満足度★★
生演奏の位置づけ?
クラシックと演劇のコラボレーションということと、堀さんがご出演ということもあり期待して参りました。が・・。生演奏である意味をあまり見いだせませんでした。小さな劇場ででピアノ演奏や声楽の演奏があることの物珍しさはありましたが、演劇は何と言っても俳優の演技と物語が全てで・・。俳優の演技が全く音楽と無関係に存在しているのが残念です。BGMを生演奏にしただけではないかと。歌える役者でも居れば違ったかもしれません。
お話は映画でも何度も使われたことのあるベートーベンの不滅の恋人の話をそのまま使っているだけなので結末が最初から読めていたことと、軸になっている家族関係の話が重すぎて、辛かったです。
満足度★
うまいっ!ある意味でwww
制作まわりのスタッフと劇場前のお花は凄い♪プロっぽかった♪でも作品は最初の30分何も進まなかった♪設定だけしかない話で100分いくのはきつい♪ベートーベンとジョセフとシューベルトのコントは面白かった♪音楽は良かった。でも聴くなら、埃だらけのパイプ椅子の小劇場じゃ無くて、コンサートやお洒落なバーで聴いた方がいいよね、って思った♪劇団名乗るなら、お話で勝負しないとね♪でも音楽入れて上手い役者がガン泣きすれば、平坦な話も感動的になるっていう誤魔化しテクニックは流石だなあと思いました♪ちゃんちゃん♪
満足度★
新国立に行く前に
後から思うところあり、再度コメント。
職業柄、色んな作品を読むのですが、ある作品をチェックするときに一番重要なのはその作品が何を表現しているか。そしてその表現したいものに向かって作品が効果的に設計されているかです。その後に「ここで笑わせよう」といった計算が出てくるのだと思いますが、この脚本は一体何を観客に見せたかったのでしょうか。
とりあえず音楽を入れる、とりあえず笑うシーンを入れる、とりあえずベートーベンを出す、とりあえず・・・?作品を貫く骨が見えません。音楽のすばらしさ、出演している役者の演技力は確かでしたが、駄作でした。(評価が辛くてすいません)その意味では音楽を入れることは良いアイデアだったのではないかと思うほどでした。
特に、現代パートは本当に見ていて辛かった。
この団体は脚本家が主体になっている団体のようですが・・。ベタなラジオドラマを繋げたような、オリジナリティに欠ける作品だったと思います。現代パートもどこかで見たことあるような話、過去部分に至っては実在の人物なので、もはや・・という印象です。
新国立劇場に行きたいという夢を読みました。少なくとも自分が劇場主であれば、この作品にGoサインは出しません。この脚本レベルで新国立に行けるとすれば、ギャラを払って芸能人を出せればの話でしょう。
スタッフの劇場案内・開場前対応(いずれも所属の役者でしょうか。)の印象の良さと、上演されていた作品のレベルとの落差に色々考えてもの悲しさを覚えました。
満足度★★
後は作品かな´д` ;
この劇団は、昔、拝見したことがあります。その時の作品は好きだったので、今回また参りました。
自分も劇団を運営しているので分かるのですが、今回のスタッフさんは本当に素晴らしかった。事前には劇団からご丁寧なお手紙もいただきましたし、(自分は日曜日に行きましたが、)当日の受付・整列・入場まで非常に整っていて、礼儀正しく、品がありました。また帰りしなに知り合いを待っていたら、すぐにスタッフの方が声をかけてくださる等、気遣いが行き届いた素晴らしい運営だったと思います。これは一人一人の心がけが本当に良いのだと思いました。
でも劇場に入ってから、テンションが下がってしまいました。芝居の内容は本当にごめんなさい。破綻してたかなーと思います。
現代と中世の話が入り組んで行くのですが、この2つのパートが連関していない。過去のエピソードは現代においては、主人公の父の研究内容として持ち込まれるわけなのですが、中世世界におけるマリアのベートーベンへの献身と、現代における家族の問題(愛情欠乏?)にどう繋がるのか全く分かりませんでした。
現代世界は、もう既に何人かの方が書かれている通りです。
過去世界は演出の方向性がよく分かりませんでした。実在の人物の話なので、基本は脚本家・演出家の解釈の問題になるんだと思いますが、そもそもコメディタッチなのか、シリアスなストーリー芝居なのか。下の方が書いていますが、コメディというシステムを採用していたとするならば、普通のストーリー芝居をしているマリアだけ浮いています。
ただ、ベートーベン役の古賀司照(読み方わかりません)の演技は素晴らしかった。声が枯れていたのが少し気になりましたが、それを補って余りある立体的な演技をされていたように思います。
愛、美しい歌、美しいピアノ、美しい言葉を連ねて見ても、作品の土台となる世界が全く見えてきません。何も無いんです。
これでは役者の方は演じ辛かっただろうな、と思います。また復活を支えたスタッフの方も、この作品を本当に面白いと思っているのかな、と思ってしまいました。
かつての作品と(無伴奏という作品でした)今回の質の差が余りに激しいため、戸惑っています。
満足度★★
チケット完売おめでとうございました。
1000枚のチケットを完売させることは容易なことではないです。それを初日前に実現させたわけですから、いかに期待した人が多いか、ということがうかがえます。素晴らしいことだと思いました。
また、当日の舞台運営も人手が多く、気持ちよかったです。
こうした裏方の気持ちがこの劇団を支えているのだと感じました。
満足度★★
人間が描かれていない。
脚本・演出に難がある。愛を表現しているはずの女性側の心理が全く理解できなかった。男性目線の話だからか、非常にご都合主義的で・・人間の心理として理解出来ない飛躍があちこちに見られた。感情移入しようにも、あまりに平面的な描写。女性キャストがこんなにも多いのに、彼女達は脚本上のキャラ以上に何も人間が描かれていない。脚本上の必要に迫られて泣いたり許したりする場面にしか見えなかった。脚本家の貧困な人間観・表現力、演出の合理的に割り切れないウェトな感情を表現するセンスの欠落を感じた。
役者は良い役者が沢山出ている。ベートーベン、マリア、看護婦、犬飼は好演している。楽曲も良し悪しは分からないが生で演奏を聞けるお得感はあった。だが、それだけだ。もしかしたら現代の描写は丸ごと要らないかもしれない。ベートーベンの時代はそれなりに出来ていたので・・
私が来た日、見覚えのある有名劇団の団長などの顔をみかけた。内容とコネの強さは比例しないのだと思った。受付・場内周りのスタッフは見事。超満員にも関わらず全くストレスが無かった。作品を除けば☆4.5。スタッフと役者が可哀想な舞台だった。
満足度★★★★★
拝啓、ステージの神様。
舞台を観ると錯覚することがあったりしませんか。
観劇好きで音楽好きの人は、ミュージカルを好むという人が多いだろう。
私もそのうちの一人。
でもミュージカルでない演劇空間で、音楽のステキに出会えたら。
“クラシックの楽曲をテーマに、曲に込められた魂を物語に紡ぎだす演劇集団”
東京イボンヌ復活公演『イッヒ リーベ ディッヒ~ベートーベンの愛した曲~』をワーサルシアター(八幡山)で観た。
ベートーベンが人を愛し、紡いだ曲がある。
ベートーベンが人から愛され、継がれてきた曲がある。
誰もが耳にしたことのあるベートーヴェンの調べに、自分は大のベートーベン好きだったと錯覚したのは、美しい音色とともに、ユーモラスに表現される1800年代の彼らのエピソードに心を奪われたせい。
物語はもう一方で、現代のとある家族の姿をうつし出す。
視線を落とし、指を噛む娘、
ベートーベンの研究に没頭するあまり家族を捨てた父、
娘の姉、娘の叔母、娘の母、娘の・・・・・・。
肩が凝り、眉間にシワが寄るのは、
今の時代のもしかしたらすぐ隣で起こっているかもしれない、
でも誰もが自分には関係ないと思ってしまうようなエピソードに心がギリッとしたせい。
メロディと感情と台詞と表情とが幾重にも重なる舞台は、
当てはめるとすればバームクーヘンみたいな味わい。
でも、きれいな丸型のただ甘くてしっとりしているバームクーヘンではない。
ちょっとクセのある、でも確かに舌触りを覚えていたくなるそんなバームクーヘン。
満足度★★★
必要性
開幕までのスタッフの動き・当日パンフレットから劇団の熱意を感じました。また題材にベートーベンの「不滅の恋人」を扱い、生のピアノと声楽を起用し、力のある役者たちが参加していることからも本気さが伝わってきました。しかし脚本・演出がいまいちでした。はい残念。
以下ネタばれ↓
満足度★★★★
すばらしい音楽、芝居は…
声楽とピアノだけでも来た甲斐がありました。芝居は現代の話(ベートーベン研究家とその家族の物語)と過去の話(ベートーベンと周囲の人々の物語とが交互に進んでいく。映像でいつの時代と場所かが映されるが観劇には邪魔なので無いほうがいいし無くても演技力で大丈夫。しゃがんでの演技は前の観客で全然見えのくなるので椅子に座るところまでにしたほうがいい。ストーリーは悪くはないんだけれど、現代の話も、過去の話も物足りない。2時間という枠なのだからどちらかに絞ったほうが物語に厚みが増しただろう。
満足度★★★
許すことが愛なのか?
ベートーベンとマリアの愛には、感動するところもありました。マリア役の女優さんが素敵でした。
けれども、現代の家族の話はついて行けませんでした。個人的には、あの話は無いほうがよかった。ベートーベンの時代だけで見たかったです。
マリア役の早瀬マミさんと、浅見さんのピアノに☆一つ追加。
満足度★★★★
なんか客層の雰囲気が違いました
ぴ~んと張り詰めてるような空気がちょっとありました。
ベートーベンの音楽を主軸に展開する過去と現在。
音に配慮したBGMや無音の時のバランスなど良かった♪
しかしながら話半ばで女性客が1名途中退席したりしてましたので、
好き嫌いなど好みは分かれるのではないかなぁと思うところありです。
(100分)
趣のある作品
話の流れや方向性にややぎこちなさがあったものの、クラシックの楽曲をテーマに曲に込められた魂を紡ぎ出すというコンセプトどおりの、非常に趣のある作品で、最後のマリアと佐和子の会話の場面はベートーベンの時代と現在の話の最終交差点として心に残るとても印象的なシーンでした。
満足度★★★★
クラシックが芝居に上品さを与える!
過去の出来事ー貴族出身でありながら、靴屋の娘と偽り、本当は作曲の勉強のためにやってきたのが、家政婦として10年余りベートーベンを慕い続けたマリアの無償の愛と
もう一方の現在の出来事ー研究と暴力のため、家をだされたベートーベン研究者とその次女が10数年後に病に侵されわずかな命となった父にの憎しみは裏を解せば父を愛しすぎていたこと。
両者の愛を対比しつつ、ある部分共通な愛を表現。慈しむ者全てをうけいれること。とても分かりやすかったです。
私は、ベートーベンは、ほとんど交響曲、バイオリンソナタ、ピアノソナタ・協奏曲中心に聞くことが多いので、声楽曲は新鮮で舞台にとてもマッチしてたと思いますし、クラシックだとひと味ちがった上品さがでますね。
こういう舞台とても好きです。
満足度★
男にとって都合の良い女=愛?
初見でした。うーん、脚本に疑問。ワガママな男を受け入れ許し慈しむこと=愛なの?
愛をテーマにと言いながら、基本的に甲斐性の無い研究バカや才能以外は破綻している作曲家を見守る女性達(しかも男にとって都合の良い女ばっか)の犠牲でしょ。甲斐性の無い研究バカの父親に捨てられた娘も、最後父親の研究を理解し受け入れるけど。全然分からない。
分からないのは、男サイドからそういう女性達への愛があんまり見えないから。それに見守られるしょうもない男(特にカゴシマ)のキャラに魅力がない。ゲゲゲの女房みたいな愛嬌が無いから、特に現代編が特にぴんとこない。ベートーベンのほうは奇矯なキャラが表現されてたから、まだアリかなって思ったけど。
要はこれは言い訳の作品なんだと思った。俺は芸術をやっている。俺は大事な研究をしている。だからお前達を犠牲にした。ワガママを許してくれ。そして許すことが愛というまとめ方。古典的な男目線の作り手の作品。感動するって書いている人がいるけど、役者が必死に泣いてあげてお涙頂戴な感じになっているから、釣られて感動した気になるのかもしれないけど、正直あざとい。
満足度★★★★★
観客を選べる作品
籠島 丈一郎は音大で音楽史を学んだベートーベンの研究家、妻は作曲家を目指していたが、卒業後、直ぐに結婚、音楽の道は諦めた。二人とも、実家が決して裕福ではなかったので、無理をして音大に通ったクチである。
因みに、音大など芸術関係に進む人達の実家は、裕福な家庭が多い。ピアノが自宅にあるのは、当然として、レッスンに個人教授を雇う。ピアノもスタンドではなくグランドピアノ、音が漏れる関係で練習室には、特別の防音装備が施してある。グランドピアノを置くスペースだけでも、都心部であれば、下手をすると1平方メートル当たり億単位の地価である。
少し、付け加えておくならば、このような環境でレッスンを受けながら育ち、実際に現在作曲家をしている友人が語ってくれたことである。仮にAさんとしておこう。彼女が、或る時、音大の友人と一緒に旅行にでたのだが、ホテルの近くにあった山間の展望台のような所で寛いでいた時、彼女の友人が言った「あら、救急車かしら?」その時、自分の友人Aには、その音が聞こえなかった。プロの音楽家を目指していた彼女にとってこのことは、聞こえる友人を殺したい、とまで思いつめさせる事件であった、という。無論、その時、どんな位置に居て、耳はどの方向を向いていたか等、条件を考えることはできたであろう。友人は、頗るつきで頭の良い女性なので落ち着けば無論、その程度のことを考えることができる。然し、そんな事実より早く、彼女の心に浮かんだのは、殺したいほど憎い、という嫉妬の感情であったのだ。音楽家にとっての耳とはそれほどのものである。(寝不足で書いているので後ほど手直しの可能性あり)
満足度★★★★★
芸術の領域
復活公演で何をするのか期待していていたが、想像を遥かに超えてきた。
これは芸術の領域であると感じる。
戦慄が走った。
世界観とその着想が見事。
ただし、これだけの世界観と、完売、当日券停止を出すのであれば劇場を大きくするべき。
開場時間前の長蛇の列に驚愕。