小豆洗い-泥を喰らう- 公演情報 鬼の居ぬ間に「小豆洗い-泥を喰らう-」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    新たな才能発見
     シナリオ、演出、舞台美術、演技、キャスティング、音響、照明、どれをとっても素晴らしい出来。見事。

    ネタバレBOX

     安住屋は、村で老舗の大福屋。その大福の味は好評を得て既に四代目。家族的な経営で、従業員にも家族同然の態度で接する為、従業員にとっても働き易い職場である。四代目を継いだのは啓一郎、妹の涼は、控え目の楚々とした美人で、兄よりしっかり者だが、最近、隣村の醤油屋、越路 鉱幸との見合い話が持ち上がっている。安住家の両親は既に他界しているので、啓一郎が親代わりであもある。鉱幸は、一代で財を為した遣り手の実業家で、啓一郎の話では理知的で繊細さも併せ持ち、妹を幸せにできそうだという話である。涼は一度会ってみて嫌なら断る、ということで話がまとまる。
     結局、二人は結婚することとなったが、一緒になってみると、鉱幸は、外面は非常によいものの、居丈高で粗暴、妻にも暴力を振るうような男であった。而も、涼と結婚した目的は他にあった。それは、村社会という狭く排他的で姑息な社会で経済人としてのし上がって行く為の確実ではあるが、下司な方法であった。即ち、目をつけた先の娘を女房として迎え、彼女の実家の家業を乗っ取るのである。そしてその方法とは、女房を監禁して、筆記具など連絡手段を総て取り上げ、実家との連絡を断った上で、実家からの連絡も閉ざし、妻の実家には、自らのスパイを送り込んで、情報収集と役立ちそうな資料を盗ませる。手強いとなれば、スパイに潜り込ませた先の誰彼と寝ることを強制して目的を達した。折を見計らって役人を賄賂や贈答品、色仕掛けで誑かして妻の実家にあらぬ不評を立てさせ、売上を落としておいて、共同経営の話を持ち掛けた上で、最後には、スパイに店の潰れるような失態を仕組ませ、これを役人に公式の事件として立件するように仕組む。狭い村落共同体でこんなことをやられたら、潰れるしかない。こんなことを仕組んで、一代で財を築いたのだが、それが、2店舗目を出した時の話、涼の場合は3店目である。因みに最初の妻は自殺に追い込まれている。
     然し、涼は、最初の妻ほどひ弱ではなかった。而も利用するだけの存在であったはずの涼に鉱幸は惚れていたのだ。彼女の美貌のせいだろうか? 或いは、物腰のせいだろうか? それとも隠している頭の良さのせいであるか? 何れにせよ、2店舗目を乗っ取ったのと基本的には同じ遣り方で安住屋乗っ取りを図ったのだが、そしてそれはまんまと成功したのだが。涼は、妊娠していた。而も、鉱幸は立たないのである。腹の子の親が誰か、鉱幸は涼に迫るが、彼女は口を決して割らない。鉱幸の暴力が激しくなり終には、涼を絞め殺してしまう。鉱幸の負けである。涼は、最後まで、論理で通した。論理に勝つのは論理のみである。だが、鉱幸は暴力を振るい而も彼女を殺して永久に勝つチャンスを失ったのである。それが、彼女の復讐であった。実際、誰の子であるのかは分からない。然し、候補は何人か居る。1人は、啓一郎、1人は利之助、鉱幸の悪辣さを思えば、役人の重松の線も考えられる。男性として機能しない彼は、歪んだ形でしか、その愛を表現できなかったからでもある。そして、恐らく、彼の子供っぽい人間性は己の地獄を何とかする為には、愛する者や周りの者総てを自分と同じ地獄に引きずり込むこと。それだけが、慰めだったのであろう。この意味でも、涼は、鉱幸に完全勝利しているのである。彼女は、最後まで、人間的に生き、そして亡くなったのであるから。そして、鉱幸は、狂った!
     ところで、何故、今、この作品を掛けたのだろう? 自分は、或る意味、日米関係を考えながら観ていた。今の日本に涼と比べられるような政治家は、無論、存在しないが、TPPといい、原発偽装といい、日米安保強化といい、秘密保護法といい、アメリカの完全植民地化へ向けて益々、歯止めを効かなくさせている売国奴、安倍、石破等の下司は、アメリカをこの物語の鉱幸とするならば、ミニ鉱幸として機能している売国奴そのものである。亡国を知らざれば、これ即ち亡国、と嘗て田中正造が喝破したが、人間的な誇りを最後迄捨てなかった涼が、日本の伝統に則った妖怪なり、幽霊なりと同じようにその無辜性と論理によって力ある者を打ち負かしたように、今、我々の為すべきは、この売国奴どもを、我らの理性と正気によって狂気に沈め、二度と浮かび上がらせないことである。

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    2013/10/07 00:39

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