最新の観てきた!クチコミ一覧

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ハイスクール歌劇団☆男組

ハイスクール歌劇団☆男組

ドリームプラス株式会社

天王洲 銀河劇場(東京都)

2012/09/12 (水) ~ 2012/09/23 (日)公演終了

満足度★★★★

谷澤恵里香さん出演。
7年前ですね。今回あらためてDVD で見ました。
CBC制作のテレビドラマの、続編になります。ドラマ出演者のうち男性7人が舞台にも。シナリオでも歌劇団経験者ということで。仲間を募って、ロミオとジュリエットに挑みます。
さすがにクォリティが高く。特に男性キャストの面々は素晴らしかったです。先日亡くなった滝口幸広さんも、かっこよかったです。
谷澤さんは当時22歳だったのかな。元アイドルらしく、キレのあるダンスと笑顔を見せてくれてました。そして豪快な演技も。
初舞台が銀河劇場とは。大きな会場、たくさんのお客さん。今後の活躍を夢見たものでした。

ネタバレBOX

谷澤さんの役名「七海」はアイドリング!!!7号から取ったのでしょう。
2人からアプローチされ、翻弄して、最後に1人選びます。いい役でした。
メル・リルルの花火

メル・リルルの花火

おぼんろ

新宿FACE(東京都)

2020/04/17 (金) ~ 2020/04/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

観てきた、というか、聴いたというのが正しいかな。毎回、生ライブで物語が続いていくドラマ仕立て。家で寛ぎながらラジオドラマを聴いている感じは、それもまたなかなか面白かった。幽霊たちの映像もいい感じで見られた。

学園探偵薔薇戦士

学園探偵薔薇戦士

フリーハンド

萬劇場(東京都)

2020/03/25 (水) ~ 2020/03/29 (日)公演終了

倉科遼が原案と製作なので期待したのだけど、がっかり。
倉科にしろ司敬の漫画にしろ、こんなにできの悪い作品を掲載しないでしょう?
なぜ舞台だクオリティさがる?こんなにも。

それにしても倉科、司が同一人物というのは驚きました。

あずみ ~戦国編~【公演中止(3月14日~19日)】【3/28(土)・29(日)公演中止】

あずみ ~戦国編~【公演中止(3月14日~19日)】【3/28(土)・29(日)公演中止】

エイベックス・AY・ファクトリー/アール・ユー・ピー

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2020/03/14 (土) ~ 2020/03/29 (日)公演終了

原作、読破しました。
面白えぇぇ!
やっぱり漫画の舞台化では、原作の面白さを表現したり、超えたりすることは不可能なのだろうか?
それと、主役はこの娘じゃないや。
私として、中条あやみを若くした感じの娘がふさわしいと思う。

re-call

re-call

企画演劇集団ボクラ団義

新宿村LIVE(東京都)

2020/02/20 (木) ~ 2020/03/01 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2020/03/01 (日)

ボクラ団義さんに所属している役者さんが出ていた舞台を何作か見ており、ほぼその役者さん目当てで見に行った作品。

申し訳ない事にほとんど顔と名前が一致しない中の観劇だったけれど、終わる頃には顔面びしょ濡れ。(涙脆い方)

冒頭からの導入が少々舞台に入り込みにくかったけれど、中盤から終盤にかけてぐいぐいと引き込まれ、最後には様々な事を考えさせられるストーリーだった。自分はすごく好きな内容。現在、DVD購入を視野に検討中。

天国プロデュース!!【公演中止】

天国プロデュース!!【公演中止】

劇団「劇団」

大阪市立芸術創造館(大阪府)

2020/05/21 (木) ~ 2020/05/24 (日)公演終了

チケット買いました☆中止となり残念ですがこのご時世致し方ない事だと思います★命を最優先する劇団の英断に敬意を表します☆一日も早くこの作品が安心して楽しめる日が訪れる事を願ってやみませんm(_ _)m

第63回 日本舞踊協会公演

第63回 日本舞踊協会公演

日本舞踊協会

国立劇場 大劇場(東京都)

2020/02/22 (土) ~ 2020/02/23 (日)公演終了

満足度★★★★

「風流陣」と「落人」を見た
花の精と風の神が出てくる「風流陣」が艶やかで
なかなか春に相応しいかなぁ~♪ と(^-^)

ゆうめいの座標軸

ゆうめいの座標軸

ゆうめい

こまばアゴラ劇場(東京都)

2020/03/04 (水) ~ 2020/03/16 (月)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2020/03/04 (水)

「現実と妄想が行き交う巧みな作劇・演出」

 劇団ゆうめいが過去の上演履歴のなかからこれまで活動の軸となる三作品を再演する企画「ゆうめいの座標軸」。2019年上演の『姿』上映会やワークショップ発表会を含む大型の催しである。途中『俺』のダブルキャスト中止や『あか』の上演中止が決定。私は上演作品の『弟兄』と『俺』を観劇した。以下の記述は『弟兄』の初日公演を中心としている。

 2019年にMITAKA"Next"Selectionで上演された『姿』は、三鷹市芸術文化センター星のホールの広い空間を目一杯使った力作で、2時間近く全く飽きなかった。今回はこまばアゴラ劇場の小空間をどのように使おうとしているのか、期待しながら劇場へ向かった。

ネタバレBOX

 場内に入るとブラスバンドによる『ルパン三世のテーマ』や『風になりたい』『LOVEマシーン』の演奏が耳に入る。舞台上に10枚ほど並べられたキャンバスには油絵のような抽象画が飾られている(これらの絵画の由来は『あか』で明かされるとのことだった)。中学・高校の放課後や学園祭の風景を思い出す客入れである。

 作・演出の池田亮本人を投影していると思しき主人公の池田(中村亮太)は、中学時代の壮絶ないじめ体験を観客に打ち明ける。舞台上には中学時代の池田(古賀友樹)が登場しその傍らに現在の池田が寄り添いながら物語を進めていく。いじめっ子へ復讐を夢想し、自殺をしようにもできなかった日々を乗り越え高校に進学した池田は、陸上部で親友と出会い、やがて彼を弟と呼ぶようになる(演じるのは古賀友樹・二役)。幸せな時間がずっと続くかに思えたが次第に暗雲が立ち込め……やがて池田は演劇と出合い自身が負った体験を劇化する術を覚えるのだった。

 本作第一の魅力はせりふの巧みさである。池田と弟はふたりきりでいじめ体験を茶化しながら湿っぽくなく打ち明け合う。「二人でスイーツパラダイスに入って浮きまくったのを誇ったり、ドンキホーテにいる不良カップルへ気付かれないようにウインクしまくる回数を競ったり」というような逸話も固有名詞の入れ方が絶妙である。やや若書きでぶっきらぼうに聞こえはしたが、作者が書きたかったことはきっとこの弟との日々にあると思えたし、後に知ることになる悲劇を思えばこの二人のやり取りは輝いて見える。

 現実を徹底して描く一方、そこに入り込む夢や妄想は強烈な印象である。池田はいじめっ子たちへの復讐をノートに記していたが、それを成し遂げることはできない。代わりにどのように復讐したかったが舞台上に再現される。いじめっ子が飼い犬に食い殺されるであるとか、いじめっ子の家がザリガニの大群に乗っ取られるであるとかが、犬のぬいぐるみや家のミニチュア模型など手の込んだギミックで描かれて面白い。なかでも成長した池田が彼女(鈴木もも)と寝そべっているときに悪夢にうなされる場面は、おかしいながら生々しくもあり苦い見ごたえがした。

 さらに音楽の使い方がいい。中学時代の池田は自殺を図ろうと屋上へ登る途中で、高校生たちが部活の顧問のため長渕剛『乾杯』を練習する様子を目にする。稚拙な演奏がサビに近づくにつれて感極まる。この演奏を聞いた池田が「(自分のことを)殺せねえよ」と漏らす場面が目に焼き付いた。また弟が好きだった椎名林檎『女の子はいつでも』が、成長したいじめっ子(小松大二郎)からの逃亡に使われる幕切れが切ない。

 2017年2月に初演、同年9月に再演した『弟兄』の三演は「トラウマティックな思い出を消化し劇化したことで実人生がどう変わったか」と銘打たれている(「CoRich舞台芸術まつり!2020 応募公演への意気込み」より)。冒頭の説明でいじめっ子たちに許諾を得て劇化し仮名化、一部にフェイスブックをブロックされたとの説明があったり、成長したいじめっ子に対していじめ体験を劇化していると激白する場面を見ればその企図はわかるものの、やや食い足りないと感じた。それは許諾を得る過程でモデルとなったかつてのいじめっ子たちとどのようなやり取りを交わしたのか、という点をさらっと流したことに覚えた違和感に端を発している。たとえば『俺』の主人公がスマートフォンのアプリを用いて自身の体験を実況中継したように、より現在進行系で内面を吐露する手法を採用すれば本来の上演意図に近づいたのではないかと感じた。

 また、なぜいじめっ子は池田をいじめたのか、いじめに走らざるを得ない動機は深くは掘り下げられないため図式的に見えてしまった点は拭い難い。「死ね」という紙を貼られたりザリガニを食わされたりしたいじめのエピソードは強烈ではあるが、被害者の告白にウェイトが置かれすぎており加害者側の言い分が軽視されていると感じたのである。『姿』で描かれたような、両親の不和や虐待がいじめと連関するような場面があってもよかったのではないだろうか。
ピリオド

ピリオド

劇団そとばこまち

劇団そとばこまちアトリエ 十三 BlackBoxx(大阪府)

2020/05/08 (金) ~ 2020/05/12 (火)公演終了

再度の延期も致し方ないと思います★
7月公演は事態が休息して安心して楽しめる日になってるよう祈ってますm(_ _)m

HOMO

HOMO

OrganWorks

神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2020/03/06 (金) ~ 2020/03/08 (日)公演終了

満足度★★

まず「人類」というテーマ設定に魅力を感じました。大きいなあ、と。最近、荒川修作のドキュメンタリーを観たのですが、「死なない」とか言ってて良いなと思った感覚に近い好感を持ちました。

ネタバレBOX

しかし実際に作品を観てみると、「人類」を描くにはあまりに洗練された身体しか登場しなかったように思いました。どうしてもHOMOの動きに違和感を覚えてしまいました。同期・直線的な身振りをするLEGOは、身振りと身体がフィットしているように見え違和感はありません。しかし、バラバラ・破線的な身振りをするHOMOは、「洗練された身体が、洗練されていない身体を演じている」ようにしか見えませんでした。日常から離れた身振りをすることに特化された身体の、スムーズできれいな身のこなしが、伝えたいイメージを伝達する上で障害になっているように思えます。つまり、ずっと「ダンサーの身体」が邪魔をしたままのように見えました。

個人的にこの作品の中で最も魅力を感じたのは舞台美術です。ダンサーが不意に美術に触れた時の、細い針金の揺れは、意味はよくわからなかったですが、単に面白かったです。「ダンサーの身体」にある種拘束されているように見えるダンサーの周りで、ぐらぐらと揺れる美術はとても自由に見えました。

また人類の描き方は少々ステレオタイプすぎるのではないかと思いました。デウスでもルーデンスでもファベルでもなんでもいいのですが、上演からOrganworksの人類観をもっと知りたかったです。物販で購入したアイデアノートを見るとわかる部分もあるというか、歴史を辿るようなプロットや意味をなさない発話によるコミュニケーションが登場した理由はなんとなく理解できるのですが、上演単体で考えると情報の整理がしきれていないように思います。

過剰に上司にゴマをするように手を頻繁に揉み込む浜田純平さんの動きが面白かったです。紫モヒカンにサングラスというちょっといかつい格好なのに、その動きからは虫とか鳥的な印象を受けました。何かに見えるような演技するのではなく、このように何かを観客の内面に想起させる身振りを全面的に採用して作品を組み立てると、また違った作品になるのではないでしょうか。

<参考>
岡田利規『コンセプション』:https://amzn.to/2xujYh7
(「何かを観客の内面に想起させる身振り」について語られていました)
『死なない子供、荒川修作』:http://www.shinanai-kodomo.com/
『死なない子供、荒川修作』視聴ページ:https://bit.ly/2yklkeI
(2020年6月末日まで無料公開中)
是でいいのだ

是でいいのだ

小田尚稔の演劇

SCOOL(東京都)

2020/03/11 (水) ~ 2020/03/15 (日)公演終了

満足度★★★★

忘れることと思い出すことの関係について考えました。私は忘れっぽいのでよくリマインダーアプリを使うのですが、それは、「自分が覚えておくべきこと」を欠損させながらも、あえて記憶を自分の外部に委託することで、また自分が思い出せるようにする、という仕組みだと思います。「パンを買う」のような単純な行動であれば外部に委託した際に情報が減ることはないですが、複雑な事象や出来事の記憶を外部に委託すると、どうしても元より少ない情報量しか外部に記憶してもらうことはできないでしょう。

ネタバレBOX

それこそ、3.11の経験はそのようなものではないでしょうか。
情報を減らす、つまりあえて「少し忘れる」ことで思い出せるようになること。戯曲と上演、作品と記憶の関係にはそのようなものもあると考えています。
まさに『是でいいのだ』は、私にとってリマインダー的な作品です。正確には、今後なると思っています。3月11日にyahoo!で「3.11」と検索し、YouTubeで口ロロ『聖者の行進』とsalyu × salyu「続きを」を見る、という私の地味な3.11リマインダーに、『是でいいのだ』を読む(観る)ことが加わりそうです。欠損した情報もバリエーションが増えればそれだけ、総合的には元の情報に近づけると思います。

俳優の演技態が魅力的でした。書き言葉と話し言葉の中間のような文体のテキストを、語りかけと独り言の中間のように発話する。おそらく意識的に選択しているであろう狭い会場だからこそ違和感なく見ることができる演技態ではないでしょうか。観客とささやかな親密性を築くような演技態は、眠くなる時もありますが、日常的なエピソードを世間話的に伝達する方法として適しているように思います。

おそらく自身の経験や肌感覚をベースにしながら、地に足のついた言葉を丁寧に連ねていく姿勢が戯曲からうかがえ、好感を持ちました。一方で登場人物の年齢層やモチーフの幅が限定されていることも事実だと思います。発話者の年齢が変われば、「是でいいのだ」の意味合いも大きく変わってくるのではないでしょうか。


<参考>
Yahoo Japan 3.11特設ページ:https://fukko.yahoo.co.jp/
口ロロ『聖者の行進』:https://www.youtube.com/watch?v=FO4jSDN1sJk
salyu × salyu「続きを」:https://www.youtube.com/watch?v=gzBfx_UQVBU
インテリア

インテリア

福井裕孝

THEATRE E9 KYOTO(京都府)

2020/03/12 (木) ~ 2020/03/15 (日)公演終了

満足度★★★★

「コード(=ルール)からの逸脱がユーモアを生む」という旨のことが千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』に書いてあったと思いますが、この作品ではまさにルールを破ることでおかしみが沢山生まれていました。

ネタバレBOX

舞台は「もの」が散乱しているだけで、劇場の壁以外に空間を分割するものはありません。そこに俳優がやってきて、手を洗う身振りをします。ああ、あそこには鏡と洗面台があるんだな、と観客が了解し、俳優がリビングのような空間に移動したと思いきや、先ほど洗面台として使っていた空間に上着をばっと投げつけます。上着はさっき鏡がかかっていた壁があるところを、壁がないかのように通過し、現実に存在する劇場の壁にドンとぶつかり床に落ちます。え、そこ洗面台だったじゃん!壁の設定どうなったん!と観客は意表をつかれ、そのルールの逸脱に笑います。こんな調子で、ルールとその逸脱に笑いが起きる場面が多く、面白く観ました。

私の隣の席には大きなぬいぐるみが座っていました。客いじりなどが苦手な私は、近くに俳優が来たら嫌だな…、と警戒していたのですが、結局俳優が近くに来ることはなく、最後までぬいぐるみは私の隣の席に居座ったままでした。どうやらこのぬいぐるみは「ものの観客」だったようです。「ものが来て、ものが観て、ものが帰る演劇」は面白い試みだと思うのですが、上記のように「人間の観客」からは、「ものの観客」が、観客なのか出演しているものなのかは、上演前や上演中に判別できません。その意味で、終幕までの間、私の隣のぬいぐるみは、私と同じ現実のレイヤーに存在しているとは思えず、現実からすこしずれたフィクションに近いレイヤーにいるように思えました。私としては「『ものの観客』が演劇を見ている、という演劇」を、私が見ている、みたいな感触を、事後的に持ちました。この事後的にしか「ものの観客」を認識できないという仕組みの遊戯性は、とても魅力的です。

全体的にルールと戯れる手つきには魅力を感じましたが、ルールが曖昧に見える場面も多く、よく見方がわからないシーンも散見されました。おそらく登場人物が変わるごとにルールも変わっているのだと思いますが、それに気付かせるにはもう少しルールがわかりやすい構成をとると良いかなと思いました。その曖昧さは私にとって、単にノイズとなっていました。

部屋と家の違いなど、概念的に整理できていない箇所もあるように見受けられました。


<参考>
千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』:https://honto.jp/netstore/pd-book_30097183.html
千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』書評:https://allreviews.jp/review/2013
黒い砂礫

黒い砂礫

オレンヂスタ

七ツ寺共同スタジオ(愛知県)

2020/03/14 (土) ~ 2020/03/22 (日)公演終了

満足度

観客として、想像力の焦点が合わせづらいなと感じました。舞台美術、衣装、身振り、それぞれの要素で観客の想像力を必要とする量がちぐはぐに思いました。

ネタバレBOX

同色の木材が段差になっているだけのシンプルな舞台美術を山に見立てるのと、ちゃんとしたアウトドアウェアを着た人が山を登る身振りをするのと、ハリボテが混ざった小道具でスープを飲むフリをするのとでは、観客の想像力を必要とする量がバラバラです。ここはリアルな設えでリアルにやるのに、そこは嘘でやるの…?と、そのバラバラさは私を困惑させました。バラバラであること自体が問題にならないようにもできると思いますが、そのバラバラさと他との関連が見つけづらく、私にとっては単にノイズとなっていました。

急に緑のムービングライトが下からバッと光って、俳優がギャグを言うシーンは面白かったです。そこだけやけに記号的な演出で、とことんバカらしく見えつい笑ってしまいました。そこで床下のムービングライト使うのか!的な驚きがありました。

また「負荷のかかった身体」の魅力をそのまま押し付けられたように感じるシーンがあり、私は距離をとってしまいました。流れに乗れませんでした。またその見せ方にも疑問があります。激しく運動し、息があがり紅潮した身体を無理なく見せる構成をとっていることは推察します。しかしその構成に乗れていたとしても、出演者全員が真面目な顔で皆同じく抽象的な身振りをしている場面では、いやさっきあんなにふざけてたじゃん!と、三枚目的な役につっこみを入れたくなると、私は思います。出演者全員でやらなくても良かったのではないでしょうか。

加えて、演技態が気になりました。必要以上に大きな声で発話してたように思いますが、それが良い効果を生んでいるようには思えませんでした。声でかいな!と思うと観客はある種の没入から離脱するわけですが、そのことによって観客を批評的な視点に持ち込むわけでもなく、単に流れから外れさせるだけであったように思います。
まほろばの景 2020【三重公演中止】

まほろばの景 2020【三重公演中止】

烏丸ストロークロック

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2020/02/16 (日) ~ 2020/02/23 (日)公演終了

満足度★★★

衣装の対比がとても良かったです。

ネタバレBOX

他の登場人物はシーンに合わせて厚着になったり裸に近い格好になったりするのですが、主人公の福村だけはずっとアウトドアウェアを着ています。他人の家の中でも、飲み屋でも。それは終幕まで決定的な解決もなくだらだらと続く福村の苦悩を象徴するだけでなく、上演全体を通して被災のイメージをより強く意識させるものになっていたように思います。
この作品を見て思ったのは、そうか、いまやアウトドアウェアは災害をイメージさせる服になっているんだな、ということです。私にとってアウトドアウェアは、台風や豪雨などで被災した地域で働く作業員や災害ボランティアを想起させるからです。私はこの作品が、東日本大震災というよりも、近年の災害全般を想起させるものになっているように感じました。調べてみると、アウトドアウェアが日常着として定着したきっかけには東日本大震災の影響がある、という話も見つかり、私がアウトドアウェアから災害を想起したのはあながち自然なことなのかもしれないと思いました。その意味で、福村が最後までアウトドアウェアを脱げなかったことからは、個的な被災の果てしなさ、またその社会的被災とのギャップを考えました。

青白い照明で引き締められた空間に、天井から吊るされた白の薄布が何枚もゆらめく舞台は、とてもきれいなのですが、きれいすぎるようにも思いました。今回の舞台から生まれる崇高さは、山や信仰にまつわる崇高さの持つ土臭さや時間の堆積をどこか漂白してしまっているように感じました。
チェロの演奏とその演奏者が舞台上に存在する理由もよくわかりませんでした。演奏自体は祝詞や朗唱とのコントラストが面白く、また、良い音だなあ、と何度も思いました。
出演している俳優のみなさんの、神楽のシーンの演技態も印象に残っています。おそらく時間をかけて稽古を積み重ねてきたであろう神楽を舞う身振りは、他のシーンの演技とは異なり「嘘をついていない俳優の身体」が表出しているように思いました。つまり、演技として舞っている、というよりも、「単に舞っている」ように見えたのです。演技というより、鍛錬の成果を見せているように。それが良いのか悪いのかは、私にはまだよくわかりません。

<参考>
アウトドアがファッションになる「きっかけ」が生まれた時。:https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7789/
White Mountaineering:http://www.whitemountaineering.com/about/
(「服を着るフィールドは全てアウトドア」というブランドコンセプトについても考えさせられました)
ゆうめいの座標軸

ゆうめいの座標軸

ゆうめい

こまばアゴラ劇場(東京都)

2020/03/04 (水) ~ 2020/03/16 (月)公演終了

満足度★★★

感想を書くために私小説に関するテキストをいくつか読んだのですが、あれ、これ作者=池田亮としてそのまま読めるんじゃないか、と思ったのは、坂口安吾「わが思想の息吹」です。これは一種の私小説論なのですが、安吾はこの文章の中で「いたわり」という言葉を使って、私小説の望ましい読み方について書いています。いわく、事実ベースの物語において、作者がどうやって登場人物を描いたり名前をつけているのか、という「いたわり」方から「作者の思想の息吹を読みとってほしい」。

ネタバレBOX

これを踏まえ、『弟兄』における池田さんの「いたわり」方に注目すると、登場人物がずいぶんキャラ化されているなあ、という印象を持ちます。その場面の笑いに奉仕するために選択されたエピソードやセリフ回しが多いように見えました。少しアニメっぽくもあります。それもあって飽きることなく見続けることができるのですが、その観客に対する隙のなさが、逆説的に、舞台にのらない切実なことを指し示しているように思いました。
また安吾のテキストの中で、作品中に実名を出すことへの言及もあります。いわく、作者の意図的な構成=「いたわり」から外れた事実を描く際には、仮名でしか書くことができない。
これを踏まえると、実名にこだわる池田さんは、意図的な構成=「いたわり」に固執していると言えるかもしれません。
総合すると、池田さんは、結果的に笑いが起きるような「いたわり」方にこだわって作品を作っていると言えそうです。
ただ池田さんの笑いは、コントや漫才などいわゆる「お笑い」ほどハキハキし過ぎていないように思います。俳優が結構リアルな演技をしていて、記号的な演技態でないことも「お笑い」との違いとして大きいように思います(逆に俳優の演技が記号的なものだったらほとんどコントに見えそうだなと思います)。
個人的には「お笑い」的記号的な演技態と、ずっしりとしたリアリズムの演技態が混ぜこぜになった作品も観てみたいです。緩急をよりはっきりさせることで、作品の厚みが増すのではないでしょうか。

舞台美術が少し浮いているように思いました。赤が基調のパネルが舞台を取り囲んでいる様は、異様な印象を受けましたが、その色使いが上演に対して効果的だったようには思えませんでした。同時上演されていた他の作品ではメインで使われるものだったのでしょうか。私としては単にノイズになっていたように思います。

また公演があるたびに毎回良いなあと思っていたのですが、今回も宣伝美術が良かったです。団体活動初期から同じ質感のビジュアルで統一されており、ゆうめいという団体のイメージ形成に大きな役割を果たしていると思います。線の目立つイラストを工作的に切り貼りしたような手作業感漂うグラフィックには、池田さんの「いたわり」方に通ずるものを感じています。


<参考>
坂口安吾「わが思想の息吹」:https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42823_26494.html
メル・リルルの花火

メル・リルルの花火

おぼんろ

新宿FACE(東京都)

2020/04/17 (金) ~ 2020/04/26 (日)公演終了

 「観たor観てない」を問われたら、一応「観てきた」の方になるので、何か感想書かなきゃ~~~でもな~~~と、思い悩んでいるうちに、見逃し配信が始まりました。
 なので、「観て下さい」と、言いたいです。7月いっぱい、Youtube上で誰でも無料で観ることが出来ます。 さしずめ劇場の扉が全開で、「寄ってらっしゃい観てらっしゃい」と呼びこみされてる様なものですから。
 
 ああでも、作品を観ようかどうしようか、迷ってる人がもしもココを覗いてる(今頃おるんかのぅ・・・)のだとしたら、何かしらお勧めを書いた方がいいのでしょうか。 新手のフィッシング詐欺でもネズミ講でもないですよ、とか・・・。 冗談はさておき、僭越ですが第三者の立場からざっくり案内っぽい事だけ書かせて頂きます。

 第1回から第14回まで、連続した1時間程度のコンテンツが配信されています。どの回でも、どの順番でもOKです。おぼんろさんのHPからYoutubeに飛べます。
 各話の構成は大体こんな感じです。

① 待ち受け画面
② オープニング映像(メインキャスト囚人服Ver.)
③ 語り部達の物語と末原さんの前口上・導入部(音声のみ)
④ 「メルリルルの花火」本編(ほぼ音声のみ)
⑤ 「ペズロウの幽霊たち」(パフォーミングアクターの演技映像)
⑥ メイキング映像(これまでの経緯等)
⑦ 語り部達の物語(音声のみ)
⑧ エンディング映像(メインキャスト白Ver.)
⑨ テーマソング「花は盛りて夢叶う」(Vol.7~)
⑩ 次回予告画面

 回によって順序が変わったり飛んでたりするものもありますが、バラエティに富んでます。 ①と⑩は静止画像なので終始見てなくてもいいですが、基本的に要らない部分はありません。④と⑤は総集編コンテンツ(無料)もあります。

 観終えた後、「面白かったから、観劇料を払いたい」と思った参加者だけ、“ 投げ銭 ”のページに飛んで下さい。観劇料金は百円玉・千円札・五千円札・一万円札の4種類(「500円かな」と思ったら百円を5回カートに入れるのかな?やった事ないけど)。 回ごとに額面を変えても、一つに纏めても構いませんが、形式的にはチケットの画像を購入する(紙チケットが送られてくる訳ではない)というショップなので、了解下さい。 私はというと銀行振込の手数料をケチって全公演を一度に投げ入れました。 無論、「お金なんて払えない」と思ったらスルーしちゃっていいのです。

 ただ、投げ銭は今回の製作費だけでなく、次回の製作費用にもなります。
 今回、こういうカタチになりましたが、本当は、メインヴィジュアルの映像に見られるキャラクターの物語が繰りひろげる“ おぼんろワールド ”が観られるハズだったのです。(マルチアングル仕様の白Ver.で想像した私。でも貧しい村の状況を考えると、囚人服Ver.の汚しメイクの方が近いのだろうな・・・) 「メルリルルの花火」の物語を、完全な形で劇場でやって欲しいと思ったら、百円玉の一枚でも投げ入れて下されば―――実現する支援に繋がると思うのです、きっと。




ネタバレBOX

 通常の舞台公演→無観客ライブ配信→画像無リモート演劇+編集映像、という変遷を辿ったこの作品、企画と共に内容もどんどん変わっていったのだと思います。 意見の食い違いや対立もあったと思うし、デザインやストーリィもその都度変更を余儀なくされているのでしょう。
 だから、「不完全な本公演」とは思いたくないです。 ぎりぎりな今の状況に、立ち向かって踏ん張って、ようやく成し得た公演。 音声のみのリモート配信を逆手に取って、「クルパジムン=語り部達の冒険譚」と「ペズロウ村の物語」がリンクしていく二重構成(衣裳やメイクを変える必要もなく、一人何役も演れる!)。 「コロナ世界の今」でしか生まれなかった作品。それには、本当に拍手を贈りたいと思っています。
 それに、話の随所に末原さんの「現実世界への怒り」みたいなワードが散りばめられてる。その上での、「笑っちゃおう、踊っちゃおう」という大団円!
 最初は、ちょっとヤケクソなんじゃないの?と首を傾げてしまいましたが、これは恐らく、参加者に対する「プレゼント」なのだろうと思い直しました。こんなドン底な世の中で、更に人がいっぱい死ぬのなんて、観たくないですものね。 主要キャラはハッピーだけど、周囲の状況は依然として絶望的なのは・・・まぁいつもの事ですが・・・。
HOMO

HOMO

OrganWorks

神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2020/03/06 (金) ~ 2020/03/08 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2020/03/08 (日)

「振付の拮抗と調和で描く人類の新時代」

 漆黒の舞台面から金属性のワイヤーでできた突起状の物体が生えている。男たちが無言で先端を撫で感触を確かめている様子はさながら未知の物体に触る動物を見ているかのようである。少し経つと客席から向かってやや上手側に建つ赤い柱のあたりにいる男(東海林靖志)がその場に横たわる。こうして「2020年人類の旅」なる『HOMO』は静かに幕を開ける。

ネタバレBOX


 この作品には三組のダンサー群が登場する。人類最後の生き残りであるHOMO(柴一平、薬師寺綾、渡辺はるか)、一つの人格を複数人で共有する未来の人類LEGO(町田妙子、佐藤琢哉、小松睦、池上たっくん、村井玲美)、歌声でコミュニケーションをとる旧人類CANT(平原慎太郎、高橋真帆、浜田純平、大西彩瑛)。この三組の踊り分けと調和が本作第一の見どころである。

 ぜんまいじかけの人形のような角々した動きのHOMOは、エッジが効いた動きが新鮮だが見ているうちに滑稽にも物悲しくも見えてくる。白い衣装が印象的なLEGOは手足をよく伸ばしエレガントな群舞で魅了する。特に女性ダンサーのフリルが黒一面の舞台に美しく旋回して鮮やかである。そしてCANTは下半身の動作とうめき声で相互理解を図る。ダンサーたちは体を密着させたりオランウータンのような鳴き声を上げたりしていて思わず笑みがこぼれる。付言するとこのダンサーのカテゴリの詳細は、会場で販売されていたプロダクション・ノートで鑑賞後に知った。しかし舞台を観ただけで如上の分類はある程度理解することができた。

 三組のダンサー群は序盤から中盤にかけてはそれぞれが見せ場をこなす。たとえ舞台上に並んでいたとしてもHOMOやCANTがいる横をLEGOは空気のように通過するだけといった具合で干渉し合わない。彼・彼女らはやがてすこしずつ絡んでいく。この絡み方が面白い。異なる振付や身体の差異があるダンサー同士があるときは拮抗し、またあるときは調和して舞台上にイメージを創り出していく。それは鋭角的でありながら滑らかさが感じられた。きわめつけはハイライトの群舞。しだいに三組の振付の差異は無くなり舞台上に所狭しとダンサーたちが交錯してひとつのうねりのようなものが立ち上がっていく。

 音楽(熊地勇太)は近未来的でありながら土臭い粗暴さをのぞかせる。ビート音やノイズが中心だが時折息遣いや鈴虫の声に似た音色が挟み込まれ、人工的なもののなかに天然由来が入り込むゾクゾクした感触が心地よかった。 

 ラストにHOMOの女性ダンサーがなにかを見つけようと光の指す方向で体を向けるところにLEGOの女性ダンサーが絡み、包み込むようにして体を預ける。そうするとそれまで絶望的な表情であったHOMOの表情がすこし和らいだようにも見えた。作・演出・振付の平原慎太郎が参照したというスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』は、旧人類のメッセージをもとに行動した人類が新人類へと進化するまでを、雄弁な説明を入れず視覚的・音楽的に描いた。本作のラストを人類に対する新人類からの前向きなメッセージととるべきか、はたまた終息の予兆ととるべきか。私はまだ考えあぐねている。
ゆうめいの座標軸

ゆうめいの座標軸

ゆうめい

こまばアゴラ劇場(東京都)

2020/03/04 (水) ~ 2020/03/16 (月)公演終了

満足度★★★★★

実体験したイジメを昇華していく過程を見る体験は、鳥獣が捌かれる様子を見る時の、恐ろしくも目が離せない心理状態に似ていると思います。それは自分の中に眠る暴力性と対峙する時間でもあるかもしれません。

再再演となる『弟兄』は、これまでとは異なり実名を伏せての上演となりました。初演と再演も拝見していたため、比較するとその影響は小さくないように感じました。エネルギーの向かう先をうやむやにされたような物足りなさもありつつ、それって不必要な刺激なのではと、自分の倫理観とクリエイションへの献身性を試されるような部分があったのは事実です。

ただ何にせよエンタメとしての完成度も高く、演劇には人生を豊かにする力があると信じる方にとってはその確証となるべく作品で、多くの人に観てもらいたいと感じました。

HOMO

HOMO

OrganWorks

神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2020/03/06 (金) ~ 2020/03/08 (日)公演終了

満足度★★★★

人類を問い直すためのダンス作品。規則的な動きを繰り返す人類と、変則的なうねりをつくる人類が交錯していくことで作品は進んでいきます。

人類が別の人類に出会ったとき、お互いの差を受け入れたり拒絶したりすることで生存の可否が決まっていく。これは生物的な普遍性でもあり、現代社会においては多様性や外交的課題にも繋がってくると思います。

果たして私たちはこれからも生存できるのか、より成熟した社会をつくっていけるのか。その答えはこれからの自分たち次第なのだけれど、このコロナ禍でさっそく生存戦略を迫られている中での上演となりました。動きの美しさに魅了され、物語のロジックを解く快感を得つつも、作品と現実を何度も行き来してしまう不思議な体験でした。

是でいいのだ

是でいいのだ

小田尚稔の演劇

SCOOL(東京都)

2020/03/11 (水) ~ 2020/03/15 (日)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2020/03/11 (水)

「本質へ迫る思考の運動」 

ネタバレBOX

 
 本作には5人の男女が登場する。大地震が起きた日に帰宅難民となり、被災地の実家を案じながら都内各所を歩き回る就職活動中の女、夫との関係に悩み離婚しようとしていた女、その女に声をかけた文系学生と、復縁を持ちかけようとする夫、そして学生生活や社会人としての日々を回顧しながらフランクルを読む女。以上の人物がそれぞれの身の上話を淡々と語り、舞台上の場所と時間が交錯している。全容を掴むためには強い集中を要した。

 私が面白いと感じたのは、俳優の語りが切り替わりるときの舞台の表情の変化である。ある俳優は登場したやにわに観客に向かいひとり語りを続ける。そしてその状態からべつの俳優と会話を交わす。そして会話をしている途中にもひとり語りが挟まりまた会話に戻っていく。

 ここには三種類の語りが存在する。独白、対話、そして傍白。この切り替わりはスムースに行われるために見逃しやすいのだが、語りのスイッチが入れ替わるごとに俳優の身体性、方法論が変化する。この切り替わりを照明や音響ではなく俳優の肉体のみで舞台上に乗せ、瞬時に変えようと見せていた点が面白い。

 とはいえこの手法だとごまかしがきかず俳優の力量があらわになってしまうため、まだ手探りな状態で演じている者と自家薬籠中にしている者とでは力量の差が出てしまう。なかでも復縁を考える夫を演じた橋本清は、さすがに初演から同役を演じ続けているというだけあって存在感が抜きん出ている。自然とほかの俳優が見劣りしてしまった。

 もう一つ、この作品が舞台上に再現した都市の感触は忘れがたい。大掛かりな装置を入れられないSCOOLの白壁にミラーボールや模様で型どられた照明が当たる。そこで文系学生と女が六本木をデートし、OLが別れた男からもらったサボテンの話をしたりする。そこで都会の孤独、きらびやかな灯りが当たらない闇の深さ、物質的には満たされているものの精神的には空虚な都会人の姿が浮かび上がる。本作には都内の地名や映画、音楽や思想などさまざまな固有名詞が登場するが、それらの響きが次第に空虚で、虚飾にまみれたものに聞こえてきた。

 上演に先立ち発表された本作の小説版を読んだが、似たような語尾の語りが連続するため舞台版を観るまでは登場人物の人数や性別、関係性を正確には把握することができなかった。しかし上演を観たうえで考えると、小田尚稔が演劇と小説で試みたかったことは、人間は他者をどのように識別するのかという問いを提示することだったのではないだろうか。自分は他人とそんなに違っているのか、違っているとすればそれは何なのか、それは言葉か、それとも肉体かーー本作を観終えたあとに湧いたこれらの問いに対して私はまだ答えを出せないでいる。

 本作が小田の企図するとおり、東日本大震災の出来事とカントやフランクルの思索との接続が成立しているのかどうかは私にはわからない。文系学生と女の淡い恋愛模様の破綻であるとか登場人物の身の上話にはあまり興味が湧かなかった。ただ舞台の表層を剥ぎ取り、深く掘り下げてより本質的なものへと接近しようとする思考の運動を体験できたことは、他では得難いものである。それは理論を追い求める哲学者の如き鋭利かつ地道な取り組みの成果だと私は思う。

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