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ねぼすけさん

ねぼすけさん

バジリコFバジオ

サンモールスタジオ(東京都)

2012/09/27 (木) ~ 2012/10/02 (火)公演終了

満足度★★★

家が破産しても,みんなでカラオケ大会できるおバカ集団
台風が来ている中,『ねぼすけさん』をサンモールスタジオ(新宿)で観た。この作品は,とても良くできている。主人公の,キナコは,実は,もともと未来から来た旦那と,その事実を知らずに結婚していた。だから,未来から来た彼が,あれこれコントロール(超能力で)することによって,キナコのまわりでは,かなり不思議な現象が,日々起きるのである。

作・演出の佐々木充郭は,的確に,昭和30年代の世界を再現していた。あの時代には,空き巣は入り放題だった。押し売りは,どこか哀愁のあるものだった。キナコのまわりには,ほかにも,個性的なキャラクターが光る。息子の担任の先生は,少しヒステリーだ。彼女は,キナコの家族のようにノー天気で生きていけるひとたちがどうしても理解できないのだ。

劇団14歳では,『山に登る』で,佐々木充郭は演出をしている。非常用の缶詰が,どうしてもあかない場面で,たいへん大げさに振る舞うのだ。今回の『ねぼすけさん』の出演者は,そのほとんどが,オーバー・アクションの連続。たとえば,額をテーブルに本気でぶつけるなど,ケガでもしそうなテンションだった。でも,こればかりというわけでもなく,劇は,きわめてまじめに展開。

『ねぼすけさん』は,第17回劇作家協会新人戯曲賞入選作である。多くの審査員をうならせた理由には,一度だけさらっと観ると気がつかないようなトリックがあるはずだ。過去の有名文芸作品やら,名映画から,ちょこちょこ聞いたことのあるような名前が浮かんでは,消えていく。やはり,『ねぼすけさん』は,相当手のこんだつくりになっているようだ。

この劇団は,人形を使う。このために,どのようにあやつり人形が出てきたり,あるいは,被りものの猫が演じるのか,ずっと気になっていた。ほかの作品はまだ一度も観たことがないが,少なくとも『ねぼすけさん』出演の人形猫は,どこか親近感のある楽しい存在だった。人形猫と,被り物猫が会話していると,アルツハイマー気味の老人が,なぜか会話に参加している(SF劇らしい)。

さて,『ねぼすけさん』を観おわって何を感じるか。ドタバタ会話の中にある,人間の世界など,きっと破滅に向かっている・・・という深みのある意見に共感するのか。あるいは,何度もくりかえされる,キナコ家族は,家が破産しても,みんなでカラオケ大会できるおバカ集団で,そこがまた魅力だというところに尽きるのだろうか。

青い鳥

青い鳥

劇団四季

四季劇場 [秋](東京都)

2012/10/02 (火) ~ 2012/10/21 (日)公演終了

満足度★★

メーテルリンクの『青い鳥』作品の意味!
1906年には,スタニスラフスキーと,ネビローヴィチは共同演出であった。スタニスラフスキーは,シェークスピアやら,モリエールの劇を越え,自分が何かに挑戦し,観客の期待に最大で答えたいと思った。文学からいのちを引き出すのだ。

ところが,ネビローヴィチはブレーキをかける。スタニスラフスキーに勝手にやらせたら,劇団の成功はない。スタニスラフスキーの新しい発想を,嘲笑する。確かに,スタニスラフスキーの文法は,仲間たちに評判は良くない。部分的に成功しているものばかり。心理学的発想は,俳優間でも混乱を招いた。

スタニスラフスキーは,ここで,メーテルリンクの『青い鳥』演出に夢中になっていく。劇団は,生き残るべきである。ネビローヴィチとの共存は困難である。芸術座は,いったい誰が創設したのだろうか。このふたりである。

スタニスラフスキーは,『青い鳥』の下稽古で,黒いビロードの効果に気が付いた。黒の上では,黒は見えないのだ。黒いビロードの小切れが大事なのだ。芸術上の課題を,この『青い鳥』で解決しようとした。この趣旨は,メーテルリンクにも届いていく。

人間は,地球を支配し,その神秘を意のままにできると思い始めている。精神的豊かさを本当に持っているのは,少数なのだ。大衆に,未知の世界の神秘を伝えたい。幸福をさがし求めたい。その幸福は,青い鳥のように,暗黒の世界で飛び去ってしまう。人間は,生涯ではじめての,曇りない眼を持つべきなのだ。その眼で,人間を見つめ直し,誠実な感謝の気持ちで世界を見守るべきなのだ。

スタニスラフスキーは,演出の中で,デザインも装置も,子どものヴィジョンをイメージする。ネビローヴィチは,これをからかう。見てみろ!俳優たちは,全員犬や猫の真似ばかりしているぞ。うれしそうに,スタニスラフスキーのまわりで,わんわん・にゃんにゃんやっているのだ。

スタニスラフスキーは,ネビローヴィチと喧嘩などすることは,愚かなことだと感じていた。彼が考えていたことは何か。それは,俳優は,戯曲のことばの受動的な解説者にとどまるべきではないということ。能動的な,創造者になるべきなのだ。そして,スタニスラフスキーの研究目的は,最終的に観客に感銘をもたらすべきであることに尽きるのである。

メーテルリンクの『青い鳥』は,1911年度に,ノーベル賞を授与された作品である。1908年に発表され,その後,世界中で上演されて来ました。

L‘oiseau blue。は,一見児童文学なのかとも思うほど,夢物語の中での冒険がその筋です。クリスマスの前夜に,妖女ベリリウンヌに,話を持ちかけられたのがきっかけである。

未来の王国・・・・
どうして,あの子は,ぼくの名前を知っているの?
ぼくは,きみの弟になるんだもの。いじめないでよ。
その袋には,何があるの?
ぼくは,三つの病気を持っていくんだ。しょうこう熱と,百日咳と,はしかだよ。
それで・・・
それから,死んでしまうのさ。
じゃあ,生まれるかいがないじゃないか。
だって,どうにもならないでしょう・・・

チェーホフは,晩年次第に象徴主義に関心をいだく。『かもめ』にも劇中劇で,ニーナにそのようなセリフを言わせている。芸術座にも,ベルギーの象徴主義作家モーリス・メーテルリンク(1862-1949)をしきりに勧めている。
これに対し,ネミロヴッチは,当初,心地良いオペレッタ程度の認識であったのに対し,スタニスラフスキーは,『青い鳥』にただならぬ深さを感じていた。
人間と,堕落した社会は,子どもの素直な純粋な目を通して,鋭く批判される。自分たちの生活に必要不可欠なものたちの「化身」,光,水,パン,火,砂糖,ミルク。ほかに,友としての犬と猫。

遭難、

遭難、

劇団、本谷有希子

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2012/10/02 (火) ~ 2012/10/23 (火)公演終了

満足度★★★

片桐はいり演じる仁科というすごい母親。
池袋の東京芸術劇場を訪れた。かつて,鶴屋南北戯曲賞をとった作品は,かなりインパクトのあるものだった。本谷有希子は,この『遭難』をどのようなプロセスで完成させたのか,そして,今回再演したのだろうか。

四人の教師が,モンスターな母親・仁科と格闘するような話であるか,のような印象から物語はスタートする。この母親は,江國という若い女性教師を攻め立てる。わが子が,意識を回復しないのは,アンタのせいだ!。しかし,あとでわかって来るが,この母親は,子どもを虐待していて,それが,きっかけだったかもしれない。

江國は,たしかに仁科君から告白されたこともあった。もしかして,失恋のショックだったかもしれない。しかし,話の骨格としては,主役である里見という国語教師が,仁科君から,相談の手紙を受けていたのだ。同僚のきまじめな石原は,その事実を知っていたのである。里見は事実を,インペイをする。石原は怒る。

里見がすごいのは,さほど罪もない不破という軽薄な男性教師までも,今回の事件にひきずりこんでいく。びっくりするのは,唯一良識もありけがれもなかった石原は,ほとんど「弱み」がないことゆえに,全員の標的になりかけることである。これが,社会の真実ならば,そこに救いはないだろう。気の毒である。

一方に,片桐はいり演じる仁科というすごい母親。それに対して,里見というずるい人間がいる。里見のような人間も実際たしかにいるだろう。ただ,その人間には,その人間の歴史があって,もはや性格やら,主義は変えようもない。一番苦しみ,一番かわいそうなのは,里見だったりする。その里見に世界は崩壊させられるのか。

お気に召すまま

お気に召すまま

明治大学シェイクスピアプロジェクト

アカデミーホール(明治大学駿河台キャンパス)(東京都)

2012/11/09 (金) ~ 2012/11/11 (日)公演終了

満足度

この世界はすべてこれひとつの舞台。
明治大学シェイクスピアプロジェクト「お気に召すまま」を観る。

この劇の中で,出て来るのは次の台詞である。

この世界はすべてこれひとつの舞台。人間は,男女を問わず,すべて役者に過ぎない。それぞれ舞台に登場しては,また退場していく。そのあいだに,ひとりひとりが,さまざまな役を演じている。

ここは,演劇というものを,シェイクスピア独特の視点で見ていたことがわかる部分だ。

「お気に召すまま」は,ロザリンドを恋するオーランドーの話が中心だ。少し時代が古いから,作品全体は,メルヘンチックになる。舞台の中心は,アーデンの森。そこで,男の子に扮したロザリンドは,オーランドーに恋のてほどきをする。本当に,わたしを「ロザリンド」だと思って,心の内をお話しなさい。オーランドーは,この趣向に夢中になっていく。最期の場面で,男の子は,実は「ロザリンド」であったことを知りめでたし,めでたし・・・ということになる。

シェイクスピア作品には,いろいろなものがあるが,かつてBBCで全作品を見た思い出の中では,この「お気に召すまま」は,不思議なものだ。とくに驚くような仕掛けはない。ただ,美しい音楽が全体を包み優しい気持ちになる。シェイクスピアにしては,鋭さはないかもしれないが,これも又シェイクスピアらいし,いや一番シェイクスピア的なものかもしれない。「お気に召すまま」は,だから,この作品は,どうぞご自由に鑑賞ください・・・と謎のメッセージを残した。

から騒ぎ

から騒ぎ

演劇集団若人

上野ストアハウス(東京都)

2012/11/22 (木) ~ 2012/11/25 (日)公演終了

満足度★★

シェークスピアの『から騒ぎ』は,クローディオとヒアローの出会いと決裂
本橋哲也は,その著書の中で,政治は結局権力をめぐる闘争のことであり,金銭の分配にも振り回され,要するに「腐敗」していくのだと言っている。その場合,多くの人はきっと権力を得て,その資質も変化してしまう・・・ということになろう。彼の本では,舞台はイギリス史劇であるが,シェークスピアは,権力を志向するひとの性(さが)という普遍的なテーマをわかり易く表現していると指摘する。シェークスピア演劇を,社会全般にわたる政治的権力の物語,として見る「視点」があるのだろう。

イギリス帝国が最初の植民地を建設したとか,ヘンリー八世の離婚で英国国教会が成立したとか,キリスト教が新旧に分裂した後のヨーロッパが宗教戦争にイギリスもまきこんでいくとか,そういった時代である。農村から都市に人口流入が激化する。スペイン・ポルトガル・オランダに遅れて,植民地主義に向かう。こういった錯綜とした時代に,異種混交的な包括的な場所で,演劇は大衆の見世物から,やがて,舞台芸術に向かっていく。そんなシェークスピアは,「現代劇」として,二十世紀初頭に再生して来る。

悲劇のためには,何かを知り,何かの能力をもたねばならない!このことをスタニスラフスキーは知った。自分が死に賭して演技したにもかかわらず,観衆は私のオセロに対してまったく冷やかなままだった。装置や,衣装が派手過ぎると,かえって観衆の集中を役者からそらせることもあるだろう。スタニスラフスキーは,自伝の中で,オセロに手を焼いたことを述べている。

その後,スタニスラフスキーは『から騒ぎ』を上演することになる。演出のための戯曲として『から騒ぎ』が選ばれた。ベアトリスを忌み嫌う粗暴な武人・ベネディクトをどう演じるべきか。悪党の公爵・ドン・ジョンたちは,どこに住み,どこで謀略をめぐらすのか。役者的な演技法から離れ,性格俳優の道を模索する。

『から騒ぎ』の中では,恋愛には不向きな二人の男女が出て来た。ベネディクトと,ベアトリスは,周囲のたくらみで,自分は異性などの興味はないが,「自分に夢中になっている異性がいること」を知って考えを少しずつ変えていくはめになる。

そういえば,上野ストアハウスでの,ベネディクトもとてもおもしろいキャラクターであった。舞台では,友人たちが,自分のうわさを始めた。さっと,客席側に身を隠して,あたりを伺う。そうか,あの高慢だと思っていたベアトリスは,自分のことを身を焦がすほど恋していたのだ!

「ゆうべあなたと,あなたの部屋で,話していた男はだれですか?」クローディオは,婚礼の前夜,策謀によって,まんまとヒアローに拭いがたい不信を抱いてしまったのだ。この事件にショックを受けたヒアローは,実際気絶してしまった。ここで修道士は,機転をきかせてヒアローがそのまま亡くなってしまったという芝居を打つ。確かに,ヒアローをせめて殺してしまったクローディオなのだが,真実はやがて明らかになって来る。そこで,自分の判断がまちがっていたことを悟り,深い悲しみに沈んでいく。

このシェークスピアの『から騒ぎ』は,クローディオとヒアローの出会いと決裂,そして,策謀をめぐらした者たちがつかまって,無事結婚できるという比較的シンプルな筋書きである。上野ストアハウスでの,演技者は,さほどの衣装もないが,それでいてシェークスピア劇らしい個性的な役者がおもしろい演技を見せてくれて良かった。次第に,シェークスピアも難しいものに入っていくだろう。

ノア版 人形の家

ノア版 人形の家

ノアノオモチャバコ

小劇場 楽園(東京都)

2012/09/20 (木) ~ 2012/09/23 (日)公演終了

満足度★★★★

イプセンの『人形の家』には,しっかりとしたストーリーがある。
下北沢小劇場「楽園」で,イプセンの『人形の家』を観る。

演劇史を研究していると,チェーホフとならんで,このノルウェーの作家が頻繁に出現する。明治時代,西洋の完成度の高い作品として,日本に紹介され,気が付けば,女性の自立を促すためとか,家庭の在り方への問題提起の意味を含んで,何度も上演されている。

演劇というものは,たしかに,戯曲を忠実に,演技するというだけではない。しかしながら,自由に演出し,自由に演技していく場合,もとの戯曲=テキストが,多少しっかりしたものでないと,うまくいかないものだろう。そういう意味で,翻訳劇には,登場人物名が覚えにくいなど違和感はあるが,筋は明瞭だ。

作品は実在した人物からヒントを得ている。イプセンは,ある女性から,夫の病気ゆえ借金話をもちかけられる。「すべての悩みをご主人に打ち明けなさい」とすすめるが,金は貸さなかった。結局,彼女は,うつ病になってしまう。劇中のノーラは,もう少し別の話で,借金はできたが,にせ借用書事件に追い込まれる。

「パパは,あたしを赤ちゃんと呼び・・」「あなた(夫=ヘルメル)も,私を人形として,この家であつかっていた!」。イプセンの『人形の家』のテーマは,このような会話に収束されるだろう。妻であり母親であるのに,その責任を放棄して,家を出ていくノーラは,この後,しあわせになれるだろうか。彼女は,明確に,自分には,子どもを育てる自信がないのだと述べる。さらに,子ども以上に,自分は,自分という人間を最初からやり直したい,という。そう,もう,人形ではいたくないのだ。

ノアノオモチャバコの演出は,とてもおもしろい。この小劇場は,普通のように,前に舞台があって,客席があるものとはちがう。劇の種類によっては,真横から,観客が,じっと劇を観ることが可能である。まず,入場すると,おどろいたことに,ノーラは,すやすや舞台中央の揺り椅子で眠っていた。その後,太陽やら,月をイメージした,おもちゃが,ぶらさがって,回転している中央で,演技をする。最後,左手奥にある観客席を,思いっきり蹴飛ばして,家を出ていく。

イプセンの『人形の家』には,しっかりとしたストーリーがある。そのために,ノアノオモチャバコ版においても,その基本構造は,びくともしない。

二組の男女が,物語の骨格を作っている。まず,主役のノーラと,その善良かもしれないが,見栄っぱりで,信念も,誠実さもどこか薄弱な凡夫であるヘルメルがいる。これに対し,ノーラに金を貸したどこか胡散くさいクロクスタと,ノーラの幼なじみのこれ又ひとくせあるリンデ夫人の組み合わせである。

意外とおもしろいのは,クロクスタが自滅していくのを,どういうわけかリンデ夫人は,救う展開となっている。「偽借用書事件」やら,「同窓生ゆえのなれなれしさ」に,ヘルメルは,銀行頭取になるや,クロクスタを解雇し,かわって,未亡人のリンデ夫人を事務職にすえる。この時点では,クロクスタとリンデ夫人は,あきらかに敵対しあう関係なのである。しかし,リンデ夫人は,クロクスタを救う。

かつて,クロクスタは,リンデ夫人に夢中になるが,はねつけられた。リンデ夫人は,そのクロクスタのかわりに銀行で職を得たのだ。でも,仕事をしてみたかったのは事実だが,欲をいえば,クロクスタの子どもたちがかわいくて,その母親にもなってみたかったのだ。そのためには,遅くなったが,リンデ夫人は,クロクスタの求愛を受け入れることは,まちがっていないと考える。

ただ,このリンデ夫人の機転のきいた判断で,ヘルメル・ノーラ夫婦は,一転危機を回避できたように見えるが,かえって深い決裂に向かってゆく。ノーラが,実際に,家を出ていくには,戯曲の中ではわからない複雑な思いがきっとあるだろう。ヘルメルは,彼なりに,自分のまちがいをなんとか詫びたいという気持ちにまでなった。しかし,時すでに遅し。ノーラは,傷つき,家を出るのだ。対話らしいものが,ひとつもなかったヘルメルが,変わるとは思われないのだ。

『吸血姫』

『吸血姫』

劇団唐ゼミ☆

浅草花やしき裏特設テント劇場(東京都)

2012/11/16 (金) ~ 2012/11/25 (日)公演終了

満足度★★

唐十郎の劇は,いつも観客の魂を揺さぶるアジテーションである。
いま,演劇に何が起こっているか。2005.12.西堂行人は,述べている。この時点で,唐十郎はもっとも注目を集めているという。教授として,横浜国大でも活動していた。

西堂行人によれば,演劇はギリシア時代より,つねに現実を「模倣」するものだった。ところが,唐十郎はこの関係を逆転させていた。日常の「反映」を舞台が「映す」のではない。唐十郎の言葉は,舞台上に次々に化身をつくり出す。唐十郎の劇は,いつも観客の魂を揺さぶるアジテーションである。

花やしき裏にあったようなテント劇場は,そもそも1967年に,花園神社に立てられた紅テントがスタートだという。テントそのものを,公園のような公有地に張ろうとすると今でもすぐに退去命令が出るという。テントそのものは,それ自体が一つの表現になる。そこに装置空間が発生する。演劇はいつも体験的な記憶となる。一時的に体験し,消え去るものがテント劇場である。「ラストシーンで背景の幕が切って落とされ都市の風景が忽然と劇の中に飛び込む」。この演出は,今回の唐ゼミでも,最後スカイツリーが目に飛び込むことで再現されていた。

芝居の集団は,表現集団+観客である。この点,テント劇場のようなものが,芝居の観客となるかもしれない人々へひろがりを持つのだろうか,という意見も当初からあったようだ。なお,今回の『吸血姫』は,1971年湯島天神・吉祥寺・渋谷で上演されている。

第21回公演 『吸血姫』を花やしき裏で観た!

花やしきの前にいったら,唐ゼミのPRが目にはいった。あわてて,50mさきの花やしき裏にいくと,青テントがはってあった。これが,かの有名な現代演劇を牽引しているテント小屋か!なんか,寒そうだな。まだ,入場券はあるのだろうか。とにかく時間までどこかで待ってみよう。なにやら,いかがわしい感じの入口。中で,ストリップでもやっていそうな(確かに,途中で二ヶ所そんな場面もあった)。

愛染病院というのがあって,院長・こうぞうは,もの凄くいい加減な男だ。人妻に,あなたをどうしてもお世話したい,とくどき,あきたらポイ。その亭主からは,悪魔のように憎まれている。子どもの頃に,実の父親に凌辱され,悲惨な人生となった女も出て来る。

それにしても,寒かった。内容は,わかったようなわからんような,感動するような,こらえるような笑いもあった。どうやら,関東大震災あたりの時代背景を知ると,もっとおもしろく鑑賞できたのかもしれない。寒い!それにしても,これじゃ外にいるのと,変わらない・・・と思っていると,舞台正面奥の一角が崩れ,穴があいたような感じ。

あっれ,むこうに見えるのは,なぜか東京スカイツリーじゃん。お昼,葵と楓の応援で,うちわ広げていたら,テレビに映ってしまったばかりの場所。おわって,椅子もなくすわりこんでいたので,足も痛かった。その後,丸一日お腹の調子も良くない。次は,やっぱり,ミュージカルにしようかな。

琉歌・アンティゴネー

琉歌・アンティゴネー

ピープルシアター

シアターX(東京都)

2012/10/10 (水) ~ 2012/10/16 (火)公演終了

満足度★★★

タイトルの「アンティゴネー」とは何か?
ニライは,聡明で美しい娘で,すでに,恋人のウミンがいた。ニライには,言語障害があるが,素直で心の美しい妹カナイがいたが,実は,ひそかに,姉の恋人に思いを寄せていた。あるとき,ニライは,基地の連中に襲われてしまった。

ニライの父と,ウミンの父は,町では実力者でかつては,親友でもあったが,基地問題などを背景に,険悪な関係になっていた。このため,ニライと,ウミンは,ぼくたちは,ロミオとジュリエットのようなものだね,と笑っていたこともあった。

ニライの父は,かつて苦悩の大きさゆえに,自分で自分の目をつぶして,これ以上世の中の醜さを見たくない!と宣言していたが,その時の真意は,十分には明らかにされてこなかった。

物語の中で次第に明らかにされるのだが,ニライの父は,戦後ニライの祖父と大きな言い争いをしている。祖父は,戦後も教育者を辞めず,校長をやっていた。そのような祖父に,父は,「戦場に子どもを送り出し,自分ばかりがのうのうと生き残って・・・」と呟いてしまう。結果,あるとき,祖父は,首をつってしまったのだ。

ということは,みな,ニライの父は,親友に裏切られたゆえに,あるいは,些細なことで,実の父親を自殺においやった自責の念で,自暴自棄になったのか?

いや,問題は,そのような表面的なことではなく,もっとドロドロとした奥深いものが隠されていたのである。ニライの父は,この親友をかつて裏切り,彼の妻と不倫関係にあった時期がある。そこで,できた子どもは,ずっと,その事実を隠して成人してしまったのだ。それが,ウミンなのだ。そう!つまり,ニライ・カナイ姉妹は,ウミンと兄弟であったというのだ。

昨年10月,両国のシアターXで,琉歌アンティゴネーは,良かった。これは,沖縄基地問題。ここで,ヒロインのカナンは,血のつながった兄を恋してしまう。さらに,基地でアメリカ兵に犯されてしまう。広いとはいえない劇場には,砂浜をイメージした舞台で,沖縄特有のダンスがある度結構なほこりが舞っていた。で,タイトルの「アンティゴネー」とは何か?

「アンティゴネー」は,ギリシア悲劇で出て来る女性の名前。

テーバイには,ラーイオス王とイオカステー王女がいたが,神の啓示により子どもを作るとろくなころがない!といわれる。ラーイオス王は,これを無視して,できた子どもをしぶしぶ,かかとに目印で傷をつけ,森で捨てるが,これを情のある羊飼い夫婦が育てる。

ときが過ぎ,オイディプース(かかとが腫れた)は,森を通り過ぎた乱暴狼藉の老人を殺害してしまう。彼は,オイディプースの愛馬を,道のじゃまだからというだけで引き殺してしまったからだ。しかし,このときオイディプースは,この老人が父親であったことを知らない。さらに,テーバイにもどって,功績を認められ国王の妻と婚姻し,王にのしあがるが,実は,この女は母親であったのだ。

そして,彼らの間にできた呪われた子どもたちの中に,「アンティゴネー」の名がある。

あたたかい心

あたたかい心

千葉子どもミュージカル

千葉市若葉文化ホール(千葉県)

2012/12/08 (土) ~ 2012/12/08 (土)公演終了

満足度★★

劇物語の世界を生きる!
演技はだれにもできる。ピアノや,絵は,多少の心得が求められるだろう。まるで習ってなくても,演技はすぐにできそうだ。それゆえに,演技や劇について,むしろ何も知らない世界でいいものが見られる。たしかに,小学生やら中学生には,表現の水準でまだ稚拙だと見えても,その演技が表現の真実・核心をついていると良いものになる。一方,見ていてなぜかちっとも感動できないプロが存在することになる。

劇物語の世界を生きる!そこでは,第二ステップがいきなり難しくなって来る。自分でいろいろなことを考え始める。無意識的に初心者がやっていた素晴らしい演技・劇を,今度は,意識してやろうとする。こういった趣旨のことを,山崎哲『俳優になる方法』の中で紹介している。その第二ステップにおいて,役者がなにか余分なことを始めると感じる場合,むしろ簡単に覚えられないセリフを与えてみたりするらしい。この場合,余計なことをやることが,彼には,初心者の持つよさを損なう原因と考えている。

ミュージカル『あたたかい心』は,とてもわかり易くいい演劇だった。可愛らしい子どもたちが,一生懸命やっていた。その内容・レベルを,しろうとで,演劇を少しばかり観た経験しかない私には,講評などできないだろう。また,無責任に,ダンスは感じが良くて,劇団四季より良かった!など,思っても正しい見解とはいえないだろう。ただ,素朴に,上記のような,山崎哲のお話が脳裏に浮かぶ。そうした意味で,いつも演劇を観る場合,そこに表現の真実・核心があるか,そういった視点を持ち続けたいと思った。

テレビのなみだ~仕事に悩めるあなたへの77話~

テレビのなみだ~仕事に悩めるあなたへの77話~

TBS

東京グローブ座(東京都)

2013/03/26 (火) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

テレビ側の人間が作るテレビマン悲喜劇に涙
劇団ひとりさんの演技と鈴木おさむさんの脚本/演出を観てみたくて観賞しました。テレビ番組制作に関わる人間とその家族の悲喜劇(実話を元にした)に
思わず泣いてしまいました。わずか6名という少なめの役者数、いつも観にいっている舞台役者とはまた違った「熱さ」というよりは少し淡々と演じられている感じ、それでいて情熱と悲しさといろいろなものが伝わってくる演技と物語に感動です。笑いの為なら全裸にもなるし、演技も本気な劇団ひとりさんに「劇団ひとりかっけー!」とエールを贈りたいです。

ネタバレBOX

そもそもチケットぴあかe+のメルマガで「劇団ひとり出演、鈴木おさむ演出」というのを見て2人とも著書その他がなかなか感動させると有名だったのでなんとなくその舞台を観てみたかったというだけの理由で予約したんですが、取ってみたらまさかの平日昼間で「うわー、会社休まにゃならんやん」とそこでちょっとショックでした。

その上、当日チケットを見てみたら出演者の欄にジュンテさん(?韓流アイドル?)の名前があったり、更に現地にて「舞台後、ジュンテさんのトークショーあり」など「うわー、自分の嫌いな韓流押し、それも韓流舞台とかじゃないよな、そしたらマジ途中退席するわ」ぐらい意気消沈ぶりでした(日韓の関係悪化も含めあちらの人たちにいい感情は全く抱いていないので)。

で、更に劇場内舞台開演前盛んにかかっているボリューム高めの山下達郎の曲も「ちょっと音楽ガンガンかけすぎ、しかも選曲が山下達郎ばかりって・・・」(別に山下達郎さんが嫌いな訳ではないんですが、今までの舞台で開演前に邦楽かけるとこ自体少ないし、それもかなりボリューム抑えめが普通だったので)と、舞台演出含め悪いイメージがどんどん膨らんでいきました。

しかし、いざ舞台が始まってみると・・・


【あらすじ】
舞台左側がテレビ制作現場、右側がテレビプロデューサー「太陽さん」の自宅(上手、下手ってどっちでしたっけ?)

まず、真っ暗な劇場上部に表示される「465」(値は間違ってたかも)の数字。

そして、
深夜のバラエティ番組(コント主体)で成功をおさめ、いよいよゴールデン枠へ進出、さてじゃあどんな番組にしよう、という制作者陣の会議場面からスタート。
今まで一緒に頑張ってきた芸人達と「コント」でやっていきたい、という太陽さん、に対して「コントでゴールデンは弱い、若手芸人にもっと無茶をやらせていこう」と押すディレクター達、という打ち合わせと太陽さん宅での奥さんとの会話の繰り返しで劇が進められていきます。

客席を見ると韓流?目当てか老齢の方が結構いらっしゃったんですが、
その方々にも分かりやすい笑いの取り方など、若い人には逆に「それほどおもしろいか、今のネタ(??)」などの空気もあったかも知れません。

ただこの場面の中で太陽さんの番組にかける想い、テレビマンとしての熱血ぶりと家庭では奥さんを大切にする、という両面がうまく表れていたと思います。

そこに、いい番組を作って人を喜ばせたいという情熱を持って、大手出版社を辞めてまでADになった若者としてジョンテさんが現れます(名前だけで毛嫌いしてしまっていましたが、演技はとても真面目で若さと情熱にあふれる好青年ぶりが前面に押し出されていました)。

途中、太陽さんの武勇伝としてビートたけしのモノマネやダチョウ倶楽部、江頭2:50ネタなど、(実際に業界でありそうな)ネタをおりまぜてきて多分テレビ大好きな老年者層などには大受けだったのかな、と思います(自分もネタはわかりましたが、最近テレビ局などをよく思ってないのでその辺は受け流して観てた感はありますが・・・)。

舞台途中何度も劇場上部に表示される数字、その値が減っている事から「何かのカウントダウンを意味している?」と思ったのですが、

ある時その値が最初の「465」に戻り、また最初の場面が再現されるのですが、そこにかかってきた奥さんからの1本の電話、その裏で実は・・・

と、表面部分に当たるテレビマンの熱血パートと家庭での奥さんとの仲睦まじさの中に、実は裏側ではこんな事が着々と進行していたのか、と(タイトルからちょっと想像がついていた人も多いかとは思いますが)いよいよ物語が本当の姿を見せ始めます。

過剰なネタバレは避けるとして、
太陽さんの思惑どおり「コント主体」で挑んだ番組は大成功し、それは奥さんにも笑顔を与え、しかし無情にもカウントは進んでいく・・・

結構飛び飛びに進むカウントに、「いつ0になってしまうんだろう?」と終始ハラハラさせられた上、一旦進んだカウントが戻っては「実はこの場面の裏では」という伏線ばらし、など、物語中の明と暗を6人の演者さん(特に劇団ひとりさんと奥さん)が見事に演じ分けていました。

そしてカウント0を迎えてしまい・・・

というお話なのですが、重すぎない、ネタに凝りすぎない伏線がまたきれいにはまっていて、見ていて脚本/演出の良さをまず感じました。

その上で、明→暗、そしてまた明、と繰り返し変わっていくパートを見事に演じ分けていく役者さん達(観客の中では途中からすすり泣く声も聞こえてましたし、後でジョンテさんも言ってましたが、下手をすると「悲しみの演技を引きずってしまう」ような部分も見事に演じ分けていました)。

多少淡々というかあっさりした感じで展開していく舞台なのですが、本当にいい舞台でいいお話でした(いい涙をもらえたと思います)。

その後でこれが実話を元にしている、と聞いて驚きました。


舞台が非常に良かったので、そのまま「ジョンテさんのトークショー」も観ていく事にしたのですが、こっちは本当の意味で「韓流ファンへのサービス」だったと思います。嫌韓および韓流ファンでない人はさっさと席を立って帰ってしまいました。結構その人数が多かったので、「ああ、みんな韓流ファンだから観に来た」という訳ではなかったのか、老年層=韓流ファン、みたいに思っていた自分には驚きでした。本当に舞台が観たかったんだなあ、と。
(まあ、本来なら主演の劇団ひとりさんや鈴木おさむさんのトークショーになるのが普通ですからね、この流れなら)


で、ジョンテさんのトークショーなんですが、TBSキャスターのアンディーこと安藤アナの仕切りで行われ、その中で
・ ジョンテさんはバリバリの関西弁である。
  今回苦労したのは「日本語」じゃなくて「標準語」。
・ ラジオ放送局でADの仕事をしていた事がある。
など、ちょっと親しみの持てるようなお話が出て来ました。

テレビでの韓国ゴリ押しやネットなどでの韓国の方々の日本に対しての「横暴とも思われるような発言その他」から、自分の中では韓国人=敵、みたいなイメージを持ってしまっていましたが、少なくとも日本で活動されているジョンテさんのような方は、(表面上かも知れませんが)本当に日本のファンに対して、かなり紳士的に振舞われていたかと思います。

ビラの中の他の舞台公演の出演者にもジョンテさんの名前が出てましたが、
自分は「少なくともジョンテさんが出ているから」という理由でその舞台を選ばない、という事はしないようにしよう、と思いました。
(まだ演技がうまい、とまではいっていないと思いますが、単なる韓流ウケを狙ってるタレント、ではなく、ちゃんと舞台で演技したい、と考えている方かと思いましたので。)


で余談ですが、その帰り劇場ホールを出たら、普通に廊下で舞台スタッフと釣瓶師匠が談話してたのでちょっと驚きました。
チャイム

チャイム

わっしょいハウス

新宿眼科画廊(東京都)

2013/03/26 (火) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

「・・・あれ?」
「東京って、こんなにざわざわしてて面白いまちだったのか・・・」
と、しみじみ、しみじみ。

にしてもホント、舞台上で行われてることは職人芸的にすごいことなのに、脚本も演出も役者もそれをさらっとやって見せちゃうあたり、粋な劇団だよなあ・・・。

ドリルチョコレート「真ドリル」

ドリルチョコレート「真ドリル」

MCR

駅前劇場(東京都)

2013/03/18 (月) ~ 2013/03/19 (火)公演終了

満足度★★★★

おもしろかったー
2人芝居。上演時間もちょうど良くて、テンポも良くて、楽しかった。
プロレスのことは全然知らなかったけど、全く問題なしで楽しめましたー。

ハルメリ2013

ハルメリ2013

世の中と演劇するオフィスプロジェクトM

座・高円寺1(東京都)

2013/03/23 (土) ~ 2013/03/27 (水)公演終了

わからん
舞台設営とか、四方八方から観られる形で面白かった。が、マイク無しの舞台なので、背中むけてるシーンは殆ど声が聞こえず。まあ、聞き逃して惜しい台詞とは思わないからいいけど(舞台の流れで、なんとなく想像できるから)。
それぞれ、上手い役者さんは多いんだけど、根本のストーリーがよくわからん。

あと、他の方も書いてますが客席誘導が下手でうんざりしました。

ネタバレBOX

ハルメリは優しさ、といいつつ、それが間違った方向へ突っ走る。それ(思惑と派別に、個々が勝手なことを始めて、それを誰も制御できない)が、現代ならではってこと?
言いたいことが最後まで集束せず、途中で放り出されたようなイメージ。
消化不良の舞台です。
マシーン日記

マシーン日記

東京芸術劇場

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2013/03/14 (木) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

満足度

合わない
松尾スズキさんの演出は話で聞いていたが、観ていていてずっといらいらしていた。

クロムモリブデンの「裸の女を持つ男」を観たときとも同じ気持ちにさせられた。

どこがどうだと指摘できないが、生理的に受け付けられない。
今でもいらいらしている。
少し風邪気味だが、そのせいかも。

マシーン日記

マシーン日記

東京芸術劇場

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2013/03/14 (木) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★

やっぱり面白い
松尾作品の中でもお気に入りのうちの一本。
演出はもちろん進化していて、ストーリー展開を知っていても楽しめた。

magick

magick

tejinacy

自由表現空間 シアターカフェNyan(大阪府)

2013/03/23 (土) ~ 2013/03/24 (日)公演終了

満足度★★★★

物語のある マジック 
誰でも気軽に楽しめる、 カードマジック 凄い!!   
今までのマジックには無い雰囲気 面白かった。

ネタバレBOX

メイド “たね”さん が、主人の手紙を読んで伝える。   今日ここに 不幸にも 来て頂いた皆様へ 守っていただかなければ 嫌な事が、たとえば、明日手がささくれ立っているとか、たとえば、、、守ってください 携帯・・・おしゃべり・・・観えては、いけないものが見えても。。。 守っていただけないと、じみいーーだけど嫌な事が起こるでしょう。  ピーーン パシィッ 落ちてきた林檎を受け止める。  横の果物のお皿に置く  白い心から染められていく 騙されまいと 思う心から騙される。 スクリーンに星座 アカツキサトシ ジャンプ取る手を開く・・・無い ない  取る コインが一枚 1枚 1枚 コンステレーション 星の付置 星座 偶然には意味がある 1666 アイザックニュートン 林檎から星の動きを考える 召使たねが15CM位の金属の玉を持ってくる 手渡す 重たそうに受けとる、少しうまくいっていない風の主人と召使  玉が宙を浮く 椅子取りゲーム 客から反射神経がよさそうな人 賢そうな人 正直誠実な人 普通の人 “アカツキどきどき 椅子取りげーーム” 普通の人が生き残る 宝箱をあげる 鍵がかかっている 3個の鍵 2度目のトライで鍵は開くいけない 言われていた手紙  配られていた封筒に短いキーワードを書く 前に投げる カードマジック 椅子取りゲームの商品の箱の中から箱 ナンバーキー 1番目 2番目 3番目 のお客様 カードのNo 5 1 9 鍵が開く 中から林檎 落ちてきた林檎が 皿の上に無い。 メイドの“たね” 今後の予定は ? 。。。。。面白いです、誰でも気軽に楽しめる、今までのマジックには無い雰囲気、    

大新人

大新人

ENBUゼミナール

ザムザ阿佐谷(東京都)

2013/03/26 (火) ~ 2013/03/27 (水)公演終了

満足度★★★

フレッシュ!
卒業公演なので均等に見せ場があってもよかったのでは?

大新人

大新人

ENBUゼミナール

ザムザ阿佐谷(東京都)

2013/03/26 (火) ~ 2013/03/27 (水)公演終了

満足度★★★

よかった
熱演でありながらも、楽しんでいる感じがあってよかった。

『熱狂』『あの記憶の記録』ご来場ありがとうございました!次回は9月!

『熱狂』『あの記憶の記録』ご来場ありがとうございました!次回は9月!

劇団チョコレートケーキ

サンモールスタジオ(東京都)

2013/03/23 (土) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

満足度★★★

熱狂
チケットプレゼントにて鑑賞。面白い。

ネタバレBOX

ヒットラー(西尾友樹)が、ドイツのトップに上り詰めるまでの軌跡を描く…。

弱小政党だったナチスが、ヒトラーの演説力を礎に有能無能な人間を取り込み吐き出しつつ、ドイツを手中にするまでの、政治とか人間模様とか。「ナチス」ときくと「アウシュビッツ」とか「ユダヤ虐殺」とか「独裁者」って反応しちゃう(というかそれしかイメージがない)けども、本作はそれ以前の下積み時代にスポットを当てた点が良い。

ヒトラーが演説能力に長けていて、かつ指導者原理に固執する気質だったことは面白い。周囲のアドバイスに怒ることで、その裏に怯えがあるのかなと思った。
とはいえ、ヒトラーの気持ちがどうだったのか。本作が、政治群像劇なつくりに感じたせいか、ヒトラーの(発言でなく)気持ちがどんなものかがわからなかった。単純に、ドイツを想うあまり権力を欲したってだけの人間だったのかしら(それでもいいけど)。いまいち人物の奥行が感じられなかった。ドラマ性が薄いというか。

「あの記憶の記録」とつながっているビルクナー(浅井伸治)の純朴さが、「あの~」で絞殺される悲劇を高める。「あの~」のテーマでもある「家族」ってとこにちょこっと触れてたらなお良かった。折角だし。

「あの~」の方が自分の好みだっただけかもしれないけど、面白い反面もう一声欲しかったと感じた。
『熱狂』『あの記憶の記録』ご来場ありがとうございました!次回は9月!

『熱狂』『あの記憶の記録』ご来場ありがとうございました!次回は9月!

劇団チョコレートケーキ

サンモールスタジオ(東京都)

2013/03/23 (土) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

【熱狂】良質な作品が見れた。感謝です
うちが見た中で今年1位の作品になるかもしれない(まだ3月ですが・・)
【CoRich舞台芸術アワード!2012】において第一位なのもうなずける。
舞台が近いので表情がよく見え、またストーリテラーの様に時々説明が入り、文学苦手なうちでも、これが非常にわかりやすい。

つかみが秀逸!!
ヒットラーの裁判の場面から入るが、この演説が身振り手振りが入り素晴らしい。ここからすっと引き込まれて、目が離せない。優秀な部下の思惑や野望もからみながら進んでいく。

ユダヤ人虐殺くらいしか知識の無いうちでも、相当引き込まれた。
うちは評価5を付ける事は無いと思ってたけど、これは★5つです。

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