満足度★★
「素朴さ」を超えてほしい
ブルーノプロデュースは、これまでドキュメンタリーシリーズと称する一連の作品群の中で、「記憶」を扱ってきた。それだけならばありふれているのだが、扱うのが作家本人の記憶ではなく、つねに他者の記憶である、という点が興味深いと思ってきた。今作では、そうした他人の記憶にアプローチするこれまでの試みを、すでに語り継がれている『ハムレット』という物語にいかにして接続するのか、というところが見所となるはずだったのだと思う。
しかし端的に言ってこの作品は「失敗」だったと思う。若者たちの声がひたすらぎゃーぎゃーと鳴り響くのを、ずっと聞かされるという苦行……。正直なところ、審査でなければ途中退出したかった。声、にはもっとこだわってほしい。
こうなったのは、彼らが何かしらの「挑戦」をしたからでもあると思う。「挑戦」のないところに「失敗」はないのだし、そうしたチャレンジ精神は嫌いではない。ただこれを少なくとも「失敗」と断じる人物が客席にいたのは事実だし、それはおそらくわたしだけではない。そのことは、演出家だけではなく出演した俳優たちにも受け止めてほしい。舞台は(当たり前だけど)演出家だけがつくるものではないのだから。
それと違和感が強くあったのは、この作品で示されている「若者」の姿で、実際に若い俳優が演じているとあたかも「当事者」のように見えはするけれど、このイメージは果たして本物なのだろうか? 「ダラダラした若者」というイメージを捏造し、なぞり、反復していくのは、わたしにはあまりよろしくないことのように思える。『ハムレット』が遠い世界の物語であり、理解できない、馴染みがない、読んだことがない、といったことの「素朴な」無知の表明も、正直なところもう聞き飽きたと思うし、それはとりあえず近づく努力を最大限にしたうえでもう一度話をしましょうよ、という気持ちになってしまう。自分たちの「素朴さ」の中に閉じこもるのはもはや甘えでしかないのではないか(彼らの持っているピュアネスには惹かれる部分もあるけれど)。世界にはもっと豊かなマテリアルがそこかしこに散らばっているのではないか。そして、それをたぐり寄せていくのが、現代のアーティストと呼ばれる人たちの仕事ではないだろうか。
好きな俳優たちが多数出演していたので、作品としてそれが活かされなかったのは正直なところ残念。でも変な話だけれども、観終わってから一月半くらいが経過した今、ま、そうゆうこともあるでしょう、長い道のりの中では、みたいな気持ちになっているのも、また事実ではあります。