イッヒ リーベ ディッヒ【全公演完売の為、当日券の発売を中止いたします】 公演情報 劇団東京イボンヌ「イッヒ リーベ ディッヒ【全公演完売の為、当日券の発売を中止いたします】」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

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     籠島 丈一郎は音大で音楽史を学んだベートーベンの研究家、妻は作曲家を目指していたが、卒業後、直ぐに結婚、音楽の道は諦めた。二人とも、実家が決して裕福ではなかったので、無理をして音大に通ったクチである。
     因みに、音大など芸術関係に進む人達の実家は、裕福な家庭が多い。ピアノが自宅にあるのは、当然として、レッスンに個人教授を雇う。ピアノもスタンドではなくグランドピアノ、音が漏れる関係で練習室には、特別の防音装備が施してある。グランドピアノを置くスペースだけでも、都心部であれば、下手をすると1平方メートル当たり億単位の地価である。
     少し、付け加えておくならば、このような環境でレッスンを受けながら育ち、実際に現在作曲家をしている友人が語ってくれたことである。仮にAさんとしておこう。彼女が、或る時、音大の友人と一緒に旅行にでたのだが、ホテルの近くにあった山間の展望台のような所で寛いでいた時、彼女の友人が言った「あら、救急車かしら?」その時、自分の友人Aには、その音が聞こえなかった。プロの音楽家を目指していた彼女にとってこのことは、聞こえる友人を殺したい、とまで思いつめさせる事件であった、という。無論、その時、どんな位置に居て、耳はどの方向を向いていたか等、条件を考えることはできたであろう。友人は、頗るつきで頭の良い女性なので落ち着けば無論、その程度のことを考えることができる。然し、そんな事実より早く、彼女の心に浮かんだのは、殺したいほど憎い、という嫉妬の感情であったのだ。音楽家にとっての耳とはそれほどのものである。(寝不足で書いているので後ほど手直しの可能性あり)

    ネタバレBOX

     ベートーベンの耳についても、自分は、前提知識としてこのような事実を基に考えている。
     物語は、現代に生きる籠島一家とベートーベンの生きた約200年前を交互に対比するように進む。籠島 丈一郎は優秀な研究者であるが、誰も解き得なかった謎に挑戦している。為に、行き詰まることがあった。その度に、妻にDVをふるっていた。それを見ていたのは、長女らであった。当然、娘は母の側に付き、丈一郎は、孤立する。だが、既に心の離れかけている妻にも、妻の側に付いた娘にも夫・父の孤独と寂謬、不安は理解できない。必然的に家族は崩壊し、妻は夫を追い出す形になった。偶々、不遇をかこっていた丈一郎を見出す裕福な女性があり、丈一郎は、彼女の庇護の下、研究に没頭、数々の研究書を著わし、その筋では他の追随を許さない研究者になる。而も、彼は誰もその時まで発見できなかった、ベートーベンの謎を解き明かすことにも成功した。
     一方、丈一郎を追い出したとは言え、音楽以外には、何もできない妻は、子供達を守るためにも生活を救ってくれた男と暮らすようになる。然し、彼には、特殊な趣味があった。ロリータコンプレックスである。偶々、末娘のみちるは、当時11歳、義父のターゲットとして適当な年頃であった。彼は、みちるに悪戯を仕掛ける。無論、みちるは抵抗した。ナイフ迄持ち出して必死の抵抗を試みた。が、大の男に11歳の少女が抗うことは不可能である。彼女は、義父の餌食になった。以降、10年間、童顔の彼女は義父の慰み者にされる。然し、母は、素知らぬ振りをすることしかできず、姉たちも積極的に義父を止めることができなかった。みちるはトラウマから精神のバランスを崩し、精神科に通うような状態である。
     10年が経っていた。そんな折も折、実父から、弁護士を通じて、会いたいとの連絡が入った。父は、重篤で余命いくばくもない。みちるは、愛憎半ばする父を訊ねる。父からは研究ノートを託された。彼女は、当代隋一のベートーベン研究家となった父の著作を読み、研究ノートを紐解いて、当時のベートーベンの苦悩、惨めさ、悲嘆、そして彼の伴侶となったマリアの慈しみの意味する所を、深い所から理解する。というより実存的に出会う。それは、彼女が、義父の慰み者となってからの10年体験した地獄を、ベートーベンも抱えており、才能とは不幸の代償でしか無い、という事実を確認したからでもあった。更に、彼女は、父もまた、少なくともこの地獄を生きた人間の一人であることを理解する。こうして漸く、丈一郎とみちるの関係は、未だ多少ぎくしゃくしながらではあるが、正常な父子の関係になろうとしている。
     一方、ベートーベンの生活との入れ子細工になっている舞台では、ふられ続け、背は小さく、耳は聞こえず、親友だと思っていたゲーテからは馬鹿にされ、乞食と間違われて逮捕されたベートーベンの不評や不名誉・恥じを総て受け入れ慈しんだマリアの愛を通じて、深いコンプレックスから解放され、純化された魂に溢れ出るように湧き上がり曲想を作って行く過程が、否、その奇跡が、その本質を虚飾を削いだ素の形で表現され、ケレンミなく表現されている。ベートーベンは難聴になってから6つもの交響曲を書き上げたのだ。
     観客は無論、作品を選ぶ。然し、同時に作品も観客を選ぶのである。演劇はこの相互作用であるが、今作は、作品が観客を選べる域に達した稀有な作品と言えよう。
     虚飾を剥いで行く過程を示すと同時に、その結果、地獄下りという辛い体験をした魂を救済する所迄を描いたシナリオの素晴らしさ、シナリオを正確に読み込み舞台化することに成功した演出の巧み、役者陣の素を通して本質を提示した演技、ピアノ演奏、歌唱の素晴らしさ、照明、音響、効果の細かい点迄配慮した腕、スタッフの丁寧且つ合理的な対応、どれも素晴らしいのは言わずもがな、であろう。

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    2013/10/03 10:51

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