ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

2261-2280件 / 3202件中
ボビー・フィッシャーはパサデナに住んでいる

ボビー・フィッシャーはパサデナに住んでいる

風姿花伝プロデュース

シアター風姿花伝(東京都)

2014/07/15 (火) ~ 2014/07/30 (水)公演終了

満足度★★★★★

深読みのできる舞台
 終始、アンダーな光の下で上演される。大方が家族劇と取るだろうが、自分は敢えて、その見方を採らない。

ネタバレBOX

 家族等、とっくの昔に崩壊していると考えるからである。寧ろ、その崩壊こそ現代社会の進展の度合いを測る指標の一つと考えた方が良かろう。無論、エマニュエル・トッドのような分析が正鵠を射る社会は世界中にまだまだ沢山あることは承知しているが、欧米先進国と日本に於いてはこの定式は崩れつつあると考えるのだ。
 原作者、ラーシュ・ノーレンはスウェーデンの劇作家だが、ヨーロッパは、その高い経済力を世界中から収奪することで築いてきた。それは、アメリカ、日本も変わらない。無論、第一次大戦後、ヨーロッパの力は相対的に衰え、アメリカがその経済力を継承した。アメリカ経済も既に陰りが見えるとはいえ、未だ、最後のあがきの真っ最中であり、そのあがきを長引かせる為に、奴隷以下の身分に甘んじているのが、日本という名の植民地である。安倍という阿保は、その植民地に於ける最も無能なピエロだ。
 世界はどうあるか? と問うことは、我々はどんな世界に生きているかを問うことでもある。こんなことを問わざるを得ないのは、大多数の人々が、力を持たないからである。身も蓋も無いことを言ってしまえば、世界を統べるものは、力である。だが、自分自身は、力が無い。殆どの人がこう考えざるを得ないのは自分が最強ではないことを知っており、同時に力が世界を統べることを知っているからだ。一方、人々は最強でないのに生きている。生きている以上、意味が欲しい。だから、力の前では、屈せざるを得ないことを承知しつつ、様々なエクスキューズを編み出すのである。透視図法ではこのように描かれるのだが、このエクスキューズが、様々に煙幕の役割を果たし、自己欺瞞を許す。そして、この自己欺瞞無しでは殆どの人が自殺を選ぶしかない。神? だと! 何を下らない幻想を! そんなものは、ヒトが宇宙と絶対的に向き合うことを恐れるが故に発明した逃避に過ぎない。ヒトは裸形に耐え得る程に強くは無いのだ。
 ところで、人間は社会を形成する動物の一つである。だから、神など無くとも、上記で挙げた様々な要素の多様な関係の中で、して良いこと、悪いことが経験則として決まってくる。之を定式化したものが、道徳である。そして、知恵とは、この法則を正しく類推し身を処してゆく力である。ところが、先進文明国は、そうでない地域・国々からの富を収奪することで自国の富を増やし、豊かな生活を育んできた。先進国の中でも、大国と言われる国々が常に、その時代で最も破壊力の大きな武器を持って来たことは注目しておいて良い。現在は、それが、核戦力である。そして、対外的には核の破壊力で恫喝を掛け、国内的には、「敵」の恐怖を煽ることで、残虐極まる核兵器の保有を正当化している。その際、民心操作に使われるのは恐怖である。だから、イスラエルを始め、北朝鮮迄もが核武装に走っているのだ。アメリカも北朝鮮が核武装していなければ(無論、ミサイル技術などを含む)本気に相手にしはすまい。今、アメリカが狙っているのは、宇宙の軍事基地化である。それが可能になれば、唯一の超パワーとして好き勝手ができるからであり、それを狙っているのだ。だが、そんなことをする為には莫大な開発費が必要だ。現在迄、散々収奪してきた中南米諸国は、結束してアメリカに対抗し、露西亜も再び、アメリカの喉元、キューバで、軍事に直結する動きを活発化している。バーチャル経済で凌ぐしかない現在の弱体化した米経済を再活性化する為に、彼らは、亜細亜にシフトしたのだ。当然、中国は黙って居られない。彼らは、アヘン戦争の被害、日本による侵略など、一旦、資本主義が暴走すれば、どんなことをするか歴史的に学んでいるから、坐してはいられないのは普通だろう。現在の指導者、習氏がそんなに優秀だとは思わないが、BRICSで立ち上げることにした新開発銀行は、無論、アメリカを中心とする世銀、IMFの影響力を低下させる為であるのは、言を俟たない。本部が上海に置かれることも無論、重要な点である。さて、此処まで大きな力を持たないが、豊かな国々はどのようにしてその富を蓄えてきたのか? そこが問題である。本作に登場する過程の父親は、警備会社の社長である。警備である以上、軍、警察と関連が深いのは無論の事だ。そして、現在、アメリカやイギリス、イスラエルなどの軍・警備会社は深く連関している。アメリカなどでは、軍事の民営化が大々的に行われていることは周知の事実であろう。イスラエルは、植民者がイスラエル軍より酷いことをパレスチナ人に対して行ってきたし、現在も行っているのは、パレスチナ問題に詳しい人間には常識である。あらゆる意味で違法な入植者を守るという屁理屈を掲げて、イスラエル軍が、パレスチナ人の土地を収奪し、女。子供を含むパレスチナ人を虐殺してきたこと、今もしていることを問題化しないのが、西側先進国の「正義」なのである。この家族の父は、このようなことが直ぐイメージできるような警備会社の社長なのである。姉は、できの良い模範的な学生だった、頭の切れも良い。だから、気付いてしまったのだ。自分の父のしていることに。その社会的位置と意味・道徳的問題に。母は、それらを充分推測できる能力を持ちながら、表面を取り繕うことにも汲々としているので、姉からも感受性の鋭い弟からもその欺瞞を見抜かれている。そして弟は、その心優しさから、精神を病んでしまう。その結果は、互いが、互いを傷つけあうしかなくなる地獄だ。その有り様をかなりブラックでアイロニカルに描いて見せた作品と言えよう。舞台を終始暗く保ち、姉のアルコール依存症表現に凄みを持たせ、観客の想像力を最大化する演出が効果的である。同時に、舞台美術や配置転換も物語の進展に邪魔にならぬもので、役者達の演技を更に深いものにしていた。照明・音響効果もグー。
CQ、CQ、

CQ、CQ、

サムゴーギャットモンテイプ

pit北/区域(東京都)

2014/07/17 (木) ~ 2014/07/21 (月)公演終了

満足度★★★

観客をにゃめちゃいけにゃい
 一応、オムニバスのような、フライヤーに書かれているように、時代の最も悪い部分でコンテンポラリーであるような、作品だ。

ネタバレBOX

 一貫して描かれているのが“性”であるにも拘わらず、本能の齎すその欲求と社会的動物である人間との間にある、時代・地域の慣習に挟まれて悶えるような肉体的・身体的事象の表象でないのが明らかな、描き方に特徴を見た。寧ろ、性情報との間の歪んだ幻想を表層で取り上げただけだ。従って、批評的観点や問題意識と言えるような質は、感じられなかった。性情報との葛藤が真であるならば、インポテンツなどの話を徹底的にパロる姿勢も出て来ただろうが、役者であり、演劇をやっている人たちのハズが、肉体、身体、精神活動といったものと真摯に取り組んでいないことがミエミエだ。それで、酷く退屈で長い時間、無駄な時間を感じたのだ。観客の目をナメてはいけない。
 唯一、面白く感じたのが、歌舞伎に対するパロディーであった。無論、歌舞伎役者より、形態模写にしろ、拍子木にしろ下手なのだが、それを含めて、此処に至る迄のどうしようもないスタンスと対比的に、歌舞伎の世襲制に甘んじている姿勢そのものに対する馬鹿馬鹿しさをなし崩しにする。このワンシーンに金を一番掛け、演出にも凝って演じられた点で、ある種のケレンミを感じさせた。評価するのは、この点と、宇宙人との交信・恋愛部分。これを演る為に、最初から計算ずくで作られたとしたら、評価は、ガラリと変わるのだが、其処まで計算ずくだとは思えないので、最終パートの高評価と、宇宙人云々はタイトルに関係することも含めて、総合で★3つ。
プライム輪舞曲

プライム輪舞曲

クリエイティヴ零-ZERO-

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2014/07/16 (水) ~ 2014/07/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

三種の神器と金庫の謎
 三種の神器を今更説明するのもなんだが、念の為。天孫降臨の際、瓊瓊杵尊が天照大神から授けられたという三つの宝物のことだ。草薙ぎの剣と一般に言われる天叢雲剣は、熱田神宮に祀られ、玉は、皇居に在る八尺瓊勾玉という勾玉、鏡は伊勢神宮に祀られる‎八咫鏡で、これらが日本の三種の神器である。このうちの草薙ぎの剣は、素戔男尊がヤマタノオロチを退治した時に、その尾から出て来たとされる。今作に登場するのは、この草薙ぎの剣だ。
 所は、とある不動産屋、このビルは大正期に作られたもので、オーナー、石井 由多加は現在、最上階に住みながら、ギャルを使ったデートカフェ、“JKおさんぽ”を経営、本人はオネエであるが、1階に彼の経営する古道具屋がある。先代の祖父が88歳で亡くなった時、石井は、カフェには置いておけないと競馬好きな社長、松木に奇妙な物を預けた。菊の紋章の入った金庫である。
 ところで、この会社には、かつて、役者をやっていた森 修二が居て、彼が主役をやったRock Musical”スサノオ”の舞台は一部に熱狂的なファンを生み出していた。他に同期で数学に滅法強い佐々木、入社半年にもなって客との契約書類一つ作れないボンクラの藤田。売上NO.1のさくや、さくやの営業成績のお陰で置いて貰っていると考えられていて、年がら年中、食べているせいで結果は、体重に現れている姉のまいわ。その他、佐々木の後輩に当たる伊保方は、矢張り理数系だが、鼻の右手に大きな疣があり、頭は良いのだが、目立たぬ存在。この金庫と三種の神器の謎に数学はどう関わるか? この謎解きが、実に面白い。様々な仕掛けのバランスやセンスも抜群といって良い。
(更なるネタバレは、公演終了後)

ネタバレBOX

 事件の発端は、社員が出社してくると見たこともない大きな金庫が、店舗の奥の壁際中央にドカンと鎮座ましましていたことだ。どんなに頑張っても開かない。社長が出社して、金庫預かりの件は、納得がいったものの、開きもせず、大きな金庫は目ざわりなだけだ。そこへ森が営業から帰社。マンションを売った金5千万も持っている。彼は、元役者というだけあってイケメン。まいわは、彼にホの字である。そこで、大きな体で彼を追い掛け、口説きに掛かるが、何時も何かを食べているせいで、口の右下にご飯粒が付いているのを指摘され、体よく逃げられた。彼女は、金庫に貼ってあった紙を剥がして口を拭うのに用いてゴミ箱にそれを捨ててしまった。そして、金庫の扉を引っ張ると、簡単に開いてしまったのである。これ幸いと、客から預かったマンション代金5千万を金庫に入れたが、この金は、次に金庫を開けたら跡かたも無く、無くなっていた。事務所は大騒ぎ、刑事が取り調べに来るが、彼の樹脂から電話が入り、皇宮警察がこの件を担当するから、そちらに任せるようにとの指示が出た。間もなくヘリコプターで到着した皇宮警察は、金庫に貼ってあった紙は封印をする為のものであったことを説明、問題を処理して立ち去ろうとするが、未だ問題が残っていた。現金紛失後、金庫に入った森もまた消え失せていたのである。ここで、数学に強い佐々木が活躍することになる。
少年たちの密室

少年たちの密室

BABEL THEATHER

シアターブラッツ(東京都)

2014/07/17 (木) ~ 2014/07/21 (月)公演終了

満足度★★★★★

良くできた脚本
 衝撃的な作品内容なのだが、シナリオが随分しっかりしていると思ったら、原作は小説だということである。優れた作品の中でもとりわけ推理が入ってくるような作品では、シナリオの優劣は決定的である。例えばどんな順序で、事件の全容を描き、どんな順序で事件を暴いてゆくか? 順序を一つ間違えば、名作たるものが駄作となるのもしばしば。その点、脚本家も良く心得ていて、上演中、ゆるんだシーンがなかった。キャスティング、演出、演技も終始緊張感のある舞台に仕上げている。Aチームを拝見した。

Get a Life(ご来場ありがとうございました!)

Get a Life(ご来場ありがとうございました!)

613

劇場MOMO(東京都)

2014/07/16 (水) ~ 2014/07/21 (月)公演終了

満足度★★★★★

他人と寄り添うということ
 シナリオ、演出、演技、効果、どれもバランスの取れた良い舞台である。
(ネタバレ後ほど追記)

ネタバレBOX

  臨床心理士(カウンセラー)、沢村の話である。彼は、現在、オペ担当ナースの奈津と同棲しているが、5年ぶりにかつて勤めていた病院に戻る。出戻りというわけだ。この空白期間、彼は航空会社の人事部で社員の精神面のサポートを行ってきたのだが、病院を離れたのには訳があった。彼の後輩の女性が相談にのってくれと電話をしてきたのだが、のってやらないうちに自殺してしまったのである。それで、自分が相談にのってやらなかったことが原因だと自らを責め、終には病院を去ることになったのだった。戻っても半年間は正規採用ではない。医局長の内籐 亮子が、正式採用の関門として指定したのは、末期癌患者の小峯 悟司、年は、30を少し出た頃か。結婚して6年。妻の慈子は、かいがいしく夫の世話をし、明るく振る舞おうとする姿が哀れを誘う。
ぼくだけの6日間戦争

ぼくだけの6日間戦争

ぽんず単独企画

ギャラリーLE DECO(東京都)

2014/07/15 (火) ~ 2014/07/20 (日)公演終了

満足度★★★★

贅沢な公演
 1.断水 作:大西 貴志 2.同じ穴の 作:今城 文恵(浮世企画)3.脱ゲー 作:ポリープタカシ4.Clean up bird 作:大西 貴志 特別出演:小幡 祐己 5.凡人の一生 作:竜史(20歳の国)6.土高ミュー研 作:池田 鉄洋(表現・さわやか)以上が演目であるが、この6本、作家が5人という贅沢な作り。舞台設定も見切れのないように配置された客席で、客数を多くするより、見易さを考えて作ってある。こういう配慮は有り難い。役者は、殆ど1人であるが、4だけは2人である。4では、酔っ払った主人公を演ずるシーンがあるのだが、この時は、わざと照明を落として眼球が観客からは見え難いようにして演じた。この演出は秀逸である。何故なら、どんなに形態模写を上手にやっても、観客から酔っていない目を隠すことは困難だからである。こういった点に気付き、演出でカバーできることが肝要なのだ。
 シナリオは、作家の数も多く、観客の好みも分かれるし、初日を拝見したばかりなのでくだくだ説明しないが、引き込まれるものが多い。

オスとメスの見わけ方

オスとメスの見わけ方

ともにょ企画

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2014/07/14 (月) ~ 2014/07/15 (火)公演終了

満足度★★★★

私は見た!
 「オトコの一生」と「このヒフの下のトンネルを抜けた先に、わたし」の2本で構成するオムニバス。普段、大阪で活動するグループだが、今回が東京初進出だ。12月にも池袋シアターグリーンでの公演が決まっているとか。自分も初見の劇団だが、印象ではブラックユーモアたっぷりの大人向け苦コメ(苦いコメディー)と見た。無論、若い世代が観ても笑えると思うが、知識や経験の量、質によって一定の深読みが出来ると言うことである。まだ、若い人ばかりの劇団なので、今後、どんどん力をつけていって欲しい。

ネタバレBOX

 ところで、「男の一生」もフランス語では、une vieで「女の一生」と同じタイトルで表せるのだが、無論、これはVieが女性名詞だからである。「女の一生」の場合は日本語に訳した訳者の名訳ということになろう。
 男は所詮鉄砲玉である。女にとって子種であれば何でも良い、というのが、本当の所だ。だって生物学的に生物の種に関わりなく、生命のプロトタイプは女性であって男性ではないから。従って、単性生殖は総て女性ということになりそうだ。実際、今後、生物界で♂が生まれなくなったら♀による単性生殖だけが種生き残りの手段となりそうである。実際、環境ホルモンの影響によって、自然界では、♂が激減しているのが実情である。
 ところで、今作では、♂と♀のアイデンティティーはその重さが桁違いである。何故、そんなことが言えるのかといえば、♂は総て役割(オトコ、ムスコ)などで表されるのに対して♀は総て固有名詞で表されているからである。これが、意味する所は明らかであろう。女は存在し、男は存在しない。♂の場合は役割だけが“存在”しているのである。平の駄目社員から課長になり部長になって出世して行くものの、仕事といえば、盲判を押すだけ。子供は持つものの、最後はアルツハイマーでお陀仏。何とも侘しい“人生”ではないか? というのが今作である。

「このヒフの~」は、これに対し、自民党の救いようも無い阿保共の女性蔑視発言をみても明らかなように、橋下大阪市長の大阪都構想を実現する為と称して実施された“出直し選挙”なるものが平気で実行されてしまうような地盤の問題を炙り出しているようである。かつて横山ノックをトップに選んだ地域でもあるから、その政治センスは、東京と変わらぬ酷いものには違いない。何れにせよ、この歪み切った日本という名のアメリカ植民地では、正論を述べることはタブーであり、それが冠されるのは、下らないと言うのが悪ければ瑣末的な、リベラルの動向に関しては、公安垂れ流しの比較的正確に近い情報を流しつつ、政治的に大衆を操作する必要のある時には、トンデモナイ嘘を流すFSグループだとかの発刊する月刊誌だったりする「被植民地“国家”」の話である。出演者は、女性ばかりだ。で、若い女性記者が、極めて真っ当な記事を書くのだが、キャップ、デスクと思しき、彼女の上司は、彼女が母子家庭出身であることを、その意識の高さの原因として、真っ当な意見を恰も薄汚れた、毛嫌いすべき、鬱陶しく不潔で不純なものに感じられるよう、ねちねちと苛めを繰り返し、配置転換を強行する。その上で、彼女の興味・傾向とは縁遠い事象を記事にすることを強制するが、一所懸命に職務を全うしようとする彼女の取材対象そのものが、既に、その抱える社会的問題や軋轢によって内部から瓦解させられているような対象でしかない、という極めてブラックな笑いに満ちた作品である。因みに、最後に彼女の取材した人々は演劇を趣味でやっている人々なのだが、鳥や動物の形態模写が主で、而も、正規メンバー5人のうち登場する二人の内の一人は、公務員、警察官なのである。黒いではないか! 女性が、男性から未だ蔑視される社会にあって、権力の犬として機能している警察官が、己の解放を目指してやっていることが演劇なのは兎も角、それが、表現するものが、何らかの象徴であったり(動物農場のような)、敢えて誰か現実の政治屋を動物になぞらえて茶化しているわけでもない、ナンセンスそのものである所に、この植民地の深い闇を見るのである。沖縄密約に対する最高裁判決を見るにつけても、三権分立は愚か、このような判決を全員一致で判示したことによって、彼らに理性そのものが無いことを証明してしまったと同然である。而も、秘密保護法と名付けられた情報隠蔽法、共謀罪成立も射程に収めての判決である。誰に利するかは明らかであろう。本当のことを言おうか! 主権は、日本国民に無い。アメリカにあるのである。これだけが、合理的に導き出される答えだ!

 そのことを踏まえた上で2作目のタイトルの”わたし”に続くのは、は、見た。というこのレビューのタイトルである。
魔女たちのエチュード

魔女たちのエチュード

ライト・トラップ

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2014/07/12 (土) ~ 2014/07/13 (日)公演終了

満足度★★★

現代生物学も学んだ方が良さそう
 オムニバス形式の短編で構成された2幕物という形だ。第1幕では、1.闇の中2.女神たちのパーティー3.アマテラス4.いとなみのことわり5.イヴ6.Monthly Death 7.アフロディ-テ8.仮面の女10分の休憩を挟んで第2幕9.アマノウズメ10.魔女裁判11.イナナミ12.蛍の檻13.Here I am.

ネタバレBOX


  登場する者5人のうち4人は、女神1人がイヴである。イヴも当然のことながら旧約聖書の記述に従ってアダムの肋骨から取られたとし、命名もアダムである。因みにアダムの名付け親はヤハウェだ。
 実は、この辺りからおかしいのである。発生学的には、命のプロトタイプは女性形である。然るに、旧約聖書では、男が先に生まれた(発生した)ことになっていることが、先ず、事実と逆。男性優位社会は、恐らく生物学的に弱い男性を社会的に保護する為に作られた制度だと思われるが、これが長い時代の中で制度化され、社会的通念となった時、事実を容易く圧迫するのは、子供にも分かる道理である。
 自民党の阿保共が、蔑視発言を繰り返すように、程度の低い連中には、物理的力の強弱でしか世界を測ることができないらしい。そして、生物学的には男性より強く、より本質的な性である女性は、この物理的力に如何に対応するかに苦慮してきたと言えよう。更には、性差を自然が選んだ時から男性は、遍くばらまくことを、女性は、狭く深く具体的に愛し、養い、育てることをその性差上の特色としていよう。後は、教育や習慣などによる心理的問題がある。嫉妬や、育てる条件の優劣などである。(知的・体力的・美的・経済・社会的地位などの)
 ここで、登場人物の殆どが女神になっていることについては、作者の遊びや、何となく受容している自然観があるのであろう。一応、古事記・日本書紀などの古典的知識は前提である。その上、西欧代表としてギリシャ神話からはアフロディテが、旧約聖書からはイヴが選ばれ、我が国の文化レベルを表象していると言えよう。所謂、バナナ(肌は黄色い癖に、中味は白人だと勘違いしている日本人をおちょくるアメリカの隠語)である。但し、作家が、何処迄神学や我が「国」の植民地状況を踏まえているかとなると、心もとない。
 唯、自分の気に入った作品は、女子プロレルラーを扱った「仮面の女」、コンプレックスを扱って見事な「アマノウズメ」幽けき愛の純度を精錬したような「蛍の檻」の3篇が殊に気に入った。仮面と蛍は、実現せぬだけに純度と精緻を極めた悲恋もの。アマノウズメは、足るを知る者の謙虚な姿勢とその深い苦悩に、また、アイデンティファイの在り様に深く打たれた。
 一方、如何にも日本的だと思ったのは、男女の関係を表すテーマとして、手洗いの問題が作品化されていなかったことである。自分が、フランスで暮らしていた頃、大学には、数十カ国からの留学生達が居たのだが、女子トイレが一杯だと白人の女の子はつかつかと男性用のトイレを使いに来ていた。ちょっと恥ずかしそうなそぶりは見せるが、案外シレっとしていた。無論、文化的にレベルの低い馬鹿が多数存在する日本では、無理かも知れないが、この辺りのネタを使って書いて頂けると面白い作品が出来るのではないだろうか?
 矢鱈、カム役者が居たのが残念。作品評価として、特に挙げた3作品は5つ星、4つ星の作品も多いのだが、カミの評価でマイナス。総合評価を3つとした。
Heavens ~夜と夜と音楽~

Heavens ~夜と夜と音楽~

天幕旅団

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2014/07/11 (金) ~ 2014/07/14 (月)公演終了

満足度★★★

不徹底
 作品の総論レベルでは、もっと、物語が本質的に受け持つレベルの深さに忠実であるべきである。砂糖菓子か砂糖をまぶした偽物、即ちTVの安っぽいシナリオ程度なら、これで合格だろうが、戯曲を書くならもう一枚、己の皮を自ら剥いで書くべきである。かたい話はここまでにしておこう。
 ご存じ不思議の国のアリスに似た男の子の言葉を使う、アリスが登場。兎の穴へ落ちてゆくのだが、そこは、父の墓穴である。彼(女)には、父殺害の嫌疑が掛かっており、今日は父の葬儀、両手を革バンドで縛められて参列しているのだ。(上演中故、ネタバレはこれでストップ。ひょっとしたら、書き足す)

ネタバレBOX

兎と出会った彼(女)は、縛めに用いられていた鎖付き懐中時計を時計を失くして困っていた兎に貸すと、縛めが解けた。そして、兎の穴に飛び込むと、自らの分身と名乗る者に出会う。分身も男の子の言葉を話すが、二人ともスカートを穿いている。そして、これはスコットランドの話ではない。(にゃんちって!)閑話休題。
 穴は深い落ちてゆく間にお茶を飲もうとしたり漫画を読もうとしたりするが、落下速度が速すぎてアリスは楽しむことができない。漸く、穴の底に近づいた。兎は落下スピードから身を守る為の傘を用意しているが、アリスには、何も無い。一旦は泡を食うアリスだったが、どうにかなるさ、と居直ってしまう。実際、物語の中では、道化兄弟の綾取りで作られた巨大なハンモックのお陰で、アリスは、無事地下世界に到着する。然し、此処にも因果の網目は届いていた。
カウラの班長会議 side A

カウラの班長会議 side A

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2014/07/10 (木) ~ 2014/07/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

精神に与える教育の影響
 オーストラリア南東部、海岸から80kmほど離れた田舎にカウラはある。1944年8月5日、この地に収容されていた日本人下士官・兵1104名は、軍人勅諭に則り、生きて虜囚の辱めを受けぬ為、自死そのものを目的とした脱出を試み、234名が命を落とした。この暴動でオーストラリア兵4名も落命している。

ネタバレBOX

通常であれば、捕虜の待遇が余りにも悪いとか、或いは、友軍が傍迄来ていて、共に勝利に為に闘うことが出来るとかいう確実な情報があって、反乱をおこすのであるが、カウラの捕虜収容所は、その何れも原因ではない。原因は、寧ろ、日本の軍事体制及び軍事行動の無定見から来る無理にあったと見て差支えなかろう。兵の命など1銭5厘の赤紙を郵送するだけでいくらでも調達できる。これが、軍の考え方である。捕虜になることは、敵前逃亡と同罪、原隊に復帰した所で銃殺が待っているだけであり、その不名誉は、非国民として村八分にされる自分の最も愛する親族・捲族に及ぶことは火を見るより明らかであったことから、彼らは、自死する為にこそ、暴動を起こしたのである。その結果が、先に挙げた数字である。
 初演では、頭で考えたことを舞台化した、というイメージが強かった今作。内容的にもかなり変わった。オーストラリアの学生が、この事件を取り上げて映画を作るという設定で、今作は進んでゆくのだが、互いの対比が際立つ今回のシナリオ・演出は事件をより立体的に臨場感を伴った形で見せてくれる。実際、オーストラリアから役者を呼んで上演しているのも良い。彼我の差とはどういうものか? 日本の軍人精神とは如何なるものであったか? ひしひしと伝わる舞台である。暴動直前、捕虜となった兵士たちが一糸乱れぬ統一行動をとるシーンなどは、怖い程の迫力である。
 安倍のような、無責任で、どんなことがあっても前線に立つことの無いことを保証された気楽でアホな権力者などには、及びもつかないのが戦争の実際である。その一端がキチンと示されている。更に、軍人勅諭に死の論拠を見出してしまう精神構造、それを可能にした教育。こういう欺瞞を支えていたのが、ほかならぬ民衆であったことも、また現在、そうであることも読み取ることが可能である。我々は、先ず、自らの欺瞞を明らかにし、政権の欺瞞を打ち砕くべきである。いつまでも社畜であったり、アメリカによる植民地支配を許すべきではないのである。
 原発再稼働に邁進する下司共の背景には誰がいて、どんな力が働いているかも、自分で調べてみよ!
幻想時代劇『天守物語綺譚』

幻想時代劇『天守物語綺譚』

東方守護-EAST GUARDIAN-

DDD AOYAMA CROSS THEATER(東京都)

2014/07/10 (木) ~ 2014/07/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

純粋を通して見る美
 舞台は花道を真ん中にとってT字型。中央舞台中ほどから奥は段差を付けて高くしてあり、そのセンターには、姫の玉座、玉座のやや後方上部に獅子頭が据えてあり、その下は逆Uの字の通路が、更に奥へ通じている。この部分全体が天主閣である。Tの字の翼の端には、天井から、銀色の細い紐が天井から床まで届き、途中、ピンクの蝶が止まっている。原作が余りにも有名な作品なので、筋等は省く。(2014.7.13午前4時50分ネタバレ追記)

ネタバレBOX

  今作に特徴と思われる点を以下に記しておこう。始めに登場する“嘘語り”は、無論、この幻想的な物語のシチュエイションを、現実世界から、劇場空間へ入って来た観客に自然なものと感じさせる為の仕掛けである。即ち、日常から舞台のリアリティーへ移行する為に設定されたキャラクターである。だから、観客は、彼を原作者、鏡花の分身ととってもいいし、脚本・演出家の分身ととっても構わない。要は、メタ化されていることが分かりさえすれば良いのだ。
 結果からみて、この導入部は、大きな成功を収めたと考える。主人公は魔性或いは化生のものである。従って、物語にリアルな感じを与える為には、観客を夢幻の世界にそれと気付かれずに誘いこむ必要があるのである。それなしには、観客は白けてしまうだけであるから。まして、本作は、鏡花の耽美的な側面が最も良く出た作品の一つであり、最も有名な作品の一つであるから、その独特の世界観に観客を引き込むことは、作品そのものが発する要請でもある。為にこそ、主人公は、一種のエーテルのような存在であらねばならず、為に実相とされる我らの世界全体に対しての鏡と化すのである。
 言い換えれば、所謂魔物である富姫とその眷族がかく迄美しいのは、人間の持つ厭らしさ、狡さ、汚さが対比されるからである。而も、ここに、図書之助を配することにより、人間を一面的に見ていないことを示し、而も大多数の人間が、今作で描かれたように、利害の為には、親友も恩ある人も平気で裏切り、あまつさえ殺害を図ろうとする身勝手な存在であることを描いている点も見逃せまい。これらのアウフヘーベンされた形こそ、苦い美であると示唆することは、何と辛く超人的な努力であろうか? 謂わば、夢幻の世界を描きつつ返す刀でエゴの持つグロテスクをアイロニカルに描いているのだが、この複雑な情景を過不足なく息づいたものにしているのは、細部のリアリティーである。
 一、二、例を挙げるなら、亀姫の乳母役がお歯黒をしている点や、武士が敵意の無い時には、刀を右手に持っていることなどである。この辺り、剣術をやった人間にとって常識とはいえ、知らない人間が多過ぎる現代にあって、貴重な注意力である。無論、腰に差す場合は、左に差す。これは、いつ何時、非常事態に会わないとも限らないと考えるのが武士である以上当然のことである。
 衣裳の工夫や、キャスティングの妙も気に入った。また花道を真ん中に据えたT字型の舞台も上手に使われている。何より、純粋な愛と信義、それらを前提として花開く美は、下界の苦みを超越するポテンシャルを内包し、異形の世界故に、逆に純度を高め、独自のcristallisationを形成している点が良い。
NEVER SAY NEVER and…~月が綺麗だから~

NEVER SAY NEVER and…~月が綺麗だから~

BIG MOUTH CHICKEN

ブディストホール(東京都)

2014/07/10 (木) ~ 2014/07/13 (日)公演終了

満足度★★★★

身体パフォーマンスレベルが高い
 ここは、狼人族、吸血族が暮らす地下世界だ。無論、地上には人間達がまだ住んでいる。狼族も月光が届かないので本格的な変身はしないし、吸血族も人工血液を啜っているので、他人を襲うことは無い。また、互いに結んだ非戦協定が千年に亘って守られている為、戦争も起こっていない。然し、問題が無いわけではない。両種族共、近年、生まれる子供の殆どが女の子で、子孫が残せないのではないか? との懸念が持たれているのである。有効な手段はまだ見付かっておらず、イラ立った人々による小競り合いが起こっていた。

ネタバレBOX

 吸血族は、近い将来王権が禅譲されることになっているのだが、王子は姿ばかり美しいものの、うつけとの評判。一方、狼人族には、年頃の姫があって、王・王妃共にそろそろ、娘を嫁がせたいと候補を選んできたのだが、戦闘能力も高く、紳士的で高い理想を持つ青年の背丈が低いので王女はお気に召さない。だが、王は、青年を頗る高く評価し、青年もそれに応えて振る舞っているのだが、王女の娘心は簡単に変わりそうもない。
 そんなある日、満月の晩、狼人族の祭りの日に、禅譲に必要な王の印の帽子が何者かに盗まれた。それを聞いた吸血族の王は、もっけの幸いと、これを口実に戦争を仕掛けようとする。
 然し側近の者に、明確な証拠が無い、とたしなめなれ、本当に狼人族が、盗んだのか否かを確認する為に側近2人と王子が、満月の祭りに紛れ込むが。そこで、王子と王女は一目惚れ。而も異種族同士の恋愛は、その間に出来る子を怪物となし、互いの種族を滅ぼすとう伝説があって、今迄、誰一人として試してみたことは無かったのである。
一方、吸血族の王は、戦争を起こせば、男は戦闘で男らしさが戻り、男子の出生率も高くなると信じているのだが。実際には無論逆で、虚しく命が失われてゆくだけである。
 狼人族の戦争推進派は、科学者だ。彼は自分が開発した狼人族を凶暴にさせる薬を使いたくてしようが無い。然し、狼人族の王は、闘いは何も生まないということが良く分かっている賢王なので、なるべく穏便に事を済ませたい。だが、其々の王子、王女が恋仲になって駈け落ちしてしまった為、その責任のなすり合いで戦争は勃発してしまう。そんな中、2人のデート中に現れたのは死神。だが、彼は、王子が自分の若い頃に似ているとして、王子を助けることを誓い、実際、多くの手助けをしてくれる。王子は、両グループの戦闘を止めたいと動き出し、姫も彼と行動を共にする。上演中なので、この後どうなるかは劇場で確認して頂きたい。
夏といえば! に捧げる演劇儀式 〜愛と絶望の夢幻煉獄〜(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!)

夏といえば! に捧げる演劇儀式 〜愛と絶望の夢幻煉獄〜(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!)

宗教劇団ピャー! !

pit北/区域(東京都)

2014/07/09 (水) ~ 2014/07/13 (日)公演終了

満足度★★★★

寡占資本主義を駆逐せよ!!
 学校での授業という型に入れた今作。ベートーベンの第9を構成要素に取り入れている。ピャーの劇作家、塚田氏は、今回も失踪した。2年前の矢張り夏、学生芸術祭でもテーマは儀式であったが、この時にも失踪していた。思うに、この儀式は通過儀礼のイニシエーションなのではあるまいか? 本人が意識していようがいまいが、その要素を感じる。2年前も今回も、基本的に、描かれているのは、人間の根源的な欲望に関する事柄である。2年前は、喰う、寝る、セックスする等々が描かれていたのだが、今作では、若干、毛色が変わったものの矢張り、アメリカの植民地として収奪され続けるこの日本で、大人になるということは、即ち、本来自分達が抱えている様々で自然な在り様や、そこから自然に発露してくる帰結としての、自分の頭で考え、自分の頭・身体で生き、自分達の判断で意を決して、自らの意志に従ってアイデンティファイすることであった。然し乍ら、アメリカのプラグマティックな独占乃至寡占資本主義体制は、民衆が自らの頭を使って自らの行く末を決めることを肯んじない。何故なら、それを認めてしまえば、寡占体制は瓦解するのが必定だからである。寡占する側唯一の論拠は、彼らの方が、民衆より優れた判断を下し得るとの思い込みである。即ち、社会をリードするという役割は、彼ら特権階級だけのものだと思いあがっているに過ぎないのである。彼らは、豊富な資金と彼らのイデオロギーにお墨付きを与える御用学者及び、権力に媚びを売ることで権威として収まる御用インテリらの見解を拡散し、喧伝するメディアを巧みに操り、実は意味の無い文言をパブリシティーとして流通させることで、民衆を大衆化。愚民化するのである。然し乍ら、この欺瞞と瞞着に気付く一部の人間が居る。それがアーティスト達を含む本質を見る目を持った人々であることは言うに難くない。今回、塚田氏の穴を埋めたのは安藤 尚之氏、アーティストとしてのDNAをキチンと継承していると見た。出演した女優陣・男優も無論である。彼、彼女らの、内側を見つめようとする目、そして、そのような過程を経て外へ向かおうとする目に対して、飛躍的なジャンプが必要になることも含めて、キチンと付き合ってゆきたいと考えている。ピャーはラディカルで、それ故、愛すべき劇団なのである。(追記2014.7.11)

ネタバレBOX

 ところで、美術系大学の学生さん達が作った劇団なので、その辺りのことも付け足しておこう。“pit北/区域”という空間を選んだ美意識もさることながら、この空間の使い方が気に入った。螺旋階段を下りてゆく時には、草いきれと共に、吊り下げられた草が、頭や顔を撫でる。自分は、当初2階に案内されたのだが、木道のように張り渡された板以外の部分を歩くと、そこには、色とりどりに染められた紗のような布が張られているのだが、木道より一段低い床が下にあるので、つんのめる。歩く時は、木道の上を歩くように。2階通路途中には、ぬいぐるみの猿が吊り下げられ、見ざる、言わざる、聞かざるを表象しているのは、無論、江戸幕府のモットー“寄らしむべし知らしむべからず”を表しているであろう。2階の床の内側には、鉄柵が張り巡らされているが、ここには、麻などで裏張りされた、人型の上半身が、舞台を見下ろすような感じで斜めに設えられている。観客が通常1階に入る入り口から見て右手の壁には、巨大な傘のような大きく丸いオブジェが貼り付けられている。劇中、皆の苦しみ、悩み等をガムに転移したものを捏ねて仏像をつくるアーティストの話があるのだが、この時、このオブジェは、世界観を表すと言われる曼荼羅に見え、柵に掛かって舞台を斜め上方から見下ろしている半身像は、五百羅漢と解することもできた。これらの間に、つたのように弦が絡まり、低く深く囁くように、見ざる、言わざる、聞かざるが、我らの意識を日常的に犯している構図が透けて見えるのだ。情報隠蔽法である、特定秘密保護法と名付けられた憲法違反が明らかな悪法や、民衆を政治に関与させない為のあらゆる法、体制が、隠蔽されている事実を告発しているようである。誰かが、このくらいのことには、気付くかも知れないと今迄書かずに居たが、追記しておく。
 あ、それと、坐った場所を変りたければ、休み時間に変われるよ!
許されざる者

許されざる者

シンクロ少女

アトリエヘリコプター(東京都)

2014/07/02 (水) ~ 2014/07/08 (火)公演終了

満足度★★★★

慣れへの絶望
 マンションとは名ばかりか? 隣の部屋の音がもろに聞こえてしまうような安普請の隣部屋同士のカップルが、くんずほぐれつになっちゃうお話。男女の微妙な機微をセンシティブに描いてグー。

ネタバレBOX

 各々のカップルは、フットサルのコーチをやっているゲンキと一回り上の女房、さやか。シナリオライターのイクオとナツ。イクオはバツ一なのだが、未だ、前の女房、コズエと共同でシナリオを書いている為、ナツと暮らしている部屋にも、コズエはやって来る。ナツは最近、ドーナツをたくさん作って売っているのだが、これが頗るつきに評判。ナツの名はドーナツと掛けているかも知れない。
 まあ、この設定からして、ちょっとアブなそうだが、危ない理由はもう一つある。二組とも結婚後6年。倦怠期である。
 これらの要素が化学反応を起こし、ゲンキのシングルマザー相手の浮気から始まって、ゲンキ&ナツのスカイツリー探訪、返しのイクオ&サヤカの同所散策。これらが嵩じてスワッピング迄。だが、互いが情報を共有し、納得づくで進展しているうちは、、却って元々のカップルの営みも新鮮味を増し、刺激的にもなったのだが、其々の女達が妊娠すると。わや! そこから先は読者の想像に任せよう。
わっしょい!!鋼鈴の乱

わっしょい!!鋼鈴の乱

張ち切れパンダ

小劇場 楽園(東京都)

2014/07/02 (水) ~ 2014/07/08 (火)公演終了

満足度★★★★

まりっぺ
 マリは小学校3年の女の子。お父さんが居ないせいか、お母さんが入院していて叔母さんの世話になっているからか、独立心が強く、世知に長け、勉強は嫌いだが、中々はしっこい。今日も、学校帰りにクラスの苛めっ子3人に襲われたのだが、返り討ちにしてやった。(2014.7.9追記)

ネタバレBOX

 苛めの理由は、参観日で皆が、其々、宿題で書いて来た作文を読んだのに、マリだけが読まなかった。という理由だ。彼女が宿題をやってこなかった。そう苛めっ子達は思っていた。実際は、宿題はキチンとやってきていた。ただ、入院しているお母さんに直接読んでやりたかったので、クラスの皆の前では読まなかったのだ。叔母さんは忙しいので、参観日に来て貰うのは遠慮していたのだが。結局、学校から、呼び出しを喰らった叔母さんは、学校へ来た。そして、返り討ちに遭った苛めっ子達に飴をやって宥めると、ご飯代や小遣いをくれようとするのだが、自分で生きて行く、と強がってマリは受け取らない。そのまま、叔母と別れて、母の入院している大岡山病院へ行こうとする。然し、問題の病因が何処にあるのかも、どれくらいの距離があるのかも分からない。そのうち、夜になってしまった。交通費も食費もなく、とぼとぼ歩いている内に公園に辿りついた。ここで野宿しているホームレスのオジサンに出会った。開口一番、病院の場所を訊いた。オジサンは、病院の名を聞くと、「遠いぞ」と言う。オジサンを良い人だと見抜いたマリ、オジサンの傍に坐ると、臭い。遠慮なく「オジサン臭い」といいつつも、少し座る場所を離しただけでチョコんとオジサンの横に座っている。おまけに、「お金貸して」と頼んだのだ。それ迄していた雑談の中で「一人で生きて行くんだ」と散々言っておきながら、そしてオジサンに「弱虫」だの、何だのと言っておきながら、「金を貸してくれ」と無心するが、ホームレスが金を持っている訳もない。すると、マリは、オジサンの所に「泊めてくれ」と言い出す。オジサンの屯しているのは公園のベンチ。毛布1枚被って寝ているわけだ。そこへ強引に潜り込もうとするマリ。オジサンは、通りすがりの者に、変な誤解をされることを恐れて、兎に角、「帰れ」と諭すが。マリは結局、公園で一夜を明かすことにして、近くのベンチに蹲り、いつの間にか寝て仕舞った。その時、彼女が持っていた紙に目を落としたオジサンは、事情を深く理解する。そして、1枚しかない毛布をマリに掛けてやると、自分は毛布無しで過ごし、朝早くから稼ぎに出掛けた。やがて目覚めたマリは、オジサンが居ないことに気付くが、何処に行ったかは分からないまま、公園に居ると、一人の青年がやって来てベンチに座った。パンをマズそうに食べている姿を見て、お腹が鳴る。(足したよ2014.7.9)
パンをねだるが、最初は断られた。彼女が好きだったパンなのだが、彼の好みではない。何れにせよ、マリは、パンをゲットし、青年と話し始める。彼の名は、久保。彼の様子から久保が自殺を考えていることを見抜き、訳を訊ねる。訳は彼女に振られたことだった。それで自殺を考えていたのだが、マリは、昨日、おじさんと話していた時に見掛けた、新興宗教の教祖達が、どうやって信者を獲得して行くかを見ており、それを応用して、復縁させようと目論んだ。その為には、彼女の情報を得なければならないので、久保に彼女の名前やこれまでの経緯を訊ね、そのデータを仕込んだ上で、彼女、良美の働く店へ出掛け、彼女と会って、預言者のふりをする。データは久保から得たものだから正確である。良美はまんまと嵌って、仕事が終わった後、久保と打ち合わせておいた場所に来てくれた。こんな経緯で二人は復縁したが、オジサンが仕事から帰って来て、稼いだ金を貸してくれたので、家に戻って見ると、叔母さんがしょんぼりしている。一所懸命、マリを探したが見付からない間に、お母さんは亡くなっていた。
 長い時が流れ、新興宗教はそれなりの規模を持つようになっていた。偶々、この団体が主催している洗脳施設でオジサンを見掛けたマリは、是非とも、またオジサンに会って借りた金を返したい、と願うが見失ってしまった。教祖によれば、教団に居れば、また会えると言う。そこで、マリも教団で暮らすことになった。教団の教えは、不幸な過去を捨て去り、完全に忘れて、ハッピーに生きることであった。マリは自分の身勝手で、母の死に目に会えなかったことだ。一旦は、教団プロパーらの説得により、過去を忘れ、アイデンティティーを喪失して、何者でもない存在を目指そうとしたが、持ち前の知恵が、それを拒ませた。その為の授業料は、貢ぎとして支払うことになったものの、彼女は、傷だらけの人生を背負ってゆく道を選ぶ。オジサンにも思い出して貰った。母に宛てた作文を取り出し読みだす所で幕。
 無論、これを読む、という演出も、シナリオもあり得た。然し、読まなくてグレードが一段上がった、と考えたい。演出家は、観客に想像して貰うことを選んだのである。こんな時代、自らの頭で考え、判断し、生きてゆくことこそ、肝要である。これはその事を意識した作り手からのメッセージであろう。
マリを演じた梨澤 慧以子も、元気で世知のある子供を演じた演技が気に入ったが、オジサンを演じた植吉の演技が良い。また、マリの勝手な行動の結果、母の死に目に会えない、というシナリオのリアリティー、オジサンが弱虫と罵られて一念発起、職に就いているのも良い。

E=mc2=…?

E=mc2=…?

集団as if~

笹塚ファクトリー(東京都)

2014/07/02 (水) ~ 2014/07/06 (日)公演終了

満足度★★★

ヒロインが熱演
 数式が出てくるが物理学でも数学でも音楽でも無い。絵描きの話である。開演の大分前からアンケートにくっついている“タイトルカード”というものに、(好きな単語)、(架空の物語のタイトル)、(好きなセリフ)、(大喜利のお題)と四つの項目があって観客が好きなフレーズを書き込むことができる。これを劇中のアドリブ要素として使う趣向である。一応、演目がコメディーということになっているので、まあ、御愛嬌ではあるのだろう。

ネタバレBOX

 テーマは頗る真面目である。創作された作品の評価と自らの芸術観の相克がテーマだからである。この日本に今生きて、表現に携わっている者なら、一度は真剣に向き合ったであろう問題である。日本がサル真似をし続ける国、アメリカでも事情は大して変わらないのは、ブロードウエイやハリウッドで出来る作品を見てみれば分かるだろう。金は掛かっているし、無論、それなりに上手い。然し、総て何処かで既に見て来た、陳腐でありきたりの内容であり、狂気や真の迫力は全くない。おまけに、作者のその表現でしか描けないようなギリギリのヴィジョンに欠けるのである。この点は例外が無い。歴史に残るような作品を作っていた時代が、ハリウッドにもブロードウェイにもあったのは事実だが、現在もそうだとは思えないのである。興行収入の良い作品とはマスコミが、囃し立てた作品であり、良いか悪いかとは別物である。こんな当たり前のことが、無論、ディレッタントや興味を持っている人間以外には分からない。そこに、つけ込んだのは無論資本であり、資本がメディアを支配する現在では、キチンと情報を取る術を知らなければ誤魔化されるのだ。今作では、絵描き自身が。この罠に嵌ってしまった。身も心も捧げてくれた恋人・妻を巻き込んで。中盤から終盤にかけては、芥川の「地獄篇」を思わせるような展開だが、前半、おふざけが過ぎて、白けるのと、コンセプトに新鮮味がないこととで、矢張り減点である。ヒロイン役の女優は熱演だったが、これでは彼女が可哀そうだ。他の注意点で最も大事な事は、会場アンケートに書いたのでここには書かない。
第11回シアターX(カイ)国際舞台芸術祭

第11回シアターX(カイ)国際舞台芸術祭

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2014/06/14 (土) ~ 2014/07/06 (日)公演終了

満足度★★★★

ポーランドの作品が圧倒的
 第一部はポーランドのAmareya Theatre & Guestsの“Nomadic Woman”。今作は、グリーンランドに住んでいたエスキモーの少女、ルイーズ・フォンテン(当時9歳)が、1960年代にデンマークで勧められたイヌイットのヨーロッパ化政策によってデンマークへ強制的に移送され、デンマークの家庭に引き取られて、デンマーク流の教養、マナー、言語等を教え込まれた。無論、本来彼女の持っていた文化・文明は総て否定禁止された。結果、彼女は、自らの魂の帰属すべき場所と機会を失い、所謂デペイズマンを抱えたまま、生涯を送ることになった。エドワード・サイード流の言葉で言えば”out of place”ということになろう。オーストラリアでは、アボリジニが同じような目にあった。日本でもかつて、アイヌに対して、更に酷い形で、同化政策が取られたことは、多くの知識人が頬っかむりしている事実である。日本の大衆は、そのような事実を知りもしなければ、知ろうともしていない実情がある。また、知っている者は、知らぬふりをする。何と言う欺瞞及び怠慢だろうか? こんなことだから、滅びに向かって一直線なのだ! 横道に逸れた。
 本題に戻ろう。この存在の不如意を、表現者たちは、ハンデキャップに仮託して表現しようとする。尚、ハンデキャップとはヨーロッパで普通に使われる障害者の呼称である。障害者という言葉に、非常に差別的なニュアンスを感じる自分は、ハンデキャップという関係の中での状態を表す表現を使わせて貰う。この時の体の重心の移動が凄い。鍛え抜かれた身体だけが、耐え得る負荷であることが、観客に明確に伝わるムーブメントは、当に身体による思想表現である。更に、開始早々、イヌイットの女性用ナイフである「ウロ」で髪の毛を少し切られた女性は、その後、バリカンで丸坊主にされた上、半裸状態で観客席から後ろ姿だけが見えるように、舞台奥の壁の前に立ち続ける。舞台上では、上手・下手に分かれて、ハンデキャップに仮託した身体パフォーマンスが演じられ、終わると60本以上の抜き身のナイフを吊り下げた下で、肌を晒したパフォーマーが踊ったりもする。刃迄の踊り手との距離は、離れている時でも30cm程度、近い時には、体に触れる。無論、実際に切れる刃物である。従って、見ている側に緊張感が走るのは当然である。刃の下から抜け出た踊り手は、腕を左右に揺らし、煙がたなびくような仕草をする。背景には、H.L.M.でもあろうか、移動しながら粗末な住宅を眺めているような映像が流れている。H.L.M.であるならば、それは、移民や、被差別民を意味しよう。そして、先ほどからずっと奥の壁前に立ち続けている、髪を剃られて半裸から、全裸になったパフォーマーに意味を付与するなら、そして、この手の動きが煙のたなびく様子を意味するなら。そう想像したら、背筋を悪寒が走った。このように緊迫したシーンを幾つも持った素晴らしい舞台であった。(★絶対5つ)
 第二部は、Dance Monsterという名の日本のグループ。演目は「今日のニュース」というタイトルで福井県の原発銀座を中心に扱った作品だが、言葉を多用して、表象する余り、身体化・内面化が乏しいように思われた。主張は明確で、理性のある者なら当然の発言であり、非科学的で非理性的な自民党やその支持者、原発推進、核大好きな滅亡推進派などには、反対を喰らうような至極真っ当な主張であり、それが、古事記や、日本古来の神々や神道と結び付けられて表現されている点で、靖国大好きな滅私奉公推進機構の国賊とその支持者たちへのアイロニーとして機能している。(★おまけで4つ)
 第三部は、清水 知恵のソロダンスで、タイトルは「蝶と遊ぶ 木花 咲耶姫」命とアイデンティティー、生き方等を求める在り様を、そのたゆたい、瞬発力、背景に浮かぶ時間等を表象しようと試みた。存在感とフォルム化された美意識には、見るべきものがあったが、主張や表現したいものの内容が、観客に伝わる為には、更なる工夫が必要に思われる。その度合いはパラダイムシフトというレベルを当然含む。(★四つ)
総合四捨五入で★4つ

モモ

モモ

実験劇場 あずみ企画

アートスタジオ(明治大学猿楽町第2校舎1F) (東京都)

2014/07/03 (木) ~ 2014/07/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

原作のテイストを立体化
 ミヒャエル・エンデの人気作、「モモ」をミュージカル化した舞台だが、学生だけで演じ、登場者も多くの世代、果ては亀に迄及ぶ今作のテイストを巧みに取り出し、表現して物語に陥入させてくれたのは、この劇団の力だろう。いつもながら、学生演劇の横綱を張る明治大学の演劇である。先ず、姿勢が良い。如何にも若者らしい工夫と初々しさ、観客に対する態度と距離の取り方の適正が心地よい。無論、脚本も原作の本質をしっかり、自分の頭で捉えているし、演出は様々な個性を纏めるのに苦労したであろうが、コラボレーションは良い感じにハーモニーを奏でている。キャスティングも良い。殊に、モモを演じた永野さんの、子供の持つちょっとしたためらいや気恥ずかしさの表現が素晴らしい。脇では、ジロラモを演じた木村くんの演技、身体能力の高さも光った。更に、前説とマイスターを受け持った稗苗くんの落ち着いた演技もグー。他にも歌をオリジナルで作っている手の掛けようや、舞台を立体化させる為の工夫が見られた。一々、名は挙げなかったが出演者の演技レベルも高く、ダンスの時の体の切れも良い。このグループの今後にも期待したい。

うちの犬はサイコロを振るのをやめた

うちの犬はサイコロを振るのをやめた

ポップンマッシュルームチキン野郎

駅前劇場(東京都)

2014/07/04 (金) ~ 2014/07/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

朕にゃ国家にゃり~~~まっかーさー
 にゃんと今作は、戦争にゃのであるにゃ^。朕は、満州国皇帝にゃ。であるから、おちょくられているにょら! にゃろめ~~~~~っつ~! 日清、日露ににゃんとにゃく勢いで勝っちったそうにゃ。で、調子こいたにゃ。で、理想を吹聴してにゃ。他国の領土を満州国と名付けて、そこに清朝の皇帝であった朕を皇帝として祭り上げ実質支配したわけにゃ。(ネタバレのちゅじゅきはあとでにゃ~~~。ふにゅ。おやひゅみ~~~!)(ちゅいかにゃ~~~2014.7.7)

ネタバレBOX

 ゴルバチョフは、抗日戦線のリーダーの家で飼われていたわんこにゃ。可哀そうに、可愛がってくれた飼い主一家は、日本の将校に、全員撃ち殺されたにゃ。で、彼は人間の言葉が喋れる特殊なわんこだったから、関東軍の731部隊のラボに連れていかれて軍事用の超能力をつける為の手術を施されてしまったにゃ。その力は、未来を予測できる能力だったにゃ。それ迄にも、幾多の人間が、同じオペをやられにゃけど、皆、自殺したにゃ。ゴルビーが、選ばれたのは、同じ哺乳類で、彼には、人間の言葉が話せたからにゃ。高蛋白な食物を摂ると、未来を予知できるにゃ。このラボには、体に欠損ができても再生できる能力を持ったトカゲや卵を産むと二分の一の比率で一個の成分が鉄という鶏やどういう訳か飲み食いするマッサージチェアなんかもいるにゃ。ところで、この関東軍の施設にはラボの他にも脱走兵や思想犯を捉えて拷問する部屋があったにゃ。其処に捉えられて拷問されている者達は、特攻に選ばれて拒否した者、脱走を図った者達が居たにょら。ゴルビーと同じタイプのオペを受けた人間達の中にも、このような日本人兵士が居たかも知れないにゃ。だって、ゴルビーのオペが成功したかどうか確かめに来た研究者や将校が成果を確かめる実験をした時以来、ゴルビーのイメージに毎回現れる謎の男は明らかに日本の軍人だからにゃ。人を人と思わぬ如何にも悪名高き関東軍にゃ。笑いのオブラートに包んで、毒(為政者にとっての、民衆にとっては奇妙なことに同じ物が薬にゃ)が仕込まれたこの作品のアイロニーのヒントを幾つか挙げといてやるにゃ。
 ゴルビーがその能力を用いて見た可能な未来の一断片は胡蝶の夢のようなものだにゃ。その夢の中で、彼は殺された飼い主と瓜二つの少女、シズ子に会うにゃ。けど、彼女は戦争中爆弾の破片が頭に入っていて、左目が全然、見えなくなってしまったにゃ。伯父さんの経営するキャバレーでダンスのショウをやって居るにょらけろ、余り上手く踊れにゃい。その後、後遺症は悪化して、両目とも失明の危機に瀕しているにょ。それでも健気な彼女は、懸命に踊ろうとするにゃ。看板ダンサーのクレオパトラは、降りちゃって居にゃ^~~~~し、パートナーのカエサルはアドリブ過剰で皆にゃがついて行けず、ショーがぐちゃぐちゃにゃ~~~~~ふぃにゃ~~^っち。店は借金塗れでもう駄目にゃ==^。
他のヒントにゃ~~~~~~っち。
 そういや、裕仁は玉音放送でも用いているように己を自らでは朕と称しておったにゃ。彼は、徒に戦局の転換を望んで終戦を引き延ばし、原爆投下を招いたにゃ。にも拘わらず、お人好しというしかない、人々は大日本帝国憲法唯一の主権者、裕仁の戦争責任を問わないばかりか、マッカーサーが、彼を罰っしなかったことを高く評価した。マッカーサーには、「拝啓マッカーサー様」との便りがたくさん届いた事実が残っているにゃ。そればかりか、マッカーサー神社を作ろう、との動きもあったほどにゃ。日本人の節操の無さには呆れるにゃ! 閑話休題。脱線が多くてイケにゃい! シズ子の話にもろろう。彼女の家は、横浜のキャバレーにゃ。ゴルビーがシズ子に拾われた関係で、他の仲間もみんにゃ、シズ子の伯父さんの世話になることになったにょら。店のにゃまえは、L.B.&F.M.(リトルボーイ あんど ファットマンにゃ)。知っているにょが、あたりみゃえにゃのだけれど、一応、解説にゃ。リトルボーイは、広島に落とされたウラニウム型原爆にアメリカが付けた愛称。ファットマンは長崎に落とされたプルトニウム型原爆のそれにゃ。ブラックにゃ。
 こういうにゃまえを付けたキャバレーが、敗戦直後の横浜にあったという設定は、実に意味深にゃ。現在でも神奈川県は、沖縄県に次いで米軍基地・施設の多い県にゃのらし、司令部まであるにょら! 更に原爆に関して付け加えておけば、マンハッタン計画は、大統領直轄の秘密計画だったし、原爆の開発には、莫大な費用が掛かったから(マンハッタン計画の年間費用だけで、当時の日本の国家予算1年分とほぼ等しいにょら)、もし完成した原爆を使わずに日本がポツダム宣言を呑んでしまえば、戦後、アメリカ国内で原爆開発の費用について追及されることは、自明であったにゃ。だから、アメリカは人類に対する罪であるとの認識を持ちながら原爆を投下したにょら。つまり、当時のアメリカの政治屋共の利害得失によるにゃ。そして、原爆を落とす直前迄、日本に戦争遂行能力が残るように、慎重に鉄道や幹線道路、最重要軍需施設等を直接爆撃せず、戦争を引き延ばしもしていたにゃ。
 つまり、日米双方の指導層、責任者達の都合によって原爆が実践使用されたとも言える訳にゃ。ところで、今作にも登場する731部隊メンバーを含む、軍事研究者達は、落とされた爆弾が原爆だと知っていたから被爆地に数日後から入り、被爆の実態を183冊の大学ノートに纏めたにゃ。無論、裕仁が漸く戦争終結に動いたということもあったのりゃ。そして、これらの資料を僅か2ヶ月で英訳、アメリカに送ったにゃ。何故か? 愚問にゃ~~~~! 手前らの罪を減じて貰う為に決まってりゅ。研究者達は英米法に司法取引があることぐらい知っている訳だからにゃ。因みに、アメリカが、その後、仮想敵国である国々の何処にどれだけの原水爆を落とせば、相手の戦闘能力を完全に無化し得るかの資料を作るに当たって、その基礎資料としたのは、この時、原爆で殺された日本の子供達の資料にゃのら! 良く覚えておけよ! 更に、これらの功績によって、戦争中、自分達が犯した「人道に対する罪」を減免された731部隊の研究者や毒ガス研究者らは、ほとぼりを冷まして、日本の研究者、為政者、アメリカの走狗として復帰したわけにゃ。そのうちの一部は、ABCCで日本人被曝者をモルモットとして、アメリカにデータを渡し、その後も名称を放射線影響研究所と変えて内部被曝を無視した研究を続けてきたにょら。現在、この研究所の流れを汲む山下 俊一が福島医科大の副学長として、福島に赴任。参考までに此処を見て見よにゃ。http://www.acsir.org/news/news.php?25。奴がやっていることは、被爆実態の隠蔽と人体実験のデータ収集にゃ。
 ところで、多くの畜人は、このまやかしを糾弾しにゃい。何故か? 何が本当に大切なことか分からにゃい阿保だからにゃ。関係が良く見えず、イマジネーションが枯渇し切っているからにゃ! 何より、自分の頭で考えることのできにゃい、その勇気もにゃい腑抜けだからにゃ。こういう連中を糞と言うにゃ。ゴルビーをみにゃらえ! っち。にゃこは、普段敵対している犬族の、ゴルビーに、今回は全面的に協力にゃ~~~~お!! グラスノスチ万岁にゃ~~~~っ!!!

第11回シアターX(カイ)国際舞台芸術祭

第11回シアターX(カイ)国際舞台芸術祭

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2014/06/14 (土) ~ 2014/07/06 (日)公演終了

満足度★★★★

夢の見方
 いつも通り上演後に、出演者達と観客の質疑応答、作品解釈などに関するアフターミーティングが、ロビーで持たれた。日本だけが関わったのは、2作目、他は韓国と日本、フランスと日本とのコラボであったが、日本だけのものは、イマジネーションの質が、内向的で独りよがりになっているようで、自分には、余り面白く感じられなかった。詳細はネタバレで。

ネタバレBOX

 7月3日に上演された1.劇団MIRレパートリーシアター「夢見る木と世界の終わり、そして踊る彼女」(日韓合同作品)2.保坂 尚代ダンスワークス「因幡の白ウサギは神になる?」(日本】3.プロスペクト・テアトル+アンサンブル室町「夢の色彩」{(マルグリット・ユルスナール 東方綺譚より)日仏合同}演者達による其々の作品解釈・説明で若干気になったのが、2番目の因幡の白ウサギの話であった。明らかな間違いと思われる点が、いくつかあったことである。一つは、ワニを爬虫類のそれと混同しているかのような発言が、兎が彼らを騙して越えた水域を川と表現していたことだ。これは、隠岐と気多の岬(現在の鳥取市)の間の海である。イルカなら淡水性も居るが、鮫は、海水に住む魚類である。恐らく、ワニ(自分も母がたが鳥取なので、大型の鮫をワニと表現するお年寄りが居たことを知っている)という方言から、爬虫類と混同したのであろう。古事記の研究会のことも口にされていたが、古典を読むということをなさるのであれば、注意深くお読み頂きたい。
 さて、三作の講評と参りたい。
1は、背景に様々なイメージと字幕を適宜映し込みながら、舞台上では、ダンス表現・舞踏など、身体を用いて、荘子の「胡蝶の夢」を仲立ちとしたストーリーを展開させる作品。無論、効果音も流れてくるのだが、これらのコラボレーションと現代我々の「謳歌」している文明への疑義を呈して、秀逸。三作品の中で、自分が最も気に入った作品であった。今作のテーマは、命。その源の水から始まって始原の生命が誕生。生命の進化即ち分裂が、意識・文明を生み、文明は独自法則で発展して命を蝕み滅ぼさんとするが、滅びの刹那、漸く本義に気付いて再生を遂げる一大叙事詩だ。
2は、白ウサギが、鮫を騙して生皮を剥がれ、その後、求婚の為に気多に向かう神々から、教えられた処方に従った兎が、酷い目に会う部分が総てネグレクトされている為、原作にあるストーリーのダイナミズムが無く、話は平板になってしまった。神など所詮、人間の発明したイリュージョンに過ぎないので、そんなものを身体という不自由な表現媒体だけで表現しようとしても極度の抽象が伝わらないのは当然である。そうしようと考えるなら、アドルノの下降弁証法のような発想のパラダイムシフトが必要であろう。神ならぬ身で、神というエーテルのようなイマージュを取り込めるわけは無いのだ。
3は、ユルスナールの東方綺譚からの抜粋だ。ヨーロッパ(仏)ダンサーと日本舞踊のコラボレーションだが、音響として鼓が入る。たが、女性が打っているので、瞬発力が弱い。時空を切り裂くような叩き方になっていないのだ。この辺り、緩急をキチンと叩き分けて貰いたい。ユルスナールの原作のラストシーンでは、描かれているモデルの女が、死後、絵の中に現れ、絵描きが、絵の中に陥入して、皇帝の目の前で、小舟に乗った二人が絵の中で沖に向かって消えて行く所で幕という異様に美しい世界で終わる。今回は、演出家の気に入ったフレーズを断片として取り出し、改めて嵌め込んで再構成しているので、全文を読んだ方とは、異なる解釈も生まれてきそうだし、それが狙いということもあるだろう。今作は、2番目に気に入った。★は1が5つ、2が3つ、3が4つ。全体評価4つだ。

このページのQRコードです。

拡大