月の剥がれる 公演情報 アマヤドリ「月の剥がれる」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    もうひとつ食い破るものがほしい
    壮大なスケールを持った作品だった。アマヤドリの前身であるひょっとこ乱舞の最終公演だった『うれしい悲鳴』と同じく、近未来SFの様相。作品世界の設定をなんらかの形で観客に説明しなければならないSFは、その説明くささがネックになりやすいけど、今回は前作よりもスムーズな説得力を持っていたと思う。

    最初のほうの日程では完成度が低かった、とも複数人から聴いたけれど、わたしが観たのは千秋楽で、役者たちの息も合っており、クオリティは非常に高かった。場転が(彼らの得意技である)群舞によってスムーズに切り替わっていくのも楽しい。これだけの人数が動くのはやはり迫力があって見応えがある。個々の役者についても、小菅紘史、村上誠基、川田智美、小沢道成などの客演陣が印象的な活躍をしていたように感じた。

    ただ、もうひとつ、突き抜けるところにまでは至らなかった。無いものねだりかもしれないが、物語が全体につるんとしてしまった(枠にはまってしまった)印象は否めない。もちろん登場人物は物語の中を生きている、いわば「駒」だとも言えるけれど、わたしは演劇の登場人物(そしてそれを演じる俳優)には、やっぱりその「駒」であるところを超えて、物語を食い破ってしまうほどの強さを求めたいのだ(それは劇作や演出の意図を超えて暴走する、という意味ではない)。この作品には、そうした食い破りを可能にするような、裂け目やほころびのようなものが乏しかったように思う。

    別のところで、ロラン・バルトの写真論から、《ストゥディウム》と《プンクトゥム》という概念を援用したけども(http://d.hatena.ne.jp/bricolaq/#coffee)、それでいうとこの作品はほとんど《ストゥディウム》に支配されていたように思える。頭では理解できる。でもやっぱりそれでは、演劇的な感動や怖さは生まれてこないのではないか。どうしてもこの人たちのつくるものを見たい、と思わせてくれるような何かが欲しい。

    ネタバレBOX

    散華(さんげ)を指導してきた慇懃無礼な男が、女に働きかけて内部スパイとして散華を潰そうとする話は面白くなりそうだったのだが、特に回収されずに尻切れトンボになってしまった感がある。結果的には、軍人でありリーダーである男の妹が、同じことをする(散華の死に対してさらに自死で報いることで、散華の理論を破綻させる)とはいえ……。

    学校のエピソードも微妙に中途半端さが残った。B組から転校してきた子が、実は産まれていなかった、というふうにも読み解けるけれども……? あちらの世界と、散華のストーリーとの関連が今ひとつよくわからなかった。

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    2013/06/19 01:19

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