ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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しだれ桜

しだれ桜

パンチドランカー

ウッディシアター中目黒(東京都)

2013/04/18 (木) ~ 2013/04/21 (日)公演終了

満足度★★★★

矜恃と時流
 パッチワークのような構成で、龍馬暗殺の辺り(1867年頃)から第二次大戦後(1945~47年頃)までの約80年間を、京都の山奥にある饂飩屋一家の消長とその庭に立つ枝垂れ桜を梃子にして描いた作品。

ネタバレBOX

 龍馬暗殺の下手人は、壬生組の女剣士という設定になっているが、無論、歴史とは関わりが無い。龍馬暗殺に関しては、自分の調べた範囲では定説と言えるものは未だ無い。また、清水一家の大政が、饂飩屋の主になっていたりと歴史とは関わりなく自由に創作している反面、不平士族の反乱で担がれた西郷隆盛の話が出ると、勝海舟の名をちらりと出して、静岡の茶摘みのシーンを入れたりしているので、作家は、日本史にはかなり通暁しているかも知れぬ。勝もまた、不平士族を路頭に迷わせず、彼らの反乱を抑える為に、最も、忠義心に厚い士族に江戸から離れた清水の地で暫く茶を作らせることで、彼らに生活の手段を与え同時に反乱の気を収めることを考えたからである。無論、劇中では、この史実は表立った形では出て来ない。パロディーとして、また、西郷的生き方へのアンチテーゼとして提起されているばかりだ。
 まあ、日本史に詳しく無くとも、落とし所は結構作ってあるし、泣けるシーンもかなり用意されている。人として持ち続けなければならぬ矜恃と時流とのヤジロべエを支える支点として機能しているのが、枝垂れ桜ということで良いのではないだろうか。
マリア

マリア

Straw&Berry

王子小劇場(東京都)

2013/04/17 (水) ~ 2013/04/23 (火)公演終了

満足度★★★★

遅刻
 4分ほど遅刻し入場したのは開始時刻から9分か10分後だったので、最初の演出でどんな工夫をしていたのか、残念乍ら観ていない。科白の聴き取りにくい所が、時折あったものの、総じて演技は、中々高いレベルであった。

ネタバレBOX

 シゲルの幼い精神に対して、三角関係になる女たちのプラグマティズムは、タフである。観ながら、太宰治の「人間失格」を思い出した。青年の甘ったれた感傷、傷と挫折だ。ところで、シゲルの世界に逃れられない通奏低音の如きものがあるとすれば、それはどのようなものなのだろうか? 彼は薬を飲んでいるが、躁鬱症の薬なのだろうか?
TheStoneAgeヘンドリックス「おおきないし」たくさんのご来場ありがとうございました!

TheStoneAgeヘンドリックス「おおきないし」たくさんのご来場ありがとうございました!

The Stone Age ヘンドリックス

サンモールスタジオ(東京都)

2013/04/09 (火) ~ 2013/04/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

流石評価の高い劇団だ
TheStoneAgeのツープラトン公演のうち、ヘンドリックスの作品だ。流石に評価の高い劇団である。シナリオ、演技、演出、抑えが効き、勘所をついた照明と音響、適確な間の取り方で効果的な舞台を作りながら、大阪らしいギャグのセンスで笑わせる、更に自然でたゆたうような筋運びで、実に深いことをさらりと表現する。登場人物の名前にも、細かな配慮が見られるのは、無論偶然では無い。
 天狗役の緒方 晋(The Stone Age)、渚役の大西 千保、滴役の一瀬 尚代(baghdad café)、神田役の本木 香吏(仏壇観音開き)らの演技が特に気に入った。

ネタバレBOX

 近畿地方の海岸近くにある大きな石、この石には、天狗が座って海を眺めているのを目撃したという言い伝えがあり、UMA(雪男、ネッシー、ツチノコのような未確認生物)ライターの渚と編集者の神田 温子が取材にやってきた。この石から直ぐの所に彼女達の予約した民宿、春日屋がある。この宿の主、清隆は、町議会議員の大塚こだまと街おこしの為に天狗伝説を利用しようと、あの手この手の作を練り実践している。因みに、大塚は、天狗の面を被って急に現れたりするので、時には、他人を驚かす。実際、清隆と共に宿を切り盛りしている滴は、腰を抜かさぬばかりに驚いた。こんな細工を弄したりしているので、無論、彼らは天狗が本当に居るなどと信じてはいない。編集者の神田も然りである。
 然し、渚は、子供の頃、体が弱く、本ばかり読んでいて、他の子供達と同じように遊び回ることが出来ずにいた。その彼女が嵌ったのが、小学校4年の時に読んだUMA特集雑誌であった。以来、彼女のバイブルは、この時読んだ雑誌であり、今、彼女が、UMAライターになっているのは、その結果である。そんな彼女は、子供のように純真な心を持ち続けている。その彼女の前に、天狗が現れた。だが、天狗の顔色は赤くないばかりか、羽も無い。然し、彼女以外に天狗を見ることのできる人間はいないのであった。彼女は、天狗に多くの質問をし、記事を書く為にメモを取るが、神田は、写真が必要だと言う。そこで、天狗を写そうとするが、どうしても写らない。仕方なく、民宿へ温泉風呂を浴びに来る画家の生田 澪に天狗の特徴を伝えて絵を描いて貰う。そうこうしているうち、天狗に詳しいと定評のある漁師にも取材をという話があり、取材を申し込むが、この漁師、松尾は漁の為に、天狗の羽を持っており、この羽の霊力のお陰で漁も豊漁が期待できるばかりではなく、天狗の気配を察知することもできるのであった。その松尾が、渚と天狗が話していると、時折やって来て、天狗狩りをし出すのだが、投網を正確に天狗の居る方へ打つので、観客には、とてもおかしく、罪の無い笑いを齎す。
 ところで、この海岸は、2年前に北の方で起こった大地震の余波で津波が押し寄せ、大きな被害を出しており、滴の弟はまだ行方不明のままである。天狗石の位置も何度となく位置が変わっている。といった情報や天狗の「人間には見えない白い雪が降る」という科白を入れることで観客の想像力をやんわりと3.11.3.12へ誘うのだ。
 渚は、滴にも遠慮勝ちに取材を申し込む。明るく振る舞っている滴にも、辛い記憶があるかもしれないからだ。案の定、彼女は風邪をひいた弟を「治る迄」と引き留めた為殺してしまった、と罪の意識に苛まれていた。それで、津波の来る前に、この辺り一帯に生えていたシロツメクサの種を撒いていたのだ。弟が、四葉のクローバーを見付ける名人であった思い出を織り込みながら。その彼女のどうしようもない悲しみに渚は寄り添おうとするが、矢張り被災者と取材する者との間に在る越えようの無い傷の深淵を、越えられない。然し、この作品の凄さは、越えられないことを見据えたまま、個々の力を前に向けて歩み出そうとする姿勢を示す所にある。渚は、黙って独り天狗岩を押す。一所懸命、唯、明日に向かって押す。横には、滴がいる。滴は渚を見ている。渚は岩を押し続ける。たった独り、終に、滴が手を貸す、幕。
 余談だが、滴は、荒れ狂う海に弟を奪われる一滴の水、渚は、その海と陸との境界、どちらも水の精、龍と深い関係を持つが、渚が滴の集合であると同時に、滴が集まらなければ渚は存在し得ない。更に踏み込めば、天狗信仰は役 小角と深い関係にある、と同時に小角は、別格の天狗という側面を持ち、他の天狗同様、水の精、龍を抑える神通力を持つ。物語の中に登場する天狗は、天狗岩に登って、海を眺めるのが、好きである。太陽の方へ飛んで行った仲間を偲んでいるのである。そうしながら、渚との話でとても大切な哲学を教え、渚が、ひいては滴が、明日へ踏み出す力を、自らを自らの力で制御する力を与えたのである。
 渚の苗字は伊勢、滴の苗字は春日である。どちらも神道と関わりのある苗字だ。天狗と神道の関わりは今更言う迄もあるまい。

#2「for girl」

#2「for girl」

劇団フェスティナレンテ

参宮橋TRANCE MISSION(東京都)

2013/04/12 (金) ~ 2013/04/14 (日)公演終了

満足度★★★

女子
 まあ、普段、電車の中で聞こえてくる女の子の会話は、恋に纏わるものが圧倒的なのは事実だが、そして、この作品でもその話はかなりの割合を占めるのだが、持って行き方が稚拙である。
 また、小道具のTV受像器は、一度も使われないのに、結構、目立つ所に置いてあり、それは雰囲気を出す為だと言う。だが、使う意味もなく置いておくようなセンス自体が問題である。余計な物を平気で舞台上に置くということ自体、この作品のセンスを象徴している。詰めが甘いのである。2回目の公演という点で、未だ、日常と舞台の差が分かっていないのだろうが、注意が必要だ。
 

ネタバレBOX

 シナリオで、4人の姉妹(義理も含め)の彼は同一人物であるという、常識では考えられない話になっているが、これをドラマに仕立てるのであれば、砂糖をたくさん使う事で伏線をはるだけではなく、各々のキャラクターや人生をもっと深く掘り下げ、そうならざるを得ないシチュエイションを作らなければ効果的とはいえない。(オイディプスを見よ)
 また、女子ばかり4人が、浮気性の彼(姉妹に四つまたを掛けている)を持ち、そのうち3人が、実の姉妹だというのに、妊娠についての話が出てこないことも、実際にはあり得ない。余りにも、世界の見方が単純である。役者は、無論、遊び心も必要だが、遊び心を持った好奇心とそれを作品化できるだけの観察力を持たねばなるまい。
 現段階では、まだまだ未熟。精進が必要だ。
幕末ノ丘

幕末ノ丘

神田時来組

俳優座劇場(東京都)

2013/04/10 (水) ~ 2013/04/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

アイロニー
 岡田以蔵、鉄蔵兄弟は、武士階級の間でも差別の酷かった土佐足軽出身の兄弟だ。以蔵は剣の達人。所謂人切り以蔵であり、弟は、算術などに長ける。仲の良い貧しい兄弟である。一方、原田左之助も武士を目指し、新撰組に入隊。土方を凌ぐほど強いと考えられているが、人を斬るのが嫌いである。ともあれ、三人ともいっぱしの武士を目指していた。

ネタバレBOX

 この三人の出会いは、琴が、会津藩主、松平 容保に見合・腰入れするのを嫌がって逃げて来た時、縁あって知り合い、以来、琴を含めた四人は身分の違いを越え、立場を越えた親密な情で繋がれてゆく。
 神田時来組は5年来喜劇的な作品を扱ってきたようであるが、今回は作劇の基本的なスタンスを下級士族・農民(新撰組メンバーが、ほぼ農民出身であったことを思うべきである)に置き、時代の奔流に立ち向かおうとする岡田兄弟、原田の友情を中心に据え、新撰組と土佐勤王党対立の歴史を描いたことで、彼らの知的レベルの限界とその悲しむべき末路を活写して哀れを誘う、一見シリアスな作に挑んだように見せている。だが、”ええじゃないか”の騒ぎを取り込むことで、時代の閉塞感に対する庶民の、これまた無効なムーブメントを伝えて、喜劇を演じて来た者の批評精神を垣間見せる。土方が、函館でなく京都で殺されてしまうのはどうかとも思うが、まあ、良かろう。
 肝心なことは、同じ下級武士出身者でも、坂本 龍馬を頭は切れるがプラグマティックな悪党として描いていることだろう。また土方 歳三も豪農出身の悪党として描かれている。成り上がる者は、相当な切れ者でもノブリス オブリージュの発想すら無いという点で、矢張り育ちをからかわれる余地があり、この点に喜劇性が在るのだ。言う迄もないが、アイロニーもまた、おちょくりであり、世の中を笑い飛ばす方法である。逆に、このような点を垣間見せることによってこの作品は、虚構を用いて、現代にも通用する本質を抉り出している。
 他にも喜劇的な要素はいくつもある。左ノ助と琴の逢瀬のシーンに”ええじゃないか”の邪魔が入るシーンなども、箍を外す基本である。また、殺陣や所作、和服の着こなしなど、役者が演じる部分はきちんとしているのに、階段部分を敢えて工事現場の足場で組んでみたり、後半、踊りのシーンで女優達が、上半身振袖なのに網タイツを履いて踊ったりするのも、現代にも通底する日本という国の前近代性をからかっているのだろう。
左ノ助臨終の際の科白にこんなのがあった。「右腕に鉛の玉が入って、抑えていないと傷口が直ぐ開く云々」これは、日本の近世が、欧米近代文明に破れる様を端的に凝縮した表現だろう。まして、右腕は、大抵の人にとって利き腕だ。失われた20年、原発問題、普天間、オスプレイ配備、TPPの顛末を見る迄もなく、現代日本の政治、司法、マスコミ、官僚、御用学者の馬鹿らしさ、やられっぱなしの無能を見ても、この作品の描いたアイロニーは、日本を穿っていると見て良い。今こそ、我々は、アメリカの犬、「エリート」を排除し、新しい価値感に基づく、自由で斬新なシステムを作り上げねばなるまい。
星屑の町

星屑の町

劇団だるま座

アトリエだるま座(東京都)

2013/04/12 (金) ~ 2013/04/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

歌謡の背後
 歌謡ショーと演劇を用い、論理を基本とする演劇的な表現方法で抜け落ちがちなメンタリティーを掬い上げてみせた。こう書いてしまうと単純なことのように見えるかもしれないが、これは大変なことである。二つのまるでタイプの違う表現を掛け合わせて、今迄と異なる表現を提示するということは、目新しくは無いかも知れないが、それをこのように具体的に完成度の高い作品として提示することは別なことだと言って良い。頭だけでこれを言うことは誰でも出来よう。然し、頭と身体を用い更にそれを皆が体験している人生に落とし込んで、演劇という行為で提示しているのだ。これができる為には、日ごろのたゆまぬ訓練と何者をも拒まず見て行こうとする好奇心、それを作品化する程にキチンと見る観察力が要求される。而も、それが、変に衒学的であったり、わざとらしかったりすれば、質の良い観客はすぐそっぽを向いてしまうだろう。このように高いハードルを幾つ越えたのだろうか? 見事なできである。

過大な評価癖

過大な評価癖

多少婦人

OFF OFFシアター(東京都)

2013/04/10 (水) ~ 2013/04/14 (日)公演終了

満足度★★★★

別れ
 別れも中々曲者。さっぱりすっきりとは中々行かないものらしい。同棲していた二人。別れることになったが、互いに誤解していたり、わり切れなかったり、別れがたかったりという部分も、未だ持ち続けながら。
 男は、窮地に立つとたいてい女性を頼る。頼って甘える。では頼られた女性はどうするのか?

ネタバレBOX

 押入れに逃げる。この作品ばかりではなく、劇団三重丸の作品でも、押入れはキーになっていたことが、何度もあるし、他の女性作家の作品にも押入れが、隠れ家というか、夢を繕う場所や避難所として機能しているものがあったように思う。今作の作家は男性だが、女性劇作家の作品のキーに押入れが登場しやすいのは、男から甘えられ、頼りにされる女性という性の逃げ道は、その母の子宮ではないか、と思うのである。その象徴或いはメタファーこそ、押入れなのかも知れぬ。
新訳 群盗

新訳 群盗

雷ストレンジャーズ

テアトルBONBON(東京都)

2013/04/10 (水) ~ 2013/04/14 (日)公演終了

演出に難あり
 言わずと知れたシラーの作品だ。古典ともいえる作品なので、筋についてくだくだ書かない。図書館ででも読んで貰えばすむ話だ。演出でアロマセラピストが香りをつけているのだが、自分の座っていた席には余りその効果が無かったようだ。ところで、新訳と銘打ち、かなり気合の入った舞台であるべきが、キャスティングや場面転換が頗る安易で、折角の原作が色褪せてしまった。キャスティングミスを言葉で言い繕っているのだが、この時点で既に演劇を嘗めて掛かっている。別に女性が男性役をやることに問題は無い。然し、身長でも、押し出しでも、また匂い立つような若武者振りでも、無茶をやって許される天性の資質でも、何一つギャップが埋まらないキャスティングは失敗と言うしかない。
 更に、場面転換でもボヘミアの森から故郷フランケンに近い森に戻った時、恰もパソコンの画面転換でもするように場面を切り替えてしまう。余りにも安易だ。役者の身体性に対する演出の気遣いが足りないことが歴然としている。映画と勘違いしている点もあるのかも知れないが、言葉面だけ捉えて分かった気になっているのではないか、と勘繰りたくもなるのだ。更に、当時のヨーロッパに対する歴史認識も浅い。オーストリアの名がちらっと出てくるのだが、当時のオーストリアは、今とは比べ物にならぬ位力を持っていた、何故、シラーがここでその名を出しているかについて、もう少し勉強しておくべきだろう。
 演出の力が全然足りない。これでは役者が可哀そうだ。

「そんな奇跡は起きなかった」たくさんのご来場ありがとうございました!!

「そんな奇跡は起きなかった」たくさんのご来場ありがとうございました!!

The Stone Age ブライアント

サンモールスタジオ(東京都)

2013/04/09 (火) ~ 2013/04/14 (日)公演終了

満足度★★★

救いは無いよ
角の無い鬼と魂を抜かれた抜け殻の物語。

ネタバレBOX

 抜け殻は、生きている時に諦めた連中である。既に三途の川を渡っているのに、死に切れないほど好い加減な連中でもある。そんな彼らは完全に死ぬこともできなければ、生き返ることもできない。唯、鬼の言葉を信じて生き返る為には、魂の籠っている石を分別し、その数を鬼が「良し」と言う迄数え続けることができれば元の世界に戻して貰えると、永劫の時をその作業に費やしている。本当に死ぬ気になったら、三途の川の石を砕いて零になれば、死に切ることができると、こちらも不可能な言質を与えられている。
 一方、鬼達の食べ物は人の魂であり、毎夏、船頭が、人界へ出向いて魂狩りをし、自分達の食糧を集めてくるのであるが、角の無い鬼達のグループに船頭は一人しかおらず、而も、角のある鬼達のように人を釜茹でにして魂を抜いたりすることは控えられているので、角無し鬼の食糧はかなり乏しいのだ。それもそのはず、彼らは、川原の石の数を不可思議迄既に数えた元抜け殻のなれの果てだったのである。角ある鬼には、二流の扱いを受け、而も、元は同じ境遇でありながら、人を弄び、収奪することによってしか自ら食を得ることも叶わない。永劫に呪われた存在であることが明らかになる。
 シナリオ自体にやや無理な展開や矛盾が在りながら、出したかったのは、この点だろうと解釈した。
知恵と希望と極悪キノコ

知恵と希望と極悪キノコ

LIVES(ライヴズ)

シアタートラム(東京都)

2013/04/04 (木) ~ 2013/04/07 (日)公演終了

満足度★★★

悲哀
 端役を主人公にした作品。訴えるのは、他の人々と同じように一所懸命生きているのに、十把一絡げにしか扱われないばかりか、利用されるだけされて、後はポイと捨てられるだけの彼らの悔しさ、虚しさ、悲哀。それだからこそ、逆に、役を貰えた彼らは科白に命を吹き込み、役に掛ける意気込みも高い。だが、初めてプロのステージに立つ者、初めて映画に出る者等々、寄せ集めであることも事実。このチグハグが、この作品成立の要件だ。

泣き方を忘れた老人は博物館でミルとフィーユの夢をみる(爆撃の音を聞きながら)

泣き方を忘れた老人は博物館でミルとフィーユの夢をみる(爆撃の音を聞きながら)

おぼんろ

東京芸術劇場アトリエイースト(東京都)

2013/04/06 (土) ~ 2013/04/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

魔法
 “おぼんろ”の身軽さ、軽みについて考えながら観た。我らの時代、我らの国で、夢を語ることは、それが真剣であればあるほど、阿保らしいことだ。だが、物語という形式でこの嘘を詩的に、一所懸命に構築することによって、この行為は歌舞くという我らの伝統に繋がり、人々の心の奥底に眠っている大切なものを目覚めさせる。
 身体能力の高さ、選曲のセンス、塵から生まれたダンディな装いの美も見事。更に、間の取り方、当意即妙のアドリブ、観察力とそれをベースにした意表を衝く返答のセンスと軽みは、路上演劇で鍛えた靭さを持つ。組織の力も、温室の穏やかさも借りず、ここ迄やってきた力は本物である。更なる飛躍を期待できる。

ネタバレBOX

 時は東西内戦も終結した後ではあるが、未だ小競り合いが続くのか、爆撃の音が聞こえる。そこへ地雷を何度も踏み、空爆も受けた老人がやってくる。そんな目に遭いながら、老人は、自分が生きていることをいぶかしむ。然し、彼は自分が誰なのか記憶を失くしている。彼は、おぼんろのファンで自分は生の舞台を観ていないという思いに駆られ、交霊術を用いておぼんろのメンバーを呼び出し、かつての作品を上演して貰う。作品に登場するキャラクターは、ホログラムである。フィーユは、夢を見ている。夢の中で彼は、何か大切なものを失くしてしまった。だが、それが何か分からずに泣いており、当初は、泣いているのが自分だとも気付かない状態であった。一方、ミルはフィーユが大切にしていた人形だが、何百万回かの夢の中に再び現れてフィーユと邂逅し、涙を齎す夢から脱出する為に新たな夢を探しに出掛ける。その過程で彼らは、交霊術を頼んだ、老人と出会うが、彼はサイボーグ化されている為に、百数十年を生き延びて来たのだった。そして、彼がおぼんろに惹きつけられるのは、彼自身がそのメンバーであったことが、分かる。
 無論、これで終わりではない。が、おぼんろの掛ける魔法には、会場で出会って欲しい。
VS

VS

キリンにhighキック

北池袋 新生館シアター(東京都)

2013/04/05 (金) ~ 2013/04/07 (日)公演終了

満足度★★★★

2劇団対抗戦
青森の劇団VS静岡の劇団の対抗戦である。自分の評価は前者が星三つのお勧め。後者が星5つのお勧めである。だが、2つの劇団で1公演なので、星は4つとした。

ネタバレBOX

「つながらない」
 とあるカフェ。この店の常連客、タマエの誕生会の日。どうでも良いことに気を使うウェイターと、これまた非本質的なことに拘る、タマエの元彼、山出。山出の申し入れで新しくタマエの彼になることを渋々という様子で承諾した仕事先の年下の同僚、佐藤。タマエのファンだが、無神経なテツオらの、非本質的なことを無理強いすることで生じる非常識のおかしさと微妙な恋愛感情を表現した作品。
「背徳的ジャスティス」
 女詐欺師と彼女を徹底的に愛する男、詐欺師の姉を反面教師にしたような常識人の弟を中心に、金のプラグマティズムと愛の盲目、犯罪と倫理、常識と論理的思考が激突する。
 姉は、金銭のプラグマティズムを徹底した詐欺師で、姉にいいように使われている弟は常識人だが、情報収集が得意な男だ。常に姉に恫喝され乍ら仕事を手伝っている。更に、姉に垂らし込まれ、姉の喜ぶことなら何でも引き受ける愛の盲目に生きる男を噛ませ、基本構造のしっかりした構成になっている。
 小道具の使い方も鮮やかだ。例えば、立方体の置き方だけで、カフェ、レストラン、バイク等々に変化させ、短時間に、姉がカモを垂らし込む手管、即ちデートの様子、その「恋」の進展などをありありと眼前に浮かばせるのだ。また、姉の論理に殉じようとする悪には、一種の潔ささえ感じられテアトル ピカレスクとしても秀逸だ。
 仕掛けはこれだけではない。遣り手の刑事が、疑いの目を向けて来たり、事業を拡大した姉の荒稼ぎを見て地廻りのヤクザがピンはねしようと狙って来たり。兎に角、観客を飽きさせないあの手この手で楽しめる。
ブレヒトとクルト・ヴァイルの歌の夕べ

ブレヒトとクルト・ヴァイルの歌の夕べ

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2013/04/03 (水) ~ 2013/04/03 (水)公演終了

満足度★★★★

ゲネ評
 事情があって拝見したのはゲネである。然しながらドイツ、ミュンスター劇場主任演出家のマルクス・コップフとビュルツブルグ音楽大学オペラ科主任教授の天沼 裕子の指導でブレヒトのテキスト、テキストに伴うクルト・ヴァイルの歌双方を、日本語、ドイツ語を交えて演じた。
 本番は観ていないので、ゲネレベルの評価であるが、若干、固かったので、評価は4とした。

ネタバレBOX



 無論、日本語は子音+母音で一音節が成立する場合が圧倒的に多いのだが、声の響きという点で捉えれば、子音を強調する発声法の方が響くケースが多いのもまた事実。ドイツ語を含むヨーロッパ言語は日本語に比べて発音上、子音の占める率が高いので、オペラ歌唱では、朗々と響くものにもなるのだろう。無論、インド・ヨーロッパ系と我々亜細亜系では、骨格が異なり、インドヨーロッパ系では前後に長く、アジア系では、左右に扁平なので、その点でも、発声は多くの場合異なるのではあるが。
余りに専門的なことは専門家に任せるとして、ブレヒトと言えば、やはり「三文オペラ」を挙げねばなるまい。今作でも三文オペラの乞食や大盗が登場する。演出レベルで面白いと感じたのは、舞台奥に、小学校などで使うパイプ椅子のように粗末な椅子を用いて、乞食達が、一人来ては坐り、或いは寝そべると、先着の者たちを跨いで、別の者が別の椅子に腰かけるなどのパフォーマンスが展開されるのだ。流石にキチンと基礎のできた人だけをオーディションで選んでいるだけのことはあって、身体の動きはプロのそれである。比較するのも失礼だが、映画やTVに出ているだけの「役者」のパフォーマンスは、身体の隅々に配慮することもなければ、呼吸と身体のコントロールにも意を用いず、要求される関係の中で最良の間を選ぶこともできない、そのような間の抜け方とは大違いなのだ。舞台役者を見慣れている者にとってTV、映画のスターシステムに載っているだけの「役者」など犯罪者にも等しい。皆、そう思っているのだが、言わないだけである。そういったことを改めて感じさせるだけの舞台であった。
SPY~Reservoir Dogs~

SPY~Reservoir Dogs~

劇団Spookies

新宿シアターモリエール(東京都)

2013/04/03 (水) ~ 2013/04/07 (日)公演終了

満足度★★★

シアターモリエールの構造
 段差が殆ど無いので、観ずらい。殊に、坐る姿勢の多い時代劇などは、この劇場で上演するのは不向きだろう。吉祥寺シアターのような劇場なら、全然問題はあるまいが。肝心な所が、前に座った人たちの頭に隠れて見えないのだ。
 とはいえ、殺陣は中々こなれていたし、敵意の無い時は、刀を右手に置くなど基本的な作法も守られている。

ネタバレBOX

 上記のような理由もあって評価はちょっと低すぎるかも知れない。だが、作家は時代を描きたかったのか、それともスパイの抱える諸々を描きたかったのか、中心が分裂してしまったようにも思えた。殊に長州に間者として潜り込んだ出海は阿片常習者であったはず。ダウン系の麻薬を散々使っていたなら、あんなに活力のあるはずは無い。目が胡乱な点まで、現代日本の若手役者に演じろとは言わないが、せめて涎を垂らすなど、禁断症状の一場面位は入れても良かったのではあるまいか? スパイを中心に据えるのであれば、その程度の落差は演出した方が効果的であったと思う。
 群像劇として描くのであれば、様式的な踊りは不要であろう。もっと黒船の脅威をハッキリさせた上で、英仏が日本を植民地化しようとしていたことも含め、内戦の迷走への危機感を背後に感じさせることが必要であったと思われる。その上でなら、土方と中岡の密会も更に面白いものになったであろう。
つきあたりを見上げれば…【無事に終演致しました。ご来場頂きありがとうございました!】

つきあたりを見上げれば…【無事に終演致しました。ご来場頂きありがとうございました!】

劇団宇宙キャンパス

吉祥寺シアター(東京都)

2013/04/04 (木) ~ 2013/04/10 (水)公演終了

満足度★★★★★

爽やか
 多少、羽目を外した経験を持つ者なら誰しも、心の中に持っているであろう。懐かしい、大切で、壊れやすい人間関係を育んで居た店に起こるてんやわんやを描いた作品。起こっている何やかやは、かなり非日常的なことなのだが、それらをカラッとしたタッチで描き、テンポも頗るつきで良い。爽やかな青春グラフティーだ。
 演技、キャラのタチ、演出、舞台美術など見どころ満載。

ネタバレBOX

  “うんこ”が、定位置に居続けるという設定、演出が面白い。“うんこ”はこの店の常連客である彼の綽名だが、いつも端っこの席に座って風俗誌を読み耽っているというキャラクターだ。基本的に居るだけである。綽名の由来は、彼が手洗いに立った後は必ず、うんこがはみ出していることからつけられた。目立たないのだが、居続けることが、この店で起こる、ちょっと突飛な出来事を、それらしくみせる重しになっているのだ。
 店の名前はエーデルワイス。喫茶店である。花言葉に因んでオーナーが名付けた。繁華街の外れ、突き当たりにあるので、客層は、かなり特殊だ。お笑い芸人を目指す者、風俗嬢、ギャル、ホスト、オカマ、ケツ持ちのヤクザ等々。客の共通点は、この店が大好きだということ。然し、経営は若干の赤字。オーナーの道楽でやっているような店なのである。
 皆に愛されている店が急に閉められることになった。日本最大の暴力団が、店を買収したのである。繁華街の近くで、長年皆に親しまれて来、ひっそりと佇んでいるような目立たない店を表向きにダーティーな新商売を始めようと目論んでのことである。
 常連達が、結束。買収ヤクザ相手に、何とか店を守ろうとするが、法的には、相手が有利。ケツ持ちのヤクザ達も組織の力が違い過ぎてどうにもならない。然し・・・(ここから先は劇場で観て頂きたい)
ホイッスル・イン・ザ・ダーク

ホイッスル・イン・ザ・ダーク

劇団俳小

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2013/04/03 (水) ~ 2013/04/07 (日)公演終了

満足度★★★

何を想像するか
 アイルランドの気違いじみた一家族の物語。他のファミリーとの抗争を背景にイングランドとの確執を描いた作品だが、トマス・マーフィーが、何故、このような作品を描いたのかを想像してみた。タイトルも意味深長である。

ネタバレBOX

 現在の世界の国際紛争は、英国の植民地支配による悪影響が原因となっているものが、殆ど総てと言っても良い。無論、フランスもかなり関与している。幾つか例を挙げれば、パレスチナ問題は、英国の三枚舌外交が齎した結果だし、インド、パキスタン、バングラデッシュ問題、フォークランド問題、イラク、クウェート問題、シリア、レバノン問題等々、枚挙にいとまが無い。第二次世界大戦後で言えば、アメリカが世界の悪をイギリスから引き継いだわけだ。
 一方、名誉革命など、革命とは名ばかりの表層再編で、為政者の権力維持はそのままに、勃興した新興勢力たるブルジョアジーを取り込んで懐柔しただけの茶番がまかり通るのもイギリス流というわけであろう。大衆のガス抜きには、談論風発の議論をさせるなど、中々にしたたかではあるものの、狡猾そのものでもあるようなブリテンに対し、アイルランドは、矢張り被支配、被差別の関係に置かれて来たと言ってよかろう。 
 このような背景を考えなければカーニー家の気違いじみた振る舞いは理解し難いのではないだろうか? 即ち、ここに在るのは、支配・被支配と差別の関係である。そのことが、人々個々人の生活にも歪を齎しているのだ。
 因みにアメリカに渡ったケネディー家は、アイルランド系であるが、競争するとなれば、例え兄弟同志であっても一切手加減を加えず、時には大怪我をするようなこともあったと言う。英国を引き継いだアメリカで、それほど、自らを奮い立たせることによってしか、他者に対抗できないと考えることこそ、アイルランド的と言い得、そのようにしてしかイングランドに対抗し得ないのであったとしたら、またIRAの長い抵抗運動を見るならば、そこでこそ、この作品の意味する所が見えてくるのではないだろうか。
うそつき

うそつき

踊れ場

RAFT(東京都)

2013/04/03 (水) ~ 2013/04/08 (月)公演終了

満足度★★★

静脈バージョン
 会場のサイズを考えながら科白を言って欲しい。がなり立てる必要は無いにも関わらず、何故、そんなに大声を出すのか? その辺りの配慮は役者のみならず、演出も気付くべきだろう。ギーコ役は特に不必要に大きい声で喋った。また、開始早々、ナイルとスランプは、サングラスを掛けているが、あれも必然性はあるまい。砂漠を象徴するのであれば、ずっと使用しているべきである。

ネタバレBOX

  ギーコ、スランプ、ナイル、三人が暮らすカルタゴ・ノヴァは、カルタゴの町外れにあるガソリンスタンド兼軽食屋だ。スランプの作るクッキーは評判が良い。
 然し、カルタゴは隣国と数次に亘る戦争をしてきた。ここ数年、沈静化していたが、またもやきな臭い臭いが立ち込めてきた。そんな折も折、ギーコを訪ねて板垣という男がやって来た。貸していた金を返して欲しいと言うのだが、偶々、ギーコは不在で板垣と名乗る男の言っていることが本当かどうかも分からない。そうこうしているうちにギーコが帰ってくるが、板垣の顔を知らない、と言う。板垣は、自分の顔が変わった理由を説明するが。
 10年前、アメリカがイラク戦争を開始するにあたり、大量破壊兵器を持っていないことを証明せよ、と迫ったことがあった。それと似た問いを板垣は突きつけられているのだなどと考えながら観た。
人魚の薬 -雲の上編 海の底編-

人魚の薬 -雲の上編 海の底編-

たすいち

シアター風姿花伝(東京都)

2013/04/01 (月) ~ 2013/04/07 (日)公演終了

満足度★★★

雲の上編(過去)
 雲の上編【過去】を拝見。基本的には赤井家の娘、花の成長記だ。そこに、人魚と人魚に100年前助けられた女が絡んでくるのだが、序盤で、この関係を繋ぐ有機的連関が描かれなかった点で、観客の興味は醒めかけてしまった。奇天烈な発想なのだからこの点は、きちんと序盤で示しておくべきだろう。
 一方、中盤以降は前記の不手際にも拘わらず、まずまずの展開を見せた。ところで、ホムンキュロスが自らの出自を語る場面で、シナリオの間違いか役者の言い間違いかは分からないが、明らかに間違った日本語を使っていた、語尾の活用を間違えていたと記憶している。こういう点は些細であっても気をつけて欲しい。

シュワロヴィッツの魔法使い

シュワロヴィッツの魔法使い

メガバックスコレクション

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2013/03/29 (金) ~ 2013/04/07 (日)公演終了

満足度★★★★

優れた脚本、演出
 謎が幾層にも重ねられ、其々に底意があって、劇の進展に応じて一つずつ明かされてゆくので、観客は推理を楽しむことができ、飽きさせない。
口上役の、劇にぴったり嵌った述べ方が良い。声の質、音量も適切で上手い。シナリオがしっかりしており、論理的で説得力がある。役者間の連携が良いので何故かと思っていたら、舞台セットの埠頭部分は、劇団員皆で作ったという。それで、息が合っているのだ、と納得した。
今回、拝見した作品は、魔法使い4世代、2000年に亘る歴史の一部分ということである。他のパートも是非観たい。そう思わせる内容であった。

 難破船が、シュワロヴィッツの島に漂着した。乗組員を上陸させるか否か。一悶着あるが、武器を預け、埠頭からは出ないことを条件に島民は、乗組員の上陸を認める。だが、島民たちには、秘密があった。そして、船が遭難したのも、実は、呼び寄せられたのだ、と言う。誰が、何の為に。
更に、物語が進行するに連れて、一つ、また一つ、と真実が明らかにされてゆく。そのどれもが、奇想天外である。謎を明かせば観劇の楽しみを著しく損なうので種明かしはしない。だが、実に手の込んだ、面白くまた、筋の通った作品である。

ゼガヒデモ

ゼガヒデモ

Guesspell Project

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2013/03/27 (水) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

満足度★★★

視覚的
 非バージョンを観た。お笑いというと、自分達の世代はもっと言語感覚に訴えるものを想像していたが、TVの影響だろうか。視覚的要素が強い。川柳や狂歌を下敷きにしたような、言語センスを活かした作品が極端に少ないのも、或いはこのような伝統芸と対峙するような芸が見られなかったのも、芸人の振りをしてはいても、漫然と受け身で生きていて、ものをキチンと見もしなければ聞いてもいないので、ただ流行りの視覚的遊戯に埋没し、過去の作品を活かし現在をも活かしむるような作品が上がってこないのだろう。
 落ちが丸見えという笑いにならないレベルのものも多く、これで、芸というのはいかがなものか? とは思う。
 ストーリーのある演劇仕立ての作品も、一定、言いたいことを表しているし、その志も分からなくは無いのだが、こちらも、視覚的要素やアクションに安易に逃れ、伝統的な笑いの芸や過去の偉大な作品に通暁していないので、対決もしていない。その結果、芸が浅い。

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