満足度★★★★
アンタッチャブル
ダリットの視点から、世界を観てみようとの念が伝わってくる作品だ。ダリットとは、インドの最下層民、不可触賤民と訳される人々である。未だに上位カーストの者から、性の玩具にされても抗う術を持たない。実際、抗議した者の家に火が掛けられ、焼き殺された者もあると聞く。
虐げられた者たちの悲しい生き方として、親が子を態々不具にして、物乞いをさせるなどということもある。インドで、アウトカーストの彼らに人権を認めようとする運動が盛り上がった時、最も、抵抗した者らの中にこの階層出身者が多かったことも事実だと、インドに嵌っている友人から聞いたことがある。
ところで、何故、楼蘭が、彼らの視座に拘るか、というと、どんなに煌びやかな衣装をまとい、スポットライトを浴びることがあろうと、芸能者の原点には、河原乞食という原点があるから、その視点を忘れたくない、ということなのだろう。その謙虚な姿勢に好感を覚えると同時に、芸事という道の険しさ、厳しさを改めて見せられた。
と同時に、芸能の源流には、もう一つのことがあるように思う。それは、所謂ハレの儀式でヒトが神々と交流する為に酒を汲み、舞など舞って非日常の時空を過ごす風習である。
ハレの対概念としてケがある。その両者が相俟って芸能の原型が出来たのだとしたら、芸能は、その初源に於いて既に演劇的であったと言わねばならない。原点を見失って、只表層をエパーブよろしく漂うだけの、商業的出し物も多くみられるように思う昨今、原点に戻って、じっくり本質を考えようとする熱意と誠意、出演陣の熱演を評価する。