青い鳥 公演情報 劇団四季「青い鳥」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    メーテルリンクの『青い鳥』作品の意味!
    1906年には,スタニスラフスキーと,ネビローヴィチは共同演出であった。スタニスラフスキーは,シェークスピアやら,モリエールの劇を越え,自分が何かに挑戦し,観客の期待に最大で答えたいと思った。文学からいのちを引き出すのだ。

    ところが,ネビローヴィチはブレーキをかける。スタニスラフスキーに勝手にやらせたら,劇団の成功はない。スタニスラフスキーの新しい発想を,嘲笑する。確かに,スタニスラフスキーの文法は,仲間たちに評判は良くない。部分的に成功しているものばかり。心理学的発想は,俳優間でも混乱を招いた。

    スタニスラフスキーは,ここで,メーテルリンクの『青い鳥』演出に夢中になっていく。劇団は,生き残るべきである。ネビローヴィチとの共存は困難である。芸術座は,いったい誰が創設したのだろうか。このふたりである。

    スタニスラフスキーは,『青い鳥』の下稽古で,黒いビロードの効果に気が付いた。黒の上では,黒は見えないのだ。黒いビロードの小切れが大事なのだ。芸術上の課題を,この『青い鳥』で解決しようとした。この趣旨は,メーテルリンクにも届いていく。

    人間は,地球を支配し,その神秘を意のままにできると思い始めている。精神的豊かさを本当に持っているのは,少数なのだ。大衆に,未知の世界の神秘を伝えたい。幸福をさがし求めたい。その幸福は,青い鳥のように,暗黒の世界で飛び去ってしまう。人間は,生涯ではじめての,曇りない眼を持つべきなのだ。その眼で,人間を見つめ直し,誠実な感謝の気持ちで世界を見守るべきなのだ。

    スタニスラフスキーは,演出の中で,デザインも装置も,子どものヴィジョンをイメージする。ネビローヴィチは,これをからかう。見てみろ!俳優たちは,全員犬や猫の真似ばかりしているぞ。うれしそうに,スタニスラフスキーのまわりで,わんわん・にゃんにゃんやっているのだ。

    スタニスラフスキーは,ネビローヴィチと喧嘩などすることは,愚かなことだと感じていた。彼が考えていたことは何か。それは,俳優は,戯曲のことばの受動的な解説者にとどまるべきではないということ。能動的な,創造者になるべきなのだ。そして,スタニスラフスキーの研究目的は,最終的に観客に感銘をもたらすべきであることに尽きるのである。

    メーテルリンクの『青い鳥』は,1911年度に,ノーベル賞を授与された作品である。1908年に発表され,その後,世界中で上演されて来ました。

    L‘oiseau blue。は,一見児童文学なのかとも思うほど,夢物語の中での冒険がその筋です。クリスマスの前夜に,妖女ベリリウンヌに,話を持ちかけられたのがきっかけである。

    未来の王国・・・・
    どうして,あの子は,ぼくの名前を知っているの?
    ぼくは,きみの弟になるんだもの。いじめないでよ。
    その袋には,何があるの?
    ぼくは,三つの病気を持っていくんだ。しょうこう熱と,百日咳と,はしかだよ。
    それで・・・
    それから,死んでしまうのさ。
    じゃあ,生まれるかいがないじゃないか。
    だって,どうにもならないでしょう・・・

    チェーホフは,晩年次第に象徴主義に関心をいだく。『かもめ』にも劇中劇で,ニーナにそのようなセリフを言わせている。芸術座にも,ベルギーの象徴主義作家モーリス・メーテルリンク(1862-1949)をしきりに勧めている。
    これに対し,ネミロヴッチは,当初,心地良いオペレッタ程度の認識であったのに対し,スタニスラフスキーは,『青い鳥』にただならぬ深さを感じていた。
    人間と,堕落した社会は,子どもの素直な純粋な目を通して,鋭く批判される。自分たちの生活に必要不可欠なものたちの「化身」,光,水,パン,火,砂糖,ミルク。ほかに,友としての犬と猫。

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    2013/03/27 20:40

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