満足度★★
この過剰な演技は一体?
Ort-d.dを観るのは初めて。若手だけではなく、中堅やベテランと呼ばれてもおかしくない人たちがCoRich舞台芸術まつり!にエントリーしてくるのはとても嬉しいことだと思ったし、単に若さで押し切るのではない演技や演出に出会えるかもしれないと期待していた。
しかし結果からいうと、この作品の観劇はわたしには苦痛を伴う厳しい体験になってしまった。三島由紀夫の戯曲を上演する際の制約(忠実な上演)があるにせよ、3時間もこの状態が続くのかと……。役者(レーム役)の大仰な演技はもちろん演出によるものだろうが(あるいは俳優の暴走を演出が抑えられなかったのか?)、あんなに過剰に振る舞う必要がどこにあったのかわたしには分からない。それが現代日本人の言葉=声でないのはもちろんだが、かといって、ナチス時代のドイツ人があのような発話をしていたはずもない。もちろん演劇は「演じる」ものだから、発話の仕方を創造するのは全然結構なことなのだが、わたしにはあれは「嘘の言葉」を喋っているとしか感じられなかった。あるいは何かしらの異化効果をともなって、別の世界を見させてくれるものだとも思えなかった。レームを演じたスズキシローは別のところで観たことがあって、その身体性が面白いと思っていたので、今回どうなるのか、むしろ楽しみにしていたのだけれども。
また、わたしが思うにあの戯曲の妙は、まず、ヒトラーが狂人ではなくて「普通の人」だということ。そして同性愛的傾向を含む三角関係の中で、中道を歩むと称して身内を切り捨てていくところ、かな、と思うけど、どこらへんに今回の演出の肝があったのだろうか。
これが、Ort-d.dの中ではあまりうまくいかなかった失敗例なのか、それともベストを尽くした結果がこれであるのか、他の作品を観ていないのでなんとも分からないのですが。