いないいない
ガレキの太鼓
アトリエ春風舎(東京都)
2011/06/03 (金) ~ 2011/06/12 (日)公演終了
満足度★★★★
いろんな解釈
あえて不透明さを出し、観る手の解釈に委ねる部分が多かったと思う。
きっと色んな人が色んなことを感じられるんだろうなと思いつつ、
当たり前が当たり前じゃなくなる感覚。
家族の死を知らされても外出できないという現実。
わたしはしきりに、今回の震災のことがずっと頭にありながら観てた。
すごくもどかしい気持ち…。
非常に記憶に残る作品のひとつになった。
四番倉庫
青年団リンク 二騎の会
こまばアゴラ劇場(東京都)
2011/06/04 (土) ~ 2011/06/15 (水)公演終了
満足度★★★★
四番倉庫に集ったダメ人間のお話。
フリーターの速水の、どこまでも卑屈でマイナス志向な考えに反して、能天気な内田のいい加減さは、ある意味人間の大きさと勘違いしてしまいそうな光景だが、それは演じた島田曜蔵の身体だけだ。そんな内田に騙され振り回されても懲りない友人の磯崎の3人を主軸に舞台を回す。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
一見おとなしそうで排他的な速水は語彙が乏しいのか、無口だ。しかし突然キレたりする場面は現代の若者特有の描写だろう。一方でそんな速水を流暢な口車で転がしおちょくりながら自分を優位にしてしまう内田。その内田を友達だと信じ込み関係を切ることが出来ない磯崎。そんな彼らが居る倉庫に神沼あやめが行方不明になってしまった兄・一郎を探しにやってくる。
一郎という人物も家族からはみ出し孤立してしまった男だ。一郎にこの倉庫を使っていいと言われてやってきた速水もまた孤独だった。彼は友達と呼べる人物は一人も居ない。「メシ喰って寝るだけ、生きてる意味ってなんだ?」と嘆く。
一見、内田と磯崎は友人のように見えるがたぶん内田は磯崎を友人だとは思っていない。
それぞれの孤独や悲壮感を引きずりながら物語りは進んでいくが、内田のパラダイスな感覚は、もはやコメディの範疇で、クスリ・・と何度も笑ってしまった。また速水を演じる菅原直樹の卑屈度が素晴らしい。その歪みっぷりが圧巻だった。磯崎の、たまに素に戻ってしまう演技が少し残念だったが、それでもこの不自然すぎる設定は演劇だからこそ成り立つ物語だ。この舞台の登場人物を観て自分は幸せだ、と思える人は幸せなのだ。
本当の友人、あるいは信頼できる相手が一人でもいたら、人生は勝ちだと思う。そう考えるほどホンモノは少ない。
舞台も勿論、楽しんで観たが、多田淳之介がツナギを着て前説をしたのは見ものだった。次回は多田が書いた舞台が観たい。
A FAKE FAMILY
Artist Unit イカスケ
OVAL THEATER & GALLERY (旧・ロクソドンタブラック)(大阪府)
2010/09/24 (金) ~ 2010/09/26 (日)公演終了
満足度★★★★★
イカスケの旗揚げ公演
旗揚げということで、どんなもんだろうと言う事で、
様子見の温かい気持ちで観に行ったのだけど、
なんという緊張感のない軽さっ!!
やられた~って感じでした。
これからイカスケが、どんな展開を見せていくのか期待しています。
your little smile
年年有魚
新宿眼科画廊(東京都)
2011/06/10 (金) ~ 2011/06/15 (水)公演終了
満足度★★★
本公演がみたい
はじめて観劇したので今回の短編集に年年有魚らしさがどんなカタチで現れていたのかわかりません。
いいなと思うのもありましたし、首をひねるものもありました。
太陽の塔
岡部企画
紀伊國屋ホール(東京都)
2011/06/09 (木) ~ 2011/06/13 (月)公演終了
満足度★★
万博前後
演劇をやってる若者と70年前後の音楽、そして岡本太郎。特に岡本太郎の部分の台詞が全部説明的なのが不自然。岡本の部分も万博に関連したもので十分だったのでは。演劇の若者たちを主人公にしてもいいと思うが、客は呼べないか…
推進派
燐光群
ザ・スズナリ(東京都)
2011/06/08 (水) ~ 2011/06/19 (日)公演終了
満足度★★★★★
興味ない人こそ行くべき芝居
燐光群の名前はだいぶ前から知っていた。
知ってはいたが、燐光群と言う劇団が、バリバリの社会派で、その演目の内容も難しいという評判から、足を運ぶ機会を逃し続けてきた。
ネタバレBOX
昨年、ProjectBUNGAKU太宰治なるイベント公演を僕が主催したのだが、その打ち上げの席で坂手洋二さんと初めてお会いした。
非常に気さくで優しく軽妙洒脱、またお酒が入っても論理を崩されずにお話しされる坂手さんの姿に素敵な方だなあ、どのようなお芝居を書かれるのだろうか、見てみないと・・・との思いを強くしていた。
また、その席では、僕のProjectBUNGAKUという企画アイディアも大変評価していただいた。
さらには、僕は今年の11月から12月に、小劇場劇団8劇団、学生劇団6劇団による社会派演劇フェスティバル「日本の問題」というのを主催するのだけれども、なおのこと、現代の社会派演劇の先駆者である坂手洋二さんの芝居を見なくてはならないという思いを強くしていた。
そんなこんながあり、今回、「初」燐光群体験をすることとなった。
衝撃を受けたのは自分が泣いたことだ。
物語は、沖縄、普天間の米軍基地移転問題を扱っている。
舞台は鹿児島県徳之島(劇作中ではサチノ島と名前を変えている)。
県外移転を公約した鳩山政権時に、移転先として脚光を浴びた島だ。
「推進派」とは島内基地移転を推進するトミオカという男が主人公だからだ。
終演後、飲みの席で、坂手さんとお話しする時間を得たのだが、この話、ほぼドキュメンタリーというか取材に基づいて作劇されているそうだ。登場人物にも全員モデルがいると言うことを言われていた。
というようなことだから、見る前は、沖縄の基地移転問題についてなるほどこのように入り組んでいるんだなあと、「理解」できるような芝居なのだろうとの印象だった。
もちろん、その点は予想通りに理解できる芝居なのであるが、それ以上のモノがあった。
推進派の、そして反対派の、それ以外の人たちの、切実な思いに満ちた芝居だったのだ。
とくに反対派の1人、鴨川てんしさんが演じたマエサコの言葉と思いにはひどく胸を打たれた。
僕も劇場に居ながら、サチノ島に滞在する人間の一人になっていた。
我田引水になるが、僕が「日本の問題」という企画を思いついたのも、この演劇のもたらす「当事者性」に注目したからなのであった。
歌や音楽は、理屈じゃない衝動を瞬間に呼び起すことができる。
それは演劇になかなか出来ないことで、ある言意味うらやましいこと。
演劇はある一定の長い時間、見る者を拘束しないと伝えられない。
しかし、それはなんだろう。
一定の長い時間を拘束してはじめて伝わるモノ・・・演劇にしかできないことって。
それは観る者を巻き込む力なんじゃないかと思ったわけです。
たとえば、歌で普天間基地の移転問題をうたうこともできる。
でも、それで伝わるのは雰囲気や気分でしかない。
一方、論文やジャーナリスティックな記事なんかでは、理屈っぽいことはだいぶ分かるし伝わる。
音楽で出来ないことをできる。
普天間基地問題の構造はよくわかるだろう。
しかし、それでは足りないモノがある。
それはその問題を自分のこととして切実に思わせること
つまり「当事者性」なんじゃないかと思ったわけです。
もちろん、総合芸術ですから、論文の良いところ、音楽の良いところも取り入れて
そんでもって、観客をその現場の目撃者にする当事者性もあって
というわけで、その演劇のすごさを見せつけてやろうというのが「日本の問題」の1つのテーマでもあるわけです。
ちなみに、映画映像と演劇の違いは一つには「普及性」の違いがあり
「当事者性」については非常に似てはいるが、やはり映画は演劇にはかなわない。
演劇は観客にリアルに水をぶっかけることができますからね。
ジェットコースターの映像だけでも脅えることはできるが、実際のジェットコースターに乗った時の脅えにはかなわない。
だから「普及性」については映画の勝ちだが「当事者性」については演劇の勝ちw
そんなわけで、演劇の特徴はなによりも観客を巻き込むこと、観客を当事者とすることにあると思う訳ですが、今回の燐光群の芝居はまさにその典型ともいえるものでした。
僕にとって、隔靴掻痒、縁遠い普天間基地の移転問題を、僕のこととして「痛く」感じることができた。
なかなか泣かないよ。泣けないよ。関係ない場所の人が基地移転問題で泣けないよ?
それが泣けるんだから、凄いってことです。
で、みんなに観に行って欲しいんだけど、とくに興味無い人に観に行って欲しい。
社会的な問題に関心のある人はさ、もともと興味あるんだろうから、そういう人はもう行っている。
行って欲しいのは、社会問題をわざわざ演劇で見るなんてメンドクサとか思っている人。
「普天間なんて俺に関係ねぇし」
って言う人に観に行って欲しい。
観終わった後、その関係ないはずのことが自分のことになっているのに驚いて欲しい。
原発の問題だって、デフレの問題だって、結局は人間の物語なんだ。
結局は、人。
そして悪人なんていない。
みんながみんなそのレベルで良かれと思って行動している。
結果、良いことが起こるとは限らないけど。
その悲痛な状況を知り悩み笑い涙する。当事者として。
「演劇」にはその力がある。
燐光群「推進派」
それをまざまざと知らしめる公演であった。
下北沢スズナリでは6月19日、日曜日まで
その後、兵庫、愛知でもやる。
沖縄問題なんて興味無い、そういう人はぜひ行くべき芝居である。
リミックス2
国分寺大人倶楽部
インディペンデントシアターOji(東京都)
2011/06/14 (火) ~ 2011/06/19 (日)公演終了
満足度★★★★★
愛の塊
溢れんばかりの愛を感じた。
間違ってても認められなくても歪んでてもみっともなくても、それは愛なんだって思える作品でした。
ガールフレンドが終わったあと涙が出てきてびっくりしました。
いとおしすぎて苦しかったです。
【ご来場ありがとうございました!】Loss / Recover
劇団パラノワール(旧Voyantroupe)
サンモールスタジオ(東京都)
2011/06/07 (火) ~ 2011/06/15 (水)公演終了
満足度★★★★★
Loss
いやーすばらしかった。海外の推理小説を一気に読んだ満足感に近いものがあった。
脚本がすばらしいし、役者もいい。舞台装置や衣装もすべていい。
文句なしの★五つ
ダンシング・ヴァニティ
ピーチャム・カンパニー
Space早稲田(東京都)
2011/06/08 (水) ~ 2011/06/15 (水)公演終了
満足度★★★★
役者の圧倒的な熱量
筒井康隆の原作をピーチャム流にアレンジして独自の世界を創り出している。
堂下勝気と小野千鶴が圧倒的にいい。特に今回は小野千鶴の目にしびれた。平川直大もいい味を出している。役者が力量があるので見応えがある。
東大出身の若手劇団なのに熟練劇団のような渋ささえ感じさせる不思議な劇団だ。金崎敬江の踊りも素敵だった。
「水平線の歩き方」「ヒア・カムズ・ザ・サン」
演劇集団キャラメルボックス
サンシャイン劇場(東京都)
2011/06/02 (木) ~ 2011/06/19 (日)公演終了
満足度★★★
出来の差が激しい気が・・・
【水平線の歩き方】
個人的には初演よりも心に響くものがあった。
特にダンスが凄く良かったと思う。
ダンスだけで、もう泣ける。
そして、何度も書くけどダブル岡田、本当に良いわ!
【ヒア・カムズ・ザ・サン】
わたしの敗因は有川先生の小説を先に読んでしまったことかもしれない・・・。
西川さんが出演していたらまた違ったテイストになっていたんだろうなぁ。
ピンチヒッターの岡田さんには心から敬意を表したい。
ネタバレBOX
【水平線の歩き方】
主人公の心情が『広くてすてきな宇宙じゃないか』に近いかと。
それが別の形で表現されていても違和感は無し。
佳作でした。
しかし、この作品は役者の力量に負うところが大きいと思う。
岡田さつきさんが本当に素晴らしいし、
岡田達也さんも上手くなったなぁ。
【ヒア・カムズ・ザ・サン】
冒頭で、プロポーズと同時に
自分の超能力について告白・・・って。
まずそこで違和感ありあり。
普通そんな力隠そうとする筈だよねぇ。
小説と比較して細かい部分が気になって仕方ありませんでした。
『四月になれば彼女は』をなぞるような内容でしたが、
こちらは感情移入が出来ませんでした。
岡田達也さんは『水平線~』とは全く違う役作り。
西川さんだったらこうなるだろうなぁというのを
わざと裏切るような感じでした。
ジャックニコルソンというよりはみのもんたでしたがw
天守物語
少年社中
吉祥寺シアター(東京都)
2011/06/03 (金) ~ 2011/06/12 (日)公演終了
満足度★★★★★
あかん
いや、圧巻。
舞台セットからワクワクをそそられ、芝居・ダンス、全てがガツンと飛んでくる。
ストーリーもわかりやすく、役者一人一人が際立っていた。
爆笑をさそうわけではないが、必要は息抜きシーンも絶妙なバランスであった。
更には最前列ど真ん中の席で観れたこともあり、間近で役者をこれでもかと見させて頂いた。
本来、洋風なテイストであると聞いていたが、和でも全くもって素敵な世界観。是非来年の舞台も観たい!
中村恩恵×加藤訓子
公益財団法人 武蔵野文化事業団
吉祥寺シアター(東京都)
2011/06/14 (火) ~ 2011/06/14 (火)公演終了
満足度★★★
瞑想的な60 分
ダンサーの中村恩恵さんとパーカッショニストの加藤訓子さんという世界的に活躍する2人の女性アーティストによるコラボレーションで、ダンスとパーカッションという躍動感を期待させる組み合わせですが、意外にも瞑想的な雰囲気を湛えた静かな作品でした。
高揚感は感じられないけれども退屈さはなく、引き込まれる不思議な感覚でした。
1曲目の『ルボンa』(I.クセナキス)、始めは演奏する加藤さんにのみ照明が当てられ、舞台中央に仰向けに寝た中村さんが次第に動いていく構成で、曲の雰囲気と相まって原始的な感じがありました。
間にちょこっと即興演奏を挟んでの2曲目『オマー2』(F.ドナトーニ)は様々に変化する曲に合わせてダンスも多様なムーブメントが組み合わされていて見応えがありました。
加藤さん自身の作曲による3曲目は環境音的な音色の楽器が多用される即興的要素の多い曲でした。譜面台に置かれた楽譜あるいは本(照明が強すぎて良く見えませんでした)を客席に向けて見せたり、加藤さんが鈴を持って劇場内を歩き回ったり、2人が英語のテキストを読みあげたりと、「芸術やってます」感がちょっと鼻につき、また冗長な感じがしました。
4曲目はマリンバによる『プール・グラウンド』(H.デイヴィス)で、曖昧な調性感のある内省的な雰囲気の中、中村さんが黙々と踊っている姿がとても美しかったです。
中村さんのダンスは派手なテクニックや特異な動きは使わないながらも、体の隅々まで丁寧にコントロールされたムーブメントに引き込まれました。ターンの切れの良さや、ダイナミックな動きの中にクラシックバレエ的なふわっと柔かい動きが気持良かったです。
加藤さんも全身を使った演奏で、ダンスの様でした。太鼓の皮をゴム球でこすったり、ティンパニの上に小さな金属製楽器を置いて余韻を変化させたり、中にゴム球を入れたスチールドラムを振り回してランダムに鳴らしたりと、不思議な音色が面白かったです。
曲毎に変化する照明はシンプルで、それぞれ異なる空間を演出していましたが、黒い空間で黒い衣装だったので照明が当たってない所で踊ったり、前屈みの姿勢を取るとき姿が見えにくかったのが残念です。
この内容でチケット1000円は破格の値段だと思います。1回限りの公演なのがもったいない作品でした。
【ご来場ありがとうございました!】Loss / Recover
劇団パラノワール(旧Voyantroupe)
サンモールスタジオ(東京都)
2011/06/07 (火) ~ 2011/06/15 (水)公演終了
満足度★★★★
無題12
「R」ようやく観劇。お〜、場内の雰囲気いいですね。切れかかった灯と突然の音。それほど暗くないのでつまずくということはありません。ちゃんとスタッフの方が足もとを照らしてくれます。おどろおどろしいのは好きな方なので1番前に着席。緑のお兄さんの前説(もっとどぎつい言い方でもいい)があり、少し間を置いて開始。楽しい2時間強。以下、ホントに駄文なので「閉じた方がいい」。
ネタバレBOX
獣の咆哮と、獲物の叫声。80万年後のモーロックかデーモン(アニメじゃなくて漫画版のデビルマン)か。でも、なんで襲われる方は(最初)普通の服なんだろう。モーロックはエロイを食べちゃうけど(「タイムマシン」参照)、こちらはどうなんでしょう。タイトル→「向こう側の世界」にくるよう「そそのかす」、ですか?なので覗きに行った彼は、何かが憑依したかのように、襲いかかろうと…。
で終わちゃうのですが、もうひとひねりして、女性陣も全裸で登場。獣を取り囲み嬲りものにするシーンを追加。別に客席の方を向かなくてもいいし、もっと照明を落としてもいいし。でないと戦慄…とまではいかないかな。
後のお話は、毒気のあるショートショートのようで、それぞれ面白かったです。
「トルソ 」のエピソードは、映画「トルソ」と少しかぶりました。
げんこつ団の「圧縮」がたたみかける笑いの連打だとすると、本作はブラックな味わいがじっとりと滲みてくるようでした。
正面、赤いカーテンの上、TVのような、モニターのようなものは「L」で使うのでしょうか。
散歩する侵略者
イキウメ
J:COM北九州芸術劇場 中劇場(福岡県)
2011/06/12 (日) ~ 2011/06/12 (日)公演終了
満足度★★★★★
インベーダー・ゴー・ホーム!
演劇でSF作品が成功した例は少ない。小説のようにどこまでも読者のイマジネーションに頼ることもできないし、映画のように主にSFXによるスケールアップも困難である。下手にセットや仕掛けに凝ってもかえってチャチになるばかりだ。
必然的に、舞台を限定した日常SF、ワンアイデア勝負の作品が多くなるが、プロでもSF作品に通暁している劇団は必ずしも多くはなく、傑作が生まれにくいのが現状だ。ヨーロッパ企画の舞台など、この程度のレベルで演劇人たちが賞賛するのはどうかと疑問に思わざるを得ない。他のジャンルに疎すぎるのが現代演劇人の大きな欠点であろう。
その点、「イキウメ」に期待できたのは、タイトルで既に『ウルトラマン/侵略者を撃て!』や『ウルトラセブン/散歩する惑星』などを連想させていて(劇中、ちゃんと『ウルトラマン』にも言及されている)、観客にSFファンを視野に入れていることが明示されていたからだ。脚本・演出の前川知大の、これは観客への大胆な「挑戦」である。
結果、私たち観客は、見事に前川氏の前に「敗北」することになった。『散歩する侵略者』は、数ある日常SF、侵略SFのジャンルの中で、斬新なアイデアを盛り込んだ傑作になり得ていた。
宇宙人と地球人の邂逅を描く場合、文化の違い、価値観の違い、存在の成り立ち自体の違いから起きるディスコミュニケーションをモチーフに描くのは基本中の基本だが、ともすればそれは「どちらの文化が優秀か」という優位性の問題に収斂されがちだ。
本作の場合も、観客はうっかりすれば情動的に「“愛”の優位性」を感じて涙を流すことになるかもしれない。しかし、本質的にはこの物語は「奇跡」や「感動」を拒絶し、極めて理知的な整合性のみで成り立っていろ点に最大の面白さがある。「愛」は事態を解決する手段としては、実は全く機能していない。「愛」がもたらすものは、むしろ「混乱」なのである。
「愛は地球を救う」という陳腐な結末になりそうになった寸前で「止める」、その「抑制」がなければ、この物語は凡百な既存のSF作品の中に埋没してしまうことになっただろう。ラストの一言こそが本作のキモである。聞き逃してはならない。
未見の方には、小説版(メディアファクトリー/1400円)も出版されています。戯曲版との相違点もありますので、ご一読を乞う次第です。
ネタバレBOX
とは言え、その「ラストの台詞」は、いかにも聞き逃しやすいように、さらりと語られる。「泣き屋」の観客には、そこまでの展開で充分泣かしておいて、「気がつく人にだけ気付く」ように、最後のどんでん返しを前川氏は仕掛けた形だ。
宇宙からの侵略者たちは、地球人に乗り移り、他人とのコミュニケーションの中で、自分たちにはない地球人の持っている「概念」を調査しようとする。
侵略のための「前準備」で、ここまでならば、既存のSF作品にもよくある手法だ。しかし、斬新なのは、宇宙人たちにとって単なる「調査」のはずだった行為が、実質的に「侵略」として機能してしまった点だ。「概念」をもらう行為が、文字通り、他者から概念を「喪失」させることになる。
その結果、「概念」を奪われた者たちは、「言葉は知っているのに、その意味するものが分からない」ゲシュタルト崩壊を起こす。人為的に、相手にアスペルガー症候群と同じような症状を起こさせることになるのだ(恐らく、作者の発想もそこから取られたのだろう)。
「侵略行為に移るつもりはまだ無かったけれども、侵略してしまった」、それがインベーダーたちにとっても“イレギュラー”であったことがこれまでにないアイデアで、本質的に、宇宙人と、地球人とのディスコミュニケーションが「埋められない」ことを、この事実は示唆している。
「地球人の概念」を奪い取っていったその先、宇宙人はどうなるのか。
もちろん、「地球人」になるのである。
宇宙人から「地球人としての概念」を奪われていった地球人はどうなるのか、「宇宙人」に近づいていくのである。
これでは、二者は立場が逆転するばかりで、交流は不可能である。実際、宇宙人・真治に「愛」の概念を奪われた妻の鳴海は、“愛を知った”真治の哀しみ、苦しみが分からない。
真治に「所有」の概念を奪われた丸尾は、真治に向かって「国家、財産、人種、宗教、そういうの奪ったら戦争もなくなる」と訴える。それが、迫り来る侵略者たちに対抗する手段になるだろうと一同も賛成する。鳴海は、侵略者である真治が、地球人のために協力するはずがない、と反論するが、それに対する真治の答えがこうだ。
「それが、今はもう、よく分からないんだ」
「愛」を知った真治は、もうほぼ「地球人」である。だから「侵略者」の意識ではいられない。「愛」を奪うことが、地球人を「かつての自分たち」にしてしまうことになることを知ってしまっている。
しかし、既に「概念」を奪われた「元地球人」たちは、更に「概念」を奪ってくれることを望んでいるのだ。「宇宙人」に対抗するために、「宇宙人」になろうとしている。その方が、「地球人のため」になるのだとすれば、「侵略されること」は肯定されるべきことなのか。しかしそれでは、地球人がこれまでに産み出してきた「災厄」を、今度は“宇宙人”が引き受けなければならないことになる。
これではいつまで経ってもどうどうめぐりだ。真治にはそこまで、「真実」が見えてしまっている。真治はパンドラの筺を開けてしまったのだ。もはや真治は“誰の立場にも付けない”。 「愛」を知ったことが、永遠のジレンマの中に真治を置く結果になってしまったのだ。
「概念」を奪われた人々は、確かにどこか平和である。
初めこそ涙し混乱しているが、じきに慣れる。「概念を持たなくても生きていける」あるいは「生きていってもよい」と指摘してみせたことは、自閉症やアスペルガー症候群の子どもを持つ親などにとっては、「福音」に聞こえるのではないか。「痴呆」などと一括りで偏見の眼で見られていた彼らは、実は「結構元気」(鳴海の台詞)なのである。
ドストエフスキー『白痴』のムイシュキン公爵も、白痴と言うよりは発達障碍なのではないかという気がする。彼らを「純粋」とする無条件な礼賛には問題があるが、「概念」に囚われることが我々の思考に枷をはめてしまっている事実についてはもっと再考されてよかろうと思う。
本当に苦しんでいるのは、「概念を持たざるを得ない」我々の方ではないのか。
厳密に考えると、「所有」の概念を失っただけで、丸尾がコミュニストになってしまうという論法には無理がある。普通に考えれば、「あの家とこの家と、どれが“私の”家か分からない」ような状態になるだけではないのか。本当に戦争が無くなるかどうかも疑わしい。
また、どうやらもともと「言葉」自体を持たない宇宙人たちが、「言葉」を知った段階で、いちいち概念を奪わなくてもその知った言葉から概念を作り上げることができないものなのか、とも思う。人間の赤ん坊は、言葉からちゃんと概念を作り上げるが、人間の子どもほどの能力も宇宙人は持っていないのか、それとも宇宙人たちも生まれつきのアスペルガーなのだろうかと疑問に思う。だとしたら、彼らは「侵略」という概念はどこから得たのだろう?
しかし、それらの疑問点も、全てはラストの「混乱」を演出するための伏線だと考えれば、瑕瑾に過ぎないように思える。
SFとは、既成概念に対するアンチテーゼを象徴的に描く「手法」である。
『散歩する侵略者』は、それが最も効果的に発揮された舞台となった。発想の元になったのは、劇中でも示唆されていた通り、テレビドラマ『ウルトラ』シリーズであるが、宇宙人とのディスコミュニケーションを扱ったり、隣人が侵略者かもしれない恐怖を扱ったSF作品は、数限りなくなある。
Twitterで、本作の発想の元を大友克洋『宇宙パトロール・シゲマ』に求めた人がいたが、あれはそういった侵略SFのパロディであって(手塚治虫『W3』や永井豪『くずれる』の設定をもじっている)、本作に直接的に影響を与えた作品だとは言えない。感想であれ批評であれ、過去作品を挙げるのであれば、元作品をどう換骨奪胎し、差異化を図ったのかを具体的に指摘できるものを例としなければ、知見の狭さを露呈することにしかならない。
宇宙人が地球人の“姿を借り”、地球人との間の交流と齟齬を描いた作品の「源流」あるいは「代表作」を挙げるのならば、真っ先にハインライン『異星の客』や、ジョン・ウィンダム『呪われた村』(映画化名『光る眼』)や、映画『地球の静止する日』(ロバート・ワイズ監督)などを思い浮かべるのが順当だろう。テレビドラマシリーズなら、往年の『インベーダー』『謎の円盤UFO』、『ミステリーゾーン』のいくつかのエピソードから『Xファイル』に至るまで、枚挙に暇がない。フレドリック・ブラウンは、パロディとして『火星人ゴーホーム』をものにしている。
この程度の基礎教養的なSFは誰でも読んだり観たりしているものだと思っていたが、どうもそうではないらしい。Twitterで呟いていた御仁は、一応は演劇のプロなのだが、やはり他分野についての教養は疎いのだなと思わざるを得なかった。でも、演劇人なら、安部公房『人間そっくり』を連想したっておかしくないんだけどね。
賢治島探検記
演劇集団キャラメルボックス
サンシャイン劇場(東京都)
2011/06/07 (火) ~ 2011/06/17 (金)公演終了
満足度★★★
興味本位
個人的にキャラメルボックスのイメージとは、徹底したサービス精神と好奇心旺盛、元気溌溂でエンドレスなカーテンコール等々、自分とは、し好の違う劇団と勝手に解釈しており観劇には縁遠い劇団でした。
前回「夏への扉」舞台化がきっかけでチケット購入していたけど、震災の影響で結局見る事が出来ず。ちょうど観劇に飢えていた時に今回の内容を知り、出かけてみました。
「注文の厳しい料理店」「ゴーシュ弾かれのセロ」は気楽に見ていられるコミカルな要素もあり、それに対し「光速銀河鉄道の夜」ではキャンドルの扱いが星屑のようでもあり、あの魂のようでもあり綺麗。けれど3つの作品の切り替え方がいかにも、次に変わります、という見え方がして地続きに見られなかったのが残念だったかな。
台詞は聞き易く、観客を一体化させる手法は上手だなーと感心。
関係ないけど「佐藤さとる」氏の作品とか、この劇団なら楽々出来そうと思ってしまった。
ネタバレBOX
「セロ」での大内さんの寝言の様な独り言はアドリブ?台本通り?なんだろうか。いかにも即興で作りました、感があり、お気楽さが伝わって楽しめた。
演者のリコーダー演奏の優しい音色は心を落ち着かせる。その反動か、観客と一緒の劇中歌では、紅白の北島サブちゃんみたいな盛り上げ方で思わずつられて歌いそうになってしまいました。いや、歌って良かったんだけど。照れて出来なかったの!
当日、川原和久さんを迎えてのトークショーもあり。キャラメルボックスとの縁も長いようで、演出の真柴さんとのやり取りは昔なじみ感がアリアリと出て居酒屋トークに参加してるみたいだった。
関係ないけど川原さん、何でも良いからそろそろ舞台出てくれー。
雨
新国立劇場
新国立劇場 中劇場(東京都)
2011/06/09 (木) ~ 2011/06/29 (水)公演終了
満足度★★★★
民のパワーを感じる芝居
紅花生産を巡る北国の小藩の暮らしとお上に翻弄される、
なりすまし男の悲喜劇。
中劇場のサイズを使いこなした、
ポップでスケール感のある栗山演出は流石。
永作の芯の強さが、おたか役にピタリ。
梅沢の芸者役は、ちと古くさかった。
ホワイエの演出が楽しい。
桃色淑女
渡辺源四郎商店工藤支店
アトリエ春風舎(東京都)
2011/06/17 (金) ~ 2011/06/19 (日)公演終了
満足度★★★★★
時代とは?
立ちどまる、振りかえる、進む…。う~む、人生だなあと思ってしまう…、などと考えさせてくれるお芝居でした。 でも理屈っぽくなくて、楽しく魅せてしまう演出はニクイぐらい。
店主の存在感、田中耕一のいぶし銀の艶、三上晴佳の成長ぶり、工藤良平の深い演技、そして三上陽永の天真爛漫の華、この劇団への期待感を抑え切れない。東京公演はまた別な空気が流れるかも。
ドリルチョコレート×キコ qui-co.「世田谷童貞機構」
MCR
駅前劇場(東京都)
2011/06/13 (月) ~ 2011/06/14 (火)公演終了
心地良いラフさ
キコqui-coは好きでもMCRは初見。
主宰二人の安定感と、30代童貞トークの愉快さが笑いを誘う。
櫻井さんと小栗さん、相当マッチしてますね。
ラフな感じがまたいいけれどラフなだけじゃ終わらない。
世界観に裏打ちされた会話や思想の数々。
もっと踏み込んだところも見たかったけど、
そこが童貞が童貞たる所以かと妙に納得してしまったり。
それにしても男性がチャーミングである。
私が男だったらいたく共感できたんだろうに、とちょっぴり羨ましくなったり。
一本背負いブルース
ハリケーンディスコ
参宮橋TRANCE MISSION(東京都)
2011/05/12 (木) ~ 2011/05/15 (日)公演終了
期待どおり!
途中、間延びしたが最後が圧巻!是非、自分がやってみたかった事をしてやられた!この世界観、本当にだいすきです!
your little smile
年年有魚
新宿眼科画廊(東京都)
2011/06/10 (金) ~ 2011/06/15 (水)公演終了
満足度★★★★
満足です
いかにもこの劇団らしい短編集。何気ない日常のようでいて、ちょっとシュールで、意地悪で。気持ちのいい時間を過ごさせてもらいました。