泣き方を忘れた老人は博物館でミルとフィーユの夢をみる(爆撃の音を聞きながら) 公演情報 おぼんろ「泣き方を忘れた老人は博物館でミルとフィーユの夢をみる(爆撃の音を聞きながら)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    魔法
     “おぼんろ”の身軽さ、軽みについて考えながら観た。我らの時代、我らの国で、夢を語ることは、それが真剣であればあるほど、阿保らしいことだ。だが、物語という形式でこの嘘を詩的に、一所懸命に構築することによって、この行為は歌舞くという我らの伝統に繋がり、人々の心の奥底に眠っている大切なものを目覚めさせる。
     身体能力の高さ、選曲のセンス、塵から生まれたダンディな装いの美も見事。更に、間の取り方、当意即妙のアドリブ、観察力とそれをベースにした意表を衝く返答のセンスと軽みは、路上演劇で鍛えた靭さを持つ。組織の力も、温室の穏やかさも借りず、ここ迄やってきた力は本物である。更なる飛躍を期待できる。

    ネタバレBOX

     時は東西内戦も終結した後ではあるが、未だ小競り合いが続くのか、爆撃の音が聞こえる。そこへ地雷を何度も踏み、空爆も受けた老人がやってくる。そんな目に遭いながら、老人は、自分が生きていることをいぶかしむ。然し、彼は自分が誰なのか記憶を失くしている。彼は、おぼんろのファンで自分は生の舞台を観ていないという思いに駆られ、交霊術を用いておぼんろのメンバーを呼び出し、かつての作品を上演して貰う。作品に登場するキャラクターは、ホログラムである。フィーユは、夢を見ている。夢の中で彼は、何か大切なものを失くしてしまった。だが、それが何か分からずに泣いており、当初は、泣いているのが自分だとも気付かない状態であった。一方、ミルはフィーユが大切にしていた人形だが、何百万回かの夢の中に再び現れてフィーユと邂逅し、涙を齎す夢から脱出する為に新たな夢を探しに出掛ける。その過程で彼らは、交霊術を頼んだ、老人と出会うが、彼はサイボーグ化されている為に、百数十年を生き延びて来たのだった。そして、彼がおぼんろに惹きつけられるのは、彼自身がそのメンバーであったことが、分かる。
     無論、これで終わりではない。が、おぼんろの掛ける魔法には、会場で出会って欲しい。

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    2013/04/08 17:48

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