「幕末千本桜」 公演情報 劇団アニマル王子「「幕末千本桜」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    幕末顧みて武士の世
     桜田門外の変(1860)から7年後の慶応3年尊王攘夷、勤王佐幕両派は、蛤御門の変(1864)を経て薩摩藩出身の策士、大久保 利通は、土佐出身の浪人、中岡 慎太郎と共に京を離れ、江戸へ出向いていた。一方、中岡の盟友である龍馬も江戸へ出、身分を隠して、民衆を如何に扇動・先導するかについての考えを巡らしていた。

    ネタバレBOX

     そんな折も折、両国の暴れん坊鬼若 獅童が、単身、大勢のヤクザと立ち回りを演じ大怪我をして動けなくなっている所を通りかかった御典医、桂川 周の娘、一縷は獅童を救うことになった。彼女は、蛤御門の変で、幕府方の患者しか診ようとしない母に反発、敵味方の区別なく治療を施すような娘で身分制度にまだまだがんじがらめになっていて時代にあって突出した娘であった。こんな経緯から母は、彼女を勘当したのだった。彼女は、獅童達の溜まる万屋の仲間になる。ここには、新たな仲間も加わることになった。蛤御門の変以降、荒れ果てた京都では、ゴロツキと化した元武士が、町民を襲い、犯し、略奪し、街を荒廃させていたのである。妹の身を案じた兄は、兄妹で江戸に逃れることを決意、流れてきたのであった。
     万屋の中心に居る若者達は、才谷という偽名を使って潜伏している龍馬から、何だかんだと薫陶を受けている。その結果、当時、最先端の思想、民主主義の萌芽を彼らも理解していた。戦乱に筧を乱されるのは、何も敗軍ばかりではない。最も大きな被害を受け続けているのが、民衆なのである。彼らは、実際、戦乱の世にも、戦費を調達する為の増税にもウンザリしていたのだ。それで、仲間を集めて、15代将軍、慶喜に訴えようとする。具体的には、一種のデモである、ええじゃないかを組織する。
     そして、その決行の日、大久保の陰謀によって、英国の武器商人、グラバーと銃五百丁の取引をしたとされた、ええじゃないか一行は、幕府側ではあっても民衆からも人望の厚かった幕府組頭、滝川 信明配下の将軍護衛警護が銃を構える中に突入して行き、先頭に立って檄を飛ばしていた獅童が撃たれる。彼は、一縷を置いて死んでしまう。一縷の深い嘆きが、彼女を過去に連れ去った。その過去とは、武家政権が成り立つ揺籃期である。
     二幕、場面変わって、時は遡り、千百年代、源 頼朝が鎌倉幕府を創設するに至った時代へ飛んだ一縷は、五条の橋の上で弁慶と対峙、彼を下して、生涯の友とも、一の家来とも為すが、弁慶即ち、獅童。幕末、一縷は獅童を愛していた。相思相愛の恋仲である。為に一縷は時代を遡り、武家政権成立の時代へ飛んだのだ。そして、五条の橋の上で千振り目の刀を奪おうとした弁慶に出会うのだ。義経と化した一縷と最も関係の深いのは無論、弁慶である。彼は、義経を守る為に己を鬼神とも化した人物。その気持ちは、獅童そのものである。時代を隔てながらも、義経・一縷と弁慶・獅童は、互いの時代を超えた関係を理解し合っている。他にも、敵味方に分かれたとは言え、主要なキャラクターは、皆、過去に飛来してきている。例えば、才谷こと龍馬は、平家方和平派に成っている。動乱の幕末の歴史勝海舟と共に担おうとした役割自体は変わらず、時代が変わっただけというような設定になっている。無論、それが、一種の輪廻転生になっているのではあろうが。シナリオはそれなりに、面白く展開する。二幕は、それなりに役者のエンジンも掛かって来て楽しめた。
     それでも、演出、役者の演技は、幼い。残念である。演出レベルでは、一幕のオープニングで、観客に驚きを仕掛けていない。漫然と役者が入ってくるだけである。これが、今作の舞台では演じられなかった、その後の戦乱そのもののシーン(例えば蛤御門の変など)に繋がるならまだしも、そのような展開もなく、只、漫然と始まる舞台など、自分には、信じられない。観客は日常の生活空間の中から劇場に足を運ぶのだ。いきなり舞台に引き込む工夫をしないでどうするのだ? 
     役者陣の演技も、溜めが無い。若いとは言っても演じるのは、少なくとも16歳では元服する時代の人物達だろう。(元服する年代は時代によって異なるが)現代の明らかに子供じみたレベルで演ずるのは間違いである。演出も、この程度のことは常識の範囲なのだから、きちんとダメダシをすべきである。シナリオが時代劇である以上、当然だろう。
     10周年は一区切り、益々の精進を期待すると共に、自由なイマジネーションの翼を広げる戦いは継続して欲しい。若い人々の活躍を祈念して、星は4つをつけておく。

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    2013/10/06 02:46

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