劇(東京都)

2022/06/01 (水) ~ 2022/06/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 観るベシ。生きる力、勇気を貰える。脚本が良い、演出、演技が良い。照明もグー。更にテナーサックスの生演奏が随所に入る。尚‟観て来た”の内容は上演中なのでセーブした。華5つ☆

ネタバレBOX

 当パンの最後のページに9年前に旅公演先で急逝なさったグループの恩師・塩屋俊氏が常日頃語っていらした言葉と死因、そして頌辞が添えられている。良い師匠だったのだな、としみじみ思わせる内容だが、今作その師にしてこの弟子たち在りと信じさせる作品である。
 板上、基本的には素である。可動式の墓や病院で用いるベッドやベッドを跨ぐ書見台、サイドテーブルや点滴器具等が必要に応じて配される。ちょっと変わった幕開きなのは、物語は墓地で始まることだ。このオープニングでもそうだが、適宜テナーサックスの生演奏が入る。曲はジャズ風の中々洒落た曲なのでこちらもお勧め。客席は舞台をコの字状に挟み込むように設えられている。唯一客席の無い、つまり劇場出入り口側が出捌けに用いられている。
 さて肝心の物語だが墓場から始まることで或る程度、話の内容は限られてくる。病院の相部屋、患者は亡くなる者も多いところから末期、重症者が多いことが分かる。病床は4床。男性部屋である。が、この部屋で筋トレをし続けている患者のファン女性が居り、良く訪ねてくる。彼女は未だ若いが癌を患い、先ずは乳房を切除することを薦められている。然し乳房を失うことは彼女にとって大問題で切除を受け入れるか否か、放射線治療を受け入れるか否か、できれば受け入れず何とか生き延びたい。そんな念を抱えて決断できぬまま入院している。筋トレ青年はアグレッシブな生き方をしており、同室の石材店社長とは意見が合わない。というのも社長は企業の業績不振からか肝硬変であるにも関わらず、アルコール摂取を止めないばかりか、何とか借金を清算する為に墓の手配に余念がなく病室内にも拘わらず大声で露骨な利害関係の電話をしまくるからだ。而も間近に火災現場で子供が焼け死ぬ所を燃え盛る炎の中に飛び込み見事助け出したものの自らは大火傷を負い、最早口も利けず、呼吸器を付けなければ呼吸もできずurineも器具を取り付けて採ってもらっている状態の消防士のベッド。そのような重傷者迄商売のタネにしようと目論むからである。こんな訳で2人は年中口論が絶えない。然るに新入り患者が入ってきた。利き腕の右手を複雑骨折しており約1週間後に控えた医学部受験に間に合わない。ところで、問い質してみれば受験の重圧から悪夢に襲われ自ら複雑骨折したことが判明、その症状は入院後にも表れた。治療した右腕を夜中にベッドに打ち付けたのだ。部屋の仲間たちは黙っていなかった。

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