シャイヨの狂女
劇団つばめ組
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2022/10/06 (木) ~ 2022/10/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
恋は水色を途中迄しか歌えない女性が出て来るが、別の女性が1番を全部歌って教えるシーンがある。これ、作品展開のメルクマールである。一応以下にフランス語の原詩を上げておく。簡単な仏語だから読める人は読んでみることをお勧めする。
L'amour est bleu
Doux, doux l'amour est doux
Douce est ma vie
Ma vie dans tes bras
Doux, doux l'amour est doux
Douce est ma vie
Ma vie près de toi
【全文掲載には著作権者の許諾が必要であるため引用にとどめます(CoRich運営事務局)】
ネタバレBOX
J.ジロドゥ原作。翻訳劇の難しさを感じた。至る所に社会風刺、アイロニー、茶化しが組み込まれているのだが、翻訳された文章からフランス語ならどんな表現になるかを類推し、類語、縁語、反意語等々をすぐさま想像しつつ観なければ面白さが激減するのは明らかだし、何故、そこでそのような台詞になっているのかも皆目見当がつかないであろうからである。自分はスタニスラフスキーの演劇手法やメソッド演技のような演技術が好みだが、演技が自然に見える為に役者陣は他国の文化・歴史・政治・風俗・世界に於ける位置等々を知って深く理解して居なければいけないし、作品が演じられる国についても同様に深い理解と階層差による意識の違い等を正確に知らねばならないからである。これら総てを高いレベルで通過してもそれを演技に落とし込めなければ意味は無い。
上記のような前提で拝見したので、序盤で社長役の演技を観た瞬間、演じていることが演技に現れていて幻滅してしまった。若い役者なら致し方ないが、ベテランと言っていいお歳とみた。それでこの演技は、と思ったのである。鉱山師の演技は上手いと思ったが。
途中、休憩を挟んで物語のトーンが完全に変わるが、前半は、現在世界中を席巻したと思われる新資本主義(即ち露骨に収奪することしか考えていない資本主義システム)を予見したような内容であり、後半は、これをひっくり返し庶民感覚の生活を取り戻すユートピア実現という形へ収束するが、今を生きる自分には後半はメンタルなレベルで納得できないものの、世界初演は1945年12月だから来るべき資本主義の形をその本質で見通していた慧眼にこそ着目すべきであろうし、第2次大戦中はドイツに支配された歴史から解放された歴史的解放感もあったであろうから後半の展開も作家の心理として自然ではあると考える。
嘘ぎらい
『OYUUGIKAI』製作委員会
本所松坂亭(東京都)
2022/10/05 (水) ~ 2022/10/10 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
月組を拝見。作劇は脚本、演出、演技、効果何れもグー。観客に的確に表現内容を伝えることに成功している。その主張の要に大きな効果を放っているのが宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」である。作品は一度発表されてしまえば作者の手を離れる、という捉え方が自分の捉え方なので如何様に解釈するも解釈する者の自由だが、今作中の用い方と賢治解釈は,小生とは殆ど真逆であった。それは、我々が若い頃と現在の若者との同時代認識が全く異なることを示唆しているように思われる。(追記後送、華4つ☆)
青春日和
都立王子総合高校演劇部
北とぴあ ペガサスホール(東京都)
2022/10/03 (月) ~ 2022/10/03 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
自分の高校時代とは隔世の感がある。
ネタバレBOX
高校の演劇部作品。出演者の殆どは1,2年生、3年生は1名のみだったが、受験もあるから当然だろう。自分は1970年に高校を卒業した。都立高校出身であるから学生運動は高校生の時からやっていた。入学した年は初めて学校群制度が導入され自分の育ったエリアは第2学区だったので都立高校で東大進学率が高かった新宿・戸山に割り振られた者達に大きな不満は無かったが同じ22群であるにも拘らず桁違いに東大合格率の低かった青山に振られた連中はその時点で絶望しており、結果的に全学封鎖を決行した。学内で最初に扇動した連中は要領よく向きを換え受験準備に余念無かったが引っ張られた連中は、学内のスパイ、イデオロギー対立によるぶつかり合い、大人との対立、裏切りと信じようとする心の相克等から個々人は疑心暗鬼と不安に陥り、独りぼっち、各々が石ころのような精神状態に追い込まれた。生徒の学校側に対する不信は頗る強くバリ封に対して導入された機動隊との衝突に傷ついた者も多かった。こんな状況の中、造反有理、革命という言葉は日常茶飯であり、無論距離を置く生徒達も居たが活動家とそのような生徒は完全に分断されていたし、大人達に対する不信感も決定的であった。自分の親友はこんな状況の下自殺してしまった。このような個人的体験からみると、今作に登場した高校生たちは余りに従順で、大人の敷いたレールの上を殆ど反抗せずに歩いているように見えた。行儀は良いが覇気を感じることもなく、仲間に弄られることも肯んじている。男子も殴り合いの派手な喧嘩は好まないようだし、ぶつかり合いそのものを避けている気がする。もしそうであれば、余り面白い作品は生まれなかろう。一歩引いて静かでも味のある作品が生まれる為には、世界で起こっている小さな声の圧殺にキチンと耳を傾け、一度はそのような世界に飛び込んで実地の体験を踏む位の覚悟がなければ本当の作品は創れない。間の採り方がなっていないのは、そのような真の経験の不足からである。表現する人間を目指すなら本気で、周辺に排除される弱者の生の生活を見、彼ら、彼女らの小さく弱い声をキチンと救い上げて作品に活かせるだけの的確な知識、配慮できる人間的広がりが少なくとも二十歳までに必要であろうから、そういった射程で物事に対処する必要がある。因みにこの程度のことをするには、既に過ぎた十四歳の頃、即ち子供から大人への過渡期を終えていることが前提であることは言う迄も無い。それが出来ているという前提で子供心を忘れないことも表現には肝要なのである。
八月のモンスター
甲斐ファクトリー
オメガ東京(東京都)
2022/09/28 (水) ~ 2022/10/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
板上は三方壁を黒幕で蔽い、上手のみ袖になるよう途中に短い黒幕を挟む。出捌けは下手と上手袖奥及び手前。これら黒幕の内側に扉が衝立状に立てられている。下手から色は青、中央奥が黒、そして上手が赤い扉であり、上手・下手の扉は観客が見やすいようにカタカナのハの字のように置かれている。これらの扉に囲まれた空間が基本的な演技エリアである。ここにはパイプ椅子が数脚、そのレイアウトは場面によって異なる。(衝撃的ラストに連なる部分は終演後に追記する、あと1公演あるからにゃ。お勧め、観るベシ。追記10月3日4時4分)
ネタバレBOX
さて、物語は伝説の講師・田中による5日間の合宿更生プログラムの日々を描く。参加者は5名。アルコール依存症2名、極度の緊張症で発作状態を起こすと呼吸困難に陥る者1名、セックス依存症1名、自己表出し得ない者1名。何れも既にあちこちのセミナーに参加して自己克服を図ったが失敗しこのセミナーが最期のチャンスと参加した者ばかり。
講師の田中は、大手でコンサルタントとしてならしその著書もベストセラーとになる程の名カウンセラーであったが、講義を受けた女性の1人が飛び降り自殺をしたことでマスコミから総攻撃を受け、妻はそれを気に病んで脳梗塞を起こして病死、娘・美久は学校で陰湿極まる苛めを受け踏切で列車に撥ねられ15mも飛ばされて亡くなった。警察は自殺と断じたが、美久の書いた遺書が亡くなる1カ月も前に書かれたものであったこと、亡くなる前には誕生日に贈った万年筆の黒インクが切れ空色のインクを使っていたことから父は自殺を疑った。そして娘の亡くなった踏切前で目撃者探しを始め、遂に証言してくれる人に会い様子を聴いた。その目撃者の証言によると美久は自殺ではなく、踏切で動けなくなっていた人を助けたのだという。その時娘は何かを叫んだが列車の通過する轟音で声は聴き取れなかったということであった。父は鉄道会社に頼み込んでその事故時の撮影記録を見せて貰い、助けられた人物を探していた。そして・・・終に見付けたのだ、娘が救った方を。父はその人のことを調べに調べた。住居、務め先、仕事内容等々、そして今回久しぶりに返り咲いたカウンセラーのセミナー受講生の中にその人は居た。女性であった。彼女はその生い立ちで深いトラウマを負っていた。小学生の時から長距離トラックの運転手をしていた実父によってレイプされていたのだ。気付いた母が抗議すると父は母にも暴力を揮った。当然嫌がる娘に対しても暴力的であった。それは眠気を堪える為にシャブを使っていたこととも関係するだろう。彼女が中学生になっても父によるレイプは続いていた。嫌がる娘に父はシャブを局所に塗り付けセックスするようになっていた。彼女はシャブの影響をもろに受け父にセックスをせがむようになっていた。母は家を出てしまった。このような地獄を経て彼女は自己を肯定することが出来なくなってしまったのである。想像できると思うが、死より辛く苦しい生がある。今作で中心となったのは、美久に救われた九条その人だが彼女はその後偽名を用いビル清掃の仕事に就いていた。父は美久が助けた人を観察する中で、その彼女の誰にも気付かれることなく黙々と働く姿も観て居た。二人の出会いは天啓でもあろうか。かつてカリスマとして鳴らした父・ユージは、ニーチェの超人思想を理想化し神無き後の世界で人間が人間らしく在る為に社会的弱者は己の弱点をその個人史的経緯と共に完璧に自覚し対峙することによって乗り越えることを目指していた。然し乍ら、最愛の妻も娘も失い、自分自身の根拠にしてきた価値観も失って初めて、人間の裸形に出会った。そして理解したのであった。自分も九条と全く変わらない頼りなく弱い存在であると。そして未完成で苦しい生をそのまま事実として受け入れ生きてゆくことこそが、生きる要諦であると認めるに至った。
蛇足乍ら最期に脚本の白眉と思われる箇所を挙げておこう。九条が鉄路に蹲っていたその時、美久に助けられ「生きて!」と励まされた時、死の覚悟の央に「天使を見た」と思った感覚は、このように生き乍らの死を覆す状況を描く最も優れた文学的一行と言えよう。
NO GOAL -HOMELESS WORLDCUP-
青春事情
駅前劇場(東京都)
2022/09/30 (金) ~ 2022/10/04 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
板上は箱馬、二段の階段等を用いたセット。場転によりこれら小道具を移動してシチュエイションに合わせる。
ホームレスワールドカップの存在を御存知ない方も多かろう。だが実際に存在する。2001年から毎年行われているホームレスによる世界的なフットボール(世界標準のこのスポーツ名はサッカーではなくフットボール)大会であり、通常のサッカーと出場選手の人数等も異なる。フィールドに上がれる人数はゴールキーパーを含め4人、控えの選手は最大4人迄である。
私的体験で申訳ないが世界大会に関わっていたことがある。1993年日本でアンダー17の大会があった時のことだ。試合はいつもネット裏で観て居た。その感覚から見て、今作、フットボール(サッカー)の本質を良く捉えている。お勧めである。(追記2022.10.4 )
ネタバレBOX
今作の眼目は、試合開始半年前から本格的練習を始めたホームレスの参加選手達が各々抱えている問題を話したがらず、諸般の事情から現在の境遇に陥っているにも関わらず、世間からは白眼視されることも多く、とどのつまりは、ノケモノにされたり、差別されたりされることによって、自己主張することが元々苦手な人々が多い実情であるにも関わらず増々社会の周辺へ追いやられ、その結果社会参加への意志も挫け勝ちになることに対しフットボールという毬さえあればできるスポーツを通して個々人が他の人々と協働し人間として何等かの前進を遂げる為に催されていることだ。選手資格はBIG ISSUE販売者つまり自立意志を未だ持ち積極的に社会と関わろうという意志をも未だ持ち続けているに人々ということになる。だがハードルは低くない。それは社会からの偏見や彼ら自身が抱えている個人的な事情が関与しているケースが多く、今迄中々チームワークや協調性をも身に付けてくることができなかった事情による。
この壁を乗り越えさせたのがボランティアとして関わった女学生が彼女の実家が経営している旅館合宿を提案・実現させたことであった。当初、彼女の母は得体の知れないホームレスがリピーターの多い老舗旅館で合宿することに懸念を示していたが、大会参加メンバーの一人が娘同様、登校できなくなりドロップアウトした経緯を知り、参加選手達を知ろうと努めるようになり誤解を解いてゆく。観客は母の遷移を通してホームレス達の個々の事情や具体的困難に向き合い、選手達・サポーター、一般の人々との関係の変容を非常に自然に追体験する仕組みだ。一般社会人の代表でもあるコーチのパスポート期限が切れていたことに本人が気付かずマネージャーに手渡したエピソード等くすりと笑えるシーンも埋め込み良い仕上がりである。
陽炎
劇団アルファー
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2022/09/29 (木) ~ 2022/10/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
幕の合間に10分の休憩を挟み、この間に大仕掛けの舞台転換を行う。一幕はホリゾントに焼け野が原になった東京の写真が壁面一杯に広がり、その手前には食料品、日用品を扱うただ腰の高さに板を設えただけの「店」が並び、店主は総て女性、上手には元蕎麦屋の瓦礫の梁に筵を下げて入口とした廃屋がその戸口を斜めに曝しているが、無論この家に纏わる女たちが住んでいる。所は銀座三丁目だが、皆焼け落ちて何処に何が在ったかも皆目分からないというのが一般であった。板を使った商いの女たちの背後にも瓦礫と化した柱等が林立し火事場の腐臭を放っている。敗戦1年後GHQが総てを支配する形が露骨だった時代だ。(追記2022.10.5)
ネタバレBOX
序盤、演技を創りすぎ不自然な印象を齎す役者が多かったのは残念。曜子役は噛みすぎ。演技で気に入ったのは桜役、たけし役、ちあき役、館野役。
物語に関わる女たちの仕事も状態も様々である。例えば既婚者も戦死したハズの夫が生きて戻って来たり(その時既に戦死したとの知らせを受け妻は再婚していることも)、まともな仕事が無く、生き残る為にはGI相手の街娼をする他無かったり、違法であっても配給では飢え死にする他無い為闇市に店を構える等。こんな状況を居直り状態を示す歌詞の音曲とダンスで示したりするが、単に居直っているだけで負ける迄は‟欲しがりません勝つまでは!“ だの‟進め一億火の玉だ!“ だの言っていた割には誇りを失っていたのは情けない。ドイツでもララ物資が配給されたが、日本とは異なり、人間の食べ物を寄越せ! という叫びが上がった点で、未だに地位協定が行政協定と殆ど変らない日本とドイツの改善された独米地位協定の差は明白である。
二幕では陽炎と名付けられた純喫茶の店内、筵の下がっていた場所は店内への入り口となり正面にはレースのカーテン付き硝子窓、椅子・テーブル等も戦災にあった劇場で使っていた物を修理したり塗り直してリサイクル、小じゃれた作りになっている。何と言ってもザギンである。出演者の中には極めてダンスの上手い女優、歌の上手い女優の他、カンフーをやっていそうな動きを見せる男性俳優等も居て(作曲家役で普段はヘテロとは思えない素振り)ヤクザ相手に大立ち回りを演じて恰好良い。ザギンもヤクザのシノギには極めて有効なエリアであったので闇市が立つのは自然の成り行き。実際に闇市を仕切っていたのはヤクザであったしマッポも治安対策を名目につるんでいたことは常識である。
全体として情緒レベルに落とし込んだ脚本になっており、女性達の苦労・苦悩は在る程度表現されていたもののリアルであるよりはエンタメ要素の可成り入った作品という印象を持った。
みんな友だち
こわっぱちゃん家
上野ストアハウス(東京都)
2022/09/29 (木) ~ 2022/10/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
舞台設定はスナックにしか見えないカフェ&バーの店内。板中央に楕円形型の大きなカウンター。カウンター奥は開口部になっており劇場奥の壁の手前が高くなって踊り場が見える。落下防止用のバーが横に長く延び右手階段に繋がる。開口部を挟んで上手、下手には正面の壁。下手壁にはカフェバーの入口があり、上手側壁は袖の役割も果たし壁の奥と手前の開口部が出捌けに用いられる。尚、開口部と下手壁の中程にメニューの記された小型ボード。入口から店内に入るとコーナーには雑誌等を置いた本棚、壁は帽子やコートを掛けられるように設えてある。下手客席側コーナーにはパソコン等の載った小机に医師用の椅子。上手客席側コーナーには、客用テーブルとゆったりした椅子。バーカウンター奥の上手正面壁には作り付けの棚が3つあり、それぞれの棚には様々なボトルが並んでいる。カウンター周りにはハイチェアと鞄等を入れる洒落た箱が足下にある。(追記後送)
新訳「あわれ彼女は娼婦」ワークインプログレス
NICE STALKER
スタジオ空洞(東京都)
2022/09/21 (水) ~ 2022/09/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
開演前、可成り哲学的な質問がエンドレスに読み上げられている。会場は下手壁際に暖色系の柔らかな素材を腸のように纏めたオブジェが意味も無く存在しており、その上部に天井から白、赤、緑、藍、黄、紺等で色付けされた電球が高さや位置をずらして下がっている。舞台美術はこれだけで板上はフラット。役者は全員裸足で演技する。
J.フォードは17世紀エリザベス朝演劇末期にイギリスで活躍した劇作家。今作は彼の代表作とされる作品だが兄・ジョバンニと妹・アナベラ兄妹の純愛故の破滅を描いた衝撃作。作品成立は1620年頃と考えられている。今回、開演前には可成り哲学的な質問がエンドレスに流され続けている。(追記後送)
『太鼓』
劇団演奏舞台
九段下GEKIBA(演奏舞台アトリエ)(東京都)
2022/09/23 (金) ~ 2022/09/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
必見、華5つ☆。劇団創立50周年に記念公演第1段に相応しい素晴らしい舞台。急に依頼された雑誌原稿やら、研究会があってバタバタしているので追記後送。先ずその緊迫感だけネタバレに記しておく。事実に基づいた資料を丹念に調べ、鬼界に入られた方が既に多い為数こそ多くは無いものの取材もして、1次情報と正確だと信じられている資料との突き合わせもしっかりなさっていると考える。日米の戦争の実質のみならず戦争の本質を見事に描いた傑作である。(追記9.28 午前2時)
ネタバレBOX
物語設定は敵軍と対峙する最前線の窪地、敵軍は物量共に圧倒的に勝る。然し友軍主力部隊は中央の凹部を両側から挟むような岡に陣を構え地勢的には有利である。主たる登場人物は古年兵(軍曹)と18歳にあと2週間でなる初年兵である。月の出て居ない夜1m先も見えない状況で軍曹は新兵に訊ねる。歳は? 兵隊になる前何をしていた? 等々。そして少年兵が、今どんな表情をしているか、つぶさに言い当てる。そして自分(軍曹)の表情が今どのようなものであるか、問う。少年は闇の中で見えない旨答え、軍曹にしつこく自分の現在の表情を指摘され続けた後、一体どんな表情なのかを問うことになった。軍曹は答える。「俺に顔は無い」と。第1の伏線である。
その後も軍曹と初年兵の対話は続く。志願兵として来ては居たが、実際は出兵できる員数も既に限られて居る為各戸に出征すべき員数が割り振られており、志願とは名ばかりの強制と変わらない状況で兵士にさせられたこと、村の人々こぞっての万歳に送られて出征したものの、各々の兵士それぞれの母の気持ちは生きて帰って来いとの切ない願い、而もそのような願いを聴けば兵士は猛々しく戦えないと拒否せざるを得ないこと。村では可成り裕福な酪農家の娘との互いに思い合った淡い恋は、体が弱い為徴兵対象とはならなかったが、矢張り娘に言い寄っていた地主の息子の嫁になると決まっているとの軍曹の指摘、理由は遠く離れた戦地に兵士として来ていること。ただ、それだけ! 而もこれは正鵠を射ている。このように残酷な事実を若くナイーブな初年兵に平気で指弾する軍曹とて、何もなければこんなに厳しい表情、こんなに険しい顔にはならなかった。と述べることで辛うじて人間であった時の記憶を残していることを感じさせはする。然し「俺の隣に居た兵は必ず死ぬ」と言い放つ時、生き残る為には同輩を同輩とも思わず単に駒として使用し二人一組の斥候として任に就いているならば、己は報告の為に隊に戻り同輩は敵接近位置と正確な時刻を知らせる為に現場に残り敵を惹きつけた上で最も正確な合図を送るよう役割分担することによって己の延命を図る、頑な兵隊になった歴史をも示していた。この件が第二の伏線だ。これらの話の合間にこの初年兵が産まれる前に出征し亡くなった父の霊が現れて「軍曹は兵隊だ」とサジェッションしてくれるが、残念ながら実効性は無かった。
物語が更に進むと、月が出た。敵が動き始めた。
軍曹が出発した刹那、隊からはぐれた敵兵が近くに現れた。互いに相手を殺したくない。そこで意味は通じないものの、殺したくも戦いたくもないこと、できれば撃ちあわずこのまま離れたいこと、互いに土を耕す民の出身であって、片や家族の生活は己の働きに掛かっており、片や貧農故己が帰郷できなければ残された母が苦労すること、大切なことは平和であることを叫ぶ。ところが平和を希求するあまり互いにその声は大きくなり恰もトツゲキの為に掛ける気合の如くに響く。このようにして互いに疑心暗鬼が募り皮肉にも「このわからずやメ」と互いに発砲してしまった。銃声を聞いて軍曹が戻り動揺している新兵に諭す。自分の命令を聴いていれば良い事、付いて来いということ。その上で取るべき行動を指示する。軍曹は先にも述べていたように戦というものは、敵が相手の攻め方として最も可能性が低いと判断している場所から攻め入ることが多いことを指摘していた通り敵は友軍が可能性として最も低いと考えていた犠牲の多い中央突破を敢行すると正確に判断し、それまでの対話で完全に篭絡しておいた初年兵に自分の命令をよく聞き実行せよと言い置き次いで、「未だ合図は送るな、敵を惹きつけてから赤い照明弾を3発撃ち上げろ」と命じて去る。この策術に新兵は気付かない。が、これが生と死の分かれ道であることは観客には直ぐ見て取れる。これこそ、大日本帝国軍という組織の持つ本質、即ち兵は人間ではなく一銭五厘で調達できる消耗品、という考え方であり下級士官にのし上がった軍曹は、この構造を早くから見抜き利用することで生き延びた知恵者ということになろうか。因みに初年兵同士の撃ちあいの際、米兵の装備はヘルメット、日本兵は単に布の帽子である。兵士に対する国の態度がハッキリ装備の差としても現れている演出に注意したい。戦争から生きて戻った者のうち何がしかは軍曹タイプの人間であろう。戦争の実際を隠したがるのは当然と言わねばならない。
コマギレ
ラビット番長
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2022/09/22 (木) ~ 2022/09/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
このタイトルにカレーライス。フライヤーのど真ん中には将棋。確か将棋のハナシだったハズだが? どんな関連があるのだろう? 多くの人がこのように感じたのではないか? 正解は今作を見て頂くとして、井保さんの脚本の特徴である温かさは無論健在。久しぶりにラビ番の作品を拝見した身としては円熟味が増したと感じた。(追記9.27)
ネタバレBOX
板上は二段構え、奥が高くなっており、下手正面壁には大きな将棋盤、指し手を表示できるようになっており、TV番組で放映される際の解説、アナウンサー、ゲスト等が登壇する。上手には対局場棋士を挟んで正面に棋譜を記す記録係が正座している。場面によって亀甲型を思わせる桟の入った障子が用いられ、料亭や影絵芝居のスクリーンに変化する。
一段低い手前は師匠の運営する将棋道場といった作り。下手奥にはキッチン等があり、TV放映されるような対局の際は、関係者がこの道場に集まり観戦しながらカレーを食べる習わしだ。言う迄も無い事だが、将棋もまた戦争をゲーム化した遊戯である。今作は、そのゲームを通して人生、即ち人が人として生きる生存競争に迄踏み込んだ。何故、毎回カレーしか出てこないのか? 何故、ポークカレーなのか? 極めて貧しい育ちの師匠が何故将棋のプロになれたのか? 何故、こんなに師匠は良い弟子に恵まれたのか? 何故、人々にこれほど優しいのか? 等々、今作を巡る疑問は頗る多い。無論、第一段落で上げておいた、タイトルの謎の件もある。これらの謎総てが作品上演中に演じられる内容で合点のゆく創りになっているのだが、1つだけタイトルに絡む謎のヒントを挙げておくと師匠の愛弟子・桂子は女流初のプロ棋士である。無論、格段の強さを誇る。彼女は男性棋士と並ぶプロとなって女流名人を降りた。その後女流名人を継いだ花下は桂子に対して猛烈な闘争心を持っているが、桂子が体を壊し暫く対戦を控えた後の初戦で完敗した。が、桂子はその後どうした訳か反則負けを喫し続ける。再度の対戦となった桂子VS花下戦、桂子が危うく反則し掛けた刹那、花下はそれをやんわり止める。このフェアプレイの美しさは例えようが無い。
今作の懐の深さは単に将棋、野球、福祉等ラビ番定番作品各々の質の高さそのものに負うのみならず、こういった思い通りにならない人生の躓きを含めて完全では無いが、その人その人が全力を尽くして生き抜く力と、その努力を評価しキチンと支える為に矢張り一所懸命、無手勝流で生き抜こうとする人々の姿を温かい目で描いていることにある。
演技では、大谷記者役、大河内 延公氏が気に入った。
新作オペラ『地獄変』
シアターX(カイ)
シアターX(東京都)
2022/09/23 (金) ~ 2022/09/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
芥川の傑作を独自解釈と巧みなピアノ演奏、グレードの高い歌唱で表現。ベシミル! 本日(土)14時、明日14時の2回公演を残すのみ。昨日は満席であった。(追記2022.10.5)
ネタバレBOX
芥川龍之介の原作をオペラ化し上演した今作、無論原作にはなく脚本化した入市翔氏が創作した文言がある。オペラとしての上演である以上、音曲に合わせ作品の本質を活かしつつ調整されている箇所があるのは当然だ。演出を安倍公房スタジオ出身で現在は主としてイタリアで活躍する井田邦明氏が担当し、イスラエルの鬼才・ロネン・シャピロ氏が作曲・演奏を担当した。因みに今回使われているピアノは通常のクラシックピアノを特別に調律し洋の東西及び中東の音階・音域迄表現しようと整えられたものでマルチカルチャーピアノと呼ばれるが、イラン・パぺも指摘する通りイスラエルのパレスチナ人ジェノサイドに対して平和を願いパレスチナ人と共に活動してもいるシャピラ氏自身が異文化との対話と協働とを目指す姿勢の表れと見ることができる。ピアノでシンセサイザーでは表すことのできないアラビアのマカーム(旋法の体系やシステムを意味する言葉)や日本のペンタトニック(日本の五音階で作られた音階のこと)を組み合わせた微分音音階を調律しているのが特徴だ。
舞台上はホリゾント中央やや上方に表面に箔を張った大きな円形のオブジェ。出捌けはホリゾントの下手、上手の開口部。板中央に大小二段重ねの平台を置き上段には門が構えられている。尚平台、門共に表面は箔で覆われ大殿の豪壮な御殿にも、また燃え上がる牛車にもなる。更に手前の客席側には黒い大きな円形の表面に魂の形を薄く刷いたようなシートを床に置く。
芥川の原作では、大殿に長年仕えた女官が地の文で事の成り行きを説明しており、その語りは、絵師・良秀の天才アーティストとしての表現への執着とアートがアーティストに対して要求するもの・こととのギャップを埋める為のありとあらゆる努力と犠牲、精神性の高さ故の非凡や一般人から見た奇行や言動が、俗人が真のアーティストに対抗する為に為す曲解や蔑み、不評等々に結実する様を曖昧な表現で示す。然し深読みすれば芥川による本音、実は単に事大主義に同調せぬ者への同調圧力でしかない極めて非主体的な日本人の特性がやんわりと表現されているだけの痛烈なアイロニーに他なるまい。一方、事大主義者が奉仕する者については、その非を非ならぬもの・ことへと曖昧化、転嫁することで権力者がその権力を己の立ち位置の優位性によって如何様にも行使し得、而もその倫理的・論理的責任をも問われること無く瞞着が露呈せぬよう糊塗している事も明らかだ。
つまり今上演作では、日本人の特性を西欧的知性で分析した上で芥川が真に望んだであろうことを的確に表現して見せた。それは良秀が、自分は見た物でなければ描けないので牛車を燃やして欲しいと願う場面の台詞で「できれば位の高い女を(牛車に載せて)欲しい」と願うのに対し、大殿の応えは「気位の高い女を云々」であり、剰え傍の者共と薄ら笑いを交わしながら良秀に惨たらしく肉を焼き骨を焦がして死にゆく娘の有様を説き聞かせる。そして簾を下ろしていた牛車に火を掛ける直前、松明を掲げさせ肩をゆすり薄ら笑いつつ、燃え盛る火の車となる函の中に鉄の戒めを施され生きたまま焼かれる姿を見せた者こそ、類稀な子煩悩の父の目前で焼殺される最愛の娘であった! 而も大殿の台詞には、原作と似てはいるが異なる以下のような意味の台詞があった。「良秀は作品を描く為には弟子たちを怪鳥に襲わせ、鎖で縛め畜生にも劣る所業、これらの行いに対する懲罰として愛娘を生贄に捧げさせる」という社会的正義を装った政治的発言だが真実だろうか? 実は単に寵愛を位の低い良秀の娘に拒まれ意趣返しに己のサディズムを満足させようと舌なめずりし乍ら娘のみならず父・良秀をも地獄に突き落とす残虐非道な宴を催したのではないか? 然し良秀はこの艱難をそのアーティストとしての良心と作品を完成させることに賭けるエネルギーの凄まじさで屈服させた。芸術即ち精神の優位を示し俗物が構成している事大主義世間やヒエラルキーしか生み出すことの出来ぬ不完全でトータルバランスを欠いた俗世及び事大主義者の非人間的残虐性や奴隷根性、非主体性故の無責任と非合理性を残酷な迄に示した。これら俗世の住人に対し、良秀の娘に救われた恩に報い、燃え滾る牛車に飛び込んで娘の肩を抱くように焼け死んだ猿の行為は実に対照的ではないか?
「かつて生命があったという惑星に向かって僕らは、」
乙戯社
スタジオ「HIKARI」(神奈川県)
2022/09/18 (日) ~ 2022/09/23 (金)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
板上は、宇宙船の内部を模し深海に設置された訓練艇内部。天井から星とその放射を表したような形状の明かりが天井から左右に1つずつ下がりその間の空間には惑星を模したと思われる球体が適度な空間を開けて20近く吊り下げられている他、パラボラアンテナを逆さにしたような形状を示す骨組みの物体が椀を斜めに伏せたように在る。床にはコクピットや居住空間で用いる椅子やスツール等を並べ、それらの位置関係で使用目的を暗示し、機能を示唆するちょっとオシャレな発想の舞台美術だ。(追記9.27)
ネタバレBOX
物語内容は火星が地球に最も近づくタイミングを狙って発射される宇宙船に乗るメンバー選考最終審査の為に閉鎖空間での行動、精神状態等がメンバーたるに相応しいか否かの審査過程を描くことにあるので、オープニングでは出演者全員が昏い板上を直径20㎝程の光る玉を掌に載せて周回したり軌道を巡るような動きをして幻想的ないイメージを盛り上げる。極めてファンタジックで美しい場面で幕を開ける。因みに選考されたメンバーは火星到着後、生涯火星で暮らすことになる。このプロジェクトはマーズワンプロジェクト2023と名付けられ、2018年に参加メンバーを募った時点で応募者20万という人気プロジェクトである。現在残っているのは、6名。プラス1.(このプラス1については若干説明が必要である。選考に残っているオオカドの親友、ホシノなのだが彼はオオカドと共に大好きな星を見に海辺へ出掛けた際波に攫われ共に溺れた。オオカドは助かったもののホシノは脳死状態で劇中に参加しているのは、ホシノの幽体のようなものである。)
物語の大筋は、この2人の関係が「銀河鉄道の夜」に準えられ乍ら展開しつつ、同時に閉鎖空間で長時間暮らすことになった6人が閉塞感から徐々に精神の安定を欠いたり疑心暗鬼に陥ったりして己の本性をぶつけ合う様を描いており、精神分析的側面も描かれてゆくので可成り面白い。
具体的に各々が個々の本性を曝け出す切っ掛けとなったのは、霊能力が高いのかジュリが、「人影を見た」と言い始めたことだった。或はホシノを幻視した可能性もあろうが、常識的には可成り深度の深い海に設置された訓練艇にメンバー以外の人間が入り込めるハズは無く隠れる場所も無いのだが、一時的停電が起きたり何等かの異変の兆候かも知れぬと思える事象も起こるので2人づつ3グループに分かれて艇内を調べることになった。ジュリとオオカドはコクピットをタワラとタマコ、ハナエとミワは各々サイドエリアを。一時停電になった折には懐中電灯を用いる心細さもあり、疑心暗鬼は恐怖も生んで各々は己が裸形をも曝け出すこととなった。各々が発症した症状は様々であるがセックス依存症で女だからバイアグラでも使わなければ男を襲えないと考えているジュリはそれを持参しなかったことを悔やむものの「この所ずっと眠れない」とオオカドに告白する所から始める、然し埒が明かない…痺れを切らしEDなのか! 詰め寄るもオオカドは別の悩み(ホシノを脳死状態にした事故の一件で自分だけ無事に生き延びている苦悩)でその気になれない。(このホシノとの件は、更に後でホシノとのシーンにもろに「銀河鉄道の夜」が被さる形で詳述される。ハナエは、このプロジェクトに関わる研究者でもある(この6人選考の過程でも関与したことを認めており、多くのメンバーから最終選考でもスパイの役割を担い皆の行動・心理状態等のチェックを被試験者のフリをして監視しているのではないかと疑われている)が、本気で宇宙に関わることになった切っ掛けは星の大好きだった幼い息子を亡くし、亡くなった我が子の為に宇宙の何処かに壮大なモニュメントを建設する為であった。一方、今回相方として艇内調査に当たっているハナエは寝たきりになって永かった夫の生命維装置を外し殺したことに纏わる諸々の事情が応募の理由であった。タマコには現実に生きている世界に夢を持てないが、異なる惑星・火星に渡って未来を創造したい、という儚い望みに賭けたい。謂わば夢を夢見るような儚い念があった。だが、彼女の書いていたブログのファンが居た。それがタワラであり、彼には彼女の念は、行けば火星で死ぬより他無い無某な計画に思え何とか火星へ向かうことを諦めさせようとここ迄追ってきたのであった。
以上の事情にジョバンニとカムパネルラの友情と別れが重なるシーンが被さってくるので極めて詩的で哀歓に満ちた物語になっているのである。
かもめ
ハツビロコウ
小劇場B1(東京都)
2022/09/20 (火) ~ 2022/09/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
ベシミル、華5つ☆
板上では、場転に応じてテーブル、書き物机、椅子等が入れ替えられてゆく形。出捌けはホリゾントやや下手の開口部、上手側面の奥と手前の3カ所。照明は終始昏く、今作の本質的な暗さを暗示しているかのようだ。それに効果的な音響が被さり一見何気ない日常を描きながら極めて深刻な登場人物達の内面世界を、時にその台詞とは真反対の内面を見事に表象するのに充分な時空を舞台上に出現させ描き切る、一瞬たりとも緊張を緩めない。この辺りの表現力は流石ハツビロコウの舞台である。無論、観客にこのように感じさせる役者陣の演技力の高さ、一見矛盾するような表現で申し訳ないが、大胆に本質を提示しながら同時に極めの細かいそれでいて自然な流れを作っている演出も素晴らしい。
ネタバレBOX
作品の内容は有名な戯曲故省くが、今回のハツビロコウの舞台の特徴と思えたことを若干記しておく。
基本的には表現する者としてのアルカージナVSニーナと散文作家としてのトリゴージンVSコースチャ、アルカージナVSコースチャ、ニーナを巡るトリゴージンVSコースチャが表現する者達の争闘のあらましを形成しており、それらをチェーホフの分身として形象化されたキャラ・観察者(科学的知性を以て人々を客観的に観て居る批評者)としての医者ドールンが冷徹な目で観察、関係性の本質を見抜く。と同時にコースチャに纏わる精神分析的知見には瞠目すべき点が2つ在る。先ずは往時としては未だ発見されていなかったタイプのコースチャの才能を評価した点、同時に彼の才能の質迄も見抜いていた点である。此れは実際に医師でありながら同時に小説家・劇作家であったチェーホフだったからこそ書き得たことであると言わねばなるまい。文学の形式は大別して3つある。散文(小説を代表としよう)、戯曲、詩である。この3つのジャンルで現実世界に最も似せた精神活動をその創作過程で要求されるのが小説であり、最も離れているのが詩である。戯曲はその中間と言えよう。どういうことかと言うと、ドールンの台詞に在った「コースチャに才能はあるが、彼は自分の才能を活かすテーマを知らない」という表現の表す内実である。言い換えれば主題・本題を定めることが出来て居ないと解せる。彼が漸く売れ出したのは、ニーナに振られて2年後である、ジャンルは小説。然し乍ら、彼には散文に必要な具体的で実際的な事象やモノ自体の細部を描くこと即ち具象的な文章を書くことで現実に着地するような精神的傾向は希薄なのである。この点が小説家としては決定的な欠陥となることを、残酷な迄に物事が良く観察できてしまう天才・チェーホフは良く知っていた。そしてその事実の本質性をハツビロコウの舞台はキチンと表現して見せた。見事である。
一方、チェーホフ作品が世界中で未だに多くの人々から認められ上演され続けているのは、世間や表現する者達とは若干異なる相で結婚という形の恋の一応の社会的完結をみるマーシャ、メドヴェージェンコ。ポリーナ、シャムラーエフら一般の人々の本質を鷲掴みにして戯曲・舞台表現とした点だが、それにスパイスを加味するように更に庶民や中間層とは若干異なるロシア社会の引退官僚としてソーリンが描き込まれている点は如何にもロシアの作家・チェーホフということになろうかと自分を含め俗な「批評」をしたがる人士達の心象をも擽るからに相違あるまい。
三年前のリフレイン
劇団東京座
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2022/09/16 (金) ~ 2022/09/18 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
総ての壁面を黒いクロスで蔽い側壁の幕のみスリットを設けて出捌けとしており、舞台上のセットは場転に応じて入れ替える。普通のタイムスリップ物と観るか、心理劇と観るかで評価も変わってこようが演出が頂けない。
ネタバレBOX
またタイムスリップ物の常として一般相対性理論と特殊相体性理論が関わってこようが特殊相対性理論で光速は限界速度とされていたことを考えれば光を越えるスピードでリフレイン効果を用いる時の馬場のスピード表現がエスカレートする場面(光速を越える)が何度も現れる、仮に光速度を超えるスピードが発見されるなることがあるにしても、或は単に自分の勉強不足で相対性理論からそれが演繹し得るにせよ、簡単な説明を何処かに挿入しておいた方が親切であろう。
心理劇として観る場合、馬場がずっと苛められていたことが先ず重要である。只でさえ日本人はおいてけぼりを喰ってノケモノにされることに対する異常な恐怖感があるようだ。現在日本中で起こっている陰湿な苛めにもこの無視即ち仲間外しはその重大な要素であることに異論はあるまい。暴力を振るわれる、金を脅し取られる、悪口を言われる等々の具体的苛めの根底に無視して良い人間(即ち非社会的人間は人に非ず)を苛める側は基本的前提としているからこそ、先ず、虐められ宇人間を無視することから始め、それが苛める側の勝手な認識に於いて完成するや否や、自らは一切の痛痒も感じることなく陰惨・残酷・非人間的行為を苛められる者に対して為し得るのだとすれば、子供の頃の馬場が単純に強くなって自ら力によって対抗したいと考えてボクシングを始めた訳ではなく、単に偶然ボクシング事務所代表に拾われた結果ボクシングを始めている点、リフレイン効果も馬場にとっては偶然身に付いた能力であり、主体性が全く無い。即ち主人公として脚本自体が先ず怪しい。このマヤカシを何とかする為に持ち出されたのが承認欲求という孤絶させられた者が発する妄念である。彼を「恋する」西内の愛が偽物であることも、陰謀論的な展開の必然性も以上の理由から出来する。他にもボクシング事務所トップの金山の表現が極めてわざとらしいエスカレーションに終始することも納得がゆく。
まあ、金山が馬場のスポンサー・松本(実は某陰謀組織のメンバー、因みに西山も)との論戦で述べる論はそれなりにユニークで面白いが、作品全体の中で有機的に結合して居ない為、物語に必然的に要請される要素となっていない点で難がある)
他にもボクシングをTV等を通してでも見て居る観客からみれば、岩井がパンチング機材を使う時に猫パンチを出すようなことは在り得ない他、リングポストの配置、ロープの数、張り方等全くリアリティーの無い練習風景も白けさせる。
本質が問えず、陰謀論的なモノを持ち出すことによって茶を濁す行為が、社会が政治に信頼を置けぬという単純な事実を表すとしたら、確かに民衆のそのような不審を表現しているのかも知れない。然し、このような状況を徹底的に事実に基づいて集積しキチンと分析、それらの作業から得られたデータを基に考え抜かれた果てに作品化するのでなければ碌な作品にはなるまい。
コラソンのかぎしっぽ
コラソンのあんよ企画
APOCシアター(東京都)
2022/09/09 (金) ~ 2022/09/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
短篇オムニバス3部作と題された公演で、共通項はトラウマと謂えよう。当パンを拝見すると3年ぶりの公演ということである。3作品何れも重いテーマをかなり軽やかに仕立て、而も登場人物数に無駄のない事、脚本に於ける性格描写や仕草態度に現れる状況への反応を含め極めて本質的且つ丁寧な表現に達している点に感心させられたのは、この3年のたゆみない努力と集中の結果であろう。各々30分程の作品であるが、筋の展開も滑らかで自然であり、同時に登場人物達の傷が観客に問い掛ける問題はキチンと我々を立ち止まらせ考え込ませるに充分である。作品のあらまし、舞台美術等については以下に記す。
舞台美術の基本形は下手にある階段を登り切った所からが板である。板上は、階段に平行するように黒幕で覆われた一角が袖として機能するが、出捌けは階段と客席側通路の2カ所。これが3作に共通する構造である。各作品によって用いられる小道具は異なるので作品毎に大方を説明する。オープニングではコラソンのかぎしっぽや、他の様々なにゃんこが登場する動画が流される。にゃこの世界にも色々あるにゃ、と観て居れば良いにょら! にゃ。この主宰なら、何をやっても良い作品を創るだろうにゃ。今後も楽しみにゃ~~~~。
ネタバレBOX
1:「ユンタン、故郷に帰る」
設定はマンションの一室といった趣。ドアは役者陣の演技で表現するので実際に造作は無いがドアの場所は階段を上がり切った直ぐである。室内は奥に、上部にTV等の載った収納用家具、板中央にテーブル、その奥に座布団、部屋の上手には予備の座布団が重ねられている。暗幕内側はキッチンと仏壇の置かれた部屋があるという設定だ。
初老の男(父)が独り居る。チャイムが鳴るが、何故かその後の反応が鈍い。漸くドアを開けると女性が独り立っている。何となく入りづらそうだ。だが、親子である。久しぶりに帰郷した娘であるにも関わらず不自然な動作は、勘当されていた娘だからであった。父は許していたのだが、娘は母が亡くなった後も母は自分を許していないと信じている。それで態度がぎこちないのだ。娘には自分の所為で父の経営していたタクシー会社が倒産したのではないか? と内心忸怩たるものがあった。娘の過ちとはAV女優をやっていたことであった。信州の某所が舞台として設定されているのだが、矢張り地方では、社長令嬢がよりによってAV女優として有名になってしまえば、父の経営する会社や従業員迄、悪口雑言をぶつける対象になる。一家の評判はがた落ちだ。それは娘として痛い程分かるから、友人から最近聞き知った会社が他人の手に渡った話もそれが原因で破綻したのではないか、と娘は気に病んでいたのである。にも拘わらず存命中、母には決して許して貰えず実家に戻ることも出来なかった。だが会社破綻の原因は父が連帯保証人になった相手が経営に行き詰まり失踪してしまったことが原因であった。また彼女がAV出演したのも騙されてイキナリ書類にサインさせられ、而も撮影は既に現場も決まっていて直ぐにそこへ連れて行かれ契約に違反すれば数百万の違約金支払い義務があると脅されての出演であった。契約期間は2年、現場スタッフは皆感じも良く、手荒なことをされることも無かった為、また彼らも家族を抱え、生活をする為に関わっていることを思うと自分が出演することで金になり彼らの生活が保障される構造を思えば仕事をキャンセルすることも出来なかった。
この事情の詳細が判明するのは、人手に渡った会社の旧従業員リストラ回避の為に兄が奮闘して一部の従業員は新会社での再就職が決まったことや、権利移転後の種々の雑用や人間関係に今も多忙を極める兄と妹を会わせて驚かそうと考えた父の「兎に角寄れ」の号令に兄が従ったからである。妹を見るや否や、兄の怒りが炸裂、妹がAV出演した結果家族や会社、従業員の被った被害の実情が暴かれ観客に分かる作りになっている訳である。兄は結局、形としては怒って直ぐ帰ろうとするが、父に久しぶりに来て母さんに挨拶もせんのか! と怒鳴られ仏壇で祈ると直ぐ次の仕事に戻ってしまうが、残った父と娘の対話の中で、母や兄の家族としての深い念をも父が説明し、娘を肯定することで傷ついた娘の魂に射す一条の光が見える形で終演。
By the way,今作の効果音に都会でも良く鳴き声を聞く鳥・シジュウカラの鳴き声が用いられているが、彼らは20以上の単語を持ちそれらを組み合わせて文章を175以上駆使することができる、との解説もしてもらえた。自分も鳥の鳴き声や虫の鳴き声等を日常的に観天望気に応用しているので納得がゆく話であった。
2:「ディック・マードック」
来日したこともある、プロレスラーのディック・マードックのファイトシーンや、一度リング用パンツをずらされてお尻が見えてしまったことが観客に受けて以降、わざとパンツの紐を緩めにしてずらされるように仕組んで居たお茶目なマードックの紹介映像が映された後、作品が始まる。板上は喫茶店内部。丁度奥と手前の中ほどに丸テーブルと椅子が距離をとって配置されている。上手丸テーブルには、男性客が1人、観客に背を向けて腰掛け、下手丸テーブルには、芙由美が観客の方に顔を見せて座っているが、雑誌を広げて読んでおり、途中から彼女の親友・遥が登場、右隣に座る。下手客席側に接するように参加した観客が喫茶店の客として座っている所にも小型丸テーブル。
芙由美と遥は既に37歳、未婚であるが、芙由美は近々結婚の予定で式場を選ぶ参考にする為ブライダル関係の雑誌を読んでいたのである。遥は積極的で気が強く、芙由美が子供の頃苛めを受けていたのを助けて以来の親友である。芙由美は、内攻的なので全く他の客の迷惑になるようなことは無かったが、遥到着後、静かだった喫茶店は俄かに騒々しい喧騒の場に早変わり。その様たるや式場選びでも恰も主役は遥の如き勢いで他に客がいるにも拘わらず大声で話す。だが、それだけならまだしも若い頃から2人であちこちに外遊した思い出を語るうち、ブラジルでナンパされた男達を相手に乱交紛いの饗宴を楽しんだ下ネタを大声で話すものだから、客が喫茶店のマスターに注意してくれと頼み、一度目は何とか収まったものの、直後トルコでも矢張り男達と致した下ネタを大声で騒ぎ立てたものだから先程の客が再びマスターを呼んで注意して貰っていると、女2人が逆切れ。大人しいハズの芙由美は殊に激しく切れて凄い啖呵を切り、女2人で客に乱暴狼藉を働き、様々なプロレス技でさんざん痛めつけたのみならず、客席に居た観客の方に彼を放り出す、そこへ棍棒型の器物をフルスゥイングされてかっ飛ばされた後、一斗缶で頭を強打された客はKOされてしまう。この被害者役を主宰の西山氏が演じている。作・演・役者3役をこなして一番物理的に痛い部分迄請け負っている点に、主宰としての覚悟を感じた。
無論、遥は芙由美に先を越され、自分独りが独身であることを今更乍ら悔しいとも、惨めとも淋しいとも思い、本来ヘテロであることもあり、このような展開の中独り取り残される身になると、ずっと共に過ごして馬鹿なことも一緒にやった友への羨ましさが内側から沁み出してきたのであろう。この辺り、伴侶を得て強くなっている芙由美と遥の心理的優劣の関係がほの見えるようで興味深い。
3:「かつおの玉子焼き」
玉子焼きは定番メニューのそれである。かつおが平仮名表現なのは、無論、言葉遊びだろう、板上基本的なレイアウトは下手に斜めに置かれたベンチが1つ。これだけである。階段を上がってきた酔っ払い男・日系4世のミゲールはベンチの傍に財布が落ちているのを見付けた。拾おうか、そのままにしておこうか逡巡しつつ、財布の周りを何度も周回した後、財布を拾い上げ中身を確かめたりしている。ミゲールの服装は半分路上生活者のようである。髭もぼうぼうだ。そこへ身なりのパリっとしたサラリーマン風の男・勝男が現れ財布を返してくれ、と言う。勝男はミゲールが財布を盗もうとしていたと勘ぐり、見付けて直ぐに普通は警察に届けると主張、これに対してミゲールは中身を確認して持ち主が分かったら直接連絡して返す方が相手も助かるし手っ取り早いから中身を見て居たのだと返し、免許証を見て財布が勝男の顔写真と同一なので正当な持ち主として返そうとしていると互いのやり取りが暫く続くが、ミゲールは犯意の無い自分に疑いを掛けたり、その上で自分に失礼な態度を取ったことを詫びろ、と迫る。その際、ミゲールが子供の頃、悪いことをしたと分かった時にはキチンと謝ることを母から教えられた話と共に、母の作ってくれた世界一おいしいペルーの玉子焼きの話が出る。まず、トマト、玉葱と少々の大蒜を微塵に刻んでソテーしそれに溶いた卵を加えて軽く塩を振り掛ける。こうして作って貰った玉子焼きの数々の思い出を語ってくれるのだが、この話実に心に沁みる。一方、勝男はミゲールに早く立ち去って欲しい。様々な対話が他にもあるが、最終的にミゲールが2千円をくすねていたことを指摘する。万札も入っていたのに2千円しか盗らなかった理由も一連のの対話の中で納得させられるが、何れにせよ財布からくすねた2千円は、見付けてくれた礼として目を瞑る。と言ったりもするのだが、ミゲールは、返金しようとして一悶着。寧ろ彼はもっとフレンドリーで自分の住む部屋へ一所に行き飲もうと誘う。然し勝男はガンとして受け付けない。勝男は、貧しかったミゲールより更に不幸な育ちをしていた。それでも何とかミゲールと仲直りしてミゲールはこの公園を離れた。そして今、彼は自殺しようとしていた。公園の木の枝に買って来た紐を何重にも掛けいざベンチから飛び降りると、枝が折れて勝男を死なせなかった。死ねずに我に返った時、不幸な子供時代にも母が作ってくれた甘くふっくら焼かれた玉子焼きは世界一であったことをしみじみ思い出して幕。
今作の中にも2と同じように主宰が酷い目に遭うシーンが挿入されて笑いを誘うが、本当に西山氏の体当たり演技にも励ましを頂いた。感謝したい。言う迄も無いことだが、味わい深いシナリオに無駄の無いキャスティング、役者陣の力、舞台美術の合理性、動画の使い方の妙、劇場の使い方、音響・照明も良いバランスで生の舞台の良さを堪能した。観客への心遣いも有り難い。今後の作品にも期待している。
舞台「学徒隊」
NPO法人文化活動支援会まつり
南大塚ホール(東京都)
2022/09/09 (金) ~ 2022/09/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
二幕、第一幕では直径7~8㎝は有りそうな鉄パイプを二段、或は三段の井桁に組み、最下部に滑車を付けた造作が下手から上手へほぼ一直線に並べられている。尤も上手袖に近い造作だけは右下がりに斜めになっており、設置場所もやや客席寄りである。この造作各々には必要に応じて踊り場が取り付けられている。出捌けは上・下手の袖から。
二幕では、これらの造作が場転に応じて様々に位置を変え、小道具の土嚢や箱を積み重ねて机として使用している小道具等と併用されつつ、戦場、救護所、看護士控室等に変じる。(追記後送)
空蝉
あやめ十八番
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2022/09/01 (木) ~ 2022/09/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
タイトルの空蝉は、劇中の説明にもあるように、この世(この世に生きる人)を意味する。内容は古典落語の「死神」をベースにした作品であるから今作との異同を楽しみながら観ることができる。有名な落語だからバリエーションは様々あるものの、皆さん一度や二度聴いたことはあるだろう。ネタばれで今作と落語の違いをある程度してあるので、内容は観劇後にお読み頂く方が宜しかろう。
ネタバレBOX
さて、落語と異なり医者として活躍するのは江戸一番の藪医者の異名をとる新八の幼馴染・緒方卵白、そして主人公・新八の落胆の原因は、最愛の妻・お梶の早世にあった点だ。女房に先立たれるまでは粋で鯔背で良い仕事をする評判の魚屋であった点が異なる。物語はお梶が亡くなって半年、お梶の妹・お朱鷺が新八の世話を焼いている模様を中心に始まるが、あやめ十八番らしく町方の暮らしぶりを様々な商品の数々の売り子たちを登場させることで上手に描く。これらの売り手の声の良さ、粋な立ち居振る舞いや出立で買い手の人気が大きく異なったから売り手たちにも力が入る。業種によって売り手も若い女性から年増まで、若い男性から初老までと様々であった。また「死神」と卵白の関係についても若干異なる。藪医者として“掛かれば死ぬ”と揶揄される程であったから金は大して無いものの、死神は卵白に恋してしまうのだ。卵白は、仕事をしないので腐りかかった魚を食し具合を悪くした新八にお朱鷺の頼みで頓服を処方する。すると心肺停止状態になってしまった。長屋の皆が葬式の準備をしていると、いきなり死んだハズの新八が目覚めて起き上がった。どうしたはずみか、調合した頓服は、一旦死に陥るものの、或る時間が経つと蘇生するのだった。新八は一旦死後の世界に行ったので恋女房・お梶と会うことができた。何度でもあの世へ行きたい。
新八の話では、行った所は地獄だったが針の山だの血の池地獄だの灼熱地獄等というものは一切なく鬼は全然、怖くない。というのも落語の天才であった写楽が亡くなって名跡は止め名となり(野球の永久欠番のようなもの)写楽も地獄へ落ちはしたが、元来止め名となる程の才能を持った天才。地獄へ落ちたがこの地で驚天動地の大活躍、べしゃりは立つ、人心掌握術、時代・時世・他人の心を読む知恵、政治的手腕何れも図抜けていたが故に僅か10年で閻魔に選ばれた。これらの民主改革・選挙制度等も彼が築いた模様である。退屈で静かな天国に比し、閻魔としての権力を得た写楽は死神を手駒に空蝉から有能な人材を調達、結果現在の地獄は謂わば超高級リゾート或はレジャーランドと謂った趣である。
そんなに楽しい所ならと卵白はこの薬を“反魂丹” と名付け大々的に売り出す。此れが当たった、ツアーを組み地獄は今や観光名所。反魂胆を飲めば、地獄行きツアーが楽しめ、ちゃんと生き返れる。地獄での滞在時間は9時間。出入りを管轄する部署があり、ここで出入りの手続きをするが、出入りには、手形が用いられる。9時間を過ぎれば通行手形は唯の板切れに戻るので空蝉には戻れない。
ここ迄の話だけなら、大した問題は無かったのだが。後は観てのお楽しみだ。どんな問題が起こってどうなるのか? 果たして下げは? 楽しめる。中入りに10分を取って2時間40分超。
因みに舞台美術は中央に迫り出す階段を設え、第一の門構えは寺の門を思わせる作り。門柱には菖蒲イラスト。この門の奥に更に仏陀の載る蓮の萼のような形の構えをし奥が踊り場になっている高所、場面によって天井から額縁が降りているシーンもある。丁度この寺の門と萼の中間辺り上手下手に生演奏者の演奏スペースを支える床が見える。
自分の好みから謂うと、ややエンタメとしてのの完成度を優先させて図式的という感はあるものの、これだけ無能で無責任な政治屋と官僚の下で、これだけ大きな規模の公演を打つ以上、致し方あるまい。楽迄無事に全公演打てることを祈るばかりだ。
大豆生田家の庭に咲く花は薔薇かスミレか!
ライオン・パーマ
赤坂RED/THEATER(東京都)
2022/08/31 (水) ~ 2022/09/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
今年観た作品中、ベスト。華5つ星! タイゼツベシミル!! いつも通り、間を脱臼させる擽りの見事さに、泥んこと贅沢やセレブの暮らしを対比させつつ、ある大劇作家の某作品のワンシーンをさりげなく紛れ込ませることによって作品の厚みを数百年の時の厚みに重ねる上手さ。脚本の素晴らしさ、役者陣の上手さ、演出の妙、舞台美術の様々な工夫と照明、音響の効果的な用い方、何れも素晴らしい。(追記9.3)
ネタバレBOX
板上はホリゾントを底辺の無い凸型の建具で区切り、その凸部手前センターに踊り場のある階段が迫り出すような形で設えてある。踊り場奥は中央に絵画の描かれた開き戸になっている造作(開き戸を開けると真ん中の空洞を囲うように木の枝が見える)この絵画の上手にドア。階段左右にはカーテン状に開く上品な幕の掛かった個室が在る。出捌けは上手・下手それぞれの袖と階段上のドアの3カ所。更に面白い仕掛けが、階段上手の階段と個室の間に設けられた壁に仕込んであり、この壁の一部を開けるとラブホの受付である。
さて、大豆生田家の縁起と参ろう。一家の者は皆、登場時アーガイルと称される文様の衣服を身に纏っているが、是はこの家の隆成を齎したご先祖・ひい爺さんの父(高祖父)の逸話に端を発する。往時、大豆生田家は古い因習の残る地方に暮らしていた。その折、高祖父は、あらぬ罪を着せられた。彼は無実を主張したが、因習の強い地方の慣習では有力者の主張が通り易く無実を主張する高祖父は捉えられ拷問に掛けられた。然し彼は昂然と大豆生田の家名に掛けて無実を主張し拷問に耐え、放免された。この一件を以て大豆生田家は平民でありはしたものの、一目も二目も置かれる存在となったのである。そしてその折、拷問によって高祖父の肌に刻まれた痛々しい傷跡が、アーガイルの文様と似ていた為、一家の者は家の特別の行事の際にはこの文様の衣類を着るのである。無論、現在では大豆生田家も世界各地に支社を持つ企業のオーナーだからセレブ。だがこの家の隆成を面白く思わない一族が居た。神々隠家である。神々隠の家名から想像がつくように特別な家柄であることを誇りにしている。
物語は、大豆生田家現当主・幸之助の妻・玲子の誕生日当日と翌日を中心に展開する。因みに玲子と神々隠家の現当主夫人・麗子は友人であり、麗子の誕生日は玲子の誕生日翌日である。麗子は玲子を見下そうと何かに付けて対抗意識を燃やすが、今朝、玲子の誕生日祝いに麗子の態々持参した物は、菫の花束であった。無論、麗子は自分を薔薇だと思っている。言う迄もあるまいが、神々隠家も名門。名門私立学校や一流ホテル経営等の他多くの企業のオーナーとして名の通ったセレブである。
ところで、両家共に今は一流のセレブ。劇中、家訓という形で明示される訳では無いが、一流たる者が当然持つべき資質を磨くことに掛けては両家共に家族内でも厳しいモノがある。それは家族内での競争原理が如実に働いていることである。大豆生田家のそれは、日常総てに関わる的確な想像力と対処能力であり、神々隠家のそれは旧家の歴史と体面に則り時代の荒波の中で最低限、先祖から受け継いだ社会的地位と名誉を維持することである。大豆生田家の厳しさは、先ずその自由な家風である。言っておくが真の自由は、ノンベンダラリと自堕落に状況に流されることでも無ければ、ズブズブと親の豊かさの齎した恩恵に嵌り込んで惰性でぬくぬくと過ごすことでも無い。何ら支えを持たぬまま虚空に独り裸で宙吊りになることだ。このような状況こそ、我ら、知ある存在の原点である。誤魔化さない人間なら誰しもがこのような過程を十三・四歳で経て大人への階段を登ってきた。そしてそのような人間なら皆、大豆生田家のアーガイルが意味する所を知る。現当主・幸之助の度量の広さと優しさ、的確な洞察や他者への鷹揚な態度もこのような自由を核として培われたものであろう。妻・玲子の天然は言ってみれば率直さ、これは才能の原点である。大豆生田家の特色である自由と多様性こそ、独創性の揺り籠であり、地球上に生命が誕生して以来進化することができた最大要因の一つである。これに対して神々隠家は、旧家としての歴史と面子に縛られ不自由に縛られているのでやることは因循姑息、このままでは未来が無い。然し、子供は一男一女、長男・麗之介は、親の力に頼らず、自力で新たなジャンルにチャレンジしようと事業を立ち上げた。(結果的に大反対していた麗子も夫・忠彦と共に麗之介の店を訪れる)
上記に、外の知らない世界を訪ねてみたい玲子に執事・中山がエスコート役でついてあちこち訪れるのだが、この外出中に件のラブホが絡んでくる。(どうなるかは観てのお楽しみだ)そして無論、サブストーリーはこれのみではない。両家の核家族内部での競争が生み出す展開も様々に絡み合い縺れ合って、一瞬、勝負あったかに見えた麗子の落胆を覆すことになるかも知れないラストに繋がっている。続編ができれば是非、ぜひ拝見したい!
トロイ戦争は起こらない
人間劇場
シアター風姿花伝(東京都)
2022/08/24 (水) ~ 2022/08/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
ラスト「トロイの詩人は死んだ」云々でホメーロスの「イーリアス」を予言している点の何とも言えない痛烈は流石にジロドゥと言った所。
ネタバレBOX
板上は可成り特徴的な舞台美術で占められている。針金を用いて作られた門や、ハッキリ使用目的の分からない巨きな構築物、椅子の足の間に組まれた鋭角的で銀色に光る構造は、たくさんの刃物が、その、本来空洞であるべき空間を敵意で満たしているようであり、更に下手客席側にも殆ど無意味な針金の構築物、その上手客席側には上部円盤の縁に取り付けられた針金が廃墟の跡に吹く風に空しく回転するが如く物語の合間に回転する装置。板上の他の造作は基本的に平台を組み合わせて作られているが、これらの組み合わせ方は全体に不安定感を煽るように構成されている点も見逃せない。更に出捌けには通常の舞台ホリゾント方向の出捌けと共に客席通路が出捌け用に用いられ、トロイサイドとギリシャサイドをほぼ2分割している。
原作はジロドゥが祖国フランスが第2次世界大戦に傾いてゆく1935年に、約3000年前に起こった‟トロイ戦争“をテーマに書いた戯曲である。誰も望まぬ戦争が何故起こって来、今もまた繰り返されるのか? との問いが今作の提起する問題であるが、原作者の苦渋とアイロニーに満ちた今作の白眉は、矢張り二場でギリシャ側の使者・オイアックスが登場して以降の展開であろう。無論、オイアックスは次に登場する真打・オデュセウスの前座に過ぎないが、この道化の奇抜な言動の効果なしにオデュセウスの言動の真価はここ迄効果的には描けなかったと観るべきであろう。戦争の門が閉じられるとその表には平和の象徴、オリーブの葉が鏤められている点だけを見ても、戦争の愚かさと狂気は誰の目にも明らかであり、殊にその真の姿を知る者は、誰一人として開戦を望まぬにも拘わらず、人は戦争をことある毎にし続けてきた。この愚行を齎すのみならず、更に悪いことには繰り返し続けることの馬鹿らしさを真正面から捉えようとした、これこそ本来的な不条理劇の傑作というべき作品であろう。
さて、先に挙げた今作の白眉は、言う迄も無くヘクトール(作中ではフランス語発音はHを発音しないのでエクトール)とオデュセウスの戦争を回避する為の討議のシーンである。充分注力して今作の台詞の醍醐味を堪能して貰いたい。
伯爵のおるすばん
Mrs.fictions
吉祥寺シアター(東京都)
2022/08/24 (水) ~ 2022/08/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
切ないね、死ねないということは!
ネタバレBOX
板上には、極めて手の込んだ舞台美術。全体としてフランスの建築物に特徴的なシンメトリックな構造であるが、ホリゾントの壁中央には中央のやや低い位置に丸窓、その左右に方形の窓が穿たれこの真下辺りは、サロンと寝室(第一場ではブルボン伯爵夫人の屋敷だが、場転に応じてベッド上の掛物、サロンの小道具類は適宜変わる)驚くべきことにこの部分は回り舞台になっており、実に効果的に用いられる。この回り舞台の下手・上手はシンメトリーになっているが、こちらの造作も大しもので、下手側だけ説明しておこう。(シンメトリーだから上手側は簡単に想像できよう)2F部分(フランスの伝統的表現では1階に当たる)は回り舞台の側から見て隣に小さな踊り場を囲む木製の柵、その背後にホリゾントとの間を若干開けて、方形と半楕円形の穴を穿った壁、半楕円形のアーチを持った壁は斜め手前に延び、1F(地上)へ続く階段に繋がっている。この階段も途中で右斜めに曲がるという構造でセンスの良さを見せる。無論、木製の品の良い手摺も付随している。
この屋敷には、伯爵夫人と右足、左足の履物担当の各男性奴隷、小間使いの女性奴隷1人が住んでいるが、既存の奴隷たちはずる賢かったり、様々なことを教えてもインセンティブが低い為、婦人は無垢な魂を持った奴隷を求めていた。夫人にとって最も大切なもの・こととは、社会的地位や富、名誉ではなく純で気高い魂であったからである。掛かるが故に彼女は既存奴隷達に教育を施したのであったが、前述の如く、一向に効果が無かった。連れて来られたのは橋の下に既に30年程も暮らしているという噂の橋の主と仇名される若者であった。無口でピュアだとのことであった。夫人は、この若者の面倒をみることにしたが中々言葉を発することがなかった。彼女は童話を使って読み書きを教え、ある時若者は口を利いた。若者は伯爵夫人に篤い好意を抱き、彼女を好きになったが、彼女には普段離れていても夫があり、近年は体を壊して妻の城に戻りこちらに住むことになったので、それまでの使用人は総て所払いとなった。またこの時代フランス革命後の粛清により、王族・貴族はギロチンの憂き目に遭う者も多かった。結局、夫はギロチンの露と消えたが、婦人に拾われた若者には、それ迄の記憶は無く、唯、伯爵家に引き取られ、貴族の衣装を与えられて生活し、而も中々品のある顔立ちであったこともあり、奴隷仲間とパリに出てからは彼らの目論見に従って荒稼ぎをした時期もあった。が、彼が不老不死であることを知った伯爵夫人が死ねないことの不幸を哀れんだように、彼は現在は膨張過程に在る我らの宇宙が収縮過程に入り遂にはビッグバン以前のエネルギー集合体になる迄収縮する時点迄生きた。この間流れた時は約56億年、愛した相手は体の弱かったそして、心の底から彼を愛してくれ、彼も心底彼女に惚れたが、逢えない3年の後、病に連れ去られ、迎えに行ってやることもできなかったひよこへの慚愧の念を抱えながら、何時しか長い時を経て、傷が和らいで少しはヒトらしく生き、恋をしたのであった。彼女との約束「他の人を好きにならないで」との願いを守って次に愛した者から「男だったらいいってことではないんじゃない」と指摘された件を含めて内心忸怩たる念を抱えながら結局5人を愛し、宇宙人とも恋を交わして独り彼のみが永生を享受する身であった為、その幸福は短く、悔恨と苦悩ばかりが永い生涯を終える直前、人類のみならず、地球に生まれ嘗て存在した生き物総てと共に、共に暮らした宇宙人達が集まり、互いに出会って行うさよならパーティーの司会者としてこの宴を仕切る大役を担う。無論、彼の愛した総ての人々もこの時蘇り、再会を祝して乾杯! 花火が弾ける中。間もなく宇宙が終わる。