幕末ノ丘 公演情報 神田時来組「幕末ノ丘」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    アイロニー
     岡田以蔵、鉄蔵兄弟は、武士階級の間でも差別の酷かった土佐足軽出身の兄弟だ。以蔵は剣の達人。所謂人切り以蔵であり、弟は、算術などに長ける。仲の良い貧しい兄弟である。一方、原田左之助も武士を目指し、新撰組に入隊。土方を凌ぐほど強いと考えられているが、人を斬るのが嫌いである。ともあれ、三人ともいっぱしの武士を目指していた。

    ネタバレBOX

     この三人の出会いは、琴が、会津藩主、松平 容保に見合・腰入れするのを嫌がって逃げて来た時、縁あって知り合い、以来、琴を含めた四人は身分の違いを越え、立場を越えた親密な情で繋がれてゆく。
     神田時来組は5年来喜劇的な作品を扱ってきたようであるが、今回は作劇の基本的なスタンスを下級士族・農民(新撰組メンバーが、ほぼ農民出身であったことを思うべきである)に置き、時代の奔流に立ち向かおうとする岡田兄弟、原田の友情を中心に据え、新撰組と土佐勤王党対立の歴史を描いたことで、彼らの知的レベルの限界とその悲しむべき末路を活写して哀れを誘う、一見シリアスな作に挑んだように見せている。だが、”ええじゃないか”の騒ぎを取り込むことで、時代の閉塞感に対する庶民の、これまた無効なムーブメントを伝えて、喜劇を演じて来た者の批評精神を垣間見せる。土方が、函館でなく京都で殺されてしまうのはどうかとも思うが、まあ、良かろう。
     肝心なことは、同じ下級武士出身者でも、坂本 龍馬を頭は切れるがプラグマティックな悪党として描いていることだろう。また土方 歳三も豪農出身の悪党として描かれている。成り上がる者は、相当な切れ者でもノブリス オブリージュの発想すら無いという点で、矢張り育ちをからかわれる余地があり、この点に喜劇性が在るのだ。言う迄もないが、アイロニーもまた、おちょくりであり、世の中を笑い飛ばす方法である。逆に、このような点を垣間見せることによってこの作品は、虚構を用いて、現代にも通用する本質を抉り出している。
     他にも喜劇的な要素はいくつもある。左ノ助と琴の逢瀬のシーンに”ええじゃないか”の邪魔が入るシーンなども、箍を外す基本である。また、殺陣や所作、和服の着こなしなど、役者が演じる部分はきちんとしているのに、階段部分を敢えて工事現場の足場で組んでみたり、後半、踊りのシーンで女優達が、上半身振袖なのに網タイツを履いて踊ったりするのも、現代にも通底する日本という国の前近代性をからかっているのだろう。
    左ノ助臨終の際の科白にこんなのがあった。「右腕に鉛の玉が入って、抑えていないと傷口が直ぐ開く云々」これは、日本の近世が、欧米近代文明に破れる様を端的に凝縮した表現だろう。まして、右腕は、大抵の人にとって利き腕だ。失われた20年、原発問題、普天間、オスプレイ配備、TPPの顛末を見る迄もなく、現代日本の政治、司法、マスコミ、官僚、御用学者の馬鹿らしさ、やられっぱなしの無能を見ても、この作品の描いたアイロニーは、日本を穿っていると見て良い。今こそ、我々は、アメリカの犬、「エリート」を排除し、新しい価値感に基づく、自由で斬新なシステムを作り上げねばなるまい。

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    2013/04/13 23:02

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