ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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ELEMENT DD

ELEMENT DD

元素G

調布市せんがわ劇場(東京都)

2022/04/09 (土) ~ 2022/04/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 実に楽しい公演。上演時間約90分。

ネタバレBOX

 上演空間は板奥に1m程の高さの段を設けた二段構え、上手・下手の床面と段の間に幅の狭い布を天井から下げ出捌けを都合4カ所にしてある。
 総員14名、オープニングでは全員が上手から下手へ、袖を通って再び上手から下手へ。時折様々な仕草、パフォーマンスを交えながら歩く。鍛えられた身体がヒトがヒトとなった原点、二足歩行を最初に演じる構成の持つ批評性とその明敏な視座、そして身体性の美しさ、躍動感に感心した。
 基本的には、数人の群舞する各々異なるタイトルの付けられた作品を上演してゆくが、動と静、しなやかで而も同時に強靭な筋肉の躍動と止めの鋭さ・的確さ、時にコミカルで可愛らしい動きの持つ楽しさを交えながら憂き世の憂さを跳ね返してくれる心地よさが20以上の演目を通じて伝わってくる。衣装換えも素早く、実に多くの衣装に着替えてのダンス公演だが、衣装の色彩にも拘り演目内容にもマッチさせた色彩感覚もグー。
いかけしごむ

いかけしごむ

劇団俳優難民組合

下北沢 スターダスト(東京都)

2022/04/08 (金) ~ 2022/04/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 極めて狭い劇空間で上演するにはもってこいの劇作品でもある。舞台美術は木製ベンチ、ほぼ直交する位置に易と書かれたぼんぼりを机上に置いた小机と対面に置かれた椅子。そしてベンチと机が為すL字型の適当な位置に置かれたスタンド灰皿。ベンチの背に近い位置にココニスワラナイデクダサイと大書された看板。出捌けは客席側通路から。

ネタバレBOX


 ところでベンチは座る為にある。然し現実にこのような文字が大書されているという矛盾が単にブラックユーモアでなく「現実」である点に留意したい。今作初演は1989年、当時は未だベンチの構造は座る部分がフラットで現在のように座ることしかできないような構造ではなかったと記憶する。つまり我々の実生活のリアルが、今作の舞台設定に近づいてしまった。(座る部分に寝る事のできない障害物を設けることにより、その機能のフレキシビリティーを喪失することによって。一休さんの頓智に出て来る“この橋を渡るべからず”で端を渡ったユーモアではなく、現実問題のグロテスクが舞台美術にも表されている点で今作は極めて別役さんらしい作品だ)さらに物語の時刻設定が夜遅く設定されているので上演中の劇空間はかなり暗い、それで天井に付いている電話器のコードや通話部分は見えないのだが、途中イキナリ天井から垂れ下がる命の電話として観客に驚きとショックを齎す点も秀逸だ。
 今回易者役も務める女性言葉を用いる登場人物は男性が演じているが、この点もLGBTQが現実に社会的認知を得るようになった現在を予見していたかのようである。更に怖いのは、現実というもの・ことが、実は結構疑えるということなのだ。今作で描かれたように唯心論的立場を徹底すれば、一般的に通り易い、即ち検証可能なファクトを積み重ね、実証し続けた結果だけを根拠とし演繹と帰納の結果を事実と見做す科学的態度ではなく、世間に通り易い論理から逸脱せぬ範囲に総ての関連性を集約し、その常識的解を予め「正」とし、常識的解を常識と成らしめる予定調和的関係を盲信して結論を出すことが、唯一の正解であると予め信じ込んでいる暴論に真理が破れてしまう、というグロテスクである。この盲信を舞台上では、本来女性が演じたハズの役を担った者の信じた通りの1歳女児のバラバラ遺体が(サラリーマン兼発明家男性の主張した生烏賊ではなく)男の持っていたビニール袋から出て来る点、赤ん坊の泣き声と共にキチンと舞台上で表現されている点の演劇的リアルも素晴らしい。
ながいながいアマビエのはなし

ながいながいアマビエのはなし

劇団 枕返し

小劇場メルシアーク神楽坂(東京都)

2022/03/31 (木) ~ 2022/04/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 板奥に黒布で仕切った袖、そのセンターに矢張り黒い衝立様の仕切りを設け、左右から袖へ入れる通路を設けてある。出演者は客席側通路から登場。因みに黒布から奥は森という設定である。板手前下手に箱馬2つ、上手に丸椅子2脚と至ってシンプルな舞台だ。

ネタバレBOX


 アマビエとは、幕末現在の熊本に現れ、今後6年間は豊作が続くがその後疫病が流行る、その時には自分の似顔絵を用いて云々との予言を残したとされる妖怪のことで1858年頃から大流行した疫病・虎狼痢(コレラのことだ、“ころり”と読む)もあり明治以降も度々話題になったとされる。
 今作は、無論Covid-19というパンデミックに対するヒトの無力を背景に、それに輪を掛けたような非科学的な対応しか出来なかった我らが為政者の無能のツケを支払わされている庶民の、鬱屈した感情や同調圧力への不満をぶつけられた所謂負け組が一念発起、ラストチャンスを掛けて参加した‟人生大逆転ツアー“だった、が。
 ことほど左様に人生の歯車が簡単に逆転するハズも無いことは、為政者の無能は我らの責任にあると考えることのできる市民を育てることができなかった我ら自身の問題であることに気付くことが出来ない我ら自身にある。ラストシーンで行方不明者が出るのだが、誰も明確に誰が行方不明になったか? 他に何か居たようだったがそれが何だったか? を思い出せない。この点こそ、総ての問題点の本質を看過し、世界が己に関わり、己は密接に世界に内包されつつ、そのことを認識する一点に於いて世界を己に内包することができる可能性を見出すという人間存在の根源を意識できていないことを表して居よう。この点を意識できれば、今作、格段に良くなる。それが出来て居ない点こそ今作が他人の魂を深く揺する所迄到達できていない理由である。作家は、世界に己を通らせた上で作品を紡がねばなるまい。今後に期待、深く人間を研究して欲しい。
風がつなげた物語

風がつなげた物語

グッドディスタンス

新宿シアタートップス(東京都)

2022/03/31 (木) ~ 2022/04/06 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 「月と座る」を拝見。可成り衝撃的な作品だが、役者陣の熱演が素晴らしい。話が微妙なので詳細は更に考えてから書く。(追記後送)

ネタバレBOX

 物語は常にバス停及びその面前で展開する。オープニング、板中央に位置するバス停の下手足下には、誰か犠牲者を追悼するように花が一輪立てかけられている。中央に椅子、背面は曇り硝子が嵌められており、満月に近い月の移動に従って明暗が変わる。
 今作の作家は女性であるが、登場する人物の殆ど総てが何かしらオカシイ。その微妙だが異様な言動は、何が起因していたのか? 何故殆ど総ての登場人物に異様性が見られるのか? を疑問に思いながら観ることで今作への足掛かりができるような気がする。
謳う女Pt.Ⅱ

謳う女Pt.Ⅱ

青山学院大学竹内ラボ

浅草リトルシアター(東京都)

2022/03/27 (日) ~ 2022/03/28 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★

 あちゃー! にゃんにゃんだ、これは!

ネタバレBOX

 板に載せて演劇と銘打てるレベルにない。ダンスだけは普通に踊れたが無論ダンサーレベルではなく、ある時期から流行り出した劇中ダンスの類。
 竹内ラボがどんなものか全く知らない。この内容を観る限り知る必然性も感じないが、それは大学への或はその姿勢への内政干渉に成り得るにつけ研究者からの批判は控えられているのかも知れない。今作を実舞台で拝見して呆れ返ってしまったので楽が初日の翌日だったことを重々承知の上、レビュー発表を遅らせた次第だ。拝見してスタッフの対応の+評価は兎も角、4人の出演者(男女2人ずつ)のうち自分にとって意味のあるメッセージを個人レベルで舞台から送信できたのは女性のみであった(殊に2人の内1人)。但し演劇として発信できたとは思えない。ただふとした瞬間、舞台の上演作品とは無関係に、絶望の眼差しを観客席に相当長い時間向けたのである。この所作が所謂舞台表現として優れていた訳では無い。もっと深い所、実存のレベルで女性の持つ産む性としての存在レベルでの内省・自己省察の深さが圧倒的に異なることを、それだけを見せつけたのである。男は存在レベルでの圧倒的な♂♀の差を意識すべきである。こんなことは思春期に済ませておくべき問題なのだが、そして個人レベルでは済ませているのかも知れないが、シナリオにそれが現れておらす、そのことに対してキチンと抗議し善処すべく努力してこなかったのであれば、その本番へ連なる効果に対しての無力に対する総括を問いたい。所詮♂等殆ど無に等しい存在に過ぎないことは、卵子のサイズに比し個々の精子のサイズを比較してみれば明らかなことであろう。数が圧倒的に多いとはいえ受精に関与し得る精子は基本的に1つであるに過ぎない。本能というレベルに迄、存在論の話を広げるなら多くの社会で男性優位が構造として成立する必然性はこの点にあるような気さえするのである。別に母から総ての子供が生まれるということではなく。何れにせよ、今作の演劇としてのレベル評価は殆ど零に等しいが、上に挙げた問題提起を最初から狙っていたとすればその評価は批評性に於いて華5つ。どちらとも取れるものの、演劇批評サイトではなく演劇サイトなので評価は「演劇ランク」でした。

民衆の敵

民衆の敵

ハツビロコウ

小劇場B1(東京都)

2022/03/29 (火) ~ 2022/04/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 今、この作品を上演するハツビロコウの見識の高さは流石で、この点については無論期待通り。スタンディングオベーション! 無論華5つ☆、必見作品、追記2022.3.31 04:43。

ネタバレBOX

 舞台美術は至ってシンプル。劇場入口の対面をAとし時計回りにB,C,DとするとA横、B横にドア、Cは袖になっているのでこの3カ所が出捌け。オープニングでは板中央に対向させた机1組、各辺に粗末な木製椅子が各1脚ずつ。A側壁に机と椅子。こちらの机上には瓶等が載っている。基本的には弟・ストックマンの家の客間、場転によって船長の家になったりもする。その際は机や椅子の移動で対応。開演前には低く水の流れるような音がしている。この音はこの物語の中心にある温泉を先ずは示唆していようし、深読みすれば世界に広がる広大無辺で深い海をも船長・ホルステルを通じて表していよう。
 物語自体は余りにも有名なイプセンの作だから今更説明する必要もあるまいが、毎回優れた作品を本当にキチンと読み込んで舞台化してくれるハツビロコウらしい極めて本質的、現代的、普遍的、思惟的作品である。上演台本・演出は代表の松本光生さんが担当しているが、見事にイプセンを我々が今生きている日本のヴィヴィッドな現実の活写として甦らせている。
 ところで、温泉の水質に疑問を持ったストックマンが自分の手元に在る検査機器では詳細な検査が出来ないと大学の研究室に温泉水をサンプリングして送っていた所、検査結果が出た。温泉は汚染されているとの結果だった。然し温泉は評判を呼び、貧しかったこの地域最大の収入源となっており失業者も減った。更に直ぐに湯治客が多数訪れるシーズンを迎える。そんな時に温泉が汚染されているという情報が流れれば漸く軌道に乗ったこの町の財政は一気に悪化するのみならず二度と客は戻らない。そう踏んだ医師の兄・町長は何とか事実を伏せようとする。直前迄正義を標榜し、政治の不正を暴くと息巻いていた新聞にも裏切られ、足繁くストックマン家に通っていた人々は1人去り、2人去り・・・。最後迄ストックマン一家を助け、而もストックマン自身を成長させてくれたのは、新聞編集長に選挙の意義を諭された船長のみであった。ところでこの船長とは、一体何か? 筆者の解釈ではイプセンその人ではないかと考える。というのも良く人は人生を荒海に例え、その荒海を乗り切る為の指針をあれこれ考えて己の人生哲学を確立して行くが、これと同じように広大無辺で深い海を渡る為に必要なのは羅針盤や海図、六分儀等の観測機器、時計、対数計算、舵等、船舶そのものとそれを生存可能な方向に向けて操縦する技術と有為転変を乗り切る知恵と胆力だ。まあ、そのようなハウトゥーは二の次だ。しょっぱな船長は選挙の事もその意義もよく分からない政治的素人として描かれ、これが伏線を為す。然し人々の利害、生活、各々の社会的な立ち位置、信念の差等から生じる「正義」のあやふやは、その根拠のあやふやそのものの結果であるに過ぎない。根拠律があやふやでなくなる可能性は、事実だけを実証し根拠として日々検証し続け構築する思考、即ち科学と論理・数学的に証明されたもの・ことだけだ。この単純な事実を事実として見、そのことのみを根拠とする姿勢こそ最も率直で偏りの無い立場なのであり、それを実践的に行動に移し、世間からつまはじきにされた医師・科学者こそが最も論理的に真に近い。無論、ストックマン自身が完成された人間ではないから、彼の民衆評価は、彼の絶望の深さに比例して下がる。当然だろう。散々世話をし、家族同然にもてなして来た者達に裏切られたのだから。然し乍ら事はそれほど左様に単純ではない。象徴する広大無辺な海を渡る船の船長という人間のキャラクターに原作者が己を重ねても或は今作の上演台本を書い松本さんが筆者の解釈したように船長を解釈したのであってもよいが、船長はストックマンが今抱えていることをとうの昔に卒業しているとすれば如何か? 最も優れた船乗りが水先案内人を務めるように船長即ちイプセンは、その天才の巨きく暖かい翼を広げ、真っ直ぐに世界を見て評価しストックマン、その妻、そして2人の娘・ペトラの側に与したのではないか?
片生ひ百年

片生ひ百年

ハコボレ

新宿眼科画廊(東京都)

2022/03/26 (土) ~ 2022/03/28 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 こういうレベルの高い舞台を見逃す手は無い。而もこのお値段。(必見、華5つ☆)

ネタバレBOX

 ホリゾントに緞帳が下がりその手前に高座。高座の上には無論。噺家の座る座布団が据えられている。高座の下には平台を二段に重ね、一段目は白布で覆いその内側には白骨を思わせるオブジェが敷き詰められている。二段目の平台は何となく畳を思わせる筋目の入った紺系の色。これら総てが今作の内容とキリリと絡み、謂わば噺が精神なら、舞台美術が身体という関係を表して見事である。而も仄かに漂う香のかほり。
自分が初めてハコボレを拝見したのは王子で、その後も王子で拝見してきた。今回は、小さな小屋とはいえ、東京の中心、新宿での公演である。先ずは新宿進出を寿ぎたい。
落語は好きである。だが高座を聴きに通うという程リッチでは無かった為、TV・ラジオで見聞きするという程度だったが、明治時代の作家で最も好きな漱石が落語好きだったことを知って古典落語のたくさん載った本を買ってから何十年も過ぎているのに未だ目を通して居ない。情けない話だが、今回の話は恐らく人情噺というものなのだろう。落語だから無論オチはある。然しそのオチが本当に心に沁みる。深く、而もその深さを持つ幸せ者たちに嫉妬するよりは、良くやった、と労いの気持ちを込めて祝福したくなるような人情の湧き出るのを止めようがない。そのような良い話であった。この話の古典落語の元々のタイトルは「紺屋高尾」というそうだ。吉原の花魁で高尾の名は十一代迄続いた。花魁の中でも格式の高いものだったようだ。今作に登場し久蔵の嫁になるのは五代目だそうで二代目は仙台藩主に身請けされたものの、恋しい人があって藩主に無礼となるようなことがあり手打ちにされたという。この時、彼女の年齢は19歳。(今の満年齢でいえば18歳だろう)
花魁といえば大名道具。一般の者の手が届く訳も無い。不可能なのだ。先ずはその不可能が可能になり、而も栄華を極めた花魁でさえ、幸せに生涯を終えることは極めて少なかったという状況の中、年季の明けた高尾は約束通り3月15日に久蔵の下に嫁入り。紺屋の女房として藍に手を染め、多くの子宝にも恵まれて幸せな生涯を過ごしたとのこと。噺は実にシンプルだ。それだけに久蔵の一途とその真心に惚れる高尾の実の、世間的には有り得ないような真摯で純粋な愛が深く魂を揺する。廓の客観的状況をこの恋と対比させていることと、演じた前田隆成さんの極めて自然に見せる技量がいやが上にもこの傑作古典落語を命そのものとして甦らせる。
オープニングでさりげなくあの世とこの世の時間軸を逆転させ「片生ひ百年」に見事な変わり身で移行する点も素晴らしい。(音響、照明、美術、香りの演出も見事)。この世とあの世への生者による旅というテーマからオルフェウスや日本神話を想起する人も居るかも知れぬ。無論日本の話だから仏教に纏わる根本的な概念、六道輪廻や縁の深い哲学も織り込まれている。

彼女たちの断片

彼女たちの断片

東京演劇アンサンブル

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2022/03/23 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 男性こそ、見るべき作品。華5つ☆

ネタバレBOX

 板上は中程から奥にかけて二段に重ねられた横長の台が階段状になっており、各々の短辺にも階段が付けられている。台座の上には正面の壁、壁の中程には横長で窓枠型のくりぬきがあり2階の有様が見える。その2階には下手が高く右肩下がりのベッド、その手前にサイドテーブルらしきものが見え、2階の部屋へ上がる階段が正面壁の上手にくりぬかれた縦長のスペースから見える。
 板中程手前下手、上手には幅広のバンテージのようなもので巻かれた樽型オブジェが置かれ下手の物は1個ずつ、上手の物は3個が連結されてソファーベッドにも使える。他人の背丈より二回りほど大きな木枠が3つ。これは登場人物達がその中に位置取り、額のように用いることができるが、これは貝殻が弱い身体を護るようでもあり、女性達を縛る家父長制のようでもある。
 何れにせよ今作は、女性の女性による女性性の認識の形が良く分かる作品で、男であってもある程度年齢を重ねれば多少は女性のメンタリティーも理解できるつもりになることはあるものの母体に及ぼす妊娠の影響の凄まじさに関しては教わる点が極めて多く大変勉強になった。
 また作品を拝見して後よくよくフライヤーを見てみれば、このドレス、マタニティードレスじゃん! それに亀裂、長い髪にこの目、母の象徴としての乳房がデザイン化されていることを含め、流石に東京演劇アンサンブルのフライヤー、見事!
カトラリ

カトラリ

現ア集

ART THEATER 上野小劇場(東京都)

2022/03/20 (日) ~ 2022/03/21 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 舞台美術は随分しっかり作り込んである。ホリゾント中央は両開きの扉。この扉がメインの出捌け。その両側にはブラインドが下がっており、入った所にカウンター。下手側壁奥にもう1カ所出捌けを設けてある。奥から背の高いスチールロッカー、張り紙を挟んで手前にスチールキャビネット。中央に事務机が対向方向に置かれ椅子は左右に置かれている。その下手奥に小机と椅子。こちらの椅子は座った人物が観客席を真正面から見るように置かれている。上手側壁には奥から張り紙、黒板、こじんまりした流し、流しには小さな手鍋が掛かっている。

ネタバレBOX

 設定は、交番である。オープニングでは、報告書を作成している警視が1人対向する下手の机で事務作業をしているが、そこへ見回りから戻った巡査2人が入って来る。見回り中に出会った人々についての話などが何とも言えないゆるいタッチで語られるのだが、対話に微妙な齟齬があったり、その齟齬を通したオトボケが仕込んであったりで笑いの絶える暇が無い。椅子に掛けた警官Aは、膝をさすっている。痛むのだと言うが、その痛みは見回りの際にのみ起きるのだと言う。すると一緒に見回りに行った相棒Bが心理的な問題なのではないか? と疑問を呈し、Aとの間にこれまた滑稽な対話が為されるが、笑いの種は別次元でも仕込んであってAは、見回りの際に指差し確認をすることで見過ごしを防いで進歩があったと主張しその有様を再現して見せる。だが彼は指差し確認をして日々、その死角を減らしていても、其処迄しかしない。つまり本来の目的、不審者を発見して職務質問をしたり、困っている人を見付けて対応したりという目的は失念し続けてきたのである。恰も出来の悪いパソコンの如き思考様式をし、その意味ではIT機器に似ている。ま、済んでしまったことは仕方が無い。次からは本来の目的が実行できるようにしようと自ら反省し前向きに行動すべく覚悟を述べる点ではオトボケ人間ぽいのだが、いざ実践しようとすると常に指差し確認をすると、本来は目的の為の手段だったハズの指差し確認で終わってきたように手段が目的と化しその先には進めない、というコンピュータのような反応を越えられない。更に留置している犯人も居ないのに、カツ丼がデリバリーされてきて、良く遺失物等を届けてくれる近隣住民が道路に落ちていたという棘だらけのサボテンを持って来た際に、カツ丼を食べたそうにしていたので勧めても、微妙に遠慮して食べようとしなかったりという何とも言えぬ箍の外し方が挿入されて、笑いを増幅させてくれる。警察と近隣住民とのゆるい対話や親交に我々の日常が面白おかしく溶け込まされ表現されているが、これだけではない。近隣住民が得体の知れない騒音に悩まされているという話題が出、それに対処すべくシステムを立ち上げるとマザーコンピュータが起動、どのような案件かを質問してくる。案件を述べると対応する部隊を派遣すべくプログラムが実行される。すると、蛸の足のような足で動く小型ロボット数台が現れてもごもご動き出す。然しマザーの具合が余り良くないとの指摘がB等から出、直してくれとの要請はAに対して為される。Aは、出来の悪いコンピュータのようにある意味極めて論理的で指示されたこと或は思い込んだ事しかできないにも拘らずである。指差し確認の件でAのマインドコントロールの不完全性を巡って心理的な見回りに対する嫌悪感が膝の痛みを齎しているのではないか? との疑義に「そのような嫌悪感は無い」と答えたAだったが、「実はそうであるからこそ、無意識が嫌悪感が無いと思い込ませているかも知れない」とBが主張していた伏線が活きてくる。而も統括しているのはマザーコンピュータであり、マザーコンピュータが暴走する怖さは「2001年宇宙の旅」のHALで描かれた他、いくらでもSFに登場しているから我々には既知感が有りその恐怖もリアルなものがある。更にラストシーンでは、派出所の3人とサボテンを届けてくれた人物も加わり、これも近隣住民に迷惑な騒音の「原因」とも取れる鍋、小机、机、いきなり起動し現れたロボット部隊とマザーコンピュータの出す騒音等がミックスされたどんちゃん騒ぎが演じられるのだ。而もこの時にも一緒に「演奏」してくれた礼にカツ丼が勧められるのだが、完全には演奏できなかった旨告げてサボテンの人物は今回の勧めも固辞する。ところで、不気味なことに半分IT機器のようなキャラのAがマザーコンピュータをシャットダウンした後にもロボット部隊の動きは続いているのである。このラストが次元を異にする面白不気味なシーンで終わる点でも一筋縄ではゆかぬ面黒い作品だ。
「震災演劇短編集」宮城・東京ツアー

「震災演劇短編集」宮城・東京ツアー

Whiteプロジェクト

こまばアゴラ劇場(東京都)

2022/03/18 (金) ~ 2022/03/21 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 今回は全部で7本の短編を上演するが、拝見した回は4編を上演。(華5つ☆、必見、追記後送)

ネタバレBOX

 何れの作品も厳しい現実に鑢を当てられ余計な形容を総て取り去った言葉で構成され、台詞として際立った切れ味の切り立った表現に、実際に現地でその厳しさに耐え生きている人々の内面の苦悩とその原因となっている仮借なき自問、取り戻せなくなってしまった記憶に残った日の悲劇によってしか気付けなかった、何も特別なことのなかった取り留めのない日常の大切さ、退屈と殆ど見分けのつかなかった安らぎや、なんということも無い可笑しさに笑い合えた日々の、また時にぶつかり合った日々のかけがえの無さが逆に蘇る見事な作品群。
OM-2×柴田恵美×bug-depayse『椅子に座る』

OM-2×柴田恵美×bug-depayse『椅子に座る』

OM-2

日暮里サニーホール(東京都)

2022/03/17 (木) ~ 2022/03/19 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 宮澤賢治の作品の幾つか「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」「永訣の朝」≪雨ニモマケズ≫「春と修羅」書簡、真壁氏自身の文章等を分解・再構成して書かれた構成文をダンス・パフォーマンスが上演される際に上部に映写して見せるという形で上演された。(追記後送)

ネタバレBOX

 このような形を採ったのは賢治の作品群の殆どが発表を前提として書かれたものではないと真壁氏が判断した為である。発表を前提にしていなかったと解釈・判断した点に今作の原点があり、その結論は衝撃的でさえある。
リムーバリスト―引っ越し屋―

リムーバリスト―引っ越し屋―

劇団俳小

萬劇場(東京都)

2022/03/12 (土) ~ 2022/03/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 先ず驚かされたのは常打ち小屋での公演では無かったことである。下落合では無かった訳だ。理由は、舞台美術だろう。それがどんな舞台美術であったのかについての詳細は観て頂くとしてコンセプトはネタバレに記すのでそちらを見て頂きたい。この演劇集団のキチンとした姿勢については自分如きが今更申し上げる必要もない。何れにせよ、ラストシーンには背筋が震えた。(華5つ☆追記後送)

ネタバレBOX


 先ず、約束の舞台美術から行こう。小劇場演劇では極めて珍しい回り舞台なのである。片側にカーター家の部屋、裏側に派出所。この回り舞台が実に効果的に使われている。
 原作のタイトルである「リムーバリスト」は一種の捻りが効いたタイトルである。実際の上演時間約120分の内、タイトルに直接関わる引っ越し屋が登場する時間は案外短い。登場人物各々のキャラが濃いのが今作の特徴の1つだろうが、引っ越し屋のロブは唯一最も冷静で己の仕事の観点から他の総てを客観視している狂言回し的な存在である。原作はオーストラリアの劇作家・ウイリアムソンであるが、予め決めていた戦略・戦術に則って書かれた気がする程メルボルンで最も犯罪が多発するエリアの派出署警官2人(シモンズ巡査部長&勤務初日のロス巡査)のキャラは際立っており、その表現される所は普遍的である。シモンズ巡査部長の主張は、規則等は基本的にどのようにもアレンジ可能であり要はオトシドコロを間違えず、限度を弁えて決定的ミスを犯さない限りに於いて何事も自由だという観点に立ち相当現実的な説得力を持つ。一方、警察学校出たてで実際に勤務するのはこの日が初めてのロス巡査は至って真面目で杓子定規に行動しようとするものの頑固な一面を持ち、切れると手が付けられない。物語は、この派出署にDV被害を訴えてきたフィオナと姉ケイトが訪れたことから佳境に入るが、ケイトの夫は歯医者で裕福、警官の給料とは比較にならない階層に属し、有閑マダムのケイトには浮名が絶えない。シモンズはそれをいいことにケイトにシグナルを送り彼女も満更でもなさそうな応じ方をしていたが。
「悠久に遊ぶ」

「悠久に遊ぶ」

ARTE Y SOLERA 鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2022/03/15 (火) ~ 2022/03/17 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★


 フラメンコのリズムは2と3を複雑に組み合わあせた12拍子。

ネタバレBOX

ところで日本語には”やたらめったら“という表現があるが矢鱈と書くのは明治以降のことだという。元々やたらの‟たら”はインド音楽の用語″ターラ“に由来するとのこと。それが千年以上前にシルクロード、半島を経て日本に伝わり雅楽の“たら拍子”という拍子に連なったそうだ。この音階が余りにも複雑でちょっと聴いた位ではどのような規則性によってこのような音楽表現が法則化されているのが分からない為、アナーキーで捉えどころの無い、訳の分からないもの・こと、度外れたこと・ものを形容する際に用いられるようになったらしい。
 今回の公演はオープニングから楽器と歌唱そしてフラメンコのコラボという意図が明確に示されていたのは、音楽というものが言語差、地域差、文明や文化の差を越え人と人を結ぶ力があること、音楽とコレスポンダンダンスし易い表現ジャンルにダンスという、リズミカルな音に反射的に反応し易い身体の特性を活かした表現形式がああること、音楽には音声を用いた表現及び楽器を用いた表現が対応していること。無論単に音楽とダンスのコレスポンダンスのみならず、更に表現を華やかにしなやかに見せる衣装や照明、オムニバス形式で演じられる各作品の構成や演出の妙とバランス、各表現者の高い技術が要求されるが、上に挙げた総てが今作では見事に噛み合って優れた舞台表現を実現していたのみならず、ダンスと音楽のコラボの中で様々な滑稽、ユーモア、異質な文明の融合や互いの異質性が齎す緊張感も含め根底には人間関係の実際の在り様が表現されていたように思う。楽器も和楽器を洋楽器のように演奏したり、歌唱にしても各ミュージッシャンの示すノリにしても恰もジャズメンのようなノリで観客の体も自然に客席でスウィングするような舞台であった。無論、終演時スタンディング・オベーションをする観客も居た。実に楽しい広く深くイマジネーションの旅をさせてくれる舞台であった。
劇團有機座・ウイングス

劇團有機座・ウイングス

有機事務所 / 劇団有機座

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2022/03/10 (木) ~ 2022/03/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 実に現代的な作品。必見! 華5つ☆ 
 板上は簡素な舞台装置である。下手に操縦席を表す椅子。その後方に四角い頭部を付けた台数個。上手にはL字型に幕を垂らした半分透けた布。光が当たるとこの幕の内側には医務室の内部が見える。ホリゾントにもクロスが垂れ下がっており、脚本の一部が投影されたりする。

ネタバレBOX


 元々はアメリカのラジオ番組の脚本として書かれた原稿がオフブロードウェイで演劇作品として上演され、その脚本を基に有機座の銀漱さんが脚色したのが、今回上演される作品だ。飛行している複葉機の羽の上に立ったり、羽の上を歩いたりすることを旨とする職業があったという。無論この芸当を披露したのは女性であった。然るに今作は、ウィングウォーカーと呼ばれた彼女たちのアクロバティックな活躍を活写した作品ではない。誰でも想像できるだろうが、事故の危険性は非常に高い。そして今作は事故で脳に損傷を負った女性の事故後の様子を描いたものである。将にこの点で今作の現代性が際立つ。有機座は、エンターテインメントを通して高い志を表現する為に随分多くの海外作品にも目を配り、今作もそのようにして選んだ作品の1つである。開演直後に今作をこのように上演するに至った経緯をそれとなく的確で適切な説明で表現してくれるので、すんなり作品に入ってゆける。先に今作が現代的である旨書いたが、それは先進国を筆頭に多くの国々で平均寿命が延びた結果、認知症等、脳の疾患に起因する諸問題が我らの日常生活に大きな影響を齎すに至っていることと無関係ではない。その為に生まれる差別・区別や生活破壊、生きることそのものと社会規範や習慣とのギャップを極めて具体的、社会的、倫理的な総ての要素を含む人間の総合問題として提起しているからである。主人公のスティルソン夫人を演じた翠野 桃さんの演技も素晴らしい。また、事故直後外界とのコミュニケーション齟齬を起こした主人公の模様を脳内のパルスの乱脈な動きを表すかのような映像で象徴的に描いた工夫も評価したい。彼女は事故後、一命を取り留めたものの先に記した如く脳に障害を負ってしまった。然し当時漸く大脳についても科学的研究が格段の進歩を遂げる時代の黎明期に差し掛かっており、医師達によるケアの効果もあり、彼女が左利きであったことが右脳・左脳の機能分担との関係で幸いもして徐々に日常対話の能力等を回復してゆくのだが、この間の彼女自身の内的ストラグルは、当然彼女を取り巻く医療環境に現れた往時の人々の弱者に対する態度を前提として総体を見なければならない。当にこの視座の大切さをこそ今作は訴えていると言わねばならない。実に深く示唆に富んだ作品であり、このように優れた作品を選び、今上演してくれた有機座の見識の高さに賛辞を表したい。
廻人〜めぐりびと〜

廻人〜めぐりびと〜

sirenproject

アトリエファンファーレ東池袋(東京都)

2022/03/09 (水) ~ 2022/03/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 板上は奥が一段高くなった構造、段の奥には打掛の掛かった衣文掛。この打掛で舞台奥を隠し袖として用いている。吉原の廓内は板手前の低い部分を含め上面に緋毛氈が貼られている。高い段の三方には沓脱石を代替する段が一段設えてある。高い段の上・下に呼び込みの際、顔見世に用いるこれも緋色に彩られた桟が組まれているが上手のものは下手のものの倍程の幅。桟各々の端に行燈。桟の上部には天井から提灯が下げられ、粋なことに客席側の側壁にも登場する役者陣の名を記した提灯が下がる。まるで粋なエンコの小屋の趣。(追記後送)

其ノ街の涯ル

其ノ街の涯ル

中央大学第二演劇研究会

シアター風姿花伝(東京都)

2022/03/10 (木) ~ 2022/03/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 中央大学第二演劇研究会2021年度卒業公演と銘打っての公演。(
追記後送)

ネタバレBOX

舞台美術も懲り登場人物数も三十名を超える大所帯。五感を奪われる街、水没する色付きと色無しの街、月が落ちてくる満たされることの無い街。3つの世界が描かれるが今、日本で生きる若者の観ている日常を露わに見るかのように総てがディストピアだ。

ナマリの銅像

ナマリの銅像

劇団身体ゲンゴロウ

ひつじ座(東京都)

2022/03/09 (水) ~ 2022/03/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 ホリゾント中央に2枚のクロスを隙間なく合わせた幕。その手前が一段高くなった舞台、これを囲むように可動式の低い台座を取り付けた1間パネルが設えてある。出捌けは中央奥の幕及び、幕の奥を袖として用い、板のぐるりを通る上手、下手のスペース。
 2月下旬だった公演日程がCovid-19の影響でずれ込んだ。だが、果敢にチャレンジしたこの劇団に好感を持った。兎に角、一所懸命に書いた脚本、そして演技である。上演時間約110分(追記後送)

おとし屋 -SEDUCTRESSES- EPISODE2

おとし屋 -SEDUCTRESSES- EPISODE2

SMASH ENTERTAINMENT

上野ストアハウス(東京都)

2022/03/04 (金) ~ 2022/03/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 板上はシンプルな作り。奥に段差を設け大きな衝立を上・下手にそれぞれ設え真ん中を開けてメインの出捌けに用いる。更に上手衝立の手前、段差の客席側下手に出捌けを設けてある。

ネタバレBOX


 オープニングでは、M.モンローの「七年目の浮気」で地下鉄の吹き出し口のシーンと同じ衣装で登場するマリリンは、無論パツキンの出立。おたくらの溜り場は上手客席側。おとし屋実行部隊メンバーは各々2つの顔を持つ。ある者は会社員、ある者はライター、更にアイドル等々。皆過去におとし屋になりたいと願うトラウマを抱える。今回上演される作品はEpisode2となっているので各々のトラウマは1で描かれていたのかも知れないが、断罪される篠山の母との関係、そのトラウマの詳細も一切分からない。この辺りの事情が伏線として織り込まれていれば作品の深みが増したのだが。脚本では更に英諜報機関の用いる暗号を篠山が用いていることが書かれているが、そんな人間が簡単に己の機密情報を漏らしたりする訳はなく、大切なスーツケースのチェックにもぬかりは無いハズだが、おとし屋がスーツケースに入っているハズの大切な証拠かそれに関わる物を見付ける為にスーツケースを開けた時手袋をしていない点、また篠山の隠れ家に忍び込んだ際にも指紋に一切注意を払っていないのは演出も含めて注意を喚起したい。また、おとし屋達の計画が総て順調に推移してしまう点でも脚本的な弱さがある。1度や2度は、計画が失敗の憂き目に遭うような危ういシーンを入れれば観客はハラハラドキドキが募ってもっと楽しめる。
 ストーリーや演出より、アイドル系の女子の魅力で迫るというのは無論分かるのだが、余りに浅いとそれも白ける。ダンスの上手いのがトッキさん、身体能力が高いのが、オタクの棟梁かレイくんのどちらか。目が大分悪くなったので判然とせず。悪しからず。
 
キミガミテタ明日

キミガミテタ明日

TEAM 6g

萬劇場(東京都)

2022/03/02 (水) ~ 2022/03/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 板上はかなり込み入った舞台構成になっている。

ネタバレBOX

下手手前側壁に短辺を並行にしたL字型の一段高い踊り場が設えられこの踊り場にはバーカウンターと手前の円椅子。この上手に葬儀屋家族の居間。居間の奥にはかなり大きな水屋箪笥が置かれている。白、黒で下手の踊り場付設備や葬儀屋の平台が塗り分けられているのは、無論今作は生死の問題を中心の1つに生計と夢実現の鬩ぎ合いの2つを大きなテーマとした作品であり、丁度楕円の数学的解を求める作業に近い問題を扱っているからである。この住環境は1階部分を為すがホリゾントと1階部分の間には2階が作られており、下手から2階へは観客席に平行に、葬儀屋の居間から2階へは垂直方向に梯子型階段が設えてある。2階部分の出捌けは左右1ヶ所ずつ。1階はバーカウンター奥、葬儀屋の家との間等を区切り、場面転換に応じて出捌け箇所をその場に応じた設定に変更して用いている。方法は吊るす布、ショー等で用いるキラキラしたスパンコール仕立ての垂れ幕等の位置移動、隠す場所の変更で対応。
 その他側壁面、ホリゾント壁面に張られた鉄筋様のパイプが、登場人物各々の綾なす人間関係を表しているようでもあり、後半飛び出してくる保険会社渉外担当者との保険金支払い関係の交渉場面での利害考証関連問答等をも示唆していよう。
 幼少時から思春期に複雑な家庭環境で育った経験を持つ者には、基本的に心に沁み入る物語であり、深い共感を誘うことは間違いない作品であろう。役者陣の演技力の高さも特筆すべきものがあった。
 ただ、多少気になったのは序盤の台詞で聴き取りにくい台詞が若干あったこと(これは自分の年齢のせいかもしれないが)。また昌太の死因が自死なのか事故死なのかを巡っての保険会社渉外担当者と弁護士との論戦では、昌太が小笠原さんに送ったラインの送信時刻から撮影時の時刻は特定でき写真も小笠原さんの証言で特定できる、更に遺体発見箇所と発見時刻、潮流との関係と往時の天気などから送られた写真と撮影場所との関係は相当正確に特定できるハズである。保険会社の利害があるから渉外担当は、自殺としたい訳だし、保険金殺人事件の場合、保険会社が事件性を立証できずに保険金を一旦支払い、その後事件が立証されたケースはいくらでもある。そういったことが弁護士サイドからは問題視されなかった。無論、弁護士サイドがそういうことを言って昌太がひまりの為に残した保険金が支払われてしまえば、今作は不幸な中にも救われる場面がある作品になってしまうので作家はそれを避ける為に姉の発言を入れたのだろうが、自分にはイマイチシックリこない感覚も残った。焦点が2つある楕円だからだろうが。
Anonymous Gods

Anonymous Gods

Orgel Theatre

雑遊(東京都)

2022/02/24 (木) ~ 2022/02/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 女優陣の演技も良い。
 板上ホリゾントには、時に応じて諸星が映写されるがその手前には堤防のような提。そしてこの提には橋の欄干がデザインされている。内容的にも芸者(厳密には芸者と妓婦は無論異なる)が橋を渡る小話が挿入されているので「心中天網島」の橋づくし等も想起させイマジネーションを大きく膨らませる。(華5つ☆)

ネタバレBOX

この提の更に手前には鉄パイプを横長の井桁に組んだ構造が配され更に手前には天井辺りから客席方向へ延びた鉄パイプが矢張り銀色の光を放って下手・上手に配されているが、シンメトリーにはなっていない。井桁部分は登場人物の1人、カスミが売れないカメラマンなのでカメラのフレームを表しているとみることができる。手前の鉄パイプ2本がシンメトリーになっていないのは、カスミとそのパトロン的役割を果たすことになった、元プリマのサラサとの、また人工授精をし妊娠中のカスミと彼女のパートナーであるアオイとの出産を巡る齟齬や、施設で育ち体中に傷跡を残し、身体の残した傷がトラウマとなって精神を蝕む、彫り師をしているナオと彼女のパートナー、サラサとのサディスティックな即ち同時にマゾヒスティックな関係性の非対称性やアンヴィヴァレンツを表していよう。無論、自死を目指す己を被写体に撮影をカスミに依頼したサラサと撮影者カスミとの単に見る、見られる関係に於ける優位性の問題から更に踏み込んだ能動態VS受動態に於ける強弱関係をも表している。これらの相関関係を描くことによって、今作の訴えるモノ・コトとは、我らが日々送る困難でパースペクティブを欠いた世界を生きる知的生命とは何か? 我らヒトに生きる意味はあるか? であると同時に生き抜くことへのどうしようもない欲求であると思われる。

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