『幸せな時間』『心のかけら』『君へ』 公演情報 T1project「『幸せな時間』『心のかけら』『君へ』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     「心のかけら」を拝見。SF小説「模造記憶」の持つ、怖さを思い起こしながら拝見。追記後送
     今回、上演されているMEMORY三部作は再再演、再演が各1作、今作のみが新作で友澤氏80作目の舞台脚本である。他の2作と異なり新作「心のかけら」は、今までに書いたことがない物語を書きたいとインターネットとヴァーチャルリアリティーの中間辺りを仮想領域とするメタバースを梃に、我ら現代人の不確かな記憶・愛が描かれる。(追記2023.9.16)

    ネタバレBOX

     
     物語が展開するのは、廃園となった遊園地職員の休憩所だった建物。カルト宗教団体としてマークされている教団メンバーは、この建物内で困窮した人々に食料配布等をしながら共同生活をしているという。そんなメンバーの過去を取材したいとTV番組のクルーと名乗る若者が撮影機材を持って取材を強行している。偶々、この日は食料配布日、正午から配布を開始するというのでメンバーも三々五々集まってきた。
     奇妙にも窓外からは、砲弾の炸裂するような音や、機銃掃射のような音もする。取材クルーも「多摩川の橋が落とされた」などと不穏なことを語っている。
     こうして物語は幕を開けるが、読者は異様な感じを私の書いた文章から感じないだろうか? この宗教団体がカルト教団としてマークされながら慈善事業を公然と行っているという点、通行人に対してなら兎も角取材アポも取らずに教団の用いている建物内に居る人物に突撃取材を試みるなど、マスメディアに少しは通じている人間なら、最初から在り得ないと否定して掛かる所だ。住居不法侵入で訴えられれば如何にマークされているカルト宗教者の居る場所とはいえキチンとした法的手段が行使され得る。そんなリスクを冒すハズが無いからであり、そもそも取材者自身この後の展開でアイデンティファイすることを避けているのであるから、これはもう取材拒否の権利行使という形で撃退できるのは明白である。また、窓外では戦争が始まっているとしか考えられない音がし、真偽の程は兎も角、多摩川の橋が落とされたと言っている取材者を名乗る者に対し誰一人反論しない等々である。然し、これらの不自然こそ作家により仕掛けられた状況説明なのであり、観客はこの序の序部分で物語が尋常の世界を描いていないことに気付く。この時点で気付けなければ更に先に進み、クライマックスを迎える辺り迄分からないかも知れない。
     今作の肝は少し覚めた観方で世の中を観ている者にとって、現実に我らが暮らす世の中は、既にして完全なディストピアに他ならないという点である。何も日本に留まらない。先進国も途上国もその中間に居るとされる他のすべての国々も気候変動による災害の甚大化、汚染や他の環境破壊による生態系そのものの崩壊、人間の欲望のみに照準を合わせた経済の限界、人間の能力に対する過信と傲慢が生み出し現に機能している政治や政策。実証され続ける事実を葬り去ろうと努力し続けている愚かな勢力の拡大等々、枚挙に暇はない。以上掲げられた総ての事情に最も大きな影響力を行使しているのが所謂成功者、即ち人間の中で最も「強い」、力を持った支配層と追従者集団である。残る大多数、負け組と軽視される人々こそマジョリティーであり、今作に登場するカルト教団の信者たちに象徴される者たちである。結論から言えば弱者たちは救いを求めるにあたって強者の一部であるカルト教団教祖や幹部から「望んで」搾取される人間になっているという悲喜劇の実態である。即ちマジョリティーを構成する総ての人々が主人公なのだ。それは、我々自身だ。この実情が、極めて強い没入感を持つメタバース世界を利用して描かれている訳だ。従って不自然な行動や言い訳を用いていた取材者はアバターであり、その実態は、家族にも理由が分からぬながら変わってしまい行方を晦ました母を探す娘だったりするのである。『模造記憶』によるマインドコントロール等が、このカルトに居続けることになった個々人に大きく作用したことは否むべくもないが、問題は入団を望む深層心理が個々に入団した人に働いていたであろうことだ。つまり何らかの不如意や個々にしか分からないトラウマ等に対する事実認識に向き合う深い覚醒が個々人の中で具現化しない限りいつまで経とうが本質的に覚醒することはできず、解決とはならないことである。今作では幸い、個々人の殆どがこのことに気付き覚醒してゆくが。
     観た者総てに関して拭えぬ感覚はメタバースという状態がイマイチハッキリしないことではないか? それも当然、現時点では例えIT専門家と言われる人々の間でも統一見解は無いようだし、そもそも、目指している実態がどのような具体像を結ぶのか? についての統一見解も無い模様である。当然の事ながらIT技術の進歩は当に生き馬の目を抜くという表現が疾うの昔にロトイと感じられる御時世である。混乱は百も承知ということであろうが、作家は、現実と殆ど見分けのつかないレベル迄進化したヴァーチャル世界が現実世界と殆ど一体化している世界をイメージしているようである。この点さえ弁えていれば、余り頭を悩ませる必要はなさそうだ。素直に物語の展開に身を委ね楽しんでもらいたい。
     その上で問題は、別の処に或る。即ち通常我々がアイデンティファイするのは、己の思考・傾向が自身内部で矛盾せず、統一イマージュを結ぶと同時に、その者の属する集団社会の論理・倫理等の諸規定。諸規制と己を律する内的論理・規制が矛盾しないことで成立しているのだが、これに似て全く非なるモノが合体してしまった時、ヒトは果たして今までのような形でアイデンティファイし得るのか? ということであり、し得ないということであれば今後どのように自己の統一感覚を得ることができるのか? という問いを如何様に解決するか? という大問題である。今作の訴える真の怖さを多くの人々が体験するのは、実際にメタバースが世界を席巻した後のことになるのであろう。


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    2023/09/12 22:30

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  • 皆さま
     大変遅くなり、申し訳ありません。
    追記しました。ご笑覧ください。
                ハンダラ 拝

    2023/09/16 11:01

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