わが友ヒットラー 公演情報 わが友ヒットラー」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.7
1-13件 / 13件中
  • 満足度★★★

    なぜ、今、この様式で、三島由紀夫なのか
    駅前劇場の使い方が新鮮でした。
    ランウェイのような舞台美術で照明も洗練されていて、
    全体的にデコラティブな空間のイメージと違う、かなり作り込んだ
    いかにもお芝居らしい演技をされていて、驚きました。

    チラシのデザインもいいと思ったのですが、実際のお芝居とは一体感がなかったように思います。

    三島戯曲は難しいですよね。特に長いセリフが多いですから、俳優個人の力量が試されます。
    長いセリフの場面は演出の工夫がもっと必要だったのではないでしょうか。
    ただ、私に合わなかっただけなのかもしれませんが…。

    ネタバレBOX

    『わが友ヒットラー』は生田斗真さん(ヒットラー)、東山紀之さん(レーム)が出演する
    蜷川幸雄さん演出作品を観ています。
    東山さん演じるレームの肉体、精神面での軍人のリアリティーを思い出しました。
    この作品ではなぜあの身体表現を選んだのかがわかりませんでした。
    衣装が部分的に和風だったのもなぜかしら。
  • 満足度★★

    この過剰な演技は一体?
    Ort-d.dを観るのは初めて。若手だけではなく、中堅やベテランと呼ばれてもおかしくない人たちがCoRich舞台芸術まつり!にエントリーしてくるのはとても嬉しいことだと思ったし、単に若さで押し切るのではない演技や演出に出会えるかもしれないと期待していた。

    しかし結果からいうと、この作品の観劇はわたしには苦痛を伴う厳しい体験になってしまった。三島由紀夫の戯曲を上演する際の制約(忠実な上演)があるにせよ、3時間もこの状態が続くのかと……。役者(レーム役)の大仰な演技はもちろん演出によるものだろうが(あるいは俳優の暴走を演出が抑えられなかったのか?)、あんなに過剰に振る舞う必要がどこにあったのかわたしには分からない。それが現代日本人の言葉=声でないのはもちろんだが、かといって、ナチス時代のドイツ人があのような発話をしていたはずもない。もちろん演劇は「演じる」ものだから、発話の仕方を創造するのは全然結構なことなのだが、わたしにはあれは「嘘の言葉」を喋っているとしか感じられなかった。あるいは何かしらの異化効果をともなって、別の世界を見させてくれるものだとも思えなかった。レームを演じたスズキシローは別のところで観たことがあって、その身体性が面白いと思っていたので、今回どうなるのか、むしろ楽しみにしていたのだけれども。

    また、わたしが思うにあの戯曲の妙は、まず、ヒトラーが狂人ではなくて「普通の人」だということ。そして同性愛的傾向を含む三角関係の中で、中道を歩むと称して身内を切り捨てていくところ、かな、と思うけど、どこらへんに今回の演出の肝があったのだろうか。

    これが、Ort-d.dの中ではあまりうまくいかなかった失敗例なのか、それともベストを尽くした結果がこれであるのか、他の作品を観ていないのでなんとも分からないのですが。

  • 満足度★★★

    空間と戯曲の関係、その可能性
    駅前劇場という小空間で観る「わが友ヒットラー」には、戯曲の質量とも相まって、強い圧迫感のようなものを感じました。それはこの作品を上演する演劇人たち、そして私たち自身が、昨今の世の流れに感じる違和感、不安をそのまま映していたのかもしれません。

    2ブロックに分かれた客席に挟まれた、ランウェイのような舞台の上で物語は展開します。青春時代の友情/幻想に浸り続ける突撃隊長・レームとヒトラーの運命を分ける会談の切なさ、反主流派(左派)のシュトラッサーの悲痛な闘い、武器商人クルップの不気味な存在感を、観客はごく間近に体験するわけです。さらに舞台は天井に向かって高さを増すスロープになっていますから、俳優たちも時には身を屈めて演技をすることになりますが、その窮屈さが、このドラマの背景にある政治的構造やそれに伴う恐怖をいっそう強く印象づけます(ヒトラーを含め、登場人物たちもまた、この恐怖から自由ではないのです)。

    強い空間設計と計算された演技は、テーマの重さ、戯曲の重厚さを伝えるには充分でしたが、3時間近い大作ということもあり、沈滞感も漂っていたように思います。例えば、レームの、ヒトラーへの一種ホモセクシュアル的な執着には、もう少し色気も滑稽さもあっていいですし……そういった人間のあり方の複雑さ、幅こそが、この悲劇の深さ、面白さにも繫がっているのだと思うのです。






    ネタバレBOX

    また、この戯曲は室内劇ですが、ヒトラーの演説、銃声を遠くに聞く終幕など、外部(民衆、社会の動静など)を強く感じさせるものでもあります。今回は今を生きる観客自身がこの舞台を囲むことで、その構造を表現されていましたが、もしかするとこの戯曲はむしろ、プロセニアムアーチの劇場を前提に書かれた部分が大きいのかもしれません。ナチスと大衆の関係、あるいはヒトラーという人物のイメージをより劇的に、分かりやすく(それも善し悪しですが)伝えるには、いわゆる一般的な「劇場」の空間の方が便利というわけです。今回の上演の挑戦的な部分も、また、難しかった部分もここにあるような気もします。

  • 満足度★★★

    独自の美意識を徹底した空間。だが、心が見えてこない。
     三島由紀夫作『わが友ヒットラー』は『サド侯爵婦人』と対をなす長編戯曲です。私がこの戯曲の上演を観るのは今回で3度目になります。
     暗い劇場に入るなりスロープ状の白いステージが目に入りました。ステージ両脇に客席が設定されていて、いつもとは違う駅前劇場にわくわくしました。スロープ最下方あたりの天井から吊り下げられたシャンデリアには、人骨や髪の毛を思わせる装飾が施され、ユダヤ人虐殺を想像させます。

     男同士の言葉の闘いは常に丁々発止というわけではなく、俳優はある演技の手法や型をもちいて丁寧に演じていました。緊迫感がないわけではなかったけれど、細かな対立をたっぷりと見せすぎだったように思います。型を演じるにしても、スピード感や軍隊らしい躍動感が欲しかったです。三島由紀夫戯曲の長大かつ流麗なセリフは、やはり難易度が高いですね。

     スロープが割と急こう配なので、俳優が登っていくと天井に頭がぶつかりそうになります。意外と狭い演技スペースで椅子を転がしたりもしますので、俳優への身体的、精神的負荷は高そうです。4つの脚が包帯で巻かれた歩行器が、演説台や朝食のテーブルになるのを見て、鈴木忠志さんの作品(俳優が車イスに乗って登場するなど)を思い出しました。演技手法だけでなく、演出に関してもSCOTの影響があるように見受けられました。

     千秋楽は満席で、スロープ下方の階段上にも客席が設置されていました。「CoRich舞台芸術まつり!2013春」で偶然同じ題材を扱っていた劇団チョコレートケーキと、半券割引や交互トーク出演などの共同企画を実施されていたので、その効果もあったのではないでしょうか。フェスティバルを有効活用してくださっていることをとても嬉しく思いました。

    ネタバレBOX

     作り込んだ演技、美術、衣裳、ヘアメイク、照明などのスタッフワークから 劇団独特の美意識を感じ取ることができました。でも『わが友ヒットラー』を上演するなら、今の日本の政治や世界情勢をほのめかすような演出の遊びや工夫が、もっとあっていいのではないかと思いました。衣装に和のムードを加えていましたが、今の日本とヴィヴィッドに直結するわけではありませんでした。ヒットラーが昭和天皇に見えた瞬間があったのは面白かったです。

     俳優はある型を演じるのが基本でしたが、残念ながら俳優自身のクセが目立っていたように思います。声の大小の変化や歌うようなセリフなど、語り方に工夫はあるし、訓練も積まれているのでしょうけれど、人物の心が伝わってこなかったです。たとえばレームはヒットラーを溺愛し、盲信していますが、それが感じられないので彼の滑稽さが見えませんでした。レームの「ヒットラーの命令がないから殺せない」という意味のセリフは笑いどころだと思うんですが、笑えなかったのが残念。私もシュトラッサーと一緒に呆れて苦笑したかったです。
     
     生きたねずみを透明のケースの中に入れていたのには驚きました。ヒットラーがレームを殺したあと、そのケース上部に取り付けられていた小さなシャンデリアの光が消えます。細かいところまで凝っていますね。
     ステージ中央部分に通っている長い溝の中に照明が仕込まれており、俳優を足元から照らすのが効果的でした。ヒットラーが最後のセリフを言い終わった後、照明が消えるタイミングが素晴らしかったです。ヒットラーがちょうど進行方向を向いた直後に暗転したので、暗転後も彼の残像が残りました。決して後退しないという暗い決意と、ユダヤ人虐殺と戦争へと進む未来が見えました。
  • 20130327
    (^・ェ・^)拝見しました

  • 見届けました。
    次は、「サド侯爵夫人」かな? うちの方が先にやりたいな。笑

  • 満足度★★

    リアリズムの限界
    左右に傾斜した舞台があり、それを挟んで客席がある。

    ネタバレBOX

    舞台の真ん中には溝があり、そこから何色かの照明が光る。舞台のはずれにはネズミの入った水槽や、なにやら巨大な魚の頭部の骨のようなオブジェがある。照明は全体に暗めで、前半はかなり眠くなった。対面の客席だから向こう側の人たちが眠っているが見える。芝居自体は、三島由紀夫の台本を芸達者の役者たちが立体化させている。だからドラマは見える。だけど退屈なのである。三島の作品はリアリズムでやっても限界があり、そこには表現としての型か、それがなければ途轍もない特権的肉体がなければ、文体の嵐の絡め取られてしまうのである。
  • 満足度★★★★★

    芝居の醍醐味。
    上手い役者が上手い演出家のもとで優れた戯曲を上演する。演劇にとって最も理想的なパターンだ。うまい役者が舞台上で火花を散らす。その火花が見える気がした。わざと傾斜をつけた演技エリア、その中で役者が、横になったりひっくり返ったり、縦横無尽とはまさにこのことだ。

    舞台下手に用意されたオブジェや灯りも素敵で、シンプルながら本格的な作品を堪能させてもらった。

  • 満足度★★★★★

    シンプルで、豊か
    照明家、美術家、俳優の真剣勝負。非常に骨太で荒々しくも、繊細で美しい時間。一つ一つの動きや言葉から、言葉、臭い、音が立ち上がる。
    俳優の一挙一動、視線の動き一つに観客の視線も凄い勢いで動くのが興味深かった。
    凄く面白かったです。

  • 満足度★★★★★

    面白い!

    言葉の持つ力を実感した舞台であった。
    観客側にいかに印象を与えるか考えられた舞台であると思う。素晴らしい。

  • 満足度★★★★★

    物語は現代につながっている
    演説、詩、会話、独り言・・・言葉の彩りに魅了された。
    余計なものがそぎ落とされた空間は、想像力を駆り立てる。

    ある時代の目撃者になったような感覚が残っている。
    そして人が本当に手に入れたいものは何だろうか、といつの間にか考えていた。

    私にとって、非常に魅力的な舞台だった。

  • 満足度★★★★

    不思議な感覚
    不思議な感覚を覚える舞台だった。

    ネタバレBOX

    1943年6月に起こった血の粛清事件をモデルに三島由紀夫が書きあげた戯曲。
    この事件により、邪魔になっていた党内右派の軍人:エルンスト・レーム(SA〈突撃隊〉幕僚長)と党内左派のインテリ:グレゴール・シュトラッサーらが殺された。レームはヒットラーの旧友でもある。
     事件の直前に、2人は首相官邸に呼ばれ、それぞれにヒットラーと対話をする。その翌日、殺されるとは露ほども思っていないレームと、既に殺されることを予感したシュトラッサーとのやり取りがある。そこに大資本家グスタフ・クルップがキ―マンとなって絡む、、、、

    というような話。

    歴史的事実を元に(と言っても、2人が実際に同時に官邸に呼ばれ、対話をしたのかなどは、調べてないので私にはわからないが)、友情の問題を中心にしつつも、三島の問題意識で、右派と左派との対話(軍人とインテリとの対話でもある)劇に仕上げられている。

    三島の脚本なので、対話と言っても、モノローグ的なものが多く、その言葉も、極めて耽美な文学的言語なので、、、その世界観は好き嫌いが分かれるかもしれない。

    私としては、三島の世界観の是非というよりも、
    歴史的事象を扱い、極めて生生しい話なのにもかかわらず、極めて文学的な虚構空間に舞台がなることの異質感がずっと続いた。
    異質感と言っても、否定でも、肯定でもなく、文字通り異質感。
    それが良いのか悪いのか、、、いまでも良くわからない。
    不思議な舞台を観たという感覚。

    演出もまさにそういう感じで、とても熱い人間らしさが伝わる演技なのにもかかわらず、発している言葉がとても流麗な文学的なものだったりと、、、

    本当に不思議な舞台だった。

    だが、これも不思議なのだが、三島作品を観たという印象でもない。この点も不思議さを助長させている。



    追記:その異質感て、よく考えたら、盾の会の三島と文学者の三島との分裂に近いのかも、、、、 右派と左派との対話にするところは、明らかに三島の思想的問題を背景にしていますよね。

  • 満足度★★★★

    観てしまった
    原作とはかなりイメージが違ってましたが、観た人の思想や立場からそれぞれの感想はちがってくると思う。
    ステージがお客様にかこまれているというてんで、自分自身も歴史の目撃者になった感じ。
    観てはいけないものを観たような…
    でも、もう一度観たいと思う舞台でした。

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