
マリオン
青☆組
こまばアゴラ劇場(東京都)
2013/06/15 (土) ~ 2013/06/23 (日)公演終了
満足度★★★★★
とても静かで美しく、力強い
物語でした。この静かなお話を全くゆるみなく演じきった役者さんたちもすごいですが、何よりも脚本の力に脱帽です。日常に溺れ、時間に忙殺される私たちの人生観を思わず見直すほどの力強さを感じてしまう。生命とは、時間とは、そこに流れる歴史を貫く意思とは何だろう。何だか久しぶりに哲学を感じるお芝居でした。

断色~danjiki~
ヴィレッヂ
青山円形劇場(東京都)
2013/06/14 (金) ~ 2013/07/07 (日)公演終了
満足度★★★★
うどんこ病
いやはやなんともおそろしい。現実と夢と人間とクローンと母と女と…わけわからなくなってくる。でもつたわってきた。面白かった!!演出も円形劇場ならではなものが多くとても楽しめました。

「The Door2」~Farewell~
劇団たいしゅう小説家
萬劇場(東京都)
2013/06/15 (土) ~ 2013/06/23 (日)公演終了

岸田國士原作コレクション
オーストラ・マコンドー
black A(東京都)
2013/05/23 (木) ~ 2013/06/09 (日)公演終了
満足度★★★★
Cプログラム
「モノロオグ」
担当した外国人入院患者に対する看護師の思慕の行方を描いた一人芝居。
女性役を男優が演ずるも、序盤の所作(と着物の柄)からしっかり女性に見せて違和感無し。とか言いつつ「女優だったら誰がイイ?」などと考えながら観ていたりもして。
ところで「ラヴィアンローズ」は戯曲の指定?
「クロニック・モノロゲ」
夫婦の話だが女性2人が演ずることでなまめかしさ・妖艶さが強調される感じ。
また、随所に笑いが織り込まれていて主旋律のバックに別のメロディをさりげなく潜ませた編曲の如し。
停電シーンで実際に照明を落とし、観る側の目が慣れるにつれて次第に見えてくる、という演出も劇中人物の視点(?)を観客に共有させて有効。
金子侑加嬢の「昭和の婦人」ぶりと熊谷有芳嬢の男装もなかなかに◯。
「風俗時評」
人々が次々に奇妙な痛みに襲われる出だしは筒井康隆などの作品を思わせるがやがて軍事クーデターへと展開。
が、OPに2.26事件の記録映像らしきものがありそれが予見されたのがやや残念。EDだけの方が観ていてのインパクトがあり良かったのではないか?

飛ぶ金魚
ジ~パンズ
銀座みゆき館劇場(東京都)
2013/06/13 (木) ~ 2013/06/19 (水)公演終了
無題737(13-162&163)
6/14(金)ベルボトムVer.、6/18(火)ローライズVer.それぞれ19:30の回、最前列と最後列でみました。「空から降るほんの小さな愛」からで、ずっと出ていらっしゃるのは太平さんだけではないかと思います。前回から2バージョン公演ですね。
季節は夏、扇風機が回り風鈴が鳴る、夏祭りの日。舞台は畳の部屋、縁側があり出入り(会場入口が庭、葦簾)可能、正面の襖を開けると上手が玄関、下手が台所、2階への階段。テレビ、食器棚、電話、扇風機、掃除機、碁盤、テーブルに座布団…手前に金魚鉢がありタイトルの「飛ぶ金魚」となります。三女一男、夫たち、友人、上司、父と…。今回もいろんな人たちが絡み合いますが、親子の感情というのは、みる者によって受け取り方が違ってくるんだろうなと思いました。

Bungakuコンプレックス
愛知京都演劇プロジェクト
愛知県芸術劇場 小ホール(愛知県)
2013/06/13 (木) ~ 2013/06/16 (日)公演終了
満足度★★★★★
愛知京都演劇プロジェクト「Bungakuコンプレックス・羅生門」観ました
愛知と京都の共同企画、愛知・ニノキノコスター構成・演出『地獄変』に続いての上演です。
京都の映像作家・演出家である村川拓也さんによる構成・演出『羅生門』。
知名度が高い作品を原作に、というのがミソ。
【書かれた文章→発音&ゼスチャー→受け手がコメント→翻訳して表記】
異文化間のコミュニケーションの齟齬が、期せずして過去-現代や異文化の共通の課題を観客に意識させる。
名作を介しての相互理解の、ひとつの可能性。
愛知組とは全くアプローチの違う舞台。趣旨を理解できなかった観客もいた模様(慣れてない観客のために、最初に↑上のような説明が必要だったかも)。
演劇に見えない人も多いだろうけど、いまその場で身体を伴う演劇でしかできない事。
このまま、利賀やF/Tでも上演できそうな、問題提起性の高い舞台。
今回の愛知京都演劇プロジェクトは、共通のテーマを与えられながら全くアプローチの違う舞台が続けて観られるという、今までにない趣向に。
今週末には京都芸術センターで上演、行ける方は必ず行くと、濃厚な体験ができます!

Bungakuコンプレックス
愛知京都演劇プロジェクト
愛知県芸術劇場 小ホール(愛知県)
2013/06/13 (木) ~ 2013/06/16 (日)公演終了
満足度★★★★★
愛知京都演劇プロジェクト「Bungakuコンプレックス・地獄変」観ました
愛知と京都の共同企画も、今年で三年目。
今回は、芥川竜之介作品から原作を選び、先行した舞台美術を使って構成・演出した愛知・京都の演出家の二作品を連続上演。
まずは、愛知の暴れん坊劇団オレンヂスタの作・演出家ニノキノコスターによる『地獄変』。
芸術と人間とのさまざまな向き合いを、激しくエンターテインメントに。
支配者⇔表現者、体制⇔反体制、秩序⇔混沌、アイドル⇔パンクw
先行した舞台美術を効果的に生かす。牛車がああなるとは…地獄の釜。序盤での置き方も、挟み舞台ならではの効果。
役者も素敵、存在感だらけw
良秀の野生的イメージ、 大殿の支持される体制者が垣間見せる一分の闇、2人の間にいる娘の社会からの逸脱や聖性、僧都の黒子っぽい存在、使用人たちのチームプレイも、芝居全体の空気を支える。
まだ至らぬところはあるし好き嫌いも分かれるだろうけど、魅力的な役者陣が熱量高く燃焼しきる、まさに「熱い名古屋」の舞台です!
今週末には京都で公演!京都・村川拓也作品と共に、ぜひ!
続いて、作・演出 村川拓也『羅生門』へ (続く)

岸田國士原作コレクション
オーストラ・マコンドー
black A(東京都)
2013/05/23 (木) ~ 2013/06/09 (日)公演終了
満足度★★★★
Aプログラム
「留守」
主人の留守でくつろぐ女中のもとに近所の仲良し女中が訪れて羽根を伸ばす2人…なおハナシ。
箪笥や火鉢などの見立てにより昭和の日本家屋があの空間に出現するのが見事。
昼下がりの陽射しの照明表現も秀逸。
「麺麭屋文六の思案」
彗星接近を題材にした物語で「留守」同様諧謔味があって楽しい。
また、後半で彗星について力説する学者をビデオカメラで撮して壁にその映像を大写しにする演出も印象的。
「屋上庭園」
こともあろうに(笑)ロフト的な場所で演ずるとは!
そこでの演技を見上げることで「屋上感」たっぷり(笑)。
が、現実では客は空中にいる位置関係なワケで、言わば「神の視点」から観ることになり、独特の効果アリ。

左の頬(無事全ステージ終了!ご来場まことにありがとうございました))
INUTOKUSHI
シアター風姿花伝(東京都)
2013/04/10 (水) ~ 2013/04/21 (日)公演終了
満足度★★★★★
演技のニュースタイルがここに!
自分たちを「ナンセンス・アイドル集団」と銘打つだけあって、役者がいちいちカッコいいポーズをキメながらセリフを言うのが面白かった。中でもポージングがキマっていたのが客演の二階堂瞳子さん。この公演にただならぬ吸引力があったのは彼女のシャープで華のある演技に負うところ大だったと思います。二階堂さん演じるやさぐれキャラの女学生と敵対するブリッコ女学生を演じた鈴木アメリさんの愛くるしさにも魅かれました。

ココロに花を
ピンク地底人
インディペンデントシアターOji(東京都)
2013/05/31 (金) ~ 2013/06/02 (日)公演終了
満足度★★
「雰囲気=世界観」では物足りない
前回の東京公演『明日を落としても』でも採用されていた、俳優たちの発声によって環境音をつくる手法は、今回はメトロノームのように一定のリズムを刻んでいくのだが、残念ながらそれはわたしには眠気を誘う効果しかもたらしてくれなかった。低い唸り声のようなものがずっと鳴っているシーンにしても、いったい何の意図があったのか。停滞したムードしか感じさせない。ある種の暗い世界を描きたかったのだとしても、これではまるで生気を失ったゾンビの世界ではないだろうか(そしてそのゾンビ性が、何か批評的な視座によって導き出されたものだとも感じられない)。
そもそも台本がまずよろしくないと思う。「イスラエルとパレスチナ」など、歴史、復讐、赦し……などなどのよくある話が語られるのだが、結局こういった紋切り型を振りまいてみても、何かを考えている「かのふうな」ポーズにしか感じられない。またそれらの話が、この物語のメインとなる事件とどう繋がるのかも今ひとつ見えてこない。
演劇ではしばしば、なんとなくの雰囲気が「世界観」と呼ばれてしまうことがある。「この世界観が好き/嫌い」という言い方は確かに感想としては言いやすいものだし、この『ココロに花を』にはその意味では「世界観」があったけど、そこから何かがひろがっていく感触は得られなかった。
役者の演技も単調だった。もちろんそれは演出のせいでもある。リアリズムの会話で押すところにしても、空想的なシーンにしても、もっと発話の方法や舞台での居方を練り上げていく必要を感じます。例えば単純な話、やっぱり女性の板挟みになる男には、ああ、この人なら確かにモテるわ、しゃーない、というくらいの説得力が欲しい。

兄よ、宇宙へ帰れ。【ご来場ありがとうございました!】
バジリコFバジオ
駅前劇場(東京都)
2013/05/29 (水) ~ 2013/06/03 (月)公演終了
満足度★★★★
愛すべきキモカワ人形
人形が!
素晴らしい!
……と開演前からワクワクさせてもらった。KINO4TA氏によるこのキモカワ人形はぜひETVとかにも進出していただきたい。なかなかシュールな教育番組がつくれると思うし、子供への教育効果(?)も抜群だと思います。
客入れの雰囲気も非常に良くて、みんなでワイワイガヤガヤしながら始まるのを待つ感じ、なんかいいな、と思った。
しかし実際の本編ではあまりその人形が活躍しなかったのが残念。もっと出番が見たかった。いちおう「演劇」に関わる人間の端くれとしては、感動を誘う物語ではあった。ただ、テーマ自体はシンプルなわけなので、これならもっと上演時間をコンパクトにして、エンターテインメントとして押し切ってもよかったのではないかと。

黒塚
木ノ下歌舞伎
十六夜吉田町スタジオ(神奈川県)
2013/05/24 (金) ~ 2013/06/02 (日)公演終了
満足度★★★★★
怪優の誕生、物語の可能性
驚きの快作。
これまでの木ノ下歌舞伎の実績からして期待値は高かったけども、十六夜吉田町スタジオという小さな空間で、こんな派手なエンターテインメントが観られるとは想像していなかったこともあり。なんといっても、鬼婆を演じた武谷公雄の演技があまりにもダントツに群を抜きすぎていた。今、これを観ないでどうする?、という気持ちになり、初日に観たにも関わらず、次の日もまた当日券で観てしまった。さらにその後もまた当日券に並んでみたのだが、あまりにも人が満杯なので、キャンセル待ちの券を他の人に譲って(多くの人に観てほしかったから)泣く泣く諦める……という始末。
『黒塚』はどこかで耳にしたことのあるようなシンプルな物語である。この、いわゆる「現在性=アクチュアリティ」がほとんどないはずの作品に、いったいどうしてそこまで惹きつけられたのか? しばらく考えていた(それだけ舞台のイメージが残留する力も強かった)。
ひとつは、ジャン=フランソワ・リオタールによって「大きな物語の喪失」と言われて以後の、日本の若者たちの「物語れなさ」という深刻な問題……要するに、自分たちの「今ここ」の閉塞感を何らかの形で訴えるより他に方法がない、という問題があったとわたしは思うのだが、それに対して、近年の文脈(労働問題、震災と原発……etc.)をあえて無視して、古(いにしえ)に眠っているシンプルな物語を力強く持ってくる、という方法を採っていたこと。『黒塚』は単にかつての黒塚伝説を掘り起こしただけではなく、さらに他の「眠れる無数の物語」の力を現代に亡霊のように蘇らせ、それによって観る人たちの心を揺さぶることに成功していたと思う。それは歌舞伎版の「黒塚」をただなぞるのではなく、元の黒塚伝説の様々な異説を主宰の木ノ下裕一が調べ、それをもとに演出の杉原邦生がエピソードを付け加え、全体を再構成した、というところに拠るところが大きい。彼らが挿入したエピソードに、日本にかぎらず、ギリシャ悲劇などにも見られるような普遍的といっていいようなモチーフがあったことで、物語一般(様々な物語)を感じさせたのだろう。
だがそれは一歩間違うと陳腐な「よくある話」になるという際どい試みでもあったはずだ。それを救ったのは、やはり老女=鬼婆を演じた武谷公雄の存在だろう。かつての「特権的肉体論」に比べてひ弱であると(たぶん)されてきた現代の俳優の中から、圧倒的な技量を持った存在がついに現れたという感じがした。武谷はモノマネの名手でもあるのだが、そのモノマネの技によって、かつての名優の幻影を突破したのではないかとも思う。(詳しくは、6月末発売の「ele-king(vol.10)」という音楽雑誌に書きました。宣伝みたいで恐れいります。)
杉原と木ノ下のコンビは、アフタートークでも夫婦漫才並みに息の合ったところを見せており、この完成度の高いトークもまたこの作品の魅力のひとつと見なしていいと思う。ただやっぱり作品そのものの感動だけで退出したかったかも……と感じた人もきっといたはずなので、作品が終わってからトーク開始まで、もう少し時間を設けてもいいのでは?、と感じた。
彼らの試みは、歌舞伎を単純に破壊的に現代に移し替えるということではなくて、かなり丁寧に原作を読み込んでいるし、伝統芸能へのリスペクトを感じさせる心憎い目配せも随所に散りばめられている。稽古でまず歌舞伎版の完コピをした、という手法も活きていたと思う。
音響(星野大輔)、照明(中山奈美)、衣装(藤谷香子)、といったスタッフワークも素晴らしかった。特に音響は、繊細さと、邦生演出ならではの爆音との両方を見事に実践し、豊かな音の空間を実現していたと思う。

My Favorite Phantom
ブルーノプロデュース
吉祥寺シアター(東京都)
2013/04/26 (金) ~ 2013/04/29 (月)公演終了
満足度★★
「素朴さ」を超えてほしい
ブルーノプロデュースは、これまでドキュメンタリーシリーズと称する一連の作品群の中で、「記憶」を扱ってきた。それだけならばありふれているのだが、扱うのが作家本人の記憶ではなく、つねに他者の記憶である、という点が興味深いと思ってきた。今作では、そうした他人の記憶にアプローチするこれまでの試みを、すでに語り継がれている『ハムレット』という物語にいかにして接続するのか、というところが見所となるはずだったのだと思う。
しかし端的に言ってこの作品は「失敗」だったと思う。若者たちの声がひたすらぎゃーぎゃーと鳴り響くのを、ずっと聞かされるという苦行……。正直なところ、審査でなければ途中退出したかった。声、にはもっとこだわってほしい。
こうなったのは、彼らが何かしらの「挑戦」をしたからでもあると思う。「挑戦」のないところに「失敗」はないのだし、そうしたチャレンジ精神は嫌いではない。ただこれを少なくとも「失敗」と断じる人物が客席にいたのは事実だし、それはおそらくわたしだけではない。そのことは、演出家だけではなく出演した俳優たちにも受け止めてほしい。舞台は(当たり前だけど)演出家だけがつくるものではないのだから。
それと違和感が強くあったのは、この作品で示されている「若者」の姿で、実際に若い俳優が演じているとあたかも「当事者」のように見えはするけれど、このイメージは果たして本物なのだろうか? 「ダラダラした若者」というイメージを捏造し、なぞり、反復していくのは、わたしにはあまりよろしくないことのように思える。『ハムレット』が遠い世界の物語であり、理解できない、馴染みがない、読んだことがない、といったことの「素朴な」無知の表明も、正直なところもう聞き飽きたと思うし、それはとりあえず近づく努力を最大限にしたうえでもう一度話をしましょうよ、という気持ちになってしまう。自分たちの「素朴さ」の中に閉じこもるのはもはや甘えでしかないのではないか(彼らの持っているピュアネスには惹かれる部分もあるけれど)。世界にはもっと豊かなマテリアルがそこかしこに散らばっているのではないか。そして、それをたぐり寄せていくのが、現代のアーティストと呼ばれる人たちの仕事ではないだろうか。
好きな俳優たちが多数出演していたので、作品としてそれが活かされなかったのは正直なところ残念。でも変な話だけれども、観終わってから一月半くらいが経過した今、ま、そうゆうこともあるでしょう、長い道のりの中では、みたいな気持ちになっているのも、また事実ではあります。

左の頬(無事全ステージ終了!ご来場まことにありがとうございました))
INUTOKUSHI
シアター風姿花伝(東京都)
2013/04/10 (水) ~ 2013/04/21 (日)公演終了
満足度★★★
紋切り型の範疇を超えてくれない
観ていて、少々しんどく感じられてしまった。鈴木アメリと二階堂瞳子の闘いは見所ではあったし、好感を持つ部分もあったけど、あるあるネタ=クリシェ(紋切り型)の扱い方がいささか凡庸に感じられてしまう。他の劇団の例を出すのはできるかぎり避けたいところではあるのですが、例えば、クリシェをバラ撒くと見せてそれをむしろ裏切っておかしなほうに物語を転がしてしまうサンプル(松井周)とか、あえて「ハンカチ落としましたよ」とかのベタな展開に持ち込んでおいて、からの、マジカルな回路を幾重にも見せてくれるロロ(三浦直之)のような名手(?)に比べると、犬と串はまだ無自覚にクリシェに振り回されているように見えてしまう。
それと、わたしはこういう熱量押しみたいな舞台は苦手で、というのは、こういう「かつての小劇場」っぽい(あるいは学芸会っぽい)身体や言葉から自分にとって未知の(だがどこか切迫感を持った)何かが生まれてくるという感じは受け取れないから。時間とお金をかけて観に行きたい、という気持ちにはなかなかなれないのです……。

わが友ヒットラー
シアターオルト Theatre Ort
駅前劇場(東京都)
2013/03/27 (水) ~ 2013/03/31 (日)公演終了
満足度★★
この過剰な演技は一体?
Ort-d.dを観るのは初めて。若手だけではなく、中堅やベテランと呼ばれてもおかしくない人たちがCoRich舞台芸術まつり!にエントリーしてくるのはとても嬉しいことだと思ったし、単に若さで押し切るのではない演技や演出に出会えるかもしれないと期待していた。
しかし結果からいうと、この作品の観劇はわたしには苦痛を伴う厳しい体験になってしまった。三島由紀夫の戯曲を上演する際の制約(忠実な上演)があるにせよ、3時間もこの状態が続くのかと……。役者(レーム役)の大仰な演技はもちろん演出によるものだろうが(あるいは俳優の暴走を演出が抑えられなかったのか?)、あんなに過剰に振る舞う必要がどこにあったのかわたしには分からない。それが現代日本人の言葉=声でないのはもちろんだが、かといって、ナチス時代のドイツ人があのような発話をしていたはずもない。もちろん演劇は「演じる」ものだから、発話の仕方を創造するのは全然結構なことなのだが、わたしにはあれは「嘘の言葉」を喋っているとしか感じられなかった。あるいは何かしらの異化効果をともなって、別の世界を見させてくれるものだとも思えなかった。レームを演じたスズキシローは別のところで観たことがあって、その身体性が面白いと思っていたので、今回どうなるのか、むしろ楽しみにしていたのだけれども。
また、わたしが思うにあの戯曲の妙は、まず、ヒトラーが狂人ではなくて「普通の人」だということ。そして同性愛的傾向を含む三角関係の中で、中道を歩むと称して身内を切り捨てていくところ、かな、と思うけど、どこらへんに今回の演出の肝があったのだろうか。
これが、Ort-d.dの中ではあまりうまくいかなかった失敗例なのか、それともベストを尽くした結果がこれであるのか、他の作品を観ていないのでなんとも分からないのですが。

『熱狂』『あの記憶の記録』ご来場ありがとうございました!次回は9月!
劇団チョコレートケーキ
サンモールスタジオ(東京都)
2013/03/23 (土) ~ 2013/03/31 (日)公演終了
満足度★★★★
フレッシュなヒトラー像
『あの記憶の記録』は、「アウシュヴィッツの後で詩を書くのは野蛮である」というあのアドルノのよく知られた言葉を想起させるものであり、生き残りがいかにして語りうるのか、に真摯に向き合った作品だと言える。しかし果たしてこの真摯さ(生真面目さ)は、有効だろうか? お勉強として、ナチス・ドイツがユダヤ人たちに対して行った「歴史」を教育・周知する効果はあるだろうけども、むしろ本気でこの問題に取り組もうと(その必要があると)感じているのなら、おそらくこの道では到達できないのではないか。既視感を食い破るものは感じられなかった。
いっぽうの『熱狂』はまさに熱くさせられる快作であり、俳優陣に安定感もあった。この「熱さ」が罠であるというところが良い(ネタバレボックスへ)。

枝光本町商店街
のこされ劇場≡
枝光本町商店街アイアンシアター(福岡県)
2013/03/23 (土) ~ 2013/03/30 (土)公演終了
満足度★★★★★
町を立体的に浮かびあがらせる演劇の力
開演が5分早まった。というのも、予約をしていた人たちが全員集まったからだ(基本は予約制だったことに加えて、もしも急遽参加したいという地元の人が突然現れても、それはそれで受け入れ可能だと判断したからだろう)。開演時間が遅れることはあっても、早まる、という経験はおそらく初めてで、ちょっと新鮮というか、なんだか微笑ましいものを感じながら、『枝光本町商店街』は始まった。
参加者(観客)は、案内人・沖田みやこに導かれて、北九州にある枝光という小さな町の商店街をめぐっていく。回る順番はいちおう決まっているけれど、そのあいだ、商店街で買い物をするのは自由。ゆるやかな枠組みの中で、上演時間も特に決まってないので、参加者がどういうメンバー構成か、によっても体験の質(時間感覚など)はおそらくずいぶんと異なるものになるのだろう。
実はわたしはすでに1年ほど前に、この『枝光本町商店街』を経験している。基本のルートやゴールは今回も変わっていない。けれども、以前にはなかったエピソードや登場人物が加わっていて、特にあるエピソード(ネタバレBOXに書きます)は、この作品を以前よりもさらに「フィクション」として立体化させることに貢献していたと思う。
この作品はこれで80回目の上演になるらしい。それだけの回数、出演者(町の人)たちは外からやってくる人たちを迎え入れ、同じような話を繰り返し語ってきたことになる。そうなると最も危惧されるのは、語りを反復していくうちに町の人が「語り部」として固定化・パターン化してしまうことだ。そうなると倦怠感が漂うのは避けられないだろう。しかし驚くべきことにこの作品は、1年前に観た時よりもさらにフレッシュに感じられた。彼らがこうしてモチベーションを失うことなく、新たな参加者を迎え入れるためのホスピタリティを発揮できているのには、幾つかの理由があると思う。
(1)演出家の市原幹也が出演者たちとの関係を日々構築・刷新してきたこと。わたしはこれをこの作品における「演出」と呼んでいいと思う。演出の目的のひとつは「俳優をフレッシュに保つこと」なのだから。
(2)案内人の沖田みやこが登場人物たちとの信頼関係を深め、阿吽の呼吸が生まれたこと。
(3)登場人物たち自身の技量がアップしたこと。単に語る技術が向上したというだけのことではない。上演を繰り返す中で、彼らはその身体を通して、これまで町を訪れてきた人たちとの関係やエピソードが記憶(レコード)しているはずだ。
この作品の中では、様々な、心を通わせる瞬間が生まれうる。幾つか、それが起きやすいシチュエーションが用意されてはいるけれども、最終的にはそれはある程度の偶然性に委ねられている。誰が訪れても必ずそれが起きる、という仕掛けを用意したほうが、アトラクションとしては楽しめるのかもしれないけれども、この作品はそうではない。観客は一方的なお客様(消費者)としては考えられていないのだろうと思う。わたしはそのことを魅力的だと感じる。観客はこの町でいろんなものをもらう(具体的にも、おまけでモナカやコロッケや珈琲をもらったりする)。でもたぶん外からやってきた人の訪れは、少なくとも彼ら(出演者である町の人たち)には何かしらの栄養分にもなっているのではないだろうか。町の人すべてがその恩恵に預かっているとはかぎらないとしても(でも目に見えない形で循環はしているはずだ)。こういうことは、「お金を払えばなんでも手に入る世界」ではなかなか起こらない。

キャッチャーインザ闇
悪い芝居
インディペンデントシアターOji(東京都)
2013/03/20 (水) ~ 2013/03/26 (火)公演終了
満足度★★★
3つの物語がどんな像を結ぶか
3つの物語が並行して語られる。(1)手術で目が見えるようになった女、夫、愛人の三角関係の物語。(2)すぐに記憶を忘れてしまう青年とその友人や先生との物語。(3)とにかく早く走ることに命を燃やしている女、ライバル、コーチ、ドキュメンタリー映像作家(?)の物語。
それらは「現在」に閉じ込められた人々の逃走(の反復と失敗)の物語、という意味で共通性を持っている、と徐々に(わたしには)理解されてきたのだが、その諒解に至るまでの時間があまりにも長すぎたし、待たされたわりには、何かパッと明瞭に像を結ぶようなカタルシスがあるわけでもなく、しかもずいぶんと頭を使わなければ理解できないものになっているので(見える? 見えない? え? みたいな)、もっと体感的な説得力を持っていてほしかった。そのせいか、ところどころでは良いセリフがあったとも思うけれど、それらも、物語から浮いた決めぜりふで終わってしまった感がある。
悪い芝居はこれまでも何度か観ているので、彼らの熱い演技=演出方法に馴染みがないわけではないし、愛すべき人たちだと思う気持ちもないわけではない。ただ、この作品のメッセージを乗せるにあたって、果たしてこの演技方法でいいのかどうか、という点においては疑問を感じざるをえなかった。俳優がダメということではない。むしろ特に大川原瑞穂や池川貴清にはこれまで以上の達成が感じられたんだけれども……。
また戯曲も、いささか風呂敷をひろげすぎた感がある。「闇」にしても、「過去・現在・未来」にしても、「運命」にしても、ただハイテンションで押しきれるテーマではないし、ひとつひとつをもう少し丁寧に掘り下げて、解像度を上げていく必要を感じる。
ハリボテの岩を動かすことで自在に変化する床面(舞台美術)と、それを使いこなすテクニックはお見事。
また、衣装が良かった。時代を超越した感のある色合い。
音に関しては、選曲や作曲も含め、もう少し繊細さが必要だったかも。特に開演前の客入れ時は圧迫感があった。(開始して最初の数分の完全な闇と、光がもたらされる瞬間までは好きだったけど)。

月の剥がれる
アマヤドリ
座・高円寺1(東京都)
2013/03/04 (月) ~ 2013/03/10 (日)公演終了
満足度★★★★
もうひとつ食い破るものがほしい
壮大なスケールを持った作品だった。アマヤドリの前身であるひょっとこ乱舞の最終公演だった『うれしい悲鳴』と同じく、近未来SFの様相。作品世界の設定をなんらかの形で観客に説明しなければならないSFは、その説明くささがネックになりやすいけど、今回は前作よりもスムーズな説得力を持っていたと思う。
最初のほうの日程では完成度が低かった、とも複数人から聴いたけれど、わたしが観たのは千秋楽で、役者たちの息も合っており、クオリティは非常に高かった。場転が(彼らの得意技である)群舞によってスムーズに切り替わっていくのも楽しい。これだけの人数が動くのはやはり迫力があって見応えがある。個々の役者についても、小菅紘史、村上誠基、川田智美、小沢道成などの客演陣が印象的な活躍をしていたように感じた。
ただ、もうひとつ、突き抜けるところにまでは至らなかった。無いものねだりかもしれないが、物語が全体につるんとしてしまった(枠にはまってしまった)印象は否めない。もちろん登場人物は物語の中を生きている、いわば「駒」だとも言えるけれど、わたしは演劇の登場人物(そしてそれを演じる俳優)には、やっぱりその「駒」であるところを超えて、物語を食い破ってしまうほどの強さを求めたいのだ(それは劇作や演出の意図を超えて暴走する、という意味ではない)。この作品には、そうした食い破りを可能にするような、裂け目やほころびのようなものが乏しかったように思う。
別のところで、ロラン・バルトの写真論から、《ストゥディウム》と《プンクトゥム》という概念を援用したけども(http://d.hatena.ne.jp/bricolaq/#coffee)、それでいうとこの作品はほとんど《ストゥディウム》に支配されていたように思える。頭では理解できる。でもやっぱりそれでは、演劇的な感動や怖さは生まれてこないのではないか。どうしてもこの人たちのつくるものを見たい、と思わせてくれるような何かが欲しい。

LITTLE WOMEN
Score
d-倉庫(東京都)
2012/12/27 (木) ~ 2012/12/31 (月)公演終了
満足度★★★★★
感動しました!
ジョーのパワーが伝わってきて歌聞いただけで涙が自然と出てきちゃったくらい!美術もきれいで役者さんもみなさんとっても素敵でした。