ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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短編集 幻獣の書

短編集 幻獣の書

楼蘭

新宿眼科画廊(東京都)

2013/10/11 (金) ~ 2013/10/16 (水)公演終了

満足度★★★★

アンタッチャブル
 ダリットの視点から、世界を観てみようとの念が伝わってくる作品だ。ダリットとは、インドの最下層民、不可触賤民と訳される人々である。未だに上位カーストの者から、性の玩具にされても抗う術を持たない。実際、抗議した者の家に火が掛けられ、焼き殺された者もあると聞く。
 虐げられた者たちの悲しい生き方として、親が子を態々不具にして、物乞いをさせるなどということもある。インドで、アウトカーストの彼らに人権を認めようとする運動が盛り上がった時、最も、抵抗した者らの中にこの階層出身者が多かったことも事実だと、インドに嵌っている友人から聞いたことがある。
 ところで、何故、楼蘭が、彼らの視座に拘るか、というと、どんなに煌びやかな衣装をまとい、スポットライトを浴びることがあろうと、芸能者の原点には、河原乞食という原点があるから、その視点を忘れたくない、ということなのだろう。その謙虚な姿勢に好感を覚えると同時に、芸事という道の険しさ、厳しさを改めて見せられた。
 と同時に、芸能の源流には、もう一つのことがあるように思う。それは、所謂ハレの儀式でヒトが神々と交流する為に酒を汲み、舞など舞って非日常の時空を過ごす風習である。
 ハレの対概念としてケがある。その両者が相俟って芸能の原型が出来たのだとしたら、芸能は、その初源に於いて既に演劇的であったと言わねばならない。原点を見失って、只表層をエパーブよろしく漂うだけの、商業的出し物も多くみられるように思う昨今、原点に戻って、じっくり本質を考えようとする熱意と誠意、出演陣の熱演を評価する。

Clash Point

Clash Point

劇団スクランブル

シアター711(東京都)

2013/10/09 (水) ~ 2013/10/13 (日)公演終了

満足度★★★

知的は痴的?
 男も女も本能には逆らえない、ということか? どんなに気取ってみた所で、所詮、動物。唯、一夫一婦制というのは、生き物の中で決して多くはあるまい。
 一夫多妻にしても、それらを制度化するのは、矢張り人間だけだろう。何れにせよ、こういう制度が成立してしまって以降、制度に反すること、倫理に反することは、恐らく心理的快感をプラスするスパイスとして働いているのだろう。
 だから、嫉妬という感情が野暮だとして排斥されるのだ。それが、この遊びを損なう、恐らく唯一の本質的事象であるから。
基本的に、浮気の話なので、当然、嫉妬の問題は避けている。その代わりと言っては何だが、ペーソスやアイロニー、コミカルな部分は健在だ。

蝦夷地別件

蝦夷地別件

ピープルシアター

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2013/10/10 (木) ~ 2013/10/16 (水)公演終了

満足度★★★★★

手に汗握る切れと迫力
 単行本で上下二段組み、1150ページ余の大作である、船戸 与一の傑作「蝦夷地別件」を約2時間半の上演に纏めた演出の手際、力量は、流石に作家本人から全作品舞台化可能のお墨付きを得ているだけの内容である。シーン、シーンを細分化して、切れを良くし、スピード感、迫力、関係性、各シーン同士の鬩ぎ合いによるエッジの立ち方迄、その本質を見つつ調整されている。無論、評価すべきは演出のみに非ず。原作の良さ、役者陣のレベルの高さ、無駄を削ぎ、空間を活かした舞台美術、音響、鋭角的な照明など、総てがマッチした結果の迫力である。(追記2013.10.16)

ネタバレBOX

 内容については原作に当たって欲しいが、長大な原作を舞台化する為に、切った部分、否、切らざるを得なかった部分がある。だが、作品の本質をそれで失ってしまうようでは本末転倒である。演出の森井氏が巧みな点は、作品の本質を深く抉り、見事にそれを舞台表現に昇華させる点である。無論、その為に、役者、舞台美術、音響効果、鋭角的な照明などにも工夫が凝らされ、飽きさせない。だが、更に長時間の上演が可能な条件が整えば、入れたかったシーンは無論在る。その代表的なものを一つ挙げておこう。その人物とは、ポーランド貴族出身の武器商人、マホウスキである。蜂起を目指したウタリ達に届くハズだった銃300丁は、彼の死によって頓挫したのだ。その彼の作品内での重要性を示す為もあって、音楽は西洋音楽を用いている。役者陣の演技の質も当然高い。二宮氏の厚みと柔軟性のある演技は、無論のこと、ピープルシアター重鎮の演技は健在である。コトウロレナは、部分的に自己表出を任される迄に成長。デビュー当時からの研究熱心と感の良さで、しなやかな感性に磨きが掛かった。若手では、籠嶋君が後ろ姿でも表現ができるようになったし、西丸君の演技も籠嶋君に負けない頑張りを見せる。但し、少し遊びを持っても良いかも知れぬ。
 また今作で、自分は、いしだ壱成が初めて良く観えた。長い修練の期間を経て、漸く再開花する兆しであって欲しい。何れにせよ、彼のこれ以降の舞台生活にとって大事な舞台になったことは確かだろう。
 演出、プロデュースの森井 睦氏が、常日頃から心がけていることも効を奏していると考えて良かろう。劇団の責任者として当然と言えばそれまでだが、実際にしっかりした後継者を育ててゆくことは並大抵のことではない。
これに応えてベテラン陣も更に高度な俳優術を熱心、謙虚に研究しているし、中堅にして、後ろ姿で演じ、華のある若手も貪欲な迄に己を磨いている。裏を支えるスタッフもしっかりしており、今後も目の離せない劇団である。当然のことながら、この劇団のチャレンジングな性格も評価しておくべきだろう。
青いユートピア

青いユートピア

ビニヰルテアタア

ギャラリーLE DECO(東京都)

2013/10/09 (水) ~ 2013/10/12 (土)公演終了

満足度★★★

fragments
 ファンタジーやファンタージェン、旧約聖書的な世界観に、男と女を一旦解体した上でfragments集成として再提示するという手法は、無論、詩のテクニックの一つとして想像力を図式的に掻き立てることのできる方法である。

ネタバレBOX

 詩と演劇やファンタジーの類似性を今更あげつらう必要はないが、今作で提示されていることは、世界の表層の反映であり、作品は一種の鏡であるにしても、水鏡位にはしてほしい。何が言いたいかというと、深みが欲しいと言っているのだ。今作が示唆しているのは、胎内回帰願望という退嬰的願望だろう。即ち、思考の退化である。現在程、危機的な状況は無いのに、それを真正面から見ることを拒み、退行して行く自分の心象を甘やかす為に、持ち合わせている知識でアリバイを作っているのだ。もう少し、自分の位置を深く掘り下げてみて欲しい。世界がブルーなのは、退行しているからだ。
おはようございミンミンミン!

おはようございミンミンミン!

おぼんろ

いちカフェ(東京都)

2013/10/04 (金) ~ 2013/10/11 (金)公演終了

満足度★★★★

大人の童心も擽る
 子供向けに作ったという姿勢が、警戒感を解き、拓馬の持っている素の形が素直に現れて効を奏した。実際、会場内には、1歳2カ月の子が居て、時々挙げる声や、様々な反応は上々のものであったし、空間的な狭さが、濃密な時空間への遷移を容易にしたのも事実だろう。警戒感を解いたことから、物語の本質的展開に沿って作品を書くという行為が満遍なく可能になっていたことも見逃せない。結果、その展開は、観客の予想を上手に裏切りながら、話を膨らませ、物語の本質をキチンと顕在化させていた。

百花繚乱 花街仇討絵巻

百花繚乱 花街仇討絵巻

Love♪Panic

高田馬場ラビネスト(東京都)

2013/10/08 (火) ~ 2013/10/12 (土)公演終了

満足度★★★

演出は、もっと勉強すべし
 宵組を拝見。シナリオは原作が因縁めいたものなのだと想像される。それなりに面白い内容だ。然し、演者が、役作りをその内面から行っているとは思えない。役者の年齢・経験に応じて、無論、力は、異なるのだが、若手は、踊りも役作りもまだまだ未熟の域を出ない。
 踊りについては、動作を切るべき所でキチンと止めていなかったり、スピンした後ぐらついたり、踊り以前に基礎体力をもう少しつける必要のある者も居た。腰から下を安定させ、大地を足の裏で掴むくらいの心構えで踊る必要があるのではないか? 上半身や、手を使うことが多いように見える日本舞踊でも、腰から下が安定しなければ、踊りにならない。まして、リーフレットには、廓の踊り上手という設定になっているのだから、基本はきちんと押さえておくべきである。廓と雖も、其処で上位を占める者たちは、三味や踊り、政治や経済についても一通り以上のことを知った上で、色里の住人として生きていたのである。こういう世界に対する認識ももっと深めるべきだろう。
 演出は、以上のことも考えながら、演出をつけて欲しい。その為の演出である。

サラ金へおいでよ

サラ金へおいでよ

劇団チキンハート

新宿シアターモリエール(東京都)

2013/10/03 (木) ~ 2013/10/09 (水)公演終了

満足度★★★

たたき台
 シナリオのストーリー展開に意外性がなく、恐らく演出家は、形にしようと努めているレベルだ。然し、演劇の一つの極北は、役者が、演ずるキャラクターに憑依されることだろう。つか こうへいの作品は、恐らくそれを目指していた。実際、現在、残るつかの口立てによる演出を受けた作品群を観るとそれが、感じられるのである。
 以上のような意味で今作出演者を観ると、誰一人、役に憑依されてはいなかった。おまけに、ストーリー展開をどんどん先読みできてしまうので作品を長く感じたのも事実。作品のコアについて、演技のコアについて、そして演劇とは何かについて根本的に考え直してみる時期に差し掛かっているのではないか? 今迄には無かったタイプの作品を演じた初回であるという。更に研鑽を積んで、新たな地平に立って作品に取り組んで貰いたい。

伯爵のおるすばん

伯爵のおるすばん

Mrs.fictions

サンモールスタジオ(東京都)

2013/10/07 (月) ~ 2013/10/14 (月)公演終了

満足度★★★★

爽やかの中に懐かしさ
 何故、こんなにも懐かしいような感じがするのだろう? 確かに爽やかな中にも心に沁みる作品ではある。然し、それだけでこれ程、懐旧の情を催すだろうか? 無論、そのようなことは無い。

ネタバレBOX

 伯爵と綽名された主人公は、物語では56億年を既に生きている。その中で、18世紀のフランス革命前夜からが、彼に恋の遍歴を刻む。都合、4人の女、1人の男と恋仲になる。尤も、最初の2人の女は、1人は主人を持つマダム、1人は、女子高生で自分の学校の生徒であった。2人目の女は体が弱く、漸く20歳を超えた頃に他界してしまった。その体の弱い彼女が、高校時代、伯爵に好意の在ることを告白し、卒業証書を貰った日、伯爵の答えを訊きに来たのだ。そして、迎えに来てほしいと頼む。待っているから、と。体が、弱いから、なるべく早く、と。この高校生、ひよ子との恋が、ハイライトだろうか。演じている女優の清潔感と感性の良さが伝わってくる。相楽樹という女優だ。
 因みに、ブルボン家の奥方やひよ子と伯爵との関係はプラトニックである。3人目に何故、ヘテロの彼が男の恋人を持ったか、ということであるが、ひよ子に、「自分以外の人は好きにならないで」と言われ「そうする」と約束をしていたから、女性との恋を自らに禁じていたのである。その後、更に2人の女性と恋に落ち、最後の女性は健在である。56億年に5人の人と恋に落ちた、とは言っても地球誕生45億年頃からであるから、実質、11億年。2億2千万年に一度、本気の恋をしている計算になる。まあ、野暮な計算だが。
 伯爵を演じた岡野 康弘もいい。劇の進行につれて、段々、良い顔に見えてくるのだ。
 今作については余り理屈をこねる気がしない。観て感じて欲しい舞台である。
 ところで、伯爵は、とても普通の人である。長生きであることの他は。だから、あなたの横に何食わぬ顔で居るかも知れない! ほら、そこ、直ぐ隣に!!
Hanger Boy

Hanger Boy

おぼんろ

レンタルスペース+カフェ 兎亭(東京都)

2013/09/16 (月) ~ 2013/10/08 (火)公演終了

満足度★★★

コクーンを目指すなら
 衣装やメイクのセンスが素晴らしい。音響、照明も効果的だ。話の内容としては、やや単調に過ぎた。リリックではあったが。こういう作品なら稲垣 足穂流のテイストを出すのも面白いかも知れない。口上の言い方、論理の展開も上手い。パフォーマンスも上手だ。然し、イマイチ、インパクトが弱い。
 言葉に比重を掛けるより、身体そのもの、存在そのものを叩きつけるような荒々しさがあっても良い。それから、コクーンを目指すなら、ただ、倍々云々ではなく、チケットが入手しにくい飢餓感を、観客が持つような発売方式も考えるべきだろう。そういうテクニックも必要である。コクーンを目指す、ということで今回の評価は少し厳しい。頑張れ!!

ネタバレBOX

 随分先の未来の話。鉱山の地下で掘削用に作られたX2号は、長年の就労でポンコツ化。スクラップに出されるが、すんでの所で主人に買い取られる。だが、ローラーで片足を潰されかけた為、片足は不自由だ。主人は画家で大邸宅に住んでいるが、X2号の仕事は、主人の脱ぎ散らかした衣類を自らがハンガーになって管理することである。
 製造されて初めて地上に出た時には、色のある世界や太陽の眩しさ、月の冷たく銀色に光る美しさに感動したX2だったが、主人が出掛けている間も退屈はしない。たくさんの絵を見たり、主人との会話を思い出したりして時を過ごすからだ。主人との約束は、クローゼットを開けないことだ。暫くは、平穏な時が続き、徐々に、この生活にも馴染んできたX2だったが、或る時、ドーンと物凄い音がして、邸が身震いした。主人は、これは、月の寿命が尽きて、向こうの山の裏側へ落ちる音だと説明してくれた。同時に、窓のカーテンは締め切ろうとも。X2はおとなしく主人の言う通りにした。主人の描いた絵には、山の向こうの景色もあった。大きな丸いものの傍に馬が居た。X2はこの絵が好きで、丸い物は何なのかを訊ねた。それは、死んだ月なのだということだった。
 ある時、主人は、山の向こうへ出掛けなければならないと告げた。餞別に赤い衣を呉れた。ロボットに寒暖は余り関係ないのだが。
 ところで、月は何故落ちてくるのか? ずっと始めのうちは静かだったのに。そんなことを考えていたX2号はある時、机に突っ伏して泣いている主人を見た。月が落ちた。それで彼には、主人が泣くことが、月が落ちる原因だと納得されたわけである。
 主人が出掛けて長い時が経った。月は、益々、良く落ちるようになっていた。そして、終に月は邸を直撃した。邸の壁、天井は崩れ落ち、X2も下敷きになったが、大した故障もなく抜け出すことが出来た。だが、邸は崩れて殆ど瓦礫と化していた。その中に、クローゼットが見えた。X2はクローゼットを覘いて見た。其処に在ったのは、ハンガーに掛けられた主人の服だった。
 目を外側に転じると、其処は、大きな鉄の残骸が散乱する荒野で、所々、炎をその赤い舌を延ばしており、主人が出掛けた時と同じ服を着た人間が、赤いオイルを流しながら倒れていた。時折、ダダダダダッというような音も聞こえる。彼は、不思議な事に寒さを感じるようになっていたが、主人を探しに山の向こうへ出掛けることにした。主人が寒がっていたら、貰った衣を主人に着せてやろう、と。「ああ、面倒臭え!」
小豆洗い-泥を喰らう-

小豆洗い-泥を喰らう-

鬼の居ぬ間に

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2013/10/03 (木) ~ 2013/10/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

新たな才能発見
 シナリオ、演出、舞台美術、演技、キャスティング、音響、照明、どれをとっても素晴らしい出来。見事。

ネタバレBOX

 安住屋は、村で老舗の大福屋。その大福の味は好評を得て既に四代目。家族的な経営で、従業員にも家族同然の態度で接する為、従業員にとっても働き易い職場である。四代目を継いだのは啓一郎、妹の涼は、控え目の楚々とした美人で、兄よりしっかり者だが、最近、隣村の醤油屋、越路 鉱幸との見合い話が持ち上がっている。安住家の両親は既に他界しているので、啓一郎が親代わりであもある。鉱幸は、一代で財を為した遣り手の実業家で、啓一郎の話では理知的で繊細さも併せ持ち、妹を幸せにできそうだという話である。涼は一度会ってみて嫌なら断る、ということで話がまとまる。
 結局、二人は結婚することとなったが、一緒になってみると、鉱幸は、外面は非常によいものの、居丈高で粗暴、妻にも暴力を振るうような男であった。而も、涼と結婚した目的は他にあった。それは、村社会という狭く排他的で姑息な社会で経済人としてのし上がって行く為の確実ではあるが、下司な方法であった。即ち、目をつけた先の娘を女房として迎え、彼女の実家の家業を乗っ取るのである。そしてその方法とは、女房を監禁して、筆記具など連絡手段を総て取り上げ、実家との連絡を断った上で、実家からの連絡も閉ざし、妻の実家には、自らのスパイを送り込んで、情報収集と役立ちそうな資料を盗ませる。手強いとなれば、スパイに潜り込ませた先の誰彼と寝ることを強制して目的を達した。折を見計らって役人を賄賂や贈答品、色仕掛けで誑かして妻の実家にあらぬ不評を立てさせ、売上を落としておいて、共同経営の話を持ち掛けた上で、最後には、スパイに店の潰れるような失態を仕組ませ、これを役人に公式の事件として立件するように仕組む。狭い村落共同体でこんなことをやられたら、潰れるしかない。こんなことを仕組んで、一代で財を築いたのだが、それが、2店舗目を出した時の話、涼の場合は3店目である。因みに最初の妻は自殺に追い込まれている。
 然し、涼は、最初の妻ほどひ弱ではなかった。而も利用するだけの存在であったはずの涼に鉱幸は惚れていたのだ。彼女の美貌のせいだろうか? 或いは、物腰のせいだろうか? それとも隠している頭の良さのせいであるか? 何れにせよ、2店舗目を乗っ取ったのと基本的には同じ遣り方で安住屋乗っ取りを図ったのだが、そしてそれはまんまと成功したのだが。涼は、妊娠していた。而も、鉱幸は立たないのである。腹の子の親が誰か、鉱幸は涼に迫るが、彼女は口を決して割らない。鉱幸の暴力が激しくなり終には、涼を絞め殺してしまう。鉱幸の負けである。涼は、最後まで、論理で通した。論理に勝つのは論理のみである。だが、鉱幸は暴力を振るい而も彼女を殺して永久に勝つチャンスを失ったのである。それが、彼女の復讐であった。実際、誰の子であるのかは分からない。然し、候補は何人か居る。1人は、啓一郎、1人は利之助、鉱幸の悪辣さを思えば、役人の重松の線も考えられる。男性として機能しない彼は、歪んだ形でしか、その愛を表現できなかったからでもある。そして、恐らく、彼の子供っぽい人間性は己の地獄を何とかする為には、愛する者や周りの者総てを自分と同じ地獄に引きずり込むこと。それだけが、慰めだったのであろう。この意味でも、涼は、鉱幸に完全勝利しているのである。彼女は、最後まで、人間的に生き、そして亡くなったのであるから。そして、鉱幸は、狂った!
 ところで、何故、今、この作品を掛けたのだろう? 自分は、或る意味、日米関係を考えながら観ていた。今の日本に涼と比べられるような政治家は、無論、存在しないが、TPPといい、原発偽装といい、日米安保強化といい、秘密保護法といい、アメリカの完全植民地化へ向けて益々、歯止めを効かなくさせている売国奴、安倍、石破等の下司は、アメリカをこの物語の鉱幸とするならば、ミニ鉱幸として機能している売国奴そのものである。亡国を知らざれば、これ即ち亡国、と嘗て田中正造が喝破したが、人間的な誇りを最後迄捨てなかった涼が、日本の伝統に則った妖怪なり、幽霊なりと同じようにその無辜性と論理によって力ある者を打ち負かしたように、今、我々の為すべきは、この売国奴どもを、我らの理性と正気によって狂気に沈め、二度と浮かび上がらせないことである。
「幕末千本桜」

「幕末千本桜」

劇団アニマル王子

ブディストホール(東京都)

2013/10/02 (水) ~ 2013/10/06 (日)公演終了

満足度★★★★

幕末顧みて武士の世
 桜田門外の変(1860)から7年後の慶応3年尊王攘夷、勤王佐幕両派は、蛤御門の変(1864)を経て薩摩藩出身の策士、大久保 利通は、土佐出身の浪人、中岡 慎太郎と共に京を離れ、江戸へ出向いていた。一方、中岡の盟友である龍馬も江戸へ出、身分を隠して、民衆を如何に扇動・先導するかについての考えを巡らしていた。

ネタバレBOX

 そんな折も折、両国の暴れん坊鬼若 獅童が、単身、大勢のヤクザと立ち回りを演じ大怪我をして動けなくなっている所を通りかかった御典医、桂川 周の娘、一縷は獅童を救うことになった。彼女は、蛤御門の変で、幕府方の患者しか診ようとしない母に反発、敵味方の区別なく治療を施すような娘で身分制度にまだまだがんじがらめになっていて時代にあって突出した娘であった。こんな経緯から母は、彼女を勘当したのだった。彼女は、獅童達の溜まる万屋の仲間になる。ここには、新たな仲間も加わることになった。蛤御門の変以降、荒れ果てた京都では、ゴロツキと化した元武士が、町民を襲い、犯し、略奪し、街を荒廃させていたのである。妹の身を案じた兄は、兄妹で江戸に逃れることを決意、流れてきたのであった。
 万屋の中心に居る若者達は、才谷という偽名を使って潜伏している龍馬から、何だかんだと薫陶を受けている。その結果、当時、最先端の思想、民主主義の萌芽を彼らも理解していた。戦乱に筧を乱されるのは、何も敗軍ばかりではない。最も大きな被害を受け続けているのが、民衆なのである。彼らは、実際、戦乱の世にも、戦費を調達する為の増税にもウンザリしていたのだ。それで、仲間を集めて、15代将軍、慶喜に訴えようとする。具体的には、一種のデモである、ええじゃないかを組織する。
 そして、その決行の日、大久保の陰謀によって、英国の武器商人、グラバーと銃五百丁の取引をしたとされた、ええじゃないか一行は、幕府側ではあっても民衆からも人望の厚かった幕府組頭、滝川 信明配下の将軍護衛警護が銃を構える中に突入して行き、先頭に立って檄を飛ばしていた獅童が撃たれる。彼は、一縷を置いて死んでしまう。一縷の深い嘆きが、彼女を過去に連れ去った。その過去とは、武家政権が成り立つ揺籃期である。
 二幕、場面変わって、時は遡り、千百年代、源 頼朝が鎌倉幕府を創設するに至った時代へ飛んだ一縷は、五条の橋の上で弁慶と対峙、彼を下して、生涯の友とも、一の家来とも為すが、弁慶即ち、獅童。幕末、一縷は獅童を愛していた。相思相愛の恋仲である。為に一縷は時代を遡り、武家政権成立の時代へ飛んだのだ。そして、五条の橋の上で千振り目の刀を奪おうとした弁慶に出会うのだ。義経と化した一縷と最も関係の深いのは無論、弁慶である。彼は、義経を守る為に己を鬼神とも化した人物。その気持ちは、獅童そのものである。時代を隔てながらも、義経・一縷と弁慶・獅童は、互いの時代を超えた関係を理解し合っている。他にも、敵味方に分かれたとは言え、主要なキャラクターは、皆、過去に飛来してきている。例えば、才谷こと龍馬は、平家方和平派に成っている。動乱の幕末の歴史勝海舟と共に担おうとした役割自体は変わらず、時代が変わっただけというような設定になっている。無論、それが、一種の輪廻転生になっているのではあろうが。シナリオはそれなりに、面白く展開する。二幕は、それなりに役者のエンジンも掛かって来て楽しめた。
 それでも、演出、役者の演技は、幼い。残念である。演出レベルでは、一幕のオープニングで、観客に驚きを仕掛けていない。漫然と役者が入ってくるだけである。これが、今作の舞台では演じられなかった、その後の戦乱そのもののシーン(例えば蛤御門の変など)に繋がるならまだしも、そのような展開もなく、只、漫然と始まる舞台など、自分には、信じられない。観客は日常の生活空間の中から劇場に足を運ぶのだ。いきなり舞台に引き込む工夫をしないでどうするのだ? 
 役者陣の演技も、溜めが無い。若いとは言っても演じるのは、少なくとも16歳では元服する時代の人物達だろう。(元服する年代は時代によって異なるが)現代の明らかに子供じみたレベルで演ずるのは間違いである。演出も、この程度のことは常識の範囲なのだから、きちんとダメダシをすべきである。シナリオが時代劇である以上、当然だろう。
 10周年は一区切り、益々の精進を期待すると共に、自由なイマジネーションの翼を広げる戦いは継続して欲しい。若い人々の活躍を祈念して、星は4つをつけておく。

素面  【全日完売御礼!!!】

素面 【全日完売御礼!!!】

劇団イノコリ

RAFT(東京都)

2013/10/01 (火) ~ 2013/10/06 (日)公演終了

満足度★★★★

家族
 敗戦で父権は完全に失墜した。いわば、それまで続いてきた、この国の家族制度の権威部分が完全に堕ちたのである。このことは、人々の人間関係にも変化を齎した。(追記2013.10.7)

ネタバレBOX

 それ迄、優勢であった父権に対して、母権が台頭したのが、結局は、戦後という時代であったのだろう。少なくとも家族の中心として母的なものを考えている点に、戦後68年を経た、この「被植民国家」の在り様が透けて見える。更に、父の家に、現在居るのは、同居人のあゆ。母ではなく占い師である。つまり、戦後、父権の失墜の後、長く続いた母権も今や怪しい。家族の要を失った登場人物達は、謂わばエパーヴとして漂っているだけだ。苦いスープのような世界の中を。
物語は、兄、里の借りているワンルームでDVDを見ながら料理番をしている妊婦、桃子のシーンから始まる。桃子は、里の彼女、梨恵の友人である。梨恵は、店長をしているので、客からのクレームがあると休日でも謝りに行かなければならないことがある。休日に里の部屋へ来て手料理を作っていたのだが、クレームをつけて来た客が「店長を呼べ」と食い下がるので店へ行った訳だ。
 だが、これは嘘である。梨恵に桃子の作るようなおいしい手料理は作れないのだが、彼女は梨恵の彼をとった、として梨恵から脅迫され、こんなことをしているのである。梨恵は、兎に角、完璧な彼女を演じたいのだ。
 ところで、里の所へは、人が集まる。友人の幸助は、毎日採れたての野菜を持ってくるし、桃子も梨恵の嘘がバレナイように頻繁に彼の部屋、おいしい野菜を求めて幸助の畑を訪れる。
 おまけに妹の亜美迄、家出をして来た。彼女の手下格の同居人、雄二とエキセントリックで革命的な事に憧れ、ハネているが、少し足りない千陽も一緒である。地方の大学へは、彼らの車で往復しているのだ。亜美の家出には、無論、訳がある。彼女は浮気相手の娘なのだが、成長するにつれて母に似てくる自分自身の肉体から自分自身を追い出したいような地獄に捉えられており、兄が実家を出てからは、ショックアブソーバーを失った父とどのように向き合ったらよいか分からないのである。
亜美が兄の部屋へ移って来てから、ベッドの下に寝そべっている所へ梨恵と桃子が入って来て彼らの秘密を話している。亜美は、総てを知ることになったが、梨恵が近いうちに、里と同棲を始めたがっていること。結婚も視野に入れていることも知って、梨恵を脅迫。策を弄して父や、最近、同居している占い師、あゆらと一堂に会し食事会を設定させた。無論、梨恵の手料理である。里にとっても、彼女を父とその同居人に紹介するチャンス。おまけに関係者全員揃うとなれば、渡りに船だ。
だが、この席で、亜美は桃子の作った料理にお茶を混ぜ、味を変えて梨恵に皆の前で作り直しを迫り、彼女の嘘を暴いてゆく。
シリアスな会食となったこの会で里の性格が空虚に過ぎない、などとシビアな事までが出てくるが。何も空虚なのは里ばかりではない。我ら総てが空虚なのだ、とのメッセージも聞こえてきそうだ。無論、主体性を奪われているからである。
風 -ふう-

風 -ふう-

劇団ZAPPA

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2013/09/28 (土) ~ 2013/10/06 (日)公演終了

満足度★★★★

バランスよし
 嵐版を拝見。新撰組の中で最も人気の高い沖田 総司。未だにその墓前には若い女性の手向ける花が絶えないことでも有名だが、その沖田をサヴァン症候群のクランケとして描いた特徴ある新撰組物語である。因みにサヴァン症候群とは、特定の分野で頗る優れた才能を示す人物が、他の知的分野で障害を負っている場合を指す。映画「レインマン」のモデルもそうであったし、今作では、沖田とよもぎがそうである。

ネタバレBOX

 ZAPPAの劇団としての優しさが、この登場人物達の描き方に現れているように思う。メインプロットで唯一の障害者である沖田を一人にしておかない配慮である。即ち、沖田の相方としてサブプロットで同じ症状を持つよもぎが登場することによって、沖田もよもぎも共に独り孤立しないで済むように配慮されていると見た。而も、年の近い若い男女として描かれている点に、この劇団の温かさを感じたのだ。
 総じて、幕末当時の関東の田舎者という新撰組中枢部の純朴と意地を、歴史的評価は兎も角、落ち目とはいえ未だ、権力・権威の象徴的総体では在り得た幕府の旧主派の差別意識に対抗する健全な精神として夢見ている点は、特徴的である。近藤 勇役の北崎 秀和の容貌も何処となく近藤本人に似たイメージのキャスティングだ。近藤は、宴会芸で拳をあんぐり開けた口の中に入れることができたと言われる。
 隋所に、近藤、土方、山南、沖田他、新撰組各隊隊長たちの微笑ましい人間関係を描き、派閥の異なる芹沢派を隊内の異論派・敵と見立て、勤王派を外部の敵として粛清するが、これに同郷出身のあさぎ、あかね、よもぎ姉妹を絡めて世話物的な広がりを持たせている辺りエンターテインメントとしてのバランスも良い。基本的に温かいシナリオだけに、歴史の歯車が否応なく回り、弱者を踏み潰して行く様が哀れである。(追記2013.10.7)
熱海殺人事件

熱海殺人事件

47ENGINE

タイニイアリス(東京都)

2013/10/03 (木) ~ 2013/10/08 (火)公演終了

満足度★★★★

つか演劇とは何か?
 ご存じ熱海殺人事件であるが、本当に諸君は、熱海殺人事件をご存じだろうか? こんなことを言うのも、無論、つか こうへいの作品には、基本的に台本が無いからである。前にも書いたが、彼は演劇の一回性を非常に意識した人であった。同じ物は、二度と演じられない。厳密に言えば、そうなのだ。その時の役者の体調、観客のレスポンス、トラブルなどの有無、事故の可能性、演出家の気分、ハプニング、科白や音だしのきっかけのトチリ等々、違ってしまう要素は無限にある。だから彼は、毎回、本番中であっても練習時間を長くとり、口立てなどという手間の掛かることをして、日々作品がより役者に合うように作り変えていったのである。だから、厳密には、まるっきり同じ舞台は存在していないのだ。
 今作も、かなり初期のバージョンを基に、それだけでは現在分かり難いと判断して、後期のバージョンをミックスして構成してある。従って、他のどこもやっていない形になっている。つかの作品は、だが、このような可能性を一定の条件つきで可能にする。
 では、その条件とは何か? 既に作家が鬼籍に入ってしまった以上、その答えは作品の中に求める他にあるまい。ズバリ、それは、役者の存在である。そう言い切ってしまって間違いないだろう。つか作品の特徴は、あの叩きつけるような、科白のシャワーである。そのパワーである。チャイコフスキーの大音響の只中、科白が聞こえようが、聞こえまいが口角泡を飛ばしてまくしたてる速射砲のような科白のシャワーで役者は己の存在そのものを舞台に観客に叩きつけてくる。その存在の熱さ、厚み、体重の総てを掛けて、観客に訴えてくるのだ。人間という生き物の持つ温かさ、ぬくもりを。これが、つか演劇の本質、魅力である。つか本人が、居た間は、つかが口立てという方法でそうなるように実践していたわけである。然し、彼が鬼籍に入ってしまった以上、このような、メッセージを伝える為に作家がやっていたことを引き継がなければならないのは、演出家だろう。その意味で演出家の役割は極めて大きいと言わねばならぬ。
 で、今回、結果としてそれが、為せていたか、ということであるが、かなり良い線迄行っていると判断した。本質を掴み、つか自身が持っていた温かくデリケートなメンタリティーまで表現できていたように思う。更なる高みを目指す為には、役者は、プロの技術を一旦、捨てる覚悟で舞台に臨む必要があるように思う。ミロやある時期のピカソが、子供のような絵を目指したように。彼らの絵は、プロとしての絵は、頗る早い段階で完成の域に達していた。その上で、子供のような絵を目指し、本当にそのような絵を描く為に生涯を費やした。そのような意味に於いて。

イッヒ リーベ ディッヒ【全公演完売の為、当日券の発売を中止いたします】

イッヒ リーベ ディッヒ【全公演完売の為、当日券の発売を中止いたします】

劇団東京イボンヌ

ワーサルシアター(東京都)

2013/10/01 (火) ~ 2013/10/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

観客を選べる作品
 籠島 丈一郎は音大で音楽史を学んだベートーベンの研究家、妻は作曲家を目指していたが、卒業後、直ぐに結婚、音楽の道は諦めた。二人とも、実家が決して裕福ではなかったので、無理をして音大に通ったクチである。
 因みに、音大など芸術関係に進む人達の実家は、裕福な家庭が多い。ピアノが自宅にあるのは、当然として、レッスンに個人教授を雇う。ピアノもスタンドではなくグランドピアノ、音が漏れる関係で練習室には、特別の防音装備が施してある。グランドピアノを置くスペースだけでも、都心部であれば、下手をすると1平方メートル当たり億単位の地価である。
 少し、付け加えておくならば、このような環境でレッスンを受けながら育ち、実際に現在作曲家をしている友人が語ってくれたことである。仮にAさんとしておこう。彼女が、或る時、音大の友人と一緒に旅行にでたのだが、ホテルの近くにあった山間の展望台のような所で寛いでいた時、彼女の友人が言った「あら、救急車かしら?」その時、自分の友人Aには、その音が聞こえなかった。プロの音楽家を目指していた彼女にとってこのことは、聞こえる友人を殺したい、とまで思いつめさせる事件であった、という。無論、その時、どんな位置に居て、耳はどの方向を向いていたか等、条件を考えることはできたであろう。友人は、頗るつきで頭の良い女性なので落ち着けば無論、その程度のことを考えることができる。然し、そんな事実より早く、彼女の心に浮かんだのは、殺したいほど憎い、という嫉妬の感情であったのだ。音楽家にとっての耳とはそれほどのものである。(寝不足で書いているので後ほど手直しの可能性あり)

ネタバレBOX

 ベートーベンの耳についても、自分は、前提知識としてこのような事実を基に考えている。
 物語は、現代に生きる籠島一家とベートーベンの生きた約200年前を交互に対比するように進む。籠島 丈一郎は優秀な研究者であるが、誰も解き得なかった謎に挑戦している。為に、行き詰まることがあった。その度に、妻にDVをふるっていた。それを見ていたのは、長女らであった。当然、娘は母の側に付き、丈一郎は、孤立する。だが、既に心の離れかけている妻にも、妻の側に付いた娘にも夫・父の孤独と寂謬、不安は理解できない。必然的に家族は崩壊し、妻は夫を追い出す形になった。偶々、不遇をかこっていた丈一郎を見出す裕福な女性があり、丈一郎は、彼女の庇護の下、研究に没頭、数々の研究書を著わし、その筋では他の追随を許さない研究者になる。而も、彼は誰もその時まで発見できなかった、ベートーベンの謎を解き明かすことにも成功した。
 一方、丈一郎を追い出したとは言え、音楽以外には、何もできない妻は、子供達を守るためにも生活を救ってくれた男と暮らすようになる。然し、彼には、特殊な趣味があった。ロリータコンプレックスである。偶々、末娘のみちるは、当時11歳、義父のターゲットとして適当な年頃であった。彼は、みちるに悪戯を仕掛ける。無論、みちるは抵抗した。ナイフ迄持ち出して必死の抵抗を試みた。が、大の男に11歳の少女が抗うことは不可能である。彼女は、義父の餌食になった。以降、10年間、童顔の彼女は義父の慰み者にされる。然し、母は、素知らぬ振りをすることしかできず、姉たちも積極的に義父を止めることができなかった。みちるはトラウマから精神のバランスを崩し、精神科に通うような状態である。
 10年が経っていた。そんな折も折、実父から、弁護士を通じて、会いたいとの連絡が入った。父は、重篤で余命いくばくもない。みちるは、愛憎半ばする父を訊ねる。父からは研究ノートを託された。彼女は、当代隋一のベートーベン研究家となった父の著作を読み、研究ノートを紐解いて、当時のベートーベンの苦悩、惨めさ、悲嘆、そして彼の伴侶となったマリアの慈しみの意味する所を、深い所から理解する。というより実存的に出会う。それは、彼女が、義父の慰み者となってからの10年体験した地獄を、ベートーベンも抱えており、才能とは不幸の代償でしか無い、という事実を確認したからでもあった。更に、彼女は、父もまた、少なくともこの地獄を生きた人間の一人であることを理解する。こうして漸く、丈一郎とみちるの関係は、未だ多少ぎくしゃくしながらではあるが、正常な父子の関係になろうとしている。
 一方、ベートーベンの生活との入れ子細工になっている舞台では、ふられ続け、背は小さく、耳は聞こえず、親友だと思っていたゲーテからは馬鹿にされ、乞食と間違われて逮捕されたベートーベンの不評や不名誉・恥じを総て受け入れ慈しんだマリアの愛を通じて、深いコンプレックスから解放され、純化された魂に溢れ出るように湧き上がり曲想を作って行く過程が、否、その奇跡が、その本質を虚飾を削いだ素の形で表現され、ケレンミなく表現されている。ベートーベンは難聴になってから6つもの交響曲を書き上げたのだ。
 観客は無論、作品を選ぶ。然し、同時に作品も観客を選ぶのである。演劇はこの相互作用であるが、今作は、作品が観客を選べる域に達した稀有な作品と言えよう。
 虚飾を剥いで行く過程を示すと同時に、その結果、地獄下りという辛い体験をした魂を救済する所迄を描いたシナリオの素晴らしさ、シナリオを正確に読み込み舞台化することに成功した演出の巧み、役者陣の素を通して本質を提示した演技、ピアノ演奏、歌唱の素晴らしさ、照明、音響、効果の細かい点迄配慮した腕、スタッフの丁寧且つ合理的な対応、どれも素晴らしいのは言わずもがな、であろう。

Color Trap

Color Trap

川崎インキュベーター

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2013/10/02 (水) ~ 2013/10/06 (日)公演終了

満足度★★★

とにかく走る
 チームホワイトを拝見。貧富層の二極化したこの国では、スラムに住む貧困層のガス抜きの為、それが入手できれば、富裕層の属す国家公務員党に入り、党員になれると噂のカラーチケットを発行している。スラムを抜け出す、殆ど唯一の夢のチケットというわけだ。
 スラムには御多聞に漏れず、ヤクが蔓延しヤク中が屯している。無論、お定まりのマフィアも健在。環境破壊の影響で土壌汚染が酷く、広葉樹は全滅。人々の心を潤す緑の無い殺伐とした風景を前提にした物語だ。

ネタバレBOX

 心優しい青年ジャックと彼の優しさ故に、スラムから抜けられないと判断して、1週間ほど前に彼をふったアンディーは、カラーチケットを当てたトミーと共に、その指令を果たそうと隣国へ向かう。そこへマフィアからヤクを盗んだモレイラとマシェルの逃走劇やそれを追うマフィアの追跡者コムラ12とレデレディー、ジャック達の抜け駆けを許せない、スラムの若手リーダー、ドン・ウォルターとマガリャン、カラーチケット当選者の監視役ダヴァーレスとトリィーニョ、更にはジャーナリストの田花、ヤクの生なり、ウイロウを入手したいディレッタント、バロッシとメイドのアマエラ等々が追いかけっこ。兎に角、走る。
 其処に、国家の罠や政治が絡み、おちゃらけ要素として、借金取りと化したファミレスの集金人達が絡んでスラップスティックな雰囲気を盛り上げる。が、無論、シリアスな部分は、国家の罠である。科白回しで必要以上の声を張り上げていると感じる役者もいるが、演出ともども、おいおい、更に技量を磨いてほしい。
サスライセブン

サスライセブン

東京アンテナコンテナ

ザ・ポケット(東京都)

2013/10/01 (火) ~ 2013/10/06 (日)公演終了

満足度★★★★

軽み
 だるま座と東京アンテナコンテナのコラボ。「星屑の町」のメンバーに結構重なって、流石に上手い。ヒーローに関する哲学的考究も、さりげなく披歴されていたりする。だるま座の剣持 直明の存在感、塚本 一郎の渋さは無論健在。そこに、イジリー岡田のダジャレセンスが加味され、全体として味わいのある軽みを感じさせて心地よい。(以下のようなことがあって、尚、その怒りを我慢させるだけの効果があったということだ)

 撮影が入っていたが、モニター画面を黒布で覆って撮影してもらえると有り難い。例によって、アホな観客が居て、携帯の画面を光らせたり、マナーモードのぶー、ぶーの響きをさせたり、自分の左側に座っていた女の観客だが、イマジネーションの欠如を残酷なまでに感じた。

ネタバレBOX

 無論、物語としての緊迫感を感じさせるシーンも隋所に配置されバランス感覚も良い。
 コメディーで緊迫感を感じさせる舞台など滅多に無いものだが、爆弾処理に当たる仲代 幸太のシーンなど、シナリオの上手さ、演出の良さ、無論、演技の良さもあって中々のものだ。極めつけは、観客に解除失敗を思わせる演出で、頭では解除されていることを理解しているのに、ドキリとさせられたりの仕掛けも仕組んである。手練れの証だ。
 年配の役者陣は無論、若手役者にも力があるので、安心して観ていられる。
ブレヒトとロルカ

ブレヒトとロルカ

風鈴堂

pit北/区域(東京都)

2013/09/30 (月) ~ 2013/09/30 (月)公演終了

満足度★★★★

革新者たち
 ブレヒトとロルカは共に1898年の生まれ。ブレヒトはその表現活動をカフェやキャバレーでし始めた。詩を作り、ギターに載せて歌うことで、謂わばトゥルーベールとして出発したわけだ。後、戯曲を書くようになってからも、宗教歌、童謡、民謡をパロディ化するなどの方法で異化、彼の演劇理論を実践していた。
 一方のロルカは、ピアノを弾じ、アンダルシアの古謡をアレンジ。其処に自作の詩を載せることもあった。古謡に用いられる言葉遊びやナンセンスは、ロルカのモダンな感性と時に反発、時にもつれ合い、絡み合って微妙なイマージュを構築した。
 両名共に、故きを温ね、新しきを知った先覚者であったが、時代を切り開いた作品群には、現代音楽に通じる要素も確かに感じられる。
 これらのことを踏まえて、コントラバスの河崎 純、其々異なる3台のギターを用いて小沢 あき、2名が演奏。更に背景のスクリーンに都市と自然(ガイア)、人工と泥、海、空などを対比させる映像を構築した三行 英登3人のコラボレーション。音で時間を、映像で空間を埋めた表現行為であった。

空気ノ機械ノ尾ッポvol.20

空気ノ機械ノ尾ッポvol.20

空気ノ機械ノ尾ッポ

シアター1010稽古場1(ミニシアター)(東京都)

2013/09/26 (木) ~ 2013/09/29 (日)公演終了

満足度★★

訴えてくるものを感じなかった
 どうやら倒れない為に突っ走っていることが、この劇団の存在理由のようだ。従って、通常考えるようなドラマツルギーも無ければ、ドラマティックな演劇性も、鋭い批評性も無い。
 

ネタバレBOX

 一応、ストーリーのようなものはあるのだが、それも、都市伝説に近いようなふやけて白々しい代物である。
 町の雑踏の只中に段ボール箱に身を潜めた若い男が一人。この段ボール箱を荷物用の台車に載せその中に隠れる形だ。丁度、顔の辺りに開閉可能な窓が設えられているが、開けなければそれとは気付かない。通りがかりの女がこの台車を道の真ん中に蹴飛ばした。
 偶々、そこで靴紐を直す為にしゃがんでいた男と窓を開けた段ボールの男は、目を合わせてしまう。靴紐の男が、魂消て、段ボールの男を河童と勘違い。河童が出た、と友人に話したことから、河童を捕獲して賞金を稼ごうという友人と河童の追いつ追われつが始まる。騒ぎを起こした男と女友達は、彼が吹聴するか否かの賭けを始めた。段ボ―ル箱の男と親しくなり、色々な人が居るよ、という市井の男のとり持ちで、段ボール男は追手の手を逃れ、吹聴しないように話すことを止めて喋れなくなっていて男も音声を取り戻し、街にはカラフルな日常が戻る。殆ど、意味の無い舞台であった。
『銀ちゃんが逝く』『熱海殺人事件』-売春捜査官-

『銀ちゃんが逝く』『熱海殺人事件』-売春捜査官-

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2013/09/29 (日) ~ 2013/09/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

必見
 つか こうへい作品を演ずる人は勿論のこと、演劇とは何かに迷い、考えあぐねることがある人は、必見である。もとより、つか演劇には、台本が無い、というのが基本。では、どんな風に劇を作り上げていったかと言うと、所謂、口立てである。つかは生前、演劇は、最も贅沢な表現形式だと語っていた。何故なら、それは一回きりのものだからだと。どういうことかと言うと、昨日の自分と今日の自分は違う。今日の自分と明日の自分も異なる。だから、例え台本を書いても演じる本人が変わっている以上同じものは表現できない。そんなものを台本にしても仕様がない。これが彼の意見であった。だから、稽古は闘争であった。つかが役者の本質をつかみ取り、演じている本人にも気付かないようなもの、部分を発見して口立てで科白を言う。つかの見立てに狂いは無かった。だから、役者は己の本質を見出しすんなり科白が入ったのだと思われる。
 今回、自分は、他の演劇を他の場所で観てからシアターXへ出向いたので「銀ちゃんが逝く」は見ることが出来なかった。17時からのスピーチと19時からの「熱海殺人事件」-売春捜査官‐を見ただけであるが、フィルムで見てさえ、改めてつか演劇の凄さ、面白さを知った。不定期であるが、今後もシアターXでは、この催しを継続してゆく。時間を無理にでも都合して行くべし!!

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